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マインドフルネスや瞑想や仏教に興味を抱いている方々の談話室です。
楽しく雑談、馴れ合い、つらい悩み事、仏教についての質問など何でもどうぞ。
あくまでも初心者や中級者の為のスレなので、仏教マニア同士のケンカは極力お控えください。
上級者のケンカや議論も大切ではありますが初心者を置き去りにして荒れる源なので、やりたくなったら上級者用スレで存分に荒ぶってください。
上級者用スレ↓
マインドフルネスPart.30
http://2chb.net/r/psy/1593682129/ とりあえず、マインドフルネス初心者向けのスレを立ててみました。
ボクが勝手に書いた
>>1のテンプレはもっとブラッシュアップする必要があると思うので、みんなで手を入れていただけたら。
大乗的な、衆生の為に献身する菩薩スレを目指したいと想っております。
初心者の心には多くの可能性があります。しかし専門家といわれる人の心には、それはほとんどありません。
In the beginner′s mind there are many possibilities, but in the expert′s there are few.
鈴木俊隆
『禅マインド ビギナーズ・マインド』
>>1 乙です
使い分けはどうなるんでしょ
例として、
ここは山下さん信奉者が初心者を教え導く場所?
それとも山下観点でマインドフルネスの出来てる出来てないをジャッジするのは禁止?
What is the Right Attitude for Meditation?
ー瞑想に対する正しい態度とは?ー
https://www.scribd.com/doc/25777519/Right-Attitude-Japanese >>9 いい内容だから、テキスト化して貼って欲しい。
What is the Right Attitude for Meditation?
はヴィパッサナーやってる人向けだし仏教くさいから、マインドフルネスって意味で初心者向けで汎用的なガイドもあるといいね
>>10 長すぎて貼れないのよw
瞑想で大事な心構えは
「知らないことを知ってるつもりにならない」
ということですよ
発見し続けること。
すでに知っていることにしがみついてはいけない。
鈴木俊隆『not always so』序文
寿山海寧
もちろん
むしろ「何も知らないことを知る」ってことですよ
本当にわかってもいない引用をすることはもうすでにビギナーズマインドを離れてますからね
あなたが坐るんです
まっさらな心であなた自身が発見するんです
でもこういってしまうととてもむずかしいことを言ってるように見えるでしょう
だからその話は止めましょう
早速嗅ぎ付けて、お前らは分かってない俺だけが知っているをやっていてワロタ
マインドフルネスを見たなら心の槍でマインドフルネスを突き殺せ!
>>19 それはそうなんだけど初心者向けではないですね
例えば、コロナで欝や閉塞感が強くあるその感覚をありのまま見ます
そうすると消えていきます
それが消えないのなら、観察になってません
その観察はマインドフルネスではありません
同じ様に、仏とかマインドフルネスとかを描いているならば対象として見えます
同じ様に観察すれば無常として消えていきます
>>19はその事を言っているのですが
その観察は初心者にはほぼ不可能ですよw
>>13 いやスレの使い分けを聞いただけなんだがw
>>14 > 「知らないことを知ってるつもりにならない」
おお、それは大事だよね
>>22 >それが消えないのなら、観察になってません
>その観察はマインドフルネスではありません
今を素直に丁寧に観ることなしに、そういう極端な断罪姿勢がマインドフルネスとは言えないんじゃないかと言ってんだけど。
今を素直に丁寧に観られれば、いずれその鬱や閉塞感は消えると思います
消えないのなら、鬱や閉塞感に呑まれている、自分そのものだと妄想してるということになります。
消えたら消えたと観る、消えてないなら消えてないと観る
どんなことであれただ観えている通りに観る
それをどのようにしようとかどうでないといけないとかいう主観を交えず観る
ただそれだけだね
>>27 マインドフルネスは客観視ではないですよ
そこ間違えたら全く深まりません
完全に純粋な主観があることを知らないとマインドフルネスでいう
「観る」ということは成り立ちません
>>26 言葉としてはそれでも間違いじゃないけど
わかったつもりになってしまえるような話だねそれは
私はスレにこう書いた
それに対してこの人はこう書いた
ただそれだけ
自分はどうでないといけない、相手がどうでないといけないなどの主観を交えずにただ観える事実だけを観続ける
消えるものは勝手に消える
それがマインドフルネス
丁寧に観察する、マインドフルであることを心がけるのは
もちろんです
けれど、それは客観視ということではありません
客観視というのは既にそこに評価が入ります
ここを間違えやすいんです
例えば、社会人として自分を客観視することは大事だけれど
その延長の話ではないです
その延長の話であれば、ストレスを低減することなんか出来ません
立ち回りは上手になるかもしれないけどマインドフルネスではない
>>29 今の自分に説明できることをしてるだけなので、言葉足らずと思ったら訂正して
ウザさんの気づきにもなるから
誰それは私の書き込みに対してそれは客観視だと書き込んだ
だたそれだけ
これは客観だとかこれは主観だとかいう主観を交えずにただそこのあるものをありのままに観る
それがマインドフルネス
主観を交えずにただ観る
とよく言われるのは、思考の働いている主観ではなく、
全くの純粋な主観から観るということです、本当は
なので表現がおかしいというか
出来ている人にしか通じない表現になっている
→主観を交えずにただ観る
これが正しく伝わることをビギナーに求めるものではないと思います
んー、なるほど
「主観を交えずに観る」
これは正しい表現だけど、
「主観を交えずに観ようとする」ことはできない
その人との人のレベルで自分でこれは主観だなとわかるのだから、それを交えないように観ていく
やがて主観は外れていき、自分でもわからなかった主観も見えて来る
いまの自分の状態をそのまま観ていく
これは主観だと思えば主観だと思っていると観てそれを交えず観ていく
ただ今の自分をありのままに観ていく
より観えないといけないとかまだ観えてないとかの主観を交えずに観えているものをありのままに観ていく
それがマインドフルネス
ビギナーが「主観を交えず」と読んだ時にどう解釈してしまうのか?
という話をしているんだけどなぁ
>>35 そう、不可能
>>36 それ、ビギナーに伝わると思います?
ベテランさんw
ビギナーの人で何かわからないと思ったときは、自分はわからないと思ったとだけ観ればいい
心に感情、思い、判断が生じたならそれが生じたとただ観る
自分の状態を観ることは誰にでもできる
ただありのままに観る
それがマインドフルネス
このようにして人はマインドフルネスを描いてベテランになり
ビギナーズマインドを忘れてしまうわけです
>>19さんのレスはそうした場合に、ベテランさんが気をつける話です
その話が発端なのはわかるでしょう
スレの目的を忘れてシンキングマインドに囚われてしまうとこうなります
>>39 > それ、ビギナーに伝わると思います?
> ベテランさんw
そういう言い方良くないと思うよ
「その表現ではビギナーに伝わらないと思います。」で終わりでいいでしょ
シンキングマインドでは観察は出来ません
ちょっと難しい話に見えると思いますが、一応覚えておくと良いことです
>>42 そう?
僕は意見してるのではなく質問してるんですけど
アスペさんが最後のレスという形にならないと絶対に止まらないので、キリのいいところで放置してアスペ止めの形にしてあげましょう。
>>43 > そう?
> 僕は意見してるのではなく質問してるんですけど
うん、良くない
質問だけならいいけど、次の行の「ベテランさんw」ってのが煽り言葉に聞こえるので良くない
アンカー先のレスの人も自分はベテランであるという自己紹介もしてないしね
ビギナーの人が自分の心に浮かんだ感情や思いを善悪のジャッジをせずただ観ようとするのは正しい在り方だと思うけど
(それさえもできない人がいるから)
それ自体はマインドフルネスにはなり得ない
合ってる?
ID:CnjyDoVwみたいにして日常の自己観察をするということは良いんだけれど
それだけでは感受によって起きることは止められない
僕が釘を差して、ようやく気づいた
こうして、そもそもの話を忘れてアスペになってしまう
それが止まったところに行かないと観察は成り立たない
その為に坐るわけです
>>45 ジャッジでしょうそれも
つまりね、ある程度のところまで行かないと
ID:CnjyDoVwみたいな観察は出来ないです
日常の観察によってのみこれをやることは出来ません
下手すると、つまり客観性の罠に囚われたりすると
悪化しますよ
1さんはコロナ欝などの人にマインドフルネスを紹介しようという意図でスレを立てたんですよね
だから、ベテランさんでいいんですよ
何も煽ってない
>>46 「ジャッジしちゃダメだ」ってのもジャッジだから、合ってるんじゃないですかね
始めてちょっと経ったくらいの人がハマりがちなポイントですよね
出来てるか否かの方を見てしまう
>>47 > ジャッジでしょうそれも
ここ初心者スレですからね
初心者にどう聞こえるかも重要なポイントですよ
それは煽り言葉に聞こえますって事に対して、それは(それを言った人の or 聞いた人の)ジャッジなのだから、煽り言葉に聞こえても良いのだ、という論理は、初心者スレではあり得ないとわたしは思います
>>51 御名答
僕は「ジャッジでしょ」とか「アンカー当ててないのに」みたいな
そういうのは良くないと思ってますから
>>52 それでも言う必要は感じたから言ってます
みんなスルーしてあげよう
本スレではそれはわかってないと住民を初心者扱いしこのスレではそれはベテラン意見だと否定し
どこのスレでも他人を否定して自分はみんなとは違うわかってる人間だと勝利宣言して終わらないと気が済まない人なんだから
思うよ、だからダメ
みたいなのは本当の初心者さん不在で言っててもしょうがないって話
ジャッジしないようにありのままに観ようとすることは心がけとしてはありだけど、未だマインドフルネスではない
ありのままに観る、という状態を意識的に作り出すものは未だマインドフルネスではない
主観を交えずに観るということはできない
主観を交えずに観るものがあるだけ
主観ウンタラは初心者にはわからない話としておいておくのが良いと思う
(頭で)わかろうとしない、ってことが大事だよ
>>53 > それでも言う必要は感じたから言ってます
これを言う必要があるのですか?ベテランだと自己申告している訳でもない人に
↓
>39
> ベテランさんw
「その表現ではビギナーに伝わらないと思います。」で終わりじゃダメなのですか?
>>59 それは意見で、僕がしてるのは質問です
彼(女)が言ってることは中級者以上でないと本当は言えないこと
中級者以上でないと出来ないことです
だからベテランさんでしょう
だからお尋ねしてます
ビギナーのあなたはそんな事できました?って
本心を言えば、言ってるだけで出来てないのはモロバレなんですが…
それは意見しませんでした
自覚ないんですから
これも本当の初心者さん不在で言っててもしょうがないって話ですから言いませんでしたよ
反応に反応して自己矯正するようなことはマインドフルネスと思ってやらないほうが良いですよ
マインドフルネスのあるある勘違いです
それは出来ません
>>60 自分の意見は正しく言わないとダメです
スレはDAT落ちするまで誰が見るか分からないし、DAT落ちしていても見る人は見るのだから、現時点で初心者さん不在(というのも貴方のジャッジですが…)だとしても、初心者スレではあの言葉は良くないです
えっと 本スレでの戒についての質問なんですが定に入る為には何の戒を持戒すれば良いのでしょうか?
また受戒の必要は有るのでしょうか?
五戒で良いと思いますけど…
授戒はお好きなように
仏教が好きなら正師に付けるならばそれに越したことはありません
クリスチャンであればクリスチャンの守るべき項目があるんだと思います
後で来て、宗教スレかよ?と思う人が居るかも知れないですから付け加えますが
大抵のマインドフルネスは最初はそんなにうまくいかないものです
しばらくはモヤモヤが残ってしまうと思います
でも、やったらモヤモヤを生んでしまうことというのがある
それが五戒の項目になります
「どうせばれねえぜ!やっちゃえ!(ひょっとしてばれたらヤバいけど…)」
ここで心に汚いものが出来てしまう
それは予めやらないと決めておくということです
それは自分のメンタルを守るということになってきます
また、戒を守ることによって、心に現れる何か、を可視化する
そんなことだとも言えます
【日本赤十字社】「ウイルスの次にやってくるもの」
(動画です)
「人から人へと広まっていく、もしかしたら、ウイルスよりも恐ろしいものとは?そして、わたしたちができることとは?」
新型コロナウイルス感染症から、体だけではなく、心を守り、社会を守るための、
心構えを伝える絵本アニメーションです。
『超シンプルなさとり方』エックハルト・トール
個人的に初心者に最も好適だと思うマインドフルネス本
薄くてわかりやすく、十分な内容
現下のコロナ禍に対して、どのように瞑想が効果をもたらすのか
ということについてのトール氏によるメッセージ
https://bit.○ly/39bpvGk ○トル
やっぱりアスペが来てて草
指導したくてしょうがないんだろうな
>>65 ちょっとスレチ感あるけど素晴らしい
無用な想像から距離をとるのにマインドフルネスは一番いい方法ですからね
>>65 とても良い動画ですね
ビギナー用スレを立てた甲斐がありました
マジで5ちゃんもやらない方がいいと思う
否定のジャッジの言葉ばかり浴びて、それがクセみたいになってしまう
五戒のうち、無駄なおしゃべりに相当するでしょ>5ちゃん
まず瞑想ぶっこわれるよ
>>64 ありがとうございます
不飲酒戒が難しいのですが 十善戒でも良いですか?
何れにせよ完璧な持戒は難しいですが
酒も5ちゃんも人によって強い弱いはあると思うけどね
酒は呑まれずに楽しく飲んで身体に悪くない程度なら問題無いだろうし
まあ少しでもガンの確率が…とか言い出すときりないが
5ちゃんも心に人を描かなければ害は少ない
例えば、他人の発言読んで「〇〇さんは」は「いつもいつも」とか自分の考えの中にしか存在しないことを事実と錯覚しちゃう人は止めた方がいいと思うけど
あと書かれてない言葉(引用できない)や自分がした言い替えを相手が言ったと錯覚しちゃう人も良くないかな
古典的な大前提として、実際『うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい』というのがあるから、本気でやるなら5ちゃんを杖代わりにするのはあまりおすすめしない。
とはいえ、みんなここ見に来て、しかも書き込みまでしてるんだからお互い様だよ
>>73 あくまで宗門ではなく在家のマインドフルネスでの話になりますが
まずは戒めの内容よりも、守ることで得られる清浄感、達成感のようなものを大切にされることだと
僕は思っています
マインドフルネスは初期には割とサクッとストレスが落ちたように感じられる人も多いでしょうけど
それも気長に、停滞期を迎えても続けていかなければ本当の効果は得られないものです
ですから、続けていかれる様に手を広げないことも一つの工夫ではないかと個人的には思います
>>77 ありがとうございます
そもそもマインドフルネスとはどういう状態でしょうか?
ソウルフルという言葉は感情的なという訳され方をしますが マインドフルという言葉がどういう状態を表す言葉なのかが今いちピンと来ていません
マインドフルネスは最初はなかなかピンと来づらいものですよ
更に混乱するかもしれませんが
「思いや考えを超えたもう一人の自分
」
がいて、マインドフルネスはその人がやることです
禅などではそのことを
「お前が仏だ」とか「坐禅は自己にならう」とか「修証一等」
などといいます
これはわかんなくていいです
「わからない」と思っておくのが大正解です
「仏とかそんなわけないじゃん」とか「自分なんか…」とか
否定しないことです
そこに自分の限界を作り出して、それを握ってしまうからです
逆のように見えるかもしれないけれど、それが我執、エゴなんです
補足
「オレが仏だ」←これは間違いです
思いや考えの自分は決して仏ではないです
どんな聖者だろうとです
例えば、イエスは肉体はあくまで不浄なものであり人間です
しかし、イエスは神の息子であると同時に神でもある
神は肉体ではありません
神の働きが不浄な肉体のイエスに現れることが精霊として描かれてます
その精霊がマインドフルネスです
初心者向けができたんですね
教えていただいた本を読み始めた入門者ですが、初心者になったらお世話になりたいと思っています
よろしくお願いします
こういうとこ覗くのもいいけど入門者や初心者はいっぱい本出てるんだから出てる本何冊か読んだ方がいいよ
買わなくても図書館にだってあるしネット上でもいろいろ見れるし
マインドフルネスの解釈はひとつではありません
初心者は注意する必要があります
1.仏教の修行を重んじる東南アジアのマインドフルネス(テーラワーダ由来)
2.西洋文化の中で現代的な解釈をされたマインドフルネス(カバットジン由来)
3.一法庵のマインドフルネス(山下良道由来)
1.は伝統仏教の修行の一つで悟りを目的としたものです
2.はストレス軽減、うつ病の予防、企業での能力開発などの目的で
一般的にマインドフルネスと言われているものです
3. は一法庵の山下良道による真理の追及を目的としたもので
ワンダルマメソッド(ジャンプ)が必須になります
特にここでは、しきりに3.を勧めてくる人がいますので
自分は何を目的にマインドフルネスをしたいのかを
はっきりしておかないと危険です
誰も3なんか薦めてないと思いますが?
藁人形打ちですよ
2の説明は間違いで、それはMBSRのこと
マインドフルネス・ベースド・ストレス・リダクション
つまり「マインドフルネスを基にしたストレス低減法(術)」
であって、マインドフルネスそのものではありません
>>85 では自分の宗派との兼ね合いも有るので 差し障りの無い2を選択する様にします
ご忠告感謝します
みなさん自分なりに一生懸命に生きてこられたでしょう
ところが、COVID-19なんていう得体のしれないものが流行り
否応なく社会全体が不安に陥れられてしまったりするんですね
その不安は一生懸命生きてきた自分の知恵ではなんとかならないものです
そこで、マインドフルネスをすることをお勧めするんです
ちょっと、反応しないよう気をつければ、
好き嫌いなくありのまま物事を見れば
その不安はぐっと減ります!
厳密な話ではないですがザックリこのグラフのような感じで進んでいきます
https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn%3AANd9GcSKK8R_PhbdYPHySG0KxTjuSjkPO_dPtdixPw&usqp=CAU
ストレスは減っていき、極小化していく様に感じる
しかしそのうちゼロにはなってないようなモヤモヤ感が残ります
ゼロにはならないけれど、それを維持していかなければならない
今度はこれがストレスになるんですね
ここで挫折してしまう人もいます
それが身も蓋もない現実です
MBSR風のいわゆるマインドフルネスということをやると
反応に反応して矯正する
好き嫌いなくありのままに見ている、という自分が好き、だから嫌いな自分もあり
当然他者への好き嫌いも抑えられない
などの矛盾が生じてきます
巷にはこの現実にまで行き着いていないマインドフルネス本に溢れています
>>81 まずやってみるのお勧めです
下手に知識がつくと、目の前の現実の様子より自分が(習った通りに)出来てるかどうかという考えの方を観てしまいがちなので
ではどうしたらいいんでしょうか?
何故そんな事になってるんですか?
それは初めから答えがあるんですよ
商業主義や、誤った科学信仰がマインドフルネスを歪め、矮小化してるのです
答えとは、マインドフルネスを広めた3人のマスター自身にあります
ティク・ナット・ハン(ベトナム戦争を生き抜いた禅僧)
ジョン・カバットジン(ヨガと禅に学び、MBSRを確立)
ラリー・ローゼンバーグ(南伝仏教と禅に学んだ瞑想指導者)
マインドフルネスには禅的な態度、姿勢が背景にあります
それは大乗仏教に通底する姿勢、生き方でもありますから
日本仏教とは実は相性が良いのです
>>79を日本大乗の他宗派の教えに読み替えて、その上で上の三人のマスターの本を読まれることをお勧めします
どうすればいいのか?パート2
反応に反応するのを止める練習、自己矯正
日常的に「好き嫌いなく、ありのまま」物事を見ること
これらは最初は絶対に不可能ですし、練習しても
>>88になります…
でも、そこで「出来ていないんだ」と知ることが本当は重要なんです
そのように、普段はそんな事意識的にできやしないことを知ること
そのことが、マインドフルネスに到達する態度なんです
出来たつもりになってしまったら失敗しますよ
禅病コースです
欝やメンタルの人であればこじらせるだけです
出来ていないんだと知ること、認めることが大事なのは本当にそう思います。
そしてまた、ありのまま見ようとする態度に戻ることを根気よく繰り返すということですかね。
基本的に僕はこれ
>>88,90,91を言ってるのですが
何故か
>>85のリストの3をゴリ押ししてると勘違いされる方がよくいらっしゃいます
もちろん誰とは言いません
それってありのままでしょうか?
好き嫌いなく見られてますか?
>>92 その態度であるならば
瞑想の中には完全な「ありのまま、評価せず」は実現されてきますよ
瞑想の中に「ありのまま、評価せず」が確立されてくると
日常の自分、反応したり、好き嫌いしたりしている自分を
もう一人の自分が見ている状態になります
そこに現れてくる態度がマインドフルネスということです
それは日本大乗ならばどの宗派も前提としている姿勢でしょう
巷のマインドフルネス本にはここのところが全く理解されてないか、誤解されてるものばかりです
読むならば
>>90の、個人的にはローゼンバーグをお勧めします
臨済録、歎異抄(浄土真宗)、維摩経(初期大乗)、法華経、華厳経などもマインドフルネスの本として読むことができると思います
特に前三つは個人的には好きな書物ですし
その他の宗派についてはよくわからないのですが
般若心経こそマインドフルネスの真髄ですから
そこから外れる日本大乗もないでしょう?
日本大乗の方は、ご自分の宗派の教えを大切になさる中で
マインドフルネスメソッドを取り入れられるのがベストだと思います
マインドフルネス。何だろう!?
