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モンゴル語族の歴史、文化について語るスレです 主な対象民族 蒙古族、ブリヤート人、ダウール族、トンシャン族、カルムイク人、 バオアン族、回族、ユグル族、土族、モゴール人など
83 名前:何語で名無しますか? 投稿日:2012/04/05(木) 06:52:01.13 あら不思議!日本語を録音して逆再生するとモンゴル語に!
>>3 むしろ、レーニンが話せなかったことにびっくり。
ウラン・ウデなら行ったことある。 黄帽派の坊さんに声かけられて友達になり、お勤めで一緒に家々とか警察をまわったりした。
>>4 カルムイクは元々オイラトの系統だからモンゴル系で合ってるよ。
オイラトの一部(トルグート部)が17世紀頃に内乱を避けて移住したのが、
現在のカルムイク人だと言われてるからね。トルコ系ではないかな。
今の世界史板って、元のことを話すスレも無かったんだな。
カルムイクネタって、レーニンの名前をちょっと出したらもう何も無いのかな
密教部分がなく顕教の部分だが大乗仏教がある。 観音菩薩の経典もあれば無量寿佛の経典もある。 ウランバートルのガンダン寺経由で入ってきたチベット仏教が起源。
-=-::. / 朝 鮮 人\:\ ♪ガッガーーウィイ .| 教 祖 様 ミ:::| ミ|_≡=、´ `, ≡=_、|;/ ||..◎ .| ̄|. ◎ |─/ヽ いい加減、ストーカーするの止めてくれる? |ヽ二/ \二/ ∂> /. ハ - −ハ |_/ | ヽ/ヽ/\_ノ / |ナンミョ〜ソフォ〜レンングエ~キョーーナンミョ^フォテンジ゙エキョヤーーー . \、 ヽ二二/ヽ / / ナンミョ^フォーーーーーーレンゲヨー アニョハセヨーーーーーー . \i ___ /_/ ,. < ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ > 、 / 谷 垣 ヽ _ 〈彡 Y彡三ミ;, 先生!支持率が上がりません!助けてください! {\ \|_ \>ー 、 ト三三ニ:} 人{ >、,___.>、/三 ヾ\ |わ三彡;! 先生に見捨てられたら、もう自民党は終わりです! /./ トミ;,_ Y/ \>ノー〜=- " V / /!  ̄ ̄ ゝ | / _ 助けてください!おながいします! し/'┴──----─''| ン}\-ヾ彡 ヾ、___ノー'''`
>>18 あんまり学術的なネタではないけど、カルムイクの前大統領が宇宙人に、
誘拐されたという逸話がある。僕も2chで知った情報なんだけどどうやら、
実際に調べてみたら、確かにこの大統領はそんなことを言ってたらしい。
もうちょっとまじめなネタだと、
>>19 も言うようにヨーロッパ唯一の仏教国と、
言われてたりするね。これは彼らが周辺のタタール人と違い、17世紀に、
移住してきたオイラトの一派だったということが関係してるんだろうね。
そのような特殊性によって、この地域では今でも仏教が信じられてるね。
カルムイクは、これまた中国の青海省あたりに出戻った集団があるんだよな・・・
>>22 ムガル帝国の「ムガル」は「モンゴル」から来てるらしいけど、これはあくまで他称であり、
ムガル帝国の人々はモンゴルよりもティムールとの繋がりのほうを意識してたからね。
そういう意味では微妙な気もする。ムガル帝国はモンゴル要素少ない気がするしね。
まぁ、そもそもティムールはモンゴルとの繋がりを重視してたんだから、ムガル帝国も、
モンゴル帝国と全く関係ない訳ではないんだろうけど。こっちのスレのほうが良いかな。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1334388820/ >>23 ロシアで上手くやっていけなかったカルムイク人のうち何人かが再び清の下に戻り、
現在まで一応存在してるらしいね。中国のほうではトルグートというふうに呼ばれてる。
>>25 ムガルの王朝は、ボルジギン氏族の女婿という立場なので、モンゴルとは繋がりが強い立ち位置。
でも住民もそうか?といえば違うね。
>>27 ティムールとの関係を重視するというのは、つまり、ボルジギン氏の娘婿の一族としての権威を、
強調してることになるからね。確かに、そういう意味ではモンゴル帝国と関係がない訳でもない。
とは言え、あなたも言うように住民に関して言えば、モンゴルとの繋がりはあまりないんだけど。
「英語や中国語より人生に役立つ言語を学ぼうマイナーだからこそ人と人の触れ合いが濃密になる」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/34945 モンゴル語とモンゴル語系のブリヤート語やカルムイク語を学んだ荒井幸康さんという学者の記事。
ブリヤートやカルムイクの現地人との触れあいを読める。
同氏の記事では、
「日本に憧れる欧州唯一の仏教国、カルムイク離散と集合を繰り返した民族、400年の歴史とは」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/2603 という興味深いものもあるが、無料閲覧期限が過ぎて2ページ目以降が見れないのが残念。
>>29 人と人のふれあいを得るならマイナー言語をおすすめするっていうのは、ある面で詐欺だな。
というのはそもそも言語を学習するための環境が用意されているものが限られていて、
日本で学習できるという時点で外国語の中では恵まれている部類だからだ。
言語の中には日本語以外の文献に頼らざるを得ないものもあるし、
そもそも学習書や辞書がない言語もある。
マイナー言語という言葉は、本来そういう言語をさすべきであって、
多くの大の中では小というだけのメジャーな言語にすぎない。
>>27 モンゴル帝国最盛期クビライカーン時代、モンゴル人100万人弱。
支那人6000万くらい、イスラム教徒2000万人、ロシア人(ウクライナ人ポントス人等東方教会門徒含む)が800万人くらい。
メディアは全部抑えてある。教団名を出したり逆らえばどうなるかわかってるだろうな? < _-=≡:: ;; ヾ\ > < / ヾ:::\ > < | |::::::| > < ミ|-=≡、 ミ≡==- 、 |;;;;;/ > < || <●>| ̄| <◎> |── /\ > < |ヽ_/ \_/ > / > < / /( )\ |_/ > < | | ` ´ ) | > < | \/ヽ/\_/ / | > < \ \ ̄ ̄ /ヽ / / > < \  ̄ ̄ / / \ > / /  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \\ \ \ ___ / ー\ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウ /ノ (@)\ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキ .| (@) ⌒)\ ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッ .| (__ノ ̄| | ///;ト, ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ \ |_/ / ////゙l゙l; ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ \ _ノ l .i .! | ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ /´ 公明 `\ │ | .| ナンミョウホウレンゲッキョウナンミョウホウレンゲッキョウナンミョ
ブリヤートって、なんか面白い歴史の話ないんだろうか
電車の中で、怒り狂った熊のようなロシア人が俺を睨み付けて 物凄い勢いで歩いてきた時、ロシアはモンゴルの後継者であることを悟った。
