英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、ソ連の参戦であったと指摘した ことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」 の著者である英国の歴史家ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは 4日間でやってのけた。」と書いたとき、 http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/ スターリン元帥は、これらの条件が満たされない場合、自分とモロトフにとり、なぜロシアが対日戦争に参加しなければ ならないのかソヴィエト国民に説明するのが困難となるのは明らかである旨述べた。彼らは、ソ連邦の存在そのものを 脅かしたドイツに対する戦争は明確に理解したが、何ら大きな問題を抱えている訳でもない国を相手になぜロシアが 戦争に入るのか理解しないであろう。他方、彼は、もし政治的諸条件が満たされれば、国民は右に関わる国益を理解し、 かかる決定を最高会議に説明することも格段に容易となろう、と述べた 」。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf 「間違えると北海道までソ連に占領されていた」との発言は、全く歴史に反した、冷戦時代の悪質な 反ソ宣伝の焼き直しである。 そもそも、長崎原爆投下は、ソ連参戦の後に行われているので、 ソ連参戦を阻止するためでないことは、はっきりしている。広島原爆投下の後も、日本政府はポツダム宣言 を受諾していないが、ソ連が参戦すると、あわててポツダム宣言を受諾した。このことからも、 日本のポツダム宣言受諾に、ソ連参戦は決定的に重要だったことがわかる。 <中略> イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、 ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、 イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、 実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。 http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254 「対日戦おまけ論」だが、それをいうならソ連はナチスドイツとの戦いで2700万人を失った末にベルリンを攻め落とし、 その「片手間」で日本を粉砕して無条件降伏に追い込んだとも言えるはずだ。 >米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた まさにソ連にとっては「片手間」www
>ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。 本当は渡したくは無かったんだろうが、ナチスドイツ打倒に決定的な役割を果たしたのはソ連だから仕方ない。 のみならず米国はソ連の対日参戦を不可欠と考えていた。 1942年6月のドイツ軍は、北アフリカに3個師団、独ソ戦に171個師団。 Location Of German Divisions In June Of Each Year Country 1941 1942 1943 1944 USSR 34 171 179 157 France, Belgium & Holland 38 27 42 56 Norway & Finland 13 16 16 16 Balkans 7 8 17 20 Italy 0 0 0 22 Denmark 1 1 2 3 North Africa 2 3 0 0 http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html 独ソ戦と比べたら、北アフリカなんてそれこそ『おまけの付けたし』でしかないwww 日本は自然災害との戦いの片手間でアメリカと戦争してたやろ
>>1 > 米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた。 4年もかかったのは本当に対日戦がおまけだったから。 第二次大戦の時のイギリス軍は、時間より人的被害を重視してる。 マレーでも、ビルマでも、準備ができるまでは攻勢にならなかった。 キチガイが攻めてきたから受けてきただけ。 対伊戦や対独戦でも、体制が整うまで攻勢にはなかなか出なかった。 対日戦がおまけだから、態勢が整うまでさらに時間がかかってるわけだ。 ドイツは戦後賠償で破綻するしかないから一発逆転を狙って戦争を起こした、これは分かる 日本は別になんも問題はなかったのに領土欲に負けて暴走し孤立し滅亡への道を自ら進んだ 明治が神かがってただけに昭和の愚かさがなんとも
ドイツも日本も国内の農地じゃ到底食料を確保できないから 外国の農地に余剰人口を移住させようとしたのが第二次世界大戦の原因だよ
The break-down of German and Italian losses against American, British, and French forces in the war in Europe follows: Battle dead Permanently disabled Captured Total Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600 Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100 Italy 86,000 15,000 357,089 458,089 Western Front 263,000 49,000 7,614,794 7,926,794 Total 373,600 85,000 8,108,983 8,567,583 1 Includes 3,404,949 disarmed enemy forces. The break-down of Japanese losses in the Eastern battlefronts, including China, since Pearl Harbor is as follows: Battle dead Permanently disabled Captured Total Southern Pacific 684,000 69,000 19,806 772,806 Central Pacific 273,000 6,000 17,472 296,472 India-Burma 128,000 38,000 3,097 169,097 China 1,26,000 126,000 1,059 253,059 [sic] [sic] Aleutians 8,000 1,000 30 9,030 Total 1,219,000 240,000 41,464 1,500,464 Biennial Reports of the Chief of Staff of the United States Army July 1, 1943, to June 30, 1945 to the Secretary of War http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html 戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数 はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、 アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、 最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、 本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。 http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf 開いた口がふさがらないほどの驚きを体験したのは、ヒトラー自身も同様だった。 翌日、八月十六日午前四時二十五分、外務次官ヴァイツゼッカーは駐ソ大使シュレンブルグ の「大至急極秘電」を受理した。 前夜午後八時(モスクワ時間)にソ連外相V・モロトフに面会して、外相リベントロップの 訪ソ申し入れを伝えた報告である。 外相モロトフの反応は予想外に好意的で、申し入れを「最大の関心」をもって受け取り、 わざわざ外相リベントロップが来るからにはそれなりの成果が必要だろう、と次の三項を提案した。 @独ソ不可侵条約の締結、A日ソ関係を改善し国境紛争(ノモンハン事件)を終熄させるために ドイツが日本に影響力を駆使する、Bバルト海諸国の共同保障。 そして、外相モロトフは、とくに不可侵条約についてドイツ側が賛成なら、ドイツ外相はたんなる 話しあいではなく具体的決定を用意して訪ソしてほしい、と強調したというのである。 外相補佐官E・コルトは、午前六時四十分、電報内容を電話でザルツブルク市郊外の別荘に いる外相リベントロップに伝え、外相は直ちにヒトラー山荘に急行した。 ヒトラーは、驚き喜んだ。 なんとソ連側から不可侵条約を提議してくるとは・・・・・・。 <児島襄「ヒトラーの戦い2」>