初めて聴いた言葉だ。興味深々
明日、ロムしよ
>>83 そうだね
最初にネット情報を漁って我流で迷走するよりは、自分の目的に合いそうな評価の高い書籍を読み込んでまずは実践してみるほうがちゃんとベースラインを築ける
これから始めようという方へ
間違ったマインドフルネス本は沢山あるので、くれぐれもお気をつけ下さい
どれでも良いなんてことは決してありません
そんな無責任な意見に騙されないで下さい
スレとして初心者向けのオススメ本リストをメンテできたら良いのだろうけど荒れる源だろうか…
宗教色抜き
・ジョン・カバットジン
宗教色を薄めた仏教系
・熊野先生
仏教系
・マハシ(またはスマナサーラ(日本テーラワーダ仏教協会))
・ゴエンカ(ユヴァル・ノア・ハラリも所属)
・パオ(どちらかといえば専門家や出家向き)
・山下
各系統のお勧め代表作とか、初心者向けのテキストを挙げてくれたら、
それを最終的にテンプレにまとめよう。
マインドフルネススレを見てると、山下のとこはやめた方がいいんじゃないかな
とは思ってる。
>>103 仏教系マインドフルネスには、この他、大乗テイストのティク・ナット・ハン、
タイのアチャン・チャー、バンテ・グナラタナなどの系譜もある。
いずれも仏教系である点は同じだが、結局は本人の好み(相性)による。
IT系から入ってくるような理詰めの初心者にとってはチャディー・メン・タンのSearch Inside yourselfはかなり良いと思う
系統でいえば、宗教色抜きのカバットジン派に入るのだろうけど、カバットジンの視点はあくまで医療行為としてのマインドフルネスだから、身体がまだ頑強で医療の世話になった経験に乏しい若者にはなかなか届かないと思うんだよね
本スレ見てたら 深入りするべきものではなさそうですね
リラクゼーションの一環程度にしときます
本スレの混沌は混沌でステキなものなんだけどね
どんな分野でも探求者同士は門外漢には理解できない小異でケンカするものだから
まずはリラクゼーションとストレス低減でどうぞ
>>108 教学や行法で喧嘩になるならまだ判るけど互いの瞑想内容という見えない部分で喧嘩になるのはちょっとね
どちらも我が強いというのが見て取れるだけで魅力を感じません
部外者には ああ そんなものか? としかなりませんからね
喧嘩になったらダメでしょ議論じゃないと
仏陀も議論にならない議論はするなと言ってる
つまり喧嘩に発展したら議論はやめろとね
まあ本スレでは、議論の中身で違いがでると、人格叩きや相手のメソッドの貶め、書き方の揶揄、言ってない事に反論、言葉を言い替えて別の議論に誘導して反らす、レッテル貼り、etc. とても瞑想やってるとは思えない醜態ですからね
ああいう知識や評価や理解の話は措いといて
何も考えずにとりあえずやってみて
初心が一番ですよ
持戒出来ないと定に入れないのに不悪口戒破ったら 私は正定出来てないですよという自己紹介にしかならないですよね
持戒する為の瞑想が別に必要なのかな
カバットジンは
『マインドフルネスストレス低減法』だけじゃなく
『マインドフルネスの始め方』
『マインドフルネスを始めたいあなたへ』
という著作も日本では出てる
『マインドフルネスストレス低減法』も別に医療行為に絞った書籍ではなくて、とても良い本だよ
個人的には5ちゃんなんか参考にしないで、こっちをしっかり読み込んで実践する方が良いと思う
#上の2冊しか持ってないけどネットの評判を見ると『マインドフルネスを始めたいあなたへ』の初版は翻訳が酷くて内容が分かりづらいらしいので、そこは注意
>>103 スマナサーラも本当は出家者向けなのと、自殺者も出てるから
おすすめはしたくない
>>105 グナラタナ『マインドフルネス』
は宗教色薄いし入りやすい初心者向け名著ですよ
これの後に
ローゼンバーグ『呼吸による癒やし』
を読めば後は全く他に手を出さなくても良い
>>92>>94について補足
> ウサ
頭の中で混線して安易な回答をしてしまいました、すみません
僕が想定してるのはこういうことです
例えば呼吸を見ることは案外と難しいものだったりします
もし出来ていないと思うならば、全く同じことを続ける中で
「見ようとする」をやってもやはり難しいです
そのまま頑張って見よう見ようとしても禅病などになって逆効果です
頑張りは禁物です
どんな風にしたら呼吸が見られるのか、という試行錯誤をしていくということです
まずは呼吸法を試してみるとか、身体感覚に戻るとか、姿勢を探ってみるとか、一旦止めるとか、、、
また、毎日の日課として坦々と、出来ても出来なくても
ひたすら続けていくという姿勢が必要です
それも「見ようとする」には違いありませんが
頑張って集中しなくても見られるようになるポイントを探っていくということです
直ぐに結果を求めず、わかろうとせず、うまくいっても、うまくいかなくても
ひたすら続けることです
ただひたすらの瞑想の中に少しだけバリエーションを付けて
ちょっとだけ前より上手く見られた、をまず重ねていくことです
>>115にあるカバットジンの「七つの心得(重要な態度)」
各項目がリンクになっていて詳しく書かれてて参考になりそうです
(1)自分で評価をくださないこと
(2)忍耐づよいこと
(3)初心を忘れないこと
(4)自分を信じること
(5)むやみに努力しないこと
(6)受け入れること
(7)とらわれないこと
カバットジンは大事なのは呼吸じゃなくて気づきだと言う
気づきは意識的にするものではない、ということが重要ですね
そこを能動的に解釈してしまうとあまりうまく行かないでしょう
呼吸から離れて考え事をしていたら、それに気づくのも大事というのが多くのマインドフルネス瞑想で言われていることだという印象があるので、試行錯誤してでも呼吸に集中し続けようというのは、どういう人の指導によるものなのだろう
日本語翻訳の限界なのでしょうけど、日本語文献では同じ『気づき』と訳されていても原文で対応する箇所の単語はmindfulnessだったり、awarenessだったり…。
仏教伝来の障害であり続けた文献翻訳の困難さって今もあんまり変わらないんだろうな。
英語という逆輸入ルートが出来たお陰でかなり改善してる気もするけれど。
グローバル化が進んだお陰で、南伝の仏教やアメリカからの逆輸入仏教にも触れ合える幸せ
>>117 頑張って集中しなくても見られるようになるポイントを探る
なるほど、すごくヒントになったよ
合ってるかはわからないけど
ウザさんにとっては気づきは直感に近いです
自分の顕在意識の意思で入れようとするものではなく、
どっかから降って湧いてくるみたいな。
どっかからと言っても自分の中からなんですけども。
マインドフルネスやると話が長くてくどくなりやすくなるんですね
これは気を付けないと
仏陀師匠の現役時代と違って、今は文章や画像や動画を簡単に配信できるんだから、技術の進歩ってありがたいことだなぁ
ほんと初心者の質問ですが、ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネスは同じものと思っていいんでしょうか?
>>114 モグラ叩き系か受容系かは、以前本スレでも話題になったね
気づきの修行のコツ
1.できれば、一度にひとつのことしかしないこと
もしあなたが皿洗いをしているなら、ただ洗いなさい。運転しているなら、ただ運転するのです。
2.自分がしていることに充分な注意を払うこと
あなたが今度何か単純な仕事を行うとき、その行為に無関係な思考が付随していないかを見てごらんなさい。
3.していることから心がふらふら離れていったら、心を連れ戻すこと
行動と分離してしまったときは、無理に行動とひとつになろうとせず、分離してしまったことをただ見つめなさい。
4.第三ステップを何万回、何億回と繰り返すこと
心がさまよっていたら、その状態から優しく、非難することなく、戻ってくることが大切です。対象と共にいることだけが修行ではありません。
5.気が散ってしまうプロセスを調べること
状況が許すなら、あなたの気を散らすものに意識の焦点を当てるようにしてください。
ラリー・ローゼンバーグ『呼吸による癒し』
マインドフルネスとは仏教のサティ、念のことですが
呼吸観察はアナパナ、アーナパーナサティ、安般念ですから
お釈迦様が説かれたマインドフルネスを養う修行法です
呼吸に現れる気づきがアーナパーナサティですが
気づこうとするのでもありません
安般念経やアナパナの本には
呼吸には十六段階のマインドフルネスがあることが説いてあります
マインドフルネスは単に気づきという理解では収まらない非常に奥の深いものです
簡単に理解したことにしてしまうとそこで頭を打ちます
「なるほどわかった」からの「出来た出来ない」ではなく
ひたすら続けることが重要
>>130 進み方はその通りなんですが、アナパナだけをやる場合のことですね
3番は初級者の時まででヴィタッカ、ヴィチャーラと呼ばれるものです
それがしっかり出来たら一境性に入るわけです、二つのヴィ〜は手放します
何万回も繰り返してもいいのですが禅病なる人もいますから要注意ですよ
頑張り過ぎになるとそれに気づくことは難しいのでしょう
ミャンマーに行って修行されてる女性も、それで禅病が出てきたと仰ってます
安全にやるにはまず意識を身体に落とすなどのことをしっかりやるといいです
そこがしっかりしていたら3番はそこまでは繰り返しませんから
にも関わらず、ラリーの本に書いてあることはアナパナの実際としてはかなり正確です
ですから、彼は禅病にはなってないだろうと思います
彼はユダヤ人ですから、つまり聖書の暗記などもして育ってきていて
神と自分との関係というのを叩き込まれてる人達なんです
ユダヤ人強いですよね
いくら頑張ってもわからない神という存在があるというのが彼らの全ての大前提です
だから、自分たちの文化と違う瞑想に対する時もそのような
わからないものはわからないという態度が根底にあるでしょう
ミャンマーに行った女性は恐らくそれはない
マスターのマニュアルの全訳作業を続けてこられました
どんなものを見てどうなるという知識は完璧でしょう
けれど、禅病になったんです
もちろんこんなことはやっていけばわかることなので、蛇足にすぎないので
全てが全て一から十まで書きませんけど、そりゃしっかりやった上での話です
何時も本スレでしてる話は…
というのは、最後のところはミャンマーの方みたいなケースについて書いたつもりのないことだからです
ボディスキャンなども含めて取り組んでる人ならば
当然やっていけばわかることと思います
心がさまよっていたら、その状態から優しく、非難することなく、戻ってくることが大切です。対象と共にいることだけが修行ではありません。
呼吸のトレーニングについて言えば、呼吸を観察しながら、「私にはうまくできない」などと思ったとすれば、それこそ評価をくだしているということなのです。
なんらかの評価をくだす考えが浮かんできたとしても、そのこと自体にこどわったり反応したりせずに、浮かぶにまかせて、呼吸の観察を続けてください。
J・バットジン
「マインドフルネス瞑想法」の基本的な態度
(1)自分で評価をくださないこと
より
ヴィパッサナー瞑想は第一に、気づきの実践です。いま心で起こってることに気づくことが大切であって、心を空にすることはそれほど重要ではないのです。もし何かに夢中になってしまい、やめることができないでいるなら、その状態を観察してください。
バンデ・H・グナラタナ
『マインドフルネス 気づきの瞑想』
アメリカ人「私には上手く出来ない」
日本人「うまくいかないなぁ」
これ全然違うから
日本人「私にはうまくできない、自殺するしか」
アメリカ人「うまくいかないなあ、まぁいいやハンバーガー10個くれ」
何か考えるときや話すとき
必ず私はという言葉から始めるのは
とても良いと思うよ
ヴィパッサナー瞑想の試みは、「一切の思考を停止する」チャレンジです。
Aスマナサーラ
呼吸から離れたことを知るその瞬間は、つまるところ気づきの瞬間であり、将来そのように気づく瞬間を増やすための種でもあるのです。
最もよい点は、成功や失敗にこだわる心を超越して、人生というのはさまざまな状態が入れ替わり立ち替わりして、変化し続けていくものだと理解することです。
ラリー・ローゼンバーグ
最初は呼吸瞑想中に思考に気づくことを大事だとする派閥と、最初から一切の思考を停止することを目的とする派閥があるから、方法論ひとつとっても統一見解みたいなものを出すのは難しいやね
見よう見ようとしてる人はどうしたって反応する
それは評価です、と評価を下す考えを与えてしまって矛盾してる
これは評価なんだ、と反応するよその説明でやったら
>>139 >>115の
https://blog.canpan.info/jitou/archive/2431 に
「常に評価をくだし、反応している自分に気づかなければなりません」
とあるから、評価したときに「これは評価なんだ」と気づくのが大事だということなんでしょう
>>148 「これが評価なんだ」が評価だから矛盾してるでしょ
初めて会う人を見たときに、瞬間的に「嫌だな」と思ったする
この時に評価をくだしたことに気がつかないと、次々に最初の評価から反応が引きずられてくる
評価をしたことに気づければ、評価や反応は止められる
その「嫌だな」というのが後に正解だったと思う場合も結構あるので
評価を止めたいとは思えないのですが
どのように考えたらよいのでしょうか
「評価を下した」と評価してるならマインドフルネスじゃないし
段々「評価しそうになったらそれに反応して評価を止めようとする」になるだけで
本当はそれじゃ止まらない
>>151 止めようとしないのが正解
反応止める(止めようとする)とか言ってるのは
似非マインドフルネスです
「反応しない」を練習して出来てしまうとしたら
その人はお釈迦様を遥かに超えるド級の天才ですよw
凡人のビギナー向けのマインドフルネスではありません
すぐに理屈を言われてたら初心者がやってみようという気になれないのですが あれこれ考えずにシンプルに取り組めるものは無いのですか?
また他の人にあれこれくどい説教をしなくなる為の瞑想法が有ればお願いします
>>153 止めようとしなくていいんですね
良かった
ありがとうございます
これはカバットジンの言うマインドフルネス瞑想をする心構え
人は物事に出会う度に無意識に「良い」「悪い」「興味なし」という分類をするから、その心のクセに気づくということ
そういう視点から初心も実現される
カバさんの説明はアメリカ人向けと考えたら辻褄合う
>>155 毎日決まった時間だけ坐る
呼吸を観察する
簡単に言えばこれだけ
色んな方法論があるから好きなのやればよいよ
心構えなんかいらないというならそれでいいし
>>160 あんたのは方法論になってないと指摘されてる
もう少し熟考、熟慮してから提示すれば?
そうやって批判はスルーして反応してないつもりでいても
まるで無責任なことを言いっぱなしなだけだ
それがマインドフルネスなのか?
>>154 「反応しない」を指導しているのは具体的に誰なのでしょうか
参考までに詳しくお聞かせください
>>162 俺の自己流の方法論じゃなくてカバットジンの示している心構えだよ
即マインドフルネス完成の極意みたいな勘違いした受け取り方されてるなとは思ったけど、5さちゃんでくどくど説明してても不毛だし、自分でいいと思ったのやればいい
強制なんかしない
>>164 あんた160=150ってことかい?
150に対して矛盾を指摘されて、おかしいなと思わない?
カバットジンを信仰してるん?
反応に気づき、癖であると評価する
その評価を元に、次から止める
これがマインドフルネス?
認知行動療法かなんかじゃないこれ?
>>164 「俺のカバットジン」が矛盾してる件について、何か言うべきでは?
>>165 150読んだら普通にそう見えるよ?
説明放棄するなら見えたまま、ありのまま、そのまんまやるんじゃないの?
初心者は
詳しく知りたかったらカバットジンの本を読んでくれ
どうでもよかったらそのままで
お好きにどうぞ
あんたの「俺のカバットジン」が矛盾してるって話だから
本はどうでもいいでしょう
突っ込まれてるのこっちのレスなのに
心構えの方にすり替えてるしね
> 150 神も仏も名無しさん sage 2020/07/09(木) 11:42:59.84 ID:33EY7lcP
> 初めて会う人を見たときに、瞬間的に「嫌だな」と思ったする
> この時に評価をくだしたことに気がつかないと、次々に最初の評価から反応が引きずられてくる
> 評価をしたことに気づければ、評価や反応は止められる
反射的・機械的にしている評価を認識できれば、それを観察する姿勢を養う練習になるということだよ
評価しているということを認識できないと観察できずに思いに引き込まれる
>>172 「評価している」というのが評価だから矛盾してる
そんなものはマインドフルネスではないぞ?
ひょっとしたら極度に頭が悪いなどの障害をお持ちなんだろうか…
>>173 自分が評価をくだしているということに気がついても、それをおしとどめようとしてはいけません。
大事なのは、自分が評価をくだしていることに気がつく、ということなのです。
評価していることの善し悪しを評価してしまうようなことになると、事態はますます複雑になってしまいます。
ここは微妙なとこだから、わからん人はわからんのかも知れないとは思う
付き合ってられないから後は自分の好きなようにやってくれ
>>175 自分の言葉で答えれば?
評価してることに評価をして、それにまた評価して、、、、
一体どこまで評価したらいいんですか?
> それをおしとどめようとしてはいけません
これ、実際は押し留めてるけどね
↓
> 評価をしたことに気づければ、評価や反応は止められる
>>176 いやわかるよ?やってたから
あんたがわかった気になって誤魔化してるだけ
わかったようなスカしたこと言ってても迷惑かけるだけだよあんた
>>177 めんどくせー奴!
と思った・評価した自分に気づくのが大事だってことでしょ
反射的な心の動きに気づく
その思ったことに対しては良い悪いの評価はしない
観察対象
>>180 良い悪いでなくとも「反応した、評価した」は評価です
でしょ、じゃなくて結局評価は評価だし、止めてるじゃないですか
そっかごめんね
本スレのほうは言い返さないと気がすまない人たちのレスバトルみたいになるからなあ
>>185 なんでわかるの?こっちのことかもしれないのに
つまり、あんたがウザに絡んでた人だから、こっちがその人ではない
ということしか断定できない
>>188 いいや、あんた矛盾してるよ
時分もソレやってたけど、マインドフルネスじゃないし
>>191 いや、あんたでなかったら即答断定出来ない
「俺のカバットジン」は気力がないマインドフルネスだそうです
>>193 問題感じてなかったらマインドフルネスやろうなんて思わないから
こういう評価を評価するようなのは観察ではないぞ?
初心者さんたち騙されるなよ?
> 150 神も仏も名無しさん sage 2020/07/09(木) 11:42:59.84 ID:33EY7lcP
> 初めて会う人を見たときに、瞬間的に「嫌だな」と思ったする
> この時に評価をくだしたことに気がつかないと、次々に最初の評価から反応が引きずられてくる
> 評価をしたことに気づければ、評価や反応は止められる
>>196 >>197 好きなように評価しまくってください
初心者スレにこういう変なのをパッと書き捨てにして
自分と同じ問題に巻き込みたいんだろうな
> 150 神も仏も名無しさん sage 2020/07/09(木) 11:42:59.84 ID:33EY7lcP
> 初めて会う人を見たときに、瞬間的に「嫌だな」と思ったする
> この時に評価をくだしたことに気がつかないと、次々に最初の評価から反応が引きずられてくる
> 評価をしたことに気づければ、評価や反応は止められる
>>189 好き嫌い
>>188 評価
>>185 嘘
凄い観察力ですね
反応評価に気づいたら止まるなんて嘘なんですよ
それ完璧に勘違いだから
>>201 彼の考え方ならそうなる
念の為言っておくが、俺は昨日の本スレのめんどくさい人ではない
彼がそいつでなければ即答で「違う」という答えは出せない
論理的にはそれしかありえない
>>159 それでこのグダグダの言い合いは収まりますか?
収まらないとしたら何故でしょう?
こんな事やっていたら自分を騙し続けるしかなくなる
それをマインドフルネスだと思いこむのは止めたほうが良いぞ?かなり本気で
あんた、メンタル弱そうだしそのうち逝くぞ
> 150 神も仏も名無しさん sage 2020/07/09(木) 11:42:59.84 ID:33EY7lcP
> 初めて会う人を見たときに、瞬間的に「嫌だな」と思ったする
> この時に評価をくだしたことに気がつかないと、次々に最初の評価から反応が引きずられてくる
> 評価をしたことに気づければ、評価や反応は止められる
反応せず評価せず観察するのがマインドフルネス。
北伝日本仏教には、これが伝わらなかった。
平成になって南伝スマナサーラ長老が伝えた。
慈悲の瞑想と共に
仏教ど真ん中の黒船。
山下良道
本スレのめんどくさい人は、今日ここにいる人とはまた別人ぽいね
ごめんよ
>>144 「一切の思考を停止」、即ち「非思量」
道元禅師だけがマインドフルネスをわかっていた
筋金入りの只管打坐20年の山下良道は知っている。
>>205 君ご自身の心をよく見ることですね
よく見れば君の心の中では言い争いは終わります
言い争いに見えているとしたら君の中に言い争いがあるからです
もし見られない、見ても終わらないならば、瞑想が足りません
>>211 うーん、違うけど
こっちではやらないよ、僕に強く反応してほしい荒らしくんw
>>212 つまり具体的なメソッドはないという事ですね?
何事も当人次第で駄目な人は幾らやっても駄目で出来る人は出来る才能の問題でしかない
才能に関わらず誰でも習得出来る様なものではないと言われるなら興味は湧きません
>>215 瞑想が進まないと普段の観察力も付きませんよ
ない観察力をメソッドで補おうとしても無駄です
>>216 違います、サマタです
僕がスマさん嫌いだと思って言ってるのでしょうがw
>>217 基本的にどうすれば持戒出来て正定に入れるのかという事しか聞いていません
正定?
レスを辿ってみましたが、戒を盾に人を攻めたい人なのかな?と思いました
持戒はすればいいでしょう
どうぞ
正定には入りたい入りたいと頑張って入るものではありません
地道にお続けになられて下さい
ナリ心理学
母親と自分の関係
ダウンロード&関連動画>> >>220 容易く持戒出来ないから聞いてるのですが 持戒出来なければ定に入れないというのは嘘ですか? それとも本スレで言い争ってる方々が定に入れていないだけですか?
私個人にそう見えるだけという様な曖昧な回答なら必要ありません
山下さんの書かれてることなんとなくわかるかもしれない
>>224 今はまだ混乱して動揺してるので
落ち着いたらレスします
山下さんのは、呼吸から意識がそれた時には、自分には呼吸が見れてないとしっかりと評価を入れるんだっけか
ティク・ナット・ハンの『ブッダの〈気づき〉の瞑想』は良いですねぇ。
瞑想の外形的な方法論については何も書いてなくてあくまで心構えだけだから最初の書籍には向かないだろうけど。
帯にあるとおり、座右の書になりそうだ。
>>122 翻訳の問題は自分もずっと気になってた
原語の sati (パーリ語)は、「記憶していること」「適宜思い出せること」「忘れないように注意していること」というような心の働きを意味するが、
日本語の日常語としての「気づき」つまり意識になかったものに行きついてハッとしたり納得したりするといったような意味はないんだよね
英語の awareness も「ハッと気づく瞬間」のことではなく、
「とっくに気づいていてわかってますよ」的な、既に何かが意識に常駐していることを意味する
じゃあ「気づき」以外に、 sati や awareness をカバーして、
かつ、ある程度キャッチーな言葉があるかというと、見つからないんだなこれが
古来「念」と訳されてきたが、これもわかりにくい
ちなみに「気づき」は約20年前に出てきた新訳
とにかく、とはいえ、世の中けっこう言葉に引きずられることが多く、
実際、発見的な心の動きこそマインドフルネスだと思ってる人が私の周りにもいた
「あ、まずいまずい、ここは我慢してやり方を変えよう」という心の動きが
マインドフルネスであり sati であると言う人が本当にいたんだよね(自分に気づくからだとか)
日本のITが遅れた一因は「バーチャル」を「仮想」と訳したことにあるという説も聞く
もともとバーチャルは「実質的な」という意味であり、「仮に想定する」という意味はなかった
実質的なものと見るか、仮のものと見るか
まだ中国語圏の「電脳」のほうがマシだった
言葉の違いは小さいようで大きいよ
>>228 んー、最後のITの話は余計だった
少し間違ってるし忘れてください
>>228 >>122です
僕もバーチャルを仮想と訳したのはかなりヒドい誤訳だと常々思ってるので余計じゃないですよ。
コンプレックスを劣等感の意味で誤用していたり現代日本人ってかなり言葉にルーズですよね。
「気づき」より適切な訳語は無いのだろうかとたまにホゲホゲ想いを巡らすのですが、やはり先人が考えても難しくて20年間掛けて定着したものなのですね。
知らないことを色々教えてくださりありがとうございます。
前半部もしみじみ噛み締めます。
satiに記憶に近いニュアンスが含まれるのは、元々持っているものではあるんだけど、ほぼ触れられない心の部分になってしまった能力だから・普段は忘れられているものだからということはないか知らん
>>222 質問することではないですね
ご自分で確かめて下さい
以上です
>>228-231 サティはマインドフルネス、念、awareness、忘れないように注意してること、
全てですよ
概念で定義して捉えて「する」ものではないです
ハンドル握る、ブレーキ出来るようにしておく、サドルに座る、ペダルに足を置く、漕ぐ、バランスを取る、(何かに衝突しないよう)注意を向ける、、、
これと似てます
当然自転車に乗ることを想定してますが、自転車を見たことない人には伝わりません
もちろんこれは「する」話なのでまずそこが違いますが
自転車に乗れなかった人が乗れるようになるところには、サティに似たものがあります
何故乗れるのか、乗れたと言えるのか、妥協せずに説明しようとすると難しいですよね
サティの場合は更に、誰も見たことない自転車ではなく
つまり全く無いわけではないところも難しい
それはほぼサンマーサティ、正念とはなりませんが
だからといって心がけなくていいというものでもない…
言葉で説明しようとすれば、されてる方も混乱するだけでしょう
言葉は不完全なものですから
>>222 戒は、律(サンガ僧組織内の規則)と違って、人それぞれの習慣付けのようなものだそうです。
習慣にしてしまえば無理しなくとも自然と心の静かな環境が整い、マインドフルネスな状態にもなりやすくなり、定にも入りやすくなるということではないでしょうか。
>>234 例えば不瞋に戒の様にコントロールが難しいものが有る訳で不意にわき起こる情動を制御しないと上手く行かないですよね?
習慣付けで確かに怒りにくくはなるでしょう しかし完全には消えません 護れない戒を護らないと定に入れないのだとすれば怒りによって論争をしてる人達は定に入れていない事になる訳で
成果は余り芳しくないのでは?と疑問を感じるのですね 売り言葉に買い言葉で容易く反応してしまうのは定に入れていないからではないですか?と伺うともう不機嫌になってしまう
判りますよ 私も怒りっぽい方ですからね
だから感情のコントロール法が有るのか無いのかをお尋ねしてるのですが無いのでしたら私の求めるものではない様です
>>236 怒りを完全に失くすというよりも、身口意の行為までワンクッションひと呼吸、できればそれ以上置くというのを習慣化するというのはどうでしょう?
その間に身体から湧き興ってくる現象、それに付随して連鎖してゆく精神作用をじっくりと観る。
そう上手くはいかないものですが、習慣化してしまえばやがてスペースも広がり、やり様のオプションも増えてくるのではと思います。
怒りって、四果でいえば阿羅漢まで行かないと消えないんじゃなかったっけ
>>227で紹介したティク・ナット・ハン師の瞑想本に「怒りを観察する」というそのものずばりなエクササイズが載っていますね。
内容は概ね
>>237さんがおっしゃっておられるようなことが出来るようになるにはどういう練習が必要かという話です。
なので、感情のコントロールを練習する方法ならあります。
>>236 > 私も怒りっぽい方ですからね
みたいですね
しかし、五戒に「怒るな」とあるでしょうか?
