早見俊『偉人たちの処世術・世界編』
エカチェリーナ2世は女帝でありながら大帝と称されるように、18世紀後半、ロシアをヨーロッパ有数の大国に押し上げた名君です。
ロシアの領土をウクライナやポーランドにまで広げた偉大なる女帝でしたが、野心は領土拡大だけに留まることはなく、性欲にも大いに発揮されたのでした。
彼女は生粋のロシア人ではなく、1729年、現在はポーランド領となっている北ドイツで生まれました。
両親は神聖ローマ帝国の貴族という家柄。16歳の時、ロシア帝国の皇太子ピョートルの妃になります。
ところが、何とピョートルは真性包茎で、性生活を営むことができませんでした。
ピョートルは真性包茎を神聖なものと考えたわけではなく、彼自身の優柔不断さゆえ、手術を受けることを躊躇い続け、八年の歳月が流れました。
ついに、包茎手術を行い、性行為が可能になった時にはエカチェリーナはしっかりと夫以外の男に処女を捧げていました。
その後、夫ピョートルは皇帝に即位、ピョートル3世となりましたが、優柔不断なのは治世でも同様で国民や貴族から見放されます。
そこで夫に変わりエカチェリーナが皇帝となりました。女帝となったエカチェリーナは政治手腕を発揮し、ロシアを大国に押し上げると共に、性欲を数多の愛人で思う存分満たしてゆきます。
わかっているだけでも十二人の愛人を囲い、一夜きりの男となると星の数ほどでした。
そんな彼女がただ一人愛した男性が、十歳年下の貴族グレゴリー・ポチョムキンです。
映画好きな方なら、「戦艦ポチョムキン」という名画をご存じでしょう。この戦艦はエカチェリーナの恋人の名から名付けられました。
ロシア史上屈指の名君が愛しただけあって、ポチョムキンも政治家、軍人として極めて有能で、性生活ばかりか政治生活のパートナーとなりました。
それでもエカチェリーナの性欲は留まることを知りません。
すると、さすがはポチョムキンです。自分との性生活がなくなってもエカチェリーナをサポート、彼女好みの愛人を斡旋したとか。
ポチョムキンは忠臣の極みと評価され、エカチェリーナは大帝の名を欲しいままにする一方で、孫のニコライ1世からは、「玉座の上の娼婦」と蔑まれました。
以下ソース
http://www.dansen-web.com/article/detail/3067093/