>>1乙
そう何年もしないうちに奥様が語る平成の思い出・・・にならないうちに保守 >>1
乙です
個人的に「20世紀の思い出」だとうれしい このスレでしばしば給食センターの給食はまずい、学生時代給食が美味しかったのは給食室のあった学校だという意見が見られるけど、
わたしは給食センターの給食しか食べたことがないけど十分美味しかったので違和感を感じる。
というか給食センターで働いているおばさんが可愛そうだ。誰もまずいものを作ろうなんて思ってないのに。
>>6
センターで作りたての時は美味しいけど、それを運搬する段階で劣化する、って意味では?
・自校方式vsセンター方式
保護者や児童が美味しいと思うのは多分自校方式だと思うけど、行政の都合でセンター方式に移行してるのが実状だと思う
誰もセンターのおばさんたちにケチをつけてるわけではないと思うよ ◆今までこのスレで笑ってしまった思い出深いレス
・昔誰かのおばあちゃんがミニスカートのことを「右スカート」と言ってたエピソード
・ムードコーラスで
ロスプリモス
ロスインディオス
と誰かが書いた後
別の人が
「ロス疑惑」と書いたレス
ミニスカートが日本で流行りだした頃、
当時の総理大臣が外遊するとき同伴する奥様がミニスカートを穿いたというので話題になった
ミニスカートといっても、ちょっと膝頭が見える程度だったと記憶
多分当時の佐藤首相の奥様(今の安倍首相の叔父夫婦になるのかな)
>>6
自校の調理室で作っていたけどあまり美味しくなかった
昭和40年代です 脱脂粉乳が飲みにくかった
年に2回ほど(2学期末と雛祭りの頃)代わりにカルピスが出てそれは楽しみだった
センター方式だった
1食あたりの家庭での負担額は、材料費のみの230円だった気が
クラスの催しでお楽しみ会、クリスマス会をやるときに購入できるお菓子の金額が
230円×クラスの人数だった
集金して学校近くのお店に買い出しに行くのが楽しかった
ハートチップルを購入するのが何故かお約束だった
1さん乙
>>6
私は最初に入った古い小学校は学校内に給食室のある方式で
転校先はセンター式だったけど正直センター式の方がおいしかった。
給食室から来るパターンはキモチワルイメニューが多かったのよ
色気も悪かったし、皿もアルマイトでべたついてキモ。
センター式だと脂身カレーとかなかったし、美味しかったよ〜
皿も新しくてこぎれいでおいしかった。 あてくしも平生は脱脂粉乳で年に二回だけちゃんとしたコーヒ牛乳だったわ
センター式と自校式でご飯の容器が違った
自校式の時はアルミの容器で、部分的に冷めてるわ結露するわスプーンで底を引っ掻くと不快な手応えがするわとろくなものではなかった。
転校先のセンター式の学校はステンレスの容器でアツアツホカホカのご飯が食べられたけど、熱くて持てないのが欠点だった。
センター式、自校式のおいしさの違いはわからないけど、
業者式の弁当箱入りの給食はおいしくなさそうにみえる
学校にもよるよね
うちの市の小中学校は私の時代からいまでも美味しいので有名
出汁も天然出汁、鶏ガラからとって餃子も一つ一つ手作りで包んでる
児童数が少ない学校ならまだわかるけど1000人規模でそれやってるから感心するわ
今さっきツイッターで急上昇に
噂の真相の岡留元編集長がお亡くなりにというニュースが、合掌
昭和の後期から平成初期にかけて私は随分読み耽りました
2ちゃんのはしりみたいな記事が多くてね
頁の端の一行ニュースみたいなの、好きだったな
一つの実験的だったマスメディアの時代が終わったなぁという感想
>>24
同感。愛読してました。私もあの1行ネタ好きでした(はみ出しyouとピア、みたいなやつ) >>24
え〜
まあ色々知りすぎている人だから代替わりのこの時期死ぬのよね〜
まだまだ知りすぎた人は死ぬわよ
自分のカンだと、田原総一郎、舛添要一、お帽子みどり、板垣恭介、高橋英郎
この辺がぱぱぱ〜と心臓麻痺かしらじらしいガンで死ぬわね 岩井志麻子と仲良かったみたいね
噂の真相って左派的論調だったと思うけどあの編集長は本音ではノンポリだったのでは
バリバリの左翼が岩井志麻子と仲良くなれると思えない
噂の真相愛読していました
硬質府警お詫びは絶品だったww
98年頃かな
移転前のロフトプラスワンで岡留さんと問答したことがある
立ち見が出ないくらいの混み具合で、
和気あいあいとして楽しかった
>>13
大叔父じゃないかな
訪米するときに飛行機のタラップで手を振って、それを下から撮られたのでただでさえ短く見られた
と本人は弁明してたわ 可笑しいなあ、下から写すと少し足長に見えるんじゃないの?
ってあなたに行っても詮無いか
横から失礼
スカートが短く見えた、ということでしょう
でも最近の下着は毛がすけて見えちゃうくらい薄かったりレースだったりするから
ミニスカートなんてはけないよね。
そういう方は、あるものが見えて何がいけないの?という感覚だから気にしていないの。
>>23
田舎の小学校だったので給食は楽しい時間でした。しかし新任の
女先生が来て雰囲気が変わりました。その先生は都市部出身をひけらかし、
田舎を見下して、なにかにつけて 「遅れている」 と言うのが口癖でした。
給食で完食を無理強いしました。ともだちはアレルギーがあり、
発疹したり、気分が悪くなったりで、可哀そうでした。親が
何度頼んでも聞き入れないので、弁護士を通じて訴訟をにおわせたら、
しぶしぶ特例を認めました。
それからは、ともだちはお母さん手作りの弁当を持参しました。
うらやましがると、たびたびお相伴にあずかりました。
くだんの女先生はその後、順調に出世して、いまは教育事務所に
いるらしい。そこが終わると、教頭、校長と輝かしい未来が
約束されているとか。 プリンプリン物語のせいで
頭いい男の子のあだ名はルチ将軍だったな
知能指数、1300〜
>>27
休刊後出した「噂の真相25年史」みたいな本では
皇太子夫妻の絶対的庇護者みたいな書き方してたよ。
彼らの擁護をする、と。
この雑誌にも期待していると夫妻が言ってた、と書かれていた。
現皇太子夫婦の裏を色々知ってそうでしょ、消されやすいよねw あ、追加。
夫妻から色々と報告を受けているとかそんなことも。
内部リークしてくれることになっていたみたいです、
その前にざ
書きこんでしまった
つづき
内部リークを記事にする前に雑誌が潰れた、ってことで。
宙国食品が危険という認識が一般になる10年前から、学校給食の仕事していた
女性がいっていたが宙国食品使っていたそうです
私は1ヶ月24万位の高級老人ホームの食事作りの仕事していたが、矢張り宙国食品
中心だった。1円でも経費安くという方針だった
小学生の頃、ちゃおだったかなかよしだったか忘れたけどいじめを題材にした少女漫画がやたら出てる時期があってみんな夢中になって読んでた
その影響である日リーダーポジションの女子が「いじめごっこしようよ」と言い出して、皆で役割を決めて一週間限定でやる事になった
主犯のお嬢様キャラ役はもちろんそのリーダーで、私は眼鏡で地味だったのでいじめられる役をやらされることになり、
漫画にあったリンチシーン(体育館に呼び出して制服のリボンを掴んでブラウスもろとも引き裂いて、殴る蹴るなどのフリをする)や教室でいきなり机をバン!と叩かれて「あんたさぁ、最近調子乗ってない?」などと文句をつけられるシーンなどを再現していた
けどあくまでいじめ漫画のごっこ遊びなので放課後は私の家に集まってゲームをしたり公園で遊んだり、普通にごっこが終われば仲良くしていたしリーダーも毎日「ごめんね」って言ってた
4日くらい経った頃の朝の会で、ずっと不審に思っていたらしい先生が「このクラスでいじめがあるようです」と突然言い出しクラス騒然
リーダーが「ごっこです!」と抗議したが聞き入れられず、最終的には私がチクったってことになってめちゃくちゃ責められた
その後そのリーダーは不登校になってしまって平成最後の年の同窓会まで会うことはなかった
私が追い詰めたみたいになってしまったのが申し訳なくて未だに思い出す度つらくなる
やっぱりいじめ漫画とかいうのはいい影響ひとつもないなと思った
>>947
>私の担任は女学校時代動員先の工場で、同級生何人も亡くしたという話をよくしていた
戦時中の民間人の受難を調べていると、若者や子供を明らかに狙ってるの多いよね
広島の原爆だって広島には軍需工場が多くて、近隣から学徒動員で働きに来ている
学生が多かった。投下時間も登校や出勤時間
日航機事故も乗客に若い女性が多かった >>35
文章から昭和の、それもかなり昔のお話かと思ったらその女先生は現役だそうで最近の話? 老人ホームなんて「どうせ死ぬんだし、少しでも早く逝ってくれた方が費用負担してる
ご家族のためにもなるだろう」って思ってそうだよね。
連合赤軍事件の頼良(らいら)ちゃん
保護された当初、新聞では「よりえ」とルビがふられて報道された
頼良をライラと読む発想が当時はなかった
今朝地元紙で見た新生児が同じ名で
親がもう世代的にあさま山荘とか知らないんだろうけど
やっぱりこの名を見ると私ら世代は連合赤軍を反射的に思い出すわ。
突然ですけど平成時代を終えるにあたり
日本国の国力のピークはいつ頃だったと思う?
目方でドンって番組あったじゃない
出場者は事前に綿密に重量を計算していたの?
>>48
リハーサルや打ち合わせはあったでしょうね >>43
都立豊多摩高校から東大文学部だったわね。
例の「止めてくれるなおっかさん、背中の銀杏が泣いている、男東大何処へ行く」で華々しく登場した。
やはり天才だったと思うわ。桃尻語訳の枕草子とか、窯変シリーズだけでなく、編み物でも才能を発揮。
「ひらがな日本美術史」は私にとっての秘蔵本 その編み物が「座る事を拒否する椅子」みたいな
着る事を否定するシロモノだった
ゲイ術家の考えている事は理解できません
>>47
そりゃ石油ショックが終わった昭和50年から実質バブルが崩壊した平成3年だよ
戦後はね、アメリカを除いて基本的に戦争に参加した国はみんな夢のような経済成長を遂げている
そしてそれは資本主義始まって以来の総中流化が実現した時期
資本主義は格差社会しか生まないから、あの時期だけは例外なのよ
それはピケティがデータから実証した 編み物と言えば、ニット界の貴公子、広瀬センセイよね♪
>>47
ジャパン・アズ・ナンバー・ワンとか24時間戦えますか、とか
浮かれていた頃じゃないかしら? Japan as Number One: Lessons for Americaは1979年昭和五十四年
24時間戦えますかは1989年平成元年
「石油ショックが終わった昭和50年から実質バブルが崩壊した平成3年」
をより厳しく範囲を狭めると合致するね
早わかりで言うといわゆる80年代ってことか
Japan as Number Oneの著者が、もう一度日本についての本を書きたい、で、
明治天皇について本を出した
明治天皇に興味を持った切っ掛けが、昭憲皇太后
>>56
時任三郎だったっけ?
ビジネスマーン、ビジネスマーン、ジャパニーズビジネスマーン♪ 追悼! 橋本治が生前に痛烈批判した安倍政権や日本会議が語る「日本 ...
https://lite●-ra.co●m › カルチャー › 作家
3 日前 - 今月29日、作家の橋本治氏が肺炎のため死去した。70歳だった。橋本氏といえば、東大在学中につくった「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーの駒場祭ポスターで注目を浴び、女子高生の ... >昭和50年から実質バブルが崩壊した平成3年
ソ連アフガン侵攻〜泥沼化→撤退 ソ連崩壊とほぼ重なるわよね
ソ連のドツボが西側諸国を活性化させていた
ソ連崩壊と昭和の終わりが重なったのは偶然じゃないとおもう
昭和天皇は役割(防共)をおえて消されたんだと私は思ってんだわ
ベルリンの壁崩壊もまさにその時期だね2年前ということに厳密にはなるけども
◯◯年失われたとよく平成は言われるがITの進歩以外は時間が止まった感じいやTVに関してはどんどん規制締め付けがsevereになってつまらなくなったような
広瀬容疑者や今日スタートプリキュアのカッパハゲの悪役のように今やハゲが、TVでは唯一の規制対象外になってるが新時代ますますこの傾向強まるだろうな
あ〜、絶対にハゲない家系でよかったw
豊多摩高校は銀杏並木が有名だけど
↑の「おっかさん・・銀杏並木」は豊多摩の事?
>>64
東大キャンパスの銀杏でしょうね
それで男東大の背中に銀杏の刺青、ってイメージじゃないかしら 今なら 女子学生無視かよ、で ひと騒動あるなw>男東大どこにいく
どこに行くって? 優秀なんは官公庁政界に行くんだよ!
噂の真相のメイン取材源だった泥沼ゴールデン街が今
訪日外人キラキラテーマパークなんだからw
あの頃泥酔し殴り合っていたマスコミ人演劇人映画人は今どこにw
原作 佐木隆三
監督 藤田敏八
出演 原田芳雄
毎晩ゴールデン街でなぐりあってそうな連中だわ
藤谷美和子は頭狂ってるし
時任だけ嘘のような普通人
内藤陳さんがゴールデン街での喧嘩の様子を
その目撃者として語っていたムック本よんだことある
日本人がギラギラしていた頃なんだろうね
>>69
今はなにやっているんだろう?素人時代は世良正則のそっくりさんで出ていた時任さん 深夜+1 店内で泥酔客がカウンターに嘔吐
内藤陳が素手で空き缶に吐瀉物をサクッと回収
「もう帰んな・・・優しく無い奴は嫌いだ・・・」
美談らしいけど自分は そんなキチャナイ店逝くかああ と思った
>>73
以前の勤務先の課長が 深夜プラス1 に飲みに行ったけどいれてくれなかったって
業界人有名人しかはいれなかったみたいよ >>72
一番最近みたのは 過保護のカホコでカホコのパパやってたな
今でも変わらずかっこいい >>76
生意気なの
陳さんは
あと生島二郎の元妻と… 生島二郎は「あの法則」の教科書だったねw
「愛チてるからチらいンよ・・・ゴックン」秋野煬子
>>73
彦根のおっさん乙
暫く来なかったから、とうとうあの世に旅立ったかと思っていたが
まだしぶとく生きていたのか…
お前がくると急にスレが下品になる. 彦根好みネタ
昭和の官能小説家であられた宇野鴻一郎先生はご存命で
とてもダンディーで粋な老年をお過ごしだという
数年前に新たな純文学、谷崎と三島を題材に作品発表
モダンな方だ
先生の官能小説も見方変えたら昭和中期モダニズムだわ
東京生まれの東京育ち
98年秋まで私鉄系スーパーの近所在住
その後ダイエーの近所に転居
自宅近くや出先ではほとんどコンビニを利用せず、
唯一勤務先至近の生活彩家のみ頻繁に利用
でもって初めて恵方巻きを知った/見たのが99年にダイエーで
そのときは何なのか気にも留めず、
数年後マスコミが恵方巻きを年中行事のように喧伝するようになり、
母に恵方巻きを知っていたか訊ねると全く聞いたこともなかったと
恵方巻きはセブンアンドアイが広めたと言われているけど、
それ以前の一般家庭ではどの程度浸透していたんですか
関西発祥?
ちなみに警部補・古畑任三郎の名前は時任三郎から取られたもの
>>84
セブンイレブンが始まるまで、誰も知りません、やってません。
関西でもほとんどやってなかったでしょう、一般家庭では。
コンビニの2月の販促企画として始まったんです wikiには船場のお座敷遊びに由来する、とか書いてあるのはご存知と思いますけど、
そんな遊びは一般の人にはあまり認知されてないでしょうしね。
何故広まったか、いろんな人が2ちゃんでも考察してるけど、結局はあの太巻き1本買えば、それで食事の代わりになるから主婦に歓迎されたとか…それに縁起がいいっていうのもあるし…
まあ、そんなところじゃないかしら
ニュー速の売れ残り恵方巻き廃棄問題スレで、
「祖母の代から節分の日には自宅で恵方巻きを作って食べている」
とレスしている人がいて、
祖母の代っつたら30年50年前
ホントかよ?と思っている次第
>>89
昭和50年代中頃に奈良市内に住み60年代からは神戸に住んでいる
恵方巻は知らなかったし少なくともスーパー等では売っていなかった
テレビなどで節分には恵方巻と取り上げられたのは平成それも10年代だったような 恵方巻ってのをはじめて知ったのは
1995年、村上ひろしの漫画で
「ああ、関西の風習なんだな〜」と温くする―した
芸者に黒い棒くわえさせて喜ぶオッサンの食べ物でしょ、恵方巻きって
あんなのもう珍棒巻と呼ぼうよ。
けがらわしい。
販売の当日から過剰生産したのを大量廃棄処分していて問題になってるって、
さっきモーニングショーでやってたよ。
江戸からの伝統と関わりがない市場の要請で広まったイベントは子供のころからしないことにしている
バレンタインも父の日も母の日もハロウィンも
大阪出身の友人が「東京ではやらないんだね、関西ではーー」と節分の風習恵方巻について教えてくれた
か〜いわれ巻き巻き ネ〜ギトロ巻き巻き ってCMやってた頃だから多分90年代初期
ただ、その子以外の大阪含む関西出身者は皆知らなかった
35年くらい前に関西に住んでいた時に友達から恵方巻の話を聞いたから(固い家庭の人)
その頃には関西は花柳界だけじゃなくて一般家庭でも行われていたんだね
私自身は東京出身で、子供の頃はあっさり豆まきだけだった
てか平成生まれのうちの子どもたちが子供の頃も豆まき以外話題にならなかったような(埼玉)
>>92
江戸時代に上方の遊郭で始まった。
浮世絵春画に登場する。
それになぞらえて巻き寿司にして売り出すとは、
さすがに大阪商人ね。 いま30〜35歳くらいの関西出身のブロガーがいるんだけど
おととい恵方巻きについての記事を書いてて
小さい頃から丸かぶりで何も喋らず、その年の方向を向いて食べてたみたいよ
ただし、「恵方巻き」という名前は大人になってかららしい
>>98
恵方巻の誕生は、江戸時代末期。元々、大阪・船場の商人が、商売繁盛、
無病息災、家内安全を願った行事が始まりなのだとか。
船場の花街、当時の 「風俗街」 では、節分になると遊女たちに巻寿司を
丸かじりさせることが流行。商人たちは、太巻き寿司を男性のアソコに
見立て、女たちがそれにかぶりつくさまを楽しんだ。
恵方巻のルーツは、そんなセクハライベント。「巻き寿司を切らず
一本丸ごと食べるのは 『縁を切らない』 という意味が込められている」
などともっともらしいことが言われるが、その頃は、遊女が
ぶっとい太巻きを頬張る姿を男たちがいやらしい顔で眺めていた行事に
過ぎなかった。
しかし、不思議なことに 「節分に遊女が太巻を丸かじりすると縁起が
良い」 と言われるようになり、願いごとが叶うというウワサが
流布したのは事実。次第に、大阪から関西圏へと広がっていった。
https://sirabee.com/2015/02/02/16778/ 今朝のラジオで伊集院光の奥さんも関西出身で
子供の頃から節分に太巻きを食べる習慣があったと言ってた
で、太巻きの具にそれぞれ意味があるとかで、スタンダードな太巻き以外は認めないみたいな話だった。
でも自分の周りの関西人に聞いても「そんな習慣なかった」という人の方が多いので、すごくピンポイントな地域の習わしなのかなとも思う。
普段は家長(おやじ)床柱の方へお辞儀してから食事
節会はその年暦法占い縁起のイイ方角へお辞儀してから食事
という風習がありました
恵方巻はコンビニキャンペーンで初めて知りました
昭和のビデオレンタル屋や貸しレコード屋って大概汚かった気がする
まだ大型チェーン店なんてあまりなかったころね
>>99
そういうネット上に書いてる由来とか、結局どこかから引用してきたものだったりして。その引用がまた何かの引用…
と、いわゆる子引き孫引きというやつよね。
恵方巻きに限らず、いろんなことが いい加減な説明してあることが多い。実際はどうなのか…
昔の女優男優について調べてるサイトで、顔写真が間違ってるなんてよくあるし >>83
連合赤軍事件のリンチ事件って 松永の事件 角田美代子事件オウム事件都にてる
家族や政治運動仲間 信者という強い絆の仲間同士を監禁して、逃亡すれば殺害
互いを些細なことで争わさせ殺害させる。共同体破壊工作だと思う
永田洋子は一四人も殺していた
彼女の著書「十六の墓標」の著者
ゲマトリアでは14,16の意味は秦氏 巻き寿司くらいでちんこ想像して毎年下ネタで大はしゃぎして毎年インターネッツで全世界に配信するなんて、ほんと髭ってちんこの乗り物なんだなーとしみじみw
昭和45年生まれなのだけど、小1のときの図工の先生(専任教員がいた)が
児童らが絵画で太陽を赤く描くことを激しく嫌っていた
結構なおじいちゃん先生に見えたけど「赤い太陽などあるか!実際の太陽は赤くなどない!」と
激昂し、黄色く描くことを奨励していて皆怖がっていたわ
日の丸とか絵本とかでそういう認識が自然に根付いたのだろうし
ただ何となく「まっかなおひさま」を描いただけの小1にそんな言い方って・・・とずっとモヤってたわ
あとから思えばもしかして左翼的思想のあった人だったのかなとすら思ってしまった
ただ「太陽を赤」とするのはほぼ日本独自のものとかで
掘り下げていくと歴史的な背景や世界各国との違いが分かってそれはそれで面白い
あの先生は欧米的なセンスの持ち主だったのかな?
