喜多方ラーメンブームが突然に起こった理由は、
NHKテレビが全国放送で喜多方ラーメンを紹介したことと、
喜多方市役所がお金を払って旅行誌「るるぶ」で宣伝を始めたのが原因
昭和57年 NHK「東北のめん」と題し、取上げられた
昭和58年 喜多方市役所がお金を払って旅行誌「るるぶ」で宣伝を始めた
昭和60年 NHK「おはようジャーナル」で「追跡・ラーメンの香りただよう蔵の町」での放映。
「蔵のまち喜多方」を取材にきたのだが、ラーメン屋が沢山あるのに驚き、それも合わせて紹介したところ一挙にブームになりました。
■喜多方ラーメンの歴史
昭和2年の手打ちの中国人・藩欽星と、
昭和20年の機械打ちの蓮沼季吉の2人が喜多方ラーメンの元祖
↓
JR喜多方駅近くにある源来軒の藩欽星(ばん・きんせい)。
中国浙江省の生まれで両親と死別したため大正14年に19歳で日本で働こうと長崎に来て、東京・横浜で土木作業員をし
昭和2年に喜多方のすぐ北にある加納鉱山(銅山です)で働いていた叔父を頼ってきた
ところが叔父も仕事を世話できず、相談した結果、中華麺を打って屋台で売り歩いて生計をたてることにした
この時、中華麺を思い出して見よう見まねで作ったのが「平ったくて、太い麺で、縮れ麺」「喜多方ラーメンのルーツ」だった
↓
終戦直後から製麺業を営む蓮沼季吉
↓
蓮沼季吉が浅草に遊びに行ったところ、鍋などに小麦粉を入れて並んでいる行列があって、何かと思ったらラーメンを機械で打っていた
原料を持ち込み、加工賃を払ってラーメンを打って貰っている。終戦直後にはそんなことがあった
これを見た蓮沼季吉は、「そうだ、俺は喜多方で機械打ちラーメン製造をやる」と決めて、機械の売り元を聞き出して買って帰った
↓
そこで蓮沼季吉がお手本にしたのが、その時にはすでに屋台をやめて喜多方駅近くの今の場所に開店していた源来軒の手打ちラーメン
「平ったくて、太い麺までは機械で打てたが、……試行錯誤して縮れ麺になるよう機械を改良して、現在のラーメンにした」
蓮沼製麺が『手打ち風ラーメンのルーツ
↓
「喜多方ラーメンの独特の味と製法は蓮沼さんの工場で働いていた方達が製麺所を開業したので守ることができました」
その一人が坂内食堂などに麺を供給している曽我製麺所の創業者、曽我忠英
↓
確かに、藩欽星さんの源来軒のように手打ちだけでは多くの需要は満たせません
機械打ちによる「手打ち風」の大量生産が「喜多方ラーメンの普及に大いに寄与したことは間違いありません
↓
1975年NHK新日本紀行にて放映
1982年NHKテレビ東北アワー「東北のめん」にて放映。林家木久蔵 氏によって喜多方ラーメンが紹介される
1985年NHK「おはようジャーナル」-追跡ラーメンの香りただよう蔵の町-にて放映 喜多方ラーメンの知名度が急騰
観光客が来るようになった
>>10
てんこ盛りとどっちが薄いですか?
てんこ盛りより薄くなければOKです こうふく、前は味薄くなかったしチャーシューももっと肉厚だったんだけどなぁ…
夕方4時まで営業するの止めてからは全く行かなくなっちゃった
営業が厳しいということかな
味まで薄くするかって感じだが
いちおつです
香福は2ヶ月ほど前に初めて行きましたが好きな味でした
以前はもっと良かったということでしょうか
香福は薄い方にばらつきが大きいイメージ。
お肉の塩気+スープの塩気が絶妙な時がある一方
『あれ?こんなだったっけ?』と思うことも。
自分の評価はほぼ朝ラー梯子の中での評価になるので自分の体調や
朝ラーの1軒目なのか2軒目なのかというところにも依るけど、
他所よりは当たり外れが大きめかな?