>>1 >米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた。 イギリスは、対日戦はオナザリもいいとこ イギリスの航空機の増強についてはビルマ、マレーは最下位 対独戦や対伊戦どころか、ソ連へのレンドリースより下位 スピットファイアなんか、1943年にチュニジアでドイツとイタリアが降伏してから 不要になった砂漠仕様の旧式XCがやっと回ってきたくらい後回し。 しかしブレニムに撃墜される、日本のエースパイロットって情けない せめてボーファイターにしろよ イギリスは、対日戦はオナザリもいいとこ イギリスの航空機の増強についてはビルマ、マレーは最下位 対独戦や対伊戦どころか、ソ連へのレンドリースより下位 スピットファイアなんか、1943年にチュニジアでドイツとイタリアが降伏してから 不要になった砂漠仕様の旧式XCがやっと回ってきたくらい後回し。 しかしブレニムに撃墜される、日本のエースパイロットって情けない せめてボーファイターにしろよ
>>1 >米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた。 さすがにビルマでの日本軍の悲惨な負けを擁護するのは無理がある。 最後のシッタン作戦とか、やばすぎるぞ イギリス軍の戦死95に対し、日本軍13000という 太平洋戦争のどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない イギリス恐るべし イギリスが植民地を失ったのは ナチス相手に力を使い果たして、借金がひどくなり赤字植民地を維持できなくなったから 記者は習氏がキッシンジャー氏について、「キッシンジャー博士は常に新たな角度で物事を見ている。その観察眼は素晴らしい。 彼は我々に新たな視点でのものの見方を教えてくれている素晴らしい人物だ」などと称賛したことを紹介しつつ、習氏についての同氏の見方を尋ねた。 「習主席は中国の10億以上の国民のために奮闘している。中国経済は現在最も発展しており、習主席の指導者としての手腕は高く評価され、 今後、中国史上でも最も偉大な指導者の1人として記憶されるであろう」と指摘している。 さらに、キッシンジャー氏はインタビュー後、記者の手をとり、 「私は中国の人と話をするのが好きだ。中国の独立自主外交政策も素晴らしい」と笑顔を浮かべて話したという。 NEWS ポストセブン 10月19日(月)7時6分配信 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151019-00000001-pseven-cn 間もなく世界経済クラッシュ! さぁどこに逃げる? 世界の敵www親米バカウヨ(笑) 勇気あるパレスチナ人少女が「世界は私達の味方、貴方達のではない」とイスラエル兵に訴える。(動画) https://twitter.com/komatsunotsuma/status/654327295209897984 メドヴェージェフ『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた。アメリカが公式に認めないなら、クレムリンは独自に情報公開する予定だ』 ダウンロード&関連動画>> VIDEO , - ―‐ - 、 日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、それを引き出すと世界経済が破綻します / \ それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう / ∧ ∧ , ヽ 暴落後における政府の第一の義務は、人々を正しい食物で養うこと、そして最後に防衛です ./ l\:/- ∨ -∨、! , ' magazines/si5n7k/04zpzf/bf1tqd / ハ.|/ ∨|,、ヘ |ヽ' ヽ > < ノ! l 他の国々のように、日本もさらに多くの原子力発電所を作ろうとしています . 〈「!ヽハ._ __ _.lノ | 多くの人々が核の汚染の影響で死んでいるのに、彼らは幻想の中に生きています く´ \.) ヽ. ノ (.ノ  ̄ マイトレーヤは、世界中の核分裂による原子力発電所を直ちに閉鎖することを助言されます \ `'ー-、 ___,_ - ' ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne ` - 、 ||V V|| \ | || || l\ 世界平和にとって最大の脅威である国は、イスラエル、イラン、アメリカです / ″ \ アメリカによる他の国々への虐待に反対の声を上げなければなりません (( (( / まる子れーや \ マイトレーヤが公に世界に現れるにつれて、UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう  ̄ \_ \ /_/ ̄ magazines/si5n7k/kxz1kf/xchu67 アメリカ帝国の確立をかなり意識的に考えて、それに向かって働きかけている人々がアメリカに大勢いる。 彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。 彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。 magazines/si5n7k/ndshrf/d2zeeo 何世紀もの間、権力を振るい、富の要塞を築いてきたグループがその覇権を放棄するのを非常に嫌がるだろう。 しかし、何にもまして、人々は平和のうちに生きる権利を主張するだろう。マイトレーヤは正義と自由への彼らの要求を支援されるだろう、 magazines/j540f8/c6gix5/9508eg Q NASAは一般大衆から情報を隠そうとしているのですか。 A はい、彼らはUFOに対して彼らが長年取ってきた態度のために無用な組織とされることを恐れています。 magazines/j540f8/c6gix5/j4zywf/locys5 Q アメリカ政府は民衆の力を恐れているのですか。 A はい、彼らはあらゆる方法を使ってそれを塞ぎ止めようとするでしょう。 magazines/33116k/ndshrf/xchu67 アメリカは他のいかなる国よりも多くの拒否権を行使し、イスラエルに対する決議案の場合、63回も拒否権を使った。 イスラエルはアメリカの拒否権が彼らを非難から守ることを知っているゆえに、ただ国連をばかにする。イスラエルは、罰を逃れる。 拒否権制度とアメリカの保護のゆえに、イスラエルに対して今も存在するこれら63の決議案を彼らは実施しようとする必要はないのである。 安全保障理事会が解消され、拒否権が取り去られるまで、国連総会は民主主義的な総会にはなれない magazines/si5n7k/ndshrf/d2zeeo Q 新しい世界秩序におけるイスラエルの役割は何ですか。 A 跪いて、パレスチナでの行為に対する許しを請うことです。 magazines/swl9d8/fkmww5/nu99he 311直前まで震源地付近にCIA直属機関といわれる笹川財団の作ったちきゅう号がいて「海洋大深度ボーリング調査」を続けていた このとき本当に驚いたのは乗組員の大半がイスラエル人という記事だった https://twitter.com/toka iamada/status/645081466234257408 _ ∠ \ Trick or Treat! | \ ♪ ∠ニニニ,> /| 川‘ -‘川 / | / /~~ハヽつ 彡⌒ ミ ― / OO|, (´・ω・`) \ `〜uu,′  ̄ ̄ ̄
オナザリってなんやねん おざなりやろが まぁ米軍は海軍海兵隊の戦力大幅に日本相手に振り分けたけどな
大西洋と地中海はイギリス海軍がいたからな。 米軍は空母が不足してヴィクトリアスをイギリスから借りてたくらい。
まあ地球を半周して戦力を回したイギリスとインド洋がせいぜいの日本を比べても仕方あるまい
>>23 >地球を半周して戦力を回したイギリス カーティン首相が英米の 「ドイツ第一主義」戦略を明確に批判したため、チャーチル英首 相は激怒した。しかし、 チャーチルは 1914 年にまったく同じ点に言及していたのである。 「英国軍が海上で粉砕された場合、太平洋地域に住む白人 500 万人に残された道は、米国 に保護を求めることである 6。」ローズベルト米大統領も不満であった。しかし、カーティン にすればオーストラリアは自らの生存に意を配る必要があり、そのために米国に依存せざる を得ないのであればそれは仕方のないことであった。真珠湾攻撃後、アジア・太平洋地域 の状況が急速に悪化する中、カーティンは 1942 年初めにチャーチルに宛てて、「シンガポー ルからの撤退は許しがたい裏切り行為と見なす」 と書き送った。裏切り行為に対する非難は、 その後数十年にわたり繰り返された。 http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2012/06.pdf 第7週 オーストラリアの太平洋戦争 http://opinion.nucba.ac.jp/ ~kamada/H23Australia/australia23-7.html AGAINST JAPAN Killed (b) 19,145 Missing 44 Prisoners-of-war escaped, recovered or repatriated 14,337 Wounded and injured 15,458 Total 48,984 Defence Special Article - Australian services during World War 2 (Year Book Australia, 1947) http://pandora.nla.gov.au/nph-wb/20010218130000/http ://Docs/wcd00001/wcd0016b.htm >>23 イギリス軍の対日戦の片手間ぶりはひどいものだな。 太平洋戦線では、当初マチルダやバレンタインも配備されてなかった。 日本軍なんて、スチュアートどころか、マチルダ歩兵戦車に蹂躙されるレベル。 サテルベルグ高地では、マチルダに無双されて5500人戦死とかアホか 日本の陸軍って数は多いけどみんな軽装だから単体の戦力としては欧米の半分もないよ、 そのかわり山登りが得意であんまり食料や物資が無くても粘り強く活動出来る。 戦術もバンザイ突撃、死んだフリ、夜襲、自爆攻撃などバラエティに富んでるよw
