■キャスト■
【平家】
平 清盛 −武士として初めて日本の覇者となる− : 松山ケンイチ
平 忠盛 −清盛の育ての父− : 中井貴一
宗子(池禅尼)−忠盛の正室 清盛の継母− : 和久井映見
平 正盛 −清盛の祖父− : 中村敦夫
平 忠正 −清盛の叔父− : 豊原功補
平 家盛 −清盛の異母弟− : 大東駿介
平 経盛 −清盛の異母弟 忠盛の三男− : 駿河太郎
平 教盛 −清盛の異母弟 忠盛の四男− : 鈴之助
平 頼盛 −清盛の異母弟 忠盛の五男− : 西島隆弘
平 家貞 −平氏の重臣− : 中村梅雀
平 盛国 −清盛の兄貴的存在− : 上川隆也
伊藤忠清−平氏の侍大将 − : 藤本隆宏
平 盛康 −平氏の家人− : 佐戸井けん太
平 維綱 −平氏の家人− : 尾美としのり
【清盛の家族】
時子 −清盛の後妻 平時信の娘− : 深田恭子
平 時忠 −時子の弟− : 森田 剛
滋子(建春門院)−時子の妹 後白河上皇に嫁ぐ平時信の娘− : 成海璃子
明子 −清盛の先妻 高階元章の娘− : 加藤あい
平 重盛 −清盛の長男− : 窪田正孝
経子 −重盛の妻− : 高橋 愛
平 基盛 −清盛の次男− : 渡部豪太
平 宗盛 −清盛の三男− : 石黒英雄
平 知盛 −清盛の四男− : 小柳 友
平 重衡 −清盛の五男− : 辻本祐樹
徳子(建礼門院)−清盛の娘− : 二階堂ふみ
【源氏】
源 義朝 −源氏の棟梁 清盛のライバル− : 玉木 宏
源 為義 −義朝の父− : 小日向文世
鎌田通清−源氏の家人− : 金田明夫
鎌田正清−通清の息子− : 趙 a和
由良御前−義朝の正室 頼朝の母− : 田中麗奈
常盤御前−義朝の側室 義経の母− : 武井 咲
源 為朝 −為義の八男− : 橋本さとし
源 頼朝 −義朝の息子− : 岡田将生
源 頼朝 −(少年期)− : 中川大志
(北条)政子−頼朝の正室− : 杏
北条時政−政子の父。伊豆の豪族− : 遠藤憲一
源 義経 −義朝と常盤御前の息子− : 神木隆之介
弁慶(鬼若)−義経とともに平家討伐を誓う− : 青木崇高
藤九郎/安達盛長−頼朝の側近− : 塚本高史
源 頼政 −摂津源氏の武将− : 宇梶剛士
■キャスト■
【朝廷】
後白河上皇/法皇−清盛の天敵であり友人− : 松田翔太
鳥羽上皇/法皇−後白河の父− : 三上博史
二条天皇−後白河の子− : 冨浦智嗣
高倉天皇−後白河の子− : 千葉雄大
璋子(待賢門院)−鳥羽の中宮 後白河の母− : 檀 れい
得子(美福門院)−鳥羽の中宮− : 松雪泰子
堀河局 −璋子の侍女− : りょう
崇徳天皇−後白河の異父兄− : 井浦 新
白河法皇−後白河の曽祖父 清盛の実父− : 伊東四朗
祇園女御/乙前−白河の寵妃 後白河の師匠− : 松田聖子
舞子 −白河の愛人 清盛の実母− : 吹石一恵
【藤原摂関家】
藤原忠実−藤原摂関家の長 元関白− : 國村 隼
藤原頼長−忠実の次男− : 山本耕史
藤原忠通−忠実の長男− : 堀部圭亮
藤原基房−忠通の子− : 細川茂樹
【新興貴族】
信西(高階通憲)−清盛の師− : 阿部サダヲ
藤原家成−新興貴族 平家の理解者− : 佐藤二朗
藤原家保−家成の父− : 渡辺 哲
藤原成親−家成の子− : 吉沢 悠
西光/藤原師光−家成の養子− : 加藤虎ノ介
藤原信頼−後白河の近臣− : 塚地武雅
【清盛を支えた人たち】
西行(佐藤義清)−清盛の親友− : 藤木直人
兎丸 −海賊の棟梁− : 加藤浩次
佐伯景弘−厳島神社の神官− : 温水洋一
【頼朝をとりまく人たち】
伊東祐親−伊豆の武将− : 峰 竜太
八重姫 −祐親の娘− : 福田沙紀
伊三郎 −祐親の家来− : やべきょうすけ
藤原秀衡−奥州藤原氏の長− : 京本政樹
■キャスト■
【第一部 : 第01回〜第16回】
藤原長実 : 国広富之 / 高階基章 : 平田 満 / 藤原教長 : 矢島健一 / 御 影 : 横山めぐみ
滝 次:河原崎建三/朧 月:隆 大介/平 太:前田旺志郎/須 磨:駒塚由衣/兎 丸:前田航基
平 次:藤本哉汰/鱸 丸:小林 廉/顕仁親王:小山 颯/光 康:田中幸太朗/資 遠:真島公平
貞 嗣:奥村知史/国 松:白倉裕二/時 松:内野謙太/蝉 松:原 勇弥/崇徳天皇:桑代貴明
藤原実能:小久保丈二/藤原季範:山口良一/荒丹波:八田浩司/豊藤太:累 央/麒麟太夫:須加尾由二
春 夜:野村周平/桃 李:山口 愛/春 子:吉田 羊/周 新:桜 金造/生 田:伊藤修子/
朝 子:浅香 唯/三浦義明:管田 俊/統子内親王:愛原実花/聖 子:大谷英子/上総常澄:きたろう
秀 子:海老瀬はな/波多野義通:コング桑田/通 子:下宮里穂子/薬 師:庄司永建/波 子:岩田さゆり
清 太:丸山歩夢/清 次:池田優斗/平 時信:蛭子能収/明 雲:腹筋善之介/金 覚:新崎人生
銀 覚:脇 知弘/茂 貞:徳井 優/常 明:佐々木睦/秦 公春:富川一人/近衛天皇:北村匠海
多 子:中田美優/呈 子:伊藤麻実子/春 夜:渡辺邦斗/桃 季:柊 瑠美
【第二部 : 第17回〜第30回】
平 貞能 : 田口浩正 / 平 宗清 : 梶原 善
源 義賢:阪本浩之/平 重盛:平岡拓真/平 基盛:末岡拓人/重仁親王:雄 大/藤原公教:並樹史朗
源 雅定:赤星昇一郎/藤原師長:片山景介/藤原兼長:中根大樹/源 義平:波岡一喜
伊藤忠直:土平ドンペイ/経 子:大出菜々子/平 長盛:大地泰仁/平 忠綱:久保山知洋/平 正綱:山本 卓
平 道正:竹下諒一/源 頼賢:永岡 佑/源 頼仲:岩間天嗣/源 為宗:大木貴文/源 為成:新井祐介
源 為仲:藤村直樹/梓:水木 薫/長田忠致:長谷川公彦/守仁親王:松田佳祐/図書允俊成:窪田吾朗
原田種直:蟹江一平/長 門:豊真将/相撲人:大原,闘林山,松本,大地,蒼天龍/藤原経宗:有薗芳記
藤原惟方:野間口徹/淡 海:植本 潤/平宗盛(清三郎):草川拓弥/今若丸:佐藤詩音/乙若丸:荒川 槙
源 朝長:川村亮介/藤原基実:村杉蝉之介
【第三部 : 第31回〜第50回】
藤原兼実 : 相島一之 / 八条院ワ子 : 佐藤仁美 / 仏御前 : 木村多江
平 重衡:新田海統/藤原邦綱:岡本信人/徳 子:川嶋紗南/盛 子:近藤里沙/藤原基通:大硲真陽
憲仁親王:三谷翔太/平 忠度:ムロツヨシ/源 仲綱:須田邦裕/健寿御前:東風万智子/以仁王:柿澤勇人
佐々木秀義:建 蔵/僧 都:大門伍朗/趙 :住田 隆/藤原泰衡:小林高鹿/平 維盛:大西勇哉
平 資盛:大西建誠/羅 刹:吉武怜朗/小兎丸:小野怜広/平 維盛:井之脇海/平 資盛:森永悠希
藤原師高:菅 勇毅/藤原師経:清水 優/絵師:ばんばひろふみ/平 康頼:螢雪次朗/多田行綱:野仲イサオ
俊 寛:大島宇三郎/牧の方:築山万有美/盛 子:八木のぞみ/藤原基通:永嶋柊吾/花山院忠雅:友吉鶴心
藤原師家:阿久津秀寿/山木兼隆:中村 竜/源 行家:江良 潤/祇 王:尾上 紫/祇 女:花影アリス
小兎丸:高杉真宙/佐々木定綱:関 貴昭/佐々木経高:高村晃平/渡辺 唱:伊藤正之/安徳天皇:貞光奏風
上総広常:高杉 亘/梶原景時:浜田 学/土肥実平:モロ師岡/武田信義:永澤俊矢/大庭影景親:木下政治
三浦義澄:谷本 一/千葉常胤:伊藤昌一/藤原俊成:花柳寿楽/北条義時:中山卓也/平 清宗:松本 頼
安徳天皇:田中悠太
■放送日程とサブタイトル■
第01回 01/08 「ふたりの父」..・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第02回 01/15 「無頼の高平太」・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第03回 01/22 「源平の御曹司」・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第04回 01/29 「殿上の闇討ち」.・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第05回 02/05 「海賊討伐」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第06回 02/12 「西海の海賊王」・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第07回 02/19 「光らない君」..・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第08回 02/26 「宋銭と内大臣」.・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第09回 03/04 「二人のはみだし者」..・・・・・・・・・・・中島由貴
第10回 03/11 「義清散る」.・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第11回 03/18 「もののけの涙」.・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第12回 03/25 「宿命の再会」・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第13回 04/01 「祇園闘乱事件」・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第14回 04/08 「家盛決起」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第15回 04/15 「嵐の中の一門」・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第16回 04/22 「さらば父上」..・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第17回 04/29 「平氏の棟梁」・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第18回 05/06 「誕生、後白河帝」..・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第19回 05/13 「鳥羽院の遺言」・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第20回 05/20 「前夜の決断」・・・・・・・・・・・・・・・・・佐々木善春
第21回 05/27 「保元の乱」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第22回 06/03 「勝利の代償」・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第23回 06/10 「叔父を斬る」.・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第24回 06/17 「清盛の大一番」・・・・・・・・・・・・・・・佐々木善春
第25回 06/24 「見果てぬ夢」.・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第26回 07/01 「平治の乱」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第27回 07/08 「宿命の対決」・・・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第28回 07/15 「友の子、友の妻」..・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第29回 07/22 「滋子の婚礼」・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第30回 07/29 「平家納経」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第31回 08/05 「伊豆の流人」・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第32回 08/19 「百日の太政大臣」・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第33回 08/26 「清盛、五十の宴」..・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第34回 09/02 「白河院の伝言」・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第35回 09/09 「わが都、福原」..・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第36回 09/16 「巨人の影」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第37回 09/23 「殿下乗合事件」・・・・・・・・・・・・・・・橋爪紳一朗
第38回 09/30 「平家にあらずんば人にあらず」.・・渡辺一貴
第39回 10/07 「兎丸無念」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第40回 10/14 「はかなき歌」.・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第41回 10/21 「賽の目の行方」・・・・・・・・・・・・・・・佐々木善春
第42回 10/28 「鹿ヶ谷の陰謀」.・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第43回 11/04 「忠と孝のはざまで」...・・・・・・・・・・・柴田岳志
第44回 11/11 「そこからの眺め」・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第45回 11/18 「以仁王の令旨」・・・・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第46回 11/25 「頼朝挙兵」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・柴田岳志
第47回 12/02 「宿命の敗北」・・・・・・・・・・・・・・・・・中島由貴
第48回 12/09 「幻の都」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野亮平
第49回 12/16 「双六が終わるとき」・・・・・・・・・・・・渡辺一貴
第50回 12/23 「遊びをせんとや生まれけむ」.・・・・柴田岳志
平清盛の視聴率を科学的に予測する
https://ameblo.jp/kazue-fujiwara/entry-11242437779.html
2012年NHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率を予測してみたいと思います。
「平清盛」の場合、
時代は平安、主人公は天下人の男子で他者から殺害されません。
また、主演俳優の松山さんは初演、時代は相変わらずの不況です。
この場合予測視聴率は次式によって求められます。
-1.75%+2.8%+0.07%+1.12%+0.59%-3.62%+23.29%=22.51%
つまり予測視聴率は22.5%となります。 >>8
結果として大はずれでした。残念でした。統計学的分析はドラマづくりに役立たないのだろうか。
>>9
名作だったのに、世間から評価されなかった。それがとても悲しい。 王家問題とかで感情的になって罵声してる人が結構多くて悲しくなる
映画やドラマに国体とかそういう政治的なことで批判するのは間違ってるよな
大して中身がないくせに長文だらけにするから容量オーバーで落ちただけやん
お手前が生きてこられた>>1の一生、まばゆいばかりの美しさにござりまする
どうも1000行く前に容量オーバーと相成り候
ということは俺が戦犯ではないの:(;゙゚'ω゚'):
あいスンマヘン
今年の目標は面白き「短文の世」をめざチェスト!
で中身ではち切れそうなご高評待ってるで〜〜>>13 >>11
統計学って言ってもさ、
視聴する手段やテレビ放送に関する環境の変化とかちゃんと計算に入れてんのかいな?
