歴史をたどると、海軍とのつながりが深い。1869年には築地海軍操練所(のちの海軍兵学校)内に移転、
このときに名前を「攻玉塾」に改めたという。戦前は海軍の士官養成校として知られ、多くの海軍軍人を送り出した。
海軍出身で、太平洋戦争の終結時に総理大臣を務めた鈴木貫太郎も卒業生の一人だ。
校訓は「誠意、礼譲、質実剛健」。海軍の標語だった「スマートで、目先が利いて、几帳面(きちょうめん)、負けじ魂、
これぞ船乗り」という精神も受け継いでおり、「礼儀正しく、筋の通ったスマートな人材」の育成を掲げる。
それが理想像というわけだ。
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