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天におられるわたしたちの父よ、 み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いください。 (日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)
主がおられる「天」とは何でしょうか? 創世記によれば、主は天地を創造されたのですが、 この祈りによれば、ご自身が創造された天に 主はおられるということになります。
天とは、有形のスペースを持つ場所のことではないようです。 天と対比される「地」ですが、こちらはわたしたちが住んでいる 現象世界のことです。 こちらは有形のスペースと時間の縛りによって成り立っている 世界ということになります。
永遠なる神がおわす場所である天というところは、 時間の制約もなければ、空間の制約もない場所ということになるはずです。 時間の制約も、空間の制約も、物質的な制約も、物理法則の制約も 「地」に住んでいるがゆえのものだということになります。
「天におられるわたしたちの父よ」 このフレーズは、イエスが言った言葉なのですが、 旧約で、神および主を「父」と表現している箇所は ダイレクトには見当たらないと思います。
創世記によれば、人は「神から創造された」存在として描かれていて、 主が父である、という記述は見当たらないのです。
口語訳聖書を検索していただければ、わかるのですが、 「父なる神」というキーワードで検索しても、 旧約聖書では一箇所も該当しません。 しかし、新約聖書では沢山該当する聖句が出てきます。 これは何を意味するでしょうか。
旧約聖書では、主はあくまでも「造り主」です。 ユダヤ人に確かめたことがないので、断定は出来ないのですが、 ユダヤ教の教えで、『神=父』という教えはおそらくないでしょう。 今後、確認してみようと思っています。
イエスは主の祈りのなかで、わざわざ 「わたしたちの父」と言っていますから、 主はイエスだけの父ではないということのようです。 いつ、創造された存在であるはずの人は、神と親子関係になったのでしょうか?
さて、天についてですが、創世記においても 主が、天をどのようなものとして創造されたのかは あからさまには描かれていません。 創世記の1章1節に【初めに、神は天地を創造された。】と書かれて あるにも関わらず、その後の2節以降は、 地についての創造工程ばかりが描かれているのです。
しかし、ヤコブの見た幻、つまり「ヤコブのはしご」の聖句によれば、 天と地とは、はしごがかけられていて、天使たちが天と地を 登ったり、下ったりしているのです。 これについて検証したいと思いますが、この続きはまた明日にします。
明日にしようかと思っていましたが、もう少し書いていきます。 天使というのは、天からの使いという意味だと思うのですが、 まさに天と地とを行き交っているようです。 イエスは天使について、「天使には男も女もない」と発言しています。
天と地とは、無関係で存在しているわけではなく、 天使がせわしなく、常に行き交っているのです。 天使たちはどんな仕事をしているのでしょうか。
「地」、つまり、この世界のことですが、 神が造られた土台である、水・空気・風・火・太陽・大地・動植物 これら以外に、人間が築いた建造物などがあります。 田んぼ、畑、建物、その他、あらゆる人間が築いたものであふれています。
この「地」というものは、すべてが誰かの思索の結果であり作品です。 それが神の創造物であるか、人為的な創造物かという違いはあれど、 まず誰かがイメージして、それを物質として存在させたのです。 ですから、もともとは、神あるいは人の思考でありイメージがあって、 それを具現化したものが「地」ということになります。
天使たちの仕事は、思考つまり言語の物質化ということに 関わっているということです。 最近は、パソコンで3Dデータを作成すると、それを3Dプリンタで プリントするだけでプロダクトを生成できるそうです。 この場合、パソコンだとか、プリンタだとか、樹脂素材だとかが 天使の仕事をしているわけです。
「言葉が肉となった」という聖書の言葉は こうした天と地との関わりを表現しているものと思います。
【み名が聖とされますように。】 これが、この祈りの中でも一番大切なものだと思います。 だから、イエスは祈りの一番最初に設定したのです。 これについても書くべきことが沢山ありますから、この続きは 明日をどうか楽しみにしていてください。 おや、もう今日になっていますね。。。
【み名】というのは、『わたしはある』ですよね。 これは、「わたし」ということと「存在している」ということとの ふたつが合わさった言い方だと思います。 『わたしはある』というからには、それは主体性を持った存在者です。 まあ、人間存在もかなりこれに近いですが。
石ころには、『わたし』という意識はないわけです。 石ころとしては存在はしているのですが。 そういう意味においては、 『わたしはある』という存在というのは、生きている存在と 言い換えても間違いではないと思います。
もっとも自己意識があり、もっとも存在していることを 客観的に意識できる存在者は、人という生き物です。 つまり、生き物の中で、もっとも神に近いのは人です。
このことを【聖とされますように】というのが 主の祈りの一番大切な部分になります。 もっと簡単に端的に言うならば、『主体性をもって生きていること』は それ自体が聖なることということになります。
なによりも重要なことは 【み名が聖とされますように】ということなのですが、 されますように、という言い方は『み名は聖とされるべきである』と 言っても間違いではないし、『み名は当然のように聖である』と 言っても良いと思います。 しかし、現代のカトリックでの翻訳では 【み名が聖とされますように】という文章になっています。
【み名が聖とされますように】という祈りの文章は、 よくよく考えるとまったく不思議です。 いったい、誰から聖とされますように、と祈っているのでしょう。 神のみ名は、最初から聖なるものです。 もちろん、神はご自身の名前が聖なるものであることをご存知のはずです。
【み名が聖とされますように】 つまり、この祈りは、わたしたちが祈ってはいますが、 神から人に向けての祈りなのです。 神は、ご自身のみ名が聖なるものであることを、 人から認めてもらいたがっておられるのです。 驚くべきことではないでしょうか? これほどの価値がある人とは、いったい何者なのでしょうか。
【み国が来ますように。】 み国というのは、神の国、のことと言っても良いと思います。 では、「神の国」とはいったい何のことでしょうか? イエスは「神の国」について、何と言っているでしょうか。
人がイメージする神の国というのは、 平和で穏やかな人たちが暮らす国のことでしょうか。 人がイメージする神の国とは、すでにどこかにあったり、あるいは 将来、現れたりするようなものでしょうか。 しかし、イエスは次のように語っておられます。
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた。 「神の国は、見られるかたちで来るものではない。 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。」 (ルカ伝17章20、21節)
国というのは、支配者である王が統治するものです。 では、民主主義はどうなのか、という疑問があると思いますが 民主主義においては、人民が王である、ということになっていて、 政策などは、人民が選挙によって選んだ代表者に委ねることになっています。 しかし、国といった場合には、基本となるのは王制のことだと 理解していただければと思います。
「神の国」とは、 神の定めた律法を守る人たちが暮らす国のことです。 これが、「神の国」です。
「日本国」に暮らす人々は、日本国の法律を守る必要があります。 これと同様に、「神の国」に暮らす人々は、 神の国の律法を守る必要があるのです。 これは、キリスト教会が決して教えない真実です。
【みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。】 これを読むと、 神の御心は天においては行われていることがわかりますし、 地においては行われていないということがわかると思います。
地を造ったのも神ですが、そこが運営されているルールは 神の御心ではないようです。 誰かは知りませんが、別の主人がいて、地を統治しているようです。 まあ、主人というよりは、本当はただの管理者に過ぎないのですが この管理者が自分の好き勝手にやっているわけです。 これが、わたしたちが住んでいる「地」というところです。
>>【み名が聖とされますように】 『御名を崇めさせ給え』の訳に馴染んでいるのですが原語(アラム語?)は 「聖とされる」又は「崇め奉る」のニュアンスを含んでいるのでしょうか? 「我々が神を聖なる方として常に忘れずにいられます様に」と言った意味の 文を意訳した物ではないかと思っていたのですが、ヘブライ語、ましてや アラム語を読む知識はありませんので確かめる機会がありませんでした
>>34 さん
>原語(アラム語?)は
>「聖とされる」又は「崇め奉る」のニュアンスを含んでいるのでしょうか?
イエスは、実際にはアラム語で語っていたと思いますが、
新約聖書の原本はコイネーというギリシア語で書かれていますから、
実際にイエスがどのようにアラム語で語ったかについては、
ある特定の部分を除いては、現在ではわからないということになっています。
ヘブライ語の新約聖書というのもあるにはありますが、
それはコイネーあるいは英語をヘブライ語に翻訳し直したものだと思います。
最初の3連はコイネーで、3人称単数、アオリスト形、受動態、命令形。 問題の箇所は「hagiastheto 聖なるものとされるように」だ。 能動態に直せば「人々が名を聖なるものとしますように」なので、 「崇めますように」と訳しても間違ってはいない。 神を頌栄するもしないも、御旨に従うか否かも、ヒトの自由意志次第なので、 地においては実際に神の名が聖とされるか、御旨が行われるかは不決定。 だから、人々が神の名を聖とし(聖である神の名を正しく知り)、 神の御旨に従いますように(御旨の通りに行為しますように)、という祈り。 神の名が聖であるのに、人々が自由意志によってしばしばそれを認めないという事があり、 そうではなく人々が自由意志によって神の名を聖と認めるように、という祈りなのだよ。
ご回答ありがとう御座います 最も基本的な事を抽出した祈りだけあって、短い中にも学ぶべき事が尽きない深い物ですね
>>36 さん
>能動態に直せば「人々が名を聖なるものとしますように」なので、
>「崇めますように」と訳しても間違ってはいない。
ご回答ありがとうございます。
その他の部分の内容についても、まったく同意いたします。
>>37 爆同一号さん
>最も基本的な事を抽出した祈りだけあって、短い中にも学ぶべき事が尽きない深い物ですね
僕も、そう思います。
イエスが「これだけ祈っとけ!」と教えてくれた祈りなので、
まったく無駄がないし、重要なエッセンスが凝縮されていると思います。
翻訳という話が出ましたので、僕の翻訳についての考え方を述べておきます。 『聖書を原語で読まなければ、その意味はわからない』と主張する人がいます。 確かに、原語でないと、完璧に理解することは出来ないと僕も思います。 しかし、そもそも聖書を完璧に理解した人がイエス以外にいたでしょうか?