>>105
近所にレンタルレコードのテントだけが残ってる物置みたいな廃屋があるわ。
窓ガラスに色褪せたジミ・ヘンドリックスのポスターが貼ってあったけど、最近それも剥げ落ちた模様。 私が一番驚いたのは私立の高校の入学式の時に君が代が流れて周りが全員歌えていたこと。通っていた公立の小中学校で君が代習ったことがなくて歌詞わからなかったから。
私の住んでいた市は公明党が強かったからだと思うわ。ちなみに東京都下
>>111
うちの近所にもそういう廃屋あるよ
郊外はシャッター街だらけ
残っていくのは均一な品を置いている無個性なチェーン店ばかりで 太巻きは母がよく家でやってくれた
きゅうり、甘い干瓢、ピンクの粉、カニカマ、卵焼きのシンプルなやつ
そんな母もいまでは面倒臭いとスーパーの太巻き買って食べてるわ
昔のスーパーのお総菜は不味いのに高かったけど最近はそんなに酷いのないよね
太巻きの桜でんぶ苦手だった
なんかあのピンクが何でできてるのかわからないし
甘めで何かお菓子っぽいようなそれでいておかずという感じで嫌いだった
>>114
こちらも全く同様ですよ〜。仕方のない事ですが、昭和の名残のようなお店や住宅はドンドン解体されてマンションや大型店舗に。
新築のマンションに囲まれて、日も当たらない古ぼけたアパートを見ると、まるで自分を見ているようでツライです…orz >>110
♪ 真っ赤にもーえたー太陽だーからー真夏の海はー恋の季節なの〜 >>116
最近近所の団子屋で、桜でんぶの代わりに紅ショウガが入ってる太巻き売ってることに気付いた。これ、美味い!
出来合いの惣菜や弁当で、昔のほうが美味かったものってほぼないと思ってる。 >>116
私は逆に桜でんぶに憧れたわ〜
うちの母がああいうの使わなかったの、だからたまに店で買うお寿司などに入ってると嬉しかった、甘くて。 今、昔の小説を読んでて思い出したのが、麦こがし、という食べ物(関西でいう、はったい粉)
子供の頃たまに食べたけど、もう何十年もお目にかかってない
おしるこの配給に行くのに、出会った人全てに内緒にして行って実際食べたのは
代用品だったみたいなエッセイがあったなあ
>>120
駅弁だけは昔の方がおいしかったと思うのは思い出補正かしら
中央本線の駅で売ってた普通のお弁当が大好きだった
経木のフタをめくると小さい白身魚のフライに玉子焼き、野菜の煮物、漬物に
ゴマ振られたご飯の真ん中にカリカリの青梅、これにプラスチックの容器に入ったお茶がめちゃくちゃ合っておいしかった。 昔のお弁当は冷たくなった前提で調味していたのではと勝手に想像
バイキンマンなんか怖くないぞ時代がカラダもお弁当も美味しひ
駅弁ってなんであんなに高かったんだろ駅そばがあったからそっち食えばいいが
富山駅のますのすし横川の峠の釜めしはSAコンビニや百貨店の方が今やメインもっとも百貨店関しては恐ろしいもので1971年には既に京王百貨店で売られ小
1の私は屋上で食べたのが思い出だから後に北陸本線で売られてた時逆に驚いたその北陸本線車内販売も今ではないいやサンダーバード富山行かなくなったから今の時代は北陸新幹線と言え実に残念だ
>>128
駅弁か!
大きな駅で各地の駅弁が買えるようになったりして、感動が薄れたかも。
懐かしいのは昔新宿駅で売ってたそぼろ弁当。小さめの四角い箱で、おもいっきり全面そぼろ。 >>128
駅弁か!
JR東日本の大きな駅はエキナカ時代、駅弁そのもの存在理由が?なってるし。
懐かしいのは飛騨金山駅の栗こわい。小5の私には中身よりもネーミング強烈。 >>128
経木の香りがほどよくお弁当に移って「駅弁」て感じがした
今は経木に似せたプラ製の弁当箱が主流だからなんとなく素っ気ない 駅弁、昔の方が美味しかったとしたら食中毒防止の薬を使っていなかったからという可能性も
昭和50年代まではわりと駅弁食べて食中毒っていうのがニュースになっていた
いまはコンビニでも何でも弁当は腐らないよう薬を使っている
中央本線内で車両販売で熱いお茶を買って飲むとプラスチック味だったw
いまみたいに缶やペットボトルではなかったから
横川の釜飯の釜は捨てがたいのよね
実家にやたらたくさんあるわ
チキン弁当?ていうのなかった?
唐揚げとか入ってたやつ
私だけいつもそれ買ってもらって食べてた
お茶といえば陶器?土瓶?にお茶が入ってたのかすかに覚えてる
冷めないしプラスチックの臭いがつかないから美味しかったろうな
駅弁といえば崎陽軒だな
シウマイ弁当が好き
昔は楊枝の先にでんでん虫みたいな巻貝がくっついてた
醤油入れのひょうちゃんは高校歳の頃は原田治さんのイラストで、今はまた昔からの横山隆一さんの絵柄に戻った
一時期小淵沢駅の元気甲斐って駅弁出なかったっけ。
今もあるのかな。
と思ってぐぐったら、まだあったわ。
一度も食べたことないけれど、なぜか名前は憶えている。
>>136
素焼きの土瓶、懐かしい
おままごと用に持ち帰りたかったけど、
割れるからとダメだった >>135
子どもの頃病気をして、ポテトチップス禁止だった
チキン弁当のポテトチップスの小袋が憧れだった あの熱でヘロヘロのプラ蓋で飲むお茶
どっか田舎の駅で人気らしい
若い人は知らないし新鮮 中年は懐かしさで買う
写ルンです も同じく
写ルンです のミラー付き自撮り棒 ってのが在ったが
当時持ってると指さして笑われたものだった
今はスマホ自撮り棒なんて当たり前
>>137
子どもの頃、電車の中でシウマイ弁当じゃなく一箱まるまるシウマイだけ!のを食べてる人を見てすごく羨ましかった。
崎陽軒の売店は駅ビルや、神奈川方面の大きい駅なら駅構内にもあるから、たまーにだけど買って帰って一箱食いする。 シウマイ、肉まんは車内で食べると今はクレームが来ることも多いんだけど
昭和の頃はみんな「仕方がない」って感じで、クレームとかはあまりなかった気がする
同じレベルで赤子が泣いても「赤ちゃんは泣くものだ」という感覚だった
喫茶店のマッチ収集家も見ない
羽鳥アナがTVでマッチ擦ったのだが「そのやり方じゃダメ」と怒られる擦り方だった
マッチ擦ったの生まれて初めてだったのだろうね
紙マッチなんて擦れないだろうな
まだあるよ
DIYショップとかで見かける
喫茶店のマッチは住所が書いてある場合も多かったので
そこから当時の町の様子を探る人も居るよ
昭和初期のカフェーを調べている人とか貴重な資料だから
紙マッチ擦る男性の手つきはセクシーだったなーw
>>137
シウマイの中に入っていた貝ようじだ、懐かしい
ネットでアップしている人もいるけどどう見ても国内産の小さい貝 >>135
「窓から釜を投げ捨てないでください」と書いてあった記憶がある(昭和50年代) ここ数年昭和喫茶ブーム?なのでSNSなどでマッチ収集家見かけるよ
デザインがすごくおしゃれ
たまたま私も今日マッチ買ったわw
線香とかろうそくと同じ売り場にあった
トイレでマッチすると一瞬でニオイ消えるんだよね
高崎のだるま弁当はプラスチックだった
食べたあとは貯金箱になったのだ
>>135
あれ、捨てるのもったいなさすぎだよね
それで、うちの実家にもたくさんあるw
釜に混ぜご飯を詰めてその上に錦糸卵やそぼろなど乗せてもらうと
なんかとても特別感があって好きだったな 鯛めし 駅弁 を梅沢富美男がTVで「・・・不味いですね」と言っててワロタ
皆思ってた事
>>152
昔は陶器で、達磨の顔がもっとゴツかった。
かなりまえから赤いプラスチック製になっちゃってたけど、数年前たまたま高崎行ったとき、陶器製復刻版売ってるの見かけて思わず買ってしまった。 >>156
初耳、どんな感じか今度手に入れてみたいわ マッチの擦り方だけど自分の世代は「外に向けて擦ると危ないので自分の方に向けて擦る」
と学校で教わって、理科のアルコールランプの点火の時とか内に向けて擦ったけど
今思うとかえって危ないような気がする。外に向けてシャッとこすったほうが着火しやすいし。
喫茶店のマッチはいつからかペラペラの紙マッチになって、あれが自分はどうしてもうまく着火できなかった。
昔は蒸気機関車だった。
トンネルにさしかかると急いで窓を閉じた。
そうしないと煙がドーンと入ってきた。
>>160
トンネルに入る前に長い汽笛を鳴らしてくれるんだよね
それで乗客がバタバタと閉め始める
兄が鉄ちゃんだったので最後の蒸気機関車、幾つか乗りに行ったわ
幼かった時の旅行ルート、もう一度旅してみたいな >>160
その頃のこと、かすかに覚えてる、トンネルだー窓閉めろーって大人が言ってた 蒸気機関車、小海線はけっこう長い間走ってたよね
高校時代、あの辺に旅行に行った時にみんなで蒸気機関車を見に行って手を振ったのを覚えてる
機関車乗って窓を閉め忘れたコントあったな
真っ暗になって明るくなると顔に靴墨塗りたくってすごいことになってるの
うちの両親の新婚旅行は電車で宮崎だったって
当時は多かったらしい
気候が穏やかで人気あったみたいね
新婚さん?と車内で何人もから声をかけられて恥ずかしかったって
>>164
昭和30〜40年代くらいかな?
その頃の新婚旅行先って、宮崎・指宿・熱海・箱根ってイメージw
若奥様は帽子をかぶり、綺麗な色のワンピースかスーツ着てて・・・
昭和50年代くらいから海外に行く人が増えたような気がするけど
実際のところはどうなのか知らない 重信房子って刑期がまだ10年くらいあるんだね、無事生きて出られても
すっかり80代のお年寄りになっていてどうやって生きていくのだか、
誰か家とか借りる保証人とかなってくれるの?
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや(寺山修司)
人並みの才にすぎざる我が友の深き不平もあわれなるかな
皇族の方が降嫁されて(嶋津貴子さん)新婚旅行で宮崎に行かれて
一大ブームになったんだよね
「フェニックス・ハネムーン」って歌も流行った
その頃はまだ1ドル360円時代で
庶民には海外旅行は一般的じゃなかった
>>166
娘もいるし同志もいるし…
重信房子くらいの有名活動家なら、思想的に共感する人たちが援助してくれるでしょうね
回想記でも書けば需要もありそう
重信は当時から、美人女闘士として特別な存在だった >>165
その《パステルカラーのスーツに帽子をかぶって》新婚旅行に行くって場面は、サザエさんにもでてくるわね。
でも実際に多かったみたいよ。
以前、YouTubeにフェニックスハネムーンの動画があって、それは列車1台丸ごとハネムーン客で、新婦(新妻)たちが皆帽子&パステルスーツだった >>167
寺山は「ない」、と言った。
俺は「ある」、と確信する。 重信房子はガンで医療刑務所 獄死確定だろう
永田洋子は長年のオムツでガニ股 コマネチ!状態で股関節が拘縮
棺桶に入らなかった
ゲバルト・ローザっていう人もいたよね
ぐぐると画像が出てくる
1ドル360円だったんだよね
私が生まれたS44はまだ沖縄はアメリカだった
横井さんはグアムで終戦知らずに暮らしてた
昭和すごいわ
>>176
終戦、小野田さんは知らなかったけど横井さんは知ってたよ 横井さん、小野田さんの後にモロタイ島の中村さんて人もいた
この人は台湾出身の日本兵で、帰ったら奥さんが別の男性と結婚してたので揉めたのを覚えてる
小野田さんもルバング島にいたわ
上官の命令がないと投降しないというので上官にきてもらって任務解除の伝達したのよね
二人とも立派な敬礼だった
>>180
そこに行くまでいろいろ尽力したのが、あの鈴木青年。
あの鈴木さんがいなかったら、小野田さん帰還もなかったかもね。
さいごは雪男探しにヒマラヤ?に行って遭難したのよね…
小野田さんも確か現地まで行って追悼の意をあらわした 小野田さん50才のお譲さんじゃなく30歳ぐらいの女性を嫁にしとけば
子供が出来たかもしれないのに、残念だったね。
沖縄が日本に返還された日は、土曜日か日曜日だった気がする
NHKの7時のニュースとき、父もいたので
レポーターが飲食店をやっている人にインタビューして、
「さっぱりお客が来ない」
「その代わり向かい側の店に客が入るようになったんだから、仕方ない」
と父が言ったのを覚えている
小野田さんが見つかった時、私はまだ子供であの鋭い目つきの現役日本兵が恐ろしかった
数十年後、テレビで見た小野田さんは、子供のための自然学校みたいなのをやってる穏やかな表情のおじいさんで驚いたわ
>>182
その中年のお嬢さんの血縁のお子さんを養子として育てたのよね。 お国のためにご奉公して来い、って送り出された時代だからね。
特攻隊の遺品を展示してる所に行ったことあるけど、
みんな泣いてたわ。
それで小野田さんも横井さんも最後は皇居にいって
「かえってきました〜」って拡声器で喚いたのよ
天皇の名前で命令されたことだから最後のけじめだよね。
横井はTVで有名に成りドンドン勘違いしていった
グァム党とか言い出し立候補 勘違いは極まった
サンダーバードに本物のワニ
撮影中ワニはペネロープの足を食い千切ったらしい
徹子は知ってるのだろうか
>>191
唐突になんだ、ばあさん?
あの世行き前のフラッシュバック? 中ピ連の榎本?も勘違いして夜明けの刑事に出ていた
今は行方不明らしい
今も勘違いした素人がTVに出ているが どうせ消えてしまうのに・・・
としか思わない
>>192
あら、当時普通にニュース報道もされたのに
なんでも妄想にしちゃうのはだめよ
あ、皇居じゃかった、ごめん。
皇居は門前払いだったんで、しかたなく
二重橋で拡声器で御所に向かってわめいたんだった >>181
小野田さんと鈴木さんは鈴木さんが亡くなるまでずっと親しく付き合いがあったみたいね
鈴木さんが結婚後も雪男探しに熱中しているのを危惧して忠告もしてたってテレビで見た ゴジの最新作w「太陽を盗んだ男」
武装し修学旅行バスをハイジャックした伊藤雄之助が
「畏れ多くも天皇陛下に話がある」と皇居に突っ込む
撮影許可が下りる訳無く一部は不見転撮影
>>186
えー知らなかったw
>>185
私はおじいさんに見えたけど、今見ると若いw
自分が年取った。 >>190
知らなかったw
横井さんの奥さんの腋毛がボウボウだったなw >>193
>>191はここに常駐してる老お釜。( 話題にすると一般のスレ民に叱られるが、知らない人もいるみたいだから一応書いておく) >>196
見た見た。
冒険などやめて家族のために生きろよ、
小野田さんは忠告するが
鈴木さんは冒険は生きがい、
なんのために生きていくんだ?小野田さんは
ルバングで日本のために生きたでしょ、
家族のためとか、自分のためとかじゃなく
日本のために生きた、
冒険に生きる・・・通じるとこがある・・・
奥が深い人生ドラマでした。 ずっと兵隊さんの制服を着てたのだから体形は変わってないし
兵隊さんの制服って丈夫だね、
生地は麻?綿?
