心経は多様な解釈を許すところがありますが、
では市販本に書かれてるような解釈は 本当に正しいのでしょうか?
個人的には、ブッダの「世間は陽炎の如し」の ”世間”を五蘊(色蘊)と言い換えた
無常と無自性が融合したイメージを喚起する 出世間の言葉と思ってましたが、
実際、空の意味として、{陽炎の如しの言い換えともとれるⒶ無実体Ⓑ幻想・夢幻・虚妄 だけでなく、様々な表現があり
たとえば空をシンプルに 唯心と解釈したり、非我、人無我、法無我を表すとか、(一即)一切、全、不二一元、虚空、エネルギー、スーパーポジション、不定形
般若の浅略釈、本体、中諦へ導く方便、言語的に説明困難な真理を説く為のメタフォリカルな表現、苦の因を滅し安楽(涅槃)に変える智慧、
五蘊盛苦から執着を除き涅槃に導く無為法の慧、微妙なる真理、縁起する諸法、無所住、妄分別の滅、解脱の因、正体は見掛け通りの物でない事、総和は零、、
固定観念を無にする事、法如、雲のように重ね合わされた複数の現実、それらから一つの現実への確率的縁起、無戯論、プラクリティ、意識原理、戯論を滅する呪
名付けられる前の世界、心の中心に具わるゼロ点、真実在、理法、清浄、無所有、平等性智、彼岸に渡り切った菩薩の心身のあり方、一切の顛倒夢想を遠離した菩薩の境涯(五蘊の状態)
現象の三世に亘る全相貌、空無辺処定により生じる智、六神通の素、如実知見法、浄真如、諸法実相、非相、般若を世間法即涅槃と悟る為の方便、無所依、
無いに等しい事、零、無明をクリアするワイパー、理性と智慧の働きを促す引金、菩薩乗(菩薩の生き方)、左脳の初期化・右脳へのロック解除、究極的な物のあり方、
誤った認識を断つ力、滅諦の実性 法則、宇宙の最上位階層に位置する「情報」、一境性、無色定で感得する微細な意識、主客無分別な現量、妄分別・固定観念の破壊、
無執着、一切に囚われない心境、完全に執着を離した状態の実現、 心解脱、如来の智慧が遍在している処、
仏智による世界の直観的認識術、高度な透視能力、全てを見通す性質、煩悩の滅尽、寂滅、一心縁起、宇宙全体、仏がいる処、仏そのもの
等々 幾らでも出てきます。(また全て、ブッダの心にある、言葉で表現される以前の無分別な究極のシニフィエとしての真諦=仏教の真理に目覚めた人だけが
知っている実相を指します)
まーた、こんな早くスレ立てかよ。
よっぽどスレタイ改竄を継続したいんだろうな。
もとのスレは
「色即是空」の誤り
今後もその内容で行くよ。
大乗カルトは経典捏造、スレタイ改竄を繰り返す嘘つき外道。
「色即是空」解釈の例
@弘法大師によれば
現象としての物質存在(色)は、実在的在り方である空と、もともと別のものではない。
現象と理法とは、本来的に同一 と解かれます。また
A「形ある物は 色々な因と条件によって成立している」や
つくられたものは実に無常である すべての形あるものは 原因と縁に依って、つくられたものである
五蘊・諸法は、その物自体として最初からあった訳ではない(し永続するものでも無く、固定したものでない)
というような 自明な理を説いた言葉と解釈するのが通常のようですが他にも解釈がある。
B色蘊のどこにも我(アートマン)無し や この身体は(本来)私のものでない
五蘊(色)の中に我非ずと照見するなら、即ち真理を体得し、是により生死の迷い(執着、苦の起源)を 空じる(消滅させる)事が出来る
C肉体に「我は有るとも言えず無いとも言えない。なぜなら、それは因縁として意識されるだけのもの(我空)だからで
しかし我空もまだ迷いであり、我有・我空を超えた中道・中諦を想定するよう説いたことば というような解釈もあるようです。
D一切衆生の身心の中に本来清浄の理あること(観自在菩薩の三摩地門・一道無為住心による解釈) また、「色(諸法)も成仏の因」
E身心脱落(道元)
F現象は万物の本源から派生したものである 色なる現われも(名の無かった天地の始にあっては、無色も色も)元来区別は無い「空」なる本体であった
形ある物は名前がつけられただけのものに過ぎない (老子的解釈&名色の縁起)
G諸の相は相に非ず(金剛般若経的解釈)
H身体(五蘊)から完全に顛倒夢想を遠離した彼岸の境地に到る事
I見えている物は、実は見えない深淵な真理(例えば三法印や真如縁起など)の顕現したものである
J大日如来自身の境地に入って、自心も本性においては清浄にして無分別平等で無戯論なり と悟る事(密教的解釈)
K宇宙と一体の境地を表わす四字熟語 何ものも孤立した存在は無い 「個」は「全体」と不可分」の関係にあり、
a.(一つの形ある存在物というのは、実は「全体」の中の一部に過ぎず、「世界」の中で動き回り変化を続ける)微小な突起物みたいなものである ←空間的
b. 現実の顕われ(色)とは、移ろい行く全体の一断面であり、変化の途中経過である ←時間的
五蘊は皆、悪魔であると如実に見て、一切の苦しみの素を遠ざけた
肉体は悪魔である 悪魔が肉体に化けたのだ
感受は悪魔である 悪魔が感受されて入って来るのだ
想念も悪魔である 悪魔が自己本位の想念を起こさせるのだ
物質界の誘惑は全部悪魔だと悟った境地(空の中)においては
五感も十二処、十八界も真実在では無いのである。
劣ったさとりへの慢や執着も亦
無きに等しいものなのである
>色は苦どころか感覚世界は全部悪魔と言った感じの説もありましたよね
悪魔がよく仏典に登場するし、一切皆苦というのが四法印にも入るほど
では肉体は悪魔と訳すのかというと、それじゃ何か映画の題名みたいな感じだ
ここにも悪魔に憑かれたみたいに連投するのがいるけども。
しかし
ブッダの説いた無常・空・非我とは
中観よりもっと徹底した、実在性・存在の否定を示唆するような思想だったとも見れる
甘さは一切無い。
それから今のテーラワーダについては、
インドが大乗一色になり、本当の上座部等が滅んだ時に分別説部だけがスリランカに逃げて生き延びた
との見解もある。
色は神にも悪魔にもなる
この世にあらわれる神も悪魔も全ては
大日如来の化現なり ;結論
空とは大日如来である
どうせ知能の欠いた馬鹿が程度の低い仏教語りをするだけなんだし。
読んでてつまらないんだよ。
>ネット上には何故かスリランカ系統の方が多いように見受けられ
世間での傾向を正確に反映したものなのか良くわからないです。(単に工作がしつこいだけ?)
ウィキペディアによりますと
>大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆部、分別説部の三部派に分かれた
とありますが、心経の批判は分別説部へ向けられたものの可能性はないでしょうか?
無論、分裂前から般若経典に相当する仏説があったとも考えられますし、
また上座部が滅ぶ前に出現したお経の可能性もありますが、分別論者が先々イニシアティヴをとる
危険を察知した大衆部による先見性のある喝破と見れる気もします。
実際、南伝こそ異端でチベットに本当の上座部も生きてると見る人もいます
>部派〜分別説部の歴史は虚妄であったと
分別説部の方が認めています。
八頌品と四ニカーヤの間には、阿含と大乗経典の間の飛躍以上の飛躍がありますが、仏教史にはそのような飛躍の傍証となるような伝承が一切ない
ことに関し、何か合理的解説をできる方いますか?
つまり、般若経典が創作という以前に、原始仏典ですら既にその疑いがあると
信者は気付いているのです
>分別説部が説く分別なるものは
アジアの未開人が先進国の自然科学的思考法に目覚め
マネし出した時の独り言を 賽銭ぼったくり用の下らないおみくじに
書き込んだようなもの
スマナサーラ信者は
>スマナサーラ長老を信じています!
と胸張って言えないんだよな。
代わりにテーラワーダ仏教を実践しています。
仏教は宗教ではないなどとほざいて仏教に汚名を着せる。
>>12
因みにこの方は「小宮光二」と言う方で、検索してみたら占い師みたいな事をしてたようなモノが検索に出て来ました >>8
>>9
馬鹿野園は出てくんなよ。
お前はまともな会話の邪魔。 般若心経・大乗経典は後世の創作であることは、はっきりしているのです。
そうなると、オリジナル経典(原本)は何か?という問題になる。当然、それは原始経典ということになる。原始経典にも創作経典が紛れ込んでいるようだが、それは一部でしかない。
スリランカ上座仏教は、原始経典を元にした仏教であるが、その経典解釈が、正しいものだけとは思わない。三十七道品の解釈については、明らかに誤解釈と思われるものもある。
釈迦の時代に、観自在菩薩は居なかった。
釈迦亡き後、五百年も経過してから、法華経・観自在菩薩が創作された。
そもそも最初に色即是空の誤り なんてスレ立てた奴は
低知能なのに大乗仏教貶めつつテーラワーダなんざの
スパム送りつけようと企んだ犯罪者
だよね。
>>17
そうだとしても寓話の形で般若のエッセンスを説明してるだけだから、細部に拘泥
する意味はないよ、南伝ブッダゴーサ経典改竄のほうが問題。
原始仏典に頻出する「悪魔」とは何を言ってると思ってますか? 悪魔は歴史上
の実在者ですか? ひょっとして、あなた方のこと? スリランカでは四念処から不浄観が除かれてるそうですね
かなり好き勝手に改竄してるということですよ
またチベットを見ても
本当の上座部と大乗は相性悪くない筈なのに、南伝はおかしいですね。
>法蔵部の遺跡からガンダーラ語の阿含経や法句経と共に八千頌般若経など最初期の大乗仏典も出てきてるから、大乗仏教運動が上座部の内側、法蔵部から起こったのはほぼ間違いない
悪魔とは外部のものを指すのではない。
己の心の悪い働きを、悪魔(マーラ)というのです。
観自在菩薩も外部と見るのでなく
己の心の智慧の働きを、仮にそう呼んだのだととれませんか?
そもそも経というものは最初からリアリズムの私小説のようにして釈尊ご自身で
説いたというものではないのですよ
>>19
原始経典も、ブッダの実際の発言とずれている部分も少しはあるだろう。
しかし、死後500年以上経ってから創作された大乗経典は100%創作。
「大乗経典がどうして釈迦の教えに沿っていると主張してるんだ?」
大乗君「原始経典のこことここを読んで」
「つまり原始経典に釈迦の言葉が書かれているんだね」
大乗君「そう…」
「だったらオリジナルの原始経典を読むべきだよね。」
大乗君「はい…」 どうでもいい事はどうでもいいから、前スレから埋めようねw
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである
>(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』)
>>766 RGvyDvG8さん
単に言葉の問題ですよ。大乗では完全に五蘊を去った状態を五蘊皆空と言ってるだけです。
原始仏典流に簡潔に言うなら
五蘊は悪魔の棲家と明らかな智慧により如実に見て、しかもそれを完全に遠ざける
という事は大変な事だと思いますよ。それを無我、皆空と呼んだのでしょう。ブッダもその境地に到るために出家後
まず仙人について(九次第定でいえば七番目に当たる)無所有処定を学び、次に先生を変えて非想非非想処定を学び
さらに長い年月をかけて孤独な修行の末に滅尽定に至って初めて成道となった訳です。
ですから、その境地まで達しなければ本当の無我、皆空とは呼べないし、涅槃もまだ浅いものなんでしょう。
その段階に行くには菩薩の十地の六〜八番目にならないと、と論書にも書かれていますね。
ただ人によっては、像法の時代以降で菩薩の初地に至ったのはナーガルジュナとアサンガだけと言う人もいます。
そこまで厳しくは無くて無名の解脱者は大勢いたとは見てますがね。 >非実在の菩薩が呼び掛けてるのだとすれば、聞き手も実在者かどうかはあまり意味が無く、少なくともこのお経は寓話の体裁をとりつつ
大乗の菩薩に般若のエッセンスを説いていただく設定なのではないかなと思います。
またブッダゴーサの経典改竄で今の南伝は上座から除名されたとされ、そうした妄分別の萌芽は根本分裂前から既に見出されたのではないかと想像してる訳です。
そしてチベット仏教において見事に融合している点からも
上座部と中観派・大乗は決して相性が悪く無く、
今の分別説部と本来の上座部は全く別物ではないのか という疑問が生じました
>心経の批判は分別説部へ向けられたものの可能性はないでしょうか
スリランカ方面の反応を見ていると、まともに核心をつかれた側からの感情的な反撃という風な印象を受ける訳です。
心経が否定し尽くしてる妄分別や固定観念と完璧に重なるのが今のスリランカなどの教義では?と。
無論、分裂前から般若経典に相当する仏説があったとも考えられますし、
また上座部が滅ぶ前に出現したお経の可能性もありますが、分別論者が先々イニシアティヴをとる
危険を察知した大乗側からの先見性ある喝破と見れる気もします。
実際、南伝こそ異端でチベットに本当の上座部も生きてると見る人もいます
世間が陽炎であっても陽炎は世間ではない。また世間が陽炎なのと同様に、苦もまた陽炎の如きものと大乗の菩薩らは気付いたのですね
苦もその起源も、道諦の実践によって滅する事ができる、つまり苦を原始仏典に説かれる通りの空と見て、正しく道諦を実践するなら空じる
ことができる。苦は空なりと観ぜられるが、空は苦ではなく、逆に苦の起源を滅するものであり、多様な意味を含む語である訳です。
それは仏説には見られなかった用法ではあっても、何ら主旨を損なわず、ブッダの教えを発展させたものといえます。
>「無眼界 乃至 無意識界」とあるように
悟りの世界は一つなのに、それを十八界に分割する分別論者を批判してい
るとの事です。分別論者は「空」が全く解ってなかった
と言われています。
分別説部の偏見は極めて悪質で、正論を述べる大人がいないと
先々精神文化を保存する上でも問題が生じると懸念しています。
はっきり申し上げますと、ブッダのオリジナルすら正しく解釈できてるか怪しげな方々が
般若心経の深義も浅略釈すらも理解できず、誤った解釈だけを基にして的外れな批判を繰り返しても
ネタとしか思われないのではないのかなと
思ってしまいます
>>33
創作でっちあげ経典に深義があるとか言ってるのがアホ。
同人経典に釈迦の教えは載ってない。 いや実際あのお経の前半部は阿羅漢の無我のさとりについて解説されたものという
解釈もあります。分別説部の方なら気付いてますでしょ
だからあのお経をアホとか誤りとか言う方は阿羅漢のさとりを貶してることに
なるのだそうです
>>35
解説なら論として書くもの。
経として捏造するのは外道。 真理を解さない生半の凡夫が(大乗が創作だとか)
ああだろう、こうだろう、と考えても、それは異なったものと成る。
なぜなら、それはその者の虚妄(サッカsacca=真実の反対)だからである。
大乗経典にしろ、より古い経にしろ、凡夫が何かで読んで、そうなのかなとか思ったことを
真理などと考えてはならない。
それこそが無常であり、虚妄であり、誤解であるからだ。
>現代のテーラワーダは根本分裂時の上座部と同一視は
全くできないのは確かです。彼らの主張に惑わされている方々が多い
のも間違いない。
>>37
大乗仏教が前1世紀以降から作成されたものであることは、日本の学界でも争いはない。
オリジナルの教えに沿っているというのなら、
どうして大乗は創作教典を持ち出してんの? 空誤解釈強要厨による
大乗批判&原始仏典溺愛告白は
只の痴呆症患者の妄想独白症例であり
迷惑行為
>>39
スレタイ改竄をしたのもお前か?
経典捏造の大乗一味は詐欺集団。 三毒朝鮮厨による
大乗批判&原始仏典溺愛告白は
只の痴呆症患者の妄想独白症例であり
迷惑行為でしかない
批判者の稚拙で的外れな解釈は
>根拠が希薄なように感じます。というのは
確かに心経は二万五千頌般若経の抜粋とも言われるお経ではあるのですが、末尾には、訳せば
行け行け彼岸に行け彼岸に正しく行け悟りを成就せよ
という意味のマントラが付けられているなど
只の抜粋経典でもなさそうだからです。
.
何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである
(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』)
.
阿含厨、オワタwww
.
>>44
正しいと思うなら、「私はこう理解する」と書けよ。
なんで、妄想仏教小説を捏造して釈迦が同意したことにするんだ?
自信がない奴ほどそういう卑怯なことするよねえw。 >>48
経典を受け継いだ側は、経典捏造したカスは相手にしてないよ。
正しいと思うなら、「私はこう理解する」と書けよ。
なんで、妄想仏教小説を捏造して釈迦が同意したことにするんだ?
自信がない奴ほどそういう卑怯なことするよねえw。
で、捏造大乗は反論できなくなってる。
それで、見苦しく発狂しちゃってる。 ワザと対立批判を煽るような書き方してるのは、スレを盛り上げたいからなのかねぇ?
>>49
大乗仏教も阿含経典は基本的に受け継いでるでしょw
”なんであれ善説されたものはすべて世尊・応供・正等覚者の語である” というのがニカーヤでの説示。
善説って云うのは仏道の成就に資する事でしょ?
大乗仏典で説かれている事は仏道の成就に資する事だから善説だし。
これのなにがおかしいのかねぇ??? >>50
妄想きっめえええ。
マントラまんせーは釈迦のどの教えに基づいているんだ?
戒名は釈迦のどの教えに基づいているんだ?
捏造菩薩が超常現象起こして民衆を救うなんて、釈迦のどの教えに基づいているんだ?
そういった改竄の疑問から逃げ回って発狂してるのはお前らだろwww。 >>51
釈迦の教えを正しく受け継いでいるというのなら
どうして改竄経典を持ち出すの?
ねえねえ?どうして? 馬鹿野園はボロボロに論破されたからって、コテなしで工作すんなよww。
>>52
>マントラまんせーは釈迦のどの教えに基づいているんだ?
言語による分節から生じる名色のからの離脱には有効なんじゃないの?
だから、般若心経は呪を入れてるんだけど。
>戒名は釈迦のどの教えに基づいているんだ?
授戒するからでしょw
>捏造菩薩が超常現象起こして民衆を救うなんて、釈迦のどの教えに基づいているんだ?
???
そんな話してないけどwww >>53
ん?
だから、”なんであれ善説されたものはすべて世尊・応供・正等覚者の語である” っていうし、方便でしょ? >>54
つーか、お前そもそも名無しじゃんwwwwww https://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/mikkyou2.html
〜森で修行をするにあたって、様々な障害(木霊の妨害など)を防ぐために意味不明な呪文ではなく
慈経やアングリマーラ経を唱える。
また出産に際しては、安産を願って、慈経やアングリマーラ経のような経典を唱え
祝福するという習慣が存在する。
こうした祝福や護身のために、あたかも呪文のように経典を読誦する行為は、古いパーリ仏教の系統では「パリッタ(paritta 護経、護呪)」と称された。
現代のスリランカや東南アジアの上座部仏教でも数々のパリッタが読誦されている。
? >>48
そもそも現代に上座部なんて存在しないよ
自称してるのは分別説部というインチキ
集団でしょ >お釈迦様は呪文を禁止したのに
呪文を唱えるとは何事だ!!とも言いますね。
でも、お釈迦様は、知的障害があった
弟子のチューラパンタカに、
「塵を除く、垢を除く」と唱え続けて
掃除をするように指示され
チューラパンタカは、
これによって阿羅漢果を得ました。
「塵を除く、垢を除く」と唱えることと
「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ〜」
と唱えることと何が違うんでしょう?
チューラパンタカの修業は正しくて、
般若心経の「ギャーテイギャーテイ」は
怪しい呪文だって、それどういうこと?
と思いませんか。それは思い込みでしょう。
私からしたら、どちらもマントラ瞑想法です。
>お釈迦様が禁じた呪文というのは、
出家修行者が解脱に関係ないご利益をもとめる呪文を
唱えることを禁じたのでしょう。
お釈迦様は、在家信者が現世や来世のご利益を求めることは
まったく否定していません。
むしろご利益を求めて善行を積むことを推奨しておられます。
そういう意味では真言宗の僧侶が、
在家信者の為に祈祷して真言を唱えるのも
けっしてお釈迦様の教えに叛くことではないと思います。
佐保田鶴治も同様の観点から、般若心経は密教のお経であり、全部を繰り返すのは無駄であって、最後の明呪だけを繰り返せばよいとしている。
昨年も今年も、南無妙法蓮華経と信仰する人々から、折伏を受けた。
この方々は、五時八教を未だに信じていた。
だから、大乗仏教団体に所属している方々は、未だに五時八教を信じている人が多いと思われます。
仏教の開祖は釈迦だから、釈迦の教えをオリジナル仏教として、般若心経はオリジナル仏教を発展させたものであるか、あるいは歪めさせたものであるか、が、問題であるね。
般若心経を読む限り、悟り=涅槃=三藐三菩提、までもが空なのか、不明だよね。
心経には、「菩提薩埵〜究竟涅槃」とあるが、涅槃が空なのか否かは、説明は無く、定かでない。
また「三世諸仏〜得アノクタラ三藐三菩提」とあるが、これまた、三藐三菩提が空なのか否かは、説明が無く定かではない。
理解力が無い方は不明なことだらけなのですね
普通、そこまでわからない方は、理解すようと努力するか、諦めて引くか
少なくともわからなければ発言しないと思えるのだが、大声で幼児的見解を
叫ぶのは不思議ですね。スリランカの影響?
>>64
一般の仏教では勧誘の強要は無いし 天台系以外には五時教判なんて関係ないよ
折伏なんて正統な仏教団体は何処もやってないし そんな必要も無いんだよ
法の仕組みを理解出来てないから世の中を変えようとか 他人を変えようという発想に陥るんだよ
三法印が真理で有る限り世の中も他人も思い通りにはならないという基本が理解出来てないというだけ >>60
そういう意味も含めて疑問視をしてるって事です。 >>64
>だから、大乗仏教団体に所属している方々は、未だに五時八教を信じている人が多いと思われます。
???
貴殿が折伏という行為を受けた事と上記の論証には何ら整合性がありませんけど・・・ >>67
涅槃が言葉で説明出来ないのは原始経典でも同じでしょ?
言葉が間接的なものである以上は表現にも自ずから限界が有るし その向こう側が彼岸なんだから語り様が無いんじゃない?
何でも言葉で理解し合えるなら根本分裂すら起きてない筈だしね 言ってる事が例え9割あってるとしても
真言厨で見解の強要する奴はけしからん。それは中道の仏教ではない。
そういうのを潰すために(いわば天敵として)日蓮系
の存在意義があるのかも
実は全く意味もわからんかたし好きでもなかたが
真言厨のガキの挙動見てて、はじめて日蓮系
の存在意義が
ワカッタw
真言厨はお大師さまに毎朝
お食事を運ぶ
黙ってして、人には強制しない
それでいい
>>75
意味不明
見解の強要なんかしてないし
仏教という枠組みの中で最低限の共通見解はあって然るべきじゃないの?
個人の見解が共通見解よりも優先されるなら宗教じゃないでしょ? オマエの書いてる内容に個人の見解が混じってるんだよ
書いてるの読めばただの餓鬼道の輩というのはすぐワカル
その反応が既に仏徒のものではない。前にどこかの僧で子供を殺した異常者
というのはお前のことじゃ
心経の「無無明亦無無明尽〜無老死亦無老死尽」は、「無明は無く、また無明が尽きることもない。老死は無く、また老死が尽きることもない」ということであり、つまりは生死輪廻は空と言っているわけだ。五蘊皆空ならば、生死輪廻が空なのは当たり前だが。
心経の「生死輪廻は空」ということを、釈迦は容認すると思うが、だから苦はないということにはならないと、私の悟りでは思うね。
釈迦は、「生死輪廻=空=苦」だと、説くと思う。空を解脱した彼岸が涅槃だ、とね。
>>55
だからさ、そんなの釈迦の教えにはない。
> 言語による分節から生じる名色のからの離脱には有効なんじゃないの?
> だから、般若心経は呪を入れてるんだけど。
戒名なんて釈迦の教えにねえぞwwww。
で、大乗の捏造した神様は否定してんのね?
それなら問題ない。 >>56
だから、釈迦が同意したとか嘘が書かれた捏造経典を持ち出すなよ。
嘘は釈迦の教えに反する。 >>56
だから、釈迦が同意したとか嘘が書かれた捏造経典を持ち出すなよ。
嘘は釈迦の教えに反する。 >>57
あ、やっぱり馬鹿野園だったwwww。
ぼこぼこにされると名無し工作する馬鹿野園wwww。 生死輪廻も涅槃も空だ、と説明したのは中論を著した竜樹だろう。
般若心経は、涅槃も空だとまでは、言っていないね。
>>61
マントラ唱えれば悟れるなんて釈迦は言ってねえよボケナス。 >>66
観音菩薩などというものを捏造してることが、釈迦の教えに反する。 >>82
凡人は輪廻転生を繰り返すんだから、「生死輪廻は空」ではない。
愚か者。 >>83
あなた、変わった人ですねぇ?
名色の滅は十二縁起の基本でしょ?
その名色の滅にマントラは有効だって話をしてるんですが?
>戒名なんて釈迦の教えにねえぞwwww。
大乗(戒名)でも分別説部(法名)でもあるでしょ?
佛教の基本知識ですが? >>84
>だから、釈迦が同意したとか嘘が書かれた捏造経典を持ち出すなよ。
>嘘は釈迦の教えに反する。
???
あなたはニカーヤが捏造経典だって云うんですね? >>93
無分別なんて釈迦の教えにない。
改竄すんな。
それと、戒名なんて釈迦の教えにはねえぞwww。
釈迦の戒名は何?
wwwwwwwwww >>94
「釈迦が大乗の捏造主張に同意した」という大乗の捏造が嘘だと言ってんだよ。
いい加減理解しろアスペ。 >>95
おかしいのはお前だろwww。
周りから嫌われまくってることを自覚して、コテなしでの工作してるくせに、何を今さら気付かない振りしてんだよwww。 >>95
おかしいのはお前だろwww。
周りから嫌われまくってることを自覚して、コテなしでの工作してるくせに、何を今さら気付かない振りしてんだよwww。 >>97->>99
>無分別なんて釈迦の教えにない。
なんで話がそこに飛ぶのか意味不明だな?
で、いわゆる無分別をお釈迦様は説いてるんだが、そんな仏教の基本中の基本も知らないのか?
>戒名なんて釈迦の教えにはねえぞwww。
大乗(戒名)でも分別説部(法名)でもあるでしょ?
佛教の基本知識ですが?
(2回目)
>「釈迦が大乗の捏造主張に同意した」という大乗の捏造が嘘だと言ってんだよ。
善説の定義は話したよな?
お前のレスは統一性が無くていつも離滅裂で意味不明なんだが、お前のスタンスは何なんだよ?
www 心経では、生死輪廻を空としている。
五蘊が空ならば当たり前のことだがね。
ここには、それを分からない愚か者まで、レスしている。バカに付ける薬はない。
>>101
無分別を釈迦が説いたという妄想のソースをどうぞ。
それと、戒名の制度を釈迦が認めたというのなら釈迦の戒名をどうぞ。
で、「釈迦が大乗の捏造主張に同意した」と捏造した嘘を擁護する外道カス。
完全論破されていつものように発狂するみっともない馬鹿野園。 馬鹿野園は、
「知識を示して自己顕示すること」が目的。
ただそれだけ。
悟るつもりなし。
修行するつもりなし。
論理の整合性も追及するつもりもなし。
平気で論点を外す。
だから、サラダ知識を撒き散らすだけが全て。
マトモに相手にすると知識バカが伝染する。
>>102
生死輪廻が空ならば、どうして凡人が輪廻するんだ?
逃げてないで回答しろよ愚者。 >>102
生死輪廻が空ならば、どうして凡人が輪廻するんだ?
逃げてないで回答しろよ愚者。 >>103
例えば止観の止行、これ分別か?
www >>103
>それと、戒名の制度を釈迦が認めたというのなら釈迦の戒名をどうぞ。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!
お釈迦様は教祖で戒を最初に授けた方だろwwww
そんなのも知らないのか? >>103
>完全論破されていつものように発狂する
お前だろwwww
脳内変換すんなよwww >>107
で、釈迦が無分別を説いたというソースは? >>107
で、釈迦が無分別を説いたというソースは? >>108
意味不明。日本語でどうぞ。
>>109
ごちゃごちゃいい訳してないで、
戒名の制度を釈迦が認めたというのなら釈迦の戒名は? >>108
意味不明。日本語でどうぞ。
>>109
ごちゃごちゃいい訳してないで、
戒名の制度を釈迦が認めたというのなら釈迦の戒名は? >>110
周りの人たちは、いつも発狂してるのはお前だと思ってるぞw。 >>111
>で、釈迦が無分別を説いたというソースは?
