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茨城知事「誇りを胸に活躍を」 石岡一、21世紀枠で選抜出場
第91回選抜高校野球大会の21世紀枠に茨城県立石岡一高が選ばれたことについて、同県の大井川和彦知事は25日、「本県初の21世紀枠での選出は誠に喜ばしく、心よりお祝い申し上げる。
甲子園では、伝統ある野球部の一員としての誇りを胸に、日頃の練習の成果を十分に発揮し、大活躍することを期待している」とする談話を発表した。
同校がある石岡市の今泉文彦市長は「甲子園という大舞台で『石一旋風』を巻き起こし、地元に元気と勇気を届けてくれると信じている。
市民一丸となって精いっぱい応援していく」とのコメントを出した。
石岡一の横顔・チーム紹介
関東・東京では石岡一(茨城)が選ばれた。
同最速147キロのプロ注目右腕・岩本大地投手(2年)を擁し、秋の茨城県大会では明秀学園日立、土浦日大の強豪勢を撃破。準決勝で延長13回タイブレークの末、藤代に敗れて関東大会出場は逃したが、エース岩本はその試合でも完投し、16三振を奪っている。
普通科のほかに園芸科、造園科があり、部員全員が練習にそろわないこともある環境での実績などを評価され、選出された。
同じ農業系学科がある高校の野球部員として、夏の金足農(秋田)の躍進はチーム全体でも気になっていたという。
「吉田さんというすごいピッチャーがいて、うちにも岩本がいるので少し重なって、甲子園でも応援していました。
もし選んでいただけたら、金足農に負けないくらいの元気やガッツを出して、力強さを見せていきたいです」と意気込んでいた。
石岡一の校名からは想像しづらいが、普通科以外に園芸科、造園科を備え、野球部員も41%が農業系学科で学ぶ。
週2回、午後に実習授業があり、全員が練習開始にそろわないことも少なくない。
そんな環境で明秀学園日立、土浦日大といった強豪を県大会で倒した努力などが評価された。
右腕岩本は「昔から木とか枝を切って遊んでいたので、興味があった」と造園科を志望した。
今年は造園技能検定3級に合格。見事な竹垣を作り、表彰されたほどの腕前。
1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。
野球部は49人(うち女子マネジャー3人)。春夏通じて甲子園出場はない。
【日本ハム】ドラ1吉田輝星が、21世紀枠でセンバツ出場の石岡一に「親近感が湧く」とエール
日本ハムのドラフト1位・吉田輝星投手(18)=金足農=が25日、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で新人合同自主トレに参加した。
この日、第91回センバツ高校野球の出場校が発表され、21世紀枠で石岡一(茨城)が選出された。
自身は昨夏の甲子園で準Vとなり“金農旋風”を全国で巻き起こしたが、石岡一も農業高として開校し、普通科に加えて園芸科と造園科を擁していることから、「頑張って欲しいです。農業高校と聞くとなかなか(甲子園には)出られない。
1番親近感が湧くので『頑張れ!』という感じですね」とエールを送っていた。
◆石岡一(茨城=初)
東京から特急で約1時間、茨城・石岡市にある県立高校。
1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。
全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。
野球部は49人(うち女子マネジャー3人)
石岡一(茨城)・岩本大地投手(2年)は造園科で学ぶ異色の147キロ右腕。プロも興味を示している。
野菜作りで「体幹訓練」 初出場の石岡一、旋風の再来を
第91回選抜高校野球大会(日本高野連、毎日新聞社主催、朝日新聞社後援)の21世紀枠で石岡一(茨城)の初出場が決まった。
部員の多くが農業に関わる学科で学び、昨夏の甲子園で旋風を起こした金足農(秋田)の再来を狙う。
石岡一と富岡西は春夏通じて初めての甲子園出場。
農学校が母体の県立高の石岡一は、放課後は農業実習があるなど全体練習が難しい環境の中、昨秋の県大会で今年の甲子園出場校、明秀学園日立と土浦日大を倒して4強入り。
農業を通じた「新しい形の文武両道を示す可能性がある」などとして評価された。
農学校母体の石岡一に金農効果/21世紀枠選考理由
第91回センバツ高校野球大会(3月23日開幕、甲子園)の選考委員会が25日、大阪市内の毎日新聞大阪本社・オーバルホールで行われた。
21世紀枠出場校には、石岡一(関東・茨城)、富岡西(四国・徳島)、熊本西(九州・熊本)の3校が選ばれた。
東日本から選ばれた石岡一は農学校を母体に開校し部員は普通科、造園科、園芸科のいずれかで学習する。
21世紀枠特別選考委員の作家あさのあつこ氏は、選考について「文武両道の『文』を進学率や点数だけでなく広く多面的に求められる時代を感じた。
それにふさわしい学校が選ばれたと思う」とコメントした。
大学進学率とは違った、農業を通じた「新しい形の文武両道を示す可能性がある」と評価された。
また、日本高野連の竹中雅彦事務局長は「夏に金足農が頑張って、その流れは多少あったのかなという印象はありました」と昨夏の甲子園で準優勝し“カナノウフィーバー”を巻き起こした金足農の影響について言及。
