野村克也さんが死去 84歳 戦後初の3冠王、ID野球で3度日本一
https://mainichi.jp/articles/20200211/k00/00m/050/030000c
プロ野球の往年の名捕手で戦後初の3冠王であり、監督としても3度の日本一に輝くなど活躍した
野村克也(のむら・かつや)元楽天監督が11日、亡くなったことが明らかになった。
84歳だった。
京都府網野町(現京丹後市)出身。峰山高から
テスト生として1954年に南海に入団し、3年目から頭角を現して正捕手の座を獲得。
的確なインサイドワークと強打で鳴らし、65年には打率、本塁打、打点の3冠王に輝いた。
70年からは選手兼任監督となり、73年にパ・リーグを制覇。
78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年のシーズン終了後に27年間の現役生活にピリオドを打った。
通算出場試合数は3017試合(歴代2位)、打率2割7分7厘、657本塁打(同2位)。
パ・リーグ最優秀選手(MVP)に5度、本塁打王を9度、打点王を7度獲得し、89年に野球殿堂入りした。
90年にヤクルトの監督に就任。
「ID野球」と呼ばれるデータ重視の野球で在任9年間でチームを4度のリーグ制覇、3度の日本一(93、95、97年)に導いた。
99年から3年間は阪神を率い、02〜05年は社会人野球シダックス監督を務めて、03年に都市対抗野球大会で準優勝。
06年から09年まで楽天監督を務め、09年は球団創設5年目で初のAクラスとなる2位に導いた。
一度は他球団で戦力外とされた選手を再起させる手腕にたけており、
「野村再生工場」の異名もとった。
監督として通算勝利数は歴代5位の1565勝(1563敗76分け)を残した。
https://mainichi.jp/articles/20200211/k00/00m/050/030000c
プロ野球の往年の名捕手で戦後初の3冠王であり、監督としても3度の日本一に輝くなど活躍した
野村克也(のむら・かつや)元楽天監督が11日、亡くなったことが明らかになった。
84歳だった。
京都府網野町(現京丹後市)出身。峰山高から
テスト生として1954年に南海に入団し、3年目から頭角を現して正捕手の座を獲得。
的確なインサイドワークと強打で鳴らし、65年には打率、本塁打、打点の3冠王に輝いた。
70年からは選手兼任監督となり、73年にパ・リーグを制覇。
78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年のシーズン終了後に27年間の現役生活にピリオドを打った。
通算出場試合数は3017試合(歴代2位)、打率2割7分7厘、657本塁打(同2位)。
パ・リーグ最優秀選手(MVP)に5度、本塁打王を9度、打点王を7度獲得し、89年に野球殿堂入りした。
90年にヤクルトの監督に就任。
「ID野球」と呼ばれるデータ重視の野球で在任9年間でチームを4度のリーグ制覇、3度の日本一(93、95、97年)に導いた。
99年から3年間は阪神を率い、02〜05年は社会人野球シダックス監督を務めて、03年に都市対抗野球大会で準優勝。
06年から09年まで楽天監督を務め、09年は球団創設5年目で初のAクラスとなる2位に導いた。
一度は他球団で戦力外とされた選手を再起させる手腕にたけており、
「野村再生工場」の異名もとった。
監督として通算勝利数は歴代5位の1565勝(1563敗76分け)を残した。