電話料金の値下げより先にスパイ防止法をやれよ、税金泥棒。
◆首相に選任する権利はなし
日本学術会議法では「会員は同会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する」(7条2項)とあり、
首相に任命権はあるが、選任できる権利はない。政府側は1983年11月24日の参議院文教
委員会で「学会から推薦したものは拒否しない、形だけの任命をしていく、政府が干渉したり
中傷したり、そういうものではない」と答弁している。
日本学術会議は定員210人。任期は6年で3年ごとに半数が交代する。学術会議は1日、新会員99人を発表し、定員より6人減となった。
任命する権利有るなら良いのでは、ナァナァで仕事せず混乱させる人なら要らないし、法律を作るために反対ばかりして先に進めないなら、仕方がない。国民としては、スパイ防止法や自衛隊、憲法改正やって欲しいから!
菅政権が学術会議の人事に介入した事件は、官僚の忖度の範囲を超えていた。本当の
首謀者は誰か。
学術会議(210人)は6年の任期で3年ごとに半数(105人)が変わる。学術会議の会員は、
同会議の推薦に基づき首相が任命する。日本学術会議法7条がこれを定める。首相に
拒否権はない。
きょう国会内で野党が内閣府からヒアリングした。事件のいきさつが部分的に明らかになった。それはこうだ―
学術会議が105人の推薦名簿を内閣府に提出したのが8月31日。いつもであれば、
これで決まりだった。
9月24日、内閣府が任命者名簿を起案したが、この時点で6人が外されていた。
6人は安保法制、辺野古基地建設、共謀罪に反対する人文科学者。政権にとっては不都合な
存在だ。
人事で締め上げる。早くも菅政権の地金が出た。野党議員は追及の手を緩めない。
内閣府官僚の一存で学術会議からの推薦リストを蹴ったりできるわけがない。
事件を追及している某野党議員は「菅首相らと相談しているはず」と話す。
6人を外し99人となった名簿は、9月28日に決裁された。決裁権者は菅義偉首相だ。
学術会議が出してきた105人のリストが添付されていた。
学術会議71年の歴史始まって以来の出来事だ。
権力の掣肘を受けないはずの学術の人事にまで、官邸は介入してくるようになった。
「パンケーキおじさん」などとマスコミが持て囃していた裏で、時代は一気に戦前に逆戻り
していたのである。
今回の問題は菅政権で起こるべくして起こったという感じですが、手を出してはいけないところに手を出してしまいました。
安倍政権は人事権によって官僚や審議会を支配してきました。その中心にいたのが菅さんです。気に入らない人間は飛ばす、気に入れば重用する。これは彼らの常とう手段なんです。
私が事務次官だったとき、文化審議会の文化功労者選考分科会の委員の候補者リストを官邸の杉田和博官房副長官のところにもっていきました。
候補者は文化人や芸術家、学者などで、政治的な意見は関係なしに彼らの実績や専門性に着目して選びます。それにもかかわらず杉田さんは「安倍政権を批判したから」として、二人の候補者を変えろと言ってきました。これは異例の事態でした。
他にも菅さんの分身とも言われる和泉洋人首相補佐官が文化審議会の委員から西村幸夫さんを外せ、と言ってきたこともありました。西村さんは日本イコモス委員長です。安倍首相の肝入りで「明治日本の産業革命遺産」が推薦され、15年に世界遺産に登録されましたが、この産業革命遺産の推薦を巡り難色を示していたのが、西村さんでした。任期が来たときに、文科省の原案では西村さんを留任させるつもりでしたが、和泉さんが「外せ」といい、外されました。
官僚についても同じようなことを繰り返してきましたよね。本来、内閣から独立している人事院を掌握し、「憲法の番人」と言われた内閣法制局も人事で思い通りにした。成功体験を積み重ねてきた。それで検察の人事にも手を出したが、これは失敗。でも、まだ諦めていないでしょうね。そしてその支配の手を学問の自由にも及ぼそうとしている。
今回も官僚や審議会の人事に手をつっこむような感じでやってやろうと思ったんでしょうね。しかし、致命的なのは、日本学術会議が科学者の独立した機関だという理解がなかった点です。
憲法では「学問の自由」「思想の自由」が保障されている。国家権力が学問や思想を侵害してはならないとなっている。だから、日本学術会議の独立性は強いんです。