別にあなたが怒っても破戒ではありません
そもそもテーラワーダの解釈でも不還果までは怒りを持っているとされます
感情のコントロールではないですよ
五戒は守ることで苦を増大させない事柄の項目です
守らないことで得られたものは目先の得と思えるかもしれない事
それを得ようとする心を断つ、捨てるということです
自らに課すものですが、厳格に守らなければならないと頑張るものでもない
貴様は守ってないと指差すものでもないでしょう
持戒しようとしていればわかることなんじゃないかなぁ
どうしたら持戒出来ますか?←すればよろしい、だけです
>>237 その辺は判りますよ
でも戒を完全に護持しないと定に入れないのだとすれば喜怒哀楽全てをゼロに近付けなければならないのではないですか?
私が尋ねているのはそれが可能かどうか 方法論はあるかの二点だけです
可能で有っても方法論が無いなら運に委ねなければならないし 方法論が有っても可能性が低いなら不可能性が高い訳ですよね?
>>238 そうなんですか?
でも戒律上は怒ってはいけないし 戒を守れなければ定には入れないのですよね?
それとも怒りを抱えたままでも定には入れるのでしょうか?
>>239 なるほど 先ずは観察する訳ですね?
やっと少しハッキリして来ました 有り難うございます
怒りが怒ってる時には「私は怒っている」とただ観察して行けばいい訳ですね?
やってみます
>>240 私は十善戒を受戒しています
そして日々破っている訳で その事が燃料となって更に自他に怒りを募らせる訳ですね
原始経典を読む様になって十善戒が出家の十戒だった事を初めて知りましたが 其処をクリアしないと自宗の教えを正しく受け取る事は出来ないと考えたのですよ
>>242 > 喜怒哀楽全てをゼロに近付けなければならない
というより、実は喜怒哀楽にさほどの重み実体はないと見極めることではないでしょうか
喜怒哀楽をゼロに近付けることが可能か方法論はあるかと言われば、在家には到底無理だと私は思います。
それは、釈尊が否定した封殺苦行だと思います。
「怒ってはいけない」というのは、感情に対して評価をくだしている状態。
「怒り」という反射的機械的におこる感情に対して、思考によって否定の評価をくだしている。これをやると状況は複雑化する。
>>175 でいうような「自分で評価をくださない」というのは、そういう
こと。
怒りに限らず、暑いとか痒いとか、そういう反応を無くすなんてことは無理なのではないかと思う、
ただし、こういう反応の扱い方は瞑想によって変えていける。
「定」までいかなくても、頭の中にどのようにして反応というのは生まれてくるのかというのは分かってくると思うよ。
>>246 実体が無いからコントロールしにくいのではないですか?
>>247 という事は受けた戒を護れる様にはなれず 定には入れないのですね?
>>244 > 怒りが怒ってる時には「私は怒っている」とただ観察して行けばいい訳ですね?
話を簡単にまとめ過ぎです。
私たちは把持力を言っています。
>>248 「怒らない事によって怒りに打ち勝て」という教えが有りますよね?
怒りが涌いて態度に出るまでに余裕が有れば可能ですが 不意にわき起こる瞬間的な反応に苦慮してる処です
怒りは表情に現れ言葉に現れます 瞬時に起こる怒りは悪口にも繋がり易く更に違戒を重ねてしまいます
難所ですがもう少し調整出来たらと思っていますね
こういう言い方をするのを好むだろうという人の為に言い方を変えると
怒りというのは青空に浮かぶ雲で、ピーカンの時もあれば嵐の日もある。
だけど、瞑想を続けていくと、自分が雲ではなく、雲を浮かばせてる青空の方なんだということが分かってくる。
>>252 即、できるものではないから、そこで瞑想を続ける忍耐力が必要だということになるんだと思います。
もう蝶になったかな?と慌てて蛹を開いても、蝶になるにはそれないの時間がかかる、という例え方がされます。
>>245 なら質問者ではないんですね
>>238 そうですよ
>>243 その理解が間違ってると思います
カバットジンは、"自分自身と、自分の思いは別なものである"ということと、"さまざまな思いが訪れ、去っていくのを観察し、決してそれに引きずられたり振り回されたりしないようにする"ということを、小学生のうちに学習できるようにするべきだとまで言っている。
これ、ID:O3352qxqさんですよね?
>>63 > 63 神も仏も名無しさん sage 2020/07/04(土) 16:13:32.32 ID:aND1sllN
> えっと 本スレでの戒についての質問なんですが定に入る為には何の戒を持戒すれば良いのでしょうか?
>
> また受戒の必要は有るのでしょうか?
>>73 > 73 神も仏も名無しさん sage 2020/07/05(日) 02:25:33.77 ID:o01dW3v3
>
>>64 >
> ありがとうございます
>
> 不飲酒戒が難しいのですが 十善戒でも良いですか?
>
> 何れにせよ完璧な持戒は難しいですが
>>257 そうなんですね、二重構造ですねそれは
やっぱりちゃんと読んでみようかな
戒は神仏から授かったものとして、思考しても届くわけがないのだから
思考せずに坦々とやるという姿勢が重要だと思うんですけどね
そこで守れない自分に怒る、っていうことでは永遠に悪循環じゃないですか
そんなことは無理でしょう
>>118の態度で取り組まれては
十善戒は僕の理解ではジャンプ後に守ろうとすべきものだと思いますけれど
ジャンプ云々はこちらでは控えたいので、手を広げなくて良いと思う旨をレスしました
しかし、授戒してるんですね、ならば最初にしていた話と違うわけです
相手が誰なのか同じなのかはともかく
戒さえ完璧に守れさえすれば、定に入れるかといえば違う
多分質問者さんがイメージしてるのと違う
戒を守ろうとする態度と
戒を守れている状態は違う
後者は言い換えれば「戒を破ることさえもできない状態」←この状態が即ち、定であったりもする
この状態になるには、戒を守ろうとする態度、心の反応を評価せずに観察しようとする態度、の積み重ねが必要だと思う
それで全員が定に入れるか?わからない。
先に他の人も言ってるように、定とは入ろうとしてる状態ではないのです。
入ってる状態のことを言うので、入ろうとするものではないのです。言葉で説明するには限界があります。
先に自転車での説明をされた方もいますように、ウザさんの個人的意見ではマインドフルネス瞑想によらず、人生のあらゆる側面でこれは言えると思います。
(合ってるかなー、違ってたら訂正してください)
>>261 これは驚いた
それでいいと思いますよ
定に入れることが出来る人は、破れないでしょう
少なくとも僕は五戒は守るものではなく、破れないものです
本スレに書いたことありますが
初心者スレ的にはジャンプ後の話は先走りすぎになると思い控えてますw
>>250 横レスですが
五戒を守れれば十分だと思いますよ
>>258 そうですよ
新たに受戒する必要が有るかどうかを聞いて自由だという事でしたので 既に受けている十善戒の悩み処を質問しました
>>260 私の宗派では在家でも受戒しますし マインドフルネスの戒は知らないので受戒の必要の有無を尋ねた迄ですよ つまりマインドフルネス用の受戒はしていないという意味です
>>261 意識せずとも既に身に付いている状態という理解で良いですか?
持戒の為の瞑想法というものはなく 呼吸を観る(数息観?)から始めるしかないという事ですかね?
>>265 五戒は受戒してないのと不飲酒戒が難しいので 既に受戒してる十善戒の方でと考えた次第です
>>270 うん。嫌でもそうなってしまってる。
ウザさん五戒が全部守れてるとは言いません(嘘は…つくかも。わからない)
しかし最近、不飲酒戒になったのではと自覚しています。
ウザさんはお酒は強いのだけど、みんなでワイワイ話したり食べたり会場を移動するのと違って、家で静かに飲むと体が冷えるのか、翌日酷い頭痛がするようになり、無理になりました。自宅のお酒は全部捨てて、飲み会のときだけ飲むことに決めました。(正確には消毒に使うためのウォッカが家にありますが、ウォッカは元々飲めません)
しかし、コロナのせいで周囲で飲み会が全く開催されません。ウザさんとしては開催されたら飲んでやろうと思ってるわけです。
非常事態は解除されそろそろ?と思いきや、新しい生活様式だの感染者の再増加で開催の見込みがありません。
まあまだこの先はどうなるかわからないし、これはたとえ話ですが、とにかく破れないんです。
>>268,271
五戒が守れないなら十善戒は不可能でしょう
以上です
質問がお有りならば授戒したあなたの師にお尋ね下さい
ウサはちゃんと坐ってればジャーナ入ると思いますけどね…
日常生活でジャンプ相当のことが起きてれば坐ればジャーナ入ります
ここでする話でもないでしょうけど
そう思うので瞑想メソッドは断片的には伝えたけど
メソッドの本を持ってるといいですよ
瞑想初心者向けにお勧めできるのは
>>66か山下さんの「本当の自分と繋がる瞑想」がわかりやすくて良いと思います
内山老師の第五図の理解込みでやるなら「光の中のマインドフルネス」です
山下さんも説明の仕方変わってきてるので、じきに改訂するか、新刊出るんじゃないかとは思いますが
気になるようならHPで説明されてるので「微細な感覚のアップデート」だったかな…
>>274 ありがとう
ホントはお買い物マラソンで本を注文しようと、ここに載ってたタイトルを確認しに来たのに脱線してしまった
とりあえずローゼンバーグの本を注文し、
エックハルトさんの本も普通に売ってるようなので買ってみるね
他の本も調べてみます
ローゼンバーグのアナパナ本はいい本なんだけど
ボディスキャンや微細感覚などの事は書いてない
身体感覚に戻ることはしっかりやらないと、アナパナで禅病になる人も居るから注意ね
挙げた、トール、山下はそこもきちんと書いてるので
アマゾン古本ででも買ってみてよ
>>273 五戒そのものが授戒されない宗派なので無理ですね
戒とかあるんですね
十戒や豚肉が食べられないイスラムとか輸血できない宗教のイメージが…
ダイエットしてリバウンドみたいになりそうだから、しばらくは見ないことにしようかな
真言宗系では十善戒なんだよね
親戚筋に真言宗の人が居るけどDVなんだ
普段は怒らない人だし、ニコニコ紳士的なんだけれど
怒ると歯止めが効かなくて、親戚の見てる前で奥さんボコボコに殴っちゃう
この流れ見ていて十善戒に原因があるんじゃないのかと思った
>>279 十善戒の根拠は原始経典だから そうなると御釈迦様に問題が有った事になるよ?
宗教色の薄いマインドフルネスには戒という概念はなかったですよね。
カバットジン師の書籍にはなかったと思います。
戒めから始めると、それによって抑圧される感情のほうが大きいですから。
まず戒から始めるのは間違っていると思うんですよね。
だって苦行じゃないですか。
自分が怒るようなことでも怒らない人はいっぱいいるわけだし
結局怒りって自分がどういう概念や価値観持ってそれを守ろうとしてるかだけでしょ
全ての怒りをなくすことができるかは別として個別の怒りは他人でもできてるひといっぱいいるんだから自分もできてもいいと思うけどね
試さないでできないって想像の判断下すよりできるかできないかやってみたらいいと思うけど
怒らないことを守れなくて怒りが止まらないw
よくみると相手を攻めるだけの態度に陥ってんね
まともな話してるのかと思って読んで損した
マインドフルネスのこと知ろうと思ったのにDVクソ真言宗に荒らされてたw
いやー、私にはとても為になりました
ありがとうございます
戒は自らに課すことであって、チェックされる事ではないし
常に厳しく守らなければいけないなんて話でもないんでしょう
それで怒りが止まらないなんて本末転倒です
何のためにやるのかといえば、思いの手放しですよ
いきなり坐ってそれをやれ、自己観察で「思いを手放せ」と言っても
明後日の方向に行くでしょうから
また、思いを超えた自己の有り様を自分に課すということでもありますね
思いを超えた自己からでないとマインドフルネスはできません
イメージしても無駄です、そのイメージも超えることなので
で、怒りを手放すというのは五戒より難しいんですからw
あるいは本当に反応をしない評価しないなんていうのも難しいですよ、五戒より
この話は、本スレでの話を持ち込まれたんですよね
いきなり「ありのままを日常観察できるんだ」
みたいなよくある暴論を本スレで僕が否定したところから来ています
もちろんそんなこと出来たら怒りは完全に止まりますが、無理です
だから、五戒を想定して、戒定慧の順で進みますよと言ったのです
それをこのスレに持ち込まれたのです
マインドフルネスで初心者の取り組む「気づき」は何に支えられてますか?
それは指導者や本によって異なるでしょうけれど
例えばよく出てくるバズワードである「反応、評価」とかだったりする
それ、止まりませんからね…
けれど、全くそれを見なくていいというわけでもない
止めようとするということがバズですよと言ってるんです
カバットジンはアメリカ人向けの本を書いているのだから
読者の多くはクリスチャンのための戒に相当するものを守ってるでしょう
戒を守ろうとして怒りが止まらなかったり
そんな本末転倒は捉え方がおかしいんですよ
修行をしていく中で、成熟してゆき、怒らなくなる、そのような修行をしなさい
というような教えならば、わかります
しかし最初から「怒らないことを厳守」これは無理です
最初から十善戒を授戒するのであれば、そのような態度でなかったら
その宗派はおかしくなりますね
ですから、やはり質問者を装って嘘をついているのだろうと思います
仏陀のサンガは阿羅漢五百人ですからね、善友善知識の山です
それに、ジャンプした人達はその何倍??か知らないけれどいたでしょう
「怒らないこと」なんてジャンプ後の取り組みの話でしかありえませんから
ここでやる話でもないでしょう
>>279 真言宗は
「奥さんを殴ってはいけない」っていう戒を加えるべきだね
>>282 すると戒が守れないと定に入れないと何方かが仰ったのは正しくない訳ですか?
>>284 ( ´,_ゝ`)プッ
それは真言宗じゃなくて君の血筋の問題だよ
>>287 ありのままは人間の身体構造から見て不可能ですね
私が興味を持ったのは戒定慧の話です
>>292 血縁じゃないよ
筋って書いてあるだろDVキチガイ
>>293 既に説明しました
君がスルーして怒りを向けてきただけですから
嘘吐いて質問者のふりをしたり、荒らさないようお願いしますね
以上です
毒が入ってくると一気に汚れていく
やっぱり5ちゃん自体やらない方がいい
>>290 不殺生戒に含まれるでしょう?
戒だけが有って守る為の方法論を消失してる事が問題なんだと思います
>>297 そうなんだ
真言宗じゃないけど弘法大師さま好きだから奥の院にはよく行くよ
胡麻豆腐と高野豆腐でタンパク質ちゃんととれてたのかなあと思ったりする
>>291 これは私の勝手な推測です。
2500年前は戒を守ることは現代よりも容易かったのではないかと想像しています。
当時と比べて今のお酒は格段に美味しくなっています(たぶん)。
プロパガンダや資本主義の発展のお陰で人々の願望や欲望を掻き立てる技術も進歩してきました。
メディアの発展のせいで、古来の生活をしていたら知ることのなかったニュースに日常的に触れるので見ず知らずの他人に怒りを燃やすこともしばしばです。
上手に嘘をつく弱者を騙す技術すらネットで公開されています。
お釈迦様が生きた当時から2500年間の間にこんなに社会は変わったのに、仏教はやっとこさ原点回帰しようとしています。
私はお釈迦様が見抜いた真理を疑ってはいませんが、当時とは社会情勢がまったく違うので、アレンジは必要なのだと思うのです。
正しかった戒律がいつまでも正しいとは限りません。
厳密な正しさを強要するとそれを抑圧と感じる人々も現れます。
正誤という2分論すら超越しないとお釈迦様の教えは拡がらないと思うのです。
>>299 ☓ 上手に嘘をつく弱者を騙す技術すら
○ 上手に嘘をついて弱者を騙す技術すら
>>294 どっちでもいい
そういう縁を持つのは自らの宿業であって所属する宗教団体のせいにするのはお前自身の歪みでしかない
真言宗が特にDVを推進してるとかDV率が高いとかなら別だが お前の周りがろくでもないだけで全部がそう見えるのは其処が田舎だからだろ?笑
暴力の程度で言うならロヒンギャ虐待やシンハラ人虐殺なんて方が遥かに酷いのに そっちは批判せずに身の回りのDVを何にも指示してない真言宗にこじつけるんだから それだけお前の視野が狭くて偏ってるんだよ
公平性の欠片も無いな
>>295 何にも嘘はついてないけど 貴方にはそう見えるというだけですよ
>>298 大豆は畑の肉と呼ばれる程ですから ある程度は摂れてたと思いますよ 以前SNSでブッダ最期の地の撮影禁止場所の写真を観たのですが伝わって来る雰囲気が奥の院と全く同じだったのにはビックリしましたね
>>299 難しい話ですね?
高野町でも守戒派と調和派が有って どういう訳か守戒派の僧侶方の方が他者排斥の傾向が強い印象は有ります
社会的には争わないのが正解だし 僧伽はそれに加えて持戒との両立という難しさは有るでしょうね
当時のインドの不安定な社会情勢の中でもやはり持戒は難しく 抜け道探しをする修行僧がいたから最終的に二百二十余りの比丘戒が出来たのだろうと思いますね
教団が小さかった頃は戒で悟れるとは思えないと発言されてた御釈迦様が阿羅漢達の進言で戒を取り込んで行く仮定で戒を守る事で悟り近付いて行くフィードバックを期したものに質が変わって行ったのかも知れませんね
情報化社会は二極化が鮮明になる。
耳ある人は、より早く
ダメな人は、何に接してもダメ
瞑想に向いてる人と瞑想を必要とする人には微妙なズレがある
瞑想に向いてる人は、むしろそんなに瞑想が必要ではない
反応に反応して、止まった
それが止まったように思ってる、評価してるのも
自分の抑制力のしきい値を超えてなかったから抑圧できただけなんですよね
そもそも、それまでは気づかなかったような反応も取り上げて
「ほらー、反応してんじゃん俺ー、止まれ止まれー」とやってるんですから
それって無茶苦茶抑圧しようとしてますよね?
微に入り細に入り
>>307続き
どこかでしきい値がぐんと下がることでしょう
そうでしょ、どんな反応にでも反応して評価を作ってるのだから
しらずしらずに連鎖反応の経路を増やしていますよね
それって、マインドフルネスということでなくとも人はやってるじゃないですかww
そうやってエゴを形成するんですからみんな
つまり、わかりますよね
十善戒を守ろうとして怒りが止まらないのと同じ取り組み方なんですよ
その取り組みを戒と呼ぼうがサティ、マインドフルネスと呼ぼうが、どれだけ頑張ろうが
本当のサティ、マインドフルネス、苦の滅、真理へは繋がらないことです
それをやってストレス低減したと思うのは全くの錯覚です
その錯覚から抜け出すことがマインドフルネスです
>>276 トールさん山下さんの本も普通に売ってて手に入りやすいようなので買ってみるね、教えてくれてありがとう
>>306 瞑想を必要としたお釈迦様は向いてなかった?
>>309 どういたしまして
自分のイメージ的にはウサにはトールが一番気にいると思うw
知識ばかり山盛りで実践できてない、理解してない人が本当に邪魔
自分と違う理解をしてる人を邪魔扱いしてたらどこ行っても戦うことになるよ
「この俺がコントロールして怒りを止めよう」としたら怒りは膨らむ
だから理解は違いませんよ?
ですから、そこにはまだマインドフルネスはないですね?
と言ってるんです
そこを超えてないところで、わからないことに知識を貼り付けて構築して
絡んでこられても戦いにはなりません
戦ってるつもりもありませんよ
ビギナー向けのバッドケースの事例として参考になるだろうと思って
説明しています
大乗の知識があるならば、虚心坦懐にマインドフルネスをやっていけば全てモノになると思います
しかし、坐る時にそれらはすべて一旦捨てなければいけません
違うものを作り上げてきたのですから
自分の頭に作り上げた山程の知識はゴミだと思ったほうがいい
そして、その外に出た時にそれらは宝になりますよ
そうしたら僕なんかまるで出る幕じゃないw
何時も言ってますからね、自分に向けても言っていると
人間が肉体を持つ限り、同じ過ちは起こし得ますし
間違ったことを言ってる誰かは自分でもありますよ
だから言わざるを得ない
自分の思い通りにならないことで苦しむドゥッカというものを、身をもって示してくださっているのではないか
それな
トラブルを避けようとしない人はノーサンキュー
"ジャンプ"とやらのネガティブキャンペーンにしかなっていないことに気づいているのだろうか
>>316 > 自分の頭に作り上げた山程の知識はゴミだと思ったほうがいい
>
> そして、その外に出た時にそれらは宝になりますよ
とても感じ入る言葉だね
自分と他人は違う理解をしている。
相手が間違っているように見えるとき、相手から見ると自分が間違っているのだ、という認識があれば、
違う理解をしている人のメソッドや境地の否定、人格批判といったバトルになることなく、筋道の通った話ができるはずなんですが…
本スレの方のここ数スレの展開を読むと、やられたら同じことをやり返せ的な仁義なき戦い(しかも含流れ弾)になってますよね。
あれやってる人が初心者スレに来て教えてると思うと、暗澹たるものがあります…
>>128 ヴィパッサナー瞑想から宗教色を抜き去ったものがマインドフルネス、
と理解しています。
ヴィパッサナー瞑想は、明確に悟りと解脱を目的としていますが、
一般的なマインドフルネスの目的は、日常生活のストレス軽減でしょう
から、目的が違うだろうということです。
しかし、基本となるメソッド自体は、かなり共通していると思います。
でも、もっと本当のことを言ってしまうと、
悟りと解脱を目指す瞑想はもともと「宗教」ではないので、
人々の偏見を避けて仏教徒たちが広めたものが、「マインドフルネス」という名前の
仏教瞑想だったのかも知れませんけどね。
苦や悩みを解決していこうという目的で言えばマインドフルネスもヴィパッサナーも同じ
方法もいろいろ共通してる
苦や悩みの解決を日常レベルで考えるならマンドフルネスとして取り組むのがいいかもしれないし、完全に解決しようとなるとヴィパッサナーも含めた仏道修行になるかもしれない
>>128 マインドフルネスとは「ありのまま、評価しない」つまり捨のことを言ってるのです
捨の瞑想に入りいわゆるヴィパッサナーすることがマインドフルネスです
その具体的な方法は例えばアーナパーナサティ、つまり呼吸マインドフルネスなどです
捨の瞑想ではありのままの心のありようを観察し、苦しみの原因を直視することができます
そこと日常の対応関係が見えてきて、日常における気付きも出てくる
意識的なものでは決してありません
それがいわゆるマインドフルネスといわれる事です
瞑想中に観察を行おうとするのも、とっかかりの部分では意識的なものではあるし、それは日常を修行にしようとする時にも同じこと
一切の意識的な行いをやめろなんて言うなら、慈悲の瞑想もやるべきではないということになる
とっかかりと出来てることは別
そのへんの扱いがひたすら雑なままだから、いつまで経っても同じことの繰り返しばかりやっている
瞑想や観察が本当にどういうことなのかと初心者がどういうふうに手をつけていくかは違うからね
わかっている人も最初はわからないままやっていってわかってきたんだろうし、まだわかってない人にわかったようなこと言っても実践性がない
もし本当に反応が止まる、ありのまま観察出来ていたら
坐ったら絶対にジャーナに入ります
本スレ見ても知識として知ってるだけで入ってない人ばかりだから
ジャーナより先の話を本に書いてないことを話すとまるで通じないんですね
出来てないことが認められるまで、まだ時間がかかるでしょう
呼吸観察なら早々に「…できねぇ」って認めることになるのに
日常の観察だとなんとなく出来たつもりになりがちだから
メンタルパンクするまで気づきませんよ、出来てなかった、ってことに
だからやかましいこと言ってるのだし、初心者がそこに足を踏み入れないようにこっちに来てるわけですよ
しかし、否定ばかりしてもしょうがない
ですから、日常の観察はあくまで戒のレベルで捉えればいいと言ってるんです
予め苦を増大させるとわかってることを止める、と決めておく
例えば、盗み、ウソ、不倫、飲酒とかを止めると決めておく
そこには気づきや思いを捨てるといったことも起きる
それが初心者のマインドフルネスだというのは反対しませんよ
有意義です
また、それと並行して瞑想もやらないと、ありのまま観察にはなりません
また前に書いたように、怒り、反応を止めると決めることはできません
それは嘘だし矛盾するからです
自称マインドフルネスのインチキ流です
伝統的に間違った伝わり方した仏教でもやってるのかもしれません
>>330 > 一切の意識的な行いをやめろなんて言うなら、
言ってません
そんな話をしてるつもりもありません
>>331 初心者は上記の五戒ならぬ四戒を守ってみる、呼吸観察瞑想をする
これで十分ですよ
それらによって心に避難所を作るようなことと思えばいいです
コロナで欝が出てきたなどの場合は、メモか日記にしておくことです
いじらないことです
禅病にかかるのは古来から圧倒的に坐禅瞑想によってでしょ
むしろ日常の所作に気をつけるのは禅病から遠ざかることになるのでは
あと、何となくできる気になるのが悪だというけど、食事をしている時や歩いてる時に何か考え事をして意識がそれてるのは、ちゃんと気づけるでしょう
こう言うと、それでマインドフルネスが完成したような気になるのはいけないみたいなことを言うかもしれないけど
日常で気をつけるのも心が揺れ動いてることに気づく修行になっている
坐による瞑想と日常を分離させないで、ひと続きの修行と捉えるのは悪いこととは思わんけどなあ
坐禅瞑想だけをやって、今ここにはないジャンプを目指してひたすら努力するのがマインドフルネスだというのは割と異端かなと思うよ
良道さんだってリトリートの時はすべての時を瞑想として捉えてるのではないかな
何故こうしてわからないこと、理解してないことについて
「俺はこう思う」ということを主張したがるんでしょうか?