春も農業高校の躍進なるか。
“農業系エース”石岡一・岩本、吉田輝星に続く
石岡一吉田輝星農業甲子園園芸
金足農に続くぞ! 石岡一(茨城)が21世紀枠で選ばれ、春夏通じ初の甲子園出場を決めた。
今年で創立110年目の伝統校は、普通科に加え、園芸科と造園科を有する。
今秋ドラフト候補にも挙がるエース岩本大地投手(2年)は造園科で学び、造園技能検定3級の腕前。昨夏甲子園を沸かせた日本ハム吉田輝星投手(18)に憧れる最速147キロ右腕は、甲子園1勝を目指す。
◇ ◇ ◇
吉報が届き、岩本は自然と笑みをこぼした。「今日1日、ドキドキでした。
大舞台で持っている力を発揮して1勝したい」。午後3時過ぎ、21世紀枠選出を大和田校長から知らされると、仲間と拳を突き上げた。
過去の自分を上回る。
この冬は黙々と走り込む。5キロ走から10メートルダッシュまで、バラエティーに富むメニュー。
「吉田投手みたいに、低めのストレートの伸びが欲しい」からだ。昨秋県大会は準決勝で藤代に敗れた。延長13回まで1人で投げたが、タイブレークの末、サヨナラ負け。疲れから球が浮いてしまった。
「そういうのをなくしたい」と下半身強化に取り組む。同じ“農業系エース”として、吉田や金足農の躍進が励みになった。吉田の投球は動画サイトなどで繰り返し見ている。
「似たタイプと言われます。真っすぐでファウル、空振りが取れるように。同じ結果は無理でも、大舞台で自分の投球をしたい」と思い描いた。
剪定(せんてい)など造園科の授業は「集中しないと危ない。
黙々と取り組むのが野球に生きる」と捉えている。
球界のエース候補に憧れるが、もう1人、尊敬するという人物が俳優の佐藤二朗(49)。
昨秋のテレビドラマ「今日から俺は!!」でファンになった。名脇役の演技に「アドリブで笑いを取るのがすごい。
感性というか。投球でも、相手が何を狙っているか見抜かないといけない」と、意外な人物からも学んだ。
そんなエースに、川井政平監督(44)は「コントロールも磨いている。
それなりに投げてくれると思う」と期待する。部員49人全員が地元・茨城出身。
出場が決まると、OBや地元ファン約50人がグラウンドへお祝いに駆け付けた。
「真っすぐの感覚は良くなっているけど、もう少し求めたい」と岩本。本番まで、鍛錬を緩めない。
沿革
1910年(明治43年)
3月14日 - 文部省告示により、実業学校乙種程度の茨城県新治郡立農学校として開校
4月16日 - 石岡高等小学校の校舎にて第1回入学式を挙行
入学者は1年生105人、特別編入の2年生56人であった
1948年(昭和23年)4月1日 - 茨城県立石岡高等学校に改称、普通科を設置
1949年(昭和24年)4月1日 - 茨城県立石岡第一高等学校に改称、定時制課程を設置
1964年(昭和39年)
4月1日 - 新設された茨城県立石岡商業高等学校に5教室を貸与
7月6日 - 石岡商業高校が現在地に移転
1979年(昭和54年) - 創立70周年記念として校舎本館・特別教室・格技場・宿泊研修施設を整備
2007年(平成19年)4月 - 茨城県立八郷高等学校を統合。
開校の経緯
明治末期の新治郡石岡町は、茨城県内では県庁所在地の水戸市に次いで人口が多く、産業都市として発展していた。
こうした背景から土浦町にあった新治郡役所の改築が取り沙汰されると、郡役所を石岡町に移転させようとする運動が起こり、石岡町民と土浦町民の間で対立が生じた。
これを受け、新しく郡長に就任した和知忠順は対立を収めるため、郡役所をそのまま土浦に置く代わりとして郡立の農学校を石岡に開設することを提案した。
石岡・土浦の両町はこの提案を受諾し、開校に至った。
開校当時の校長によれば、茨城県新治郡立農学校の教育方針は、「郡内の中流農民の育成」であったという。
当時は水田・畑・桑畑を耕作するとともにニワトリ・ブタ・ヒツジを飼育していた。
2007年4月9日に、茨城県立八郷高等学校と統合され、名称そのまま新校「茨城県立石岡第一高等学校」に移行した。制服は改訂されたが、校歌・校舎は旧・石岡一高のものが存続した。
校訓は「誠実・自治・博愛」。開校当初の校訓は「忠実・勤労・奉公」であった。昭和初期には商業科設置の運動もあったが、実現しなかった。
1980年代初頭には男子1098人・女子88人と圧倒的に男子が多かったが、2011年(平成23年)には男子535人・女子490人と女子の比率が増加した。
沿革
1910年(明治43年)
3月14日 - 文部省告示により、実業学校乙種程度の茨城県新治郡立農学校として開校
4月16日 - 石岡高等小学校の校舎にて第1回入学式を挙行
入学者は1年生105人、特別編入の2年生56人であった
1943年(昭和18年)
9月 - 2年生が行方郡延方村徳島(現:潮来市徳島)へ10日間の授農作業に派遣される[8]。
11月 - 生徒全員が久慈郡染和田村(現:常陸太田市内)に派遣され、道路建設工事に従事する。
1944年(昭和19年) - 夏に北海道へ派遣され、羊蹄山麓などで畑作に従事する。校舎の大半は大日本帝国海軍に接収される。1948年(昭和23年)4月1日 - 茨城県立石岡高等学校に改称、普通科を設置
1949年(昭和24年)4月1日 - 茨城県立石岡第一高等学校に改称、定時制課程を設置
