前スレの最後で a napron が an apron と誤解されて、もともと napron が正しかったのに
apron という単語に変わってしまったと言ってる人がいた。なるほど、
いいことを教わった。
フランス語では napperon って言って、これは
nape (nappe) (table-cloth のこと) からできた diminutive なんだそうだ。
現代フランス語で nappe という単語がある(ということを、俺は忘れていた)。
そしてこれはまた、ラテン語の nappam という単語から来ているそうで、
このラテン語から現代英語の napkin という単語ができたそうだ。
(以上のことは、研究社「英語語源大辞典」より)
a nadder --> an adder
これも a naperon --> an apron に似たような変化だな。
さらに、an umpire も、もともとは a noumpere だったものが an umpire に変わっていったそうだ。
この noumpere は Old French (ancient francais, 古仏語) の noumpere (nompere) から
来ていて、それは one who is not even, a third person という意味だったそうだ。つまり
「同じレベルの人、普通の人、ではなくて、あくまで第三者、つまり審判」という
わけ。
この Old French の形は、non- + per (= even, peer) というふうに分解できるらしい。
(これもやはり、研究社「英語語源大辞典」より)
以下の英文の文法的な構造がわかりません.
40才でほかの人の60才より老けている人もある.
Some men are older at forty than others are at sixty.
(「和文英訳の修業」予備編,練習問題XVII,3)
Than以下の部分が,文法的に変なんじゃないかという気がしています.
どうして,例えば,othersの後にwho必要ないのでしょうか?
どなたかわかる方,教えていただけないでしょうか.
よろしくお願いします.
>>3
たとえば
Some men look older at forty than others do at sixty.
でもwhoが必要だと感じる? >>3
あなただけじゃなく、俺もそれを変に思ってしまうし、他のたくさんの日本人も
変だと感じると思う。でもこれは、なかなか自分なりにきちんと自分に対して
説明できなかったら、これはこのまま「こういうものなんだ」と
覚えるしかないと思う。
とはいえ、きちんと納得しないと覚えられないよね。ではどうするか?
俺は次のように考えて無理やりに納得するようにしている。
(1) 原文: Some men are older at forty than others are at sixty.
上の原文を、二つに無理やり分けて考える。
(2) Some men are old at forty. (一部の人は、40歳にて老けている)
(3) Others are old at sixty. (他の人たちは、60歳にて老けている
(2), (3) を考え合わせる。たとえば20歳なら、老けて見える人はいないと言ってもいい。
でも、(2) では、「40歳になると老けている(老けて見える)」と言っている。
(3) では、「60歳になると老けている(ように見える)」と言っている。
さて、老けて見える様子は、個人差がある。60歳なら誰でも老けて見えるけど、
中には40歳なのにものすごく老けているように見える人もいる。
ある人は60歳なのに、まるで40歳に見える。別の人は、40歳なのに 60 歳に見える。
そうすると、40歳なのに60歳に見える人と、60歳なのに45歳に見える人を
並べると、その老けて見える様子が逆転する。
(続く) >>3
(続き)
したがって、
Some men are old at 40 >> others are old at 60.
というふうな関係になる。>> の左側が老けている方だ。だから
左側の方を older にして、「もっと老けている」というふうに言いあらわす。
そして右側の old は左側ですでに old(er) と言っているので、今さら同じことを
また言う必要もない。だから省略する。結果として、原文のように
Some men are older at 40 than others are at 60.
になるというわけ。
これで俺はすべてを納得しているわけではない。無理やりに自分に対して
このように説明して、無理矢理に納得しようとしているだけ。
もしもこれに納得できないのなら、あなた自身が自分なりに自分にとって
納得のいくような説明の仕方を考え出して、無理矢理に自分を納得させるしかないと思う。
こんなことは、他人から教わることではなくて、自分で考え出すことだと思う。
少なくとも、俺に対してこんなことを説明してくれる人なんてどこにもいなかった。
だから自分で考えたのだ。他人はどうせ、「納得しようとしないで、ともかく覚えろ」
としか言わないからね。 twitterで画像見てたら疑問が出ててどなたか教えてください。
From about 1983 to 1991, Phil Collins sang like every fourth song on the radio. If you were in your car with the radio on for 15 minutes, you heard Phil Collins at least once.
I feel like those over 40 will confirm this to be accurate.
1行目のsang like every fourth songはどう訳すのが適当なのでしょうか?
>>7
ラジオを流してると4曲に一曲はフィルコリンズだった >>7
>>Phil Collins sang like every fourth song
別の回答者の言う通りだと思うけど、もしも like がなくて
(1) Phil Collins sang every fourth song
「4曲の曲が続いたら、その4曲目は必ず Phil Collins が歌ってた」
ということだ。つまり、どの歌手が歌っててもいいけど、4曲の歌が続いて
聞えたら、最初の3曲は別の歌手が歌ってるけど、4曲目は必ず Phil Collins だったんだ。
like がつくと、
「4曲の歌が続いたら、必ず4曲目は Phil Collins が歌ってた ★と言ってもいいくらいだった★」
という感じ。もしかしたら5曲に一回だったかもしれないし、4.5 曲に1曲だったかもしれないし、
よくわからんけど「だいたいそんな感じだった」という意味で like をつけているのだろう。
like は almost みたいなもんだと思う。あるいは日本語の「〜みたいな」とか
「〜という感じ」みたいに曖昧にぼかすときに使う言葉だ。 >>7
like の意味は、だいたい理解してくれたと思う。次は every だけど、これも
使い方をしっかり覚えておくと、たくさんの日常表現をうまく使えるようになる。
every other day --- 2日に1日。2日に一回。一日おきに
(この上の other はもともと second という意味だ。だから本当は every second day と
言っても同じような意味なんだろうけど、普通はそうは言わないで every other day
と言っているようだ。)
every third day --- 3日に一度。2日おきに。つまり最初の2日は別のことをやって、
3日目はこんなことをするよん、とかいう意味。
every fourth day --- 4日に1度。3日おきに
every hundredth day --- 99日おきに。100日に一度
every two days --- 2日に1度
every four days -- 4日に一度
every hundred days --- 100日に一度
every other month, every two months などなど
every three feet --- 3フィートおきに(3フィートごとに)
その他、辞書で every のところを丁寧に読めば、たくさんの表現を紹介していると思う。 なるほどですね!それだけラジオ使って宣伝してたって事なんだな
わかり易い回答をありがとうございました。
>>11
補足解説までありがとうございます。
ちょくちょく出てきそうな言葉ですね。覚えておきます。 >>4
>>5,6
コメント,大変ありがとうございます.
多分,than others are at sixtyが,than others are old at sixtyの省略だと気づかなかったのと,
... older ...と ... old ...を比較するという感覚がピンとこなかったので,変だと感じたのだと思います. >>3
質問とは関係ないけどこれareじゃなくてlookじゃないとおかしいだろ >>15
at forty とか sixty は実年齢
are は、体力や筋力など肉体面から見て「60歳でも40歳の人より元気な者もいる」
look なら、見かけ、外見によるジャッジ、即ち、
「60歳でも40歳の人より若く見える者もいる」と訳せばいいんじゃないかい。
(ちなみにothers を「ほかの人」と訳すとかえって分かりにくくなる) 訂正
特にlook の方、
「40歳でも60歳の人よりも老けて見える者もいる」だな
>>15 >>16
いい指摘だな。俺自身も最初 "is older at sixty than..." という文章を見た時、チラッと
そう思ったけど、斎藤氏の文章だから間違いないだろうとすぐに思い直し、
忘れてしまっていた。
改めて調べてみると、斎藤氏の文章はそれに似た文章が巷できちんと使われている
ことを確かめた上で辞書に載せているらしいことを確認した。
United States. Education Office · 1966
Second , not every teacher ages at the same rate so that
★some men are older at sixty than are others at sixty-five★ .
John Kitto, Josias Leslie Porter · 1866
MEN get old at different ages : ★David was older at seventy than Moses at a hundred and twenty★,
and older than many persons are now at eighty and upwards .
上のような文章が、信頼性の高そうな文献の中できちんと使われているし、
個人のブログみたいな文章の中でも使われていることがわかる。
上の二つの文献の日付を見たらわかるように、もしかしたら、現代ではこういうときには
be 動詞ではなくて look を使うことが多く、少し前(たとえば60年以上も前とか 19 世紀とか)には
be 動詞を大いに使っていたのかもしれない。 William Faulkner も、有名な小説の中でこれに似た言い回しを使っている。
Absalom, Absalom! - Page 301
William Faulkner · 2011 · Fiction
“★I am older at twenty than a lot of people who have died,★” Quentin said.
古い文献の中でだったら、いくらでも見つかるな。
(1) “The” Modern Theatre; A Collection Of Successful Modern
Thomas Holcroft, Elizabeth born Simpson Inchbald · 1811
Whereas ★some men are older at thirty, than others at threescore★ .
上の一節では、threescore というのは 60 のことだ。そして others のあとの be 動詞はない。
これに似たものが、次の別の文献にも見える。
(2) The London Stage: A Collection of the Most Reputed
1824 · English drama
... whereof I am so giddy, that ★my men are older at thirty, than others at threescore★.
(3) THE WAR AND THE PROBLEM OF AGEING
by V KORENCHEVSKY · 1941
★individuals are as old or older at forty than others are at sixty or even sixty-five★.'
今度は older の代わりに younger を使っている例。1754年に刊行された次の文献にある用例。
★Some people are younger at sixty than others at sixteen.★
(出典: The Voyages, Travels and Adventures, of W. O. G. V., Esq.
By William Owen Glin VAUGHAN)
due は「適切な、当然支払われるべき、予定である、(返す)期限が来ている」という
ような意味で、この単語の語法についての初歩的な質問が語法スレに出てきているが、
この単語の広くて奥行きのある意味合いとその語源についてここに書いておこう。
due は、フランス語から英語に入った言葉だが、フランス語の元の形は
devoir (= to owe, 借りている、しなければならない) であり、日常会話で一日に
100回くらいは誰でも耳にする言葉だ。「(他人に対して)義務を負うている(owe)」
からこそ「〜しなければならない」という意味でも使われるようになった。
英語ではこの devoir という原形(フランス語文法では不定形 (infinitive, infinitif) )
の過去分詞の形である du (ただし u には accent circonflexe という特殊記号がつく)
が男性形で、女性形が due だ。その女性形が英語の中に入った。
たぶんもともとは「借りた金を返す時期が来た」という意味が代表的な意味となって
英語やその他いろんな国々のいろんな言語の中に入っていったのだろう。
このフランス語の devoir (誰それに借りている、負っている) のラテン語での形は、
debere といい、その過去分詞の形が debitus, debita, debitum というのだが、
最後の形が中性形であり、その意味は「借りられたもの、負われたもの」という
わけだから debit (借り方), debt (借金) , debtor (借主) という英語へとつながった
(もちろん、それに似たラテン語・フランス語・イタリア語などもある)。
(続く)
(続き)
due (負われている、借りられている、返すべき期限が来ている) という単語に
話を戻すと、これがほんの返却の話になると This book is due today. などという
ふうに使われ、My baby is due in September. とかいうふうに出産予定の話を
するときにも使われる。これは「子供は本来なら体の外に出してあげるべきものだが、
外に出してあげる(つまり生み出してあげる)べき期限が来ている」という意味で
due という単語が使われるようになったのだろう。
まあともかく、たくさんの英単語がフランス語から、そしてさらにはラテン語から来ている
のだから、フランス語とラテン語をかじりながら英語を勉強すると、英語が
深く理解できるような気がしてくるし、難しそうな単語もすいすい覚えられる。
>>2
フランス人の女の子が、
フランスでは膝にナプキンを置きます
と言って山形のフランス料理を食べてた。
首にかけて前に垂らすのはフランス風の
ちゃんとした礼儀作法に乗っ取ってない
ということです あと、フランス人に取ってのパンは、
日本人にとっての米と同じ、ともフランス人の
女の子は言ってた。
皿をパンで擦ってソースをパンにつけることを
フランス人はするけど、それを見ながら、
彼女の家族の日本人は真似をしなかった。
ちゃんとしたマナーなのに。
わざわざフランス、ラテン語かじらなくても、英語辞書に付いてる語源とかで十分な気もする
oaldはそこそこ載ってる
たまにetymonline見に行ったりもするけど
皿のソースをパンで拭うのはマナーじゃないぞ
おいしい(もったいない)からやるだけで、ドレスコードありな高級レストランじゃむしろやってはいけないこととされる
昨日付き合いでBrasserie Georgesってレストラン行ったら、アルコールなしで45ユーロ(7000円)くらい取られたけど、友だちはパンで皿拭ってたから、この程度じゃまだまだ大衆向けなんだろう
こーゆーことは、フランス留学された長文先生が詳しいだろうね😉
holds all gods and ideologies supectとはどんな意味でしょうか?
SVOCで、信用しきれない、といった感じでしょうか? >>36
that holds all gods and ideologies suspect
あなたの言う通り、
that = 関係代名詞
holds = V
all gods and ideologies = O
suspect = C (ここでは形容詞)
ということだけど、直訳すると
「あらゆる神(という概念)や政治理念を信じがたいものたらしめているような」
とでもいうような意味だろうな。
How can I find a firm ethical gorund in a world .... that holds all gods and ideologies suspect?
だから、
「ありとあらゆる宗教とか政治理念をうさんくさい(疑わしい)ものにしてしまうような
世の中で、どうすれば確固たる倫理的基盤を見つけることができるというのか?」
とでも訳せばいいかな? >>36
あなたの質問をそのまま Hinative で尋ねている人がいるな。
What does a world that holds all gods and ideologies suspect mean?
上のようなタイトルで質疑応答がある。そこでのネイティブの回答は、俺に
言わせれば「意訳のし過ぎ」という感じがする。
ここでは少し違っていて、
a world that makes people doubt (OR suspicious of) all gods and ideologies
とか
a world that keeps people suspicious of all gods and ideologies
という意味だと思う。でも、それだったら結局は英語ネイティブの解釈と
そんなに大きな違いはないだろ、と言う人もいるだろうけど、
俺に言わせれば文字通りの意味はやはり少し違っている。 >>36
How can I find a firm ethical gorund in a world .... that holds all gods and ideologies suspect?
原文になるべく忠実で、しかもいくらかこなれた日本語に訳すとすれば、
俺なら次のようにでも訳すかな?
「あらゆる宗教や政治理念を疑いたくなるような世の中で、
どうすれば確固たる倫理的基盤を見つけることができるというのか?」 gorund ---> ground
スペルミスした。
お願いします
Is there anything in your broadcasts so far where you feel you should have valued your audience more?
このwhereの先行詞ってanythingなのかbroadcastsなのか
どちらでしょうか?
>>41
関係副詞の場合って先行詞という言い方したっけ? >>37-39
ありがとうございます。やはり語法的にどこか特殊なんですね 質問です
英語を頑張って勉強していたらバイリンガルになれますか?
なれないよ
頑張って外国に行ってそこでずっと暮らして日本語は家の中で話すだけとかならなれると思う
バイリンガルになれなくても、外国語を話せるようにはなるよ
>>31,32の三年さん教えてくれてありがとう。
山形のフレンチは高いところだけど個人店みたいだから
パンで拭ったのかな。三國が自分でソースを作ってパンで拭ってたけど、
客じゃないからね。 >>41の補足です
この英文はラジオのDJ(英語ネイティブ)に向けてのインタビューです
インタビューアは日本人です >>41 >>50
(1) 原文: Is there anything in your broadcasts so far
where you feel you should have valued your audience more?
あなたのような疑問を持つ日本人は多いだろうな。この英文を次のように
書き換えても、おそらく原文と似たような意味になるだろうと思う。
とすれば、where という関係副詞が何を先行詞としているかがわかると思う。
(2) 書き換え
In your broadcasts so far,
is there anything where you feel you should have valued your audience more?
つまりここでの is there anything は、さらに言い換えれば
have you done anything ということだろ?だから次のようにしてもおかしくはない。
(3) さらなる書き換え:
In your broadcasts so far,
have you done anything where (= in which) you feel you should have valued your audience more?
もっとわかりやすくしてみようか?
(4) In your broadcasts so far,
have you made any mistakes
that made you think to yourself,
"Oops, maybe I should have valued my audience more.
Why did I say this and that as if I was making a fool of my audience? What an idiot I was!" >>44
どこが特殊だと感じるの?ごく普通の語法だと思うけど。もし hold の使い方
なんだったら、次のような説明がネット上にもあるけど、辞書に載っているような
ごく普通の意味と使い方に準拠していると思う。
hold
To deem someone accountable for something; to blame someone for something.
例文: I don't care if Vince is trying to blame this blunder on his staf--★I hold him responsible.★ >>44
"Someone (or something) holds someone (something) suspect." (SVOC) を
受け身にしたような形なら、ネット上にあちこちに見つかると思うけど、
たとえばすでに刊行されている書籍の中にも、次のような英文が見つかる。
Homeschooling in America: Capturing and Assessing the Movement
Joseph Murphy · 2012 · Education
Teachers and academic programs ★are held suspect★ in the minds of many of these parents. >>41
原文: Is there anything in your broadcasts so far
where you feel you should have valued your audience more?
俺の今までの経験から照らして言えることは、こういう文の中での先行詞がどれなのかを
見るとき、your broadcasts のように所有格代名詞とか the broacasts のように
定冠詞がついているものとか、さらには Japan のような固有名詞など
限定された意味合いを持つ名詞ではなくて、その前にある「限定されていない」名詞
つまり所有格代名詞や定冠詞のついていないものや固有名詞ではないもの
を先行詞としている場合が多い。でも絶対にそうだとは言い切れないから、
そのあとにいろいろ考えることになる。
もし your broadcasts とか Japan みたいなものが先行詞だとしたら、通常は
(気の利いた書き手なら)where の前にコンマをつけるわな。でも、
気の利かない書き手の場合はコンマを省く連中も多い。そうなると
識別が難しくなる。
(続く) (続き)
anything in your broadcasts which + V
anything in Japan where + V
a thing in Tom's hand that + V
のように
限定されていない(定冠詞も所有格の代名詞もついていない、固有名詞でもない)
名詞を AAA とすると、
AAA in (意味が限定されている名詞) which (that, where, when, etc.) S V
のようなパターンが現れることがよくあり、そのときにその関係詞がその直前の
限定的な意味を持つ名詞(のようなもの)を飛び越えてそのずっと前にある
「限定的でない名詞(のようなもの)」を修飾している場合が実に多い
ということに、いずれは気づく時が来る。
それに気づくにはどうすればいいか。ただひたすらもくもくと「まともな」英文を
たくさんたくさん読んで、「ここではどれが先行詞になってるのか?」と
考え続けるしかないんだろうな。
なお、俺は正確な文法用語を知らないので、使い方が微妙に間違っていると思う。
だから文法用語の使い方が間違っているとかいうアホな突っ込みは止めて、俺の
言いたいことの本質的な部分に目を向けてくれ。俺は文法そのものはきわめて
大切だと思うが、文法用語は大嫌いなのだ。
>>51 >>54-55
先行詞と限定のお話など大変にわかりやすく腑に落ちました
ありがとうございました
51での最後の書き換えのくだりなどまさに場面として適切で思わず笑ってしまいました
anythingがwhereの先行詞になる例文をGoogleで検索しても私には他の例文が見つけられなくて、それで悩んでいました
おっしゃる通り「まともな」英文に数多く触れていこうと思います
ありがとうございました >>57
anything が where の先行詞になっている例が見つけられなくて悩んでいたって?
それならそうと早く言ってくれたら、俺が見つけてあげられたかもしれないよ。
今から少し探してみる。
(1) All tickets can be sold at the Garden box office. “I still like the hard ticket over the counter,”
says Peter Rudge, who has handled American tours for the Who and the Rolling Stones.
“I don't like ★anything where★ you can't see the ticket being given to the kid.”
この上の例文の文脈を読み取ろうと思ったら何行も読まないといけないけど、どうやら
現代のようなデジタルチケットなんてものが嫌いな人の台詞らしい。この人は、
hard ticket つまり紙でできたチケットを、何時間も前から行列を作ってチケット売り場で
チケットをやっとの思いで買っていたころを懐かしんでいるらしい。そこで
上の言葉が出ている。
「チケットを買い求めてる人に実際に紙のチケットを手渡すような場面がないような
売り方は好きじゃないんだ」
というような意味だと思う。ここでの anything は where の先行詞になっているはず。 >>57
他の用例を見てみよう。
(2) Aniello: Well, here’s the question, I guess: Is there ★anything where★ you’re like,
“I have this big vague question about this…?”
anything を where の先行詞にしている例なんて、いかにも話し言葉という感じが
するな。だから検索していても、会話文が目立つ。
上の例ではたぶん、
「これについて大きな漠然とした疑問があるんだ」と言いたくなるような
場面(ケース)って、あるだろうか?
というような意味だと思う。俺の和訳は堅くて下手だけど。 >>57
If you could go back and change anything,
what would you change that might have changed how you’re perceived now?
Is there ★anything where★ you’re like, “Man, I should’ve just …”
上の例では、他人に対して自分が与えてしまっているイメージを変えることができる
としたら、どういうことをしたくなるか?という質問であって、
「ああ、あのとき、ああしてればよかったのにな、なんて思ってしまうような
場面(場合)はありますか?」
というような質問。
というわけで、anything の先行詞として where が使われている場面は、いくらでも
見つかるよ。しかも、いい加減な人たちの書いている文章じゃなくて、
新聞雑誌のサイトにある記事とか出版された小説の中から探すことだって、いくらでもできる。 >>58-60
普通に凄いですw
どうもありがとうございます
確かに私が最初に質問で挙げさせて頂いた例文も会話(インタビュー)で音声とともに使われている例文でした
勉強になります
私が出した例文はNHKラジオビジネス英語にて講師がPeter Barakanさんにインタビューをしようとしていた文章です
ちなみに昨日の放送分でした
重ねてありがとうございます! リスナーの方もいるかも知れないので以下蛇足ながら
例文はこういった質問もしてみよう、といったコーナーで出された例文です
放送前半の実際のインタビューの中では使われておりません
放送最後にネイティブスピーカーの音声があります
テキストにも掲載されています
>>58 >>59
おっしゃる通り出して頂いた3つの例も私が引用した文章もanythingで場面や場合つまりcaseが想定されているんですね
だからwhereと
case whereやanything whereをネイティブが日常で使う感覚の一端に触れ得た気がして非常に面白く役に立ちます
ありがとうございます >>63
そうそう。今まで俺が読んだり聞いたりしてきた英文を総合すると、
もともとは where じゃなくて in which を使ってたんだろうなと思う。
少し堅めの文章の中では、現代でも in which は大いに使われる。
でも話し言葉とか、書き言葉の中でもかなりくだけた感じの文章の中では、
in which を使いたくない。だから where を使う傾向があるみたいだ。
where なら気楽に口に出し、気楽に聞けるようなんだよね。
(1) a case in which (または where) S V
(2) cases in which (または where) S V
(3) a situation in which (OR where) S V
(4) situations in which (OR where) S V
(5) circumstances in which (OR where) S V
(6) an event (OR events) in which (OR where) S V
(7) happenings in which (where) S V
(8) an incident (OR incidents) in which (where) S V
(9) an occurrence (ocurrences) where S V
(10) a scene (scenes) where S V
(11) a contingency (contingences) where S V
まあ、where の前にはどんな名詞でもつけることができ、特に話し言葉の場合に
その傾向が強くなるようだな。 >>64
横からだけどこれ勉強になるわ
コピペしてローカルに保存します >>63
anything where を "any case where" みたいな意味だろうと解釈したら、まあだいたい
当たっていると思うけど、そういう言い回しがあるんなら something where とか
nothing where もあるはずだと思って検索すると、続々と出てくる。
特に It's something where.... という言い回しは便利みたいで、気楽な会話にじゃんじゃん
出てくるようだ。これもやはり It's a case where とか It's an opportunity where みたいな
意味だろうと解釈しておいたらいいと思う。
JUSTIN BIVONA: ★It's something where★ even if you're in a slump for the first two songs,
when that comes in, I'm just like, "Oh yeah. Okay."
この上に挙げた一節は、その前に出てくる数行を読まないときちんとは理解できない
かもしれないけど、歌ったり踊ったりする歌手がインタビューに答えているときの
一節で、ある曲が大好きで、それをステージで踊りながら歌っていると実に気分がよくて、
スランプなんて吹っ飛んでしまう、というような話をしている。 It's nothing where S V. も、たぶんよく使われている口語表現だと思う。
It's not a case where S V. みたいな意味だろうと思えばいいと思う。
これを言い換えれば It's not that S V. つまり「〜というわけじゃない」というような
意味だと思えばいいと俺は思っている。この表現の使われている文脈を紹介しよう
としたら、あまりに口語的なので少し長めの文脈を見せないとわかりにくいと思うから、
わざと長く引用する。
その長い引用文。
“I had a good foundation of friends,” Williams elaborated. “I had a pretty blessed upbringing,
to be honest. My family always let me play any sport I wanted to play. I guess only down side
of things was that I always felt a little bit different, because, you know, it’s kind of like I wanted
to be a white Australian boy growing up, like all my friends, and I was an Asian-looking kid.
That was the only difference – a few comments here and there on the footy field,
★but it’s nothing where★ I had any sort of bad traumas or suffering.
It was quite a blessed upbringing overall.”
