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やってるほうもたいして面白くなかったろ。
毎日宴会ばっかりやってて防衛に徹してれば
めんどくさい目にもあわなかったのに
【悲報】日本さん、マスゴミに簡単に洗脳される(笑)幼稚な多数決カルト信仰国の末路(爆笑)
一、日本人の精神を腐敗・堕落させ愚民化させろ。
二、日本人の女を集中的に狙い洗脳しろ!
三、ネトウヨ、ヘイトスピーチ等の言葉を浸透させ、同胞への批判を封じろ.
四、「同性婚・LGBTを全面肯定しない者は差別主義者だ!」という雰囲気を作れ.
五、中身のないアニメを流行らせ、クールジャパンをオワコン化させろ.
六、「未だにガラケーの奴は笑い者」という雰囲気を作れ!
七、「日本人の男VS日本人の女」の対立を煽り、分断しろ。
八、日本人同士で恋愛・結婚させない、子供を生ませないよう誘導しろ!
九、日本同士で結婚していたら離婚させる方向に仕向けろ。
十、我々がステマしてやれば無名女優も売れっ子女優に早変わり!
十一、イケメンブームを定着化させ、「男は外見が全てだ!」と洗脳しろ!
ー ソース ー
電通.グループ会長 成田豊は朝鮮半島生まれ
http://ja.wikipedia.org/wiki 牟田口は軍事的に無能なだけ。
ヒトラーは政治、軍事両面で酷い。
牟田口は局地的な戦いに負けただけで
大局的に見て重要だったり
天王山の戦いのような場面で
負けたわけじゃない。
そう考えると東条英機の方が
酷い無能だな。
南雲忠一と比較するとあんがい、
牟田口の方がマシかも。
南雲はミッドウェー海戦と言う
負けてはいけない戦いで負けた。
だが牟田口のインパール作戦は
負けたとしても全体の敗北に
影響するような作戦ではなかった。
軍事的に無能でも劉邦みたいに
評価されているケースもある。
牟田口は劉邦ではないか?
東条英機
酷すぎる軍事的無能
南雲忠一
虎の子の空母を殺す
牟田口
精鋭部隊を殺してはいない
ミッドウェー海戦のように
戦局に影響はあたえず。
東条が大局的な敗北を作ったのに対して
牟田口は局地的な敗北だけ
軍事的無能度合い
東条>>>>>>>南雲>>>>>>牟田口
戦局に影響の無い作戦で、どんだけの国民を無駄死にさせたんだっけ?
>>14 南雲が虎の子機動部隊を失ったのに
対して牟田口は陸軍の精鋭部隊を
失ったわけではない。
牟田口より東条の方が酷いだろ。
アメリカと戦争するという
大局的、戦略判断でのミス。
無駄に死なせていい国民を使っていくらの無駄にしたの?
>>17 倫理的ではなくて軍事的に考えてくれ。
軍事的には強い駒を大事にするのは
当たり前だろ。
>>18 そう言うのなら戦争そのものが
人命の多大な損失じゃん。
破綻しているが明確な作戦を強引に進めたことが誉められることかね?
>>22 だったら敗戦確実なのがわかっているのに、
戦争を始めた東條はどうなるんだよ。
牟田口はたしかに軍事的にはゴミだが
局地的な敗北しかしてないし
全体の敗北までは影響を与えてない。
現場の将兵への兵たんが破綻しているのを知っていながら、芸者遊びが褒められたことか?
牟田口の敗北が原因で日本の敗戦が
濃厚になったわけではない。
インパール作戦はミッドウェー海戦なみの
戦局影響力はない。
祖父をインパールで亡くしたものに、お前の祖父は亡くなって当然の存在だったと言えるのか?
牟田口が犯罪者でないと言い張れるのは、国家権力だけであることを否定できる生き物がいるというのか?
>>29 俺は牟田口が軍事的に有能か、
無能かの次元でしか語ってないよ。
麻原彰晃と何が違うかと言えば、軍服を着ていなかったことくらいはわかるぞ!
