現代人でも至難の業! 卑弥呼の船はなぜ大陸から帰れたのか
「逆転の発想」から見えてくる邪馬台国
播田 安弘
邪馬台国はどこにあったのか?
この難問を考える手がかりは遺跡・出土品や『魏志倭人伝』の記述などさまざまですが、どれも決め手を欠いている状況です。
そこで一つ、検討してみたいのが、中国大陸との交易路です。
女王・卑弥呼は国づくりのため積極的に大陸に船を出し、有用な物資や技術を導入していました
しかし、朝鮮半島から対馬海峡を横断して日本に帰る航海は至難の業で、現代人による実験航海でもほとんどが失敗しているのです。
なぜ卑弥呼の船は戻れたのか?
船舶設計のプロフェッショナルであり、このほど『日本史サイエンス〈弐〉』を上梓した播田安弘氏の仮説から、邪馬台国への意外なルートが見えてきました。
(以下略、続きはソースでご確認ください)
gendai.ismedia 2022.06.17
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96280 人は、過去は実際以上に遅れていたと思い、未来は実際以上に進んでいると想像しがち。
朝鮮半島の左側の海域って内海だよね。 対馬を経由しての渡海 そもそも人類舐めてるのか レス@のおっさん。
卑弥呼は大陸には行ってない
すべて大陸からのほぼ一方通行で大陸からきた連中で大陸に戻れたやつは100人中5人のレベル
これが史実
国王が戻れるかどうかもわからんリスクを背負って海を渡ろうとはしないし、側近ももちろん止める
だから頻繁に中国の奥地方よりも活発な都市活動が行われてきたんだろ韓国の古代都市は。
内密だったとは思う今の韓国人の住む領土で云う古代の中国とは。中国と同一化を目指していたし文化的に・・カナダみたいなものだと思えばいいんじゃないの?今で云う。
>>4
同じような船は今の技術で作れるよ
当時の技術で今は作れないが正しい
リベット打ち職人なんか今は居ないもの どう考えても 卑弥呼≒大和政権でしょ。 東征した神話伝説あるわけだし神話に。
そん時に孔子とか三国志あったんだよ 卑弥呼の前に中国w キリスト生まれる前にだぞw
ここら辺がすごいよなとは思う中国。
>>5
朝鮮半島に長安をコピーした都はない。明治時代のソウルの市街地のみすぼらしさを見ても明らかだ。
中国牡丹江の上京龍泉府がまさに長安のコピー都市だった。ここらと日本の山内丸山遺跡の秋田、
新潟あたりが、交易が盛んだった。💩都市ソウル・朝鮮とは交易はなかった。 この半構造船とやら、瀬戸内海は進めないんだってね
つまり、邪馬台国畿内説は嘘
>>1
しかし魏志倭人伝には対馬海峡を難なく渡り当たり前のように福岡につくのが示唆されてますが
これはどういうことでしょう >>10
違うな
卑弥呼の政権が大和へ遷移したなら、当然その記憶があるはずで、
中国大陸との交渉についても記紀に記述されてるはずだが、
大和朝廷は卑弥呼がいたってことを魏志で知ってるだけ
むしろ卑弥呼と対立してた側が東遷したんじゃね? 船造り、天候読み、海流読み、漕ぎ方が素人レベルなんじゃないの?って疑問点のが大きいです
>>13
例えば黒潮には東から南西へ流れる黒潮反流があって古代よりその海流に乗ると
日本本土から琉球まで行けたように対馬反流みたいのがあったのかな 古墳時代に、大量の鉄と馬が日本へ渡海したことは確実。
逆に、巨木で作られた棺が朝鮮半島へ運ばれたことも確実(百済の王の棺は日本製というのは、古代史の常識)。
古墳時代にはそれなりの渡海技術があり、卑弥呼の時代はそれよりはるか昔のことでもない。
グダグダと丸木舟の性能やら潮流やらで屁理屈を並べ、
「そんなことできないでしょう」と言っても意味がない。
この人が、当時の船舶造船技術や航海技術を見下し、間違って解釈してるだけ。
トンデモ論にありがちな「古代人は馬鹿だった」という偏見の典型例だよ。
>>7
卑弥呼本人が行ったなんてどこにも書いてないだろ 邪馬台国は北部九州一帯の政権で、南に敵を持ってたってことから、南部九州、要するに天孫降臨の宮崎や隼人の薩摩あたりが、
邪馬台国に対立するクナ国だったんだろう
神武天皇のちょいと前が海幸山幸で、要は神武は山幸の子孫、海幸が薩摩隼人の先祖とされ、天皇の陵を守るのは薩摩隼人の役割だったと
そんなあたりが傍証になるだろう
卑弥呼は使いを送って生口を献じたとあるから、卑弥呼自身は行ってないが使者は大陸へ渡ってる
沖縄本島伊礼原C 遺跡から出土した縄文時代前期の木製品 および ...
www.jstage.jst.go.jp ? article ? hisbot ? _article ? -char
2021/06/16 ・ 沖縄本島北谷町の伊礼原C遺跡から発掘された縄文時代前期の木製品
や加工木,および自然木の樹種を同定した。計87 点中には27 分類群が見いだされた。
沖縄、縄文時代にブタ飼育 7000年前の遺跡から高齢の骨(共同通信)
news.yahoo.co.jp ? articles
2021/11/15 ・ 沖縄本島では、7千年以上前の縄文時代にはブタを飼育していたことが
分かったと、名古屋大と沖縄県立埋蔵文化財センターのチームが発表した。
>>5
玄奘三蔵が孫悟空=斉天大聖などを従えてシーティエンチューチーン=西天取経して支那語にに翻訳した
摩訶般若波羅密多心経の「摩訶」は意訳すると「大」で「バカ莫迦」と音訳される。
大韓=莫迦韓=馬鹿韓なのだ、馬鹿韓民国塵諸君! だれかリモートビューイングでその時代を覗いてみろよ
いやいや、理由ははっきりしてるでしょ。
持衰(じさい)という人を乗せて、その人が航海の安全を祈ってたんだよ。
この人は魏志倭人伝読んで無いのかな?