と思ってしまうわー 弁慶万吉がまだ本領発揮してない、との指摘はその通りなんだけど、
今のマザコン、お兄ちゃん大好きのひさみちゅ君は、ちかえもんで言えば、「お母はん」と富司純子さんに甘えとる万吉。
この久光もお上手でなかなか味わいがある。
今後、西郷とは生涯まるっきり反りが合わないヒールキャラとなるは100%確実なので、今のうちかいらしい青木久光を
楽しんでおくのが得策。
弁慶のように「大きくなったのー、西郷ーー」と歓喜抱擁する時が来ることは ない。。
薄汚い成れの果てババアさ、何も今頃になってお前らの気が遠くなるような醜態を
自ら晒さなくてもいいだろうに。
しかしまあ、当時こいつら、かくもアホづら晒して大騒ぎしてドヤってヨタってたんだ・・・トホホ
このようなおぞましいババア連中が、今もなお、下衆な本性も露わに清盛攻撃を続けているのかと思うと、
本気で吐き気がしてくる。皆さま、吐き気に耐えつつ読んでやってくださいませ。
(貼り付けの仕方がよくわからないためwタイトル紹介)。
【大河の清盛VOL24】【小松家のヒミツ】togetter.com
ツイとは打って変わり、口汚い2ちゃん口調と用語とノリでの罵詈雑言、中傷。
何も今更驚くことはない。
朝から晩までツイで遊んでいるこの女たちこそ、2ちゃん主力メンバーなのだから。
このような他人の営為をかくも簡単に嘲笑い、自己アピールに励む愚か者は許しがたい。
ということで久々頭に血が上ってスンマセン。お口直しに割りと真面目な風紀委員に
(放送時もかなりいた)お答えしたレス⤵︎
謎めいた西行の出家を象徴的に表現する娘キック。
この超有名エピを捻じ曲げて改竄しては、すべてが破壊されてしまう。
そこで「表現を工夫」とはどういうことか?
娘キックをやめて他に代替しろということか?(これは成り立ちにくい)。それとも表現を柔にしろということか?
後者であれば、当たり前だが、清盛においても少女を実際に蹴るような野蛮はやっていない。一瞬のカットを入れる
非常に巧妙な映像処理がなされている(まるで藤木義清が少女をリアルに蹴ったかのようだ
〜「桜」の花びらを見つめる西行。十八番の「美しい」を発し、ラスト頼朝との会見で意味をもつ「猫」がにゃーにゃ―
→吉田羊嫁が異変に気づく中、西行はみるみる表情をこわばらせ、突如娘に蹴りを入れる→一瞬のカット
→直後、娘が泣き出すというふうに。
このように西行必携の「桜」「美」「猫」を巧みに散りばめながら、彼の出家をいっそうミステリアスなものとする、
見事な娘蹴りエピの演出があの場面。
これ以上、何を「配慮」しろというのだ(たとえば蹴りを入れるとき娘を消せとか?〜それも一つの見識であり否定しない)。
それにつけても、一方では、昔はレイプも生首もちゃんとやったのに昨今の大河は現代の価値観を持ち込んでー
と日頃主張しているのに、この場面についてのみ幼児暴行の倫理性(継続的で執拗な幼児虐待とは無関係)を問うのはなぜだ?
も一つ、ほとんど何もろくな難癖ができなくなってしまった連中が、芸スポなどで
しがみついている例の「オモチャの宋剣がー」。
既出すぎるが再掲しますね。
・清盛の武威を象徴するアイテムは何か?
・保元平治の乱で身に纏った唐皮の鎧は、忠盛から実際伝わったアイテムであっても、肌身離さず常時携帯するアイテム
とはなりえない(あくまで戦乱という非常時にのみ有効)。
・それゆえ武威の象徴はあくあくまでも刀剣でなければならない。
・しかるに平氏重代の名刀抜丸は史実上正妻の子頼盛に伝わっており、これを動かすのはNG(そのようなインチキとは無縁)。
・では無名の日本刀をでっち上げるのは適当か?
一門内では頼盛が抜丸を保持し、ライバル源氏はかの髭切を棟梁のシンボルとしているのに、平氏棟梁清盛が身につける太刀が
何の由来ももたず、したがって無個性とならざるをえない無名の日本刀であってよいはずがないだろう。
・したがって、清盛必携の太刀は無名の日本刀を捏造することから離れて、清盛の個性を強く刻印する
何らかの太刀・剣を創作する必要があった。
・それこそが宋剣である。生涯宋趣味を持ち続けた清盛にとって宋剣は、偏頗な国粋主義なんぞ一笑に付すであろう
平安版グローバリスト清盛の個性をこの上もなく刻みつける最上のアイテムなのである
(実際、福原では宋女を侍らせ、高倉厳島行幸に際しては、院のためにのみ唐船を準備した。
さらに、世界に開かれた視野をもつ帝に成長することを願い、当時の代表的世界情報誌「太平御覧」を言仁(安徳)にプレゼントした)。
・すなわち宋剣は、アホウヨどもがアホ面晒して必死こいて罵倒した「おもちゃ」どころか、清盛の個性と武威を
ズバりシンボライズした必携アイテムである。
>>20
西行は、現代人の信奉する価値観からは隔絶した価値観の世界に生きた人だ。
だから、現代日本の成人女性に受け入れられなくたってある程度は仕方ない。
西行の生きた世界は、現代人には理解しがたい、おそらく二度と甦ることのない消え去った世界。
そして、美しさには犠牲が伴うものだ。
しかし、決して交わることなき過去の価値観と、現代の価値観とを、どう架橋し、どう想いを届けていくか?
この方法論は一概には決められないでしょう。その困難さを克服することこそ、時代劇制作者の課題です。 ちょっと何言ってるのかわからんのですよ。
たぶんわたしが酔っ払いのせいだからだと思うのですけど。
想像するに、この身勝手な西行の出家に納得できず、不快に思ったがゆえ(妻子のみならず崇徳さんまで放り出した。もちろん金麦も)、
清盛オバサンたちは、事あるごとに「西行を海に投げ込め」とやってるのですかね?
あれちょっと理解できないのですよ。
わたくしは常に藤木西行に寄り添い理解したつもりでおりまして、トータルで見ても彼はすんばらしかった論者なもんで。
もちろん、西行の出家はちっとも理解できません。
しかしながら、西行出家の動機部分を「ブラックボックス化」した点にこそ、謎めいた西行出家に対する本作の優れた洞察と演出を
認めることができるのです(鳥羽エア矢も、治天鳥羽の「罪刑専断」〜裁断は鳥羽の心一つ=恣意性〜をブラックボックス化し、
あえて説明しなかったところが味噌)。
ではおやすみなさい。
宋剣の扱いは難しいな 長文さんの見解はもっともなのだが、
あれが出てくるとなんかファンタジー臭が漂うというか.....
清盛の武家としての象徴ということだけど、
なくても良いような気もするw
清盛は政治的な駆け引きとか政治家として有能なイメージあるけど、武力的な印象はあまりないんだよね
そこは重盛に任せてたイメージ
あと壇ノ浦に沈んだ草薙剣となんか一緒にされたような終わり方だったけど、
別物なんだよな 編集が意図的にそうされちゃってるのがなんかなあと思ったが....
清盛が受け継ぐ刀だけど、もしかしたり小鳥丸あたりを受け継がせればよかったかな?とも思ったので追記しときます
小烏丸は無理だよ。
頼盛が平治の乱で使用したとされる抜丸と違って、こちらは天皇から下賜された一門の家宝であり、
実戦で使う太刀ではなかったものと思われる(文字通りお飾りして崇める)。
しかも、あまりにも有名な太刀のため、肌身離さず清盛が携行するには、、両者の結びつきをうかがわせるような逸話が
多少でもないと、いっそう不自然な便法に思われてしまう。
清盛が用いるべき太刀(・剣)は、あくまでも平氏(平家)棟梁の武威と彼の個性を刻印するものでなければならなかった。
しかも、この意味でシンボルとなった太刀は、1話で忠盛から平太に「授与」され(この段階ではまだ後継者への期待)、
棟梁就任以前においても活躍すべき太刀であり、忠盛の「遺言」の場で初めて登場するような太刀ではない
(その場で小烏丸伝授というのも史実と反し苦しい)。
だからといって、それ以前からこの平家の名宝をガキンチョ高平太が振り回す、という設定もやはり苦しい。
このように考えると、宋剣というフィクションを設定したことには十分な理由がある(>>21)。 >>27なるほど小鳥丸ではこの場合不釣り合いなのはわかりました
創作というのはなかなか難しい物ですね 光らない君の清盛入道と時子様が現代に降臨してラブラブしている「隣の家族は青く見える」第3話
を見てしまった。あの二人の愛の形をもう少し長く見ていたかった者としては、かなり満足。
しかし、西郷どん視聴者が怒り出してるが、LGBTとは平安時代以前から存在している日本の愛の
もうひとつの形なんだけど。演劇という形であっても受け容れてもらうのは難しいのですな。
それと崇徳院様と重盛様が現代に降臨し大活躍される「アンナチュラル」もかなりの名作になるはず。
やりつくされた感がある法医学ドラマにあんな切り口があるとは想像できなかった。
時代劇だって現代劇だっておなじ演劇さ。面白いものは面白い。面白くないものは面白くない。
483 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2018/02/02(金) 10:18:34.12 ID:B0Moju1X
あーほらし。365日一生懸命数字拾っては、低視聴率を弄ぶのが生業のお前ら。
結論はまたしても、ソウカがーw
この間笑ってしまったのは、清盛には熱狂的ヲタがついているが、花燃ゆにはいない。
同じ層化主人公大河なのにこの差は何故か?
このアホウヨどもによると、それは、清盛には脇にも層化がいたのに対して(誰?エンケン?)、
花燃ゆは、主演の彼女しかいなかったからなんだと。
いかにも珍妙な「科学的視聴率分析」を仕事にしている阿呆らしい噴飯ものの言い種で
笑いで腹筋が崩壊しそうになってしまったよw。
この最新の「ソウカがー」理論によれば、層化成分3倍の義経は、さらに熱狂ヲタが3倍いることになる。
どこにそのような「信者」が存在するのだろうかDVDの売り上げも清盛の倍ぐらいあってもよいだろ!w
拙者久々銀河で義経を完走したが、失礼ながらとてもじゃないが清盛に比肩できるクオリティはなかった。
義経は個人的には好きだ
鞍馬天狗との修行、五条大橋でのvs弁慶の映像化 一ノ谷の突撃、and壇ノ浦決戦、みんな熱く楽しめた
あと平家方の役者陣がみんな良い とくに宗盛、重盛、建礼門院 時子、それから常盤も美しかった 音楽もすごく好き 義経伝説の映像化としては最高作品 清盛とはベクトルが違うが
ドラマで忠盛が食べていた「清浄歓喜団」を注文し、先日届いたので食べてみた。
確かに変わった香気が微かにするが、さほど気にならない。
甘さは控え目。
皮のパリパリと、中から薫る工夫を凝らした餡が良い相性でまこと滋味深い。
一緒に「ぶと」も購入したが、これは素直な唐菓物。
餡の美味さが秀逸。
どれも、オーブンで軽く炙ってから食べれば香りが立って一層美味くなる。
大河見て一番好きな主役は清盛だったわ。
なんで悪役にされるか意味不明
人柱を廃止した英雄やないか
歴史上の清盛は別として、相変わらずドラマ製作の素人が作ったゴミドラマの無理くり擁護でスレが進んでいますね。
いやこのドラマはよく時代検証されている上に史実とフィクションをうまく融合され、なおかつ予算もかけた神作品だと思うよ
この規模の名作はもうこれから大河では見れないかもね
大河史上でもナンバーワンの名作だと確信してる
お馴染みのツッコミネタをぶり返してアンチに塩送るのはアレなんだけど、
松ケンは入りで体絞って欲しかったな。
たっぷり脂肪増やして村山棋聖に化け、今度はスラッと細身で若々しい深キョンの旦那。
このように、松ケンは役に合わせた過酷な体重コントロールも厭わない役者なのに、
清盛では何か考えがあってやや締まりのないブヨブヨした体型で現れたのだろうか?
というのは、強調したように、無頼の高平太の役年齢は、成人に近い青年というより、
まだまだ子供の少年(小学校高学年、中学生ぐらい)から出発したからだ(18歳辺りでは
相当成長済み)。
多感で早熟な少年が(しかも世にも稀な出自を知った少年が)、少しばかりグレて暴れて、
他方で青臭い正義感を空回りさせたとしても、それは異常なことではなく、むしろ
正常な発達経過というべきだろう。
しかし残念なことに、視聴者の多くは、松ケン清盛を「立派な体躯を持つ青年」と見做して、
いつまでもうるせーガキだ、成長しろと苛立ったようだ。
元々松ケンが10歳ぐらいの清盛から演ずるのは無理があった。これは仕方ない。
しかし、無茶な注文を承知で言うと、せめて「子どもっぽく見える体躯」で現れれば、
初期のバッシングは多少軽減されたのではないか。
以上、フジのドラマを見てフト湧いてきた感想。
昔な大河は子役を数回までは使ってたよな
それくらいのタイミングで変えてほうが絶対良い
多感で早熟な少年なんぞおったかのう
鈍感で幼稚なガキは見たが
例えば、翔ぶが如くは子役なしで西郷どんは1話限定(たぶん最近の多数派)。
他を眺めても、昔の大河に子役1カ月のような決まりがあったとは思えない(独眼竜は長かった)。
子役起用の可否、起用した場合の長さ、中継ぎの少年を起用するケースについては、
くどくなるのでもうやめます、と言いつつ簡単に。
要は、主人公の一生を通じて、子ども時代、少年・青年時代がもつ比重によって決せられるべきものであり、
完全な正解はないということ(清盛はかなり重視した上で松ケン起用)。
【清盛の考慮要素】
・落胤説をとった以上、オギャーから始めない選択肢はない。
・子役まえだまえだでは無頼の高平太にならない。
・中継ぎの少年を(頼朝のように)挟んだ場合、松ケンへの交代のタイミングがどうにも見つからない。
・後の清盛を生み出した原体験を重視したため、いっそうパーソナリティの統一性が求められた。
・時間軸を頻繁に往還する作劇上の特色からも(回想多用)、「同じ顔」であることが望ましかった。
など
>>40
お爺さん、中学生の時、自我危機に陥ったり社会正義に目覚めたりしてたの?w あと行動において未熟であったことを幼稚と言うならば、まさに幼稚な面が目立ったのだが?