>>25 片手間なんじゃ無くて港湾や道路橋と言ったインフラが弱い当時のアジア圏に戦車なんて不要と判断してただけ 片手間なんて言いながら、対独戦勝後三か月経っても、マレー半島を奪取できんかったジョンブルには笑えるwww
>>26 日本陸軍は米英独ソと張り合う軍隊ではなくて、中国のチンピラゴロツキ討伐が専門。 太平洋戦争が起こったせいで、大勢のチンピラゴロツキ討伐隊員が失われ、 たった3500万しか殺せなかった。チンピラゴロツキの大発生は地球環境の汚染に繋がり、 チンピラゴロツキの人口爆発で朝鮮戦争が起こった。 >>28 英国としては皇軍のチンピラゴロツキ討伐にはある程度の理解があって、 わざと対日戦争に及び腰の態度を貫くことで、皇軍のチンピラゴロツキ討伐を陰で応援してた。 総統閣下は皇軍の勇気に感嘆すると同時に、その武装と技術の悪さを嘆いた。そこで訪独潜水艦に ドイツ兵器を満載して、これで大陸打通やってこいと、総統閣下は激励してくれた。 ソ連は日ソ中立条約で、チンピラゴロツキ討伐を支持してた。ドイツ降伏後もすぐには参戦せず、 これまたチンピラゴロツキ討伐への理解の現れだった。
日本は先の戦争で、米国には負けたが中国には勝った。 日本人は中国人よりは優秀だということが、誰からもわかりやすい形で示された。
ソ連はもっと早い時期に対日参戦することも、物理的には十分に可能だったはずだ。けれどもソ連はヨーロッパを重視し、 片手間の対日戦よりも、ヨーロッパ方面で米英に東欧支配を承認jさせることが、ソ連にとっては重要だった。 少なくとも1945年7月のポツダム協定以前に日本が降参してしまったら、ソ連の米英に対する優位は確保できない。 イエナはチューリッヒ州にあるため、ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領が もたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、イエナをいち早く占領してしまった。しかし、 ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、実際の現場のドサクサ紛れ の占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。 http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254 1945年5月8日以降、対日戦争終結日の決定権はソ連が握っていた。ソ連が参戦しなければオリンピック作戦、 ソ連が参戦すればそれで日本降伏。但し当時の満州は司馬遼太郎のような寄せ集めの臨時徴収兵ばかりで、 訓練されて武装した師団は大陸打通作戦に放出されてしまった。 そもそもアメリカ海軍も、イギリス海軍も、 太平洋艦隊や東洋艦隊の主力を緒戦で壊滅させられているから、 海戦略上、対日戦は艦隊の再建を待たなければならない。 ドイツ海軍は、緒戦のナルビク戦で駆逐艦隊壊滅してるし、 ビスマルクも初任務で撃沈。巡洋戦艦は機雷に当たって大破。 Uボート制圧は改造した捕鯨船とか、カンタンミニミニ空母で十分。
つまり対独戦を優先というより、海戦略的には、艦隊いらずの対独戦を優先させる他なかった。 対日戦は空母艦隊なしではまったく不可能だ。むしろ対日戦の方が難しい。 首都を爆撃されているイギリスが対独戦を優先させるのは当然だ。 いずれにしても艦載機が極端に低性能のイギリス海軍は日本空母艦隊とはまともに戦うこともできない。
ベルリンをイギリスから爆撃するのは非常にカンタンだが、 東京を爆撃するのは非常に難しい。中国からも不可能だ。 大空母艦隊を準備して、空母決戦に勝利して、長距離渡洋上陸作戦をして、島に飛行場を作らなくてはならない。 むしろ対独戦の方が技術的にはカンタンだ。
>>35 >海戦略上、対日戦は艦隊の再建を待たなければならない。 米国としては「ドイツ打倒優先」であっても、まず太平洋戦争で勝利することが前提条件だった。 太平洋戦争で勝利し、然る後にヨーロッパへ向けて派兵するというもの。 ステイムソンは6月19日,ボレロ計画を支持する理由をしたためたFDRへの手紙を,英米首脳会談が行われている ハイドバークに届けさせた。マーシャルが「名作(a masterpiece)」とほめたこの手紙を読むと,陸軍長官の対独戦に 対する並々ならぬ覚悟が伝わってくる。 …着実かつ敏速にして容赦のないボレロ作戦の実行は,ヒトラーの対ソ戦をくじく意味でも,ドイツを敗北させ 戦争を終わらせる意味においても,最も確実な方法(the surest road)である。ボレロ計画は…敵の心臓の中心部 (the center of our chief enemy's heart)に届く一番容易な方法でもある。…ボレロ実施における最大の危険は, 太平洋における日本軍の存在であったが,…最近の太平洋中央部での(アメリカ軍の)勝利がこの懸念を 取り除いた。…戦争中に,より良いグリップを求めて手につばを吐きかける(筆者注:手をはずして握り直す という意味か)ことは非常に危険である。 http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/1356/1/001032220_03.pdf >…ボレロ実施における最大の危険は,太平洋における日本軍の存在であったが, Dデイが1944年6月6日という日付になったのは、太平洋戦争で米軍が勝利するまでに時間がかかったから。 >…着実かつ敏速にして容赦のないボレロ作戦の実行は,ヒトラーの対ソ戦をくじく意味でも,ドイツを敗北させ >戦争を終わらせる意味においても,最も確実な方法(the surest road)である。 太平洋戦争抜きなら、Dデイはもっと早い時期になってたに違いない。 「潜水艦戦は終わりなどという話はごめんだ」五月三十一日、デーニッツ提督が北大西洋からUボートを 引き揚げたという報告をすると、ヒトラーは烈火のごとく怒った。「大西洋は西部の防衛線なのだ」。 言うのはたやすかった。十二月十二日、デーニッツは絶望気味に日記に書いている。 「敵はあらゆる切り札を有している。長距離哨戒機で全地域に目を光らせ、位置探知装置を使っているのに対し、 われわれは警戒手段を持っていない。・・・・・・敵がわが方の手の内を知りつくしているのにたいし、 われわれは敵について何も知らない」。 <第三帝国の興亡5 ウィリアム・シャイラー 152頁> 一九四四年二月の終わり頃、ふたりはウルム近郊のヘルリンゲンにあるロンメルの自宅で会い、 胸襟を開いて話し合った。 東部戦線の陸軍高級将校のある者ったいが、ヒトラーを捕虜にしてラジオで引退を発表させるのはどうかと提案した、 と彼に話した〔市長はのちにそう語った〕。ロンメルはこの考えに賛成した。 わたしはさらにつづけて、彼はドイツでもっとも偉大で人気のある将軍であり、国外でも彼ほど尊敬されている ひとはいないと言った。「ドイツで内戦を防ぎうるのはあなたしかいない。あなたの名を、ぜひ運動にお貸しください」。 ロンメルはためらっていたが、結局は肚を決めた。 「ドイツを救出するのがわたしの義務だと信じます」彼はシュトレーリンに言った。 <第三帝国の興亡5 ウィリアム・L・シャイラー 198頁>
発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号> この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面 において我方の軍事力の 大半を注入することとなり、極度の努力が求められ てきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。 しかし状況は変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が 西部正面に出現している。 アングロ=サクソンの上陸作戦である! 東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、 ドイツの中枢部に致命的な打撃を与えることはない。 西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を突破すれば、当面の結果は予測がつかない。 すべてが示唆するのは只一つ、敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、 もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上弱体化させるようなことは、責任上できない。 そこで余は、特にイギリスへの長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との決戦生起が、ここであるのは間違いない。 <ヒュー・R.トレヴァー=ローパー「ヒトラーの作戦指令書 電撃戦の恐怖」 > 遅くとも春だったはずのDデイが夏にまでズレているが、インパール作戦と大陸打通作戦の影響が大きい。 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを支えるための大量補給の努力は、 アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を妨害するものであるということに一致していた。 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する統合参謀本部の公式報告に記述された。 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。 http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/aircraft/chaina8.htm 対日戦争がおまけだというのなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけという位置付けになる。 そしてその場合、中国は戦勝国として振る舞うことができなくなる。 中華人民共和国の国連加盟は1971年で、敗戦国の日本にさえ15年も遅れた。 戦勝国倶楽部であるはずの国連で、中国は戦勝国扱いされるどころか、存在さえ認められなかった。 逆に日本にとっては、中国なんて全く要らない存在で、中国との国交抜きでも経済成長してた。