たった一人の狂気だけで為された犯罪的作戦で無いことくらいわかる。
大日本帝国陸軍が培った風土があってこその犯罪的作戦だったんだろうということはわかる。
政治的意味合いが皆無な意味の無い作戦の首謀者であり、日本帝国陸軍戦闘能力の弱体化に貢献したがゆえに、大した戦犯に問われなかったのもわかる。
兵員を餓死させてる時点で優秀なわけねえだろアホ。
ジンギスカン作戦とかいうまえにヤンゴンで兵員あつめて
まいにちバーベキューパーティやってたほうがよほど
名将あつかいされたろ。
>>35 勝算がまったくないというなら
ニューギニア、サイパン、フィリピン、硫黄島なども同様で
それらの作戦よりはマシじゃないのか?
牟田口が酷い無能か、
史上、一位をとれる将軍のゴミかと
言うと違うと思うけど…。
アメリカを対日戦に迎え入れた
東條や山本の方が無能な気がして
ならない。
>>37 対米戦は山本五十六で
陸軍の東條は関知してないだろ
勝ったからあまり言われないが、日露戦争のり旅順を巡る帝国陸軍の作戦も酷かったんだよな。
.:::::::;' 大西君!!!!! ';:::::::.
:::::::::i l::::::::.
::::::::::! 真珠湾奇襲はボクの信念なんだよ! i::::::::
::: :::
' ― ―‐ -- 」 L_:::::
以後  ̄ ̄ ̄
__,. -┐ アメリカはそんなに甘くないとか
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 意味不明なこと 言わぬよう!!! r::- _
:::::::::'、 /:::::::: ´` '
::::::::':、 ,.:':::::::
::::::::ヽ / ̄\ /:::::::
::::::::丶 | | ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 \_/ _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
/ ,.:::::::: /\ , , /\ `、 \
/ ,.∩ / <●> <●>\.`、 \∩
/ , ' l ヽ∩ / (__人__) \ ∩ノ j
/ , ヽ ノ | |::::::| | ヽ ノ \
/ , ' | ヽ \ ` ⌒´ / / j \
/ , ' \  ̄  ̄ / `、 \
./ , ' 山○五○六
真珠湾奇襲が成功しなければ、この国は滅びると、見事に未来を的中させる等
すべて先を見通す国際的視点をもった、そのたぐいまれなる先見性!
______ ___________
V
ヽヽ〃 /
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
↑
半藤 一利
バカにもほどがあるw
>>38 対米戦を始めたのは首相の東條だろ。
パールハーバーを攻撃したのは山本だが
どちらか片方だけでは対米戦は
行われなかったと思う。
連合艦隊司令は、対米戦は、海軍として1年は戦ってみせるが、その先まで担保してたっけ?
>>43 対米戦争は海軍と外務省が水面下で決めたことだろ。
陸軍は対米戦争にまったく関知してない
当事者の海軍と外務省が、交渉の余地はなく
開戦するほかないという判断をしたのだから
東條は認めざるを得ない。
東條はそれに異を唱える立場にないし、情報も持ってない。
当時の政治システムでは総理にはその程度の権限しかない
といか海軍は8月には真珠湾奇襲をやると決めており
野村大使は海軍とグルになって、それを察知されないように
偽りの外交をやっていたとアメリカは判断している。
アメリカ政府も日本政府も
日本の海軍と外務省にだまされたに等しい。
>>47 牟田口の作戦が犯罪行為なら
山本五十六の作戦もすべて、それ以上の犯罪行為ではないのか?
牟田口の軍事的失策による被害は
インパール作戦に関与した一万〜数万の
兵士の犠牲にしか過ぎないが
山本や東条の場合、日本軍全体に及ぶ
被害になっている。
牟田口を庇う気はないが
ヒトラーの方が酷い無能だと思うけど。
牟田口は一方面の軍司令官に過ぎなかったから、
日本軍全体に及ぶ被害にはなってないが
牟田口より山本や東条の方が
影響は大きいと思う。
>>50 東條は海軍と外務省にだまされて対米戦争を了承したんだろ
対米戦争の責任は、海軍と外務省が負うべき
特にアメリカに対する不法な先制攻撃は、海軍が勝手にやったことで
東條が海軍の作戦の責任なんか負えるわけがない
>>49 ヒトラーより山本五十六の方が無能だが?
