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1970年6月の二次ドラフトでシカゴ・ホワイトソックスから1巡目指名を受け、プロ入り。
1973年にメジャーデビューを果たし、翌年よりレギュラー遊撃手に定着。
1977年にはラマー・ホイト、オスカー・ギャンブルとの1対2のトレードにより
ニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、同年から2年連続の世界一に貢献。
特に1978年は、後述するボストン・レッドソックスとのワンゲームプレーオフを含め
誰もが予想だにしなかった猛打を振るい、ワールドシリーズではMVPを獲得した。
その後テキサス・レンジャーズ、カンザスシティ・ロイヤルズを経て1984年に引退。
引退後は、ヤンキース傘下のAAA級コロンバスで監督、
1989年8月18日から翌年途中までヤンキースの監督を務めた。
その後は、セントルイス・カージナルスなど3球団でベンチコーチ、
前後してロイヤルズ傘下のAAA級オマハ、再びコロンバスで監督を歴任。