しかし、今回の任命の問題は、日本学術会議の独立性を脅かすことになる。日本にいる約87万人の科学者を敵に回したといっても過言ではありません。安倍さんも菅さんも法学部出身なのに、憲法を理解していないんでしょうかね。授業中、寝ていたのでしょうか。任命しないというのであれば、その理由をはっきりと説明するべきです。
日本学術会議法には「会員は(日本学術会議の)推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあります。「推薦に基づいて、任命する」というのは、原則的に、「推薦通りに任命する」ということを意味します。
総理大臣の任命についても、憲法に「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とありますが、天皇陛下は拒否することはできません。「推薦に基づいて〜」というのは、推薦通りに任命するのが原則なんです。
1983年の国会答弁を見ても、「推薦をされたように任命する」ということを政府が認めています。ただ、100歩譲って、任命しないというのであれば、日本学術会議が推薦した以上の理由をもって、説明しないといけない。彼らは学術的な実績を理由に推薦を受けています。その実績に「論文を盗用していた」などの明らかな問題があれば、拒否する理由になるでしょう。
日本学術会議は内閣総理大臣の所轄です。菅さんには推薦を拒否する理由を説明する責任がありますが、「自分たちの意に沿わないから」という以上の理由を説明できないでしょうね。
政権にとって都合の悪い人間を排除していけば、学術会議が御用機関となります。それでは彼らの狙いは何か。それは、軍事研究でしょう。
政府は日本の軍事力強化に力を入れてきています。防衛省では15年に「安全保障技術研究推進制度」を導入しました。防衛省が提示するテーマに従って研究開発するものに、お金を提供する制度です。導入当初は3億円だった予算規模は、今では100億円にもなっています。
他方で、日本学術会議では、1950年と67年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」と、「軍事目的のための科学研究を行なわない声明」の二つの声明を出している。戦争に協力した反省からです。2017年にはこの二つの声明を継承することを表明しています。
このときの日本学術会議会長の大西隆さんは「自衛目的に限定するなら、軍事研究を容認していい」という考えでしたが、他の委員から反対があり、「認めるべきではない」となった。
菅政権にとっては学術会議のこういった人たちが目の上のたんこぶなんですね。最終的には日本の大学で軍事研究を進め、独自の軍事技術を持って、兵器をつくっていきたい、ひいては戦争に強い日本をつくりたいのでしょう。
学者の方々は官僚のように“大人しい羊の群れ”ではないので、一筋縄ではいかないと思います。今回任命されなかった方々は憲法学者や刑法学者、行政法学者など日本のトップクラスの人たちです。
しかし、今回の任命拒否は非常に怖いものでもある。1930年代に起こった滝川事件や天皇機関説事件といった学問の弾圧を思い起こさせる。大学や学術の世界を国の意向に沿ったものにしようとしている。
安倍政権では集団的自衛権や検事長の定年延長について、憲法や法の解釈を都合よく変更してきました。定年延長では法を変えようとまでした。今度は日本学術会議法まで変えようとするかもしれません。
今回の問題は、これまでの人事とは異次元の問題と見るべきだと思います。
「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」
日本国憲法第6条1項の定めだ。「任命」という言葉には「拒否権」も含まれると拡大解釈し、天皇が考え方の気に入らない首相の任命を、国会の指名を無視して拒否できるだろうか。
極端な例えを承知でいえば、日本学術会議が推薦した新会員候補6人の任命を、菅首相が拒否した問題はそれだけバカげた暴挙であり、大きな危険をはらんでいる。
学術会議は学者の立場から政策を提言する国の特別機関で「学者の国会」とも言われる。1949年の創立以来、自立を保ち、時には政府方針に反する意見を表明。言うべきことを言ってきただけに、政府にとっては「目の上のコブ」だ。
日本学術会議法の定めで、新会員は学術会議の推薦に基づき、総理大臣が任命する。ただし、83年の政府側の国会答弁で「実質的に首相が任命を左右することは考えていない」「形式的な任命行為」と認め、自主性を重んじてきた。