僕たちが、聖書を原語でスラスラ読めないと 聖書は本当に理解できないでしょうか? 確かに、100%理解することは出来ないでしょうけれども、 それでは、ネイティブのギリシア人なら聖書を完璧に理解できるのか? というと、そんなことはないと思います。 コイネーという、ちょっと変わったギリシア語で書かれていますから そもそもネイティブということが存在するのかどうかも怪しいところです。
母国語で読んで、95%理解したなら、それでいいと僕は思います。 いや、そもそも聖書を95%も理解できる人は、いないと思います。 つまり、聖書を理解するためには原語を読まなければ、というのは ナンセンスなことです。 人生はそれほど長くはないので、生きている間に聖書を読まなければ ならないことを考えると、原語で完璧に読めるほどの勉強に時間を費やすのと、 母国語+英語などで、すぐに聖書を読んでいくのとではどちらが良いでしょうか。 僕は後者をお勧めしますし、僕自身もそのようにしております。
それでも、僕などは聖書を読む時間が圧倒的に足りないのです。 もちろん原語を学ぶことは悪いことではないし、そうした方たちを尊敬もしますが、 最も重要なことは、聖書の言葉から何かを掴みとることのはずです。 一番大切なことから、始めたらいいと思います。 いつまで生きられるのか、誰にもわからないからです。
『翻訳が間違っていたらどうするのか』という人もいます。 しかし、そうした場合は、それでいいのだと思います。 翻訳が間違っていたなら、もちろんその解釈も当然に間違えてしまうと思います。 それでも、そうした小さなことに目を向けて、それで聖書を学ばないとするなら それは本当にもったいないことです。 完璧でなくても仕方がないのです。 しかし、神にはお出来にならないことは何もありません。
【わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。】 ここからは、『主の祈り』の第二部、あるいは後半と言うべき箇所に入ります。 ここまでとは異なり、自分たちの願いを祈る箇所に入るからです。
【日ごとの糧】 これも本来は原語のコイネーで読みたいところですが、 日本人である僕の観点から見ていくことにいたしましょう。 この部分は、英語では Give us day by day our daily bread. となります。
ディリーブレッド、という言い方が、出エジプトの際の マナを連想させると思います。 マナは、毎日毎日、その日の分だけ降ってきたと書いてあります。 しかし、日本語の翻訳からは、マナを連想し難いですね。 日本人は、こと聖書においては、他国人よりも不利な立場にある気がいたします。
毎日、毎日、その日ごとの新しいマナを降らせてください。 と神に祈るのは、理にかなっている気がします。 マナは、確かに神からのダイレクトな恵みであり、贈り物でしたよね。
しかし、この祈りは、 Dairy Manna ではなく、Dairy Bread です。 わざわざ、『パン』と限定した言い方をイエスはしています。 そうすると、【日ごとの糧】というのは何のことを言っているのでしょうか。
普通に考えると、ディリーブレッドは イエス自身のことだということになると思います。 イエスはご自身のことを【天から下ってきたパン】と言っていましたから (もちろん、この言い方はマナを意識しているはず。)
パンというのは、食べ物のことですから、 毎日毎日、イエスを食べて自分自身の栄養とする ということになるのでしょうね。 日ごとの気付き、日ごとの発見、日ごとの何かを 与えてもらいたい、と思って祈るのも良いと思います。
聖餐式とか、ミサとかは、このディリーブレッドのイメージ化というか 儀式なわけですよね。 儀式自体も大切なのですが、すぐに消えてしまう、その日だけの マナみたいなディリーブレッドを、きちんと食べて暮らしていきましょう、 ということだと思うのです。
聖書について考えることは楽しいことです。 イエスの言葉について考えるのは楽しいことです。 楽しいから、このことに一生懸命になっています。 いつもいつも、誰かのことを考えていると、その人のことが大好きになります。 イエスのことをいつもいつも考えています。イエスを愛すれば愛するほど幸せになれます。 楽しさと愛の中に留まることを躊躇する必要はありません。 幸せになることを、ためらう必要はありません。 この先には、美しい毎日が待っています。
【わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。】 以前、とある牧師が「人の罪を赦すことがお出来きになるのは神だけ」と発言 しているのを聞いた憶えがうっすらとあります。 この牧師は、あまり真剣に聖書を読んだことがないのかもしれません。
この牧師の考え方は、律法学者やファリサイ派にそっくりです。 ★ルカによる福音書 5:21 ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。 「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、 罪を赦すことができるだろうか。」
★ルカによる福音書 5:24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。 地上では罪を赦す権威を人の子が持っていることを イエスは、はっきりと語っておられます。
人の子には、この地上においては、 人の罪を赦す権限さえ与えられています。
ルカ 5:21はむしろそのことによってイエスが神であると示そうという箇所なんだが。
人の罪を赦す権限は、人に与えられている権限の中でも 特に価値がある権限だと思います。 主に対して「わたしの罪をお赦しください」と祈るのであれば、 自分が犯した罪以上に、他の人の罪を赦さなければならないことになります。 イエスが「あなたの計る測りで、あなた自身が計られる」と言っているからです。
人の罪を赦す権限は、人に与えられている権限の中でも 特に価値がある権限だと思います。 主に対して「わたしの罪をお赦しください」と祈るのであれば、 自分が犯した罪以上に、他の人の罪を赦さなければならないことになります。 イエスが「あなたの計る測りで、あなた自身が計られる」と言っているからです。
つまり、他人を赦さないのであれば、 自分も赦されない、ということになります。 煎じ詰めれば、これは 「自分を救うのは、自分自身である」とも言えるのです。 イエスも、「あなたの信仰があなたを救った」と言っています。
プロテスタント信仰の間違いは、 「イエスを信じるだけで罪が赦される」 という、極論を堂々と信じているところです。 これは言葉上では間違いではありませんが、「イエスを信じる」ということの 真意をほとんど理解していないところに問題があります。
【わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。】 これについては、コメントはありません。 指導者的な立場にある人ほど、誘惑に合うということがあるようです。
>>57 「人の子」というのは、文字どおり「人の子」のことであって、
神のことではありませんよ。
間違えました。
上の投稿は、
>>58 さんに対するレスです。
イエスは、ご自身のことを固有名詞ではなく、
「人の子」という、まったく固有名詞をはぶいた言い方で語っておられます。
僕たちも、このように「人の子」としての意識で生きていければ
重荷を負うことも少なくなるはずです。
と、ここまで書いてきましたが、 何かご質問があれば、それに答えることにしたいと思います。 何も質問が来なければ、このスレは自然に消滅すると思います。
>「人の子」というのは、文字どおり「人の子」のことであって、 >神のことではありませんよ。 では、当時の人は誰もが自分のことを指すのに「人の子」と言っていたのですか?
>>64 >「人の子」というのは、文字どおり「人の子」のことであって、
>神のことではありませんよ。
まさかとは思いますが、
ダニエル 7:13-14を知らないわけではないですよね?
当時、自らを「人の子」と称するのはこの箇所を参照して以外にはありません。
「人の子」という呼称が特にイエスの「人性」を指すものとして
理解されるようになったのは専ら後世のことに過ぎません。
>>68 >当時、自らを「人の子」と称するのはこの箇所を参照して以外にはありません。
イエスは「人の子」とご自身を言っておられます。
しかし、ダニエル書に書かれているのは「人の子のようなもの」と
書いてあります。
よくよくご確認ください。
>>68 >「人の子」という呼称が特にイエスの「人性」を指すものとして
>理解されるようになったのは専ら後世のことに過ぎません。
あなたの書いていることの意味がよくわかりません。
おそらく、つまらない神学みたいなものによって頭が固くなってしまっていると思います。
「人の子」がイエスの人性を指すだとかいうことは
聖書に書かれていることとは違います。そうした考えは神学といって、
誰からのアイディアに過ぎないものです。
「人の子」というのは、文字どおり、「人の子」という意味です。 本来、人は誰でも「人の子」なのです。 そうではなく、 「◯◯生まれで◯◯大学で◯◯を勉強して◯◯に就職しました。」というのが 自分だと思っているのが、大多数の人です。
イエスは、当時のユダヤ人から見たら「大工の息子」であり、 「ナザレ出身のイエス」に過ぎませんでした。 こうした認識の仕方が、そもそも間違っているんです。 他人に対してだけでなく、自分に対してまでも、このような 間違った認識を持って生きているのが、大多数の人たちです。
>>71 >「人の子」というのは、文字どおり、「人の子」という意味です。
いいえ、これは黙示文学に於ける基本的な語彙です。
ダニエルほかの箇所の記述から、当時ユダヤ教的文脈で
「人の子」といえば(ダニエルのテクストの「ようなもの」抜きでも)、
ダニエルのこれを指していました。
ダニエル ◆o31oshrvYE がダニエル書を知らなかったとは…
>>73 >いいえ、これは黙示文学に於ける基本的な語彙です。
>ダニエルほかの箇所の記述から、当時ユダヤ教的文脈で
>「人の子」といえば(ダニエルのテクストの「ようなもの」抜きでも)、
>ダニエルのこれを指していました。
ですから、あなたの書いているこうした内容が意味不明だと言っているんですよ。
「ダニエルほかの箇所の記述から」って、何のことを言っているのかわかりません。
旧約聖書には、創世記にも民数記にも「人の子」という言葉が出てきます。
これらは、ダニエル書とは無関係であり、文字通りの意味です。
ダニエル書の「人の子のようなもの」という記述と イエスがご自身を指して言われた「人の子」が同じだということを 言う人も大勢いますが、何の根拠もありませんよ。 そうしたことを言う人たちは、イエスがダニエル書を引用して 自分が救世主だということを示したのだ、と言うのですが、 僕には、少なくとも聖書を素直に読む限り、そのようには読めないと思います。
どこかで、誰かから仕入れてきた生半可な知識を鵜呑みにして、 聖書を読むから間違えてしまうのです。 そうしたつまらない知識はいったん棚上げにして、聖書が語ろうとしている ことを率直に受け止めるようにしてほしいと思います。
>>73 みたいな人というのは、
典型的なダメな聖書の読み方だと僕は思います。
価値のない、誰かの解釈を受け入れてしまう前に、
自分で聖書を読み、自分でその意味を考え、自分で検証する必要が
あります。
聖書とは、そのように読む書物ですから、ユダヤ人には最適ですが
他の民族にとっては、罠のような書物になってしまうのです。
つまらない牧師を受け入れてしまう前に、 つまらない解釈を受け入れてしまう前に、 まずご自身で、聖書を読むようにしてみませんか? 誰かから教えられたように聖書を読むことが楽しいというのであれば 反対はしませんが、そのように聖書を読んだとしても、 得られるものは少ないと僕は思います。
あんまり言いたくないのですが、本当のことだから書きます。 多くの人は、真剣に生きていきたくないのです。 だから、聖書を読むのも面倒臭くて、自分で読もうとしないのです。 楽だから、自分でもあんまり信用していない牧師の解釈を受け入れて それで、なんとなく満足しているのです。 これがほとんどのクリスチャンの姿なのです。
どのような生き方を選ぶにせよ、 その結果は、その人のものです。 僕は、ご自身で真実を選びとる人生を送りたいと 考えている人のために、いつも投稿しています。
2ちゃんねるをやっていると、現代の日本における キリスト教会のレベルがよくわかって興味深いです。
何度も書いたことですが、再度書いておきます。 ユダヤ教のラビの仕事は、人々に聖書について 考えさせることです。 自分の考えを押し付けることではありません。 しかし、キリスト教会の牧師たちのやっていることは まさしく宗教観念そのものであって、自分の解釈のご披露や 他宗派に対する批判、くだくだと祈る祈りなど(イエスはこうした祈りを嫌っていた) ばかりなのです。
あるキリスト教会では、牧師の掛け声によって 皆が一様に声を出して祈り始め、牧師のストップによって 祈りが終わるのです。馬鹿馬鹿しい限りです。 イエスは「一人で祈れ」、「長々と祈るな」と言っておられるのに イエスの言葉は、まるで無視です。 みんな、牧師の言うとおりにするばかりです。 これが一般的なキリスト教会の姿なのです。
長々と個人的な祈りを強いるような牧師には 次のようにイエスが言っていました、と教えてあげてください。 ★マタイ6章 祈る時には、偽善者たちのようにするな。 彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。 よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。 すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。 彼らは言葉かずが多ければ、聞き入れられるものと思っている。 だから、彼らのまねをするな。
イエスに関すること、聖書に関すること どんな質問にもお答えします。
僕は、広く浅く支持されることを一切望んでいません。 そこが、一般の牧師と僕とで異なる点です。 牧師は多くの人から献金してもらって生活していますから 広く浅く支持されるようなことを言うしか出来ません。 しかし、僕はそもそもネットを介して発言しているために、 誰からも献金してもらっていないので(献金してもらいたくないわけではない) ごく一部の本当のことを知りたいと思っている人のために 発言することが可能なのです。
人の子というのはあれじゃないかな、創世記にある女の胤、女が産み出したものという意味が 込められているんじゃないかな。
人の子には人の子という意味しかないんじゃなかったのかねえw
>>91 >人の子には人の子という意味しかないんじゃなかったのかねえw
もう少し自分の頭を使って考えてみることをしないと、ずっと何もわからないままですよ。
「人の子」に「人の子」という意味しかないのはそのとおりです。
「人の子」という言葉をイエスがどのように認識していたのかについて
考えてみないことには、あなたは「人の子」について何もわからないままなんですよ。
これは「認識」ということについて、もっと深く考える必要がある という話になります。 多くの人は、様々なことを「わかったような気」になっているだけなんです。 このことをまず理解しないと何も始まりません。 なぜイエスが神を「父」と呼んだのか。そのことについても、 何の疑問も持たないようなクリスチャンが多すぎると思います。
人の子は「人類の代表」って意味だと思われ かしら、なわけです
>>94 さん
イエスが人類の代表なのはそのとおりです。
イエスが復活したということが、わたしたちも復活するという
ことの証拠になっています。
イエスがご自身を「人の子」だと主張してくれていることにより、
わたしたちも、イエスのようになれるということを証しています。
★ダメな聖書の読み方 典型的なパターン たとえば 【わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。】を読んで、 「へ〜」ということで流し読みして終わり。 次に続く聖句を同じように「へ〜」と読む。 そして結局、読んでも何も得ることができない。
自分が言ってることが支離滅裂だということに気が付かず ひたすら自らの妄想を垂れ流すのみ。やはりカルト。
>>97 人のことをカルトだとかなんだとか書くのがお好きなようですね。
支離滅裂に感じるのは、あなたが僕の書いている内容を
まったく理解できないからです。残念でした。
支離滅裂な内容など理解すべくもないので、残念でもなんでもないのだよ。
>>99 理解力が足らないというのは残念なことだと思います。
こうした残念な人の残念な投稿ではなく、 適切なご質問があればお答えしたいと思います。
やはり低質カルトだな。 ま、プロテスタントなんてそんなもの。
ダニエルさん、おはようございます。>96で「私はアブラハムの神、イサクの神〜」と聖書に記載があるとの事ですが、なぜ神様はご自身の事を「アダムとイブの神である」とおっしゃらなかったのでしょう? 教会に行ったことも聖書を通しで読んだ経験もないんですが、ずっと疑問に思っています。
>>103 さん
>>104 さんの見解でいいと思いますよ。
創世記を読むと、アダムとエバの血筋から 主に従う者と、従わない側の者の両方が 生まれているのがわかります。 まず、アベルとカインとの話がそれに当たります。 その後、ノアのような人も出てきたのですが、 なぜノアの神、ということにならないのかは面白いと思います。
ノアの子孫は、すべての民族の祖先となりました。 セム、ハム、ヤファトの三代民族で、 それぞれ、アジア系、アフリカ系、ヨーロッパ系ですが、 ある事件によって、アフリカ系の子孫のうち、 つまりハムの子孫のうち、カナンの子孫が呪われることとなりました。
このときのノアの宣言は以下のとおりです。 「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」 また言った。「セムの神、主をたたえよ。カナンはセムの奴隷となれ。 神がヤフェトの土地を広げ、セムの天幕に住まわせ、カナンはその奴隷となれ。」
ここで、わかるように 【セムの神、主をたたえよ】 と、ノアは宣言しています。 つまり、セムの家系が神の前に好意を得ることが推測できるわけです。
【アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神】の前に、 このように【セムの神】ということがノアによって言われています。 アブラハムというのは、このセムの系図であり、 セムから数えて九代目にあたる子孫になります。
アブラハムという人物が、特別な人物であったことは間違いありません。 いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクから祝福を受けています。 これは、後にも先にもアブラム(アブラハム)だけのことです。 サレムというのは、のちのエルサレムのことだとされています。
また、以下のように書いてあります。 何気ない記述なので、うっかり読み過ごしてしまいそうな部分ですが ここが最も重要なのではないかと思います。 ★創世記 15:6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
民族としての神との約束は アブラハムから始まったことが聖書には書かれています。 そして、アブラハムの直系の系図が神とともに歩む民族になったのです。 アブラハムが神とともに歩んだので、アブラハムの神。 イサクが神とともに歩んだので、イサクの神。 ヤコブが神とともに歩んだので、ヤコブの神です。
ダニエルさん、おはようございます。>103です。少し理解が進みました。ありがとうございました。全人類の神様ではなかったんですね!!結構衝撃です。
>>116 >全人類の神様ではなかったんですね!!結構衝撃です。
早とちりは、聖書を読む人にとっては致命的になります。
じっくり聖書をお読みになってください。
「アブラハムの神」があるということは、「僕の神」ということも
ありえるわけです。
以下の聖句を読めば、血筋によらないでも アブラハムの子になれることがわかりますよ。 ★マタイによる福音書 3:9 『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。 言っておくが、神はこんな石からでも、 アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
ちなみに、日本人も セムの家系ということになるかと思います。
>>120 萌黄色の天使さん
>他民族は虐殺せよ!と命じる神ではありますね。
それはどこの聖句のことですか?