>>68 では It's nothing where S V. という、おそらくきわめて口語的と思われる一節を
含んでるけど、全体の意味合いとしては、次のような感じ。有名なスポーツ選手だと
思われる人がインタビューに答えている。
「俺はね、ほんといい環境に育ったんだよ。いい友だちもたくさんいて、
親は俺がやりたいと思うスポーツは何でもやらせてくれた。ほんと恵まれてた。
ただ一つだけね、ちょっとだけ困ってたのはだね。周りはみんな白人のオーストラリア人
なのに、俺だけ見かけがアジア人なんだよ。でも俺は他の人と同じように
白人みたいになりたかったな。それで少しは嫌な思いもしたけど、
そんなことは大したことがなかった。(But it's nothing where S V. がここで使われている。)
他の点では、俺は実に恵まれてたんだよ。」
だいたい上のような感じのことを言っている。なおこれは、正確な和訳ではない。
大まかな雰囲気を説明してみただけ。 >>47
ありがとうございます
バイリンガルになれないのは悲しいですが、受け入れてがんばろうと思います >>70
二ヶ国語使えりゃバイリンガルだろ
どちらもネイティブレベルじゃなきゃいけないというわけじゃない >>70
少なくともやらないとなれないのは間違いない >>618-619
これ怪しい。ホントに宿題かね🤨
まず ... as SV の譲歩の言い方、ふつうは ... に名詞は来ないはずである(PEU4 §255、ウィズダム)
手許に、名詞を許容してる辞書があるが(プログレ4)、熟語本位とかの孫引きとみた
たまたま隣に英国人がいるので>>619の文について尋ねたが、make no sense と言っている。Boy though he is, he is very clever. なら意味が通るが、皮肉っぽく聞こえる、ふつーはそんな言い方しないと言ってる。 学校英語でも仮定法の時に学ぶ表現 If it were not for〜(〜がなかったら)
Without〜で意味をはっきり、表現を簡潔に言えるのに、こんな意味をつかみづらい冗長な表現をどんな時に使うんだろう
字面だと文語というよりは口語っぽいけど
しかもWithout〜の方が仮定法過去・過去完了の違いを気にせず使える
>>75
それは日本人にとって使いづらいだけなんだろうと思う。俺が今読んでいる気楽な
ノンフィクションの洋書には、If it were not for... よりももっと堅い言い回しかもしれない
Were it not for... を使った一節が出て来たぞ。
★Were it not for Face★book, we would be having this conversation about Google and Youtube.
(Roger McNamee, "Zucked: Waking Up to the Facebook Catastrophe," 2019;
p. 253 の下から 9 行目)
この本はジャーナリストが Facebook の汚いやり口についてあれこれ暴露した本であり、
一般大衆が気楽に読める文体で書かれている。とはいえ、ジャーナリストにしては
少しだけ堅い文章を書くのが好きな人かもしれん。とはいえ、純文学に比べたら
ものすごく軽い文体を採用していると思う。時事問題を扱ったノンフィクションを
純文学並みに堅い文体で書いたら、読者が読んでくれないもんな。 if it were not for a
のitはforの次に来るaのことなんだろうな
if a were not
とせずに、
if it were not for a
とするのはなぜなんだろう
>>75
(1) If it were not for... (あるいは Were it not for...)
これは「もしも〜というものがなかったら」という意味。
(2) Without...
これは、次のうちいろんな意味になりえる。したがって曖昧。
(a) もしも〜というものがなかったら
(b) 〜がないので
(c) 〜を持たないで(〜を使わないで、〜という人がいないときに)
したがって、If it were not for と Without は、場合によって使い分けた方がいいという
ことになる。意味が曖昧になるかもしれないのに Without とやってしまうと、
読者は意味を取り違えてしまうこともありえる。
ただししゃべっているときには、相手の表情を見たり周囲の状況などが単純なので、
少しくらい曖昧だったり両義的だったりしても、問題はない。だいいち、
しゃべっているときには誰でもいい加減にしゃべるから、少しくらい
互いに誤解しても構わないとみんな思っているし、誤解しそうなときには
すぐに相手に「えっ?それって〜だと言いたいの?」と尋ねたり
「よくわからんなあ」という表情を見せれば、相手はすぐに言い直してくれたりもする。
しかし書き言葉では相手の表情なんて見えるはずがないし、話し言葉みたいに
「ああでもない。こうでもない。いや、言い換えるとこうなんだけどね。
まあ、こうも言えるかもしれんけどね。えっ?わからない?ええと、それはだね・・・」
といくらでも言い直したりできる。
しかし書き言葉はそうはいかない。そんな冗長なことをグダグダ言ってたら、
読者はすぐにそんな本を読むのをやめてしまう。だから話し言葉に比べて、
書き言葉においてははるかに条件が厳しい。 (続き)
だからなるべく両義的な言葉を
書き言葉においては避けようとする。あるいは単調に類似の表現を繰り返したら
読者を退屈させてしまうから、できる限り多様な言い回しに言い換えたりして
単調さを避け、色とりどりな表現を駆使して、何百ページもの文章を最後まで
読ませる必要がある。どんなことがあっても退屈させてはならない。
そういう制約があるからこそ、単にわかりやすそうだ(単語数が少なくて短い、
あるいは英語のあまりできない外国人や移民にとってもわかりやすそうだ)と
いうだけの理由で単純そうな表現ばかりを使うわけにはいかない、という
事情があるのだろうと思う。
>>66-69
貴重な例文をどうもありがとうございます
勉強させてもらいます! Facebook が力を持ちすぎて引き起こしている社会問題を描くノンフィクション作品を
さっき紹介したが、その同じ本の中で、また別の面白い(というか日本人には
なかなか書けそうもない、少なくとも俺にはまだ書けない)表現が出て来た。
Data-intensive companies of all kinds should have a legal requirement to safeguard
their users' personal data, just as doctors and lawyers do.
★It is no different than if★ a priest were to profit from information provided in the confessional.
(Roger McNamee, "Zucked: Waking U to the Facebook Catastrophe," 2019;
p, 260 の一番下あたり)
もし俺がこういうことを書かないといけないときには、
It is just like .... という表現くらいしか思いつかない。It is no different than if の
than if は、もしかしたら from if と書いてもいいのかもしれないが、ともかく
than と if とをつなぐという発想が、かなり口語的な感じがするのだが、
俺にはなかなかこういう表現が思いつかない。だから、学校英語そのもの
の表現しか思いつかないのだ。
ところでこの表現の出典である書籍のタイトルにある Zucked という言葉は、
Facebook の CEO である Mark Zuckerberg の苗字を略して Zuck と言い、その苗字を
動詞の過去分詞みたいに Zucked と言い換えて、「Zuckerberg に "してやられて"」
というか「Zuckerberg からひどい目に合って」というような意味として
使われているらしい。この Zuck という動詞、そしてその過去分詞である
Zucked は、もしかしたら英語の中で流行語になっているのかもしれない。
と思って調べてみたら、Zuck とか zuck, zucked, zuck job など、いろんな形や意味で
スラングとして使われているらしいことがわかる。Urban Dictionary にもいくつかの
関連表現が紹介されている。
>>70
一級建築士の資格をとって日本で金を貯めてから、
フランスで生活したくて、日本でフランス語を独学で勉強して、
フランスに行って、年間数万円の授業料の建築の大学院に入って
そこで結婚して、子供を作って、子供をバイリンガルにしよう
として、家で自分は日本語を話し、夫はフランス語を話している
人の動画を見たけど、外国に住もうと思ったら、しっかり
勉強して良い大学、儲かる学部に入って、お金を稼いで
年間数万円の授業料を払うだけでいいフランスみたいなところの
大学院に入ることかもしれないなと思った。いうかそんなこと
誰にでもできないな。日本の一級建築士の資格はフランスで
設計士の仕事をするのには無価値だと動画で言ってた。 >>82
than if 仮定法過去とか見たことないから面白い >>85
そうだよね。面白いよね。こういう表現って、ちょっと口語的すぎて、たぶん
文法書には出てこない(少なくとも表面には出てきにくい)だろうし、
通常の学校などのテキストや NHK 英会話などには出てきにくいだろうし、
ひょっとしたら TOEIC にも出てくることがないか、あるいは少ないだろうし、
映画やテレビドラマや英語ネイティブによる気楽な YouTube 上でのおしゃべりなどで
はじゃんじゃん出てくるだろうけど、その部分は耳で認識できずに聞き流して
しまいそうだ。結果的には「そういうのを聞いたことがない」と感じてしまう。
それではどうするかというと、俺たちみたいに日本国内で主に暮らし、しかも英語ネイティブと
結婚して英語ばかりしゃべって生活するなんてことをしないで主に日本語で生活
している人間としては、気楽な英文で書かれた小説や映画シナリオや戯曲や
気楽な文章で書かれたノンフィクションを注意深くたくさん読んでいくしかないよね。
こういうのは、絶対に学術論文や正式な報告文など堅い文章の中では出てきそうにない。
でも日常会話の中では頻出してるんだろうな。 Flavia tried to keep the impatience out of her voice.
この文はkeep A out of Bの部分を「Bの外にAが出ないよう保持する」と取って
「フラウィアは焦りが声に出ないように努めた」といった意味に訳すので合ってるでしょうか?
>>87
(1) 原文: Flavia tried to keep the impatience out of her voice.
(2) あなたの解釈: フラウィアは焦りが声に出ないように努めた
それで正しいよ。ただし、
(3) 考え方: keep A out of Bの部分を「Bの外にAが出ないよう保持する」と取って
そう考えてしまうと、「イライラが声の外に出ないようにする」つまり
「イライラを声の中に閉じ込めておく、イライラが声の中に入ったままにしておく」
みたいなことになり、結局は声の中にイライラが現れたままにする、みたいな
意味になってしまうような気がしてしまう。
「A が B の中に入らないよう保持する」つまりここでは
「イライラが声の中に入ってしまわないようにする」ということだと思う。
つまり「イライラを心の中に隠し持っていて、それがついつい声とか
目つきとか仕草に現れてしまいそうなんだけど、それをぐっとこらえて、
そのイライラが声の中に入り込む、つまり声に現れてしまうのを防ぐ」
という意味で keep the impatience out of her voice と言っているわけだ。
というふうにくどくどと解説してしまったけど、こういうことは
すでに質問者は理解してたんだろうね。もしそうなら、すまん。 >>87
(1) keep something out of something
Cambridge Dictionary の解説
to avoid becoming involved in something, or to stop someone or something becoming involved in something:
例文: I prefer to keep out of arguments about money.
Keep me out of this!
上の "keep out of arguments" は "keep ★myself★ out of arguments" だと解釈すれば、
他の keep something (someone) out of something と同じ形になるね。
これによく似た形と意味合いを持った別の表現
(2) keep (someone/something) off something
Cambridge Dictionary の解説
to not go onto an area, or to stop someone or something going onto an area:
例文: There was a notice saying "Keep off the grass".
この上の Keep off the grass. も Keep ★yourselves★ off the grass. という意味なんだと
解釈すれば、辞書の見出しの言い回しと同じ形になるね。 >>82 で引用したものよりも、はるかに崩れたセリフを見つけた。たまたまネット上で
読んでいた、有名な映画の台本にあるものだ。
SAL
...because if you're talking about
coppin' a plea, I'm tellin' you right
now, there's no deal... I'm never
going back to prison... We got our
own deal already... Do you remember
the pact we made? You and me and
Jackie - that night in the bar... ★we
were talkin' about if we get trapped
in the bank, what are you gonna do...★
Right? What did we say? What did
we say!
(1975年の "Dog Day Afternoon" という Sidney Lumet の映画の台本の一節。
ただし実際の映画の中では、この台本とは違ったセリフをしゃべっている。) #AnneHeche starred in 'Toxic Skies' 2008. ★A movie where★ pharmaceutical companies
working with the military, were spraying the sky to make ppl sick in order to
profit off of the drugs they were selling
(Twitter より)
where はどんな名詞にもつける傾向がどんどん強まってきているようだけど、
ほんの数十年前まではこういうときにはおそらく常に in which と言っていたろうに、
今では片っ端から where を使う傾向が強まっているようだ。まあ、in which は
口語では確かに堅すぎるし、言いにくい。where なら楽だわな。
第一、ほんの20年ほど前まではインターネットを使うこともなかった(あるいは
少なかった)し、ましてやネット上の SNS なんてものもなかった(あるいは
きわめて少なかった)から、映画やテレビドラマを英語で見る以外には
こういう口語に触れる機会は少なかったわな。
でも今は、(プロの書き手だけでなく有名人でもないごく普通の人たちが全世界から
英語で気楽にものを書いているから、おそらくずっと前から
口語でははびこっていたはずのこういう "名詞 + where" の形(だけでなく
あらゆるくだけた言い回し)が俺たちの目の前で吹き荒れているという感じがする。
It wasn't just a clash between two groups, but it got to ★the point where★ they began to shoot civilians,
innocent people.
この "the point where S V" は珍しいわけでも何でもないけど、新聞雑誌だけじゃなくて
小説や SNS でも気楽にみんな使っているな。便利だから俺も使っている。
上の用例では point を stage みたいな意味で使っているんだろうな。
「これこれこういうことがあって、俺は最近これこれこういう段階に来てるんだ」
なんていう文脈で tweet したいときに、人は気楽に the point where S V を使っている。
気楽な会話文の中での "the point where S V" はいくらでも見つかるけど、たとえば
スポーツ記事の中で American football player と思われる人が次のようにインタビューの
中で使っている。
I’m getting to ★the point where★ I really trust him throwing him the ball.
"in which" は使われなくなってきたかというとまったくそんなことはなく、大いに
健全だ。でもたとえば同じく The New York Times の紙上で、あるところで
"a column in which S V" をじゃんじゃん使ってるかと思うと、別のところで
"a novel where S V" を使っている。
Welcome to YA/NYT, ★a monthly column in which★ we recommend one new ...
Winters has written ●a novel where● being queer is just part of the...
(The New York Times より)
So I was really drawn to being able to tell ★a story where★ that could happen.
(アメリカのニュースサイトより)
where という関係副詞の先行詞というと、昔はついつい house, building, country, region
など、手で触ったり目で見たりできるような「場所」を示す名詞なんだろうと
思い込んでいた。しかし実際にはまったく違うんだよね。目に見えず、きわめて
抽象的なものを示すものを示す名詞にも、じゃんじゃん where がくっつく。
そういう傾向って、英語では大昔からあったのかどうかについては、俺は知らない。
where は確かにもともとは目で見たり手で触ったりできる場所を意味する言葉を
連想させる関係副詞や疑問詞として使われていたんだろうけど、かなり古くから
すでに、目に見えない抽象的なもの(たとえば「場合」とか「段階」とか「状況」)に
関しても使っていたかもしれんという気もする。
★Where in the story★ does he first explain these ideas, and how does he do so?
この上の一節はごく最近の記事の一節だが、こういうふうに目に見えない
場所を where という言葉で表すのは、日本語での「(その話の)どこで」という
のと同じく、かなり古くから行われてきた用法かもしれん。
もしそうなら、
a novel where
a stage where
a column where
a (the) point where
circumstances where
cases where
なども大昔からあったのかもしれん。
>>88-89
丁寧に類例まで示してくださり大変ありがとうございます
類例から察するに
Keep A out of B:AをBの(of)外に(out)保つ(keep)
Keep (A) off B:(Aを)Bから離して(off)保つ(keep)
ということだと理解しました 「**工房」
を訳するときにlabと訳したいのですが、変な感じがするでしょうか。
その場合「**lab」ではなく「lab**」になりますか?
レベルの低い質問で恐縮です。
>>99
「工房」とだけ言われても、具体的にどういうことをする場所なのかを言ってもらわないと、
答えられるはずないだろ?
(1) laboratory
a room or building equipped for scientific experiments, research,
or teaching, or for the manufacture of drugs or chemicals.
(2) workshop
a room or building in which goods are manufactured or repaired.
例文: "At the back were unsightly old workshops and flat-roofed buildings."
俺の今までの経験では、日本人が「工房」と言っているときには
上の 2 の workshop という意味で使っているように思える。laboratory は、
技術者や科学者が集まって科学実験や観察を行う場所を指しているように思える。 >>99
もしいろんなものを工夫して製作する場所(たとえば机とか自己流の自転車とか
リアカーなんかを自分たちで作る場所なんだったら workshop だろうな。
名称としては、たとえばセサミストリートの人形をみんなで作ってそれを使って
面白い番組を制作する場所という意味で、彼らは自分たちの組織のことを
Children's Television Workshop と言っている。だから workshop は最後に持ってくるのが
英語としては標準だ。
それを最初に持ってくるのはフランス語的だが、
workshop はフランス語由来ではないので、それを最初に持ってくるとちょっと奇妙だな。
Hotel ならフランス語由来だということが丸わかりの言葉であり、フランスのホテルの
名称の真似をして Hotel New Tokyo などというふうに Hotel を最初に持ってくるのが
流行っているみたいだな。 >>100-101
ありがとうございます。
屋号として、色んな創作物を作るところ、という意味でつけたかったのです。
ワークショップだと格好悪いように感じたのでどうしてもラボを使いたいのですが、日本人がおかしな英語を使っている感じになりますか。 だから俺がすでに言ってるだろ。
(1) laboratory
a room or building equipped for scientific experiments, research,
or teaching, or for the manufacture of drugs or chemicals.
(2) workshop
a room or building in which goods are manufactured or repaired.
例文: "At the back were unsightly old workshops and flat-roofed buildings."
こういう意味だ。あなたは自分が抱えている組織がそのどちらに適合しているか、
自分で考えられるだろ?
しかしどうせ日本人が勝手にファッションでつけるだけの名称なら、好きなように
したらいいんだ。どうせそれを読むのは日本人だけなんだろ?どうせ大多数の
日本人にはその本当の意味なんてわかりはしない。
たかが日本人の好き勝手なファッションの名称なんかのために、英語の質問スレを
使うな。ここは遊び場じゃない。
人に唾を吐きかけるような真似をしやがって。吐き気がする。
そんなに怒っているのにも関わらず丁寧にレス下さってありがとうございました。
>>105
大人の対応で、いいですね。
と書いたのは、oedさんをこどもあつかいしたのではなく、同じ職場の
子供を念頭に置いてかきました。大人の対応をしてやったら、何が大人の対応だ!
と続いてパニックボーイをやったクズがいたので 流れ読まずすまん。
「Aは彼女の姉が好き」と言いたい場合
「A loves her's big sister」で合ってますか?
lovesのあとにher'sってあり?
ニュアンスによって書き分けよう
A loves her sister.
A loves her older sister.
A loves one of her older sisters.
A loves her second oldest sister.
言葉を付け足さずに「Thank you」だけで、喜怒哀楽を表現するにはどうすればいいでしょうか?
感謝なら、最初は高い声で発音してから下げて、
いいえ大丈夫なら、最初からイントネーションが低いようですが、例えば、鼻にかけた発音・発声なら、嫌みだったり、胡散臭いThank youとなるのでしょうか?
また、声の響きの強弱の変化は、感情の起伏で正しいでしょうか?(英語は声の高低もあると思いますが、響きの強弱のほうが感情表現に影響しているように感じています)
スマホの充電を忘れないでください
って英語でなんて言いますか?
Don’t forget to charge your phone.
>>116
スマホの充電を忘れないでください
(1) Don't forget to recharge your smartphone battery.
この (1) のように recharge を使い、しかも recharge する対象は smartphone そのものではなく
その battery なのだから、上のように書くのが本当は最も正確。しかしいちいち recharge
と言わなくても charge だけでいいだろとか、battery なんていちいちここでは言わなくて
いいだろと日常的にはみんな思うらしく、単に charge your smartphone だけで済ます人が
多い。したがって
(2) Don't forget to charge your smartphone.
というふうに普通の人たちは日常会話的には言うらしい。よく似た意味合いを他の
言い方で表現することもできる。なお、少し昔は Smartphone が trademark つまり
登録商標(商品名)だったのでそれを大文字で書き始めるのが正しかったが、
あれよあれよと言っているうちにこれが普通名詞化してしまってみんな小文字で書いて
済ませてしまっているな。
他の言い方。
(3) Remember to charge your smartphone.
(4) Make sure you charge your smartphone.
(5) Keep your smartphone charged. 日本語では日常会話の気楽な場面ではみんな「スマートホン」とは言わずに
「スマホ」と言って済ませるのと同じように、英語でもいちいち smartphone と
言わずに phone で済ませるから、日常会話的には結果的に >>117 が正解と
いうことになるわな。
第一段落最後のEinsteinの下りは、どういう意味で皮肉っているのでしょうか? >>121
イギリスのEU離脱の決定を政治経済の知識が乏しい人が大半の国民投票にかけるのは、アインシュタインの理論が正しいかどうかを科学知識のない一般国民に多数決で決めさせるのと同じくらいおかしい >>114
今初めて見た。
何やりたいん?
このBitch, please の人? >>123
だからまさか通らないと思って国民の人気取りのために、
国民投票やります!と言ってやったら離脱が過半数で、
離脱するのが国民の意思となって、どうにも手に負えないと
思ったキャメロンやめましたやん メイはeuに残る派だったのに、キャメロンがやった国民投票で国民の意思が示された以上
国民の意思に従うのが民主主義の王道という信念を持って、離脱のためにイギリスとフランスの板挟みに
なりながら懸命に頑張ったけど、ボリスらに突き上げられて、国会議員を先導されて
やめた。そのあとボリスがバックストップでインチキして問題先送りして
ブレグジット達成。ようわからんわ
扇動
僕的にはメイは最高の宰相
ボリスはダメ、きゃめろんもだめ、
ゴードンもダメ、ブレアもダメ
>>117
>>118
回答ありがとう
ついでにお聞きしたいんですが、日本から貴方の配信を観てますって英語でなんていいますか >>130
日本から貴方の配信を観てます
I've been watching your videos from Japan. 海外のサイトで synonymを検索する機能は沢山のサイトにありますが
関連語、related wordsを調べられるところないでしょうか?
例えば bulletの類義語なら slug pellet ball lead projectile shot ammo ammunition bolt
などがあるでしょうが、
関連した 要塞 基地 弾薬 攻撃 などの関連語句も調べられる検索です
おねがいします
>>132
"words related to bullet"
という string of words で検索したら、Merriam-Webster の辞書の bullet の項目が出てきて、
その一環として次のようなコーナーも出て来たよ。
bullet
Words Related to bullet
ammunition, cannonball, cap, cartridge, charge, dumdum, gunshot, lead, load, missile,
pop, projectile, round, shell, shot, slug >>132
同じく
"words related to bullet"
で検索すると、次のようなそのものズバリのサイトも出て来たぞ。
relatedwords.org
このサイトでは、"bullet" の related words だけでも 200 単語くらいずらずらと
並べてるよ。自分でちゃんと探したの?まったくの部外者である俺たちが
ちょっと検索しただけで、20秒くらいで抜群のサイトがいくらでも
出てきてるような気がするけど。 >>132
wordlistresearch.com というサイトで "bullet" を検索すると、次のように
関連語が並ぶだけでなく、それぞれの関連語の意味を英語で定義してくれてる。
Words Related to bullet
ammunition: : the projectiles with their fuses, propelling charges, or primers fired from guns
cannonball: : a usually round solid missile made for firing from a cannon
cap: : a head covering especially with a visor and no brim
cartridge: : a case or container that holds a substance, device, or material which is difficult, troublesome, or awkward to handle and that usually can be easily changed: such as
charge: : a material load or weight
dumdum: : a bullet (such as one with a hollow point) that expands more than usual upon hitting an object
gunshot: : shot or a projectile fired from a gun
lead: : to guide on a way especially by going in advance led the officers to his hiding place
続く 続き
load: : the quantity that can be carried at one time by a specified means
missile: : capable of being thrown or projected to strike a distant object
pop: : to strike or knock sharply : hit
projectile: : a body projected by external force and continuing in motion by its own inertia
round: : having every part of the surface or circumference equidistant from the center
shell: : a hard rigid usually largely calcareous covering or support of an animal
shot: : an action of shooting
slug: : sluggard
>>132
ともかく、
"words related to bullet"
を検索して Google でヒットしたいろんなサイトががずらずら並ぶから、
それぞれのサイトを片っ端からクリックして中身を見れば、いくらでも
あなたの好みのサイトが立ちどころに見つかると思う。 ありがとうございました
wordlistresearch.comが
特に気に入りました!!
Grammarlyの無料版使えてたんですが
ここ数日、一切公正してくれなくて
「一箇所〜〜の間違いがある」「一箇所意味不明の文がある」
Go Premium! みたいな警告が出る様になりました。
1〜2週間使ったら もう無料版は使えなくなるんでしょうか?
全然ヘヴィーに使ってたわけではないです。
1日 二十行程度なんですが。
>>141
こういうのをインストールするのはどうするのですか?
もう忘れたか、元々知らないかのどちらかで >>142
俺はそういうのをまったく知らないけど、たぶん install なんて必要なくて、
画面の右上にある Sign up のボタンを使ってまずは sign up すりゃあ、あとは
いろいろ試しているうちにわかるだろうよ。だいいち、sign up した人
(subscribers たち) に対してはうるさいくらいに「ああしろ、こうしろ」と
アドバイスとか余計な指示が出るだろうから。
それから、Grammarly だけじゃなくて、どんな無料サイトでも、最初の
数週間はいろいろ使わせておいて、少しばかり気に入ったころに使いにくく
させておき、「有料版に移行したらもっと使いやすくなるよ」と巧みに
勧誘して金を搾り取るのがあいつらの手口だよ。それがごく普通。 英語の苦手意識、みたいなのって乗り越えた方いますか?そこそこ勉強してきたんですが、全然拭えなくて……
VIMってUNIXのコンソールで使うワープロじゃないの?