28 名無しさん@お腹いっぱい。=sage=2005/08/16(火) 21:31:30 ID:ZldMUxiU ブリヤート人はバイカル湖周辺に住むモンゴル系の民族で、 モンゴルへの帰属意識が強い。 主にバイカル湖の東に住む集団はモンゴル的遊牧生活を主とし、 湖西に住む集団は半農半牧の生活をしていた。 ロシア人侵入時は勇猛果敢な戦いぶりで長らく侵入者を寄せ付けず、 シベリア先住民の中でもロシア人が最も恐れた民族である。
大相撲力士の大露羅は、バイカル湖の東南(ブリヤート共和国)出身。
オイラトは本来バイカル湖西部にいた部族で、13世紀にはチンギス裔の姻族として栄えたが、 アリクブケに味方してクビライににらまれ、アリクブケ家がハーンになって返り咲いた。 この頃にケレイト(ケレヌート)、ナイマン(チョロース)、バルグトとオイラトが連合し、オイラト部族連合になった。 15世紀、トゴンとエセンはモンゴル高原を統一、明の皇帝を捕虜にするほど強勢となるが、 エセンが殺されてから再びオイラトは没落、モンゴル(大元・ハルハ)に敗れて西方へ移動する。 17世紀初め、ハルハ・モンゴルの混乱によりオイラトは高原西部に独立。 しかし部族抗争が激しく、ケレイトの末裔のトルグート部はさらに西のヴォルガ流域へ移動、のちのカルムイクとなる。 (カルムイクはテュルク語で「残余」を意味する他称らしい) 一方、オイラトではモンゴルの一部族だったホシュート部が台頭し、チベットを征服してグシハン朝を建てる。 ナイマンの末裔のジュンガル部はジュンガリアに覇権を広げるが、両者は清朝に滅ぼされる。 トルグートはロシアに押されてヴォルガからジュンガリアに帰還し、清朝に服属。 バイカル湖周辺に残っていたバルグトはバルグとブリヤートに分かれた。 彼らはモンゴル諸語を用いモンゴル人との同化が進んでいるが、「オイラト人」のアイデンティティもなおある。 『集史』ではオイラトとバルグトを「モンゴル化したテュルク」とし、 ケレイトとナイマンをウイグル・カルルク・キプチャクらと同じ独立テュルクの分野に入れている。
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(天皇制度廃止論者)のプロデュース作品 @『かんさほうじん (2008)』反体制・反社会 A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会 B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会 大河の画面が汚いのも、役者が大根なのも、衣装がぼろぼろなのも、役者の下品な立ち回りも、 画面が薄暗いのも、役者が汚いのも全ての原因は NHKが汚れているから 史実うんぬんの話ではないのですよ。あの大河は役者、セット、演出等が、いまのNHK内部の汚れ具合を見事に反映しているのです。 薄汚れた空間内で繰り広げられる捏造・妄想(=今年の大河)は、反日・在日の脳内を表しているのです
京都の事故 44 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/04/12(木) 20:06:17.25 ID:LKXz/REk0 かつてはてんかん患者の自動車免許取得は法的に制限されていたが、 2002年6月の道路交通法改正によって、発作が起きても意識障害を伴わない又は、 発作が就寝中に限るなどの患者は、公安委員会の検査や、医師の診断書を提出するなどの条件付で取得に道が開かれた。 日本てんかん協会の運動で、てんかんでも免許取得が可能になった。 その結果、案の定、2002年以降、てんかん患者のひきおこした重大な事故が急増 2011/04 栃木・鹿沼 6人死亡 (持病を隠蔽、過去に事故2件) 2011/04 島根・松江 1人死亡 (持病を隠蔽、薬飲まず) 2011/05 広島・福山 4人重軽傷 (過去に事故2件) 2011/07 愛知・岩倉 2人死亡 (通院歴なしで不起訴) 2011/10 鹿児島・姶良 1人死亡4人重軽傷 (過去に物損事故、薬飲まず) 2012/02 栃木・宇都宮 6人重軽傷 (昨年7月に事故、運転しないと誓約書) すると2002年の法改正で可能になった、てんかん患者の自動車免許取得を既得権益とする 共産党が支援している日本てんかん協会は 「てんかん患者の権利を守れ」と法務大臣に要望書を提出 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1334225953/ その三日後にまたしても死亡事故発生 2012/04 京都・東山区 7人死亡9人重軽傷 (数日前に発作、姉と相談) 日本てんかん協会 (共産党の支援団体) 住所 東京都新宿区西早稲田2-2-8 >>権利を守れ >>西早稲田2-2-8 差別利権で食ってる団体だな ちょっとオツガイが来ないだけで、すぐにもり下がってしまうなぁ
>>42 今でもオイラト人としてのアイデンティティは何とか残ってるのね。モンゴル国でも、
中国でもモンゴルとの同化が激しいからね。17世紀頃に彼らはオイラト人としての、
民族意識を抱き始めたのか、トド文字なんかを使ってモンゴル語とオイラト語の、
分化に励んでたね。この時期にオイラトはモンゴル高原西部で独立したそうだし。
一般にオイラトはエセン・ハーンの時代が最盛期とされてるけど、むしろこの頃は、
モンゴルに近付こうという意識が強かった。だからこそエセンはチンギス統原理に、
逆らってまでハーンを名乗ったんだしね。オイラトがモンゴルと別路線を歩むことを、
決めたのは17世紀以降だね。まぁ、アリクブケが失脚した頃からすでにオイラトは、
モンゴルとは分かれてたかも知れないけど、それでも自分たちはモンゴル帝国の、
一員だと言う意識がまだあった気がする。集史は独立したトルコ人として扱ってるけど、
モンゴル化したとも書いてあるみたいだからね。そういう微妙な立ち位置だったのかな。
>>46 ここ最近、学校のほうが忙しくて2chに書き込む暇がなかったんだよね。
ゴールデンウィークに入ったのでしばらくは暇があると思う。
>>47 トルコスレでも同じことを論じたんだけど、柔然は東胡の末裔である可能性があるらしく、
東胡はツングース系かモンゴル系と言われてるんだよね。柔然を倒した遊牧民が、
突厥(トルコ)と名乗ったことを考えると、柔然はトルコ系ではなくモンゴル系のように、
思われる。まぁ、とは言え柔然にモンゴル系だという帰属意識は確実になかったけど。
某国政府著「民間防衛」より転載 某国元首:費用のかからない方法で敵(国)を滅ぼすことができる。 魅力でひきつける宣伝は効果的な武器だ。我々の意図を美しい装飾で包み隠そう。 文化は立派な隠れ蓑になる。音楽・芸術・旅行などの口実で仲間をつくり、一方的な文化交流(聞こえは良いが実際は押し付け→韓流)をしよう。 彼らは徐々に罠にはまっていく。 韓流、AKB商法の正体 もちろん、韓流、AKBは捏造ブームである。 ヨン様ファン? もちろん在日ババアの動員ですよ。 テレビは愚民の思考を止めるために存在し、そのためにテレビ業界が役人、政治家により手厚く保護されていることを忘れないでください。
中国では別の正書法を持つオイラートがモンゴル族扱いで、ムスリムになったりチベット族と混ざったようなのが いくつかの別民族とされてるけど、実際そういう民族と、モンゴル族とされてるオイラートだと、どっちの言語がハルハ方言に近いんだろう
モンゴル祭り「ハワリンバヤル」が練馬区光が丘公園でやってたので行ってきた。 たぶん3百人くらいはモンゴル人が来ていたので驚いた。日本最大規模の祭りだそう。 屋台にはモンゴル軽食(ラム串焼き・餃子っぽいの)のほかトルコ料理・ウイグル料理なども。 あと、仮設ゲルの中でモンゴル文字の書道実演を見れた。広さはだいたい6畳間くらい。
六畳間でそれだけのことをするって盛り沢山だな。 どうやって300人も収容したの?