だから濃い目を頼むようにしている。
ここは喜多方市内で営業しているラーメン店に訪問して
各店の味などを語るスレです
幸楽苑は喜多方ラーメンでしょう
●麺は喜多方ラーメン元祖の蓮沼製麺に影響された
縮れた多加水麺
●スープは喜多方ラーメンで主流の
煮干しと醤油
●具はチャーシューとメンマ
他の都道府県のラーメンは
麺が低加水率
麺が細い
麺がストレート
スープに煮干しは使わない
具にメンマが無い
幸楽苑は喜多方ラーメンです
まじか
醤油ラーメンはオールドスタイルの喜多方ラーメンに相当寄せてると思うけどそもそもが会津若松の中華料理店だし店名も会津っぽだったけど
スレチと言うと思ったが
現在は幸楽苑のスレが無くなってしまったか
他の都道府県はスープに煮干を使わないなんてのはちょっと
生粋の神奈川県民@爺だけど
普通に中華そば(ラーメン)は鳥ガラ+煮干しのスープで醤油味がメイン。
どれだけ澄んだスープ月Kぅれるかが職人の技だった。
朝鮮人が家系とか言うの出して土方風味が主流になったが orz
ここは
@喜多方市内で営業している
A喜多方の水を使ってる
ラーメン店に訪問して各店の味などを語るスレです
>>29
エロビデオ販売で逮捕された前科者の話?
スレチじゃない? んだよ。元祖はR16杉田に有ったラーメン屋併設のビデオ屋(メインは裏w)
良くも悪くもあの辺の工場労働者やら、市場への運ちゃんメインにした商売なんだよ。
そのしょっぱい系がある程度ウケて、味覚障害系の若者が乗った。
1ミリも面白くない
こういうのって世間を知らない引きこもりの
子供部屋おじさんとかが書き込みしてるの?
会津っぽの頃は今と違い中太ちぢれ麺で、個人的には味噌ラーメンが最高だった。
その頃はどの店も味噌ラーメンが大しておいしくなくて、その中でピカイチだったよ。
幸楽苑に『是非,フランチャイズ店をやりたい』と申し込まれる方が出てきて,福島県内に15店ほどフランチャイズ加盟店が出来ました。
しかし,味噌ラーメンなら,店で生味噌から一つひとつ作っていくようなやり方でしたから,
各店で味にブレが出始めて,一度フランチャイズ展開を止めているんです。
その後,工場で最初から味噌に調味料を入れて,店でスープと混ぜれば『誰が作っても同じ味が出せる仕組み』が生まれたわけです。
どちらがおいしいかは別にして,幸楽苑と同じ名前で違う味の商品を出すことはできないので,
『会津っぽ』という名の新たなラーメン専門のチェーン化を進めていったわけです」
直営「幸楽苑」,FC「会津っぽ」という2本立てでやっていく中,
「お客さんから,『幸楽苑』さん,『会津っぽ』というライバルが出現して大変だね」と言われるようになった。
このような経緯から,2004(平成16)年に
「会津っぽ」全店を「幸楽苑」に変更し,イメージ統一を進めることになる。
1997(平成9)年には,ラーメン・チェーン業内での多角化として,
“あっさり味”をウリとする「幸楽苑」と「会津っぽ」に対し,
“こってり味”をウリとする「喜伝」(きでん)(なお屋号では,「喜」は草書体で記される)をオープンさせた。
これは脂っぽさ好む若年層を中心に新規需要を開拓するための仕掛けであった。
1998(平成10)年にはとんかつ屋「とんかららりん」,
2000(平成12)年には中華ダイニング「チーファン」をそれぞれオープンさせた。
>>23
幸楽苑は会津ラーメンなんじゃないの?