1964年(昭和39年)
4月1日 - 新設された茨城県立石岡商業高等学校に5教室を貸与
7月6日 - 石岡商業高校が現在地に移転
1979年(昭和54年) - 創立70周年記念として校舎本館・特別教室・格技場・宿泊研修施設を整備
2007年(平成19年)4月 - 茨城県立八郷高等学校を統合。
石岡一高 初の甲子園 平成最後の大プレゼント 市民ら歓喜 「存分にプレーを」
県立石岡一高が25日、選抜高校野球に県勢で初めて21世紀枠での出場を決めた。
石岡市役所を訪れていた市民らは「平成最後のビッグプレゼント」と、市職員らと喜びを分かち合い、選手らが夢舞台で活躍することを期待した。
新庁舎が開庁したばかりの市役所。
午後3時すぎに吉報が伝えられると、職員から拍手が湧き起こった。
早速、「おめでとう!! 甲子園初出場」と書かれた横断幕が1階正面入り口に掲げられると、訪れていた市民らが写真に収めるなどしていた。
同市の阿部和夫さん(84)は「練習熱心で、いつもグラウンドで一生懸命な選手たちの姿を見ている。甲子園で存分にプレーしてほしい」、目黒周作さん(31)は「石岡に来て間もないが、とても好きな街。
これを機に全国から注目され、活性化につながれば」とそれぞれ笑顔で話した。
佐々勝男さん(70)は「チームワークがすごく良い。甲子園に行きたい強い思いが通じた」と興奮した様子だった。
市役所は同高の野球部グラウンドと隣接し、放課後になると、練習に励む部員の声や打撃音が庁舎まで響く。
今泉文彦市長は「不断の努力を重ねた選手たちの情熱と、支えてきた多くの人たちの思いが結実した」と祝福。
「旋風を巻き起こし、地元に元気と勇気を届けてほしい」と話した。
OBの市議や市職員からも喜びと期待の声が聞かれた。
岡野孝男議長は「伝統の山王魂で、まずは初戦突破を」とエール。
野球部員だった川井幸一市議(56)は「金足農業のように快進撃を見せてほしい」、4番打者だった金井悟秘書広聴課長(49)は「長年の夢をかなえてくれた。
全国の強豪に臆することなく、はつらつとしたプレーで感動を与えて」と後輩の活躍に期待した。
岩本大地投手らを輩出した市立八郷中野球部を監督として指導した永井厚さん(51)は「石岡一で甲子園に出る、地域に応援されたいという夢をつかんだ」と、教え子たちの成長に目を細めた。
選抜四天王
星稜奥川投手、横浜及川投手、習志野飯塚投手、石岡一岩本投手
石岡第一の岩本大地投手はストレートでは四天王に次ぐクラスの球を投げる。
173cmと上背はないものの体重もしっかりと乗り、145キロを連発してくる。
園芸科、造園科などのある農業学校由来の高校として、昨年夏の金足農・吉田輝星投手と比較する記事が多いが、似たような体格から、同じくらいの強いストレートを投げ、伸びてくるストレートも吉田投手に近いといえる。
夏に150キロを超えてくれば、周囲がざわついてきそうだ。
甲子園のイメージについて聞かれると「阪神園芸の凄さです」と答えている。
茨城)石岡一「甲子園で恩返し」県内初の21世紀枠出場
3月23日に開幕する第91回選抜高校野球大会(日本高野連、毎日新聞社主催、朝日新聞社後援)に石岡一が21世紀枠で出場することが決まった。
春夏通じて初めての甲子園への切符を手にした選手らは、吉報に笑顔で喜び合った。
茨城県内では初の21世紀枠での出場となる。
25日午後3時過ぎ、校長室に出場決定の電話が入った。
グラウンドに集まった部員は大和田俊一校長から「甲子園出場が決まりました。
力を出し切って頑張ってください」と告げられると、笑顔がこぼれた。
全部員が県内出身で、半数近くは石岡市で育った。
約4割が園芸科、造園科という農業に特化した学科で学ぶ。近隣の農家から米や卵の差し入れを受けるなど、地元住民から愛されてきた。
5年ほど前から米の差し入れをする同市の荒野桓一さん(72)は自身も石岡一の野球部出身。
「生きているうちに母校が甲子園に行けると思わなかった。楽しんで思い出を作ってほしい」と感慨深げに話した。
同校OBで毎週練習を見に来るという水戸市の兼子国広さん(69)は「候補に挙がってから2カ月ほどドキドキだった。夢にまで出てきたので、うれしくて言葉が出ません」。
酒井淳志主将(2年)は「選ばれると信じていたので、うれしくてほっとしたのと同時に(代表校としての)責任感も感じている。地域の人に協力してもらってきたので、良い姿を見せて恩返ししたい」と話す。
放課後は農場での実習などで全部員が同時に練習を始められない中、短時間で密度の濃い練習を意識してきた。
個々の長所である長打力や走力を伸ばすことを心がけた結果、2016年春に初の関東大会に出場を果たし、翌17年春も連続出場。
昨秋の県大会では、2年連続で甲子園に出場した土浦日大や昨春の選抜大会16強の明秀日立を破り、4強入りした。
川井政平監督は「練習を始める時間がそろわないこともあるが、その分違うメンバーを入れることで部員の意識も高まった」と話す。
石岡一21世紀枠でセンバツ「新しい形の文武両道」
地元のために戦う。
第91回選抜高校野球大会(3月23日開幕、甲子園)の選考委員会が25日、大阪市内で開かれ、石岡一(茨城)が21世紀枠で選出された。
昨秋県大会は準決勝で敗れ関東大会出場は逃したが、園芸科などを有する同校は、農業を通じた「新しい形の文武両道を示す可能性がある」などと評価された。