ゲルは催し物のごく一部だよ、メインは野外ステージで舞踏とかやってた。 ざっくり300人のうち、半分以上は屋台関係者って感じでとらえてくれ。 屋台は50店以上でてたからね、モンゴルと関係ないのもあったけど。 モンゴル料理店っぽいところのと、留学生たちがやってるのも多かったな。
俺ってアスペなのかな ハワリンバヤルの全域が6畳間程度なのか 仮設ゲルが6畳間程度なのか 実演の書道やった紙か何かか6畳程度なのか わからなくなってきた
>>56 一番上の演奏しているのは6畳にしてはえらく広いし
作りかけの分は、東京の間取り感覚が田舎間だとしても、6畳にしては随分小さいが・・・・・・
>>57 作りかけのは半径2mくらいあるやろ、そしたら床面積は12.5uになる
不動産広告ルールで1畳=1.62u、6畳なら9.7u ・・・・これで満足か?
>>58 半径2メートル?
直径で2.5メートルくらいでは?
四畳半より小さく見えるし
おまえさん、「このアスペがっ!」て言わせたいだけだろ絶対w 帽子かぶった女(160cm前後)を横に倒して、中心軸からどれくらいの幅になるか想像しろ
>>55 ハワリンバヤルの全域が6畳間程度に決まってるだろうが。
アホ
478 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/15(火) 18:02:51.54 0
http://tuvanikki.exblog.jp/15277679/ やっぱりトゥヴァの人間って基本的にモンゴルっつうかハルハが嫌いなんだな
朝青龍の件に関してもモンゴルの英雄みたいな現モンゴル国と違って
あんなモンゴル共に負けて悔しく無いのかとか言ったりする辺り
昔から続くハルハとの怨恨は相当に根深いものが有るんだろうな
現地で直に生の人々と接してるだけにこう言うサイトは参考になる
479 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/05/16(水) 19:58:48.26 0
モンゴル帝国時代における対立と、近代になってロシアによって煽られた民族感情が、
このようなトゥバ人の反感を形成してるんだろうね。逆にハルハモンゴルのほうは、
トゥバ人に対してどう思ってるんだろうか?特に大した感情は抱いてないのかな。
480 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/16(水) 20:30:24.21 0
モンゴルは国策は別としてロシア人と中国人
あと実は南モンゴルの中国国籍のモンゴル人も嫌ってるけど
トゥヴァの方に関してはの話は今の所聞いた事無いな
ただ良い感情は余り無いかとは思うが…
481 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/05/16(水) 20:58:38.94 0
ロシア人や中国人、内モンゴルのモンゴル人辺りに対してあまり良い感情を持ってないだろうことは、
予想できるけど、トゥバ人に関してはあまり分からないのか。特に大した感情抱いてない気もするし。
483 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/16(水) 21:09:07.32 0
ハルハモンゴルと内蒙古は、お互い「偽共産主義者」と呼び合う習慣があるから
もう半世紀近く、罵り合っているみたいだね。
484 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/16(水) 21:12:34.30 0
トゥヴァが言語以外はほとんどモンゴルとの親和性の方が高くても
言語って言う部分でモンゴルと離別したのは
トゥヴァなりの自己アイデンティティの存在なんじゃないかと思ってる
穿ち過ぎかもしれないが
チンギスハンを自分らゆかりの英雄にしてる一方
フビライ以降を偽物扱いしてる部分でそう言う歴史的意識の差が出てるんだろう
基本言語ってのも簡単に入れ替わるもんだったりするんだけど
それでも言語の部分でついにモンゴル化せずテュルク系言語に留まった部分で
ハルハの偽者共と自分達は違うって言うアイデンティティを確立したんじゃないかね
485 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/16(水) 21:15:35.84 0
>>483 モンゴルは南モンゴル(内蒙古)の連中を中国に吸収された軟弱者って言ってて
南モンゴルはモンゴル(ハルハ)を形だけの独立に満足した上に
伝統の文字を棄ててキリル文字に依存した卑怯者と言ってる
両者とも自分達こそ正統のモンゴルの継承を主張してお互いを偽者呼ばわりしてるんだよな
因みに実は世界で一番モンゴル系が多いのも実はモンゴルじゃなくって中国だったりで
トゥヴァの場合はそこから言語のアイデンティティの問題なんかも絡んできたりしてるんで
より複雑な感じになってるみたいだったりする
486 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/05/16(水) 21:22:21.26 0
モンゴルの継承者という問題だけでなく
中ソの路線対立に巻き込まれた後、立ち位置が固定されちゃっている面もあるね。
295 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/04/01(日) 00:54:59.46 0 モンゴル時代の「青花」もコバルトブルー(回青・呉須)か 296 名前:オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2012/04/01(日) 08:43:26.49 0 モンゴル帝国で青花が盛んだったのはイランと中国の両方を領有できたかららしい。 顔料に使われたコバルトはイランなど西方から取り寄せたものであり、 それと中国の陶磁器の技術を合わせることで、青花が多く作られるようになった。 298 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/04/01(日) 13:04:00.02 0 唐三彩から青花瓷器へ発展したという説もあり 藍色釉の唐三彩もある。 青花瓷器が盛んに製作されたのは元代なのは間違いが。
レーニン イリヤ・ウリヤノフとドイツ・スウェーデン系ユダヤ人のマリアの間に生まれる。 父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった (曾祖母はロシア人であったという)。 この様に幾つもの民族や文化が混じるウリヤノフ家は帝政ロシアの慣習から見て 「モルドヴィン人、カルムク人、ユダヤ人、バルト・ドイツ人、スウェーデン人による混血」 と定義された。
>>66 で、
>父方の祖父は解放農奴出身の仕立屋で、曽祖父はモンゴル系カルムイク人(オイラト)であった
>(曾祖母はロシア人であったという)。
とある一方で、こういう記述もある。
>ウラジーミル・レーニンは、父方の祖母を通じてカルムイク人の血を引いている。
どっちが本当なんだ?