会津のラーメンはみんな幸楽苑みたいな感じだよ。
喜多方みたいに透き通った豚骨スープじゃないし。
もっと醤油醤油してるのが会津ラーメンと幸楽苑じゃない? 会津ラーメンの歴史
会津ラーメンは、会津若松市の「三角屋食堂」が最初です。
食堂の主人が、大正から昭和初期にかけて横浜に出稼ぎに行き、そこでラーメンを食べました。そして、会津に戻り、食堂を始めたのが興りです。
大正15(1925)年には、喜多方市で「源来軒」が開業します。
昭和25(1950)年には、喜多方市に「まこと食堂」が開業します。
「幸楽苑」は、昭和29(1954)年に、先代の新井田氏が、会津若松市の神明通りに「味よし食堂」を開店したのが始まりです。
会津では、喜多方市の他に、西会津の味噌ラーメン、会津若松大戸町三寄のラーメンが知られています。上三寄周辺には5軒あり、その内の1軒は、もともと牛乳販売をしていて、後にラーメンを作り始めたことから、「牛乳屋食堂」と呼ばれています。
「うえんで食堂」の「うえんで」は、字上ノ台のなまり。「ばんげ屋食堂」は、夕方(晩)しか営業しなかったために、そう名付けられました。
会津ラーメンの特徴は、麺。平打ちの縮れの太麺。麺工場は、会津若松市と喜多方市に集中しています。
スープは、店により独自の味を作り出していますが、豚骨ベースが主体です。煮干し、醤油がベースのものも多くあります。
会津では、味噌ラーメンと言えば、味噌味のシンプルなものと、いわゆる味噌タンメンを指すものがあります。味噌タンメンは、野菜、もやし、肉をふんだんに入れたものを言います。会津の味噌ラーメンといえば、多くは味噌タンメンを指しています。
�`の店ってこってりがウリだったのか!ただ単に会津っぽが看板の名前変えただけだと思ってた…
しかしその後,「喜伝」については,2001(平成13)〜 02(平成14)年にかけて
新業態としての「幸楽苑」への統合が進められる。
「新業態」とは,既存の価格とメニューの改定,さらに店舗イメージの刷新を意味する。
スープの変更もおこなった。
新スープは,「幸楽苑」「会津っぽ」の“あっさり味”と「喜伝」の“こってり味”を混ぜたもので,
これによりコクがありながらも食べ易い味に仕上がった。
「商品開発室で初めて試食した時『これはうまい,万人に受け入れられる味だ!』と確信しました。すぐに『これでいこう』となった」。
そのうえで2001(平成13)年6月と7月の2ヵ月間で,
栃木,茨城,群馬,新潟県下の30店の「会津っぽ」と「喜伝」を新業態「幸楽苑」に転換した。
業態転換にあたり,3日間休業し,1店あたり300万円を投じて
黒を基調とするシックな雰囲気に建物を塗り替え,看板の付け替えをおこなった。
これにより,各店の業績が対前期比で150 〜 200%も伸長した。
さらに2006(平成18)年5月には,「しょうゆ味・中華そば」を290円に引き下げた。
幸楽苑の味噌ラーメンが好き。
あの独特の風味は他じゃなかなかないよね。
ゴマとニンニクの香りがするんだけど、もっと不思議な香りもする。苦いような香り
出来合いのスープでも美味い
喜多方ラーメンと会津(若松中心)ラーメンはほとんど一緒と思うんだけど明確な違いはあるの?