>シェンノートの航空作戦計画、およびそれを支えるための大量補給の努力は、 >アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を妨害するものであるということに一致していた。 1943 年 11 月下旬、英米の指導者たちは蒋介石をカイロに招き、アジア戦略について 協議した。マウントバッテンも新設された SEAC の司令官として招待された。蒋介石に は、再度、ビルマ・ルートを再開するという確約が連合軍によってなされた。そして、 チャーチルが驚いたことは 、マウントバッテンがルート再開作戦の一環としてベンガル 湾への上陸作戦(「バッキャナー」作戦)を行うことを申し出たことである。ローズベル トは、ワシントンでの以前の会談とは異なり、東南アジアで上陸作戦を実施するよう英 国に圧力をかける明確な意思を持っていた。また、チャーチルが検討していた地中海で のさらなる連合軍の作戦にも同意するつもりはなく、連合軍が「オーバーロード」作戦 に集中することを希望したのである。英米の指導者たちは、12 月にテヘランへ移動し、 「オーバーロード」作戦のさらなる延期には断固反対する姿勢を見せて いたスターリン と会合を持った。スターリンは、英米の指導者たちにとって救いだったのは、ソ連の指 導者たちがドイツ敗北後に日本に宣戦布告することを約束したことであった 58。 http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_4.pdf >ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。 パンター怖いなんて呑気なこと言ってるうちに、赤軍が大損害を出しながらも ベルリンに突入して、大きな大きなソ連圏ができてしまったwww
もともと日本陸軍の師団配置でもあくまで対ソ連の関東軍が主力で、 北京や上海、南京は後方扱いだった。 最新兵器を装備した現役兵師団の主力は対ソ連配置で、中国戦線は、治安警備用の予備役兵が主力だった。 独ソ不可侵条約の締結で、陸軍の対ソ連軍戦略はいったん崩壊している。 1940年にはすでに中国の内陸から撤退する方針が決まっていた。
>>44 >もともと日本陸軍の師団配置でもあくまで対ソ連の関東軍が主力で、 >北京や上海、南京は後方扱いだった。 ? その後、武漢・広東攻略作戦が38年6月15日、大本営御前会議で決定され、同年7月31日に 広東攻略も含めた『戦争指導大綱』が策定された。同年10月27日、陸軍は武漢三鎮を占領し、 中国戦線に23個師団(約70万人)の兵力を投入していた。尾の時期から支那事変は戦略的 対峙の段階に入った。(陸軍兵力34個師団のうち、9個師団は満洲・朝鮮にあり、 残る近衛1個師団と11師団のみが内地にいた。) http://www.kaikosha.or.jp/_userdata/kin-24.pdf 太平洋戦争は日本が敗北したが、日中戦争はそうではなかった。 だから中国は国際社会から爪弾きにされ、国連復帰は1971年で日本の15年遅れ。
中国は中華民国が代表として45年に原加盟国として加盟し、その後71年まで中華民国が中国の代表だった 71年というのはあくまで中華人民共和国が中国の代表権を得たという年でしかない
>>47 中華民国はただの亡命政府で、台湾の領有権さえ認められてない(台湾はSF条約で「日本が放棄」)。 >>48 それはグレーゾーン カイロ宣言が連合国側の総意として確定していたならば、ポツダム宣言受諾の時点でカイロ宣言も受け入れられ日本の台湾への主権は失われたと言うことができる それを中華民国ないしは共産党が自国に編入することの是非はまた別の話だが、いずれにせよ日本はそのことに口出しできる立場ではなかった また国連から明確にそれを否定されたわけでもない 「罪を問われなければ犯罪ではない」というのは言い過ぎかもしれないがそれに近いものだ つまり中華民国はその領土及び主権を49年から71年まで黙認されていたと言える >>49 >いずれにせよ日本はそのことに口出しできる立場ではなかった ○大久保直彦君 本日は、歴代政府・自民党の中国政策が根底から瓦解した記念すべき日でございます。(拍手) 私は、公明党を代表いたしまして、中華人民共和国の国連における正当な権利を回復し、台湾追放を求めるアルバニア 決議案が圧倒的多数をもって採択されるというまさに歴史的な事態に対し、佐藤総理に対し、その所信と政治責任につい て若干の質問をいたしたいと思います。(拍手) 言うまでもなく、戦後二十数年の間、中華人民共和国の国連における正当な権利を回復させることに対し、アメリカ並び に自民党政府は共謀し、虚構の上に虚構を重ね、中華人民共和国政府を唯一の正統政府とする中国の国連復帰を積極的 に妨害し続けてきたことは、まぎれもない事実なのであります。 しかしながら、国際政治の良識はこの虚構を許すことを認めず、昨年の国連総会は、もはや欺瞞的な日米両政府の 妨害工作が全く国際政治の現実にそぐわないものであり、その破綻を示したのであります。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/067/0001/06710260001006a.html >中華人民共和国政府を唯一の正統政府とする中国の国連復帰を積極的に妨害し続けてきたことは >>49 >つまり中華民国はその領土及び主権を49年から71年まで黙認されていたと言える 台湾は日本が放棄しただけで、中華民国の領有地と認められたわけではない。 ○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという 問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、 そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、 日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定 してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。 われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html だから「グレーゾーン」だと言ってるんだろ カイロ宣言に台湾の放棄が出てくる以上はサンフランシスコでの正式な主権放棄より以前に台湾への主権は失われたとも言えなくもない だからサンフランシスコ条約のみを主張して中華民国の台湾領有を否定するのは必ずしもあたらないということ
>>49 >いずれにせよ日本はそのことに口出しできる立場ではなかった 日本としては1972年までは、中華民国を承認するか中共を承認するかで、天秤外交を行使することができた。 中華民国政府は台湾の領有権を持たない(SF条約で日本が放棄)亡命政府で、国家の形を成していない。 1971年のアルバニア決議で中共の国連加盟が決まったが、台湾は依然として未帰属地のままであり、 米国としては「台湾関係法」を制定して、合法的に台湾政府への武器輸出を発動することができる。 >>53 >サンフランシスコ条約のみを主張して中華民国の台湾領有を否定するのは必ずしもあたらない 戦争終結はあくまで平和条約によるもので、ポツダム宣言よりは平和条約が優先されるのは当たり前。 日本としては米国や韓国のように、中共との国交回復をもっと遅らせることも物理的には可能だった。 >>49 >つまり中華民国はその領土及び主権を49年から71年まで黙認されていたと言える その論法からすれば、韓国は竹島を、ロシアは北方4島の領土及び主権を、 現在に至るまで黙認されていたと言える。 >>49 >つまり中華民国はその領土及び主権を49年から71年まで黙認されていたと言える 実効支配=領有だということなら、ロシアのクリミア併合にも当てはまるが? >>49 >いずれにせよ日本はそのことに口出しできる立場ではなかった 「グレーゾーン」だとのことなら、その範囲内で日本は口出しできる立場ということになるが? 違う。 ポツダム宣言では「日本は本土4島と連合国側の定める諸小島のみに主権を認められる」ことが規定されているから、日本が台湾などの領土規定に関して「ここは自分の物だ」と主張する権利は与えられていない。少なくとも51年までは。 これが単に戦争終結のみに言及したもので、そうした条項に従う必要が無いという論説は良くわからないが、少なくとも日本は無条件降伏でこれを受け入れている。これに従わないのであれば明らかに国際法違反だ >>竹島と北方四島 間違いではなかろう。黙認というのは「関わりたくないし事を荒立てたくないから」行っているのであって積極的な肯定ではない。黙認という言葉が気になるなら「看過していた」とでもいえば満足か?