部員49人全員が茨城出身。春夏通じ初の甲子園出場は、支えてくれる地域への恩返しだ。
石岡一のグラウンドに、どんどん人が現れた。その数50人ほど。
OBや地元のファンだ。「おめでとう!」。「よかったぁ〜」。喜びの声が飛んだ。
野球部OB会最高顧問の狩野勇次さん(77)は「うれしくて、うれしくて。
(卒業から)60年、夢見てきた。精いっぱい、頑張って欲しい」と感無量の様子だった。
地域に愛されている。練習を見守る温かい目がある。
コロッケ、唐揚げ、バナナなどの差し入れが届くことも多い。
酒井淳志主将(2年)は「21世紀枠で選ばれた責任を感じます。地域、OBの方々に恩返しできるよう、励んでいきたい」と口元を引き締めた。
川井政平監督(44)は「選んでいただいた甲子園。サポートしていただいた方々の応援のエネルギーが…」とまで言って、詰まった。涙が込み上げていた。
人口流出が続く石岡市にとって、明るい話題だ。昨年10月で7万3883人だったが、10年前(8万105人)から約7・8%も減った。
同校から500メートルほど離れたところに住む80歳の女性は「練習の声が、ここまで聞こえるのよ。
頑張って欲しいわ」と笑顔で話した。
向かいの店は、駅前の一等地にもかかわらず休業中。テナント募集のままの建物もある。
酒井は「茨城から全国に名をとどろかせたい。(エースの)岩本は全国レベルだと思う。
野手の力が加われば、甲子園で勝つのも夢じゃない」と意気込んだ。
同市から初の甲子園。石岡に、元気を与える。
石岡一21世紀枠で初出場 “輝星2世”岩本「いつか152キロ投げたい」
輝星2世に春が来た――。
第91回選抜高校野球大会(3月23日から12日間、甲子園)の選考委員会が25日、毎日新聞大阪本社で行われ、出場32校が決まった。
農学校として1910年創立の石岡一(茨城)は21世紀枠で初出場。
エースの岩本大地投手(2年)は最速147キロの本格派右腕だ。
造園科で学び、昨夏の甲子園で旋風を巻き起こした金足農(秋田)の吉田輝星投手(現日本ハム)をほうふつさせる。
地元の人も祝福に駆け付けたグラウンドで岩本は「出るからには勝ちたい」と表情を引き締めた。
憧れは日本ハムに新入団した吉田輝だと言い切る。
「吉田投手のような直球が投げたい」と、投球動画で骨盤の入り方やリリース時の左足の踏み出し方などを参考にしている。
秋季県大会で明秀学園日立、土浦日大など強豪校を倒して4強入り。
身長1メートル74の体からダイナミックに投げ込むスタイルは、1メートル75ながら鍛え抜かれた右腕で金足農を全国準優勝に導いた吉田輝と重なる。
同じ農学系の公立校で学ぶ共通点もある。吉田輝は環境土木科だった。
岩本は「いつかは(吉田輝と同じ)152キロを投げられるように成長したい」と目を輝かせた。
昨年末から200メートル走を10本や坂道ダッシュ、外野ポール間走8往復など徹底した走り込みで下半身を鍛えた。
野球部員49人の約4割が園芸科と造園科に在籍。
造園科で学び、造園技能士3級を持つ岩本がテレビでしか知らない甲子園球場に抱くイメージが面白い。
「阪神園芸の凄さです」。雨で荒れたグラウンドを短時間で整備するグラウンドキーパーの仕事ぶりに目が行くところに、取り組む教科の特徴が表れる。
ただ苦労もある。農場での実習は校舎から約4キロ離れた場所にあり、実習の日は合同練習ができない。
夏休みも農場実習が部活動より優先されるため、練習試合に主力が出場できないこともあった。
そのため、各科の授業終了時間に応じて3、4グループに分けて練習メニューを組むなど工夫を重ねてきた。
そんなハンディキャップをものともしない姿が「新しい形の文武両道を示す可能性がある」と評価され、21世紀枠での選出となった。
就任10年目の川井政平監督は「子供や学校に夢を持たせてもらえる。光栄なこと」と喜びを表した。
酒井淳志主将(2年)は「全国相手でもフィジカル、パワーで勝てるチームになりたい。
冬場に底上げはできたと思う」と自信を見せた。輝星2世が新しい「公立の星」になる。
○…石岡一のある石岡市の名産は地酒で「関東の灘」とも呼ばれる。
筑波山麓では皇室に献上されている柿やイチゴなどの果樹栽培も盛ん。
同市出身のタレントの渡辺直美(31)は「石岡市観光特使」としてPRに努めている。
同校野球部OBで同市秘書広聴課長の金井悟さん(49)は「“イチコウ”らしい、はつらつとしたプレーを見せてほしい」とエールを送った。
2019甲子園 春の選抜高校野球
投手 ビック4
及川雅貴(横浜高校) 153km/h
奥川恭伸(星稜高校) 150km/h
岩本大地(石岡一高) 147km/h
清水大成(履正社高) 145km/h
農学校として1910年開校
石岡市石岡1にある県立校。
1910年に新治郡立農学校として開校し、49年に現在の校名になった。
全日制と通信制があり、全日制の生徒数は昨年12月末現在で941人(男子477人、女子464人)。
全日制には普通科のほか、野菜や果樹の栽培など農業を学ぶ園芸科と庭づくりや公園計画などを学ぶ造園科がある。
野球部は14年に創部し、部員は現在49人(2年生19人、1年生27人、女子マネジャー3人)。