個人の主観ではオールドスタイルの喜多方ラーメンは豚が角バラ、会津ラーメンは味噌タンメンもメジャー
喜多方ラーメン : マジしょっぱい(まこと基準)
会津ラーメン : しょっぱ目だけど普通のラーメンスープ(濁り多し)
>>36
俺は20年位前に新潟にいた頃食べた肉味噌ラーメンかな。あれは美味しかった。冬限定。 >>46
若松から喜多方に行くなら古川農園でいいよね >>43
野菜味噌だよね?あれはうまい。
あと匠。 三重からです
昨夜、BS6?でモト冬樹の喜多方を巡る番組を観た
満古登の喜多方ラーメンはうまそうだった
坂内が元祖だと思っていたが満古登なんですね
しかし、喜多方の街があれほど寂れているとは思わなかった
人や車が少なすぎる
会津だと喜多方でもかなりマシな方なんやで
市が若松も喜多方しか無いからな
× 市が若松も喜多方しか
○市が若松と喜多方しか
しかも街中に限っていえば、下手すると喜多方のが若松市より観光客多いんじゃないかな。みんなラーメン散策してる。
若松市は鶴ヶ城と飯盛山周辺に観光客居るだけで、それ以外は駅前も神明通りメイン商店街も閑散としすぎて目も当てられない
喜多方ラーメンの元祖は満古登でも坂内でもなくて
元祖は昭和20年の機械打ち製麺所をつくった蓮沼季吉
蓮沼季吉が浅草に遊びに行ったところ、鍋などに小麦粉を入れて並んでいる行列があって、何かと思ったらラーメンを機械で打っていた
原料を持ち込み、加工賃を払ってラーメンを打って貰っている。終戦直後にはそんなことがあった
これを見た蓮沼季吉は、「そうだ、俺は喜多方で機械打ちラーメン製造をやる」と決めて、機械の売り元を聞き出して買って帰った
↓
そこで蓮沼季吉がお手本にしたのが、その時にはすでに屋台をやめて喜多方駅近くの今の場所に開店していた源来軒の手打ちラーメン
「平ったくて、太い麺までは機械で打てたが、……試行錯誤して縮れ麺になるよう機械を改良して、現在のラーメンにした」
蓮沼製麺が『手打ち風ラーメンのルーツ
↓
「喜多方ラーメンの独特の味と製法は蓮沼さんの工場で働いていた方達が製麺所を開業したので守ることができました」
その一人が坂内食堂などに麺を供給している曽我製麺所の創業者、曽我忠英
↓
確かに、藩欽星さんの源来軒のように手打ちだけでは多くの需要は満たせません
機械打ちによる「手打ち風」の大量生産が「喜多方ラーメンの普及に大いに寄与したことは間違いありません
↓
1975年NHK新日本紀行にて放映
1982年NHKテレビ東北アワー「東北のめん」にて放映。林家木久蔵 氏によって喜多方ラーメンが紹介される
1985年NHK「おはようジャーナル」-追跡ラーメンの香りただよう蔵の町-にて放映 喜多方ラーメンの知名度が急騰
観光客が来るようになった
坂内本店へ行ってみたいと前々から思っていましたが、チェーン店の坂内の方が美味しいって聞きましたが本当ですか?
親切な人が教えてあげるんだろうな
でも別に尋ねてないだろ?
ここは
@喜多方市内で営業している
A喜多方の水を使ってる
ラーメン店に訪問して各店の味などを語るスレです
三重県には美味しいスガキヤが数十店あるでしょ
スガキヤのラーメンは
三重県民のソウルフードだよ
三重県民はソウルフードのスガキヤのラーメンがあるから
喜多方ラーメンは流行ってないし
三重県民に喜多方ラーメンは嫌われています
ごめんごめん
三重に坂内ブランド(麺食)が3店舗あるのよ
小法師と小法師じゃないのもある
>>58
正直、醤油の風味が好きな自分はチェーン店の坂内のほうが好き。
チェーン店の坂内はむしろ香福やうめ八(どちらも坂内で修業)に近いと思う。 >>67
今更だが、三大ラーメンの本場はどこも遠いので、近場で済ませることになるのだが、
考えてみると、博多ラーメンや札幌ラーメンは近場でもおいしく食べられるけど、
喜多方ラーメンは何か違うんだよな。
やっぱり水かな。
他のラーメンが明確な特徴ある味に対して、淡い繊細な味だから再現が難しいのかも知れん。 >>69
そりゃ、根本が違うような・・・w
喜多方ラーメンって本来家系並みに塩分濃度が高いぞ。
繊細でもなんでもないガツン系だと思うんだけど?