カルムイク人の曾祖父の息子が「解放農奴出身の仕立屋」って、よくわからんな。 なんでカルムイク人が農奴だったんだ?
ヴォルガ流域に移住した当時のカルムイクは、あくまで同盟者って感じで、 ロシア帝国の傭兵として各地の戦争に参加してたらしい。 そして遊牧生活を送ってたわけだから、そんなカルムイクが農奴のはずはないんだが。
ロシアのカルムイク人って、いつ頃まで弁髪にモンゴル衣装だったんだろう?
モンゴル本土自体、辛亥革命後もずっと辮髪だったような気がする。 少なくとも、内モンゴルなんてww2前まではずっと辮髪にモンゴル衣装だった感じ。
何語か知らないけど、ウリャンかウリャーンってのにovを付けてロシア語風にしたんじゃないの? 中央アジアのムスリムの姓でよく見るやつ。そういえばあれは何でグルジア系やアルメニア系はやってないんだろう。 -シビリエフとか-ヤノフとはなってないな
グルジアとアルメニアってロシアよりずっと古くから文明あるよね?
>>76 ロシア自体が新興の国だから
成立は1610年代だろ
とはいえ、外蒙古のハルハまでは抑えてるのに、 ブリヤートは放置してたのが理解できない。 元の時代にはバイカル湖一帯も元朝の支配下だったのに。
>>81 清の前半の頃のブリヤートって強かったの?
ネルチンスク条約当時のブリヤートはロシア人も手こずるほど強かったらしい。 そのくせ、ロシア帝国の支配下に入ったのは解せないが。
ブリヤートの名が初めてでてくるのは『元朝秘史』(13世紀)だけど 慕容鮮卑のような森林の民で、純粋な遊牧民ではないみたいね
ネルチンスク条約当時のブリヤートはロシア人も手こずるほど強かったらしい。 そのくせ、ロシア帝国の支配下に入ったのは解せないが。
ブリヤートは清にとってエベンキみたいな扱い 長城の内側まで迫ってこないから放置
>>81 国家があったわけでもなし、どういう形態の勢力があったの?
結局 我々が周りのの黄色人種をゴミみたいに思うのは 我々だけ混血モンゴル人では無いからだろうな
ヤクートとかブリヤートはなんで清の支配に属さなかったのか不思議でならない。
支配されるというのは、税をぶん取られるということだよ。 なんで好き好んで遠方の者の支配下にはいたいのやら。
毛皮くらいしか貢納できるものがないのに中華王朝の食指が動く訳ないだろう。 ロシアの場合モスクワ会社を通じてイギリスに毛皮を輸出していて、川の多い寒冷地を直接支配できるノウハウもあったからこそ、シベリアを領土化する需要が生まれたに過ぎない。
ヤクートあたりは遠すぎるが、バイカル湖周辺のブリヤートくらい支配できなかったものか。
清の支配を嫌ってロシア側についたとか言ってた気もするが。
1689年にネルチンスク条約を結ぶまで、清とロシアの間で何度か軍事衝突はあった 三藩を平定したのが1681年、ハルハ部を制圧したのが1696年
カルムイク人でロシアでは不細工の象徴だったようだな アンナ・イヴァノヴナ女帝は、ある貴族に対する罰として、 カルムイク人の女召使と同衾することを命じられた しかも氷の宮殿の中で…
フランス革命は 結局、一部の成り上がり商人・金融業者が 商売上のネットワークを利用して大衆を扇動し 全国運動に広めたからあそこまで行けたんだろ つまり革命の鍵はネットワークだ。 個別に農民一揆を起こしても軍隊に鎮圧されて失敗に終わる。 で、おまえらにはネットがあるから あとは、アイデアだけだ
>>96 アンナ女帝の時代に、既に宮廷にカルムイク人が仕えていたことの方が意外だ。
まだ、その頃は半独立の同盟部族で、戦時に傭兵として利用される関係だったのに。
カルムイク共和国周辺を衛星写真で見ると奇妙な放射状に轍が集まって白く見える部分で埋め尽くされてるんだが、あそこは遊牧民のゲルか? 近代化の過程でカルムイク人は他の遊牧民と違ってゲルで定住して馬の代わりに自動車で移動するようにでもなったのか?
カザフスタンでも同じだと思う。 冬になると、ゲルが街にいっぱい集結してくる。 街は冬営地になっていて、サイレージした飼料置き場がある。
なんかカザフスタンのよりずっと密で、カザフスタンのが真ん中に建造物がはっきり見えるのに対し、カルムイクのは黒っぽいよくわからない小さい天幕だか何か(モンゴル国内で見られる白いゲルとは違うっぽい)が1個から数個見えるんだが。
>>101 なんでよ。
韃靼の軛の時代から引き続き支配層のまんまでスラブ化した貴族とかいるのに。
ユスポフ公爵家やウルソフ公爵家、ゴドゥノフ家なんかはタタール系だもんな あ、でも今上げたのはどれも男系が絶えてるのかな
>>106 ラフマニノフ家とモロゾフ家もタタール系だっけ
バトゥの時代以来のタタール系貴族と清の時代になって移住してきたカルムイクは別物だろう。 18世紀の時点でカルムイクは新参者で、半独立の遊牧集団としてロシア帝国と同盟関係にあり、 戦時には傭兵としてロシアのために戦うこともあった。 そのカルムイク人からアンナ女帝の宮廷の女官が出ているのは、違和感を感じる。
>>109 ピョートル皇帝は外交官がオスマン帝国から連れ帰った黒人の小姓をえらく気に入って、
武官として重用、次のエリザータ女帝の代には世襲貴族に取り立てられてバルト海方面の
知事にまで任命されたりしてる。
皇帝の覚え目出度いなら奴隷から貴族にもなったりするん揚な雰囲気があったんだろう。
漂着民の大黒屋光大夫もエカテリーナ女帝に謁見の機会があったくらいだら、軍事同盟国と
いうか地方政権の使節の中の一人が謁見の機会があるのもそうおかしなはなしでもないし、
そこで気に入られて宮廷に留め置かれるくらいあり得る話だろう。
或いは遊牧民の慣習で和睦や同盟関係の締結には支配層の女の交換をするから、そのつもりで
妾妻として差し出したつもりが、ロシア側が女帝だったのでそういうわけにもいかず、無碍に追い
返すこともできないから宮廷内で地位を与えて留まらせた、とか。
上のほうにも出てたけど、レーニンの曾祖父がカルムイク人の農奴だったらしいが、 遊牧集団のカルムイクがなんで農奴なのか理解できない。
カルムイクは、囲い込みにあって遊牧ができなくなって カザフ族のいる伊犁(ジュンガル盆地)へ 半分以上帰還したんだよ。 その後のカルムイクは、巴音や青海省へも分散。 甘粛省やオルドスへも少数が移住。
身分が農奴 人種がカルムイク 職業が羊飼 物納租税が羊毛 とかいうことだろ
ロシア帝国から見れば「外様」のカルムイクみたいな集団でも、 身分上は「農奴」にカテゴライズされてしまうのか。
本隊が移住したあと没落して、借金のカタに農奴になったとか、そういう話はないのかな?