2005年に波崎柳川を夏の茨城大会準優勝に導いた川井監督が09年に就任し、16年から2年連続で春季関東大会に出場するなど好成績を収めてきた。
他の部活動も盛んで、18年度にはウエートリフティング部とバドミントン部が全国大会に出場した。
石岡一 初の夢舞台へ…センバツ、21世紀枠
「まずは一勝」活躍誓う
第91回選抜高校野球大会で、21世紀枠の候補となっていた石岡一(石岡市)の出場が25日、決まった。
普通科のほか園芸科などがあり、実習で部員全員がそろいにくいといったハンデを短時間で工夫を凝らした練習でカバーしている点などが評価され、春夏通じて初めての甲子園切符を手にした。
21世紀枠での出場も茨城県初。「まずは一勝したい」。監督や部員は大舞台での活躍を誓った。
25日大阪市で開かれたセンバツ高校野球の選考委員会では、はじめに「21世紀枠」の3校が発表され、茨城の石岡一高が選ばれました。
石岡一高は、ことしで創立109年を迎える伝統校で、普通科のほかに、園芸科と造園科があります。
野球部員も農場での栽培実習や課外授業が多く、全員で練習することが難しい中、短時間で密度の濃い練習を心がけ、去年秋の県大会でベストフォーに進出しました。
今回が、春夏通じて初めての甲子園出場となります。
ことしのセンバツ高校野球は、3月23日に開幕し、休養日を含めて12日間の日程で行われます。
「21世紀枠」で選ばれた茨城県石岡市の石岡一高では、午後3時すぎ、大和田俊一校長に出場の連絡が入りました。
大和田校長はこのあと、グラウンドで待機していた野球部の選手たちに、甲子園出場が決まったことを伝え、「夢舞台で力を出しきり、郷土の誇りになれるように準備してください。おめでとう」と激励しました。
これを受けて選手たちは、笑顔を浮かべながら報道陣の写真撮影などに応じていました。
キャプテンの酒井淳志選手は、「21世紀枠に選んでもらったことに責任を持ち、支えてくれた地域やOBの方々に甲子園で頑張る姿を見せたいです」と話していました。
エースの岩本大地投手は、「持ってる力を十分に発揮し、中心となってチームを引っ張り、まずは1勝を目指したい」と話していました。
川井政平監督は、「これまで地域や学校の方々に支えられてきました。今後も精進して大会に臨みたい」と話していました。
「大変光栄です」。午後3時1分、校長室で出場決定の吉報を電話で受けた大和田俊一校長は、そう返答し、大きく息を吐いた。
立ち会っていた川井政平監督はハンカチで喜びの涙を拭った。
グラウンドで待機していた部員たちには校長が出場決定を報告。
この日はインフルエンザによる学級閉鎖の影響で、部員49人のうち半数ほどしか登校していなかったが、校長に「夢舞台で力を出し切れるようにさらに準備してください」と激励され、「はい」と力強く応じた。
その後、川井監督が記者会見。指導で工夫している点について「個人練習が多いので、部員の主体性を促している」と説明。
練習試合に全員がそろわないことが、結果的に多くの選手が出場機会を得ることにつながり、「自然と選手層が厚くなり、競争意識も高まった」と語った。
石岡一高 21世紀枠で初の甲子園出場
1月25日大阪市で開かれたセンバツ高校野球の選考委員会では、はじめに「21世紀枠」の3校が発表され、茨城の石岡一高が選ばれました。
石岡一高は、ことしで創立109年を迎える伝統校で、普通科のほかに、園芸科と造園科があります。
野球部員も農場での栽培実習や課外授業が多く、全員で練習することが難しい中、短時間で密度の濃い練習を心がけ、去年秋の県大会でベストフォーに進出しました。
今回が、春夏通じて初めての甲子園出場となります。
ことしのセンバツ高校野球は、3月23日に開幕し、休養日を含めて12日間の日程で行われます。
「大変光栄です」。午後3時1分、校長室で出場決定の吉報を電話で受けた大和田俊一校長は、そう返答し、大きく息を吐いた。
立ち会っていた川井政平監督はハンカチで喜びの涙を拭った。
大和田校長はこのあと、グラウンドで待機していた野球部の選手たちに、甲子園出場が決まったことを伝え、「夢舞台で力を出しきり、郷土の誇りになれるように準備してください。おめでとう」と激励しました。
これを受けて選手たちは、笑顔を浮かべながら報道陣の写真撮影などに応じていました。
キャプテンの酒井淳志選手は、「21世紀枠に選んでもらったことに責任を持ち、支えてくれた地域やOBの方々に甲子園で頑張る姿を見せたいです」と話していました。
エースの岩本大地投手は、「持ってる力を十分に発揮し、中心となってチームを引っ張り、まずは1勝を目指したい」と話していました。
川井政平監督は、「これまで地域や学校の方々に支えられてきました。今後も精進して大会に臨みたい」と話していました。
◆石岡一(茨城=初)
東京から特急で約1時間、茨城・石岡市にある県立高校。
1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。
野球部は49人(うち女子マネジャー3人)。春夏通じて甲子園出場はない。
沿革
1910年(明治43年)
3月14日 - 文部省告示により、実業学校乙種程度の茨城県新治郡立農学校として開校
4月16日 - 石岡高等小学校の校舎にて第1回入学式を挙行
入学者は1年生105人、特別編入の2年生56人であった
1943年(昭和18年)