>>202
ずっと着ていたわけじゃないよ
軍服は大事にとっておいた、普段は村から盗んだ服をきていた
小野田さんは村人を大量にころしてるわよ
日本からかなり払ってるはず
横井さんはおとなしく洞窟にいただけだけど 復員兵も結構軍服着て過ごしてたね
コートとか最近まで実家にあったけど、いい仕立てだったよ
小野田は鈴木も問答無用で射殺しようとした
が
鈴木が靴下履いてゴム草履だったので?!と話を聞く気に成った
現地人は靴下履かない
ふふふ
米津とバンプと宇多田の新曲歌いに月イチでヒトカラ行くぜい
寺田体育もちょっといいかなと思い始めて検索中w
小野田さんは職業軍人だけど横井さんはもともとは洋服の仕立屋さんだったよね
ジャングルでの生活中は木の皮を使って自分で服を作って着てたりしてた
横井さんは確かにおっちょこちょいだけど、手先が器用だったのか編み物をしたりすごいサバイバル能力だわ
>>209
今は、わからんけど
前に、YouTubeに小野田さんが慰安所について語ってる動画あったよ。
ただ2ちゃんではそのことはあまり書きたくない、興味本位になったり、偏向した人たちが出てきて、話がおかしな方向にいきそうだからね。
戦後まもなく製作された一般映画や戦争映画はわりあい現実を描いているのではないかな。
実際に従軍した人たちが製作に携わっているだろうから。
映画兵隊ヤクザでも、ピー屋として、慰安所はよく登場するよね。
真面目な雑誌の手記などにもそういう体験はしばしばでてくる。
忘れてならないのは、戦前までは、日本には公娼制度があり、売買春は合法だったという歴史的事実 スレが荒れようが慰安婦が実在したのは事実でしょ
水木しげる御大が生前に戦争体験を自伝漫画を描いてる
野木将軍だったか、戦地でもう勝ち目が無くなって部隊が撤退する中、
残って自決したのを後から来た兵士が見た証言も怖かった。
ジャングルの中で膝をついてうなだれて死んでいたけど
もう蛆がわいていた、とか。
拳銃で自決したんだっけかな。
小野田さんは日本に失望して移住しちゃったよ
すみません、本当にこんな国にしてすみません
>>211
産経新聞社社長 ‘鹿内信隆’ がインドネシアで 「従軍慰安所」 を開設した。
鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に
行きますと、ピー屋が……。
桜田 そう、慰安所の開設。
鹿内 そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、
それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロを
くぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、
下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければ
ならない(笑)。料金にも等級をつける。
こんなことをこれも経理学校で教わった。この間も、
経理学校の仲間が集まって、こんな思い出話をやったことが
あるんです。
http://2chb.net/r/korea/1535848753/26 (>>214 のつづき)
マニラ大学女学生を日本の将校がいただいちゃう
【桜田】そうでしょう。
【鹿内】 ろくな戦争もしないうちに、最後はみんな餓死してしまったん
ですが、緒戦は本間正晴中将を中心として、上陸したときは大変な
勢いでした。本間軍団の経理部のいちばん偉い人は、私どもの
経理学校の上官だった人ですが、名前はここで申し上げないほうがいいと
おもう。
上陸作戦がすんでから、その人が陸軍省に報告に来られた。経理担当の
最高の師団将校ですから。で、その人の報告は、要するに「すばらしい」
というんです。何がすばらしいのかといったら、マニラ大学の女の学生は
全部セレベス島とか、が集まっていた。
ところが、日本軍がマニラに上陸したら、島に帰れなくなっちゃった。
寄宿舎にいるやつが、みんな孤立しちゃったわけだ。それを日本の将校が
いただくわけだ。
それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫おわっちゃったわけね。
その戦況報告のはなしが …。
【桜田】 うーん。
【鹿内】 ぼくは、そのとき、非常に衝撃を受けたけれども、しかし話と
しちゃ面白いよね。戦争中の話ですから。その女子大生が日本の将校の
えじきになったという報告があったのが、ぼくには非常に刺激的な
印象としていまも残っています。
しかし、この人は中将になって、最後は満州で戦死してます。
http://2chb.net/r/korea/1535848753/27 バレンタインデー近し
手作りチョコ渡したかった
でも、拒否られた時のこと考えたあげくココア味クッキーにした
しかも、"本命のついで"っぽく渡した
食べたかったら食べていいよ
焦げてるけど文句言うな!もらえるだけありがたいと思いなさい
その「M」は教えな〜い(あなたのMよ)
そんなことを言った気がする
あーーー 乙女だったな
>>213
そういえば小野田さんか横井さんか忘れたけど
コインロッカーの捨て子を嘆いていたわ >>210 戦前までは、日本には公娼制度があり、売買春は合法だったという歴史的事実
戦前じゃないよ、
昭和32年制定の売春防止法により日本では売春が一応「違法」となった。 >>219
だけど1年間の猶予期間があって昭和33年4月1日から違反したら刑事処分されるようになったんだよね
「飢餓海峡」を読むとこのあたりの事が書かれている 砂糖の入っていないコカコーラが売られていた時代があった。
砂糖の入っていないコーラは苦かった。
物不足の時代でした。
売春が違法だということにしたけど、
当初刑罰の対象としたのは管理売春と路上の直引きだけで、
買春そのものは違法だけど刑罰はなかった。
好きな映画は「飢餓海峡」と言っておくと一目置かれるので便利
吉原炎上かな?w
名取裕子だったね、私も何度も見たよ
女は競ってこそ華、負けて落ちれば泥
というのは陽輝楼だっけ?w
あの頃なんか似たような遊郭物あったね
>>217
バレンタインデーの活発化は平成になってからでしょ?
昭和にはなかった、
誰も好きな子にチョコやってるのみたことないもんw
なくてよかったw
ついでに携帯とかも、へんな写真をバンバン撮られて脅されていたかもしれん・・・
怖い、怖い、私の黒歴史w バレンタイン
昭和50年には活性化していた
チョコバーゲン会場では各校制服のまま買い物対抗戦だった
岸本加代子の
ガンバレ 私の チョコレート
が昭和52年だった
>>235
洲崎パラダイス赤信号、の方が好きだけどね 昭和50年に義理チョコ渡したのが、自分にとって初めてのバレンタイン
小学生の時で、1個50円のハートチョコだった(ピーナッツが入ってるやつ)
昭和55年には、本当に好きな子に、本気チョコ渡したな
ファンシーショップで買った、500円くらいのだったと思う
昭和57年に、初めてホワイトデーに義理キャンディもらった
>>231
昭和50年代に普通にあったよ
廃れたのはここ10年かな、フェミニズムや(同性や自分にあげる)広義のジェンダーフリーや
(義理チョコはパワハラという)ハラスメント概念の発達が主因だと思うけど 初めてバレンタインデーを知ったのは昭和44年
クラスの女の子に「○○君にチョコ渡して」と頼まれて「なにそれ」と思った
モロゾフだったかな、バレンタインチョコをそのまま送れるサービスがあって仲良しのイトコ(女子)に送った
私自身は男の子には渡せないから仲のいい友人とチョコを交換(友チョコの走りかw)
全部昭和40年代
だから昭和40年代から本格的に広まったんだろうね
昭和といっても年代ごとに変化しているんだから、昭和にはなかったというと違うんだよ
私は昭和40年代末期の生まれだからバレンタインは自明のイベントだった
尤も子供のころに親から「お菓子業界が考えたイベントだよ」と聞いていたんで一回もしたことないけど
>>233
炎上って、金閣炎上?吉原炎上?
でも233さんの感性私と似てるかも。野火も兵隊やくざも好きな映画だわ。
戦争映画なら、与太郎戦記シリーズや南の島に雪が降る…とかほんとに秀作がたくさんあるのよね
やはり戦争ものは昭和じゃないと駄目だわ
あと時代劇だと座頭市と忍びの者シリーズ >>240
そうよ、昭和40年代にはもうやっていたわね。
昭和50年代大学生だったけど、もうデパートにはチョコの特設売り場があったわ。
240さんは1度もチョコ渡したことないの?
私は何度もあるわw
義理チョコも昭和50年代にすでにあったの
ホワイトデーに何かお返しするというのもあったのよ
デパートでバイトしてる時、近所のオフィスのサラリーマンがホワイトデーのお返しを買いにきたのを覚えてるから…
会社の就業時間中に買いにきたから、すごく印象に残ってる バレンタインデー
あったかしらん・・・
忘れたような、あ、思い出した!新聞の投稿で貰ったーww
私と旦那の出会いを書いて投稿、夕刊の新聞。
お酒が入ったチョコが送られて来たw
ネットがない時にはこういうとことか街新聞などで投稿するとなんか送ってきたよねw
>>241
市川崑の「炎上」ですね
市川雷蔵主演の
仲代達矢の演技がこの映画はわりと好きw でも義理チョコとかあった?
デパートに居たけど上司にやる女子が居たかどうか思い出せないわ。
不倫ぽいカップルは居たけど。
私のコーナーは割と客が来ないとこでw
不倫の上司とその女子が来てイチャイチャしてるの、
それを見て腹も立たない私ってほんと今で言うと神っていうか、
どうでもよかったのよね、普通、腹が立つとおもうけどw
>>242
見るとあったようだが、ぜんぜん思い出せないわ。 >>245
義理チョコ、昭和53年までのことは忘れてるけど
54年に流行ってたのは確かで、男子にあげてる子たくさんいた
その年、学校でチョコ持ち込み禁止令が出るくらいだったから
少なくともその前年にはすでに活発化してたのでしょう
もっと前からかもしれないけどそこまではわかんない 敗戦以降「普及」した日といえば(皇室関連や戦前の記念日をすり替えたのを除くと)
バースデー、バレンタインデー、ホワイトデー、母の日、父の日、ハロウィンetc
そして流行らないと思うけどイースターをイベント化する動きもあるようだね
クリスマスやエイプリルフールは戦前もあったみたい(都会が中心だろうけど)
日曜学校に行っていたとき、イースターに着色したゆで卵をもらった記憶@昭和52年
昭和49年か50年のりぼんの漫画で、
バレンタインに告白するために白いセーターを編んでいる女の子
フルーツパーラーでのデートを夢見る
だけど完成したのは腹巻き
本命の男の子には渡せなくて、
逆に告白してくれたクラスメートの男の子にプレゼントして石焼き芋デートという落ちだった
久木田律子だったような
>>231
わかる。私も中学生の時鍵付きの日記帳で友達と交換日記やってたけど
鍵があけられていて誰かに見られていたりしたもんなー
携帯とかあったらすぐに写メとられて誰々が好きとか嫌いとか書いてあるのが流されていたんだろうなーって思う
なにもなくてよかったかも 子供の頃カトリックの教会通ってたけど
イースターっていうか、復活祭は
ゆで卵に食紅で絵を描いたのをバザーで売ったりした
卵探しもしないし、うさぎも登場しなかったわね
バレンタインデーは平成のはじめくらいがピークだと信じてる
デパートの地下売り場のあの殺人的な混雑は今の世の中にはない
今は男女関係なくあげたい人があげるイベントよね
>>248
母の日父の日は、保育園や小学校などではほぼスルーになったね
昭和の子供時代は親の似顔絵書いて張り出すのが定番だったけどね
シングルの方が非常に増えたよ
周囲で、祖父母が保護者になっている家庭も何件か知ってる 母親が高齢出産、祖母が若作り
両方増えたね
水谷雅子さんみたいな50歳だと、高齢出産なのか娘の子供でもつれているのか
わからなくなると思うw
ヤンキー風味が少しでも感じられたら、孫と祖母かな?と思ったりする
大阪泉州岸和田ではだんじりで子作り、18歳で母親がスタンダードらしいから、54歳でひいおばあちゃんになりますねw
昭和の頃は、女子は16歳・男子は18歳で結婚できたのよね
さらに遡ればもっと若くて結婚できたのかしら(戦前)
今は男女とも18歳?
そして選挙権も18歳になるんだっけ
でも飲酒は20歳から?
なんだかややこしいw
お巡りさんでも正確に理解できなさそう
横井さん>>ナスD〜越えられない壁〜>濱口>>>TOKIO
でもナスDなら一年住んだら横井さん超えできそうだわ
ナスDは孤独に耐えられないだろ。
横井さん、小野田さんは死んだ戦友の骨と話して過ごしてたんだよ。
>>257
今でも女性は16歳で結婚できるよ
成人年齢を引き下げる時に民法改正で女性の婚姻年齢を18歳にする見込み まあ戦前の村では16,7歳で嫁入りということも多かったでしょう
戦後だって一般家庭でも23にもなれば親が行き遅れを心配した模様(戦後映画からの情報)
それならば子供が4人、5人が普通だったはずだ
うちの両親も共に5人きょうだいだ
>>220
私は「飢餓海峡」を読んで 甲種くじのがれ というのを知った
甲種合格しても、くじ引きで兵隊に行かずにすんだ人たちがいたんだね シージャック事件で生で人が銃撃されるのをテレビで見た
あっけなかった。のちにビデオ化されたけど
>>263
その事件を映画化した「凶弾」でデビューしたのが石原良純
でも映画は大コケ、不入りだった ハイジャックのハイを空との勘違いから
船をシージャック
バスをバスジャック と妙なジャプリッシュに
続・激突カージャック と無茶苦茶
carjackとseajackは英語でも言うよ
バスジャックやテレビジャックは和製英語だけど
「凶弾」見た記憶あり
これで学んだことは
雑誌評論家は全くアテにならないパブ記事だらけ
昭和30年代、石原兄弟は大人気だったらしいが
小説はパワハラセクハラだらけ
映画もカッコつけ渋つけてるだらけ
絶賛する人がいることに衝撃うけた
BS11昭和40年代名曲
いま放送中
ピンからトリオかと思ったら因幡晃だった
あっなたのあいし〜た人の名前は〜ピンからトリオ
>>267
配給会社から接待受けてたらヨイショ記事しか書かなくなる >>267
「乾いた花」 1964
原作:石原慎太郎
監督:篠田正浩
出演:池部良、加賀まりこ、藤木孝、東野英治郎、宮口精二、佐々木功、他
製作:文芸プロダクションにんじんくらぶ
配給:松竹 凶弾は松竹の奥山和由だね
この人は凶弾で大コケした後はハチ公物語で大ヒットしたけど
いろいろ物議をかもして最後は追い出されちゃったね
>>269
それがウチの新聞ではかなり酷評されていたから、よく覚えてるの。
朝日新聞だった。
夕刊の映画評欄に
「主役俳優(良純)に全く生活感がなく、リアリティがない」と書いてあった。
同じく封切り段階で酷評されていた映画と言えば、寅さんシリーズの中で「アメリカ人の寅さん」が出てくる一編。
さすがの山田洋次の作品でも、「うーん、このアメリカ版寅さんは成功したのかどうか…」と苦しい批評が書いてあった(全体にこりゃ駄目だ的な論調)
実際この作品はほとんど顧みられないわね、その後 >>262
飢餓海峡の作者は水上勉、この人若いとき子供を手離してる、ていうか生き別れというか行方不明というか…
その後このお子さんは他家で成人して、やがて水上勉と再会した。
それが窪島誠一郎氏。
この劇的再会について、昭和50年代結構話題になった。
ドラマにもなった…手記が雑誌に載ったり…
当時は私もその手記を読んだりしてたけど、年のせいか記憶も曖昧になってしまった… 富士真奈美って人気時代秘密で産み捨てた息子が居て
「成人してるだろうから息子が許すなら会って見たい」ってTVで探したら
偶然にも富士の所属事務所と同ビルの上階のブライダル会社勤務で
エレベーターで互いに母・息子だと判らず世間話してた仲だったと判明
スタジオで感動の再会も
「あれ!?アンタ!アタシの息子だったの!!あれ!??」ってw
女優は男より男だ と言うがもう男でさえ無いね 動物だよコレw 野生の王国w
羞恥心0ってのも凄いが父親誰だろう 堅気じゃ無いねw
>>277
息子さん、無言館やってるよね
戦没画学生の作品展示
水上勉も金閣寺放火の小説書いてるけど、私は三島の金閣寺の方が好きだな この板の特徴に学歴話が多いことがあると思うんだけど、それって昭和時代の学歴社会が関係しているのかな
私は昭和50年生まれで就職の頃は氷河期だったんで学歴あっても派遣、という知り合いが幾人かいる
学歴がすべてという感覚は分かりつつも、時代が変わったのでそれがすべてじゃないという引き裂かれた感覚がある
>>282
派遣社員に登録するには、満3年の正社員勤務の実績が必須だと思っていた
新卒でも派遣登録できるの? >>282
学歴社会、受験戦争を経験した昭和の生まれだけど、そろそろ学歴もなにもなくなるかも知れない >>283
私は派遣の経験がないから知らないけど三十路くらいで派遣していた人が数人いる
早稲田卒もそのなかにいる 大学も経営難でどんどん合併したりなくなったりするんだろうね
出身校の学部学科がなくなって軽くショック受けたわ
高校がこの5年ほどで統廃合激しくなりそうと報道してるね
どこの地方もそうだって
私は団塊ジュニアだから、教室足りなくてプレハブ校舎まで建ててたのに
母校はもしかしたら消滅らしいですよ
旧制中学から100年以上の伝統もあったけど、普通科はもう要らないらしいです
>>282
学力ガチ勝負てのがわかりやすいじゃん
私は根性なしで受験勉強とかしない高卒なんで
素直に勉強して大卒の人をすごいなあ、とおもうわ
昨今の推薦で入学とかいただけないわね
人生でガチな勝負ができる機会ってそうはないんだから >>279
三島のは読んだことない。水上バージョンだけ。
ていうかあのエピソードに関心持ったのは『おどろき桃の木20世紀』で見てから。
水上バージョンを読んでると息苦しくなってくる、 そして上の方で出てきた市川雷蔵の『炎上』あれも雷蔵の演技を見てると息苦しくなる
まさに迫真の演技であの修行僧になりきっていて、こちらまで憑依してしまいそう。
一番苦しくなるエピソードは母親が事件後、余部の鉄橋から投身自殺するところ。
あの地域自分も何度か行ったことあるから余計に >>289
まあそれは隣の芝生は何とやらかもよ
夢でうなされることがあるけど、もっぱら社会に出てからの悪い思い出でうなされることばかりだよ
受験や大学の単位取得の夢でうなされたことはない
一部のスレで違和感をおぼえることの一つは、人格を学歴で判断しているところなんだよ
有名人とかをね 子がいないので最近の受験事情にはどうしても疎く、
都立のメジャーな滑り止め校だった某校がいまや女子御三家と言われる難関校に出世してるのが信じ難い
子供がいればおいそれと入れないであろうから意識は変わってたのだろうけど
京都で息子(金閣寺に放火)に面会した帰途、鉄橋付近で列車のドアを開けて川に飛び降りたわけよね
あの頃の列車のドアは手動で開けることができた。
同じく列車から転落して亡くなったのが、筝曲家の宮城道雄。
この人は事故か自殺か不明だけど、事故じゃないかと推測されてる(昭和30年代)。
宮城道雄の半生をドラマ化したのがあって、道雄役は確か小倉一郎だった、この人も昭和の頃は売れていた
受験があるから勉強するんじゃないかな
子供の頃ってなんで勉強するのかなんてわからないし、
とりあえずいい点とったり合格すれば誰でもうれしい
社会に出て教養のある人ってやっぱりすごい
子供にはうるさい親だろうけど、できる限り教育は受けさせたい
その中川五郎が「ふたりのラブジュース」で有罪なのか
子供の頃だから「腹腹時計」とごっちゃになってた
富士真奈美とか秋野煬子とかドラマでエグい悪役やってた人は
ガチで毎日カラまれたらしいね
学歴があることと、学があることは違うからね
勉強が出来ることと、頭がいいかどうかも別の話
学歴なんてたいして意味はないわ
でも別スレでも話題の菊川怜って嫌な感じの人で益々大嫌いになったわ
子供は勉強しなくて遊んでろ、高校なんて行くなという人は私のまわりにはいない
学や教養、人間関係を広げるためにも子供には勉強して進学を勧める
>>287
私が出た小中高(公立)、全部なくなったわ・・・w
東京郊外の巨大団地群で、私が小学3年生の時に人数が多すぎて
新しい小学校ができ、半分がそっちに移った
そして中学2年の時も人数が多くて新しい中学校が(以下同
時代と地域の影響で爆発的に子供が増えた分
少子化の影響も強く出たんだろうなと思う 私のベスト3は
ソドムの市
ざくろの色
超能力学園Z
私のベスト3は
白鯨
薔薇の名前
ポセイドン・アドベンチャー/赤い靴/何がジェーンに起こったか/私は殺される/イヴの総て
3位は決められません
V2cinMMK0は彦根?
