日本の生臭坊主にしかり、日本人女性を海外へと密輸していたとされる宣教師たちにしかり、洋の東西を問わず、いわゆる“聖職者”と呼ばれる職業の人間のなかには、“生殖者”ないし“性職者”ともいうべき不届きな輩も少なからず存在しているが、今回ご紹介する西日本のとある地域での事例は、まさにそうした手合いが暗躍していたこと示すものの1つである。
「まさか坊さんがそういう商売をやってるだなんて、誰も思いやしないだろ。けど、それが事実だったもんだから、困るよなぁ(苦笑)」
かつて当地で暗躍していたという、とある生臭坊主の悪行についてそう語りはじめたのは、この地で生まれ育ち、現在も細々と材木問屋を営んでいるという横木満夫さん(仮名・84)。横木さんの話によれば、その“生臭坊主”は、とんだ厄介者だったのだという。
「もともと先代の住職が死んで、空き寺になったもんだから、よそから遣わされてきたっていうんだけども、来て早々、昼間っから飲んだくれるわ、商売女を寺に呼び込むわで、本当に酷い有り様だったんだよ。でもそれはまだ序の口でね、その坊主、檀家から集めた金で高利貸しまがいのことを始めたり、女衒やら、夜鷹の元締めじみたことまでやりだしたもんだから、これはさすがにおかしいぞ、となったわけ」
自らが自堕落な生活を送るだけでなく、周囲の住民たちを巻き込む形で、今で言うところの闇金ビジネスや、売春斡旋まで営み始めたというその“生臭坊主”。これにはさすがの村人たちも腹を立て、その坊主に対して抗議するとともに、即時退去を求めたのだという。しかしそうした村人たちに対して、当の“生臭坊主”は何ら悪びれることなく、居直る様子を見せたのだそうだ。
「その坊主が言うにはね、自分はもともとヤクザ者で、後ろ盾もあると。実際、先代の住職も、自分が殺しただなんて言い出したんだよ。驚いたには驚いたけれども、そうなりゃ警察でしょ。すぐに村の駐在に報告したわけ。けどね、どういうわけだか駐在も動く気配すらないの。これはね、後々になってわかったことなんだけども、その駐在、坊主のところの女にすっかり骨抜きにされた挙げ句に、坊主からかなり金を借りてたっていう。そういう経緯があったものだから、結局、その坊主が死ぬまで、ヤツのやりたい放題だったというわけよ」
自らの正体を明かした上で、それまで以上に、やりたい放題の状態となったという“生臭坊主”。やがて寺は売春宿兼賭博場のような有り様となり、当地にはよそから転がりこんできた流れ者やヤクザ者の類が激増。それはもともと暮らしていた村人たちよりも多くなるほどの奇妙な状態となっていたという。しかし、そんな彼の栄華もそう長くは続かなかった。
「坊主がやってきて7、8年経った頃かな。何の前触れもなしに、坊主が死んだんだよ。なんでも、村はずれの道端に転がってたらしいんだけど、俺も詳しくはわからん。けど、その日を境にして、ヤクザ者たちも少しずついなくなって、ひと月もしないうちに、(“生臭坊主”が来る前の)元の状態に戻ったよ」
“生臭坊主”に手を焼かされていた善良なる村人たちの怨嗟を思えば、そうした不自然な形での彼の死もどこか頷けるところ。無論、今となっては知る術もないが、この坊主が、実際には如何なる素性の持ち主で、なぜ当地を選び、このような悪行を続けるに至ったのか、その詳細がなんとも気になるところである。
以下ソース
https://tocana.jp/2019/08/post_103141_entry.html
★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/