亀頭を切除するわけですから、オナニーできませんよね。
オナニーだけが生きる喜びである僕にとっては、想像を絶する生き地獄です。
おまえらは、どう思いますか?
ちんちん取ったら物凄く後悔するんだってね
一生オナニー出来なくて、射精出来ない事が辛すぎて
精神にダメージが起きるそうです
しかも性転換しても男は普通に愛してくれないのを知って
自殺する人多数、性転換して幸せに成った人見たこと無い
竿を開きにして中身を抜くだけで、先っぽは残してクリにする術式が主流なんじゃないの?詳しくは知らんけど。
政治的というか、日常でも、言葉でいったから変えられないと信じる。
国家の首脳も、企業、みなさんの仕事でも、いったからそうか、と言っているだけ。
理解してあげたのではなく、言ったからそうか、と言っている。
理解できないからこそ、相手の言葉の通りにしてやっている。
つまり、言葉で言っておいて、だいたいでもいいから、それっぽいように見えたら
そうか、と言っている。(蓋然性という)
違うと思う理由がなければ否定しないとか、やたらと条件が付く。
これは、生まれたままの自然と一致することはない。
それでも言葉に頼り切っている人間が多いのは、人間がものごとを理解するには
言葉を完璧に理解するか、直感が働くしかない。
理屈がうまい人ほど直感が死ぬので、言葉をこねくりまわす技術だけが発達する。
(人類史上、心理学だけはないがしろにされた
どんなに頭が良い人も、人の気持ちを理解したことはない)
人の気持ちを理解するどころか、考えるのをあきらめる。
なんとか、何か言おうとしてはいる。
欧米では必要以上に説明的になっている。
感情が高ぶってもちゃんと説明して見せる。
言葉から理解するしかないから、理屈にないことまで説明しようとする。
日本では最初からあきらめる。
抽象概念がほとんど扱えない。
みんながどっちともとれる言い方をしているが
みんながどっちともとれる言葉を聞いて区別ができない。
具体的にどうなっているかというと、言葉の意味をその場では思い出せない。
数日かかる。
何が言いたいかというと、普通の物事の表現方法では、自然のままを表現できていない。
言葉を使うほど「何かが」違う気がしたり、言葉を使うほどズレていると感じる。
それは、言葉「だけ」ではすべてを表現することが出来ないからだ。
誠実な学者の間では、言葉だけ、文字だけですべてを表現することはできないと認めているという。
性同一性障害、自分は異性かもしれないと思うのは、誰にも確かめようがない。
本人は確信しているという気持ちがあるだけだ。
だが、体が違うので、そこに、自分が二つあるように感じるのかもしれない。
それはイヤなので、私は女とフンフン力んで言い続ける以外にない。
自分は間違いなく女だ、だが体は男で生まれてしまった。
通常、これを確かめる方法はない。
本人は確信があるだけで、証拠がない。
証拠はただ一つ、(体は)彼(心は彼女)の心の奥底にしかないのだ。
別の方面、霊的に言うと、この問題はあり得ないほど単純になる
心の一番奥底まで「自分が女だ」と決まってしまうなら、前世が女だったということだ。
あまりにも単純だ。
だが、これを通常は認められない石頭しかいないので、通常は前世の可能性を外して考える。
おそらく、そこをはずして考えると、過剰に難しい問題になる。
いきなり過剰に難しい問題になるのは、何か「足りない物」があるんじゃないだろうか。
そこを見ないようにしているから、半永久的に解決しないのではないか。
オカルトとかいろいろ言っているが、そういう人は間違いなく、考えないようにしているに過ぎない。
よく考えたら、決定はしないが、常識では説明できないことがあるのがわかる。
別に、信じろと言っているわけではない。
名探偵の推理で
「お前が犯人だ」と言われた人が仮に認めず、
その通りに物事が進めば、誰だって犯人の候補から外す。
実は、理屈を厳密に言えば「お前が犯人だ」という時点では、そいつが犯人とは決定していないのだ。
そいつがショックを受けるだけでもまだ決まらない。
(正解でも、間違っていてもショックを受けるからだ)
ショックを受けるだけではなく、それからどうするかをよく見るのだ。
あなたは、犯人と言われた人間がショックを受けた時点で犯人と思いたいだろう。
そうなると、そのショックの顔が、どんな顔か、正確にいい当てられないといけない。
完全にそいつの心が読めるようになるしかない。
つまり、オカルトを持ち出す人を人間として最低と言っているのは
この「よく見るしかない段階」を毛嫌いしているだけなのだ。
多くの人が、日常から、頭を使うことを毛嫌いしている。
それは、頭を使うことに慣れていないのだ。
何が言いたいかというと
世の中にはよく考えないと決定しないことが普通だということだ。
テレビなどで物事を言い切っているが、そんな難しいことを言わないだけだ。
テレビを見ていると思考停止してしまう。
本を読んだり、一つの問題を長年、考え続けたりしていると
その程度のことは、勝手に考えてしまうのだ。
日本では、そうならないように(考える力がつかないように)気をつけてマスメディアが派手にしている。
そのままにしていると、日本人の思考速度はさびついたままである。
性同一性障害も、オカマではない意味で自分は女と信じる人も、
一色では決まらないケースだ。
どういうことかよく考えておかないと、どう扱っていいのか誰にもわからない。
一見、わかりやすいようでいて、難しい問題だ。
精神的な問題は目に見えないから、私たちはなんとか頭を働かせて
よく考えて過ごす以外にない。
日本と世界に、コロナを含め、多くの問題が発生する。
すべての問題には答えが無いのだ。
だから一つの答えを求める人間には扱えないのだ。