「古事記」「日本書紀」では、卑弥呼への言及は無い。
天照大神が卑弥呼とは言えない。
大和朝廷はたくさんの後ろめたい秘密を抱えている。
>>1
そうでもないだろう?
沿岸伝いなら古代の船でも九州から大陸に渡れるよ。
古代は人口が少ないから、海賊もあまり出なかったみたいだしな。
だから縄文人も結構大陸に渡っている。
むしろ技術が進んで、船も進化して、公開技術も発達してきた
中世のほうが引きこもり状態になっている。
中世は海賊が出るからな。 縄文時代から日本が船を駆使して交易や漁を行っていたからね
日本書紀の神武東征の記述通りの大阪湾の地形が存在したのは約2700年前だと地理学、土木学で証明済み。
神武天皇の橿原宮跡地とされる橿原神宮の地下から出土した縄文時代後期~晩期の大集落跡と橿の巨木をC14年代測定した結果、約2700年前のものだと考古学で証明済み。
鹿児島県の遺跡では12,000年前の薩摩火山灰の下層からイネのプラント・オパールが検出されており、
これは稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年代となっている。
鹿児島県の上野原遺跡では、弥生土器に類似した1組の壺形土器が約7500年前の土層から見つかっており、
これは弥生土器を齎した渡来系弥生人の原郷とされるシニ・ガイ文化よりも古いものとなっている。
稲作も弥生土器も鹿児島が大元ということが考古学的に証明済み。
(古代の日向は現在の鹿児島県と宮崎県を併せた領域)
つまり、約2700年前に神武東征によって南九州から稲作と弥生土器などの弥生文化が日本中に普及したということ。
邪馬台国=大和国 (三国志において台=ト)
卑弥呼=神功皇后
台与=豊姫(神功皇后の妹) (三国志において台=ト)
興台産霊=コゴトムスビ (日本書紀において台=ト)
倭国大乱=三韓征伐
三国志「倭国大乱があったけど女王がトップにたって治まった」
魏は大乱後に治めている女王に対して金印を渡してる
神功皇后紀
新羅を討った翌年(摂政元年)2月、皇后は群臣を引き連れて穴門豊浦宮に移り天皇の殯を行った。
略
同年10月、皇后は群臣に皇太后と認められた。この年が摂政元年(神功皇后元年=西暦201年=皇紀861年)である。
摂政2年11月8日、天皇を河内国長野陵に葬った。摂政3年1月3日、誉田別尊を太子とし、磐余若桜宮に遷都。
筑紫の橿日宮は倭国大乱の一部である熊襲征伐のために一時的に築いた九州の拠点
倭国大乱後に皇太后・摂政すなわち女王として君臨して大和の磐余若桜宮に遷都しているので
三国志にある倭国大乱後の女王の宮は大和の磐余若桜宮
元々神功皇后は女性天皇として列せられていたが、明治維新後に天皇ではなかったことにされた
これは荒井白石が古代日本が中華王朝に朝貢していたことを否定したくて、邪馬台国九州説を唱えたことに端を発しており、
女王卑弥呼と神功皇后を同一視させないために、天皇ではなかったとしただけの話
国粋主義者による歴史修正の産物が、邪馬台国九州説と神功皇后非天皇説(神功皇后≠卑弥呼説)
現存する最古の天皇系図「本朝皇胤紹運録」においても
第15代天皇は神功皇后であると書かれている
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2539418 >>10
その頃、現地には「中国人」はいません。
それをあたかも中国の歴史は5千年という無茶な中共の捏造話を信じているのですか?
ウィグル人でさえ抹殺して中国人と言わせようとしているの現実を見てまだわからないのですか?
だいたい5千年もあれば、もうちょっと今の中国は人間性が進化してるはずですがw
明治時代の技術でさえ、再現できないものがたくさんある。古代の技術はバカに
出来ないぞ。
漢委奴国王の金印のほかに、『魏志倭人伝』にはもうひとつの金印が日本に伝わったという記事があります。
授けられた金印です。
神功皇后
摂政3年(西暦203年=皇紀863年)1月3日、誉田別尊を太子とし、磐余若桜宮に遷都。
摂政13年(西暦213年=皇紀873年)、2月に太子が武内宿禰に連れられて角鹿の笥飯大神に参拝。
笥飯宮出発から始まった皇太后の遠征事業はここに終わり、酒宴が催された。
魏
景初3年(西暦239年)、邪馬台国の女王であった卑弥呼が魏の都へ貢ぎ物を贈ったことに対して金印を授けた。
>>12
瀬戸内海は月(月亮ユエリャン)の動きに連れて
滿ち潮、引き潮と潮流が変わるから潮待ちをすれば東西どちらでも進めた。
明石大門(あかしおほと)=明石海峡の潮流は激しいから東行きの場合加古川の川岸から船を
陸に引き上げて荷車に乗せて陸路明石海峡を迂回したらしい。
万葉集第1巻:0008番の謌
額田王(ぬかたのおほきみ)作
原文
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
熟田津(にぎたつ)に、船(ふな)乗りせむと、月(つき)待てば、潮(しほ)もかなひぬ、今は漕(こ)ぎ出(い)でな
熟田津(にぎたつ)で、船を出そうと月=潮時を待っていると、いよいよ潮の流れも良くなってきた。さあ、いまこそ船出するのよ
「乞菜」の訓み方は異説有り、「漕(こ)ぎ出(い)で」のフレーズは「こぎ」と「いで」で母音「い」が連続しているから
訓み方が間違っている可能性が大いにある。 都合よく日本凄いを造る、縄文人や弥生人が沖縄に黒潮乗り越えて移住するのは不可能