同盟関係の親分のハーンとかアタマーンとかアーミールとかを貴族同等に扱うとすると、 その配下の領民は貴族の配下にある農奴と同じだろう。 農奴制は貢納義務のある隷属民としての農奴はあっても市民は居ないんだから。
カルムイクは18世紀になると、ロシア人の入植の邪魔になって圧迫されたのに、 そのカルムイクが退去しようとすると、わざわざ追撃したロシアの意図が理解できない。
ロシア人の拡算は国家的な殖民化だけでなく ステップのハン達が自分の領地を耕作させて小作料を納めさせる算段で スラヴ人農民を売買したりあるいは拉致したりしていたこともある
クリミア王国の最大の収入源がウクライナ人やロシア人の奴隷だったしねえ。 広くイスラム圏に売られていってました。
ステップのモンゴル・トルコ系の汗達はロシアが征服した後も ツァーリの臣下という地位の下で統治そのものはかなり温存されていた。 本格的なロシアの植民地化は以外に遅くロシア革命でハン達が追放されてから。
7: スコティッシュフォールド(岡山県):2012/07/12(木) 23:57:44.32 ID:SfMqcTWJ0 やはり歴史上いちばんやってるのはチンギスハンか DNAの調査だと1600万人も子孫いるらしいな
>>121 確かに帝政ロシアは、英仏などとちがって本国と植民地の区別が明確じゃないな。
ブハラ汗国とかヒヴァ汗国とかロシア革命直後まで残ってたんだよな。 イギリスでいえばインドの藩王国とかアラブやマレーの土侯国みたいなもんだな。
農奴制の廃止までロシア保護下の汗国においてはスラヴ農民は市場で取引されていた。 イギリス植民地下でのインドの藩国やマレーのマハラジャ領でイギリス白人が人身売買されるようなことはありえない。
ロシア人自体コーカソイドの血が濃いテュルク系ウゴル系諸民族とは外見差ないしな。 タタールの軛のトラウマもあってか明らかにモンゴロイドやイスラームを下に見てないよな。
80 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/24(土) 14:07:19.68 0
男は皆殺し。女は強姦した後皆殺し。モンゴル人の面影が西域にないのはそのせいか?
82 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/24(土) 14:48:55.76 0
>>80 モンゴル帝国解体後にイラン・アフガンでモンゴル系支配層がどんな運命を辿っていったのだろうか。
かつてアッシリア人は帝国崩壊後に報復としてひどい目に合わされたようだ。
イラン・アフガンではモンゴロイド系は未だに地位は低い。モンゴルの子孫は散々な目に合ったと思うよ。
哀れ
83 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/24(土) 16:07:39.06 0
アフガニスタンのモンゴル遺民・ハザラ人は、まさに差別を受け続けた民族だね。
不可触賤民とまではいかないけど、だいたいエジプトでのコプト教徒レベルの扱いかな。
>>125 インドはどちらかというと奴隷の供給地で、ケープ、ケニア、マレー、ニューカレドニアやなんかに
タミル人やベンガル人の奴隷をイギリスが送り込んでる。
香港や厦門でかきあつめた苦力、これも奴隷を、あちこちに送り込んでる。
イギリス国王はイギリス白人が領土内で売買されることを許さなかっただろうが、 一方でロシアのツァーリは領土内で農奴が売買されるのに違和感を感じなかった。 イギリス国王は白人の平民に対し人種的な連帯感を持っていたが ロシアのツァーリはスラヴ人農奴に民族的な連帯感は持っていなかった (まあだから血の日曜日なんだが)
ツァーリはボルガ・ドイツ人のほうがまだ自分たちに近いと思ってそう
>>129 ケープ植民地の人種法では、アイルランド人は白人の埒外に置かれてたよ。
ハワイ史の本を読んだら、日本の明治時代頃のハワイだと、 ポルトガル系が他の白人とは別のカテゴリーに分類されてたな。
アングロサクソン系の国では、南欧系は格下に見られる傾向があるの?