おまえ、頭大丈夫か?
漢訳された無分別って、智慧のパラフレーズって事も知らないのか? >>117
そんな意味不明な解釈はシラネエヨwww。
で、釈迦が無分別を説いたというソースは?
言い訳して発狂するばかりの馬鹿野園。 >>113
>ごちゃごちゃいい訳してないで、戒名の制度を釈迦が認めたというのなら釈迦の戒名は?
だから、お釈迦様は教祖で戒を最初に授けた方だろwwww
なんで戒名があるんだよwwww
そんな事お釈迦様は定めてないと思うがなぁwww >>118
www
瞬殺されて顔を真っ赤にヒスってるのかよwww
原始仏典から無分別のパラフレーズである智慧って文字を検索してごらん。 こいつも馬鹿鬼と同じで、現量とか無分別って言葉が漢訳語であることを、仏教の基本中の基本さえ理解してないんじゃないのか?
つーか、馬鹿鬼が世親を中国人と勘違いしていたみたいに、こいつもお釈迦様が中国人かなんかと思ってんじゃねーのか?
>>119
???
日本語で。
意味不明だが、釈迦の戒名は知らないようだ。
戒名などという制度は釈迦は認めてないから当然だが。
戒名は大乗が捏造した詐欺制度。
外道の悪行。 >>120
日本語でどうぞ。
結局、釈迦が無分別を説いたというソースはないのなw。
>>121
チャイナ大乗がチャイナをディスっててワロタ。 >>122
???
南伝仏教でも戒(法)名があるが、お前それさえも知らないの?
…それから、お釈迦様は中国人じゃねーからwwwwwwwwwww >>123
だから、無分別は智慧(プラジュニャー)のパラフレーズって云ってるんだが? >>123
>チャイナ大乗が
…あなた、どこの世界の生き物ですか? バカ大山は、他人の言っていることがわからない。。
自分の言っていることもわからない。。w
さらには、論理的な文章がわからない。。
論理的な文章を書けない。。
よって、対話不能です。w
自分がわかっていないことがわからない。。
すべて誤解して、わかったつもり。。w
よって、学習不能です。。w
かつ、自分だけの妄想宇宙に住んでいるので、他者がまったく見えません。。
すべて妄想で判断します。
自分も見えないし、他人も見えないということです。。w
認知に障害があります。w
簡単に言うと、キチガイです。。w
以上のことを総合すると、こういう掲示板ではただの害悪、アラシということです。w
>>123
で、これの返事まだかよ?
>明治になるまで、サンスクリットの教典が存在することすらしらず、漢文教典しか知らなかった…。
これ、いつになったら証拠を出すんだよ?
(8回目)
お前さぁ、いちいち云ってる事がデタラメなんだよ。
嘘ばっかついて、矛盾点を付かれると屁理屈ばっか云ってるしなぁ。
精神を病んでるようだけど、であれば、しばらくネットをやめたらどうだ?
あ? キチガイの言っていることには意味が無いし、相手にすることにも意味がありません。。w
www
来た来たwww
他スレで瞬殺された奴が、何時までも執念深く根に持って、こうやって集まって来てはDisり始めるんだよなぁwww
でおー、ポタ公、馬鹿鬼、こじ、ひふみ、うお… まぁ、餓鬼なww
たまには施餓鬼供養しないとなwww
掲示板で会話しているだけなのに「瞬殺」などという妄想を、常に継続して持ち続ける。。w
彼は自分の頭の中だけで、格闘技かなんかをやっているのでしょう。。w
常人にはできない妄想です。。w
完全なキチガイです。。w
>>125
だからさあ、釈迦が戒名なんて詐欺制度を認めていたと主張するなら、釈迦の戒名はなーに?
さっさと回答しろよwww。 >>125
だからさあ、釈迦が戒名なんて詐欺制度を認めていたと主張するなら、釈迦の戒名はなーに?
さっさと回答しろよwww。 >>125
だからさあ、釈迦が戒名なんて詐欺制度を認めていたと主張するなら、釈迦の戒名はなーに?
さっさと回答しろよwww。 >>128
で、釈迦が無分別を説いたというソースはないのなw。 >>128
で、釈迦が無分別を説いたというソースはないのなw。 >>135->>136
しつこいよ。
無分別っていう言語は智慧のシノニムって何度話せば理解出来るんだよ。
まぁ、それ以外にも無分別について説かれている個所はいくらでもあるけどな。
例えば、スッタニパータには以下の文がある
>想念を焼き尽して余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とを ともに捨て去る。
>蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。
>(中村 元. ブッダのことば−スッタニパータ (岩波文庫) (Kindle の位置No.124-129). 株式会社 岩波書店. Kindle 版)
これについて
>想念ここで「想念」(vitakk? 複数)というのは、思慮し思考することである。心の静まった修行者には、思慮分別 はいらない、というのである。
>(中村 元. ブッダのことば−スッタニパータ (岩波文庫) (Kindle の位置No.8809-8812). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. )
って解説されてる。. >>132->>134
これも言っただろ?
南伝仏教でも戒(法)名があるんだよ。
で、お釈迦様は教祖で戒を最初に授けた方だから、戒名を付けようがないし、そんな事お釈迦様は定めてないと思うがなぁwww …こいつもだんだんと壊れてきたなぁw
やがてRのように餓鬼になって憑いて回ってはdisり始めるんだるなぁw
>>136
で、これの返事まだかよ?
>明治になるまで、サンスクリットの教典が存在することすらしらず、漢文教典しか知らなかった…。
これ、いつになったら証拠を出すんだよ?
(9回目)
お前さぁ、いちいち云ってる事がデタラメなんだよ。
嘘ばっかついて、矛盾点を付かれると屁理屈ばっか云ってるしなぁ。
精神を病んでるようだけど、であれば、しばらくネットをやめたらどうだ?
あ? 馬鹿鬼やポタ公、こじ等の末路もそうだが、悪取空が過ぎて道理を見失い、支離滅裂になって人格崩壊・精神崩壊になっていくんだよw
云ったことを撤回できなくなって嘘の上塗りを重ねてなwww
>>137
無分別が智慧のシノニムって…。
頭悪すぎるなあ。
ほんと会話が成立しないレベルのバカだな。 >>137
無分別が智慧のシノニムって…。
頭悪すぎるなあ。
ほんと会話が成立しないレベルのバカだな。 >80
それは曹洞宗の僧侶だよ ど阿呆
その後の経過は知らんがそんなに早く出て来れる訳無いだろ?
考えも無しに思いつきでもの言うなよ
それに仏教徒とは言うが仏徒なんて一般的じゃない呼称は知らんぞ
お前日本仏教じゃないだろ?
>>138
このバカ、戒名と戒を区別できない?
w 分別
南伝 相応部経典45-8 分別
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。その時、世尊は、もろもろの比丘たちに告げていった。
「比丘たちよ、いまわたしは汝らのために聖なる八支の道を説こうと思う。ひとつ、それを汝らのために分析しようと思う。よく注意して聞くがよろしい。そして、よくよく考えてみるがよろしい。では、わたしは説こう」
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7052602.html
そして仏陀は八正道の八支を一つ一つ分別してはもろもろの比丘たちに解説していった 分別
南伝 相応部経典45-8 分別
かようにわたしは聞いた。
ある時、世尊は、サーヴァッテー(舎衛城)のジェータ(祗陀)林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。その時、世尊は、もろもろの比丘たちに告げていった。
「比丘たちよ、いまわたしは汝らのために聖なる八支の道を説こうと思う。ひとつ、それを汝らのために分析しようと思う。よく注意して聞くがよろしい。そして、よくよく考えてみるがよろしい。では、わたしは説こう」
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7052602.html
そして仏陀は八正道の八支を一つ一つ分別してはもろもろの比丘たちに解説していった >>142->>143
無分別智っていうだろw
>>145
>戒名(かいみょう)は、仏教において、戒を守ることを誓った(受戒した)者に与えられる名前である。
>仏門に入った証であり、戒律を守る証として与えられる。
>戒名の授与は、上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。
>wiki引用 それにしても、なんで連投するのかなぁ?
怒りに震えて顔面を真っ赤に腫らして、悔し涙を浮かべながら、叩きつけるように書き込みボタンを連打でもしてるのだろうか?
パソコン壊れるだろうにwww
>>148
無分別智は大乗仏教用語
十大弟子のシャーリプトラとかアーナンダっていうのも戒名? >>148
日本で戒名と言えば、僧が死者につける法名だろ。中国人乙w。
そして、釈迦は出家した人に名前なんて付けたの?
初耳だなあwww。
ソース。 >>149
勝手に妄想してるとこ悪いんだけど、ネットワークの調子が悪いだけだなあwww。 >>150
無分別智なんて、大乗が言い出したことなのは常識だよなあ。 >>150
無分別智なんて、大乗が言い出したことなのは常識だよなあ。 >>150
>無分別智は大乗仏教用語
www
シノニムって何回も云わせるなよ、猿w >>151
>日本で戒名と言えば、僧が死者につける法名だろ。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!
法然でも空海でもそれ、戒名だろwww >>153
>無分別智なんて、大乗が言い出したことなのは常識だよなあ。
それの根拠は?
で、>明治になるまで、サンスクリットの教典が存在することすらしらず、漢文教典しか知らなかった…。
これ、いつになったら証拠を出すんだよ?
(10回目)
いい加減にその件については総括するが、デタラメ なんだろ?
結論出たな、猿www >>155
苦しいな
アビダンマ注釈書では、般若には次の3種類があるという[3][4][5]。
1 聞所成慧 (Pāli: suta-maya-paññā): 書籍や聴講による知識、知恵。
2 思所成慧(Pāli: cinta-maya-paññā): 思考や理論的推論による知識、知恵。
3 修所成慧 (Pāli: bhāvanā-maya-paññā) : 直接的なスピリチュアル経験から得た知識、知恵。
5世紀の上座部仏教注記者ブッダゴーサは、この種の知識は高度な瞑想への没頭(ディヤーナ)から得られるとしている。[5]
20世紀タイの僧侶、アチャン・リー(Ajahn Lee Dhammadharo)は、その最初の2つを理論レベルのダルマ、最後の1つは実践レベルのダルマと分類している[6]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%88%AC%E8%8B%A5
1と2は無分別ではない >>156
だから、チャイナ仏教の習慣なんてしらねえよ。
これ何度目?
w >>156
だから、チャイナ仏教の習慣なんてしらねえよ。
これ何度目?
w 今日もまた、馬鹿野園は苦しくなって発狂。
毎日発狂してんなあ。
>>155
で、その妄想のソースは?
釈迦が無分別智について説いたというソースは?
ソースなしの妄想を垂れ流すなよ。
馬鹿野園。 >>158
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!
アビダンマってなんだよwwwww
お釈迦様がアビダンマを説いたのかよwwwwwwwwwwwww
お前、釈迦仏教を準拠に大乗仏教を否定してるのに、反証されるとアビダルマを持ちだすのか、どんだけご都合主義なんだよwwwwww
それともわざと外して抱腹絶倒させるのがお前の趣味なのか?
www >>160
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お前さぁ、わざと笑わせるのもほどほどにしろよwww
>日本で戒名と言えば、僧が死者につける法名だろ。
ってお前が言ったから違う旨を反証したのに何が ”チャイナ佛教” だよwww
つーか、おまえ チンク だろ? >>162
???
スッタニパータの例を出したが、お前には見えないのか?
で、>明治になるまで、サンスクリットの教典が存在することすらしらず、漢文教典しか知らなかった…。は真っ赤な嘘って事で確定な。
www >>162
スッタニパータを一瞥したけど、少なくとも無分別について説かれてる個所は8個所あるねぇ。
取り敢えず5カ所あげとくよ。
>521 全世界のうちで内面的にも外面的にも一切の罪悪を洗い落し、時間に支配される神々と人間とのうちにありながら妄想分別におもむかない人、かれを〈沐浴をすませた者〉と呼ぶ。
>531 諸々の汚れと執著のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない、かれを〈すぐれた人〉と呼ぶ。
>793 かれは一切の事物について、見たり学んだり思索したことを制し、支配している。このように観じ、覆われることなしにふるまう人を、この世でどうして妄想分別させることができようか。
>802 かれはこの世において、見たこと、学んだこと、あるいは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。いかなる偏見をも執することのないそのバラモンを、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?
>803 かれらは、妄想分別をなすことなく、(いずれか一つの偏見を)特に重んずるということもない。かれらは、諸々の教義のいずれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸に達して、もはや還ってこない。
>(ブッダの言葉 スッタニパータ 中村元 岩波文庫)
これでも以下の件を押し通すの?
> 97 返信:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/07/29(水) 19:32:25.85 ID:5QpSSBdU [10/40]
> >>93
> 無分別なんて釈迦の教えにない。
www 大乗仏教が、いわゆる釈迦仏教のオリジナルそのものでない事は、一切否定してないんだけどなぁw
にも拘らずこの馬鹿猿くん、何を勘違いして大乗大乗って必死になって噛みついて来るのか、私には訳が分らんのだがww
別にこの馬鹿猿がスマさんの信者だろうが原理主義者だろうが、知ったことじゃないんだがwww
ほんと、変わった奴だよなぁwwww
>部派〜上座部の歴史は虚妄であったと
分別説部の方が認めています。
八頌品と四ニカーヤの間には、阿含と大乗経典の間の飛躍以上の飛躍がありますが、仏教史にはそのような飛躍の傍証となるような伝承が一切ない
ことに関し、何か合理的解説をできる方いますか?
つまり、般若経典が創作という以前に、原始仏典ですら既にその疑いがあると
信者は気付いているのです
>分別説部が説く分別なるものは
アジアの未開人が先進国の自然科学的思考法に目覚め
マネし出した時の独り言を 賽銭ぼったくり用の下らないおみくじに
書き込んだようなもの
スマナサーラ信者は
>スマナサーラ長老を信じています!
と胸張って言えないんだよな。
代わりにテーラワーダ仏教を実践しています。
仏教は宗教ではないなどとほざいて仏教に汚名を着せる。
>大衆部は分別説部を仏教の根本分裂の際にほかの部派とともに生じたとみなしている。大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆部、分別説部の三部派に分かれたのである
破戒僧率いる日本テーラワーダ仏教協会
スマナサーラの嘘を指摘し、頭のおかしくなった信者を更生させる
スマナサーラ 批判
http://2chb.net/r/psy/1535982873/
世界を変えたいのですが、あからさまだと拒絶反応が起こるので、こっそりやる訳です
@問題を作り出す 般若心経は偽経だ!
A嘘の情報に対する大衆の反応を収集して堂々と自説を騙ります。 →そんなの信じてもしょーがねえぞ テーラワーダ過激派は正しい、
B偽りの解決策を提示し、巧妙なステルスのプロパガンダを実行 → 分別説部を信じよ!
サーゾーの本を買え >苫米地ってサイゾーの主要株主のようだね。
必ずしも悪い本ばかりでもないが、仏教に関しては、テーラワーダ・カルト並み。たぶんスマナサラに洗脳されてる。
変わったこと言えば本が売れるという戦略かもしらんが、知識の少ない一般人もいるので有害。
>運営会社はサイゾーで、幹部は元「噂の真相」。 サイゾーは他に、おたぽる、トカナ、ビジネスジャーナル、ヘルスプレスなど
複数のダミー会社を使い分けて世論誘導を工作している。
「ええ、うちには在日コリアンがいっぱいいますよ?それが何か」と開き直った事も ...
>サイゾー→ゴシップ専門のゲスゴミ・サイト トカナ→ムーとどっこいのオカルト・サイト
後は推して知るべしって所だね?
・分別説部はどの程度、オリジナル仏説を歪めているか?
>南伝だって結構、歪曲が多く混入してるし、必ずしも原型をとどめている訳でもない
といった指摘を受けた
オリジナル釈迦仏説との関係で見た純度
>せいぜい南伝は三割 といった印象を持つ人が多かった
>不純要素(非仏説混入度)は
南伝でも7割程度と見る向きが多い
>現在、上座部を名乗っている教団の正体を知っていますか?
部派仏教時代に上座部の中で有害な説を説く異端分子が破門になりました。その異端分子を分別説部といいます。
その後、本来の上座部が滅んだのをいいことに、分別説部は自分たちが正当な上座部だと主張しました。
つまり現在の上座部は元々異端分子なのだから本当の仏陀の教えなど伝わっていないのです。
分別説部についてはウィッキぺディアにも載っていますから、ご確認下さい。
>>163
お釈迦様が大乗仏教説いたのかよ?
という反論になるだけだが
アンタの「無分別は智慧のシノニム」という大乗仏教側からの見地に対して大乗仏教以外では無分別ではない智慧もあるという例を示しただけだ
もっとも大乗仏教側でも無分別は智慧のシノニムと言ってる人がアンタを除いているのかどうかも分からんが
>>166
比丘たちよ、では、無明(無智)とはなんであろうか。比丘たちよ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および苦の滅尽にいたる道についての無智である。比丘たちよ、これを無明というのである。
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7050602.html
ここではより具体的に苦を分別してとらえることを智慧としそれがない無智であることを無明としている
このように智慧といっても一つだけではない
その中の一つだけを取り出して無分別は智慧のシノニムなどというのはお釈迦様が戒めた極論となる
あとアンタは人のことを言う前にシャーリプトラやアーナンダが本名なのか戒名なのかハッキリさせることだね ※「無分別」の語なり観念が、仏教文献に登場してくるのは、大乗仏教の成立以後、殊に空思想の後に盛んとなる如来蔵思想の発生・成立に伴うものとされている。
即ち、無分別の思想が定着するためには、区別とか差別の観念 が強いと生れてきません。
即ち無区別とか平等の観念が生れることで、そこから無分別の思想が発生してくるように思われる。
原始仏教の思想の特徴は、理性的・合理的・分析的の性格が強いとされ、また倫理的な雰囲気を漂わすことも特徴とされている。
*原始仏教の特色が分析的・理論的であることは、例えば、阿含「増支部」中に集成されている「四諦」(釈尊の初転法輪における根本教説とされる)とか「八正道(苦悩の断滅に導く八ッの正しい実践徳目)の教説は説明的であり分析的であります。
また人間観察(人間存在の問題)についても、極めて分精綴であって、「五蘊」と「六根」の概念を導入することで合理的に説明しようとしています。
仏教の目指した目標が「智慧に至る道」にあったのですが、原始仏教と小乗教団に於ては、それを「分析の教え」(分別智)に主眼をおいて精密な理論を展開したのであった。現智慧の泉を汲みとる努力を忘れてはならないと思います。
現在の我々は大乗仏教の思想を享受していますから、我々の立場からすれば、原始仏教の思想は学問研究の対象としては汲み尽し得ない魅力があります。
然し今日的要請がされている「智慧の実践」の立場からすれば、馴か違和感を覚えるのです。
然し大事なことは、原始仏教(根本仏教)がが煩瓊(はんさ)で分別智の教説と云うだけで、これを拒絶する態度は好ましくなく、我々は仏陀ゴータマから流れ出る智慧の泉を汲みとる努力を忘れてはならないと思います。
「研究ノート 智慧と慈悲」
https://minobu.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_action_common_download&item_id=721&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=21 >>173-174
シノニム(synonym)って意味をよく解析しましょうねw
勿論、智慧には無分別なそれと後得智としての分別智があるのは仏教の常識。
で、
>ここではより具体的に苦を分別してとらえることを智慧としそれがない無智であることを無明としている
というwikiの文章は知ってるけど、その ”分別としてとらえる” というのは、 ”無分別智によって直観的に把握されたそれ(無明)を、後得智によって「無明」と言語により分節(分析)した” 事なんですよ。
つまり、一義的には ”無分別に呈する対義語(antonym)としての分別” ではなく、分析といった方が良いわけなんです。 >異部宗輪論で言われるところのいわゆる小乗と呼ばれる伝統的部派仏教の部派の話と、スリランカ上座部と称しているものと、
現代上座部と称しているテーラワーダを分けて考える必要があります。
ご存知かとは思いますが、そこは同じではないです。
>スリランカ上座部は「島史」による伝承が根拠なので、あくまで自称の話であって、分からないことだらけです。
また、テーラワーダも途中2度途絶えたものを復興したもので、これらを根本分裂時代に遡り一連のものとして考えるのは、そもそも無理があります。
>部派の系譜に関しては、テーラワーダの主張は違うということ。
>テーラワーダは、根本分裂時の上座部の直系ではないです。
それをブッダゴーサ教と呼ぶ人もいます。
>>175
アンタこそシノニムつまり類義語とは何かを学習した方がいい
後得智は大乗仏教特に唯識の言葉であり根本仏教では出てこない言葉なのも仏教の常識 >>173-174(続き)
>お釈迦様が大乗仏教説いたのかよ?
www
大乗仏教は紀元前後に出来た思想ですよ、わざわざ馬鹿を云わないでください。
仏滅後の仏教は、どれもお釈迦様の教えをいかに解釈するかという視座から発展していった思想・実践でしょ?
掛かる意味において、部派だろうが上座だろうが大乗だろうが金剛乗だろうが同じ水平線上にあるのですよ。
例えば如来蔵思想は、釈迦仏教でも説かれていたであろう自性清浄の思想の発展形なんです。
中観にしても”空”という思想の発展であり、唯識にしても”心のあらわれ”という思想の発展なんです。
お釈迦様は涅槃される時に ”法を拠り所にせよ” って仰られました。
そしてその法は
>如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
>(雑阿含)
であって、
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである
>(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』)
なのですよ。
…私は、仏教というものは完成していないと思ってますけどね。 >>177
wwww
貴方ねぇw
>原始仏教と小乗教団に於ては、それを「分析の教え」(分別智)に主眼をおいて精密な理論を展開したのであった。
って自身が引用してるじゃないですか?
その ”「分析の教え」(分別智)” のシノニムとしての後得智でしょwww
…視野が狭いというか、応用力が無いというか、読書力が無いというかw 価値を創ろうとする行為というか
そもそも何が価値のある事柄でナニが無いか分別する心の働き自体も
言語による分節化の範疇に入る業
でしょうか?
無(非)我を説かれたお釈迦様だからこそ
>如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊のことばである
と喝破されてと思うんですけどね。
お釈迦様という大地に立つ者が、”この土地がお釈迦の土地だ!”いや、此の山こそお釈迦様の土地だ”ってやってるようでねぇw
勿論、それが過ぎて風呂敷仏教になってはいけないとは思いますけど。
>>180
でしょうね。
(無明→行→)識→名色
ですから。 >>166
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはどこにも書いてないなあ。
釈迦が無分別智について説いたというソースは? >>183
引用した文の文意が読み取れないなら、貴方のレベルのそこまでって事だなぁ。
>「分別」が良くないなどとはどこにも書いてないなあ。
十二縁起って知ってる? >>174
いやさぁwww
細かいところまで突っ込みを入れる気はないけど、大乗を否定してるあなたが、日蓮宗の論文を引用してるのはこれ如何に?
その論文も大乗の視点からの見解じゃないの?
www >>179
それはアンタが勝手に分析の教えを後得智という釈迦仏教のころになかった概念を絡めて一人納得しているだけ
自身(こちら側)が引用しているのではない
アンタが勝手に自説の裏付けに行けるかなと思って引用しているだけのこと
んでシャーリプトラやアーナンダは本名なのか戒名なのかの説明はまだなの?
ナーガールジュナなんかも戒名なの?どうなの? >>186
いやはや、それも大乗である真言宗某派のHPからの引用じゃないですかwww
勿論、そのHPは知ってるし既読けど、具体的にどう誤解してるか言わないとねぇw
話にならんのですよ。 >>175
直観的に無明を把握する???
まーた意味不明なこと言ってるなあ。 >>184
いい訳はいいから、
釈迦が無分別智について説いたというソースは? >>187
>それはアンタが勝手に分析の教えを後得智という釈迦仏教のころになかった概念を絡めて一人納得しているだけ
www
ネットで ”後得智” の意味を調べたら?
>んでシャーリプトラやアーナンダは本名なのか戒名なのかの説明はまだなの?
>ナーガールジュナなんかも戒名なの?どうなの?
そのくらい自分で調べたら。
私は便利帳じゃないんですからwww
戒(法)名が具体的に何時から始められたかは知らないけど、現在の仏教では南北変わらず流通してる。
ちなみに、南伝では(戒律で)禁止されてない事はやってもいいっていう論理も罷り通ってるようですね。
ひいては、お釈迦様が戒名を禁止していなければ戒名O.Kって解釈が成立することにもなるねwwww >>192
アンタは自分で言ったことに責任が取れない人だ
というのが判明するレスだねえ >>192
あのさあ、金取っちゃダメでしょ。
欲ぼけ葬式仏教。 >>192
あのさあ、金取っちゃダメでしょ。
欲ぼけ葬式仏教。 >>190
>直観的に無明を把握する???
>まーた意味不明なこと言ってるなあ。
釈迦仏教では五蘊説の中で、倶舎でも五位法で説かれてるんだけどw
まぁ、分らなければそれまでだねぇ。 >>191
???
言い訳じゃないだろ。
先のスッタニパータの引用にも明示されてるだろ?
書かれてる内容をよく読んで文意を把握してくれないとなぁwww
その文字そのものがないから言ってないとか、それって単に読解力が低いだけだろ? >>197
釈迦がいつ「直観的に無明を把握する」と言ったんだ?
お前は妄想ばかりだなあ。 >>198
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはどこにも書いてないなあ。
だからお前の「釈迦が無分別智について説いた」にはソースがねえよ。 >>193
そのHPも知ってますし、如来蔵思想が増支部の
>比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
に由来する事は事実でしょ?
ですから、 ”説かれていたであろう” って書いたんですよ。
これ、分ります?
そこまで先読みして把握したうえでそう書いてるんですよ。 >>194
そういう無意味な中傷に応じる気はありませんからwww >>195-196
そういう無意味な中傷に応じる気はありませんからwww
それと、興奮してるのか機器の誤作動なのか存じませんが、同じ文の連投は止められるのなら止めましょうね。 >>199
>釈迦がいつ「直観的に無明を把握する」と言ったんだ?
www
慧は定から得られるものでしょ?
定は分別(分析)するものですか?
いちいち馬鹿を云わないでください。 >>200
書かれてる内容をよく読んで文意を把握してくれないとねぇ?
その文字そのものがないから言ってないとか、それって単に読解力が低いだけ。
要するに看経の眼が欠けてるんですよ、あなたはね。 散髪しに行きますから、抜けますので。
反証されるのなら ”その部分を明示して” 下さいね。
丸ごと一本論文出されてもねぇwww
しかも貴方が非仏として認めてない大乗仏教宗派からの論文だしwww
>>203
金欲に捕らわれるのは、釈迦の教えに反してるんだ。
まぬけ。 >>203
金欲に捕らわれるのは、釈迦の教えに反してるんだ。
まぬけ。 >>204
いい訳はいいから、
釈迦が無分別智について説いたというソースを出せよ。 >>204
いい訳はいいから、
釈迦が無分別智について説いたというソースを出せよ。 >>203
通信の問題だと言ったろ。痴呆老人。
時間見れば連投じゃないと分かるだろ。
同じことを何度言えば理解する? >>211
>通信の問題だと言ったろ。
えっ、いつ?
前スレにも前々スレにもそんなレスは無いけど?
証拠出してw >>208
www
お布施を受け取った時、その方が金欲に囚われてるかどうか、貴方には分かるのですか? >>210
先に引用した
>諸々の汚れと執著のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。
>三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない、かれを〈すぐれた人〉と呼ぶ。
とか、まさに無分別智そのものを説いてるではありませんか。 分別とは判断・判断力とかの意味だろ。
だから、妄想分別とは妄想判断という意味だ。
常識を逸した判断力のことだ。
>凡夫の分別は、主観と事物との主客相対の上に成り立ち、対象を区別し分析するから、事実のありのままの姿の認識ではなく、主観によって組み立てられた差別相対の認識に過ぎないため、妄分別(もうふんべつ)である。
>それによって得られる智慧である分別智(ふんべつち)も一面的な智慧でしかない。
>それに対し、主客の対立を超えた真理を見る智慧を無分別智(むふんべつち)という。
>wiki引用
般若心経では、「無苦集滅道 無智亦無得」と、釈迦の四諦の教えを否定している。
否定というより、苦集滅道も空だといっているのか。釈迦は般若心経を容認するであろうか?と、私は現在瞑想中。
>>189
>勿論、そのHPは知ってるし既読けど、具体的にどう誤解してるか言わないとねぇw
「はい、僕はそれは読んでます、知ってます」というのがアンタの決まり言葉だけど
読んでたら>>178のようなことは書けないと思うけどね
法を拠り所にせよというのは具体的には四念処の法念処(法随念)をせよという教えで法念処は五蓋や六識つまり一切は無我というのを知る観行
>如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
法灯明ではこういうことを説いている訳ではない
法の中身が違う
法灯明の法は諸法であられ法性常住の法は法則のこと
そのHP読んでたらそのくらい知ってて当然かと思うがちゃんと読んでなかったのか?