腹腹時計って、読んで苦笑してしまったw
あれ知っている人はマニアっつか、なんちゅうか
アマゾンみたら出品している人いないわ
昨日の>>265だって他の人に訂正されてるし、ホントあまり信用しないほうがいいよ、彦根の書いてることは。 学歴を人前で自慢できる風潮になったのは、90年代になってから。
それまでは、学歴を堂々と自慢するのははしたないことで、
敢えて大学に行かない、大学や高校を中退する方が偉いという雰囲気があったような。
あくまで、メディアや若者の建前に限っての話だけど。
数学の公式なんて覚えたって将来何の役にもたたねえよ、とか分かったような口聞く生意気な厨房に
ばかやろうこれは脳のトレーニングだ、若い時にいろんなアプローチで脳を動かして鍛えておかないと
将来何の役にも立たない人間になるし早くボケるぞと言ってくれた教師がいた
今なら馬鹿野郎の時点で生徒に暴言事案
>>311
北海道のアパマンショップの大爆発で思った
やっぱり普通でいいからこれはやってはいけないとか、こうすれば作物は育つとか位は知らなければ…と >>309
今でも人前で自慢する人はいないと思うが 某省新任大臣会見
開口一番「東大卒はいるか」「東大以外は(会見から)出ていけ」
記者全員キョドった
憤然として退出した記者もいたが揉み手せんばかりに
新任局長インタビュー提灯書いた記者もいた
そーです
>>297
猥褻裁判と爆弾教本がどこで結びつくんだ? 昔は「タモリと所ジョージの区別が判らない」と言う人が大勢居た
ワンセットで出ていたから
たけしには鶴太郎がセットで付いていて「お洒落小鉢」と言われていた
どちらも決別している
おしゃれ小鉢も今は意味が通じない
たけしと鶴太郎はひょうきんにおでん芸で鶴太郎が出ていた時くらいしか共演してないのでは?
鶴太郎が俳優やりだして評価されたあたりにたけしが悪口言ってたよ
俺はお笑いじゃない、俳優だ、みたいな態度だったのがむかついたらしい
ボクシングやったり芸術家気取ったりヨガやったり忘れられそうになるとお笑いででてきて古臭いギャグでスタジオ凍らせるのよね
腹腹時計を執筆したのが大道寺で逮捕されたニュース画像みてたら「大友荘」から
出てきたところだった。男女で。
大友で思い浮かぶのが大友の皇子(天智天皇の子)壬申の乱で大友皇子を破って天皇に
なったのが天武天皇
大友の皇子(天智天皇の子)=百済系(藤原氏含む)
天武天皇 =秦氏(蘇我氏)系
原→秦から由来と考えるとハラハラ=秦秦時計よね?
ニュータウン系って東京も関西も、住民の住み替えうまくいってないんでしょ?
小学校とか廃校、もしくは外国籍の子が多いとか
>>437
昔のベルボトムのジーンズ、靴を脱ぐと裾が床につくから母に「松の廊下みたい」と言われた
そういうのもう通じないだろうね >>449
原作のサザエさんでそういうネタあった
サザエさんのパンタロンを波平さんが借りて
会社の余興で松の廊下を演じる >>439
自分が危機感を覚えるのは、清水の次郎長かなw
明治中頃まで生きていた実在の人物で、いろんな物語や浪曲、時代劇の主人公になってる。
写真も残ってるし、かなりの人物なんだけど、昨今の反社会的勢力駆逐の世情から、今はほとんど顧みられない。
もう侠客、博徒、ちゃんばら…そういうのもなかったことにされていく流れだけど、ちょっと淋しいね
若い人は、高倉健が昔はヤクザ映画のスターだったことも知らないみたい(その前は時代劇で佐々木小次郎なんかをやっていた) ドラッグストアにいったらピンクのmieがリリーフの良さをえんえんと語る
店内放送がずっと流れてて・・・
尿漏れパンツが必要な世代がローライズジーンズを穿く平成時代はすごいとあらためて思ったw
出産経験もなくスリムでダンスおどりまくってるミイが尿漏れするとはおもわないんだけどw
誰かと思ったら松倉悦郎アナウンサーだった
ここの方ならご存知かしら
1: ガーディス ★ [] 2019/02/11(月) 21:06:56.01 ID:jfgLqTMs9
近所に止まっていた車に鍵で傷をつけたとして、兵庫県警姫路署は11日、器物損壊の疑いで、元フジテレビアナウンサーで善教寺(同県姫路市西大寿台)の住職、結城思聞容疑者(73)を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は11日午後0時55分ごろ、同市内の民家駐車場で、同市内の男性(26)が所有する乗用車のボンネットに、持っていた鍵で長さ約30センチにわたって線状の傷をつけた疑い。容疑を認めているという。
同署によると、同容疑者が民家前の道路を歩いて通り過ぎる際、車に手を伸ばして傷をつける様子を同署員が確認した。
近くの姫路独協大学から同寺までの約500メートルのエリアでは今月8日以降、約50台の車に同様の傷がつけられる器物損壊事件が相次ぎ、同署が警戒していたという。今後、同容疑者との関連を調べる。
同容疑者は「松倉悦郎」の名で約34年間、フジテレビにアナウンサーとして勤務した後、妻の実家の同寺で住職を務めている。
神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/jiken/201902/sp/0012057203.shtml
器物損壊の疑いで逮捕された結城思聞容疑者(2009年11月撮影)
http://newsplus/1549886816/1 映画 「元禄忠臣蔵」 前編 (1941)、後編 (1942)
原作:真山青果
監督:溝口健二
出演:四代目河原崎長十郎、三代目中村翫右衛門、五代目嵐芳三郎、三桝萬豐、他
製作配給:松竹
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映画 「忠臣蔵」 1958
監督:渡辺邦男
出演:長谷川一夫、市川雷蔵、鶴田浩二、勝新太郎、京マチ子、山本富士子、
木暮実千代、淡島千景、若尾文子、滝沢修、他
製作・配給:大映
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侠客の物語が排除されているとしたら、社会を無菌状態にする全体主義を感じて逆に怖いわ
今の流れって1945年のSF小説『動物農場』、1949年のSF小説『1984』と酷似している
>>438
日テレ時代劇の
里見浩太朗の忠臣蔵見てた世代
森繁久弥の吉良にむかついてた >>449
ドリフのコントでも松の廊下よくあったのにな
ホント、時代が変わってるわ むかしのNHKでは製作費をかけた良い番組がたくさんあったのに
録画したフィルムを使いまわしたりで保存されてないのよね
別会社でビデオにして売ったりした分はNHKの収入に計算されてないけど
時代物は(平安時代や江戸時代の歴史ものは特に)今なら海外でも人気が出そう
南総里見八犬伝の人形劇とかもう一度見てみたい
>>454
出産経験とかじゃなく
病気もあるよ、それとセックスやりすぎも。 >>465
mie 別に病気してないし、せっくるは知らんけど。
あのCMって尿漏れとかしていなさそうなmieだから出演を承知したのかな、とおもってる
リアルにもらしてそうな=子供5人産んだ人とか、今ぱんぱんに肥満してる人とか
リアルすぎて出たがらないだろう、と。 時代劇、銀二貫やぬけまいるみたいなのも好きだけど
銭形平次や大岡越前みたいな昔ながらのいかにもな「時代劇」も見たいんだよね
今は制作費がかかるから作れないって前にどなたか書いてたね
確かに時代劇だと作中にスポンサーの商品とか出せないからなぁ
松下電器一社提供でお送りします、とか懐かしいよね
ナショナル劇場だっけ
今はパナソニックに統一で、ナショナルの表示見ると懐かしいわ
パナソニックシアター消滅それどころか月曜名作劇場さえ消滅だからねドラマのTBS民放の雄は今いずこだし日曜劇場もCBS(アメリカ)ドラマのコピーでしかもそれでも視聴率的パッとせずが今のTBS
TBS全盛期そのものが昭和の思い出だし2時代前の思い出になるのも間違いない
●性格が悪かったスター っていう昔のスレで
いろんな俳優にインタビュー経験のある人が
八千草さんはすごく可愛いいい人で、三國連太郎は人の悪口をどんどんいう、悪い人じゃないけど
軽い人、って描いててイメージと違ってるなとおもった
態度が悪かったのは緒形拳らしい
アタシのイメージじゃ八千草さんは表ではにこにこして取材とかではタカビーそう、
三國は寡黙
緒方拳は腰が低そうだと思ってた
かつて全盛を誇った2時間ドラマもすっかり消えちゃったね
今でもやればそこそこ視聴率はとれるらしいけど
やはり制作費がかかるのと見る人が中高年層に偏るので敬遠され
結局安上りなバラエティ優先になる
態度の悪いスター
ネット上に限らず雑誌等でも何度か見たけど名優揃い
逆に言えば、テキトーな監督演出家にとって煙たい存在だったのでは?
昭和50年代くらいまでは芸能界は893の世界ってのが大人の良識だったよ
むかしの人たちは興行の世界のことを知っていたから
だから今みたいに子供を子役にさせたくて仕方ない親がうじゃうじゃいる状況は隔世の感がある
わたし40代半ばだけどね
伊藤かずえが「モナリザ」でプチブレイクしたとき、タレント本が出た
子役の女の子が大人の俳優にやられちゃうのなんて、日常茶飯事だと書いてあった
二代目ケンちゃんも小学生なのにおばさん女優に手を出されそうになることがままあって、
それに嫌気が差して芸能界から足を洗ったと本人が何かでコメントしていた
ザ・マンザイでヒップアップが丸出しの尻を白く塗り
♪白ケツ病 白ケツ病 それは 死ぬまで治らない〜
と歌い爆笑ゲット
後日白血病の患者団体から抗議受けていた
今思えば何が面白いのか判らないし よく放送出来たもんだ
松村雄基と伊藤かずえ
私の子供のころ、不良と言えばこの二人だった
二人とも役者としては性格いいって噂を聞いたけど
伊藤かずえは美少女だったし今も痩せてシュッとした格好すれば美女だと思うのに
そのへんの商店街を歩いてるようなモッサリ感を改めないのがダラ奥に通じるところがあって憎めない
テレビで披露してた手作りシュシュもおかんアート的センスだった
紀平選手が「池江選手が白血病と知ってどう思うか」と聞かれて居たが
「白血病」が何だか判って居ない表情だったな
もうコミックやドラマに「白血病で若くして死ぬ」と言う設定が無いから知らないのかも
>>477
ビンゴ
>>482
白血病といえば脊髄麻酔
父から「脊髄麻酔はこの世で一番痛い」と言われてビビッていた
大人になってから累計3回やったけど、最初にチクッとするだけで
それほどでもなかった 夜8時台のドラマに連続で出演して
視聴率そこそこヒットか大ヒットさせる・・・って
今だとすごい、一躍トップ有名人の仲間入りのはずなのに
伊藤かずえ&麻衣子、松村ゆうき、B級臭だよね
大映ドラマだから安っぽいのかなw
>>484
脊髄麻酔じゃないよ。
骨髄穿刺。
麻酔はするらしいけど、すごく痛くて苦しいらしい。 ■ミーの処女を奪ったのは西条ひでき。
アイデア枯渇末期だった頃の赤塚ならホントにイヤミに言わせてそうなセリフ
>>479
伊藤かずえって、水戸黄門に同行して旅をするお姫様の役で出てきた記憶。
そのもっと前には確か山口いづみがそんなお姫様の役をやっていた。
「お姫様女優」なんて言葉もあったわね… 名前ど忘れしちゃったけど、
美味でございますー、の人の上司?の人も
お姫様女優だったな
小学3、4年位で
雑誌か何かで見た電話で聞けるおもしろ智識が
「カレーが辛い時にはじゃが芋を潰して混ぜると辛くなくなるよ〜」
だった。
くだらなさに脱力して即切った。
今でもカレーのじゃが芋切ってる時に思い出す時がある。
>>493
小学館の学習雑誌で仕入れた豆知識…世界一大きな花はラフレシア 干したミミズを怖いお父さんに食べさせると 優し〜い〜お父さんに変身するよ!
怪獣ツインテールはエビの味がして美味しい
猿少女マリアの寄りかかる壁
>>490
「水戸黄門と言えば月形龍之介だ」 とおじちゃんたちがよく言ってた。
時代劇で鍛え上げてるから、貫禄が違うわね。
ゴタゴタ抜かしとったらシバキ挙げっどよ!ワ〜レ〜!
室谷信雄は去年死んでる…
これだけ次から次に死ぬと解らないねw
私は、西城秀樹→ファンさくらももこ、西城秀樹→相方郷ひろみ相方樹木希林、奥様の朝丘雪路の後を追った津川雅彦、老婆心ながらいやなのでこうして暗記w
私は西村晃さんの水戸黄門が好きだったわ
彼はそれまで悪役専門のイメージだったけど意外とハマってた
西村晃良かったよね
もう亡くなってずいぶん経つけど、特攻隊に入った時の同期の千さんはまだまだお元気だね
>>502
お父さんがロボット学天即作った西村真琴
帝都物語で父親を演じてた 大友柳太郎がタモリのやってたオールナイトニッポンにゲストででたことがあるんだよね
息子さんがタモリの大学時代の友達という縁だった。
>>502
あら、よくご存知ね。千宗室と同期だったのよね…
千宗室夫人の千登三子さんだっけ、すごい美人で才女だった。女性誌などにも出ていたと思う
息子さんのお嫁さんに三笠宮家のお嬢様をお迎えになったのも話題に。
そのお二人の間の娘さん(登三子さんからみて孫)が何年か前、お祭りの斎王をつとめた キャンディーズは人気絶頂の1977年の夏に引退を発表し、
翌年4月4日の後楽園球場でのお別れコンサートで解散した。
伊藤蘭が言った 「普通の女の子に戻りたい!」 は非常に有名になり、
社会への影響は大きかった。
2016年、どたばた解散した SMAP は老醜をさらした。最近の
嵐の解散宣言はやっとかっとの感があり、マスコミだけが
空騒ぎした。
「普通のおばさんになりたい!」と言って、(一旦)引退したのが都はるみ
でも数年後復帰
そのことに異議を唱えたのが某大御所演歌歌手
>>505
SNSなんてなかったけど、容子さんがパーティーでタバコをプカーってやってるとか
みんないってたな
週刊誌とかにのってたのかな 都はるみの歌唱力は凄かったから引退しなくてよかったのにね
ここ20年くらいテレビで見てませんがほんとに引退しちゃったの?
好きな男(プロデューサー)が死んでからでてこなくなったね
ドラえもんに不幸の手紙の回があったけど、やっぱ子供の間ではそういうのが送られてきたものなの?
>>512
しかも中野ってあの文章のまま私のうちにも来た 自分の中ではチキンラーメン=南伸坊なんだが
今やってるチキンラーメンのドラマには南伸坊役は出てくるんだろうか
>>510-511
都はるみは2005年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、2010年に
紫綬褒章を受章しました。
2008年に事務所の社長兼パートナーの中村一好氏が急逝しました。
2016年の12月をもって活動を休止しています。 >>512
不幸の手紙は来たことないけど小学生の時
インターナショナルゲームというハガキはもらったことある
差出人に5人の名前と住所が書いてあって、1番目の人の住所に絵葉書を送る
1番目の人の名前を外して自分の名前と住所を5番目に書いて、
同じ文面のハガキを自分の知り合い5人に送る→1か月後に100人の人から絵葉書が届きます、というの
親にこんなの出しちゃだめと取り上げられたけど自分はちょっと出してみたかった。 >>517
何かそういうの聞いたことあるけど、一度ももらったことない
あと、ここでよく出る不幸の手紙もうちに来たことないわ
たまに学校で話は出たけど、もらってない人のほうが多かった気がする 「団地妻 昼下がりの情事」 1971年
>>505
あの娘さん(孫)はガチで体育会の水泳やってて意外だった
数年前に結婚したし、高円宮系は安泰よね
いとこの典子さんも絢子さんもね
うちは幸福の手紙は来たよw 今の学校って、住所録もアレだから、ああいうチェーンメールは廃れたのかしらね
少女マンガの読者プレゼントなんか当選者の住所氏名が載ってたよね
ほとんどが未成年者なのに
住所といっても都道府県くらい
今みたいに簡単にネットで何でも調べられる時代じゃないし
何度か当選して名前が載ったけど何にもなかったよ
ただ、ある出版社は複数回当選してるのに、一度も商品が送られてきたことがない
>>524
あら?そういうの、前に事件になっていたわね
出版社の担当者が、読者プレゼントの賞品を猫ババしてた?とか
いや、もしかしたら、最初から賞品はなかったんだっけ?
うろ覚えで申し訳ないけど、そんな事件が世間を騒がせていた気がする(私が見たのは平成だけど、昔からあることなのかな) あ、調べたら2013年頃明るみにでた事件で
秋田書店の女性向け漫画雑誌で
プレゼント当選者数を水増ししていた件だったわ。
JR九州が新幹線での車内販売を3月15日で終了、
JR北海道も特急列車での車内販売を2月28日をもって終了
消えゆく車内販売か……
むかしは例えば中央本線の普通列車でも車内販売があった記憶があるけどね
なんでセブンイレブンなのよ〜。(。>д<)
風情がない
えっ?函館―札幌間の特急の中で長万部のかにめしが買えなくなるっていうこと?