沖縄各地から発掘されるのは大量の大陸東南アジア朝鮮の遺物。南方系人が沖縄先着民
後大陸や東南アジアが沖縄でミックス。7000年前に豚を飼育してたのは沖縄人で
縄文人ではない
行くときに綱を垂らしていき帰りは国の連中が引っ張った
>>42
琉球新報 現代沖縄人DNAの遺伝系統「日本本土に近い」
縄文人でした 300年前の日米中露韓に比べたら現代なんか想像もできないだろ。
1000年前の想像だって怪しいもんだ。
縄文人の時代から北周りで普通に海路で国内や樺太方面と交易してるの解ってる
実際に中国船は渡れるし造船技術も沖縄方面や樺太方面の両方から入ってると考えられる
なので弥生時代には渡海出来る船は有ったと思われる
当然 沈んだ船も多かったろうけど思ったより渡海してた数は多かったんじゃないだろうか
季節選べばたいして危険ではないって聞いたけどなぁ…。
そうじゃなきゃ倭寇があんなに活躍してねーべ。時代が下るとはいえ。
御蔵島の歴史 - BIGLOBE
www5b.biglobe.ne.jp ? ~mabuta ? progra-m ? fl-history-1
縄文時代の縦穴式住居の跡が多数、現在の交番あたりの断崖付近で発見されました。
約6千年前の遺跡とされ、東京都内では最古の縦穴式住居跡でした。
また伊豆御蔵島よりもさらに南、都心から約300kmにある八丈島では
縄文時代の遺跡から神津島の黒曜石と本土の黒曜石も見つかっており、
縄文人が本土から丸木舟に乗って黒潮本流海上を渡って来たと考えられています。
>>23
魏志倭人伝の頃、弥生時代末期の九州北部にあったのは、
現在の博多と糸島市に存在していた奴国と伊都国で、いずれも九州最大の勢力だったけど
当時、既に畿内勢力に戦いで負けており、一大卒(のちの大宰府)まで落とされている。
また魏志倭人伝によれば伊都国は女王国だったが、平原遺跡がその墓所だったと考えられる。
非常に大きな鏡が多数出土しており隆盛が偲ばれるが、方墳であるため支配者はヤマトではなかった
これは邪馬台国=畿内勢力であることを強く示唆するものである。
ちなみに当時の一大卒は(対外防衛の要所でもあったため)
時代を経るにつれて内陸に移動していき、今の大宰府に至る >>42
かつての琉球王国、現在の沖縄県民の祖先の多くは
古墳時代のころ九州南部から移住した民族であることが解っている
ちなみに、さらに台湾寄りの先島諸島(石垣島とか宮古島とか)の
民族集団とは異なっていたことが、研究により示唆されている。 >>48
誰に聞いたんだ。
そういう噂話レベルの説で歴史を歪曲するのは井戸端会議だけにしとけ ちなみに平安期ぐらいだと、まだ沖縄に移り住んだ集団は
九州南部とほとんど同じ言葉を話していたことが解っている
沖縄の言葉と本土の言葉は地理的距離が離れたことで
当時から約1000年かけて互いに別の変化を遂げてきたことが解る。
>>1
> それでも卑弥呼は大陸に船を出しつづけました。リスクを冒してもやらなければならないという強い意志を感じざるをえません。その大きな理由は、大陸の先進的な文物や技術を導入すること、とりわけ鉄を手に入れることだったと考えられます。
いやいやどう考えても王の称号と軍事同盟でしょう
軍師まで来てるし
鉄を卑弥呼の頃に邪馬台国が直接大陸から購入してたかどうか疑問 卑弥呼の国は実は朝鮮半島にあった。
帯方郡から南東へ航海すると馬韓に至る。
馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。
それぞれの馬韓諸国には首長がいた。集落に城郭は無く、
五十余国が存在した。(ウィキより)
その記述と、魏志倭人伝の記述には符合する点が多い。
また、国名にも一致点があり大陸諸国が周辺諸国を見下して
「馬」の前に「邪な」とつけたと考えられている。
「馬」韓 〜邪「馬」台国
これは倭人コードと呼ばれるもので、日本建国の秘密を
今に伝えている。
‘‘>>42‘‘ は沖縄関係のスレに出てきて出鱈目を吹聴している朝鮮学校人だから
歴史と科学が理解できない
コピペまがいの同じことを繰り返し書き込む
皆で理論的に反論してやろうぜ >>56
魏志倭人伝執筆当時
倭に馬がいなかったのに >>51
古墳時代に九州人が沖縄に移住するスキルや造船技術はない、沖縄各地から多数の
南方系人骨が発掘されてるのち大陸東南アジアが混じった、沖縄各地の文化遺跡や文化財
を破壊して歴史捏造が日本の沖縄史、沖縄から発掘されるのは大量の中国東南アジア
朝鮮の遺物。沖縄人も北東アジア人だから日本人とも共通部分があって当たり前
沖縄人は時代の流れで現在日本人だが血の繋がらない親戚の関係 >>59
いやゲノム解析で古沖縄人は北から来たことが分かった
大陸から直接来たのではない >>60
北から来たとしても大陸や半島経由できた可能性が高い、何でも日本発祥にまとめる
DNAが近い順は日本ー半島−中国北―中国中南部ー台湾−外見も同じ順
沖縄の文化財破壊琉球人人骨100体墓荒し盗掘した日本人学者と政治家、京都大に
返還求めても拒む理由は、失ったか捨てたかそれとも日本にとって望まない真実が
あるからか、沖縄で埋めたり破壊したりの日本政治家と学者の浄化作戦行動 壱岐海峡、対馬海峡はどうってことない
海流が激しくて、渡るのに力一杯漕がないと渡れないのが対馬の北の朝鮮海峡
ひたすら漕ぐしかないな…
>>59は朝鮮人は日本人と同じ民族で沖縄は別民族と主張している