あと真言宗のHPと笑ってるけど内容は阿含経からの引用とその解説しか書いてないだろ
真言宗だからと内容チェックもせずに馬鹿にしてるのはアンタの方だわ >>221
>この経典でお釈迦様は縁起について分析していって智慧による悟りを得ることができたと語っているが、この分別智も根本智を得た後の後得智というのか?
>よく考えてみたまえ
wwww
あのさぁ、いちいち古臭くて顧みられなく見解を出しては俺に最新の見解の解説をさせて、お前は本当に面倒くさい奴だなぁ?
もう少し勉強してからレスしろや?
俺は仏教便利帳じゃねーぞ、こらw
写メ見ろや、猿w
仏教論争 「縁起」から本質を問う(ちくま書房) な。
無分別智恵無縁の鹿犬山のレス、
大爆笑である。
犬山君は、放尿すきだねえ。
>>201
>そのHPも知ってますし、
これがアンタの伝家の宝刀だわ
如来蔵思想が増支部の
> >比丘たちよ、この心は光り輝いている。ただ、外来のもろもろの煩悩によって汚れている
>に由来する事は事実でしょ?
さあどうだろね
「さらに漢訳に相当部分が欠けていることも重要であり、この一文は後世の付加であろうという疑問が生じる。」
漢訳がないということはこの自性清浄心はパーリ増支部にしかない可能性も充分にある
如来蔵思想の由来におそらくパーリ経典は関係ないだろう
だから増支部の〜〜に由来するのは事実かどうかは分かんないし怪しいね
>ですから、 ”説かれていたであろう” って書いたんですよ。
>これ、分ります?
>そこまで先読みして把握したうえでそう書いてるんですよ。
「例えば如来蔵思想は、釈迦仏教でも説かれていたであろう自性清浄の思想の発展形なんです。」
まあこれもそのHP知ってたらこんな書き方はせんわな
そのHPでは釈迦仏教でも説かれていたかどうかは怪しいし
むしろ心は自性として清浄ではなく染浄和合というのが阿含の諸経に見られるというような結論を出してるHPなのだから >>222
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
あなた、私を笑わせるのが趣味なのかな?
>顕現し演説し分別し開示す。
>(雑阿含)
その一部が ”四念処の法念処(法随念)” であるわけしょ? >>226
>さあどうだろね
どうだろうねもなにも、それを準拠に構築されているのは間違いないだろ。
>まあこれもそのHP知ってたらこんな書き方はせんわな
www
知ってても異説があるからそう書いてるんだろうがw
アホかw >>223
アンタはチベット律蔵や有部律と阿含経のどちらを信じるのかね?
あとその本には十二支縁起成道説は三つしかないとあるが城邑経を無視しているし
長部 縁起成仏説 (14経 大本経)
相応部 縁起成仏説 (因果相応65経、4〜10経)
などもある
それと簡単に切れるなアンタ
心の修行が足りないみたいだね >>227
>>178
>お釈迦様は涅槃される時に ”法を拠り所にせよ” って仰られました。
>そしてその法は
> >如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
> >(雑阿含)
>であって、
でアンタが書いてることと矛盾してるね
後出しジャンケンっていうのかなこういうの >>228
> どうだろうねもなにも、それを準拠に構築されているのは間違いないだろ。
その自性清浄の句が漢訳にはないのに間違いないといえるのかね? >>229
何も知らないんだなぁ…
昨今は阿含経の文献批判から、信憑性の問題において、比較的バイアスの掛かってないであろう律蔵から釈迦仏教を復元する大きな流れがあるんだよ。
>それと簡単に切れるなアンタ
>心の修行が足りないみたいだね
そういう低俗な煽りをする暇があったら、もう少し勉強しなさい。 >>230
全然矛盾してないでしょ。
雑阿含の説いてる法の中に法灯明の教えも包括されるんだから。 >>231
>その自性清浄の句が漢訳にはないのに間違いないといえるのかね?
しつこいなぁw
だから ”説かれていたであろう” って書いたんだよ。
仮にそれが漢訳後に付加されたものとしても、それが如来蔵思想の準拠になってること自体は間違いないだろ? >>231
>その自性清浄の句が漢訳にはないのに間違いないといえるのかね?
あなたはチャイナ仏教とか云って蔑んでるのに、こういう時は ”漢訳にはないのに” って、そのチャイナ仏教を持ち上げるの?
www >>231
ひとつ確認させてくれ。
あなたがアンチ大乗であることは分ってるけど、何を信仰してるの?
スマさんの処? >>213
お前がだしてきたのは、どれもソースにならないと、どれも論破されてるだろ。 >>214
戒名で100万取ってるのが金欲まみれで釈迦の教えに反してるんだよ。ボケナス。 >>215
だから、
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはどこにも書いてないなあ。
痴呆老人さあ、同じことを何度言えば理解できる? >>218
それは釈迦の主張とは異なる大乗の立場からの妄想な。 >>219
釈迦はそもそも官能菩薩を承認しない。
神様を持ち出すのは釈迦の教えに反する。 >>219
>釈迦の四諦の教えを否定している
んかなくて、何も正しい解釈もできない癖に対象を感情をもと
に否定するアンタの妄分別こそが
否定されてる >>223
ほんとお前は「最新」という言葉が好きだなあ。
そして、「最新」かどうかより、「正しい」かどうかのほうがよっぽど重要だ。まぬけ。 >>223
ほんとお前は「最新」という言葉が好きだなあ。
そして、「最新」かどうかより、「正しい」かどうかのほうがよっぽど重要だ。まぬけ。
>>227
笑われてるのはお前だよ。 >>232
釈迦仏教を復元するなら、バイアスがかかりまくってる大乗は無視するのは常識なんだがw。 >>232
亡くなった中村元の説を出してきたりとか縁起成仏説については3つしか三蔵の中に資料がないとか
その本の方が古そうだが
それとそんなに自信を持って写メ見ろやというなら訊かせてもらうけど「チベット律蔵」と「破僧事」の成立が何時なのか答えられるよね?
四阿含の成立よりも前なの後なの?
写メが証拠というなら答えてみてよ
あと自分の言葉が乱暴になってるのを低俗な煽りとかってら人のせいにするのもどうかと思うよ
それにこちらからするとアンタの草生やしの方が低俗な煽りだよ >>233
もう一度アンタの元発言を引用するぞ
お釈迦様は涅槃される時に ”法を拠り所にせよ” って仰られました。
そしてその法は
>如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
法を拠り所にせよ…法念処(諸法無我と観ずる行)を拠り所にせよの意味
(諸々の事象について諸々の事象を観察し、熱心に、よく気をつけて、念じていて、世間における貪欲と憂いとを除くべきである。)
そしてその法は
如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
(いわゆるこの事有るがゆえに是の事有り。是の事起るがゆえに是の事起る…と続く)
の法は法則や真理のこと
ここでは縁起の理法をいうという見解が一般的だろう
法を拠り所にせよの法念処の法のことではない >>234
まだ分かってないね
その自性清浄の句はパーリの増支部のものしか発見されておらず
漢訳では心は染浄和合説になっているんだよ
如来蔵思想がパーリ増支部を源とするのは間違いないとは自分は言えないということだ >>235
チャイナ仏教と書いてるのは自分ではない >>236
別に際立ったアンチ大乗というわけではない
但し大乗仏教を擁護するためにおかしな論を持ってきているのには疑問を呈させてもらっているというわけだ >>238
だったらそう書けよwwww
云ってる事変えるなよwww >>240
>戒名で100万取ってるのが金欲まみれで釈迦の教えに反してるんだよ。ボケナス。
請求書でも出してるのならともかく、お布施だろw >>241
お前がID変えたからアンカーは付けてないが回答済
>凡夫の分別は、主観と事物との主客相対の上に成り立ち、対象を区別し分析するから、事実のありのままの姿の認識ではなく、主観によって組み立てられた差別相対の認識に過ぎないため、妄分別(もうふんべつ)である。
>それによって得られる智慧である分別智(ふんべつち)も一面的な智慧でしかない。
>それに対し、主客の対立を超えた真理を見る智慧を無分別智(むふんべつち)という。
>wiki引用 >>253
は?
「ネットワークの調子が悪い」 と「通信の問題」は同じだろ。
アスペ馬鹿野園はまーた意味不明なこと言ってる。 >>253
は?
「ネットワークの調子が悪い」 と「通信の問題」は同じだろ。
アスペ馬鹿野園はまーた意味不明なこと言ってる。 >>242
>それは釈迦の主張とは異なる大乗の立場からの妄想な。
www
んじゃ根拠は? >>245
>そして、「最新」かどうかより、「正しい」かどうかのほうがよっぽど重要だ。まぬけ。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
お猿さんは ”発見” って言葉を知ってるのかなwww
正しさを追求してるから最新の情報が大事なんだろ? >>247
だからその件については律蔵を準拠にしてるだろwww
アホw >>248
>その本の方が古そうだが
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
2018年の刊行だけどwww >>255
日が変わればID変わるのは当然だろ。
で、それは釈迦の主張とは異なる大乗の立場からの妄想だと、すでに論破済み。
お前のソースはすべて論破済み。 >>249
だから、部分として包括されてるって云ったろ? >>260
無分別智とか言い出してることについてだろ。アスペ。 >>259
だったら、その新しい発見とやらを明示しろよwww。 >>251
>チャイナ仏教と書いてるのは自分ではない
書いてるだろ?
嘘つくな、猿www
159 返信:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/07/29(水) 23:50:32.29 ID:5QpSSBdU [37/40]
>>156
だから、チャイナ仏教の習慣なんてしらねえよ。
これ何度目?
w
160 返信:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/07/29(水) 23:50:32.55 ID:5QpSSBdU [38/40]
>>156
だから、チャイナ仏教の習慣なんてしらねえよ。
これ何度目?
w >>258
釈迦が無分別智を説いたというのは、
お前の主張なんだからお前がソース出せよ。
>>259
だったら、その新しい発見とやらを明示しろよwww。 >>250
しつこいなぁ?
パーリ語のそれが如来蔵思想の形成の準拠を阻害してないって云ってるだろ?
アホかwww >>167で「大乗仏教が、いわゆる釈迦仏教のオリジナルそのものでない事は、一切否定してない」と言ってるくせに
なんで、釈迦が無分別智を説いたとか言っちゃうんだろ?
言ってることが支離滅裂。 >>252
>別に際立ったアンチ大乗というわけではない
>但し大乗仏教を擁護するためにおかしな論を持ってきているのには疑問を呈させてもらっているというわけだ
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
↓
41 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/07/27(月) 15:29:07.20 ID:coVT3T7q [3/3]
大乗はチャイナ詐欺似非仏教。
61 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/07/12(日) 14:51:27.00 ID:v8AkpmrY [3/16]
大乗カルトはすぐ改竄するからなあ。
スレタイ改竄も大乗カルトの仕業。
306 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2020/07/15(水) 15:50:09.74 ID:uOSrHBW4 [8/9]
>>305
JAP大乗解釈では、「部派仏教を批判する大乗は素晴らしい!」なのに、
現実は、独立した律もなく、グループもないwww。
批判しているはずの部派仏教のなかなかでゴスペル的な位置付けで扱われる創作経典w。
え?部派仏教を批判した新たな思想じゃなかったの?
wwwww 40、50代のおっさんの感染経路不明は、まず間違いなく口に出せない夜の街。
そこからお土産を家族に広げると、娘が内緒のバイトでまた再生産の夜の街。
>>269
www
シノニムって意味知ってる?
仏教もそれなりの研鑽が進むと大乗のこれは釈迦仏教のそれに由来するんだなぁとか看えて来るものなんですよ。 >>272
無分別智と智慧は違うと自分で言ってるだろ。
相変わらず頭悪いなあ。 >原始経典通りの言葉がないから仏が言ってない ことにはならないという読解力に基づく意訳の能力が
実際大乗経典発生の因だという見方より演繹すれば、仏説も般若経典も根は同じという事かも知れません
ただ大乗涅槃経とかはどうなのか? とは感じます(如来常住は法華経で既に説かれ、また悉有仏性は如来蔵経や
後の我が国でも天台本覚思想・十住心論にて、より先鋭化・洗練された展開を見、常楽我浄も阿含部等の説を纏めたアートマン思想宣揚とも受け取れ)
仏説を敷衍して潤色したようなものもあるとは感じています
が、そうであるにせよ 闡提成仏とか広げ過ぎじゃないか?
そも原始仏典て闡提という概念は説かれてますかね
273.智慧は分別したもの、である。
だからして無分別智は、言葉として成立しない。
無分別智として提起する場合は整理が必要である。
馬鹿野園の間抜けっぷり。
>>137「無分別っていう言語は智慧のシノニム」
>>175「智慧には無分別なそれと後得智としての分別智があるのは仏教の常識」
馬鹿野園はシノニムって意味知らないw。 まあ、
>>175「智慧には無分別なそれと後得智としての分別智があるのは仏教の常識」
もおかしいな。
五蘊に分別することは、悟りを得ていなくても理解できる。
釈迦は明らかに分別している。 まあ、
>>175「智慧には無分別なそれと後得智としての分別智があるのは仏教の常識」
もおかしいな。
五蘊に分別することは、悟りを得ていなくても理解できる。
釈迦は明らかに分別している。 276.仏教の常識に騙されるバカどもである。
大爆笑である。
釈迦は、分別智とか、無分別智とか、知恵の種類を説いてはいない、原始経典で確かめてみよ。知恵は知恵だ。
釈迦の説く知恵とは、煩悩を断つ知恵、解脱へ導く知恵のことだ。
その他の知恵は、釈迦の言う知恵ではない。
280.その智慧の内容の問題である。
その内容はーー滅である、か。
大爆笑である。
法念処と法灯明は別の話でしょ?
法灯明は涅槃経にある釈尊の遺言のことばで
法念処は一切事物の無実体を観察する四念処の一つだろ?
なんかデタラメだね
>>273
???
智慧は無分別智と分別知(後得智)って云ってるけど?
> 175 自分:鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO [sage] 投稿日:2020/07/30(木) 11:50:36.72 ID:gzVpOowB [6/44]
> >>173-174
> シノニム(synonym)って意味をよく解析しましょうねw
> 勿論、智慧には無分別なそれと後得智としての分別智があるのは仏教の常識。 >>277
智慧によって分別(後得智)したんだろ?
www >>280
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
知恵じゃなくて智慧な。
そこから始めなさいwww この人やっぱり変だわ。
かなり変わってる。
云ってることが支離滅裂で整合性は無いし、経典の読解力がまるでない無い。
論破出来そうって妄想してることは執拗に何度も同じことを言ってくるけど、こっちからの質問には都合が悪くなると完全無視だもんな。
性格悪そうwww
>>268
>パーリ語のそれが如来蔵思想の形成の準拠を阻害してないって云ってるだろ?
>>234
>仮にそれが漢訳後に付加されたものとしても、それが如来蔵思想の準拠になってること自体は間違いないだろ?
間違いない→阻害してない
しれっと発言内容を変えてますな
姑息な人だ >>266
ID見ることが出来ないのか?
草ばかり生やして壊れてない? >>263
縁起の理法として包括されているというのなら仏教から見ればみな縁起なのだからキリスト教でもイスラム教でも六師外道の説でもみな包括されてることになるだろう
違うというなら部分とは何を指すのか具体的にどうぞ >>293
日本語通じてないな
やっぱり壊れているようだ >>291
???
包括されてるのだから、問題ないだろw
何言ってるんだw >>292
224 名前:鹿野園 ◆VupYVVGZXxPO [sage] :2020/07/30(木) 17:20:19.07 ID:gzVpOowB
仏教論争 「縁起」から本質を問う(ちくま書房) な。 >>296
もうアンタはいいわ
壊れてる人を相手にしても時間の無駄だしつまらん
本の話もどうでもいいぞどうせロクな展開にならないからな
もう落ちるぞ >>295
どこがだよw
なんの阻害にもなってないし、準拠になっている事に間違いないだろ? >>298
もう少し仏教の基本を学んでから出直して来なさい。 >>297
せっかくだからレスしてやる
この背景にはパーリ経典に十二支縁起成道記事そのものがわずかしか見出せないという事情も絡む
こんな間違ってることが書いてある本を鵜呑みにするのはやめとけ
間違いないと阻害してないの区別もつかないような人ではマジ仕方ないな
それに形成の準拠を阻害してないというのも日本語としておかしすぎる
鹿野は少し頭を冷やした方が良いようだな
今日はもう寝ろや >>301
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
いや、それ、学会の定説なんだなぁw 学会の定説とか言っても、学問的な正しさなんて、時代が変われば変わるし、
査読論文だって、結論の正しさというより、論旨が明快で、文章がマトモなら可とかでやっている。。w
そもそも学者ってのは、あんまりバカがいない、というだけで、ちょっとおバカな人はいくらでもいるし、
まあ、天才的なヒトはそもそも学者にはならず、批評家とか思想家になっている。。
というわけで、学会の定説とか信じても意味ないぞ。。w
ま、学者は、誰かさんよりは頭いいよ。。w
しかし、そんなに頭切れる人ばかりじゃない。。
頭よくないから、つまらんお勉強コツコツできる、という側面もあるということだ。。w
さらには、仏教学の権威とか、そういうのは、学問的な正しさじゃなくて、
日本の場合、徒弟制度の中で形成される権威に過ぎないから、信じるに足るものではない。。w
そう言うの信じているのは、一般庶民のみというか、学者はそもそも定説を信じないから、
学問ができる、ということ。。w
定説が無常でない、ということはありえないから。。
だから、本読んで、この人すごいとか思った時点で、おバカというか、騙されているんだよね。。w
おバカな人ほど騙される。。w
>>284
馬鹿野園はほんとバカだな。
自分で持ち出したくせに、シノニムの意味をしらねえのなwww
語源・語形が違っていて、同じ意味をもつ語。同義語。
無分別=智慧と言ってるくせに、
>>137「無分別っていう言語は智慧のシノニム」
無分別≠智慧と言ってる。
>>175「智慧には無分別なそれと後得智としての分別智があるのは仏教の常識」
頭悪すぎて、自分の愚かさを自覚できてねえんだろうな。
本当にバカだなお前。 >>284
馬鹿野園はほんとバカだな。
自分で持ち出したくせに、シノニムの意味をしらねえのなwww
語源・語形が違っていて、同じ意味をもつ語。同義語。
>>137で、無分別=智慧と言ってるくせに、
>>175で、無分別≠智慧と言ってる。
頭悪すぎて、自分の愚かさを自覚できてねえんだろうな。
本当にバカだなお前。 >>285
五蘊に分別することは、バカなお前には無理でも、凡人ででもできるわ。 >>287
論破されて発狂するお前はやっぱりおかしい。
おかしいというか、頭が悪過ぎる。 >>294
いや、別人だぞ。
そっちは俺だ。
お前は妄想認定ばかりしてるから、そんなことになる。 まだ、やっているのw
「無記と無分別」を調べると面白のが出てくる。
それがあっているかどうかは、わかりませんので、検証をよろしく、お願いします。
>>285
そもそも釈迦は凡人に対して五蘊を説いているんだから、明らかに分別を説いてるんだ。
釈迦の教えをまったく理解できていないな、馬鹿野園。 皆様、うちの、チワワ鹿犬山君が、迷惑かけてすみません、、
自演すればするほど、天空寺鬼和尚(栄進糞曹)=天光寺(創価偽寺)暴力虐待偽和尚趙 バレバレ
じゃあどうしたら良いの? 天空寺=天光寺を認める。
朝イチで吹かせられたw
瞬殺された雑魚が徒党を組んでdisってくるのは日常茶飯事だからなんとも思わないが、未だに通信不良のなか、必死になって真夜中にレスとか、どんだけ哀れなんだよ www
>>311
>そもそも釈迦は凡人に対して五蘊を説いているんだから、明らかに分別を説いてるんだ。
www
そりゃそうだろw
>如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
ってある様に、悟りをひらかれてからな。 諸仏の説法は、二諦によっておこなわ れる。
世俗諦と勝義諦とである。
これら二種の諦の区別を知らない人々は、ブッダの教えにおける深い真実を理解しない。
ことばによる説明によらなくては、勝義は説かれ得ない。
勝義にもとづかなくては、ニルヴァーナはさとられない。
(龍樹 「中論」)
あれー、よく観ると文章が無意味に少し違ってるわwww
30秒後に訂正?して連投してらぁwww
320.悟れない馬鹿野園が連投している、か。大爆笑である。
>>317
>>如来、世に出ずるも、及び世に出でざるも、法性は常住にして、彼の如来、自ら知りて等正覚を成じ、顕現し演説し分別し開示す。
それはやっぱり縁起のことなんだけどな
五蘊などに分別して開示したことを言ってるのではない
比丘たちよ、縁起とはなんであろうか。
比丘たちよ、生によって老死がある、という。このことは、如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである。
法として定まり、法として確立しているのである。
それは相依性のものである。如来はこれを証(さと)り、これを知ったのである。これを証り、これを知って、これを教示し、宣布し、詳説し、開顕し、分別し、明らかにして、しこうして<汝らも、見よ>というのである。
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama7051002.html
よって>>317や>>233の鹿野のレスはズレている
それと
お釈迦様がその十二支縁起を悟ったことで成仏したことについて宮崎哲也は「パーリ経典に十二支縁起成道記事そのものがわずかしか見出せない」として3つの経典のみ挙げていたが(それでもチベット律蔵と有部破僧事の2経よりは多いのだが)
長部14経「大本経」、相応部因縁相応4〜9経(以上は過去仏の縁起成道をお釈迦様が語っているのだが、過去仏の行動内容がお釈迦様そのままである。過去仏に仮託して自己の成道を説いたのであろう)、そして昨日も上げた相応部城邑経を入れてない
城邑
http://james.3zoku.com/kojintekina.com/agama/agama70512.html
(十二支ではなく十支で説かれているが縁起成道には変わりはない)
だから宮崎哲也の本に書いてあることを鵜呑みにしてはいけない
また中村元は「チベット律蔵と有部破僧事では、縁起説とさとりとのあいだに本質的な連関は存在しない」としただけであって縁起成道説に否定したわけではなさそうだ それと繰り返すが縁起成道説での縁起の智覚?は後得智に基づくものではない
>>322
>よって>>317や>>233の鹿野のレスはズレている
物分かりが悪くて応用の効かない人だねぇ?
縁起の法とは、釈迦仏教最初期では(十二)支縁起に限定されてたけど、その支縁起の法理から五蘊無我説等が導き出され、その旨を(言語による分節として)分別し、衆生に開示したんでしょうに。 >>322
そもそもねぇ、先程 (十二)支縁起 って書いたけど、それには訳があるんですよ。
経典の中には(通勤中で記憶が曖昧だから数は違うかも知れないけど)、三支や五支、十支縁起を説いてるのもあるんです。
ひいては、それを以って成道後に後得智として(十二)支縁起が形成・加上されたという見解もあるんです。 >>324
そういうのを都合の良い拡大解釈という
元の経典読めばそこでは十二支縁起に限定して仏弟子に教説しているのが明らかなのにな >>325
十支縁起を説いているのが城邑経
それと縁起成道説の他に四諦三明成道説もある
しかしそのいずれをも否定するのであれば経典無視の態度であるといえよう >>322
十二支縁起を思考中にお釈迦様が成道したとすれば、当然に十二として支縁起が確立されるのだから、経典によって支数のばらつき(三、五、十)があるのは不自然でしょ?
であれば、成道後の後得智として支縁起が考察され、後に支数が加上され、最終的に十二にまとめられたというのが自然でしょうに。 自己レス
>>324
>縁起の法とは、釈迦仏教最初期では(十二)支縁起に限定されてたけど、その支縁起の法理から五蘊無我説等が導き出され、その旨を(言語による分節として)分別し、衆生に開示したんでしょうに。
の、
>その支縁起の法理から五蘊無我説等が導き出され、
は、順番として逆と考えるので訂正しておく。 >>326
>元の経典読めばそこでは十二支縁起に限定して仏弟子に教説しているのが明らかなのにな
貴方の言うようにそこではでしょ。
言わずもがな、お釈迦様が説かれたのは縁起のみではないのだから。 十智とか、知恵の分析を始めたのは部派仏教以降だね。加行智・無分別智・後得智、などと言い始めたのは大乗仏教以降だと仏教辞典にもある。
>>327
>しかしそのいずれをも否定するのであれば経典無視の態度であるといえよう
そのいずれもって、他にも諸説ありでしょw >>332
いずれもお釈迦様が説かれた事の解釈や(再)定義化である事に変わりはない。 智慧の、智と慧の違いについて、分析を始めたのも、部派仏教以降だね。
知恵も智慧も知慧も同じ意味だよ。
原語・panna、を訳しただけだから漢字の違いに大した意味はない。
>>335
成唯識論等での玄奘の翻訳スタイルの話かな。
私は智慧と知恵は、分けて使った方が余計な混乱を招かないからそうしてますけどね。
他にも、聴くと聞く、観ると見る、識ると知るとか、先輩にそうしなさいと指導されて覚えた。 犬山君は、無理しているねえ。
幼児性丸出しの方が自然だ。
原始仏教では、智慧と解脱智が全く違う。
解脱智というのは、阿羅漢=仏、になってから備わる智慧で、凡夫の智慧とはまるきり性質が違う。所謂、三明とかの神通力、霊力のことだね。この力は仏になって付く力だから、カルト教団などが騒いでも、身に付けられはしない。
338.阿羅漢も凡夫もない。
あるのは智慧、という要素だけである。
by馬鹿野園が言うことである。
>>339
智慧という要素
具体的にお願いします。 340.馬鹿野園に聞く、が良い。花を持たせる必要がある。
答えられない、であろう、が。
大爆笑である。
>>316
瞬殺された馬鹿野園が吠えてるねえwww。 >>318
馬鹿野園さあ、
釈迦が説いたというソースを求められてるのに、龍樹を持ち出すなよ。
お前の完敗。 >>318
馬鹿野園さあ、
釈迦が説いたというソースを求められてるのに、龍樹を持ち出すなよ。
お前の完敗。 >>324
我も縁起の対象なんだから、我もまた独立した存在ではないことは明確だ。
理解力のないバカだなあ。 >>336
完全論破されたんだから、反省しておとなしくしてろよ、間抜け。
馬鹿野園はほんとバカだな。
自分で持ち出したくせに、シノニムの意味をしらねえのなwww
語源・語形が違っていて、同じ意味をもつ語。同義語。
>>137で、無分別=智慧と言ってるくせに、
>>175で、無分別≠智慧と言ってる。
頭悪すぎて、自分の愚かさを自覚できてねえんだろうな。
本当にバカだなお前。 >>334
だからさ、釈迦が説いたというソースは?
龍樹を持ち出す時点で、ソースがないんだろww。 釈迦が無分別智を説いたというソースを求められて中論を持ち出す馬鹿野園。
そんなバカ事務員が学会を騙るんだから失笑するしかない。
鹿犬山君は、自覚がないようだが、
彼のやっていることは、
基本、けろん、なのだ。
般若心経以降、釈迦のオリジナル仏教が全く変えられてしまった。釈迦の涅槃は、生死輪廻の滅尽であったが、般若心経以降は、生死即涅槃とされてしまったのだ。
道元も「生死はすなわち涅槃なり」と正法眼蔵で、竜樹と同じことを述べている。
釈迦の仏教を知らぬまま、チャイナ仏教を変化させたのがJAP仏教。
釈迦の仏教からかけ離れたJAP仏教を切り捨て、正しい仏教に立ち返る時期だろう。
>>343
その話は説明済。
お前が理解出来たかどうかは別の問題だよ。
龍樹の話は仏教を理解するに善説であり、お釈迦様も善説を勧めてるしな。 >>346
おまえの脳内完全論破妄想に興味はないw >>351
.
Let's analyze!
あなたのログを印刷して、今すぐ精神病院に行こう!
只今、宗教板では Go to 精神病院 キャンペーン実施中です。
. 何度も話すけど、お釈迦様が説かれた事の理解において、大乗も金剛乗も南伝も水平線上にあるんです。
>何であれ善く説かれたものであれば、それは全て 釈尊のことばである
>(『増支部経典=アングッタラ・ ニカーヤ』)
と仰られた様に、その方の仏道の成就に資する事は活用するものではありませんか?
学問的な釈迦(オリジナル)仏教の探究は大事にしても、それは真理探究の部分である事を忘れてはならないのでは?
