2010年に公開された白石和彌監督の映画『ロストパラダイス・イン・トーキョー』では、知的障害を負った兄(演・ウダタカキ)を持つ弟・幹生(演・小林且弥)と、そんな彼に依頼される形で、彼の兄の性処理のために派遣されてきた地下アイドルのデリヘル嬢・マリン(演・内田慈)との複雑な人間模様が描かれていたが、この映画に登場する知的障害を負った兄・実生のように、何らかの事情で自分で性処理ができない人間にとっては、まさに生き地獄と呼ぶに相応しい蛮行が行われていた地域が、かつての日本には存在していたという。
「そうね、みんながみんな、自分でそういうこと(※性処理)ができるとも限らんわけでね。けど、自分でできない人間っていうのは、このあたりじゃとんだ冷や飯を食わされていたものだよ」
かつて西日本のとある地域で行われていたという、その忌むべき習慣についてそう語るのは、当地で生まれ育ち、現在もその余生を送る横川源一郎さん(仮名・87)。横川さんの話によれば、その昔、当地においては、障碍などの理由から、自分で性処理が行えない者に対して、“あまりに残酷で、あまりに理不尽な仕打ち”が、日常的に行われていたのだという。
「昔はね、病気や普通の怪我もそうだけども、傷痍軍人なんかも多かったからね。そういう人らのなかには、いくらそういう気持ちはあっても、自分で“ナニ”できない人も多かったの。けど、ここいらの連中っていうのは、本当に冷たい人間ばかりでね。そういう人らを縛り付けてね、その前で“ナニ”してみせるっていう、正真正銘の生殺しにしてたんだよな」
病気や怪我、戦地で負った名誉の負傷など、実に様々な理由から、能動的な性行為が行えなくなっていたという人々に対して、あろうことか、手足を拘束した状態で自由を奪い、その上で、これ見よがしに性行為を見せつけていたという、当地の人々。横川さんの話によると、そうした行為の背景には、「見せつける側」の優越感や虚栄心、さらには特殊な性的欲求を満たす目的があったと見られているが、いずれにしかり、「見せつけられる側」からすればタマったものではない。
「まあ、あまりにそういう惨いことをね、するものだからさ、頭がおかしくなっちまって、狂い死にする人も少なかったというよ。さすがに今の時代じゃ、そういうおかしなことをしでかす人間はいやしないだろうけどね、今振り返ってみると、“そういう時代だったから”とか、“みんなやってたから”っていう言い訳は、ちょっとばかし苦しいように思うね」
我々自身がよく知るように、日本人というのは、「みんながやっているから」という理由だけで、ろくに事の善悪も精査することなく、様々な行動をとりがちな性質がある。こうした忌まわしい歴史を繰り返さない意味でも、我々は日々の言動について、今一度、見直す必要があるのかもしれない。
以下ソース
https://tocana.jp/2019/08/post_107548_entry.html
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