何か悪い?
しかし、毎回毎回同じ調子でいわゆる厨二描写が延々と続いたのではないのに、
青年清盛クンをただの馬鹿呼ばわりするのが多いのはなぜだ?
彼は三歩進んで二歩下がる、ちょっと進んだらまた立ち止まる方式で、確実に成長していった。
もし、鈍感、幼稚、バカというネガティブなタームを羅列したいのならば、もう一度、具体的に
どの場面のどの清盛のことを指すのか、きちんと整理して提示してもらいたいね、お爺さん。
しかしながらもう寝る。おやぬみw
清盛は嫡男重盛の嫁に飲んで成親選んだんだろ
この縁組ってなんの利も産んでないよな....
経子との婚姻は「清盛の大一番」回(ようやくなった信西政権による改革断行と、平氏上昇にとって
非常に重要な意味をもった太宰大弐就任を、古儀復興政策の柱である相撲節会に絡めて見事にドラマ化した回)。
本物のお相撲さんによる相撲を、後白河との相撲(太宰大弐獲得作戦)、さらに重盛との相撲(政略結婚)にひっかけた
何とも才気溢れるストーリーだった。
もっとも、重盛と経子との婚姻日時はたぶんわかっておらず、作劇上、保元の乱の緊張が緩んだこの辺りが
適当と判断しての創作だろう(経子腹の子は60年代初期に生まれているので、もう少し後かもしれない)。
それはともかく、鳥羽院の遺言回で初登場した折に紹介されたように、信頼と成親は後白河のお気に入りの近臣だ
(前者については男色関係が後に仄めかされた)。
しかも、公卿でないのに登用されたため、塚地熊吉どんが「面白うないのー」と不貞腐れたシーンが示すように、
まぐれで天皇となってしまった変人後白河によるこの気まぐれ依怙贔屓人事は、朝廷内で周囲からのやっかみを買った。
ところで、武を示したとはいえまだ朝廷内部に地歩を築く前の清盛平氏にとって、婚姻政策はもっともオーソドックスな
朝廷への接近手法であり、上昇のための手段だ。
しかし、まだこの段階では、帝や上皇に一門の娘を入内させるなんぞ及びもつかない(平治の乱後に滋子入内)。
となれば、次善の策として、いかに権威をもたない天皇の側近といえども、彼らに近づこうとしたのはごく自然な戦略だろう
(ドラマではむしろ、保元の乱勝利に武力をもって決定的な貢献をした清盛に、成親のほうから近づいていった)。
その後、後白河最側近=成親との関係が深まるとともに、重盛は一門の中でもっとも後白河に近い人物となっていく。
しかしこのことが、一門の中での彼の立場を苦しいものとしてしまった(本作が鮮やかに焦点化した「板挟み重盛」)ことに
鑑みると、嫌がる重盛を豪快に「上手投げ」してまで強硬した(さっさと子でも作れ!)重盛と経子(成親妹)との婚姻が、
清盛平家にとって最善の選択だったかどうか?結果論から見ると疑問符がつく
(政略結婚であるのに誰よりも心を通じ合わせた素晴らしい夫婦でした)。
>>40
> 多感で早熟な少年なんぞおったかのう
> 鈍感で幼稚なガキは見たが
これには吹いた。でも、たぶん、多感で早熟な少年は周りから天才児と呼ばれるのだと思う。
天才は忘れた頃にやってくる。ふだんはお目にかかれない。無頼の高平太もおそらくその一人。 信者が寄ってたかって庇い立てするから
いつまでたっても鈍感で幼稚なバカケンが成長しない
重盛あさみという名の彼女が「根が腐ってて腹黒い女」のはずないだろ!
平忠正が「ワシと妻子との縁などハナっからないわ!」「斬らぬかマスコミ!」
なんてうそぶくわけないだろ!
ちょうど相撲やってんな西郷
佐藤義清も立会い変化によるオシャレ技で元海賊王に勝ちよったw
徳子の入内の回を見ていて思ったのだから、
武士の娘を入内は許すまじという朝廷の反感が描かれてるが
そもそも平家の祖って行き着く先は桓武天皇でしょ?
摂関家よりよほど血筋は確かなんだが
さらにこのドラマでは清盛は白河院のおとしだねという設定なわけで
血筋で行ったら確かな血統だよね.....
この時代は摂関家の力は削がれているわけだし、周りの貴族たちがここまで反感する理由がよくわからん
それはドラマに言ってもらっても困るよ。
いわゆる貴種を有り難がったのは、中央との結びつきを求め縋ってきた地方の豪族たちであり、
中央の位階秩序では、桓武平氏も清和源氏も長らく貴族に毛の生えた程度であったことは歴史的事実だ。
本作では、王家に対する従属性を指して「王家の犬」と表現していた(他方、源氏為義はもっと惨めで、零落真っ只中)。
階級か階層かはともかく、平氏・源氏の属性が「武士」であったこと。たとえ天皇由来であったとしても、さらに
軍事的・経済的に体制に貢献することで存在感を増しつつあったとしても、武士である彼らの前には容易に越えがたい
身分上の壁が厳然と聳え立っていた(結局忠盛は公卿になれず)。
白河落胤の真相は永遠にわからない。しかし、当時の貴族社会の意識レベルでは(一説には清盛のほうから喧伝したという)、
異例の大昇進を「白河の落とし胤」に求めることで、不愉快な現実に説明を加え納得を得たいとする心理が働いたようだ。
以上の二方面からは、本来は「武力と経済力と人間力といった実力に原因が求められるべきby本郷」昇竜清盛(あっという間に
太政大臣へ昇進)への反感は、一つはやっかみ嫉妬。もう一つは、やはり「武士」という属性に対する蔑視があったことは否定できない
(言仁誕生を受けて、ゴッシーすら頭が上がらないスーパーお姫様八条院仁美様が放った強烈な嫌味を想起されたい)。
言仁誕生の時ではなく徳子入内の時だった。
「こたびはおめでとうございます。法皇様の政はまこと面白きもの。
よもや王家に武士の血が混じる日が来ましょうとは」
藤木さんが今の大河に出てる関係で西行の「義清散る」を見直している。
松山さんよりだいぶ年上なのに同い年設定に無理があると思ったが
年を取って経験を積んだからこそ「義清散る」の回の難しい場面を見事に演じ切れたのだろうと思えた。
西行の命日が近づいている。
藤木氏も初期から登場して最後まで出た人だからね。
清盛同様、若者から老人まで演じきることを要求され、外見的にも内面的にも「変わりつつも変わらない」
矛盾の人西行に、代表的なイケメン俳優藤木氏はフィットしていた。
文武両道で眉目秀麗。スマートな若者義清から謎の出家遁世。しかし、頭を丸めてもモテたw
その後はここぞという時に俗世間に現れ、清盛をサポートあるいは諫言する助言者となり、
最終盤では物語を動かすキーマンとして存在感を示した。
かつての「恋人」老婆堀河と再会。王朝文化の華である和歌を読みながら去り逝く平安を懐かしむ
一夜を共に過ごしたらしい(生臭坊主談w)。
最後は、死に臨む無念の清盛に対し、真摯な宗教者そして「美しき人生」を生涯追求してきた歌人にしか
なし得ない最高の餞の言葉を贈り、さらに清盛から頼朝へのバトンタッチを見届けた後、この希代の歌人は
満足そうな表情を浮かべつつ(ニヤリ)オシャレに退場したのだった
(頼朝の前で詠んだかの歌の通り「桜の花の下にて春死んだ」旨、ナレ朝)。
娘キックを唐突だと批判する声は根強い。しかし、出家の背景事情自体は、むしろ誰でもわかるだけの
描写が積み重ねられてきた(醜い出世競争、崇徳から過剰に頼られるプレッシャー、たまこへの禁断の恋と破綻)。
義清自身も、醜い濁世に「美しい人生」を求める自分は耐えられないと告白したはず。
しかし、これらのいわば一般論と、何もかも打ち捨てる(建前)出家との間には、なお断層が存在するのであり、
義清が出家を決断するには、合理的な思考を超えるある種の「跳躍」が必要だった。
それは、言葉の魔術師義清ですら言葉により理性的に説明できるものではなく、「閃き」「衝動」による
ステージ間移行(濁世→遁世)とでも言い得るものだ。
娘キックは、この「本人でもわからない」出家理由のブラックボックス感と衝動性を良く伝えるエピであり、
唐突であることがむしろ生命線だろう。その意味でもあの演出は最高だった。
娘キックが不評だったのは振られたあとの八つ当たりみたいで
いかにも見苦しいから。美しく生きたいという西行の行いとしては
全く理解できない。有名エピソードをドラマの中にうまいこと
組み込められなかった悪しき見本といえる。
藤木直人は朝ドラ「あすか」のころから好きな役者ではある。
おしゃれイズムでゲストの佐藤健がルービックキューブが
得意ってことで対決した時に容赦なく勝っちゃうあたりも
なかなかグッド。
振られた後の八つ当たり??
桜の花を愛でるうちに表情をこわばらせていく藤木のどこを読み取れれば、そんなチンケな動機が出てくるのだ?
美しい人生をポリシーとすれば、すべての言動が美しくなるのかよ?
強い人生を追い求めた義朝は自分の弱さに屈し、清盛の面白き人生も紆余曲折を辿った。
弱さを抱えた点では西行も同じだ。
それに元々のエピ自体、幼児暴行であることに変わりはない。この点に反論した↓について回答がないが、
風紀担当の学級委員さん如何に? >>57に対する反論内容もない。
謎めいた西行の出家を象徴的に表現する娘キック。
この超有名エピを捻じ曲げて改竄しては、すべてが破壊されてしまう。
そこで「表現を工夫」とはどういうことか?
娘キックをやめて他に代替しろということか?(これは成り立ちにくい)。それとも表現を柔にしろということか?
後者であれば、当たり前だが、清盛においても少女を実際に蹴るような野蛮はやっていない。一瞬のカットを入れる
非常に巧妙な映像処理がなされている(まるで藤木義清が少女をリアルに蹴ったかのようだ
〜「桜」の花びらを見つめる西行。十八番の「美しい」を発し、ラスト頼朝との会見で意味をもつ「猫」がにゃーにゃ―
→吉田羊嫁が異変に気づく中、西行はみるみる表情をこわばらせ、突如娘に蹴りを入れる→一瞬のカット
→直後、娘が泣き出すというふうに。
このように西行必携の「桜」「美」「猫」を巧みに散りばめながら、彼の出家をいっそうミステリアスなものとする、
見事な娘蹴りエピの演出があの場面。
これ以上、何を「配慮」しろというのだ(たとえば蹴りを入れるとき娘を消せとか?〜それも一つの見識であり否定しない)。
それにつけても、一方では、昔はレイプも生首もちゃんとやったのに昨今の大河は現代の価値観を持ち込んでー
と日頃主張しているのに、この場面についてのみ幼児暴行の倫理性(継続的で執拗な幼児虐待とは無関係)を問うのはなぜだ? アンカー間違ってますよ。
清盛も言ってたけど本当に義清には妻と子に詫びて欲しい。
突然の容赦ない突き落としキックはただいきなりキレたDV夫。
西行出家の苦悩を描くのであればもっと違う描き方があったはず。
また娘がいかにも無垢で可愛らしい分余計非常に思われる。
西行は好き。藤木直人も好き。でも清盛の「義清散る」の回は嫌い。
当時としては当たり前のことかも知らないけど、今の世だと祭り事=政治なので
当時の祭り事が祈祷とか
節句などの行事を行うことがメインと考えてるのに違和感あるな
後 後白河法皇が後世に残した仕事が
今様の歌集残しただけみたいになってるなw
大物として描いてるわけだが、本当に今様かぶれで
政治的にはなんもできない無能だったのかな?
良い顔をする相手をコロコロ変えて上手く立ち回ったのはすごいけど
茂子死亡で平家見限るあたりが酷すぎる.....
ちょっと前で平家とともに登ろうと言ってたのに
茂子は亡くなったとはいえその息子も平家の血を引いてるんだし
愛した女の生んだ我が子はかわいくないの?とか思ってしまう
優れた脚本ならば作れるという「美しき幼児暴行」とは如何なるものか見せてみよ!