萌黄色の天使さん >他民族は虐殺せよ!と命じる神ではありますね。 それはどこの聖句のことですか?
聖書は軽薄な本ではないので 軽薄な人が読んでも理解できないのは至極当然です。
>>124 【神なんて存在しないよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー 122】のスレでどうぞ。
旧約聖書については別に浅薄だとは思わないのだが。 プロテスタントはほんとバカだな。
しかし
>>125 のような愚劣な反応がまさにすべてを物語っているのだな。
>>1 これ、日本基督教団の方が歯切れがいいな
主の祈り
天にまします我らの父よ
願わくは皆をあがめさせ給え
御国を来たらせ給え
御心の天になる如く地にもなさせ給え
我らの日曜の糧を今日も与え給え
我らに罪を犯すものを我らがゆるす如く 我らの罪をも赦し給え
我らを試みに合わせず 悪より救いいだし給え
国と力とさかえとは限りなく汝のものなればなり アーメン
『誓ってはならない』 ★マタイによる福音書 05章 33節 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、 『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と 命じられている。 ***** 感想 ***** これは旧約のモーセの律法を指しているようです。
ここでイエスが言っていたのは、以下の箇所の聖句では ないかと思われます。 ★民数記 30章 03節 人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、 その言葉を破ってはならない。 すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。
★マタイによる福音書 05章 34節 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。 天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 ***** 感想 ***** イエスは「そもそも誓いを立てるな」ということを言います。 さて、ここからイエスは◯◯にかけて誓うな、と言い続けます。 まずは、「天」についてです。
「天は神の玉座だから、天にかけて誓うな」ということのようです。 どういうことかというと、 「天はお前の所有物ではないだろ?」ということのようです。 次々と、この論法でイエスの説教が続きます。
★マタイによる福音書 05章 35節 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。 エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 ***** 感想 ***** 地も神の足台だから、そこにかけて誓うな、とイエスは言います。 エルサレムは大王の都なのだから、そこにかけて誓うな、とイエスは言います。 さて、それではいったい、人間には誓うべきものとして 何が残されるのでしょうか?
★マタイによる福音書 05章 36節 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。 髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 ***** 感想 ***** 自分の頭にかけて誓ってもいけない、とイエスは言います。 結局、自分の頭であっても、その人の所有物ではないのです。 人の頭について、所有権があってコントロールしているのは神というわけです。
★マタイによる福音書 05章 37節 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。 それ以上のことは、悪い者から出るのである。」 ***** 感想 ***** 「誓い」というのは、誓う人が「このことを絶対にやる」と 宣言することに他ならないと思います。 しかし、何事においてもそうですが、神の許しがなければ 人は何も成し遂げることが出来ません。
★マタイによる福音書 05章 37節 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。 それ以上のことは、悪い者から出るのである。」 ***** 感想 ***** この聖句の意味は、案外わかりにくいです。 人が行うすべてのことは、『然り、然り』『否、否』です。 どういうことか、解説します。
人は、様々な局面において、 常に何らかの選択を迫られることになります。 そして、その選択肢のうちの一つに『然り』と選択し、 それ以外のものは『否』という選択をするのです。 生きているということは、選択することの連続になります。
その人がどのような人生を送るのか、についてもそうですし、 その人が大物になれるかどうかについてもそうなのですが、 これは、その人がおこなった数々の選択の結果ということになります。
自分の肉体でさえ、自分の所有物ではないということです。 人が何かにかけて、誓うということは出来ません。 価値があると思われるものは、ことごとく自分の所有物ではないからです。
以上です。 また気がむいたら、別の「山上の説教」にある イエスの言葉についても書いてみるかもしれません。 では、またね。(^^)/
人の罪を赦すことが出来るのは神だけ、という間違った考えが 教会内にも存在することについて、かつてこのスレで指摘しました。 この考えが間違っていると言える根拠は、もちろん聖書の聖句です。 人の罪を赦すことが出来るのは神だけだと考えている人は、 ぜひ、次の聖句をご覧になってみてください。
★ヨハネによる福音書 20章 22〜23節 彼らに息を吹きかけて言われた。 「聖霊を受けなさい。 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。 だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
人には、人の罪を赦す権限があるようです。 イエスによれば、 「あなたが他者を裁くその秤であなた自身が裁かれる」 ということになっています。 ですので、他者に対して、その罪を赦せば赦すほど その赦した人も同様に罪が赦される、ということになります。
ですから、このように考えることもできます。 他者に対して、その罪を赦すということは、 自分自身に対して、その罪を赦しているのと同じです。
グノーシスの教え 永遠の愛を誓う若い男女も時がたてば愛は冷め、中には憎み合い別れる者までいる。 地に誓ってはならない。そこは無常だからだ。天に誓ってもならないそこもまた無常だからだ。 あなた方がいくら永遠の若さを願い求めても、髪は白くなり老いさばらえる。それと同じく 貴方方の心もまた無常なのだ。無常なものに誓いを立てたところでそれは偽りである。 だから貴方方はただ、是なら是。否なら否とだけ言えばいい。 わかったかい?ネトウヨのダニエル君。
ネトウヨがイエスの弟子でありたいなんて、悪い冗談か?
>>148 いつまでも2ちゃんねるに粘着してるキモいやつ。
>>148 お前みたいなやつは、一日中キムチでも食ってろ。
建設的なことを書けずに、他人に2ちゃんねるで嫌がらせするくらいしか できない、哀れなやつ。 一生、2ちゃんねるでもやってろ。
「天にまします『我らの』父よ」 イエスは、「神の『独り子』」などではなかったのであるw。
>>150 おぉ、もっとやれ。民族憎悪は楽しいだろ。エゴのいいエサだからな。
エゴの命ずるまま、どんどんお前の霊を腐らせろ。お前も聖書に親しんでいるなら
イエスの説く隣人とはどういう人か知っているだろう。お前は隣人に石を投げる人だ。
ネトウヨが悔い改めず、イエスの弟子でいたいなんて何の冗談だよ。
>>151 建設的な話は随分書いてるけどな。そしたら決まって君と同類項の人が、
お前の話など誰も聴いてない。あげくに出て行けと始まるんだよ。誰も聞いてないのは
お前の話なんじゃないのか。ま、君らはあのヘブライ人と同類項なんで
ある意味仕方ないと思うけどね。
日本人は特別です。日本人だったうんぬんかんぬんと、 ネトウヨの幼稚な自画自賛を聞いてたら笑けてくる。アホ丸出し。 精神性に関しては国際社会の日本人の評価は正反対なんだけどな。 もちろん日本人にも人格者はいる。全部が全部そうだとは俺は思わない。 だがネトウヨは間違いなく精神性が低い、ある種の病気だろ。 国際社会が問題にしている慰安婦問題は、あくまで女性の人権問題な。 ペテン師吉田の強制連行の証言が嘘だから、慰安婦問題は無かったことに してしまえるネトウヨの思考回路は意味不明。中国側のプロパガンダの数字が水増し されてて実際の数が合わないからと南京虐殺事件そのものまで無かったことに してしまえるネトウヨの思考回路は意味不明。君らが詭弁でどう正当化しようとも、 他の先進国から歴史認識問題で日本の味方はいないのはなぜなのかよく考えてみよう。 先天的な人格障害のネトウヨにいくら言ってもわからないと思うけどさ。
どこの国の出身だとかはイエスに対する信仰においては、もはや 意味はありません。 そんなことに、いつまでも囚われているから、グノーシスみたいな汚物にまみれて 喜んでいるわけです。
とにかく、
>>155 は悲しいほど、致命的なほど信仰についてのレベルが低い。
まず自分自身の持っている、おかしなコンプレックスとか劣等感を
捨てることが出来なければ、無垢に神を信じることなど出来ないですよ。
あなたに親切にする必要もないので、これ以上は書きません。
後は、あなた自身が、その考え方を改めて、生活するかどうかです。
>>156 どこの国の出身だからに囚われているのはお前のほうだろう。
92 名前:ダニエル ◆o31oshrvYE [] 投稿日:2014/06/12(木) 20:36:35.03 ID:ftZPpR/0 [1/2]
>>74 >どこが人のせいにしてるんですか
>罪深い人ばかりだと述べただけですよ
人のせいにしてるじゃないですか。
日本人は、人から優しくされなくて怒るのではなく
自分がまず人に優しくするべきだと考えますよ。
人のことを「罪深い人ばかり」だ言うのではなく
自分も罪深いのだから人のことを悪く言うのはやめよう
と考えますよ。
あなたにはまったく、そういう考えがないじゃないですか。
人のせいにばかりしているのはなぜですか?