無条件降伏ってのは「日本軍の無条件降伏」という条件であって政府の無条件降伏じゃないからな まぁSF条約で植民地として獲得した領土は喪失したとみるべきだな となると条約結んで獲得した南樺太の問題が出てくるんだよな 台湾の話する前に南樺太だよな普通
>>58 > 少なくとも日本は無条件降伏でこれを受け入れている。 すると日本は「北方領土を返還しろ」と主張することはできないことになるはずだが? 「ソビエト政府赤軍司令官布告(昭和20年9月15日付) 今度、日本政府がソビエトに無条件降伏した為、全千島、即ちこの国後もソビエトの領土と成ったから、ご承知して戴きたい。 http://4islands.jp/problem/post-4.php フルシチョフ書簡 池田首相あて(抜粋) 1961年12月8日 あなたのお手紙に、あたかも領土問題が周知の国際諸協定にかかわらず、今なお、未解決のままであり、 この問題についてソ連からの態度変更、一定領土に対するその正当な権利の放棄を取り付けるなんらかの根拠が あるかのように見せかける試みが新たに行なわれています。 池田総理、このような意図は、日本政府が無条件降伏の結果として周知の国際諸協定によって自己の負った 義務の履行を回避しようとする意図を立証するに過ぎないものであることを述べなければなりません。 http://www.k3.dion.ne.jp/ ~karafuto/s-120.html >>58 >>>竹島と北方四島 >間違いではなかろう。黙認というのは「関わりたくないし事を荒立てたくないから」 竹島と北方四島は、台湾と同じってことでいいのだな? >>58 >これに従わないのであれば明らかに国際法違反だ >>49 >いずれにせよ日本はそのことに口出しできる立場ではなかった 無条件降伏して発言権を失った敗戦国日本に対しても、ソ連邦の寛大なおぼしめしと対日友好姿勢により、 日ソ共同宣言では平和条約締結後の祝賀品として、歯舞・色丹の2島を譲り受けることが許された。 『日本が南樺太・千島を放棄し、特に国後・択捉をソ連領として認めるならば、サンフランシスコ条約違反 となる。これは、サンフランシスコ条約以上のことをソ連に認めることになり、この場合は米国としては サンフランシスコ条約第26条により沖縄を永久に領有する。』 (注1) http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou4.htm にもかかわらずアメリカは「択捉・国後は日本領だ」と横槍を入れて、日ソ平和条約締結を潰してしまった。 東京大空襲や広島長崎の原爆投下を謝罪しないアメリカのやつらが、北方領土で反共反ソ煽ったってだめだ。 >>58 > 少なくとも日本は無条件降伏でこれを受け入れている。 ○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。 全権としてサンフランシスコの講和会議に臨席いたす心構えについての御忠告は、つつしんで承ります。 御希望になるべく沿うようにいたしたいと考えます。 領土問題に関して御質問でありまするが、この領土放棄については、すでに降伏條約において明記せら れておるところであります。すなわち、日本の領土なるものは、四つの大きな島と、これに付属する小さい島 とに限られておるのであります。すなわち、その以外の領土については放棄いたしたのであります。これは 嚴として存する事実であります。ゆえに、琉球等の西南諸島及び小笠原等についての信託統治の問題は、 これはすでに日本の領土権を離れておる。その離れた領土に対して、米国として将来国際連合に提出さ るべき信託統治の約束についてはいかなる措置をとるかということは、これは米国政府が国際連合に提出 いたす措置がどうであるかということによつて決定せられるのであります。すなわち、すでに一応領土権は 離れたのでありますが、それをどの程度まで、米国政府が、将来米国の好意によつて日本にもどすかとい う問題がここにあるのであります。ゆえに領土問題について、あまり多くをこの際述べるということはよろし くないことである。あまり突き進んで議論をするというのは好ましくないことで米国の好意連合国の好意を 日本としては信頼して受けるのが、これがこの際処する外交と私は考うるのであります。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/011/0512/01108170512002a.html >>62 歯舞色丹は、ロシアの「好意」で譲ってくれるかもしれないのに対し、 中国は台湾の領有のみならず尖閣もよこせと言ってくる。 これでロシアの寛大さと中国の強欲ぶりが浮き彫りになる。 >>60 >>61 うんにゃ カイロ宣言においては「日本が第一次大戦開始以後に奪取あるいは占領」した「太平洋の一切の島嶼を剥奪」すること、「満州並びに台湾とポンフー諸島」は「日本が清から略奪したもの」として「中華民国に」返還することが謳われている カイロ宣言の宣言としての有効性が微妙であることが問題点なのだが、ともかくポツダム宣言は「カイロ宣言は履行されるべき」としている 「されるべき」という表現もまた曖昧だが、それへの従属を課するものであるとするならば、日本は確かに上に述べた領土を放棄するのが義務となり、一方で「第一次大戦開始以前」からの領土である北方領土を放棄する理由はないと言える ポツダム宣言が日本の領土を四州+「諸小島」という微妙な言い方で規定しているのも問題で、これによってポツダム宣言とカイロ宣言の間には解釈の齟齬が生まれてしまった 北方領土問題はこれに起因するもの 竹島問題はこれと全く性格が別で、明らかな国際法違反 しかしイギリスはカイロ宣言に基づく中華民国の台湾領有を認められないとした、つまり連合国の中で各々好き勝手なことを言ってたわけだ 私見だが、カイロ宣言・ポツダム宣言でこうした曖昧な表現を用いたのは、中国ないしはソ連の要求を満たす(要は領土を与える)ために主にアメリカが主導で敢えて表現に幅を持たせたのではないかと >>65 >ポツダム宣言が日本の領土を四州+「諸小島」という微妙な言い方で規定しているのも問題で、 すると「無条件」降伏というのは真っ赤なウソってか? >>65 >一方で「第一次大戦開始以前」からの領土である北方領土を放棄する理由はない 有条件降伏だったとでも主張するのか? そもそも向こうの条件を飲んで降伏しただけでこっちから突然無条件降伏したわけじゃないしー
アメリカは片手間でジャップを抑えつつ主力を欧州戦線に向けて、 ナチスを滅亡させたあとで太平洋超えに本腰を入れる って計画だったのに、日帝が弱すぎてベルリン陥落する前に日本列島の制空権を握れちゃった