おとなしくワード使っときなさい。
そこそこ勉強してきたくらいだったら、死ぬまで苦手であっても仕方ないと思う。
命がけで 50 年ほどやり続けてきても、それでも英語がいまだによくわからんと感じるのが
まともな、正直な、客観的な自己評価だと思う。
10年か20年か30年かしらんけど、まあまあ頑張ってきて、英検1級とか TOEIC 990 点を
取って、軽薄ネイティブどもと談笑して酒飲んでゲラゲラ笑ってるくらいで
「英語がわかるようになったぞ」なんて感じる奴は、単におめでたいだけだ。
ましてや、文法用語を駆使して中高生や受験生を唸らせてさえいれば得意になって
しまうような奴は、死ぬまで何もわからん奴らだということになる。
ただし、1,000 人か 1 万人に一人くらいは天才がいるけど、そういう人たちは
話が別だ。凡人の俺たちとはわけが違う。
>>147
そうか、少しだけ気が楽になりました
精進します
ありがとうございました >>145
別に苦手意識なんて無くならなくたっていいだろ
それでも付き合って自分のものにできるんならさ
俺も女の子は苦手だが結婚できたし そうだね
僕もキュウリ苦手だったけど
今では毎日もろみをつけて食べてるほどで。
トマトはすり潰してスプーンでちょびちょび
味わいながら食べるのが3歳の頃からの大好物で
マドレーヌを紅茶に浸して食べる人が
過去にタイプトリップするほどの、トリップ
はあるよ。
>>143
sign upってgithub というレポジトリのsign up じゃない? Marcel Proust の、madeleine のケーキを紅茶に浸すところの一節(英語版)
And suddenly the memory returns. The taste was that of the little crumb of madeleine
which on Sunday mornings at Combray (because on those mornings I did not go out
before church-time), when I went to say good day to her in her bedroom,
my aunt Léonie used to give me, dipping it first in her own cup of real or of lime-flower tea.
さっきの一節よりも、次の一節の方がいいな。
Marcel Proust による、紅茶に浸した petites madeleines のケーキを口に含む場面を描く一節(英語版)
She sent out for one of those short, plump little cakes called 'petites madeleines,'
which look as though they had been moulded in the fluted scallop of a pilgrim's shell.
And soon, mechanically, weary after a dull day with the prospect of a depressing morrow,
I raised to my lips a spoonful of the tea in which I had soaked a morsel of the cake.
>>155 の英語版に対応するフランス語原文
Elle envoya chercher un de ces gâteaux courts et dodus appelés Petites Madeleines
qui semblent avoir été moulés dans la valve rainurée d’une coquille de Saint-Jacques.
Et bientôt, machinalement, accablé par la morne journée et la perspective d’un triste lendemain,
je portai à mes lèvres une cuillerée du thé où j’avais laissé s’amollir un morceau de madeleine.
英語版もフランス語版も、両方とも Project Gutenberg より >>147
>軽薄ネイティブども
出来もしない言語をペラペラだといい、架空の留学をでっち上げ、見たこともない辞書を持ってたとうそぶく人も(いるとしたら)、よっぽど軽薄でしょう?🤔
それはともかく、英語に限らずネイティブの間に入って談笑できるようになったら、それは相当なもんですよ🤔 145です。そうですね、自分の質問の仕方が未整理でした。すみません。
洋書洋雑誌を読んでいるんですが、だいたい5時間ぐらいを過ぎると、文章の意味が取れなくなってそこで1日の勉強の限界になってしまいます。
せっかく比較的勉強時間が取れる時期でして、もう少し触れられる時間を伸ばしたいのですが、同じような経験をされた方おられますか?
英語の苦手意識は間違いなくあって、それが勉強への負担を重くしている実感があり、それで勉強時間が短くなっている気がしていたので上のような聞き方をしたのですが、なんというか聞き方を間違えた印象です汗
独学で一日5時間て、誰でもうんざりするでしょう…?🤔
オンライン英会話を探そうと思うのですが、どこが良いですか?
ビジネス英会話を習うことが目的です。
>>147
この人は、学術的な話題になると文法用語は嫌いだー、そんなもん必要ねーといい、じゃあ日常会話になると軽薄だー、くだらねーという
自分が知らないもの、手の届かないもの(気のおけない仲間との団欒ふくむ)にケチをつけ、おれ以外バカばっかりと言う 孤独老人にならないためにも大切なことなにで、コテ外して書きました🙂
>>162
あちこちで嫌われてる自覚ないの?
そういうの老害って言うんだぞ >>164
人格攻撃はやめませんか?
英太郎は基本的に好人物です
それは私めが保証しますよ >>165
質問版で回答せずに回答者にケチつけに来るようなのが好人物?
さらにこんな過疎板でレスが早いこと
5chには向かないアホかと
twitterいけば? >>168
釣られてあげますが
私は英太郎さんではありませんし
English板が過疎板だとは必ずしも思いませんよ 147 は、OEDさんの個人的な基準であり、
他人に強制するものではなく独り言のようなものであると思うので、
それについて何か言うのは詮無いことだと思う
語学は、各自に目標があってよいと思う
目標の高低と、その尊さは別物であろうと思う
日常会話で満足するのも、それが本人の目標ならば、それで尊いものである
高みを目指すのも同じ
私は、未だ初学者ながら(TOEIC満点程度)、
学びを進めるに従い、前途の茫洋たるをますます痛感している
英語においても、日本語でと同じく、native speaker の98パーセンタイルくらいの
実力をつけたいと思っている、ということも一因であろう
OEDさんも、平均的な native speaker の言語力程度では満足できないのではないだろうか
しかし、彼らほどの力をつけるのもままならない
日常会話を馬鹿にするのではなく、高みを見ているということだろうと推察する
独り言でも一度フォーラムで書けば批評の対象だよ🤔
彼は、他の言語学の領域についてはケチをつけるが、語源(わりとどーでもいい分野)にだけは食いつく。他方、同じく比較言語学の対象である統語の変遷にはまるで興味ないのに😐
それでもまあ、ある英語の語を見て、頭の中に仏語や羅語の変遷がパッと浮かぶなら、それはそれで評価もできようが、実際は辞書見て、右から左に移してるだけだからね🙄
>>145
>>洋書洋雑誌を読んで ... 5時間ぐらいを過ぎると、
>>文章の意味が取れなくなって ... 1日の勉強の限界 ...
>> ... 勉強時間が取れる時期 ... 触れられる時間を伸ばしたい
5時間どころか 2 時間さえ続かない人が多い中で、5時間ほど続けられるなら
平均を超えていると思う。
ただそもあなたがまだ20代とか30代なら、せっかく時間があるのに5時間でその日の
勉強を終えないと仕方ないくらいに持久力が足りないのなら、俺に言わせれば
やる気が足りないな。
ただ、誰でも年齢と共に持久力が衰えてくる。たとえば20代のときなら、
サラリーマンをやっていて一日に9時間くらいくだらない仕事に追われていても、
たとえばトイレに入っている5分をきちんと充実して勉強に使う。会社までの
都会での徒歩の時間、合計30分のあいだ、常に暗記に使う。もちろん、周囲に
気を使って安全を確かめながらやらないといけないので、神経は疲弊し続ける。
超満員電車の中でも、吊革にぶら下がりながら、もちろん洋書を読み続ける。
もし夜7時から12時までの5時間、毎日のように机に向かえるという幸運があるなら、
ずっとやり続ける。
20代から30代なら、それができて当たり前でないといけないわな。ただ、もし恵まれた
環境にいる人(例えば親からいくらでも金を出してもらって、アルバイトもしないで
大学や大学院や海外留学まで行かせてもらえた人などは、さぼりがちかもしれん。
しかし向学心に燃えているのに家庭環境が最悪だった人は、そこで奮起しないと
ただの下働きで終わる。外国語の力もつかないし、ろくに小説も読めず芸術に
沈潜することもできずに一生を終わる。
どんなことがあってもそれで終わりたくない、
そういう(大げさに言えば)何が何でもこの豚小屋みたいな境遇から抜け出さないと
俺は死ぬしかない、という気持ちを持たないと、途中で脱落する。 >>145
「死ぬまでにこれだけはやり遂げたい」と思う道を突き進むためには、安楽な道、
楽しい道、幸福、快楽 ... そういうものは全て諦める。それが俺に残された唯一の
道だった。
(しかし裕福な家に生まれた人や、生まれつき頭がいい人を除く。
そういう人は、親の金とか自分の天才を駆使して、いくらでも楽をして
適度な幸福を味わいながら、適度に楽しみながら大きなことを成し遂げることが
できる。しかし俺は凡人だし、家庭環境も俺に言わせれば最悪だった。)
だから「楽しもう」なんて死ぬまで自分には不可能だと諦めて、ともかく
やり続ける。途中で挫折したら死ぬしかないと常に自分に言い聞かせる。
せっかく時間があるのに、たったの5時間でその日の勉強が終わりだなんて、
そんなことを言っている自分はもう生きる資格がない、と自分に言い聞かせる。
ただ、たとえば自分が10代とか20代であって、あまり働かなくて済む境遇にあると
しよう。それなら一日に14時間から16時間くらいは勉強しないといけないな。
そのためには、やはり工夫が必要だ。普通のやり方では、誰でも挫折する。 >>158
英語学習の場合、それには幸いにして娯楽の要素もたくさんある。文字がぎっしり
詰まった分厚い本ばかり一日に14時間も読み続けるのは、さすがに誰でも常にできる
というわけではない。ではどうするか?
分厚い本を5時間ほど読み続けてそれが限界だと思ったら、次にテレビドラマや
映画を字幕なし吹替なしで英語だけで見る。それを数時間ほど続ける。
それに疲れ切ったら、仕方ないから今度は英語の歌を聴きながらその歌の
文句を暗記しながら自分でも歌う練習をして、例えば2時間ほど過ごす。
それに疲れ切ったら、今度は外を1時間ほど歩く。歩きながら何かを暗記する。
英語に飽きたら、英語に近い別の言語(たとえばフランス語やドイツ語や
イタリア語)をつまみ食いして気分転換する。
最初は純文学を読んでいたとしたら、そればっかりやってると疲れ切るので、
今度は娯楽小説の英語原書に移る。それにも飽きたら、たとえば時事問題を
扱う洋書に移る。それに飽きたら自然科学。などなど。
ともかく、自分がどうすればこの道を歩き(走り)続けられるかを自分で
考えられないのなら、もうやめれば?どうせそもそもやる気がないんでしょ?
だからこそ、せっかく時間がたんまりあるのに、1日の勉強時間がたったの
5時間で終わらざるを得ないんでしょ?それなら、他の豚どもと同じく
へらへら笑いながら楽しく人生を謳歌すればいいんだ。
豚になりたくないなら、死ぬまで自分を鞭打ち続けるしかない。 >>145 >>158
それから、本気で、いわばプロレベルまで英語を身に付けたい、と思うなら、
英語を使わないといけないような仕事に早くついてしまうことだ。
英語をやらなくても、英語がさほどできなくてもやれる仕事をやってると、
10年後、20年後には「英語なんて、もうこれくらいでいいか」と諦める時が来る。
英語を命がけで勉強し続けないとオマンマが食えない、文字通り死ぬしかない、
そういう境遇に自分を突き落とすのだ。それは20代の初めくらいにさっそく
実現した方がいい。
次に、自分の英語力が増進するにつれて、自分が今やっている仕事のレベルが
低く感じられてくるけど、そうなったらさっさともっと高い英語力を必要とする
仕事へと転職することだ。ちょっとばかり英語を教えたらすぐにみんなが賞賛して
くれるような仕事についていると、その人は絶対にダメになる。 英語と言えば、read, write, listen, speak の4技能。そのうちの読解力を身に付けるために
何を読むかというと、みんなつい最近のもの、つまりここ20年間くらいに書かれたものに
走る。でも、現代の感覚から考えたら少し難しいが、たとえば19世紀あたりの純文学と
言われるものを読むと、いろいろと勉強になるわな。
そういうわけで、19世紀のイギリスやアメリカの文学も読もうと思って頑張ってきたけど、
つい最近まで例の超有名な Henry James を読んだことがなかった。ものすごく難しいと
言う人が多いので怖かったが、俺が最近に読んだ彼の小説は、別に難しくはなかった。
少なくとも、表面上の筋書きを追うだけなら、19世紀の文学の割にはそんなに難しくはない
と思った。
The Portrait of a Lady (1881)。Library of America 版では 610 pages ほどある。もし日本語版の
文庫本なら、ひょっとしたら 1,000 ページくらいになるかもしれん。悪く言えば、平凡な
筋書きの物語がタラタラと続いて、結局は劇的な展開もなく終わってしまう。だから、
筋書きの面白さだけを追っかけるような、娯楽小説とか娯楽映画を追っかけるような
タイプの人には向かない。
一見、平凡そうな出来事と会話を追っかけていると、実はこの作家は評判通り
物凄く文章がうまいんだな、と感心する。通常の作家がこんなに長大な小説を、
平凡な筋書きのままで進めると、誰も読んではくれないだろうな。それを最後まで
読ませるのだから、すごいと思う。
いろんな意味で勉強になったが、英語の勉強にももちろんなった。しかし、単に
英語をしゃべれさえすればいいとか、YouTube 上の美男美女の英語ネイティブによる
おしゃべりを楽しめたらそれでいいとかいう人には、まったく向かない。
>>182
英太郎の数十倍ためになるアドバイスの数々
感謝 >>182
こちらこそ、ありがとう。小さい時から親を初めとしてずっと他人から攻撃され
続けてきたので、我慢することには慣れているつもりなんだが、
やっぱり荒野の中でたった一人で飢えに耐えている狼のような気分であることは
確かなので、意外な時にふとさりげなくそういう温かいコメントを頂くと、
何とも言えずうれしい。 >>158
試行錯誤を繰り返しているだけの未熟な自分が、>>178さんの後に書き込むのも
気が引けるが、自嘲と後悔と反省の意味も込めて、英語学習上気づいたことを
思いつくままに書いてみる。 >>178さんは以下のことが自然にできるような
環境を提唱しているので、表現は異なるが重なる部分も多いし、また学習本その他で
既に言い尽くされていることもあるが別の視点と切り口で書いてみる。
1)英語を学習する時や英語に接する時には、脳内に日本語とは別の英語による
思考回路をつくり、その都度意識的に切り替える。→その実現のための工夫は必要
(>>178さんはそれが無意識に自在に常にできているレベルだと思う)
2)単語やフレーズ、文章を長期記憶として定着させる自分に合った具体的学習法を
考える。(間隔を置いた繰り返しの復習など。→ その間隔の配分などの工夫。
3)「ながら学習(?)」は効率が悪い。 効果や効率が思うほどない方法での、
「勉強しているという気休めや満足」は長期的には大敵。
(従って、情報系の youtube などでリスニングの学習を兼ねて10〜20分の
《同一のモノを含む》動画を毎日何本か聴いてそれを1カ月繰り返す実験をした
ところ、内容はすべて理解できるようになるのに、その内容を同じ英語で表現し
ようとすると、何十回も聴いて覚えているつもりでいた同一モノの英文すら
脳内で再生されないことが多い。(ながらの記憶は長期記憶とは別の回路)
完璧な長期記憶として定着させるには、動画の中の英文をフレーズや文章レベルで、
一つずつ確実に長期記憶に押し込める方法も『混ぜた』方が効果も効率もいいこと
が分かった《・・・・個人差はあるかも》) (続き)
4)すでに覚えている表現から一定の文法ルールを感じ取って、その一部を別の
単語に置き換えて、新しい表現へと応用拡大する勇気を持つ(その正誤の確認は
その後の学習に委ねる)。
5)読書中に接する知らない新しい単語や表現をその都度チラシの裏などに
書いて、後でそれを目に付くところに貼っておき、長期記憶として定着させる
ための工夫をする。
6)視覚と聴覚による記憶の効果には個人差もあるし、同一個体内でも差がある。
さらに目や耳以外の口(喋る)、手(書く) などのアウトプットに関連した部位を
組み合わせた方法も有効。
7)過去の嫌な記憶を含む強烈な出来事は意思とは関係なく記憶の襞に刻み込まれる。
生物の生き残りと結びついたこの記憶の機能をなんとか学習に生かせないものか。
8)・・・・・・
9)・・・・・
(以上、順序や重要度など系統立てることもなく書き連ねたが、異論反論その他
みんなの独自の学習法があったら自分も参考にしたいので、よろしく)
少しだけ古い時代の小説を読んでいて「あれ?」と思う小さな発見のうちの一つ。
よく知っている人にとっては当たり前のことかもしれんが、俺にとっては「なるほど」
と思えること。
lover っていう言葉は現代ではどうやら、誰かと肉体関係を持つときに使うらしく、
We are lovers. とか He's my lover. とかいう言葉は気を付けて使わないといけないと
よく言われ、ある bilingual などは lover(s) という言葉を使うと肉体関係を
連想させてどぎつい雰囲気が出る、という。
確かに、性的関係を持ったことのない若い英語ネイティブが誰かと仲良くなって、
初体験を済ませたあとに戻ってきたとき、彼は We're lovers now. と言っていた。
しかし、少し昔の小説を読んでいると、lover(s) はもっと軽い意味を持っているように
見える。日本人が「恋人{同士)」と言っているときのそのままの清潔な普通の
意味合いで lover(s) と言っているように思える。
たとえば Casablanca (1942) という映画の中で Sam という黒人歌手が古い(と思われる)
歌を歌っているが、そのセリフの中で When two lovers woo という言葉が出るけど、
その lovers たちがすでに性的体験を済ませてしまっているかどうかなんて関係なく、
二人の人がお互いに愛し合っているのだ、ということを示しているに過ぎないように
見える。
"Mr. Morris Townsend." And as he pronounced her ★lover's★ name, Catherine looked at him.
(Henry James, "Washington Square," XI)
Henry James のこの小説は 1880 年のものだが、140年前にもやはりこのように
lover を今とは違う意味で使っている。つまりこの小説では、Catherine と Morris Twnsend
とはまったく性的関係がない。ほんの数回、話し合っただけだ。それで互いに深く
愛し合うようになったけど、セックスはしていないことははっきりしている。
(続く)
(続き)
俺が今まで小説などを読んできた経験では、どうも100年くらいまではイギリスでも
アメリカでも、lover(s) という言葉の意味合いとして、性的関係があるかどうかには
関わりなく、愛している(愛し合っている)相手に使っているに過ぎない。
make love to [someone] という表現にしても似たようなことが言える。確か俺の記憶では、
80年くらい前までは。この言葉を「誰それを口説く」という意味で使っていて、
have sex with という意味では使っていなかった。だから少し古い小説の中で
盛んに「パーティの席上で一晩に何人かの男性から make love to された」という女性の
話などが(たとえば Scott Fitzgerald の小説の中で)出てくると、「えっ?」とついつい
思ってしまう。
さらに、たとえば100年以上前の小説では女性が「私たち女性」という意味で
通常の会話を若い男女の間で話をするとき、「our sex がどうのこうの」と
何度も言う。現代の会話では our sex と言わずに we women とか women とか
言うだろう。しかし少し昔はこう言っていたらしい。(ということが、
たとえば Jane Austen の小説を読んだり、それを描いた映画を見ているとわかる。)
ところで、リンクをほんの3回ほど貼っただけで最近はアクセス禁止を食らうらしいので、
リンクを貼るのはまったくやめた方がいいみたいだ。俺は其れで何度もアクセス禁止を
食らった。今ではリンクを貼るのをまったくやめたので、快適だ。
lover(s) や make love to という言葉の意味合いの変遷ぶりと並行するかのように、
intimate という言葉も意味合いがこの100年くらい前と今とでは大いに違う。
「僕はあの girl (woman) とは intimate な関係だ」なんてことを言うと、現代では
その人と肉体関係があるのだな、と解釈される。しかし(はっきりわからんが)
100年以上前までだと思うけど、昔の小説を読んでいると intimate は「親密な
(親しい)友人」という意味でしか使われていない。肉体関係なんてまったく
感じさせない。そういうことは、19世紀あるいはそれ以上に古い英文を読んでいると
痛切に感じられてくる。
まあ、そういう言葉の変遷があるからこそ、現代の英語の使い方を習得して
話したり書いたりしたい、それ以外のことは勉強する時間がないし、かったるいから
やりたくない、という人が多いからこそ、古い文献なんて読みたくない、20年以上も
前の文章は古すぎる、という人が多くても無理はない。
(続く)
(続き)
しかし、たとえばこの数十年前から今までの現代のアメリカの標準英語だけを
追っかけていると、理解が薄っぺらになり、言葉の奥行きも歴史も感じられず、
勉強している自分にとっても面白くないし、他人に解説してあげるときでも
表面上のことしか言えなくて面白くもなんともない。
例えば日本人が、数十年前から今までの「現代の、しかも標準的な日本語」にしか
触れたくない、それしか知らない、なんて言っていたら、面白くない。
現代の標準的な日本語を本当に理解したければ、その方言も、それから昭和の初期から
大正・明治、そしてできれば江戸時代、室町時代、そして奈良時代に至るまで
日本語を眺め、できれば琉球方言(「うちなー」と呼ばれる言語)も少しは視野に入れて、
さらには韓国語や中国の標準語や広東語を含める北方・南方方言も視野に入れて
総合的に日本語を四方八方から眺めると、自分で面白いと感じるだけでなく、他人に
日本語を教えたりそれについて語ったり、そして日本のあらゆる文学に触れるとき、
多角的・重層的に理解できる。
同じことを英語についても、できれば英語に似た周辺のいろんな欧州諸言語についても
総合的・多角的・重層的に理解できればいいなといつも思いながら勉強している。
だからこそ、俺は英語の方言や古い用法や、何百年も前の英語についても、
馬鹿にしないで現代の標準英語と関連させながら覚えたり理解したりするよう努力している。
語源の探求もそういう意味で、英語の勉強の一環として続けている。なお、
語源探求は英語以外のありとあらゆる言語を一緒くたに覚えるときに役立つので、
単なる遊びとはわけが違う。
>>165
ん?なに他人のこと知ってんの?
保証するってどういうふうに?