9月 - 2年生が行方郡延方村徳島(現:潮来市徳島)へ10日間の授農作業に派遣される[8]。
11月 - 生徒全員が久慈郡染和田村(現:常陸太田市内)に派遣され、道路建設工事に従事する。
1944年(昭和19年) - 夏に北海道へ派遣され、羊蹄山麓などで畑作に従事する。校舎の大半は大日本帝国海軍に接収される。1948年(昭和23年)4月1日 - 茨城県立石岡高等学校に改称、普通科を設置
1949年(昭和24年)4月1日 - 茨城県立石岡第一高等学校に改称、定時制課程を設置
2007年(平成19年)4月 - 茨城県立八郷高等学校を統合。
石岡一高 初の甲子園 平成最後の大プレゼント 市民ら歓喜 「存分にプレーを」
県立石岡一高が25日、選抜高校野球に県勢で初めて21世紀枠での出場を決めた。
石岡市役所を訪れていた市民らは「平成最後のビッグプレゼント」と、市職員らと喜びを分かち合い、選手らが夢舞台で活躍することを期待した。
新庁舎が開庁したばかりの市役所。
午後3時すぎに吉報が伝えられると、職員から拍手が湧き起こった。
市役所は同高の野球部グラウンドと隣接し、放課後になると、練習に励む部員の声や打撃音が庁舎まで響く。
今泉文彦市長は「不断の努力を重ねた選手たちの情熱と、支えてきた多くの人たちの思いが結実した」と祝福。
OBの市議や市職員からも喜びと期待の声が聞かれた。
野球部員だった川井幸一市議(56)は「金足農業のように快進撃を見せてほしい」、4番打者だった金井悟秘書広聴課長(49)は「長年の夢をかなえてくれた。 全国の強豪に臆することなく、はつらつとしたプレーで感動を与えて」と後輩の活躍に期待した。
岩本大地投手らを輩出した市立八郷中野球部を監督として指導した永井厚さん(51)は「石岡一で甲子園に出る、地域に応援されたいという夢をつかんだ」と、教え子たちの成長に目を細めた。
5年ほど前から米の差し入れをする同市の荒野桓一さん(72)は自身も石岡一の野球部出身。 「生きているうちに母校が甲子園に行けると思わなかった。楽しんで思い出を作ってほしい」と感慨深げに話した。
同校OBで毎週練習を見に来るという水戸市の兼子国広さん(69)は「候補に挙がってから2カ月ほどドキドキだった。夢にまで出てきたので、うれしくて言葉が出ません」。
野球部OB会最高顧問の狩野勇次さん(77)は「うれしくて、うれしくて。 (卒業から)60年、夢見てきた。精いっぱい、頑張って欲しい」と感無量の様子だった。
■石岡一(茨城=初)
東京から特急で約1時間、茨城・石岡市にある県立高校。
1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。野球部は49人(うち女子マネジャー3人)。春夏通じて甲子園出場はない。
【開校の経緯 】
明治末期の新治郡石岡町は、茨城県内では県庁所在地の水戸市に次いで人口が多く、産業都市として発展していた。
こうした背景から土浦町にあった新治郡役所の改築が取り沙汰されると、郡役所を石岡町に移転させようとする運動が起こり、石岡町民と土浦町民の間で対立が生じた。
これを受け、新しく郡長に就任した和知忠順は対立を収めるため、郡役所をそのまま土浦に置く代わりとして郡立の農学校を石岡に開設することを提案した。
石岡・土浦の両町はこの提案を受諾し、開校に至った。
開校当時の校長によれば、茨城県新治郡立農学校の教育方針は、「郡内の中流農民の育成」であったという。
当時は水田・畑・桑畑を耕作するとともにニワトリ・ブタ・ヒツジを飼育していた。
【沿革】
1910年(明治43年)
3月14日 - 文部省告示により、実業学校乙種程度の茨城県新治郡立農学校として開校
4月16日 - 石岡高等小学校の校舎にて第1回入学式を挙行
入学者は1年生105人、特別編入の2年生56人であった
1943年(昭和18年)
9月 - 2年生が行方郡延方村徳島(現:潮来市徳島)へ10日間の授農作業に派遣される[8]。
11月 - 生徒全員が久慈郡染和田村(現:常陸太田市内)に派遣され、道路建設工事に従事する。
1944年(昭和19年) - 夏に北海道へ派遣され、羊蹄山麓などで畑作に従事する。校舎の大半は大日本帝国海軍に接収される。1948年(昭和23年)4月1日 - 茨城県立石岡高等学校に改称、普通科を設置
1949年(昭和24年)4月1日 - 茨城県立石岡第一高等学校に改称、定時制課程を設置
2007年(平成19年)4月 - 茨城県立八郷高等学校を統合。
■石岡一高 初の甲子園 平成最後の大プレゼント 市民ら歓喜 「存分にプレーを」
県立石岡一高が25日、選抜高校野球に県勢で初めて21世紀枠での出場を決めた。
人口流出が続く石岡市にとって、明るい話題だ。10年前は8万105人いた市の人口が、昨年10月で7万3883人と約7・8%も減った。
石岡市役所を訪れていた市民らは「平成最後のビッグプレゼント」と、市職員らと喜びを分かち合い、選手らが夢舞台で活躍することを期待した。
新庁舎が開庁したばかりの市役所。 市役所は同高の野球部グラウンドと隣接し、放課後になると、練習に励む部員の声や打撃音が庁舎まで響く。
今泉文彦市長は「不断の努力を重ねた選手たちの情熱と、支えてきた多くの人たちの思いが結実した」と祝福。
OBの市議や市職員からも喜びと期待の声が聞かれた。