それは事件だw
>>529
中央本線の普通列車の中でも車内販売ありましたね。
笹子餅や信玄餅など土産品も車内販売で売ってた記憶がある。 中央線で小淵沢まで行って、乗り換えて清里行ったなあ
清泉寮とか今でもあるんだろか
エアコン無かったように記憶してる
いまスポーツ中継のOPで行進曲が使われず、アイドルの曲が使われるようになったのって
昭和と平成のスポーツ競技やスポーツ選手に対する意識の違いが出ているような気がする
いや今はスポーツ選手じゃなくてアスリートか
これも意識の違いが出ているのかなあ
>>539
日テレの野球中継のオープニングといえばスポーツ行進曲だなあ
(曲名をググって初めて知った)
NHKのスポーツ中継では小関裕而の曲がまだ使われているね
変なイメージソングよりも昭和の行進曲の方が格調高くてよい 長嶋が2回目に監督になったあたりからスポーツ中継にJPop系の曲が使われるようになった気がする
Jリーグブームの影響かもしれない
>>540
情報ありがとうごさいます!540さんの書き込み見て YouTubeで聞いてみました。それでわかったこと…
・日テレのスポーツ行進曲
・TBSのスポーツテーマ曲コバルトの空
・NHKのスポーツショー行進曲(古関ゆうじ)
・フジテレビのライトアウトマーチ
みんな違う曲だったんですね、自分的には全然区別できてなかった〜w
でも、どの曲も昭和のプロ野球番組のオープニングとして、めちゃめちゃ懐かしい
懐かしいけどやっぱりちょっと古いのかなとも思う 追加
テレ東の「パープルページェントマーチ」
テレ朝の「朝日に栄光あれ」
テレ朝のはわりと今聞いてもカッコいい
日テレのスポーツ行進曲はプロ野球中継で使用されなくなった後も
プロレス中継では長いこと使ってた。
>>542
あーそれそれ、吹部の子(行進曲やたら詳しい)に教えてもらうまで、まるで区別ついてなかった。 演歌の花道/感動の名曲集 昭和57年 (1982年)
細川たかし 「北酒場」
森昌子 「立待岬」
三沢あけみ 「恋しくて」
八代亜紀 「舟唄」
五木ひろし 「港町・涙町・別れ町」
森進一 「同上」
細川たかし 「港夜景」
森昌子 「哀しみ本線日本海」
五木ひろし 「霧の出船」
八代亜紀 「海猫」
森進一 「男の真情」
里見浩太朗 「勘太郎月夜唄」
村田英雄 「皆の衆」
三橋美智也 「達者でナ」
春日八郎 「お富さん」
三波春夫 「チャンチキおけさ」
五木ひろし 「夜空」
八代亜紀 「雨の慕情」
森進一 「襟裳岬」
都はるみ 「北の宿から」
さとう宗幸 「青葉城恋唄」
加藤登紀子 「知床旅情」
島田祐子 「さくら貝の歌」
高峰美枝子 「湖畔の宿」
田端義夫 「別れ船」「かえり船」
二葉あき子 「フランチェスカの鐘」
藤山一郎 「長崎の鐘」
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フロッピーディスクもカセットテープもマクセルの磁性体メディアはなんか臭かった
抜刀隊って西南戦争の歌だっけ
あれ聞くと、頭ー左!っていう絶叫とともに学徒動員の映像が浮かぶわ
山下達郎のライドオンタイムを聞くと、ドラマの主題歌というより
マクセルのカセットテープのCMを思い出すわ
今の君はピカピカにひかって〜
って聞くと宮崎美子が水着になる動画を思い出しちゃう
そのCMをパロったドリフの志村を思い出す
あれで腹が捩れて死ぬほど大笑いしたw
あのジーンズを恥ずかしそうに脱ぐCMはいやらしかったなぁ。
男がエロ目線で作ったというのがモロわかりのCMだった。
てか、あれカメラのCMじゃなかったっけ?
今で言う盗撮だよね?
その前に、週刊朝日の紀信の表紙モデルになってるし、地元の大学時代からモデルっぽいことやってた宮崎
結構イケイケ
じゃあ、あの時点でもう紀信にやられちゃってたのかな?
すけべなおじさんなんでしょ?
コマーシャルと言えば、昔、シャウト!って曲が
軽自動車のコマーシャルに使われてたんだけど
なにかの漫画で、作者の友人が子牛を飼って、その子牛を売ったお金で
軽自動車買って帰ったっていうのがあってね
友人は、行きはドナドナを歌いながら泣いてたのに
帰りはシャウ!シャウ!レリオラ!って
ノリノリで運転して来た、ってのがあったわ
むかしのCMはナレーター(声優)さんの読みが上手なんで格式もあったし商品名が印象に残った
いまはスシローなどのCMに代表されるように声を張り上げてるのが多くて五月蠅いだけ
小山田宗徳さんの「ゴホンと言えば龍角散」が見たいんだけど動画ないんだよねえ
>>559
川原泉のエッセイ漫画?小人たちが騒ぐのでの中にそういう話があったような
たしか、買ったばかりの車をどこかにぶつけてすぐに廃車にしちゃったんだよね >>559
Tears for Fears好きだー!!! 昭和のコマーシャルと言えば、ロゼット洗顔パスタの黒子さん、白子さんw
振り向いて(県名)のひと〜♪
メリットのCMだったかな?
25歳以下の方がお使いになってはいけません(マダムジュジュ
の広告言葉遣い美しい
みんなこういう言葉でまた話すようになればいいのに
>>568
振り向かないで〜○○の人はエメロンだと思う >>354
全く同感で、私がお前呼ばわりされた経験は、飲食店 商店 役所 鉄道といったところかな。あと一つ、同様のシチュエーションで「あんた」と呼ばれる事はもっと多かったと思うが、こちらも現在では絶滅ね。
一流ホテルで「あんた」とホテルマンから言われた事もあったな… >>573
ひぇ〜ないない!
うちの親世代か?大正生まれの?
商人から言われたことないな、だって自分が店員やってたからな、
デパートだから朝の朝礼はお客様に対しての言葉使いを復唱するんだ、
一流ホテルも行ったよ、
手提げかばんしかないのにボーイさんが部屋まで持ってくれる、
言葉使いも綺麗だった。 >>576
あなたは昭和50年代以前をご存知無いだけでしょ。 黒子さん、白子さんw
昔から基本は色白が美人なんだよね。
それがある時期、黒いのが健康的な美人、という扱いになった。
アグネス・ラムの頃とか、夏目雅子が真っ黒に日焼けしてた頃。
それでも「色の白いは七難隠す」だから
せめて洗顔頑張りなさい、日焼けはしちゃダメと母親に言われてたなぁ
父親の血を引いて地黒なんだから!と言われる度に悲しかった
横から、失礼
元は東京12チャンネルという局名だったから、12チャンネルと呼ぶ人はいますよ
確かに、未だに時々12チャンネルと言ってしまうw
リモコンボタンも12押したり
尾崎豊の歌詞についてネットニュースになっていた
いまだ盗んだバイク、窓ガラス壊して回ったなどの歌詞で賛否の議論があるんだって
私は彼が死んでから存在を知ったから思い入れ一切ない
いずれにせよ、それでもそんな安いフレーズに熱くなれた人達がいたんだからやっぱ10代幼い
テレビ朝日とTBSって関西の系列がいれかわったことあったよね。
テレビ朝日は前はNETじゃなかったっけ
で、TBSは朝日放送だったのが毎日放送になって、
朝日放送がNETになって
うろ覚えだけど、そんな感じだった気がする。
魔女っ子メグちゃんバーディー大作戦のチャンネルが途中で入れ替わったんだね
NETアニメからTBSドラマシフトする小5の春休みだったのであれだ、結果的にMBS毎日放送ばかり見てよく覚えてる。
自分の記憶だと、NET(日本教育テレビ)って後発で
画質が荒かったような。
最初の頃はちょっと後の東京12チャンネルみたいな存在だった記憶
相撲に力を入れていて、大相撲ダイジェストなどはかなり長く続いた老舗番組だった
初期の頃の民放の雄は、TBSと日本テレビ
フジテレビは独自路線で、個性をだしてた
>>585
ネット局の"腸ねん転"解消ね
それで朝日放送制作の必殺シリーズがTBSからNETに移り、
毎日放送制作の仮面ライダーシリーズはNETからTBSに移動した ウルトラマンのチャンネルが6だったことはよく覚えている
田舎住みだったからか
「U」 ユーというチャンネルがあったw
他局は数字でチャンネル合わせて、端っこにUというチャンネルあったわ
夕方の6時台、7時台は子供番組の時間帯だった。
どのチャンネルにしても子供番組で見たい番組がバッティングしているときも。
今じゃ夜の7時に子供番組なんてない。
それでいいのか、子供は。
NHKは午後5時から「子供の時間」と銘打って、少年ドラマその他子供向け番組を放送してた。
今、少年少女向けドラマってあまりないよね
いつ頃か忘れたけど、緒方洪庵先生がでてくるドラマがあって、ずっと架空の人物と思っていたら、後で実在の人物とわかってびっくりした
ストーリーは忘れた
>>593
緒方洪庵って適塾とともに中学の社会科の教科書に載ってなかった?
関東の教科書にはないのかな。
ここで学んだ大村益次郎や福沢諭吉の名前も知らないんだろうな。 夕方にやってたタイムトラベラー(時をかける少女?)とか
七瀬ふたたびとか面白かったよね
昭和56年 週刊セブンティーン「めちゃんこ甲子園」
昭和58年 NHK少年ドラマシリーズ「俺たち・ナツキと甲子園」
女子が甲子園を目指すブームだったのか
>>594
手塚治虫の曾祖父良仙が適塾出身
まんがの陽だまりの樹読んでた >>594
ドラマを見たのが小学生
学校で習ったのがその後なので…
同じ少年ドラマ枠で伊沢修二の話もやっていて、こちらもストーリーは忘れてしまったが唯一覚えてるのが、左時枝が出てきて
「私は景山英子と申します!」と挨拶してる場面。何か子供心にも強烈な印象があった。
どちらも1960年代の放送と思って調べたけれど、別のドラマしかヒットしなかった… 60年代?じゃ少年ドラマシリーズじゃないんだね
少年ドラマシリーズは72年の「タイムトラベラー」からだから
尤もそれ以前も似たような少年向けドラマをやってたんだろうけどね
路傍の石とか次郎物語とかNHKでやっていなかった?
午後6時台に。
池田秀一とか出ていたような記憶がある。
池田秀一はガンダムの方が有名になっちゃったけど
>>600
覚えてます、池田秀一の次郎物語。こっちは主題歌もよく覚えてる。
♪ひーとりボっちの次郎はころぶ、…とかそんな歌だった。
自分にとって池田秀一はあくまで少年役の人、声優とかそっちの方面に関してはあまりよく知らない。戸田恵子と結婚してたのよね >>601
その歌、覚えてます!
思わず確認のためyoutube探したらありましたよw
オリジナルじゃないけれど、メロディは思ってたとおりだった。 昔々若かったころ、せっせとお金を貯めてささやかな旅行に行ったことを
思い出します。旅行はもっぱら鉄道 (当時は国鉄) でした。観光地の駅に
「宿泊施設紹介所」 があって、そこで民宿を紹介してもらいました。
相部屋で、初めての人とお友達になって、夜更けまでおしゃべりして
楽しいでした。
「時をかける少女」
NHK放送時、城達也のナレーションを憶えている
芳山和子役の人はヌード写真を出した
柳ジョージの奥様になった
中学の時の修学旅行は日の出号で夜行で京都奈良。
油の臭いのする木の床で、3人掛け向かい合わせの直角いすだったわ。
ちなみに東京都で昭和31年生まれ。
昭和からずっと日本人=悪玉、韓国人と中国人=善玉、という分かりやすい戦後の公式に乗っ取っていた父が
ここ数年韓国や中国「あいつらとは国交断絶だ」と言い出している
ついでに朝日新聞にたいしても「もうだめだな」と言っていた
まあ定期購読はやめないらしいけどね(40年購読しているんで他紙はもう読めない)
戦後の公式(幻想)がぶっ飛ぶほど近年の韓国・中国・朝日はひどいってことかぁと思いつつも、
父の変わりぶりに「何をいまさら」という気持ちと「アラやだ、呆けてきたのかしら」と拍子抜けする気持ちと両方あって複雑
「どっこい大作」なら毎週楽しみに見ていた
それと「走れ!K100」
>>606
私は、青函連絡船で、本土へ。
奈良京都、東京で10泊11日くらい 幕末未来人で自分達が歴史を変えてしまったせいで生麦事件の日にちがずれた!という場面を覚えてる
小手川祐子が「雪のふる街を」のメロディを口ずさん出てこの少女もタイムトラベルしてきたのか?と匂わしてた場面あったけど結局疑問は回収されなかったよね?私が覚えてないだけかな
>>613
私たちの世代は、タイムトンネルだったわー(その幕末〜っていう番組の10年前くらい?) 群馬新潟県境の高速トンネル
デザインがタイムトンネルだわ
(誰も分からない)
少年ドラマじゃないけどNHKで「およね平吉時穴道行」という
半村良原作で、由美かおると寺尾聰が出演したタイムトンネル物のドラマがあったわ
半村良といえば、映画「戦国自衛隊」w
見た友人が、「今迄見た中で一番くだらない映画」と言ってたのが、忘れられないw
原作とはだいぶ違うからね
映画はSFと言うより角川青春映画のノリで撮ってる
>>613
ユキちゃんの謎は回収されなかった
ヒロイン枠がいないから、取ってつけたような役で終わってしまった
20年くらい前に移転前のロフトプラスワンで、伊藤役と和田役の二人が出演したことがある
「生麦事件の場面を再演してくれた」と読んで、どんなだったっけと気になった
後日DVDを見た
ふたりが茶屋で団子を食べている最中に生麦事件発生
その模様をふたりが早口で実況中継、だった
最終回のラストを書いてもいい?
「その年表を渡せ」と追い詰められて海に落ちた和田くん、浮かび上がるとそこは逗子マリーナ
海から這い上がってずぶ濡れの学生服姿で歩いて行く和田くん
「伊藤とユキちゃん。二人がいるかもしれない現代を僕は歩き出した」
のナレーション 和田君役の人って「なぞの転校生」にも出てた子だよね
>>603
昔は夕方以降に主要都市や観光地の駅に着くと、出口に宿の客引きが並んでいた。
旅館やホテルの名前を染め抜いた小旗を持ったおばさんたちから声を
かけられ、おまかせすると、連れてってもらえた。私みたいな計画性のない
旅行者には便利だった。国鉄は1987年にJR7社に分割された。そのあたりから
客引きが消えた。 >>622
同じ人です
伊藤くん役の人は20年前、引田天功の舞台監督をやってました
最後のナレーション、現代じゃなくて「昭和を歩き出した」だった気が >>618
原作だとその平吉さんも主役の人もおよねもみんな山東京伝に殺されちゃうんじゃなかったっけな?
結構身も蓋もない話だったような記憶。 ≫609 【ID:xXFLKx4U0】 どっこい大作 → >>488
≫621 【ID:xXFLKx4U0】 ユキちゃんの謎 → 同上
≫624 【ID:xXFLKx4U0】 伊藤くん役の人 → 同上
≫618 【ID:TCL7I/OQ0】 およね平吉時穴道行 → >>488
≫620 【ID:TCL7I/OQ0】 原作とはだいぶ違う → 同上
≫622 【ID:TCL7I/OQ0】 なぞの転校生 → 同上
≫626 【ID:G6pzhype0】 平吉さんも主役の人もおよねも → >>488 >>626
>山東京伝
昔NHKの歴史番組で京伝を取り上げた時、再現ドラマで京伝を演じた尾美としのりがすごくうまかった。セリフなんかもほとんどないのだけど、いかにも京伝ぽくて。
この人地味だけど演技うまいよね
「転校生」で出てきたのかな鬼平にも出てた >>603
昔の民宿はしばしばお風呂場が一つしかなく、男性客と女性客で時間で
交代するものでした。当時は一般に女性が多かったので、男性のみなさんは
時間が窮屈で可哀そうでした。 今でも地方に行くと暖簾が男湯、女湯分かれてるけど、
中に入ると混浴ってのがあるよね。
興奮して立っちゃったりしてないんだろうか?
このくらいみっしり人がおったら恥ずかしないわ >>618
懐かしい!
とても心に残っているドラマなんだけど実生活で話しても誰も知ってる人がいなかったの
凄い衝撃だったので原作を買ったわ
ありがとう思い出させてくれて >>618
もう一度見たいなぁ!1977年頃の作品。
昭和末期に雨傘番組かなんかで、再放送が予定されたが、放映される事はなく、私の中ではそれっきりになってます。この作品見る方法あるの?? NHKアーカイブスとか探してみたら?
あるのか知らないけど
>>612
一緒だ!青森着いてから寝台車で京都まで
行った記憶。 青空みたら 綿のような雲が 悲しみをのせて 飛んでいった
いたずらが過ぎて 叱られて泣いた こどもの頃を 憶いだした
夕空みたら 教会の窓のステンドグラスが 真赫に燃えてた
ここ半年、数回ラジオから流れてきた1962年作の歌
作者は武満徹。ムズカシイ前衛曲ばかり作る人と認識していたが、どうも間違っていたようだ
心に響いた風景を表現するのに音を使っただけだと今は改めた
タイムトンネルは、結局、元の時代に戻れずに終わった。
そうしたら、花の子ルンルンみたいに、いつかあなたの住む街に来るかもしれません。
タイムトラベラーの原作を読んだら、すごくシンプルだった。
当時、SFのジャンルが始まったばかりだから発表できた?
いまだと無理かな。
>>635
夜行寝台の上段に席をとりました。夜が明けて、「もうしばらくしたら
目的地かな」 と思って着替えを始めたら、思わぬ駅で臨時停車。
並走する線路に修学旅行の特別列車とは。女子高生だったのが不幸中の
幸いでしたけど、彼女たちもあられもない姿を目の当たりに見てびっくり
仰天していました。 学生時代に上野発の夜行列車で青森まで行ったわ
シートが倒れることもない固い座席
青森から青函連絡船で函館へ そしてユースホステルに泊まるのがお約束
>>636
昭和30〜40年代の前衛(今ならサブカル扱い?)の文化、
人の作品としてかなり高雅なんだよね
たぶんそれは戦前の高等教育のレベルの高さと
まだ江戸の名残りがそこかしこにあったからだと思っている
昭和文化の研究はこれからの分野なので
(例えば、漫画版のサザエさんなんかはもう解説が無いと意味不明になりつつある)
昭和生まれの奥様の検証も大切なのよ 修学旅行は北斗星で京都へ行った
修学旅行へ初めて青函トンネルを通って行った学年でした
昔も今もサザエさんの漫画が嫌い
登場人物の顔の表情とかが苦手なのと
子供の幼さや未熟さを大人が笑いものにするネタが多いからだと思う
でも昭和の後半ぐらいまでそういうのを笑いの対象にするの当たり前だったよね
欽ちゃんの素人いじりもしつこくて嫌だったなぁ
>>643
へえー私はアニメのサザエさんは大嫌いだけど漫画のサザエさんは好き
ドラえもんもそうだけどアニメになるとマイルドになるからシュールな漫画の方が好きなんだよね
【社会】堀ちえみ、ステージ4の舌がんを発表「本日19日に入院を致しました」 ★3
>>642
北斗星のころはもう社会人だったから、友達とナイスミディパスで乗ったわ。
グリーン車用3日間を使って、行きは東北新幹線、帰りは北斗星の2人用個室。
若かったのね〜。
初日に函館の夜景を見て、夜行で札幌へ。
2日目は富良野へ朝一の電車で移動して、向こうはレンタカーでラベンダー三昧で富良野プリンス泊。
3日目は電車で小樽へ行ってお寿司を食べてブラブラ。札幌もブラブラして夜行の北斗星で東京へ。
今じゃ絶対に無理だわ。 >>647
欽ちゃんのしつこさわかる。いいとものタモリのそれもイライラしてた。ゲームの時とかなかなか進まなくて 欽ちゃんは気に入った子は徹底的に持ち上げるけど
動きが鈍かったり頭が悪そうな子を虐めてる感じなのが嫌いだった
しつこくしつこく何回もやり直しをさせたりとかね
いじわるばあさんが好きだった
月曜の19時半からドラマでたまにやってたよね
女の子のタレントが何を食べるかとかそういう企画とか大嫌いだった
自分が思ったものを食べないと怒ったり
田舎の女の人をタレントにして敷居を低くしてみたり、高部知子のときは真っ黒だったし
欽ちゃんはライブ観客に反応するタイプ
タモリは自分が楽しめればOK
たけしは楽屋落ち、スタジオフロア内ウケ専門
高部知子といえば積木くずしだよね
小学生だったけど毎回楽しみにしてたわ
学校で話題になって「中学校行ったらスカート丈長くしようね」なんて盛り上がってたら
学校から親にお知らせがきて観せてもらえなくなった
後日、録画した子の家に集まってコソコソ観たのが楽しい思い出だわ
>>639
昔、気の合った仲間同志で話がまとまると、音頭取りが計画をたてて
国内あちこちに出かけました。旅先で出会うのは私たちと似たような
青春真っ盛りの人ばかりで、つぎつぎとお友達ができて、後々まで
手紙を出したり、もらったりしました。
いまは観光地は外国人を除くと日本人は爺さま、婆さまばかり
(私もその一人だけど)。若かりし日にせっせと旅行していた人が
年取って、あらためて旅を楽しんでいるのじゃないかしら。 堀ちえみと言えばスタア誕生のイメージ1985年放送大映ドラマイメージなのであの展開のようにならない事を信じたい
アンノン族って言葉があったね
初期のアンアン、ノンノはディスカヴァージャパンの一環を担っていたっけ
私はオリーブだったわ
オリーブ少女なんつー言葉があって
若花田(当時)が結婚した時には
あー、栗尾さんお相撲さんと結婚するんだー、って思った
創刊以来ずっと買っていたオリーブが
ある号から突然路線変更したときの衝撃が忘れられない
清水由貴子自殺時の欽ちゃんのコメント
「普段のユッコはとってもイイ子ちゃん
でも 自殺しちゃったユッコは一寸悪い子ちゃん」
コメントしない方がマシだろうに
オリーブ高校から大学1年くらいまで買ってた
少女路線はとっくの昔に卒業したつもりでいたら
最近買う服がまるで当時のオリーブw
オリーブ少女魂100歳まで続けるか
路線変更の頃には買ってなかったな
どんな風に変わったの?