口先ならどうとでも言えるだろ >>184
ああ、甘いね。ボンボンかよ
>荒野の中でたった一人で飢えに耐えている狼
ナルシストなるちゃんかよ
小生さんっていたよな。ああいう人の人生思い出したら
そんな甘ーーーーいことなんかかけないと思うぞ >>158 さんにとって役立つかどうかはわからんけど、何冊かの本を紹介してみる。
すでにみんな知ってるだろうと思って、ふだんは黙っているのだが、たまに口にすると、
若い人はみな「そんなの、まったく知らなかった」と言っている。しかし俺の
世代(つまり、たとえば60歳以上の人たち)で英語を真剣に勉強しようとした
ことのある人は、みんな知っていると思う。とても有名な本ばかりだ。
(1) 松本亨(まつもと・とおる)「英語と私」
これは200ページくらいの本。50年くらい前に NHK の英会話講師をしていた
著者が、さほどお金もない境遇の中でアルバイトしながらいかにして英語を
身に付けていったかを書き綴っている。
(2) 松本亨「英語で考える本」
これは、300ページくらいの本。英語で考えるにはどうすればいいかを詳しく解説。
一言で言えば、彼のやり方は「ともかくひたすらたくさんの英文を読め。そうすれば
自然と英語で考えられるようになるし、書けるようになるし、しゃべれるようになる」
という、一見、単純な理論。具体的になんでそうなるのかを、また細かく解説している。 >>158
(3) 松本道弘の書いたいろんな本。そのうちの「英語道」とかなんとかいう本を
読めば、剣道に代表される武士道の精神で英語に取り組む彼自身の武士みたいな
生き方を説いている。英語を勉強していてくじけそうになったら、この人の本を読めば
またやる気が出てくるかもしれない。
(4) 国広正雄の書いた何冊かの本。あちこちの本の中で、彼が若い時にどのように
英語を勉強したのかを書いている。具体的にどの本を読んだかは忘れた。
(5) 東後勝明(とうご・かつあき)の書いた本。彼は、少なくとも発音に関しては、
イギリス式の発音をイギリス人ネイティブそっくりに、アメリカ式の発音をアメリカ人
ネイティブそっくりに、縦横無尽に発音できる。彼は若い時には海のそばに住んでいたが、
いつも浜辺で海に向かって大声で発音練習していたが、何度も血を吐いたそうだ。
それくらいに練習しないと、一流にはなれないということだ。
なお、AFRTS とか
FEN とか言われる米軍の英語放送がラジオで 24 時間、毎日のように流れている地域が
日本にはいくつかあるけど、そのうちの一つの地域に住んでいたので、その米軍の
英語放送をいつもラジオでかけっぱなしにしていたとのこと。(その米軍の放送を
かけっぱなしにして青春時代を過ごした人で、のちになって有名な英語の達人に
成長した人はたくさんいる。) >>193 で紹介した松本亨(まつもと・とおる)は、自分が英文で書いた小説
(たぶん 200 ぺーじくらい)を発表している。それも俺は読んだ。
小説としては凡庸かもしれないが、ごく普通の日本人が真剣に英語を勉強したあと、
自らの昔からの個人的体験を英文で小説として書いたものとしては、やはり
注目すべきだと思う。これを読めば、生粋の日本人でもこんな英文を
書けるようになるんだな、と思って奮起できるかもしれない。 >>191
英太郎って時々鋭いけど普段はそれほどだよね。
あくまで僕の妄想だけど、「英太郎」は大学の学部の教授の研究室においてあるパソコンのことで
かなりオープンな教授なんだな。それで学部生がそのpc経由でよく勝手に書き込んでんだよ。んでたまに院生が書き込む。
これで英太郎の若さを感じることもあるし老練さを感じることも説明できる。
なかなか良い推理だろ? >>196
違うよ
単に論理的思考ができないだけ
たまに鋭く感じるのはコピペ元が良かっただけだ She (= Catherine Sloper) told Morris in writing ... that she begged he (= Morris Townsend)
would not come to the house ★until she should have "made up her mind."★
(Henry James, "Washington Sqaure," Chapter XV; p. 80, Library of America LOA #29)
この上の一節では、登場人物である Catherine Sloper がその恋人である Morris Townsend
と結婚したいのだが、父親から大反対されている。だから「私の決心がつくまでは
家に会いにこないでほしい」と恋人に頼む手紙を送った、という話になっている。
ここで until she should have made up her mind のところは、until she have made up her mind
というふうに "until + 仮定法現在" (叙想法現在、subjunctive present) を使いたいところを、
その代わりに19世紀のイギリスの用法として should have + p.p. の形を使っているのだろうな。
文法用語を駆使した解説なんて俺は不得意で嫌いなので俺の解説はもしかしたら
不正確かもしれんが、ともかく 1880 年つまり 142 年も前の英語だから現代英語と少し
違っている。その点が面白いなと思いながらこの一節を読んでいる。
ところで、数か月前に読んだ同じく Henry James の "The Portrait of a Lady" (1881) に
引き続いてこれを読んでいるのだが、俺が読んだ前作と同じように、会話が多く、
(悪く言えば)平凡な筋書きがダラダラと続くが、著者のあまりの文章のうまさの
せいか、まったく退屈さを感じさせない。会話文と日常的な出来事の淡々とした
描写が、清水のごとく流れていき、小気味よいと感じる。
ところで Henry James はイギリス英語っぽい英語で文章を書いているように思うが、
著者自身はもともとアメリカ人だがイギリスが好きらしく、大人になってからイギリスに
帰化している。だからだと思うが、英文もイギリス英語っぽい。
ただ、他のアメリカ人たちも古くはみんなイギリス英語っぽい英語を使っていたように
俺には感じられる。たとえば F. Scott Fitzgerald という 1920 年代の Jazz Age に思いっきり
遊びまわりながらその時代を反映するような小説を書いて一世を風靡したが、
彼の英文も何となくイギリス英語っぽい。
それだけでなく、たとえば 1960年くらいまでのアメリカ映画でも、台詞に使われる
英語や発音が、かなりイギリス英語っぽく感じられる。どこかに書いてあったと思うが、
少し前までのアメリカでは、何でもともかくイギリス英語っぽい英語でないと
いけないように思っていたらしい。アメリカはもともと田舎者の国であり、
文化の香りもないダサいところだという劣等感でもあったんだろうが、
イギリスがもともと何でもかんでもフランスやイタリアの真似をしたのと同じように、
少し前のアメリカもイギリスの真似をしていたのだろう。
少し古いアメリカの小説や映画の中に現れるイギリス的な雰囲気や英語の用法を
見ると、そういうことも感じられるが、これもまた、いろんな時代のいろんな
地域の人の英文を読む上での楽しみの一つだろう。
It would have gratified him (= Morris Townsend) to tell her (= Mrs. Penniman) was a fantastic
old woman, and that he should like to put her into an ★omnibus★ and send her home.
(Henry James, "Washington Square," Chapter XV の最後から6行目あたり; Library of America 版
の LOA #29, p. 83 の下から6行目あたり)
1880 年に刊行されたこの小説に、ついに omnibus という言葉が出て来た。この言葉が
ラテン語の omnis (= all) の与格である omnibus (みんなに、みんなのために) という
言葉から来ていて、そこから現代語の bus と略称されて今に至ることは辞書を読んで
知っていたが、実際に小説などを読んでいてこの単語に出っくわしたのは初めてだ。
ちなみに、この omnibus が「みんなのために」という意味だから、それを現代中国語では
「公共汽車」つまり「公共の自動車」というふうに直訳している。
そしてもちろんこの omnibus という言葉は、そのままで現代英語でも別の意味でも
使われるが、「オムニバス」という外来語として日本語としても使われ、
短編をいくつか集めて一つの映画としてまとめたものという意味で「オムニバス映画」
などというふうにも使われる。
なお、この omnibus の語尾である -ibus は、ラテン語としては頻出するが、
ラテン語文法の初歩的知識として嫌というほど文法書には出てくる。
だからラテン語による歌の歌詞でも -ibus という語尾の単語はよく見聞きする。
>>202
あなた本当にラテン語勉強したことあります?
少しでもラテン語を学んだことがあれば第三変化名詞に対して
「ラテン語文法の初歩的知識として嫌というほど文法書には出てくる」
みたいな言い方をわざわざするのは腑に落ちないのですが。 フラ語の定冠詞の使い方知らなかったのに、フランス留学済&仏検1級取ったおじいちゃんだよ?
ついでにいうと、アラビア語も中国語もペラペラで、挨拶も書けちゃうよ? ルーマニア語で仕事もして、google翻訳でルーマニア語翻訳もできる語学の天才だよ?
1日5時間毎日英語やってたら日本語崩れると思うけどな
ラテン語は、40年前に独学で 7 x 60 + 8 x 10 時間くらい勉強した。つまり
420時間 + 80 時間だから、合計で 500 時間くらいかな?
何でそういうことをいちいち疑うのかね?っていうか、どうでもいいじゃんか。
勉強したことがある人ならこれこれこういう言葉を使うはずで、これこれこういう
言い方をするはずがない、だなんて、固定観念を持たないでほしい。
ラテン語やそれ以外のいろんな言語も俺は独学だったんだから(ただしフランス語だけは
10年くらい独学した後にフランス語の学校に 18 か月ほど行ったけど)、
大学の教授がどのように教えてるかなんて知らないし、
英語だって、16歳のころからは俺は独学に近い形だったんであって、
だからこそ文法用語を駆使して英語を解説するのが下手なんだ。
それが悪いか?
Ridley Scott とかゆーよくわからん人が編んだギ英大辞典持ってたって自慢してたよ😳
(まさか Liddell-Scott じゃないよね。。。)
ラテン語については、YouTube 上の俺のビデオにてラテン語聖書を使って
3本くらいかな、全部で3時間ほどラテン語初歩の解説をしているんだけどな。
Shakespeare の英語についても、全部で20時間くらいの解説はしたと思う。
Edgar Allan Poe の英詩についても、全部で9時間くらい解説した。
>>209
草
ところで今じゃLSJもスマホアプリになってて便利なものです 英語については、16歳くらいからは授業を聴いていない。くだらねえ文法用語ばかり
並べてて、ろくに読めずしゃべれず聴くことも書くこともできない教師の言うことなんて
聴く気になれないから、俺は授業中に英英辞典(今の OALD みたいな、1,000ページくらいの
英英辞典)ばかり読んでいた。高校2年と3年との二年間は、英英辞典ばかり引き、
英和辞典は引かなかった。日本語で書かれた問題集とか参考書なんて読まなかったから、
文法用語なんて知らなかった。傍らで読みやすい洋書ばかり一人で読んでた。
大学へ行ってもそんな感じだ。だからいまだに俺は文法用語をあまり知らないんだ。
ラテン語の「第三変化名詞」とか何とかいう言葉だって、俺は知らないというか、
出て来たとしても無視する。俺にとっては基礎的な文法事項を理解することであって、
文法用語を覚えることではなかった。フランス語もルーマニア語も
中国語もアラビア語も、すべてその調子で勉強していた。
すべて何十年も前の話だから、
放っておくと忘れて言ったけどな。しかしその基礎的部分の片りんをたくさん覚えて
いるから、おかげで難しい英単語もその関連で覚えるのがうまくなり、
法律用語とか医学用語、それ以外のいろんな工学関係の用語(電気や建築や機械や IT など)
もいろいろ会社勤めのときに翻訳させられても、何とか覚えることはできた。
だからこそ、語源は大事だぞと俺は言っている。それが悪いか?
どうぞお好きに
門前の小僧と問答を交わす趣味はございません
ドイツ語何百時間だか勉強したと自慢してたのに、
英語の for ... to V のような不定詞の(意味上)主語を表す形式が、ドイツ語では um ... zu V だってぶっこいてたよね🤔
このスレの2020年5月1日ごろ書いてるはずだよ🤔
"Unfortunately Catherine and I ★have not★ Mr. Penniman to marry us," said Morris.
(Henry James, "Washington Square," Chapter XVI; Library of America LOA #29, p. 85 の真ん中あたり)
上のようにこの 1880 年刊行の Henry James の小説には、do not have という意味の
古いイギリス英語である have not を使っている。すでに言ったように、彼は生粋の
アメリカ人だが、のちにイギリスに帰化している。
Henry James にしても、別のアメリカ人である F. Scott Fitzgerald にしても、
少し古い時代にはアメリカ人でもイギリスっぽい英語を使うことがここでもわかる。
それにしても、欧州言語(特に英語)に関してすごいコンプレックスを持っている
人たちがたくさんいて、常にそれで変な言い争いが始まるな。もしそんなにこだわるなら、
ふだんからたとえばこのスレでもいろいろと英語やそれ以外の諸言語について
きちんと文法や文章の解釈や聴き取りの課題などについて回答し続けたらいいのだが、
際立つような書き込みがないので、ただの名無しとして、どこの誰だかわからない
奴がたまに出てきて、噛みついてくる。
そして、コテハンをつけなかったらまったく目立たない奴がコテハンを名乗り、
これまたまったく無意味な書き込みを続ける。そういう奴らが少なくとも3人ほど今は
いるが、読むに値しない。
すごい英語コンプ持ちはあなたでしょう?
言葉が、自己演出のための道具となり、呪物となってますよ🤔
軽薄であれなんであれ、言葉は本来的にはコミュニケーションの道具であり、他人と意思疎通するためにあるのです
>>212
あなた、安藤貞雄の現代英文法講義を一回通読したって仰ってたけど、あれも嘘だったんですか😳 >>215
中一で初めて英語を習った頃、「持っている」と言う意味のhaveは「have動詞」と言われる特別など動詞で、
Have you a pen?
Yes, I have.
No, I have not.
だった。
後に、Do you have….? に直すのに、若干の努力を要した。 >>219
それは面白い。僕の場合は、中一のときといえば今から 54 年前かな。そのときには
Do you have...? と習ったけど、高校の時の教科書には、小さく注意書きがしてあって、
「イギリスでは Have you? とか have not などと言う」と書いてあった。ただ、教師は
そのことにはまったく触れていなかったと思う。一人一人が、読みたければ読め、
という程度だったので、have not とか have you? という形を知らずにその後もずっと
過ごす人も多かったと思う。 >>220
43年前の高1の教科書にもHave you名詞はあったね >>212みたいにやってたら大学入試の英語点数取れた? >>218
なんか語学で嘘ついて回る人がいるんですか、、、、
嘘つきさんって虚しくなりません? このスレは高齢者の方が多いんですね。
歳をとると次から次へと忘れ、読みたかった本まで
読んだことになる、そんなものなのかもしれませんねえ
名詞としての meeting は「会合、出会うこと、出会い、ミーティング」などという
訳語に惑わされてしまって、ついついその名詞の意味の範囲が英語においては
どこからどこまでなのかがわからなくなる。つまり、日本語の訳語の意味の範囲と
英語の単語の意味の範囲とをごっちゃにしてしまう。
たとえば会社の同僚たちとの仕事のための会合とか話し合いは、meeting でいいだろう。
じゃあ、親戚のおばさんと話をするために町で出会うことを meeting と言えるかどうか?
言えるわけない、とついつい最初は思ってしまう。英和辞典などで出てくるどの
訳語にも一致しない場面だからだ。しかし実際には、(少なくとも 140 年前の英語では)
言えるらしい。
Mrs. Penniman, meanwhile, lost little time in putting herself again in communication with
Morris Townsend. She requested him to favour her with another ●interview●, but she did not
on this occasion select an oyster saloon as the scene of their ★meeting★.
(Henry James, "Washinghton Square," XXI) --- Project Gutenberg でも読める。
(続く)
(続き)
上の一節の文脈をその前の文章からたどらないとこの場面の意味がわからないけど、
Mrs. Penniman はそのその親戚にあたる Morris Townsend と(彼がこれから結婚したいと
思っている相手との件について)話がしたいと思っているので、町で二人で会いたいと
思っているのだ。この親戚同士が町で会うことを meeting という名詞で表している。
ついでながらこの上の一節に出てくる interview にも注目してほしい。この単語も
カタカナ英語になってしまっているので、ついつい僕らはもっと大げさな場面
における面談のことだと思ってしまうが、ここでの interview は、この親戚同士の
二人の内輪の話のことを言っている。
interview にしても meeting にしても、こんな簡単な英単語だからということで
馬鹿にしてしまいがちだけど、それぞれの単語の意味する範囲がどこからどこまでなのか
については、やっぱり英語ネイティブと長く付き合ったり、映画やドラマをたくさん見たり、
あるいは小説などをたくさん読んで前後関係から読み取っていかないといけない。
ただし気を付けないといけないのは、英語も時代と共にどんどん変わっていく。
すでに述べたように make love to someone とか intimate とか lover(s) の意味の範囲も、
たったの 50 年か 100 年ほどで大きく移り変わってしまう。今回の interview とか
meeting という言葉の意味の範囲も、この小説が書かれた 1880 年においてはそうだったかも
しれないが、2020 年の今はどうかわからない。あるいは地域差や個人差もあろう。
単語の意味の範囲について、もう一つの例を挙げる。
And on his asking her in what direction they should walk, “Where we shall be least observed,”
she murmured.
Morris was not in high good-humour, and his response to this ★speech★ was not particularly gallant.
(Henry James, "Washington Square," XXI)
上の一節にある speech という単語はあまりにも簡単だが、"this speech" と言うからには
日本人の感覚では「スピーチ」という外来語の意味の範囲についつい影響されて
しまって、少し長い話(あるいは演説)のことかな、と思ってしまう。しかし実際には、
this speech とはその直前の
“Where we shall be least observed,”
というきわめて短い一言を指している。だから日本語では this speech は「この言葉」
とでも訳せばいいだろうか?
ともかく、今回の speech にしても meeting にしても interview にしても、こんなにまで
簡単な、中学1年生でも知っている単語であっても、さてそれぞれの単語を
どれくらいの範囲に至るまで使ってよいのか、というと、なかなか簡単ではない。
いま読んでいる Henry Jsmed の "Washington Square" が 1880 年に刊行されたのだが、
それはたぶん夏目漱石のころかと思って調べてみたら、夏目漱石の代表作の方が
20年も30年も遅い時期に出ている。
さらに、泉鏡花、徳富蘆花、樋口一葉、尾崎紅葉、森鴎外、国木田独歩、
永井荷風あたりの代表作はみんな、Henry James のこの小説よりも
20 年も 25 年も遅く出版されている。
ということは、英語そのものを見る限り、現代語よりもかなり古く感じられても
不思議はないな。
せっかく通常の英語をしゃべったり書いたり、新聞雑誌など現代の普通の文章を
すいすいと読めるようになろうと思って取り組む本が 140 年も前、つまり
夏目漱石とか二葉亭四迷とか樋口一葉の代表作よりもさらに前の作品だったら、
まあ普通は motivation が低下しても無理ないか。
まあ俺の場合は、昔に思いっきりたくさんの童話や英語の現代文とか現代の映画やドラマに
触れたので、今度は現代文だけじゃなくて昔から読みたかった古い時代のものに
取り組もうと思って読んでいるわけだ。現代英語に取り組んできた経験がまだ浅いのなら、
19世紀とか、ましてや Shakespeare の時代のものなんて手に取らない方がいいだろう。
現に俺自身も、つい10年ほど前までは、現代英語以外の者にはほとんど触れないように
していた。ろくに現代文も読めないのに、たとえば20歳前後に Shakespeare なんて
読めるわけない、少なくとも俺には無理だ、と思っていた。
ただそれと同時に言えることは、現代英語を本当に多角的・重層的・立体的に
理解できるようになろうと思うと、どうしても古い時代の英語もある程度は
嗜まないといけないということは言える。最初から常に「古い英語なんてまったく
俺には関係ない」という態度だと、損をする。
それは日本語を俺たちが理解しようとするときに、現代日本語を理解するにあたって、
明治初期の樋口一葉だとか森鴎外、そしてできればもっと昔の日本語、そしてできれば
方言についても、いくらかでも理解できた方がいい。英語に取り組むときも、まったく同じことが言える。
>>222
大学入試の問題を解けたかどうかって?解けたよ。というのも、俺は文法用語をほとんど
知らなかっただけであって、文法そのものを知らなかったわけじゃなかったからな。
つまり、文法用語を使わないで文法を理解し、文法に則った文章を書き、文法に則って
英文を読んで理解していたんだからな。
英英辞典ばかりを引き、英和辞典を2年ほどほとんど引かなかったから、確かに
とっさにはそれぞれの単語や熟語の訳語が思い浮かばなくて、例えば授業中に
「訳せ」と言われて数行を訳させられると、よくしどろもどろになっていた。
しかし英文の意味そのものはしっかり理解していたから、たとえば教科書に出てくる
英文や単語を別の英語で説明せよと言われたら、すぐにでも言えた。ただ日本語で
言えと言われると時間がかかっただけだ。
でも、時間がかかったとはいえ、
30秒ほどかかるだけであって、一つの単語の訳語を思いつくのに5分もかかったわけでは
ない。高校や大学入試の問題なんて、長い時間をかけてゆっくり解けばいいんだから、
いくらでも訳語を考える時間はあった。 いまだに俺は文法用語を使って英文を解説するのが嫌いなだけでなく、和訳も嫌いだな。
だから仕事でも、和訳は基本的には断っている。英訳しかやらない。
その傾向は、高校生の時からすでにはっきり表れていたみたいだな。英英辞典ばかり
引いていたというのも、英語は英語で理解した方がいいに決まってるという
信念があったからでもある。だからそのころから、英文を別の英文で解説するのは
得意だったな。俺は外大に行ったけど、そこでの入学試験でも、そういう能力の
方がくだらない文法用語とか訳語を知っているよりも余計に高く評価されていたかもしれない。
ただし俺は試験とか参考書とか問題集なんてものが大嫌いだから、試験にどういう
問題が出て来たかなんて、覚えてないけどな。
ただ、大学の入学試験の問題とか英検1級の試験問題には、文化人類学とか歴史学とか
文明論とか人間の喜怒哀楽だとかいうような諸問題について深く考察した
人文科学関係の論文みたいなものが長文問題としてよく出ていたけど、それを
試験場で読んでいて、「なんて面白いことを、なんてきれいな文章で書いてくれてるんだ」
と感動して、しばらくうっとりして、「おっと、いけない。今は試験中だな」と
考え直して、あわてて設問に答え始めるなんてことがよくあったな。
なんせ俺は試験が嫌いで、そんなもんはなくした方がいいと思っているが、それは勉強が嫌いだから
ではなく、その反対で、素晴らしい本が世の中にたくさんあるのに、何もそれを
試験なんてもので穢さなくてもいいだろ、と俺は強く思うのだ。
正書法に対して保守的な、例えばドイツ語のような言語では、未だにカントやヘーゲルを原文で読んでも古臭さは感じにくい
日本語のみをサンプルに類推してそれを英語に当ては結論付ける考え方は浅慮で浅はか
フランス語は明るくないけど多分もっと保守的なんじゃない?
>>233
でも僕は面白いと思う。
僕の高校時代の英語教師はご多聞にもれず、無味乾燥な標準的な英文法を工夫なく無難に教授していただけだからね。
んで、一浪して予備校に行ったら無茶苦茶分かり易い授業で驚いた。しかも、生徒を飽きさせることのない与太話付のね。
国語系の講師に比べたら英語の講師は無駄話は少なかったけど、それでも楽しかった。
ちょっとそんな雰囲気を思い出してるよ。 >>232
日本語だけを引き出して英語と比較するなんて、そんなことはしたくないけど、
ここでは日本語と英語だけしか知らない人が多いから、仕方なくそうしている。
それをいちいち浅はかだとかいうふうに決めつけないでほしいけどね。
普通だったらあんたを罵るところだが、今は我慢しておこう。
ドイツ語に関しては、俺は30年前に600時間くらい集中的に勉強した。
(そのほとんどは独学。)それで初頭文法だけはマスターしたかのような
気分になってたけど、あるとき Goethe の Faust の一節であるほんの3行ほどを
Penguin Books の英語版で読んでいた。その英語版では、Faust が
1806 年に出版されたからというわけで、英語訳でもその時代(つまり今から
200年ほど前)の英文で訳さないといけないと訳者が思っていたらしく、
古めかしい英文で訳していた。どうもわかりにくかった。
そこで俺は、Faust のドイツ語原文のうちのその3行だけを俺の初歩的な
知識だけで辞書を引きながら読んだ。辞書を引くまでもなく、かなり
単語はたまたま簡単だった。そして文法そのものはきわめて単純だったので、
俺でもよくわかった。びっくりした。
ドイツ語は正書法のみならず、文法構造も極めて保守的で、何百年経っても
あまり変わらないと聞いている。そのせいだろうと思うが、200年前の
ドイツ語を俺でも読めたような気がしたのだから、びっくりした。
英語ではこうはいかない。
(続く) (続き)
フランス語に関しては、10年くらいかつては勉強していたが、Blaise Pascal の
Les Pensees (1670) の原文テキストを手元に置きながら Pascal の哲学について
の話をフランス人の哲学の先生から聴くという機会が、37年くらい前にあった。
Pascal によるフランス語原文は、350年前のものだからさすがに今のフランス語に
比べると小難しく思ったが、350年前の英語と言えば Shakespeare よりも少しあとだから
かなり古いが、それに比べたら 350 年前のフランス語の方がまだわかりやすく
感じたかもしれない。
とはいえ、古いフランス語をそんなに読んだわけでもないし、
そもそも現代フランス語でさえ俺は30年くらい前からほとんど読みも聴きもしないで
さぼってきたから、よくはわからん。
というわけで、俺は英語と日本語だけでも十分に苦労するくらいに平凡な頭しか持ってないので、
他の諸言語についてはたまに英語との関連性とか語源を追求するときに断片的な
知識を応用するに留まっている。とはいえ、何十年も前にいろいろとかじり回った
いろんな言語の断片知識が、いろんなところで役立っている。たとえあとで
その言語の運用能力のほとんどを失ったとしても、頭の隅っこに生きている断片知識が
英語の多角的・重層的な理解においてとても役立つ。
>>234
ありがとう。ところで、予備校に通ったいろんな人からそういう話を聞くけど、
ちょっと羨ましいな。俺は面白いと思える教師には、まったく出会ったことがない。
予備校にも行ったことがない。と言うか、どんなくだらない大学でもいいから、
ともかく早く大学に入って、早く卒業してしまわないといけなかった。
金がまったくなかったからな。
だから教師なんてものはどうせつまらんものだと思い込んでいる。学校なんてものは、
大学も含めて椅子と机が与えられるところに過ぎない、と思っている。だから
俺は、ほとんど独学に近かったな。ただし大学の ESS (The English Speaking Society)
では先輩たちから刺激を受けたけどね。でもあれだって、結局は独学がほとんどなんだよね。
サークル活動では、すでに自分が独学で覚えて来た英語知識を駆使して、
ただひたすらしゃべるだけだったからな。 >>235
あなたの語学学習遍歴やこの場にいる人が英語以外に精通しているかなんて関係なく
「日本語だけを引き出して英語と比較する」という事自体が推論方法として間違っていると指摘しています
あと、あなたのドイツ語の思い出は誰も聞いていません >>240
2022-(13+54)=1955
1955+18=1973
1973年当時の国立大学の学費は見つからず、1975年(昭和50年)のものが、
授業料36,000円、入学料50,000円、検定料5,000円
以上文科省による「国立大学と私立大学の授業料等の推移」より抜粋。
私立大学においては、
授業料182,677円、入学料95,584円、検定料9,647円
以上文科省による平均値。
貧乏だったと名乗る人物が通常入学するのは国立大学と思われる。
また、外国語大学を標榜する国立大学は東京外語と大阪外語(現阪大)の二校。
(公立の神戸市外大もあるが)
この中であくまで一般論というか経験論だが全国区で「外大」と自称するケースが多いのは東京外大のみ。 神戸外大だ。そこは、俺が通ってたころは、たぶん日本一、学費が安かったと思う。
入学金が 15,000 円だったかな?1年間の学費も 1,500 円。ということは、4年で
俺は卒業したから、4年間の合計で 75,000 円の学費を払った。それ以外はびた一文さえ
払ってない。もちろん寄付金なんかもない。生協に1万円ほどはらったけど、それは
卒業の時に全額、返してもらった。俺は神戸市民じゃなくて外から通っていたから、
それでも学費は二倍もした。神戸市民なら、俺の払った学費のちょうど半分だった。
大学とか学校とかを信じないんなら、大学にも入学しないで一人で家で勉強する
なんていう人もいるが、俺にはそんな度胸はなかった。一応は、大学を卒業した
という証明書がないと、そのあとの就職などで苦労するからな。もちろん、天才とか
金のある奴は別だ。
ところで、ときどきいちいち俺に突っかかってくる奴がいるが、それはなるべく
無視していく。できれば最初から NG 登録する。
劣等感がよっぽど強いのだろうが、知的あるいは客観的かつ礼儀正しいかのような
態度を装いながら、巧みに俺を侮辱する連中が跡を絶たない。
そいつらは翻訳機を使って自分たちの使うブタ語を人間語に翻訳してここに
書き込んでいるんだろうが、そういう面倒なことをやめて、いつものように
どろんこ遊びしながらブタ飯を食らってればいいんだ。
>>入学金が 15,000 円だったかな?1年間の学費も 1,500 円。ということは、4年で
訂正:
入学金が 15,000 円だったかな?1年間の学費も ★15,000 円★。ということは、4年で
今はどうか知らんが、その頃の神戸外大の入学試験は、次のような感じ。
国語 100 点
英語 200 点
数学 100 点
社会 100 点
大昔のことだから記憶間違いもあるかもしれんが、上のような感じだったと思う。
合格ラインは、300 点。つまり全体の 60% を獲得すれば合格。英語で満点
またはそれに近い点数を取る自信があれば、あとは 100 点を取りさえすればおしまい。
だからくだらない受験勉強に人生を浪費する必要もなかった。その点は感謝しないといけないと
思っている。
私立なんて行く金があるわけないもんな。もちろん下宿もダメ。それから、
アルバイトで自分の学費も食費も自分で払い、住居費の一部を親に手渡してもいた。
だからくだらないアルバイトで常に忙しかった。アルバイトの傍らで勉強すると、
結局は遊ぶ暇なんてあるわけない。
命を賭けて勉強しないと、たとえば
25 歳くらいで何らかの分野でプロになることは難しい。だからせめて英語だけは
4年以内にプロレベルにまで達しないといけないと思っていた。
まあ、気が狂う寸前まで勉強したな。そのように言うと、人は「そんなバカな」と
言うけど、ほんとに気が狂う直前かと思うほど頭が疲れ切るっくらいに、
頭の中が常に英語で渦巻いていた。一日中、英語で独り言を言ったりする。
トイレや風呂などでも英語をつぶやき続ける。歩く時ももちろんそうだ。
その頃にはまだ CD とか DVD とかビデオもない。二か国語放送もない。
英語を聴くためのテープ(オープンリールのテープ」さえ、まともには
売っていない。映画館に入る金もあまりない。
それじゃ、どうするか?読むしかない。ただひたすらペーパーバックの洋書を
読んだな。
>>245
そうですか、神戸市外大でしたか。外れてしまいました。
それにしても学費が安いですね。びっくりします。
ところで私の予備校時代の一番印象に残っている講師はあなたと同窓ですよ。
長文読解の授業がとても分かり易くて覚えています。 145,157です
ID:n1C6yvaN0さんにID:8xP1dQmv0さん、学習法から先達の参考文献まで色々ご教示ありがとうございました。1つづつためしてみて自分に馴染むものを取り入れていきたいと思います。
お恥ずかしい話松本さんについては存じませんでしたが、図書館にて探してみようと思います。
三年英太郎のことを論理的じゃないとか言ってたわりに
本人が一番論理的嗜好が出来ていない67歳のおじいちゃん
昔の人って学校でディベートの授業とか受けてないから議論と喧嘩の区別がつかずに
まともな反論に対して逆上する人が多いイメージがあります
>>233
パーソナリティ障害
同じことやって文学板も追い出されてた >>208
>後にフランス語の学校に 18 か月ほど行った
フランスの語学学校に行ったといってたのに、「フランス語の学校」に変わってる…
就学ビザ見せてみ?で嘘がバレるからね ファウスト原文で読みたいな~ってドイツ人に言うたびに、あれは古くてむずいぞとたしなめられるのだが🤔
600時間お勉強なすって um ... zu V もご存知なかった長文先生が正しいのか、ドイツ人が正しいのか…🤔
>>246
駿台には神戸市外大出身者はいなかったな 兵庫県神戸市須磨区若木町四丁目
というのは須磨離宮公園の近くか
神戸市外大でたのよりアテネフランセでましたの方が知名度が高そうな気がする。
>>253
神戸市灘区にあって、そのころは幼稚園並みに小さい大学だった。
ほとんどが木造。学生の総数は、大学院生を含めても 1,500 人くらい。
今は大きな大学になってると思うけど。 wiki 見ても須磨区の上のところ以外の前の住所は無かった
驚きです。灘区ですか
灘区のどこら辺ですか?