こうして長年、担保されてきた人事の独立を菅はいとも簡単に打ち破り、自身の任命権をエラソーに誇示。しかも、学術会議側が異例の政治介入の理由を求めても一切明かさない。とんでもない居直りだ。
加藤官房長官は2日の会見でも「任命権者である内閣総理大臣が日本学術会議法に基づいて任命を行った」「人事の話でお話しできる話は限界があり、できる限りの話をしている」と答えたが、何ひとつ説明になっていない。
とはいえ、菅の狙いはミエミエだ。任命を拒否された6人は、安保法制や共謀罪の創設に反対するなど、安倍政権下の悪法の数々にモノ申してきた学者ばかり。「たとえ学者であっても政府方針に逆らえば排除する」と言わんばかりの恫喝と見せしめ。政府に反する意見を理由にした排除は、憲法第23条が保障する「学問の自由」への侵害以外の何ものでもない。
今回の強権発動は、安倍政権時代からひそかに検討を開始。菅は周辺に「前政権からの引き継ぎ事項だ。そんなに問題なのか」と漏らしたというが、いくら安倍継承政権とはいえ、マトモな教養の持ち主ならばひるむ。事の重大さに気づかないなら、単なる無知浅学の徒だ。つくづく順法意識ゼロの歪んだオツムと陰湿さの持ち主である。
民主主義も歴史何も知らない無知・無恥首相
任命を拒否された1人、立命館大教授の松宮孝明氏は本紙の取材に「菅政権は官僚人事にとどまらず、学者の人事にも土足で踏み込んでくるのか」と憤りを隠さなかったが、当然の怒りだ。
人事権をカサに着た恫喝が菅の常套手段。自民党総裁選中の先月13日のフジテレビ系番組でも、政府の方針決定後に意向に逆らう官僚は「異動してもらう」とキッパリと言い放った。
安倍政権下で菅は官房長官として官僚人事を掌握。実際、ふるさと納税制の拡充に異論を唱えた総務省の次官候補だった自治税務局長を「自治大学校長」職に飛ばすなど、意に沿わない官僚を切り捨てた例は多い。
メディアも例外ではない。お気に入りの記者を国会議員より高給の首相補佐官に抜擢する一方、“天敵”の東京新聞記者の質問には「あなたに答える必要はない」と一蹴、侮蔑と冷笑を浮かべる。テレビ局に有形無形の圧力をかけ、安倍政権批判を展開したキャスターやコメンテーターを次々と降板に追い込んだ。
モリカケ、桜を見る会など安倍政権の恥部に続き、学術会議への政治介入も肝心な情報は隠蔽。気に入らない学者や記者は排除、愚弄し、タテつく官僚は左遷。権威ムキ出しのファシストさながらで、その正体は歪んだ権力欲の恫喝政治屋だ。法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。
「菅首相は官房長官時代から権力行使に快感を覚え、権力に執着してきました。『全く考えていない』と言い続けた首相の座を目指したのも、権力行使のエクスタシーを手放したくなかったからでしょう。そんな権力欲の塊が地方議員から政権トップにのし上がったのは、恫喝と権謀術数のたまもの。コロナ禍で国民が苦しむ中、二階幹事長との連携プレーで権力奪取ゲームに興じた姿は、権力亡者そのものです。『陰の総理』の『陰』が消え、地金が早速、表に出てきましたが、深慮遠謀のカケラもない学問弾圧は恐怖支配の“成功体験”に酔いしれている証拠です」
国益を大きく損ねる付和雷同
菅の過去の言動を知ると、さらに愕然とする。毎日新聞(デジタル版)が2日、史実に反する歴史修正主義的な発言をしてきた菅の知られざる過去を暴いた。
96年の初当選直後、菅は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」に所属。当時の歴史教科書を「反日的」と断じ、従軍慰安婦の記述の削除を目指した自民党議員の集まりで、会長は故中川昭一元財務相、事務局長は安倍前首相だった。
同会が97年に出版した「歴史教科書への疑問」に、菅は慰安婦の「強制連行はなかった」「軍の深い関与は誤り」と訴える一文を寄せた。
90年代当時から慰安婦制度は軍が主体となってつくり、運用していたことは軍の資料で明らかになっていた。慰安婦問題の先駆者として知られる中大名誉教授の吉見義明氏は、毎日の取材に「広い意味でも狭い意味でも、強制連行はなかった、とはとても言えません」と指摘した。
それでも「軍の関与」「強制連行」を否定する菅は安倍と同じ典型的な歴史修正主義者なのか。それとも、当時は「将来有望」とされた安倍や中川に取り入るため、「叩き上げ」が身に付けた一種の処世術、ポジショントークだったのか。
