マジレスすると、揉め事の仲裁とか、口利きとか。
現代でいうと、町議会議員とか市議会議員みたいなもん。
武士は日常も、自分の領地に関わる各種事務業務や、主君から仰せつかった業務の執行などで死ぬほど忙しかったらしい。
現代の市長は選挙で選ばれるけど、当時の主君は完全世襲制だからな
どうしようもないのがトップにたっちゃったら力づくで追い出すしかないわけだ
なんかあんま楽じゃなさそうだな武士
戦国時代なんだから戦う以外にやることなさそうなんだが
御小姓たちと性交しているぞ。
物好きな者は女と寝ることもあるが・・・
小姓って、化粧のやり方とか殿の喜ばせ方とかは武将の側室や侍女から習うのかな
あとフェラ一つ取ってもポイント教わらなきゃ上手くならんよね。昔は今ほど情報も簡単に入手出来ないし
江戸時代はともかく戦国期は色々と忙しそう
普段は田畑の手入れに精を出して隣町が攻めてきたら武器取って戦いに行かなきゃならないし
大名ともなると情報収集しておかないといつ寝首かかれるか分からないし
のんびりニートって訳にはいかないだろうな
ウンカから田んぼを守る(ウンカの大群が田んぼに襲来したら
数人でウンカを網で捕まえる)
オレが戦国の武士だった頃は、上司のご機嫌取りをしていた。
あれから、関が原とか大政奉還とか色々あったけど
オレは今も上司のご機嫌取りをしているぞ。
おっと、若社長がお呼びだ・・・。
暴れん坊将軍はワラの束に弓矢うってなかったか? いつも
伊賀の忍者が平和になって雪合戦の陣地の目印係りまで落ちぶれたのを聞いたことがある
兵農分離してないから、野良仕事に決まってるだろうが
専業武士なんて限られた上級武士だけ
島津なんて江戸時代も兵農分離してないから、明治維新のとき、士族になった者が人口の8割
そのせいで武士の識字率も低く、明治9年に自分の名前が書けた旧鹿児島藩士族の割合はたったの17%
農繁期でも兵を動員するための兵農分離なら平和であれば無理に取り入れる必要は無いからねぇ
しかし、江戸時代でも民衆の殆どが戦闘員兼生産者かそりゃ隠密も帰ってこないわ
戦国時代ということであれば、ほとんどの武士はふだんは農業です
ごく一部だけが専業武士(行政官も兼ねる)であったが、ほとんどは兼業農家
だから戦える時期は、稲刈り後から田植えまで
有名なのは、上杉謙信の小田原包囲
2回も稲刈り後に越後で大動員かけて三国峠を越えて関東に乱入して、
さんざん飯食って、春の田植えが近づくと越後に帰る⇒上杉帰ると
北條が出てきて、寝返った領主もあっという間にみな元にもどる
ということもしていたから。
マジレスすると弓と鉄砲の練習
半農半兵ってのは戦国時代前期のみに行われていた風習
戦国時代中期には農業、工業といった一次産業、二次産業の生産活動をせず
傭兵や軍役衆という専ら軍役のみを行う三次産業に従事した足軽たちが誕生した
兵農分離そのものが地域によって異なっていたからな
濃尾や畿内みたいに生産力が高い地域は早くから進んでたけど
地方は江戸時代になっても半農半兵やってたところも多い
>半農半兵ってのは戦国時代前期のみに行われていた風習
この時期限定というのは一体どのような同時代史料により明らかになったんですか?
最初は武士だけで戦っていた→足軽・傭兵を雇うようになった→農兵も使うようになった