今何人かはwiki見ればわかるけど、覚えてない。
外大は何やってるんだろうなという不思議な大学に見えた。
食堂が美味しい。大学祭が洒落ている。学生の質が良い。
何とかこの短い小説を今日中に読み終わりたいと思って、頑張った。
やっぱり Henry James はすごいと思う。今日読み終わったのは
Henry James, Washington Square, 190 pages くらい
10か月ほど前に読み終わった Henry James の小説は、
Henry James, The Portrait of a Lady, 610 pages くらい
両方とも素晴らしい。よいものはいろいろと読んできたとはいえ、英文で読むのは
やっぱりいまだに苦しい。さらには、19 世紀の文学となるとさらに苦しい。
しかし、Henry James は、少なくともこの2作品に関して言えば、会話文が実に
生き生きしていて、流れるような心地よさを感じさせる。俺はまだこの作家について
詳しく知ってるわけじゃないけど、俺のど素人としての今の感想としては、
Henry James の魅力は、会話文の流麗さと心理描写の巧みさ。殺人が起こるわけでも
革命が起こるわけでも何でもない平凡な筋書きのように見えるけど、文章が
あまりに流麗だから、あまり疲れを感じさせない。
>>258
かなり昔に神戸外大はどこか俺の知らないところに移転して、大きくなっていると思うけど、
俺が通ってた頃の神戸外大は、阪急六甲駅から北に歩いて 15 分くらい。
国鉄(そのころは国鉄であって、JR ではなかった)の六甲道駅から歩いて 25 分。
それ以上のことは覚えていない。町の名前も、道も覚えていない。 俺が読んだこの二つの小説に関する限りでは、主役はあくまで女性だ。
両方の小説において、主人公の女性は若い時からすでに金持ち。俺は
19世紀の英米での法体系についてよく知らんので、親から子供がどのように
遺産を相続したり、一年あたりにどれくらいのお金を受け取れるのかなどという
細かいことが小説に書かれるのだけど、システムがよくわからない。
でもともかく、The Portrait of a Lady の女主人公は、もともと平凡な家庭に育って
経済的にも裕福ではなかったのに、何かの関係で遠い親戚のおじさんか誰かの
遺産を受け継ぐことになって、若くしてけっこうな金持ちになってしまった。
Washington Square の方では、New York の Manhattan の中央部にある
Washington Sqaure が舞台なんだけど、女主人公は母親が死んでその
財産を若くして相続した。ただし、能力も平凡で容姿も平凡(はっきり言ってブス)なので、
医者である父親がその実の娘のことが本気では好きになれないようだ。
生きていたころの妻が実に美しく利発だったのだが、その頭脳と美貌とが
娘には遺伝しなかったようだ。
しかし幸いにして、その平凡な頭脳と容姿を克服して、周囲の男女からとても好かれる
女性へと成長していく。
19世紀あたりの小説を読んでいると、should という単語が出てくる頻度が現代よりも
異常に高い。現代英語に慣れきっている俺たちにとって意外なところに何度も
should を使っている例を、今さっき俺が読み終わった小説の最後の方から抜粋する。
He closed with an intimation that his professional pursuits might compel him to travel
for some months, and with the hope that when they ★should★ each have accommodated themselves
to what was sternly involved in their respective positions -- even ●should● this result not be reached
for years—they ◆should◆ meet as friends, as fellow-sufferers, as innocent but philosophic victims
of a great social law.
現代アメリカ英語なら、上の3つの should は、それぞれ次のようになるだろうな。
(1) when they should each have ---> when they each have
(2) even should this result not be reached ---> even if this result is not reached
(3) they should meet as friends ---> they would meet as friends
Should you not like to...?
Shall you...?
とかいう表現も、19世紀の小説には会話文として盛んに出てくるな。この下に挙げるのは、
同じく "Washington Sqquare " (1880) より。
(1) But the next day he spoke to her of his own accord, and his manner was somewhat changed.
“★Shall you be★ married within the next four or five months?” he asked.
(2) “★Shall you be★ angry if I speak to you again about him?” she asked.
次のものも、"Washington Square" に出て来た会話表現。
(1) “What sort of thing ★should you★ prefer?”
(2) For instanc -- ★should you★ object to leaving New York—to going to a d
他にもたくさん "should you" が出てくるし、他の単語の並びの中で現代アメリカ英語
では出てきそうにない should がポンポンと飛び出してくるけど、それについて
調べたい人は、Project Gutenberg でこの小説(あるいは他の古い小説)の文面を
引き出して、そこで自分の好きな表現を引き出してみてほしい。
同じく "Washington Square" にて、次のような一節もある。
He (= Morris Townsend) has grown fat and bald, and he has not made his fortune.
But ★I can't trust those facts alone to steel your heart against him★.
(Henry James, "Washington Square," Chapter 33 の冒頭から30行目あたり)
上の★印をつけたところを見てほしい。文脈がわからないとはっきりとは
意味がわからないかもしれないが、文脈を加味して訳すと、次のような感じ。
「(あの男はあれから太ったし頭も禿げて、財産も築き上げていない。
でもそういう理由だけでは、お前があの男に惚れないで済むと安心はしていられないからな。」
>>267 の台詞は、医者の Dr. Sloper が娘の Catherine と昔の恋人 Morris Townsend と
の結婚に大反対した結果、ついに二人は結婚を諦めて若い男は遠ざかるのだが、
20年だったか30年だったか忘れたが、かなり年数が経った後に元の恋人が
元の町に戻ってきた。その男がものすごい美貌だったころとはまるで違う
風貌になって衰えて太ってしまって、しかも貧乏なままでいるけれども、
だからと言って娘の恋心がまた再燃しないとも限らないから、父親としては
安心できない、と言っている。
そういう意味の日本語を英語で表現するときに、できるだけ簡潔な形で
しかも自然な英語で言おうと思ったら、俺などは四苦八苦するが、
この小説に出て来たような見事な英文で表現できるのだということを
小説を読んでいて教えられる。
いかにして自分の言いたいことを自然で簡潔な、そしてできれば流麗な英文で
表現したいと四苦八苦していて、Twitter で英文を書く時も頭を悩ませ、
翻訳の和文英訳の仕事でも苦労しているが、そういうときのために頭の中に
たくさんの材料を収めたデータベースを構築しておかないといけないのだが、
そのためにも普段から大量のよい英文を読んでおかないといけないわけだ。
すでに紹介した松本亨(まつもと・とおる)は、「英語で考える」という
本の中でしきりに「しっかりした英語で考えたりしゃべったり書いたりできるように
なるには、ただひたすら大量の優れた英文を読めばいいのだ」と力説しているが、
高校生だった俺は本気でそれを読み、それをそのまま今まで何十年も実行し続けてきた。 なんかこのスレ独演会場みたいになってますな~ ^^ ワロタ
>>235
ワイのドイツ人彼氏(リアルインテリ)に、ファウストの文体についてきいてみた
For most present Germans it's simply too difficult. There is a noticeable decline in education. They don't know older words, they don't have any ideas of the cultural references, they don't understand the use of grammatical cases instead of prepositions, and the sentences are too long. Idiocy has become the standard.
また適当ぶっこきましたねー🙄 神戸外大調べたけど、阪急六甲の北15分ということだけど
どこなのかわからなかった。地図見たら、松蔭女子大学と神戸大学がある。
どちらかの敷地だったりしてね
大学みたいな大きなものが移転することもあるんだな
と思った。前の場所もわからないようなふうに。
>>270
めちゃくちゃむずい。
cultural referenceというのはその文化に浸ってないとわからない言葉の
ことなんだなと思った。例えば、インターネットが普及する前の中辞典で調べてもでてない口語とか。
use of grammatical cases というのは、難解語とか言わずに前置詞を使って難しい名前のついた言葉
というようなものですか?僕も言葉知らないな。 初めて読んだ洋書がデイジーミラーだった
あの本難しかったのか、、
>>271
そうそう。神戸大学。松陰は覚えてないけど、神戸大学なら、俺が外大に通ってた
ころは、すぐ隣と言っていいくらいに近かった。歩いて5分か10分くらいのところに
隣接してたような覚えがある。今はもしかしたら他の大学の敷地になってるかもしれないね。
というか、昔の神戸外大が取り壊されてからすでにたぶん30年くらいは経つだろうから、
まったく違った風景になって当然だろうけど。そもそも外大が幼稚園並みに小さかったから、
他の持ち主が吸収するのは簡単だったろう。 (限定詞だけじゃなくて)名詞自体ももっと屈折してたんじゃないの?🤔
それはともかく、ファウスト原文が簡単に読めるなんて言ってるドイツ人に会ったことないです
位置的にはどんな感じでした?下から登っていくと、松蔭が左、つまり西。
神戸大学は右上にあった。神戸大学の校舎よりも山の下側にあれば、そこは昔なかった理学部
の敷地
>>276
最初何のことかわからなかったけど
そういえばドイツ語は前置詞にあたるものとかいろんなものが集まって
長い言葉になってるばあいがあったような。関口存男を読むとそういう昔のことも書いてるのかな?
松蔭女子学院も、昔は神戸市北野に最初あって、大学を神戸市垂水区に作って1990年前に
今の神戸大学の近くに移したらしい 何言ってるのか(18世紀のドイツ語の知らないので)よー分かりませんが、現代独語文法完璧&語彙完璧なドイツ人でも、ファウスト読むにはそのための訓練がいるってことですね
3行読んだけで分かるかいな
シュラーフ グート😴
>>277
すまんけど、松陰さんのことは知らない。もしかして、俺が外大に行ってた頃はそういう
大学がなかったんじゃないかな?神戸大学の正確な位置も覚えてない。
なんせ 44 年以上も前の話だし、俺は天下一品の方向音痴。自宅の近くを歩いていても、
いまだに道を間違って迷子になって、他人に道を聞いて歩くと、またもや迷い、
結局は4時間くらいかかってやっと家に戻ることもある。 >>274
Henry Miller の "Daisy Miller" (1879) か。俺はそれをまだ読んだことがなかったから、さっそく
紐といてみた。
俺が持っている Library of America 版では、58 pages の novella だな。そのうち、
最初の 20 pages ほどを読んだところだ。不思議なことに、143 年前の作品の割には、
わかりやすいと感じる。(今のところそう感じるだけかもしれんし、あまりよくわからん
単語が出てきてもすっ飛ばしてしまってるんだけど。)ともかく粗筋を追いながら
ストーリーをワクワクしながら楽しむだけなら、決して難しくない作品だと思っている。
残りの 2/3 つまり 40 pages ほどは難しくなるのかもしれんけどね。
Switzerland の Vevey という町で病弱な叔母の世話をしているアメリカ人の若い男 Winterbourne が
主人公で、同じくアメリカ人の Daisy Miller というものすごくきれいな未婚の若い女
に出会って、その魅力に参ってしまいそうな状態。この続きを読むのが楽しみ。
今のところは、19世紀特有の古めかしい用法や単語があまり出てきていないような
気がする。Henry James がものすごく難しいとよく言われるが、それは後期の作品の話
なのかもしれん。まあともかく、前期の作品を読んでいって、少しずつ後期の作品にも
触れていきたいと思っている。
それはともかく、この Daisy Miller という作品に出てくる魅力的な女の子の話を
読んでいると、読者はみんなワクワクすると思う。やっぱり文章がうまいな。
特に会話文が群を抜いているんじゃないかな。 OED Online が戻ってきた。この4か月ほど、ずっと OED の会社(Oxford University Press)
にメールを何度も送り続けてきた。俺のせいで OED Online の購読料のさらなる1年分を
払えなかったのではなく、OUP の会社の内部でシステムの大々的な拡張をしているんだが、
エラーが出てしまって、俺だけでなく他の一部のユーザーもアクセスできなくなってしまっていたんだそうだ。
そして今、鋭意、OUP の会社ではその問題を解決しようと取り組んでいるが、いつになったら
それが解決するかわからんそうだ。だから仕方なく、俺に1か月分の無料アクセス
の権利をくれた。OED Online が戻ってきて、俺はうれしい。これから俺は、
どんなに貧乏になっても、年間 18,000 円ほどの購読料だけは払い続けるぞ。
OED Online が戻ってきて、うれし過ぎて、仕事が手につかない。笑ってばかりいる。
>>281
Henry Millerは猥雑で難解な小説を書いてて、北回帰線という作品があったというのは昔調べて
知ってます。daisy millerはhenry james の作品です >>282
oed might not dislike you.ということでとりあえずおめでとう。
>>280
神戸市外大があった候補としては松蔭か、神戸大学の理学部や工学部かなと思っただけです。
学芸大が池袋西口公園にあったとか、東京外大が大塚の方にあったとか、驚きですよね。
中央だってどこにあったかわからない。 神戸市が偉大といえば
神戸市外大といえば、私の兄弟もそこの卒業生だ
私の兄弟たちは皆外国語を専攻
私だけ違うけれど、独学で学んている
>>294
Henry James と Daisy Miller とが混合して、うっかり Henry Miller と書いてしまっていた
ということに、あなたの書き込みを読んで初めて気づいた。 時代が古くなれば英語も日本語も、今とは違った言い回しをするが、大きな違いではなくて
かなり小さな違いもある。たとえば日本語では次のようなもの。
************************
保吉は途方に暮れたから、小便だけはしつづけたまま、出来るだけゆっくり横向きに
なった。
「困りますなあ。」
男はぼんやりこう云った。何だか当惑そのものの人間になったような声をしている。
保吉はこの声を耳にした時、急に小便も見えないほど日の暮れているのを ★発見★ した。
芥川龍之介の「文章」より
************
最後に出てくる「発見」。現代日本人がこのように言うと、大げさに聞こえると
感じる人が多いだろうと思う。「気づいた」とかいうふうに現代日本人なら言うだろう。
140 年くらい前の Henry James にしても、その他の 19 世紀の作家の文章を読んでいても、
現代の感覚でも十分に読みこなせるところでも、このように微妙に現代とは
違った言葉の使い方をしている。そこが面白いと俺は感じる。ただ、現代と微妙に
違う言い回しを覚えてしまって、うっかり通常の会話とかメールでもそういう使い方を
してしまっては困ると思う人にとっては、厄介な問題となる。
>>289 で述べたような、単語などの微妙な使い方の違いについて。Henry James を
読んでいても、そういうものが実にたくさん見つかる。
... and when the second day was ended he ★determined★ to postpone his departure till the morrow.
(Henry James, "The Portrait of a Lady")
上の determined は、自動詞として made up his mind という意味で使っている。
Henry James を読んでいて、たとえばこの 600 pages だけのものを読んでいても、
何度も何度もこういう用例が見つかった。
現代なら、he was determined to do というふうになら普通に使う。しかし自動詞と
して he decided to do という意味で he determined to do とは、あまり言わないのではないか?
そういうふうな、自動詞としての determine の使い方について、このスレで以前、他の
人が質問していた。
その質問を受けた後、ずっと後になっていろんな古い小説を読んでいるときに、
まさにこの自動詞としての determine に出会った。
determine だけでなく、実にたくさんの単語や熟語などが、現代とは微妙に違った
使い方で古くは使っていたのだろう。
そういうことを意識しながら古いものを読むことは楽しいとも言えるし、面倒だと
感じる人もいるかもしれない。 たとえばすでにこのスレで述べた
make love to someone
my lover
we are lovers
to be intimate with someone
intimate friends
というような言い回しにしても、読んでいてすぐに意味はわかるとしても、
現代と、たとえば 100 年以上も前とではいくらか意味合いが違ってくるので、
現代英語をまだ十分には知らない人が19世紀以前の英文ばかり読んで、そのうえで
英米で日常生活をすると、最初はいろいろと誤解を招いて大変だということになろう。
だからこそ、あまり現代英語を知らないのならまずは現代英語ばかり読んだり聴いたり
した方がいいかもしれない。そしてどうしても古い文章も読みたいと思う人は、
日常では英語を使わないようにするか、あるいは古い文章の傍ら、常に大量の
現代英語も読んだり聴いたりした方がいい、ということになる。
そんな面倒なことをする暇がないというような、たとえば理科系のエンジニアなどは、
理科系の論文を読んで、その傍らで仕事関係の会話をするだけで忙しいので、
結果として古い文学なんて読んでられるか、ということになる。
僕はもちろん、そういう実務系の人に古い英文まで読んでほしいなんてことは
言わない。みんな好きなようにすればいいのだ。僕は誰に対しても何も期待していない。
ただ、本当に英語を重層的・多角的に理解したいと思うなら、そこまでやった方がいい
と言っているだけのことだ。
何でこんなことをいちいち書くかというと、俺が何か言うたびに、必死で
「そんなことをする必要はない」とか「そんなことをしなくても、これこれだけで
十分だ」と言い、あたかも俺がくだらないこと、無駄なことを言い続けているかのように
言って攻撃をかけてくる連中がいつもいるからだ。
あるいは、「お前はそんなことを言っているが、どうせおまえ自身もそんなことを
やってきたわけじゃないだろ?いろんなことをやり続けたかのようなふりをして
威張りたいだけだ」と言う人も多い。
自分には必要ないと思ったり、つまらない意見だと思ったりしたら、
それをそのまま無視すればいいだけのことだ。何でそう必死になるのだろうか?
どうせネット上の話だから、一瞬にして相手のコメントを自分の視界から消すこと
もできる。いくらでも無視できる。
>>286
私だけとおっしゃるけど神戸市外大じゃないんですか?
そういう話だったから神戸市外大だと思っていた。
神戸のおじちゃんは垂水区にいたのですが、そこの人
(お亡くなりになってるんですが)は灘を出てる。
すごいなあじゃなくて、灘が進学校になったのは
神戸市で学区割ができて、公立高校の進学に制約が
かかるようになってから、進学校にしようとした
人が校長になってからだと聞いたことがあります。
僕のおじちゃんの頃は戦前でして、それで
灘は近所にあった普通の中学、高校にすぎなかった
わけです。
昔は大学への進学率が高くなかった。戦前か戦後直後
だから神戸市外大も、おじちゃんの進んだ神戸商科大学も大学じゃなかったかも知れない。
おじちゃんはそこの学校を出て、商社を友人数人と
やってたのですが、ガンで亡くなりましてね。
近くに大学があって気楽に進学できるというのは
いいものですね。 前スレより
847名無しさん@英語勉強中 (ワッチョイ d689-G1eK)2022/08/05(金) 16:48:38.97ID:0jrg/Q/U0
>>825
原文: What have I done, I wonder, ★that★ to me should have been decreed
the love of two such women as Marie and that of Stella, also now long dead,
to whom alone in the world I told all her tale?
どうやら結論が出たような気がする。OED を引かないと埒が明かないと思ったが、
手元にある The Shorter Oxford English Dictionary (SOED), Sixth Edition, 2007 にも
きちんとこういう場合の that が紹介されていた。
SOED の解説に基づいて結論を分かりやすく言うと、この原文に出てくる that は
that S should [do something]
という形であり、目的や意図を表す。だから「〜が〜になるように仕向けるために、
私は何をしたというのだろうか?」(二人の愛が私向けに与えられる(命令される)
ように仕向けることになるようなどういう善行を私はしたというのだろうか?)」
という意味になる。 >>847 に書いてある通り、
SOED の解説に基づいて結論を分かりやすく言うと、この原文に出てくる that は
that S should [do something]
という形であり、目的や意図を表す。
ということだ。ということは、この should は「意外性を表す should (たとえば
It is surprising that 主語 + should というときの shyould)」ではない。
あくまで、現代英語によくある so that 主語 + may, can, will, should のようなものと
似ていて、古くはその so がなくて "that 主語 may, can, will, shall, should" という
形で、目的や意図などを示していた。
そのことを前スレで俺は SOED から
情報を提供していた。その時には俺は OED Online を(Oxford University Press
社内のシステム上のエラーのせいで)手元で使うことができなかった。
今は手元にあるから、OED Online からも解説を引用する。 以下は、OED Online からの抜粋。前後の関係がわかりにくいところは、適当に
飛ばして解釈してほしい。
OED Online の that の項目の解説。
II. Introducing a clause expressing purpose or result, and related uses.
2.
a. Introducing a clause expressing purpose, end, aim, or desire: with simple subjunctive (archaic), or with may (past tense might), should, or rarely shall, will.
After will, wish, pray, beseech, and the like, the function of that combines this sense with that of sense 1.
See also may v.1 9.
When strictly expressing purpose, in order that is now more usual: see order n. Phrases 6; simple that is archaic or literary. Cf. also so as that at as conj. 27b, so that at so adv. and conj. 23.