>>66 はあ? 論点が的外れ過ぎて何の反論にもなってないぞ ここでの無条件降伏っていうのは「降伏する側が」何の条件も要求しないこと 北方領土は日本領であるとするのは、「戦勝国」側がカイロ宣言において主張した所に基づき、その規定外つまり連合国が提示した条件の範疇にないものについて連合国側の統制は受けないのではないかとした主義主張であって、日本側が北方領土に対して何か要求をしたわけではない >>70 >ここでの無条件降伏っていうのは「降伏する側が」何の条件も要求しないこと 史実に反するが? バーンズ回答文 1945年8月11日付 (ジェイムス・バーンズ国務長官) 1)降伏のときより、天皇および日本国の政府の国家統治の権限は、降伏条項の実施のため、その必要と認める 措置をとる連合国軍最高司令官の制限の下に置かれるものとする。 2)天皇は、日本国政府、および日本帝国大本営に対し「ポツダム宣言」の諸条項を実施するために必要な 降伏条項署名の権限を与え、かつ、これを保障することを要請せられ、また、天皇は一切の日本国陸・海・空軍官憲、 および、いずれかの地域にあるを問わず、右官憲の指揮の下にある一切の軍隊に対し、戦闘行為を終止し、 武器を引き渡し、また、降伏条項実施のため最高司令官の要求するであろう命令を発することを要請される。 3)日本国政府は、降伏後、直ちに俘虜、および、抑留者を連合国の船舶に速やかに乗船させ、安全なる地域に輸送すべきである。 4)日本国政府の最終形態は、「ポツダム宣言」に従い、日本国民の自由に表明する意思によって決定されるべきである。 5)連合国軍隊は、「ポツダム宣言」に掲げられた諸目的が完遂されるまで日本国内に駐留するものとする。 http://tikyujin-suganuma.a.la9.jp/sengosi/sen-mokuji/banzu.html >>58 >これに従わないのであれば明らかに国際法違反だ ○岡田委員 それでは池田総理大臣は、カイロ宣言にある「盗取した」ということばを お認めにならないというのですか。カイロ宣言並びにポツダム宣言に基づいて、 降伏文書について日本は受諾したのでしょう。カイロ宣言を認めないのですか、あなたは。 ○池田国務大臣 私は、カイロ宣言、それからきたポツダム宣言の趣旨は認めますけれども、 ことば全部を認めたわけではございません。 ○岡田委員 降伏文書には、カイロ宣言そのものを受諾したのですよ。趣旨ではないのですよ。 カイロ宣言それ自体です。あなた、そんなこと言っちゃだめですよ。 ○池田国務大臣 ポツダム宣言の趣旨を受諾したのでございます。 ○岡田委員 あなたは降伏文書をお読みになったことがございましょうか。降伏文書には 「下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ條項ヲ誠実ニ履行スル」こう書いてあるじゃないですか。 「条項ヲ誠実ニ履行スル」、それは趣旨ではないですよ。条項はなんです。文章そのものです。 あなた、そんなこと言っちゃだめです。 ○池田国務大臣 私は、ポツダム宣言の趣旨、条項を忠実に受諾するということは、 その精神を――ポツダム宣言の考えていることを言っておるのでございまして、日本人として 一々盗み取ったということを認めたわけではございません。 ○岡田委員 その問題だけでこだわって本論に入れないでは困るが、カイロ宣言には盗取した ということを書いてある事実は御存じでしょう。カイロ宣言には書いてあるでしょう。ないですか。 ○池田国務大臣 カイロ宣言にそういう字句のあることは知っております。しかし、われわれは、 あれを盗取したという前提でおるのではありません。ポツダム宣言の趣旨をわれわれは忠実に 守るということを言っているのであります。 ○岡田委員 これは何度言ってもきりがない。ポツダム宣言の趣旨を忠実に履行するとは書いてない。 降伏文書には、「「ポツダム」宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スル」と書いてある。趣旨ではないのです。 条項そのものです。これはいつまで意見を言い合ってもしようがありませんが、続いてそれは外務大臣に伺います。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html >>71 言葉が足りなかったから訂正しておくと「日本は連合国の総意として連合軍最高司令官が出す条件に逆らわず、かつ日本からは何の条件も要求しない」 そしてこれは「史実に反する」わけではない サンフランシスコ平和条約では「国後島および択捉島は千島列島として日本の領土に含まれない」ことが記されているが、この両島は「第一次大戦開始」前から日本の領土であり、 かつこれに関して、両島を「ソ連領」とする「制限」は「連合軍最高司令官」によって定められたのではなく、ソ連の独断での侵攻及び実効支配によって為されたものであり、それは厳密には「ポツダム宣言に記され、日本に課せられた何らかの制限・義務」ではないと言うこともできる >>72 そこで議論されてるのは単なる言葉のアヤでしかない。認識の違いについて延々と議論したところで決着はつかないし、表現の問題をいちいち取り上げた所で肝要なところは同じだ その議事録をどう読んだら「日本はポツダム宣言の要求するところを一部無視しても良い」というふうになるのか教えてくれたまえよ ポツダム宣言の一字一句を拾って絶対化するというのは、神学者が聖書のどうでも良さそうな文言を拾ってそこから訳の分からん論理を展開するようなもんだ >>73 >その議事録をどう読んだら「日本はポツダム宣言の要求するところを一部無視しても良い」というふうになるのか教えてくれたまえよ 台湾はカイロ宣言に従って中華民国に返還されることなく、サンフランシスコ平和条約で日本が放棄したに留まり、 国際社会において中華民国は領土権を一切有しないただの亡命政府として扱われた。 「日本はポツダム宣言の要求するところを一部無視しても良い」、台湾についてはこれで正しい。 1972年の日中平和友好条約でも「理解し、尊重する」に留まる。 >>69 ナチがヨーロッパの制空権を奪った事なんて ただの一瞬もないが 1940年から本土空襲を受けてたヘタレ それがナチ >>73 >両島を「ソ連領」とする「限」は「連合軍最高司令官」によって定められたの ではなく、 >ソ連の独断での侵攻及び実効支配によって為されたものであり、 @ヤルタ協定は戦後方針を決めているが、ヤルタ協定自体は最終決定ではなく て、最終的な領土処理を決定したものではない。 A日本には無関係に決められた協定が日本に効力を及ぼす事は無い。 ヤルタ協定に対する、日本の考え方はどちらも正当なものです。ヤルタ協定 は、日本が放棄しない領土をソ連が領有する 根拠にはなりません。しかし、サンフランシスコ条約にしたがって日本が連合国 に対して放棄した領土をヤルタ協定に従って ソ連が領有する事も、同じく正当な事です。日本の反論は、サンフランシスコ条 約で日本が放棄していない領土に対して のみ有効な反論で、放棄した領土に対しては、何の反論にもなっていません。 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou4.htm >>74 サンフランシスコ平和条約での文言は既成事実となった問題を追認している向きもある 中華民国による台湾の実効支配は45年8月に既に開始されており、51年に日本がその主権を持たないことを「追認」したところで、45-51年に掛けて「日本が台湾に関してポツダム宣言を無視した状態」であったということは、物理的な観点から見れば偽である しかし俺は「連合軍最高司令官が日本に対して台湾の主権を手放すことを要求した」、ないしは「台湾が中華民国に帰属することの認可を(形式的に)要求した」という事実については勉強不足故知らない、知ってたら教えてくれ が、それが行われか行われていないかということは結果的にはさして重要ではなく、詰まる所アメリカ(またはソ連、若しくはその両方)がそうした手続きを介さずにカイロ宣言を根拠として中華民国に裁量の自由を与えた可能性も考えられる これは「連合軍最高司令官による統治の制限」の範疇ではないように思われるが、そうであった可能性もある、というにとどめる ソ連の国後・択捉の実効支配に対してもアメリカ側でそれを暗黙の内に認め、サンフランシスコ条約にてそれを「追認」したともいえるわけ しかし、台湾はカイロ宣言において明言されているが北方領土はそれがないので...