日本人にもいい人はいれば悪い人もいる。韓国人だって同じ事。
あのよ、日本人だったらこう考えるじゃなく、そこは、まともな人ならこう考えるだろ。
日本人だったらこうするこう考えるなんて幼稚な自画自賛のネトウヨ脳は笑えるとこだ。
自分も罪深いのだから人のことを悪く言うのはやめようといいながら
当該スレのスレ主のこと暗に悪く言ってるよな、おまえ。ちゅうかおまえ。別のスレで
ネトウヨだって指摘されたら、即効で自分のプログの政治的な記事は差j駆除したよな。
あれは笑えたよ。ネトウヨ。
>>157 おかしなコンプレックスとか劣等感をって、妄想は楽しいか?
民族としてそう思ってると思ったら大間違いだ。実際韓国人のほうが
日本人より優秀だと思うよ。ただ近代化が遅れただけだろ。
日本はメーソンノの後ろ盾でアジアの中で近代化が早く進んだだけ。利用されてるだけだけどな。
明治維新の影にメーソンが噛んでたのは公然の秘密だし。
実生活でもそれなりの生活させてもらってるんで俺は自分の能力に対してのコンプレックスもない。
もちろん容姿に対してもだ。なんで俺らが帰化しないと思う?日本人にはなりたくないからだよ。
民族的なものでコンプレックス持ってると思っているなら勘違いもはなはだしい。
ちなみに日本人は民族浄化の対称だよ。それはモンゴロイド全般だけどな。
朝鮮人は少し違ってな、プロトヨーロッパ族なんだよ。多くのモンゴロイドはキリスト教を
受け入れなかったが、唯一朝鮮民族だけは宣教師が来なかったにもかかわらずキリスト教を
選択した。にもかかわらず、隣国の過ちをいつまでも許さず裁き続ける
韓国人は間違いなく裁かれるだろうけどな。福島の事故は偶然だと思うか?偶然だとして
なぜ神はそれを許した。なぜ守らない。2年ほど前から日本の人口は急激に減り始めている。
放射能の因果関係は全くないと思ってるのなら誠に御目出度い。アメリカはドイツが
脱原発に動いても口を挟まないが、日本には口を挟む。利権の構造の枠に嵌めたら平気で
国民の命を差し出す日本人の指導者達。これで滅ぼされたって自業自得だわな。
神が約束した次の時代は、白人種とその亜種しか残らない。救われる人々の足を引っ張る旧い世代の
精神性の低い民族は、次の時代にいてもらっては困るってさ。残念だったね、ネトウヨ君。
なんだ、バカラスはこんなところ荒らしてんのかw カラスよけのネットでも張っとくしかないのか。困った害鳥だな。
集団的自衛権の行使容認に喜んでるネトウヨは馬鹿丸出し。あれアメリカに言われて やってんだよ。民族浄化作戦の一環としてな。アフリカ大陸にはエイズの蔓延と、エボラ出血熱。 俺には民族浄化作戦が粛々と行われているような気がしてならないんだよね。 グノーシスの一部の文献には明確に業報輪廻転生が説かれている。自分が今どの民族に属していて、 今の自分の属している民族が民族浄化の対象だからと聞いて頭に来るものはなにも分かっていない。 人は業に従って輪廻転生しているのなら、次はどの民族に生まれるか分かったものじゃない。 だから自分は日本人だからと民族意識に執着するのは愚かなことだ。むしろ民族意識の執着はエゴイズムを 生み、あなたを滅ぼすだろう。俺は韓国人も民族浄化の対象だとしてもなんとも思わない。 次の時代の恩恵には預かりたいとは思うけどね。まさに神よ、僕を見捨てないで下さい。だな。 彼の子羊は誰に言われるまでも無く彼の言葉に耳を貸す。グノーシスをよく知りもしないでグノーシスを 忌み嫌う心理が意味不明。君ら本能的にグノーシス嫌ってるだろう。俺はトマスの福音読んだ時、ビビビっと 来たぜ。
イエスの弟子でいたい。イエスを愛している。僕は真理を求めているといいながら、 民族憎悪の炎を燃やし、それを悔い改めようともせず、イエスの教えと反する事を愛し続けていながら 自分の異常性に気付かないのは、何かの病気だと思うよ。
このあたりのカラスがいたずらがすぎる。 みんなの嫌われ者。
>>164 実際そうだろうがよ、ネトウヨがどの口で僕はイエスの弟子でいたなんていえるんだよ。
ここのスレ主は、俺には親切にする必要がないといった。聖書のサマリア人の話は、要は好き嫌いの分け隔て無く
万人に平等な愛を示す人が貴方方の隣人ですよとイエスが教える話だ。そして最後に、行ってあなたも同じようにしなさいと
イエスは命じるわけだ。そのお教えに背き、全く聞く耳を持たないで民族憎悪の炎を燃やし続けるここのスレ主は
おかしいだろうがよ。大体悔い改めようともしないネトウヨが、イエスの弟子でいたいなんてしたり顔でいってること自体
異常なんだよ。ネトウヨのアホみたいな自画自賛を聞くにつけ、わらけてくるのは万国共通だろ。幼稚な自画自賛は
アホ丸出しなんだよ。
2chを見てみろ。匿名の陰に隠れては陰険陰湿な牙を剥く日本人の本質を見て取れるだろう。 まともな神経してるなら、とてもじゃないが日本人を自画自賛できないぜ。口汚くヘイトスピーチを繰り返しながら 日本人の美しい心を世界に誇りたいなんてネトウヨの発言はよく見かけるが、ここまできたらキチガイだろ。 民族憎悪の炎を燃やし続けながらイエスの弟子でいたいなんて平然といいのけ、自分の負の感情を悔い改めようともしない ここのスレ主といい、君らは先天的な人格障害を疑ったほうがいいとお思う。ここのスレ主は我の強さ故、敵が多い。 その中でも庇う人がいた。でもここのスレ主はその人に石を投げた。ここのスレ主はイエスの弟子でいたいといいながら、 平気で隣人に石を投げる人なんだよ。ま、私=エゴが神の名なんて言ってるトンデモさんだから仕方ないんだろうけどさ。
また地上げ屋が暴れてんのかw カラスよけネット張っとこう。
>>168 >「私=エゴが神の名なんて言ってるトンデモさんだから仕方ないんだろうけどさ。」
一応、説明しようと思います。
「神のエゴ」は「絶対善」です。わかる人だけわかればいいと思いますので
詳しくは説明しません。
一方、人のエゴについては仏教系の宗教では否定するべきもののように認識
しているケースが多いのですが、これは、まったくの間違いです。
未だかつて、エゴを消した人物などは存在しません。
仏教とか唯識とかいうものは、脱我を言うので、これは間違っているわけです。
そんなことが出来る人はいないからです。
彼らは自分でわかっていないことを偉そうに言うことが得意です。
人は誰でも生まれながらに「エゴ」とか「我」を持っています。 自我とかエゴを抹消しろ、という馬鹿な仏教が多くあるのですが、こうした教えは すべてがインチキですし、何もわかっていない人が発した教えです。 こうした教えは、なんとなくもっともらしいので、多くの軽薄な人が こうした教えに心酔し、そして何も出来ないままに一生を終えることになります。
聴く耳のある人だけ聴いてください。 今、ここではっきりと書いておきます。 イエスは「自我を抹消しろ」などという馬鹿げたことは 一切、教えていません。
僕らクリスチャンがすべきことは、自我の方向性を変えることです。 丁度、ラジオのチューナーで周波数を合わせるように、 自分自身のエゴの方向性を、神のエゴと一致させることなのです。 自己のエゴを捨てるのではなく、神のエゴと一致させるのです。 仏教には「創造神」という発想がないので、どうしても自己のエゴを捨てる、 という説明しかできません。これが多くの誤解を今日に至るまで産んでいます。
次のイエスの言葉を、じっくり味わってみることは こうしたことに、何かのヒントを与えてくれるものと思います。 じっくりお読みになってみてください。 ■ヨハネ5章19節 そこで、イエスは彼らに言われた。 「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。 父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
自意識の質を変えようということですね。主にあって。
話が次に言っているようだが、その前にしておくべきことがないだろうか。
>>147-159 ダニエルさん、カラスの唄氏のこの指摘は大事な点ではないのか。
政治的な問題は、各国ともにあるだろうし日本もあるだろう。
そう言った範囲なら、指摘されないのではないかな。
やり取りで、キムチと言ったね。
ああ、それだったのか、と思いましたよ。
ダニエルさんの他民族に対するその感性に異様なものを感じ取った人が
指摘してくれているのではないか。
こういう事を飛ばして、クリスチャンのすべき事もなにも・・・
それ以前ではないのか?
>>174 カラスさんのことは何も知りません。
彼が在日なのかどうかも持ちとん知りません。
彼がこちらを「ネトウヨ」だとdisってきたので、
そういうことをするのは在日が多いと聞いていたので
こちらの挑発に引っ掛かって、正体を白状するかなと思って
カマをかけてみただけです。
結果、彼は自分から在日だとか、日本人になるつもりはないとか、
こちらが聞いてもないし、興味もないことを書いてきたわけです。
>>174 >ダニエルさんの他民族に対するその感性に異様なものを感じ取った人が
>指摘してくれているのではないか。
まあ、勝手にレッテル貼りをすればいいじゃないですか。
あなたもカラスさんと同じような人なわけです。
僕はユダヤ人以外は大したことはないと思っているので
日本人だろうが、何だろうが、つまらない民族どうしで
よくもまあ言い合いが出来るものだと呆れているだけです。
聖書よりも、自分のこと(民族も含め)を誇りたいような人は ここのスレには似つかわしくありません。
聖書に関するご質問を受け付けます。 ご遠慮なさらずに、 「こんなことはわからないだろうから恥をかかせても悪い」などと 思わずに、ご質問ください。 あるいは、自分はこう思うがどうか?といったことでも歓迎します。 ただし、聖書を読んでいない人、神を信じていない人からの 投稿は歓迎しませんので、ご了承ください。
>>176-177 ?????????????
>>175 なんの経過もなしに突然、「ネトウヨ」と言ったというのは、
不自然ですね、ダニエルさん心あたりは、何もありませんか???
ユダヤ人はあくまで偶像。 ヒトラーと変わらない思想の持ち主は○○さんですね?
>>179 >なんの経過もなしに突然、「ネトウヨ」と言ったというのは、
>不自然ですね、
それはカラスさんに聞くべきだと思います。
在日の人は、自分たちにとって都合の悪いことを書いた人を
「ネトウヨ」と書いてdisるそうですから。
>>179 さんに警告します。
これ以上、くだらない汚物みたいな話題にこちらを誘い込むのは禁止します。
あなたが書いているような内容は、こちらから見れば汚物に等しいほど不潔なのです。
あなたにとっては普通のことでしょうが。
汚物好きの人ではなく、 聖書が好きな人のためのスレですので 汚物好きは、ここには近寄らないように願います。
>>181 日本人にも色々な方がいます、在日の人でもユダヤ人でも。
それは、さておき、
自分の都合の悪い事を書いた人をとありますが、
在日の人が都合が悪いと感じるような事を
はたして聖書の話で、出るでしょうか?
>>184 >在日の人が都合が悪いと感じるような事を
>はたして聖書の話で、出るでしょうか?
何が在日の人にとって気に入らないのかは僕にはわかりません。
あなたがよく知っているのであれば、まずそれを書いてください。
>>182-183 ダニエルさんもカラスの唄氏もよく存じないが、
聖書を大切に多少なりとも思っている自分は、かえって
>>147-159 >ダニエルさん、カラスの唄氏のこの指摘は大事な点ではないのか。
と尋ねたのだが、おかしい事か?
>>186 自分ばかり、こちらに答えさせようとしないで、
まず、こちらの質問にも答えてください。
こんな馬鹿げたことでスレを消費するのは、本当に遺憾ですわ。
>>186 みたいな人にとっては、他人を貶めることの方が、
僕が先に書いた、「自我」についての指摘よりも、関心があるとは情けない。
>>185 うん?