野球部員だった川井幸一市議(56)は「金足農業のように快進撃を見せてほしい」、4番打者だった金井悟秘書広聴課長(49)は「長年の夢をかなえてくれた。 全国の強豪に臆することなく、はつらつとしたプレーで感動を与えて」と後輩の活躍に期待した。
岩本大地投手らを輩出した市立八郷中野球部を監督として指導した永井厚さん(51)は「石岡一で甲子園に出る、地域に応援されたいという夢をつかんだ」と、教え子たちの成長に目を細めた。
5年ほど前から米の差し入れをする同市の荒野桓一さん(72)は自身も石岡一の野球部出身。 「生きているうちに母校が甲子園に行けると思わなかった。楽しんで思い出を作ってほしい」と感慨深げに話した。
同校OBで毎週練習を見に来るという水戸市の兼子国広さん(69)は「候補に挙がってから2カ月ほどドキドキだった。夢にまで出てきたので、うれしくて言葉が出ません」。
野球部OB会最高顧問の狩野勇次さん(77)は「うれしくて、うれしくて。 (卒業から)60年、夢見てきた。精いっぱい、頑張って欲しい」と感無量の様子だった。
■石岡一(茨城=初)
東京から特急で約1時間、茨城・石岡市にある県立高校。
1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。野球部は49人(うち女子マネジャー3人)。春夏通じて甲子園出場はない。
◆開校の経緯
明治末期の新治郡石岡町は、茨城県内では県庁所在地の水戸市に次いで人口が多く、産業都市として発展していた。
こうした背景から土浦町にあった新治郡役所の改築が取り沙汰されると、郡役所を石岡町に移転させようとする運動が起こり、石岡町民と土浦町民の間で対立が生じた。
これを受け、新しく郡長に就任した和知忠順は対立を収めるため、郡役所をそのまま土浦に置く代わりとして郡立の農学校を石岡に開設することを提案した。
石岡・土浦の両町はこの提案を受諾し、開校に至った。
開校当時の校長によれば、茨城県新治郡立農学校の教育方針は、「郡内の中流農民の育成」であったという。
当時は水田・畑・桑畑を耕作するとともにニワトリ・ブタ・ヒツジを飼育していた。
◆沿革
1910年(明治43年)
3月14日 - 文部省告示により、実業学校乙種程度の茨城県新治郡立農学校として開校
4月16日 - 石岡高等小学校の校舎にて第1回入学式を挙行
入学者は1年生105人、特別編入の2年生56人であった
1943年(昭和18年)
9月 - 2年生が行方郡延方村徳島(現:潮来市徳島)へ10日間の授農作業に派遣される[8]。
11月 - 生徒全員が久慈郡染和田村(現:常陸太田市内)に派遣され、道路建設工事に従事する。
1944年(昭和19年) - 夏に北海道へ派遣され、羊蹄山麓などで畑作に従事する。校舎の大半は大日本帝国海軍に接収される。1948年(昭和23年)4月1日 - 茨城県立石岡高等学校に改称、普通科を設置
1949年(昭和24年)4月1日 - 茨城県立石岡第一高等学校に改称、定時制課程を設置
2007年(平成19年)4月 - 茨城県立八郷高等学校を統合。
石岡一(茨城)が21世紀枠で選ばれ、春夏通じ初の甲子園出場を決めた。
今年で創立110年目の伝統校は、普通科に加え、園芸科と造園科を有する。
野球部員49人の約4割が園芸科と造園科に在籍。 農場での実習は校舎から約4キロ離れた場所にあり、実習の日は合同練習ができない。
夏休みも農場実習が部活動より優先されるため、練習試合に主力が出場できないこともあった。
そのため、各科の授業終了時間に応じて3、4グループに分けて練習メニューを組むなど工夫を重ねてきた。
そんなハンディキャップをものともしない姿が「新しい形の文武両道を示す可能性がある」と評価され、21世紀枠での選出となった。
今秋ドラフト候補にも挙がるエース岩本大地投手は造園科で学び、造園技能検定3級の腕前。昨夏甲子園を沸かせた日本ハム吉田輝星投手(秋田金足農業)に憧れる最速147キロ右腕は、甲子園1勝を目指す。
■石岡一高 21世紀枠で初の夢舞台
1月25日大阪市で開かれたセンバツ高校野球の選考委員会では、はじめに「21世紀枠」の3校が発表され、茨城の石岡一高が選ばれました。
石岡一高は、ことしで創立109年を迎える伝統校で、普通科のほかに、園芸科と造園科があります。
野球部員も農場での栽培実習や課外授業が多く、全員で練習することが難しい中、短時間で密度の濃い練習を心がけ、去年秋の県大会でベストフォーに進出しました。
今回が、春夏通じて初めての甲子園出場となります。
ことしのセンバツ高校野球は、3月23日に開幕し、休養日を含めて12日間の日程で行われます。
「大変光栄です」。午後3時1分、校長室で出場決定の吉報を電話で受けた大和田俊一校長は、そう返答し、大きく息を吐いた。
立ち会っていた川井政平監督はハンカチで喜びの涙を拭った。
大和田校長はこのあと、グラウンドで待機していた野球部の選手たちに、甲子園出場が決まったことを伝え、「夢舞台で力を出しきり、郷土の誇りになれるように準備してください。おめでとう」と激励しました。
これを受けて選手たちは、笑顔を浮かべながら報道陣の写真撮影などに応じていました。
キャプテンの酒井淳志選手は、「21世紀枠に選んでもらったことに責任を持ち、支えてくれた地域やOBの方々に甲子園で頑張る姿を見せたいです」と話していました。
