本気でジャップランド滅ぼしに来てるな
そしてそれを支持する猿の群れ
うんやっぱり滅びるべきだな
そんなもん農家なりよるんかJAがやるもんだろ
税金使ってまでやるのは必要はない
巨悪モンサントか!!!
と思ったけどモンサントは先日バイエルに買収されたね
巨悪バイエルか!!!
遺伝子操作作物はEUで輸入禁止だしアメリカでも底辺しか食わないからジャップにでも食わせるかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
日本は肥料輸入してるから
なんとも言えないけど
食料安全保障と安定性どっちにを取るべきだろうか?
まぉ日本の右派は食料安全保障とか興味ないだろうし
19番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です2017/06/07(水) 20:24:51.29
農民ってこれでも安倍を支持してるの?
21番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です2017/06/07(水) 20:26:30.11
な?自民党に好き勝手やらせると余計な事しかしない
民進党もっと仕事しろ
安倍ちゃんこそ反日じゃないか
ネトウヨはなぜ安倍ちゃんに噛みつかないのか
中南米の二の舞いになるねこれは
安倍ちゃんマジでサンキューだわ
これの対価ってニコニコ並んで写真撮ってもらう位?
日米どちらにしたって一面には載らないだろうし
//burke-conservatism.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2009-11-05
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN
保守主義の哲学シリーズV−3‐‐‐エドマンド・バーク(その3:第2章−@) 2009/11/05 01:38
第2章 バーク「偏見(=古きものへの尊敬の念)」の哲学
「理性の完成(完全)主義」の否定・「人間の意思(知力)=神託」主義の排撃
第一節 「共観妄想」の「設計主義的合理主義」
長くても80年程度しか生きられぬ、ある世代の、ある人間の知力(意志)など、たかが知れており、数百年の歴史をかけて祖先が蓄積した叡智に比すれば、塵ほどにもならない。
しかし、その程度の「人間の知力」が“神にも匹敵する”と傲岸にも思い上がった思想が17世紀に発生した。この思い上がりの先駆者はデカルト(※1)であり、その著書『方法序説』(1637年)こそは、近代における人間の理性万能主義の幕開けであった。
20世紀にハイエク(ノーベル経済学賞受賞・政治哲学者)は、このデカルト的思惟がマルクスらの「計画経済」の下敷きになっていたことから、それを批判すべくそれを表象する専門用語として「設計主義的合理主義」を考案した。
なお、計画経済とは、一国の経済、特にその需要と供給が官僚の知力のみで計算された方が“市場”の智恵よりもはるかに無駄がないと考える、現実を無視した宗教的妄念の一つである。
このため、ハイエクは人間の知力を無限だと過信するこのようなパラノイア的信条を「共観妄想」だと糾弾したのである。
ちなみに、1925年から1945年の日本は、「計画経済」まで行かないが「統制経済」という「共観妄想」にどっぷり浸かった時代であった。以下、少し脱線するが重要なことなので、この話をしたい。
昭和前期(1925〜45年)とは、内政・外交の主要国策が社会主義・共産主義に呪縛された時代であった。
・・・治安維持法は、コミンテルン(ソ連共産党国際部=共産主義の対外輸出部)の命令に従った、天皇制廃止などの革命運動をする“団体”(コミンテルン日本支部=日本共産党)を取り締まったが、
社会主義思想・共産主義思想の“思想”は全面的に放置した。治安維持法は、(思想規制ではなく)団体規制/運動規制に絞る、立法上の一大欠陥を持っていた。つまり、“思想自体”は野放し状態であった。
1920〜1930年代の日本は、米国とは百八十度逆の方向―― スターリン型共産国家 ――に国づくりを目指した。対米戦争とは、日本国民を共産主義思想に洗脳する、上(政府・軍部)からの革命であったが、それが八年間も続いたのである。
・・・治安維持法の規制対象の筆頭であるべき『共産党宣言』は、治安維持法があるのに堂々と地下出版が相次いだ。1932年には、河西書店が公然と出版した。
この事実は、陸軍や海軍の士官学校では、「共産党は至高の善である」との左翼革命思想が蔓延していたことを示している。・・・小説家の杉森久英も曰く、
「私の学生時代は、昭和初年だが、思想界はマルクス主義一色に塗りつぶされていた」
このように、昭和の御代は、不吉にも、「悪の思想家」マルクスと「悪の革命家」レーニン/スターリンの著作の大洪水で始まった。
“日本の共産化”が国是であると、学界と新聞・雑誌界と軍部と官界が合意していた時代、それが昭和前期であり、これが歴史の事実である。
Aバカ売れした「スターリン計画経済」礼賛本
●大嘘で「ソ連計画経済」を煽ったマルクス経済学者
1929年の世界恐慌に直面して、日本では「資本主義の終焉」が経済学者のコンセンサスとなった。