いや、ダニエルさんがそういったのだ。
それで、聖書には在日の人が都合悪く感じることが書かれてあるのかと、
聞いたのだよ。
もし、ここを見ている人のなかで 僕に質問したい人がいるならば、なるべく早くご質問ください。 いつまでお答えできるかわかりません。
一番大切なものは「命」です。 「命」とは、「永遠の命」です。 議論をしたいのではありません。 少しでも多くの人に、希望を見出してほしいと思っています。 そのために僕の得たことが役に立ってほしいのです。 いつまでも2ちゃんねるにいるとは限りません。 ですので、早急にご質問をお願いいたします。
>>188 貶める?
何も経過なしに、突然「ネトウヨ」は腑に落ちませんが、カラスの唄氏が
ここを今読んでないなら、聞けないし一端この話は横に置くこととする。
>>191 議論をしたいのではない、多くの方に希望を見出す役に立てばだな。
聖書は、現実に役立つものだと自分も考える。
(だから、二人のやり取りが大事であると思ったわけだ)
質問させてください。 出エジプト記3:14は神がモーセに向かって自己開示された節だと思います。そのなかに こうあります。 「わたしはある。わたしはあるという者だ」(新共同訳) 「わたしは、『わたしはある。』という者である」(新改訳) ダニエルさんはこの神による自己開示を、どのような意味に解釈されていますか。 自分は神が率直に「わたしは存在である」と自己規定されたものだと解釈していますが、 非常に謎めいていてなかなかよくわかりません。 また、ヨハネによる福音書1章との関係については、どのようにお考えでしょうか。 よろしければお考えをお示し下さい。もちろんおおざっぱなところででけっこうです。 よろしくお願いします。
>>193 こんにちは。
>「わたしは存在である」と自己規定されたものだと解釈しています
そのとおりだと思います。
>非常に謎めいていてなかなかよくわかりません。
どのあたりがわからないのか、詳しく教えていただけると助かります。
何度か2ちゃんねるに書いているとは思いますが、 2ちゃんねるにあまり来られていない方がご質問していることもあると 思いますので、同じようにお答しようと思います。 石ころであれ、空気であり、生物であれ、それらが存在しているということは 「神」を表現していると思ってください。
すべてのもの(つまり、この世に存在しているもの)は、 神があるから、あるわけです。 このことは、あまり難しく考える必要もないし、難しく考えたとしても 極めることは出来ないように思います。
神は「神のイメージとして」人を作った、と創世記にあります。 日本語では、神のかたちに作った、と翻訳されている部分です。 つまり、神にはかたちがないようですが、神を形として表現すると 人のようになる、ということのようです。 万物の中で、一番神に近いのは人だ、ということになると思います。
「ある」ということの反対には「ない」ということがあります。 この両方が混在しているのが、この世界ということのようです。 創世記では、「地は混沌であって,闇が深淵の面にあり」と書かれています。
「ある」ということは、存在のことであって、 「ある」わけですから「永遠」と言ってもいいと思います。 「ない」ということは、そもそも神から離れたことを意味します。
ちなみに、この世界においては「ある」に従うことも 「ない」に従うことも、可能な世界なのですが、 この世界が終わる時には、 切り離されてしまうことになります。 ですから、神の側に付くのも、神から離れるのも 自己責任ということのようです。
>>194 ありがとうございます。
存在者は存在する。ただそのままのことであると解釈するべきなんですね。。
「者だ」「者である」という部分が、存在者とも読めるかもなあと思ってしまって。
神は存在であると実は同時に存在者でもあって、この世を超越しまた内在されるということかも、と。
僕は考えすぎですね。なんか滅茶苦茶ですみません。もっと素直に読みます。
>>201 意味がよくわからないのですが、神に人格(神格)があるとか
ないとかの話だったのですか?
どうして質問したいことを明確にしてくださらないのですか?
神が発言しておられるのだから 神に人格があるのは当たり前の話だと思います。 もう一度、あなたが本当にお聞きになりたいことを 明確に、意味が相手に伝わるように書いてもらえないでしょうか?
待っていましたが、返事がないようなので、
とりあえず、
>>201 さんのことは忘れることにします。
他にもっと質問はないでしょうか。
なければ、別にそれでもいいのですが。
誰も質問する人がいないようですので、
>>184 さんが書いていた内容が的外れである件について
書いておこうかと思います。
>>184 さんはこう書きました。
>日本人にも色々な方がいます、在日の人でもユダヤ人でも。
>>184 さんは、【日本人にも色々な方がいます、在日の人でもユダヤ人でも。】
という文章を、おそらく以下の僕が書いた内容に対して書いてきたものと思います。
>>176 僕はユダヤ人以外は大したことはないと思っているので
日本人だろうが、何だろうが、つまらない民族どうしで
よくもまあ言い合いが出来るものだと呆れているだけです。
>>184 さんの主張は、おそらくこうです。
「どんな民族であっても、その中には良い人もいれば悪い人もいるのだ。
だから、一概にどの民族が優れているとは言えないのだ。」
こんな趣旨だろうと思います。
神は超越的な存在とされています。 それならば神は神ご自身をも超越されますか。
この理屈というのは、レベル的には次のような考え方とまったく同じです。 「犬といっても、頭が良くておとなしいのもいれば、頭が悪くて気が荒いのもいる。 ひとくちに犬といっても、それぞれなのだ。」
「良い人もいれば、悪い人もいるのだ。」 ある特定の集団について、このように言う人がよくいるのですが、 そもそも「良い、悪い」とかいうのは、ある人から見た主観に過ぎないのです。
聖書的に見てみると、ユダヤ人とかイスラエル人と呼ばれている人たちが 人種的に特別の恵みを得ていることは疑いようがないことです。 そのことについて、いちいち、ひとつひとつ聖句を拾い上げて 実証していくことは可能ですが、僕の希望としては、聖書を読む人が、 それぞれ、ご自身にて確認する作業を行ってほしいと思っています。
そもそも、良い人が評価されて、悪い人は評価されないだろうという 考え方自体が、聖書と関係があるとは言えない考え方です。 こうした考え方というのは、おそらく日本だけでもないとは思いますが 古来から土着している一種の信仰みたいなものです。
「良い人もいれば、悪い人もいるのだ。」 と言われても、 こちらからは「それがどうかしたの?」としか言い様がないです。 もしあなたが救われたいのであれば、良い人であるか悪い人であるか に関わらず、洗礼を受けなければなりません。 聖書を読まなければ、人がどのように生きていけばよいかについて 知ることは決してできないだろうと思います。
以上です。 聖書を読んでいない人(読んでいたとしても、 不完全にしか読んでいない人)からの質問というのは、 答えるこちら側とでは、立っている場所が既に違ってしまっています。 ですから、ある程度は聖書を読んでおられる方からの質問でないと 質問としてのレベルをクリアできないし、こちらからの回答も 質問者には何を言っているのかわからない、ということになると思います。
>>215 さんの感想以外には、感想のある者はいないのかな?
タダで、この世界で一番価値のある聖書の教えを解説してあげると
言っているのに、欲しい人は誰もいないのかな?
ダニエルさんって、御自身でブログを御持ちなんでしょ? それなら、ブログで展開なさればよろしいことを、 なぜ、わざわざ2chに出張して来てまで、行う必要がおありですの? ダニエルさんが真面目なキリスト者だとおっしゃるなら、 今でも2chなんてしていないと思いますし、2chをしているということ自体、 御自身が不真面目なキリスト者である、ということを証していらっしゃるのだ、 ということにお気づきにならないというのは、常識的に見てもおかしいことですし、 言動不一致という点で、かなり矛盾していると思いますわ。 そのような、キリスト者としても言動不一致かつ不誠実な御方から、 私たちが学ぶことは何もございません。 どうぞ、お引取りを。
>タダで、この世界で一番価値のある聖書の教えを解説してあげると >言っているのに、欲しい人は誰もいないのかな? プププ
それでは、そろそろ締め切りますよ。 25日まで待ってみますが、それ以降にご質問をいただいても お答えしないものとします。
25日以降は『霊肉二元論』という考え方の不備について解説します。 これはとても重要なことなので、楽しみにしていてください。 おそらく世界でも、まだ誰も解説していないかもしれません。 まあ、聖書には書いてあることなのですが。 それが終わったら、ここのスレから離れます。
そのような解説よりも、中途半端に滞っているブログの更新をすることのほうが、あなたにとっては【最重要事項】だと思いますけど? 「それが終わったら」と言わず、今すぐ、このスレを離れて、ブログの更新に勤しむべきです。 中途半端なことをしている人の言動は、所詮、どっちつかずの中途半端です。 何をどれだけ語ろうと、中途半端なところが災いして、結局、誰も導くことなどできず、盲人の手を引く盲人となるだけです。 誰かを導けるのは、中途半端なことをしない、「本気の志」を持つ者だけです。 あなたからは、その「本気の志」が感じられません。 二人の主人に私たちが仕えることができないように、二兎を追う者は、一兎も得られないのです。 また、あなたは御自身のおごりが邪魔をして、客観的に御自身を見ることができていないようです。 私から見た感じですが、今のあなたは「自分が教えてやっているんだぞ」という上から目線で相手を見ているように思います。 誰も、そのような人から聖書のことを学びたいとは思いません。 聖書を知らない人の目線までおりて来られない、相手の立場に立てない、というのは、キリスト者として致命的な欠陥です。 そのような人が、「隣人愛」を果たして実践できるのでしょうか? あなたは、ここまで言われても、「隣人愛を実践できている」と御自身で自負できますか? キリスト者は、「他者に奉仕する者」とならなければなりません。 「奉仕する者」とは、「上から目線で相手の上に立つ者」とは違い、「自身を他者よりも低くできる者」のことです。 長い間、このようにして、他者より高い位置に在ろうとしてきたあなたです、「奉仕する者」の境地にたどり着くには、 これまでの倍の年数がかかることでしょう。 ですが、神様が人間を信じて待っておられるということを、私たちは忘れてはいけません。 神様は、御自身の臨在を証しするために、あえて欠陥のある人間を用いるのです。 ダニエルさんは今でこそ中途半端な言動をする御方ですが、神様によって、彼が中途半端ではない者、欠陥のない者に変えられることを信じて、 皆さんと共に祈りたいと思います。
ダニエルの愚かしさは見ている人間には明らかなのだが、 どれだけ言葉を尽くしても本人には伝わらないだろう。 端的に言えば、こいつはクリスチャンでもなんでもないのだ。
>>220 >おそらく世界でも、まだ誰も解説していないかもしれません。
かくのごとく、神学史の基礎すらもを知らないというのは実に気楽なことである。
17世紀〜18世紀のキリスト教神学が何をやっていたかを知っていれば
かくも愚かしく己を高くすることもなかったろうに。
26日になりました。 それでは約束どおり、「霊肉二元論」について考察していきましょう。 これは、もともとはプラトンさんが唱えはじめた哲学のようですね。 僕たちが「霊肉二元論」について考えなければならない理由ですが、 これが、肉体の復活を理解するための前段階として有効だからです。
さてさて、プロティノスの新プラトン主義をきちんと理解できているかが第一の関門だがwwwww
現代人は特に、物心ついた頃から、精神と肉体とが別であるという 考え方が自然と身についてしまっているように思います。 この肉体については、聖書(新共同訳)では「体」と訳されている ケースが多いようです。 さて、さっそく次の聖句を見ていただきたいと思います。 ★マタイによる福音書 10章28節 むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
お前より遥かに優れた古代の教父たちがどのような問題に悩まされたか知りもせずに 数日の思いつきで「霊肉二元論」を克服しようというその無知と蛮勇を 褒め称える……はずがねえだろwwwwwww
「魂」というのは精神(スピリッツ)ではなく、マインド(心)のことのようです。 スピリッツは神に帰るのでしょうね。滅ぼされるのはマインドなんです。 そして、次が更に重要なのですが、『体を地獄で滅ぼす』と書かれていることです。
わーい、魂と霊の区別のついてない素人さんの妄想神学騙りですよ〜
心が地獄で滅ぶことは、なんとなく理解できたとしても 「体」が地獄で滅ぶ、ということは一般的には想像していないと思います。 多くの人が、「体」は、この世界で死んだ際に滅ぶものだと思っているからです。
そうすると、この「体」っていったい何なのでしょうか。 少なくとも、この世界にある物質的なもののことではないようです。
ほーら、やっぱり、ネシャマとルアクの区別もマトモについてないwwwww 旧約に於けるこの箇所の並行表現も知らんとw
『人間は精神と体とで出来ていて、 精神は永遠だけれども肉体は永遠ではない』という考え方がありますが、 このような考え方は聖書的ではない、ということが言えます。 聖書的には人は『精神、魂、体』という構造になっていて、さらに そのうちの「体」も、精神や魂と同様、物質的なものに限定されないわけですわ。
混同してはならないのは、聖書で「肉」と書かれている場合、 それは、この世の物質世界のことを指しているってわけや。 けれども多くの人は、人の体を「肉」、つまり物質だと思い込んでいるわけです。 これは錯覚ですので、「肉」と「体」とは、まったく異なることを理解する必要があります。
錯覚と言われても、ずっと「体」を物質だと思って生きてきた感覚があるから それを違うと言われても納得するのは難しいわけやけども、 「体」は物質には依存していないということを理解する必要があるってこと。 「精神」や「心」だけではなく、「体」もこの世に依存してないんやで。
ダニエルさんはこの世の他に天国地獄と別の世界があると思ってるわけだ。 この世(物質世界)とは違う地獄で魂も体も滅ぼされると書かれているから 体はこの世に属していないと。天国地獄この世と分けて考えるのは二元論ですよ。
>>229 >それでは約束どおり、
あなたは誰と、約束をしていたのですか?