アメリカを怒らせて、アメリカを全面戦争に引きずり込んだのは
山本五十六じゃないか。
真珠湾奇襲を聞いて、連合国の首脳はみんな大喜びしているわ
将軍としては無能で評価外だが
ヒトラーのように民族虐殺行為に
手をつけなかったのがせめてもの救い。
当時の人間って虐殺行為に
手をつけまくっていたからな。
牟田口はたしかに日本軍に不名誉を
もたらしたがそれは民族虐殺みたいな
ものでないのがせめてもの救いだ。
ある意味、芸者を呼ぶような
遊び人でよかったわ。
て言うかもう民族虐殺行為に
手をつけられたら評価のしようも
なくなる。
牟田口の作戦で何人の日本人が無駄に命を落としたんだっけ?
残された家族はどうなったんだったっけ?
>>55 そんなことを言うのなら
牟田口より東條や山本の方が
酷い損失を出しているぞ。
そもそも牟田口は一方面の軍事的ミスしか
してないから東條や山本のように
全方面でダメージをこうむる被害など
出してない。牟田口のミスが原因で
日本軍の敗北が決定した訳じゃない。
あとヒトラーみたいな事をされたら
永遠に叩かれ続けて日本人の名誉に
泥がかぶるからな。
500年、1,000年経っても叩かれて
汚点が永久に残るからな。
>>58 だから問うてるだろ。
軍事的無能だけど当時の人間に見られた
虐殺行為に関与してないから
絶望的なクズではなかった。
>>56 必要不可欠でない作戦で無駄に死地に追いやったということでよいですか?
>>59 無駄に死なせた国民を生きかえさせられたらね。
無駄死にさせられた国民と一緒に奉られるべき者だと言えますか?
>>60 俺は
>>53と
>>59で軍事的無能だと
結論付けているぞ?
牟田口の軍事的才覚については
一切、べんごしてない。
>>61 ならなかなか降伏せずに
いたずらに戦死者を増やした
当時の日本政府にも問題がある
と思うけど。
あと戦争をしているのは政治家で
日本政府なんだから
日本政府に終戦交渉の権限が
あったんだろう。
まあいずれにせよ、牟田口が無駄に日本国民を死なせる作戦を立案指揮し、現場の危急の事態を現場の無能力のせいにして、作戦の見直しを認めなかった結果、多くの日本人が亡くなった事実は変えようがないわな。
>>70 末端の下士官が戦争をやめようと
しても無理だろ。
そんな権限を持ってないんだから。
戦争を始めたのは末端の下士官ではなく
軍でもトップに居て権限を持っていた
東條。東條が戦争を始められるのなら
終えられるのも首相の地位にある者のみ。
で、日本の首相、日本政府は
なかなか戦争を終わらせようとは
しなかった。
だから原爆が二つも落とされた。
実力で軍を組成した人物が軍のトップになるんじゃなくて、御茶坊主みたいに
器用に取り入り机上の勉強ばかりやってる小物が軍のトップになるようなシステム
やってるから牟田口みたいなハエが将軍様になりおおせるんだよな。軍というのは
畢竟私兵なんだから、最高幹部は自力で議会と交渉して軍を組成できるような
人物のみで編成されてなければいけない。私兵だからこそ大切にするし無駄な
出血は回避しようとするものだ。人間の組織は機械ではなく軍首脳は歯車ではない。
牟田口の無駄な作戦で無駄死にしたすべての国民とその遺族に対して、牟田口は無能でしたと言ったところで、無駄死にした国民は帰ってこない。
事実を事実として記載していくことが科学なんだよ。救われるとか
救われないとか関係ない。
当時の人間ってヒトラーにしろ
スターリンにしろトルーマンにしろ
ルメイにしろ英空軍にしろ
何かしらの虐殺行為をしていたから
ただ単に軍事的無能ってだけなら
まだ救いの余地があると思う。
ヒトラーの叩かれ方を思うと
これだけが救いだよ。
日本軍の名誉を民族虐殺じゃなくて
ただの軍事的失策で汚している
だけだから当時の人間の醜態を見るに
軍事的にはゴミクズだが
まだ救いはある。
戦後の言い訳みたいなのが日本人的価値観からしたら見苦しいわな
敵将は優秀なほど腹が立ち味方の将は愚劣なほど腹が立つ
英軍に評価され国軍に罵倒さ牟田口将軍がどちらかに評価されるかは自明であろう
>>80 戦後に普通に畳の上で死んでるから祀られてないだろう
銃弾の痛みを感じながらでも、首への圧迫痛を感じながらでも、飢えの苦しみを感じながらでもなく、畳の上で命を全うしたのですね。
>>77 牟田口は自軍に損害を与えただけだから敵国からは別に追及はされんだろうな
