
「誰にも同じ生きる価値」
神奈川県海老名市 中学3年 吉井遥香
一年前の七月に、相模原で多くの障がい者の命が奪われた恐ろしい事件が起こりました。この事件の犯人は、「障がい者は、生きている価値がない、親がかわいそうだ。だから安楽死させるべき」という考えのもと、犯行に至りました。
私には、見た目には分かりにくいけれど、知的障害のある妹がいます。あまり多くの言葉を持たない妹だけど、嬉しいときには笑い、悲しいときには涙を流し、くやしいときには怒る、私にとってはごく普通の十二才の女の子です。
もし私の妹が、障がいがあるから死んだ方がいい、と言って殺されたら、私たち家族は、悲しみのどん底に落とされ、犯人を一生許せないでしょう。
私と妹の生きる価値に違いはあるのでしょうか?以前、妹が通っていた療育センターの園長先生は、自閉症の人たちについてのお話の中で、「人それぞれ血液型が違うように、脳のタイプが違うだけ」と仰っていました。
血液型はみんな違います。性格だって全く同じという人はいないでしょう。たったその程度の違いなのに、生きる価値に違いなんてあるはずがありません。
たまたま私は健常者として生まれ、妹はたまたま障がい者として生まれてきただけです。もしかしたら私が障がい者として生まれて来ていたかもしれません。
社会の中には、犯人と同じように、「生産性のない障がい者はいらない。」と言う人も多く出てきました。ネット上で匿名で犯人に同調する人が多く出てきて、驚きました。たしかに障がい者はお金を生み出せないかもしれません。
でも、何事にも一生懸命に取り組む姿を見て、私はいつも勇気をもらいます。頑張ろうと思います。私は障がい者に生きる価値がないと言う人たちに言いたいです。
もしも自分の子どもが障がいを持って生まれてきたら、もしも自分の身内がある日突然、事故や病気で障がい者になってしまったら、今と同じことが言えますか?と。
事件の後、障がい者の人たちはどのような気持ちで生活しているのでしょうか。
町を歩いている時、電車に乗っている時、自分の周りにいる大勢の人たちの中にも、自分の事を「死んでしまえばいいのに」と思っている人がいるかもしれないと思ったら、大変な恐怖なのではないでしょうか。
多くの健常者にとっては、障がい者の人は遠い存在だと思います。私も妹がいなかったら、一生関わりを持たなかったかもしれません。最近では、グループホームという形で地域の中で暮らす障がい者の人たちも増えてきました。
でもまだまだ地域の住民に受け入れられないという現実もあります。昔、障害者施設を建てる時、地域の人々が障がい者に会う際には妊婦さんはお腹に鏡を付けて会ったそうです。
生まれて来る子供に障害がうつらないようにそうしたそうです。今はそこまでの事はないけれど、よく理解されていない点はたいして変わっていないのかもしれません。
(続く
https://www.nhk.or.jp/d-navi/19inochi/content.html?no=3