少なくとも、スレの住民に該当者はいません。
一方的な書き込みは、「約束していた」とは言いません。
キリスト者は「聞く」ようにと言われていますが、
これは神様の御言葉だけを「聴く」のではなく、
第二の掟に則って、「隣人の声にも耳を傾ける」ということでもあると思います。
他人の声に耳を傾けられないダニエルさんは、本当にキリスト者なのでしょうか?
二元論を克服すると称しつつ、それが元のものより劣悪な二元論に
なっているというのは歴史的によく見られる現象ですわねえw
だいたい「霊肉二元論を克服しよう」といって(
>>220 )
「『肉』は物質世界のことを指している」なら(
>>239 )
「霊」も物質世界のことを指しているわけですわwww
いやいやまったくその通りであると思いますよwww
さすがダニエル先生であらせられるwwwwwwww
人は「精神、心、肉体」から成り立っているわけですが、 これを聖書的に言い直すと、 「神の霊、魂、体」から成り立っているということになります。 「神の霊」というのは命の根源みたいなもので、 「生きている」ことを成すためのエネルギーみたいなものです。 電気で動くおもちゃに、電気を供給することにより、 おもちゃは動くようになりますが、それに近いと思います。
人が責任を負っているのは、自身に預けられている 「魂」と「体」です。 これらをどう使うかは、その人に任されているからです。 ですから、裁かれるのは「魂」と「体」なのです。
さて、『体』には段階があります。 聖書では現象世界、物質世界のことを「肉」と呼んでいます。 この世(物質世界)で肉としてで存在している体と、違う段階の体が あることを聖書は言っています。 ★コリントの信徒への手紙一 15章 44節 つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。 自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
多くの人のイメージでは、人の死後は霊とか魂になっているような イメージではないでしょうか? しかし、聖書によれば「霊の体」という体があるわけです。 このように、どこまでいっても、体が無くなることはないのです。
それでは創世記による「人」の形態の移り変わりを記載してみます。 1.人として創造された → 2.人は男と女とに分割された 3.アダムの罪により地が呪われた → 3.人は毛衣を着せられた。
イエスは復活はないと言っているサドカイ派の人たちから論争を 持ちかけられた際に、 【復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。】と 説明しておられます。 つまり、復活後の人の体の状態は、創世記の1の段階、つまり 『人として創造された』ときの状態にまで戻っているわけです。
そもそも人は「神の形」(創世記1:27)に創造されているわけなので、 人から形がなくなることはありません。 新しい天地が現れたときであっても、人に体はあるのです。 ただ、現在の呪われた状態の「肉」の世界に生きている「体」と、 新天地に復活した「体」では、まったく次元の違う「体」になっているわけです。
ですので、霊肉二元論が言うような どちらが上でどちらが下だとか言うことはありません。 現在の物質世界は、聖書によれば、いずれ消え去った後に 新しい物質世界が現れることになっていて、そこでは 現在とは異なる次元の「体」を持った人がいることになります。
ユダヤ伝承のカバラによると不老不死の薬の分子構造が神から啓示されて わかっているそうですでも真実は伏されていてどれがどの原子に当たる のかわからないようです。 嘘か本当かわからないですが。 そういう本を読んだことがあります。
>>250 それは面白そうな本ですね。
基本的には、復活によってのみ体の分子構造が変更されるだろうと思います。
現在の物質世界の状態は、聖書的に言うならば「呪われている」状態です。
ですから、これはいずれ消え去って、新しい地が現れるはずです。
そのときには、物質の成り立ち自体が分子レベルで変更されているでしょう。
>>220 > おそらく世界でも、まだ誰も解説していないかもしれません。
これは本当ですか?
ダニエルという人の二元論はそんなにすごいですか?
教えてくださいエライ人。
>>256 >>253 の人に対してレスしました。
番号を間違えただけです。
私はキリスト様の信者では有りませんが、「祈り」の言葉は心に しみます。私たちは、完全な人間ではナイのは、承知致しており ますが、また、日本人は、一般に「軽うつ状態」とも言われますが それにしても、「原罪」と言う心の捉え方には、同意できません。 唯物論者の内科医の人生ですが、「祈り」の言葉は、苛立つ日々の 心に慰めとなるようです。信者の方には、申し訳ありませんが、 「三位一体」は、信じていませんし、最後の審判も認めません。 「いのち」アル限り、この世(宇宙)はある。 「いのち」ナキ所に、この世(宇宙)はない。
>>259 「原罪」という教えは西方教会のものであり、全てのキリスト教が説いているものではないのですよ。
ここのスレ主はいつも途中で投げ出すのな。 きっと実生活でもこんな感じなんだろ。何かひとつでも やりとげたことあるのかね、ここのスレ主。
>>263 このスレから離れる、と少し前のレスでおっしゃっていませんでしたかね?
ウソつきは、「神の敵」であり、「キリスト者の敵」です。
どれも中途半端にしかこなすことができないということは、
神様に対する信仰も、「中途半端」なのでしょうね。
このような「ぬるい者」は、神様の口から吐き出されます。
キリスト者には、熱いか冷たいかであって欲しい、というのが
神様の御望みですから。(↑聖書参照)
天におられるわたしたちの父よ、 み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いください。 「み名が聖とされますように」っていうのは変じゃないか? 「み名」は「聖」じゃないのか? まあ、どうでもいいけど。 最強の祈りは、 「天使祝詞」だからね。 「主の祈り」は、イエスが、 バカな弟子に、 これでも唱えておけ! って、適当に与えた、毒にも薬にもならない祈りなんだからね。
私は聖書好きですが教会には行ったことがありません。「天使祝詞」はどちらの教会の祈りなのか 教えて頂けませんか?
天使祝詞って、アベマリアの祈りだよ。 ようするに、カトリックの祈り。
>>269 そうだよ 金じいちゃん 天使祝詞 めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 但し支那蓄と朝鮮菌は除く 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。 >>269 268ですが教えていただきありがとうございます。
プロテスタントは、教えごとに分裂してしまってるけど、 カトリックはいろんな要素を抱え込んでいるので、 探せば、自分にぴったりな教えがみつかる。
>>272 ん?
教えごとに分かれているプロテは、探せば、自分にぴったりな教えがみつかるの間違いだろ?
>>265 >「み名が聖とされますように」っていうのは変じゃないか?
>「み名」は「聖」じゃないのか?
天にましますわれらの父よ
み名があがめられんことを
で分かるだろ。
2チャンネルみたいな汚れた世界では
神の名は聖とされていない。
このような状態から人々が解放されることを
祈りっているわけ。
「主の祈り」って 別に大した祈りじゃないらしい。 イエスが、 例えばこんなふうに簡単に祈りなさいって 示しただけのものらしい。 だから、 主の祈りを唱えるのではなく、 主の祈りのように 言葉すくなく祈るようにすればいいだけのこと。 オレの場合、 「神様、お金をください!」 だね。
主の祈りよりすぐれているのは 天使祝詞! めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。
>>278 そうだよ 金じいちゃん 天使祝詞 めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 但し支那蓄と朝鮮菌は除く 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。 そのオカシナ天使祝詞を唱えるのが、
金爺の証拠。
>>279 オマイが金爺だ。
白状するんだな。
金爺はボケて老人ホームに閉じ込められているんだ。 たまに帰宅した時にパソコンをいじることができるんだ。 もう自分が金爺ということもわからなくなってるんだ。 かわいそうなんだ。 でも、 ボケ老人なんてどうでもいい。
>>282 金ジジイさんもお亡くなりになりましたか。
私は未だもう少し(だけ)生き延びられそうです。
昨年わたしが書いた、主の祈りについての下記の解説が、ご参考になれば幸いです。
http://www.kuwaei2000.com/2ch.html → 主の祈り
[拡散希望!]