当たり前の事だけどw
>>351
>釈迦の仏教からかけ離れたJAP仏教を切り捨て、正しい仏教に立ち返る時期だろう。
ないねw
大乗仏教は更に進化するよ。 >釈迦の仏教からかけ離れたJAP仏教を切り捨て、正しい仏教に立ち返る時期だろう。
人にもよるでしょうが、私の場合は、オリジナルを知る事により何故今の教義に至ったかの思想的変遷に疑問を持ち、その探究をする事によって仏教の理解が深まった様な気がしますね。
大乗仏教は思想は、決して砂上の楼閣ではありません。
>>358
>大乗仏教は思想は、決して砂上の楼閣ではありません。
↓
大乗仏教は決して砂上の楼閣ではありません。 >>329
つまり悟ってから後得智が顕現する迄に時間差があるという事ですね?
ブッダが他の阿羅漢達の悟りを自分と等しいとは言ったけど完全に同じだとは言わなかったのもこの時間差を意識しての事なら理解出来ます >>360
でしょうね。
また、そのお悟りか一度だけだったかも私には疑問に思えます。
いわゆる成道後に、更なる禅定の深まりから更なる智慧を磨かれたと思うんです。 阿羅漢の話しが出たらついでにネタの投下だけど、ブッダが複数形で語られてる経典がある事は、後々の大乗思想の萌芽も絡めて、注視すべきかもね。
もちろん、何でもかんでも大乗思想の源流という気はありませんけど。
>>354
お前のレスに基づいて、お前のおかしたことろを明示してるから、さすがの馬鹿野園も反論できず。
反論できなくなると、そうやって逃げるのはいつものことwww。 >>352
>>356
だからさ、
釈迦の教えに沿っているというソースを提示しろよ。
いや、ソースの提示ができないことはもう分かってるから、
間違いを認めてごめんなさいしようね。 論破されると発狂するのはいつものことw。
釈迦が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、龍樹を持ち出すなよ。
これは自演だろうなww。
>>360
自分と等しいとは言ったけど完全に同じだとは言わなかった
>>362
でしょうね。
「自分と等しい」は「完全に同じではない」と意味するという頭のおかしい解釈の提示と同意。
こんな頭のおかしいのは馬鹿野園一人。 >>363
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれているのも知らないとは…。 >>369
善説の話はしたでしょ?
お忘れですか?
www >>370
>釈迦が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、龍樹を持ち出すなよ。
スッタニパータの該当部分を提示済。 >>372
>悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれているのも知らないとは…。
知ってるから問題提起したんだけど? >>373
Aという考え方は釈迦の教えに沿っているから正しい、というのがお前の主張だろ。
で、無分別智という考え方は釈迦の教えに沿っているとお前は主張している。
だから、釈迦が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、龍樹を持ち出すなよ。 >>368
提示された根拠を見てるのに提示されてないとか、精神病院に行きなさい。 >>374
だからさあ、お前が提示したソースはすべて役に立たないと論破済み。
何度も同じこと繰り返すなボケ。 >>376
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていることを知ってるなら、
「後々の大乗思想の萌芽」などという的外れなことを言うはずがないんだが。 >>378
だからさあ、お前が提示したソースはすべて役に立たないと論破済み。
何度も同じこと繰り返すなボケ。 >>377
???
既にスッタニパータの該当部分を例示してるし、二諦という概念を使えばそれがより明らかになるから龍樹の言葉を引用したんです。
そもそも、龍樹を引用してはいけないとか、そんなルール誰が決めたんだよ?
www >>380
同時に複数のブッダを認める事は、南伝では見当たらないだろ? >>382
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
そして、「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、「龍樹」を持ち出すなよ。 >>382
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
そして、「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、「龍樹」を持ち出すなよ。 >>381
>だからさあ、お前が提示したソースはすべて役に立たないと論破済み。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
おいおいおいおい!
役に立つかどうかは、お前の問題だろ?
その引用が無分別智を説いてない事についての反証は、たただ役に立ってないの一辺倒で、具体的に何故無分別智とは言えないとか、一回もしてないだろ?
早く反証しろよ、猿w >>384
十二支縁起の、識→名色で説かれてるだろ?
同じことを何度も言わせるな、猿w >>383
>>366に書かれているだろ。つうか、それもお前かよwww。
まーた名無し工作しようとしたてたのなwww。
敢えて消さなきゃコテは消えないんだから、工作の証拠wwww。 >>386
的外れすぎる。お前の理解力は猿以下だな。
>>387
論理的な日本語でどうぞ。
意味不明。 「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められて、
「龍樹」を持ち出してきて、
「龍樹を引用してはいけないとか、そんなルール誰が決めたんだよ?」
と言い出す。
これが馬鹿野園の知的水準。
>>388
南伝はブッダと阿羅漢を分けてる事は知ってるよなぁ?
それと、著作権の絡みな。 >>391
初期経典の話だろ。
初期は釈迦以外もブッダと呼ばれたとお前が引用した本にも書かれてるだろwwww。
引用したくせに、内容を理解できてなくて呆れる。 >>391
初期経典の話だろ。
初期は釈迦以外もブッダと呼ばれたとお前が引用した本にも書かれてるだろwwww。
引用したくせに、内容を理解できてなくて呆れる。 >>390
で、スッタニパータの該当部分が無分別智でないとの反証はいつになったら始まるのかな?
明治時代までサンスクリット云々のケースみたいに、スルーは瞬殺認定されるぞ?
www >>392
だから、南伝って限定してるだろ?
南伝の意味も知らないのか? >>394
釈迦が無分別智を説いたというのは、お前の主張なのに、お前がソースの提示を求めてるんだ?
所詮は事務員。議論のルールを知らないなあwww。
ソースを提示できないんだから、お前の主張は誤りと判断される。 >>394
釈迦が無分別智を説いたというのは、お前の主張なのに、お前がソースの提示を求めてるんだ?
所詮は事務員。議論のルールを知らないなあwww。
ソースを提示できないんだから、お前の主張は誤りと判断される。 >>395
だから、お前が引用した本をちゃんと読んで理解しろよ。
頭の悪過ぎるやつだあ。 >>395
だから、お前が引用した本をちゃんと読んで理解しろよ。
頭の悪過ぎるやつだあ。 南伝とは、タイやスリランカに伝わる分別説部(異説あり)な。
>>400
だから、パーリ経典のことだろ。
お前はなんでそんな理解力低いんだ? >>397
www
スッタニパータの該当部分を例示したから。
それについて反証がなければ、それが無分別智を説いてるという事で最終確定だなあ。 >>402
馬鹿野園は論破されたことを繰り返すだけになっちまったなあw。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
そして、「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、「龍樹」を持ち出すなよ。 >>401
www
ふーんw
南伝は複数のブッダを認めてるんだぁw
であれば、その部分に関わる大乗仏教の複数のブッダは否定しないんだねー
w >>404
アスペだなあ。
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていたことは、お前が引用した本にも書かれているだろ。
お前はほんと頭悪いなあ。 >>404
アスペだなあ。
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていたことは、お前が引用した本にも書かれているだろ。
お前はほんと頭悪いなあ。 >>403
ソースはスッタニパータって何十回も言わせるな、猿。 >>407
だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>407
だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>407
だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>340
智慧は無知を破壊する手段です。
これは心が正しく準備されている場合
正しい生活を送っている場合のみ適切に機能します。
基本的に身につくと考えられているものは副産物です。
それを獲得するという考え、魅力を感じる傾向がある限り
それを獲得し、完成、自由になる自分というアイディアの支配下にあります。 >>405
あのさぁw
書いてあるにも関わらず、南伝ではブッダと阿羅漢を峻別し、時間的に平行関係にあるそれは認めてないだろ?
アホかw >>408
>だから、お前が提示したのは妄想分別を否定したものだろ。
否定の先に無分別智があるんだろ?
アホw >>412
馬鹿野園は小難しい言葉を使うことに知力をまわしてばかりで、まともな文章も書けないし、理解力も低いw。
> 時間的に平行関係にある「それ」は認めてない
の「それ」ってなんだよ?
他者のとの会話で「それ」を多用するのが頭の悪い証拠。 >>412
馬鹿野園は小難しい言葉を使うことに知力をまわしてばかりで、まともな文章も書けないし、理解力も低いw。
> 時間的に平行関係にある「それ」は認めてない
の「それ」ってなんだよ?
他者のとの会話で「それ」を多用するのが頭の悪い証拠。 >>413
で、
「釈迦」が無分別智を説いたというソースを提示しろよ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
これ何度目? >>413
で、
「釈迦」が無分別智を説いたというソースを提示しろよ。
「妄想」分別がいけないのは当然。
「分別」が良くないなどとはお前が提示したソースのどこにも書いてない。
これ何度目? >>413
馬鹿野園のレベルに落として説明しないと理解できねえか?
お前が提示したソースは「妄想」分別がいけないと言ってる。
しかし、「妄想」分別がいけないことと、無分別智を説くことは違うこと。
釈迦が無分別智を説いたというソースにはなってねえぞ。 虚妄分別の否定とは、対治として無分別智が設定されてる事の証左だろうに。
書いてないから説かれてないとか、余りにも程度か低すぎて話にはならないんだけど。
>>419
程度が低いのはお前だよ。まったく呆れるほど知能が低い。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。 我々は、存在という幻が消えるところまできめ細かく分析するのです。
物事をそのまま、全体的に、大乗が言うように「すべては」とか「一切は」などとまとめて説明することはしません。そんな大雑把でいい加減な説明は、始めからどうせ間違っていますから。
例えばテーラワーダ・ヴィバッジャワーダの人に「ご飯はおいしいですか?」と聞いても、答えません。まず分析してみないと分かりませんから。真理はそんなものです。
ご飯は東洋人には馴染んでいるからおいしく感じられ、西洋人にはやはりパンの方がおいしく感じられるとか、立場によってもころころ変わるものです。
大雑把に「ご飯はおいしい」などと言えないのです。
ご飯がおいしいと感じる人でも、いつでもおいしいと感じるわけでもありません。午後三時の疲れているときには、ご飯よりは甘いケーキの方がおいしく感じるでしょう。時期によってもその人の体調によっても、判断はころころ変わります。
いろいろ分析して考えると、何も確かには言えないのです。
真実を知るためには、分析するしか方法がありません。総体的に大雑把にまとめてみても、いい加減なだけで、何も分かりません。テーラワーダ仏教の特色は、本当に、とことん分析してみるということです。その特色だけは守りましょうということで、「Vibhajjavādī Bhagavā.世尊は分析論者だ」と言います。分析しないでまとめて、「すべては梵我一如」などと言えば、それは邪見・邪教です、と簡単に捨ててしまいます。
森羅万象の中で同じ一つのものはないかと探すのも、またちょっとした心の間違いです。もし真剣に調べて、分析して、同じ・不変の一つのものを探そうとしたら、見つかるのは「無常」ばかりです。あるいは今説明した、積集、相続、老性、無常性の四つの共通項目しか、最終的には見つかりません。
物質をどんなに探しても梵・ブラフマンも我・アートマンも、神も見つかりません。
スマナサーラ長老
>>415
ブッダだろw
つまりだ、原始経典で複数形のブッダが説かれてるという事は、後々大乗仏教で説かれてる諸仏の存在の根拠たり得るって話をしてるんですよ。 >>421
だから、龍樹の二諦の概念を持ち出して分かり易く説明したんだけどなぁ。
それでも分からないのか。
www >>422
ブラフマンって物質を探求して見つけられるものではないから
その方は勉強不足では? >>422
大乗も唯識が五位百法を説き、さらには極微までその考察を深めていって法空って結論付けてるんだけどなぁ。
スマ長老も駒大の院を出てるのなら、そのくらいご存知だと思うんだけど。 >>166
>諸々の汚れと執著のよりどころとを断ち、智に達した人は、母胎に赴くことがない。
>三種の想いと汚泥とを除き断って、妄想分別に赴かない、かれを〈すぐれた人〉と呼ぶ。
これいわゆる無分別智じゃないよね
無分別智(nirvikalpa-jJAna)というのは
「捉えるもの」(grAhaka)=「主体」
と
「捉えられるもの」(grAhya)=「客体」
のない智慧のことだから
>妄想分別に赴かない
ここで妄想分別と訳されてるのはkappa
https://accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/Sn_utf8.html#pts.099
注釈書:欲愛等の破壊するものが、「三種の想い」である。〔そしてさらに〕感官の喜びという名の「汚泥」を除いて、
〔三種の想いと汚泥を〕除いた〔者〕は渇愛・見解・思考のどれか一つ〔について〕でさえも「妄想分別に赴かない」。
(kAmAdibhedaJca saJJaM tividhaM. KAmaguNasaGkhAtaJca paGkaM panujja panuditvA taGhAdiTThikappAnaM aJJatarampi kappaM na eti)
まとめると:
無分別智にないのは二つ(能取と所取)
妄想分別を構成するのは三つ(渇愛・見解・思考)
結論:スッタニパータには無分別智は説かれていない >>421
>むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
だからそれは、世俗諦を説かないと勝義諦が説かれ得ないからでしょ?
そしてその分別(世俗諦)は、勝義諦に於いて虚妄分別として否定されるものでしょ?
だから龍樹は言葉を引用したんですがね。 >>427
>妄想分別に赴かない
それ、無分別智を説いてるでしょ?
分別か無分別しかないのだからw >>429
パーリ仏典:
渇愛・見解・思考が「妄想分別」
大乗仏教:
能取(主体)と所取(客体)で物事を見ることが「分別」(その逆が無分別智) たぶんね、大山氏には「分別」=「主客に二分して考える」っていう先入観があるから理解できないんだと思うわ
分別(kalpa, kappa)って考えることだからね
無分別智は現代語訳すれば「考えない智慧」
パーリ仏典では渇愛・見解・思考について考えないことが良しとされる
大乗仏教では主客に二分して考えないことが良しとされる
前者と後者では「考えないこと」の内容が違う
>>434
「考えない智慧」は道元禅師の言う「非思量底」に相当するでしょ
禅宗一般でいう「無」 435.理解していない、ことを言う。大爆笑である。
>>329
後得智というのは根本無分別智を得た後に得られる智慧
お釈迦様は分別智によって十二支縁起(十支縁起)を悟ったわけで根本無分別智は関係ないのでこの場合後得智を用いるのは不適切と思われる
経典によってバラツキがあるのは後得智によって十二支縁起が形成・加上された説よりも
単に口伝しているうちに増広・整備されて十二に数がまとまっただけと個人的には思っているが
実際がどうなのかはもちろん分からないし知らない >>333
>そのいずれもって、他にも諸説ありでしょw
その諸説は阿含経を根拠にしているの? >>433
前者は無我によって最終的に目撃者としての識別が終わるので
主客を超越すると思いますし
後者は主客を否定することで一元的且つ世界を否定するので
溺愛、見解、思考を却下できると思います。
どちらでも好きなほうをやればいいのでは? >>425
分別説部のスマナサラ信者のたわけたスパムだよ
駒大も昔は馬鹿が行くとこと差別されてたよ >>440
>前者は無我によって最終的に目撃者としての識別が終わるので
>主客を超越すると思いますし
最初から無我だから
悟ってなくても「目撃者」という補特伽羅(puggala)はそもそも存在しない
識(grAhaka)と境(grAhya)という構図は消えないよ 上座部系は法無我を主張しないからね
消えるのは無想定か滅尽定に入った時と涅槃に入った時だけ
初期仏教・部派仏教の教理に疎いのにむやみに大乗の萌芽がパーリ仏典に見られるとやるのは勉強不足じゃ
>主客を否定することで一元的且つ世界を否定するので
>溺愛、見解、思考を却下できると思います。
これはそうかもしれないけど
前者と後者では人無我と法無我についての考えに大きな違いがある >>441
およそ日本であれチベットであれ上座部であれブラフマンを肯定する仏教はないのでは?
中村元先生はもともとヴェーダーンタの研究者だからはっきり言ってバイアスかかりまくりだし
最近の研究では彼の仏教理解は批判されてるよ(cf. 宮崎哲也、佐々木閑『ごまかさない仏教』) スマナサラ信者であるのは確かなトンマべっちょ も
「釈迦は縁起を説いてません」と断言してたが、それは正しい。というのも
スッタニパータには全然説かれてないからだ
その点だけは可。
実際の話、ヴァイローチャナをブラフマン化させたのが華厳と密教の本尊だよ
>>432
www
低次元の頭で適当な判断しないでねーw
無分別智は直観智でしょ?
分別を支縁起に求めれば、無明はともかく、識→名に求められるというのが自論ですから。 446.無分別智も直観智も存在しない。
西田哲学の勉強をせよ。
>>442
法無我は自由意志や行為者問題に繋がるので
確かに釈迦は説かないかもしれませんね。 >>438
>経典によってバラツキがあるのは後得智によって十二支縁起が形成・加上された説よりも
>単に口伝しているうちに増広・整備されて十二に数がまとまっただけと個人的には思っているが
であれば、貴殿の云う十二支縁起の思索の中での成道説は後退し、支縁起の思索の中での成道ってなるね。
さらには、十二支縁起がオリジナルという確証はない事にもなる。 >>423
悟りを得た釈迦の弟子もブッダと呼ばれていただけなのに、
それがどうして大乗に関係するんだ?
バカの妄想は意味不明。 >>424
まーた、それ。
「釈迦」が無分別智を説いたというソースを求められてるのに、「龍樹」を持ち出すなよ。
何度同じこと言われりゃ理解できるんだ? >>426
アビダルマぱくっただけでイキルなよ。
大乗はそんなことばっかりしてるなあ。 >>426
アビダルマぱくっただけでイキルなよ。
大乗はそんなことばっかりしてるなあ。 >>438
>単に口伝しているうちに増広・整備されて十二に数がまとまっただけと個人的には思っているが
つまり、口伝から編集された経典をもってオリジナルとは断定できないと。
まぁ、当たり前だけど。 >>428
世俗諦やら勝義諦やら、釈迦の教えを復元するのに、大乗を持ち出すなよ。
常識も知らないのか、このバカは。
>>429
妄想分別 ≠ 分別
お前はバカなことしか言わないなあ。
お前ほどのバカになると、己の愚かさを自覚できないのな。 >>445
横からだけど、ブラフマン的なところはあるけど、華厳も密教も基体を認めてはないよね。 大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
馬鹿野園は学術的常識を何も理解してない大馬鹿者である。
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
馬鹿野園は学術的常識を何も理解してない大馬鹿者である。
要するに
十二支縁起というのは釈尊のさとりではなくて
後代の教義学者とかのつくった話であった
という事。常識でしょ
>>451
www
あなた、本当に物分かりが悪いねぇ?
私は貴方の仏教便利帳じゃありませんよ?
オリジナルではそうであったと仮定されても、南伝はブッダと阿羅漢は峻別し、過去仏は除いて、お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
で、後に大乗思想が起きてきると、お釈迦さま以外のブッダを説くようになったでしょ?
その源流をブッダの複数形に見ようと云う事なんですよ。 >>459
はいはい、馬鹿は鸚鵡返ししてなさい。
もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
それに対して反証もないし。
この件は確定しました。 >>462
阿羅漢とか言い出したのは後になってからだ。
最初は釈迦以外もブッダと呼ばれていた。
そして、それはお前自身が引用した本に書かれているだろ。
馬鹿野園は頭悪過ぎる。 >>462
阿羅漢とか言い出したのは後になってからだ。
最初は釈迦以外もブッダと呼ばれていた。
そして、それはお前自身が引用した本に書かれているだろ。
馬鹿野園は頭悪過ぎる。 >>463
バカはこれだから。
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
こんな当然ことすら、バカなお前には理解できないのだなあ。 >>463
これも捏造だな。
>もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
>それに対して反証もないし。
何度も反論してる。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
大乗一派は嘘しか言わない。 >>463
これも捏造だな。
>もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
>それに対して反証もないし。
何度も反論してる。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
大乗一派は嘘しか言わない。 >>167で「大乗仏教が、いわゆる釈迦仏教のオリジナルそのものでない事は、一切否定してない」と言ってるくせに
なんで、釈迦が無分別智を説いたとか言っちゃうんだろ?
言ってることが支離滅裂。
「シノニムって意味知ってる? 」とか反論してきたけど、
シノニムの意味を知らないのは自分だとそこは自覚できた様で、
その後、あれほどしつこく連呼していたシノニムは言わなくなったなw。 >>466
>>459
はいはい、馬鹿は鸚鵡返ししてなさい。
もう何十回もスッタニパータの引用部分がそれに該当すると言ってるんです。
それに対して反証もないし。
この件は確定しました。 >>466
>そのソースとして大乗の中論を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
キチガイw
理解の一助として引用したった言ってるだろ?
壊れたなw >>462
>過去仏は除いて、お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
過去仏は除いてないし認めてたけど?
有名な四門出遊の例えは長部経典「大譬喩経」でヴィパッシン仏の話として語られてるんだけど
https://komyojikyozo.web.fc2.com/dnmv/dn14/dn14c00.html
「比丘たちよ、阿羅漢にして正等覚者たるヴィパッシン世尊として世に現れたその者、彼は今から九十一劫〔前〕に生まれました。」
(ito so, bhikkhave, ekanavutikappe yaM [ekanavuto kappo (syA. kaM. pI.)] vipassI bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、かの阿羅漢にして正等覚者たるシキン世尊として世に現れたその者、彼は今から三十一劫〔前〕に生まれました。」
(ito so, bhikkhave, ekatiMse kappe [ekatiM sakappo (sI.) ekatiM so kappo (syA. kaM. pI.)] yaM sikhI bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi).
「比丘たちよ、まさしく〔シキンと同じ〕その三十一劫〔前〕に、阿羅漢にして正等覚者たるヴェッサブー世尊が世に現れました。 」
(tasmiJJeva kho, bhikkhave, ekatiMse kappe vessabhU bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、まさしくこの賢劫のうちに、阿羅漢にして正等覚者たるカクサンダ世尊が世に現れました。」
(imasmiJJeva [imasmiM (katthacI)] kho, bhikkhave, bhaddakappe kakusandho bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、まさしくこの賢劫のうちに、阿羅漢にして正等覚者たるコーナーガマナ世尊が世に現れました。」
(imasmiJJeva kho, bhikkhave, bhaddakappe koNAgamano bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. )
「比丘たちよ、まさしくこの賢劫のうちに、阿羅漢にして正等覚者たるカッサパ世尊が世に現れました。」
(imasmiJJeva kho, bhikkhave, bhaddakappe kassapo bhagavA arahaM sammAsambuddho loke udapAdi. ) >>467
それも二諦の件で説明済w
精神病院二行きなさいw >>469
はいはい、大乗思想はオリジナルの延長線上にあるのよw
じゃなければ仏教じゃないからね。
だからそのくらい継ながりを説明してるのw >>470
論破されるといつもそうやって逃げるよなあ。 >>470
論破されるといつもそうやって逃げるよなあ。 >>471
同じことを何度言われても馬鹿野園が理解できないから繰り返してるんだ。
反省しとけ。
そして、まーた捏造。
何度も反論してる。
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
大乗一派は嘘しか言わない。 >>472
理解の一助??
まーた意味不明なこと言って逃げる。
論破されるといつもそうやって逃げるよなあ。 >>474
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すのは、頭の悪い証拠。
同じことを何度言われても理解できない馬鹿野園。 >>473
過去仏を除いて、お釈迦様以外の仏陀は認めてなかった
は過去仏はお釈迦様以外の仏陀として認めていたの意味と思われ
ともかくその長部の経典も縁起成道説の経典の一つだね >>475
うんうん。釈迦の教えとは違うからなあ。
つまり、釈迦の教えにないことを主張するのが大乗。
馬鹿野園もようやく理解できたようだ。 >>462
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、垂木の〔ごとく〕歪んで曲がり、杖に寄りかかって震えながら行く、病んで青年期を過ぎた老人を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto purisaM jiNNaM gopAnasivaGkaM bhoggaM [bhaggaM (syA.)]
daNDaparAyanaM pavedhamAnaM gacchantaM AturaM gatayobbanaM. )
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、苦しみ、激しく病んだ、自分の糞尿にまみれて伏し、他の人々に起こされ、他の人々に寝かされる病人を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto purisaM AbAdhikaM dukkhitaM bALhagilAnaM sake muttakarIse
palipannaM semAnaM [sayamAnaM (syA. ka.)] aJJehi vuTThApiyamAnaM aJJehi saMvesiyamAnaM. )
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、集められた多くの人々の身体を、また種々に染められた布で作られた駕籠を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto mahAjanakAyaM sannipatitaM nAnArattAnaJca dussAnaM vilAtaM kayiramAnaM. )
「じつに比丘たちよ、庭園の地へ出発したヴィパッシン童子は、剃髪して袈裟衣をまとった出家者を見ました。」
(addasA kho, bhikkhave, vipassI kumAro uyyAnabhUmiM niyyanto purisaM bhaNDuM pabbajitaM kAsAyavasanaM. ) >>473
日本語は分かりますか?
私は
>過去仏は除いて、お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
って書いてるんですが、これは 過去仏は認めてる って意味の日本語なんですよ。 >>477
南伝に於いてって断りを入れて、それを前提に南伝との差異を視座に話をしてるのは理解出来ますか?
お猿さんw 馬鹿野園が自分で貼った
i.imgur.com/K3SFkhd.jpg
に、
仏弟子たちもブッダと呼ばれていた
と書かれているのに、馬鹿野園は何をごちゃごちゃ言い訳してるんだ?
>>479
理解の一助って意味も分からないのですね?
教えましょうか? だから
>原始経典で複数形のブッダが説かれてるという事は、後々大乗仏教で説かれてる諸仏の存在の根拠たり得るって話をしてるんですよ。
というのは過去仏の話だね
>>480
だから、理解出来ないのなら一助って言ってるでしょ?
理解の一助という意味が分からないのですね?
教えましょうか? >>488
なぜ仏滅後数百年に大乗仏教者として現れた人物の著作が「理解の一助」になると思うのか >>487
反論できないほど明確に論破されると、いつもそれだなww。 >>482
お猿さんは 延長線上 って言葉は分かるかな?
教えましょうか? >>490
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すなよwww。
そんなものが理解の一助になると勘違いしてるのが馬鹿。 >>490
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すなよwww。
そんなものが理解の一助になると勘違いしてるのが馬鹿。
>>491
ほんとこれ。
釈迦の教えの話をしてるのに、どうして釈迦の死後500年も経ってから創作されたものが参考になると勘違いしてるのか? >>483
はいはい、>>484を よんで ください ね。
にほんご は むずかしい ですね?
あなたは どちらの くに の かたですか? >>450
>>455
だから最初に縁起成道説の中でも城邑は十支縁起と書いた
要は八支でも十支でも十二支でもいいのだがパーリにも漢訳にもある阿含の縁起成道説を否定して
わずかに「チベット『律蔵』および漢訳『有部律破僧事』の二つをもって縁起成道説を否定するかのような学説と宮崎哲也の中途半端な解説(この背景にはパーリ経典に十二支縁起成道記事そのものがわずかしか見出せないという事情も絡む)が気に入らないだけ
学説の紹介のは何か新しいことを発表しないと本が売れないここで散々書かれていることに通じてるし(しかもその二つの律蔵は新発見でも何でもないだろうし)
宮崎哲也は十二支縁起成道記事以外の少なくとも2つはある十支縁起成道の経典も紹介すべきだし、十二支縁起成道記事は相応部の過去仏のも含めるとあと最低4〜5経はあることを意図的にかどうか分からんが伏せている
こういう偏った書き方が気にくわない
書くのだったら全ての資料を出すべきと思う >>493
ごちゃごちゃ言い訳してる暇があったら、
釈迦が無分別智を説いたというソースをさっさと出せよ。
ソースがないからそうやって言い訳ばかりしてんのは分かってるけどさあ。 >>486
しつこいなぁ?
南伝においてそれが否定されてるだろ?
(過去仏は除いて)お釈迦さま以外のブッダは認めてるないだろ?
その話をしてるの。
ガチで馬鹿だな、この猿 >>484
>>499
馬鹿野園が自分で貼った
i.imgur.com/K3SFkhd.jpg
に、
仏弟子たちもブッダと呼ばれていた
と書かれているのに、なんで
>お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
とか言っちゃってんの? >>461
最初はスッタニパータ三章の二種の観察のような二支縁起?だったのだと思う
上の方で誰かがスッタニパータには縁起が書かれてないと書いてた人がいたが二種の観察は
此(これ)が有れば彼(かれ)が有り、此(これ)が無ければ彼(かれ)が無い。此(これ)が生ずれば彼(かれ)が生じ、此(これ)が滅すれば彼(かれ)が滅す。
の縁起論そのものだから書かれてないということはない >>489
写メ見てねーw
過去ログ読んでから横から入って来てねーw
お釈迦さまのお弟子でありながらブッダって呼ばれてる箇所が経典にある旨が書かれてるから。
読みもしないで横から割り込んで、支離滅裂な妄言するのはやめよーねーw
迷惑なんだよ。
. >>497
全体を読んでないから何ともいえないが、
十二支縁起を否定しているだけで、縁起は否定してないのでは? >>492
w wwww
反証がなければ話はそこで終わりだよw >>505
ソースを提示できない時点でお前の負けだよ。
負けてるくせにイキルのが馬鹿野園w。 >>494
ソースじゃ無くて理解の一助ね。
理解の一助って意味が分からないのですね?