出来てないことを出来てることにしたいということに他ならないじゃないですか
それではこれまで通りの延長で思いや考えを握りしめて生きていくだけです
そこにはマインドフルネスは有りえませんと言ってます
>>336 ほらまた知らないことをジャッジしてる
止めましょうそんな事
出来てなかろうが、ほとんどの指導者は日常も修行とすることをすすめている
5ちゃんのよくわからん人より、そっちの指導に従った方がよくないかな?
それとも、そういう指導者の言ってることは無視して、どうしても自分の言ってることに従えということですか?
>>336 > 坐禅瞑想だけをやって、
坐禅瞑想ではないし、瞑想だけやれと書きましたか?
> 今ここにはない
今ここはジャンプ先にしかありません
> ジャンプを目指してひたすら努力する
目指すものではないと何遍も書いてます
> のがマインドフルネスだというのは割と異端かなと思うよ
以上のことをアナパナについて言ってるのなら
君は仏陀も否定するんですね、誤解の上で
> 良道さんだってリトリートの時はすべての時を瞑想として捉えてるのではないかな
何も出来てない君の推測をぶつけられても知りません
山下さんは瞑想外のマインドフルということについてほとんど説明してませんが、
>>329に書いたような捉え方からそう外れることは無いでしょう
>>338 するなと何時言いましたかね?
僕ではなかったかな?アンカー当たってないし
他の誰がそう言ってますか?
正にそのことについて書いた直後にこれですよ
言ってないことに批判してきてもいます
ちょっといい加減にして欲しいです
あなたの心に描いた、架空の敵と戦いたければ、メモ帳に書いておいて下さい
>>341 >>334 日常で気をつけるってどうやってやるのかよく分からないです。
気がついたら観察しようとは思うけど。
気がつくまで観察できないです。
まず、瞑想と坐禅は違います
坐禅で禅病になるのは、反応に気づきを入れて止める(止まる)というのと
同じことですよ
今ここ、ありのまま、ができてるつもりなのも同じです
>>343 歩行瞑想や食事の瞑想ってあるでしょ
もっと単純なのだとスマナサーラ長老の手をあげるだけの瞑想とか立ち上がる瞑想なんかもある
(ちなみに手をあげる瞑想は良道さんが実際にやって、その効果に驚いたという話を読んだことがある)
もちろん殆どの禅宗にはそういう認識はないでしょう
パオでも日本人比丘尼さんがなっている
実際はテーラワーダでも瞑想が進むキモについては教えてないからです
あとID:u7frvP5/は山下良道の言ってることを理解してから名前を出すようにしましょう
「お前のおやじさんおふくろさんが泣いてるぞ」
というのと同じです
僕はあなたの両親は存じ上げないからそんなこと言いませんがね
その自分の心、見えてますか??
良道さんも、ジャーナの話なんかをするより、地道に日常で身体の感覚に気づいていく方が大切だと言ってたと思ったがな
>>348 相手が僕ならば話が噛み合ってないです、そこにかけてませんから
やはり理解してないですね
>>333 自分としては、アナパナをメインにする以外はお勧めしませんという話です
>>349 自分だけがマインドフルネスを理解してると言いたがってるのは痛いほどよくわかる
>>351 いいえ?君はわかってないと言ってるだけです
こういう風に言ってないこと、思ってないことを決めつける話し方をするのが
マインドフルネスなんですか?
↓
ID:u7frvP5/
>>352 あなたも勝手な物語を組み立てて、そこに話しかけてるからわかるのなんて無理ですよ
>>354 どんな物語ですか??
君は随分と誤読あるいは捏造して反論してきてますが??
>>354 きみ、ただのウソつきじゃないですか
出来てるつもり、わかってるつもりでいたいだけでしょ?違いますか?
どうなのか、自分に向けて問いかけて下さいよ
こちらに向けずに
僕は常に自分に向けてますよ
アナパナをメインに置くことの否定なんか俺もしてないし
>>356 言ったこと守れないんですね
341 神も仏も名無しさん sage 2020/07/13(月) 11:30:35.15 ID:u7frvP5/
どうせまた止まらんだろからここで止めるよ
>>358 君が否定してるとも主張してませんね、前提ともしてませんね、僕は
>>357 マインドフルネスとして指導されてることの主流的な部分がどういうものかというのは、まあ分かってるつもりではありますよ
そして、あなたがそこを否定している異端的な存在だということも
山下さんのご本を読んで
昔、突然気持ちがよくうっとりする空間に切り替わった経験を思い出したりしました
そういうのを気のせいで済ますのはやめて瞑想や仏教の知識を少しづつつけていこうかなとまだ動揺がおさまらないですが思ったりしています
教えていただきありがとうございました
>>366 結局根拠のいい加減なレッテル貼りのために出てきただけですね
さようなら
ジャンプが素晴らしい体験でうっとりするようなものだ
みたいに読み取ってる人は、出来てるつもりで間違ったことを言ってる人ばかりなので
惑わされないようにして下さい
そういうものではないです
主流のマインドフルネスとやらを理解しているつもりで居ると
人の話を勝手にすり替えて批判するようになるようです(^_^;)
これもバッドケースですね
初心者の方は参考にして下さい
>>350 「自分としては、」が発言で毎度はっきりしてるなら良いですけど
誰にでもお勧めはありますしね
いずれにせよ、主流のマインドフルネスであれなんであれ
「ありのまま、評価しない」の観察が出来るのであれば
坐ればジャーナに入ります
>>329で書いたような関係でマインドフルネスを理解することが
異端でも何でも無いとわかるでしょう
アナパナ、アーナパーナサティはサティを養うものです
これがマインドフルネスの源です
四念処も何も全てここから出てくるものです
異端どころかド本流ですよ
細部の表現は違うかもしれないけれどラリー・ローゼンバーグの二冊もこの理解から来るものですね
初心者には戒(不倫、盗み、ウソ、酒をやらないように心がける)
それからアナパナ(身体関連も含め)を薦めます
>>346 なるほど
日常生活で気をつけるのではなく
「食事瞑想等で気をつける訓練」と言いたかったわけですね。
それなら納得です。
でも食事瞑想も日常との分離ですよ。
>>370 そこははっきりさせません
させる必要がないと思ってます
絞っているのは僕自身ではなく、説得力に欠ける他の意見によるものだからです
すなわち「ありのまま、評価しない」がどうして実現するのか
それを言えてる人が皆無だからです
うんうん、なんとなく理解してきました。観ようとせずに観る感覚があるのも。自分の中の仮説ですが。
ウザさんはこれまで、一応毎日とはいえ、できる時間に時間も決めずに呼吸瞑想してたけど、今後は毎日朝か晩に決めた時間をとってやっていくようにします。
先生方ありがとうございます。
>>372 複雑な思考を必要としない食事や歩行を契機として、そこから瞑想の範囲を広げていくということでひょう
ジャーナさえ経験すれば
自動的に日常も何とかなると思っているから
問題行動ばかり繰り返す説
各種メソッドが正しい取り組みでされていれば
ジャンプします
ジャーナに入ります
ジャンプすれば何でも解決、とかいうわけではないし
「アセンション」みたいな事でもないwww
そこ勘違いしてる人がよく居るけど
そこがマインドフルネスのスタートライン
全てがひっくり返るところです
むしろ、大混乱だ
これでもかと自分の劣っているところをまざまざとありのまま見る
ジャンプして無い人には決して伝わりません
山下老師も十数年間、全く伝わらない事をよく口にしています
お釈迦様はそこから二十二年迷われた
その後にサティを説かれてる
ジャンプは大前提ですよ
仏教もマインドフルネスもそこからの生き方としてでなければ
全て読み間違えますよ
何もわかりませんと言ってるのはその事
僕が異端と見えるならば、その人の解釈が歪みすぎてるんだと思います
>>364 駄目と言われても
そういう体験だったとしか言えないです
お礼が言いたかったので
それが伝わればいいなと思います
ラリー・ローゼンバーグ
『呼吸による癒し』
気づきの修行のコツ
>>130 >>378 借りてきた下手な寄木細工のような話
※個人の感想です。
>>379-380 少なくとも、そういうのはジャンプ未満でも起きますんで
気のせいの部類ですよ
>>383 なら誰かが言ってる話に見えるということだね
さっき居た人と君とは意見が対立するねw
ID:dU7k7T5Pさんがグルとなり
ID:N7KUybyOさんのような信者を得て
5ちゃんでカルト教団が結成されていくのでしょう
めでたしめでたし
寄せ木もクソも、概念化出来ない世界のことですよ
話として綺麗に書けてしまったらおかしい話だし
本当にジャンプしていたら繋がって通じる話でもある
山下さんだってようやく最近言語化しきれてきたと言うくらいですよ?
最近の法話みたいに光とか言ったらまた「うっとり」とか思い込む人が出てきやしないか心配してますがw
これで飯食ってるわけではない自分が言語化下手なのは言わずもがなですよ
自分の理解の及ぶ範囲にあると思い過ぎでは?
>>385 悪いけどお断りです
>>384 体験や感じ方を大切にしていこうと思えたことが良かったと思っています
ジャンプは今後気にしないかもしれません
ありがとうございました
>>387 > 体験や感じ方を大切にしていこうと思えたことが良かったと思っています
そんな事書いてありました?
> 山下さんのご本を読んで
> 昔、突然気持ちがよくうっとりする空間に切り替わった経験を思い出したりしました
ここがまず、おかしいもんねw
あれら読んでそんな風に思うとしたら
「わかってる」と思い込みたいだけですね
> そういうのを気のせいで済ますのはやめて瞑想や仏教の知識を少しづつつけていこうかなと
気のせいで済ませていいですよ
僕もそうしてきていますから
> まだ動揺がおさまらないですが思ったりしています
何に動揺されてますか?
>>389 そんな話はしてませんでしたよね
今考えたのでは?
>>391 横だけど
> 今考えたのでは?
あなたその無駄な思い描きを何とかした方がいいと思う
>>392 回収する気のないことは言わないことですね
>>373 > すなわち「ありのまま、評価しない」がどうして実現するのか
「ありのまま評価しない」が実現できているか否かも評価なのでそちらには注意を向けないというメソッドだと、そこには言及できないですよね?
>>397 そうです、だから「ありのまま、評価せず」観察しようとする
というのは矛盾します
>>398 > そうです、だから「ありのまま、評価せず」観察しようとする
> というのは矛盾します
えっとそれは合意なんですが、その話をした訳ではないです。
「ありのまま評価しない」を実現できているか否かに注意を向けないメソッドだと、「ありのまま評価しない」がどうして実現するのかは言及しないんじゃないですか?という話です。
言及できないのではなく、言及しない。
実現できてるかに注意を向けないのではなくて
ジャンプするまでは実現できてないのが前提なので、「ありのままに評価しようとすること」に注意を向けるなと言及もできるし、言及もするわけでしょう
>>403 それやってる時点でもう「日常」ではないですよ
そういう瞑想法ですよね
>>402 ん?えっとよく分からない。
わたしの言ってるのは、
>373
>すなわち「ありのまま、評価しない」がどうして実現するのか
>それを言えてる人が皆無だからです
に対しての流れで、
>397
>「ありのまま評価しない」が実現できているか否かも評価なのでそちらには注意を向けないというメソッドだと、そこには言及できないですよね?
なので、メソッド的に言及しない場合もあるんじゃないですか?って話ですよ。
>>405 なるほど
メソッド的に言及しないルール?があるのかもしれませんが
それはマインドフルネス瞑想法ではないのでスレチです。
>>404 特定の時間を定めて座ってする瞑想ということではなく、日常の動きの中での瞑想ということになると思うのですが
そうではなく瞑想そのものが非日常のものだという主張ですか
>>406 ルールは無いと思いますがw
でも、「ありのまま評価しない」をただする、出来てるか出来てないかは評価なので気に留めない、というのは完全にマインドフルネスに当てはまると思いますよ。
>>400 さあ、、、あるんでしょうかね?
論理的にはそうなりますが、自分にわからないことを推論したくないです
主流とされる、マインドフルネスを謳ってるものにあるのかどうか知りません
自分自身の場合ジャンプが起きてかなり経つまで
そんなこと意識したことなかったです
だから、僕の中では少なくとも1つはあるといえばあるw
山下さんもそこはそれほど強調してないかな
日常で「ありのまま、評価せず」見てくださいとか書いてた/言ってた記憶がないです
>>407 もともとは、日常で気をつけるとはどういうことなのか、という質問ですから
もう少し詳しく言えば、日常生活で気がついていられるにはどうしたらよいかという質問です。
>>409 わたしの友人にマインドフルネスを何年かやってる人がいますが、彼はただやるだけで出来てるか出来てないかは振り返らないし気にもしないと言ってました
それでまあ、そういうものかと
その点は禅と同じだなと思ったので
>>408 マインドフルネスな人は、「評価なので気に留めない」ということはしないです。
マインドフルネスじゃない人がするのがマインドフルネス瞑想法です。
>>407 >>130って、アナパナの次の章に書いてありましたか??
これ、いきなり日常でやってもあまり意味ないと思いますけど
アナパナの中でやるならよくわかりますが
息が見えるっていうのは集中ではないです
そして、それはアナパナから瞑想の外へと対応してきます
>>411 そういう態度自体は僕は肯定しますが
マインドフルネスとは具体的に何のことを指してますか?
出来てるか出来てないかは気に留めなくてもですね、
日常でありのまま評価せずをやろうとしても
出来ないのだから
「俺は世界一の金持ちでいつもバッグに一千万入ってる」
つもりで歩いてても金持ちにはならないのと同じでw
出来ないものは出来ないと認めないと先に進めません
出来たつもりでこられると話全く噛み合いませんし
詰めていくとやっぱり出来てなかった
そんなの本スレで何十回もありますよ
>>410 日常の中に
>>130 を折り込んでいけばいいのではないでしょうか
座っての瞑想と日常の動きの中の両輪の瞑想で
>>416 はい、それは「修行のコツ」としてはそうですね。
しかし、130そのものはいくら折り込んでも「マインドフルネスなもの」ではない。
そういう話をしています
>>413 初心者に対して修行をより広い文脈で捉えられるように、最初のセッションが終わって帰る生徒に向けてから初めから説明しておくらしいですよ
>>417 「マインドフルネスなものではない」というのは、マインドフルネスとして完成されたものという意味ですか
正しい方法論であれば、
出来てても出来なくても気にしない
でいいと思いますが
日常での観察もアナパナも、集中しようとしてやってるなら
決してできません、進みませんよ
ラリーはそこのところを書き分けられてなかったっけな……
そこは割と肝心ですよ
>>418 サンクス、そうでしたっけ
最初のセッションならわからないこともないですが
しかし集中とかそういうことじゃあないんだけどなぁ…
そこらへんやはり山下やトールよりも一段下がると思いますね
全体的にはいい本なんですが
>>421 むしろ座っての瞑想のみを重視する方が少数派じゃないですかね
一法庵のサイトを見たら普通にウォーキング・メディテーションやらマインドフル・ランチやらをやってるみたいですし
僕はラリーが目指すクリシュナムルティの観察はわかりますよ
けれど、クリさんは一点だけ自分を勘違いしてる
彼は集中とか禅定とかいう言葉を嫌っていたけれど
彼は観察によって観察が出来るようになったのではなく
深い瞑想に入る修練を積んだから、観察が出来るようになった
というのが実際のところでしょう
若い頃の瞑想の後遺症が一生残ったとも言われてますね
だから、ラリーがアナパナから入ったのは大正解
>>419 もともとの話の流れが
マインドフルネスが完成されたものがあること
マインドフルネスの真似をすることが修行だと思ってること(←ストレス軽減としては有効か?)
未だマインドフルネスではない求道者向けの修行法が真似メソッドとは別にあること
この辺がごちゃごちゃになってたのです。
有意義な議論でした。ありがとうございます。
瞑想の習慣をつけるため、今日はこのへんでやめておきます。
>>423 一行目、誤解招くなw
頭でわかってるだけのところもあるので
座って動かない中での瞑想によって心の揺れ動きが見えやすくなって、それで日常の中での心の動きが見えやすくなっていくという両輪の働きになるでしょう
日常の中での瞑想をメインにしろなんて話では全然ないですよ
>>412 それは、「評価なので気に留めない」人がするのがマインドフルネス瞑想法なので、スレチじゃないって事を意味してません?
>>428 そうですね、それ「も」マインドフルネス瞑想法ではないですね
言い忘れてましたが、
スピリチュアル板に「ひとそれぞれ 思い思いのマインドフルネス」というスレがありまして
そっちがそちらのメソッドに合ってると思います
【ひと】思い思いのマインドフルネス【それぞれ】
http://2chb.net/r/spiritual/1585740479/ >>414 > マインドフルネスとは具体的に何のことを指してますか?
誰かに習ってるのかとかは、突っ込んで聞いてないので分からないです
「マインドフルネスとは?」みたいな話もしてないし
ああそういうものかと思っただけですね
瞑想に起きることと日常の対応関係、って
指導されないと見ないものでもないと思ってるんですがね…
勝手に気付くことがあれこれあると思いますよ
>>427 そう、そういうことを言ってます、少なくとも僕は
いま書きかけてましたが
根強く日常のありのままの観察を主張してくる人が居ますんでね
ID:CnjyDoVwさんみたいに…
「いや、それは無理でしょうw」ということを主張してきました
少なくとも初心者に「これがマインドフルネスだ」なんて教えるべきじゃないと思います
>>430 よく読み取れないですがスレチじゃないという事は合意できたのでしょうか?
>>434 わたしはバトルする気はないです
スレチだと一方的に言われている立場です
唐突だけど、ウサ向けのアナパナの説明考えたw
ウサなんかは(いわゆる)現実世界で相当に想定外なあれこれがあった
そこから受けたショックがあり、でもそれら全ての思い考えがそうじゃなかった、と思えて
受容してきた経緯があると以前聞きました
それは殆どジャンプなんだろうと思うけど
何故なら思い考えのウサを超えてあるウサ、というものの存在を今は信じられるのだから
そのウサから呼吸も見ればいいんです
その身体に収まらないほどの巨大で物言わぬウサは第五図のウサです
そのウサでないと呼吸を見られない、慈悲は願えない
思いや考えのウサでは呼吸は見られないし、慈悲も願えない
そのウサが呼吸で慈悲でマインドフルですよ
>>378 二十二年迷われたというのは、どういうことでしょうか?
正念を基礎とする八正道は、長い布教生活の最初に発表された教えだと読んだことがありますが…
>>437 十三歳でジャンプされてから、三十五歳で悟られるまでの二十二年間の事です
(歳は通説による)
ジャンプは悟りではありません
世界も自分もひっくり返ること
迷い、苦しみのありのままがコニャニャチワするということです
ですが、それら全てを平静に見ている自分も居ます
心の癖も残っている
それは混乱するものですよ、自己認識、世界認識において
それに対する仏陀の回答の一つとして、正念、正定や縁起ということがあります
混乱が止まる具体的方法論と世界観です
結局のところ、悟りとはジャンプがなんであったのかを
十全に把握することだと思いますが
般若心経にも完全回答がありますし、内山、山下、永井の言ってることは
それらのアップデート版とも言えます
八正道、正念、正定とも少し違った形に見えますが包含するものでしょう
僕の知識ではその包含関係を説明しきれませんが
ジャンプなんて独自用語を使ってる時点でカルトでしょ?
頓悟説はインド仏教じゃないし 寄せ集め感が…
日常の、一見、価値のなさそうなことでも、丁寧に細心の注意で行うことで、何かそれまで体験しなかった真の世界に自ら触れることができる。
>>440 仏教用語で言うと余計な事を考えさせるからだよ
最終回答を知っていても頓悟なんかしないもんですよ
>>438 仏陀が十三歳のときにあったどういう話をジャンプとみなしているわけですか?
何の経典に書かれている話ですか?
ジャンプは山下さん用語だけれど、仏教用語で言うとおよそ何である、というのはハッキリしてる
パオセヤドー直々に指導されてる人ですからね
しかし、彼は禅でもパオでも悟らない人を山程見てきて
その中で、仏教用語でコレということからも微妙にズレるところに
瞑想のキモがあることを見抜いたわけ
そこで、ジャンプ、ピッチャー交代、青空、などなどの言葉を使ってきたわけですね
僕は既にジャンプしていたのでそれらは直感的には「ああ、それはそうでしょう」という話でしたし
それはずっと法話聞いてきて少しも変わりませんが
逆にジャンプしてない人には全く伝わらないw
山下さんもそうだし、僕も嫌というほどここでそうでしたw
>>444 あなたがジャンプしてたというのはあなたのことですからそれでいいとして
あなたがした仏陀の話ですが
仏陀が十三歳のときにあったどういう話をジャンプだとあなたはみなしているわけですか?
何の経典に書かれている話ですか?
山下さんか誰かがそのように言っていたのですか?
>>445 七歳とする経典もあったような気がしますが…
なにせ出家前の話はググってもパッと出てこないもんで
出典は失念ですが、少年期にジャンプしてることは書かれていますよ
>>446 十三歳でも七歳でもいいですが、どのような仏陀の逸話をジャンプとみなしてるわけですか?
経典にジャンプという言葉はもちろん使われてないわけですからどのような逸話として語られているわけですか?
【参加者】山下さんは?
【水源師】あの方は、正式にはやってないです。
【参加者】やってないんですか?
【水源師】2年半で日本に帰ってきて、また帰って
その後、ネパールに行ったと。で、ネパールで瞑想
を教えていたと。だから正式にはやってなくて、パオでは禅定に入っていないと言っています。
ウサはジャンプ以前のジャンプを経験しました(そんなのあるのか)
でも魔境に終わらず、魔境以前より心の成長を確信してるので、そういうのもなんかあるのでしょう。
一応このスレはマインドフルネス初心者むけで、成り立ちはコロナ鬱不安の解消も目的ですが、
本来のマインドフルネス初心者とは、身の回りの悩み不安ごとが解消し、幸せになってからがスタートでしょうね。
>>447 お釈迦様は少年時代に初禅に入っておられます
そのことを以てジャンプされたと言わせてもらってます
蛇足ですが
これを単に(宿命付けられた天才であったシッダールタ王子の)子供の遊びだったと見るのは
それは世間的価値評価から聖人視する見方だと思っています
フラットに見れば、むしろ悲劇的なことですし
仏陀の説いたことは特別な聖人のためだけのものであってはいけないと思います
人にとって初禅に入ったということは重大なターニングポイントです
瞑想修行を続けようと続けまいと、既に世界は変わってしまってます
ここから「ありのまま」の苦や迷いが現れてきます
つまりもはや自分で自分を誤魔化せなくなってくるということです
五戒も破れません
また世間の人としてのみ生きようとするととんでもなく苦しみます
だから、マインドフルネスが必要になる
本当の苦と向き合い対処する生き方です
それが、お釈迦様が二十二年間で出された結論だと思います
またわたくしは、父なるサッカ(スッドダーナ王)が政務を行なっているときに、
畦道のジャンブ樹陰にすわって、欲望を離れ、悪のことがらを離れて、
粗なる思慮あり微細な思慮ある、遠離から生じた喜楽である初禅を成就
していたのをよく覚えている。
ーこれがじつにさとりにいたる道であろう、と思って。
「マッジマ・ニカーヤ」(「ブッダ伝」中村元における抜粋)
このあと十六歳でご結婚なされる話に続いています
初禅に入ればジャンプしてるのならジャンプしてる人は膨大にいらっしゃいますね
ヨガでもテーラワーダでも大乗でも初禅に入ってる人はたくさんいらっしゃいますから
けれど、山下老師によればパオでは推定1/100程度だそうですから
たくさんはともかく、膨大のというのはどうでしょうね?