他のスレでもずっと同じことを書き込んでいるよ 在日の分断工作員だよ
こいつ復帰前まで沖縄には軍人以外日本人は一人も行った事が無いなんて主張していたよ
黒潮反流は証明されているのに信じたくないバカ
我らが勇敢な先祖がそれに乗って南海まで達したことは教科書に載せるべきだ
黒潮反転の苦し紛れの屁理屈そんなのばっかり日本史、黒潮反転でも古代日本人が
流されるのはせいぜい八丈島後は太平洋ー破壊された木くずがアメリカ大陸漂着
これ人間がプラスチックだったら中南米太平洋の島々でプラスチック日本人の子孫が島々
に
魏は今の北京くらいの位置にあった国
朝鮮半島沿いに行けばつく
沖縄ノロ(神女)にとって一番大事な祭祀道具(呪具)が「勾玉」。
>沖縄ってね知る人ぞ知る、勾玉文化圏で、案外本土の人も知らないが、
>現代の沖縄にも代々のノロ(女性の祭主)が居て「勾玉」を家宝とし身に着けます、
>島根県松江市に「出雲玉作資料館」があり、平安時代まで「勾玉」が作られていたようです。
斎場御嶽(せーふぁーうたき)の金の勾玉☆沖縄考古学ニュース in 県立博物館
14世紀~16世紀に斎場御嶽から出土した『金の勾玉』 今帰仁村歴史文化センター
普通、ノロの勾玉はノロ家が継承していて、家宝として保管しているので、
一般の人が見ることはできません。
弥生時代の遺跡、吉野ヶ里から、沖縄地方のゴホウラやイモガイなど貝の腕輪や、
新潟県糸魚川産のヒスイ製の勾玉が出土し、当時の交易は、
我々の想像をはるかに超える距離で行なわれていたようです。
八重山博物館で見た「勾玉」
「ビーロースク遺跡出土 13~15世紀」とあり、神話時代からざっと千年後の遺跡から発見。
現代の沖縄にもノロ(女性の司祭)が「勾玉」を身に着けることもあります。 沖縄では、各地方で王(按司)が現れ、集落国家を形成していました。
そこにはそれぞれノロ(巫女)がおり、彼女らはクニの繁栄や
五穀豊穣、航海の安全を祈祷し、王を守る精神的支柱として存在していたようです。
ノロはその後、聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とした神女の組織に整備され、
琉球王国の統一に大いに関わったとされています。
とりわけ九州北部の国では、女首長(巫女)の伝承や記録が多く残っています。
彼女らは、「日本書紀」などに土蜘蛛族の女首長と書かれていますが、
地方集落国家の巫女であり、女王でもありました。
また北九州の盟主・伊都国王の被葬者も、女姓(平原遺跡)では、がほぼ分っています。
つまり、このように北九州各地では、女性(巫女)がまつりごとを行う慣習が
根強く残っていたものと思われます。
>中国韓国には「岳」の付く山岳名は有るのかな、本土や特に九州沖縄地域には「岳」が大変多い。
小高い山の頂上付近に、御嶽の拝所が多く見られるが、それは山を聖なる場所、御嶽としているのである。
沖縄に点在しているグスクは、高い所にあるが、そこにも御嶽や拝所がある。首里城内にも御嶽がある。
沖縄では山の名前に「岳」を良く使うが、沖縄語辞典では「岳は拝所のある山」と解説されていた。
宮古島のように、山のない平らな島では、こんもりと茂った森なども「山」と呼ばれ、
その「山」の中に御嶽がある。これは山や森という自然の空間に、神が降臨されるという信仰の表われである。
全国にわたって社殿の無い神社が、点在しているが、そのような神社は、非常に沖縄の御嶽と似ている。
それは折口信夫氏が「琉球の宗教」を「琉球神道」と言ったほどである。
実際に御嶽信仰を、「原始神道」あるいは「古神道」と位置づける専門家も多い。ある神社は、滝や巨岩、
さらには山そのものが、ご神体だというものもある。・・・・・・奈良の大神(おおみわ)神社(別称:三輪神社)は、
古来社殿のない神社として有名で、現在も、三輪山を拝する拝殿はあるが、本殿はない。
これは三輪山そのものをご神体としているのである(「原始の神社をもとめて」岡谷公二著)。
>沖縄県の山の8割は「岳」です。
バンナ岳 沖縄県石垣市
辺野古岳 沖縄県名護市
恩納岳 沖縄県国頭郡恩納村
古見岳 沖縄県八重山郡竹富町
城山 沖縄県国頭郡伊江村
中岳 沖縄県島尻郡座間味村
御座岳 沖縄県八重山郡竹富町
多野岳 沖縄県名護市
嘉津宇岳 沖縄県名護市
乙羽岳 沖縄県国頭郡今帰仁村
名護岳 沖縄県名護市
波照間森 沖縄県八重山郡竹富町
沖縄県にある主な山の標高ベストです。
順位 山名<山頂名> 標高 備考(山域など)
1 於茂登岳 おもとだけ 526m ○八重山列島 (石垣島)
2 与那覇岳 よなはだけ 503m ○沖縄島
3 古見岳 こみだけ 469m ○八重山列島 (西表島)
4 八重岳 やえだけ 453m ○沖縄島 ○H19三角点標高改訂
5 恩納岳 おんなだけ 363m ○沖縄島
6 宇良部岳 うらぶだけ 231m ○八重山列島 (与那国島)
邪馬台国は北九州の海岸べりにあったんだろう。
それでもって朝鮮半島からやってきた外敵に滅ぼされたか、
あるいは津波によって一晩のうちに全滅したのかもしれない。
預言者なんだから天気のいい日に船出せばイケるやろ (鼻ほじ
帰ってこれないは3割くらいだったんだろ
現代で3割沈んだらたいへんだけど当時は許容できたんだろうさ
.
邪馬台国は、宮崎県西都市の西都原(さいとばる)で決まり。
まあ、縄文時代にすでに神津島で黒曜石採掘してて、その黒曜石はウラジオストクあたりまで行ってたんだっけ?
航海技術はそこそこあったんじゃね?