教えましょうか?
wwww 他方仏がパーリ仏典に説かれていると主張するなら
複数形のブッダではなく、他方世界の存在が説かれている経典を持ってくるべきだね
>>508
理解の役に立たねえよwww。
そもそも、お前の主張のソースを出せと言ってるだけで、理解の助けなんて誰にも求められていない。
ま、ソースのつもりで出したら、
大乗が主張する無分別智を釈迦は説いたのか?という議論をしてるのに、
そのソースとして大乗の主張を持ち出すなよwww。
と指摘されて、引っ込みがつかないだけかwww。 >>497
つーか、宮崎哲弥ねw
で、本を丸ごと写メ出来ないでしょ ww
どうこう批判するのは勝手にしても、一読されてから感想するのが大人の嗜みじゃないのwww >>510
宮崎哲也が否定的に書いているのは縁起ではなくお釈迦様の縁起成道説
同様に仏教学者の多くが十二支縁起をブッダの証悟の内容とすることに否定的だ。
この背景にはパーリ経典に十二支縁起成道記事そのものがわずかしか見出せないという事情も絡む。(その後3つの経典しかないと書いている)
(以上引用)
まあ十二支縁起に限定したら書いてあることは6割くらいは正しいかな
十二支縁起というのは後代になって教条的に出来たものだと自分も思っているし >>498
だから、スッタニパータの該当部分を例示したって何十回言わせるんだよ?
本当に認知症なのか? >>514
そういうなら最初から写メしなければ良かったのに
写メに対して誰でも感想は持つものだろ >>515
釈迦の悟りの内容が十二支縁起だったということを否定してるなら、
十二支縁起に関わるものだけしか挙げないのはおかしくはないでしょ。 >>516
だから、
「妄想」分別の否定 ≠ 分別の否定
むしろ、五蘊を説いているのだから、分別を肯定している。
釈迦が無分別智を説いたというソースになるはずがない。
と何度も言ってるだろ。
ごちゃごちゃ言い訳してる暇があるなら、
釈迦が無分別智を説いたというソース出せよ。 >>502
>お釈迦さまのお弟子でありながらブッダって呼ばれてる箇所が経典にある旨が書かれてるから。
それは外道に舎利弗がブッダと呼ばれたという話じゃないの?
それが十方世界の多仏思想と何の関係があるの? >>500
>お釈迦さま以外のブッダは認めなかったでしょ?
>とか言っちゃってんの?
はぁ……、俺はお前の仏教便利帳じゃないだよ?
南伝仏教が教義としてそうしてるのも知らないのか?
もう少し仏教史なりを勉強してからレスをしてくれないか? >>521
馬鹿野園は鶏以下の記憶力だな。
初期は、
仏弟子たちもブッダと呼ばれていた
とお前が挙げたソースに書かれているだろ。
お前の頭悪さがすげえなあ。 >>521
便利帳として使えるほどアナタに知識があれば良かったんだけどねえ(笑) >>518
そもそもの主題は十二支縁起ではなく「後得智」で縁起成道したかどうかだから
鹿野はそう言ってる >>223
自分は否定している
ということ >>520
ほんとな。
何度もそう言ってることは明らかなのに、馬鹿野園と来たらバカの一つ覚えの繰り返しw。 >>520
写メ見ろ。見てからレスしろ。
いちいち解説させるな。
見ないでレスしたのは以後スルーな。 >>520
あ、「外道に」という部分は違うな。
釈迦在世中は、釈迦以外でも悟った弟子はブッダと呼ばれていた。
経典にもそう書かれている。 >>522
だから、それが後に変わってしまっただろ?
その話をしてるんだよ、猿w >>528
このバカは、経典に釈迦以外の弟子をブッダと読んでる箇所があることを知らないようだな。
俺はお前の仏教便利帳じゃないだよ?
wwwwwwww >>526
他の沙門宗教の聖者がブッダと呼ばれていたという説と
十方世界の多仏思想が何の関係があるの? >>524
十二支縁起は成道後の後得智というのが私の主張であり、参考として写メを添付してるんです。 >>527
>あ、「外道に」という部分は違うな。
>釈迦在世中は、釈迦以外でも悟った弟子はブッダと呼ばれていた。
>経典にもそう書かれている。
じゃあその経典を引用して証拠を見せるのが筋でしょ >>531
これよなあ。
釈迦以外の弟子をブッダと呼ばれていたことと、
大乗思想はまったく繋がらない。
>>533
君に対して主張するならそうだが、馬鹿野園相手に言ってたから。
馬鹿野園が貼った
i.imgur.com/K3SFkhd.jpg
に書かれている。 >>531
これよなあ。
釈迦以外の弟子をブッダと呼ばれていたことと、
大乗思想はまったく繋がらない。
>>533
君に対して主張するならそうだが、馬鹿野園相手に言ってたから。
馬鹿野園が貼った
i.imgur.com/K3SFkhd.jpg
に書かれている。 >>530
キチガイw
その趣旨が南伝で変えられて、お釈迦さま以外のブッダが否定されてるだろ?
その話をしてるんだよ、猿w >>531
過去スレ見ろ。
見ないでの質問は以後答えない。 >>532
じゃあ四諦現観で成道した方の仏伝の説を取るの? >>541
え…お釈迦様は四諦を現観して悟ったという筋と
縁起を現観して悟ったという二つの仏伝があるんじゃなかったの…?? >>366
訳がズレてるな
スッタニパータ386
スッタニパータ1126
上のパーリ原文つきの中村と正田の訳を読んで釈迦教団にはブッダと呼ばれた人が複数いたんだと解釈する人はかなり少ないと思うよ >>541
悟りの内容は十二支縁起でないと言うなら、じゃあ何?と聞かれるのは、ごく普通の話の流れだろ。
いつも一人で吠えまくってるのに、
たまに誰かに聞いてもらえると、何で途端に黙るんだ? >>543
……今その話をしなければならないの?
(二回目) >>546
そりゃそうでしょ
それとも種本が手元にないとお喋りできないのかな? >>542
んで舎利弗や摩訶迦葉は大乗仏教で仏にはなってないわな >>544
そうか?
中村訳でも「諸々の<目覚めた人々>」と訳されているし、<目覚めた人>=ブッダだとも書かれているが。 >>548
正田訳でも、「覚者たち」となってるが。 >>548
wwww
あなたねぇ、程度が低いんだよ。
そもそも自ら原文に当たったの?
テーラガーターは?
サンユッタ・ニカーヤは?
島田さんの論文は?
並川さんの論文は?
その程度で結論付けるのは貴方の勝手だろうけど、私への説得材料にはならないなぁ。 >>553
そうやって、誰も聞いてない話で吠えるくせに、
なんで、聞かれると、
>>546
のように逃げるんだ? >>554
写メも見ないで横入りして面倒だからだよ。 >>555
見たけど
知らないから答えられないんでしょ? >>555
i.imgur.com/K3SFkhd.jpg
を理解せずに意味不明なこと言ってるのはお前だろ。
で、
釈迦以外の弟子をブッダと呼ばれていたことと、
大乗思想はまったく繋がらない。 >>551-552
スッタニパータ386は鹿野が貼った写メにも書いてあるが理想の覚者像を比丘たちに説いた教え、あくまで像、思い描くイメージ
その思い描くイメージとしての諸仏が当時の釈迦教団にいたと書いてあるわけではない
1126の方はbuddhaseṭṭhaṃは最高の覚者(ブッダ)でお釈迦様一人に限定されている >>556
あなた、宮崎哲弥さんの本は一瞥しましたか?
その本ではまさにその事について論じられており、諸説の紹介も当然にされているんですけどね。
で、知らない、とw
そうした低俗な煽りに興味はありませんから。 >>553
話を広げて誤魔化そうとする意図が見え見えだよ >>557
私は萌芽を見れると思ってますが、否定する以上、反証してもらいたいねw
勿論、出来ればの話しだけど。 >>560
wwww
写メにあるテーラ・ガーターやサンユッタ・ニカーヤは無視か?
wwww >>559
で、その本で縁起成道説を紹介ではなく真に否定している学者は三枝充悳以外誰か挙げられてる? >>559
馬場紀寿先生の『上座部仏教の思想形成―ブッダからブッダゴーサへ』は持ってるけど
宮崎哲弥の種本って馬場先生の本か何かでしょ?
で、知らないから答えられないだけの話でしょ >>561
「反証」って何でしょうね
少なくともいくつもの観点から「反論」されてるけど
アナタはそれを認めず話しを逸らして、後になって「それは反証されてない!」って言い続けるだけの話でしょ >>562
鹿野自身が原文に当たってないのが写メを見ただけで分かるわ
テーラガーターのはブッダ複数説に対するかなり無理筋のある想像しか書いてない
サンユッタニカーヤの方も善逝はあくまで理想像として語ってるだけだろうに
と余計にブッダ複数説の根拠になってないから当たらなかったのだがそこまでいうのなら当たってみるかな >>558
諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない、って
理想でもなんでもないでしょ。
悟った人たちの日常生活を記述してるだけ。 >>558
諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない、って
理想でもなんでもないでしょ。
悟った人たちの日常生活を記述してるだけ。 >>561
だから、
釈迦以外の弟子をブッダと呼ばれていたことと、
大乗思想がどう繋がると妄想してるのかすら、
こっちには意味不明。
他の人からも質問されてるのに、逃げてばかりなのはお前だろ。
お前の主張の根拠を示すのはお前だぞ。
根拠がないなら当然却下される。 >>561
だから、
釈迦以外の弟子をブッダと呼ばれていたことと、
大乗思想がどう繋がると妄想してるのかすら、
こっちには意味不明。
他の人からも質問されてるのに、逃げてばかりなのはお前だろ。
お前の主張の根拠を示すのはお前だぞ。
根拠がないなら当然却下される。 >>561
だから、
釈迦以外の弟子をブッダと呼ばれていたことと、
大乗思想がどう繋がると妄想してるのかすら、
こっちには意味不明。
他の人からも質問されてるのに、逃げてばかりなのはお前だろ。
お前の主張の根拠を示すのはお前だぞ。
根拠がないなら当然却下される。 >>564
そうかそうか、精神病院に行きましょうねw >>569
だから、南伝の教義ではブッダはお釈迦様一人で他を認めてないけど、オリジナルと大乗では複数のブッダを認めてるという共通性があるでしょ?
それさえも理解出来ませんか? >>576
だから、
>南伝の教義ではブッダはお釈迦様一人で他を認めてない
というのは、初期は違うということが、
お前自身が提示した本に書かれている。
ちゃんと読んで、理解しとけ。 >>576
だから、
>南伝の教義ではブッダはお釈迦様一人で他を認めてない
というのは、初期は違うということが、
お前自身が提示した本に書かれている。
ちゃんと読んで、理解しとけ。 >だから、南伝の教義ではブッダはお釈迦様一人で他を認めてないけど、オリジナルと大乗では複数のブッダを認めてるという共通性があるでしょ?
真面目に知能指数を疑いたくなるレベル
本当に大学出たのかなあ
>>579
だから、それは後の時代の話。
初期はブッダとは釈迦限定ではなく、悟りを得た仏弟子の呼称だった。 >>567
まだ諸仏にカウントされない比丘たちへ諸仏とはこういうものだという説法
お釈迦様はバラモン相手にも古の真のバラモンはこういうものだと説法していた
もちろん古の真のバラモンはそこにはいない >>574
自分から本持ってきておいて説明できないんだね
だったらもってくんなや >>585
修行者は時ならぬのに歩き廻るな。
諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。
は理想じゃないだろ。
そうやって生活してるという日常の描写。
これを理想と言い張るのはどうかと思うぞ。 >>582
パーリ仏典内で阿羅漢の仏弟子をブッダと呼ぶことはないし(ブッダーヌブッダ[仏に随って目覚めたもの]とは呼ぶ)
ましてや正等覚者(サンマーサンブッダ)と呼ぶことはありえないよ >>588
定められたときに、托鉢のために村に行け。
ってだけだろ。
悟りを得た釈迦の弟子はそんなことしない。見てみろ。
どう読んでも、そういう日常の注意。 >>589
だから、実際の経典に基づいて示してるだろ。
そして、馬鹿野園が貼ったソースにも、弟子がブッダと呼ばれたと明記されてる。 >>586
オリジナルは同時に複数のブッダがいると認めているというのはアナタの解釈でしょ?
それを「論証」するには他方世界の存在をパーリ仏典の中で探さないと
一世界一仏はすべての仏教の原則だから >>591
『イシバーシヤーイム』だからジャイナ教徒からね レス番間違えた。
>>585
定められたときに、托鉢のために村に行け。
ってだけだろ。
悟りを得た釈迦の弟子はそんなことしない。見てみろ。
どう読んでも、そういう日常の注意。
決まった時間にだけ托鉢に行くなんて、初歩的で誰でも守れるルール。
理想ではない。 レス番間違えた。
>>585
定められたときに、托鉢のために村に行け。
ってだけだろ。
悟りを得た釈迦の弟子はそんなことしない。見てみろ。
どう読んでも、そういう日常の注意。
決まった時間にだけ托鉢に行くなんて、初歩的で誰でも守れるルール。
理想ではない。 >>371
宗旨も違う別人だが お前の偏見たっぷりの脳味噌じゃそんな風に見えるんだろうな >>596
そうなんだ。
「自分と等しい」は「完全に同じではない」を意味するという解釈は
馬鹿野園レベルに頭がおかしい。 >>575
テーラガーダ
679.(679) 彼は、覚者(ブッダ)に従い覚った者、強烈なる勤勉者――コンダンニャ長老は、生と死を捨棄した者であり、梵行についての全一者である。
http://aranavihaara.web.fc2.com/arana-khuddaka-8.html
これを
theragāthā 679 buddha
でスマホ検索してもヒットしないようだ
鹿野は原文当たってるんだろ?写メUPしてるくらいだからな(鹿野の論だと原文読まずして写メUPしないよな)
そこには何と書いてある?
サンユッタニカーヤについても同じだ
鹿野は当然読んでるんだろう?
写メのサンユッタニカーヤ6.1.9.8などという紹介では相応部の何相応なのかも全く分からん
そんな順番ないかなな
だから何相応かまず教えたまえ願わくば >>588
そうやって弟子を励まし諭しているのだよ
あなたも諸仏に倣ってそうしなさい、と
>>590
諸仏がそうする(定められた時間に托鉢に行く)のだからあなた方仏弟子たる比丘たちもそうしなさいと諭している
修行者は時ならぬのに歩き廻るな。
定められたときに、托鉢のために村に行け。
時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。
それ故に諸々の(目ざめた人々=諸仏)は時ならぬのに出て歩くことはない。
>>591
呼ばれたのではないかという憶測しかその写メには書いてない
ジャイナ教徒が舎利弗などを仏陀実際にと呼んだ場合を除いて >>597
あーbuddhAだから諸仏ね
でも比丘は「歩かないように」と願望法だけど
諸仏は現在形だね
ちなみに現在形は多義的であって
>現在形は、単に現在の事実だけでなく、「〜することになっている」という習慣的現在や、
> 「〜しつつある」という現在進行形の意味もあり、
>さらには、「〜しましょうか」など近い未来を表したり、
> (特に仏典の釈尊に関してなど)過去のことであっても現在形で表すことがあります。
https://www.manduuka.net/pali/basic/index.cgi?no=3
習慣的に訳したのが正田先生の「それゆえに、覚者たちは、時ならざる〔時〕には〔村を〕歩まないのです。」だろう
ここは正直、仏弟子の阿羅漢をブッダと呼んでるとも解釈できるけど、どうなんかね >>600
だからさ、
定められたときに、托鉢のために村に行け。
なんてのは、理想でもなんでもない。
守って当然のルール。 >>600
だからさ、
定められたときに、托鉢のために村に行け。
なんてのは、理想でもなんでもない。
守って当然のルール。 >>422
長老がその程度の理解だというのは幻滅するにはもってこいですね? >>602
君の主張は理想であって日常の記述ではない。
だから、弟子はブッダと呼ばれていなかった。だろ。
でも、定められた時間に、托鉢のために村に行け。なんてルールは理想ではなくて、守って当然のルール。
だから、君の主張は間違ってる。 >>602
君の主張は理想であって日常の記述ではない。
だから、弟子はブッダと呼ばれていなかった。だろ。
でも、定められた時間に、托鉢のために村に行け。なんてルールは理想ではなくて、守って当然のルール。
だから、君の主張は間違ってる。 >>604
守って当然のルールだったらわざわざ説法しない
諸仏を出してきたのは『現代なら「いい子の皆さんはそうするのだよ」と言う』のと同じようなもんと思う >>607
守って当然のルールをするような人達をいちいち仏陀と呼んだりしないということ
でその詩句の意味はそういうことではない
君たちも仏弟子であり諸仏の仲間入りしたかったらまずこんなことから守ろうねという説法だと思う >>608
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が守って当然のルールではなく、
理想だとあくまで言い張るのか?
馬鹿野園レベルの間抜けな主張をこれ以上繰り返すなら、相手にするの終わりにするけど。 >>609
まともな弟子は当然守ってるよ。
修行を完成させた弟子はもちろん守る。 >>609
まともな弟子は当然守ってるよ。
修行を完成させた弟子はもちろん守る。 とにかく釈迦教団の中でお釈迦様を除いて仏陀と言われていた人がいたという確実なる証拠は知らない
お釈迦様が自らを阿羅漢と称したこともあるのは知っている
>>611
修行を完成させた阿羅漢は500人いたのだがその人達はみな仏陀(仏)と呼ばれていたと思う? >>614
>>558で「理想の覚者像を比丘たちに説いた教え」と言ったのはお前だろ。
で、
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が守って当然のルールではなく、
理想だとあくまで言い張るのか? >>614
>>558で「理想の覚者像を比丘たちに説いた教え」と言ったのはお前だろ。
で、
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が守って当然のルールではなく、
理想だとあくまで言い張るのか? >>615
呼ばれていたと思うが。
もともとブッダの意味からして、目覚め=悟りだろ。 >>613
お前が出してきた経典にそう明記されてるだろ。 >>587
たかが千円もしない本だろ?
買えよwwww >>619
これが確実なる証拠なら仏教学界がひっくり返るレベルだよ >>616
初心者への心構えとしてそれが諸仏(理想像)の生き方であるから汝らもそうするようにと説いたということ
>>618
そうか
しかし思うのほ勝手だが証拠は挙げられるか?
>>619
スッタニパータのことか?
お釈迦様以外の誰かを直接ブッダなどと書かれてないだろ >>621
すでに主張されてる説だから、今さらひっくり返るも何もねえよ。
で、
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が守って当然のルールではなく、
理想だとあくまで言い張るのか?
言い張るなら、相手するだけ時間の無駄だから終わりにするけど。
というか、直近のやり取りはすでに無意味でイライラしてるんだが。 >>620
パラマッタジョーティカーの全訳が1000円で買えるなら自分用と保存用と布教用に3セット買うけど
哲ちゃんの私見でまとめられた論争史の概観に1000円は出せない >>622
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が理想???
いや、そんなの守って当然。
どうも、お前も馬鹿野園レベルの間抜けな主張をする奴のようだ。 >>622
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が理想???
いや、そんなの守って当然。
どうも、お前も馬鹿野園レベルの間抜けな主張をする奴のようだ。 >>623
定説にはなってないだろ?
他の三蔵と照らし合わせて主張しないとただの一意見に留まるよ >>620
Kindleで買ったけどやはり縁起成道説に正面から反対してたのは三枝だけだったわ
鹿野は僅か一例を持ってきて縁起の分析は後得智としているのも確認できたぞ
しかもこの場合根本智がないのに後得智としているので後得智とはないか分かってるのかと疑うレベルの発言をしているのだよアンタは >>627
ブッダのそもそもの意味からして、釈迦に限定する必要性が皆無。
悟りを得た弟子も含めて呼んだほうがむしろ自然。 >>626
初心者に対する心構えということをお忘れなく
それと仏弟子も仏陀と言われていた明確な証拠の提出もお忘れなく >>632
馬鹿野園じゃあるまいし、同じことを何度も聞くな。
読み直せ。 >>630
それは君が思ってることで、歴史上ではそうではない
鹿野の写メなど憶測しか書かれてなく仏陀複数説の証拠にはならん >>632
初心者だろうが、「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」と言われりゃ、普通は守るだろ。
なんで、そんな簡単なことが理想になるんだ?
馬鹿野園じゃあるまいし、同じことを何度も聞くな。
読み直せ。 >>634
お前の主張は間違ってる。
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」なんて簡単なルールを「理想」とは…。
お前のレベルは馬鹿野園並みだな。 馬鹿野園が馬鹿なのは知ってるから、馬鹿野園が愚かなのは知ってるが、
他の連中まで馬鹿野園レベルのバカとは…。
>>638
だから他の仏典と付き合わせて論証せんから定説にならんのでしょうが >>635
簡単なことだったら一々それが諸仏の道であると勿体ぶって比丘に言わないだろう >>637
さっきから同じこと何回レスしてんの?
ひょっとして分裂気質なのか? >>639
鹿野よ
>>638はアンタと同意見で仏陀複数論を唱えているようだぞ
仲間が出来てよかったな >>640
反論する主張の根拠が「理想の記述であって現実の記述ではない」なんだから、呆れるしかないだろ。
お前も反論したいならまともな根拠に基づいて反論しろよ。
>>641
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」がもったいぶって言うルールだと??
>>642
ネットワークがおかしいとすでに言ったろ。
時間見りゃ手動で連投してないことくらい分かるだろ。
>>643
お前言うことがいちいち馬鹿野園レベルだな。 >>445
マハー・ヴァイローチャナ=宇宙を編まねく照らす光の本質は空としか定義されて無いし 釈迦族が日種族又は太陽の末裔を名乗っていたから
釈迦をこの世に遣わした釈迦よりも偉大な存在としてのヴァイローチャナ→より偉大なマハー・ヴァイローチャナとして変遷して行っただけだよ
ブラフマン化させるなら釈迦ー梵天同体説にならないとおかしいでしょ? 最もその場合は大梵天をも平伏させた神より偉大な天人師というブッダの称号と論理的に矛盾するから 神より偉大なブッダの神格化はどうしたって避けなきゃならないんだよ
だからブッダよりも偉大なブッダにするしかないし 原始経典の中にも三身について語られてる経典が有るから応報法の三身の位相の異なるブッダが登場して来るのもある意味自然な事じゃないかな? 馬鹿野園2号は
「定められた時間に、托鉢のために村に行け。」が守って当然のルールではなく、
理想だとあくまで言い張るのか?
にさっさと回答しとけよ。
言い張るなら、そこで終わりにしてたわ。
結局、バカの相手してイライラするだけだった。
バカの相手は時間の無駄。
>>628
嘘つくな。
仏教学者の多くが否定的とは書いてあっても、正面から三枝先生が反対云々とか書いてないぞ。
書いてあるというのなら、マーキングして写メ送れよ? 多くの仏教学者が否定的で、三枝先生が特に痛烈に批判してるって趣旨だろうに。
>>598
訳文にはほぼ等しいと有ったが完全に同じだとはされて無かったからな
ブッダの言葉を真面目に学ぼうとする人達は細部迄徹底的に調べるし お前みたいに大雑把な捉え方しか出来ない発達障害者には仏教は向いてないから他の単純な宗教にしとけば?
端から見てても自分が何を言われてるのかさえ理解出来ない癖に無駄にしつこいんだよ お前は
お前の出しゃばりで議論のレベルが物凄く下がるから発言を控えててくれたら有り難いんだけどな
単に大乗を否定するんじゃなく せめて上座部の体験修行でもしてれば 此処まで対話が成立しないなんてあり得ないぞ
何にも解らない癖に背伸びしてるのが見ていて痛々しいわ 少し整理してみようと思う。
先ず、私は言語による分節が虚妄分別を生じるという視座に立ち、その解体が仏道の成道に資するという立場です。
その上で、十二支縁起でいう識→名色について、識とは言語による分節と思うので、かかる意味に於いて、マントラは言語による分節を離れた言語(真言)として、名色という虚妄分別を解体する手段として有効ではないかと思うんです。
ひいては、題目も称名も(理致の)公案も読経も、非言語の言語として虚妄分別を解体すると思うんです。
651.言語による分節は中立的なものである。
真理の表現ともなる。
バカには理解できない。
大爆笑である。
>>645
385 (師は答えた)、「修行者たちよ、われに聞け。煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。汝らすべてはそれを持て。目的をめざす思慮ある人は、出家にふさわしいそのふるまいを習い行え。
386 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。定められたときに、托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。それ故に諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。
387 諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは、ひとびとをすっかり酔わせるものである。これらのものに対する欲望を慎んで、定められたときに、朝食を得るために(村に)入れよ。
388 そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば、ひとり退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い、こころを外に放ってはならぬ。
389 もしもかれが、教えを聞く人、或るは他の修行者とともに語る場合があるならば、その人にすぐれた真理を示してやれ。かんげぐちや他の誹謗することばを発してはならぬ。
390 実に或る人々は(誹謗の)ことばに反発する。かれらは浅はかな小賢しい人々をわれは称賛しない。(論争の)執著があちこちから生じて、かれらを束縛し、かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。
391 智慧のすぐれた人(ブッダ)の弟子は、幸せな人(ブッダ) の説きたもうた法を聞いて、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水とを、よく気をつけて用いよ。
392 それ故に、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水、──これらのものに対して、修行者は執著して汚れることがない。──蓮の葉に宿る水滴[が汚されない]ようなものである。
http://hosai02.la.coocan.jp/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
一連の流れの中で読みなさい
お釈迦様は煩悩を抜き去る修行法を説いて聞かせよう出家に相応しいその振る舞いを習い行えとして
最初に例の386を説き「時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。」定時に出かけるのはそのためである。
387では定時に托鉢のために村に入る時の心構えを説いている。
以下も煩悩を抜き去る修行法を一つ一つ説いている。
その流れを知っても「386で言ってることなんて当たり前だろ何が煩悩を抜き去る修行法だなどと思ったら」お釈迦様に対する侮蔑と言ってもいい
ネットワークがおかしいのは分かってる
その分を差し引いても13回も質問してきてるぞ少し粘着過ぎるな
あと君の>>581も根拠は鹿野の写メしか出してないよな
釈迦教団内では多分ゴータマブッダ以外にもブッダと呼ばれていた修行僧がいたことがこれこれの経典から「推測される」までしか書いてない写メではあるが
スッタニパータ386も然り
まあいい
君とのレスの応答もこれで最後だ
とても付き合っていられんからな
今後君はあぼーんするするからそのつもりで
というよりも君のような粘着君がいるこのスレにはもう来ない オリジナル仏教では無分別(智)を説いてないというのはありません。
虚妄分別の対治として無分別(智)が要請されるのは道理ですし、先に引用したスッタニパータからもその事は伺えます。
なお、分別には善・不善・無記があり、善の分別は仏道の成就に資するにしても、言語による分節に変わりはありませんので、いずれは解体される対象となると思うんです。
654.言語による分節、が解体される、か。
バカ丸出し、である。
大爆笑である。
次にブッダ複数説ですが、古層の経典でブッダが固有名詞ではなく普通名詞として扱われ、また複数形で表現されていたのは紛れもない事実です。
詳細は写メや並川先生や島田先生の著述が参考になると思います。
その上で、古層の経典で見られた複数形のブッダが、次第に阿羅漢と峻別されるようになりお釈迦様その方のみを指すようになりながらも、大乗思想の発生とともに再び複数形、お釈迦様以外のブッダを肯定・積極的に認める様になった事に、大乗思想の一源流を感じたわけです。
656.ブッダ複数説は関係がない。
重要性がない。
バカには理解できない。
大爆笑である。
>>649
三枝の、第二次論争の頃の評説の底には「『縁起』説を初期仏教思想の中心に据える」学界の趨勢や一般的思潮に対する強烈な焦燥が蟠っている。
彼にしてみれば、それが文献精査に基づく思想史的考察を欠いており、独断や偏見が横溢していて、とても学説とはいえない代物ばかりなのである。
私はさらに、その苛立ちの深奥に時代の思潮に対する三枝の危機感が窺知できるように思うが、それは第四章以降に詳述する。
それにしても三枝の「縁起はブッダの悟りの内容ではない」という見解は、前章でみた「十二支縁起は仏教の心髄」とするアルボムッレ・スマナサーラや「縁起を考え続ける人こそがブッダ(目覚めた人)」と説く松本史朗の見解とあまりに鮮やかな対照をなしていて、今日でも十分に刺戟的だ。
とあり、三枝のその主張に一定の理解を示す学者は宮地廓慧がいたくらいで三枝は孤立していたと後の方にも書いてあるな
同様に仏教学者の多くが十二支縁起をブッダの証悟の内容とすることに否定的だ。
と書いてあってもその否定的な仏教学者の名前で出てくるのは三枝とそれに全面的ではないにしろ理解を示す宮地しかいないのではな
他に名前が出ている和辻とか宇井とかほ特に否定してないだろ?