見せてくださいませ。
「決断の異常性、突発性、エゴと傲慢」を全否定するような>>60では、
「もーう台無しぃー」by時子でごわす。
去ろうとする義清に娘「お父さん行かないで!」
義清は心を鬼にして振り返らず歩を進めた
なおも娘は諦めず義清に追いすがり父の袖にしがみついた
義清は断腸の思いで「スマヌ娘よエイヤー」とばかりにを蹴りつけ走り去った・・・
こういうの勘弁してね風紀委員様。でわ >>61
あ、また新たな疑問ですかい。いや大歓迎です。
一言、後白河はそういう人でしたwでは 自分も夜勤明けの酔っぱらいで久しぶりに長文さんの相手を
してあげようと思っただけなんで、変なこと書いてたらごめんね。
別に脚本が駄目、こう直せなんて言うつもりはなくて
ただドラマの感想としての好き嫌いを一視聴者の立場から言ってるだけ。
猫は頼朝会見への伏線だとは気が付かなかったのでためになった、サンクス。
レイプ、生首は大河の表現がマイルドになりすぎてるという批判であって
義清キックとは次元の違う問題だと思うのだが、違うのか?
ちなみに >>62 はちっとも面白くないんでこんなんでなくて良かったよ。 >>63
当時の祭り事に関する観念とか後白河の評価とかわかりずらかったので質問してみた
後白河は大物とか切れ者という評価技されていて日本一の大天狗と呼ばれたほどの評価の人だけど
清盛に対抗して出家しても天台宗と対立して、結局平家頼みになったり宋との貿易や茂子をめとったりした時も自分がそれ以上の力を持てば力の均衡が崩れても問題ないとか言ってるけど口だけだったり、
後白河の何がすごかったのかがよくわからないんだよ もちろんこの西行はあくまでドラマで脚色された西行。
出家原因についても様々な説があり、頼長が「憂いもないのにもったいない」と讃えたことに着眼して、
地位や名誉に不満がないのに(世俗の自分に負の悩みがないのに)出家したのは、仏道への確信と使命感ゆえである
と推論し、出家による逃避よりも仏道に対する西行の積極的な志向性を指摘する人もいる(五味)。
ただ、内面の苦しみは側からは分からないし記録にも残らないので、待賢門院への失恋はさすがに俗説と思うものの、
大河清盛が示した複数の背景事情とそこからさらに跳躍した出家の経緯は、優れたドラマ解釈と考える次第。
たしかに、治承クーデターを招いた後白河の軽率な行動は、清盛の怖さを甘く見積もった結果とも言える。
元々バランス感覚のある人ではないので、その意味でもかすがいの働きをしてくれた滋子の存在が大きかった。
滋子の死によって時代は鹿ケ谷の破局へ向かって突き進んでいったが、その時も後白河の浅慮による挑発が
清盛との関係を悪化させたことが大きな要因となった。
後に源平双方を翻弄する老獪ぶりを発揮し「日本一の大天狗」と呼ばれた後白河。しかし、それも得意の
機械主義的行動(その限りで鋭い読み)の連鎖が、状況を味方につけて奏功した結果なのかもしれない。
また、首尾一貫した政策ビジョンとか体系的な政治手腕とはあまり縁のない人であったことは言うまでもない
(後白河政治と呼べるような治績はない)。
しかしだからこそ、「清盛のような泊は作れない。だがわしは今様が好きじゃ」と自嘲気味に語った執念の
梁塵秘抄編纂が、後白河不滅の業績となって今に伝わるのである。
西行お邪魔虫から経盛、忠度でフェードアウトした者です。
仕事が忙しくしばし離れる間に次スレに入り慌ててざっと読ませていただきました。
>>65
我々には奇異に見えますが、摂関期以降の貴族たちは
年中行事を滞りなく執行することが政治の最優先事項と考えていました。
そのことが国家の健在や威信を示すことと考えていたようです。
なので手順を間違えたりしないようにせっせと日記を書き、子孫もそれを守ったのです。
祈祷は江戸時代以前の多くの人にとっては至って現実的なもので
景気上昇、防災、安全保障などなど様々なことを実現する重要な手段と見なされていました。 >>69
本当に奇妙にみえますよね
でも今残ってる祭日の多くは当時の年中行事の名残なんですよね
各地に残るお祭りもそうだし
祭り=祭り事が政治だったというのはこのドラマで始めて意識しました
清盛がやろうとしていた現実的な政治との対立は面白かったけど、貴族たちはなんでこんなことに気づかないねの?って思ったりもしたw
あとよく今残ってる日本的な、伝統的な文化の多くは室町時代に完成したと言われるけど
それ以前の平安の世の世界観を本当よく表してたドラマでもありましたね
年中行事の場面は皆美しい映像で見とれてしまいます 経盛の扱いが怪しからんって言ってた人か。
もしかして「祇園女御腹の次男」だった新平家の経盛がスタンダードになっていないか?
許容範囲を超える根本的改竄と言わざるを得ないあちらと違い、大河清盛は兄弟間に正確な位置取りを与え、
かつ適切なキャラづけがなされていた。
もう一度確認しよう。
急死しなければ棟梁になっていたかもしれない、したがって歴史の主役平清盛の登場を阻んだかもしれない家盛。
そして、平家内離反分子として最後まで一門内で微妙かつ独自のスタンスを貫いた頼盛
〜最終回では、平家が常に「一蓮托生」であることをパラドキシカルに確証した。離反分子頼盛の言明により
清盛が掲げたスローガンはついに結実したのである。
歴史的な視点から清盛の兄弟間に軽重をつける場合に、清盛を脅かし、「もう一つの平氏の歴史」を生み出す
可能性を秘めていた正妻腹の2人に、大河清盛は初めてスポットを当てた。
忠度の登場のさせ方、源平合戦以前の段階における活躍のさせ方も、良く練られたものだ。
何しろ「歌合戦」という摂関家との大バトルにおいて、平家方エースに指名されたのだから。
ここでムロ忠度が摂関家エース兼実に一歩も引かず渡りあったことで、「王朝文化のリーダー=統治のリーダー」
平家を世に知らしめることができたのである。一ノ谷で奮戦する以上に価値のある「歌合戦で大活躍する忠度」
が見られた。
そして忠盛が「外で作ったby家貞」経盛と教盛は、文武両道ならぬ文武分業、「2人合わせて一人前」キャラ。
これも思いつきではなく、一門内での両者の特性及び壇ノ浦で2人一緒に入水した史実から発想されたものだ。
再度、清盛兄弟間の重要度に順位をつけると、家盛=頼盛>>忠度>経盛=教盛となる。
この序列は、文学面からではなく歴史的に見た場合の重要性を反映したものであり、この取り扱いもまた、
大河平清盛が何よりもまず「歴史劇」であったことの証左となっている。
西行については、係累を断ちながらも現世を捨てられず時に積極的にコミットする、仏道に帰依しながら
ある種のいかがわしさを発する矛盾を抱えた境界人ぶりが魅力でもあり、終わってみれば、絶妙な按配で
出し入れ具合(登場場面、そこでの役割、最終盤にキーマン化)がコントロールされた重要人物であった
(清盛との関係では友人、助言者、諫言者〜すなわち精神的サポーター。そして時代の証言者、総攬者
〜頼朝との引き継ぎをセッティング。さらに宗教者。そして偉大な歌人)。
ウザい邪魔早く消えろ、あるいは逆方向からの「準主役なのに消えてた。ぞんざいな扱いだった」といった批判は、
的を射たものとは言えない。
今日上野でやってる仁和寺展に行ってきた
清盛の時代の宝物も多く
当時の千手観音や大日如来など荘厳で美しい作品が多く見られ感動した
得長寿院や蓮華王院に代表されるようなこの時代の可憐な作品は鎌倉時代の豪胆な作品とは対照的だね
鳥羽院や後白河帝がのめり込むかもうなずける
あと高倉帝の安徳帝祈願に対する感謝の手紙なんかも見られるよ
当時18歳の若き帝と美しい書体にまた感動
>>70
卑弥呼は神をまつりそのお告げで政治やってたみたいですし、後世から奇妙に見えることはよくあるのでしょう。
我々も後世から笑われるかもしれません。というかすでに若い世代から笑われてます。
この前、私が小学生のころのドラクエ1ではセーブができず20字くらいの復活の呪文を…
などと言ったらなかなか理解してくれず、理解したら「そんな面倒なことよくやりますね」
と大笑いされました。
ただ非現実的な貴族が現実的な武士に取って代わられる、というのは近代以降に形成された見方であると
他ならぬ考証の高橋昌明氏の著書で読みました。
コーンスターチがやたら強調されましたが、美しいシーンが多かったですね。私は清盛五十の回が好きです。
録画消してしまいましたが… 仁和寺展に行かれましたか。関西在住で来月に行く予定です。楽しみでたまりません。
高倉天皇はノーマークでした。楽しみが増えました。
あの時代は豪華な物も多いですね。東寺の十二天が焼けたので新調したところ
鳥羽院から荒っぽいと怒られて描き直した物ですが彩色も截金もど派手です。
本郷先生の新刊新書を読んでるんだけど、武士発生論に関しては、おそらく現在の通説である
高橋先生他の軍事貴族論には与せず、伝統的な階級論ちっくな「俺の土地は俺の力で守るぜ」に立っているようだ
(念のため、先生はマルクス主義者どころか穏健保守スタンスの人。ただ、「一つの日本、一つの国民論」には手厳しい。
蛇足ながら社会科学、人文科学とも殆どのディシプリンでリベラル左派が最メジャーだろう。その意味で少数派。
東大でも少数派。逆に西の先生は皆多数派で、1先生や「冷凍宅急便で運びましたとテロップ入れろー」の
大先生は中でもラディカル。しかし方法論では唯物論に立たない)。
清盛は賢明にもこの難儀には深入りせず(巧妙に避けたというべきか)、現象面で明らかな「貴族と武士との身分的差異」
=「王家の犬」と、そこからの脱却を主題化していた。ドラマ上、平氏の本籍地はあくまでも《武士》にあった
(その意味で二項対立的であり、高橋先生のドラマへの理解と妥協を看取することができる)。
それゆえ、王家がーとアホウヨどもが大騒ぎし、あまつさえ片山ナンチャラが恥知らずなことに
国会の俎上に上げた時、ご自身は使わないにもかかわらず、批判の矢面に立ち弁明に努めてくれた
先生の姿勢はこの上なく尊い。
清盛ファンならちゃんとリスペクトしたいものだ。
最近久々に視聴したけど、やっぱ清盛おもろいね
二週目以降には脇役たちにも目が行って、その人物を知ることでになって益々楽しめるという
>>71
経盛と教盛は物語等で有名な息子(敦盛、教経)のイメージをスライドさせた感じだったね
教盛が平治の乱で「源氏め〜〜!殿の留守を狙うとは!!」とかめっちゃ憤ってたのは笑った ああなるほど
敦盛、教経のイメージを親にスライド
あるある
昨今の大河は合戦がショボくてー。八重だけは良かったー。
お馴染みの定型文に接したので、平清盛を忘れてませんかとレスした(加筆)。
平清盛の保元の乱と平治の乱は、1対1を基調とする「平安の戦い」(周りは見守る)を適切に描いていた。
にもかかわらず、当時2ちゃんでは、盛りに盛った軍記物を持ち出したり、酷いのになると、戦国大河や近代戦を基準に
「ショボい」と大騒ぎする連中が大量発生したのである(おたくらのことだ)。
もっとも、乱勃発までの経緯と戦後処理を重視した清盛では、本戦描写についても、ただドンパチ、チャンバラやることよりも、
「戦場における」人間ドラマに力が注がれていた。
保元の乱では、軍記物の誇張を強弓無双ガンダム為朝一人に担わせるなど、エンタメ要素にも配慮していた。
勝敗について、最大武門である清盛平氏が後白河方について参戦したことにより、その時点でほぼ戦いの帰趨は決着した。
しかし本作は、そのような身も蓋もない客観的要因では満足せず、当代きっての切れ者学者ー信西と頼長ー両指揮官による「頭脳戦」
(孫子同一命題の真逆解釈)が勝敗の行方を大きく左右したものと再解釈することで、保元の戦を勝ち抜かんとする両陣営の
意志と頭脳のドラマに置き換えた。
清盛vs忠正、義朝vs為義2組のタイマン対決も、刀と刀のぶつかり合い以上に情念と情念とが火花を散らす人間ドラマであった。
他方、平治の乱では、「大将が前線に出て一兵卒のように大暴れする」大河・時代劇お約束の見せ場を断固排して、
終始六波羅の後衛(大本営)で戦況を操り、一つ一つ双六の駒を進めて逆転勝利に繋げた指揮官清盛が描かれた。
平治の乱のマクロな要因、乱勃発後の刻々と変わる戦況を的確に描出した果てに、賀茂川河川敷されど2人以外誰もいない、
あたかも仮想現実のような異空間で挙行された「早すぎる源平合戦第1ラウンド」こそ、かの清盛vs義朝の一騎討ちである。
再鑑賞49話まできた
やっぱり清盛は面白いな南都焼討の重衡はなんか義経みたいな危うさを感じた 仏法を盾に立てこもる謀反人を処罰するため
伽藍は焼けたけど仕方ない
みたいなところがなんか義経ぽい
当時の戦さの作法なんて関係ない義経の才能と同等くらいあったのかもと思わせた
義経の奇襲や船の参道を射る戦術は当時としては完全なルール違反だよね
重衡が平家の武を支えられたならもっとちがう展開もありえたのかな?
