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![23歳で車椅子生活を開始した男性。その後にできた恋人との結婚を反対されたり、41歳でようやく子供ができたり、ハードモードな人生 [711847287]->画像>2枚](https://rz.anime-tube.win/pic.php?http://i.imgur.com/ehBuJS8.jpg)
「地元の高校出て、自衛隊に入りました。航空機体整備員を希望したのに、適職診断の結果は通信員。
基地間の交信業務の道に入りました。最初は戸惑いもあったんですけど、そこでコンピューターと出合うわけなんです。
ちょうど、配属が(東京の)市ケ谷基地だったんで、周りに夜学とかがいっぱいあって。夜勤のとき以外は勉強してましたね」
1986年5月23日、転落事故で下半身の自由を失った。
「あまり思い出したくないところなんです。休日に友人宅を訪問して、手伝いでベランダかなんかにあるやつを取ろうと身を乗り出した瞬間に落ちたような覚えがあるんです。そこで脊髄損傷。
医者には『一生歩けない』と言われて。『なぜ? 治るでしょう』と。23歳のときです。(障害者)手帳を取った時点で自衛隊は除隊になりました。まあ、クビなんだろうな、と。
ある日、夢で車いすに乗ってたんです。そのときに自分の深層心理が見えた気がして。
体では受け入れても、心まで障がい者になっちゃったのかな、と。でも、そこからです。とりあえず生きてはいるし、落ち込んでる場合ではないと」
信員時代のコンピューターの知識が幸いして、システム開発、保守の業務畑を歩いてきました。
けがをしてからも個人的に知識を高め、チームのリーダーを任されるようになっていきました。僕自身、新しもの好き。
新しいツールはどんどん使ってみようと。楽しく仕事してきましたよ。障がい者社員の中では、役職的には一番上なので、見本を見せていきたいと思っています」
1997年に職場結婚。当初、先方の両親には反対されたという。
「当時は障がい者に対する社会的な認知度も低くて、はじめは(先方の両親に)反対されまして。
悶々としながら日が経つなかで、半ば飛び出すような感じで僕のところに彼女が来て、それから『どうかひとつ……』と。
一生懸命説得しましたよね。長男ができてからは、先方の両親にも頼らせていただきました。今、15歳。もうすぐ高校受験です」
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