これがこのスレでの自分の最後のレスになる
鹿野は粘着君とお互い暇つぶししてれば良いと思うぞ
鹿野が望むのならば、だが 南伝 聖求経
漢訳 羅摩経
この経には、最初の弟子達、所謂五比丘達が釈迦の弟子になった経緯が説かれている。
最初にコンダンニャが真理に眼を開き、やがて五比丘皆が聖者になったと、説かれている。
釈迦が亡くなって、第一結集で経典が編纂されたわけだが、それには五百人の阿羅漢が参集したという。
悟りを得た者でなければ、この経典編纂会議に参加する資格がなかったわけです。
660.資格審査はだれがやった、のか。
大爆笑である。
資格審査は、阿羅漢がやったのだよ、愚か者よ。
阿羅漢には、悟った者と悟らない者とが、即座に見分けられるのだよ。
覚えておきなさい、愚か者よ。
無分別智とか後得智などの理屈は、大乗経典から言われたのであり、パーリ聖典や阿含経典には出て来ない。
妄想分別は、勿論、無分別智関連ではない。
>>658
去る者を追う訳ではないですが、十二支縁起はブッダの証悟の内容でないというのは中村元氏あたりでも(はっきり言わないだけで)
わかっていたと感じます。というのは、スッタニパータでも十二支縁起は説かれておらず後代の説というのは自明であり、それからも
二支縁起がブッダの証悟のほんの一部だったとわかるからです。というより、ブッダのさとりとは、世俗の者に対機説法で与えた枝葉ではなく、もっと巨大な さとりの智慧そのもの
では?と感じます。無我も同じですが残骸でしかない痕跡の記録に固執し過ぎでは? >>658
なんの冗談かは存じませんが、奉加帳でもあるまいし、賛同者の氏名をいちいち列挙するわけないでしょ?
ひいては反対者の名前が列挙されてる訳でもないし。
万が一、私はそんな事を言ってませんってなったら面倒でもあるし。
多数とある以上、多数でしょう。
ちなみに、並川先生や島田先生も否定派ですけどね。 >>651
>私は言語による分節が虚妄分別を生じるという視座に立ち、その解体が仏道の成道に資するという立場です。
要するに哲ちゃんのエピゴーネンというわけね
しかも哲ちゃんと同じでサンスクリットもパーリも読めない、と 論破するのに3スレもあれば十分だが 教えてはならない。w
同じ世に二人の阿羅漢は現れない、とかもあるが、第一結集には五百人の阿羅漢が参集した。面白いことに、多聞第一の阿難は、釈迦生前中には悟れず、第一結集直前に、座長を務めた大カッサバによって、悟れている。
般若心経の「無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道」を見れば、釈迦の悟りの内容が、十二支縁起と四諦であることを、十分に理解した上での、心経であることが分かる。
しかし、この心経が釈迦のオリジナル仏教を発展させたものか、歪めたものかは分からない。
ほんとうに何も分からない方が書き込みしてますね。ブッダシャキャムニは
十二支縁起など説いていませんよ。二支縁起に当たる内容は説き、後代の学者等が発展
させたのですよ。心経を説いた大乗の菩薩も十二支縁起成立の事情を知った上で
無無明亦〜と説いたのかも
レス169 >八頌品と四ニカーヤの間には、阿含と大乗経典の間の飛躍以上の飛躍があります
というのは全くその通りで、二支→十二支縁起等への発展を巧く言い表してる印象を受けます。
四諦ですら後代の教義学者の仕事であるようで、全て体裁よく纏めたディスクールへの執着から
の離を(つまり概念でなく仏の智慧だよ、と)示唆してるのでは?
八頌品というのはスッタニパータ4章のことで最古層に属する詩句で、他に5章と1章が古層
に属するものとされてるようです
中村先生は八正道についてもゴータマ・ブッダが説いたか疑問としています。
八正道は例えば相応部とそれに応対する雑阿含の二つで説かれており、異なる部派のアーガマで共通しているということは、結集の時に確認された教えであります。
もし八正道が非仏だとしたらどういう結集を経て各部派に共通する八正道の教えが誕生したというのでしょうか? スッタニバータなどは、ダンマパダみたいに釈迦の教えのその他に属するもので、悟りとはあまり関係ない。釈迦の教えの肝心なるものは、四苦八苦の滅尽である、涅槃を得ることだ。
それが悟りだ。南伝小部経典 自説経に、十二縁起が悟りの内容だとはっきり説かれている。
>>673
>>674
中村元先生はヴェーダーンタの色眼鏡で原始仏教を見てるから
八正道も要らないんだろう 四諦の道諦とは八正道のことだと説明している解説書がほとんどだが、阿含経典を読むと、疑問が生じる。阿含経では、念処正断神足根力覚道を修行して苦滅を得よ、と釈迦が弟子に説いている。このことから、道諦とは、所謂三十七道品のことだと思われる。
四諦の道諦が八正道だとして、八正道だけで苦滅が得られるのならば、四念処四正断四神足五根五力七覚といった修行法は不用になる。それはあり得ない。
阿含経では、修行法を道品法とも呼ぶ。道諦とは道品法=修行法のことと解釈すべきだね。
修行は肉体派がやる、ことである。
さとれば修行はない。
バカには理解できない。
大爆笑である。
>>677
そのまま逆にすれば、
四諦の道諦とは所謂三十七道品のことだと主張する人もいるが、
釈迦は八正道を説いているため、疑問が生じる。
このことから、道諦とは、八正道である。
になる。
お前らの主張は根拠と論理に欠ける。
つまり、頭が悪いんだろうな。
もっと、賢い奴はおらんのか?
まともに議論できる奴がいない。 >>677
そのまま逆にすれば、
四諦の道諦とは所謂三十七道品のことだと主張する人もいるが、
釈迦は八正道を説いているため、疑問が生じる。
このことから、道諦とは、八正道である。
になる。
お前らの主張は根拠と論理に欠ける。
つまり、頭が悪いんだろうな。
もっと、賢い奴はおらんのか?
まともに議論できる奴がいない。 八正道がどうのこうの、
六波羅蜜との違いはああだこうだ。
知識をいじくりまくって、
実行してんの?と聞かれたら、
知りませんーーーー興味ありませんーーーーーーーン。だと
知識馬鹿の集まりスレかいな。
確かに、道諦とは八正道だと説いた経もあるが、それは三十七道品のことだと解釈すべきなのだね。三十七道品とは、念処正謹神足根力覚道という七科の修行法の合計数のことだね。
この七科の最後がいつも八正道で終わる。
つまり、道諦とは念処〜八正道という意味だ。
もしも、釈迦の「道諦とは八正道だ」との言葉を聞いて、道諦とは八正道だけのことだ、と思った弟子がいたら、馬鹿者だ。
他の場所では、念処〜八正道を修行して悟れと説いているからだ。道諦とは八正道と説く場合には他の修行法を省略しているのだよ。
七科三十七道品というが、当初は三十七の数は無かったと研究者はいう。次第に数が増えて来て、最終的に三十七になったという。パーリでは数が出ていないのが普通だという。が、七科は当初からあったらしい。道諦が八正道という場合には、他の六科は省略しているのだよ。
スリランカでは四念処観から不浄観が除かれてるそうですが、
そうすると三念処になって三十六道品ですか?
また正定といっても、タイとスリランカでは流儀が
異なるようですね
>>686
四念処は身・受・心・法を観察するものだけど
身念処が不浄に対応する とある雑誌を読んでいたら、大乗を称する仏教圏の仏教徒率よりも、大乗から小乗と呼ばれた仏教圏の仏教徒率が遥かに高いという記事がありました。
勿論、その問題は複合的な視座から見ていかないといけない事ですけどね。
関係ない話かもしれませんが、法隆寺に伝わる貝葉(今は国立博物館で保管かな)のお経は、世界最古ではない様ですね。
古代仏教の研究は日進月歩で進んでいますし、最新の動向については知っておきたいものです。
ですが……
スッタニパータW
マーガンディヤ経
847 想いを離れた人には、結ぶ縛めが存在しない。智慧によって解脱した人には、迷いが存在しない。
想いと偏見とに固執した人々は、互いに衝突しながら、世の中をうろつく。
これは心解脱と慧解脱を指していると思われます。
とすると最古層の段階で解脱には二種類あると説かれいたことになります。
>>691とは矛盾してきます。 タイはスリランカと比較してギスギスしてない感じがしますね。性格面の印象だけでなく
国が違うと実践面だけじゃなく経典解釈も変わるようだし、そもそもインドとは違う訳で、
時代的なずれもある、単に時間差だけじゃなく、元々の文化の違いも大きく。経典改竄まであった上
現代のコナーシャリズムによる汚染も根深いなら、どれだけ変質したか…
>>673
うわべだけの知識だからそうなる。
悪魔は うわべだけのものにこだわる。
オマイたちは これ以上 この惑星の霊界の重要なポイントで 不正を働いてはならない。 >>694
霊界の重要なポイント??
カルト臭えなあ。 私が、道諦とは八正道のことだけではない、と確信したのは、自歓喜経を読んでいる時であった。自歓喜経というのは、釈尊と舎利弗の会話が主たる経で、舎利弗が釈尊の教法を褒め称える内容になっている。舎利弗は、釈尊の優れた教えは、悟りに導く「所謂道也」と言う。
自歓喜経で舎利弗は、釈尊の最も優れた教法の一つは、悟りに導く「所謂道也」と言う。
悟りへ道也というから、私はてっきり道諦の八正道のことかと思った。が、舎利弗が言う道也とは七覚支であった。それを釈尊は認めた。つまり、道諦とは三十七道品のことだと分かる。
修行して悟りを得ようとしている者なら、道諦を八正道に限定するバカバカしさに気づくだろう。修行しない字面だけ研究しているから、本質が分からないのだね。舎利弗が自歓喜経で、悟りへ導く道は、七覚支と言って釈迦がそれを認めた。道諦は三十七道品だと分かるだろう。
>>698
修行とやらが何を意味するのかはっきりしないが、オカルト的に思えるなあ。
八正道以外に釈迦が何を説いたと君は主張するのか? >>698
不明瞭な聞き方をしてしまったので補足。
正しく生きるといったこと以外に、釈迦が何を説いたと主張したいんだ?
君の言う修行とやらの効果は一体なんだね? 横だけど
本当に悟りの欲望を持っている人は
形式的な概念化に囚われず、必要なこと、修行の本質を知りたいと思うからでは?
あとは現代人によくありがちな瞑想をすれば知識は起こるかもしれないが
正しい生活や態度で日々を過ごさない限り、心が準備されないため
知識が無知をオーバーライドしないということもあるでしょう。
ここで論駁が続いているのは結局そういうことでは?
求道者ならそれは悪い習慣なので避けるし、その原因に対処しようとするはず。
少なくとも、ある種の侮辱はその「人」の属性には成りえないため
正しい心にはそのような想念や態度は起こることはない。
>>701
八正道を理解してないくせに横からレスしてくるな。 知覚では感じられない宇宙がある。
ヘルメス文書 >>695 少なくとも四諦八正道や十二縁起説は、ブッダが説いたものではないことはもちろん、ブッダの死後、弟子たちが記憶していた師の教えをもとに、それを体系化したところにできたものでもない。
古臭い昭和時代の仏教論を吹聴して懐かしむスレはここですか?
いまは令和の時代ですよ!?
五蘊は皆、悪魔であると如実に見て、一切の苦しみの素を遠ざけた
肉体は悪魔である 悪魔が肉体に化けたのだ
感受は悪魔である 悪魔が感受されて入って来るのだ
想念も悪魔である 悪魔が自己本位の想念を起こさせるのだ
因縁・カルマは悪魔である 悪魔が因縁をつけて来てるのだ
識も悪魔である 悪魔が人類を自滅させる知識を与えたのだ
物質界の誘惑は全部悪魔だと悟った境地(空の中)においては
五感も十二処、十八界も真実在では無いのである。
劣ったさとりへの慢や執着も亦
無きに等しいものなのである
>色は苦どころか感覚世界は全部悪魔と言った感じの経もありました
悪魔がよく仏典に登場するし、一切皆苦というのが四法印にも入るほど
物事を正しく見られないのは 本人の責任。
精神病を治すのも 本人の責任だ。>>706 ☝ 定義そのものの間違い。 教えないよ。>>706 からのうつわだからと言って そんなに悲観しないように。
頑張って 復帰してください。
独覚(どっかく)
師なくしてひとりで悟る辟支仏(びゃくしぶつ)
縁覚の境地を縁覚地、十二因縁を観じてさとりを開く教えを縁覚乗、縁覚の道を説いた教えを縁覚蔵、縁覚の起こす菩提心を縁覚菩提という。
仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者(無師独悟)
八千頌般若経などの般若経典では、声聞・独覚と呼ばれる修行者は菩薩大士と対置されるものとして言及されることが多く、
その三つの教法を声聞乗・独覚乗・菩薩乗と呼ぶ
釈迦のオリジナル仏教には、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、などというものはない。これは大乗仏教が釈迦のオリジナル仏教を小乗と貶すために作ったものだ。
釈迦は弟子を声聞や縁覚とは呼ばない、四向四果で呼んだ。検索して調べてみなさい。
道諦を八正道に限定する考え方の不自然さに、気づいている修行者は多いようだ。
昨夜、禅宗の坊さんのブログを読んだが、
彼も、道諦を八正道に限定すると修行が進まない、と書いていた。正見が生じるのは四念処を修行してからだ、と書いていた。同感だ。
大乗は
何よりもまず、全ての有情、在家者のための教えである。
本来ならば、出家修行者のように
痴気に塗れた世間の有情たちから遠く離れ、僧院に籠って
修行に適した静かな環境で仏道を実践するところを
在家は世間の泥と隣り合わせの劣悪な環境で修行に取り組まねばならない。
これは考えようによっては、出家者よりも厳しい難業ともいえる。
しかも利他という目的がある。これは守旧派が何と言おうと、守旧派には無い眼目である。
他の三毒までをも空じて自他ともに救うには
まず自他差別など遥かに超越した大乗菩薩の慈悲心を生ぜずには済まぬのである
>>717
オリジナルをディスったんじゃなくて、説一切有部をディスったんだけどね >>718
四念処は念という語が入っていることからもわかるように、本来は正念を得るための修行だった
正念は、伝統的には、正しい記憶・注意・気遣い・意識等々と解されていた
けど最近、モダンテーラワーダの影響で、念を「観察すること」または「気づき」と解釈する人が増えたので、
正見の前にないと具合が悪いと思う人が出てきた
そして正見の定義もだんだん正念寄りに変化してきている
わかりにくくはなったが、八正道全体として見れば同じであり、
区分けや順番がかわったに過ぎないから、たぶんどうでもいい
最終的に苦を滅することができれば道筋は人によって違ってよいのが仏教だし 初転法輪より
比丘たちよ、苦聖諦(苦しみという聖なる真理)とはこれである。生は苦である、病は苦である、死は苦である、怨憎するものに会うのは苦である、愛するものと別離するのは苦である、求めて得られないのは苦である、略説するに五取蘊は苦である。
比丘たちよ、苦集聖諦(苦しみの原因という聖なる真理)とはこれである。後の有をもたらし、喜貪倶行(喜びと貪りを伴う行)にして随所に歓喜する渇愛(タンハー)である。即ち欲愛・有愛・無有愛である。
比丘たちよ、苦滅聖諦(苦しみの消滅という聖なる真理)とはこれである。この渇愛を余りなく離れ滅し、棄捨し、定棄し、解脱して執着がないことである。
比丘たちよ、苦滅道聖諦(苦しみの消滅にいたる道という聖なる真理)とはこれである。八聖道である。即ち正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定である。
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=951429&id=25094422
ここでは道諦とは八正道であるとはっきりと定義しています。
但し中村元氏によると、「ブッダの最初の説法に八正道が述べられたという多くの経典は後世の虚構であり、後世になってかこつけたものである」とのことで、まさしくこの初転法輪がそれに当たります。
要するに、中村氏によれば、初転法輪での釈迦の説法は創作であるということになります。 知識を持つのが目的ならば、道諦を八正道に限定しようが、どうでもよい。しかし、修行して苦滅を得ようとする者には、道諦を八正道に限定するなど、馬鹿げた話になる。野球選手の上達方法を、キャッチボールに限定する程に、愚かしい話だよ。
釈迦がたまたま、道諦を八正道だと話たからといって、道諦を八正道だけに限定するのは馬鹿げた話だよ。そういう馬鹿では悟りは絶対に得られない。道諦とは、それを修行すれば悟りを得られるという真理のことだ。八正道とは全ての修行法を象徴しただけの話に過ぎないのだよ
ある時、自歓喜経を読んでいたら、「世尊は欲を離れて悟りを得られるすばらしい「道」を説いている」との舎利弗の言葉をあった。その道とは八正道かと思ったら、七覚支であった。
つまり、道諦とは八正道でも正解、七覚支でも正解、四念処でも正解ということなのだね。
自歓喜経は、舎利弗が様々な釈迦の教法を取り上げて、その内容を褒め称える話だ。
それを聞いた釈迦は、舎利弗の力量を認め、「これからは、お前も比丘達に法を説きなさい」と、言った経だ。
>>722
中村先生は「この部分は後代の創作」という伝家の宝刀があるから無敵 八正道や十二因縁が後代の創作だとすると釈迦入滅直後の第一結集の時に創作されたとは思えないから
一説によると根本分裂があったという第二結集の時に創作されたのだろうか?
でも四諦八正道は古層の経典と呼ばれるダンマパダにも出てくるので或いは第一結集の時には認められてた?
…ってダンマパダとかの所謂小部経典って結集の時に漏れたから四阿含に入れられてなかったと思ったから経集以外の外伝みたいな位置づけだったような気もするし…
いずれにせよ決定的なことはなさそうだな
ただ説だけがあると
>>732
スッタニパータでも最古層と思われる第4章と第5章、その中でも特に古いと思われる第4章2〜5にも
四諦八正道の種のようなものは散らばってるので、おそらく、内容的には釈迦も言ってたが、
それを四と八の数字に当てはめていい感じにまとめたのは第二結集以降ではないかと思う
もちろん推測の域を出ないけど >>709
釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー???
大乗を論破するにはこれで十分。 >>719
自他の区別がないのに、利他を唱える論理矛盾。 >>719
自他の区別がないのに、利他を唱える論理矛盾。 >>731
後からの創作だという根拠を示せないくせに
中村氏を批判するお前はどうなんだ? >>731
後からの創作だという根拠を示せないくせに
中村氏を批判するお前はどうなんだ?
こうすれば良い(^-^)v >>736
>>737
MMK24:8
仏による法の説示は、二種の真理(二諦)にもとづいてある。世間世俗の真理と、勝義からの真理とである。
MMK24:9
これら二種の真理の区別を知らない人々は、深遠な仏説における真実を知らない。
http://id.nii.ac.jp/1153/00000397/
24:8 dve satye samupAzritya buddhAnAM dharmadezanA/
lokasaMvRtisatyaM ca satyaM ca paramArthataH//
24:9 ye 'nayor na vijAnanti vibhAgaM satyayor dvayoH/
te tattvamM na vijAnanti gambhIre buddhazAsane/ >>741
釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー??? 一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、仏教の開祖であるゴータマ・ブッダによって説かれたということになっている。
ところが、中村元氏は、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」の成立時期について興味深いことを言っている。
それについて重要であると考えられる箇所を『中村元選集』から(四か所続けて)引用してみようと思う。(以下 引用)
『パーリ文「アリヤ・パリエーサエ経」がつくられたときには、中道も八正道もまだまとめられていなかったか、少なくとも重要視されていなかった。
相当漢訳の原本がつくられたときに、漸く中道と八正道とがベナレス・サルナートの説法と結びつけて考えられていたが、しかし四種の真理の説は編纂者の念頭にはなかった。
サルナートの説法と四種の真理とが結びつけられて考えられたのは、かなり後世のことだと言わなければならない。
詩句(ガーター)の中にもサルナートの説法と四種の真理・八正道・中道と結びつけたものは一つも存在しない。』(『中村元選集・第11巻・p239)
「原始仏教の思想体系というと、人々は四種の真理(四諦)とか十二支による縁起(十二因縁)とかいうものをもち出して来る。しかしこれらの体系はかなり遅れて成立したものである。
まず古い詩句についてみるに、体系的な叙述はなされていない。興隆途上の初期の仏教徒は思想体系化への意欲をもっていなかったのであろう。
仏教の勢威が或る程度確立してから体系化への動きが始まったらしい。最古の聖句には思想が極めて簡単なかかちでのべられている。」(『中村元選集・第14巻・P.3)
「四つの真理(四諦)を示す句は、仏教がまだマガダ国中心の宗教であった時代にすでに成立していたと考えられる。しかし四諦の説は仏教の最初の時期よりはかなり遅れて成立したと考えられる。」(『中村元選集・第14巻・P.317)
『ゴーダマ・ブッダが八正道を説いたかは疑問である。少なくともかれの活動の初期には説かなかったことである。(だからかれの最初の説法に八正道が述べられたという多くの経典の記載は、後世の虚構であり、後世になってかこつけたのである。)
八正道という定型句はかなり遅れて成立したものであるらしい。最古の詩句には、八正道はどこにも説かれていない。最も古い詩句や短い句においては、八正道にうちの一部だけを述べている。』(『中村元選集・第15巻・P.21)
つまり、中村氏によれば、一般的に、仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった仏教哲学用語は、ゴータマ・ブッダの時代には無かったか、あるいは、それらがあったとしても、さほど重要視されてはいなかっただろう、ということである。
さらに中村氏は、最古層(古い韻文)の経典に記されている原初の形の「縁起」というものに関して、次のように解説している。
それについて重要であると考えられる箇所を、さらに『中村元選集』から(二か所続けて)引用してみようと思う。
「縁起の観念は、古来仏教における中心観念の一つと考えられる。
戒律の集成書のうちの叙述によると、世尊はウルヴェーラー村の、ネーランジャラー河の辺のぼだい樹の下にあって、足をくんで坐したまま、七日の間『解脱の楽しみを受けていた。』ところでそのときさとりを開くために観じたのが縁起の理法であるという。そのほか、縁起を観じてさとりを開いたという説明は聖典のうちの処々に散見する。この伝説が果たして歴史的事実を伝えているかどうかははなはだ疑問である。ブッダガヤーにおける釈尊のさとりの内容については聖典自体のうちに種々に異なって伝えられていて、必ずしも一定していない。
以下において検討するように縁起説はかなり遅れて成立したものであるから、右の伝説はそのまま信用するわけにはゆかない。殊に十二の項目を立てる縁起説は最も遅れて成立したものであるから、後代の聖典作者が、縁起の思想を強調するあまり、釈尊のさとりの内容だとして、この場合に仮託してしまったのであろう。」(『中村元選集・第14巻・P41)
「原始仏教の縁起説といえば十二の項目を立てる縁起説(十二因縁)を以て説くことが従来一般に行われていた。
十二の項目を立てる縁起説のほかに諸種の型式の縁起説が経典の中に説かれているが、それらの説は散文(長行)の部分にのみに出て来て、韻文の部分には出て来ないからどうしても遅れて成立した説だと言わねばならない。また散文の部分だけについて見ても、十二の項目を立てる縁起説以外の説がいろいろ説かれているが、散文の部分の諸説のうちでも、十二の項目の説は遅れて成立したと言わねばならない。十二の項目の説が遅く成立したことは、今日では原典批判をあまりやっていない学者の間でも常識として承認されている。
まして原典批判を考慮する立場からは、当然さらに分析を進めて、その古いかたちを問題とせなばならない。
縁起というのは「甲に縁って乙が起ること」、すなわち甲が原因または条件となって乙が成立すること、という意味である。この概念を示す諸々の説が経典の中に説かれているので、それらを成立史的に研究するのが今の課題である。」(『中村元選集・第14巻・P.42)
そして、中村氏は、次のようにも言っている。
「一般的にいうならば、形而上学的ないかなる立場に関しても沈黙を守るという立場に関しても沈黙を守るという立場から縁起説が導かれる。
縁起説が形而上学的見解に反対するものであることは、他の点からも確かめられる。
釈尊がサーヴァッティ市の郊外の祇園にいたときに漁師の子であったサーティが釈尊から聞いた教えをこのように理解していた。
ー『まさにこの識別作用が流転し輪廻する。他のものとなることはない。』と。つまり識別作用が輪廻の主体であり、自己同一性をたもっているというのである。ところでなかまの修行僧たちはこれを承認得ず、<悪しき見解>であるとして、釈尊のところへつれていった。
釈尊がたずねた、『その識別作用とは何であるか?』サーティが答えた、『それはここかそこにおいて諸の善悪業の果報を受けるのである。』と。釈尊は批判した。愚かな人よ。わたしがこのように教えを説いたということを、汝はどうして知ったのか?わたしは種々のしかたで識別作用は縁生したものであると説いたではないか。ー縁によるのでなければ識別作用の生ずることはないと。』
こういって、次に『何ものでもその縁によって識別作用が生じてその(縁となったもの)によって名づけられる。眼に縁って入りに関して識別作用が生じて眼の識別作用と名づけられる。』以下、鼻、舌、味、身、意に関してもそれぞれの識別作用が同様に述べられている。また後には十二の項目による縁起説も述べられている。」(『中村元選集・第14巻・P.161〜162)
こういったことを念頭において、以下の結論が導かれる。
(1)ゴータマ・ブッダの時代には、おそらく、一般的に仏教で説かれる「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといった呼称(仏教哲学用語)及び、そういった体系的な術語は存在しなかった可能性が高い。
(2)仏教の原初で説かれるところの「縁起」というものには、元々形而上学的な属性は含まれていなかった。というよりはむしろ、形而上学的ないかなる立場に関しても沈黙を守るという境地から縁起が説かれていた。
いずれにしても、仏教においての古い韻文(ガーター)で説かれている内容は、とてもシンプルであり、さらにいくつもの複雑なカテゴリーに分類されて説かれるようになった仏教特有の術語は、ゴータマ・ブッダ(釈尊)の時代よりかなり遅れて成立した可能性が高いということである。
ただ誤解のないように、そうであるからといって、私は、それらが嘘であるとか、信じるに値しない、などと言っているのではない。
というよりはむしろ、「中道」や「八正道」、「四諦」、「十二支縁起説」などといったものは、後代の人たちが、釈尊のエッセンスを凝縮し、分かりやすく纏めた仏教の中心的な思想の一つである、と私は観ている。
>>743
だから、自他の区別がないのに、自利利他もねえだろ。
大乗信者は論理力のないバカ。 >別にブッダゴーサ教でも異端でもいいがスマナサーラはホラ吹き破戒僧
母国のスリランカ仏教徒は異教徒を弾圧に虐殺
スマナサーラ教信者は発狂する奴が続出とろくな効果がねーじゃん
>>751
まだ勝義が理解出来ないのか?
可哀想に およそ既存の仏教で勝義と世俗の区別を認めてない宗派ってあるか?
>>444
>スマナサラ信者であるのは確かなトンマべっちょ も
「釈迦は縁起を説いてません」と断言してたが、
ヤハリ、それすらもインチキだったようだな。全く説かれてない とは
言えないからである! 釈迦オリジナル仏教では五道輪廻からの解脱を悟り=涅槃としている。五道=地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の五つだ。そして悟りには四段階ある。第一段階の悟りを得た預流果と呼び、それは地獄餓鬼畜生の三悪道を解脱した者のことである。
>>444
釈迦が「縁起」に相当するワードを使っていたかはわからんが、
何かが因となって苦が生じるという発想は持っていたと思うよ
そしてスッタニパータには縁起についてたっぷり書かれている(第三 大いなる章 十二 二種の観察) 第二段階の悟りを得た者を一来果と呼ぶ。一来果は地獄餓鬼畜生の三悪道を解脱し、更に進んで、人間界にあと一回転生すれば悟りを得られる者である。だから一来と呼ぶ。
悟りは、五道輪廻からの解脱の度合いによって、四段階になっているのです。
>>759
その預流などの悟りの位も最古層経典には出てこない。
それらの用語もゴータマ・ブッダの時代にはなく、ブッダの死後に教義が整理されていくなかで生まれた概念であることが考えられる。 第三段階の悟りを得た者を不還果と呼ぶ。
不還果は、地獄餓鬼畜生人間の、四悪道から解脱した者のことである。人間界にはもう戻らないから不還と呼ぶ。不還果は天上に生じて、そこで悟り=涅槃、を得る者のことです。
第四段階の悟りを得た者を阿羅漢と呼ぶ。
阿羅漢は五道から解脱した者のことです。
それを悟り=涅槃を得た者という。
肉体を持つ阿羅漢は最小限の束縛を受けるから有余依涅槃と呼び、肉体が無くなった場合を無余依涅槃と呼ぶ。
最古層経典は、比較文献学によって、ある程度、絞られている。オリジナル仏教についても、ある程度の絞り込みは出来ている。中村元氏はその道の権威であるが、完全ではない。中村氏は知識面から、真相に迫った。私は修行実践面から真相に迫った。
>>753
論理的に破綻していることを自覚できないアホ大乗。
かわいそうに。 >>754
は?