単に奇跡的に帰れただけで、だから歴史に残っているに過ぎないのでは。
別にアメリカ大陸を目指したのはコロンブスに限った話ではないわけで。
>>33
神功皇后の時代を120年ずらして卑弥呼の時代に設定している。
そして神功皇后紀に魏志の卑弥呼の記事を載せ、
神功皇后=卑弥呼であると印象付けている。
これは7世紀の朝廷が、卑弥呼が誰であるのか知っていて、とんでもなく古い時代に設定した証拠。 古代技術でも人類はイースター島とかハワイとかに行ってたわけだし。
>>80
中国の史書に書いてあってもそんな女知らねーから
知ってる神功じゃないかと思ったんだろ まあでも多少海を航海出来る船があって国境うんぬんってのが無い古代なら
船に乗って陸沿いに樺太周りでカナダ・アメリカ・南米まで行ってみたい
魏志には倭人伝のほかに朝鮮半島を記した魏志韓伝があり、
「東西は海をもって限りとなし、南は倭と接す。」とある。
つまり当時の朝鮮半島の南端には倭人がいたことになり
当然、九州もしくは山陰と行き来していたはずである。
邪馬台国=国字がなかった時代のヤマト国の当て字
っていう当たり前の話がやっと掲示板に書かれるようになったな。
考古学って基本的な教養がない素人の集まりだよ。
>>61の書き込みを読むと沖縄にマウントを取ろうと必死
朝鮮人は日本人でありたいとの思いが強いね これが在日の熱望か
なにしろ沖縄は日本人が来たこともなく朝鮮人が渡来していたと言うんだからな
黒潮反流でググったら小笠原の海底火山噴火で軽石が黒潮反流に乗って奄美や沖縄に
到着。東北の古代遺物が沖縄にあると言う事はその反流を利用した可能性が高い >>7
大昔、大陸と日本の往復がそれほど困難なものかな?
意外と簡単だったんじゃないか? 往々にして昔の記述は
大げさに描いてあると見なさなければならないぞ
>>61
何言ってるんだかわからん
沖縄人含めて日本人は大陸由来に決まってる
人類が日本で生まれたということはないので
>>60は古沖縄人は日本経由で沖縄に入ったと言ってるだけ
発狂しすぎではないか >>88
誰がやるかによる
邪馬台国は海の民ではなかっただろう
記紀には海の民を軽んじるエピソードがある
海彦山彦のやつ >>90
現在沖縄は日本版図だが古代に日本はないを東シナ海があるだけ、沖縄の先着民は
南方系で各地から多くの人骨や生活道具が発掘されてるのちに大陸や東南アジア系が
混じったのが沖縄人、戦前の日本学者や統治者は一生懸命墓荒し盗掘をやったり文化財
破壊捏造証拠造ったり埋めたりやり放題だった マスごみの洗脳で、お花畑の皆さん
それとぶ自動車は、実現できません。
1.電池の稼働時間が短すぎて、実用に耐えません。
2.電池の充電時間が長すぎて、実用にたえません。
3.騒音が大きすぎて市街地での運用に耐えません。
4.下降気流が大きすぎて市街地での運用に耐えません。
5.現行の運航方式が適応できません。
6.緊急時対策が設定困難で、目途がたっちません。
7.精々、模型が飛べるだけです。
すこい、理系の専門知識があれば、嘘に気が付けるのですが!!
マスごみは強力な洗脳組織です。
昔の日本には、ものすごいでかい大木がたくさんあって
組み立て方式でなく、大木をくり抜く方式で丈夫ででかい船を
作れたのじゃないのかなあ?
大型のくり抜き船なら、かなり丈夫な船になると思う。
邪馬台国は、たまたま中国の史書に載っているから話題になっているだけで、その頃のヤマト国は大陸に朝貢する規模になっていたというだけ。
シベリアや中国、東南アジアからの民族が居たであろうヤマト国は、邪馬台国以前の長い歴史があっただろう。北米、南米のインディアンと同じ祖先を持っていただろうし、故に文字が無かったので歴史が分からないだけ。
>>90
縄文人は最近支那が経済侵略して日米豪印のクヮッド支那包囲同盟切り崩しを狙っているポリネシア、
ミクロネシア、ソロモン諸島など島嶼部から来た。
神倭伊波礼毘古(かむやまといわれびこ)=神武が東征する前に邇芸速日命(にぎはやひのみこと)や
大伴氏のが天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の
河上哮ケ峯(いかるがみね)の地に降臨し、その後大和国(奈良県)に移った。
福岡県うきは市の珍敷塚(めずらしづか)古墳、その近くの鳥船塚古墳の壁画は
縄文人を先祖とする邇芸速日命(にぎはやひのみこと)や
大伴氏の伝承に基づいて描かれたものである。 そもそも魏と国交を結ぶなら通訳いないと話にならない
塞曹掾史も倭国に来てる
帯方郡との間で事前に相当な外交がないとこうはならない
行き来してたのは確実で
それをどうやってたかが争点なだけ
最低三ヶ国語は駆使しないと国交は結べない
>朝鮮半島から対馬海峡を横断して日本に帰る航海は至難の業で
>現代人による実験航海でもほとんどが失敗しているのです。
普通に考えて、沖縄>台湾経由だったんだろうな
>>99
全然違う
帯方郡を経由してた
帯方郡よりも高句麗が優勢になってきて
任那のあった朝鮮半島争乱の時代になった 邪馬台国は、宮崎県西都市の西都原(さいとばる)で決まり。
伊豆大島へ流された為朝は、九州に追放された頃と同じように大暴れを始めます。大島を中心にして利島・式根島・神津島・三宅島を制圧し、これらを自分の領地のように扱いました。その後、八丈島やその南の青ヶ島まで影響力を広げたようです。
