「現場はぎりぎり」家畜往診の獣医師 ペット診療は飽和 偏在がひずみ生む
牧草やサツマイモの畑が広がる鹿児島県有数の畜産地帯、大崎町。7月下旬、冨山保博さん(68)は
人工授精器や薬40種を積んだワゴン車を走らせた。家畜を診る「産業動物獣医師」。速乾性のTシャツ、
かっぱのズボン姿で農家を回る。
雌牛の発情周期を知るため、ビニール手袋を着けた腕を尻に入れ、直腸からふんをかき出し子宮を触る。
高熱や下痢…。症状に合う薬を注射する。この日は11戸を往診。角が折れた牛の治療を頼んだ女性(79)は
「牛はもの言わんから先生が頼り」。深夜の出産にも立ち会う冨山さんは「汗と血とふん尿まみれ。好きじゃないと
続かん」と言う。
東京の獣医大を卒業後、故郷の鹿児島に戻り県職員獣医師として食肉衛生検査所で働いた。
ベルトコンベヤーで流れてくる豚の内臓から病気の有無を調べる仕事。「牛を診る方が性に合う」
と39年前に独立した。
7年前から犬や猫のペットも診る。環太平洋連携協定(TPP)参加の議論が始まり、畜産の将来に
危機感があった。「時代が変われば、獣医師も変わらんと生き残れん」
朝から18戸を往診
「現場はぎりぎりです」。畜産農家が密集する宮崎県国富町で、農業共済組合に勤める30代の
男性獣医師はため息をつく。
男性も産業動物獣医師だ。朝から18戸を往診、夜はカルテの整理。週1回の宿直では緊急診療に
対応する。高齢化や後継者不足で零細農家は廃業。大規模農家が増え、病気予防のノウハウも
求められるようになった。だが人手不足で「診療とコンサルタント、両立は難しい」。
疲労で交通事故を起こした同僚もいた。「畜産の未来を考え、産業動物の獣医師をどう確保するかの
議論がないのが歯がゆい」。男性は、加計学園を巡る国会論戦を苦々しく見ていた。
4割がペット診療
全国の獣医師は約3万9千人。4割がペットなど小動物診療に携わり、公務員は2割強、産業動物診療は
1割。毎年、国家試験に合格して獣医師になる約千人の進路も同じ傾向で「偏在」がひずみを生んでいる。
家畜防疫や食肉検査を担う公務員獣医師。鹿児島県が2008年度にはじき出した必要数は237人。
当時、15人不足していた。県はその年から採用年齢を引き上げ、翌年度からは最大月3万円の
手当支給や奨学金制度を導入した。
10年の家畜伝染病「口蹄(こうてい)疫」発生時に県外からの応援で対応した宮崎県も同様の対策を打った。
両県とも「今は足りている」とするが、出産などで退職した女性を再雇用したり、定年退職者を再任用したりして
支えられる側面もある。
加計学園が計画する新獣医学部の定員は当初、1学年160人とされた。「どれだけの人が公務員を
選んでくれるだろうか」。防疫指導で1日10戸以上を回る宮崎県の家畜保健衛生所の大山えり香さん
(41)は、疑問を感じている。
鹿児島大共同獣医学部が昨年、鹿児島県大崎町に開設した研修センターでは産業動物診療への
志望者を増やす狙いもあって近隣の農業高校と連携し、実習に取り組んでいる。
今月初め、6年生3人は同県鹿屋市の鹿屋農業高を訪ね、牛の直腸検査の実習に臨んだ。
参加した辻圭吾さん(24)は悩んだ末、東京のペット診療病院への就職を決めている。ペット診療は
飽和状態とも言われるが「どれだけ増えても、自分の腕を磨いて独立を目指すだけだ」と言う。
前鹿児島県獣医師会長の坂本紘・鹿児島大名誉教授(獣医外科学)は「職種と地域の偏在是正が課題。
『総理の意向』や『文書の有無』より、日本の獣医療を今後どうしていくのかが本質であり、国で議論されるべきだ」
と指摘する。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00010000-nishinpc-soci&p=2