菅は2010年8月のブログでも、植民地支配と侵略を謝罪した「村山談話」と、強制的な慰安婦募集を認めた「河野談話」を批判。〈国益を大きく損ねた〉とぶった切っていた。この筆致からは「根っから」という気もするが、ネトウヨ的な薄っぺらさも漂う。
「菅首相は日本会議系議連の副会長を務めていますが、右派層の票欲しさに名を連ねている印象です。つまり、強い信念も思想も持たず、それらしいことを言って支持を集める付和雷同の政治家。ただ、慰安婦問題で重大な人権侵害があったことは国際的に認められています。菅首相の過去の言動には今後、厳しい視線が注がれ、世界中から日本の人権感覚が疑われる。それこそ国益が大きく損なわれかねません。菅首相には確固たる国家観も歴史認識もなく、民主主義の何たるかも知らないのではないか。首相としての資質の欠落を感じざるを得ません」(高千穂大教授の五野井郁夫氏=国際政治学)
元NHK政治部記者で評論家の川崎泰資氏はこう言う。
「菅首相は学問の自由、思想・良心の自由を保障する憲法も、歴史の勉強もしていないのでしょう。だから何の国家観もないし、アメとムチでメディアをコントロールして恥じるところがない。これは独裁政治がメディアを支配するやり方です。安倍前首相は大手メディア幹部との会食を繰り返して懐柔してきましたが、菅首相は現場の記者を掌握して、不都合なことは報じさせないようにしようとしている。権力者に声をかけられて、尻尾を振ってすり寄る記者もどうかしています。権力者に嫌われないよう、取り入ろうとする記者ばかりで、メディア側も麻痺しているとしか思えません。実におぞましく、由々しき事態です」
菅義偉首相が日本学術会議の人事に手を突っ込んだ一件で、早くもこの政権の弱点がさらけ出されることになった。第1に、菅自身の「答弁能力」の限界である。彼が9日の各紙インタビューで、自分が決裁する際に見たのは任命拒否の6人を除いた99人の名簿であり、つまりその6人を除去したのは自分ではないという言い逃れをした。とすると、6人の名を消して菅に差し出したのは内閣府の誰なのか。杉田和博官房副長官だという話もあるが、国会で議論になればそこをとことん突かれて菅が弁解不能に陥るのは目に見えている。
今までも、都合の悪いことは「質問させない」、仮に質問されても「答えない」、答えても「はぐらかす」ということをさんざん繰り返してきたけれども、いざ自分が最高責任者になって追い詰められると、こんな出任せを言ってその場を繕おうとするのである。
第2に、「人事こそ権力」という菅の嫌ったらしい“政治哲学”の卑俗性が浮き彫りになったことである。先週本欄でも、日銀総裁、内閣法制局長官、失敗に終わった検事総長などの重要人事への政権介入に触れたが、それだけではなく、内閣人事局を管制塔に役人を自由気ままに操ろうとしてきて、「ふるさと納税」制度に異議を唱えた総務省自治税務局長を乱暴に左遷して「政策に反対するのであれば異動してもらう」と言い放ったり、国土交通省キャリア官僚の指定席だった海上保安庁長官に生え抜きの佐藤雄二海上保安監を昇格させて職員の士気を高めようとしたり、細かいところまでいろいろ手を突っ込んで、そうすることに快感すら覚えているかのようである。
山岡淳一郎によると、「『人事は政権のメッセージ』が菅の口癖」だそうだが(ビジネス・インサイダー9月14日付)、昇進と降格・左遷の脅しだけで組織を自由に操れると思う幼稚な権力観が、今回のように外にまで向けられるようになると、それが命取りになるのではないか。
第3に、その裏返しとして、ビジョンの欠如である。政権のメッセージとは、国の指導者として国民にどういう将来を約束するかということであるはずだが、それは何もないので、いきなり携帯電話の値下げとか、人々の損得勘定に訴えるだけの個別政策に走るのである。政権1カ月にしてもう「どこでコケそうか」が見えてきた感がある。
日本学術会議が推薦した新会員候補6人を任命拒否した問題について菅首相が答弁していた時のことだ。「必ず推薦の通りに任命しなければならないわけではない」「内閣法制局の了解を得た」「人事に関することであり、お答えを差し控える」「総合的、俯瞰的に判断した」などと毎度の見解を繰り出すと、議場内は騒然となり、猛烈な野次が飛んだ。すると、これに苛立った菅が、あろうことかわざわざ後ろを振り返って、「ちょっと静かにしてもらって」と大島議長に要請する場面があったのだ。