キリスト教・イスラム教における勝義と世俗の区別とは? 最古層の文献に預流の語があろうが、なかろうが、阿含経典群にあるのは事実です。そして、私は修行実践面から、四段階の悟りの事実であることを確信した。四段階の悟りは、五道からの解脱に応じて定められていることは、まだ誰も言っていないかも知れないね。
釈迦が亡くなって、すぐに五百人の阿羅漢が集い、釈迦の教えをまとめた。文字化はされなかった。その釈迦の教えが、どの順番で文字化されたかは不明です。だから、最古層の文献にはないから、偽の教えということにはならない。
>>768
よく読め
754 名前:神も仏も名無しさん [sage] :2020/08/03(月) 05:24:53.68 ID:DtO5fnx8
およそ既存の仏教で勝義と世俗の区別を認めてない宗派ってあるか?
754は仏教に限定して質問している
キリスト経やイスラム教の話はしてない >>754
何を勝義とするかは大乗部派仏教によっても異なりまたそれぞれの部派によっても微妙な差異はあるけど
どの仏教も二諦で説いているよ >>765
君は既に預流以上であるからそういうことが言えるんだよね? 少し仏教を学んだ方に二諦は当たり前でけど、まぁ、昭和時代の教養書レベルでは仏教を見てる方に理解出来るものではないでしょう。
訂正
少し仏教を学んだ方に二諦は当たり前ですけど、まぁ、昭和時代の教養書レベルで仏教を見てる方に理解出来るものではないでしょう。
人間界にも餓鬼がいるように
天上界にも餓鬼はいるそうだ
たとえばばの話。このスレが天上界として、不還の者が来たとして
阿羅漢果を得る修行はあるのかな? まあ5ちゃんに幾ら書き込んでも
解脱は難しいだろうけど
修行実践面から真相に迫ると、道諦を八正道に限定する考え方など、馬鹿げたものになる。
野球選手の上達法をキャッチボールに限定したらどう思うかね?
釈迦仏教の悟りに至る道は、四念処、四禅、三三昧、五根、その他修行法、沢山あるのです。
三三昧してるのなら空も理解できる筈ですよね。
四禅まで行けてるなら、受は空じれてる。
話変わるけど、お猿さんがブッダに蜂蜜?だったかを供養したら
最早畜生の境涯に留まれなくなって、すぐに木から落ちて死んだって話は
何というお経でしたかね?
大乗経典は創作創作騒ぐ▼鬼みたいな方がいたけど
大乗以前には児童文学レベルの寓話めいたものも多いし、
それと比べると、般若経などはかなり高度な哲学書
の部類ですよ
人間界にも天上界にも餓鬼がいるという考え方だが、阿含経には「苦厄老病死 此三悪道」との語もあり、確かに人間界にも地獄餓鬼畜生界があることにもなっている。が、死後、幽霊状態になって、地獄界をさまよう存在も説いている。五道の理解の仕方、単純ではないね。
ID:B4Dew3H5 = 大乗経典は創作創作騒ぐ▼鬼みたいな方 =
たぶん一番最初のスレ主 ですよ。だんだん
わかってきました
w
783の方が言ってる
>死後、幽霊状態になって、地獄界をさまよう存在
なのでしょうね。所謂「成仏できない霊」みたいな感じ
なんでしょう
改竄と妄想の大乗さん。
嘘はいけないという釈迦の教えを守れない外道。
>>786
阿含宗にお詳しい方ですね? 一つ質問があります。
大乗の涅槃経の基本教理の一つに「常・楽・我・浄」がありますが、これは
阿含経からのパクリだという人がいたのですが、その見解は
適切ですか? >>766
勝義に於ける自他の別は無く世俗に於いてはお前はお前で俺は俺
このステージの違いが理解出来ずに論理破綻だと考えるのはお前の知能が水準より低いからでしかないんだよ
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はあるけど一つの器に入れたら区別が付かなくなるという単純な事さえ理解出来ない頭なんだから背伸びしないで黙って見とけば良いのにプライドだけは無駄に高いからそれも出来ない
平均よりも高いプライドと低い理解力が同居してるのがお前
それを世間では馬鹿又は愚か者という
お前は自分の利口部分しか見えないだろうが お前以外の人々にはお前の際立って愚かな所しか見えない
自分と話の合う集団を探して 其処へ行った方が良いぞ
物分かりの悪い発達障害者の駄文を読まされる我々の迷惑を少しは理解してくれとしか言えん
お前は明らかにこの場の議論のレベルを著しく下げている
早々に立ち去りなさい >>789
その喩えと自他の関係を明確に書きなよ。
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
一つの器に入れたら区別が付かなくなる
自他はどっちだと?
バカって意味不明な喩えで勝手に自己満足しちゃうw。 >>789
その喩えと自他の関係を明確に書きなよ。
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
一つの器に入れたら区別が付かなくなる
自他はどっちだと?
バカって意味不明な喩えで勝手に自己満足しちゃうw。 >>790
なるほど それさえも一々細かく言われないと解らない頭なのだな?
つまり特殊学級スレスレという事だな 中国からの入国を禁止する国も多かったのに
きんぺーを国賓接待しようとしてコロナを蔓延させた安倍チョン
中国からの入国を禁止する国も多かったのに
きんぺーを国賓接待しようとしてコロナを蔓延させた安倍チョン
>>792
お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる? >>792
お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる? >>795
くっだらない言い訳してないで、
自分の言いたいことはちゃんと明確に書こうな。
文章力が低いお前には無理かな? >>795
くっだらない言い訳してないで、
自分の言いたいことはちゃんと明確に書こうな。
文章力が低いお前には無理かな? >>800
ペットボトル入ったミネラルウォーターを持ち出したのはお前だが。
何言ってんだコイツ?? >>798
アンカー先の短文が何に掛かってたら言い訳に読めるんだ?笑
場に関係ない安倍批判でアホラフキンだと自分でバラしてるだけだろうに >>802
だから、ごちゃごちゃ言ってないで、>>790に回答しろよ。
何でバカって、自分で言い出したことすらまともに説明できないのか? >>801
>お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる?
笑笑笑 >>803
>お前の考えをどうして他人が分かると勘違いしてる?
今日の名言 笑 >>804
どこが笑うポイントなのか意味不明。
知能が低い相手とは意思疎通も難しい。 >>805
ごちゃごちゃくだらない言い訳ばかりで、>>790に回答しないバカ。
このバカと会話するのは無理っぽいなあ。 ペットボトル入ったミネラルウォーターの喩えはずれてると自覚してごまかしてるだけか。
なるほどねwwww。
>>807
普通の人が一瞬で解る事を更に説明を要求するアホラフキンには自分で考えろと言って笑うだけ
お前どう見ても知恵遅れだぞ? >>808
ペットボトルA=自 B=他
容器に開ける→AB判別不能→自他の区別無し→ボトルに戻す→AB即ち自他の区別有り
従ってお前が勝義諦と世俗諦の概念を上手く理解出来ていない 又はその能力を欠いている としかならん
原因を他人に求めるからそういう間違いだらけの人生になるんだよ >>810
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
状況が違うこと理解できてる?
自他は@とAのどっち?
バカの喩えは的外れなんだよなあww。 >>810
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
こういうこと?
w >>811
本質が水であるならどっちでもいい
馬鹿は比喩が理解出来ないから拘るんだよ
それアスペの症状だぞ >>814
さっさと回答しろよ。
めんどくせえ奴だなあ。 >>815
その通りだ だったらどうした? と聞いてるんだが アスペは比喩も含みも理解出来ないんだよな?
めんどくさいのは此方だよ 馬鹿 笑 >>816
すっと答えろよ馬鹿。
なんなのお前。
めんどくっせえええ奴。 >>816
すっと答えろよ馬鹿。
なんなのお前。
めんどくっせえええ奴。 >>818
アスベマンも
>>811
>バカの喩えは的外れなんだよなあww。
何が的外れなのかはよ具体的に言ってみろや!はよ >>817
答えて次に言ってるんだから すっと理解しろよ どアスペ 笑
煽りにしても詰まらなすぎるから暫く放置する >>819
ID:L4yUxlR9が逃げてるせいでなあ。
>>820
だからさ、
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
に対応するということ。
で、いいんだな。
明確に回答しろよ。めんどくせえええ。 >>819
ID:L4yUxlR9が逃げてるせいでなあ。
>>820
だからさ、
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
に対応するということ。
で、いいんだな。
明確に回答しろよ。めんどくせえええ。 >>819
ID:L4yUxlR9が逃げてるせいでなあ。
>>820
だからさ、
お前の言いたいのは、
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で、
@世俗諦
A勝義諦
に対応するということ。
で、いいんだな。
明確に回答しろよ。めんどくせえええ。 >>816
あー、ここで回答してたのか。
その通りだったらどうした?
に見えたわ。 >>819
>>820
@ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある
A一つの器に入れたら区別が付かなくなる
で状況が違うだろ。
でも、世俗諦と勝義諦は同じ状況に対する異なる見方だろ。
喩えとして全然だめじゃん。 常人が普通に理解できることを理解できないとか、アスペマンって云うのかな?
貴方が仏教を信仰する事はともかく、スレで仏教の教義等について話すことは向いてないなぁ。
無分別であれば自他無く、分別であれば自他あり。
単純にそれだけの事。
>>827
で?
無分別が正しいというのが大乗の主張では?
そうすると自他はないなあ。 >>829
論破されてそれ…。
やはり、馬鹿野園は相手するだけ無駄。 >>830
無分別であれば自他無く、分別であれば自他あり。
単純にそれだけの事。 自他は分別だろ。
分別が無ければ自他なしだろ。
それだけの事。
>>821
(その通りで) だからどうした?と聞いてるんだからさっさと理解して次に移れよ 馬鹿アスペ 笑 >>825
ハア 笑
中身は同じ水だろ?
普通の場合は馬鹿のフリしておちょくってるのかと思うけど お前の場合はガチで話が通じないもんな?笑
よし じゃあ器を無くしてダムなり湖なり大きな水の塊に溢そう
ペットボトルAが自としてBが他とするのは同じな それを湖という大きな水の塊に二本とも開けました それでも水は水です 今度はペットボトルABにそれぞれ水を掬いましたやはり元の水Aと水Bです
つまり入れ物が何であれ本質は変わりません
大乗仏教で言う自利利他というのは相手を利する行いも本質に於いては自分を利するのと同じですよ と言ってるだけだから こんな簡単な事を説明されても理解出来ない奴は仏教に付いて何にも語る事は出来ないと言ってるんだよ 笑
現に誰一人としてお前に賛同してないし お前が仏教の基本を理解してると認めて無いだろ?
多分大乗だけじゃなくて上座部でも同じ事を言われると思うから試しに上座部の指導でも受けて来たら?
先ずは誰かと理解し合ってからおいで 他人の言ってる事を全く理解出来ない上に他人が理解出来ない 頭が悪いとあべこべを言ってる事すら自分で理解出来ないんじゃ誰とも話にならんよ >>835
アホだなあ。
だったら、
ペットボトル入ったミネラルウォーター同士に区別はある。
でも、中身は水。
と言えば十分だなあ。なんで、状況の異なる2つを出した?
不要なケースを出すのが頭悪いなあwwww。
自分の喩えが悪かったくせに、他人のせいにすんなカス。
で、どっちも水だから何?
違うペットボトルに分かれている事実は変わらんが。
お前の意味不明な喩えで言いたいことを明確にしようなw。 >>835
ここも最高にバカ。
> 大乗仏教で言う自利利他というのは相手を利する行いも本質に於いては自分を利するのと同じですよ
容器は自他。
だけど本質は水。
これがお前の喩えで言ったことだろwww。
本質は自他はないというのがお前の喩え、つまり自他はない。
なのに、なんで本質に於いては「自分を利するのと他を利するのは同じ」とか言っちゃうのよwww。
本質において「自他はない」じゃなきゃだめでしょwww。
典型的なバカの喩えww。 >>836
そうだな
例え話の要点さえ理解出来ないアスペには何で二つの別けられた水を一つにしたり 二つに戻したりするのかも理解出来ないもんな?笑
自他の区別は入れ物次第で その内容に違いは無いという最低限の事も理解出来てないし 利他に付いても原始経典の釈迦の言葉に起源が有るのも知らないし 其処まで幅広く読む気も無いから相手にソースをおねだりするだけ
それと大昔の学者の受け売りで安っぽい大乗批判が精一杯…
お前に理解して貰う必要は無いから諦めな
どんな偉い僧侶や学者がどれだけ説明しても 今してる様に誤解とせん妄を繰り返すだけだろう
それを仏教では無明と言うんだよ
お前以外の誰からもお前に対する肯定的な見解が出てこない現実を受け入れる事さえ出来ないんだからお前には仏教は無理だよ
スマ長老の所にでも行って習って来れば良いのに何故しない?
議論したいならせめて仏門をくぐって入信ぐらいしてから来いよ
今のお前じゃ誰とも話にもならないし集団の足を引っ張ってるだけだよ >>838
みっともねえなんだよwww。
明らかに要らないケースを入れてしまう頭の悪さを反省しとけ。
状況が違うだろ。
でも、世俗諦と勝義諦は同じ状況に対する異なる見方だろ。
喩えとして全然だめじゃん。
で、容器は本質に関係しないんだろ。
はい、自他消えたー。
最高にバカ。
> 大乗仏教で言う自利利他というのは相手を利する行いも本質に於いては自分を利するのと同じですよ >>837
まだ理解出来てない 笑
もう無駄だから止めとけ
俺が言ってるのはオリジナルじゃなくて原始経典の中の釈迦がした例えをアレンジしただけで内容は変えて無いんだよ
それを馬鹿だのアホだの中傷してるんだから ブッダを中傷してるのと変わらんし お前が仏教を基本的な所から理解出来ていないという事実も動かない
お前には仏教は無理だ
向いてないよ お疲れ 本質において、実相なんだから、自他はあると思うが?
それは別に、話題はことなるのですが、質問させて下さい。
今、スッタニパータを読んでいたら、
356 [ヴァンギーサいわく、]第七の仙人さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは慶びます。わたしの問いは、決してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは、わたしをだましません。
この文章で、第七の仙人(ブッタ)とありますが、他にもブッタがいたということでしょうか。そうなると、大乗につながると思うのですが?
もうこの話題は終了しましたか?
>>840
理解できてないのはお前だろ。
頭の悪い喩えのどこがおかしいかも明確に指摘されて逆切れとは。
呆れた馬鹿だwww。
それと釈迦を大乗の捏造に巻き込むお前が無礼だ。
大乗が釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー??? >>840
理解できてないのはお前だろ。
頭の悪い喩えのどこがおかしいかも明確に指摘されて逆切れとは。
呆れた馬鹿だwww。
それと釈迦を大乗の捏造に巻き込むお前が無礼だ。
大乗が釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー??? >>841
本質において、自他はある、と言うなら、
容器=自他は本質ではないというID:L4yUxlR9の否定だな。
お前らの中で意見が一致してないってどういうことよ?w
大乗はこれだから困るわあ。 >>839
容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑
そんな事まで説明されないと解らないお前が致命的に駄目なんだよ
言えば言うほどにお前の無明が深刻なものだと他の人達にバレるだけ
釈迦の教えを理解出来ずに立ち去った人達と同じだよ
しかも現代に釈迦がいて手取り足取り教えてくれる訳じゃないからな
お前にはどんな仏教書も注釈も無駄だから今後一切読むな
他の人達の前で仏教を語りもするな
ただ有害なだけだ >>845
容器は自他の区別に対応すると言ったのはお前だぞ。
大乗はこうやってすぐ嘘を付く。
まさに外道。 >>845
容器は自他の区別に対応すると言ったのはお前だぞ。
大乗はこうやってすぐ嘘を付く。
まさに外道。 >>847
頑固ですねw
スッタニパータ
355「かれはこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」五人の修行者出会った尊き師はそのようにかたらた。
どのように読むか?
名称と形態の妄執を断ち切ったとありますが、名称と形態を断ち切ったとはありません? >>848
だから、本質において容器=自他はないというのは、D:L4yUxlR9の主張。
俺に言うなよ。
釈迦は名称と形態への執着を断ち切ることを説いたのであって、
無分別だのの、大乗捏造を説いたのではない。 >>848
だから、本質において容器=自他はないというのは、D:L4yUxlR9の主張。
俺に言うなよ。
釈迦は名称と形態への執着を断ち切ることを説いたのであって、
無分別だのの、大乗捏造を説いたのではない。 >>841
おそらく過去から数えて七人目のブッダという意味だと思います
ゴータマ・ブッダ以前にブッダがいたことがそれだけ知られていたという事で 大乗の別世界に座するブッダに直結するものではないと思われますね >>842
キレる要素なんか無いよ
お前が基本的な事を勉強してないから我々の邪魔にしかなっていないというごく当たり前の指摘をしただけだが まだ何か用か?
この板の住人でお前から何かを教わる人間はいないから消えなさい
君は最下級生なんだから自分の器量に応じた所で学びなさい >>852
だからさあ、お前の喩えがおかしいのに、他人のせいにすんなよ。
見苦しい。
容器は自他の区別に対応すると言ったくせに、
> 容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑
ってさあ…。
まじでどういう神経してんだ?
あり得ないほどのカスだなあ。 >>846
お前と他者を分けるのは言葉と身体だろ?
それともお前だけ万物と違う本質が有るのか?
これが逃げに見えるぐらいに解って無いんだから他人に聞かずに自分で調べて判るまで考えれば良いじゃないか?
お前以外の殆どがそうして学んでるのに何で俺が聞き分けの無い駄々っ子の御守りをしなきゃならん?
仏教で一番大事なのは一見異なる話の「聞き分け」だから それが出来ない内はお前の理解はその程度以上にはならんよ
凡人以下の理解力しか備わって無いのにどうして自分が凡人以上に仏教を理解出来てると勘違い出来るのかね?
これだけ全員から否定されてもまだ判らないんだから致命的だよ >>854
だからさ、
容器は自他の区別に対応すると言ったのはお前だろ。
言ってること変えるなら、素直に間違いを認めろよ。
なんで、お前が変えてるくせに、こっちに悪口言えるんだ?
その神経に呆れる。 >>854
だからさ、
容器は自他の区別に対応すると言ったのはお前だろ。
言ってること変えるなら、素直に間違いを認めろよ。
なんで、お前が変えてるくせに、こっちに悪口言えるんだ?
その神経に呆れる。 >>854
だからさ、
容器は自他の区別に対応すると言ったのはお前だろ。
言ってること変えるなら、素直に間違いを認めろよ。
なんで、お前が変えてるくせに、こっちに悪口言えるんだ?
その神経に呆れる。 自他は分別だろ。
分別が無ければ自他なしだろ。
それだけの事。
>>855
何も内容は変えてないけど 理解出来ないんだろ?
理解出来ないのに何か用か? >>860
間違えたのはお前のくせに、他人に悪口とは。
見事な糞だなあ。 >>860
間違えたのはお前のくせに、他人に悪口とは。
見事な糞だなあ。 >>862
お前の理解がおかしいだけなんだが まだこのスレに何か未練でも有るのか? >>864
ほんと見苦しい奴だなあ。
>>835では「ペットボトルAが自としてBが他とする」として容器が自他を表わすと言ってるくせに、
>>845では「容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑 」と他人に悪口を吐くとは。
大乗はこんな嘘つき薄ら馬鹿ばかりなの? >>865
未だに比喩も満足に理解出来ない頭で何の用だ?
このスレで何がしたい? >>867
お前は人間的に終わってるな。
自分で>>835では「ペットボトルAが自としてBが他とする」として容器が自他を表わすと言ってるくせに、
>>845では「容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑 」と他人に悪口を吐く。
どんだけ腐った人間性だと、そんなことができるんだ? >ID:B4Dew3H5 = 大乗経典は創作創作騒ぐ▼鬼みたいな方 =
たぶん一番最初のスレ主 ですよ。だんだん
わかってきました
8/3 にID:B4Dew3H5 、← 45回、このスレに出現してるw
8/4はID:QsWyYwEy が件の未成仏霊
>>868
で 他人の話が理解出来ないお前がこのスレに何の用だ? 私は、五位七十五法など見ると、トルストイの粉ひき職人の寓話を連想する。腕の良い粉ひき職人が、「粉ひきには水車が必要であり、水車のためには良い川が必要である」と考え、川の研究に没頭して、粉ひき技術を忘れてしまった、という寓話だ。
粉ひき技術は、確かに水車や川に関連しているが、川の研究ばかりしてたら、粉ひき技術は落ちる。仏教徒に肝心なことは、悟りの内容を理解し、それを得られるように、修行法を実践することだ。五位七十五法は、仏教に関連があるかも知れないが、悟りからズレている。
唯識の五位百法なんてのも、
粉ひき職人と川の研究の寓話を連想してしまうね。
鎌田茂雄の、中国の禅、という本を読んだ。講談社学術文庫。昔の定価480円。
480円で悟れるから便利である。
>>872-873
阿羅漢と言われたタイ森林派のアーチャン・チャーが、アビダンマの研究者のことを「卵の代わりに鶏の糞を拾い集めようと歩き回っているようなもの」と評しています。(手放す生き方)
雑阿含経巻第十五『申恕林経』及びパーリ相応部経典SN 56.31『Simsapa Sutta』に、シンシャパーの木立で坐っていた釈尊が数枚の木の葉を手に取って、何人かの僧に話しかけている。
釈尊:「私の手の中の葉と、この木に茂る葉とでは、どちらの枚数が多いだろうか。」
僧達:「木に茂る葉のほうがずっとたくさんあります。」
釈尊:「私が悟り、皆に解き明かした真理と、まだ説いたことがない真理とを比べても、同じことが言える。
私が説いたことのないものは、修行生活の役に立たず、精神的向上の助けとならない。私が解き明かしたのは、苦の本質と、いかにしてそれを克服するかであった。それこそ涅槃に導く真理である。」
釈尊が「私の手の中の葉」と述べた内容が<釈尊の教法の真義>である。そこには、「五位」や「極微」や「刹那滅」というアビダルマの概念は出てこない。必要ないからである >>870
まーた他人のせいとは。外道カスには呆れる。
釈迦の教えに反する虚偽・改竄は大乗の特徴なのか?
ログも残ってるのに、よくまあそんな恥ずかしいことができるもんだな。
とことん腐った人間だなお前は。 >>877
お前の言ってる事は事実と真逆
もしお前が正しくて俺が間違いなら他の人達が率直に指摘するから
言葉は通じてる様だが 誰とも話の通じないお前がこのスレに粘着する理由は何だ?
皆の邪魔にしかなってないのだからコメントを控えてくれると助かるのだがな >>878
だからさ、
自分で>>835では「ペットボトルAが自としてBが他とする」として容器が自他を表わすと言ってるくせに、
>>845では「容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑 」と他人に悪口を吐く。
というのが事実なのに、どんだけお前は恥知らずなんだ?
ログが残ってるのに、なんでそんなすぐばれる嘘をつくんだろ? 倶舎は唯識の理解は大変ですよねぇ。
ところで、唯識三年倶舎八年っていう巷説の由来は、どうも不明の様ですね。
で、五位法を煩雑哲学の様に切って捨てるのは、私には肯えないなぁ。
マンゴーを守るイバラの垣根は必要と思いますからねぇ。
中村先生や三枝先生が 舎利弗に説かれたそれは何処に? という旨を話されていたと思いますが、原始教団でも、ダイバダッタの離脱の例は有名ですが、小さな分裂や派閥はあったと思うんです。
舎利弗系統と摩訶迦葉系でね。
大乗はブッダの教えに反してとか言ってる方々いる様ですが、そもそもブッダの教え自体がハッキリしてないという事情はご存知なんですかねぇ?
まさかパーリ語仏典がオリジナルとか言わないでしょうし、パーリ語でさえオリジナルから離れているのだから大乗は尚更とかとも言わないでしょうけれど。
大乗が釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー???
大乗を論破するにはこれで十分。
>>884
その理屈は通用しませんよ。
お釈迦様の教えを明後日の方向に解釈した方々に対する批判って事であれば理由付きますからね。 アサンガ(無着)の『中辺分別論』を通して、唯識を解説した本である。
『成唯識論』や『唯識三十頌』などを解説したものは多いが、意外とここを取り上げたものは多くない。
唯識も、あとになるにつれて精緻になり、悪く言えば煩瑣哲学のアビダルマ化していくところがあるが、
唯識をまとめようとする動きの初期の考え方を知ることができるので、意外とこの『中辺分別論』は便利である。
また、このころの唯識は哲学化が進む前なので、「虚妄分別たる阿頼耶識」を超えていくことを目的にしている。
私の頭の出来が悪いからか、後代の唯識学説の多くは、安慧や真諦のものを外せば、
「阿頼耶識の展開の心理学うんぬん」に拘泥してしまいがちなところだが、この『中辺分別論』は、
「そうだ、これは解脱のための思想であり、行法であるのだ」と思い出させてくれる良さがある。
無我が形骸化すると、大乗の空が現れてきた。その後、「空」を修行論的認識と融合したかのような「唯識」が来た。
仏陀の息吹は、固形化し学問化しようとする傾向にあらがって、
「無我」──「空」──「唯識」と言葉を変えて輪廻しているかのようである。
ただ、本書はやや難しく、唯識関連の本を読み漁った身としても3度くらい読み返さないと良さは分からなかった。
しかし慣れてしまえば、ひじょうにいい本だった、と思える。
とりわけ最初の「相の章」と言われる「虚妄分別」を論じた箇所をとことん丁寧に解説してくれている。
ただし、「相の章」だけの解説なので、それを「丁寧」と見るかどうかで評価は分かれるだろう。
『中辺分別論』自体は、中公文庫の『大乗仏典:世親論集』で読めるので、併せてオススメである。
★4にしたいところだが、「ビギナーズ」というにはやや難しい点と、相の章だけの解説という点で、★3とした。
高崎 直道
スタディーズ唯識 (Studies Buddhism)
アマゾンレビュー
>>881
幻の仏説論
中村元は「サーリプッタに説いたブッダの教えはいったいどこにいってしまったのか」と述べ[8][要ページ番号]、
増谷文雄も「ブッダがサーリプッタに説いた宗教的深遠な教えは、阿含部経典よりも多かったに違いない」[9][要ページ番号]として、"ブッダはサーリプッタに対して、深遠な思想を説いたが、その内容は阿含経典には残されていない"という趣旨の主張を行なっている。
しかしながら、中村・増谷らの「阿含経典に見られない、宗教的により深遠な教え」をブッダはサーリプッタに対して説いていたはずであるという主張は文献学的に何の根拠もなく、証明不可能である。
またこれらの学者は釈迦がサーリプッタに説いた教えが大乗の経典に含まれているとは主張していない。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E9%9D%9E%E4%BB%8F%E8%AA%AC 馬鹿野園の言うことはいつも明後日の方向で理解不能。
こいつは何言ってんだろ?
馬鹿野園の言うことはいつも明後日の方向で理解不能。
こいつは何言ってんだろ?
アビダンマ的な仏教から離れているのは釈迦と龍樹であり、この2人の説いてることは輪廻などはともかく妄想が少なくてリアリティがある。
(これはコピペじゃなくてよ)
>>879
容器はペットボトルでも人体でも良いんだよ
中身をどう扱うかの話だからな
そしてお前だけ中学生にも分かる様に説明してやってるにも拘らず解らないんだから お前は仏教を学ぶべきじゃないんだよ
ざっくり言うと「少なくとも仏教には向いていない」
我々の時間はお前の為に有るんじゃない それすら解らない所からダメなんだよ
大乗は元より 上座部にもチベット仏教にもお前は「向いていない」
次にまた理解してないと一目で解る下らない事を書いたら今後ずっとあぼんな
お前だと判る度に あのさあ、
>>835では「ペットボトルAが自としてBが他とする」として容器が自他を表わすと言ってるくせに、
>>845では「容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑 」と他人に悪口を吐く。
>>892では、「容器はペットボトルでも人体でも良い」。
自分で容器は自他に対応すると言ったくせに、「容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑 」と人様を罵倒する。
どうでもいいことで、人様を「薄ら馬鹿 」と罵倒する。
お前、ほんと自分自身の言動を見つめ直したほうがいいぞ。
明らかにカスなのはお前。 >>891
仏教書のセールスマン大山ならでは。
売れてるかーーーーーーーーい。 スマナサーラ長老との質疑応答から「五蘊の心所はなぜ三つ?」前編
質問
五蘊の中には心所が三つ(受、想、行)入っていますがアビダンマの心所は全部で五十二あります。
どうして五蘊の中には心所が三つしかないのですか?