商売的には多加水熟成麺で寝かせる時間が必要、
今のラーメン屋の主流に適合していない。 >>67
小籠包で有名な鼎泰豊を知ってると思うけど本店(台湾)は本当に絶品だった
日本の何店舗かでも食べたがあそこまでの感動はなかった
そんな感じよ早く食べに来な 三重県には松阪牛、赤福、四日市トンテキ、伊勢うどんとういう安全で美味しい食べ物があるんだから
わざわざ寿命を縮めるために放射能汚染された福島県に行く意味は無い
本場で喜多方ラーメンを食べるのはあきらめましょう
本場の喜多方ラーメン坂内本店よりもチェーン店の坂内の方が美味しいと聞いたが本当なのか、試してみたいのだ
「これが喜多方ラーメンか」としげしげと見つめ、吸い込まれるようにドンブリを持ち上げて直接スープを飲んでみます、目を開けていられないほどの透明感、「都内チェーン店とは全然違う」とは聞いてましたが、これほどまでに違うとは・・・全く違うじゃないですか。
トンコツスープとか野菜ダシとかそんなことはどうでもいいと思うような美味しいスープ。もうこれ以上縮れると切れてしまいそうなくらい縮れた平打ち麺はモチモチ感たっぷりで、食べると言うよりスープを飲むという感じ、ギリギリまで茹で上げているのでしょうね。
いわゆるチャーシューは四枚ですが、脂身が半分くらいあるバラ肉で美味しいことは美味しい。細切りメンマが数本に刻みネギは箸休めにちょうど良かったです。
喜多方市で一番美味しい喜多方ラーメンの店はどこですか?
坂内?
満古登は元祖の店なの?
喜多方には九州ナンバーや四国ナンバーや北海道ナンバーの車も毎週来てる。
三重県からなら600kmしかないから高速道路で日帰り出来るだろ。
甘えるのもいい加減にしろ。
>>78
高速使えば日帰りでもオッケーかな
ひとつだけ気がかりごあります
今は放射能の値はどれくらいなの?
三重県は美味しいものも多いしほんといいところ
福島県の人も高速使って遊びに来て欲しい
伊勢神宮
ナガシマスパーランド
鈴鹿サーキット
松阪牛
伊勢エビ
赤福 >>78
ごめん間違った
うちの娘の名前ははるなとこなたです 市役所近くの喜多屋という店で食べたことがある方はいますか?
某麺会に与していないチャーシューの美味い店ですね
>>82
うちの娘は17歳と20歳です >>79
愛知県民だけど先日、喜多方行ってきた。
福島県内だけど喜多方は原発から遠いし全く問題ない。
もっと近い中通り浜通りも、毎日測定結果が公表されてるけど、気にするほどではない。
坂内は行かなかったので知らない。
伊藤食堂(煮干し)と源来軒(元祖)が美味しかった。 わざわざ来なくても蓮沼のラーメン家で茹でて食ってりゃいいのに
>>85
源来、伊藤は安定の旨さ
個人的には今も営業している店の中では長谷川も良いかな?
喜多方じゃないけど先日とら食堂行ったら昔より脂っこくなってイマイチだった…
やっぱり喜多方の方が自分には合ってるって再確認 >>88
同じく。
喜多方に行く前に、白河のとら食堂、火風鼎に行ったけど、喜多方のほうが美味しかった。 >>83
ありますよ
醤油より味噌がオススメかな。デフォでちょい辛なので辛味噌は頼まないように >>90
ありがとうございます
味噌も好きなので行ってみたいです