今年も母親から子供に対する虐待や、育児放棄に関する事件や報道が数多くなされているが、どうやらこうした蛮行を我が子に対して行う親たちというのは、昔からかなり存在していたようで、そうした憂き目に遭う子供たちが、ツテを頼って親元を離れ、親類縁者へと引き取られていくケースも少なかったようだ。しかしそうした事例のなかには、逆にそうした選択によって、さらなる不幸に見舞われる場合も、少なからずあったようである。
「もともとこのあたりじゃ、割と豊かな家が多かったものでね。その関係で、よそからもらわれてくる子も結構いたもんさ。けれどもね、そういう子らのほとんどは、“もらわれなければよかった”と後悔していたと思うんだよな」
西日本のとある海沿いの城下町にかつて存在していたという“もらい子”の風習と、それにまつわる悲劇についてそう語りはじめたのは、当地で代々続く商家を、現在も受け継ぐ形で営んでいるという吉弘義道さん(仮名・87)。吉弘さんの話によれば、その昔、多くの子供たちが、全国各地の寒村から引き取られてきたという当地の富裕層宅では、彼らを対象とする形での、実に忌まわしい行為が平然と行われていたのだという。
「もともとよその子らを引き取ってきて、それを食わせて一人前にしたところで、大人になってから稼げる金っていうのはたかが知れてるわけ。でも、このあたりの金持ちはね、それこそ血眼になって、そういう子供たちを探しては引き取ってきていたのよ。うん、そう、慰み者にするためにだよ」
多くの場合において、10歳になる頃までには、今でいうところの“毒親”たちから引き取られてきたという子供たち。しかしそんな彼らを待ち受けていたのは、“育ての親”たちからの性的虐待であったという。
「だいたいが女(の児童)だったんだけれども、“そっちの気”がある連中は、男(の児童)をもらってきては、“そういうこと”をしていたみたいだね。たしかに、親元にいるときと違って、飯も食えるし、風呂にも入れる。良い物だって着せてもらえる。けれども、その代わりといっちゃアレだけど、そういう目に遭うわけだから、どっちが良いのかわかりゃしないわな」
生みの親による育児放棄や各種虐待から救われたかと思いきや、育ての親たちによって、性奴隷ともいうべき状況へと追い込まれていたという当地の“もらい子”たち。その苦痛に満ちた日々に想いを馳せると、なんとも胸の痛む話である。
以下ソース
https://tocana.jp/2019/09/post_107528_entry.html
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