フリニメツキーやプガチョフなどコサックの反乱なんか タタールと連合してポーランドやロシアに反乱している場合もあるし スラヴ人は西欧白人にくらべ遊牧民に人種・宗教的な抵抗感は無いのかも
ラテン人ってのがスラングの悪い意味で腋臭人間って言う罵倒語も含んでるし 汗臭い怠け者の腋臭共みたいな言い方でバカにして見下してる つかスペイン内でもカタロニアやバスクなんか自分らをマドリードのハナクソと同類にすんなって言ってるし そのマドリードの連中もアンダルシアの人間を遊んでばかりでの怠け者の臭い人間って罵ってる
スラヴ人はタタールとかバシキールなどの遊牧民と連合して ポーランドやロシアに反乱するが、何故かユダヤ人を迫害する。 人種的にはユダヤ人の方が近いはずなのに。
>>138 何でスラヴみたいな色白い奴らがあんな南が発祥の浅黒い民族と人種的に近いんだよ。
そもそもスラヴってタイガ原住のウゴル系やキプキャク草原に入れ替わり立ち代りやってくる遊牧民と事あるごとに交雑してるんだぞ。
アシュケナージ=ハザール人っていいたい人なんでしょ、きっと
コサックの反乱には必ずユダヤ人への暴行が併発している。 コサックも当初は帝政ロシアの尖兵として遊牧民を弾圧・征服したわけではなく 寧ろ遊牧民達と連合してツァーリに反抗しユダヤ人に暴行を加えるという いわゆる帝政ロシアがガス抜きでコサックを使ってやったという"ポグロム"とはかなりイメージが違う。
そりゃ、都市住民と、都市の外に住む者との対立だろ。 ユダヤ人は都市部の商工業者。 コサックはいろいろな度合いでスラブ化した韃靼人というか韃靼人の生活様式を取り入れたスラブ人というか 言語がロシア語、宗門がキリスト教の半農半牧の草原の住民。
ハザールはテュルク系だしハザールの王朝は西突厥の王族の末裔だから 有る意味西突厥の後裔国だな つってもハザールって王族や支配層上流階級がユダヤ教になったけど 配下の雑多な被支配層は色んな宗教信者が混交しててユダヤ教国って程でもなかったんじゃ
かつてのスラブ人の差別・排撃の矛先がアジア系よりユダヤ系に向いていたというのが意外。 日露戦争敗北でアメリカではアジア系排斥が激化したのに当のロシアでは アジア人への排撃が激化したという話を聞いたことがない。
だってアルタイ人やオイラト人やキルギス人やカラカルパク人の方がロシア人より優秀なこと 身を以て知ってるから。
レーニンがカルムイク系だというのがソ連時代でも公然とされていたが (あの顔見りゃ誤魔化せないこともあるが) 祖父母が改宗ユダヤ人だというのは一種のタブーだったという。
完全にタブーだろ。 ロシア革命起こした連中は、ユダヤ系うじゃうじゃだけど。
ソビエトの基本理念は、マルクス・レーニン主義だろ。 カールマルクスの思想を、レーニンが実現したもの、という。 そのカールマルクスからして改宗ユダヤ人ではないか。
ソビエトの基本理念は、無量光佛の浄土思想だろ。 カルムイク仏教の思想を、レーニンが実現したもの、という。 そのレーニンの曽祖父からしてカルムイク仏教信徒ではないか。
>>145 ロシアのネオナチが東洋人らしき通行人リンチしてる動画かなりあるだろ
今はその所為かユダヤ人に対する排撃はポグロムの頃にくらべて弱まっている
896 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/31(火) 00:17:22.50 O 質問です。 明代、モンゴル勢力を韃靼(タタール)と呼んでましたが、オイラトも明から韃靼の一部と見なされてたのでしょうか。 それとも、韃靼とオイラトは別勢力と見なされてたのでしょうか。 あと、明代に海禁が緩和されますが、その背景・理由って何ですか。 どなたかお願い致します 897 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/31(火) 02:26:35.62 0 オイラトは「瓦剌(ワーラー)」と音写され、韃靼とは別勢力とみなされていた。 『明史』には外国伝の八に韃靼、九に瓦剌が記載され、 「韃靼は即ち蒙古で、もとの元の後である」「瓦剌は蒙古の部落で、韃靼の西にある」と記す。 モンゴルを韃靼と蔑称したのは明朝の政策だが、北方諸族の蔑称として韃虜・韃子を用いることはあり、 これを伝聞した日本では満洲族をも誤って韃靼と呼んだ。 海禁を制定したのは明の太祖洪武帝で、元代から活動していた倭寇の取り締まりが目的。 しかし倭寇はかえって盛んになり、民間貿易を禁じてみれば倭寇と通じた密貿易が増える一方となる。 明朝は何度も取り締まるが効果は少なく、逆に海商と結んで巨利をあげる官僚も増えていった。 1547年には海禁を破った者へ徹底的な処罰が行われるも、その反動で倭寇が激増。 やがて海禁厳守派は失脚し、福建章州の月港が開港されて出海が一部許可されることになった。
レーニンの曾祖父がカルムイク人で、祖父が解放農奴で、父が下級貴族に出世した官吏。 曾祖父が農奴だったということになるが、遊牧民がなんで部族を離れて農奴になってたんだろう?
ブリヤートには、いまでもチベット仏教の寺院があって、 僧医がチベット医学に基づく伝統的治療を行ってるらしい。
雍正帝時代の大蔵経〜甘殊爾(カンギュル)・丹殊爾(テンギュル)が伝わっているからね。 丹殊爾に、医学・薬学の教科書が入っているので、教育体制があるんよ。
元って、なんで樺太占領しなかったんだろう。 寒すぎたから?
占領しようとして軍勢送り込んで、アイヌと戦ってるらしい。 カラフト最南端のシラヌシにはその頃の城跡があるそうな。
一応、サハリン先住民は元に服属したんだよな。 明や清の時代にも貢納してるし。
>>161 元が占領どころか、樺太アイヌが対岸まで攻め入って、それのために、元は、地元民のために
派兵までしています。逆ですね。
樺太にいるウイルタ族はモンゴル系なの? 遊牧民らしいけど…
ウイルタ語は、古アジア的な痕跡を残したツングース言語 モンゴル語はそれほど強い関連性がない。
そっかウイルタ族はツングースなんだ モンゴル人は皆草原に帰っちゃったのかな 勿体無いね折角要塞まで作ったのに
>>170 少しねw
だってトナカイの遊牧するからさぁ
関係あるかなと
ハルハ・モンゴルとの交易は盛んだったと思うよ。 ウィルタとは違うが、オロチョンやエベンキは モンゴル語が通じる。 中国のオロチョンやエベンキで、 蒙古系の母系祖先がいない家はゼロだっていうし。
元軍の残党が樺太に残ってたら歴史は変わってたかも 騎馬文化が北海道のアイヌ人に伝わって、アイヌ人が騎馬民族になって本州に南下したり大陸に進出したりとか まあ、たらればの話だけど
>>174 当時の技術であの土地で原住民に同化せずに暮らす事自体不可能だろ。
湿潤地帯の日本やベトナムにも来たじゃん。負けて逃げ帰ったけど。
マンダレー周辺は乾燥地帯だけど、さすがに騎馬民族が再度勢力拡大するには気候的に無理かな
>>71 20世紀前半のころの内モンゴルの人の写真を複数種類見たことあるけど、
その中で辮髪の人を見たことは無いなあ。
20世紀の内モンゴルで辮髪というと徳王(デムチュクドンロブ)とか 李守信は辮髪でも無いように見える
アムール川の河口の近くに「monggolo」というモンゴル族が住む集落が今でも存在している。 祖先は元がアムール川河口に設置した「東征元帥府」に駐留した、 モンゴル兵(旧南宋兵・旧金国兵も含む)たちの子孫で、 満州語や漢文で書かれた文書はもちろん、モンゴル文字や女真文字で書かれた文書が現在でも残っているそうな。
この人は辮髪かな?
>>182 монгголоで検索したがそんな集落ひっかからないな?
一体どこに書いてあった?