あと今更だけどこの作品後半に出演している俳優陣がものすごく豪華だよね
放送当時は中井貴一さんが退場されたあとベテランの大物が居なくなって危ぶまれてたけど
窪田さん、中川さん、二階堂さん、千葉さんなど
今をときめく人気俳優女優陣が大勢出演されていて、
このドラマをきっかけにチャンスを掴んだ有望な若手が数多く出演しているのがわかる
キャスティングの人選も確かな大河だったんだよな
特に二階堂さんの徳子よいな
単に素敵な女性というだけでなく
深キョンに雰囲気が近いんだよな
同じく高倉帝役の千葉雄大さんも後白河院役の松田翔太さんに近い雰囲気がある
そういう繋がりをにおわせるようなキャスティングが良いと思った
ヲタもアンチも最終回に気合が入ってしまい目立たないけれど、ぜひ49話を熟読というか熟視聴してもらいたいね。
「清盛物語」は清盛が死んでも終わらない。しかし、肉体的意味での清盛の人生は、実質この回で終了した。
49話は、後白河との40年に及ぶあれやこれやを最後となった双六遊びで振り返りながら、清盛が歩んできた人生を、
達成面と未達成面双方から検証し、平清盛という男は何だったのか?何をやったのか、そしてやり残したのか?
これらを視聴者に問いかける総括回である(起承転結の結。これがない大河のなんと多いことか…)。
ところが49話は、過去を回顧しつつ源平最終合戦を準備したという意味で、来るべき歴史を展望する前向きのストーリー
であったのにもかかわらず、「やることがなくなり惰性で回想を垂れ流した」などと、とんでもない言いがかりに晒された回であった。
すべてのシーンが意味をもち、名場面てんこ盛りの回にあって、トリビアなキーワードを上げると、頼朝から放たれたエア矢、
復活したケツモブ、福原新都構想の挫折と鎌倉都市建設との連結描写など。是非ご照覧あれ。
昨晩五度目の完走を果たした
やはり清盛は良い
初めて見たときは最終話をどのように仕上がるのか?
いろいろ疑問に思ったものだが
まさか生き霊が西行の前に現れるとは思わなかった
また平家一門に対して、頼朝に対して遺言を残す役回りになるとは
49話で再び繋がった平家と源氏の目指す武士の世
それに対する清盛の後をたくす想いが描かれ棚は良かったと思う
また頼盛に託した平氏への思いも
またそれぞれのエピソード、伏線が劇中に全て回収されたのは脚本の見事さによるのだろうが
特に宗盛の扱いは素晴らしかった
これまで平家を滅亡に追いやったできの悪いボンボンとしてしか描かれなかったからを
幼少の頃から頼朝と代表して描き
木下エピソードで竹馬を発見あたりはドキッとした
この大河は本当秀作だと思う
もっと多くの人に見てもらいたい 食わず嫌いの人多いと思うから
いろいろ誤字 失礼
できの悪いボンボンとしてしか描かれなかった彼を
幼少の頃から頼朝と対比して描き
謀りおったな得子ぉ〜ー、。・;
儚げでお労しい崇徳様とは別人のようだと話題の井浦氏演ずる中堂さん。
しかし、皇太弟事件での憎々しげな怒気に接すると、中堂には崇徳の素因が宿ってんじゃないの?
と思えてくる。
それにマツコと13年!で見せた統治への情熱と気迫。
お遊びレスだけど、大河清盛が描いた崇徳像の核心と多少は関係ありそうだ。
しかしこれだけの名作を製作したにもかかわらずスタッフは報われないな
同じスタッフで
ぜひ源頼朝や足利義満が見たいのだが、
視聴率や世間の偏見で実現することはなさそうだ...
もったいない限りだ
最低視聴率は厳然たる事実。
しかし、脚本家、P、演出家たちがいよいよNHK内部での声価を高めていることは、
その後の活躍ぶりから明らかだ。
大失敗の烙印を押された大河の総責任者が、記念すべき朝ドラ50作目を任されるはずがないだろう。
ただ、「分かりやすくみんなで楽しめる大河」が求められるこの時代、
脚本・演出・美術・映像・音楽・大道具小道具等、万事凝りまくる作風を変えない限り、
同一スタッフの大河再登板は難しいのではないのかね。清盛どんあんまり気張るな!ってことね。。。
「分かりやすくみんなで楽しめる大河」が求められるこの時代、
正直言ってそういう大河はもう見たくないんだよなあ
国営放送だからこそ作れるアドバンテージを生かしてもっと深く、こだわった作品が見たいよ
なんで歴史に興味のない人向けへ舵を取るのか
腑に落ちんわ
興味ない人向けというか
制作の表現に縛りが多いな
皇室を絡めるのはngとかさ
そういう暗黙の制限を取っ払ったのが清盛
新平家とかちらっとしか見てないが、白河院も後白河院もそんなに悪くか描かれないからね
義経でも後白河院は悪役だけど朝廷全般にはあまり悪くは描いてないし
源氏の敵は平家という構造のみで描いてる
清盛だと弁慶がISSの勧誘しに義経に近づいたように見えたものw
あのまま誘っとしてあげればよかったのに....
ラブコメと言ったら、御曹司2人による「ろくでもない求婚byナレ朝」話。
本当にろくでもなくて笑わせてくれたが、荘重なたまこの死と大騒動となった祇園社事件の間に挟んで
ストーリーに緩急をつけた点でも、巧みなラブコメ挿入であった。
たまこの死は1145年、宗盛誕生と頼朝誕生はいずれも祇園社事件が発生した1147年であることから、
時系列的にもズバり適合するエピである。
内容的には、
・義朝=由良はズバリ義朝の打算(上西門院と近い熱田神宮の姫を正室に迎え、上昇のきっかけをつかむ〜俺の子を産め!)。
・清盛=時子は、最愛と言われる明子との対比(これが後に時子&宗盛と重盛との軋轢・葛藤を生む)。
他方、相思相愛のラブで結ばれたカップルは、
・清盛=明子と後白河=滋子の二組そして源氏義朝=常盤のみ(重盛=経子も重盛は好いていたが、本質は政略結婚。
また新平家では長々と主題化した清盛=常盤は、寡婦となった常盤と子供たちの生存配慮という義務的行為に特化→妾)。
平氏の2組についてのみ、大河清盛は恋愛にも力を入れていたが、それは恋愛描写すら歴史劇の観点から軽重を判断する姿勢の表れだろう。
いわゆる脱線恋バナとは清盛はきっぱり縁を切っていた。
さらに特殊な「恋愛」として、
・王家の高貴な方たちの色恋沙汰(白河、鳥羽、たまこ、なりこ)がある。これらは、現代の価値観からは理解不能な別世界のものであり、
ドラマも異常性を強調した(昼ドラ)。
こうして振り返ると、清盛=時子、義朝=由良の結婚を、恋バナというよりラブコメとした脚本家の選択眼に、ここでも驚かされてしまう。
最初からまともに切れそうにないナマクラ宋剣、しかも重くて振れない。
お休みの日だし遊んでいい?オモチャの宋剣がー?
宋剣の切れ味と重さもちゃんと意味をもったのだよ。
最初からまともに切れそうもない?そんなことどこからわかるんだ?実戦でなかなか使わなかったのに。
パパ盛が地面に鋭く突き刺したことからして(死にたくなければ強くなれ!)、キレキレだったんじゃないのかね。
保元の乱では忠正と平治の乱では義朝と切り結び、忠正の首を刎ねたことからしてちゃんとキレたのだろうw
で、いっちばん大事なのは、晩年この切れ味鋭かった宋剣が錆びてしまったこと。言うまでもなく「もはや武士ではない(by忠清)」
清盛の堕落した姿を表象するものだ。
しかし、最後まで錆びていたのではなく、49話では宋剣の錆びを落とす清盛が見られる。
つまり、南都焼討ちで四面楚歌状態に陥った清盛は、大いに落胆し(ようやった重衡、ようやった・・・)黄昏れもしたが(北風ヒューヒュー)、
決して諦めたのではない。頼朝に対する静かな闘志を最後まで持ち続けたのが、この大河で描かれた最晩年の清盛である
(頼朝からのエア矢を受けるかのように、ついに自ら出馬する決意を固めた→後白河との最後の双六〜今や貴族の世は終わり、武士が
覇権を争う時代であると告知)。
錆びた宋剣を研ぐ清盛の姿は、ケツモブ再登場と相まって、こうした最晩年の心境と決意を端的に伝えるものであり、見逃せない。
重くて振れない。その通りだ。宋剣が重すぎてビクともせず泣きべそをかくヘタレ清三郎に「俺は十までには片手で持ち上げられたぞ!」
(振り回して鍛錬するシーンが何度かあった)「ボクまだ五歳だもん」「屁理屈を言うでない!しかと鍛えよ。それがお前の体の軸となるのじゃ」
と清盛は叱咤。
さらに美福門院の謀略に乗るか否か逡巡してしまった忠盛に代わって、腰の宋剣をはずして手にとり力強くこう言明した(さらば父上回)。
「俺は八つの時にこの剣を授かった。大きくて、重くてはじめは持ち上げることすらできなかったこの宋剣を。俺は鍛錬して自在に操れる
ようになった。思えば俺はいつもこいつと共にいた。こいつと共に夢中で生きて来たんだ。俺がこの剣を振り回してきたのは、うまく言えぬが、
院と摂関家の小競り合いに巻き込まれるためではない。こいつはそんなことのために生まれてきたのではない」(→忠盛は改めて
武士の世を目指すために太刀を振るってきた己の原点を確認→棟梁交代)。
このように、清盛は鍛錬により重い宋剣を自在に操れる体の軸を、その宋剣を研ぎ澄ます状態に保つことで心の軸を作ってきた。
そして宋剣と共に武士の世を目指してきた。髭切の所在と在り方を見れば源氏の現況を把握できるのと同じく、宋剣の状態を見れば
清盛のあり様と内面がわかる・・・そういうシンボリックな必携アイテムが宋剣である。
実際にあれはドラマ用のプラスティック製だから振れるのであって、鉄剣なら無理。
ガッツのドラゴンころしのようなもん。
身体の軸も何も、持ち上げられたとして、振れば腕ごと身体が持っていかれて、箱鎧ごと馬から落ちる。
馬もダメになる。
>>99
何か見たことがある…と思ったらこれ牙狼じゃないのか なんだそれ?中国の時代劇かと思ってググったら、
>ハイパーミッドナイトアクションホラードラマ
面白そw
剣だけでなく指輪も重要アイテムときたら、何といってもニーベルングの指輪。
見たことないが有名なファンタジーもあったような(ロードオブザリング)。
まあ、剣や指輪をシンボルとするドラマや映画は、古今東西いっぱいあるでしょ。
ただし、髭切も宋剣も世界を統べる魔法の力はありません。
髭切はもとより、宋剣も大河をファンタジー化するために考案されたアイテムではないのです。
長文さんロードオブザリング見たことないのか
あれは名作だし、絶対押さえておくべき映画だよ 原作はさらに良い
もちろんsee(スペシャルエクスティックエディション)版の方ね
実際の戦闘になったら、たぶん宋剣の方が役にはたつだろうね
馬に乗って振るうのは無理でも降りて剣を交える時に日本刀だと大鎧に阻まれて急所つかないとダメージ与えられないけど、宋剣は重さで叩き切る武器だから、ダメージを与えられると思う
お互いの剣を交えた時日本刀だと折られる可能性も高いし
>>104
折れてしまうから日本刀は脇に何本もさしておくとか、弁慶みたいに背中にたくさん背負う
とかしてたんですがね。重い武具は運ぶのも大変で、戦闘開始前に疲労困憊してしまう。
しかしそうは書いたが、正直いってなぜ宋剣のような頑丈な刀がすたれ、日本刀みたいな
細くてしなる殺傷力を重力に依存しない刀が日本で好まれたのかは謎です。 戦の主力は槍や弓だから乱戦になったときに刀を使う
だからあまり重くないのを好まれたんじゃないか
弓は矢が尽きれば当然使えないし、接近戦でも武器は必要でしょう
槍はまだこの時代にはないし、なぎなたを装備してたのは身分の低い人たちみたいだし、騎馬隊の主要な接近戦の武器は日本刀だったんだよな
それ以降の時代のものよりしなりがあり馬上から斬りつけるのに適した刀だったらしいがそれでも相手も大鎧をつけてるわけでドラマみたいにバッサリ切ることなんて不可能だったろうね
なのでなんでもっと丈夫な刀や剣が廃れたのかはほんと謎....
大炊御門経宗、表面上はコミカルに描かれてるけど、保元・平治の乱〜平家没落までほぼ失脚することなく
なおかつ平家にも摂関家にもベッタリにならず、朝廷の中をうまく泳ぎまわってて強かだよなあ
うむ。なので、まさにそのような人物に描いた方が良かったかもと意見した。
実は強かでしぶとかった上級貴族経宗を、一定戯画化されたヘタレ人物としたのは何故か?