一方、伊豆大島を朝廷より任されていた工藤茂光は面白くありません。「んナロー!ナメやがって!」という気分が充満しました。為朝討伐を朝廷に訴えて軍を編成し、伊豆大島に向かいます。朝廷に逆らうのは畏れ多いと考えた為朝は(乱暴者の為朝には味方する者が無く、抵抗できなかったのだという説もあります)、屋敷に火を放ち、自害しました。首は京都に運ばれて、さらし首となりました。
ところが、為朝は伊豆大島では死なず、八丈小島に逃れ、そこから琉球へ渡ったという伝説があります。日本列島の太平洋側には、黒潮という海流が九州側から北海道側へ流れており、これに逆らって沖縄へ行くことは一見無茶な話です。しかし、八丈島付近の海流には、黒潮の反流である小笠原海流が、黒潮とは逆に沖縄に向かって流れています。かつて三宅島で大噴火があったとき、たった24時間で大量の軽石が沖縄に流れ着いたそうです。つまり、地図でみたほどの隔たりは伊豆・小笠原と沖縄の間にはないわけです。
八丈小島を船で出発して間もなく、為朝の船を暴風雨が襲いました。しかし、『運は天にあり、何ぞおそるに足らんや』と船員を励まし、航海を続けました。こうして流れ着いたのが琉球の今帰仁の港でした。運を天にまかせてたどり着いたので、以後そこを「運天港」と名付けました。また「琉球」の名も、もとは「流?(りゅうきゅう)」だったのを、流れを求めてやってきたところから、「流求」に改めたのが後年「琉球」に転化したそうです。
>>61
何言ってんだw
DNAプロットによれば、中国ー韓国ー日本の違いがある上に、
その日本の先に連なる形状で、沖縄がプロットされんだよ
半島経由だの大陸からだのなら、沖縄がプロットされるのは日本より韓国中国に近い方にプロットされるはずだが、
逆でそいつらから遠い方面にプロットされてんだ >>21
同意
古代の倭人をなめてはいかん。
朝鮮半島の南部は倭人の支配地。
九州との間で日常的な行き来がないはずない。 民族とは文化遺産を共有する集団であり、あっけなく滅亡してしまう
いっぽう遺伝子はしつこく土地に残り続ける
遺伝子で民族は語れないし騙れないんだよ
半島南部は古代日本の支配下、勢力下にあったので今も日本人(南方系)の遺伝子が
残っている
しかし、だからといって日本人とは何の関係もない
さらに言うと、百済や新羅は後進的な民族だったが、朝鮮人みたいな針やタルが
作れないほどの馬鹿ではなかったよな
古代の半島人≠朝鮮人
両者は民族が違う 他スレより
>八丈島付近の海流には、黒潮の反流である小笠原海流が、黒潮とは逆に
沖縄に向かって流れています。かつて三宅島で大噴火があったとき、
たった24時間で大量の軽石が沖縄に流れ着いたそうです。
つまり、地図でみたほどの隔たりは伊豆・小笠原と沖縄の間にはないわけです。
小笠原海流でググったら海流の図が掲載されていてわかりやすい
>>99
現代人による実験航海の技術や体力が低いだけだと思うよ
当時の人間とはモチベーションも命の軽さも違うし
失敗して海の藻屑と消えた時もあったろう
現代人はそのリスクは冒せないからね >>108
>現代人による実験航海の技術や体力が低いだけ
ほんとそれ。銃鉄病原菌なんかでも言及されてるけど人間は環境に最適化する能力が極めて高いので
古代人はその環境と技術に最適化され、生活に必要とする高度な知識を持ち効率的に生きていたと考えるべき
現代人の中でも特に能力が偏った学者が見よう見真似の付け焼刃でやったら失敗して当然よね
古代人と何百何千年も掛けて口伝継承され蓄積されたであろう知識と技術を舐め過ぎだと思う >>103
細胞核のDNA分析によれば
中国ー日本ー沖縄ー縄文人
となってモンゴルの北、バイカル湖の西辺りから来た朝鮮エベンキは蚊帳の外
日本人と朝鮮エベンキの違う処は縄文遺伝子を引き継いでるから >>110
この例が適切かどうかは分からないけど
クレイジージャーニーにもシーカヤックで沖縄からオーストラリアまで渡ったとんでもないアホが出てたよね
もちろん現代のカヤックや道具を使ってではあるんだが
たった一人で帆船を使わずそのくらいの航海が出来てしまう人間が現代にも居るということ
人間の能力や知恵を舐めてはいかんよね
現代人だってテクノロジーや知識の恩恵受けてるとはいえとんでもないことやらかす登山家や冒険家がいるし >>112
ミクロネシアなどの南海諸島の人々は
5000年前に台湾から移動した子孫たちと分かってる
言語学的にもDNA的にも立証できる
丸木舟での移動が収まったのは500年くらい前だとか >>112
その人決してアホじゃないだろ
このスレ的には現代の縄文人枠の偉人だな
本人はそういった学術的なキャラクターというものを意識してない筈だけど >>112
東南アジアからカヤックで帰ってきた日本軍人もいるぞ 魏志倭人伝に普通に書いてるから
交通はあった。
当たり前な話w
操船技術・経験ゼロの現代の無能学者が、自分たちに船の知識がないのを棚上げして
無理とわめいてるだけな話。
>>107
大昔に風と波をたよりに航海に出た馬鹿が大勢いたに決まってる
今のような価値観ではない時代だから出来たんじゃないかな
お金では無く豊かな土地を求めての行ったっきりの旅はロマンがある 【朝方に謎の光が2つ】
未確認の発光体は一体なんだろうか?
邪馬台国は、宮崎県西都市の西都原(さいとばる)で決まり。
おまえら余裕出来たら甲州ぶどうとシルクロードの関係も頼むわ
あと諏訪大社
>>107
大噴火しなくても東大震災の多くのものが北米に流れ着いた、私たち沖縄人は奇跡の積み
重ね捏造の大和人の血は全く受けてない、軽石みたいに息をしないで奇跡を待つ日本人が
沈んだり食われたりで太平洋中央で地球の一部になる >>124
分断工作員が沖縄人のふりをして出て来たぞ 簡単なことだよ。
還れた者が還れたんだよ。当たり前だろう?