参考になりそうなURL送っておきます
電磁波による拷問と性犯罪
http://denjiha.main.jp/higai/archives/category/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E 公共問題市民調査委員会
http://masaru-kunimoto.com/ この方たちは集団訴訟の会を立ち上げてマスコミに記事にしてもらう事を目的に集団訴訟を被害者でしようという試みを持っている方達です
訴訟は50人集めてしようという事なのですが50人で訴訟をすると記事に書けるそうです
記事には原発問題を取り上げてテク犯被害を受ける様になった大沼安史さんらが取り上げて下さるそうです
大沼安史さんがテク犯に遭っているという記事
http://ameblo.jp/hilooooooooooooo/entry-11526674165.html 大沼安史の個人新聞
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/4/index.html この方たちは電話相談等も受け付けている様で電話番号を載せている方達は電話かけ放題の契約をしていますのでこちらから電話して本人にかけ直してくれと頼むとかけ直してくれます
音声送信被害等を受けている「電磁波による拷問と性犯罪」の記事の水上さんは年金暮らしなので時間には余裕があるそうで被害内容の話等を聞いてくださると思います
もう一人の電磁波犯罪には遭っていない国本さんという方は電磁波犯罪をしっかり理解されている方で年金暮らしの方なので長電話も大丈夫です
大沼さんはこちらのページからメールを受け付けておられる様です
http://onuma.cocolog-nifty.com/about.html 電話をかけたい場合は人によってはメールで電話番号を訊くと教えてくれると思います
この文章を見られた方は全文コピーをしてできるだけ多くの知り合いの被害者の方等にメールを送るなり被害者ブログに書き込むなりしていただければ大変有難いです
もし大勢の方に送る事が出来なければまだこの文章に触れていない知り合いの被害者に少しでも全文コピーで送っていただけるとその方が次の何人かの方に繋いで頂ける場合があり結果として大勢の方に見て頂く事が出来るはずです
ご協力よろしくお願い致します
👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 五芒星の儀式 http://www004.upp.so-net.ne.jp/akibba/IOSARCHV/pentagrm/pentagrm.html 「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」(『エゼキエル書』に由来する祈祷文) 「天になされるごとく、地にも行われんことを」(『トセフタ・ベラコース』3章7節) 「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」(『箴言』30章8節) 「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」(『メギラ』) 「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」(朝の祈祷文) カトリックの『聖書』はここまでしか述べていないが、英国の『ジェームス王版聖書』では、さらに次の一文が付け加えてある。(最古のギリシャ語原本には、この部分はない。) For thine is the kingdom, and the power, and the glory, for ever. Amen. 汝がために、御国と、力と、栄えあり、永遠に。アーメン。 十字の言葉そのものは、『歴代志上』29章10、11節から取られている。 「我らの父祖イスラエルの神、主よ、貴方はとことわに誉むべき方」(29章10) バルコー アター アドナイ エロヘイ イスラエル アビノー BRVK AThH IHVH ALHI IShRAL ABINV 誉むべき方 貴方は 主よ 神 イスラエルの 我らの父祖 モラーム ヴェド オラーム MOVLM VOD OVLM とことわに 「主よ、栄えと、力と、美と、勝利と、威光は貴方のもの。…王国も、」 (29章11) レカー アドナイ ハゲドゥラー ヴェハゲブラー ヴェハティパレト ヴェハネツァク LK IHVH HGDLH VHGBVRH VHThPARTh VHNTzH 貴方に 主よ 栄えと 力と 美と 勝利と ヴェハホド ハミメラカー VHHVD … HMMLKH … 威光 : 王国も 新約聖書の使徒書簡には、人間の三分法というのが解説にあって驚く。 昔の人の人間観を解説している。 カトリックは二分法といって、肉と霊(高次元・低次元)と扱うが ある教会では三分法といってギリシア哲学の人間観を定義に採用する。 三分というのは 肉体(からだ[ソーマ])・魂魄(たましい[プシュケ])・霊魂(レイ[プネウマ])と扱い グノーシスHPで判り、ナグハマディ文書の本の巻末の用語解説で判ったが 人間は霊(霊魂・カトリックの高次元たましい)が無いと 狂人や植物人間で、いわゆるケダモノ(獣)なのだという。 獣(ゴイ・外国人・異邦人・複数形がゴイム・外国人は本来的に罪びと)にならないよう 樫(かしの木)の杖(アロンの杖・テレビンの杖)で羊飼いするよう人間・信者を飼う(ユダヤ人になる)。 その杖使いの行いを「司牧」という。杖は司牧杖(アロンの神権)という。 ダビデ(紀元前1000年ごろ)は、羊の群れを飼ったがヘブライ人の群れも飼った。 羊相手に牧者だし、ユダヤ人相手に王様(油の人・メシア)だし、と言う事である。 霊がある状態というのは 「良心の痛み(人に教えられずに先天的に判っている 人間の心に神の掟が刻まれている)」がある。懺悔告白できる。 「善悪判断に自由意志」があり 善を選択し行動する(物事を見分け悪を遠ざかり善を取りなさい)という 態度を取れる。 というものである。
04-06人間論 人間の構成について(試論メモ) http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20150228/1425084106 三分説の聖書的根拠とされるのは 1テサロニケ5章23節 「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」 という表現である。 「霊(プネウマ)」と「魂(プシュケー)」と「からだ(ソーマ)」という ことばがここに出てくる。 英語だと(スピリッツ)と(ソウル)と(ボディ)という事になろうか? このように神と人間・万物の間を取り持つ関係や役割の人を 教学や神学的にキリストの「中保者(ちゅうほしゃ)」としての役割と呼ぶ。 神であり且つ人 人であり且つ神でなくてはならないのが中保者であるキリストの存在。 霊(プネウマ)魂(プシュケ)肉体(ソーマ) 霊(スピリッツ)魂(ソウル)肉体(ボディ) 神(精神・理性・良心)魂(鬼・魂魄・感情)身体(血肉・骨肉) 神の霊の聖霊は霊(神性) 父なる神は霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性) 神の子キリストは霊(神性と人性)・魂(神性と人性)・肉体(神性・人性) 人間は霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性) 動物(および植物人間など)は魂(人性)・肉体(人性) -------------------------------------- 【 異端説1 】 神の子キリストは霊(神性・神の霊)・魂(人性・動物)・肉体(人性・動物) 【 異端説2 】 神の子キリストは「神」である霊(神性)・魂(神性)・肉体(神性)から 「人間」として霊(人性)・魂(人性)・肉体(人性)とヘンゲして十字架で死に昇天後に 「聖霊」として霊(神性)となって地上に君臨した。
【 カトリック要理(サンパウロ) 】 第一部 神と、キリストによる人間の救い 第三課 人間 13 良心とはどういうものですか。 良心とは、人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、 悪を戒める神よりの心の声です。 ・・・人間は心の中に神から刻まれた法を持っており、・・・神とともにあり・・・ます。 (『現代世界憲章』16参照)p25−26 14 人は神に対してどのような態度をとらなければなりませんか。 人は神を礼拝し、愛し、ご恩に感謝し、そのおきてを守らなければなりません。 特に、祈りをもって、人は神に対する礼拝と感謝を表わし、・・・願います。 祈りの中で、もっともすぐれた祈りは、 イエズス・キリストのお教えになった「主の祈り」です。(マタイ6・9−13)p26−27 第一部 神と、キリストによる人間の救い 第十三課 罪と罪のゆるし 56 罪とはどういうものですか。 罪とは悪いことと知りながら自由意志をもって神にそむくことです。 (第三課、質問13(良心)参照)p109 第一部 神と、キリストによる人間の救い 第十五課 終末的完成 使徒信条 われは、天地の創造主、全能の父なる神を信じ、・・・終わりなき命を信じ奉る。アーメン。 ・・・信仰宣言の様式・・・。p121 第二部 キリスト信者の道徳 第三十課 完徳 ・・・イエズス・キリストは山上の説教で、真の幸福を告げ、 新約の道徳をおさとしになりました。・・・(マタイ5・3−10)p164 第三部 秘跡と祈り 第三十五課 ゆるしの秘跡 ・・・洗礼以後に犯した罪を、教会の司祭を通してゆるし、・・・和解させる秘跡です。 (第十三課、質問56−59参照)p190
【 正教要理(日本ハリストス正教会教団) 】 第一部 信仰箇条 信経について ・・・教会の教えを正しく受け それに対する心からの承認と忠誠を誓うものです。・・・ p20 第一部 信仰箇条 第四課 機密 六 痛悔機密 ・・・痛悔は心からその犯したあやまちを悔やむことですが ・・・悔改めであり、 ・・・神の赦しと導きをいただくこと・・・です。 p93 第二部 信者の生活 四、祈り 天主経 祈りは神と信者との対話です。・・・ ・・・祈りには教会で行う公的な祈り(公祈祷)と私的な祈り(私祈祷)があります。 ・・・(ルカ18・1)・・・代表的な祈りとして「天に在(いま)す」で はじまる天主経があります。・・・ p124 第二部 信者の生活 四、祈り 謙遜の祈り(真福九端) この祈りは、マトフェイ福音書の五章にあるハリストスが山上でなされた教訓で、・・・ p133 第二部 信者の生活 五 徳 信者の心得 (一)主日(日曜日)の聖体礼儀及びその他の諸祭日には出来る限り参祷する ・・・聖体礼儀にあずかれない場合 それに代わる祈りをささげ ・・・望まれます。 p154−155
新約聖書のギリシア語では 肉(サルクス) 肉体・からだ(ソーマ) と分けて解釈を要します。
日本キリスト教団(プロテスタント)の「主の祈り」 天にまします我らの父よ 、 ねがわくは み名をあがめさせたまえ 。 み国を来たらせたまえ 。 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ 。 我らの日用の糧を今日も与えたまえ 。 我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、 我らの罪をもゆるしたまえ 。 我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ 。 国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり アーメン 。
日本ハリストス正教会の天主経(主の祈り) [信徒の唱和] 天に在(い)ます我等の父よ、 願わくはなんじの名は聖(せい)とせられ、 なんじの国は来たり、 なんじの旨は天に行なわるるが如く 地にも行なわれん。 わが日用の糧を 今日(こんにち)われらに与え給え、 われらに債(オイメ)あるものを われらゆるすが如く、われらの債(オイメ)をゆるし給え。 われらを誘(いざない)に導かず、 なお われらを凶悪(きょうあく)より救(すく)い給(たま)え。 [神父の唱和] けだし、国と権能と光栄は、なんじ父と子と聖神(○せいしん)に帰す、 今も何時(いつも)も世々に。アミン。
主の祈りよりすぐれているのは 天使祝詞! めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。
イエズスの御心【キリストに向う祈(聖イグナシオ)アニマ・クリスティ】 アニマ クリスティ サンクチィフィカ メ コルプス クリスティ サルヴァ メ サングィス クリスティ イネブリア メ アクヮ ラテリ クリスティ ラヴァ メ パッスィオ クリスティ コンフォルタ メ オ ボネ イェーズ エクサウディ メ イントラ トゥア ヴゥルネラ アブスコンデ メ ネ ペルミッタス メ セパラリ ア テ アブ ホステ マリグノ デフェンデ メ イン ホラ モルティス マエ ヴォカ メ エト イゥベ メ ヴェニレ アド テ ウト クム サンチィス トゥイス ラウデム テ イン セクラ セクロールム アーメン 願わくはキリストの御魂(おんたましい)われを聖ならしめ、 キリストの御体(おんからだ)われを救い、 キリストの御血(おんち)われを酔わしめ、 キリストの御側腹(おんわきばら)より滴りし水われを潔(きよ)め、 キリストの御受難(ごじゅなん)われを強(つよ)めんことを。 慈愛深きキリスト、わが願いを聴き容(い)れ、 御傷(おんきず)のうちにわれを隠したまえ。 主を離るるを許し給わず、悪魔のわなよりわれを護り給え。 臨終の時にわれを招き、主の御許(おんもと)にいたらしめ、 諸聖人と共に、世々に主を賛美するを得しめ給え。 アーメン。
主の祈りよりすぐれているのは 天使祝詞! めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。
イエズスの御心/ キリストに向う祈(聖イグナシオ)/アニマ・クリスティ 願わくはキリストの御魂(おんたましい)われを聖ならしめ、 キリストの御体(おんからだ)われを救い、 キリストの御血(おんち)われを酔わしめ、 キリストの御側腹(おんわきばら)より滴りし水われを潔(きよ)め、 キリストの御受難(ごじゅなん)われを強(つよ)めんことを。 慈愛深きキリスト、わが願いを聴き容(い)れ、 御傷(おんきず)のうちにわれを隠したまえ。 主を離るるを許し給わず、悪魔のわなよりわれを護り給え。 臨終の時にわれを招き、主の御許(おんもと)にいたらしめ、 諸聖人と共に、世々に主を賛美するを得しめ給え。 アーメン。
【 主の祈り(ユダヤ教徒が日常唱える簡略化した祈りの文) 】 「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」 (『エゼキエル書』に由来する祈祷文) 「天になされるごとく、地にも行われんことを」 (『トセフタ・ベラコース』3章7節) 「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」 (『箴言』30章8節) 「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」 (『メギラ(巻物)』) 「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」 (朝の祈祷文) 「我らの父祖イスラエルの神、主よ、貴方はとことわに誉むべき方」 (『歴代志上』29章10) 「主よ、栄えと、力と、美と、勝利と、威光は貴方のもの。…王国も、」 (『歴代志上』29章11)
日本ハリストス正教会の天主経(主の祈り) [信徒の唱和] 天に在(い)ます我等の父よ、 願わくはなんじの名は聖(せい)とせられ、 なんじの国は来たり、 なんじの旨は天に行なわるるが如く 地にも行なわれん。 わが日用の糧を 今日(こんにち)われらに与え給え、 われらに債(オイメ)あるものを われらゆるすが如く、われらの債(オイメ)をゆるし給え。 われらを誘(いざない)に導かず、 なお われらを凶悪(きょうあく)より救(すく)い給(たま)え。 [神父の唱和] けだし、国と権能と光栄は、なんじ父と子と聖神(○せいしん)に帰す、 今も何時(いつも)も世々に。アミン。
日本キリスト教団(プロテスタント)の「主の祈り」 天にまします我らの父よ 、 ねがわくは み名をあがめさせたまえ 。 み国を来たらせたまえ 。 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ 。 我らの日用の糧を今日も与えたまえ 。 我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、 我らの罪をもゆるしたまえ 。 我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ 。 国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり アーメン 。
プロの主の祈りは格調高いなあ。 それに比べハリトリス正教のものは 日本語としてよくこなれていないように思うぞ。
日本聖公会/ローマ・カトリック教会 共通口語訳の「主の祈り」 天におられるわたしたちの父よ、 み名が聖とされますように。 み国が来ますように。 みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いください。
>>306 萌黄色の天使 ◆KK7tq4VH.3IN さん
確かに教団(日本キリスト教団)の方が難の無い日本語ですが
カトリックの方は
「赦してください」「私も赦します」と主語・目的語が逆なんです。
自分が赦したのに、相手は赦してくれなくて損なんです。とならない
文面になっているんです。
改めて聖書を読みなおそうと、 新しい聖書購入しました。 やっぱ聖書いいなあ。
初めて書かせていただきます 聖書読むと気持ちが穏やかになりますか? 法的トラブルで告白されているのですが、そんな背を焼かれるような自分に合う箇所なんてあるでしょうか?