>>452 >お釈迦様は少年時代に初禅に入っておられます
>そのことを以てジャンプされたと言わせてもらってます
山下さんが言ってる?
どこで?
>>457 主語が山下さんと読めますかね?
また延々誤読して藁人形打ち始めるのかな?
パオで初戦に入ってる人が1/100というのは修行初めの方を入れてるにしても少し少なすぎな気はしますね
ジャンプが1/100というならわかりますが
個人的には山下氏の言うジャンプは初禅とはまた違う気はします
山下氏も初禅に入れたらジャンプしているとは言ってないですよね
>>458 おじさんが思ってるだけなの?
あなたのご主人は山下さんでしょう?
>>461 そうですね
あなたも初禅に入ることがジャンプだと書くならちゃんと山下氏に聞いてみるのがいいと思います
山下氏のジャンプという表現を使って初禅に入るのがジャンプだとあなたが説明しているのですから
本も読んでない、話も聞いてない、ジャンプもしてない、初禅も入ってない
なんでこういう人が知ったようなことを言いに来るんだろう
>>462 言ってるのだから問題ないですね
>>463 おじさんもだよねw
虎の威を借る狐でしょ
こちらは何度もその話聞いてますが、キャスのどこで言っていたかなんか
探すの無理ですからw
嘘だと思うならば山下さんに訊けばいいでしょう
>>464 自分が知ってることを山下用語を使って話してるだけですが?
>>463 山下氏が初禅に入ってればジャンプしてると言ってました?
どこで言ってました?
ちなみに本は全部読んでますし法話も半部以上は聞いています
私の記憶ではジャンプするには禅定に入るのが必要みたいな話はあった気がしますが初禅に入ればジャンプしているというのは初耳です
まあともかく、ジャンプが起きればわかると思いますよw
あなたの言葉の解釈が不確かだったと気付くでしょうね
>>465 あなたはキャスで聞いたということですね
別に探してなど無理なことは言いませんよ
ただ私はそのキャスは聞いた覚えがないですね
私はキャスや著書からジャンプするには禅定に入らなければいけないということはわかりますが、
だからといって初禅に入ればジャンプしているというのはおかしな話な気がします
ちなみに、山下さんは初禅とかそういう「厳密な定義」のある言葉はあまり使いたがらない
ぼやっとジャーナと呼んだり、第五図に飛ぶなどの言い方をしますね
要するに本質的にはもう禅定なのだけれど、テーラワーダの正式なやり方に
則った手続きを踏んで初禅を認定する、といったようなことは
只管打坐の山下さんからするとわりとどうでも良いんでしょう
初禅に入ればジャンプしたということになるなら
そもそも山下さんもパオでジャンプできるまで初禅に入ってなかったことになりますしね
ジャンプがわかってない藤田一照氏もいまでも初禅に入れてないことになりますね
山下氏がほとんどの人がジャンプわかってないと批判したテーラワーダの人たちもほとんど初禅に入ってないことになりますし
スマ長老なども初禅にすら入れてないということでしょうか
もちろんそれでもいいですが
>>471 あなたは初禅はジャンプだと言い山下氏もそう言ってると断言してますよね
もしあなたの初禅の定義が一般に言われている定義と違ったり不確定なことなら断言されないほうがいいと思いますよ
>>473 そんなことどこで言ってますか?
聞いたことに答えないであなたがそう聞く意図はなんなのでしょうか?
まあ、地道に続けているならジャンプ起きますよいずれ
山下さんのところからみんなで抜けていった、ゴシップお喋り勢で知識だけみたいな
不思議なアプローチの人ならば、その限りではないでしょうけれど
二人現れて、またどうせ二人同時に消えるんでしょうし
一レス目からまるでわかってないのバレてますし
相手するのもここまでにします
>>476 あなたの言う存在の定義がわかりませんから言えないですね
例えば出世間的なことを存在すると言っていいかどうか言葉の使い方次第ですし
本当に山下氏が初禅に入ればジャンプしていると言ってるならいいですが、
私は記憶にないですし、そのソースも提示されないので、もし今後ソースに出会った方はここに貼ってくれるとありがたいですね
パオで99/100くらいは光が見えないという話は自分的には衝撃だったからよく覚えてますしw
それが何故なのか、そこに瞑想の主体問題がある
主体が変われば部屋が変わる、呼吸が見える
呼吸が見えていれば初禅に入る
本全て読んでて半分もキャスを聞いていて
この話繋がって理解されてないのは、真剣に坐ってない人でしょうね
それと、部屋が変わることと、日常にジャンプが起きることは同じことですよ
ほんとちゃんと坐っていたら紛れようのない話でしょう
いや、ちゃんと坐っていてもジャンプが起きなければわからないけれど
こういう絡み方はしてこないものです
このおじさんは口がうまいので
⚪︎⚪︎⚪︎を知らなければ騙されるでしょう
と、とある方に教えてもらいましたw
でも、騙されるのは自由です。
>>481 その書き方だとあなたがそれぞれの話を繋げて理解しただけで山下氏が初禅がジャンプだと言ったことには全くなってないと思いますが、
山下氏が初禅はジャンプだと言ったのをあなたはキャスで聞いたんですよね?
それともあなたがそれぞれの話を繋げてそう理解したという話ですか?
最後まで行くのが1/100だったか、それは訂正
光のところまではパオでも「本当に限られた人しか行けない」(山下)
呼吸が見えてる=光が現れる
そこをクリアすると殆どは最後までは進んでいける
という話もしていたな
光の中のマインドフルネスを読んでる途中だけど、
あくまで本の文脈上だけど
初禅は「ジャンプの始まり」って感じがするね。
p182に第二禅定以降からZ→Z'線から外れることはない、と表現されてる
ジャンプが第○禅定であろうが、初禅に入らなきゃそれ以降も入れないんだから、アスさんの表現も間違ってはないよ
>>487 いや初禅に入らなければジャンプできないというのと、初禅に入ったらジャンプしているというのでは全く違うでしょう
ジャンプするためには初禅に入るのが必要というおはわかりますし私もそうだと思っています
しかし初禅に入ったからといってジャンプしているということには全くならないでしょ?
というのも初禅に入っててもジャンプしてない人はいるからです
>>482 おっしゃるとおりだと思うよ
473さんにも見抜かれてるじゃない
>>488 そうなんですね
初禅に入ってもジャンプしてないことを「魔境」というのだと思ってました。
ソースはウザさんです。
>>490 あなたの魔境の定義はあなたのことなのでわかりませんが
初禅や禅定には仏教で一般的に定められている定義がありますし、山下氏がジャンプと言うとき山下氏のジャンプの定義があるでしょう
初禅と山下氏の言うジャンプを繋げるなら山下氏本人がそう言ってるのかどうかきちんと説明するべきだと主張しただけです
>>487 早速読んでるんだ
ZZ'線上にいるのはヴィタッカ、ヴィチャーラを禅支としてるところだね
それを手放したところで初禅じゃなかったっけか…
エーカッガター一境性がもう現れていれば線上からほぼズレない
二つを手放せる
ともかく、そこで部屋から出る
でも、初禅に来ていたらその先まで入って、四禅まで行く
第五図ね
実際のところ初禅に入ればジャンプだよ
>>491 あんた、ここは国語論理的思考を闘う討論会じゃないんだよ
そんなことでレスバトルに勝とう勝とう思い込んでると、例の翻訳者みたいに禅病になってしまうぞ
身もふたもないことを言うと
ジャンプは存在しないよw
でも、そんなこというとつまんないしねw
では、私は退散w
>>492 うん。今日、トールさんの本と一緒に届いたよ。
なるほど一境性があるということで、初禅に入れば四禅も約束されてるのね
人によってはそこまで時間がかかる人もいるから「初禅に入ったのにジャンプしてないように見える」のかな
>>493 あなたがレスバトルだと思うのはあなたの勝手ですが、私は初禅に入ることで自分がジャンプしたと勘違いする人が出たらその人の修行の妨げになると思って言っているまでです
山下氏がそう言ってないのに言ってるように書いてるとしたらそれも同じように修行上問題でしょう
わたしはそれらはマインドフルネスの初心者にとっても大切なことだと思ったから書いたまでです
なぜ山下氏をこれほど推すのかを考えたら
どこの信者かわかりますよ
>>496 自分が一番の知識者だと思っていたらだめだよ
「もしかしてこのバカそうに見える相手は自分より光の段階が上かもしれない」と一度で良いから譲るんだ、差を取るんだ。心の中でね。それがさとり。
それはとてもとても嫌でキツイことなのはよく分かってるよ。
でも試しにやってみるんだ。
一日中宗教板にいるなんてありえないですよね
と私も言われましたwww
>>495 あらゆるメソッドで保証されてる、までは言えないけど
身体と、慈悲の瞑想しっかりやって出ないということはないと思います
良道さんのマインドフルネスは主体の問題ばかり追求してるうちに独特なものになっていて、それを更にいつもの人が誤解と思い込みと意図的歪曲で特殊なものにしてしまったというのが5ちゃんマインドフルネス(?)界隈の現状
>>498 それはもちろん誰しもやるといいことですね
試しにだけでなく日常的に常にいまもやるといいですね
ジャンプは機根で起きる要素が強いと僕は思ってるし、そう言ってきてるけど
しかし、機根とはなにかというと、、、
それを言うと求めて間違ったことやる人もいるだろうから言わない
微細感覚とか慈悲の瞑想とかはハードル下げてくれるものだと思う
>>501 知識だけで追ってればそう見えるだろうね
>>501 そうなんですか
宗教に詳しい知人は⚪︎⚪︎⚪︎扱いしていましたね
慈悲の瞑想もやらない方がいいとバッサリw
シンキングマインドが主体なら、瞑想は進まない
ビッチャー交代とか、山下さんから聞かなくても「そりゃそうだ」という話で
本スレで「ビッチャー交代とか言ってる山下という人が居るんだけどどう思う?」
とか訊かれて、もちろんそうだと答えて山下さんのことを知ったw
一照さんも主体問題は言ってるね
山下さんだけが問題にしてるわけでもない
みんな「そりゃそうだ」だから、わざわざ主体ばかりを深く追求したりしない
>>502 やってないのは他の人はみんなわかってってるから
やるんだよ
山下さんの話はジャンプしてないと繋がって聞こえない事は多いと思うよ
本ですら、そこまで言ってないと誤読するだろうところはある
山下スレでそういうのは散々見せていただきました
>>507 だったら「ピッチャー交代」を疑問視する人が居たのはなぜ?
ジャンプがわからない人が居るのはなぜ?
適当なこと言わないようにね
当時、ピッチャー交代なんて嘘だとかナントカ言ってる人は複数居ました
山下スレでもそういう人はいた
本スレでも山下さんの話を出すと露骨に潰しにかかる人は居た
なにが、みんな「そりゃそうだ」、なんですか?
>>511 そんなことはないよ
観察主体は初心者から大事な話
ジャンプして初級者を脱したときにこそ観察主体の問題は重要になるという話をしてたわけだけど
それは中級者からの話とも言えるけど
しかし、修証一等などといったことは初心者から言われること
最初からその図式があって、瞑想は上手くいく
山下さんはもう、二重構造わかってたら只管打坐だけでいい、
とまで言い出している
ジャンプおじさんは指導者じゃないのね
誰かが先生とか書いてた気がするけど
指導者クラスの人間はみんな「そりゃそうだ」と分かってるという話
>>514 その話が参考となると思ったらみんなウザさんの上です。先生です。
さっさと差を取るのが近道なのです
アメリカ仏教界でもテーラワーダでもいいけど、そこの指導者クラスの人間で、良道さんの主体の話を聞いて、これは凄い!みたいに思う人はいるんだろうか
当たり前の話としてしか受け取られないのでは
>>515 でも、それを初心者に伝えられなければ指導できたことにはならないんじゃないかなぁ
本当はさ
パオの日本人比丘尼さん、僕はほんと心配なんだけど…
二十年前にはアナパナで禅病の前症状みたいなものはあったというから
かなり長くやってらっしゃる
あの方も一応指導者なんだよね
>>518 たとえばカバさんもラリーも本人にはその感覚あっても
それほど強調しても居ないんだから
そこが脱初心者のポイントになってると気づいてないのかもね
また西洋では二重構造性を説明することは倫理的な問題を孕むと思う
何故なら、それってイエス=自分になっちゃうから
反対する宗教者も出てくるだろうね
そういう潜在的な問題意識があって強調しないということはあるかもしれない
教団に認められた指導者じゃないのにジャンプおじさんが自己流の布教をすると
山下さんに迷惑じゃないの?
何が誤解なのかは言えないけど、脅したいのね
つまり君には関係ないってことだ
なんでこんな話が初心者スレで展開されてるんですかね…
スレを立てた人間としては、ここは仏教の知識なんて丸でないけどマインドフルネス瞑想に興味を抱いてくださった方が気軽に質問や相談を書き込めるスレになってくれたらと願っておったのですが…
本スレとの住み分け難しいですね
IT関係の専門板だと初心者質問スレは割りと機能しているのだけどなぁ
もっと質問スレだということを強調するタイトルのほうが良かったかもしれない
設計を間違えたかな
ストレス解消法としてのマインドフルネスは英語の文献で学ぶ方がいいと思う
日本では禅やモダンテーラワーダの用語や考え方が入り込むのでわかりにくいし誤解も生じる
初心者スレってのは、しょもない質問や感想を書き込んでも許されるとこじゃないと機能しないでしょ。
ちょっと昔の想い出を書き込んだだけで追撃されて、話をやめたら、
>回収する気のないことは言わないことですね
とか言われる初心者スレなんて普通じゃないです。
マニアが「これは初心者向けだろう」とジャッジした内容を話すスレになってるでしょ。
ストレスフルスレですよね
瞑想は効果を感じるので続けたいと思いますが、ここで質問するのは諦めました
>>529 流れによるでしょ
それを言ってる人は自分が初心者だと思ってないしね
>>531 > それを言ってる人は自分が初心者だと思ってないしね
それ勝手な想像なのでは?
発言では「瞑想や仏教の知識を少しづつつけていこうかな」とか言ってる人ですが…
後で見に来た人がわかるようにアンカー当てとかないといけませんね
こういうのは完全にマインドフルネスもどきなので注意して下さい
>>27,30,33,36,40
反応しつつ、あーあー聞こえない聞こえないしてるだけで
そっちの方に抜けようとしたら決して抜けることが出来ずどん詰まりです
>>40 > 自分の状態を観ることは誰にでもできる
> ただありのままに観る
> それがマインドフルネス
それは出来てるつもりなだけです
レスして意見言ったらレスバトル認定されちゃうみたいね
そんなスレで10日以上前の書き込みにレスバトルしてる方もいらっしゃるようだが
マインドフルネスについてレスしています
誰か他者を攻撃するためのレスをしてるわけではなく
マインドフルネスについて誤った考え方を指摘しています
>マインドフルネスについて誤った考え方を指摘しています
指摘してるつもりなだけです
既に十分に根拠を述べました、悪しからず
考え=自分、という見方から離れられない人はこちらのレスを他者攻撃とみるのでしょうが
それは「マインドフルネスがわかりません」ということです
マインドフルネスは考えや、考えが自分であるという見方を超えることです
それが出来ない人が他者攻撃のためだけに出てきますが
それはマインドフルネスではありません
ID:0l/nVqP8のように理由を述べられずにただ他者否定だけをしにくる人は
マインドフルネスを語ることはできません
ID:0l/nVqP8のような態度は、不毛な決して罵倒、煽りあいからは逃れられません
永遠に同じところで矛盾してループするのだから相手しませんよ
このスレはマインドフルネス警察が常駐してるのでみなさん書き込みには気を付けてくださいね
レスしたらレスバトルと認定されたり10日以上たってすらそれはマインドフルネスではないと否定されます
>>547 既に理由は十分に述べました、悪しからず
君のように理由を述べられずにただ他者否定だけをしにくる
その態度では、不毛な決して罵倒、煽りあいからは逃れられません
永遠に同じところで矛盾してループするのだから相手しませんよ
警察というよりヤ⚪︎ザ…
オレ様と山下が正しいと言うから正しい!
が理由ではちょっと
>>452 この度は大変参考になる気づきを得られました。
ジャンプすれば五戒が破れなくなってくるのは本当だと思います。
以前職場で一緒だった人に、この人もしかしてジャンプしたのでは?とウザさんが勝手に推測してるひとがいました
(類友みたいなもので、わかったのでしょう)
最後に同席した飲み会では、半年前から続く胃の不調でお酒が飲めなくなったと言ってました。
その経緯はすっかり忘れていたのですが、その人は不飲酒戒になったのだと今分かりました。
宗教やスピリチュアルを信じてる人ではなかったので、ジャンプ後を少し心配してたけど、きっと進んでいるのだと分かって今はそれが何よりも嬉しいです。
反応に反応して気づきと言ったり、日常でいきなり観察してありのままであると言ったり
それらは全くマインドフルネスでもなんでもないです
それは心理療法かなんかをマインドフルネスと呼んでいるだけでしょうけど
書いた通りどん詰まりですよ
山下式のマインドフルネスはどうやるのか、その具体的な方法の話があまり無いんですよね。なんか境地みたいな評価の話が多くて。
wikipediaとかで書かれている標準的なマインドフルネスとどこが違うのかということを方法論の面から聞いてみたいです。
>>553 非常に具体的な方法を指導してますよ、山下さんは
「標準的な」というのが何を指してるのかわかりませんが?
> 『マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、
> 瞑想およびその他の訓練を通じて発達させることができる。
瞑想によってのみそれは可能です
> マインドフルネスの語義として、
> 「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」
> といった説明がなされることもある。』
瞑想であってもジャンプしないとそうなりません
前段との関係は
>>329に書いた通りです
意識的に「気づき」をやるならそれはもう反応です
気づいたものが何であるということは評価です
日常の意識的な観察からは「ありのまま」は実現しません
それが出来るというのは全くの嘘です
出来たつもりにはなろうとすることは出来ても
心は、捉え難く、軽々とざわめき、欲するがままにおもむく。
その心をおさめることは善いことである。
心をおさめたならば、安楽をもたらす。
心は、極めて見難く、極めて微妙であり、欲するがままにおもむく。
英知ある人は心を守れかし。
心を守ったならば、安楽をもたらす。
ダンマパダ三十五ー六
「極めて見難く、極めて微妙」なものを、感受の大河である日常で
いきなり「ありのまま」見られるという人は単に勘違いしてるだけです
そんなことを提唱してる心理学者が居るのならば全く浅はかなことです
それをやってもズルズルと別のところにスライドさせてしまうだけ
本当に偽らずに日常の観察をやろうとしたら、わかることでしょう
続けても出来るようにはなりませんよ
>>554 > 非常に具体的な方法を指導してますよ、山下さんは
山下さんはそうですよね。
わたし光の中のマインドフルネス持ってますし、知ってます。
ただ、ここでは方法が具体的に語られたことあまり無いのでは?
初心者スレとしてはその方向を目指すのが良いのではないかと思ってます。
結果や境地ではなく、各自の実践してる方法ですね。
> 「標準的な」というのが何を指してるのかわかりませんが?
wikipediaの記載ですね。
例えば、一ヶ所引用するとこれです。
『現在マインドフルネスと呼ばれる言説・活動・潮流には、上座部仏教の用語の訳語としてのマインドフルネスがあり、
この仏教本来のマインドフルネスでは、達成すべき特定の目標を持たずに実践される[8][9]。
医療行為としてのマインドフルネスは、ここから派生してアメリカで生まれたもので、
特定の達成すべき目標をもって行われる[8][9]。
マインドフルネスは、大きくこの2つの流れに分けられる[8]。』
まあ異論は多々あると思いますが、wikipediaの記載は一般的な理解としては標準といっていいと思ってます。
>>557 語ってますよ、混ぜ返されてるだけで
また、それは標準的ということの具体的内容ではありませんよね
昨日も書きましたが、山下さんは二重構造さえ理解してれば只管打座でいい
と言っています
それで完全なマインドフルネスになるでしょう
しかし、やはりそれだと難しいと感じる人は微細感覚をやりましょう
四界分別をやりましょう、慈悲の瞑想をやりましょう、呼吸観察をやりましょう
というスタンスですね
僕はそれ以前からカバさんのメソッドで十分だと思うし、ワンダルマでなくともいい、と言ってきてます
アナパナだけでも、手動瞑想でも、何でも良いでしょう
(ただ、やはり山下さんのメソッドはベストに近いとも思ってますが)
しかし、反応に反応する、観察すればありのままだという、
それをマインドフルネスと呼ぶ嘘は止めましょうと言ってるんです
出鱈目の似非マインドフルネスですよ
それ以外で瞑想が入るならば大体何でも良いと思ってますよ
自分しか言ってないと思うので
自分に向かって語りかけていればいいのでは
>>558 > 語ってますよ、混ぜ返されてるだけで
そうですか…まあ今回問題提起したのはわたしですから遡ってみますね。
> また、それは標準的ということの具体的内容ではありませんよね
標準的というのは多数合意ですから、皆が編集可能な場所で公開されて合意形成されてたら、それは標準なのでは?水準器や標準時と同じです。
正しいか間違ってるかはまた別ですけどね。
いやいや、多数合意を標準とするのは駄目でしょう
誰でも理解してしまえることの方が多数合意になりやすいのだし
それでは結局、これまでの常識の範囲内で理解の出来る概念世界の中で
閉じたものになってしまう
そこから出るのがマインドフルネスのスタートですよ?
>>559 > 昨日も書きましたが、山下さんは二重構造さえ理解してれば只管打座でいい
> と言っています
> それで完全なマインドフルネスになるでしょう
この表現と、前の方でたぶん貴方だろうと思われる人が書いていた
「いまここはジャンプ先にしかない」(←不正確かもしれない)
という表現が矛盾に読めるので、いまいち釈然としないんですね。
何のためにこのスレがありますか?
誰でも頭で理解した気になれる、それが故に何も自分の世界を変えることのない
(生花が変わった程度にしか変わらない)
それをコロナ鬱などで苦しむ人にしたり顔で教えて何になりますか?
アスペさんは5ちゃんで指導者ごっこなんかやってないで、自分でそういう場を作ればいいじゃん
行く人ゼロかも知れないけど
>>564 矛盾しませんよ
只管打坐だって坐ったら誰でもすぐに只管打坐にはならないのだから
コロナ鬱のためのスレだとか物語を作って語ってんのアスペさんだけ説
>>563 日本語の標準って言葉には「正しい」「模範」みたいな意味が混じってますからね
英語のstandardizationの方がわたしの言いたい事として直接的かもしれません
言葉をつかって広く合意形成することがstandardizeです
>>569 そこは全くどうでもいいでしょう
合意したからといってそれが正しいなんて言うことは出来ませんから
易きに流れるだけの話です
>>570 > 合意したからといってそれが正しいなんて言うことは出来ませんから
よく読んでください。わたしは >562 で既にこう言いました。
>正しいか間違ってるかはまた別ですけどね。
>>567 それは、只管打坐の状態と只管打坐の実践は別である、という事ですか?
例えば、
「サトリとはなにか?合意形成しよう」
これは駄目でしょ
全く出鱈目なことを言う人は大勢いるのだから
むしろそんな人しか居ない
全くそれと同じようなことですよ
マインドフルネスもジャンプもサトリではないけれど
>>574 「坐れば仏だ」と言われ、坐るわけです
しかし、それが一体どんなことかはすぐにはわかりません
ほとんどの人は三十年坐ってもわからない
それは只管打坐を志してはいるけれど、只管打坐にはなっていない
>>575 そんな事を言ってる人いないと思いますが…
>>576 はい、それは分かりますが、
では、その只管打坐になっていない只管打坐、つまり只管打坐を「している」人のやっている事は、何と呼びます?
>>580 > 練習、訓練
習禅ってことを言ってます?