(OED Online にはこの後、実にたくさんの用例を見せているが、あまりに古い時代の
ものは英語が古すぎてわかりにくいので、1600 年以降のものだけを抜粋する。)
(続く)
(続き)
1600 R. Surflet tr. C. Estienne & J. Liébault Maison Rustique iii. xii. 447
To the end ★that you may★ not faile of this worke of imping.
1683 J. Moxon Mech. Exercises II. 51
This cutting down..is made..★that the Cramp-Irons..joggle ★not on either side off the Ribs.
1683 Trial Ld. Russell in Lady R.'s Lett. (1807) p. xlvi
We pray for the King ★that the challenge may★ be over-ruled.
1708 London Gaz. No. 4454/3
This is to Advertise all Persons, ★that they do not lend★ her any Mony.
1816 J. Wilson City of Plague i. ii. 67
(続く)
(続き)
Give me one look, ★That I may see★ his face so beautiful.
1874 A. J. Christie in Ess. Rel. & Lit. 3rd Ser. 50
Christ..had prayed ★that Peter's faith should★ not fail.
(この上の例では、that のあとに should が現れていて、今回の課題文に出てくる
"that 主語 + should" と同じ形なので、特に注目してほしい。)
1905 E. M. Forster Where Angels fear to Tread vii. 236
He stood..filled with the desire ★that his son should★ be like him, and should have sons like him, to people the earth.
(この上に出てくる should も、特に注目してほしい。)
1936 H. Read Surrealism 81
Blake labours in hope ★that Enthusiasm and Life may★ not cease.
2013 Daily Tel. 15 Nov. 25/4
Its mission involves sending experienced surgeons to hospitals..to train local staff with the aim ★that they will★ take over.
(以上は、OED Online の 2022 年6月版より。)
help についての質問です。
helpはよくある文法書では「to 不定詞」と「原形不定詞」を取ると説明され、どちらも意味は変わらないように受け取れるように感じます。
少し突っ込んだ文法書でも「ネイティブは原形不定詞を使う方が多いようです。」(←少し記憶で書いてます。)
と説明されるだけです。
しかし、toのコアイメージと原形の持つイメージ(時制に制約されないため確定していない)からすると両者には違いがあるように思われます。
知恵袋でも2021/5/27付の質問で、
「私は彼が勉強するのを手伝います。
I help him study English.
なぜtoが省略されているのでしょうか?
helpの他にtoが省略される語句がありましたら教えてください」
の質問に対し、
「★この2文の違いを敢えて言いますと、前者は「彼が自分で実際に勉強する。それに手を貸す。」、
後者は「私が彼に手を貸して、勉強するようにする。」となります。「to」があることで出来事に
時間差が生じます。ないと、出来事が同時に起こることを示します。この区別は大事ですので覚えて
おいてください。使役動詞等に「to」が付くものとないものがあるのもこれで理解できるでしょう。」
と区別している方もおられます。
これについて明確に述べている文法書をどなたかご存じないでしょうか?
私に関しては意味は同じだけどtoのありなしで彼に関しては出てくるニュアンスが違う
I help him to study English. 手伝おうとした 彼が実際勉強したかどうかは分からない してないかもしれない
I help him study English. 彼も実際勉強したときにだけ言える言い方
なんでこの違いがあるかは説明の通りtoで時間差のイメージが出るから
to不定詞と裸不定詞で時間差がある?😳
どゆこと?
>>210
>全部で3時間ほどラテン語初歩の解説をしている
この方、フィリピン人の英会話教室や、中高の英語教師、このスレの回答者等には、「そんなレベルでデタラメ英語教えやがって」と激怒するのに、
自分は、🌟一文だに辞書なしでは読めない言語のレクチャーしてる🌟んだ?
んで、あれだけコテは大嫌いだって言ってたのに、またコテ付けるんだ?
相変わらず、言ってることとやってること違いすぎますよ?🤔 >>299
>前者は「彼が自分で実際に勉強する。それに手を貸す。」、
後者は「私が彼に手を貸して、勉強するようにする。」
toの時間差ってワードだけに注目しすぎたが、ここの部分は>>302のCGELの記述と調和的に思われた🤔
が、この意味の差を to 不定詞の時間差で説明するのは無理でしょう🤔 ★I help him study English.
★I help him to study English.
この2文の違いを敢えて言いますと、前者は「彼が自分で実際に勉強する。それに手を貸す。」、後者は「私が彼に手を貸して、勉強するようにする。」となります。「to」があることで出来事に時間差が生じます。ないと、出来事が同時に起こることを示します。この区別は大事ですので覚えておいてください。使役動詞等に「to」が付くものとないものがあるのもこれで理解できるでしょう。
知恵袋.ヤフー.co.jp/qa/question_detail/q14243784844
もう一度考えてみたけど、やっぱ知恵袋の回答は合ってないように思われた😶
英語やり直し初心者です
等級、.比較級、最上級のときの、
1
・He speaks English (the)best in my class.
この()内はつけてもつけなくてもOKてことなんでしょうけど、どちらがよく使われるでしょうか?
2
・He swims faster than me(I).
これもどっちでもいいってことなんでしょうけど、どっちがよりポピュラーでしょうか?
Iのほうは I swim の略であろうことはわかります
3.
・You must study as hard as she does.
これはas以降はsheやherだけではダメなんでしょうか?
>>306
I helped him to study English. But, it was in vain.
Because he doesn’t have any motivation to study anything.
という文章はあり得なくて
If he keeps in mind what I taught then, he will mark a high score in a next week examination.
みたいな文章しかあり得ないんですか? >>308
間違ってると思う、他の人がもっといい答えをくれると思うけど、
書きますと、
1. Which dress would suit me best for the ceremony?
式にはどの服がいちばんいいかしら
というbestの使い方ですがthe best の例が辞書見たら載ってなかった。
2. 私は彼より背が高い(◆ 後ろの動詞を省略しない方がふつうで,... than he とするのはかなり(堅).⇒PB 77)
彼女は私より背が高い」は She is taller than I am. がふつうで,(口)では ... than me. も使われるというのが通説である.その妥当性を検証した.
(a)She is taller than I.
(b) She is taller than me.
(c) She is taller than I am.
(d) どれも使わない
(a) を使う人は15%と少なかった.「文法的には正しいが,ふつうは使わない」 「非常に(堅)あるいは(旧)」とのコメントが多かった.(b) を使うと答えた人は83%と最も多く,次いで (c) が76%だった.「(b) と (c) で意味の違いはない」という回答が多いが,「(c) は (b) よりも(堅)」 「文法的には (c) が正しいが,(b) もよく使う」などの指摘も目立った.
3. as hard as の二つ目のasは接続詞であって、前置詞ではないので、
as hard as herというふうに接続しの目的格のつもりでherとはできません。
she でダメかどうかはしらない。 >>308
3について訂正
sheやherが来ても大丈夫です >>311ごめんなさい。
さらに訂正
You must study that hypothesis as hard as this one.
というのはありです。 >>308
1. 私にはわからない
2. >>310さんが答えている. 蛇足を.
聖書より.
(NIV) Matthew 1:9
But after me comes one who is more powerful than I, whose sandals I am not worthy to carry.
(KJV) Matthew 1:9
but he that cometh after me is mightier than I, whose shoes I am not worthy to bear
(NIV) Samuel 24:17
“You are more righteous than I,” he said.
(KJV) Samuel 24:17
And he said to David, Thou art more righteous than I
NIV でも KJV でも than I という表現が使われている.
>>310 の a, b, c は、いずれも使われるが、預言者ヨハネは than me とは言わず than I と言うのだろう.
一方、今の時代で3歳児が、He is stronger than I みたいに言えば、彼はヨハネの生まれ変わりか、と人々は思うかもしれない.
(とは大げさすぎるだろうし、私の回答が全く間違っているかもしれないが、than I と than me の違いはこういう感じかもしれない.)
than I am は、ニュートラルで、よく用いられると思う.
もし質問者が、隠遁している賢者なら、than I を、ナウい若者なら、than me を用いればよいのではと思う.
前半が be 動詞ではない場合にも、than me という表現は可能なようだ.
She can run faster than him.
しかし私は詳しくないので、この部分は今調べて述べているだけ. >>308
3. as ? as me という表現は用いられるようだ.
He probably had a couple of kids and a wife who worked as hard as him.
as I は知らない. 詳しくないので、他の人に任せる. >>306は知恵袋の回答で、考えた末にわたくしはこれは正しくないと思う🤔
>>300は
SVOOとSVO to/for Oの比較で使われるやつと間違えたと思われる🤔 >>313
★I help him study English.
★I help him to study English.
この2つに違いがあると言ってる英国系学者は、前者の方が、助けの共同性が高いと言っているのである。Dixonの解釈が具体性があって分かりやすい🧐 >>308
1 普通副詞wellの最上級やし付けんのが圧倒的に多いやろな
副詞にthe付けるのをまず見たことないから何で構造的にtheが入れられるんやら正直分からん
2 英語圏でも意見が分かれるところで全部はhttps://www.lexico.com/definition/personal_pronoun を見てほしいけどつまり、主格を使うのみが規範的に正しい形やけど大体のネイティブは主格で言われても不自然に聞こえるようになっとる
堅い文章ではIが使われると思うけど柔らかいんやったらmeである方がほとんどやないか
https://en.wiktionary.org/wiki/than#English ではthanは接続詞前置詞両方の機能を持ち、その下で規範主義者は実態から乖離していることを主張していると指摘されていることが書かれている
3 asも面倒で、as…asやったら前のは副詞やけど後ろのは辞書によって副詞か前置詞か違うねんな
https://en.wiktionary.org/wiki/as Etymology 2の上に書いてあるのを見ると、前置詞の後ろで現代の英語では動詞が要ると書かれている
一方他のサイトも見てみると副詞の後ろとして動詞はある傾向が強いところも、無い傾向が強いところもある
助動詞とdoが対になるこの場合も、多分doesを省略してええかどうかは微妙で省略せん方が間違いないが省略されることも実際多いやろうなと
単純なbe動詞同士一般動詞同士の対やったら省略される可能性が高いが前と後ろの句の文法構造が異なるほど省略される可能性が低なるんちゃうか
sheかherかはthanと一緒やから英語の人称代名詞で調べたらええと思う howeverって接続詞じゃなくて副詞らしいけど
I like summer, however, I do not like icecream.
てのをエッセイで書くのは間違い?前にセミコロン置くべき?それともbut?
>>320
>>I like summer, however, I do not like icecream.
それはたぶん間違い。そういう書き方は、少し下手な人が書いている場合に限ると思う。
実際には、次のような書き方なら、標準的な書き方として、印刷された本の中によく
出てくる。それから、icecream という書き方も、日本人を初めとする一部の人しか
使っていないように思う。ice cream が圧倒的によく出てくる。
(1) I like summer. However, I do not like ice cream.
(2) I like summer, but I do not like ice cream.
(3) I like summer. But I don't like ice cream.
(4) I like summer, but I don't like ice cream.
(1) は大げさ。たかが夏とかアイスクリームの話をするのに、However, を文頭に持ってくる
のが大げさ。
(3), (4) のように、but で十分だ。さらにこんなくだらない話をしているときに
do not なんていう言い方も大げさすぎる。don't で十分。 >>323
例えばエッセイのときでもくだらない話を一言いれる時ってそういう使い分けしますか?
do notをdontにしたり >>322
but を仮に文頭に持ってこようと、あらゆる場面で but は使える。
but を文頭に使ってはいけないなどというのは、ネイティブの小学校教師とか
日本人の英語教師が堅く信じ込んでしまっている迷信だ。
そういうことはすべて、
GRAMMAR GIRL
Can I Start a Sentence with a Conjunction?
というサイトとか、他のあらゆる英語で書かれた有名な英語文章読本の中で
口を酸っぱくして言われている。今だに日本語で書いてある本には、
ろくに英語を知りもしない自称専門家どもが偉そうにどうどうと「それは間違い」
などと書いているけど。 >>324
そういうのは、洋書をたくさん読んでいるとわかってくるけど、けっこう混ぜている。
do not などを主体として書いている本の中で、少しだけ don't, isn't などを混ぜている。
ただし俺は、どれくらいにそれが許容されているかとか、知識人たちがそれを
どれくらい許容しているかについいては知らない。頭の固い(英語圏での)
英語教師たちは、自分ではろくに英文を読んでいなくても、堂々と生徒に
デタラメを教えているらしいけど。 >>324
不安なんだったら、すべて do not で統一した方が無難だと思う。日本人教師とか
日本におけるネイティブ教師は頭が堅いから、できる限り保守的で古いやり方を
踏襲しておいた方が無難。 >>323の書いている通りで
however は but と異なり副詞なので2つの節を接続することはできない.
〈例〉I don’t like fishing but [×however] I’ll come with you.
釣りは好きでないけれど君と一緒に行くことにするよ
だそうです。
だから、However,….かな。
>>320の文なら
Nevertheless,….
もありだよね。
夏が好きだ、というのとアイスクリームが好きでないというのが論理的繋がりを持っている
と考えるのなら >>320はのhoweverは副詞だから間違いということか。なるほど ずっと気になっていたことを質問いたします。
なぜ英語だけが直説法の対義語を仮定法というのでしょうか。
所謂「非現実の仮定」ですが、仮定法と謂わずに接続法としたほうが文法的理解も更に進むと思います
学校文法の悪しき用語だというのは存じておりますが、フランス語もドイツ語もそして古英語でさえも
直説法の対義語は接続法なのに、なぜ「仮定法」と呼びならわすのでしょうか。
>>332
文法用語を知らない俺だから、文法用語の由来なんて余計のこと何も知らないけど、
大陸ヨーロッパの諸言語(つまりフランス語・イタリア語・ドイツ語など)と
古英語に比べると、現代英語の文法体系はものすごく単純だ。
中国語の文法体系ほど単純ではないけどね。だから、大陸ヨーロッパでの文法用語とは
違った用語を使わないと、英語みたいな単純な言語を説明するにはふさわしくないと思う。
そもそも、大陸ヨーロッパの諸言語に出てくる接続法は、subjunctive とか(フランス語の)
subjonctif とかラテン語の subjunctivus から由来する。それは sub + jungere というふうに
分解でき、jungere は joint みたいな意味合いだから、「下または横にくっつける
(つなぐ)」という意味から「接続法」と日本語に翻訳できるわけだ。
そして大陸ヨーロッパ言語では、文字通り言葉と言葉を「接続する」働きをしているから
その文法的な働きを「接続法」と言っているらしいのだ。
しかし英語の仮定法とかいうものは、別に接続らしきことをしていない。
まあ、もっと詳しい人が解説してくれるだろうけどね。ネット上を探したら、こういう
ことをくどくど解説してくれてる人もたくさんいるだろうよ。 >>332
明らかに仮定法の方が名前で意味わかりやすいやんw >>333
>>334
丁寧な議論ありがとうございます。
ドイツ語でもKonjunktivですし、主節に接続するという点ではおっしゃる通りだと思います
英語を含めた接続法は「勧告・命令・禁止・願望・後悔」を表現しますので、「仮定」法と
範囲を限定するのは文法的にも正しくないと存じます。
(また英語の接続法は古英語から続くものです。所謂びっくりのshouldは1000年前からあります)
学校文法という政治的なもので、言語というアカデミックなものが正しく使われないというのは
英語学習者にとって悲劇でしかないと思いました 内容でなく、名前でグダグダ言う意味が本当にわからないw
>>300
ありがとうございます。私はコアイメージからネイティブが使い分けているのかなと推論したので実は時間での説明は少し飛躍しすぎかなと思ってはいたのですが…。
3年英太郎さん、いや、3年英太郎様、丁寧な検証ありがとうございます。今までこの掲示板に書き込みしてきましたが、感謝の気持ちであふれています。
基本的にはtoがあろうとなかろうとネイティブはほんとに気にしていないことが分かりました。
また、コアイメージからの推論では説明できないことも理解しました。
紹介していただいたEnglish Studiesは保存しました。
本当にありがとうございました。
追伸;「英太郎はパソコン」って言って御免なさい。お許しを…。 >>320
howeverを逆説の副詞として使うときに節を繋げることはできんようやけど完全な文の中へhoweverを挿入することはようあると思う
用例見てたら主語の前、動詞の前、動詞の後、句の前、節の前、文末なりそこそこ自由に置けるみたいやな
I like summer; (1) I (2) do not (3) like (4) ice creams (5).
構文的にはこの括弧の場所やったら一応どこでもいけるらしいけど、文脈と意味から考えたらおよそ1,4,5に収まるんちゃうか コアイメージなんて言葉誰が発明して、誰が広めてたんだろ?
学習者のための便宜なんだろうか?
研究室のパソコンはいろんな人が使う
インターネットアドレスが同じでも書き込みをしてる人が違う
英太郎はそんなパソコンだ、というやつだったような。
>>338
文末で用いられることは比較的少ない
ということらしい I like summer. I, however, do not like ice cream.
上のような言い方をすると、今回の文章においてはちょっと変な感じが俺にはするんだが、
それは俺の気のせいだろうか?
上のように言うと、どうしても however の前の I を強く発音せざるを得ない。そうなると、
「他の人たちはどうか知らんけど、私はだな、アイスクリームが嫌いなんだよな」
という感じになるんじゃないだろうか?
(続く)
(続き)
だからたとえば
Mary likes ice cream. I, however, don't.
これならば、I のあとに however をつけるのがふさわしいだろう。そのことは、
この下に挙げる用例を見ても感じられるのではないだろうか?
重要な部分に★印をつけておく。
There’s no word on how Volodymyr Zelenskyy feels about being anointed a modern-day
Saint Patrick, but he probably has bigger concerns on his mind. ★I, however, do not.★
Sadly, in my ongoing search for a decent Bono poem, I still haven’t found what I’m looking for.
>>341-342 にて述べたことは、次の用例を見ていても言える。CBS のニュースサイトから
の引用だ。上の用例でも、この下の用例でも、まずは「別の人が〜している。
しかし私は、そうではない」というふうに、別の人と対照させて自分はこうなんだ、
と言いたいときに "I, however, 動詞" と言っている。
He did recently say it was "something to think about," so he's not ruling it out.
It still sounds like a terrible idea for him and his team.
★I, however, don't★ really need to concern myself with these matters. 原文に近い英文: I like summer, but I don't like ice cream.
この上の文に似たものを書くとしたら、俺なら次のように書くかな?
I like summer. Summer comes with ice cream. But I don't like it.
あるいは
I like summer, which comes with ice cream. But I don't like it.
I like summer but not ice cream
>>241-343 にて取り上げた件についての続き
Marie Claire Australia という新聞サイトからの引用。
However, he went on to affirm that he does not want the two boys, who have displayed
some seriously horrid behaviour on Bachelor In Paradise, to become public enemies.
“★I, however, don’t★ want to see ANYONE being bullied. It scares the shit out of me
what it can do to an individual’s mental health,” he stated.
この上に示す一節でもやはり同じだ。前の方で、「彼はこれこれこうだと思っている。
でも僕としては、これこれこうだと思う。」と言って、
彼の考えと自分の考えとを対比させている。
そういうときに I, however, don't.... という言い回しが似合うようだ。
これとは違った使い方をするような I, however, don't なんていう
例があるのだろうか?たとえば
I like summer. ★I, however, don't★ like ice cream.
などという使い方があるだろうか? >>345
>>I like summer, but not ice cream.
おっと。そうか、なるほど。
それが最高だな。ありがとう。
俺はまだまだ修行が足りない。 308です
レスくれた皆さんありがとう
ありがとうスッキリした
見るたびにもやもや気になってたとこだった
>>332
「接続法」の方が、よっぽど伝わってないでしょ🤔🤔
すぐ下のおじいさんは、語源まで調べたけど、何も理解できてないじゃない
加えて最近の英文法では、subjunctive mood とゆー語はあまり使わない嫌いがある howeverは接続副詞の一つ
どの位置に持っていくかについては、たくさん本を読んでいく
うちに理解できる、と黄ロイヤルには書いてあった。
どこに置くかは調べた限り書いてないけど、前のものに対して出す別のもの、の
別のもの近くの位置でいいんじゃないかな。
This was not an easy decision. It is, however, a decision that we feel is dictated by our duty.
The insurance man promised "Any time." When I really needed him, however, he wasn’t of any help.
他人に対して親切でなければ、誠実でなければ、
英文法は面白い、
と最近思うようになりました
I choose to speak, think, and act in love and happiness.
ここの「in」はどう訳すのが正解でしょうか、またどういった意味で使われていますか?
>>356
>>I choose to speak, think, and act in love and happiness.
決定的な答えがほしければネイティブに尋ねてくれたらいいけど、俺なりの答えを出そう。
俺なりの中間的な結論を先に言うと、たぶん
「私は、愛と幸せという観点から(つまり他人は自分を愛したり幸せにしてあげたり
するために)しゃべったり考えたり行動したりすることを選択する。」
という感じだ。「〜を選択する」というのは、いろんな可能性がある(つまり
自分にはいろんな生き方がある)のだけど、そのうちここに書いたことを
行うことにしている、というような意味合いだと思う。
このあと、その根拠などを示すため、いろんなサイトのいろんな文章を
引用しながら、思いっきり長文を書き続けると思うから、覚悟してほしい。
嫌なら適当に無視してくれたらいい。
それから、いろいろと書いたり調べたりしているうちに、上のような和訳は
ふさわしくないとか間違っていると感じるかもしれないけど、そのときには
また訂正訳を示す。 >>356
質問者は I choose to speak, think, and act まではよく理解していると思う。
そしてもちろん、love も happiness も理解している。しかし in の意味だけが
わからない。
でも、この in の本当の意味を突き止めようとすると、この文の全体から
考え、
speak, think, and act in [something]
という表現が、他の文脈において英語ネイティブらしき人たちはどういう
ふうに使っているように見えるかを突き止めないといけない。そのため、
かなり時間を使っていろいろと書き続けないといけないかもしれない。
ただ俺は、今は忙しい。だから仕事の合間に、ときどき5分くらいずつの休みを
取りながら、今日から明日にかけて返事を書いていくと思う。 >>356
まず言えることは、
speak in love and happiness
think in love and happiness
act in love and happiness
あるいは
speak, think, and act in love and happiness
なんていう表現は、少なくとも普通には使われていないらしい。だからたぶん、
どちらかというと poetical な表現、少し凝った表現、少し(もしかしたら)気取った
表現かもしれないと俺は思う。
とはいえ、たぶん英語ネイティブはこの表現を見聞きしても、何となく
意味は感じ取れるんだろうなと思う。 >>356
次に言えることは、
speak, think, and act in love and happiness
は、単純に考えれば、おそらくは
「愛や幸福においてしゃべったり、考えたり、行動したりする」
という意味かもしれないな、と人は考えるだろう。そのように訳してしまって、
わかったような気になることもできる。では、具体的にどういう意味なのか?
「愛しあったり、人を愛したり、幸福を感じたり、幸福な生活を希求する
という生活の中で、しゃべったり、考えたり、行動する」
という意味なのだろうか?まあ、これならもしかしたらわからんでもないような
気もする。しかしこの表現は、本当にそういう意味なのかどうかはまだわからない。
一応、そういう意味合いも込められてはいるだろうなとは思う。
この表現は、わざと曖昧な言い方、そして通常は使われないような表現を
あえて使うことにより、数種類の意味合いを込めているのかもしれない。 >>356
次に言えることは、
speak, think, and act in [something]
という文脈で、他にどういう表現が使われているらしいかを調べることだ。
(1) Authenticity is the power to ★speak, think and act in a way that is true to who I am★.
(Facebook より)
この上のような使い方がある。ここから考えてみると、
speak, think, and act in love and happiness はもしかしたら、
「人を愛したり、愛し合ったり、幸せを感じたり、人を幸せにしてあげたり
しようと思って、しゃべったり考えたり、行動したりする」
という意味なのかもしれないな、と考えたりする。 >>356
別のサイトでは、次のような表現が出てくる。
At Freegrounds Infant School we believe the purpose of RE is to play an educational part
in the lives of children as they come to ★speak, think and act in the world★, as well as contributing
to their spiritual, moral and cultural development.