ということになり、結局カイロ宣言の内容と、その後のソ連の実効支配にはどちらに優先権があるのか...というさっき言ったような話になる しかし、そもそものカイロ宣言に疑問点がある以上、台湾に関してもこれ以上絶対にこうだと言い切ることはできない >>77 その引用にもある通りヤルタ協定は独ソのポーランド分割同様国際法違反であり日本に対して拘束を義務付けるものとなり得ないし、 サンフランシスコ平和条約で台湾と北方領土の放棄を宣言した以上はそれが本来的に日本に帰属するものだと主張することは出来ない しかし、サンフランシスコ平和条約にソ連は署名していない 日本が「台湾や北方領土を放棄した」というのは、「もうあそこは誰のものでもないから勝手にとっていいよ」という無責任な話ではなく、 あくまでその処分を批准した連合国諸国に委ねるという意味で捉えるのが一般的であり、 その観点からすればソ連は「部外者」で、つまり北方領土は普遍的な無主地先占の状態ではないのだという論理も一応成立しうる >>80 同じこと何回説明させんの? ポツダム宣言に書いてある「諸小島」だけでは北方領土は含まれるのか含まれないのか判然としない、かつカイロ宣言によればそれらは放棄の対象外であるようにもとれる だからそこは51年の正式放棄までソ連の「実効支配下」にはあったが、それは「連合軍最高司令官」によって正式にそれが決められたわけではなく、形式的にせよあるべき主権がどちらにあったのかはそのうけとり方によってどちらにもとれるということ >>9 しかも米陸軍損害出しまくったじゃん イギリスとの戦い 14師団対イギリス1軍団(内約不明) 日本軍損失90%20万以上 イギリス8万程度 アメリカとの戦い 日本軍14師団くらい アメリカ合計10師団くらい 日本軍損失95% アメリカ損失死者6万負傷脱落数万 米軍はみっともないことに参戦で損害出しまくってる ダウンフォールさくせんとかいうけど沖縄及びフィリピン駐留と、作戦の損失で再編にはもう半年はかかり オリンピック作戦は2-3ヶ月後じゃないと開始できなかった >>82 マッカーサーは沖縄戦にさえ参戦しておらず、終戦までフィリピン戦線に釘付けw まあ、日本はドイツの液冷エンジンのライセンス生産に失敗してるくらい日本とドイツに技術力の差があったからな 日本が明らかにドイツに勝っている空母や戦艦も次々撃沈・撃破されたり残った艦も燃料不足その他で満足に使えなかったりとか
>>84 ならドイツの液冷エンジンのライセンス生産に成功したルーマニアが、そんなに羨ましいってか? バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w >>87 大陸打通作戦の大勝利は、太平洋戦争の大敗北を吹き飛ばしてしまった。 大陸打通なんて単なる妄想だけどな 事実は傀儡国家作ったが(国際的には未承認)呆気なく崩壊し、大陸の軍幹部と官僚は部下や民を見捨てて真っ先に逃亡
>>89 >(国際的には未承認)呆気なく崩壊し、大陸の軍幹部と官僚は部下や民を見捨てて真っ先に逃亡 中華民国亡命政府のことですか? >>89 バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w ↑ ID変えて必死の連投 他のスレを次々叩き出された姿があちこち荒らし回って叩き出された旧日本軍の姿にダブる
小さめの戦いは皇軍も健闘しているが、ここでもマッカーサーはかなり優秀だな。 レート 皇軍死 連合軍 戦場 敵将 222.3 2890 **13 ビスマルク海 ケニー・マッカーサー 147.5 5900 **40 スールー諸島 マッカーサー 69.47 2987 **43 マリアナ沖海戦 ニミッツ 43.53 3700 **85 坊ノ岬沖海戦 ニミッツ 28.96 6400 *221 サンボアンガ半島 マッカーサー 25.97 1714 **66 ヌンホル マッカーサー 23.94 7807 *326 テニアン ニミッツ 19.43 5500 *283 フィンシュハーフェン マッカーサー 15.33 9000 *587 ウェワク ブレ―ミー 10.56 6600 *625 ポートモレ〜ココダ ブレ―ミー・マッカーサー 10.17 4629 *455 ワクデ・サルミ マッカーサー *9.96 3057 *307 ミッドウェー海戦 ニミッツ *9.94 3280 *330 アドミラルティ― マッカーサー *8.26 4700 *569 ボルネオ マッカーサー 皇軍戦没者18000 *5.19 1350 *260 アンガウル ニミッツ *4.58 4716 1034 第二次チンデット ウィンゲート *3.52 7000 1991 ブナ・ゴナ マッカーサー *3.44 1200 *349 ワウ マッカーサー *3.10 3106 1000 第二次アキャブ クリスティンソン・スリム *2.94 4350 1481 アリューシャン ニミッツ *2.82 6513 2307 イラワジ会戦 スリム *1.40 1671 1195 ニュージョージア ハルゼー・マッカーサー *1.00 1000 1000 サハリン プルカエフ 0.625 3067 4907 菊水作戦 ニミッツ
対独戦の主体はソ連だったが 対日戦の主体はアメリカだった この違いはあるがね
>>93 マッカーサーは大きな島をワザと狙って上陸している。島が大きいと全体の要塞化 が不可能で、弱点を突く事で少ない損害で勝てるから。逆に、ニミッツと海兵隊は 小さな島を狙って上陸してるが、島が小さいと日本軍の弱体な工兵能力でも要塞化 が進んでしまう事があるので、そこでは大損害を出す場合があった。 別にいいじゃん。連合軍にとって太平洋戦争が片手間だって。 ドイツ軍の方が規模が大きくて高性能な装備持ってたんだから。 ヨーロッパ戦線の終結が優先だったし、そりゃ連合軍も力の入れようが 違いますって。日本軍なんてドイツに比べりゃ旧式で数も補給も 不十分な状態で何とか戦って、でも病死や餓死が多くてまともに戦って 死んだ人って半分かそれ以下なんでしょ?本土決戦も無かったでしょ。 そりゃ片手間って言われても、そんな感じじゃん。 ドイツ軍は敵と同等かそれ以上の装備で戦って物凄い戦果挙げてますから! 亡くなった兵士もほとんど戦死なんでしょ? 日本軍より被害も多いでしょ、兵士も戦車も飛行機も火砲も鉄道も。 連合軍がどれだけ太平洋より力を入れたかわかりますよ。 あと太平洋戦線の連合軍の兵士が戦った敵は日本軍。 ヨーロッパはドイツだけじゃないんですよ。 戦ったけどドイツ軍と戦ってないという連合軍の兵士、 たくさんいますよ。 それに強力な敵が少ない方がいいじゃない。 もっと痛い目に遭ってドイツ軍より多い被害を出した かもじゃない? 太平洋戦争が片手間だっていいじゃない。 ちなみに俺はイタリア軍よいしょっ!