エースの岩本大地投手は、「持ってる力を十分に発揮し、中心となってチームを引っ張り、まずは1勝を目指したい」と話していました。
川井政平監督は、「これまで地域や学校の方々に支えられてきました。今後も精進して大会に臨みたい」と話していました。
■石岡一(茨城)が21世紀枠で選ばれ、春夏通じ初の甲子園出場を決めた。
今年で創立110年目の伝統校は、普通科に加え、園芸科と造園科を有する。
野球部員49人の約4割が園芸科と造園科に在籍。 農場での実習は校舎から約4キロ離れた場所にあり、実習の日は合同練習ができない。
夏休みも農場実習が部活動より優先されるため、練習試合に主力が出場できないこともあった。
そのため、各科の授業終了時間に応じて3、4グループに分けて練習メニューを組むなど工夫を重ねてきた。
そんなハンディキャップをものともしない姿が「新しい形の文武両道を示す可能性がある」と評価され、21世紀枠での選出となった。
今秋ドラフト候補にも挙がるエース岩本大地投手は造園科で学び、造園技能検定3級の腕前。昨夏甲子園を沸かせた日本ハム吉田輝星投手(秋田金足農業)に憧れる最速147キロ右腕は、甲子園1勝を目指す。
■石岡一(茨城=初)
東京から特急で約1時間、茨城・石岡市にある県立高校。
1910年(明43)に「新治郡立農学校」として創立し、野球部も4年後に創部した。全日制3科に加えて、定時制も備え、全校で1000人近い生徒が学ぶ。野球部は49人(うち女子マネジャー3人)。春夏通じて甲子園出場はない。
◆開校の経緯
明治末期の新治郡石岡町は、茨城県内では県庁所在地の水戸市に次いで人口が多く、産業都市として発展していた。
こうした背景から土浦町にあった新治郡役所の改築が取り沙汰されると、郡役所を石岡町に移転させようとする運動が起こり、石岡町民と土浦町民の間で対立が生じた。
これを受け、新しく郡長に就任した和知忠順は対立を収めるため、郡役所をそのまま土浦に置く代わりとして郡立の農学校を石岡に開設することを提案した。
石岡・土浦の両町はこの提案を受諾し、開校に至った。
開校当時の校長によれば、茨城県新治郡立農学校の教育方針は、「郡内の中流農民の育成」であったという。
当時は水田・畑・桑畑を耕作するとともにニワトリ・ブタ・ヒツジを飼育していた。
◆沿革
1910年(明治43年)
3月14日 - 文部省告示により、実業学校乙種程度の茨城県新治郡立農学校として開校
4月16日 - 石岡高等小学校の校舎にて第1回入学式を挙行
入学者は1年生105人、特別編入の2年生56人であった
1943年(昭和18年)
9月 - 2年生が行方郡延方村徳島(現:潮来市徳島)へ10日間の授農作業に派遣される[8]。
11月 - 生徒全員が久慈郡染和田村(現:常陸太田市内)に派遣され、道路建設工事に従事する。
1944年(昭和19年) - 夏に北海道へ派遣され、羊蹄山麓などで畑作に従事する。校舎の大半は大日本帝国海軍に接収される。1948年(昭和23年)4月1日 - 茨城県立石岡高等学校に改称、普通科を設置
1949年(昭和24年)4月1日 - 茨城県立石岡第一高等学校に改称、定時制課程を設置
2007年(平成19年)4月 - 茨城県立八郷高等学校を統合。
■石岡一高 初の甲子園 平成最後の大プレゼント 市民ら歓喜 「存分にプレーを」
県立石岡一高が25日、選抜高校野球に県勢で初めて21世紀枠での出場を決めた。
人口流出が続く石岡市にとって、明るい話題だ。10年前は8万105人いた市の人口が、昨年10月で7万3883人と約7・8%も減った。
石岡市役所を訪れていた市民らは「平成最後のビッグプレゼント」と、市職員らと喜びを分かち合い、選手らが夢舞台で活躍することを期待した。
新庁舎が開庁したばかりの市役所。 市役所は同高の野球部グラウンドと隣接し、放課後になると、練習に励む部員の声や打撃音が庁舎まで響く。
今泉文彦市長は「不断の努力を重ねた選手たちの情熱と、支えてきた多くの人たちの思いが結実した」と祝福。
OBの市議や市職員からも喜びと期待の声が聞かれた。
野球部員だった川井幸一市議(56)は「金足農業のように快進撃を見せてほしい」、4番打者だった金井悟秘書広聴課長(49)は「長年の夢をかなえてくれた。 全国の強豪に臆することなく、はつらつとしたプレーで感動を与えて」と後輩の活躍に期待した。
岩本大地投手らを輩出した市立八郷中野球部を監督として指導した永井厚さん(51)は「石岡一で甲子園に出る、地域に応援されたいという夢をつかんだ」と、教え子たちの成長に目を細めた。
5年ほど前から米の差し入れをする同市の荒野桓一さん(72)は自身も石岡一の野球部出身。 「生きているうちに母校が甲子園に行けると思わなかった。楽しんで思い出を作ってほしい」と感慨深げに話した。
同校OBで毎週練習を見に来るという水戸市の兼子国広さん(69)は「候補に挙がってから2カ月ほどドキドキだった。夢にまで出てきたので、うれしくて言葉が出ません」。
野球部OB会最高顧問の狩野勇次さん(77)は「うれしくて、うれしくて。 (卒業から)60年、夢見てきた。精いっぱい、頑張って欲しい」と感無量の様子だった。
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