なんかもっと初心者に優しいスレにならないかと思って
山下派の人が多いみたいだしそれでも良くね?って思って話し始めてみたけど、上手くいかないね
やっぱわたしこういうの下手だわ
どんな瞑想メソッドでもいいけれど、
坦々と、出来ても出来なくても続けることです
日々の瞑想に一喜一憂するのも良いですが瞑想は一喜一憂を超えたところにあります
思いや考えを超えた自分が坐るということです
戒を守るのも同じです
出来ても出来なくても守ろうと決めたことは忘れない
思いや考えを超えた自分を生きることを意図的な次元で実践できる
思いや考えの自分2がいる
けれどそっちだけが自分1ではないことを知る
自分1にしかマインドフルネスはできないし、慈悲も願えない
自分2が(唯一の)自分だと思っているならばマインドフルネスや慈悲の瞑想はできない
反応に反応、最初からありのままが何故駄目なのかと言えば
それは思いや考えの自分がすることだからです
これはどん詰まりの矛盾です
矛盾は思い考えの次元にはどうしたって生じてくる
それを頑張っても思い考えを超えるということには繋がらない
つまりマインドフルネスにならない
この話がジャンプするしないで優劣作ってるように見られることがあるけど
そうじゃない
ジャンプは頑張りではなく機根によるものも大きいと言ってます
かなりの程度、不作為なものですよ
思い考えの外のことですから
>>578 そうですか、わかりました
>>579 「その人のやってること」は坐ってる、考えてる、思ってる、です
>>582 お気遣いありがとうございます
他の板をいくつか見てきましたらどこも廃墟のようで…
なんとなく想像がつきました
>>583 訂正
> 戒を守るのも同じです
> 出来ても出来なくても守ろうと決めたことは忘れない
> 思いや考えを超えた自分を生きることを意図的な次元で実践できる
思いや考えを超えた自分を生きることに、意図的な実践を通して触れやすい
にします
これも書くとクドくなるのでw
>>585 廃墟にしてるアンチ山下には困りものですね(^_^;)
>>583訂正
> 思いや考えの自分2がいる
> けれどそっちだけが自分1ではないことを知る
↓
けれどそっちだけが自分ではないことを知る
マインドフルネスは本当に出鱈目なことが流布されてますからね
>>27,30,33,36,40みたいに
こういう認識を否定できないこと自体、既に廃墟なんですよ
知ってる限り、一年半以上は本スレも廃墟です
マジレスすると
自分基準の正義棒で殴りあってるんだからもうこれお互い様じゃないですかね。
上手くいったとしてもアスペというマインドフルネスを一体誰がやりたがる
興味があるとするなら、どんなことしてしまったらアスペになるかということだろう
>>590 必ずしも自分基準ではないですよ?
根拠も述べてます
自分としても知ってる限り、誰かの言ったことも同意できる限り根拠として
述べています
正義云々というよりも、反応に対する気付きや最初からありのまま式では
行き詰まります
わかりきったことなので言ってるだけです
説得力のある反論がないのですから要するに
「(未だ)わかりません」
ということでしかありません
もちろん何をどうするかは勝手なんですが
行き詰まって、そこで誤りを正せるかどうかは甚だ疑問です
日本人比丘尼さんのことを出してるのはその意味です
折角ああして率直に禅病であることを告白して下さってるんですから
無駄にしないで下さい
>>593 彼は、長年自分の言ってることが全然理解されないままだけれど慣れっこだ
と言ってますよw
僕もかなり慣れてきましたw
誰にも理解されない
真理を理解してるのは僕たちだけ
ありがちなカルト
前スレでも話題になった脳神経細胞の可塑性。
成人後でも、マインドフルネス瞑想によって良くなる可能性があるということは、やり方によっては後天的アスペにもなる可能性があるということ。
このスレが如実にその事例を示している。
皆さん、怖いですね〜
ジャンプしなくてもマインドフルネスだ
というのがグループ呆けね
そもそもテーラワーダでもサマタでジャーナ入ることが前提ですから
ヴィパッサナー、マインドフルネスは
ジャーナ入らずにマインドフルネスなんて言ってもどん詰まりですよ
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
内山興正老師の 進みと安らい ちゃんと読め
思想どうし主義主張どうしの争いに明け暮れるのがグループ呆けだぞ
読んだよ
話の流れ読めてないでしょ君
主義主張にもなってない罵倒しかしてこない相手と
戦いになると思うのかな?
いずれにせよ、反応に反応式、はじめからありのまま式ではどん詰まりますよ
戦争ではなく、ご忠告
山下マインドフルネスを続けるとこうなる
だから山下マインドフルネスはやらない
以上。
そもそもテーラワーダでもサマタでジャーナ入ることが前提ですから
ヴィパッサナー、マインドフルネスは
ジャーナ入らずにマインドフルネスなんて言ってもどん詰まりですよ
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
違いますが?
>>604>>606
それは君の好き嫌いを押し付けてるだけ
>>611 たぶん誰かと誤解してるかな
ほぼ丸1日ぶりに書き込んだ
時に悪行と、悪行は違うし
はぁー、、これもまた正義だろうに
> 606 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 01:21:50.93 ID:niT5uscz
> 正しさというのは時に悪行である
正というのは時に悪だと言ったので包含してるでしょ
なにも矛盾はしていないし強要もしていない
そもそもテーラワーダでもサマタでジャーナ入ることが前提ですから
ヴィパッサナー、マインドフルネスは
ジャーナ入らずにマインドフルネスなんて言ってもどん詰まりですよ
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
違いますか?
僕は"正しさ"としか言ってません
"正義"なんて単語は一言も発していません
"正しさ"を"正義"と読み替えた自分に気づいていただけますよう
悪にされても言わなければならないから言っていることですよ
それも包含してるってこと
散々悪にされてるのだからどうでもいい
ありがとう
よく頑張ったね
あなたのお陰でマインドフルネスへの理解が深まりました
しばらく休まれてもよいと思いますよ
それと、正しさと悪行はレイヤーが違うでしょう
正行も時として〜、などというならばまあわかる
正義でもない、誤読を誘う言葉だ
成句のようにしてそういうチグハグなことを言う
意見をはっきり述べない
そういうのはよろしくないでしょうね
気取ったことを言っても最初から馬脚が出てる
中身のないことを言って、最後は捨て台詞ですからね
わからないことに意見しなくて良いでしょうに
荒らしさん
そもそもテーラワーダでもサマタでジャーナ入ることが前提ですから
ヴィパッサナー、マインドフルネスは
ジャーナ入らずにマインドフルネスなんて言ってもどん詰まりですよ
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
違いますか?
私は、私を嫌う人にもlovingとkindnessを素直に伝えたいだけなんだお( ´∀`)
これを慈悲と訳してしまうと途端に上下関係のように感じられるから、本当に翻訳って難しいなぁ
ただのLoveとKindなんだお
そういうことではないんだよな…
根っこがズレてる
まあ好きにすればいいと思いますが
生き物は生まれ次第で根っこなんて様々なんだから、根っこがズレてて当たり前じゃないですか〜
みーんなバラバラな生き物だよ〜
当たり前だろ〜
だから正しさを押し付けるなと言ってるんですよー
不幸にも10歳の頃にジャンプしてしまった子どもだっているんだよ
おのおの重なり合うところで仲良く喧嘩していただけますように
マインドフルネスは話法の問題なんかでは全然ないしなぁ
それと、押し付けてるのは君の方なんじゃないのかな??
さっきからサマタの話は僕は問いかけてるだけ
サマタかヴィパッサナーかなんて些末な問題なんでそれキミの根っこですね
で、これって
>>627 まるまる思い考え、好き嫌いの話だからね
そのレベルの話は「思い思い」スレでやればいいでしょう
僕は出禁なんだしw
>>629 それは論点ずらし
サマタとヴィパッサナーは本質的には違いはないと僕は本スレでも言ってるからね
そもそもテーラワーダでもサマタでジャーナ入ることが前提ですから
ヴィパッサナー、マインドフルネスは
ジャーナ入らずにマインドフルネスなんて言ってもどん詰まりですよ
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
違いますか?
私はあなたであることくらい当然あなたは知っている筈です
好き嫌いや反発を感じていたるのは私ではなくてあなたですよ
サマタとヴィパッサナーに本質的違いはない些細な問題だ
と言えるのはジャーナに入れてから言える話
ジャーナは必要ないという主張に対して問いかけてるのだから
>>629は論点ずらし
いちいちここまで説明させなきゃならないのかな?
>>633 つまり、押し付けるなと言ってる君が押し付けようとしているという告白だね
それに、こんなこと
>>633 をレスで書いてくることが押し付けにほかならない訳だけどねw
ほんと、わかってない人
話法で弄るのがお上手なだけで
サマタ(止)で四禅定ののちのヴィパッサナー(観)こそが本当のマインドフルネス。
それ以外はインチキ。
ということかな?
最初から最後までの不放逸も
>>614 なんで"正しさ"を"正義"に読み替えてしまったのか観察していただけますようよろしくお願い申し上げますね
いかんいかん
初心者向けスレでやる話ではなかった
自分で立てたスレの主旨に自分で反してはいかん
反省
数日籠もります
>>605 どん詰まってるのはあなたじゃないの?
あなたを目指したいとは思えない
他の本を読んだり、あなたを見ていてもあなたの世界感がどれだけ窮屈なのかがわかる
ジャンプとかジャーナなんかが問題じゃない
あなたのようになりたくないだけ!
普通に飲み会が開催されなくなったり
世間では夜の街関連から感染者が出る、だけでなく特定されて世間の冷たい目に晒される事態に…
日本(または世界で)五戒を揺さぶられてるみたいだね
ウザさんなりに、なぜジャンプしてないとありのままの評価なしに観られないのか、ヴィパッサナー瞑想ができないのか、やっても意味ないのか
説明を考えてみました。
ひまわりの花は黄色です。これがありのままです。
しかし、ジャンプしてないと灰色に見えます。
なぜなら、ジャンプするまでは皆、灰色のメガネをかけてるからです。
そこで、ありのままの評価無しでひまわりをみようとしても、どうしても灰色しかみえないわけです。
そこで「ひまわりは灰色…なんか変な気もするけど、好き嫌いなくありのままに。ひまわりは灰色」と受け流すしかできないわけです。
まさか、ありのままのひまわりが黄色だなんて思ってもないし、評価しないとか何をやってもそうは見えないんですね。
だから、灰色のメガネをかけながらのありのままに見ることはとりあえずやめ、サマタ瞑想でジャーナに入り、メガネを外し、真の光の世界に入りなさい、という話。
その光があれば美しい黄色に見えはじめます。
しかし、サマタ瞑想の他にも方法があります。
先に光の道を進んだ人の話により、「ひまわりは美しい黄色らしい」という情報は得られます。
それを信じて「ひまわりは美しい黄色、美しい黄色」と(ホントはこれっぽっちもそう思えなくても)繰り返してみるのです。
それが慈悲の瞑想です。
サマタだけではジャンプできないのは、それだけでは、ひまわりのありのままが黄色であることを意識が拒んでしまうからだと思います。
五戒について。
ひまわりのありのままは黄色ですが、
チューリップやバラのありのままは、また別の色です。
しかも咲いてみるまで赤なのか白なのかわからないこともあります。
だから光の道の先人に聞いても細かくはわかりません。
人間のありのままの姿は多種多様のようです。
しかし、人間のありのままの基本的共通点を先人が見出しました。
それが五戒です。
>>637 テーラワーダ的にはそう
山下さん的にはジャンプしたらもう只管打坐でオッケー
>>642 それは君の好き嫌いの話であって
つまり真実とか真理とかマインドフルネスとは関係ないでしょう
失礼なようだけど
>>646 そういうことだと思います
>>647 こっちは微妙な気が
インスパイアされて思ったのは
どの花も、水をやる、虫を付けない、日向に置く、などと決めておくことにしました
どの花も同じ様に花開くことが出来ました
かな、平凡な感じだけどw
>>642 ちなみに
>>605は僕にも山下さんにも関係がなく成り立ちますからね?
頭冷やしてからよく考えてみて
おじさんのマインドフルネスと正統派のマインドフルネスは方法は似ているけれども明らかに別物だよね
正統派は結果も出ているけれど、おじさん推しの方はオレ様になるだけでしょ
それと、正統派のマインドフルネスの情報を片っ端から否定するのやめて
書き込んでもらえなくなったのおじさんのせいでしょう
坊主になる気はないからそういう情報が知りたいの
おじさんが飛んだとかわかったから
>>654 君の言う正統派ってなに?
反応に反応式、初めからありのまま式なんか正統でも何でも無いよ?
>>655 散々人を否定しておじさんは実際にひとりで暴れてたよね
>>656 結果が出てるから病院でも会社でも取り入れるようになったのでしょう
>>656 なんでおじさん推しの山下さんが広まらないの?結果が出てるなら採用するでしょう
>>658 反応に反応式、初めからありのまま式では
短期的な効果しかないですよ
それ、好き嫌い評価判断のレベルの事でしか無いから
好き嫌いのないことがありのままですよ
>>659 ジャンプしてない人にはあの人の話は通じにくいから
それに尽きますよ
ばらつきはあるにしても結果は出てるでしょう
一法庵の人たちちゃんとジャンプしてると思いますよ
それに合わせて法話してるわけだから
よくわかりますよ
>>661 そのジャンプした人を側から見て素晴らしいと思ったら広まるでしょう
というか人が広めるでしょう
>>660 バナナが好きでリンゴは嫌い
犬より猫が好き
そういう反応がなくなる人生を求めてるの?
アメリカ人の心理学関係の浅はかな学者たちが、新しい研究領域、飯のタネとして
マインドフルネスに飛びついて、短期的なデータを取って勝利宣言してるだけ
でしょ?
反応に反応式、初めからありのまま式
そういうのは無理です
マインドフルネスでもなんでもない
僕はカバさんの本を眺めてそこまで拙速なものには見えなかったんだけどな…
よく読んだら違うのかな…?
>>663 そんなこと言いました?
ほらね、話がぜんぜん通じてないんですよ
通じてない話を嫌っているだけ
それに君はマインドフルネスがなんなのかわかってないw
そもそもテーラワーダでもサマタでジャーナ入ることが前提ですから
ヴィパッサナー、マインドフルネスは
ジャーナ入らずにマインドフルネスなんて言ってもどん詰まりですよ
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
違いますか?
そもそも、山下良道は人格的にマズイとかそんな事ないと思うけどな
僕の人格はともかくw
で、そんな他人の人格をウンタラ文句つけているあなたは
どれほどの立派な人格者であられるのかな?
好き嫌いの評価を押し付けてばかり言い立ててるガキじゃないですか
第四図の中ではエゴに都合のよろしいメソッドが広まりがちだよ
正統派のマインドフルネス
テーラワーダでもサマタでジャーナに入ることが前提です
ジャーナに入らずにマインドフルネスなんて言っても短期的な効果しか望めません
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
>>672 ジャーナに入るためにもマインドフルでいなければならないんじゃないですか
>>669 >そもそも、山下良道は人格的にマズイとかそんな事ないと思うけどな
>山下良道は人格的にマズイ
おじさんが書いてるだけじゃん
>そんな事ないと思うけどな
おじさんの教祖様じゃないの?可哀想すぎるw w w
>>675 は?お前が言ってるんだろ
659 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 22:20:52.06 ID:30H7cRj+
>>656 なんでおじさん推しの山下さんが広まらないの?結果が出てるなら採用するでしょう
662 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 22:34:59.76 ID:30H7cRj+
>>661 そのジャンプした人を側から見て素晴らしいと思ったら広まるでしょう
というか人が広めるでしょう
何なの君は?
自分が今さっき何言ったかすら覚えてないの?
>>675の屁理屈とか、小学生??
恥ずかしくないの?自称正統派さん?
>>678 お前は素晴らしいと思わないから広がらないと書いてるじゃないか
人を見て、人格じゃなくて何が素晴らしいとお前にわかるというんだろう?
全然期待できないけど、言ってみてくれる?ハナホジ
>>682 池沼起こして読めないふりするしかないわけね
人格的にマズイとは書いてないよねw
書いたのはそちら
そんな調子でわかったようなことを言うのが
本格派マインドフルネスで結果出してる人のすることなわけだねww
反応式、初めからありのまま式のw
>>684 人を見て、人格じゃなくて何が素晴らしいとお前にわかるというのか?
全然期待できないけど、言ってみてくれる?ハナホジ
人を見て、何が素晴らしいかどうかとお前はわかるといってるのかな?
659 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 22:20:52.06 ID:30H7cRj+
>>656 なんでおじさん推しの山下さんが広まらないの?結果が出てるなら採用するでしょう
662 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 22:34:59.76 ID:30H7cRj+
>>661 そのジャンプした人を側から見て素晴らしいと思ったら広まるでしょう
というか人が広めるでしょう
>>688 答えられないわけね
素晴らしいかそうでないか、結果がどうとか
意味も考えず適当に並べた言葉なわけだ
好き嫌いが絶対基準だからそうなるんだろうね
レッテル貼りが好きみたいだね
そして、ぼやっとした印象で素晴らしいとかなんとか言ったことの
意味合いをしっかり伝える気もない
マインドフルネスといえばカバットジンさん
というのが一般的な認識ですよね
結果を出しているのもカバットジンさんのマインドフルネス
>>694 反応に反応せよ、初めからありのままの観察だなんて言ってますか?
>アメリカ人の心理学関係の浅はかな学者たちが、新しい研究領域、飯のタネとして
>マインドフルネスに飛びついて、短期的なデータを取って勝利宣言してるだけ
>でしょ?
これはあなたの憶測でしょ
で、結局何をもって「人を見て素晴らしい」と言ってるんでしょうか?
人格ではなくて
>>697 いや、反応式や初めからありのまま式では結果なんか出ないよ
短期的なものしか見たことがないね
人を見て、何が素晴らしいかどうか判断すると
お前は考えてるのかな?人格以外に
659 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 22:20:52.06 ID:30H7cRj+
>>656 なんでおじさん推しの山下さんが広まらないの?結果が出てるなら採用するでしょう
662 神も仏も名無しさん sage 2020/07/16(木) 22:34:59.76 ID:30H7cRj+
>>661 そのジャンプした人を側から見て素晴らしいと思ったら広まるでしょう
というか人が広めるでしょう
>>702 人によって違うしわからないけど、広めるでしょう、と推測しちゃうんだ?
論理になってないな
要するに、わかったつもり、できてるつもりなんだから否定するな
と言いたいわけだろ?
反応式、初めからありのまま式のインチキマインドフルネスは
自己啓発板とかのインチキな話題の吹き溜まったところでやればいい
あなたのマインドフルネスじゃないやり方だと思うけど
睡眠や行動が明らかに変わった統計を実際に見せてもらったことがある
一日の脳波を測る機械をつけた正式なものを
だから、ジャンプしようがしまいが効果があるのは知ってる
正統派のマインドフルネス
テーラワーダでもサマタでジャーナに入ることが前提です
ジャーナに入らずにマインドフルネスなんて言っても短期的な効果しか望めません
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
>>706 > あなたのマインドフルネスじゃないやり方だと思うけど
わからないんでしょ?
> だから、ジャンプしようがしまいが効果があるのは知ってる
ジャンプしなくても多少は脳波変わるだろうねw
だから何って話でしかないw
あなたの嫌いなありのまま式じゃない?
あなたの言ってる事よくわからない所あるから
というか、その測定の被験者がジャンプしてないと何で判断できたわけ?
>>710 わからないわけね、どっちも
なら話になりませんね
お前は何を言いたかったんでしたっけ?
>>710 好き嫌いではないよ、それで用が足りるなら自分だってそうしてる
あなたが簡単にジャンプするの無理〜とか言ってるのに1000人単位でジャンプしてるなら簡単じゃん
>>713 短期的に僅かな変化は現れるだろうねそりゃ
そんなことどうだっていい
短期的な脳波の変化があった、程度の話しか読んだことないな
それもMBSRのことであって、マインドフルネスではないよね
で、そういうものではないからマインドフルネスは
そういうものではない=反応式、初めからありのまま式ではない
長期的にジワジワ効果が出なきゃダメってのが何でかわからない
短期だろうが健康的で仕事の効率があがり人間関係も改善されるならいいじゃん
カバさんの本の原題は
「フルカタストロフィを生きる智慧」
という大層なものだ
まあ、マインドフルネスなのだからそうだろうと受け止めてるけれどね
カバさんの名前を出して来る人達のいうマインドフルネスは
反応式、初めからありのまま式のニセモノ、似非マインドフルネスの話みたいだね
本当にちゃんと取り組んでるのかな?
>>719 すぐに頭打ちで元の木阿弥だよ、反応式では
何がややこしくしているのかなんとなくわかってきた
マインドフルネスという言葉に、サティ(念)とサティパッターナー(念処)の両方の意味を込めているから混乱するんだと思う
念処は念を得るための修行法(訓練)であって、やはり最初は意識的に行うもの
そして念はその結果獲得するもの
だがどちらも英語ではマインドフルネスと表現している
ずっとそうだよ
修行方法の話に対して、それでマインドフルネスが完成したつもりか!?
ジャンプしなきゃダメだ!
って連呼され続けてる
ありのまま式ではできてしまう気になってしまうのが問題。
出来てるって思ってるのはエゴがやってるからね
「できてしまう気になってしまう」そのものは、単純な善悪で悪いと言ってるんじゃないんだよ。
ジャンプ前は「自分はとにかく呼吸を見ることすら出来てない、故にサマタを続けよう」っていかに認識できるかが、それがジャーナへの鍵になる。
ジャンプ前のヴィパッサナー瞑想はそれを妨げるんだよ。
できたつもりになってたら、いつまでもジャーナに入れない。
ジャーナに入りたくないの?
単なるストレス解消法として凡夫がヴィパッサナー瞑想するのは悪いとは言わない、でも宗教板でそれを求めるべきではないよ。
慈悲の瞑想もそうだよ。
ジャンプ前に慈悲の瞑想はなかなか出来ないよ。心から生きとし生けるもの、苦手な人の幸せなんて祈れないよ。キツイよそりゃ。
でもできなくても自分は折れて瞑想やるんだよ。
ジャーナに入りたくないの?
みたいなこと言うのが山下式マインドフルネスの特異性なんだろねと
方法論として、最初から瞑想中に呼吸以外に意識をそらしては絶対にダメだみたいなこというのは、俺が知ってるのだとスマナサーラさんとこと山下さんとこくらいだな
山下良道以外のやり方を認めるみたいなことを言いつつ、結局山下良道的方法論以外は暇に任せて一日中連投して潰すみたいな場だし、ここ見てても仕方ない
瞑想中に呼吸から意識をそらしてはだめなのではなく、
そらしたら戻すことをやる
意識はそれるものだから。
「反応に反応式」「初めからありのまま式」っていうのやってる人いるの?
問題視してだめだめ連呼してるけど、定義が分からないと、嫌な相手に貼ることにしてるレッテルとしか見えないんですが
そんなことやってる人も言ってる人もいない
書き込みから勝手にそういう意味だと判断して連呼してるみたいだけど
勝手な想像をふくらませて毎日言い続けてるんだからよほど何か心に守るものと抵抗があるんだろうね
アスさんに圧をかけて品性をさらけ出させるの止めよう
ここ初心者スレだよ
只管打坐20年やらないと、ヴィパッサナーもマインドフルネスも土台無理です。
20/07/12 「何もしない」と「何かをする」の狭間で
令和二年(2020) 鎌倉マインドフルリトリート 山下良道(スダンマチャーラ比丘)
山下は関係ない
正統派のマインドフルネス
テーラワーダでもサマタでジャーナに入ることが前提です
ジャーナに入らずにマインドフルネスなんて言っても短期的な効果しか望めません
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
>>730 いるでしょID:CnjyDoVwが典型的だし
そんなことは出来てないし、出来ないし
>>731 その様に見えるなら君がそうなんだろうね
具体的なことは書かずに他者否定のためだけに出てくる人乙
認知バイアスがかかると書かれてもないことまで想像をふくらまして勝手な解釈をしてしまういい例だな
>>738の君、よく自分を見てみてね?
>>731 > そんなことやってる人も言ってる人もいない
これが嘘だもんw
以下を言いたいがための認知バイアスによる嘘
> 書き込みから勝手にそういう意味だと判断して連呼してるみたいだけど
> 勝手な想像をふくらませて毎日言い続けてるんだからよほど何か心に守るものと抵抗があるんだろうね
>>731 俺もそれはすごく感じてる
そして、この書き込みに対する反応の強烈さね
>>734 質問
「正統派のマインドフルネス 」をあなたはどこで修業したのですか?