(脚本というより演出)。以下、2点ほど邪推する。
・「武者の世」(by慈円)の扉を開けた保元の乱以降、政治力の点で平氏と摂関家他の上級貴族
との力関係が逆転してしまったことを、経宗のキャラに投影することで代表させた。
(初回で正盛・忠盛を愚弄した忠実や殿上闇討ち回での威張り散らした忠通を想起されたい。
その忠通は保元の乱後清盛にお酌し、平治の乱後はとうとう頭を下げにやってきた)。
・平治の乱の加担者でありながら素知らぬ顔でやり過ごし、二条親政派として台頭しようとする
経宗に後白河は激怒、清盛に泣きついた。その清盛から逮捕・拷問された(左遷)歴史を経宗はもつ。
・しかし、清盛の恐ろしさに際会した乱後のこの史実は省略された。
・代わりにこの史実は、傍若無人な「蛮族源氏」に不安を覚えてさっさと離反、清盛に助けを求め、
了承した清盛から大喝されて震え上がる情け無い姿に投影された
(共通の敵信西排除に成功した途端、信頼との同床異夢は解消。配下の源氏も邪魔となった)。
つまり、弱体化した上級貴族を代表させることが第一目的。清盛にまるで敵わずアタフタする姿は、
省略された桟敷事件によって裏打ち可能であり、これらをドラマ上に投影したのが二条帝六波羅行幸。
そして、このようにして固まったキャラをその後継続させたー以上が拙者の見立てでごわす。
・
ゴッシーが一橋慶喜、北条時政が勝海舟、藤原長実(得子父)が近衛忠煕
翔太慶喜は非常に興味をそそられる。ゴッシーのイメージからの起用だろう。
あれほど変人ではないけどw
どっちかというと
泥臭く汗水流して下町ロケットを完成させたのに
顧客からモノがダメ義とキャンセルされてしまった中小企業の社長さん
ジャマイカ
為義:これがお前の選んだ道。源氏の栄華へと続く道じゃ(叔父を斬る回)
頼朝:これが私の選んだ道。武士の栄華へと続く道じゃ(最終回)
為義:これがわしの選んだ道。宇宙の栄華へと続く道じゃ(51話)
かくして源氏再興を願うダメさんの夢は髭切を乗せた下町ロケットと共に
天の川へ向けて飛んで行ったのである・・・完
ということで訂正
×下町ロケット ○下町ボブスレー m(_ _)m
>>111
松田翔太はゴッシーのイメージが強すぎてw 源平熱が再燃して義経観始めてるけど、大天狗オーラ満載のイメージだった平幹後白河が、
清盛存命中は案外大人しくて(時々思わせ振りな表情は見せるけど)ちょっと拍子抜けしたわw
こっちの清盛だと即位間もない保元の乱の時点で、
平氏の価値を高めようと敢えて決断を引っ張る清盛を挑発するわ、
戦の前に武士たちに大演説かまして士気昂揚させるわハッスルしまくってたからなあ
青少年期から描くことで、
「歪んだ家庭に育ち、冷めた人間観察眼と強い承認欲求を持ち合わせた"赤子"」というのを
前面に押し出したからか
従来の後白河帝のイメージはむしろ義経の平幹二朗じゃね?
松田ゴッシーは新鮮だったよ
あと義経の後白河は薬草の調合が趣味とか若干家康をイメージしてたのかな?とも思えたなw
天狗というか狸親父的なw
「武蔵坊弁慶」のように、後白河法皇自体は出てこないで、異腹妹の八条女院に人物を語らせるってのもあったな。
「我が兄ながら…」と酷い言い方をされていたような記憶がある。
崇徳院が出てるアンナチュラル。長文も見れ。あれは凄いドラマだぞ。
主演は静御前だ。
>>111 >>116
どんのガイドムックを読んでの慶喜のイメージは、野心が全くないちょっと
良い人になったゴッシ。昇太
にはぴったりの役かと。 全部撮ってあるぞ!まだ5分ぐらいしか見てないけどw
それはそうと清盛時子の視聴率がゼッコーチョーみたいではないか!
崇徳アラタ氏に続きオリンピックに呪われたのか?怨霊となるんだ深キョン!
ということで
退屈な西郷どんスレのいつもの連中を発火させるべくお邪魔虫した↓
後白河は「なりたくない」のではなくて、初めからその目がなかったんだよ。
後継者争いからも父鳥羽の愛情からも疎外された孤独な要らぬ皇子雅仁は、今様に狂い日夜遊び呆けた。
帝王学とは無縁ゆえ、後に信西から「和漢に比類なきボンクラ」と評されたほどだ(ドラマで信西は、
清盛が輸入した品物のうち、君主必携の唐宋二書のみを「あいつには関係ない」と取り除き残りを献上w)。
ただし「私には関係ないことだ。玉座なんぞついたら遊べなくなる」と無関心を装いながらも、
朝廷内の虚々実々の権力闘争や爛れた人間模様を鋭く観察していた。
そんなゴッシーであったが、芸能の聖地青墓で「遊びをせんとや」を歌う祇園女御聖子から命を
吹き込まれたことで俄かに生への意欲を高め、見事帝位をゲットした(「生まれたこと自体既に博打じゃ」)
〜実際は棚ぼただが、再生したゴッシーの意志・意欲が帝位を手繰り寄せたとするドラマチックなアレンジ。
そこで、清盛が描いた後白河と西郷どん公式紹介文などから両者の異同を眺めて観ると、
・無関心を装うなどして内心を容易に見せない
・一流の趣味人、遊び人、ヲタ
・神出鬼没的な行動で周囲を惑わす
・機会主義的な行動〜ex部下を見捨ててトンズラする酷薄さ
などは両者かなり近い。しかし、ゴッシーが英邁な若様と言われたことはたぶん絶対ないし、
いくら変人どうしといっても、早くから期待の星だった慶喜とはハメの外し方の桁が違う。
とはいえ、アスペ説すら出ているゴッシーの人の心を読み弄ぶ能力は尋常でなく、心理洞察家にして
キレ者という点でも両者は共通する。状況を読み行動に移す力はどうか?議論が分かれそうだ。
極端にエキセントリックな後白河を見事に演じた松田翔太が、相当エキセントリックな慶喜を演ずる。
これは楽しみでならない。
長文さんへ
私が「運営」であること及び「くっさい自演バトル興行」とやらをやっていることの論証をお願いします。
「【*】西郷どんの視聴率を語るスレpart5」より
742 テンプレ厨 ◆I.hHf3nPw6 sage 2018/02/16(金) 13:37:12.16 ID:tHt2eijm
>>741
ところで長文さんはK.ポパーの哲学について野家先生や野矢先生に教えを受けてきたのですか?
そうでないなら視聴率スレを荒らすことはお控えいただきたいと存じます。
743 日曜8時の名無しさん 2018/02/16(金) 13:46:48.24 ID:5vVj96mI
誰だその大先生たち?ポッペアなら好きだよ。
運営であるお前は嵐芝居をやりながらくっさい自演バトル興行をやってればよい。
一般参加者の反論を取り締まる役ではない。
俺は書かれたこととは無関係に清盛の話を始めたりはしないから。
ジャーニーw 論証?第六感だ。
西郷本スレの茶番レス稼ぎをいつまで続けるのだ?
視聴率を弄ぶ連中が蝟集するスレで、伏線だけの下らん大河と貶下したレスに、
伏線だけではないと返したレスが嵐なのならば、なぜ本スレで興行中の
自演バトルをコントロールしないのだ。
今小野塚知ニ先生の素晴らしい経済史新著に取り組み中だから、つまらん質問しないで。
御怒りなら撤回する。2ちゃんで論証求められても困るゆえ。
>>123
アンナチュラルを評価する人がここにも一人いた。あれはこの国にひそむ闇をえぐる、いいドラマだ。
>>124
感性の人・後白河院を快演した松田翔太が、同じ変人でも、神君家康以来の英才とうたわれた
知性の人・慶喜をどう演じわけるか、松田君の演技にはすごく期待している。彼の活躍しだいで
大河清盛の再評価もより一層高まるでしょうから。
それと、深キョンまで怨霊扱いしないでください。もしなったら、きっと、救いが無くなりますよ。 >>126
西郷視聴率スレの話なのに、なぜ西郷本スレの話が出てくるのか意味不明。
「茶番のレス稼ぎ」と談じる根拠不明。
「視聴率を弄ぶ」という表現は何を意味するのか、「花燃ゆ」の視スレで既に突っ込みが入っていたのに遁走したまま無回答。
挙げ句の果てには「第六感」とやらのみで他人を批判しても許されると思っている。
そのような人間を相手にした私が愚かでした。申し訳ありません。
ただ、願わくは、これ以上視聴率スレに書き込まないようにしていただければ有り難く存じます。 >英雄として広く民衆の間に受け入れられる条件については、 昔から諸説がある。
>その内に、 美男であること、 若くして死去することといった条件とともに、悲劇的な最期を迎えるとの条件が含まれる。
>西郷の場合は、 すくなくとも、 この最後の条件が ピタリと 当てはまっ たからこそ、 彼をして未曾有の人気者の座に
> 就かせることとなったのは 間違い ない。
〜家近良樹.「西郷隆盛 維新150年目の真実 」(NHK出版新書) より。
平清盛は、上記3要件が見事なほどぜーんぶ当て嵌まらない。
最後の点も、清盛は英雄デフォの悲劇的な死からは見放され、いかにも中途半端な病死で終わってしまった
(その無念の死は、宗教者西行の餞の言葉によって感動的に慰撫された)。ここから直ちに判明することは、
松ケン清盛に対して、福山龍馬のような「カッコよさ」を求めて、そうではなかったと貶すのはお門違いということ。
そして、頑迷な老害ぶりをまき散らした清盛を(最後若かりし頃の「初心」に立ち戻ったことを忘れるべきではない)、
年齢不相当なばかりに力演した松ケンを、どうして「未熟で若すぎる主人公」などと非難することができるのだろうか?
同じ層化がーやらアイドル役者やら、伝統芸役者とか、アクションスターとか、いろいろなタイプがいる中で、
カメレオン松ケンが「歴代でもどうしようもなく下手でミスキャストな主人公」と言われる筋合いがまったく理解できない。
貶すお前ら、マジでちゃんと論じてほしい。
というか松ケンの晩年清盛の演技素晴らしかったと思うが
二十代であの老害を演じ切るのって相当難しいぞ
松ケンに白羽の矢が立った理由がわかったわ
上川隆也の無駄づかいなんて思ったこともあったけど
老いた清盛の暴走を止められるのは彼しかいなかった
>>130
松ケンが下手というより清盛は難役なんだ。しかしNHKはよくあの人を抜擢する気が起きたね。 あの清盛の一生を完璧に演じきれる役者を見いだすことは、そう簡単ではないでしょ。過去に遡ったとしても。
ところで、青年西郷について、一本調子で暑苦しいだけの単純熱血バカと批判する人をよく見かける。
そう決めつけるのは言い過ぎとしても、二十代半ばになってもそういう部分が確かに濃厚な西郷どんだ。
しかし、だからと言って「西郷を《清盛みたい》にして失敗」という言い草は的外れだろう(奇を衒ったデタラメ清盛)。
考証高橋先生が捉える清盛像を再度確認すると、合理的(迷信嫌い)、激情(感情過多)、下々にも優しい、
先見性、常識に縛られない、新し物好き、果断な決断力・行動力、包容力など。
これらは総じて【1陽性の清盛】である〜後白河同様、挙げられた特性すべてが各種エピによって多様な形で
描出されたことに感嘆する。
一方、落胤説からは、アイデンティティの危機に陥りウジウジ悩む【2陰性の清盛】が引き出された。
このように青少年時代の清盛一つを切り出しても、陽性陰性キャラが絡み合う、一筋縄ではいかない、
一本調子どころか感情表現の幅が非常に大きな人間だった(頼盛は「ギャーギャー騒いでは落ち込む。そんな兄上が苦手です」
とズバリ苦言)。そこに、暴れん坊【3無頼の高平太】エピが加わる。
暑苦しい清盛の代表的なシーンである「俺は誰なんだー」にしても、正義感から猪突猛進した場面ではなく、自我危機の表現であり、
その正義感方面について、忠盛からビシッと「激情」に駆られた行動の底の浅さを諭されてからは、何度も直訴するような
無思慮な直接行動に出ることはなかった(待賢門院への直訴は義清を救うため)。
他方、自我危機方面は、海賊船で兎丸に吐き出したことにより早々に克服してしまい(逆に崇徳に対しいつまでもウジウジしなさんな
とアドバイスしたほど)、以後の清盛は「武士のアイデンティティ」の模索へと向かった。
何れにせよ、多感で激情の持ち主であったヤンチャな青年清盛を「品行方正で大人しい好青年」に描くことが「正統」とは言えない。
画面で現れた時に荒々しい清盛は(あたかも四六時中騒いでいたかのようなミスリーディングに欠かなかったが、
落ち込んで幼いなりに内省する清盛を見落としている)、上記1、2、3という確固たる根拠を有し、かつそこから導出されたキャラであり
エピなのである(激情や暴力性に関しては、これらに【4もののけ白河の血の再帰】がさらに加わり、重大な意味と作用をもたらした
〜最大のものは「ここはわしの世じゃー」。血の支配であり意識、理性では統御不能)。
そして、三歩進んで二歩下がる、ちょっと進んだらまた止まる方式で着実に成長していった清盛は、二十代半ばの時点で
既に広い世界(博多、階層)へ果敢に飛び込んで経験を積みつつあり、だがしかし、頼長には敵わない自分を見つめ直す
メタ視線を獲得していたのである。
このように若き清盛は単純熱血バカではなかった。その上、ここからの変貌ぶりがまた凄いのだから、超難役と言わざるを得ない。
「雲古したい」「もう、台無し」の一連の流れもこのような
成長する清盛を見せるために必要な必然の流れであったのである
マジレスするとアレは49話のアレに繋がるんだよ。
「もう、よろしいではござりませぬか。あの光らない君がここまで上られたのです。これ以上の高望みはなされますな」
「気楽に言いおって」
「気楽に参りましょう」
時子の朗らかさに、清盛は呆れながら微苦笑した。
少女時代の時子は王朝文学の世界に浸り、「源氏物語」の主人公・光源氏と紫の上のような出会いに憧れていた。
雀がぱっと飛び立つさまに似て、いつか時子もぱっと心がときめく日が来る。
「光る君」との出会いを心待ちにしていたある日、時子は通りを歩いていて、地面に降りてきた雀を見つけた。
そっと近づこうとしたとき、無粋な男に突き飛ばされた。(もう!雀が飛んでいってしもうたではないですか、だいなしぃーーー!)