>>98 >ヨーロッパ戦線の終結が優先だったし、そりゃ連合軍も力の入れようが 違いますって。 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、 死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、 世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。 http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害 人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万 以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、 負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の 中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。 http://www.china-news.co.jp/node/4456 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、 興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、 興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、 人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1 6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。 http://www.jade.dti.ne.jp/ ~kaworu/cont/sankotou.html 沖縄は片手間レベルじゃないしな イギリス海軍は欧州で死んでない中将死んでるし アメリカ陸軍も中将死んでる
>対独戦の「片手間」で粉砕された日本ww 「大陸打通作戦」が、戦後ずっと無視されてきたからな。対日戦争はオマケで、中国はオマケのそのまたオマケだと。
「大陸打通作戦」により、西側諸国は第二戦線が遅れ、かつソ連の対日参戦を不可欠とせざるを得なくなった。 西側諸国と亡命政府 西側諸国は,一方で相変らず第二戦線を創出できないでいること, 他方でソ連の対日戦争参加を強く望んだことのためにソ連に対して外交的に著しく弱い立 場に追い込まれた。西側諸国はこの問題においてソ連に対して譲歩しなければならないこ とを痛切に感じ始めた。最も重要な同盟を失うかもしれないという西側諸国の恐れは, スターリン が 1943年 7月半ばに, またしても第二戦線の創出が延期されたことを理由に ワシントンとロンドン駐在大使を召還し, アメリカ大統鎮ルーズヴェルト CFranklinD. Roosevelt) との予定されていた会談を無期限に延期したとき, とくに強まった。西側諸 国,とくにイギリスはいっそう強くポーランド亡命政府に圧力をかけてソ連の要求に応じ させようと努力した。(21) http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/5035/1/KJ00000112975.pdf シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する 統合参謀本部の公式報告に記述された。 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された 文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。 http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm 国民党政権は崩壊し、台湾は「中華民国に返還」から「日本が放棄」に変更された。 ドイツに落とした爆弾は、日本の10倍以上。 日本への空襲なんか1/10で済んでいる。欧州戦線がメインで 対日戦は裏戦場。ドイツ海軍が貧相だったから米海軍は 太平洋に行かざるをえなかったが。沖縄に殺到した大輸送船団も、ドイツ方面に 向かった船団よりも小さい。
>>104 チンピラゴロツキ3500万の大戦果がとうかしましたか? 旧日本軍は物凄く弱いよ、特に帝国陸軍は中国よりも弱い 指揮官の能力が低過ぎだよ、指揮能力が低く作戦立案もできない、指揮官として資質も基本的な知識も無い 勇気もなく臆病で無責任、愛国心も全くない終戦後GHQに尻尾振って国を裏切り、部下や上官・天皇に責任を押し付ける連中が続出 こんな軍隊が強いわけが無い 大陸打通作戦勝利とか馬鹿な事言ってる連中もいるが、敗戦末期に無意味な作戦を立て、蒋介石軍を破っただけ 精強な毛沢東率いる八路軍とは戦争していない、お陰で中国は共産国になった 帝国陸軍は中国軍よりも弱い情けない軍隊なんだよ だから戦争に負けた 敵前逃亡する木村兵太郎や富永恭次がいて、花谷正、辻正信、牟田口廉也、菅原道大、服部卓四郎、川辺正三、寺内寿一、東條英機 上げれば切りがないが、この連中が率いる軍隊が強いわけ無いだろ だから日本軍は戦後世界中の笑い物になり、馬鹿にされたんだよ 部下死ねと命じ自分は逃げる司令官が映画に出てくるが、 それは帝国陸軍がモデルだからな それぐらい帝国陸軍は卑怯者の代名詞なんだよ 日露戦争時は大山巌、児玉源太郎、秋山好古は後輩が情けなくて泣いてるだろうよ
>>100 マレー沖海戦で死んだフィリップスは海軍大将だよ。 『対日戦争オマケ論』は、大陸打通作戦でどつき回されるチャンコロに対して向けられた米英の捨て台詞だ。
「対日戦おまけ論」についてだが、その場合、おまけの対日戦争オンリーだった中華民国の扱いは酷いものになる。 太平洋戦争がおまけなら日中戦争はおまけのそのまたおまけということで、中国は存在そのものが無視される。 ○大久保直彦君 本日は、歴代政府・自民党の中国政策が根底から瓦解した記念すべき日でございます。(拍手) 私は、公明党を代表いたしまして、中華人民共和国の国連における正当な権利を回復し、台湾追放を求めるアルバニア 決議案が圧倒的多数をもって採択されるというまさに歴史的な事態に対し、佐藤総理に対し、その所信と政治責任につい て若干の質問をいたしたいと思います。(拍手) 言うまでもなく、戦後二十数年の間、中華人民共和国の国連における正当な権利を回復させることに対し、アメリカ並び に自民党政府は共謀し、虚構の上に虚構を重ね、中華人民共和国政府を唯一の正統政府とする中国の国連復帰を積極的 に妨害し続けてきたことは、まぎれもない事実なのであります。 しかしながら、国際政治の良識はこの虚構を許すことを認めず、昨年の国連総会は、もはや欺瞞的な日米両政府の 妨害工作が全く国際政治の現実にそぐわないものであり、その破綻を示したのであります。 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/067/0001/06710260001006a.html >中華人民共和国政府を唯一の正統政府とする中国の国連復帰を積極的に妨害し続けてきたことは 冷戦時代の欧米世界は、対日戦争を意図的に小さく扱っており、これが中国排除につながった。 冷戦時代の西側世界においては、反ナチ戦争こそが西側連合国にとっての大義名分であり対日戦争の扱いは非常に小さく、 従って中国抗日戦争は無視扱い。シナ大陸を実効支配する中華人民共和国の国連加盟・常任理事国入りは1971年。 なおサンフランシスコ平和条約で台湾は「放棄」されたのであり、蒋介石の中華民国政府は亡命政権でしかなかった。 つまり「対日戦争の戦勝国」たる中華民国は、身ぐるみ剥がされて何も得られなかったのだ。 >>104 マリアナ東京間に比べりゃ、すぐそこだもの。朝鮮半島から東京を空爆してるようなもんだ。 カーチス "グレーテスト" ルメイ は偉大であったな 日本人が国家の威信をかけて手厚く遇した武人だ 昭和天皇はルメイに勲章を渡せると聞いて飛び上がって喜んだらしい
1つの作戦でB29を26機失うなど、ルメイの低空爆撃作戦は戦果も大きいが損害も大きかった。
対日戦おまけ論で主戦線は対独だというが、 欧州でドイツ軍を撃破した主戦力は赤軍だったりする。
>>29 で、欧米にケンカうったわけだw そりゃ 日本人が尊敬するアメリカ軍人がカーチスルメイなだけあるわな お前等チンピラゴロツキが憎い鬼子を焚き殺してくれたカーチスルメイに心酔してるだけだろ。
117 名無し三等兵 2017/08/22(火) 19:39:03.67
ウィンストン・チャーチル
>>98 >ヨーロッパ戦線の終結が優先だったし、そりゃ連合軍も力の入れようが違いますって。 大陸打通作戦で中国人が虫けらのように虐殺されていても、米英は「ドイツ打倒優先」で取り合わなかった。 つまり米英中軍事同盟は名実とともに消えてしまった。カイロ宣言は取り消されて台湾は独立してしまった。 ドイツ打倒優先=中国人は虫けらだからいくら虐殺しても良い、この理解が大切だ。 大陸打通作戦はいかなる観点からしても皇軍のパーフェクトゲーム。あれで米中首脳会談は消え去った。 米中関係破綻で米中首脳会談が開かれないのでは、アジアの戦後処理は未解決のままということになる。 この点は1945年だけで二回にも渡って米英ソ合意がなされたヨーロッパの戦後処理と大きく異なる。 『オーバーロード作戦が最優先で、対日戦争はオマケで日中戦争はオマケのそのまたオマケ』 というのが冷戦時代の欧米世界の一般解釈であったが、もし日中戦争がどうでもいいのなら、 米中関係もどうでもいいということになり米中関係は破綻し米中国交回復は1979年まで持ち越しだ。 首相官邸や中央の自民・公明が束になって、沖縄に襲いかかってきました。 本来なら稲嶺ススム市長が負ける要素のない明日の名護市長選挙でしたが、 稲嶺市長2期8年の実績への悪質なデマ攻撃も激化し、いまや接戦とさえ言われています。 新基地推進の牙を隠し、公開討論会をすべて拒否して逃げ回った姑息な 自民・公明が推す相手に負けるわけにはいきません。 名護市長として2期8年の実績がある稲嶺市長を、政府の言うことを聞かないとの理由で代えようとする 安倍政権のやり方にNOを!!
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