>>124
日本から北米に普通に漂流で到着するなら日本から縄文時代くらいには何人かはアメリカ大陸に到達してる可能性は高いね
インディアンって日本人も混じってたりしてね >大噴火しなくても東大震災の多くのものが北米に流れ着いた
東北大震災の威力で多くの物が北米に流れ着いたね
小笠原の噴火よりも津波の威力の方が強力だったて事
小笠原が噴火した時に軽石が沖縄に流れたって事は海流が沖縄に向かっている証拠だよ
日本人に偽装する在日朝鮮は認めたくない事実ですね
歴史と事実を認められない朝鮮人はこれだからノーベル賞をとれないんだよ
>>127
去年BS民間放送一時間番組で南米で縄文土器発掘、縄文人子孫説や縄文人子孫の誇りを
語る南米人、有名俳優がナビゲーターと力を入れた番組フィクションとノンフィクション
をぼやかして伝説を造る、縄文人が生きたまま南米から沖縄まで拡散するとは思えないが
別の番組で縄文土器が南米で発掘紹介がある学者が一定の目的で作られた土器は
共通殿があっても当たり前と言ってた、人間それぞれたいして違いはないとも 小笠原も沖縄も東京から千キロ以上離れてる、小笠原から軽石が沖縄に流れ着いたから
小笠原の縄文人が沖縄に移住?、しつこすぎる縄文人崇拝日本凄い、顔面見ればハッキリ
沖縄人は南方系色が強い
>>5
なんで朝鮮という名を捨てて韓国とか名乗り出したの? >>129
なんかどこかで南米の黄金版が出雲文字で書かれてたって読んだ気がする
そうなると文字の起源も縄文人の移動も凄いことになる可能性もある >>80
ずらしてないし、ただの事実でしかない
神功皇后のことを魏が卑弥呼と表現しただけの話だよ >>129
東ユーラシア集団から最も早く分岐したのが縄文人で日本に
他がベーリング海峡超えてアメリカ大陸へ
比較的近いとは言える
人類が南太平洋ルートで南米へ到達したのが1500年前とされてるけど南米原産サツマイモはもっと早くに東アジアに来ている可能性が高いから往来があったはずで
そうすると行っている可能性もなくはないのかな
コンチキ号みたいな実験もあるし 神功皇后というのは送り名だから、当時なんという名前であったかは内緒だった
はずで、役職名で呼ばれていたはず。
いまでも、たとえば神社の神主(かんぬし)を氏子は
かんぬしさま と呼ぶだろ、本当はちゃんと戸籍上の姓名があってもだ。
会社でも、ふつうは、役職者は、「課長」とか「部長」と呼び掛けて、
戸籍名で部下が上役を呼ぶのはなれなれしいか外資系っぽいところだ。
課長が二人いる状況であれば、苗字+「課長」などと呼ぶが、
唯一に決まっている場面では名前では呼ばないで、「部長」などと呼びかけるのが
普通。それと同じで、「日之巫女」さまだったんだよ。
>>135
祝詞とかよく聞いてみ
外来語だらけだ
和語ではない
あれは外来の信仰だろう 神宮皇后とかいうトンデモフィクションを信じてる人居るんだw
まがりなりにも中国の文献に記されてる卑弥呼とトンデモフィクションの神宮皇后を同列で扱える頭の構造は凄い
東スポのゴシップと普通の記事の見分けがつかないくらい酷い
>>134
コンチキ号はかなりチャレンジャーだと思いますが日本から陸沿いに海を移動するのはかなり安全なのでアジアから来た周りでカナダーアメリカー南米も有りそうです 神功皇后は完全な虚構ではない
当時朝鮮半島で戦いはあったのだろうし
仲哀天皇の逸話も興味深い
再話の可能性がある
>>21
おれも優れていただろうと同意するが、古代人はどこがどうなぜ今より優れていたのか?を説明できないと、それもまたトンデモ説になってしまうな イースター島まで船で人が渡ってんのに
たかだかその程度の海流であーだこーだ現代人がほざくとか
まじアホかと
邪馬台国が、まだ国字のなかった時代に、日本語のヤマト国の音を、漢字に当てた当て字だと理解できずに、
勝手に、やまたい国とか呼んでる考古学者の頭の悪さは絶望的。
世間知らずの高校教師レベルの知能集団。
あと、この辺りで見ていてアタマ痛くなってくるのが、
学習帳の白地図みたいな地図に定規で線引いて、
邪馬台国はここにあった!とか言ってる
小学生の自由研究レベルの考古学者。
リアルの移動手段が徒歩、潮流と風に左右される古代の移動を、
アスファルトの上をガソリン車で均等に移動しないと対応できない、
測量地図に線引いて、どう議論すんのよ笑笑
この辺りも圧倒的に世間知らずで頭悪い学校の先生的知能集団。
Y染色体(父系)による系統分析 /縄文系DNA-D1b/
アイヌ 75.0 %
青森 38.5
静岡 32.8
徳島 25.7
九州 26.4
沖縄 55.6
ハプログループD1bは本土日本人・アイヌ・沖縄に固有に見られるタイプで、
アイヌが最も高頻度で約90%、次いで琉球民族で50%以上、本土日本人にも30%
縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌ、沖縄県民で高頻度に見られる。
反対に漢民族や朝鮮民族などの周辺諸民族にはほとんど見られないことから、
ハプログループD1bは縄文人特有のY染色体だとされる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA >>148
古いデータだね
最新をうpして欲しいな >>130
軽石が流れ着いたのは沖縄へ向かう海流があるてことだ
在日朝鮮人は自分がザイコだと白状しないね 信じたくないのかね
なりすまし得意民族 朝鮮人は朝鮮人さ ツングース系民族
日本人は稲作海洋民族 出自が違う 沖縄と小笠原は黒潮が阻み両島ともに関東から約千キロ離れた距離、軽石が小笠原から
沖縄に流れ着いた、関東の縄文人が小笠原に渡りそして沖縄移住の妄想論理、縄文人の
頭がポカポカ浮いて小笠原から沖縄に移住、日本人凄い縄文凄い
対馬経由で行き来してたのは大前提なのにそこを疑ってどうしようというんだろうねこういうの
晴れてりゃ対岸が見えるくらい近いんだから渡らなかったはずがないし海流がどうだろうと渡れないってことはないよw
現代人による実験航海が失敗してるのは単にショボい試みしかないからだろw
技術、体力、覚悟、日程の自由度、リスクテイクの度合い、現代人が出来ることなんて限られてるし不自由だからねえ
隠岐の島は拠点だったけど対馬はかなり航海技術が進歩してから中継地点になったんちゃうか
難所の対馬海峡を海流に逆らって進むのは不可能
>>153
来る時は釜山から隠岐島
帰る時は対馬経由
という時期があったのはあり得るだろうね 卑弥呼なんてないさ
卑弥呼なんてウソさ
寝ぼけた使者が
見間違えただけさ
>>153
韓国で投棄されたゴミが北九州に流れ着くんだから不可能なんてことはないな
海流って常に一定方向に流れてるわけじゃないんでね 魏志倭人伝に「対馬には良い田はなく海産物を食べて自活し船に乗って南北に行き米を買っている」
書いてあるのに、海流があるからムリ!とか妄想解釈全開やな
海流は複雑で対馬海峡や黒潮海流などの大きな海流の周りはその流れに反発して
逆方向に流れる様々な海流があるんだろうね