立法府の長である議長に、行政府の長の首相が“指図”する。行政府が立法府の上に位置しているかのごとくで、三権分立をはき違えた行為なのだが、菅がなぜそこまで逆ギレしたのかというと、その直前、野党席から「独裁者」と叫ぶ声が上がったからだろう。これにカッとなって、ムキになった。多くの国民は、その異常な反応を見て、まさに「図星」なのだろうと理解した。
コラムニストの小田嶋隆氏はこう言う。
「菅首相の著書『政治家の覚悟』を電子書籍版で読みましたが、ドーカツ自慢の書籍でしたね。『NHK会長に外部の人を就けた』『こうやって組織を支配した』『こうしてマスコミを黙らせた』というエピソードばかりのうえ、普通なら『なんて汚いことを』と批判されてもおかしくない話なのに、それを逆に自慢するとは驚きました。安倍前首相は思想的には強権的でしたが、自身は『美しい国』と甘ったるい幻想を語る役に徹し、ドーカツするような“汚れ役”は下に任せていた。しかし、横浜市議からの叩き上げの菅氏は首相に上り詰めても汚れ役を自分でやり続けている。そういう仕事は企業だって課長や係長がやることでしょう。社長がやることではありません」
「我が道を行く」「文句あるか」の開き直り
野次にブチ切れた菅を見て、国民はますますその危険性を直感した。答えに窮したり、都合が悪くなるとすぐムキになって攻撃的・高圧的になるのは菅の性格と言える。安倍退陣表明で菅が一気に後継の本命に躍り出てからの2カ月だけでも、そんな側面が見えた瞬間が複数回あった。
9月2日の出馬表明会見。司会を務めていた菅の側近議員が、菅の“天敵”とされる東京新聞の望月記者を当てると菅は露骨にイヤな顔をした。そして「首相に就任した場合は会見時間を十分確保するか」と質問されると、薄ら笑いを浮かべなから、「(質問の)結論を早く言ってもらえれば、それだけ時間が多くなる」と答えたのだった。暗に「アナタの質問が長すぎるんだ」と言わんばかりの口調だった。
同12日に日本記者クラブで開かれた自民党総裁選の討論会。苦手とされる「外交」で、「(安倍前首相の)日米電話首脳会談は37回あったが、1回を除いて全て同席している」アピールした菅に、質問者が「同席することと交渉は違う」と当然の疑問を投げかけると、菅は「何もやっていないというのか」と色をなして反論した。
今月26日の所信表明演説の夜に出演したNHK番組。学術会議の任命拒否問題がテーマになった際、司会のキャスターが「国民は説明が欲しいと思っている」と至極当たり前のことを穏やかに問いかけただけなのに、菅の顔色は即座に変わった。そして「説明できることとできないことがある」「学術会議が推薦してきたものを政府は追認しろと言われてる」と語気を強めたのだ。違法行為を行っているのは自分なのに、なぜそんなにエラソーなのか。
政治評論家の野上忠興氏が言う。
「官房長官の時からそうでしたが、誠意を持って自分の言葉で説明するという当然のことができない人ですね。総理大臣になったのですから、普通なら立場が変われば、思考も変えるはずなのですが、菅首相にはそれが全くない。むしろ最高権力を握って、図に乗っているようにすら見えます。『我が道を行く』『文句あるか』と開き直っている。役人を思うがまま動かしたり、権力を行使することにしか興味がない。こういう人には付ける薬がありません」
いつまで悦に入っていられるか
トップに立つ人物には寛容さが必要であり、権力は抑制的に使うべきものだ。ところが菅は正反対。人事権を武器に官僚だけでなく、アカデミズムまで支配下に置こうとしている。それは、政権維持のためというだけでなく、独善的な権力行使そのものに快感を覚える独裁者の姿と言わずして何と言う。
「私が最高権力者」と言ったのは安倍だったが、菅も「私が法だ」「朕は国家なり」という感覚なのだろう。
「菅首相は強権を振るうことに悦に入っているようですが、そうした態度をいつまでも続けられるのかどうか。官房長官と首相とで決定的に違うのは、首相は『内閣支持率』という形で国民からの人気や評価が数字で表れることです。首相というのは、あらゆる言動や振る舞いに国民の目が注がれ、発信力や説明力、説得力などが求められる。官房長官と同じ手法では通用しません。それなのに、学術会議問題では自ら隘路に入り込み、炎に薪をくべているような状態ですから、どうしようもありません」(野上忠興氏=前出)
衆院は来週2日と4日、首相と全閣僚が出席する予算委員会の開催が決まった。一問一答の予算委では、デマカセを言えば直後に突っ込まれる。支離滅裂になれば立ち往生だ。さて、菅はうまく立ち回れるのか。見ものである。