こういう酷い作戦で自軍に大損害を与えた将軍は第一次大戦には結構いてイギリスの派遣軍総司令官のヘイグ フランスのジョフルも多数の味方を殺した
中でもピカイチはイタリア軍最高司令官のルイージ・カドルナで彼の酷い指揮でイタリア軍は全兵力の1/4相当の27万が捕虜という壊滅的損害を受けカドルナは総司令官を解任された
後にムソリー二が元帥号までくれてやったりと本人は部下が悪いので自分が悪いとは全然思わなかったらしい
その自軍に与えた損害の規模からカドルナ元帥は牟田口の遥か上をいっているといえよう
茶坊主みたいなハエを将軍さまにしてしまう近代官僚制度そのものが日本を亡国の道に導いたと言える
陸軍で評判が悪い将官と言えば牟田口蓮也と富永恭次が双璧だろう
富永の第四航空軍司令官としての言動は余りにも愚劣で最後は敵前逃亡
この辺は牟田口とどっこいだが富永はシベリア抑留で10年過ごし帰国後言い訳自己弁護の類はしなかったところに差がある
また富永と並んで昭和天皇に東條傘下の評判の良くないもの呼ばわりされた田中隆吉は戦後は鬱状態で自分が東京裁判で証言して刑場に送り込んだ武藤の亡霊に怯える日々を送ったという
彼らに比べ牟田口の心臓の強さは特筆に値する
辻とか佐藤賢了あたりも同類だろう
インパール作戦で実際に日本軍と戦った連合軍側の司令官、参謀らは皆が
牟田口の考えどおりに攻めていれば、日本軍は勝てたとの見解で一致しています。
こういった情報は日本ではまったく報道されず黙殺されています。
アーサー・スウィンソン大尉(英軍第二師団参謀・コヒマ戦線)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
スチルウェル中佐(米支軍作戦参謀・北部ビルマ戦線)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
アーサー・パーカー中佐の書簡(インパール防衛の英印第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
スリム中将(この戦い全般を指揮した連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』(英国公刊戦史)
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って
猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプールで英第二師団等を指揮)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
デリク・タラク准将(ウィンゲート部隊参謀長)(連合軍を勝利に導いた最大の功労者)
彼(牟田口)はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。
>>86 牟田口の考えどおり兵がうごけないほど物資が枯渇していたのに理想論だけで命令したから大崩壊したんじゃないのかな。
>>87 インパール作戦は1か月程度で終わる作戦
そしてそれは可能だったと言うこと
補給の問題ではない
一月で終えられなかった時点で失敗だったってこと?
なら、それ以降に亡くなった将兵は完全な無駄死だってこと?
たぶん補給の問題だったんじゃないかな
>>88 みたいな専門家は否定するんだけど
牟田口って氏名だけで、いま現在、ものすごく肩身の狭い思いをしている日本人っていったい
どれくらいいるんだろうね。1万人規模でいるのだろうか。気の毒に・・・(´・ω・`)
"牟田口" -廉也 でぐぐったら実質136件しかヒットしなかったわ(表面的には大量に出るが
2ページ目以降になるとほとんどヒットがない)。みなさん息をひそめて暮らしてはるんやねえ。
>>91 大丈夫
牟田口の名誉を回復すべく、その報復で
山本五十六と半藤一利が叩きまくられている。
戦後の権力者、エセ保守勢力による東京裁判史観と海軍善玉論の虚偽は
まもなく崩壊するであろう
真実はかならず最後には理解される
牟田口と山本五十六と、どちらが真の愚将なのか
いずれかならず正しい決着がつくはず
>>94 おまえ軍事の知識あるのか?
牟田口がどういう基準で愚将なのかを具体的に示してくれ
元大日本帝国陸軍将校で戦後国会議員までやった上で、東南アジアで行方をくらました輩のこと?