答え
お釈迦様は、心所の数は五十二だよとはおっしゃってはいないのだから、もっと少なくなっても、多くなっても構いません。
五十二という数は阿羅漢たちや、いろいろなお坊さんたちが考えてリストアップしたものだから、完全にならなくてもいいんです。
五蘊は、お釈迦様の教えなんです。
それは、アビダンマ心所の話よりもちょっと気を付けたほうがいいいです。それに、あまりケチをつけないほうがいいんです。
これはもう仏説だから、我々に判らなくても完璧であることは確かなんです。それは何とか理解するのであってあれこれ付け加えたりはしません。
私は、アビダンマにはいろいろ文句を言ったり、異論を言ったりするのですけれど、仏説のところには何も言いません。
もし、分からなかったならば、それは、私の間違いであって、お釈迦様の間違いではないんです。
(略)
大雑把にまとめると、別々だと見えてきます。
例えば、いろいろなことをやりたいとか、いろいろな感情や、欲や怒りが出てくると、じっとしていられないでしょう。
何とかしたいというね。そこは全部、行(サンカーラ)にしているんですね。だから、アビダンマでは、受(ヴェーダナー)、想(サンニャー)は心所一個で残りは全部、行(サンカーラ)に入れているんですね。
何か、数字的には、ちょっとどうかなという気持ちもあるかも知れませんですけど、アビダンマで心所を五蘊に入れるとそうなるんであって、だからといって、五蘊には何も手を加えてはいけません。五蘊は仏説です。
全部で8巻に及ぶアビダンマ講義シリーズを書いてるスマナサーラ長老自身がアビダンマに対してこの姿勢w
長老にとってはテーラワーダのアビダンマよりもお釈迦様の教えなんだろうねえ
>>895
そりゃ釈迦の教えを一番大切にするのは当然でしょ。
無分別やら菩薩やら、釈迦が言ってないことを神聖視するカルトが異常なだけで。 >>895
そりゃ釈迦の教えを一番大切にするのは当然でしょ。
無分別やら菩薩やら、釈迦が言ってないことを神聖視するカルトが異常なだけで。 >>895
(法相唯識の)五位法では、まぁ色は当然に色法だから除外として、識は心法(王)だから心所からは除外されるのですけどね。
有部や大寺派でも理屈は同じ筈ですがw 五蘊説が後代に五位法に細分されたのですが、上記のスマ長老の対応はちょっと…
>>898
心所が三つ(受、想、行)なんだから、識が心所でないことは前提になってるだろ。
当たり前の前提を今さら指摘していきるお前w。 >>901
wwww wwww wwww wwww
あなた、またまたナイスなボケですねーw
五蘊の心所はなぜ三つ?って意味は分かるのかなー?
それは、
色〜色法
受想業〜心所法
識〜心法
だから3つなんですよーw
毎日お笑いをありがとうねーw 訂正ねーw
>>901
wwww wwww wwww wwww
あなた、またまたナイスなボケですねーw
五蘊の心所はなぜ三つ?って質問の意味は分かるかなー?
それは、
色〜色法
受想行〜それぞれ心所法
識〜心法
だから3つなんですよーw
毎日お笑いをありがとうねーw 馬鹿野園は今日もまたアスペと恥を晒してるなあ。
日本語が理解できてないなw。
アスペマンって、パブロフの犬か?
瞬殺されると条件反射で 日本語がー って始まるんだがw
米 シンクタンク CSIS は 公明党を仏教の新興宗教団体を利用した日本における
中国の工作を行っていたと 暴露した。
この宗教団体とは 創価学会である。
>>893
はい あぼん確定
仏教徒以前に人間失格 >>907
無条件に間違ってるのは他人で正しいのは常に自分だと刷り込まれてるみたいですね
遺伝的な形質と養育者の甘やかしが原因で自分が他人より劣っている事を認められずに大人になったのだろうと思います >>910
あなた、確か、ノドに五寸釘刺して自殺しようとした統失の方だよね?
退院したの? >>909
こんなこと言っておいて逆切れとは。
>>835では「ペットボトルAが自としてBが他とする」として容器が自他を表わすと言ってるくせに、
>>845では「容器は身体だ この薄ら馬鹿 笑 」と他人に悪口を吐く。
>>892では、「容器はペットボトルでも人体でも良い」。
お前みたいなカスは消えろよ。
大乗の捏造と改竄を煮詰めたような外道の屑。 >>913
ログに基づいて批判されてるのに、言い返してくるお前に、
馬鹿野園ですら呆れてるんじゃね。
馬鹿野園を呆れさせるとは大したもんだwww。 >>913
大変失礼しました、その批判はアスペマン宛てだったのですね。 >>895
識って普通に心(citta)なんじゃないの? 心経は、有部やテーラワーダなどが寄生し執着してる法有の幻想は虚妄であり、
全部無いと言ってる
それこそが真理である、連中は無我だと説いてるのだから全て虚妄であり
無い訳である
有部の心法の1や法相唯識の8というのも根本識を設定してるから分かるけど、大寺派の五位法は アビダンマサンガッハを読む 程度しか一瞥してないのでなんとも言えませんけど、まぁ、随分と。
スマナサーラって、見るからに悪魔っぽいよね
スリラン仮糞死臭徒
苫米地ブログ
お釈迦さまの脳科学 3/4〜大乗仏教には大天才が生まれた
http://www.ichizoku.net/2015/08/kuu-buddism.html
>抽象度が高い概念は、具体性という情報量は少なくなりますが、より多くの概念を含むことができます。
>抽象度は最終的にはどこまで高められるでしょうか。
>「物質」でしょうか。物質は「有」という概念とイコールと考えられます。仏教では「色」(しき)と呼んでいます。
>しかし、「有(色)」に対立する概念も存在します。それが「無」です。ナーガールジュナは、「有」と「無」を含む、さらに上の抽象度の概念「空」を説きました。 有であれ無であれ、世の中のあらゆる存在と現象を包摂する上位概念が空というわけです。
>「空」は、釈迦が説いた「縁起」の思想にも通じるだけでなく、不確定性原理や量子力学にも合致しています。
>電子や素粒子といった、量子レベルに小さい存在は、位置と運動量を同時に知ることができないと言う原理が不確定性原理です。
>さらに超ひも理論では、ひもが振動しているとき素粒子は有とされ、振動していないときは無だということが発見されました。
>有と無は表裏一体であり、物理学の世界では完全に分けることができないのです。
>すべては、「空」であるという思想に見事にマッチします。これが物理学の成果を知る欧米人がにわかに仏教を好きになる理由です。
えーと
>「物質」でしょうか。物質は「有」という概念とイコールと考えられます。仏教では「色」(しき)と呼んでいます。
>しかし、「有(色)」に対立する概念も存在します。それが「無」です。ナーガールジュナは、「有」と「無」を含む、さらに上の抽象度の概念「空」を説きました。 有であれ無であれ、世の中のあらゆる存在と現象を包摂する上位概念が空というわけです。
この辺の説明に違和感を感じる。
色を有とするのは法有の立場であって空は非有非無のはず、でも苫米地氏は空を有と無の両方を含む(有無二事?)としている。
だから苫米地氏の改訂版般若心経は
色即是空空即是色を
色即無(色=物資は無である)
無即色(無さ色=物資である)
空包摂色(空は色=物質の上位概念である)
空包摂無(空は無の上位概念である)
とややこしく、しかも龍樹が聞いたら否定するであろう直し方をしてしまったのだろうね。 927.上位概念が、空、である、か。
大爆笑である。
物質の評価が、有と無、とになる。
空、は、その相互移行の論理である。
バカには理解できない。
大爆笑である。
竜樹は生死輪廻も空、涅槃も空とした。
釈迦は竜樹説を肯定するであろうか。
釈迦は生死輪廻の滅尽を涅槃だとしているから、たぶん竜樹説を否定すると思う。
私自身は、心経を半世紀読誦してきたが、生死輪廻と涅槃の関係が、未だに分からない。
929.生死輪廻の滅尽、があれば、それは空、の論理による。
生死輪廻から解脱したら解脱したという智が生じて
「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえたた。もはや再びこのような生存を受けることはない。」
と知るとされている
その知る場所が生死輪廻(この世)であることについては何もおかしくはない
>>927
無分別だから自他の区別はない
だから菩薩は利他
と言ってるんだから、実質的に他があると主張してるだろ。
大乗は論理に欠ける。 そのネタ飽きた。
つまらない。
はい、次、行ってみよー!!
>>934
釈迦が言ってるじゃない
「真に力量ある人は、世間における名称を知って、
言語表現だけのものとして、そのような表現(私とか自己とかの呼び名)をしてよいのである。」
と
私とか自己は言語表現だけのものである
あなたとか他人というのも言語表現だけのものである
だから
「愚人思わくは利他を先とせば自らが利省(はぶ)かれぬべしと、爾(しか)には非ざるなり、利行は一法なり、普(あまね)く自他を利するなり。」
https://www.zen-essay.com/entry/hotsugan-risyou?amp=1
自他不二だから他を利するのは自を利するのも同じということ
この説明でもさっぱり分からないというのならあとは自分で調べてね >>936
お前さあ、菩薩は言語表現に捕らわれるバカだと言ってる自覚ある? >>936
お前さあ、菩薩は言語表現に捕らわれるバカだと言ってる自覚ある? >>937
菩薩は言語表現に捉われる馬鹿
って何で思ったの? >>939
他は言語表現だけのものである
と言ってんのお前だけど。 >>940
他は言語表現だけのものである
他は(所詮)言語表現だけのものである
ので他という言葉に捉われる必要はない
ということ >>942
>ので他という言葉に捉われる必要はない
補足しておくと
他という呼び名は言語表現だけのもので本質はないのだから捉われる必要はないということ
仏教では自己を自己ならしめるアートマンを説かないので当然の帰結 >>942
だから、
他は言語表現だけのものである
とお前は言ってるな。 >>943
他という言葉に捉われる必要はないのに、
「利他ーーー」と喚いてる大乗は
他という言葉に捉われちゃってるよね。
やっぱり菩薩は言語表現に捉われる馬鹿じゃんwww。 >>943
他という言葉に捉われる必要はないのに、
「利他ーーー」と喚いてる大乗は
他という言葉に捉われちゃってるよね。
やっぱり菩薩は言語表現に捉われる馬鹿じゃんwww。 >>947
お前の発言がおかしいことははっきりしたな。
お前みたいな馬鹿は素直に間違いを認めような。 >>947
お前の発言がおかしいことははっきりしたな。
お前みたいな馬鹿は素直に間違いを認めような。 ア ス ペ く ん の た め の
と ら じ ろ う の ぶ っ き ょ う に ゅ う も ん だ よ !?
,、‐'''''''''ヽ、
/:::::;;-‐-、:::ヽ _,,,,,,,_
l::::::l _,,、-‐"iiiiiilllllllllllliiiiiiiー-、__ゞ:::::::::::`ヽ,
ヽ::`/: : : : iiiiiilllll||llllliiiiii: : : : : : ヽイ~`ヽ:::::::i
. /;,..-‐、: : : : : l|l: : : : : : : : : : : : : \ ノ:::::}
/: /: : : : :`.: : : : : : : : :/´ ̄\ : : : : : ヽ:::ノ
. !: : : :iflllli、: : : : : : : : : : : : : : : :ヽ: : : : : :.! あー、アスペくん?
|: : : :llllf l: : : : : : : : : : :.iflllli、: : : : : <iiii|
|: : : :|llll |: : : : : : : : : : .llllf l: : : : : : : : :.| ぼくは 諸 法 無 我 って言葉を知ってるかな?
|: : : :.!lllll!' : : : : : : : : : : |llll |: : : : : : : : :i
/: : : : : ○ : : .!lllll!' : : : : : : : :.i 五位法ついでに言語について言及するけど、言語(諸法)も無我なんだけど?
 ̄|: : :" ,,,,,,,,,,,,,|____ : : : : : : : :.<iii/
. /!.: |:::::/  ̄''''''''l ヽ: : : : :-─/─ 実体がないのに、一体なにに捉われるという妄想をしてるのかなー?
ヽ ヽ/ ノ : : :ヽ/
\ \,,_ _,,,/ : /\
`''‐、、__  ̄ ̄ __,,,、-‐"
. //:::::/ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ノ::::/\
. / /:::::/ ` ̄ ̄ ̄/:::::/. \
馬鹿野園がなついてきちゃってるけど、お前の相手しても時間の無駄だから相手しねえよ。
しつこく粘着してるけど、スルーされてる自覚あるでしょ?
w
馬鹿野園がなついてきちゃってるけど、お前の相手しても時間の無駄だから相手しねえよ。
しつこく粘着してるけど、スルーされてる自覚あるでしょ?
w
馬鹿野園がなついてきちゃってるけど、お前の相手しても時間の無駄だから相手しねえよ。
しつこく粘着してるけど、スルーされてる自覚あるでしょ?
w
>>920
識を深く分析すればアビダルマの心法になるんでは >>955
釈迦は「菩薩は利他ーーー!」なんて喚いてねえだろ。
釈迦をバカにするな大乗。 >>947
私の使命とは何か?
それはこの世に生きとし生けるもののすべてを、「悩みなき永遠の平安」の境地に連れて行くことだ。
卵から生まれるもの、母親から直接生まれるもの、ジメジメしたところに発生するもの、また自ら分裂して増殖するもの、ぐねぐねと不定形なもの、直接眼で見ることができないほど微細なもの、
意識を持って活動するもの、意識を持たずに活動するもの、意識を持つのでも持たないのでもなく活動するもの、その他もろもろの「生きもの」の全てが、私が救済すべき対象だということになっている。
ところがだ。
私が「それらのすべてを「悩みなき永遠の平安」の境地に連れていく」といっても、実際には私は、誰も、何も、どこにも連れてなど行きやしないのだ。
なぜか?
それはな、スブーティ。
我々は決して、「生きているもの」が存在する、などと考えてはならないからだ。
人は誰しも、「自分」がいる、「他人」がいる、「生きているもの」がいる、「個体」が存在する、などと思い込みがちだが、それらはすべて、誤りなのだ。 貪、瞋恚、癡、の滅尽を涅槃だと説く釈迦の教えは、生死輪廻をもたらす縁が、貪・瞋恚・癡の煩悩であるからです。釈迦説では、貪瞋恚癡の滅尽とは、生死輪廻の滅尽と同じ意味なのです。
だが、竜樹説では生死輪廻が涅槃だとする。
>>956
釈尊は衆生は無我で唯蘊に過ぎないと観て解脱してるのに
憐憫(アヌカンパー)で衆生に説法してるんだから ア ス ペ く ん の た め の
と ら じ ろ う の ぶ っ き ょ う に ゅ う も ん だ よ !?
,、‐'''''''''ヽ、
/:::::;;-‐-、:::ヽ _,,,,,,,_
l::::::l _,,、-‐"iiiiiilllllllllllliiiiiiiー-、__ゞ:::::::::::`ヽ,
ヽ::`/: : : : iiiiiilllll||llllliiiiii: : : : : : ヽイ~`ヽ:::::::i
. /;,..-‐、: : : : : l|l: : : : : : : : : : : : : \ ノ:::::}
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. !: : : :iflllli、: : : : : : : : : : : : : : : :ヽ: : : : : :.! あー、アスペくん?
|: : : :llllf l: : : : : : : : : : :.iflllli、: : : : : <iiii|
|: : : :|llll |: : : : : : : : : : .llllf l: : : : : : : : :.| ぼくは 諸 法 無 我 って言葉を知ってるかな?
|: : : :.!lllll!' : : : : : : : : : : |llll |: : : : : : : : :i
/: : : : : ○ : : .!lllll!' : : : : : : : :.i 五位法ついでに言語について言及するけど、言語(諸法)も無我なんだけど?
 ̄|: : :" ,,,,,,,,,,,,,|____ : : : : : : : :.<iii/
. /!.: |:::::/  ̄''''''''l ヽ: : : : :-─/─ 実体がないのに、一体なにに捉われるという妄想をしてるのかなー?
ヽ ヽ/ ノ : : :ヽ/
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. //:::::/ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ノ::::/\
. / /:::::/ ` ̄ ̄ ̄/:::::/. \
>>956
ア ス ペ く ん の た め の
と ら じ ろ う の ぶ っ き ょ う に ゅ う も ん だ よ !?
,、‐'''''''''ヽ、
/:::::;;-‐-、:::ヽ _,,,,,,,_
l::::::l _,,、-‐"iiiiiilllllllllllliiiiiiiー-、__ゞ:::::::::::`ヽ,
ヽ::`/: : : : iiiiiilllll||llllliiiiii: : : : : : ヽイ~`ヽ:::::::i
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. !: : : :iflllli、: : : : : : : : : : : : : : : :ヽ: : : : : :.! あー、アスペくん?
|: : : :llllf l: : : : : : : : : : :.iflllli、: : : : : <iiii|
|: : : :|llll |: : : : : : : : : : .llllf l: : : : : : : : :.| ぼくは ジ ャ ー タ カ って言葉を知ってるかな?
|: : : :.!lllll!' : : : : : : : : : : |llll |: : : : : : : : :i
/: : : : : ○ : : .!lllll!' : : : : : : : :.i お釈迦様の前生譚とされるもので、菩薩行等の物語なんだよ?
 ̄|: : :" ,,,,,,,,,,,,,|____ : : : : : : : :.<iii/
. /!.: |:::::/  ̄''''''''l ヽ: : : : :-─/─
ヽ ヽ/ ノ : : :ヽ/
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アートマンではないと言ってるだけで、
我や他という日常的感覚そのものを釈迦は否定していない。
変化するものだから執着するなと言ってるだけ。 >>959
アートマンではないと言ってるだけで、
我や他という日常的感覚そのものを釈迦は否定していない。
変化するものだから執着するなと言ってるだけ。 >>947
大乗の捏造経典をソースとして出す神経がすごい。 ア ス ペ く ん の た め の
と ら じ ろ う の ぶ っ き ょ う に ゅ う も ん だ よ !?
,、‐'''''''''ヽ、
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|: : : :|llll |: : : : : : : : : : .llllf l: : : : : : : : :.| ぼくは ジ ャ ー タ カ って言葉を知ってるかな?
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/: : : : : ○ : : .!lllll!' : : : : : : : :.i お釈迦様の前生譚とされるもので、菩薩行等の物語なんだよ?
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と ら じ ろ う の ぶ っ き ょ う に ゅ う も ん だ よ !?
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|: : : :|llll |: : : : : : : : : : .llllf l: : : : : : : : :.| ぼくは ジ ャ ー タ カ って言葉を知ってるかな?
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/: : : : : ○ : : .!lllll!' : : : : : : : :.i お釈迦様の前生譚とされるもので、菩薩行等の物語なんだよ?
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>>962
>>963
古臭い非我説だなあ
それじゃあヤージュニャヴァルキヤの「〜ではない、〜ではない」(neti, neti)と変わらんじゃろ
>変化するものだから執着するなと言ってるだけ。
無常であれ我は認めてないはずだけど
じゃないと五蘊説と矛盾する >>967
馬鹿野園じゃあるいまいし、何言ってんだ?
つうか、お前は馬鹿野園のIDなしか?
馬鹿野園はID外すなよ。
お前の相手しても時間の無駄だから分かるようにしとけ。 >>967
馬鹿野園じゃあるいまいし、何言ってんだ?
つうか、お前は馬鹿野園のIDなしか?
馬鹿野園はID外すなよ。
お前の相手しても時間の無駄だから分かるようにしとけ。 ア ス ペ く ん の た め の
と ら じ ろ う の ぶ っ き ょ う に ゅ う も ん だ よ !?
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_(,,) 今日の判定 (,,)_
/ | アスペマン惨敗 | \
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>>964
>>947
>大乗の捏造経典をソースとして出す神経がすごい。
ん?
>>946
>やっぱり菩薩は言語表現に捉われる馬鹿じゃんwww。
その菩薩は言語表現に捉われてないというのに金剛般若経を出したんだけど
菩薩の心得などは大乗仏典じゃないと載ってないからね
それではあなたの「菩薩は言語表現に捉われる馬鹿」としうソースを出してみて
先に言っておくけど利行は一方だから利他というのも自利というのも変わらないからね>>936 >>962
>我や他という日常的感覚そのものを釈迦は否定していない。
これも
>>936
を読んだ後のセリフとは思えませんなあ
我や他という感覚は言語表現だけのものとしてそのような表現をすることを否定はしていないのは、力量のある人(阿羅漢)がそういう表現をする場合。
阿羅漢になってない仏弟子は「我がいう」とかいうのは本来的にはよろしくはない。
ただ釈迦は「我というな」などという強制はしない。 >>958
Sn
1094 いかなる所有もなく、執著して取ることがないこと、──これが洲(避難所)にほかならない。それをニルヴァーナと呼ぶ。それは老衰と死との消滅である。
1095 このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩いを離れた人々は、悪魔に伏せられない。かれらは悪魔の従者とはならない。」
いかなる所有もなく、執著して取ることがないと、生死輪廻する現世で悪魔に伏せられないニルヴァーナを得ることは釈迦も説いているよ。 釈迦「名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、かれらは死の支配束縛に陥る。
しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が{有る}と考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾となるもの{煩悩}は、もはやその人には存在しない。 」
サンユッタニカーヤ
>>972
だからさあ、
他は言語表現だけのものである
と言ってるのはお前だろ。
大乗が「菩薩は利他ーーー!」と喚いてるのを知らないなら勉強しな。
で、釈迦が言ってるじゃないか、と言い出したのはお前。
大乗の捏造経典は釈迦の教えのソースにならんなあ。 >>972
だからさあ、
他は言語表現だけのものである
と言ってるのはお前だろ。
大乗が「菩薩は利他ーーー!」と喚いてるのを知らないなら勉強しな。
で、釈迦が言ってるじゃないか、と言い出したのはお前。
大乗の捏造経典は釈迦の教えのソースにならんなあ。 >>976
>大乗の捏造経典は釈迦の教えのソースにならんなあ。
アーガマ・ニカーヤが出典なんだよなあ… >>973
まーたバカなこと言ってるなあ。
お前の妄想のソースはどこ?
大乗の捏造経典はもちろんソースにならんよ。 >>978
は?金剛般若経を持ち出しておいて何言ってんだ? >>978
は?金剛般若経を持ち出しておいて何言ってんだ? 馬鹿野園に間違ってレスしちゃったよ。
ID消すなよ。
馬鹿野園に間違ってレスしちゃったよ。
ID消すなよ。
馬鹿野園に間違ってレスしちゃったよ。
ID消すなよ。
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/ | アスペマン惨敗 | \
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アスペマンは次元が低いから天空寺辺りでいいんじゃないの?
無理してこのスレに張り付いていてもストレスが溜まるだけだから。
>>979
>>936の前半の言語表現だけのものというのはサンユッタニカーヤに書いてあるものだよ。
あなたこそ勉強した方がいいんじゃないの? 大乗の六波羅蜜について
六波羅蜜(ろくはらみつ、ろっぱらみつ、梵:Ṣatpāramitā)とは、大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳目[6]。六度彼岸(ろくどひがん)や[要出典]六度とも呼ばれる[6]。
龍樹は『宝行王正論』[注釈 2]においてこの6項目を以下の3つのカテゴリーに分けて解説している。
布施・持戒 -「利他」
忍辱・精進 -「自利」
禅定・智慧 -「解脱」
龍樹によれば、釈迦の教えとは要約すれば「自利・利他・解脱」の3つに尽き、「自利・利他・解脱」はすべて六波羅蜜によって包摂されるため、阿含経に根拠を持たない大乗独自のこれら六波羅蜜も仏説であるという。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C
布施・持戒の波羅蜜は確かに利他行であるが基本は自己の修行(波羅蜜)である。
ここでも「利行は一方なりあまねく自他を利するなり」ということになる。 >>986
彼は誰にでも噛み付いてるから好きでやってるように見えるw
恐らくこのスレが好きなのでしょう暇つぶしの場所として
また心の中に溜まった毒を汚い言葉と共に吐き出せる場所として >>946
>やっぱり菩薩は言語表現に捉われる馬鹿じゃんwww。
さ、この「菩薩は言語表現に捉われる馬鹿」のソースを早く出してもらわないと ____)__
,. ´ ` ` 、
./ _ _ \
/ _  ̄ _ ヽ
/イィィ,,.,.,.,.,.,  ̄ ̄ !
f/ノノノノノノノ ヘ.__ j jノ__ノ
|/////// _ (__ ゚_>` __( ゚_イ 菩薩は言語表現に捉われる馬鹿じゃ
.!|.|i/_^ヽ|_'___r⌒ y' ヽ^)|
!|| fニ> :::::: `ー'゙ (_`___)ノ
ヽ.ニ` : /_ノ/川! /
__ノ 、 / ヾ---'´ ノ
__ノ \l ` ____,/
\ ノ リ.|`ー--
\ .//
( ´∀`) < ならそのソース出せよ、アスペマンwww
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ U \ \从/
/\ ,へ.__, ,_ノヽ|
||||||| (・) (・)| えっ!!
(6-------◯⌒つ|
| U _||||||||| | えっ!!!
\ / |_| /
/\____/ \ えっ!!!!!!!!
____)__
,. ´ ` ` 、
./ _ _ \
/ _  ̄ _ ヽ
/イィィ,,.,.,.,.,., アスペマン !
f/ノノノノノノノ ヘ.__ j jノ__ノ
|/////// _ (__ ゚_>` __( ゚_イ
.!|.|i/_^ヽ|_'___r⌒ y' ヽ^)|
!|| fニ> :::::: `ー'゙ (_`___)ノ
ヽ.ニ` : /_ノ/川! / 釈迦は「菩薩は利他ーーー!」なんて喚いてねえだろ。
__ノ 、 / ヾ---'´ ノ
__ノ \l ` ____,/
\ ノ リ.|`ー--
\ .//
( ´∀`) < お 前 ジ ャ ー タ カ も 知 ら ね ー の ?
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ ι \
/\ \ / |
|||||||. <・> < ・>|
(6.------"◯⌒つ"| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ι _||||||||| | < あうあうあうあう・・・・・・
\ //__/. / \________
/\ /\
執着して取ることがないならば涅槃を得る、ということは、執着して取ることがないならば生死輪廻が滅尽する、という意味です。
十二縁起、無明〜渇愛〜取(執着)〜生老死。
渇愛・取(執着)がなければ、生老死(生死輪廻)は滅尽するという教え、それが涅槃です。
原始経典を読めば分かるように、釈迦の悟り・涅槃は、五道輪廻からの解脱と煩悩からの解脱がセットになっています。
十結煩悩解脱=五道解脱=阿羅漢、です。
五下結煩悩解脱=四悪道解脱=不還、です。
三結煩悩解脱=三悪道解脱=預流、です。
三結煩悩断じ二結(欲貪・瞋恚)薄れて、
三悪道尽きて、人間界にあと一回だけ生じるだけまでに、五道解脱が進んだのが一来です。
いいですね。
鹿犬山君、
絶叫ワンコマシーン状態ですね、
さすがっすw
>>994-995
大般若波羅蜜多経卷第四百三
舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識不異空。空不異受想行識。受想行識即是空。空即是受想行識。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不染不淨。不増不減。非過去非未來非現在。
如是空中。無色。無受想行識。無眼處無耳鼻舌身意處。無色處無聲香味觸法處。無眼界色界眼識界。無耳界聲界耳識界。無鼻界香界鼻識界。無舌界味界舌識界。無身界觸界身識界。無意界法界意識界。
無無明亦無無明滅。乃至無老死愁歎苦憂惱。亦無老死愁歎苦憂惱滅。
無苦聖諦無集滅道聖諦。
無得無現觀。無預流無預流果。無一來無一來果。無不還無不還果。無阿羅漢無阿羅漢果。無獨覺無獨覺菩提。無菩薩無菩薩行。無正等覺無正等覺菩提… 大乗が釈迦の教えそのものであるなら、独自の大乗経典を捏造する必要がないだろ。
なんで、独自の経典を捏造したの?んー???
大乗を論破するにはこれで十分。
lud20200915124031ca
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