オリーブ、もともとはポパイの姉妹誌で、
「ポパイの彼女」というのか、シティボーイ(笑)の彼女というのか、
まあイメージとしては都会の女子大生みたいな子たちがターゲットだったんだよね
ポパイの女子版というか。
(むしろその後のオリーブ少女とは対極にいるような)
なんか分かる気がする
ロマンチック路線の時でさえ
読者モデルは都心の私立高でブイブイ言わせてる派手な子ばかり出してた
それを辿って行けば、元はMCsisterなのかしら
1984年の57号、「オリーブ少女、原宿占領!」 明治通りと表参道の交差点で12人の オリーブ少女wが 横一線に並んで写ってる。 そのなかに 曾田繁美さん(16歳)都立J 高校 木下明子さん(17歳)私立M学園高校 が
尾崎の嫁と風吹ジュンの旦那を略奪した人まで載ってたとか
黒い人を輩出してんねw
この前のYMО番組に川添象郎が出ていた
今は塀の外なんだな
「ドラッグは死ぬまで止めない」と公言
>>664
オリーブ少女ふうのおばあさまは素敵だと思うわ
あと2、30年経ったらオリーブ少女再びだね >>655
積み木くずし、映画化決定したけど
ニャンニャン写真流出で高部知子が降板して
渡辺典子になったのにはガッカリだった。 >>673
彼女こそまさに等身大のオリーブ少女かもね >>650
現チャンネル桜社長の水島聡氏が脚本家として参加していたコメディですね 佐々木すみ江死去
「人情味あふれる暖かい芝居で有名だった」って大嘘
報道側が何も知らない
怖い芝居の人だった
>>672
当時のオリーブでも映画「8月の鯨」のおばあさまファッションを
グラニースタイルと紹介してた記憶
小花柄の木綿のワンピースにニットのカーディガン
持ち手が木の布バッグ スカーフを巻いた麦わら帽子など
元オリーブ少女ターゲットのシニアオリーブみたいな雑誌が出ないかなと密かに思っている 佐々木すみ江さんというとやっぱりふぞろいの林檎たちだわ
堀ちえみ、スチュワーデス物語流されてていいんだか悪いんだかw
一度引退して、再復帰だったね
闘病がんばってほしいわ
お嬢さんたちのために
>>680
どこかで河合奈保子ちゃんと聖子ちゃんのデュエット見た
二人とも歌上手かったな
てかあの頃のアイドルは歌唱力凄かったよね
アテンションプリーズ除いて(名前忘れた 小学生の頃、スチュワーデス物語大好きだったなぁ
救命ボートを村沢教官だと思って必死に泳ぐ千秋を同期のみんなが応援する場面とか思い出しちゃう
紀比呂子だっけ>アテンションプリーズ
いまTBSチャンネルで寺内貫太郎一家やってて
浅田美代子が歌うわけだけど、
なんか思い出の中の美代ちゃんよりも音程が安定していた。
アテンションプリーズは能瀬慶子だったはず
柴田恭兵とドラマもやってたが演技も酷かった
被ったw
赤い嵐の能瀬慶子
「まことさん、わたし、おとーふつくります」
ドスの効いた低音で抑揚無しで呟くのが友達の間で流行ったw
堀ちえみ
いいともでタモさんに「出産マニア」と言われていたわw
いまなら左翼が大騒ぎするから言えないね
ドラマのアテンションプリーズは紀比呂子
曲のアテンションプリーズは能勢慶子
時代も違う
>>687
紀比呂子のアテンションプリーズ覚えてる。
スチュワーデスものとしては、堀ちえみの前のドラマよね
比呂子って往年の女優三条美紀の娘なのよね
あの頃結構売れてたわ
母親のほうが美人だと言われていたけど、可愛かった。
10年くらい前、週刊誌で、紀比呂子が小料理屋か何かをやってると記事になってた 同じ頃のドラマとして、バレリーナもの「赤い靴」だっけ
主役の名前忘れたけど、ひらがな表記の人だった、実際にバレエを踊る人だった記憶
バレエ漫画必ずありました
細川千栄子、巴里夫、谷ゆき子、牧美也子
紀比呂子はテニスのドラマもやってたような
夜7時台は金メダルへのターン、サインはV、アテンションプリーズ系のスポ根ヒロイン成長物と
おくさまは18歳、美人はいかが、ママはライバル系のラブコメホームドラマを放送してた記憶
>>699
そうそう、あと思い出したのが「青い太陽」って青春ドラマ
高校の水泳部の話だったかな
なんと主演は小林幸子w
その先輩が渡辺篤史。
小林幸子が15か16歳くらいの時よ
まだ君島遼くんは生まれてなかったわ〜www >>699
テニスの原作は志賀公江の「スマッシュを決めろ!」
テレビの題はコートにかける青春とかいうのだったような気がする。
Vカットとかいう変化球サーブがあったよね。
金メダルへのターンは確かターンしてジャンプするんだよね。
それでまた飛び込むのw 赤い靴の主役はゆうきみほね
牧阿佐美バレエ団のプリマだった人
ドラマは出たくなかったみたいなんだけど
無理やり出させられたみたいね
団としても集客のためには出さざるを得ないというか
いまでも牧のスタッフしてるよ。
バレエ板でみたけどすっごい怖い先生だそうです。
美しきチャレンジャー?と言うボーリングのドラマもあったね
両サイドにピンが残ってあれを取ったのを覚えてる
そういえばジュン・サンダースを范文雀がやっていたな〜と思ってwikiみたら
余貴美子さんって従妹なのね!
スプリットかな?
そんな難しいことなんだ〜て思ってたけど
最近のプロボウラーはいとも簡単にやってのけるね
>>687
劇中に流れるのはあらかじめ録音した音だからマシなのよ
歌番組のはぶっつけだから本当にひどかったw 20年くらい前ゆうきみほ先生のレッスン受けたことがあったけど大人のオープンクラスだったせいか怖くはなかったわ
テレビドラマに登用されるだけあって容姿端麗だった
>>638
別府港発、大阪港行きの夜行のフェリー (たしか関西汽船) を
利用したことがありました。乗船料金は当時の国鉄よりも安いでした。
ちょうど春の入学、就職、異動シーズンで、三等船室 (大広間) は
まるで難民船。ぎゅーぎゅーのすし詰めでした。おばちゃんたちが
「こっちへおいで」 と隙間をつくってくれましたので、そこに
もぐりこみました。夜中にトイレに行くときは人間丸太を一本、
一本またいで行って、帰ってきました。 (>>710 のつづき)
数年後再び利用したときは、季節が違うのでがら空きでした。
だだっぴろいところにぽつんと寝転がると、寒々として、
夜中にいたずらされるのではないかと心配で、おちおち眠れませんでした。 昔の寝台車とか、今思い出すと老若男女アトランダムにカーテンひとつ隔てて寝ていたのよね
普通車は三段ベッド
グリーン車(一等車)は二段ベッド。
金品を盗られたり、女性が怖い目にあったりとかあまりニュースにもなってなかった気がするけど…
どうだったのかしら
寝台車、昭和の終わりに一度だけ乗ったことがあるけど値段の高さにびっくりした
これなら朝イチで新幹線に乗った方がよかったと思ったわ
ドロボーするような貧乏人はわざわざ乗らないと思う
>>712
昔は車掌さんや駅員さんの人数が桁違いだったじゃない
軽犯罪もいろいろあったと思うけど、人の目がある程度働いていた時代よ
同じBOXに座った方と、身の上話とかも普通にしてたし
私はこういう場で知り合った方と住所交換して、数十年文通してたよ
最近相手の方が亡くなったようで、家族からはがきが来てました 鉄道公安官主人公にしたテレビドラマがありました
国鉄独自の警察でしたが分割民営後警察組織に組み込まれました
>>715
『鉄道公安36号』ね
NETだったわ
かなり長く続いた
たまに見てたけど、あれは大抵その時々に起きた事件をストーリーに盛り込んであったわね
フィルム撮影の映像だった 昔の駅のホームって水飲み用の水道があったよね
あれいつごろから消えたんだろう
あと柱に空き缶が針金でくくられた吸い殻入れもあった
子供の頃、駅で電車待ってる人はなんだかみんなタバコ吸ってたような印象がある
ああ、水飲み器あったわね
静岡にはまったく同じ形でミカン汁をタダで飲める機械があって驚いたわ
あと痰壺も昔は必ず要所に置いてあったけど今は見ないわね
>>717
それ水飲み場じゃなかった
蒸気機関車の煤煙、垂れ流しトイレの飛沫
無くなってから >>712
平成中頃までは、深夜長距離高速バスは隣の席とはなんの区切りなどもなかったよ。
自宅から勤務地に戻る高速バス内で隣席の女子高生のパンツのなかに手を突っ込んで、
新聞に名前を出されてクビになった福岡高等裁判所の判事さんは今九州のどこで弁護士をしているのかな。 >>713
新幹線既にあったところはそうだけども大阪〜新潟間の急行きたぐに号のように寝台車座席車両方あった列車はあったね
>>716
この事実上の後番組(時間は違う)になる特別機動捜査隊カラーで東映チャンネルCS放送でやるけどもこれはやらないねTBS七人の刑事のように残ってないのが理由だろうと思うが何をしている思うね >>720
平成13年頃まさにそういうのに乗った。
怖いとかいう以前落ち着いて寝られないあれならまだ大垣夜行の方がまだどーせ座れなくて寝られないいう事でまだマシ >>715
平成でもさすらい刑事旅情偏ってのもあったわ 「OUT」1号限りの復刊とか。
アニメというよりSF誌っぽかった頃読んでたなー
なんか壮絶に絵が下手な人の漫画が載ってた記憶。
>>715
鉄道公安官という名前のドラマもあったよ
主題歌はサーカスが歌ってたような 昔は、大抵の駅には駅員が常駐して無人駅はほとんどなかったのに、
今は、田舎に行ったら、特急が停車する駅以外は無人駅。
どうして、こうなった?
合理化ってやつでしょうね、
昔は国鉄(親方日の丸)
今は民営だし
ホームタウンまで 切符をください
「鉄道公安官」の後に「新幹線公安官」もあったような
敗戦後、軍隊解体と工場爆撃などで職が無くなり国鉄に雇い入れた
国有の性格上、採算性よりも議員地元陳情と議会意向で路線が決まる
トラック物流、空港路線が増えた
物価上昇につれ賃金も上がり益々採算取れなくなる
●陳情議員圧力にならざるを得ない国有止めて独自採算の会社にすると画策
マスコミに国鉄労働組合(複数)生意気キャンペーンさせる
分割民営反対派は勢力うしなう
かくて採算とれない無人駅増える結果に
感想、廃線と無人駅は仕方のない部分はあったけど
子供心に国鉄労組はヒドイキャンペーンはインチキだと思った
私鉄は駅に店舗をつくり、住宅地を開発した。国鉄はそれが出来なかったし
採算悪い路線決めたのは誰だったのか、当たり前だけど労組が決めたんじゃ無い
まんぷくの大急百貨店じゃないけども、阪急は百貨店宝塚でもうけた訳だからねなんだかんだ言ってもこの違いは大きい
>>733
あれで覚えた言葉が、アン、ドゥー、トロワw 我が家が初めてカップヌードルを買ったとき
私はお湯を入れて出来るところが見たかったんだけど、母がそんなことでラーメンが出来るはずがないと強硬に主張し
容器をバリバリに破いて麺を取りだして鍋で茹で、クタクタになった麺を家族ですすった
基本的には美味しかったけど腑に落ちなかった
そんな母が再び驚いたのはラ王登場の時だった。インスタントで生麺が食べられるのかと。
アン・ドゥ・トロワはヤワラちゃんで
白血病はアンディ・フグが亡くなったので覚えてるわ
なんかコピペっぽい。
ボンカレーネタでもできそう。
コピペじゃないけど、昭和のある時、軽井沢だかどっかの民宿のおばあちゃんが
作るカレーがおいしくて評判になり、ある日、マスコミが作るところを見せてもらえることに
なったらしい。で、おばあちゃん、たくさんのボンカレー取り出して鍋で煮込み、
それに野菜を入れて始めた、とか。
ww
レトルトカレーでもデミグラスソース加えて煮ると結構いける
安倍定が最後にいた遊郭の建物が老朽化で取り壊されることが決まったみたい
まだ残っていたことに驚いた
>>741
ひっそり生涯を閉じたんだろうな…
いつ頃亡くなったのかは誰にもわからない
繁盛していたおにぎりやを万博の頃に突然閉めて… だろうね…飲み屋だかおにぎりやだか…竜泉でやっていたらしいが
>>735
これ、辻褄が合わない部分があるのよね
まずお母さんが、最初に知ったインスタントラーメンは、「どんぶりに乾麺を入れてお湯を注ぐ」やつ、のはず。
それが最初なの。
そのあと、袋麺になって、鍋で煮る形式。
だからお母さんは、カップ麺を怪しむ訳がないのよ。元々知ってる筈なの 阿部定が逮捕された場所は、品川駅高輪口の京浜ホテルの前身の宿屋と聞いた
その京浜ホテルも、10年かそれより少し前にいつの間にかパチンコ屋になっていた
そこから100mくらい八ツ山方面に行くと、青酸カリ入りコーラの第一被害者がコーラを見つけた電話ボックスがある
阿部さださんは85年頃、噂の真相のグラビアで
うわ真のぱーてーの招待客としてきてたのをみたよ。
今現実に存在していることにも驚いたけど
うわ親の人は安倍さださんとお友達なのかとビックらこいたな、
どんなつながりで探し当てたてお友達になったのだろう?
たしかにウワ真ぱーてーにはふさわしい、眼玉になる人だしね。
着物姿の前が汚れていて「やっぱだらしない人なんだな」とおもった。
この事件を題材にした「愛のコリーダ」は今じゃ
ネットで無修正が見られるね。
日本人俳優のおっきちんちんとかそれが
あそこに入っちゃうとか、大島監督、どんな気持ちで撮影してたんだろ?
よっこいしょういち
↓昭和のギャグやシャレというと何?
>>748>>749
それで思い出した
混血児リダの映画は?「愛のコリーダ(合いの子リダ)」 >>747
>85年頃、噂の真相のグラビアで
それホントに本人?
一応1975年以降消息不明になっているんだけどね。
実際に雑誌のグラビアにでていたら、ネット検索でもでてくるはずだけど未だかつて見たことないわ
一番新しい写真は、1969年の土方巽との有名な2ショットなんだけど、私の知る限り >>747
だいたい1905年生まれの阿部定は1985年には80歳… ああいう女性は人前に老醜を晒すことは嫌がるでしょう
あの人は歯が悪いのよ
60そこそこで金歯だか銀歯だらけの口元になってる その頃映画にちょっと出ていて、映像が残っているけど、口元がかなり残念。
若い頃は確かに美人だった、逮捕された時の写真なんかはスタイルもいいし(全身写真)、刑事に囲まれてる写真では艶然と微笑んでるけど
晩年はさすがに容色は衰えた感 >>747
汚れた着物でパーティ?
有り得んだろ? 噂の真相
フリーライターや編集者がウチの雑誌にはだせないからと記事持ち込んでいた
ジャニーズホモセクハラをズバリ書いた
高等検察庁検事のスキャンダルを暴き辞職させた
実績がありました
筒井康隆、田中康夫のエッセもあった
アベサダの近影写真もでた記憶もあります
(白黒写真、立ち姿とだけ記憶)
一般市民にとって真偽不明の記事だらけ、
何しろ圧力かかるような内容多く他誌後追いが無い
アベサダ本人かどうかも怪しい(半世紀前の事件)
終刊まで読んでいたけど片付てしまったことを後悔してまつ
噂の真相というと、渡辺淳一がキレていたのを思い出す。
えげつないゲスなイラストが印象的だったな。
渡辺淳一は枕営業と分かっていながら女優イタダキますしちゃった
女性編集者の太もも触るなどした
書かれても仕方がないとおもうけど
噂の真相スタイルが小林よしのりのゴーマニズム宣言にある一面で影響を与え、
そのゴー宣が今度は2ちゃんねるに影響を与えたと私は分析している
>>745
どんぶりに入れてラーメンを食べるっていう方法
高校の時、友人が寮でやったのよ、
普通のラーメンを。
どんぶりはいつ出たっけ? >>748
大島渚監督は、この映画の脚本を見た女優がみんな断ってなり手がなかったので、
夫の気の入れ方をみていた妻・小山明子が見かねて「じゃ〜私がヤリましようか」と申し出たのを、
「お前にヤラセルわけにはいかん」と却下したんだよ。
他人には平気でヤラセても妻にはヤラセナイところに大島の人間味を感じたことだったわ。
>>756
渡辺淳一は、高校生・医学生のころから女関係には並外れた発展家だった。
だから、自己体験をもとにした小説には迫力があり、そこら辺のエロ小説とはまったく違った。 >>758
自分の記憶では昭和36、37年頃テレビのコマーシャルで、新発売の画期的商品としてインスタントラーメンを見た
それは、まずどんぶりに乾麺を入れ、やかんから沸騰したお湯を注ぐ。蓋をする。3分待って蓋をとる→食べる
そんなコマーシャルを見て、へーすごい!と思った >>758
自分の記憶では昭和36、37年頃テレビのコマーシャルで、新発売の画期的商品としてインスタントラーメンを見た
それは、まずどんぶりに乾麺を入れ、やかんから沸騰したお湯を注ぐ。蓋をする。3分待って蓋をとる→食べる
そんなコマーシャルを見て、へーすごい!と思った CMでへーすごい!と思ったのは、昭和43〜44年くらいだったと思うけど
モコモコアイスってやつ
缶(?)の蓋をあけると、アイスクリームがもこもこ出てくるのよね
ねだったけど買ってもらえず、しかも多分すぐCMも見なくなり
仕組みも分からないまま、私にとっては幻の一品
森永マジックアイスねー
歌覚えてる私はなんなんだろw
>>761
チキンラーメンは昭和33年だがその頃はNET(今のテレビ朝日前身である)も東京12チャンネル(今のテレビ東京)なかったKTV関西テレビもMBSテレビもなかったCMが本格化するのは故にその時期かと
私が子供の頃はハウスシャンメンだとかサッポロ一番カップスターだとかやたらよその真似をしてるの出まくっていたがまんぷく見てそんな昔からかよと驚きw へーすごい!