>>183 の写真見ると、辮髪してるっぽいね。
しかし髪型も服装も清朝旗人って感じで、モンゴルのエリートが素朴な遊牧民じゃなくなった証拠だよね。
辮髪っぽいね
>>184 >>187 明治大学名誉教授の故・神田信夫博士が、間宮林蔵の「東韃紀行」をベースに
嘉慶年間における、黒竜江下流域からサハリン沿岸の少数民族について、黒竜江最下流に
モンゴル族の集落がある事を「神田信夫博士古希記念論集」に執筆していた。
その後、佐々木史郎・北海道大学教授(当時)が1998年に黒竜江下流域に出向いて現地調査をして
黒竜江下流域のモンゴル族の集落の存在を、山丹交易に関する本に発表していたよ。
どーでもいいが、雲南省には現在も1万人以上のモンゴル人が住んでいる。 モンケ=ハーンが大理を攻略させた後に駐留させたモンゴル兵の末裔たちで、 秋の収穫祭にはチンギス=ハーン・モンケ=ハーン・フビライ=ハーンの肖像画を 神輿に掲げて町中を練り歩くそーな。
505:マンセー名無しさん:2012/09/01(土) 11:06:04.61 ID:LbsnmMEc
>>501 クビライは五男のフゲチを雲南に赴任させ、昆明湖畔に宮殿を建てて梁王に封じた。
以後、梁王家は1382年に明軍に倒されるまで続いたが、最後の梁王バツァラワルミが妻子とともに
自殺したあと、明軍に降伏した多くのモンゴル人たちは楽戸の身分に落とされ、明の皇族や官僚たちの使用人にされた。
鄭和一族も広い意味ではそういったモンゴル系出身者ともいう事もできる。
さて、梁王バツァラワルミには六十奴(リウシーヌ)という孫がいたが、
六十奴は洪武帝の命によって耽羅(済州島)に配流された。
しかしその子孫たちは日本の終戦後も済州島に住んでたが、
1948年に済州島で起きた4・3事件での韓国軍の迫害を避けて、
そのほとんどが日本各地に移住して、現在に至っている。
モンゴル軍がジャワを攻めたとき、ジャワに残ったモンゴル兵の末裔が 今でもジャワに住んでいるって話を聞いたことあるんですが、 ご存知の方いらっしゃいませんか?
ロシア沿海州で栄えているのはウラジオストクからハバロフスクへと内陸ルート 東側の沿海は山脈地帯で細々と住む程度 大規模な畑作はできず、漁業くらい サハリン、シベリアはせいぜい毛皮取引の税を取り立てる役所を置くくらいで 大規模に移住するうまみはない
>>136 遊牧民と農耕民の共生というのはロシア地域の南部、特にウクライナでの、
古代からの連綿たる伝統。
ウクライナあたりの古代文化をチェルニャコヴォ文化→チェルノレス文化→
コマロフ文化・トシュチニェツ文化→横穴墓文化→ヤムナ文化→スレドニ・ストグ文化
と遡ってみる。
すると人類最初の騎馬文化と考えられているスレドニ・ストグ文化の時代から、
あの辺の遊牧・農耕共生の文化はそういった先史時代から古代、
そして中世から近世、現代へとまったく首尾一貫していることがはっきり見て取れる。
ウクライナなどでは住民が時代ごとにまったく入れ替わったのではなく、
基層となる農耕民(いまの東スラヴ人の先祖)がちゃんといて、
そこにあっちこっちからそのほかのプラスアルファの集団が入ってきて、
また内から集団が出て行ったりして、そうやってウクライナやロシアの東スラヴ人が形成された。
遊牧・農耕の混合文化を持つのが東スラヴ人の特徴で、中世初期にはヨーロッパでは「アント人」として知られていた。
人類最初の騎馬の痕跡はウクライナで、 人類最初の酪農(チーズ)の痕跡はポーランドなので、 東西スラヴ人のご先祖様たちは、意外にすごいのよ。
最後に、前著『韓半島から眺めた契丹・女真』(京都大学学術出版会、2011年)の研究成果が呉英普iWu Yingzhe)氏によって剽窃されたことを指摘しておかねばならない。 氏は最近発表した文章(『알타이학보』22、111-120頁、2012年)において、筆者が前著で解明した契丹小字『外戚国舅帳耶魯宛迪魯古副使位誌碑銘』の墓主が『遼史』卷85に伝がある蕭撻凜の玄孫であること(前著36頁) 及び契丹小字『可汗横帳仲父房連寧詳穏墓誌』の墓主が『遼史』卷83に伝がある耶律休哥の姪孫であること(前著84頁)をすべて自分の「研究成果」としている。 実は、2010年までの呉氏の一連の剽窃行為は、すでに『韓半島から眺めた契丹・女真』に明白に指摘しているが、全く反省もなく短期間でまたもや同様の剽窃行為を堂々と続けていることは非常に心外である。 こうした反学術倫理的な行為を公示するとともに、知的所有権保護のコンセンサスを呼びかけるものである。
>>198 カーンの妃がハトンだが、ハトンは王妃というよりも、英語のクィーンにニュアンスが近い。
但し、部族のハンの代わりに部族を纏めたハトンはいても、複数の部族を纏めた国家レベルでの
ハトンはいなかったな。しいて言えば、モンゴル帝国初期の監国を務めたハトンが女のカーンに
近いかな。
モンゴル東部で突厥碑文発見 8世紀、阪大が共同調査
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/article/26979 モンゴル東部のドンゴイ・シレー遺跡で見つかった碑文の古代トルコ文字(突厥文字)の拓本(大沢孝大阪大教授提供)
古代トルコ文字の碑文発見=モンゴル東部で初−大阪大など
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30& ;k=2013071600842
モンゴル東部で発見された、古代トルコ文字が彫られた碑文の遺跡。倒れて、埋もれたり切断されたりした状態で見つかった=5月(大阪大大学院言語文化研究科の大澤孝教授提供)
8世紀の突厥碑文発見 モンゴル東部、阪大が共同調査
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG16055_X10C13A7CR0000/ モンゴル東部で8世紀の突厥碑文 阪大が共同調査
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130716/wlf13071622490018-n1.htm モンゴル東部のドンゴイ・シレー遺跡で見つかった石に刻まれたタムガと呼ばれる部族の紋章(大沢孝大阪大教授提供)
東部モンゴリアから巨大な古代トルコ文字碑文・遺跡を新発見
http://www.osaka-u.ac.jp/ja/news/ResearchRelease/2013/07/20130716_1 図1 今回発見された古代トルコ語文字碑文とその遺跡風景。
手前には2つの碑文が横たわり、その後方には散乱する石柱や遺物断片が見える。
図2 モンゴル高原における従来の突厥・ウイグルのトルコ文字碑文・遺跡分布図
大阪大学 大学院言語文化研究科
http://www1.lang.osaka-u.ac.jp/ /
お世話になります。
私、責任者の加茂と申します。以後、宜しくお願い致します。
浪速建設様の見解と致しましては、メールによる対応に関しましては
受付しないということで、当初より返信を行っていないようで、今後につい
てもメールや書面での対応は致しかねるというお答えでした。
このように現在まで6通のメールを送られたとのことですが、結果一度も
返信がないとう状況になっています。
私どものほうでも現在までのメール履歴は随時削除を致しております
ので実際に11通のメールを頂戴しているか不明なところであります。
弊社としましても今後メールでのやり取りを差し控えたく、浪速建設様
と同行の上でお会いさせていただきたい所存です。
■
http://rfi.a.la9.jp/hn203/kb/kb-main3.html http://homepage2.nifty.com/e-d-a/hn203/ansec/animal.html /
ヤクート人やブリヤート人やカルムイク人は、 チェチェン人みたいにロシアからの独立をめざさないの?