1943年6月24日からラングーンで行われた兵棋研究の段階でホフマリからの15師団と31師団の攻勢は補給が続かないから変えるべきと指摘されながら以降なんの検討もしてない時点で無能もいいとこ
>>99 インパール作戦で実際に日本軍と戦った連合軍側の司令官、参謀らは皆が
牟田口の考えどおりに攻めていれば、日本軍は勝てたとの見解で一致しています。
こういった情報は日本ではまったく報道されず黙殺されています。
アーサー・スウィンソン大尉(英軍第二師団参謀・コヒマ戦線)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
スチルウェル中佐(米支軍作戦参謀・北部ビルマ戦線)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
アーサー・パーカー中佐の書簡(インパール防衛の英印第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
スリム中将(この戦い全般を指揮した連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』(英国公刊戦史)
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って
猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプールで英第二師団等を指揮)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」
デリク・タラク准将(ウィンゲート部隊参謀長)(連合軍を勝利に導いた最大の功労者)
彼(牟田口)はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。
日本軍て兵を大切にしないよな。武田信玄は兵の損傷を最も気にしてたよな。
日本軍がイカれてるように見えるが19世紀から20世紀初頭、どこの国でも兵は消耗品だった
欧州列強が第二次世界大戦で多少ともなり兵の命を考慮するようになったのは第一次大戦で人口動態がおかしくなるくらいの犠牲を出したためだろう
当時4千万のフランスは140万の兵が戦死した 英国は同じく4千万で90万が戦死 ドイツ帝国は6500万のうち200万が戦死した
太平洋戦争の日本軍は8千万の人口で230万の兵が戦死した
戦後日本が戦死者に極めて敏感になったが、英仏は第一次大戦で太平洋戦争の日本と同じかそれ以上のダメージを受けている 兵の命を守ろうという思想も当然だろう
一度経験しなければ兵の命を守ろうとはならない 第一次大戦の英仏の戦死者は大して必要でない作戦でさえ莫大な死者を出した ジョフルやヘイグ、カルドナといった英仏伊の元帥たちの無能とその被害の大きさは牟田口の及ぶところではない
日中戦争以降を主導したんは東条率いる東北出身者で構成される軍閥や。
東条、板垣、石原、甘糟など東北出身者が関東軍70万を掌握して、その後ろ楯を得た東条が、政敵の長州閥を駆逐して政権を打ち立てた。
東北人特有の時代を見る目のなさを発揮して日本を滅ぼしたわけだ。
戊辰戦争の時から全く進歩しとらん。
半世紀以上無敗だった長州閥がそのまま軍権を握っていたら上手く時勢を切り抜けたことだろう。
全く残念なことだよ。
>>102 それを言ったら、
世界初の総力戦で、多くの将兵を戦死させた、欧州の無能の将軍達を沢山見て、反面教師にできる機会があったのにも関わらず、
二度目の大戦なのにもかかわらず、同じ失敗を繰り返した日本の将軍達はもっと無能では?
まあドイツの将軍達は、第一次でも第二次でも、性懲りも無く同じ様に沢山の将兵を戦死させたがな。
見ただけじゃ身につかない 自ら体験して骨身に染みないと
実際痛い目を見ると、戦後日本やマジノ線に籠ったフランスのように逆に振れて羹に懲りて膾を拭くとなるが
第一次大戦の欧州列強も日露戦争を観戦武官を送っていて、彼らの報告は非常に適切であったにも関わらずその戦訓をほとんど活かさなかった
本国の閣下達は所詮は極東アジアの蛮族小国とでかいだけの後進国ロシアの戦いだと思っていたのではなかろうか
お陰で旅順要塞へ突撃した乃木第三軍と同じくフランス軍は機関銃陣地に歩兵突撃を敢行し兵はバタバタと死んでいった
>>106 日露戦争を戦ったロシアの将軍達は、第一次大戦の東部戦線では、教訓を生かしていたのだろうか?
一次大戦のドイツの将軍達は、教訓を二次大戦ではちゃんと生かせてたの?