この上の speak, think and act in の使い方を見ていると、ここからの発想により、
本来の原文における
speak, think and act in love and happiness
を
「愛と幸福において(愛と幸福とが織りなすこの世において)しゃべったり
考えたり行動したりする」
と解釈しても構わないなと感じる。そして仮にそれが外れていたとしても、
少なくともこの原文にはそういう意味も引っかけているだろうなと思う。
(ほんとは仕事をしないといけないのに、この質問に答えないといけないと
思ってしまって、ついつい書き続けている。) >>356
別のサイトには、次のような表現も見える。
have learned to see, hear, speak, think, and act in ways that are different
しかしこれは、すでに出て来た使い方に似ているから、流そう。 >>356
次のような表現も見つかる。
See, Listen, Speak, Think and Act in SAP S/4HANA
これは NTT Data という会社の書いた英文だ。日本の会社ではあるが、たぶん英語
ネイティブに書かせたまともな英文だろうとは思う。さて、ここで出てくる
SAP S/4HANA とは何か、まったくわからんが、たぶんプログラミング言語か
何かではないだろうか?もしそうなら、
「〜という言語でしゃべったり、考えたり、行動したりしようぜ」
という意味だろうと思う。
これと同じように、たとえば
speak, think, and act in English
と言えば、
「英語で話したり考えたり行動したりする」
という意味になると思う。少なくとも、act を省いて
speak and think in English
と言えば、ごくごく普通の英文だ。それに act をつけても、さほど違和感はないはず。
そういう観点から、再び本来の課題文に戻ると
speak, think, and act in love and happiness
の love and happiness をまるで言語であるかのように解釈して、
「愛とか幸福の世界で使われる言葉を使って(愛とか幸せの言葉を使って)
しゃべったり考えたり行動したりする」
というふうに解釈するという手もあるということがわかる。
少なくとも、これも一つの選択肢として、いくつもの選択肢を同時に
兼ね備えた、多義性のある課題文なのだろうと俺は思っている。
多義性があるからこそ、面白くて、たくさんの人の心を打ち、
それだからこそ、Instagram などネット上の至る所でこの言葉が使われているのだろう。 >>356
その他にも、次のような形でこのような表現が使われているが、それはすべて
今まで述べて来たいくつかの解釈の仕方のうちのいずれかに該当するだろうと思う。
(1) Consequently, as members of particular discourses, individuals are positioned
to ★speak, think and act in particular ways★ and are able to take up or refuse that positioning
(2) ... and experience to provide professionals with the skills
to lead, write, ★speak, think and act in a manner that is clear, persuasive, logical and ethical★.
(3) But when I think of home, I think of a place where I can
★speak, think, and act in my cultural heart language★ without the fear of reprisal or ...
(続く) >>356
(4) ability to communicate while understanding how Americans
★speak, think and act in everyday life★.
(5) If students are given the chance to ★speak, think, and act in Hebrew★ from the very earliest ...
(6) You can quickly learn to ★speak, think and act in Dutch★.
(7) You can quickly learn to ★speak, think and act in French★. >>356
>>I choose to speak, think, and act in love and happiness.
というわけで、ネット上で "speak, think, and act in [something]" という表現がどのように
使われているかを紹介した。他にも実にたくさんの用例があるが、割愛する。
一応、すでに俺が述べた複数の解釈の仕方のいずれかにすべてが属すると思う。
さて、中間結論としては、この課題文をすでに述べた複数のいろんな意味を同時に
含めて、多義的な解釈ができると思う。そういう多義的な解釈をすべて
網羅した上でくどくどと無理やりに訳すと、次のようにでもなるだろうか?
>>I choose to speak, think, and act in love and happiness.
「私は、愛や幸福の世界の言葉を使って、そういう観点から、そしてそういう
ものを追求するために(つまり人を愛したり、愛し合ったり、幸せを楽しんだり、
人を幸せにしてあげたりするために)、人としゃべったり考えたり行動したり
することを、私は選択する(つまり、いろんな生き方があるけれども、その中で
私はそういう生き方を選んでいる)」
あえてもっと簡単に訳すと
「私は、愛と幸福の世界にある言葉を使って、その観点から、
そしてそれを追求しながら、しゃべったり考えたり行動したりするという
生き方を選んでいる。」
あるいは
「私は、愛と幸福とが織りなす言葉を使って、しゃべり、考え、行動するという
生き方を選んでいる。」 すごいコメント数が>>356についていると思ったら、ひょっとしたらoedさん一人
で書き込んでたの?
そこまで、愛とか幸福に飢えてるのか?三年さんと仲良くやってくれ
ところで
in love with -を恋してる
という表現がある。loveにある状態にあるということです。
だから
今の場合も、
I choose to speak, think, and act in love and happiness.
は恋をして幸せに舞い上がっている状態で、話したり、考えたり、振る舞ったり
するようにしている、ということだと思います。
ロッカーなら言いそうな言葉だ 自分のやりたいことだけをやる、それがロッカーとしての生き方だ
と言ってたロッカーもいました。
She picks, and bites, and swallows, and squeaks in happiness, and bites and swallows again. I am thrilled.
(彼女は鷹) Helen Macdonald, H is for Hawk
この用例は喜びに満ちて、状態で、ってことだね
>>369 >>371
ありがとう。とても参考になった。次のような OED Online にて見つかる用例を見ても、
in happiness は in love と同じように、ごく普通に使われる表現だということを
再確認した。
(1) 1826 Oriental Herald Jan. 3
To live ★in happiness★ with her husband for so many heavenly years as she has hairs
on her body, which are computed at three crores and a half, or thirty-five millions.
(2) 1891 G. Meredith One of our Conquerors III. vi. 125
She passed into music, as she always did under motion of carriages and trains,
whether ★in happiness or sadness★: and the day being one that had a sky, the scenic of music swung her up to soar. (3) 1786 A. Hughes Zoriada I. iv. 46
I, who left my home so rich ★in happiness★, was, on re-entering my dwelling,
a childless father, and almost a wifeless husband.
(4) envy という単語の定義文
To feel displeasure and ill-will at the superiority of (another person)
★in happiness, success, reputation★, or the possession of anything desirable;
>>356
前の人達とそんなに言うことは変わらないと思うけど、love, happinessありきのinだろう
年、月やその他時間を示すためにin 2022, in this Summerなどと前置詞句をポンと後ろへ付けるのと使い方は似ていて、辞書に冠詞無しの名詞を従えて状態を表すとある
be in love (with)と意味は同じの、副詞のようなかなり独立した構造の句で、つまり句動詞と関係なくとも前置詞句はあって構わないということだ (1) to be in love; women in love
(2) to be in happiness; people in happiness
など、みんなから教えてもらったことに基づいて、"in + 抽象名詞" という形の他の
用例を考えてみる。抽象名詞の部分に、なんでもかんでも入れていいというものでもなく、
相性のよしあしもあるので、そのあたりを考えながら、きちんと使われているという
証拠の見つかるパターンだけを列挙してみる。
(3) to be in decay; a nation in decay
(4) to be in turmoil; a country in turmoil
(5) to be in disorder; a country in disorder
その他のものも、少しずつ探してみる。
(6) to be in disarray; a country in disarray
(7) to be in agreement; people in agreement
(8) to be in disagreement; people in disagreement
(9) to be in torture; animals in torture
(10) to be in infancy; children in infancy
(11) to be in adoration; women in adoration
(12) to be in charity; people in charity
(13) to be in philanthropy; people in philanthropy
in のあとに来る抽象名詞によっては、とても頻繁に使われているように見えるものもあるが、
なかなか適切な用例が見つかりにくいものもある。なるべくたくさんの、信頼性の
高そうな用例が見つかるようなパターンだけをここに挙げるようにしているが、
そう簡単にスピーディに見つかるわけではない。
"in + 抽象名詞" の中の「抽象名詞」の部分に、果たしてどんな抽象名詞でも
持ってくることができるかというとそうでもない。
たとえば "in destruction" はどうか?"in destruction mode" なら OK だ。その in は
mode にかかっているのであって、destruction にかかっているのではない。
He is in destruction. なんていう言い回しを俺自身は見聞きしたことがない。
ネット検索しても、なかなかそれが見つからない。しかし一つだけ
次のような文脈で見つかる。
Being in Destruction
an old man who cannot remember his past, everyday wake up and see a world
which he cannot recognize. so he ask basic questions to rebuild his world but at the end,
he will forget that again because he has Alzheimer. ★he is in destruction★,
a destruction of the memory, of the past.
上の用例は、"Being in Destruction" という題名の映画についての解説らしい。
題名の "being in destruction" という言い回しも "he is in destruction" という
表現も、あまり使われていないように見える。しかしあえてここでは
そういう言い回しを使っているように思える。
(14) to be in heat; cats in heat
とまあ、こういうパターンの表現はおびただしいだろうと思う。ここで
in を out に変えると、反対の意味になる。たとえば to fall in love の反対語は
to fall out of love だ。しかし to be out of love なんていう言い方があるだろうか?
out of love を検索すると、「愛のない状態にある」という意味合いで使われて
いる用例には、なかなか出会えない。その代わり、次のような文脈では
out of love が使われる。
This is the halting; at the very same moment he is starting to ●get out of the debt or perhaps
is already out of it● -- that is, out of love. Or comparison's third factor can be the deeds
previously done ★out of love★.
この上の用例はネット上の書籍の中から引用されたものだが、out of love は
「愛のない状態にある」という意味ではなく、「愛によって」というか
「愛するがゆえに」のような意味合いだ。だから out of は from という
意味が主体としてあって、そこから because of とか stemming from みたいな
意味合いへと変わっているようだ。もちろん一般的に、out of は from という
意味でもよく使われていることは周知の通りだ。
この上の用例にある get out of the debt とか is out of it とかいう言い回しにおいては、
out of が「〜から外に出ている」という本来の意味から「借金から逃れる」とか
「借金を返済してしまう」というような意味になっているらしい。
"[Someone] is out of love." という言い回しで「(その人)は、愛のない状態にある」という
意味で使っている用例を探しても、最新の用例ではなかなか見つからない。でも
70 年以上も前の、しかもキリスト教関係の文献には使われている。この下において
引用したものもそれだ。
You may punish the offender -- but in love. If you love to punish, if the pain that you inflict
pleases you -- beware! ★You are out of love. And to be out of love★ is to be out of the very Being of God.
一番最後にある to be out of the very Being of God も、「the Being of God から外に出てしまっている」
という意味で使っている。
もちろん to drop out of... とか to fall out of... とか to come out of ... というふうな
普通の動詞を out of の前に持ってくる言い回しはよく見聞きする。しかし
いま僕が言っているのは、be とか is, are などを out of の前に持ってきている
用例の話だ。そういう用例が、最新の記事(たとえばこの20年か30年のあいだの
記事)にはなかなか見つからない。古い用例でも、キリスト教関係のような文献
ばかりのように思える。もっと注意して探せば、他にも見つかるかもしれないが。
to fall (get, drop, etc.) out of love ではなくて to be out of love の形、つまり
"(you) are out of love" などの用例は、かなり新しい文献からも見つかった。
(1) If you are out of love, ask the Angels to give it to you.
(2011 年の書籍)
(2) When you are out of love with self, you become careless.
You are not in alignment with yourself. You are out of love and not paying attention.
(2009年の書籍)
(3) Nomatter how it may feel, you are out of love and destined to frustration and hopelessness.
(2014年の書籍)
You must be very tired, because you have walked as long as five hours.
という文章が700選に載っています。
ここでas long asに引っ掛かっています。
“for as long as * hours”と”as long as * hours”
の件数比較をどうやってすればいいでしょうか
for as long as が正しく、as long asはまちがっているとおもっています
>>382
"for as long as five"
をネット上の Google Books というサイトにて検索し、出版された書籍の中で
出てくる用例を見ると、書籍の中でたくさん用例が見つかり、したがって
この言い回しが正しいかのように見える。少なくとも僕は、正しいと信じている。
むしろ、間違っている理由を探すのが難しいと思う。
(1) It swims and dives well and can remain under the water for as long as five minutes.
(2) ... the requests for five products have been delayed at the Commission level for as long as five years. >>382
おっと、ごめん。あなたは as long as が間違っていると言っていたのだね。
申し訳ない。 >>382
(1) walk for five hours
(2) walk five hours
この上の2つは、両方とも正しいことはみんな知ってるよね。高校生向けの
文法書にもそう書いてあるでしょう?ということは、それに as long as を
加えただけの次のもの、つまり
(3) walk for as long as five hours
(4) walk as long as five hours
この二つも、両方が正しいと言えるでしょう?
そしてそのことは、用例を検索して前後を読み取ってもすぐにわかることだと思う。 >>379-381 にて、現代では out of love を in love とは反対の意味、つまり「愛が冷めて
しまっている」とかいう意味で使うときは、to fall out of love など、通常の動詞と
共に使うことは大いにあっても、be 動詞と共に使って、たとえば
He is out of love. (愛が冷めてしまっている状態にある) というような使い方を
することは非常に少ないみたいだと書いた。これについてはまだ断言できないけど、
今のところ、いろんな用例を見ていてそういう気がしている。
ただし、70年以上も前の文献で、しかもキリスト教などの文脈においては
使われているようだ。
さて、OED Online でも out of love という言葉の用例を見てみたら、 20 くらいの
用例が出ては来るけど、すべて何百年も前の大昔の用例だ。 OED Online にある用例
(1) 1646 Sir T. Browne Pseudodoxia Epidemica ii. v. 93
That the wearing of a Crysoprase [will] make one ★out of love★ with gold,
as some have delivered.
(どうやらこれは、Crysoprase という装身具か何かを身に付けると、それがあまりに
美しいため、金なんかには目もくれなくなってしまう、という意味のようだ。)
OED Onlline には、fall out of love などのように通常の動詞とくっつけた場合の他に、
(to be) out of love という形の熟語としても紹介して、その用例をたくさん並べている。
それについての OED の記述は長いが、ここで紹介する。ただし fall などの一般の
動詞がくっついている場合は、省いておく。
c. out of love (with): not or no longer in love (with);
(in extended use) disenchanted or disgusted (with).
(1) 1577 A. Golding tr. J. Calvin Serm. Epist. Ephesians xli. f. 292
Thou bee so farre ★out of loue with★ thy sonne [Fr. tu es si desbordé contre ton fils],
that thou art vnwylling too see him.
1581 G. Pettie tr. S. Guazzo Ciuile Conuersat. (1586) i. 10
Hee seemeth either too farre ★in loue with★ himselfe, or to farre out of loue with others.
a1616 W. Shakespeare Two Gentlemen of Verona (1623) iv. iv. 202
I should haue scratch'd out your vnseeing eyes, To make my Master ★out of loue with★ thee.
View more context for this quotation
a1616 W. Shakespeare Measure for Measure (1623) iii. i. 173
I am so ★out of loue with★ life. View more context for this quotation
1680 E. Fowler Libertas Evangelica ii. vii. 80
Atonement is..a most effectual means, to this farther End, the making us ★out of love with★ Sin.
1722 D. Defoe Relig. Courtship i. i. 5
What's the matter, that you are so ★out of love with★ the World all on a sudden?
1753 S. Richardson Hist. Sir Charles Grandison III. xi. 83
Lord W.'s animosity to my father made him ★out of love with★ his name.
1796 S. Lee Almeyda iv. i. 52
I, like thee, Grow ★out of love with★ reason.
1814 M. Edgeworth Patronage I. ix. 278
Bellamy tells me the strangest story of her having been, since I left London,
in love and ★out of love with★ John Falconer.
1867 A. Cary Bishop's Son x. 192
Perhaps every man who is ★out of love★ thinks pretty much after this fashion
of his friend who is in love.
1890 J. Todhunter Sicilian Idyll i. 8
Hope shuns me: I am ★out of love with★ life.
1914 B. Carman Earth Deities 72
Whatever can have come his way To put him ★out of love★ to-day?
1955 R. Campbell in E. W. Tedlock D. Thomas (1960) i. 45
He was never ★out of love with★ his beautiful wife and muse, Caitlin.
1992 A. V. Roberts Morning's Gate xvi. 282
★In and out of love with★ amazing regularity and unflagging enthusiasm,
Polly was passionate about most things.
やっぱり OED Online は、安心して読むことができる。ネット上で自分で情報を
探すと、信頼性の低いものを排除するのに時間がかかるが、OED Online の場合は、
信頼性の特に高いものをスタッフが厳選してくれているからだ。さらには、
古い文献もすべて網羅している。
OED Online に載っている用例を長々と引用すると、単にコピペしているだけで、
引用者は内容も理解していないに違いないとか何とかケチをいつもつけられる。
ところが僕は、無批判に引用してもいないし、一つ一つの用例をあっちこっちから
引き出し、その中身を吟味し、できるだけわかりやすいように順序だてている。
決してそのまま貼り付けてはいない。まあ、どうせ何を言っても信じてはもらえないし、
僕が何をどこまで理解し、何をどこまで考えた上でそれぞれの例文を引用しているか
なんて、ほとんど誰にも理解はしてもらえないだろう。
しかし 1,000 人に一人くらいは
何かを感じてもらえるかもしれないと思って、ネット上で20年ほど前から書き込みを
続けてきた。さんざん罵倒されてきたが、書き込みや引用を続けることにより、
仮に誰もそれを読まなかったとしても、あるいは完全に誤読されてしまっても、
肝心の僕がそれぞれの書き込みや引用部の意味がしっかり理解できていれば
それでよいのだ。
ところで OED Online を長々と引用すると著作権に触れると思い込んでいる人がいるけど、
最新版(第3版)の完成予定時期は 2039 年で、27年後のことであるが、それが完成した
暁には、もし紙版で印刷したとしたら全部で 4 万ページとなる。少し前に完成して
紙版として売られていたのは Second Edition であり、2万ページだった。それぞれの
ページはけっこう大きくて、文字がものすごくたくさん詰まっていた。
新たにできる Third Edition は、部分的に完成するたびにどんどん OED Online 上で、
2000年(つまり22年前)からすでに OED Online 上で発表され続けてきた。
OED CD-ROM 版で十分だろうと思う人もいるだろうが、あれは 2007 年ですでに
改訂が中止した。そのあとすでに 15 年も経つが、このたったの 15 年のあいだでも、
膨大な情報が新たに追加された。その追加事項が3か月に一度ずつどんどん
OED Online 上に発表され続けているのだから、これはもう、年間に 110 pounds
つまり 18,000 円近く(日本に住む僕らには、10% の消費税が上乗せされ、この
料金になっている)を払ってでも購読し続ける価値が十分にある。
僕はすでにこの OED Online を10年以上、購読し続けていると思う。
まったく後悔はない。これから僕は貧乏になっていくばかりだろうけど、
どんなに金欠になっても、OED Online だけは購読し続けようと思っている。
今回、4か月ほどこれにアクセスできないという事故があって OED Online
なしでは本当に不便だということを悟ったので、これからは絶対に
購読を中止したりはしないぞと誓っている。
>>385
いや、副詞句としてのas long as 数詞+名詞
の例がない。for as long as 数詞+名詞なら
あるのに。as long asはas long as SVが
基本みたいだ。 質問です
この文章はどういう意味になりますか?
He was walking as long as I was walking.
>>396
自分もnewspeak使って調べてみたけどわからなかった
as long as ? hours
で調べても
for が前についてるやつを排除できない。
したがって、排除したやつと、forが必ずついたやつとの比較ができない。
さらにいうと、それらを副詞句に限定できない >>395
僕が歩いている限り彼は歩いていた
という意味もあるよ >>392
そのスタンスは正しいと思います。
惜しむらくは英文が難しいことかも。もうちょっと読みやすければね、と
思うんですね。 やさしくするには、単語の説明をつけるとかか、、、、手間ですね
>>394
僕がちょっとだけ調べたところによると、書籍などに
walk as long as five [hours, etc.]
という用例が見つかるよ。
(1) James Shultz, Melissa Draper 2009 Social Science
... a tollfree information phone number for affected families, the vast majority
of whom would have ★to walk as long as five hours★ just to reach a telephone.
(書籍より)
(2) Washington Post
The museum's attendance is nearing the half-million mark, and Potter says
many visits ★run as long as five hours★. He and museum co-founder Leslie Hardcastle ...
(3) Wall Street Journal
... service will begin displaying promoted videos, allowing marketers to pitch their wares
in video spots that can ★run as long as five minutes★. Yoree Koh. >>400
「英文が難しい」というのは、OED Online の英文が難しいっていうことかな?
もしそうなら、確かに他の辞書に比べたら難しいよね。それは言えてる。
特に100年も、あるいは何百年も前の例文となると、もっと難しくなっていく。
現に僕自身、26歳からこの辞書を買って使い始めようとしたけど、すぐに挫折した。
最初は確かに 1時間くらいは使うんだよね。でもそのあとは続かない。
そのあと、OED の改訂版が出たときに 30 万円くらい払って 20,000 ページの
辞書を買ったけど、やっぱりこれも少しして挫折した。
そしてまた CD-ROM 版が出た時も 10 万円も出して買った。そしてまた挫折。
西暦 2000 年、つまり22年前に OED Online (つまりネット上のデジタル版) を
年間でそのころは何と 38,000 円も出して購読した。しかしこれも、
全部で 2 時間も使えなかったんじゃないかな。というわけで挫折。
そして 2012 年になって、何と 26 歳にして使い始めてから何度も買い直して、
何度も何度も挫折して、ついに持続して使えるようになったのは、
僕が 56 歳になったころだった。30 年の紆余曲折を経たことになる。
56歳のころになってやっと OED Online を、たとえば1月に 10 回とか
20 回くらいずつ使っても割と平気になれるまでは、ものすごく大量の
英文を洋書などで読み続け、映画やテレビドラマで英語をうんざりするほど
聴きまくり、へとへとになるという経験をおびただしく経過した後だったんだよね。
というわけで、またもや自分語りと言われそうだが、大切なことだと思うので
あえて話をした。 >>394
walk as long as 2 hoursのほうがより一般的な表現。
自動詞のうしろのfor時間の前置詞forは省略されることがよくある。
例 Wait a minute. >>400
The OED の英文が難しいと思う人は、OALD とか Collins をまずは平気で使えるようになり、
それに飽き足りなくなるまで英文の修練を経ることだろうね。そして次に、
Oxford の辞書類をどんどん上へと上がっていく。OALD のあとは COD とか ODE だよね。
そのあとは The Shorter Oxford English Dictionary (3,500 pages) だね。そして
SOED が物足りないと感じたころに、OED Online に移ればいいだろうね。
ただ、小説とかノンフィクションとか新聞雑誌をうんざりするほど読みまくったあとで
ないと、いくら辞書ばかり読んでいてもダメだろうね。辞書だけでは、とうてい
英文の読書量が足りないと思うんだよね。そもそも、辞書の英文が縦横無尽に
(半ば斜め読みしながら)読みこなせるようになるには、やっぱり通常の読書
つまり新聞雑誌や小説やノンフィクションを読みまくらないといけないと思う。 >>401
単語の説明って、一つ一つの単語(つまり例文の中に出てくる単語)にまで
定義文をつけるってこと?まあ、辞書の例文は辞書なしで読めないと、やっぱり
辞書を読むのにかかる時間が長すぎることになるから、すぐに挫折するだろうね。
英英辞典の辞書くらいは、その中の定義文と例文とを斜め読みでさえできるくらいに
なり、その中に出てくる単語の意味なんて調べる必要がない人でないと、
辞書を引く(読む)ことが苦痛なだけで、僕が 26 歳から 55 歳くらいまで
OED に挫折し続けたころと同じ思いをして、結局は挫折することになると思う。 この5チャンネルの英語版に、7年くらい前に、同じ洋書をみんなで一緒に読み続ける
スレ、みたいなものがあった。そこでみんな集まって、同じタイトルの洋書を
最後まで読んでコメントし合うというものだった。
最初はみんな張り切っていたけど、ほんの1か月ほどでみんな挫折していたな。
読み切れる人は、何年も前から一人で洋書を読み続けていた人だった。
最後まで洋書を1冊も読んだことのない人は、みんなで一緒に励まし合いながら
やっても、やっぱり挫折する。
そのスレの主がコテハンを名乗っていて、かなり本気で洋書を読み続けられる
ようになりたいと言って、盛んに発言していた。そしてあるとき、彼が僕に
「OED の辞書をきちんと使えるようになるためには、例えば洋書を何冊くらい
読んだ後でないとダメでしょうか?たとえば 30 冊くらいですか?」
と言っていた。
僕は呆れかえった。30冊の洋書って、例えば一冊あたり 300 ページだとしても、
30冊を読んだ後だって言っても、それは何もやったことがないのと同じだ、と
答えた。
たったのそれだけって、超初心者レベルじゃんか。そんなので OED が楽に引けたり、
あるいは楽に英文が書けたりしゃべったり、楽に読めたりするようになるはずがない
じゃんか。
300 ページを30 冊と言えば、僕が大学1年の 6 月くらい、つまり 19 歳のときに突破していた。
その程度の英文しか読んでいない僕は、まだまだ何もわからなかった。
100冊読んでも、やっぱりわからなかった。
(続く)
(続き)
しゃべるのは簡単だから、
日本語的な発想による変な英語でだったら、それくらいでもいくらでもペラペラ
しゃべれた。いわゆる「しゃべれる」っていう状態は、単に口の筋肉が
すいすいと動いているに過ぎないからね。毎日1時間ずつしゃべって、ほんの4年も
経てば、いわゆるペラペラの状態に誰でもなれる。そんなのでちゃんと英語が
わかるようになるはずないじゃん。
200冊を超えても、500冊を超えても、やっぱりろくに英語はわからなかった。
そんなもんだと僕は思う。ちなみに僕は今、たぶん 1冊 300 ページ換算でいくと、
1千冊くらいは読んだあとの状態だ。それでも何もわかってはいないと感じている。
死ぬまでに、少なくともあと 1千冊は読まないといけないと思っている。
以上のように言っても、どうせ嘘だとしか言ってくれない人が多いから、
こんなことを言っても仕方ないかもしれないが、ここでもやはり、千人か
一万人に一人くらいには僕の真意が伝わるかもしれないと思って、ここに書いている。
読む時に意味知らないと決定的に困難だというのがあると思います
そういうのにちょろっと訳があるとという意味ですが。
無視していただいて結構で。
as long asの件は納得いかない。
僕が検索したらas long asで日本語サイトばかり出てくる。
なんかしないと国指定はできないんだな。google で語法正しいかという
ことのチェックはほとんどしないので
僕が下手な使い方をしているせいか、僕にとっては Netscape は使いにくい。
あまり正確な情報はつかめないような気がする。
それよりは、従来の僕のやり方、つまり通常の Google 画面を通して、
news 検索だとか Google.books 画面上で、新聞サイトとか出版済みの書籍上で
どのようにそれぞれの表現が使われているかを探した方が、少なくとも僕にとっては
調べやすい。
>>410
日本語サイトをよく閲覧する人には、Google が自動的に少しずつ、その人向けには
日本語サイトを最優先して表示するようになっていく。それはおそらく、何かの
algorhythm とか artificial intelligence か何かによってそうなっていくんだと思う。
現に、僕の友人のスマートホンを借りて僕の探す英語表現が英語圏でどのように
使われているかをいくら検索しようとしても、何度やってもいつも日本語サイトばかり
出てきて、それが英語サイトの邪魔をする。だからイライラする。
しかし僕は自分の PC を使うときは、英語サイトばかり最優先で閲覧しているから、
いつも英語圏のサイトが表にずらずらと並ぶ。
それはともかく、
site:us
とすれば米国のサイトが探せるし、
site:uk
とすれば英国のサイトが出てくるはずだよ。それはすでにご存じだろうけど。 僕は妥協しようと思う。
英語を頑張って何になれるかと考えた時に、
面白いというのはあるのでやっていきたいというのは
ありますが、英語ができても何者にもなれない。
趣味ですね。
英語の試験の一番上のやつ c1とかb1とかあるやつで、
をとったらすごいんだろう。日本語検定で僕は
上のクラスに受かるとは思えない。
外国人がそういうので最上級を狙うのってなんか変な気がする。
ドナルドキーンにでもなりたいの?と思う。
そんな暇あったら別のことやってたほうがいいのに
と思うんだよね
>>410
なんで as long as の件に納得がいかないの?