あるいは、修得したのですか?
5chでですか?
>>724 入りたい入りたくないはともかく…
一日十〜二十分のサマタだけでもストレス低減効果はかなりあるからね
それはあくまで坐ってやるから意味があるわけで
>>674でサマタやってます?と訊いたのも
それだけで日常に気づいてくることはあるからなんだよね
そこから、瞑想と日常の対応関係が段々見えてくるでしょう?
そうしたら自分を見つめ直しつつ、気づいてなかったことに気付くことになる
日常の反応に反応するだけとか、
とりあえず鬱陶しいなどの反応に対して
能面になって「ありのままみてる」、これ既に好き嫌いだからねw
それを実際やって見せて、それがマインドフルネスだと仰る人がいるからね…
だからそんな出鱈目な事を初心者スレで教えないでくれと言ってるわけです
全く理解できない人たちがいますがw
>>743 傍証として用いているだけなので
その質問にお答えする意味がありません
その様に論点がずれるのは何故でしょうか?
坐ってやっても「反応しない」「ありのまま」なんて直ぐには出来ません
そのうちに「ありのまま、評価せず」は瞑想の中で実現しますが
それをマインドフルネスと呼んでいるわけです
日常に対応してくるものですから、そこにサティがあります
なのに、日常でいきなりそれをやろうとしなさい、出来ます
と主張する人がいるわけですw
何故それが出来ると言うのでしょう?
「初めからありのままだよw」
みたいな説明しかありませんが、それはありのままではないですよ
既に反応して、そこに頭で作った「ありのまま」を演じているだけで
判で押したように同じ反応で
人を否定するためだけに出てくる人居ますけど
あくまで仮説ですが
反応に対してテンプレ評価を自分に押し付け続けた結果
馬鹿になったw
馬鹿になったからストレスも低減した
そういうことなんじゃないですか?
>>723 だったらサマタ瞑想修行すればいいんじゃないの?
>>749 >>728 > 山下良道以外のやり方を認めるみたいなことを言いつつ、
> 結局山下良道的方法論以外は暇に任せて一日中連投して潰す
へぇ、そんなこと誰がしてます?
藁人形では?
例えばマハシにしたって、禅定は先にやらないという事になっているが
八正道、慈悲の瞑想をやり、実況中継をやる
慈悲の瞑想はサマタだからね、あれだけでジャンプは起きる
定義的にジャーナとは呼べなくとも観察主体が変わってるならば
坐ればジャーナに入る
だから、総合的に見ればマハシもここに入る
>>734 出鱈目な似非マインドフルネスが入ってくるからそれやめろと言ってるだけで
僕が初心者に薦めることは
・一日十分〜十五分でいいから坐ってサマタ瞑想をすること
・嘘、盗み、不倫、飲酒をやらないと決める
(度合いを減らす努力をする)
これはわざわざ言うべきこととも思わないが
自然とそれらによって気づいてくることがあるので大切にしていく
ザックリそんな感じで捉えて日々坦々と、出来ても出来なくても続けていく
まずそれを二ヶ月やればストレス激減するよ
「反応に気づきを入れる」とか「反応してありのままに見ようとする」とか
そんな事をいきなりやろうとしても不可能です
出来ると言ってる人たちはできてるつもりなだけで勘違いですんで
騙されないようにして下さい
>>738>>749
表面的な思考で全て完結してるのがよくわかるレスありがとう
>>723 ジャンプしなかったらやっても意味のないことを頑張ってやってるなら
それはうまく行かないよと言ってます
やれてるつもりでガンガン頑張っても駄目ですよ
>>727 > 方法論として、最初から瞑想中に呼吸以外に意識をそらしては絶対にダメだみたいなこというのは、俺が知ってるのだとスマナサーラさんとこと山下さんとこくらいだな
そんなこと山下さんは言ってないとおもうけどね
スマさんは言っててもおかしくないけど、真意としてはそういうことではないのは明らかなのね
そういう風に見える、聞こえるということは君何も出来ちゃいないわけです
まだ瞑想に入ってない、あるいは瞑想していない
>>742 そうそう、他者否定のためだけに書き込みをせざるを得ないほどの強力でネガティブな反応だよね
君たちのは
>>753 [サマタ瞑想とは]
・慈悲の瞑想
・実況中継?
他には?
初心者のために具体的に
>>758 君はその前のレスについての自己反省はしてるのかな?
横から見てて思ったんだけど、単発の質問に対して論点がずれるって何なんだろう?・・・
慈悲の瞑想や実況中継なんて話はしてないのに勝手に付け加えて
「他には?」と言われてもね
僕は全くの初心者には慈悲の瞑想は薦めません
これ何度も書いてるけれどね
何であれサマタがそれなりに進んでこないと無理ですよ
慈悲の瞑想に拒絶反応起こしちゃう
最初から実況中継もオススメしない
それは
>>752に書いたように出家者向けの総合的な修行として、正師のもとされている
実際はジャーナ相当の主体変更が起きなければやっても意味がない
>>760 よく読んで考えてわからなかったら
多分君が人並みより頭悪いんだと思うごめん
>>759 一番、聞いてはいけないこと聞いてしまいましたか?
どうせ口ばっかりのアタマでっかちでロクな修行してないだろうと、一瞬妄想して鏡に藁人形くいいち
言われた内容に答えられなかったら人を対象にするか…
慈悲の瞑想もサマタではあるけれど、特殊なサマタと言っていいだろう
あれが抵抗なく出来るようならば、ジャーナに入れるのだから
厳密な定義ではなく本質的には入れる状態と言えるところにいる
そこまできて実況中継することに意味が出てくる
最低限リトリートなどの環境でやらないと駄目でしょうね
僕は過去マハシに批判的なことも書いているけれど
ここのところでは批判してない
そこ誤解されてるやもしれないので念の為
>>762 質問返しですね
つまり反省はしていないということ
そして、さらに詰問していますね
結論ありきの誘導というわけです
こちらはそれなりに瞑想してる人ならば分かる話をしています
山下は関係ない
正統派のマインドフルネス
テーラワーダでもサマタでジャーナ(広義)に入ることが前提です
ジャーナに入らずにマインドフルネスなんて言っても短期的な効果しか望めません
そうでなかったら仏教の長い歴史でサマタなんか消えてたでしょう
ジャーナに入ることが前提です
と書いてあるマインドフルネスの書籍があればご教示ください
正統派というからには、ほとんどの書籍にそう書いてあると思うのですが、そんな書き方している本は寡聞にしてしらないもので
ジャーナ(広義)に入ることが前提です
と言い直してるからね
>>769 そうですか?書いてありますよ
本質的にはジャーナに入れるところまで行かないとマインドフルネスにはならない
その様に書いてない本のタイトルを並べてみてくださいませんか?
>>772 テーラワーダ系ならそうなってるでしょう
マハシについてはこういう理解をしてる
>>752>>765
ので
>>774 いいえ
本質的にはジャーナに入れるところまで行かないとマインドフルネスにはならない
その様に書いてない本のタイトルを並べてみてくださいませんか?
>>769 つまりID:bSwYPqLgはテーラワーダ系の本は読んでないということです
彼の言う正統派はどこかの野狐の書いたものでしょうかね??
>>769 > 正統派というからには、ほとんどの書籍にそう書いてあると思うのですが
そうなっていないからおかしな話になるんでしょうね
反応に反応したり、反応してありのままとか言ってみたり、
最初からありのままとか言ってみたり
こういうのマインドフルネスでも何でもない出鱈目ですよw
その様な理解になってしまう本は正統とは言えません
野狐本でしょう
>>778 スマナサーラさんの本を読めばいいということなんですかね?
在家でマインドフルネスをやるならテーラワーダ系の本はオススメしません
そういう話はしてませんね
大丈夫ですか??
>>780 テーラワーダの本を読まないとのぎつねになってしまうじゃないですか
テーラワーダ系ならば、グナラタナさんのマインドフルネスなら良いと思います
初心者向けの良い本です
>>781 なら日本の禅僧などは殆どが野狐なんでしょうか?
大丈夫ですか??
>>783 会話できない頭のおかしな人だとわかりました
グナラタナさんの本はちょっと読んだことあったけど、ジャーナが前提ですなんて書いてなかったと思うけどなあ
揚げ足取るために出てくるとすぐに分かるんでからかってますがw
>>786 サマタで十分心を落ち着かせてから観察して下さい
という風になってますね
読んだけどちゃんとやりませんでした
ってことですね、実態は
>>787 とりあえずこれ何ページ目に書いてあるんですかね?
ちゃんと坐って瞑想していれば
グナラタナさんが書いてあるような観察瞑想をするには
まだ落ち着きが足りないと感じるはずですから
ジャンプが起きてなければ
ですから、今の話の流れで
>>786のレスが帰ってくるのも
その前と同じでいい加減な揚げ足取りなんですよね
やってから言いましょうね?
だいぶ前に読んだ本だからページ数まで覚えてませんね
これを注文してみました!
サマタからヴィパッサナーへという流れはグナラタナさんで知ったんですから僕はw
そこは紛れようもないです
僕はサマタは出来ていたからすんなり瞑想の中の観察も出来たけど
まさかあの本読んで、サマタがしっかり出来てなくて観察出来ると思う人が居るとは思いませんでした
だから、僕的に初心者おすすめ本からは外すことにします
出来たつもり、わかったつもりになっていたい人ってみんなこうですよね
>>795 君が読んで役立つ本ではないですね
広義のジャーナからヴィパッサナーへという流れ
これを踏まえない人は下手な嫌がらせみたいなレスしか書けない様になってしまうようです
初心者の方はご注意を
出来たつもりやわかったつもりになんてなってないから
ジャーナが前提です
と書いてある本があれば教えてねと聞いたのに
ちなみにこの本
>>795ですが
テーラワーダの理論からは大乗は理解できない
という宣言をしている本です
善意で解釈すればそうなります
アスさん(?)みたいに、相手が呆れているのもわからずとにかく黙らせたら勝ちな人
たまにいるね
>>798 十分答えましたね
スマナサーラ長老はジャーナは先にやらせませんが
実際に起きてることは
>>752>>765のようなことです
リトリート参加前提でなければ、本だけ読んでもあまり意味ないでしょう
>>801 誰ですかそれ?そんな事してる人います?ここに
誤爆ですか?
>>753 >僕が初心者に薦めることは
・一日十分〜十五分でいいから坐ってサマタ瞑想をすること
では、どのようなサマタ瞑想を薦めるのでしょうか?
それなりに瞑想してるあなたから
言ってミソ
初心者に丁寧具体的に納得できるように
初心者マインドフルネススレだから
無理でしょう
初心者の皆さん、騙されないようにして下さい
ああ、何か他者否定のためにのみ出てくる人のことか→アスさん
>>804 サマタなら何でも良いですよ
ただし慈悲の瞑想は最初は拒否反応起こす人も居るので
最初はオススメしません
> 無理でしょう
> 初心者の皆さん、騙されないようにして下さい
それが言いたいだけなのね、やっぱりw
そもそもサマタは四十種類くらいあるんだよねw
テーラワーダでもそれ全て一度はやらせるところもあるようだ
個人的にはアナパナだけでいいと思ってるけど
アナパナは難しいから、数息観から始めても良い
二ヶ月もやればいろんな変化が現れてくる
本質的にはジャーナに入れるところまで行かないとマインドフルネスにはならない
その様に書いてない本のタイトルを並べてみてくださいませんか?
>>769 ID:bSwYPqLg
ID:aVik+K5Cはコチコチに凝り固まった他者否定厨なので
これ以上相手しても無駄なのでNGに入れました
自分が何か主張して根拠を問われたときに
そうでない根拠を要求して出さなかったら自分の主張が証明されるみたいな雑な議論やめようや
ロジカルじゃない
5ちゃんねるの状況があらかた把握できたのと、忙しくなってきたのでしばらく5ちゃんねるから遠ざかろうと思います
山下派(?)以外の先輩方、書籍のご紹介その他諸々、お心遣いありがとうございました
よい勉強になりました。とても感謝しています
また寄らせてください
>>814 来なくていいよベテランさん
>>813 そうだね
僕は根拠示したし、他にも示せるけれどね
今日も、何ら有効な反論もなく、頭ごなしに否定してくる荒らしさんばかりだったw
>>1さん、折角だけど無理だよこれ
そもそも、反応に反応するのも矛盾だし
「ありのまま」と言ってるのは既に反応してからのことだから
全然ありのままじゃないし
そこに疑問感じないレベルの表層的な理解しかないものを
主流とか正統派とかなんとか言うことがおかしい
ここにまともな反論は全く一つもないね
まあ、わざわざ(念押しのように)観察しにいくってのは違うでしょってとこだけは同意できるんだけど…
>>821 それって、どういう前提でのジャッジメントです?
いきなり無前提にそういうレス飛んでくるのがよくわからないんですが
反応に気づき入れるとか、既に反応してるのに最初からありのままとか
そんなことしてもマインドフルネスではないです
根本的に間違ってますよ
反応とかありのままという意味を全く取り違えています
>>823 レスした気も議論する気も希薄なんですが…
> 反応に気づき入れるとか、既に反応してるのに最初からありのままとか
> そんなことしてもマインドフルネスではないです
> 根本的に間違ってますよ
この点はわたしも同意ですって事ですよ
ただまあ、わたしやってるのは禅なのでやり方は違って当然です
皆やりたい事やればいいんじゃないですかね
「禅」で「観察しない」はこれもまたアスペさんの発狂フラグだからメンドクサイよ
反応に気づきを入れる(反応に反応)
最初からありのまま観察(反応してる)
この矛盾に気づかない限り本当に初心者の初心者ですよ
>>824 それは失礼
レスはいただかなくても結構ですが
禅の方なら尚更おかしいと思われるでしょう
カバットジンは道元の影響を口にしています
僕もマインドフルネスは禅の派生だと思っていますよ
ですから、反応に反応、(反応して)最初からありのまま、なんていうのは
マインドフルネスではないと思います
山下信者の方がひたすら執着してカバットジン叩きを続けている原因はこれ?
>>827 カバさん叩きなんかしてないけど?
したことがない、したつもりもない、するつもりもない
そこに書いてある内容が把握できていたら
反応に反応して気づきを入れるとか、(反応して)初めからありのまま
なんて理解になるわけ無いと思うけど??
>>827 君は、
「反応に反応して気づきを入れる、(反応して)初めからありのまま」
はカバさんが書いているだと思います?
>>829 対立軸を作りたいだけなのね
>>831 なら、これはミスリードだね
>>827 > 山下信者の方がひたすら執着してカバットジン叩きを続けてる
「評価を下していることに気がつく(それをおしとどめようとしない)」
ということは
自分はマインドフルネスではないと認識することですよ
それがマインドフルネスと認識してるから、違うと言ってるのです
評価をしないというのは
「自分はマインドフルネスではない」ということに良い悪いの評価をしないということです。
マインドフルネスに向かおうという道だけは修行者は皆、決まってますから
認識したら修行(呼吸)に戻るだけです
>>836 訂正
評価をしないということは
↓
おしとどめようとしないということは
それをマインドフルネスだと言ってる人なんかいないのに言ってると誤解してるから、ずっと発狂連投しまくっても誰もレスで構ってあげないんじゃないですかね
いるでしょ→ID:CnjyDoVw
これホントの初心者にありがちな間違いなんだよ
初心者に「こうですよ」と教えちゃいけない間違い
今の状態がマインドフルネスか否かというのも評価だからな
たった一人の数レスに執着して、ずーっと同じことを言い続けてるのか
今にない過去のことが気になって仕方ない人みたいだからしょうがない
それは、「同じ様な事はもうやりません」という懺悔と見ていいんですか?
記憶も「今現在」とされる世界も込みで、君ら自身妄想で作り上げてるに過ぎないよ?
それがカバさんの影響された道元の見方
ジャンプしないとイマココとか妄想とか思い描きとかありのままとか
絶対にわからないのだから
いまここ、ありのままがわからない
>>843-845も評価、分別でしかない
膨大にある記憶からひとつのことを選んでそれを何度も思い出し続けて記憶に縛られてる今を自分で作ってるのに今現在もなにもあったもんじゃない
ちなみに、画像アップしてくれた人ありがとう(過去という思い描きかい?w)
本当に八週間程度の入門者向けの記述だと思う
その限りで何も間違ってないと思うよ
それを「反応に反応する」「反応したけどありのまま」
みたいな理解してるなら間違いだと言ってるが
それに反応してるのは君たち
だから、初心者にそんな事教えないようにと言ってます
わかります?
>>849 >>846 誰かのレスに反応してる時点で過去に向かってレスしてるんだけどな
「反応に反応する」
「反応したけどありのまま」
みたいなこと言ってるのは山下信者の方だけなので、安心してお休みください
幼少期から数々のトラウマを体験して、いつまでも脳裡を横切るものだけど、トラウマを体験した場所と時に立ち返って当時の全貌を見渡そうと虚心に振り返ると捨てられなかった心の澱を捨てられることがある。
それを捨てられたら、新しい今を受け入れられるキャパが出来る。
過去を振り返れと勧めているからマインドフルネス瞑想の手法とはまったく逆なのだけど、私は両方つかって諸々氷解した。
マインドフルネスや仏教以外にも智慧を伝えてくれる人は大勢いるから、好いとこ取りしたらいいんじゃないかな。
マインドフルネス瞑想はとても良いけど、2500年の人類史の間に他の智慧もいろいろ生まれているのだから、マインドフルネスだけに囚われる必要はないと思いますよ。
>>849 安価つけるの忘れていました
すみません
原因まで辿っていって解決するマインドフルネスは地橋秀雄さんの本で心随観として解説してある
トラウマの問題って実際の過去そのもののことではなく今の心に残ってる過去あったとされる体験の記憶の問題だから過去のことだとするのは微妙だけど
そのへんは世間一般で実践されてるいわゆるマインドフルネスではないけどそれはそれで広義のマインドフルネスとしていいと思うよ
その人に合ったやり方がある
まあ記憶を思い出し続けて記憶の世界に巻き込まれているのと、ある記憶を選んで生じさせてる自分の正体を調べるのでは、
記憶に接するのでもまた違うよね
>>857 それは知りませんでした。
ありがとうございます。
ちなみに、自分が何でこんな人間に育ってしまったのか育った環境に帰って過去を振り返ってみると良いよと僕に勧めてくれたのは星野源ですw
>>857 マハーサティパッターナ経(大念処経)というお経の中で、身・受・心・法の4つの随観(念処)が示されているから、
仏教の文脈では大いにマインドフルネスと関係があるよね
MBSRではそこまでやらないだろうけど
MBSRでは瞑想とハタ・ヨガが組み合わされているのでもっとヨガにも取り組もうと思っているのですが、このスレに詳しい方はおられますでしょうか?
ヨガ板も覗いてみたのですが、どうにも雰囲気が違ってマインドフルネスとの関係性を踏まえて訊ける様子ではなく…。
瞑想との併用に向いたテキストや初心者向けのwebページなどでオススメがありましたら教えていただけませんでしょうか。
よろしくお願いいたします。
記憶、トラウマも含めたいまここ(世界も自分も含め)というのは自分が作ってるもの
思い描きとか妄想とかよくわからずに言ってる人多いけど
全ての全ては自分の作った妄想だからこそ責任とって受容出来るわけ
フルカタストロフィを受容できるわけ
だから本当はそのように見えるのがマインドフルネス
カバットジンが影響を受けた道元禅師の言ってることの主要なこと
だけど、そこまでいきなり言っても通じないと思うので
だからウペッカーをマインドフルネスとしてるわけだ
ハードル下げてるわけだね
トラウマを膨れ上がらせて苦しむのは、それは過去と今をセパレートしてるからだ
妄想とか言ってね
それじゃ生きてきた記憶として積み残されたものへの責任は全く取れない
それは全くの出鱈目を生む
「商品いつ届きますか?入金確認されましたか?」
「過去とか妄想すんなよw苦しむなよwいまここに生きろよw」
ということなんだから
これをマインドフルネスだと言ってる短レス連中は完全に頭がおかしい
仕事でストレスかかったらやり残しが出て、責任放棄、正当化までしてしまうってこと
わかってないことをわかった体で言うからそういう態度になる
けれど、どうしたっていまここの理解は簡単には最初に書いたようにならない
それがゆえにトラウマの扱いなどの説明の仕方としては矛盾が出てきたり、
ただそういうのがあるねとしか言えなくてスッキリしなくなる
上の様に見られるということは決して簡単ではないからといって
いまこことか妄想とかの意味を全く違う捉え方をして良いということにはならない
伝わる人には一行目だけで伝わるだろうけどね
たぶん、嫌味に聞こえるだろうからこの辺にして…
(これは僕の中でも当然起きていて、自分にも戒めて言ってること)
>>861 それほど詳しくありませんがプラーナをしっかりやるところが良いと思います
マインドフルネスでプラーナが強調されることは少ないですが非常に重要です
またアスペさんが誰も言ってないことと頭の中で一人で戦ってた
戦ってるわけではないのでね
君の心にはそう映るんでしょうけど?
プラーナと言っても、チャクラがどうたらでコントロールしてみたいなことではなく(それ危険みたいなので)
単に完全呼吸でいいです
http://a.msn.com/0E/ja-jp/BB11v8iN?ocid=se >>863 >>866 ありがとうございます
Wikipediaでプラーナを調べてみると、インド思想を騙ったアメリカ人心霊研究家のせいで、行き過ぎた代替療法に利用された歴史があるらしく未だに影響が残っているようなので、変なオカルト趣味には気をつけて調べてみます。
ところで
カバさんのマインドフルネスの究極は道元禅師の只管打坐なんですよね
彼はアジア人の持ってる全体性がアメリカ人にはない、とも言ってる
暗黙の内に僕らが備えてる感覚がアメリカ人にはないってことです
そういう部分から、最初の八週間のプログラムを組んでるわけですね
オーディナリーなアメリカン向けに
八週間でアメリカ人が抜けなきゃいけないところ
そこを逆に何時までも守ろう守ろうとしてる人、いません??
居なかったらごめんね
宗教とは公のための救済ではなく、商売のための娯楽になっている
利益のためには血眼になって、新しい言葉や概念を市場に送り出す
購買心理をあおるには、目先をかえて新概念をドンドン作る。モデルチェンジをはかっていくのだ
アセンション、マインドフルネス、副守護霊、○○祈願、宇宙波動、パワ−スポット・・・・
需要をかき立てるには宣伝しかない。人々の欲望を刺激する宣伝によって大昔の宗教用語を使っていては恥ずかしくて仕方がないという雰囲気をつくり出すのだ
こうして、宗教家が経済的に発展すればするほど、それを崇める依存心の強い凡人たちはめまぐるしく、せわしく、貢ぎ続けなければならない仕組みになっている
新宗教で、正しい道は低俗な情報娯楽化し続け、過度の情報インフレによって、
過去の正法は埋もれていく、ということも感じられてきたと思う
現在の宗教は低俗化された商業的活動であり、いわば聖者や神を使って、自己の欲望を果たそうという荒廃の世といえるだろう
現代人の精神性への興味は、個人の自由主体性の確立などという理念は忘れられて、
個人は、単に宗教団体やスピリチュアル屋のあやつり人形と化している
こうして、生産された有形、無形のスピリチュアル商品は、消費者の欲望を刺激させて、これを消費させるため、
開運商法や神秘体験の名の下にあらゆる宣伝戦を展開する
こうして宗教は、道心のための修練ではなく、現実逃避の遊びや、欲望のための依存に変わっていった
しかし、人間の限りない欲望を助長するような組織というものは、ゆきつくところは破滅であり、末代までの恥になってしまう
>>871-873 同感ですね
僕はマインドフルネスは商売の種にすべきものではないと思っていますが
これは本当に宗教の形骸化や商業化を防ぐ事のできるものだと考えるからです
要するにこれは世間のものではない
世間のモノサシを捨ててしまうものだから
禅の派生、お釈迦様で言うならば自帰依のものです
東京マインドフルネスセンターとかいう下品な組織のHP見た時にぞぞけが立ちましたね
カバットジンの指導者コースを受けてきましたみたいな連中が雁首揃えて…
どっかのビジネススクールみたいな体裁でねぇ…
やめてくれと…
カバットジンはアジアの文化、道元の禅にならってマインドフルネスを広げました
スシロー日本上陸じゃあるまいし、何でカバさんのマインドフルネスを誇らしげに掲げてるのか
奴隷根性かお前ら、それを商売にしたいか、と呆れ果てましたよ
情けないことです
>>871 最近は「ジャンプ」「新しい身体」あたりが流行りです。
彼も宗教法人でなくやってるから少しはキャッチーな言い方を考えてる
内容としては人が本当に救われることを誠心誠意やってるよ
そして、そんなに流行っていない
資本主義がこんなにネット社会を推し進めてくれたお陰で、海外の知識も簡単に手に入り海外に向けて発信することも楽になったというのに、聖が俗を見下すのは僕にはおぞましく見える
こんな簡単に見ず知らずの瞑想仲間と言葉を交わせる時代は過去にないのに
カバットジン博士はアメリカ人向けのプログラムを作ってる
日本源流のものを元にアメリカ人がアメリカ人向けに工夫したもの
何でそれをわざわざ輸入して習わなきゃならないの?