九十九パーセントの学者が、「統制経済か計画経済への移行がなければ日本は破綻する」と念仏のように国家・国民の不安を煽った。
「統制経済」「計画経済」のタイトル本は、世界恐慌から日本を救う“聖書”だと信仰され次々に大量に出版された。市場経済を是とする経済学のテキストは一冊もなかった。
ソ連型計画経済に誘惑・洗脳するマルクス経済学のテキストが、1932年〜34年に厖大に出版された事実を直視すれば、1930年代の日本の対外政策や内政がスターリン型計画経済の持つ
麻薬的な魅惑に引きずられていった歴史の推移が見えてくる。1937年からの戦争が、この背景において決断されたことも見えてくる。マルクス経済学のテキストの例をあげる。
イ)猪俣津南雄の著『統制経済批判』
「統制経済批判」とは自由経済擁護論ではなく、「計画経済か、統制経済か」の選択における、計画経済の方を支持し、
・・・統制経済を批判するという意味である。
猪俣は、私有財産を廃止し、日本が完全なソ連型の共産国になることを信条とする過激なスターリン主義者であり、その著はソ連の五カ年経済についてありもしない嘘成果を大宣伝した。
例えば、たった四年三ヶ月(1928年10月〜1932年末)の第一次五カ年計画によって、
「ロシアは、農業国という旧態を脱して巨大な工業国に発展転化した」
「全発電能力は1928年の187万kwから、五年後の1932年には456万kwに増大した」
「播種面積は1928年に比し1932年には2,100万ha増加した」
「12万台の新しいトラクターが供給された」
「鉄道貨物輸送は41%増加した・・・・鉄道旅客輸送は243%増の約三倍反にも達した」
「航空輸送旅客数も三倍になった」
等々、猪俣の「ソ連計画経済」礼賛は嘘宣伝の枠を超えない、噴飯物の陳列館であった。
特に輸出された農作物は、農民を大量餓死させるべく、種もみまで強制徴発するなど、人類史に残る悪魔の所業であったが、猪俣はこの事実を架空の物語にすり替えている。
「資本主義国では1930年から31年にかけて、旧速度の生産低下が起こり、失業者の数はむやみに増大していった。しかるにソ連では、同じ時期において旧速度の増大を続け、
それとともに失業者は一人もいなくなった・・・・。1931年には作付面積は950万haも増加し、綿花の栽培は二倍になり、・・・・」
「飢餓に苦しみ崩壊し混乱しつつあるはずのロシアが、大量の小麦やその他の商品を輸出し始めた。・・・・赤色コロンブスは卵をまっすぐ立てたのだ。」
スターリンはレーニン同様、農民への憎悪は尋常ではなく、富農であろうと貧農であろうと餓死させる方針を敢行した。
実際には、兵士に銃口を突き付けさせ、農作物の私有と家族単位・村単位の伝統的な農業とを完全破壊して、「私有なき、農業の工場化」のコルホーズ(集団農場)とソフホーズ(国営農場)への改造を強行した。
このため農民の多くは、餓死するにいたった。猪俣が礼讃する1932〜33年にかけて、ウクライナだけでスターリンの無差別餓死刑で殺されたものは、コンクエストによれば、500万人とされる。
これには、「富農=反革命農民」に対する処刑やシベリア送りは含まれておらず、最小推定値である。猪俣とはスターリンの大嘘をさらに拡声器で日本人に読ませた“嘘増幅屋”であった。
なお、餓死処刑とは、コルホーズの農作物すべてを“国有”と定め、家の中の食糧をすべて強制的にとりたて、かくして、ひもじさと飢餓の余り、自分が耕作した畑の小麦一本でもジャガイモ一個でも食べると、
その場で銃殺した。このため、農民は餓死を選択するしかなかった。この“農民大虐殺”の方法を初めて考案したのがレーニンである。また、コンクエストは、次の指摘もしている。
「計画経済であればインフレが起こらない」などとは、現在の北朝鮮を見ればすぐわかる神話だが、ソ連でも「1933年の労働者の実質賃金は、1926〜27年のそれに較べると約十分の一に減っていた。」
ようにインフレは市場経済よりもひどい水準で発生していた。
ロ)向坂逸郎の著『統制経済論総観』
『統制経済論総観』も残忍で反人間的なスターリンの計画経済を讃美し嘘宣伝する。
「ロシアにおける五カ年計画は、全世界の恐慌の嵐の中に、成功をもって終わった」
「計画経済は社会主義の社会の存在形態である。・・・・土地、工場は言うに及ばず、すべての銀行、交通機関、外国貿易、そのほか商業等が社会化されていることである」
ハ)ボハノフスキーほか共著『ソヴェート同盟(連邦)計画経済』
コミンテルンの対外情報工作員が書いた、嘘の洪水である悪書、計画経済バラ色論の『ソヴェート同盟(連邦)計画経済』は1932年に早々と邦訳出版され、かなり読まれた。そこでは次のようなべらぼうな虚偽が書かれている。
「ブルジョア的生産諸関係、生産手段の私有は生産力の発展を拘束し、これを破壊しさえする。しかるにソ連で支配的かつ優越的な社会主義的生産諸関係は生産力の向上を可能とし、その未曾有の急速な発展・・・・を積極的に促進する」
「両三年中(1936年頃か?)には米国と世界第一位を争う闘争を開始するだろう」
日本の学界と雑誌・出版界は、1930年代、ソ連計画経済について、超架空の嘘を徹底的に日本人に刷り込んだのである。
そして、1930年代に入り、その思想汚染の影響が政治社会に現実の事件として次々と発生していくのである。