とか、表現がおばちゃんぽい。いや、おばあちゃんかな。
>>753
そうじゃなくて、
パーテーで酔って前を汚してしまったっぽいの
普通は着物きてたら絶対に自分の前は汚さぬように気を付けるでしょ >>753
そうじゃなくて、
パーテーで酔って前を汚してしまったっぽいの
普通は着物きてたら絶対に自分の前は汚さぬように気を付けるでしょ >>762
多分簡単に帰化する炭酸みたいのをクリームに練りこんである。
冷凍しているときは固形だけど
外に出すと気化して膨らむということだと思われ。
直ぐ販売されなかったのは多分プチ事故が多発したのでは?
冷凍庫から出してすぐ食べれば問題ないけど
家まで持ち帰る間に熱で気化して圧力で蓋がとれ中身が出てしまった、とかね。 噂の真相
グラビア見開き一杯に女性自身
拡大しすぎで数秒間理解出来なかった
直ぐ販売されな「くな」ったのは多分プチ事故が多発したからでは?
に修正
>>764
キャンディかしら?
局がなかった、というより、テレビ自体(テレビ本体)が一般庶民に広く普及するのが、昭和34年の皇太子様美智子様ご成婚パレードの年よね >>735>>745
しかも、中の固形麺を取り出すためには
別に容器を砕く必要はなく、蓋を全部剥がして
容器をひっくり返すだけでいいし…
いかにも実体験じゃなく適当に作ったコピペ感 ご成婚パレードといえば、投石少年よね
皆様覚えていらっしゃるかしら
昭和50年代60年代でじぶんは子供だったため名前が出てこないんだけど
伝統の世界の師範クラスにして左翼の女がいた
よくワイドショーで面白おかしく取り上げられていたなあ
うちの母も普通に知っていたし、投石とかしてよく話題になっていた
そう言えば、久しぶりにサッポロ一番味噌を食べて
味が劣化していて愕然としたわ
え、何これ、醤油?
っていう味と色
調べたら味変わってたんだね
昔は麺にも味噌練りこんで工夫していたのに
それも無くなってしまったって
好きだったのは極つゆラーメンw
もうないよねえ
下手ばかりで群れてスキーによく行った。
昼間は遊び半分に滑って、夜はホテル、ホテルのディスコを
梯子して踊りまくった。
わたしも若い頃は元気だった。
減収、市販じゃないわよ、波紋されてるから
かってに「花柳」って名乗ってただけ
漢字書けない、四則計算もロクにできない本当に無学な人で
そんな人が赤いインテリに赤い思想を中途半端に吹きこまれて
足りない脳で理解できないまま暴走したのよw
家元制度打倒なら 花柳なんて名乗らなきゃいいのに
意味不なおばさんだったわ
夜行バスでスキー行ったなあ
締め切った車内に平気でタバコの煙が漂っていた
昨日カップヌードルネタを書き込んだ者ですがいやいやコピペではないですよ…
本当に容器を破いて作っていました。それ以前にもお湯を注ぐラーメンはありましたが母には容器のままお湯を入れて作るという発想はなかったのでしょう
以前ネットで似たような話を読んで「他にもいるんだー」と思ったことはありますがその人は創作だったのかもしれない
>>773
実際にやってみるとわかりますが容器をひっくり返すだけでは出てきませんよ >>779
当たり前でしょ。昭和の女の子は楽しんだわ カップヌードルの場合はパンパンに容器に詰まってるから
逆さにしただけじゃ出てこないよね。
>>774
覚えています
私自身はその投石場面は見てないの(子供だからはっきり認知できなかった)
でも御成婚パレードは家族で見ていた
日本中が祝賀ムードだった
投石少年は警察に拘束されたけど、ちょっとアレな子ということでお咎めなかったのよね
今生きていたら70過ぎ >>782
ごめんね。コピペ呼ばわりして。
せっかく思い出を書いてくれたのに…謝ります。 >>782
小学生の頃、友達のお母さんがカップ麺をわざわざ鍋にあけて作ると言ってたの思い出した
カップにお湯を注ぐとビニール臭くてまずいからって。
うちの母は袋ラーメンを作る時必ず粉末スープをいれてから数分煮込むから
いつもクタクタのまずいラーメンが出来上がってたな…
細木数子もスパゲティを袋に書いてある時間より長く茹でると言ってたので
麺はクタクタでないと!の世代が一定数いたのかもな。 >>780
破門を書けてない貴女が他人を漢字書けない呼ばわりするのも滑稽ね >>780は、左翼嫌いは馬鹿という印象付けを自作自演しているレスかも
だとしたら幼稚だけど
赤尾敏さんだっけ? 右翼の人だけどご愛嬌があった
あとyoutubeで見るかぎり、言っていること自体は間違っていない 赤尾敏先生はご愛敬なんてもんじゃない、御立派な本物の憂国の士でしたよ
【音楽】吉川晃司&布袋寅泰のCOMPLEX 全曲ストリーミング解禁&ベスト盤『COMPLEX BEST』リイシュー決定
>>792
赤尾先生は元衆議院議院の元職でしたからね… 数寄屋橋で人と待ち合わせしていた時に
赤尾敏が演説しているのを見たことある。
誰も聞いている人はいなかった。
>>795
赤尾敏の銀座での演説風景は、TBS深夜の「ドキュメントdash・dash」でも特集してたわね。
前にはYouTubeにも動画あったけど、今はどうかしら >>788
今もクタクタというか、茹ですぎてフニャフニャの麺が好きな人いるみたいよ。
この板の「好きだけど人に言えない」というスレで、カップ麺は指定の時間より長く熱湯に入れて、ゆるゆるの麺を食べるのが好きという人が、今まで何人もいた。
硬めが好きな私は、いつも、え?と思う… ナポリタンはアルデンテより茹ですぎた麺の方が美味しい
昔は祝日の 「勤労感謝の日」 を旧名称の 「新嘗祭」 と言う
おじさん、おばさんたちが結構いた。母が甘酒をいっぱい
つくってくれて、幸せだった。
紀元節(2月11日)、 天長節(4月29日)、 明治節(11月3日)
なんて旧い名前を言う人は記憶にない。
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
>>799
唱和20年以降、学校で「ニッポンの歴史」を教えなくなったからだね。
そう言えば、平成以降は日共・日教の教師も亡くなったようだ。 そういえば男性用の小便器を「朝顔」って呼ぶのももう全然通じないのね。
和式トイレの「金隠し」も20代後半の人でも知らなかった。
>>802
同じく
昭和といってもほんと世代の差を感じるわ >>802
同じく
昭和といってもほんと世代の差を感じる64年あったんだから当然なんだろが昭和30年代前半以前に生まれてる還暦過ぎのBBAには別スレを立てろしか言えないw >>805
途中まで同じ文なのはわざとなの?
代弁してくれたの? >>799
年寄りが天長節、地久節と言っていた
音だけ聞いて地球説?何それと思った
地久節は皇后陛下の誕生日を祝う日で戦前は3月6日だったそう 建国記念日
これは戦前は紀元節と言われていたらしい(自分はその頃は生まれてなかったから知らないけど)
で、昭和40年頃新たに建国記念日を制定するとき、大議論が起きた
建国記念日の候補として
・5月3日(新たな日本の出発である新憲法ということで憲法記念日)
・8月15日(新たな日本の出発は敗戦からということで終戦記念日)
・2月11日(古来からの建国を記念する紀元節がふさわしい)
こんな意見があっていろいろ議論されたが、結局2月11日に決まった
今はもう祝日のことを旗日なんて言っても通じないよね
1980年代から本格化した国旗国歌反対運動のため、単に「休日」と呼ぶようマスコミが自主規制しはじめたからね
相撲中継なんかもそれまでは「今日は旗日、八日目」なんて言っていた
>>817
ん?
「今日は中日、8日目」ではなく?
中日(なかび)
旗日(はたび) 起元節は初代神武天皇が即位なさった日ということで2/11に設定されたんだけど
戦後になって祝日として復活させるにあたってそりゃ神話だよということで
建国記念日ではなく建国記念「の」日ということになった
昨日は皇太子さまの誕生日でしたけど、還暦近くから天皇になって激務って
時代を反映しているようで
昭和天皇が長かっただけなのかな
あ、そう、とものまねしても誰にも通じそうに無いわ
崩御した時、何件か殉死があったね
思い出してしまった
中学の頃デビューに必死でリア充が多いという理由だけでバスケ部に入ったんだけど、下手で使えない空回りブスはすぐに嫌われて浮いた存在になった
元々バスケがしたかったわけでもないし練習もキツいしであっさり退部
でもその学校は必ず何かしらの部に属さなくてはいけなかったから、
よそからの転部者が多いことと当時絵にちょっと自信があったこともあり、美術部に入部したいと美術部顧問に伝えた
理由を問われ何を勘違いしたのか
「絵を………描きたいんです(決め顔)」とか漫画の主人公気分で言い放つも
顧問は溜め息混じりに「運動部が辛くて流れてくる人よくいるのよね。そういう人は結局何をしても続かないの。私は入部を認めません」と一刀両断した
なぜか歓迎されると思い込んでいた私は許否されたことに猛烈に恥ずかしくなって、その後はお情けで生物部に籍だけ置かせてもらい幽霊部員になった
多分あのときふざけた台詞を吐かずに正直に話していれば美術部に受け入れてもらえたと思う
バスケ部でも美術部でも最高に馬鹿だった
>>826
そんな思いやりも人間味もない顧問の下でのクラブは楽しくなかった筈だから、結果正解だって。
高校以降はどうなったのよ? ww 部活動なんてばかばかしくてほとんど出席しなかったな。
興味のあるものがなかったし、時間の無駄、としか思わなかった。
速攻帰宅して夕方のアニメや懐かし青春ドラマを見まくっていた。
>>826
高校の時、生物部のともだちが顕微鏡で 「ウニの授精」 を見せてくれて神秘を感じた。 私の母親
紀元二千六百年?とかの昭和15年生まれの
双子で命名は紀子と元子だった。
>>833
ノリコとモトコだよね?
キコとゲンコ? キーン氏の養子のゲイゲイしさにわらた。
あのての人が尊敬されて大手をふって堂々とできるんだから
そりゃ日本は天国でしょうよ
>>830
YouTubeでウニがキャベツ食べてるのを観て生命の神秘を感じたわ… 最近もリュウグウノツカイが相次いで見つかって、たまたま一匹がメスで
卵が腹の中にあったからもう一匹のオスの精子と混ぜたら40匹も孵化した。
それもボウルの中でかき混ぜるという実に乱暴なやり方で。
しかし、水槽の中では次々と死んでいき、TV取材の時に最後の一匹がお陀仏になった。
>>833
和子も多いわね、昔の人、やはり昭和の和かしら、それか平和の和 >>835
だから国連とかフェミがいうようなLGBTへの差別が酷い国ってのは
そうであってほしいっていう嫌日勢力の願望なんだろう
逆に世界一ジェンダーレスが文化として発達してきた国なくらいで 美輪明宏、カルーセル麻紀やピーター、日出郎、おすピー
水野晴郎先生に淀長先生
NHブームからのオネエチャラブーム
日本はたしかに昔からカマカマしい男が大好きだね基本
なんでなんだw
歌舞伎の女形は昔から人気者だし
そもそもヤマトタケルが女装してる国だから
DNAに深く刻み込まれてるんじゃないかな>日本人のオカマ好き
江戸時代までは、男が男の恋人を持つのは、ありふれたことだった。
西鶴の作品にも、一般庶民の男が、男の恋人に入れあげて(金をつぎ込み)身を持ち崩すエピソードがよくでてくる。
若衆買いというのもあった
これは今のジャニみたいな、若いイケメン(当時でいうところの前髪のある若者=元服前の少年)に金を注ぎ込む
他にもいろいろあるが、スレチだし、下品な話になりかねないので省略
>>847
男装の麗人という言葉は戦前からあるのね
田辺聖子のエッセイに宝塚やOSKの思い出が書かれている >>845
近代になってから西欧の価値観が入ってきてそういうのが表立ってはなくなったけど
潜伏的に根強く続いていたのを性の民俗学の本で読んだ
それは昭和になってからもそうだったし、戦前の男優は優男風が主流だった
戦後は三船さんみたいなマッチョな人が人気出てきたけどね >>825
それほど激務じゃないわよ
認証任命で一日に何枚かの書類に署名捺印するだけだから。
今の天皇は趣味で公務増やして勝手に忙しがってるだけなの
これは出好きの奥さんの趣味ね。 昭和天皇はそれほどふらふら出歩かなかったしょ
その分昭和天皇は祭祀してたけど、今の天皇は祭祀を手抜きしてバランスとった
祭祀手抜きの実績は平成時代にできたし、
公務はそれほどやらないスタイルはご本人がつくったからあとは書名捺印だけ
書名捺印だけは天皇以外はやれないからこれはもう外せないけど
名前かくだけだからそのぐらい我慢してやらないとね 捺印は侍従がするから >>833
今売れている大川周明・日本二千六百年史を読むと、
当時の政治思想や国際関係史などがよく分かるよ。
一部通用しない部分があるけど、ほとんどが現在でもなるほどそうなのかと納得できるから、
大変な思想家だったと言える。大東亜戦争なんて名称も、なるほどだ。
しかも現在中共政府が目指しているところが、大川の言う大日本帝国のそれと同じだから面白い。
ただ、アメリカが落ち目で中国は人口・国土ともに日本のそれとは比較にならないくらい大きく、
かつ、共産党政府がしたたかだからひょっとすると非キリスト教・有色人種による世界制覇が成るかもしれない。 >>848
戦前から、というより、むしろ戦前の言葉でしょう >>851
有色人種世界征服は結構だがシナ中共てんなら絶望しかないわ それに過去なんどかあった世界帝国は常に非キリスト教でだいたい非白人なのだけど
>>842
ヨーロッパ生まれの超有名男性デザイナーの
99%も同性愛だけどね 昨日、「うまい棒」をはじめとするやおきんの駄菓子の特集がテレビでやっていた
駄菓子屋が昭和時代の小学校近くにあったんで懐かしかった
うまえもんはあの国民的キャラのパクリですよね? と質されたやおきん社員が頑なに
いえうまえもんはうまえもんです、と問題自体存在しない姿勢を堅持していたのが笑ったw
うまか棒はコーンポタージュが売り上げ一位だって
キャベツ太郎、人参あられ、もちっときなこ、すもも、懐かしい
デザイナー、ダンサーは高確率でゲイだね
何かで読んだけど男性脳は音楽に合わせて体を動かすのがかなり難しいものらしい
でも最近はダンス人気でストレートのダンサーも多いけどね
詩歌でも男の人は理詰めというか社会的な内容の作品が多いよ
逆に女は言語解体というか言葉をあらぬ方向へ飛ばす作品が多い
こう言ったらフェミに怒られたことあったけどw
でも事実は事実、違うものは違う
わかるw
キモハゲ散らかしおっさんなら無骨だが女なら「髪と共に去りぬ」であるとか、「ハゲ死くハゲと共に去りぬ恋」とかw
>>864
悪い癖、と自嘲するくせに本心は全然悪いと思っておらず(それどころか美徳だとすら思ってる)
改める気は全くないのがあの人の悪い癖 今更だけど桑田佳祐のボウリングの曲斬新だね
ボウリングがテーマなんて
今の中高生ってボーリング場デートなんてするのかなあ
>>857
うまえもんは藤子不二雄F先生が黙認したからいいのよ
数年前に発売されてた熱血コロコロコミックに記事があったんだけど
小学館法務部がやおきんを訴えようと息巻いてたら
F先生は、子供が食べるものだから…と、それを止めたのよ
大っぴらに公認した訳ではないけど、やおきんは許されてるのよ >>859
うまか棒は昭和のアイス。
あたりつきだった。 右京さんのあれは癖ではなくて
そういう捜査手法なのを
違うんですよ、癖なんですよと言い訳してるだけでしょ
コロンボが「うちのカミさんが」って言うのと同じ
>細かいところが気になるのが僕の悪い癖
自分がこういわれながら質問されたら
「悪い癖って自覚があるならもう質問しないで」と答えて終わりにしちゃう
突っ込まれる言い方で聞くのは悪い手法
ほりえもんは訴えないのか?大人なのに。
小学館の腰抜け。
コロンボの吹替、江戸っ子調の会話だけどたぶん今だとあれはアメリカの制作会社からストップがかかる
「おかしなおかしな石器人」の吹替も広川太一郎がアドリブ入れまくっていたw
結果的にそれが受けたから良かったものの
昭和の頃はアメリカ映画をテレビに流す前に編集でちょっとシーンの順番入れ替えることもあり、ゆるい時代だった
>>876
ストップかかる訳無いと思うが。東映戦隊の逆のケース考えても分かる 外国映画の場合、日本では映画館で上映する時は字幕、テレビで放映する時は吹替と分かれてたけど、
もともと日本以外の国では映画館で上映する時からオフィシャルの吹替版で上映するのが普通だった。
ところが今は日本でも、本国の意向で吹替はオフィシャル版をひとつしか作らないことが多くなっているので、
昔のように各テレビ局が放送用に複数の吹替版を制作することが難しくなっているのは事実のようよ。
テレビで洋画を放送するとき、有名タレントが吹き替えをやると
その吹き替えの人の顔ばかりがちらついて集中できない
>>880
スターウォーズの松崎しげる思い出したわ… >>875
ホリエモンと 「カリスマ女装男子」 に見る日本人の性の伝統と変遷
『週刊文春』 が堀江貴文氏(44)と 「カリスマ女装男子」 大島薫くん(27)の
六本木デートをスクープした(2016年12月15日号)。
お相手の大島薫くんは、外観こそほとんど女性に見えるが、身体的には
男性のまま。ヌード画像を見ると、体毛が少ないきれいな肌をしているが
胸の膨らみはなく平ら、性自認 (Gender Identity) も男性とのこと。
それらの点で、身体を女性化するMtF (Male to Female 男から女へ) の
トランスジェンダーではなく、意識的にも文化的にも女装のゲイの範疇に
入る人だと思う。つまり、年齢こそ少し上だが、江戸時代の 「3人絡み」 に
出てくる若衆に限りなく近い。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50894 >>877
ちょっと意味が分からないけど、一昨年まで制作会社で働いていた私の感覚の方がより確実だと思いますよ
え、そんなことで! ってレベルのことに海外の制作会社から来た人間たちが駄目を出すから だから何?としか言えない
あれが江戸っ子調と思ったこともないし…
百歩譲ってあれが江戸っ子調だとして、あれにダメ出しされて、じゃあどんな口調で喋ったらOKが出ると言うのか
その制作会社の業界感覚で教えて欲しい
アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」なんて6種類ぐらい吹替があるのよね。