本を読むくらいならまだしも
曹洞宗は何をやってるんだ?という話じもある
全くおかしなことだと思います
ティクナットハンって「和解 インナーチャイルドを癒す」って本を出してるけどスピリチュアル系にも足を踏み入れてる人なの?
インナーチャイルドはどっちかというと心理学っぽい問題設定では
インナーチャイルドを癒やすのは有効だと思います
ネット上でインナーチャイルドを癒やすことでジャンプした人を知ってます(それて高原体験をしたっぽい発言をしている)
が、根掘り葉掘り聞けないので、その人のはどのような手法の癒やしなのかは分からないですが。
その和解という本は、子育てや親との関係性に悩む人にはなかなかいいかもしれませんね
マインドフルお掃除、オススメ
部屋もきれいになるし心もきれいになるし
マインドフルに掃除する岳なんだけどね(笑)
むりだよ
ジャンプしてなければお掃除してもマインドフルネスお掃除にはならないよ
ただ、お掃除はやっておいて損はない
>>886 ごめん ちょっと無知なもんで.....
ジャンプって何?
キメツの刃のジャンプ?
うーん、自分のやり方しか認められない人が2人に増えてしまった…
>>888 鬼滅の刃のジャンプってなんですか?
親父ギャグはよくわからなくて…
ウザみたいなネットを通しての山下信者はジャンプしてなきゃ掃除を修行とすることなんてやるだけ無駄みたいなことを言うけど、一法庵もそういう態度なんだろうかというのは疑問に思うところ
無駄なんて言ってないよ
お掃除勧めたのはウザさんだしー
>>894 ジャンプしてなくても掃除をマインドフルネスの修行として捉えることはOKという立場?
禅寺の修行でもお掃除は基本なんでしょ?
合ってるよね
>>885 それともこれはレスバトルに誘導したのかな?
>>888 絶望の余り脳みそのヒューズが飛ぶことです
>>890 良かったじゃん
構ってもらいたいんでしょ
>>895 そうだね
修行じゃなくても、部屋の整い具合と心はリンクしてるよ
もちろん具合悪いのに片付けるの無理だし、そこで無理しなくていい。
部屋の掃除に行き過ぎた執着してるひともいるから、100%リンクするとは言わないけどね
>>904 斜め上なレスを返すようになってきているようなので、ちゃんと一法庵の活動に参加してみてはどうでしょうか?
私はティク・ナット・ハン師のほうが性に合いそうなのでまだ縁がないのですが。
アスさんは優しいから心寂しい人たちのレスバトルにも一年半も懇切丁寧に応じてるけど
ウザさんはそこまで優しくないので、心寂しい人たちのことはどうでも良いし、レスバトルの相手が増えてよかったねと思うだけですよ
指導者なしの独学で道を外すいい例だなあ
教えや本の内容を自分の状態と同じだと都合のいい解釈してわかってる気になってしまう
自分は正しくてみんなはわかってないと思い込んでるからまわりが何か言ってきても余計自分は正しいと思ってしまう
禅だと野狐禅と言われる状態だね
その、あちらは心寂しいのだと決めつける態度はどこから来ているのだろう(?_?)
>>911 やり取りの最後は、アスペのバカとか言い出したりするでしょ?
これってとにかく何でも良いから構ってもらいたいんだなと思うんだよね
>>910 そうですね
最後は自分を信じるしかないって決めたので。
外すときはそれなりの因縁で外すものだと思ってます。
指導者がつくならそれもそれなりの因縁なんでしょう。
ウザさんは時が来るまで行きたくもないのに無理に出かけたりはしません
必要があれば必ず時が来ると思ってます。
でもアスさんには感謝しきれないですよ。
これもその時の、時が来たときの、縁だと思ってます。
>>908 それは残念なことでした。
Zoom瞑想会とかやってくれると良いのだけれど。
コロナ禍が始まってから島田啓介氏が始めてくれたみたいな。
法話によるとやってるみたいだけど、今の所は参加しませんね
今後も絶対しないとも言わないけど
奥多摩 御岳山 海の日接心
日時:令和 二年(2020)7月23日(木曜)〜26日(日曜)
明日からリアル合宿か
アスペさんも参加するのかな
もしそうなら、ウザさん心寂しくなるね
もはや初心者そっちのけの糞スレ 笑
これがマインドフルネスっちゅうもんか?(°□°;)
>>916 人の迷惑考えてないのね。
自己中すぎるよ。
「日常を徹底的に重んずる日本の禅宗の伝統」
「禅の修行道場では、雲水たちは坐禅するだけではなく、掃除をすることも、食事を作ることも、また食べることも、すべて禅の修行ととらえて行います。」
「日常の、一見、価値のなさそうな些末なことでも、丁寧に細心の注意で行うことで、何かそれまで体験しなかった真の世界に自ら触れることができる。」
山下良道
『「マインドフルネス×禅」であなたの雑念はすっきり消える』より
>>907 ティク・ナット・ハンだと日常の偈というのも非常に重要視されると思うのですが、そのへんもやはり大切なものだと思われますか
良道 お箸の並べ方も全体決まっている。禅寺の生活というのはすべて立ち居振る舞いを徹底的に指導されます。トイレのドアの開け方からして。そういう修行はいったいなんのためかというと、実は「マインドフルネスを養うため」
『アップデートする仏教』P98
気づきの修行のコツ
1.できれば、一度にひとつのことしかしないこと
もしあなたが皿洗いをしているなら、ただ洗いなさい。運転しているなら、ただ運転するのです。
2.自分がしていることに充分な注意を払うこと
あなたが今度何か単純な仕事を行うとき、その行為に無関係な思考が付随していないかを見てごらんなさい。
3.していることから心がふらふら離れていったら、心を連れ戻すこと
行動と分離してしまったときは、無理に行動とひとつになろうとせず、分離してしまったことをただ見つめなさい。
4.第三ステップを何万回、何億回と繰り返すこと
心がさまよっていたら、その状態から優しく、非難することなく、戻ってくることが大切です。対象と共にいることだけが修行ではありません。
5.気が散ってしまうプロセスを調べること
状況が許すなら、あなたの気を散らすものに意識の焦点を当てるようにしてください。
ラリー・ローゼンバーグ『呼吸による癒し』より
初心者でもマインドフルに暮らすという心がけは良いんだけど
それは瞑想に繋げていくというか、瞑想に照らされるものだから
それが全く違う風景になってこないとマインドフルネスにならない
いきなり今瞬間に注意を向け、反応に気づきを入れ、ありのままに見る
なんてことは出来ない
そんな嘘、出鱈目は言っちゃいけないよ
僕も本スレ来てそんな解釈に触れてしばらくやったけど
そんなことやってもおかしくなるだけだから止めた
出鱈目
だからやり方もとに戻した
まともな取り組みしていたらジャンプしますよ
だって、マインドフルネスは「坐れば仏」でしょ?
もう、カバさんの言ってることもわかっておらずに
引っ掻き回してるだけじゃんw
カバさん自身は正統派なんだからわかってないわけないよねwぷ
ウサもこの人達は構わなくて良いと思うよ
初心者の自覚ないままベテランになっちゃった人達だから
どん詰りマインドフルネスのベテラン
ビギナーズマインドで行こう
そっか、この方たちはベテランさんなんだね
幼稚な煽りをしてくると思えば、突然お爺さんみたいにマニアックな知識を披露してきていつも驚かされるもんね
こんな感じで、何かひとつ刺激があると、そこから連想されるように頭の中で物語が生成されて、そこに自分のエゴが話しかけて納得しようとする風景みたいなのって、瞑想を始めると自覚できるようになるね。
ここにどういう人たちが何人いるかわからないのにまさかネットの向うにいる人達を頭の中で想像して決めつけたりしてないよね
ウサとか僕は嫌というほど凡夫の自覚あるからジャンプしたんだと思うんだよなぁ
呼吸が見られないという事実を認める
評価ではなく事実ね
それは自分が凡夫であるってことだよ
>>934 いやいや、そう言えるだけの根拠はあるけど
お前にそれを認めさせるための議論は下らないからしないだけ
「ジャンプ」とやらをしても、こんなどうしようもない感じなんだ……
ジャンプしたからって、凡人だからね?
絶望するからジャンプとか、関係ないよ。
古今東西悟った人の悟ったタイミング調べてみなさいよ。
子育て中の専業主婦はまずそれにマインドフルネスで取り組めばいいんじゃない?自己を省みず。
呼吸が見られない←これは自分で評価してる!
とかいう人が居たと思うが
まあ翻訳も悪いんだろうけど…
見られてる体でしつこく突っかかってきたやつもいる
一時間見られてると言ってから一年
呼吸見られてるということがぜんぜん違うものだったと知って
捨て台詞吐いていたな
「見られてる」は事実ではなく評価だったということだ
普通に呼吸なんか見られてないんだから見られてない
それだけの単純な事実を「評価」とは言わない
最低でも「みられてるのかどうかわからない」だろう
この「自分にはわからないけど」が君等には出来ない
カバさんの言うとおりにしてみては?
「本に書いてあったのと違う(様に見えるから)間違いだ!」
とかね
それ評価だから
「ありのまま」にはそんな評価はないよ
そのようにして、
アリノママ、モウソウ、ハンノウ、イマココ、シュウチャク
全部間違えて使ってるよみんな
自分の凡夫性に気づかないからそこらへん全部間違える
もっとも、凡夫の僕にはそれで意味通じるし
ビギナーのつもりだったからそれに合わせていたけど
やっぱりどうしてもそういうことじゃないんだよね
それらの言葉はみんなの捉え方ではマインドフルネスにならない
変に矮小化してるだけだ
反応しなくていいからね
「まだわかんねえや」「コイツの言うことはわかんねえ」
でいいんだよ
事実は事実、評価とは別だ
ビギナーズマインドで行こうや
>>939 ほらまた話がごっちゃになってる
古今東西の話を誤読しまくってるんだろうな
悟りとジャンプは別の話だってことをまだ理解してなかったのか
ジャンプなんて単語は山下良道周辺でしか使われてないのに、こういうとこで当たり前のように使うかな
試しにこのスレで「ありのまま」で検索してみたら、長文連投の人と固定の書き込みだらけだった
自分の頭の中の存在に熱く語りかけられても、みんなぽかーんとするしかないという例
ジャンプって言葉、このスレでよく見かけるけどどういう意味なんだろ
魔境に飛び込むってこと?
> ウサ
感謝されるとちょっと照れくさいですが
お互い精進ですね!
結局マインドフルネスには関係ない宗教用語なんでしょうね
独り言なんでかまってくれなくていいです
マインドフルネスは凡夫の自分を一旦手放さなきゃならなくなる
そうでないと鬱とかなんとかも治りません
マインドフルネスにもならない
メソッドの全てがまずはそのためのものと言ってもいいわけで…
って書いてて思ったけど
十善戒の「怒るな」も凡夫性に気付くためと考えればわからなくない
でも初心者にはきつすぎると思うw
いきなり聖者になれと言われてるようなものだから
やはり戒は五戒が良いと思います
>>953 そうは言っても受戒してない戒を優先には出来ない
曹洞宗(そうとうしゅう)。
今日も明日も明後日も、坐禅が坐禅のために坐禅します。坐禅、坐禅、坐禅。
曹洞宗(そうとうしゅう)。
今日も明日も明後日も、坐禅が坐禅のために坐禅します。坐禅、坐禅、坐禅。
我を手放す曹洞宗(そうとうしゅう)。
今日も明日も明後日も、坐禅が坐禅のために坐禅します。坐禅、坐禅、坐禅。
座ることが出来る、ということがどれだけ恵まれているか知っている人はどれほど居るのだろうか
僕は今30分も座れない身体を抱えているけど、まだ歩くことが出来た頃にインドを放浪した
両足が腿から欠損している少女が、乳飲み子を背負って、両手を駆使して土の道を歩いていた姿をいつまでも忘れられない
寝仏像なんてロールモデルを遺してくれた仏陀とすべての仏教徒に感謝を
スレ終盤で、改めてマインドフルネスという言葉に思いを巡らしてみる。
この板だけでなく、一般に、マインドフルネスという言葉は次の3つの意味で使われている。
1. マインドフルネスストレス低減法 (mindfulness-based stress reduction (MBSR))
2. 仏教における sati(念)または samma sati(正念)
3. 仏教における satipatthana(念処)[=念に置くべき対象または正念を獲得する方法]
1 が今流行りのマインドフルネス。
2 の立場で語る場合、3 まで含んでいることもよくある。
あるいは 1 を語るときに 2 や 3 とごっちゃになることもある。
英語ではどうかというと、
1 は MBSR または mindfulness meditation または mindfulness exercises
2 は mindfulness または right mindfulness または awareness
3 は satipatthana または establishments of mindfulness
1 の中でなされる mindfulness の定義は 2 の一部を省略したものとなっているが、
そのことには自覚的で注釈などが付き、日本語よりは整理ができている印象。
微妙なのが「気づき」という訳。
どうやら awareness から出てきたようだが、aware は「(すでに気づいていて)意識にある」という意味だ。
「気づき」を「そっと意識を向けて気づいている状態になること」くらいのニュアンスで用いているのならよいが(実際そういう人の方が多い)、
それまで気づいていなかったことにハッとするまさにその瞬間こそがマインドフルネスだという
間違った説明もときどき見かけるんだよね。
>>962 何度訂正してもシレッと間違えますよね
> 1. マインドフルネスストレス低減法
> (mindfulness-based stress reduction (MBSR))
正しくは
「マインドフルネスを元にしたストレス低減法」
です
>>953 怒りの感情は自分にかぎっていえば受け流すより感じ尽くす方法が合ってた
具体的には『嫌なヤツを消した魔法』というKindle本に載っていたクリアリングという方法
やり方そのものは作者がFBで公開していて、「イライラや不安を我慢するのではなく、”消す”メソッドのやり方」で検索すれば出てくる
本のレビューではやり方がわかりにくいという声も多いけど、自分はボディスキャンに似ている感じがしてすぐコツをつかめた
>>964 ですね
内的な対象の観察は「感じ尽くす」と言っても良いです
主客なく見なければ解消しないので、受け流そうとする作為があると
余計に苦しむこともあるでしょう
よく身体に意識をおろして、言葉やなんかを決してくっつけないようにしていれば消えていきます
「無常、無常、、、」とやっても良いですが、自分はただ見る方が合ってる
>>964 そのページの、「水面に広がっていく波紋が消えるのを、ただじっと観察する」という表現は自分にはしっくりくる
おそらく「他人事のように観察する感じ」の人はジャンプという言葉がしっくりくるのだろう
いずれにしても、感情を感じている何かがあり、それを黙ってじっと見ているという点は共通している(はず)
共通してますよ
>>965は自分だけどジャンプの人だし
>>964みたいなやり方でやっていくことは否定してませんよ
山下信者は、自己は「凡夫の自分」と「本当の自分」の「二重構造」であって、
「凡夫の自分」から「本当の自分」へ「ジャンプ」することで初禅を得るという。
それはよい。
しかし、そのことを掲げて他者を見下し優越感に浸っているのは目に余る。
「おまえらにはこれが理解できないだろう、この凡夫らめが」と言わんばかりだ。
ジャンプや二重構造は真理ではなく、単なる錯覚・現象・形成されたものであるかもしれないのに、
言い換えれば、そのような設定は方便以上のものではなく、必須のものであるとは限らないのに、
自身の教義に酔って勝ち誇っている。
かつてオウム真理教がガンダムのワードを借りてニュータイプ論を展開していたのを思い出す。
ファーストガンダムではニュータイプを人の革新(の兆し)として描いていたが、
Zガンダムでは人工的に作られたニュータイプ「強化人間」が登場して「オールドタイプは失せろ!」と叫ぶ。
失せろとは、オウムならポアである。
山下信者が言う「ジャンプした人」はオウムが言う「ニュータイプ」に過ぎないのではなかろうか。
そしてその実態は「強化人間」に過ぎないのではなかろうか。
だから、「凡夫」を見下して、悦に入るのではないか。
掲示板への宣戦布告までやり始めた
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=4022273&id=47407548 。
これ以上カルト化しないことを祈る。
山下信者は、自己は「凡夫の自分」と「本当の自分」の「二重構造」であって、
「凡夫の自分」から「本当の自分」へ「ジャンプ」することで初禅を得るという。
それはよい。
しかし、そのことを掲げて他者を見下し優越感に浸っているのは目に余る。
「おまえらにはこれが理解できないだろう、この凡夫らめが」と言わんばかりだ。
ジャンプや二重構造は真理ではなく、単なる錯覚・現象・形成されたものであるかもしれないのに、
言い換えれば、そのような設定は方便以上のものではなく、必須のものであるとは限らないのに、
自身の教義に酔って勝ち誇っている。
かつてオウム真理教がガンダムのワードを借りてニュータイプ論を展開していたのを思い出す。
ファーストガンダムではニュータイプを人の革新(の兆し)として描いていたが、
Zガンダムでは人工的に作られたニュータイプ「強化人間」が登場して「オールドタイプは失せろ!」と叫ぶ。
失せろとは、オウムならポアである。
山下信者が言う「ジャンプした人」はオウムが言う「ニュータイプ」に過ぎないのではなかろうか。
そしてその実態は「強化人間」に過ぎないのではなかろうか。
だから、「凡夫」を見下して、悦に入るのではないか。
山下信者と創価学会信者はよく似てる
信者以外を見下し、しつこくてきもちわるい
>>968 最後の二行以前にカーッとなりすぎてるよ
少しおちつきなはれ
>>968-971 あなたにはそう見える、というだけの話ですね
好き嫌いの話でしょう
マインドフルネスはジャンプ起きますよ
それは山下関係ないです
起きないとしたらろくに真剣にやっちゃいないし
自分の凡夫性、エゴを甘く見すぎてるだけです
チンピラ化するということは、悟りとは違う方向に「ジャンプ」してしまうこともあるのでしょう。
新語を用いた方が観察が捗るのであればもちろんそれはいいことです。
しかしそれを振りかざし、このジャンプしてない凡夫どもめ、といちいち罵り回る必要はないのです。
自分の好きなものを推す時に、他を叩いてsageて相対的に浮かび上がろうとする俗な精神構造の人ってよくいるけど、あの二人はそれと全然変わらない
まあ上述にあるように「ネット上の匿名掲示板で、瞑想状態について、論争しあうこと。」に関して山下氏が同意できないとハッキリ言ってるわけだから、
少なくともジャンプや二重構造のような山下氏の瞑想説明用語を使ってあれこれ言い合うのはやめるべきだろうな
>>976 そんな事言ってないでしょ
>>978 そういうものかもしれないね
>>968-971 あなたにはそう見える、というだけの話ですね
好き嫌いの話でしょう
人間、好き嫌い快不快があるのはわかるけれど、それを優先させるなら
マインドフルネスの話なんか不可能だ
何故わかりませんかね?
マインドフルネスはジャンプ起きますよ
それは山下関係ないです
起きないとしたらろくに真剣にやっちゃいないし
そもそも真剣に悩んだり苦しんだりなんかしていない
だから高々自分の好き嫌いがそんなに大事なことだと声高に言うわけです
ご自分の凡夫性、エゴを甘く見すぎてるだけですよ
私は自分の凡夫性を見てますよ
それがマインドフルネスだもん:D
また、二重構造性も山下関係なく元々仏教にある話だし、人間そうなってるという話です
わからないことについては「わからない」としておくのが正しいです
そこに評価は必要ありませんよ
簡単に頭でわかったことに出来てしまうことならば
そんなところに救いなんかありませんから
MBSRはマインドフルネスそのものではないですから
MBSRの説明を読んでもそう思わないかもしれません
マインドフルネスの定義
こうしたマインドフルネスの爆発的な人気にもかかわらず、意外なことにその
操作的定義(operational definition)は未だに確立されていません。2014年に
トロント大学の心理学者たちが中心となって具体的な定義を試みたのですが、
なんとその記述のためだけに12ページを要し、挙句の果てにマインドフルネスとは
(1)注意の意識的なコントロールによって現体験に対する認識が高揚し,(2)好奇心と
オープンで寛容な態度が伴う,という2点が強調されました。
マインドフルネスの定義が困難とされる最大の理由は,その源流となった仏教の
「マインドフルネス」瞑想が多様性に富み,「これこそがマインドフルネスである」
と一元的に特定できないからです。現在のところ,カバットジン(2007)がMBSRの説明
として用いた「注意を払う特定の方法で,意図的であり,現時点に焦点を定め,
価値判断を下さない」という記述が作業定義(working definition)として
一般に受け入れられています。
マインドフルネス入門講座 大谷彰
>>982 そうじゃなくて、その件について話している人の人間性、人格が問題ってこと。
山下さんの話し方からして、そういう傾向性があるから、起こるべくして起きている事象でしょうね。
>>984 MBSR=マインドフルネスなら「B」は付けないよ
> 1. マインドフルネスストレス低減法
> (mindfulness-based stress reduction (MBSR))
正しくは
「マインドフルネスを元にしたストレス低減法」
けれど、マインドフルネスは
>>983に書かれてる通り、定義困難なもの
よろしく:D
>>986 それはまるまる君の好き嫌い分別評価の話なので
主張するに値しないでしょう
さて、このスレも何もわかってない連中のシッタカぶりの権利主張で
引っ掻き回されて終わりそうです
何が一番の原因かと言えば、そもそも真剣に悩んじゃいないってことです
好き嫌い痛い苦しい快不快を優先して物事考えてるようじゃ
マインドフルネスなんか絶対にありません
それでいて有身見が断たれたなんて嘯いてるニセモノも居ますからねぇ:D
>>986 しかし君は他人様の人間性を云々評価できるほどのご立派なお方様なのですね
君の自己認識では:D
その割には他人への攻撃だけのために出てこられる:D
矛盾してると思いますが:D
山下良道と一法庵だけがマインドフルネスだと言えば満足なんですかね
>>989 有身見で検索したら
>>989しか出て来ませんが
>>987 何によってストレスを低減するのかと言った時に、それはマインドフルネスをベースにしてだ、と言ってるわけだから、Bがついたからマインドフルネスではないとはならないでしょ
マインドフルネスが定義困難だから意味がないというなら、マインドフルネスは存在しなくなる
>>992 定義困難とかではなくて
Bがつくメソッドはマインドフルネスではない
本当はストレス低減というのも方便だからね
粗い無駄な心の動きが抑制されるだけで、それはマインドフルネスとは全然違う
本当のエゴに対峙して乗り越えてからがマインドフルネスだよ
カバさんが全体性とかの話を入れてくるのも、そこになってからがマインドフルネスだから
MBSRはエゴのあぶり出し段階だ
「凡夫の俺」にはマインドフルネスが出来ない事実にぶち当たらないと駄目だね
もちろん僕も「凡夫の俺」ではマインドフルネスは出来ないよ
ジャンプ、主体がエゴから別の自分に変わること、それなしに
マインドフルネスができるとか言い張ってる人は
・お釈迦様以上の天才
・エゴの恐ろしさを微塵もわかってない人
どちらかだと思う
やり方も何もかも
最初から最後までひっくるめて
マインドフルネスじゃだめなの?
>>997 言いたいことはわかるけど、
途中でマインドフルネスができたつもりになってしまうから
ストレス低減効果というのはそんなに大したことじゃない
その延長に「フルカタストロフィを生きる智慧」があると思えるかい?
それか答えだよ
これまでもちょいちょいあった程度の少し嫌だけどこなせること
の連続が少し楽にこなせてる気になってるだけだろ?
それはいずれ停滞してくるよ
マインドフルネスの本はたくさんあるし、先生も、どこからマインドフルネスかなんて気にしなくていいのよ。むしろ忘れてしまいましょう。
って言ってたからそうしてる
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