>>107 日露戦争、第一次大戦、第二次大戦と、全ての総力戦に関わって、
最後の二次大戦では、2000万人以上もの戦死者を出したのがロシア。
>>107 第二次大戦のドイツは生かしたんじゃないかな
塹壕戦に懲りて機甲部隊と航空支援による電撃戦に切り替えたし
第一次大戦のロシアは政府も軍も腐ってて戦訓を生かすとか以前の状態だと思う
という事を日露戦争の観戦武官のマックスホフマンに見抜かれてタンネンベルクで大惨敗
ドイツ軍はいろいろ言われるが参謀本部制は相対的には優れていると思う
孟子曰く 天の時は地の利に如かず 地の利は人に和に如かず
天地人3つ揃えば成功の疑いはない
だがインパール作戦は3つ全てがないという恐るべき作戦だった
牟田口は孟子が一番大切と言う人の和が最低で、下は3人の師団長の首を飛ばし、上級のビルマ方面軍の河辺とは腹の探り合いでまともに話ができないのである
牟田口が総理だったコロナ禍余裕で克服しているな
ただペスト級でも同じことやっちゃうんだなこれが
てめえはヤツの部下になって犬死にしてみやがれ、バカ
ヴァカ日本人w
早く反論してみろ無能w
日中戦争は山本五十六ら海軍が謀略によって引き起こした戦争である
https://www.bookbang.jp/review/article/30202 日本海軍の知られざる実像
[レビュアー] 山村杳樹(ライター)
一九三七(昭和十二)年八月九日、上海海軍特別陸戦隊の大山勇夫中尉が虹橋飛行場に車で突入、運転手共々、中国の保安隊によって射殺された。
この「大山事件」に乗じて海軍軍令部は十一日、宣戦布告に等しい要求を中国側につきつけ、十四日には大規模な渡洋爆撃を開始した。
近衛文麿内閣は「暴支膺懲」声明を発表し、支那事変に対する方針を不拡大から拡大へと一変。
当時の山本五十六海軍次官は、連日の渡洋爆撃を対米戦に向けての準備期間と捉え、海軍航空隊の充実、錬成に莫大な臨時軍事費を注ぎ込んだ。
本書はこの「大山事件」が現地海軍が仕組んだ謀略だったことを種々の資料や証言から論証し、事件を機に動き始めた日本海軍の「自滅のシナリオ」
の展開を跡づける。
更には、戦後、軍令部の参謀たちが偽証の口裏合わせをし東京裁判に臨み、「海軍は、陸軍に引きずられて太平洋戦争に突入した」という
「海軍善玉論」を意図的に創作、流布、宣伝したことに言及する。
著者は、日本海軍全体が「国の命運や国家利益さらには国防よりも組織的利益を優先させた強いセクショナリズム集団」であり
、膨大な戦時予算を獲得するために海軍の縄張りであった華中、華南で謀略を仕掛け、「自滅のシナリオ」を発動させたと結論づける。
実際、海軍は皇族で対米英強硬論者の伏見宮博恭を九年間(一九三二〜四一)にわたり軍令部長(在任中に軍令部総長に名称変更)に据え
、皇族の威光に隠れ横車を押す「知能犯」でもあった。
驚いたのは、昭和初期の海軍にあって、日露戦争の英雄、東郷平八郎元帥が隠然たる影響力を持っていたという事実。
東郷元帥は対米英戦に懸念を示した当時(昭和七年)の谷口尚真軍令部長を「こっぴどく面罵」し軍令部長交代を実現させたという。
一次資料、公刊資料、証言などを精力的に博捜した本書には、日本海軍が辿った歴史を検証し、流布されている“海軍神話”を解体せんとする情熱が溢れてい
山本五十六を賛美する戦後のバカにだまされてはいけない
牟田口が無能なら
海軍の太平洋戦線の作戦をやった連中はキチガイですw
インパール作戦で実際に日本軍と戦った連合軍側の司令官、参謀らは皆が
牟田口の考えどおりに攻めていれば、日本軍は勝てたとの見解で一致しています。
こういった情報は日本ではまったく報道されず黙殺されています。
アーサー・スウィンソン大尉(英軍第二師団参謀・コヒマ戦線)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
スチルウェル中佐(米支軍作戦参謀・北部ビルマ戦線)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
穂積陳重せんせいの法窓夜話・続法窓夜話を読みましょう。すでに多くの読者に支持されている古典的名著だ。
無能で卑怯で卑屈で残虐な日本軍が滅んで本当に良かった。
中国共産党の対日世論工作員に警告しておく。いますぐ穂積陳重せんせいの法窓夜話・続法窓夜話を読め。すでに多くの読者に支持されている古典的名著だ。
牟田口「コロナは大したことない」
今村均「コロナは大したことない」
同じ発言させても意味が違うな
中国共産党の対日世論工作員に警告しておく。いますぐ穂積陳重せんせいの法窓夜話・続法窓夜話を読め。すでに多くの読者に支持されている古典的名著だ。
結果が全て
インパールで大失敗した牟田口は無能の烙印を押され、旅順で大被害を齎したがなんとか陥落した乃木は赦されて軍神扱い
インパールは致死率30%以上
牟田口からすればコロナなんて子供の遊びだ
ほぼ全滅した印象だったけど、帰還率けっこう高いんだな
インパール戦は後期でも包囲されたわけではなく後方策源地と連絡を維持できているから這ってでも後退さえできれば生命は助かる
これが太平洋の島嶼戦と違うところだね
太平洋の戦いは海に囲まれた島で制海権制空権を失ってから始まるから後退が不可能かつ降伏は論外なので助かる命も全て玉砕化する
フィリピンの戦いは日本軍の参加兵力50万、戦死戦病死40万、本来こんなに死者を出す戦いじゃなかった でも後退できないから死ぬしかない
アホの山本五十六に戦争を主導させたのが
諸悪の根源
このバカを賛美し国民に対米戦争を煽った
海軍省記者クラブと重臣の岡田らは
なんの責任も取ってない
アルキメデスの大戦、という空想軍記漫画で牟田口が有能な陸軍官僚として活躍している
牟田口廉也は栄光なき英雄。
世界の乃木希典。