これはテレビで放送の度に吹替を新しく制作したから。
でも今は制作会社が公式吹替版を作りテレビ放映でもそれが使われるから
昔みたいに勝手に意訳したりアドリブを入れるのは難しくなってる。
コロンボの英語は移民訛りだか南部訛りだったか
アメリカ中産階級の人が見下す系のなまりがあるんじゃなかったっけ
だから吹き替え版のコロンボが標準語なのがおかしいってことかな
広川太一郎は子供の頃初めて声で覚えた俳優さんかも
吹き替えでこの人の名前があると絶対面白いやつだと思った
ムーミンのアテレコでさえアドリブばっかりだったと岸田今日子さんが暴露してたような
>>881
しげるは何処に居てもしげるだもんw
色んなアーティストのアルバムにゲスト参加しているけど
どの歌も日焼けした『しげるカラー》に染められてしまう >>886
吹き替え声優ってきまって、くせのあるつっけんどんな日本語でしゃべるのよね。
映画はフランス語のままがよい。
アラン・ドロンやマリー・ラフォレのフランス語が耳に心地よい。
それに、ところどころちょびっとイタリア語でしゃべるところが面白い。
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
水をさすけど、子供の頃不潔さが拭い去れない子居た
アトピーの感想した粉と、フケと白髪でぼさぼさの髪と猫背で頻繁に顔を触る癖
普段は気にならないんだよね
一緒に絵を描いたり、図書館行ったり
他の友人ともうちょっと身ぎれいにしたらいいのにねっていいながら
クシで梳いてフケ落としてあげたり、三つ編みしあって遊んだりしてたし
からかわれてたら皆で怒ったりして守ってた
小学生の時クラスメイトの誕生日会に呼ばれた
お邪魔するんだからと母が多めにポテトサラダを作ってくれて、それを持って誕生日会に行った
クラスメイトの家に着いたら「なんであんたがいるの?」状態
料理が出されて皆でワイワイしてるから会話に混ざろうとしても、私が相槌を打っても会話を振っても皆そっけなくなる
クラスメイトのお母さんが「ポテトサラダはこの子からのだよ」と言った途端、
それまで笑顔だった皆が黙り込んだ
ポテトサラダだけは誰の口にも入らなかったし箸すらつかなかった
本格的にやるならもちろんもっといろいろ要るけど私はこれで充分美味しいから良いのだ
きれいめなその子の親が作ったのは分かってるんだけどどうしても、その子が手ずから移してくれるおにぎり・・・食が進まなかった
それから皆その子と気まずくなって孤立させちゃったし、申し訳なくてこっちも死にたくなる
多分他の子もだけど自分でもその飲み込めない現象がショックだったのもあって
その後バラバラになって別のグループに入ったわ
日が空かないうちにクリスマス会をやる!喪さんも来て!と言い出したクラスメイトは
「クリスマス会の日に用事できちゃった、ごめんね」と言われたのでプレゼントだけでもと母と私でクラスメイトの家に届けに行ったら
クラスメイト母がバツの悪そうな顔で「娘は他のクラスメイトと遊びに行った」と言われた
あの時の母の後ろ姿は忘れられない
おそらく誕生日会に誘ったメンバーから私がいるのは嫌だと声が出たのだろう
あれ以来ポテトサラダとクリスマスプレゼントに関するものを見ると気分が悪くなる
それなのにある時、その子がおにぎり持っていく人になったんだよね
子どもたちで班で決めるんじゃなくて予算は自治会で集めた中から出てて、
参加者の親達で決めた
最近広島風お好み焼きモドキばっか作ってる
水と小麦粉と卵と千キャベがあればすぐに出来るから残業で遅くなってもすぐ作れる
戦後、アメリカの余剰小麦を大量に輸入させ、
米文化が軍国主義につながるといって小麦文化を普及させるためパン教室を開催しまくった
その結果、いまの現代の日本女性は米離れが激しい
女ってホント反日的というか西洋かぶれが多くて嫌になる
アメリカのいい鴨だね
>>895
>戦後、アメリカの余剰小麦を大量に輸入させ、
米文化が軍国主義につながるといって小麦文化を普及させるためパン教室を開催しまくった。
この政策を決定したのは男だな。 長文はあれほど嫌われるといっているのに…
しかも、コピーしそこなったコピペをはっているのさえ気付かない
私の市で米飯給食が始まったのが昭和51年
翌年、米余りのニュースを聞いて「毎日米飯給食だといいのに」と思った
TBSラジオの番組で、久米宏が「古古古古米、ニワトリ米」と言っていた
給食にパンがでていたのは単に利便性の問題だろう、とおもっていた。
ご飯炊いて取り分けるのって子供にはなかなか難しいから
ここがヘンだよ日本人っていうかつての番組で外国人の出演者たちが
日本女性は世界で一番外国人への偏見がないと言っていた
その時はうれしかったけど考えてみれば世界一ナショナリティがないのと紙一重だね
戦後の食糧事情は男女関係なくアメリカの意向に逆らえなかったけど、
当時もし婦人官僚や婦人政治家に食糧問題をまかせたら和食じたいが粛清されたかもね
>>900
うん、私もそう思ってた
それとやはり給食開始した頃はまだ食糧難の時代だから、給食の米を確保することが難しいし >>901
うん、私もそう思ってた
封印アニメキャンディキャンディの様な国籍不明と言うか日本ではないものを、日本人の作(画)者が書くいう事からして頭イカれていると封印前から思ってたwまさに封印されるべくして封印だよねw 欠席の子のところにコッペパン届けたなあ@昭和50年生
たぶん私の年代がギリギリこういうことやってたはず
担任がまだ戦前生まれで高等女学校卒の代用教員歴がある女性だった
米飯給食は、給食のおばさんの洗い物が大変だからあまりやらないんだよと聞いたわ
>>904
欠席した子の牛乳、パン、プリンやアイスクリームみたいに一人1個のデザート類は、
出席番号順で分けるのがいつの間にかあったルールだった
牛乳、パン、デザート
デザートを巡って3人でじゃんけんしたりした
6+3年間通して、全部食べることを強要する担任はいなかった(昭和40年生) >>905
米は日本人の主食ではなかった
第2次世界大戦以前は、麦・ひえ・あわなどの雑穀に、米2〜3割をまぜた
ごはんを食べていた。その他、そば・いも・とうもろこし・大根・豆類などを
主な食糧にしていたのである。
さらに、戦争で食料が足りなくなり、戦後の混乱期には深刻な食糧不足となった。
ようやく1960年代に干拓事業で米の増産が成功して米が大量生産できるように
なった頃には、パン食の普及などによって、主食としての米の地位が低下し、
米余り現象が始まっていた。
つまり、米が主食であったのは存外に短く、戦後の混乱期を過ぎた頃から
最近までの数十年に過ぎないのである。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1009714387/196-199 >>893
ん?
なにが言いたいのかさっぱりわからん。
不潔そうな子を守ってたM8X5gn900が
誕生会に呼ばれたらシカトされた?
>本格的にやるならもちろんもっといろいろ要るけど私はこれで充分美味しいから良いのだ
なにを本格的に?
>きれいめなその子の親が作ったのは分かってるんだけどどうしても、その
???? 自分が酢豚が嫌いなのは給食のせいだと思う。
教室のダルマストーブの上で食パン焼いたのは楽しかった。
昭和42年生まれ、ド田舎住まい
休んだ日にはわら半紙で包んだパンとプリント類を近所の子が届けてくれた
給食は残さず食べるように指導され
食が細いので毎日のように配膳台のところに残されて
昼休み〜掃除の時間、午後の授業もそこで受けさせられた
給食のコッペパンがやたら堅かったのは
添加物が入っていなかったから
何時までたってもフワフワなパンは怪しいぞ・・・
次はpart100になるのね…
次、と言えば、次の年号は何と決まるのかしら?
またその年号にちなんだ名称?商標?商号?登録でひと儲けする人たちが出て来るんでしょうね
ああいう人たちって凄いと思う
_i⌒r-.、
,,-'´ ノ
./ .l
/ l
.l l
l i .l
l l l
,-'´ ̄`ゝ´ ̄`ヽ ノl
.,' .,' l
i i .i
ヽ、 丶 .ノ
`'ー-'´`'ー- ''´
テレビのこんな所に日本人、と言う番組があって
取り上げられる日本人が統一教会の信者で、合同結婚式で結婚した日本人
を、撮影してるんだそうです
日本人の血を薄めたい勢力が 統一教会とわかりますね。そういえば安倍首相は移民
推進してて、日本の金をばらまいてどこの首相かな?と思うことも
トランプのニュース見て気がついた
AV女優
昭和はポルノ女優
セクシー女優って意味が違うよね
昔の渥美マリとか若い頃の大原麗子とかみたいに
一般映画でちょっとお色気を売り物にしている女優さんのことだったのに
>>917
桜田淳子懐かしー
飯星景子と新体操の人は脱会できたんだっけ 最近のTVはCMがアトランダムに流れてしかも長い
昔みたいに15分毎15秒×4の1分にしてほしい
>>926
しつこいと見る側の印象に残らないのにね >>926
BBA向け死亡保険とか結構いいじゃんw 昭和55年あたりに東京の小学生だったんだけど、うちもふくめ同級生のいえもお母さんが働いてるとこまだ少なかったな
友達のいえに遊びにいくとそこの家のお母さんがおやつだしてくれたり
お菓子のCMが減ったね
大きいことはいいことだ♪ ポリンキーポリンキー♪ とかカールおじさんとか
今は健康食品か
給食のコッペパンを家で焼いて食べたらものすごくおいしかった
図書室の江戸川乱歩シリーズが争奪戦だった
給食のコッペパンて香ばしいいい匂いだったな
昔は食が細かったから全部食べきれなくてナプキンに包んで持って帰ってたわ
私も給食のパンを半分残して、学校帰りに公園に寄り道して食べてから帰ってた
今の子は道草なんてとんでもない
一斉メールで下校時間送信だもんね
いつも食べ残したパンは学校の帰りに犬にあげちゃった
よその家の犬だけどねw
>>912
>給食は残さず食べるように指導され
教職についた友達の話では頭の悪い教諭がそういうことに
熱心になるらしい。 小学生の時友達の家に遊びに行ったらその子の給食で残した食パンを2才くらいの弟がくれるの待って喜んで食べてて衝撃だった
うちでは給食の食べ残しのパンは捨ててた
それと友達がすごく弟のことを可愛がっててそれもびっくりだったな
兄しかいなかったし幼児に接する機会もなかったから
卒業して付き合いないけどその友達はいい子だったんだとふと思い出すのよね
昭和末期、犬も猫も人間の残り物をやるものだと思ってたんだけど、
友達の家のポメラニアンは、残り物は一切やらずドッグフードや犬用のおやつを食べていた
今では当たり前なんだろうけど当時は驚いたわ
>>939
東海道線に乗るとビタワンの犬小屋が見えた ネコにしょっからいアジの開き(塩と醤油がかかってる)とか
病気になっても獣医にはつれていかないし、そりゃ死ぬわ
新任の先生が着任しました。ほがらかな先生で、家庭科の
実習でパン作りをしました。先生が果物 (たしかレーズン)
から作ったいわゆる 「自家製酵母」 を使いました。他はありあわせの
材料を使っただけなのに、とてもおいしいでした。「だったら、
いつもの給食のパンは何なの?」 とみんな思いました。
その話が教頭に伝わって、新任の先生はこっぴどく叱られたとか。
それ以来先生から笑顔が消えました。
花柳幻舟さん転落死ですって
平成の終わりに駆け込むように、昭和を彩った人達がバタバタと亡くなってるわね・・・
花柳幻舟さん亡くなったのね
刑務所に入った時の実体験ドラマすさまじかった
凄みのある美人で好きな顔立ちだったのよね
彼女もいろいろ昭和の象徴だった
>>943
素敵な先生だね
天然酵母は手間がかかるのに、発酵とかどうやってたの? >>938
わかるわ
子供の時、たまに友達のお宅に行くと、いろんなことが新鮮というか驚きだった。
よそのお母さんの言動とか、お姉さんがいたり、赤ちゃんがいたり…自分の家とは色々違う、またその友達の普段見えない部分が見えたり…
あと、私も、コッペパンは全然食べられなかった
他の人も書いてるけど、私もわら半紙に包んで家に持って帰っていた
自分は少食だし好き嫌いも多く、給食は苦痛でしかなかった >>946
私はわりとイメージ通りだと想えたわ
他人を攻撃する人は最後自分を傷つける可能性大 >>956
最後は幼い自分の時代に戻るんだよね
だから極貧だとか虐待され続けたっていう育ち方していると
それを無意識に求めてしまうのかなって たけしがバイク事故の時にあれは本当は自殺に近いかもと後から言ってたよね
当時悩みがあって逃避したくて意図的に衝突したのかもとかなんとか
花柳さんもその瞬間は魔が差したとかかもね
確か左翼の大物だった羽仁進の父親と付き合って感化されたのよね
羽仁五郎ね
当時すでにかなりのおじいさんだったわ
マスコミで恋人と騒がれたけど、プラトニックなつきあいよね
たけしは浮遊して自分の身体を見ていて
臨死体験してるんだよね。
どんなジャンルでも前衛の表現者が輝けるのはせいぜい40代まで
彼らは円熟を拒否してるんだから当然のことなんだけどさ
前衛がロマン主義的な右翼左翼に走りがちなのも成熟の拒否があるから
福田恆存ら成熟を旨とする保守思想家と正反対なのが右翼左翼
>>926
私は地方ローカルで流れてた5秒CMの簡潔さが好きで、
10年前の時点では残念だけどもう見ることはないだろうと思っていたけど、
YouTubeで再び見るようになってびっくり 中学生のときなんだけど私は淫毛が濃くて剃るために水泳の授業のあるシーズンは。学校にカミソリを持っていくことがあった
ブレザーのポケットに入れてたんだけどそれを落としてしまってそれをクラスメイトに見られてしまった
その時運悪く手のひじの内側あたりに傷があったからリスカメンヘラ認定されてた
先生に言ったみたいで個室に呼ばれてこの手どうしたの?みたいに言われた
死なないリスカってかまってほしい人がする印象が強くて自分がそんなことをするような人間だと思われてしまったのがすごく嫌
ウェディングベルのシュガーの人が死んで30年くらいとか
早いなあ
数時間でボーボーになるのかw
まあ、そんなわずかなことが気になるならメンヘラだな
いや、ふつうにスクール水着の繊維の穴からニョッキリ顔が出るのが嫌なんで
剛毛じゃない人が羨ましい
>>967
杉並区の産院ね
自分もそこで出産したからよく覚えてる(シュガーの人よりはずっと後) シュガーは毛利さんだっけ懐かしい
くたばっちまえ、○ーメンとかいう歌詞でびっくりだった
紅白や全員集合に出たこともあったね
>>973
何で伏せ字にするの?
何で驚くの?
あんたが分からん… 花柳幻舟さん自殺なの?
悪いけどこの人には悪い思い出しかないわ。
皇室?皇太子殿下の結婚パレードに火炎瓶持ってて、
それを投げたかどうかまでは知らないけど、パレードに突っ込もうとして
即、警察に取り押さえられていた。
かなり驚いたけど、捕まった時、笑顔で「私、やったよ〜イエイ!」、みたいな態度に
憐れみしか感じなかったな。
でもご冥福をお祈りします。
>>975
現場の状況から事故だと思われる
写真を撮ろうとして橋から身を乗り出して下に落ちたらしい >>973
私もあの歌あまり好きじゃなかった(歌詞がね、やっぱり)
関係ないけど、昔のJJかCanCamを見ていたら、シュガーのメンバーの一人が、お料理コーナーの素人参加者として出ていたの(まだ無名時代)
芸能人って、有名になる前から何らかの形で目立たないそんな仕事をしてるのよね。
例えば真中瞳(現在は東風万智子?)も、JJかCanCamのヘアモデルやってた、別の有名芸能人も受験ガイドブックの制服モデルで見た >>978
歌手デビュー前の今井美樹が整形手術して記事になっていたのが驚きだった >>942
だからペットは早死にしていたの。
いまは栄養に気を使って専用のペットフードを食べさせるから
人間のように長生き。
そして認知症や寝たきりになって介護が必要になる。
当時はオムツのペットなんて考えららなかったでしょう。
無駄に長生きさせるのは本人(犬猫)にとっても不幸なのよ。
人間なら尚更ね >>978
桜田淳子ちゃんもデビュー前は「カンコー学生服」の
CMに出ていたのよ。
男子の詰襟着ていたわ 綾戸智恵も3年B組金八先生で詰襟の学生服を着ていたよね
桜田淳子はスター誕生の決戦大会で、沢山の事務所からスカウトされて
デビュー前から注目されてたんじゃない?
事務所の売り出し方もあるだろうけど
私もあの歌詞がダメだった
キリスト教徒ではないけど、信者の方はびっくりだったんじゃないかな
結婚をちらつかせた男が二股してた女との結婚式にもう片方を呼ぶのか?
それとも少し優しくされた女が一方的に結婚を妄想してただけで、男女関係はないただの友人だったのか?
どっちにしても怖い>ウエディングベル
ユーミンの続ガールフレンズもそれと類似した、女の嫌らしい感情を詠んだ歌詞だよね
オメデトウ 明日 晴れやかなミセス
もう どこかの馬鹿なやつのもの
おめでとうをカタカナにすることで皮肉たっぷり
親友が愛した男のことを馬鹿なやつだなんて意地汚い
大瀧詠一の恋するカレンだって、もてない男の一方的な妄想に思える
シュガーのウェディングベルは前に2ちゃんで
あの歌詞の主人公は小学生くらいの女の子で、親戚か隣のお兄さんにおませな恋心を抱いていたが
お兄さんのほうは当然小さな妹としか見ていず…ってな設定なのでは、というのを読んでから違和感がなくなった。
くたばっちまえアーメンについては当時新聞の投書欄で話題になって
一言「くたばっちまえ」と言って気がすんだわ、どうぞお幸せにね「アーメン」という心理では、
という投稿でカタがついた記憶。脳内補完が多すぎる歌詞ではあるよなあ…
でもドラマ化するなら最後に教会での結婚式中に爆弾爆発させて
「くたばっちまえ、アーメン」て遠くから見てほくそえんでるメンヘラ女。
「待つわ」の粘着女も相当だと思ったわ
「横恋慕」は好きだな
相手にも溢れる想いがばれてて夜中に衝動を抑えきれず最初で最後の告白する切ない女心
>>992
あなたの意見でないことはわかるけど、前半後半どっちも無理矢理過ぎで、説得力ないでしょ mmp2
lud20190707081755ca
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