日本でのLGBTQへの理解って、あくまで違う生き物への「理解」なんだよね #オカマと映画とマイノリティ | GLITTY
https://www.glitty.jp/2018/01/160389.html
劇中で、フィリップのこんなセリフがある。
「彼だけは私に同情していないんだ」
このセリフを聞いたとき、思わず「わかる!」ってまるで女子高生みたいに大きな声を出しそうになっちゃった。
毎日すごいスピードでLGBTQへの理解が進んでいる日本。
でも、その「理解」ってあくまで違う生き物として、違う人種として存在していることを文字通り"理解"されている。
そんな気持ちになることがある。
「(LGBTQなんだねー)辛かったでしょ?」「(LGBTQなんだねー)もう大丈夫だからね?」って感じ。
とってもとってもありがたいし、もちろん悲しいことや辛いことも多かった。
でも、きっと私がセクシャルマイノリティじゃなくても、生きていれば必ず辛いことはあったはずだし、
いまではハッピーな毎日を送っているのに、突然「悲しい思いをした、可哀想な人」ってレッテルを貼られてしまうのは、いい気持ちとは言えない。
フィリップも、健常者から障がい者になったからか、より強く「可哀想な人」のレッテルを貼られていて、そのことに対する息苦しさをこの一言がとてもよく表していた。
だからこそ、同情せずに共感をしてくれるドリスとこんなに仲良くなれたんだろうなと思う。
そして、本作は障がいを持っているフィリップと、そんな彼をいい意味で特別扱いをしないドリスの関係性ばかりに目がいってしまうけど、違う見かたができるシーンもある。
そのシーンでは、フィリップが友人のセレブから「話がある」と呼び出されこんなことを言われる。
「私のツテを使って調べさせた。あの男(ドリス)には服役した前科がある。もうあの男と関わるのはよしたほうがいい」
そのときにフィリップは、
「あの男にどんな過去があろうと、それはいまは関係のないことだ」
「大切なのはいまだ。彼は何の問題もなくがんばって働いてくれている。私はそれで満足だ」
って返したんだ。
私が日本で生まれて育っているから強く感じるのかもしれないけど、日本って一度何かミスをしたら、なかなかやり直しがきかない国だなって感じることが昔からよくある。
その緊張感をみんな無意識のうちに感じてしまっているから、つねに気を張ってなくちゃいけないし、つねに何かに追われているような、そんな緊迫感のなか日々暮らしている。
そんな変な空気に堂々と「変だ」といってくれる清々しさが、本作の最大の魅力なのかなと思った。
10人いたら、10人分の過去があるし、現在があるし、未来がある。
そんな当たり前のことすら忘れかけてしまっているんだって、反省すると同時に感謝の気持ちが湧いてきた映画。
私も変な空気、変なループにはまっている人がいたら堂々と空気を読まずに「変だよ」っていってあげられるような、そんな素敵な余裕のある人になりたいな。