日本軍を悲惨な戦いで殺して殺しまくったことこそが最大の功績。
それを兵力温存を断って共に戦ったインド国民軍と共に味わえた事。
英国軍では言葉が通じない現地の英印軍は使い捨ての捨て石部隊として使うのが常。
インド国民軍は敗戦の軍事裁判で処分されかけるが、今度は英印軍が反乱してインド独立のきっかけを作る。
今村均や山下奉文の方がたくさん日本兵を餓死させてるからな
牟田口を弁護する向きの書き込みが多いな 親類かもな
>いうほど世紀の無能か?
いうほど世紀の無能。明らかに。疑いようなく。非の付け所がなく。
「精神論だけで低能な作戦を強行し、16万人もの部下を殺した」なんていう頭の弱さは、世界史の上でもそうたくさんある物ではない。
牟田口を擁護しているのは笠原信者である通称海軍ガー
牟田口だけでなく、東条英機、松岡洋右、河本大作なども擁護し、海軍が悪いと捏造した妄想を撒き散らす基地
日本のいちばん汚い老害w
昭和史といえば、このバカですwwww
自称歴史探偵こと 昭和史の語り部ww 半藤一利wwwww
.
ヽ〃 真珠湾奇襲プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) (彡 |
/ _/ \____/
このバカは、アホの山本五十六を賛美して毎回射精w
>>133 まあそれが牟田口だけじゃなくて戦前の日本の政治軍事の主流派のほとんどがそれなのがな
そして縦社会忖度組織のために明らかな事実誤認や間違った判断に対して修正がほとんど働かない
これは貧しい軍事国家が必ず陥るパターンで経済力のある国だと技術革新とシステムの変更に併せて人材が常に入れ替わりながら最適解を探す方向に向かうんだけど
金がないと技術も進まないシステムも変わらない意識も変わらない忖度ジャッジが続く悪循環で詰む
日本が負けたのが佐藤がバカだから
■英国公刊戦史・第三巻
第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
The War Against Japan, Volume III
Defeat Into Victory: Battling Japan in Burma and India, 1942-1945
日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する攻撃に投じた。
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ずそうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。
英国陸軍の史上最大の戦いに選出されてたり東のスターリングラードと呼ばれたりで、
イギリス人からは評価されてるって話だが、
でもイギリス人だから本気なのか皮肉なのかわからんよな
また九州の低学歴私立卒の小林よしのりみたいなアホが牟田口AGE教とかいうローカルカルト立ち上げてんのか。
あのキチガイ島はすぐ近くにもっとキチガイな汚物半島があるせいなのか不法入国チョンが多いのか
日本の無能を敢えて持ち上げて破滅させるように煽れ作戦の一環で諸悪の根源の牟田口や東条をアクロバット
擁護工作する小泉竹中安倍の信者みたいなのがいるからな。
牟田口は盧溝橋事件で日本の中国の植民地化を泥沼化させ日米関係を悪化せしめた戦犯。松岡陽介は枢軸同盟の
ドイツがソ連を叩いて反対から挟撃すれば逆転確定だったバトルをソ連のスパイの言うこと聞いて
なんとしても攻めさせなかった東条の子飼いの戦犯中の戦犯。ソ連を攻めろという軍の将校を
特高警察使って片端から拷問処刑させていたのが東条や松岡や牟田口達だからね。こいつらは
そもそも明治維新の敗残兵徳川会津の親戚であり江戸やトウホグなど穢れた所に多い。牟田口は佐賀、
古代からツングースエベンキ弥生と言って磐井の乱の敗残兵が落ち延びた穢れが多く住み着いている
所でもある。そして靖国カルトに永久戦犯祭ったカルト祭祀、ドラクエのハーゴンみたいな神官が
靖国の統領の徳川宮司というねwもうラスボスの正体わかってんじゃんwっていうキャラ
ゾーマがハーゴンが神官系っていうのも元々こういうカルト宗教勢力と軍部モンスターが結託して
日本という国を苦しめて悪い方向に進ませるためのものだ。反日資本家、官民合致で悪さ、悪代官と越後屋大黒屋。
だから日本人をたくさん苦しめてくれた東条牟田口は神様だよねとかキチガイ言う奴は
ああ、こいつは在日とか帰化人とかそっち系のwwwもう大体わかったはwww
っていうのは言われなくても気が付かないと簡単に自民党みたいな人食い犯罪集団に文字通り
食い物にされちゃうよっていう話。ドラキュラの餌にされてるのが文字通り羊な日本人。
当時のドラキュラとは東条英機とその幹部たち。日本兵の死、玉砕?とかで文字通り生き血、命を
すすって権力ポジを維持しているんだから、勇気を失った日本人、特高警察でチンチンにされた
日本人はその人殺し暴力装置や洗脳装置の奴隷だったわけだ。こんな連中は結局内部で韓国人系に
工作されて寄生虫のタコマンションにされている連中が陥る罠。
九州出身者、トウホグ出身者、こいつらは学歴や社会的地位に関係なく朝鮮系帰化人や蝦夷系帰化人の
可能性が高い。信用してはいけない連中だ。朝鮮帰化人は小泉みたいな奴、トウホグ系帰化人は安倍や岸
みたいな奴だ。誰でもわかってるって思ってたぞ?山上事件で
0874名無しさんといっしょ
2023/08/14(月) 21:55:16.82ID:IpCYbyPI
何か月か前に放送された佐賀市ものだが佐賀藩のことに
触れたのなら同じ長崎警備を隔年で担当していたバカタ藩の
ショボさに少しでも触れてほしかったな
明治維新で全く活躍できず50万石もありながら財政難でありとあらゆる