IDコロコロ自演荒らしの正体 z26.124-44-148.ppp.wakwak.ne.jp z170.61-193-208.ppp.wakwak.ne.jp z125.61-193-208.ppp.wakwak.ne.jp z31.61-193-212.ppp.wakwak.ne.jp z147.61-193-211.ppp.wakwak.ne.jp z117.61-193-210.ppp.wakwak.ne.jp z9.124-44-151.ppp.wakwak.ne.jp z6.61-193-215.ppp.wakwak.ne.jp z5.124-44-147.ppp.wakwak.ne.jp z107.124-44-145.ppp.wakwak.ne.jp z186.58-98-145.ppp.wakwak.ne.jp z13.58-98-150.ppp.wakwak.ne.jp z242.58-98-144.ppp.wakwak.ne.jp z122.58-98-98.ppp.wakwak.ne.jp z68.61-193-212.ppp.wakwak.ne.jp z68.124-45-72.ppp.wakwak.ne.jp z119.58-98-100.ppp.wakwak.ne.jp z246.61-193-211.ppp.wakwak.ne.jp[IPアドレス61.193.211.246] z60.61-193-211.ppp.wakwak.ne.jp[61.193.211.60] z186.58-98-145.ppp.wakwak.ne.jp[58.98.145.186] z100.61-193-213.ppp.wakwak.ne.jp[61.193.213.100] z64.61-193-209.ppp.wakwak.ne.jp[61.193.209.64] s645151.xgsspn.imtp.tachikawa.spmode.ne.jp(スプー Sd64-u4cK [49.98.145.151]) bb2
【 主の祈り 】 当時のユダヤ人が用いた一般的な祈りの文句を凝縮したもの 「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」 (『エゼキエル書』に由来する祈祷文) 「天になされるごとく、地にも行われんことを」 (『トセフタ・ベラコース』3章7節) 「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」 (『箴言』30章8節) 「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」 (『メギラ(巻物)』) 「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」 (朝の祈祷文) 「我らの父祖イスラエルの神、主よ、貴方はとことわに誉むべき方」 (『歴代志上』29章10) 「主よ、栄えと、力と、美と、勝利と、威光は貴方のもの。…王国も、」 (『歴代志上』29章11)
>>290 動物や植物などの生命体のみに存在する「プシュケ」は「気(オーラ)」と訳したほうが正確でわかりやすい。
「魂」と「霊」は霊魂という単語があるように日本では事実上同一視されている。
>>313 オーラ(気)とするのも良いのです
が
ハリストス正教会では「聖霊」を「聖神」と訳し
神髄とか精神のような「神」つまり、
こちらも
オーラ(気)の事を示しているようなのです。
混乱が避けれないようです。
翻訳は直訳・意訳とも難しいようです。
どんだけ呼びかけても反応がない、返事も無い、応答もないならそれは"いない"と認識される 実は聞こえているんだけど無視してるだけかもしれない、居留守使ってるだけかもしれない でも呼びかけ求めた側にとって無視という回答はつまりいないのと同義 神を真剣に求める人ほど失望と嘆きと落胆を経験しその蓄積は年月を重ねるほど大きなものになる そらマザーテレサも神不信になりますわ
《主の祈り》 天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。 み国が来ますように。みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。 わたしたちの罪をおゆるしください。 わたしたちも人をゆるします。 わたしたちを誘惑におちいらせず、 悪からお救いください。 2 副 文: 終わりの日に救い主が来られ、私たちが栄光の国に入れるよう祈ります。 国と力と栄光は 限りなく[父と子と聖霊なる]あなたのもの アーメン ダウンロード&関連動画>> @YouTube ;x-yt-cl=85114404&feature=player_detailpage&x-yt-ts=1422579428 神様、今夜こそ小さな私の祈りに答えて下さい。助けて下さい。アーメン。
賛美歌121番「馬槽の中に」
http://www.senzoku.org/121.htm ヨハネによる福音書
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
天の父なる神様
今日の一日を平穏に過ごせた事を感謝します。
明日の一日も平安で有ります様に、お守り下さい。
このつたない祈りを主イエスキリストの、み名を通してお祈りします。
アーメン。
天にまします我らの父よ ねがわくは み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ
我らをこころみにあわせず
悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり
アーメン 。
あめつちこぞりて、かしこみたたえよ、みめぐみあふるる、父、み子、みたまを。
http://www5b.biglobe.ne.jp/ ~chfujimi/hymn-539.htm
>>315 神が多くの人々に語りかけておられないのには理由があります。
†「あなたがたのとが(罪)が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔をあなたがたから隠し、聞いてくださらないようにした。」イザヤ59:2
神は、いないのではなく、耳を傾けておられないのです。
「すべての人は罪を犯した」ローマ3:23
神は罪ある者のところへ降りてきません。
十字架で、私たちの罪の身代わりになって下さったイエス・キリストをあなたの主とした時、あなたの罪は赦され、神があなたを見ることができるようになります。
それから、あなたの祈りを神に渡してください。
天にまします我らの父よ ねがわくは み名をあがめさせたまえ み国を来たらせたまえ みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ 我らの日用の糧を今日も与えたまえ 我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ 我らをこころみにあわせず 悪より救い出したまえ 国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり アーメン 。
めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。
アニマ・クリスティ/ キリストに向う祈(聖イグナシオ)/イエズスの御心 願わくはキリストの御魂(おんたましい)われを聖ならしめ、 キリストの御体(おんからだ)われを救い、 キリストの御血(おんち)われを酔わしめ、 キリストの御側腹(おんわきばら)より滴りし水われを潔(きよ)め、 キリストの御受難(ごじゅなん)われを強(つよ)めんことを。 慈愛深きキリスト、わが願いを聴き容(い)れ、 御傷(おんきず)のうちにわれを隠したまえ。 主を離るるを許し給わず、悪魔のわなよりわれを護り給え。 臨終の時にわれを招き、主の御許(おんもと)にいたらしめ、 諸聖人と共に、世々に主を賛美するを得しめ給え。 アーメン。
テモテβ3章16節 (旧約)聖書はすべて、神の霊感によるもので、 教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 テモテα3章16節 確かに偉大なのは この敬虔の奥義です。 「 キリストは肉において現われ、 霊において義と宣言され、 御使いたちに見られ、 諸国民の間に宣べ伝えられ、 世界中で信じられ、 栄光のうちに上げられた。」 コリントα15章20節 しかし、今やキリストは、 眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 21節 というのは、死がひとりの人を通して来たように、 死者の復活もひとりの人を通して来たからです。 22節 すなわち、アダムにあって すべての人が死んでいるように、 キリストによって すべての人が生かされるからです。 23節 しかし、おのおのにその順番があります。 まず初穂であるキリスト、 次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。 24節 それから終わりが来ます。そのとき、 キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、 国を父なる神にお渡しになります。 25節 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、 と定められているからです。 26節 最後の敵である死も滅ぼされます。
けんちゃんと結婚できますように。神様お願い叶えてください
【 主の祈り 】 当時のユダヤ人が用いた一般的な祈りの文句を凝縮したもの 「御名が崇められますように。御国の来たらんことを」 (『エゼキエル書』に由来する祈祷文) 「天になされるごとく、地にも行われんことを」 (『トセフタ・ベラコース』3章7節) 「なくてはならぬ食物でわれらを養いたまえ」 (『箴言』30章8節) 「われらが債務を許すごとく、われらの罪を許したまえ」 (『メギラ(巻物)』) 「われらを試みにひきあわせんことを、われらを悪から遠ざけたまえ」 (朝の祈祷文) 「我らの父祖イスラエルの神、主よ、貴方はとことわに誉むべき方」 (『歴代志上』29章10) 「主よ、栄えと、力と、美と、勝利と、威光は貴方のもの。…王国も、」 (『歴代志上』29章11) トセフタは註解や補遺の意味でバビロニア・タルムードに含まれている文書。
(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
[副文]終わりの日に救い主が来られ、私たちが栄光の国に入れるよう祈ります。
国と力と栄光は 限りなく あなたのもの アーメン。
ダウンロード&関連動画>> @YouTube;;x-yt-cl=85114404&feature=player_detailpage&x-yt-ts=1422579428
日本キリスト教団(プロテスタント)の「主の祈り」 天にまします我らの父よ 、 ねがわくは み名をあがめさせたまえ 。 み国を来たらせたまえ 。 みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ 。 我らの日用の糧を今日も与えたまえ 。 我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、 我らの罪をもゆるしたまえ 。 我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ 。 国と力と栄えとは限りなくなんじのものなればなり アーメン 。
日本ハリストス正教会の天主経(主の祈り) [信徒の唱和] 天に在ます我等の父よ、 願わくはなんじの名は聖とせられ、 なんじの国は来たり、 なんじの旨は天に行なわるるが如く 地にも行なわれん。 わが日用の糧を 今日われらに与え給え、 われらに債あるものを われらゆるすが如く、われらの債をゆるし給え。 われらを誘に導かず、 なお われらを凶悪より救い給え。 [神父の唱和] けだし、国と権能と光栄は、なんじ父と子と聖神に帰す、 今も何時も世々に。アミン。
めでたし 聖寵充ち満てるマリア、 主 御身とともにまします。 御身は女のうちにて祝せられ、 ご胎内の御子イエズスも 祝せられたもう。 天主の御母聖マリア、 罪人なるわれらのために、 今も臨終のときも祈り給え。 アーメン。
主の祈り【パーテル・ノステル】 Pater noster, qui es in caeli: sanctificetur nomen tuum; adveniat regnum tuum; fiat voluntas tua, sicut in caelo, et in terra. Panem nostrum cotidianum da nobis hodie; et dimitte nobis debita nostra, sicut et nos dimittimus debitoribus nostris; et ne nos inducas in tentationem; sed libera nos a malo. Amen. パーテル ノステル クイ エス イン チェリス サンクツィフィチェトゥル ノーメン トゥウム アドヴェニアト レニュウム トゥウム フィアット ヴォルンタス トゥア スィクト イン チェロ エト イン テルラ パネム ノストルム クオツィディアヌム ダ ノビス ホディエ エト ディミッテ ノビス デビタ ノストラ スィクト エト ノス ディミッツィムス デビトリブス ノストリス エト ネ ノス インドゥカス イン テンタツィオネム セド リベラ ノス ア マロ アーメン 天にましますわれらの父よ、 願わくは御名の尊まれんことを、 御国の来らんことを、 御旨の天に行なわるる如く地にも行われんことを。 われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。 われらが人を赦す如く、 われらの罪を赦し給え。 われらを試みに引き給わざれ、 われらを悪より救い給え。アーメン。
マタイ6:9 だから こう祈りなさい 天におられるわたしたちの父よ 御名が崇められますように 10 御国が来ますように 御心が行われますように 天におけるように地の上にも 11 わたしたちに必要な糧を今日与えてください 12 わたしたちの負い目を赦してください わたしたちも自分に負い目のある人を 赦しましたように 13 わたしたちを誘惑に遭わせず 悪い者から救ってください ルカ11:2 そこで イエスは言われた 祈るときには こう言いなさい 父よ 御名が崇められますように 御国が来ますように 3 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください 4 わたしたちの罪を赦してください わたしたちも自分に負い目のある人を 皆赦しますから わたしたちを誘惑に遭わせないでください
頌栄 賛美歌539番「あめつちこぞりて」 あめつちこぞりて かしこみたたえよ みめぐみあふるる 父 み子 みたまを アーメン。 賛美歌540番「みめぐみあふるる」 みめぐみあふるる 父 み子 みたまの ひとりのみかみに みさかえつきざれ アーメン。 賛美歌541番「父 み子 みたまの」 父 み子 みたまの おおみかみに ときわにたえせず みさかえあれ みさかえあれ アーメン。 賛美歌542番「よをこぞりて」 世をこぞりて ほめたたえよ みさかえつきせぬ あまつかみを アーメン。 賛美歌543番「主イエスのめぐみよ」 主イエスのめぐみよ ちちのあいよ みたまのちからよ あぁみさかえよ アーメン。 賛美歌544番 あまつみたみも 地にあるものも 父 子 みたまの かみをたたえよ かみをたたえよ アーメン。
read.cgi ver 07.7.23 2024/12/25 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる
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