専門家の意見を聞きたいです
分断工作員のザイコは失せろ
>>156
あれな・・・大量にゴミがあると思ったら全部ハングルなんだよな
もしあのゴミが無かったら日本海沿岸はかなり綺麗だと思う >>159
基本的には北東に向かって流されてるのは間違いないが
でもそれだけじゃないって話だよ
潮の満ち引きによって渦のような潮流が生まれることは分かっている
だから部分的には海流に逆らって南や南東に進むことは可能だろうしそうじゃないと韓国からの漂着ゴミの説明も付かない
潮流の切り替わりやら海流の切れ目やらなんやらを読める人間が当時居たってことなんだろう 沖縄に流れ着くゴミは大陸や南方からが殆ど、本土から流れ着くゴミはない
去年東北大震災の被害小舟が沖縄に流れ着いた、数年間太平洋を漂流した末のこと
一万年安定停滞の縄文人が手漕ぎ船で自由航行はできない。昔の日本人は現代人より優れ
てたに違いない妄想
邪馬台国は、宮崎県西都市の西都原(さいとばる)で決まり。
>>162
縄文人がかなり広範囲に船を使って移動してたのはかなり昔からわかってた事だよ >>164
現代人が想像できないほど優れた縄文人が南米やオーストラリア東南アジアに出かけて
植民したとしても沖縄移住はない日本の伝説では沖縄には鬼や人食い人種がいたので
日本歴史は妄想の延長線 対馬海峡の実際の流れについてはレーダーシステムを使ったこんなデータもある
http://29.pro.tok2.com/~kyokutan/public/next/a02_kuna_tushima/kairyu/tushimakairyu.html
潮の満ち引きに応じて刻一刻と複雑に流れが変わっている
トータルすれ北東への流れが圧倒的に優勢だけど
時間と海域によっては狗邪韓国から対馬へまっしぐらに流れているような時もある
海洋民であった古代の日本人は経験則でこういうのを知ってたんじゃないかな
潮待ちしてれば対馬海流に逆らって楽に進める時が来るってのを >>166
それって日本書紀とか藤原氏の作った同人作品の話しでしかない
神武天皇以前の卑弥呼さえ消し去りたい人達の改変の歴史は隠せない
縄文時代がものすごく長かった事や日本海岸を含める北回りでの安全な大陸との交易
縄文人が北九州から直接交易で大陸に行くよりはるか昔から北海道から樺太まわりの交易は確率されてた
日本書紀や古事記に書かれないのはそれらを認める訳にいかない事情があるから >>168
>藤原氏の同人作品
>神武天皇以前の卑弥呼
この辺り俺も同じ認識だわ
それだけになんぼ伝聞混じりとはいえいわゆる魏志倭人伝の記述の方がずっと信憑性がある
魏の連中が日本について虚偽申告をする理由がないもんね
韓国-対馬-壱岐とあるからにはそのルートで普通に渡ったのだろう >>168
卑弥呼よりはるかに遡る縄文人など自民族を壮大偉大に作る、アニメでやればいいのに
学者と国民共作の捏造物語を数百年以上も日本凄い、恥ずかしく感じない国民 >>140
仲哀〜応神の継承正統性がふんだららで息長の系譜は継体天皇で又出て来るし...な記紀の仕掛とタネは推測するしかないから面白い。 そもそも、仲哀天皇が死んで数年もたってから生まれた応神天皇は、
神功皇后と野見宿祢(のみのすくね)の子。
>>1
「卑弥呼の船」を考える
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/e/d/2048m/img_edf4d067b080cb1b77e4bb443bc980b8490586.jpg
【図】卑弥呼の時代の船は? 古代遺跡から出土した資料から考える
現代人による実験航海
航海には「生贄」を乗せていた
対馬海峡の横断は至難の業
【図(グラフ)対馬海峡横断のシミュレート
出雲大社が絶好の目印に
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/3/4/2048m/img_34e7dd80ec7fce9e71c84b400821ae6e159689.jpg
【写真】海岸から見る大山
カルマン渦が導いてくれる
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/6/7/2048m/img_67c6eb2b9eb073ec684a1ebf76ae31df158105.jpg
【図】対馬から流したブイの軌跡
邪馬台国の場所を考えるためにも欠かせない視点
【図】翡翠の道、鉄の道 >>1 >174
7/1
『魏志倭人伝』から見えた邪馬台国への最も合理的なルート
「船の科学」で読み解けばこれしかない!
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96875
世界最初の日本についての記録
信頼性は低いけれど
『魏志倭人伝』を読む (1)帯方郡から奴国まで
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/2048m/img_4a3219ffa9663aa3b00c1fdfe8534af1225796.jpg
【地図】『魏志倭人伝』の行程:帯方郡から奴国まで
『魏志倭人伝』を読む (2)「水行十日、陸行一月」の謎
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/c/2/2048m/img_d2acb9e8cbcdc6c25417c633ca172d15148376.jpg
【地図】末蘆国から伊都国に向かう方角
九州説の欠陥
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/2048m/img_9762e36e7e9959cf295e01762fa68ebc191566.jpg
【地図】不彌国から邪馬台国までの行程:九州説と近畿説
近畿説の問題点
最も合理的なルートとは
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/b/c/2048m/img_bc7afa6d9b0dd9775b692139abc709d0252298.jpg
【図】翡翠の道、鉄の道
https:
//gendai.ismcdn.jp/mwimgs/a/0/2048m/img_a005bdf54c16db56155cc36328cc54d6196233.jpg
【地図】不彌国から邪馬台国までの行程:山陰コース
「水行十日、陸行一月」の最有力候補
【地図】但馬から邪馬台国までの2つのコース >>170
しょっぱなのウェーイ系でもう見る気無くしたw
顔出しで若い人が出てる奴はダメだわ
自己顕示欲が最初に来るから内容以前に動画がうるさくてかなわん >>177
もったいない・・・これ解説の2人が考えてるのか解らないけど解説してる方はしゃべりも上手いしかなり頭いいよ
古代日本誌をそうとう調べてないと解説出来ないレベル
しかも日本書紀とは別の路線で考察してるし説得力ある