贋金偽札つくって廃藩置県前に取り潰された唯一の反社マヌケな藩w
幕末維新の時から修羅の国だった
まあこの知ったかグラサン野郎はよその地域はバカにしても
ネタの宝庫バカタ、不幸化は落とさんからな
まじで志村の代わりにシネバよかったのに
まあ東条英機や腐りきった特高警察相手に山上烈士みたいに革命でぶっ殺すみたいなことをやりもしなかった多くのチンチンの当時の日本人どものほうが無能じゃね?俺らなら革命じゃね?っていう意味なら分からなくもない
日本人が戦うべき相手は当時の腐った軍国主義者統制派であり明治維新の敗残兵の徳川どもだからね
戦犯ども。靖国カルトがww伊達に帰化チョン反日漫画野郎の小林よしのりとかいうゴミが持ち上げねーよなw
山上さんが殺した安倍統一韓国晋三は特高警察の本部長の子孫でありそいつらはトウホグ逆賊蝦夷安倍貞任の子孫で明治維新を憎む逆賊徳川の仲間なんよ
愛国っていうのは日本人死ね!俺たち徳川と蝦夷の仲間の楽園にこの国好き放題って意味
牟田口を殺せなかった当時の日本人や兵隊の方がチキンでバカ
ベトコンの根性見習えや
右翼の方が反日だもんな
愛国って兵隊になって死ね!って意味だしバカばっか
革命しろよ
靖国に参拝しやがる反日政治家どもをぶっ殺せ!無能美化して日本人殺す奴らだ!
牟田口の子孫を市中引き回しの刑にでもして遊ぼうぜ
なあ?小林ww
またてめーだろおいw
愛国って日本人は死ね!韓国人の男に置き換えろ!って意味だから笹川カルトと統一が癒着してんの
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
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ではない」と。
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ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
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のである。
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人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
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貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
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ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
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貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
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終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
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赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
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牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
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一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
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終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
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貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
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赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
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司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
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貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
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終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
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