光源氏と出会い損ねたあの日、時子は10歳、清盛は18歳。これが初対面だった二人は、紫の上と光源氏が初めて会ったときと
同じ歳だった。
どうです。一見下らないうんこエピですら、これを読めば実に意味のある考え抜かれた設定だったとわかるでしょう。
さすがに無理がありすぎるのでシカトしましたが、清盛は自身を光源氏に準えていた(高橋)というのですからwなおさらです。
清盛青年の成長とはチト力点が違うと思って
反論じゃないでごわす
だからいちいちあらすじを書かなくていいんだよ
みんな知ってるんだし
見たいのにまだ見てない人だって知らない人いっぱいいるでしょ。
ノベを単純に写すのは滅多にやらない。引用はたいていそれぞれの繋がりを示すため。
見てない人ならネタバレになるし
だいいち2ちゃんでそんな長文読むわけないわ
要点だけ伝えろよ無能
無能だから仕方ない。
しかし無能ゆえ136からは要点すらすまぬが分からぬ。
_、
∧_∧ //\ 釣れた、釣れたよ、長文さん
(`・ω・)// \゙
ノ 、 つ/o \
_ヽ_)_)_ ゛\
人人人人人|人人人人人人
今更だけど、関連番組も含めてほぼブルーレイに収めたんだけど、なぜかbsフジのジャスティスとかいう番組で清盛バッシングに反論内容の物が入ってたんだけど、フジはなんでまた他局の番組応援してたんだろ?
司会が宇野と吉木りさでゲストは本郷さんと名前は知らんがちょっと痛い感じのおばちゃん2人....清盛を熱く語ってるので嫌いな番組ではないんだが、なぜか途中でガンダムの話になったり、ちょっと痛い番組だった....
・敵に塩を送りたくなるほどクリエイターたちを刺激した
・謂れのないバッシングとネガキャンに同業者として義憤を覚えた
・BSだけでなく地上波でも大河とフジはさほど競合しない?
適当に想像してみた。
清盛の造型に関しては、「奇を衒った」「単なる馬鹿」「清盛に関心がないので他キャラに逃げた」
「肝心の主人公が適当で魅力なし」など、酷い言われようだった。
しかし、当然ながらもっとも綿密な人物造型が付与されたのは、主人公清盛である。
清盛復権のための最も重要なポイントであると考えるゆえ、しつこくて済まぬが、加筆の上再掲する。
考証高橋先生が捉える清盛像を再度確認すると、合理的(迷信嫌い)、激情(感情過多)、下々にも優しい、
先見性、常識に縛られない、新し物好き、果断な決断力・行動力、包容力など。
これらは総じて【1陽性の清盛】である〜後白河同様、挙げられた特性すべてが各種エピによって多様な形で描出されたことに感嘆する。
一方、落胤説からは、アイデンティティの危機に陥りウジウジ悩む【2陰性の清盛】が引き出された。※
このように青少年時代の清盛一つを切り出しても、陽性陰性キャラが絡み合う、一筋縄ではいかない、
一本調子どころか感情表現の幅が非常に大きな人間だった(頼盛は「ギャーギャー騒いでは落ち込む。そんな兄上が苦手です」とズバリ苦言)。
そこに、暴れん坊【3無頼の高平太】エピが加わる。
暑苦しい清盛の代表的なシーンである「俺は誰なんだー」にしても、正義感から猪突猛進した場面ではなく、自我危機の表現だ。
その正義感方面については、忠盛からビシッと「激情」に駆られた行動の底の浅さを諭されて以降、何度も直訴するような
無思慮な直接行動に出ることはなかった(待賢門院への直訴は義清を救うため)。
他方、自我危機方面は、海賊船で兎丸に吐き出したことにより早々に克服してしまい(逆に崇徳に対しいつまでもウジウジしなさんな
とアドバイスしたほど)、以後の清盛は「武士のアイデンティティ」の模索へと向かった。※※
何れにせよ、多感で激情の持ち主であったヤンチャな青年清盛を「品行方正で大人しい好青年」に描くことが「正統」とは言えない。
画面に現れた時に荒々しい清盛は(あたかも四六時中騒いでいたかのようなミスリーディングに欠かなかったが、
落ち込んで幼いなりに内省する清盛を見落としている)、上記1、2、3という確固たる根拠を有し、かつそこから導出されたキャラそして
エピなのである(激情や暴力性、絶倫エロパワーに関しては、これらに【4もののけ白河の血の再帰】がさらに加わり、
清盛の後半生に重大な意味と作用をもたらした〜最大のものは「ここはわしの世じゃー」。意思、理性によって統御できない血の支配)。
そして、三歩進んで二歩下がる、ちょっと進んだらまた立ち止まる方式で着実に成長していった清盛は、既に二十代半ばの時点で
自らの生育環境とは異質な広い世界(空間ー博多、人的ー身分・階層)へ果敢に飛び込んでいくことで経験を重ねつつあった。
しかしその一方で、頭でっかちの頼長に敵わない、まだまだまだ未熟な青い自分を見つめ直すメタ視線をも獲得していたのである。
このように若き清盛は単純熱血バカではなかった。その上、ここからの変貌ぶりがまた凄まじいのだから、超難役と言わざるを得ない。※※※
※青年期に誰もが通過する自我危機一般に還元されない、専制君主と最大武門の長という2人の巨大な父に挟まれた、その意味で
古今東西稀にみる歴史的個性を刻印された自我危機だ。このような出自と生育環境を背負って悩まぬノー天気は、
「自分探し」「人生の目標」といった言葉に脊髄反射し、愚弄・嘲笑を始める、お気楽人生満喫中の暇なババアたちぐらいだろう。
※※「武士とはいかなる存在か」は本作の基本命題の一つで、以後何度も反芻された。清盛は忠盛の深謀遠慮を薄っすら理解しつつも(「殿上闇討ち」)
「王家の犬」を辞めない父に疑問を抱き反抗し続けた。しかし、あんなに大きな父であり平氏の棟梁だった忠盛は、
愛息家盛に鞭打つ鬼畜頼長の暴言を受けて、あるいは公卿への道はなお遠い現実を前にして、最後の最後で迷いを生じてしまった
〜「わしは(舞子の言葉を忘れずに)夢中で生きてきた。だが何ゆえ武士が今の世に生きているのか、未だわからぬ」
このように弱気を吐いて判断力が鈍った忠盛に、太刀を振るう理由と武士の世の未来を語り、武士の存在理由を指し示したしたのが清盛。
頼もしい清盛の言葉からついに確信を得た忠盛は、躊躇うことなく清盛を棟梁に指名した(強うなったな清盛←死にたくなければ強くなれ!)。
しかし最終盤、苦境に陥った清盛も同じような弱音を吐いたのは皮肉な巡り合わせと言うしかない〜「何をしてきたかと思うてな、この何十年」
「武士の世とは何であったのかと」
さらに別の文脈において、暫定勝者清盛は敗者頼朝に「真の武士とはいかなるものか見せてやる」と突き放し(と共に叱咤激励)、
立場が逆転して最終敗者となった清盛は勝者頼朝に「真の武士とはいかなるものか見せてみよ」と武士の世造りを託した。
以上から、執拗なまでにこの問いが追求されてきたことが確認できるだろう。
※※※その後、拙い棟梁、保元の乱での過酷体験を経て成長し、知略を爆発させた平治の乱で逆転勝利を収めた晩稲の政治家清盛は、
ついに歴史の前景へと飛び出した(公卿から太政大臣へ一足飛び。そして外戚による朝廷簒奪作戦へ)。
しかし、なお完成体ではあり得ず、頂点へ向けてさらにタフさを増し、出家後は非道に手を染めるダークさを発揮(マキャベリスト化)した。
ところが、頂点に立った途端に堕落し始め、遂には闇堕ちと相成る(「そこからの眺め」は漆黒の闇〜白河化=暴君、エロ爺)。
このように劇的な転調を重ねた清盛であったが、頼朝挙兵によって目が覚めて再生を開始し、最後は武士の原点へと回帰していった。
こうして見ると、青年期を含めた清盛像をトータルで捉えるためには、目眩く変化する相の中に「変わっていった清盛と生涯変わらない清盛」
を見極める作業が必須であることを痛感する(高橋先生が挙げる生涯を通じた特性へ常に立ち戻る必要)。
主観的で読みにくい駄文書き連ねてしかも陰謀論のうえ
清盛の真価がわかるアテクシってすごい感満々
真面目に読んで反論しようという気に普通ならん
まともに対話しようとする人もたまにいるが話が通じなくて諦める
それを論破したと勘違いして天狗になる
清盛はなんでこんな孤独なじいさんに取り憑かれたんだろう
まあ泣きべそかいてないで、ババア何か書け。
落ち目のゆーじんあんでもかねこ何チャラでもすけうよもりでもおんなネトウヨでもスケートババアでも
誰でもよーいw
にっくき敵を腐すのは大変結構ながら、2ちゃんでダンマリ決め込んで勝利宣言ではお恥ずかしいでそ。
俺の駄文を読んでくれる奇特な人が必ずいるというのに、黙るのが勝利への道だと勘違いしないように。
沈黙は金なりとはいかないのだ。
といってももう寝る。すっからかんなりに何か捻りだして中身のあること書いとけやーババアに婆さんたち。
おやぬみなさいごわす
あああと主観的ってのは、お前らがよくやるアテクシのダブスタちっくで頓珍漢な難癖のことを言うのだよ。
少しは俺程度にきちんと根拠をあげて具体的客観的に語ってね。ジャーニー。
久しぶりにマージナルマンでひとつ書いてください。
西行だけじゃないでしょう。
じゃあ眠れぬ寝床で戯れせんとや
マージャンマン&ウーマンランキング
1 祇園聖子
2 福山舞子
3 九尾泰子
4 松山入道=ゴシラ翔太
5 しぶとく時忠
5 中井パパ盛
6 岡田ナレ朝
7 真面目重盛
ババアには勝てんよw
セルdvdをお持ちの方に質問なんですが、特典映像やコメンタリー機能は入っているのですか?
いちお本編は全話ブルーレイで録画済みなのですが
出演者の方々の裏話とか聞きたいのでそういうのが入ってたら欲しいのですが...
一般視聴者を装っても見え見えのステマだ
回答があればそのまま、なければ回答者を装い
宣伝するつもりだったんだろう
セルDVDの存在を知っているのであればググればすぐにわかることを
なぜ尋ねる?
おまえの正体はDVDが売れれば金の入るチーム藤本の
清盛メインライター=長文だろう
ん?
さんざんソウカがー、反日がー、磯チョンがーやったあげくの果ては、
不肖俺如きを メインライターがー だと((((;゚Д゚)))))))
何と俺、長らく本放送時に録画した劣化画質(5倍)のものを見続けてたw
ようやく銀河のを最高画質で録画し直したが、やっぱNHKBSには劣る上、
こちらでは素晴らしい紀行を見ることができない。
要するにDVD、Blu-rayを買って貢献したことがないのれす、NHK様すんまへん。
ということで回答不能。清盛おばさんたち、ご質問に答えてあげてくだされごわす。
清盛おばさんたちスンマセン。
こんなに長年頑張っているというのに、ショックで今それどころじゃないでしょう・・・
しかし、現大河とは何らの補完関係にない、しかも再放送を熱く要望する人なんて見たことない
官兵衛とはね。こんな方針不明のチョイスをされては、やる気なくなっちゃうよね。
個人的には慶喜、八重、新選組あたりを予想していた。
清盛は生誕900年以外に積極要素はなく、再び王家がーの喧騒に巻き込まれたくはない
だろうから、まあ期待薄だった。
しかし日本の歴史は戦国三傑しかないのかよ、ったく。nhkreturnなんてシカトされるのが
関の山なのでガンがらないでいいですよ、おばさまたち。
今上の退位礼、現皇太子の即位礼、立皇嗣礼が済むまでは平清盛の再放送はない。
王家問題ってほんとくだらないよな
王家でも何の問題もないわ
フランス王家やイギリス王家は中国の属国なのかよwと言いたい
そんなくだらないことでいちいち叩くとかアフォだろ
>>157勝手に長文さんにするなよ
ここで質問してのはファンが募ってるから、
特典映像があるならその魅力をアピールしてくれるかもと思ったからでそれ以上も以下もないわ >>1
震災の被害を目の当たりにし、気が狂ったNHK職員がキチガイ仲間を増やそうと制作を強行した大河。 天皇は現人神だが王は人
格が下がるのはやむを得ない
>>164
って実際天皇は人だろ....