>>402 にてすでに紹介したような例文が、書籍とか新聞サイトなどで
どんどん見つかっていくような気がする。もっとたくさんほしければ、
いくらでも引用するけど。でもそれは、誰でも簡単に検索できるもんだから、
僕がここですべてを紹介する必要はないと思う。 僕自身は、英語であらゆる分野の洋書を読みまくりたいんだよね。
普段は日本語で読んでいて、気になるところ数行だけを英文で拾い読みするなんて、
絶対に嫌なのだ。(と言うのは、あくまで僕自身の趣味とかこだわりなので、
どうか気を悪くしないでほしい。)
それはともかく、僕はもともと英語がすいすいと書けないと飯が食えなかったので、
必死で英文を読みまくった。英文を読んで頭にデータベースを構築しないと、
英文は書けない。単にメールを書いておしまいなら、別に大して洋書なんて
読まなくてもいい。僕が言うのは、法律関係とか政治関係とか世界経済とか
自然科学一般とか機械とか電気とか土木とか建築とか貿易とか、時には
哲学っぽいものとか、あるいは心理学めいたものとか、文学や芸術とか、
たまには文化人類学めいた議論とか、そういうものすべてを日本語から
英語に正確に訳せないと、飯が食えなかった。
>>416
辞書を作っている人たちの見識が、まだ英語の使われ方の全体を把握していない、
あるいは把握していたとしても、いちいちそれを書いていたら、辞書が
5万ページになっても足りない。
だから OED Online という、2039年の段階での完成時には4万ページになる
見込みの辞書がある。しかしその4万ページを以てしても、
英語の使われ方の全体を反映することができない。
みんなの疑問にすべて答える辞書があったとしたら、それは百万ページでも
足りないと思う。だからこそ、不足部分は検索などによって補うしかない。 >>416
Wait a minuteは、辞書にあるよ。I waited 2 hours.だって正しい。自動詞の直後のfor時間は、forが省略されることがよくある。 >>417
翻訳者さんだったんですか?
泥舟も覗いてあげてください >>419
シーカーさんのファンさんレスありがとう。
あなたのいうことは正しいんだろう。
僕の文法知識をそこまで上げることができた時には
理解できるんだろうと思う。
>>418
ぼくは英語にそこまで時間を割けないですよ。
ただでさえ自分の日本語が変なのに。 >>412
グーグルによるキュレートも多少あるかもしれないが、
大部分は、地域と言語の設定によるのだろうと思う
私はいつも英語圏と日本語圏でそれぞれ検索している OED さんが、滔々と書いている
ときどき、英語を勉強すると日本語能力が下がる、みたいなことを言う人がいるが、そういうことはないように思える
日本語能力が下がるのは(もし下がるとして)、英語を勉強することによってではなく、日本語を勉強しない(使わない)ことによってであろう、と思う
なので、日本語も使うならば、英語を勉強することによって日本語能力が下がることはなく(少なくとも心配する必要はなく)、
むしろ、英語を学ぶ過程で感覚が鋭くなったり、言語の比較をすることで、日本語能力は上がるとさえ言えるのではないだろうか
(そもそも、どちらも言語であるのだし)
夏目漱石も、村上春樹も、実は英語がかなりできる
三島由紀夫は、流暢に英語で話す様子が動画として残っている
上記のような偉人たちと比べる訳ではないが、
私もよく日本語の文章が上手だと言われる
(仕事で、東大・京大卒などの人と一緒に働くことがあるのだが、
専門分野の実力よりも、メールのやりとりなどで、私の文章に言及されたりする
彼らは、平均的な人よりもたくさん文章を読んできている人たちなので、
文章に対する見る目のようなものが養われたりしているのだろう)
仕事以外で出会う人には、私が文系出身ではないとわかると驚かれる
(私としては、どちらの分野もできるし、興味があるので、
文系・理系と二元論的に分ける必要性を感じていないが)
OED さんが、英語にかける情熱を日本語で滔々と語るのを見て、
また私自身も、英語にずっと力を入れているのに、(英語のみならず)日本語でも人に気づかれることが多いので、
英語を勉強すると日本語能力が下がるという説について少し考えてみた次第
私も、そしておそらく OED さんも、
日本語で、思ったことを表現する能力(日本語の言語能力)が平均的な日本人よりもあると言えるのではないかと思う
日本語での表現能力・言語化能力ももっと高めたいが、
英語で、思ったことを意のままに表現できたら、
どれほど liberating だろうか、と思う
空いている時間のいくらかは日本語を使った何かをしていた人が、
例えば英語の勉強という別の趣味ができそちらに時間を割くようになると
日本語を使った何かをすることがなくなる。その結果日本語が
下手になる。
また、キーボードを使うようになると、漢字に書き方を忘れるという
ことを経験したことがあると思う。代替的なものなので、新しいもの、英語、きーボードを
やり始めると、前のもの、日本語、手、を使わなくなる。その結果、前のものを忘れる。
日本語の場合、例えば、仕事や私信などで使う「報告文」の類と「エッセイや小説」
などの文章との違い、・・・その書き手特有の言葉の選択や表現のユニークな
特徴など、違いを把握でき、・・・内容とは別にそれらを味わう楽しみもある。
エッセイや小説でも、作者によって文体その他明らかに違う、際立った特徴
があり、例えば、上に例示された漱石、三島を始め、大江健三郎、村上春樹、
野坂昭如など、個性的な作家ならその文章の一部を読んだだけで誰が書いた
ものかを当てることができる読み手は多い。
翻って英語の場合はどうか。何十年も英語に接しているのに、自分は言葉や表現の
違いを味わい楽しむどころか・・・書き手の個性すらまだ見極められないレベル。
日本語と同様に文章の違いを意識し、比較する学習法を取り入れないと、いつまで
経ってもこのレベルを抜け出せないなと、今さらながら実感、そして反省。
日本語だとキーボードのせいで漢字が書けなくなるというのはよく経験するけど
英語だと指の動きで単語のつづりを覚えていて、そこから逆算してスペルに落とし込むということが結構ある
俺いまだにそもそもキーボードのアルファベットの配置もよく覚えてないわ
>>427
文章が上手ですね。
構成かな。
僕は報告文も普通に書く文も変わらない。
ネットで書いているうちに、文がのっぺらぼうになった気がする Shall we go camping somewhere on Sunday?
にnextを入れるとすればどこに入れるでしょうか?
>>431
(1) Shall we go camping somewhere on Sunday?
next を入れるなら
(2) Shall we go camping somewhere next Sunday?
のように、on を省いて next Sunday だけにする。
次のように言っても同じ意味。
(3) Shall we go camping somewhere this Sunday?
(4) Shall we go camping somewhere on Sunday?
上の (4) のように on Sunday とだけ言っても、やはり「この後の直近の日曜に」
という意味になる。
その根拠は、ネット上のあちこちにも書いてある。たとえば、次のもの。
(1) "We'll have to do it on Friday" would mean "on the very next Friday—this week."
(2) As a general rule, "this Friday" should be the immediate Friday in our future,
whether we're talking about it on Saturday or Thursday. "Next Friday" should be
the following Friday. In practice, however, many people use the terms interchangeably,
and confusingly. >>432さん
ごめんなさい。出題をしたのが悪かったのか、そう言わなかったのが悪かったのでしょう
on Sunday next(英)= next Sunday
です。 go [sometwhere] on Sunday next という言い方も確かにあるね。でも僕自身は、
それを見聞きすることがほとんどないような気がする。見聞きするのはいつも、
go [somehwere] next Sunday だ。
少しばかり忙しかったので、数日前に読みかけた Henry James の "Daisy Miller" の
続きが読めなかったが、昨夜の夜中に目が覚めて、その後しばらく眠れなかったので
諦めて起き上がり、2時間だけこの中編小説の続きを少し読んだ。
“And does not your daughter intend to favor us with ★her society★?”
demanded Mrs. Walker impressively.
この短い話の中でも、何度か society という言葉を、「社会」という僕らにお馴染みの
意味合いではない別の意味で何度か使っている。her society とは「彼女にお相手を
してもらうこと(彼女と話をしたりして、そのそばにいること)」という
意味で使っている。
Samuel Beckett の "Waiting for Godot" という戯曲の中でも、
Thank you for your society. (お相手をしてくれて、ありがとう)
という台詞が出てくる。
こういうような意味での society は、現代ではあまり出てこないような気がする。
しかし 100 年以上も前の文献においては、かなり頻繁に出てくるような気がする。
(僕のただの気のせいかもしれないけど。)
>>435 で紹介したような "your (her, his) society" の意味合いについて、OED Online では
次のように定義づけ、その例文をたくさん並べているが、そのうちごく最近のものを
少しだけ引用する。
society
II. Senses relating to the state or condition of living or associating with others.
5. a. With possessive adjective or genitive: companionship, fellowship, or company.
1926 People's Home Jrnl. Feb. 26/4
The oftener you spend a little time in his [sc. a dentist's] ★society★
the less painful work will confront you when there is real need for his services.
1930 P. G. Wodehouse Very Good, Jeeves vii. 192
A chummy lion-tamer—a tamer who, after tucking the lions in for the night,
relaxes in the ★society★ of the boys.
2001 S. Walton Out of It (2002) iv. 85
The ★society★ of others was most definitely unwelcome. Henry James など、100年以上も前の小説などを読んでいると、interlocutor という
言葉もよく出てくる。
“She’s got to give me some candy, then,” rejoined his young ★interlocutor★.
(Henry James, "Daisy Miller," 1879)
話の相手のことだが、これはもちろんフランス語の interlocuteur から来ていて、
僕の知る限りでは、フランス語では英語におけるよりもはるかによく使われている
ように思える。しかし英語では、少なくともこの100年ほどのあいだはあまり使われて
いないように見える。Ngram viewer でその頻度を調べても、やはり現代に
おいてはかつてよりもはるかに使用頻度が低い。ただし、この20年ほどは
どういうわけか少し持ちなおしている。
英語では「(電話や会話をしているときの)相手」という意味の言葉を
一言ではあまり言わないようだ。だからこそ、たとえば電話の相手のことを
the one at the other end of the line
などと言う。これを
his (her, my, your) interlocutor
と言えば実に楽なのに、この interlocutor という言葉を、少なくともこの
100年ほどはかつてほど頻繁には使わなくなっているように思える。
そんなことを気にせず、英語でも大いにこの単語をネイティブたちが
頻繁に使うようになれば便利になるのに、と思う。
英語ばかりで忙しいから、フランス語の文献なんてほとんど読みもしないが、
interlocuteur が現代でもフランスでは(少なくとも英語における interlocutor よりも)
使われているらしいことを示すため、一つだけ用例を挙げておく。
電話についての話であり、文献はつい最近のものだ。出典は新聞サイト。
Avant tout chose, assurez-vous que votre numéro s’affiche bien et que vous n’appelez pas
en masqué pour augmenter vos chances d’avoir ★votre interlocuteur★ (les numéros masqués
peuvent dégager sentiment de méfiance, notamment à cause de la prospection téléphonique
abusive).
つい一年ほど前までは、特殊な工夫をしないでフランス語の文献をそのままここに
コピーペーストすると、必ず文字化けしていた。しかし今は、このようにきれいに
copy and paste されている。5ちゃんねるも進化したのかもしれない。
今、Ngram viewer にて
your (his, my) interlocutor
の使用頻度を見てみたら、確かに 19 世紀あたりはよく使われていて、そのあと
1920 年から 1980 年くらいまでは頻度がガタ落ちになっていた。しかし
1980 年から持ち直し、そのあとはぐんぐん使用頻度が上がっている。
これは知らなかった。
僕はつい最近まで、19世紀以前の文献と、それから 20世紀の半ばあたりの
文献を読むことが多かった。だからうっかり、英語での
your (my, her, his) interlocutor
という言い回しは昔はよく使っていたけど、現代にはあまり使われなくなった
のだと思い込んでいた。
しかし Ngram viewer を見てみると、1980 年代あたりから今まで、ぐんぐん
使用頻度が上がっているではないか。
ということは、僕はうっかり 1980 年から 2020 年くらいまでの文献を
それ以前の文献に比べるとあまり読んでいないということだろうか?ダメだな。
>>439
この板が Unicode に対応したのかもしれない
私が運営に申請したのかも
(運営したあと結果は見ずに放置してたけど) >>441
それは、本当にありがとう。実に助かる。おかげで、フランス語などの特殊言語
のみならず、英語で使われる dash なども、たぶん文字化けしなくなったみたいだ。
以前は、英語の dash さえまともに表示できなかったけど、今は文字化けしていない
のではないかという気がする。
ということは、もしかしたら発音記号などもここにきれいに表示されるかもしれない。
以前は、OED Online に載っているたくさんの語源情報のうち、英語以外の言語から
英語に入っていった歴史を示すには、特殊文字をたくさん引用する必要があったけど、
それはすべて文字化けするから、結局はその紹介を諦めていた。今からは、もしかしたら
かなり広範囲な特殊文字をそのまま表示できるようになったのかもしれない。 特殊文字が表示されるかどうかを試すため、この下に this という単語の語源欄を
そっくりそのまま copy and paste してみる。OED Online においては、特殊文字が
50 個あるいはもっとたくさん使われている。
this, pron. and adj.
Pronunciation: Brit. Hear pronunciation/ðɪs/, U.S. Hear pronunciation/ðɪs/
Etymology: Originally the singular neuter, nominative and accusative, now the sole singular
form of the Old English demonstrative þes , þéos , þis , corresponding to Old Frisian *this ,
thius (thisse ), thit , Old Saxon *these , thius (thesu ), thit , Old High German dese ,
-er (later diser , dirro ), desiu (disiu ), diz , Old Norse masculine and feminine þesse , þessi ,
this の語源情報の続き
neuter þetta ; a Norse and West Germanic formation, produced by adding se ,
si (probably = Gothic sai ‘see, behold’) to the simple demonstrative represented by the adj.,
pron.2, and n.1 and that pron.1, adj., adv., and n., as shown by the early Old Norse Runic forms
語源情報はさらに続く。
sá-si , sú-si , þat-si , accusative singular þan-si , þá-si , þat-si , dative þaim-si , plural neuter
þau-si . Later the compound was felt as a single word and inflected at the end, the initial þ
being also extended to the masculine and feminine nominative singular, making *þá-si ,
*þú-si , in Old Norse þesse , -i , in Old English þe-s , þío-s or þéo-s . Gothic expressed the sense differently, viz. by adding to the demonstrative sa , sô , þata , the strengthening particle -uh , making sah , sôh , þatuh , plural masculine þáih . The Old English nominative plural was þás , less commonly þǽs , Middle English þēs ; the former now represented by those pron. and adj. (which functions as plural of that ), the latter by these n. In Old English the word was thus inflected: Singular Masculine Feminine Neuter PluralNominativeþesþéos, þíosþisþás, þǽsAccusativeþisneþásþisþás, þǽsDativeþis(s)umþisseþisumþisumGenitiveþis(s)esþisseþis(s)esþissaInstrumentalþýs, þísþýs, þís
語源情報の中で使われている特殊文字のほとんどは、どうやらきちんとここでも
表示されているようだ。ただし、italics だけは通常のフォントで表示されている。
OED Online の画面上では italics のおかげで意味がはっきり分かる時が多いのだが、
italics をすべて無視されると、わかりにくくなる。これはまあ、仕方がない。
文句を言うつもりはない。
斜体は、プレインテキストとしてはコピーされない情報なので、仕方ないと思う
5chはプレインテキストにしか対応していないし
プレインテキストしかコピペできないサイトで、
擬似的に斜体と太字のコピペを可能にする技術的な方法を思いついた
サーバー側で対応が必要なので5chでは使えないけれど
自分で作るサイトでは使えそう
unicodeに斜体やBOLDのラテン文字があるからそれ使えばいいだけじゃん
>>451
それは、コンピュータから見ると別の文字なので、
自分で書き直さないといけない
(コピペできないの解決にはならない) >>452
wordで太字にした話してるんじゃないっつーの
ちゃんとunicodeで装飾されたラテン文字が定義されてるからその文字コードを使えばいいじゃんって話 >>356 です。こんなにたくさんのレスがつくと思いませんでした。全部読ませていただきました。ありがとうございます。 専門的な知識・理解がないと、このあたりは理解が難しいのかもしれない
OED Online というサイトで使われている斜体は、HTML・CSS により斜体に表示されているだけで、
plain text としては斜体の文字ではないのだ
なので、コピペだけでは 5ch に斜体をコピーしたいという問題は解決できない
大事な部分はスクショして画像を貼ればいいよ
簡単だろ
理解力の高さ・低さも、言語能力と関係あるのだろうと思う
相手の言っていることを正確に理解できなくて、自分の勝手な解釈で話を進めて
争いや衝突になっているケースが、人類では多いのだろうと思う
そうね
自分が不利になると、殺すだの🐷語だの言い出すおじいちゃんとかね
具体的には、ブラウザでやるなら、各要素に対して
window.getComputedStyleでfontStyleとfontWeightを比較して
innerTextにある[a-zA-Z]をそれぞれ対応するunicode文字にすればよい
理解力が低いとこの説明でも分からないのかもしれないが
いやtampermonkeyなんかで登録しておいて任意のタイミングで発火させればいいだけじゃん
ここまで言われないとわからないのか
論点をずらしてマウントをとってくる人は、何がしたいのか
かまってほしいのだろうか
太字をコピペするのは簡単だという話を理解できずに見苦しいな
間違ったこと言ってる情弱の相手したら感情論で押し通そうとされて草
「斜体の情報はコピペされないんだね」
「斜体として表示されているけれど、文字としては斜体ではないからね」
「unicodeに斜体の文字があるから、それを使えばいい」
「そうするには、コピペだけでできるわけではなく、自分で作業が必要だね」
「だから、unicodeに斜体の文字があるから、それを使えばいい」 ←ここがおかしい
「それには、作業が必要だよね」
「プログラムを書いてTampermonekyに登録すればいい」 ←作業が必要
>>467
>>449で技術的な心得がある>>460が作業と思えるほどの無能相手に話してるとは思わなかったわごめんね^^;
そんな長文レスしてる時間あれば簡単に実装できるだろうに 「それはコピペ以外の作業が必要だね」
「作業は不要。プログラムを書いてTampermonekyに登録すればいい」
この理解力の低さは一体何なのだろう
イベント一つ発火させるだけなんだから作業量としてはコピペとかわらないだろ
どんだけ無能なんだ?
>>468
そこがそもそも間違っている
根本的なこととして、OED Online からコピペするのは私ではない
PCに詳しくない一般人 あ、長文おじいちゃんNGにいれてたからそこの流れ気付かんかったわ
>>472
>>446
> OED Online の画面上では italics のおかげで意味がはっきり分かる時が多いのだが、
> italics をすべて無視されると、わかりにくくなる。
斜体をコピーしたいと言っている人は OED Online の斜体をコピーしたい
別に他の斜体のコピーがしたいわけではない OEDさんに関しては単純にアスペルガーだと思う
こだわりとか情緒的に
特性を生かして生きてきたというのはかなり
うまくいったキャリアかと
しかし、Unicode の斜体・太字の文字に置き換えてコピーするというのは、かなり秀逸なアイデアだ
(斜体・太字の文字が存在するかは知らないが)
私が思いついたアイデアよりもだいぶよい
私は、クリップボードのリッチテキストのバージョンから斜体箇所のみ
独自マークアップ記号付きに置換し、
ページで表示時にその部分を斜体で表示する、ということを考えていた
この方法は、自分のサイトでしか使えない(5chでは使えない)
すでにuserscriptが存在するのかもしれないが、
もしよかったら51さんが作ってあげてくれないだろうか
(ページロード時に置換するのではなく、5ch用にコピペしたいときに置換するのがよいだろう
通常の用途では、元の文字でコピペしたいことの方が多いだろうから)
?????????? ???????? ???????????? ???? ?????? ????????????.
だめだ、Unicode の斜体・太字を貼り付けてみたけど、
うまくいかないみたいだ
>>434
僕もこんな言い方があるのかと驚きました。
それでここの人たちにも知ってもらいたいと思ったんです ここのスレ見てる人プログラマさんもいるのか。
世の中広いな
>>482
おお、ありがとう!
5chでは使えないかもしれないけど、他のサイト(twitterなど)用に便利そうだ
(スマホからなので、取り急ぎ、お礼まで) >>482
こんなの書けるんやびっくり
個人的には数式かけるやつがほしいが無理よなあ >>483
いえいえ
5chでもちゃんと使えてない? 要件勘違いしてる?
>>485
TeXを可能な限りunicodeに変換してくれるのならあるよ -> https://www.unicodeit.net
Unicodeで書ける数式なんて限定的だけどね
∀ n ∈ ℕ n ≥ 3 → ∀(x, y, z) ∈ (ℕ / {0})³ xⁿ + yⁿ ≠ zⁿ 5chに、テキストとして数式を書くことはできない
数式の場合は、適当な数式エディターで数式を書いて、
数式の画像をアップローダーにアップロードしてそのリンクを貼る、という解になると思う
texを数式表示できるサービスへのURLを貼る、
という解もあるが、texで数式を書かないといけない
>>486
私のおま環だった
android 12 + chmate なら正しく表示された
windows + 私が設定しているフォント、だと、jane でも chrome でも文字化け
古い Android + chmate でも文字化け
多分うまく表示できない環境では、使っているフォントがそれらの文字を含んでいないのかと思う >>488
訂正
Windows + Chrome でも正しく表示された
表示されないのは私の >>477 だった 51さんのコードを元に、私のバージョンも作ってみた
https://pastebin.com/gXVFnKYN
主な変更点は、
・ページを変換後の文字列に書き換えるのではなく、クリップボードにコピーするだけにした
(機能実行後もページが human readable なままにした)
・span タグ決め打ちではなく、全てのタグに対応した
(OED 以外のあらゆるウェブサイトでも使えるようにした)
OED 以外のウェブサイトにも対応したので、Tampernokey で @match の行を
@match http*://*/*
に変更すれば、他のウェブサイトでも実行できるようになる
しかしこの場合、u キーで実行するという設定は、サイトによってはキー設定が被って問題がでうる
また、ページロード時にスクリプトが読み込まれ(実行され)、機能を使わないページ上で、わずかだが無駄な負荷になる
そこで、上記の方法で全ウェブサイトに対応させるときは、
Tampermonkey の、このスクリプトの Settings で、Run at を context-menu にするとよい
こうすると、コンテキストメニューから選んだときだけ機能が有効になる
(実行は、相変わらず u キーのまま)
(機能を使わない場合はスクリプトが読み込まれない・実行されないので、余計な負荷にならない)
(若干、対応できていないタグ、みたいなのがあるかもしれない
しっかりテストしていない)
しかしこの機能、英語板で紹介しても、51さんと私以外に使える人がいるのかは謎である 51さんは、かなりの実力者であった
アイデアも素晴らしく、コードは過不足なくて、非の打ち所がない
私の変更箇所は、上に書いた2箇所は機能向上と言えるが、残りの箇所の細かな変更は、どちらが優れているというものではなく、趣味と宗教の問題である
私は短いコードが好きなので、短く書き直したところもあるが、他人と共同開発する場合などは 51さんのコードのほうがよいという箇所も多い
(遊び心で、51さんのと少し違う実装にしようとした、というのもある)
51さんのコードは教科書的、私のコードは癖があって自分一人用、みたいな感じ
行末のセミコロンの有無は宗教の問題(セミコロンをつけるほうが一般的)
>>492
あ、一つ書き忘れていた
コピーしたい箇所を選択してから実行(u キー)する必要がある