だから、日本政府は、本当に大変な時こそ放置するしかできない。
外国の規制は日本の数倍厳しいようだ。
だが、何もしない日本の数倍、いいのだ。
なぜなら、何でもいいから行動を起こす時点で、物事は変化するからだ。
どっちに変化するかわからないから、怖がって逃げるのが日本である。
わからないということは、いい方向にも変化する。
いい方向に変化するのは、機械的には起きない。
日本は機械的に良くならない限り、何もやろうとしないのだ。
いい方向へ変えるのは、人力なのだ。
だから、日本政府に良心があるように見えないのだ。
少々厳しくても、何かするほうが、状況が変わる。
日本みたいに何もかも怖がって放置するということは
破滅のシナリオがそのまま起きるだけだ。
前も書いたが、日本は、自分の力で状況が良くなることを本気で理解できないのだ。
男が「自分は女」と信じることに戻ろう。
人生論はどうだろうか。
「自分は女」という気持ちを優先するか、
体が男であることを優先するか。
それを考えるには、なぜ、前世が女くらいの心を持った人間が
体が男になってしまったのかを考えるのだ。
実際に、どうなって今ここにいるかで考えるが、
「自分は女」という心も、実際のことで本物と感じるだろう。
区別するには、物体として発生しているほうを優先すると考える。
男と女というのは、人生が全く違い、求められる役割も違う。
未来はどこへ向かうかと言えば、何でもできるオールマイティーな人間になって
神か、人か、わからないほど優れた存在になることになっている。
(神人合一という)
そのために生まれてくる。
体が男ということは、男の体という運命を背負って生きるしかない。
他人はその人の気持ちを理解しないから、女と言うんだからしょうがないと簡単に考える。
その判断は効率がいいのであって、正しくはない。
だが、人生はそうは問屋が卸さない。
体が男である方が、人生で求められていることを表している。
実際に、どう生きるべきかは、体に表れる。
女として生きていいのなら、女の体で生まれるからだ。
そう思うと、考える負担が減る。
前世は女だったが、今は男として生きる必要があるということだ。
この人生は男の体で生きろと言われているに等しい。
どうしても、こちらを優先することになるのだ。
そこで、心が女という男がどうするか。
まず、急いで男を認めようとはしないことだ。
なぜ、自分の欠点を治すのがとんでもなくつらいのか。
一瞬で治そうとするからだ。
間違っていると言われたから、はいそうですかと治したい。
だが、心が嫌がっているのだ。
言われたから、はいそうですかと聞くのと、
心の底からしっくりくる感情を持つのは、全く別のことなのだ。
ほとんどの人は、自分の欠点を治す時、一瞬でやろうとする。
自分は女、という感覚に慣れてしまっているので、
自分は魂から女としか感じない。
それに反したことを、自分に押し付ければ、当然、反発する。
強制する人間に「いやだ、命令するな」と怒るのと同じことが起きているのだ。
当然、それはつらいだろう。
だから、大幅に変えなければいけない時は、大幅に変えようとしない。
慣れないことをするには、ちょっとずつやって、
ゆっくり慣れていくしか方法がない。
「一瞬でできる人もいるじゃないか」と思うだろう。
その人は、実は、一瞬で変わるくらい、準備が整っていたのだ。
準備した覚えもないのに、いい考えを聞いて、一瞬で納得して
完全に変わってしまう人は確かにいる。
そういう人は、もともと、一瞬で納得する精神状態にあったのだ。
じゃあ、なぜ、その時まで、一瞬で納得する出来事が無かったのか。
なぜ、その時じゃないといけなかったのか。
この謎は、本人の努力とは関係ない方面で、ちょうどいいタイミングが来たのだ。
そのタイミングがくるまでは、本人が完璧に準備が整っていても、何も起きないのだ。
タイミングが来ても、準備ができていなくて、人生転換のチャンスを逃す人が多いのを
思い出せばわかるだろう。
「チャンスをつかみ取る」と言うのは、準備が整うことを考えに入れていないのだ。
現実の人生で、チャンスは早めにやってくる。
普通は準備が整っていない人が多いため、チャンスをつかむ能力がないのだ。
それで、「チャンスをつかめ!」という言葉が何の意味もなしていないのだ。
あなたが、人生のチャンスをつかむのが難しいと感じるのは
つかむ能力が育っていないからだ。
準備して、能力がついてからチャンスが来たら、後はつかむだけである。
現実の人生のほうがそうなっていなくて、早めに来るのだ。
普段から、どのように過ごしているかが大事だとわかる。
話がそれた
準備するにも、能力をつけなければならない。
それは、強く「心は女」という人も同じことだ。
バランスいい精神がいいので、そのために体と合わないことを言うと「変だ」と思われる。
心から女なのを否定はできないので、男を毛嫌いしない程度に納得できればいいのだ。
そのために、慣らす。
そういうことで
何事もほどほどであればいいのであって、
心が女であることを捨てる必要はないのだ。
どちらかしかない人は、心が偏っている。
心は女というのは、際立った性格であって、 偏りが激しすぎると
人生が成り立たないくらいの問題になってしまう。
自分は女とわかっていても、他の立場もあることを心で理解していればいい。
人生に支障がなく、女っぽい性格なら誰も気にしない。
自分の中でも、偏っているということは、他の感情を全く持たないことになる。
それは、心としては不自然なのだ。
そういうことで
心は自由。
さまざまな感情をバランスよく、自由に感じられる方が、心にとっては自然なのだ。
「こうでなければいけない」というのが問題なのだ。
おわり