格もクソもないだろ
よく皇帝なんかの名称を出して天皇は王ではないとかいうけど、皇帝ってのは複数の異民族を統治していた帝国の王だから別格扱いされるのであって 日本の天皇はそうではないだろ
例えば古代エジプトのファラオという言葉があるが、普通にファラオと呼ぶときもあるし(ちなみにこれはギリシャ語から来るらしいが)王と呼ばれることもある
どちらで読んでも問題ない
正式な国内のレセプションやマスコミ報道で王呼ばわりされるのは問題かも知らんが、歴史ドラマの中で王家と表記しただけで叩くのはお門違いだと思う 個性的な天皇や上皇、親王らが出てきて国の運命を大きく左右していく大河ドラマ「平清盛」。
史上例がない「上皇」が生まれようとする今、皇室や国民に無用な騒ぎをもたらしかねないのでNHKでの再放送は控えなければならない。
あと10年は待つべし。
ちなみに古代エジプトのファラオも現人神というポジションだったよ
王だけどな
むしろ上皇が生まれるタイミングで再放送した方がわかりやすくて良いと思うが
歴史の中に生きている気がするだろ
もっとドロドロとした皇室が見たいので古代史またやってほしいなあ
蘇我と物部の争いとかも見たいし藤原氏の摂関体制の確立も見たい戦国、幕末はもういらないよ
制作陣のやる気が全く感じられなかった大河を再放送wwwww
>>166
定期的に湧くおかしな人だから相手にしないであげて >>166
時間がなかったんでふと思ったことを簡潔に書いたおかしな人ですが
これでは単なる揚げ足取りのようにも読まれるかもしれないので
ちょっと補足させて下さい。
現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と
あったわけで、異国の王と天皇家を同一視されるのが
我慢ならないと思う人は現在においても一定数いるし
ことさら「王家が〜」と強調される描かれ方について
疑問をていする人がいるのも理解できる。
あと日本は単一民族だからと言う方はアイヌや琉球民族を
どう思っているのだろう。 俺は右でも左でもないがおそらく右の竹田恒泰が天皇は神に祈る存在であって神ではないと言ってるぞ
現人神というのは神に祈りを捧げら存在らしいぞ
なので戦前でも神ではないわけだよね
ちなみにアイヌも琉球も日本民族だよ
琉球の言語体系は日本と変わらんらしい
日本人といってもいろいろな染色体が混じったものというのはあたりまえだが全体としてある
つまりあくまで内輪にすぎんよ
一地方というだけで日本人であることに変わりはない
あと上でも言ったけど、外国の例を出すとどこの国でも絶対王政を引いていた国とくにキリスト教以前はその国のトップは神格化されるのが当たり前で神の使いとか神の子とか色々ハッタリかますのは当たり前で日本だけが特別でもなんでもないんだよ
あと上でも言ったけど、外国の例を出すとどこの国でも絶対王政を引いていた国とくにキリスト教以前はその国のトップは神格化されるのが当たり前で神の使いとか神の子とか色々ハッタリかますのは当たり前で日本だけが特別でもなんでもないんだよ
アンナチュラル第7話みたwww!ひっさしぶりに不覚にもドラマで涙腺決壊してしまった。
あれは傑作になる。野木亜紀子おそるべしだ。長文さんも御覧あれ。
>現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
>戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と
>あったわけで、【異国の王と天皇家を同一視】されるのが
>我慢ならないと思う人
バランス感覚のある貴殿に物申したくはないが、【】部分は何度も強調したように、誤解に基づくそれこそ
特定のイデオロギーによる難癖にすぎない。
日本という領域国家(拡大された共同体)の首長を王と呼び、これを天皇に比定することは、
象徴に止まらない(建前上は)権力主体たり得た時代の天皇の存在様式を、正しく捕捉するものだ。
現に本作も取りあげた「王者議定」は学説でも何でもなく、当時実際に用いられた実定用語なのである。
いかなる意味においても、ここでいう王は華夷秩序において中国皇帝に臣下の礼をとる「王」ではなかった
(天皇家ではなぜ不十分かは委細省略〜本当の権力主体は、王を再生産するイエを主宰する院にあった。この二重権力状況を表現)。
しかるに、何らそのような意図を持たない「王家」の用法を勝手にでっち上げて、それに対して「王家がー」
なる組織的な中傷がなされたのである。これが王家問題の実体(実態)であり、本質であり、大河史上に残る汚点となった。
>>164>>173
しかし幕末の有名な政治スローガン「尊皇攘夷」は、それが唱えられていた当時は文字がちがう。
実は、尊皇攘夷ではなく、尊「王」攘夷と書かれていたのだが?
王を皇と書き換え、それ以前の(京に押し込められ国民への影響力を衰微させていた)天皇制の
過去の姿を、現代日本人が想像できないよう歴史を塗り替えた首謀者は薩長藩閥政権であった。
これは日本史学を学ぶ者にとっての常識ではあっても、一般国民にはあまり知られていない。
幕末維新史の概説的通史を描いた本は、ありそうであまりない。あっても古くさいのばっかりだ。
とりあえず三谷博がNHKブックス(No.1248)で『維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ』
を2017年12月27日に新刊で出したから、そこらあたりから勉強やりなおしてみたら、どうかなあ?
(ただし、勧めはしたが、実はこの本好きじゃない。なんだか「チャート式幕末維新史」みたいで、
歴史の描き方が図式化されすぎている。歴史とはもっとドロドロとして、当事者には見通しつかず
混沌としたものだと思うのですよ) >>180
言い回しはちがうけど、まあまあ同意します。
この国は、華夷秩序の枠外に、朝貢も叩頭も冊封を受けることも拒否した「王」をもった国だ。
場外乱闘も含み言いつくされた感がある王家論争につけくわえることはたいしてないのだけど、
中国側では「身近だと思った国」には「○○王」と、「疎遠な(化外の)地の国」には「○○国王」と
使い分けていたそうです。
国が入るか入らないか、一字ちがいで大ちがいになるのが、実にまぎらわしく面倒くさいところです。
(江戸幕府の日本が朝鮮におくった国書では「日本国王」または「日本国大君」と称していた)
朝貢国と非朝貢国とのおおまかなちがいがあって、さらに朝貢国でもまた細かくグレードが分かれて
面倒くさいことこの上ない。とにかくチャイナはランキングが大好きな連中ですから説明放棄します。
http://www.kanekashi.com/blog/2011/06/001621.html
どちらにしても気になる人は徹底的に気にするのだろうが、中国に服さない共感できない国々を
徹底的に蔑視した冊封体制を最終的に破壊してしまったのが、日清戦争に勝利したこの日本。
関連するが、大清帝国が築いた国家体制(国内秩序と朝貢外交)についての概説書は平野聡の
『大清帝国と中華の混迷』が優れていると思う。 三谷先生の放送大学の講義は録音して今もある。これを膨らませ満を持して公刊されたのが、NHK出版の新著だね。
先生は独自の理論というかドグマを「外から」持ち込んで整理しているので、方法論的には賛否両論とならざるをえない。
ひと昔前で言えば、マルクス唯物論や敵対する「ブルジョワ近代化論」に基づく歴史解釈ね。
詳しくはないが基本、三谷先生は後者の系譜だろう(日中歴史認識問題については、リベラルな貢献をされている)。
西郷どんを視聴するにあたって目星をつけた本は、考証原口先生著NHKがまず基本。NHKカルチャーラジオ町田明広
「西郷隆盛」は視聴に非常に役立つ。さらに、こちらを考証にしていたらずいぶん違った西郷像となったであろう、
アカデミックな方面では最高権威と思しき家近教授のNHK新書縮小版(ミネルヴァ版は大著かつ高価)。
概論的な通史では、佐々木先生「幕末史」ちくま新書、坂野御大「日本近代史」ちくま新書、
それに、なんといっても宮地正人大先生の「幕末維新変革史」(岩波)だね。三谷先生のもちゃんと読むに値する。
公明党と創価学会は働く者の敵やで
過労死が増えたらコイツらのせい
>>185
これは誤爆かね?
しばしば場外乱闘が外部から波及し干渉されるのが、大河ドラマ平清盛評の特徴のひとつだった。
しかし、平安末期には、創価学会も日蓮正宗も日蓮も存在しなかったのだよ。はた迷惑極まりない。
大河ドラマを含め、現代日本で制作されるテレビドラマで、創価学会の会員がまったく出演してない
ドラマはいったいいくつあるのだろうかと。
大河ドラマ平清盛の再評価と名誉回復を要求する者が何人か集ってこのスレはなりたっているが、
まだしばらくのあいだ、このスレは機能停止しそうにない。書くべきことがまだまだありそうだ。 >>173
> 現在の象徴天皇制では天皇は人であることが当たり前だけど
> 戦前の国語の読本に「神の御裔(みすえ)の天皇陛下」云々と あったわけで、異国の王と
> 天皇家を同一視されるのが 我慢ならないと思う人は現在においても一定数いるし
> ことさら「王家が〜」と強調される描かれ方について 疑問を呈する人がいるのも理解できる。
> あと日本は単一民族だからと言う方はアイヌや琉球民族を どう思っているのだろう。
揚げ足取りとも難癖とも感じなかったよ。むしろ、それは健全な感覚だ。
大河ドラマ平清盛をめぐって勃発した王家論争は、いま思えば、2つのベクトルが混合していた。
1つのベクトルは、神聖たるべき天「皇」をたんなる「王」とし評価を引き下げるのはけしからん、
という方向性。
もう1つのベクトルは、天皇といえども、ただの人だ。その「ただの人」の評価を、妙に引き上げたり
神格化するのはけしからん、という方向性だ。
極論すれば皇国史観と共和主義だ。ふだんは交わることなき2つのベクトルだが、時には交わる。
天皇制の再定義が行なわれる時代だ。そして西郷隆盛も平清盛も大きな再定義に関与した人物。
平清盛は「権力を持たない天皇」という制度の創始者として、西郷隆盛は「中央集権国家の中心
に据えられた天皇」という制度を創りあげた集団の代表者として。
王家論争は、日本中世史学で未解決の大命題、通称「網野善彦問題」とも無関係でいられない。
網野善彦問題の1問は「中世に権力を失っていった天皇が、なぜ日本では消滅しなかったのか?」
でした。そしてこの問いを解く鍵のひとつは、平清盛の生涯に潜んでいるはずだ。だから平清盛は
何度でも問い直され甦る。現代日本の政治制度にひそむ大きな謎、大きな闇に直結してしまうから。
査読論文の執筆経験者がこのスレに来てくれないかな。これ以上書けば恥をさらしてしまいそうだ。 誰も悪者にしない離婚話は良かったけど、最後の説明台詞はちょっと興醒め。
と思ったら、多くの人がそう感じた模様。
ツイに>一切の台詞がなく映像だけで事の顛末を視聴者に知らせた殿下乗合事件
とあったが、自分も「清盛は説明台詞だらけ」なる珍妙な批判に対する反証として、この場面をあげた。
また、前回の母との別れも良いシーンだったけれど、母子間の絆やその死が主人公に与える特別の意味
などを描かないまま、尺を取って視聴者の情緒に訴えるような作劇は、清盛にはなかった。
西郷親子の別れを、直情的で感動の押しつけと否定すべきではないが、清盛が「感動ポルノ」なら
大河に良くあるこの手の「親子、恋人の悲しい別れ」は何て呼ぶのだろう?とふと頭を過ぎった。
>>188
異国の王と同一視してないのにそう勘違いして批判するのは仕方ない、むしろ
健全な市民感覚だということ?
小生、言ってもないことを曲解して非難するのが健全とは思えませぬ。 王家問題は批判すればするほど気持ち悪いよ
皇室を批判したり、古代の残酷な天皇とかを描くこと許さんやると北朝鮮やイスラム国と変わらない思想の持ち主だと思うね
ちゃんと見ればわかる場面をご丁寧に説明台詞で「解説」するのと、「解説」が必要な史実パートを説明台詞で繋げていくのとは異なる。
後者についても清盛は、ただ史実を語らせるのではなく、必ず一つのストーリーラインを組み立てていた
(既述した平治の乱後の政治パート部分など)。
しかし、史実の取り扱いについては、重要史実にスポットを当てたい場合に、そこから大胆な創作を引き出す手法を採ったことのほうが
遥かに重要で、説明台詞やナレでの進行以上に大河清盛の特徴を表している。
たとえば、保元の乱後の清盛についてまず着眼すべき史実は太宰大弐就任。これをナレや説明台詞で済ますようなことはせず、
信西政権の動向と原田氏支配を描きつつ、相撲節会というビッグイベントに絡めてドラマ化したのが「清盛の大一番」だ。
また、清盛の人生を前後に分かった大病・出家という単純な事実を、過去・現在・未来、意識と無意識、父母の記憶と生への意志
との間を往還しながらその意義を探求し、清盛の前半生を振り返りつつ後半生を展望した中間的総括回が「白河院の伝言回」である。
そこでは併せて、それぞれの思惑を抱えて息を呑むように病状を見守る周囲の複雑なリアクション(頼朝、東国武士にまで及ぶ)も描かれた。
さらに、「そこからの眺め」も、治承クーデターの歴史的意味を抉った創作である(実際、朝廷簒奪は清盛平家の劇的な没落を招来した)。
もう一つ、予備知識がないとわからない駄作(おんなネトウヨ)という場合、マクロな歴史の流れや政治の大状況を省略したまま、視点を狭い
範囲に固定したいわゆるホームドラマに終始する場合と、豊富な歴史情報を提供しながら、その歴史情報自体がふつうの視聴者にとっては
馴染みのない、それまで知らなかったという意味で「予備知識がないとわからない」場合とでは、これまた全然位相を異にする。
後者は残念ながら、視聴者がそれなりの努力をしてアクセスしないかぎり(この機会に学ぼう、新知識を吸収しようという意欲)、言い換えれば
ただ漫然とながら視聴するだけでは、永遠にわかるようにはならない。これを「予備知識がないとわからない」と批判するのは、丁寧に
これまで知られていない史実をドラマに取り込む営為を続けた制作陣を愚弄する難癖でしかない。
スクエアに要望のメール出したりしてるけど、なかなかBlu-ray再販かからないなあ。