ブリヤートとカルムイクが大同団結して、民族名を「モンゴル」にすることもないか。 モンゴルとオイラート(カルムイクはこっち)で正書法すら別だもんな 逆になんで中国は2つをまとめてしまったんだろう。イスラム教徒のモンゴル人やチベット系と混交したのは別民族扱いなのに。
カルムイクもブリヤートもロシア人に飼い慣らされて、チェチェン人に比べて気概がないな。
もと遊牧民って、現代では目利きの行商人だからな。 自分のドメインに引き篭もっていたら裕福にはなれないからよ。 アジアの雑貨を東欧に売りつける(マーチャンダイズ)のは、もと遊牧民の仕事。
>>207 宗教での分類、言語の分類で、「民族」
さらに下位分類で「人」を立てている。
だから、和碩特人とか察哈爾人とか、区別がある。
意思疎通は同じ語族語支だから一応できるけど、丁々発止即応即答はできない。
>>211 日本にむりやり当てはめたら、
日本民族の下に関西人や東北人や沖縄人がいるようなものか。
中国やミャンマーは、XX国人 -YY 民族 - ZZ人 という分類を使っている。 だから、中国やミャンマーの文書には 日本国には、日本民族(大和族)のほかにアイヌ民族が併存している記述をする。 中国では、沖縄は語族が一緒なので、日本民族(大和族)の扱い。
ブリヤート(北部モンゴル語)とオイラト(西部モンゴル語)がハルハおよびチャハル(東部モンゴル語)から別れたのは日本語と琉球語が分かれた時代(2200年前)より新しいんだよな・・・ 発音の経年変化でクッソ恐ろしく差がついてるけど・・・ モンゴル系言語にはこの3方言の含まれたモンゴル語の他にモングオール語やダウール語や契丹語があって、このレベルでようやく日本語と琉球語の分岐と比肩しうる年代になるんだよな・・・
かつてアフガニスタンにあって、滅びたモゴール語はどんな言語だったんだろう
だいたいさw 日本とチベットとかミャンマーとか?遺伝子が似てるってw だれが決めたんだ?
ブリヤート人は、なんで清の皇帝ではなくロシア皇帝の支配を受け入れたのだろう? 元の時代はバイカル湖周辺は元の領土で、北極圏まで元の支配が及んでいたらしいのに。 ヤクート人もなんで清の皇帝に服属しなかったのだろう?
ブリヤート語はチュルク語のように主語により動詞の接尾に主語が影響した 接尾変化するらしいけど、そうなると語順も含めてチュルク語に似てるような 想像するけどブリヤート語のローマ字文献が見つからないのでサッパリ分からん
そうなると主語が必須ではなくなるな。日本語とかでの主語不要とは性質が異なり、印欧語族の屈折語やアラビア語みたいに。 ただ、ドイツ語とかは主語と人称による屈折と両方必須か。
トルコ語はほとんど主語を省略してるみたい 最後にくる動詞の接尾に、例えば一人称単数なら、-um とか -im がつくから ブリヤート語はどうなんだろう?
>>219 調べてみたら、蒙古語族の中ではブリヤート語、カルムイク語、
それにダグール語に述語動詞の人称接辞がある。
この3者の人称接辞は互いによく似ている。
チュルク語やツングース語の人称接辞とは違う形をしている。
どうやら人称代名詞を接辞化したものらしい。
なお語順については、ブリヤート語は日本語とほぼ同じ。
蒙古語族・チュルク語族ともユーラシアをだいぶ西へ行って
なおかつ長期にわたって同語族から孤立していないと語順は崩れないようだ。
バリ島の東南東500キロにあるスンバ諸島。 ここにいる馬(現地語で「タピ」)のDNA鑑定したら蒙古馬のDNAと一致。 原住民のDNA鑑定したら、モンゴル系の遺伝子が出てきている。 スマトラ大地震で津波によって陸上に上がった岩石に、 かなり摩滅しているが、モンゴル文字とパスパ文字の碑文がある。 ちなみに「タピ」はモンゴル語の「タヒ(野生の馬)」が訛ったものだとか。 以上、「歴史研究」2006年5月号より転載
真偽のほどはしらないけど、面白い話だね 元朝はジャワ島のシンガサリ王国に遠征してるから、そのへんまで足伸ばしてたのかな あるいは、元代の海洋交易従事者の足跡なのかもしれないね
>>218 ネルチンスク条約(1689)とキャフタ条約(1729)によって。
モンゴル系の遺伝子って具体的にはなんだろう? すごい雑な表現な気がする
民族固有の遺伝子なんてべつにないだろ いくつかの因子の比率の差があるだけ
それより日本の国技大相撲はどうなっちゃうんだ。 日本人横綱は一人もいない。 いずれ大関も全員モンゴル人なるだろう。 イチノジョウとかいう怪物が現れたし。 モンゴルマンセー
虹彩の明るいモンゴル人
>>215 >かつてアフガニスタンにあって、滅びたモゴール語はどんな言語だったんだろう
梅棹忠夫『モゴール族探検記』に詳細あり。
ハザーラ人が、モンゴル留学でもしたら、一発でふっかつじゃん。
んなわけあるかい モゴール語はすでにモゴール語として独自の形に変化し、その後衰退した ハザーラ人が現代モンゴル語を習得してもモゴール語の復活にはならない
>>232 >梅棹忠夫『モゴール族探検記』に詳細あり。
ずっと伝世されてきたモゴール語のテキストがあるんだよ。
ハザーラ人が、それを学べば、モゴール語の復活じゃん。
現代イスラエルで復活しているヘブライ語の口語に対して、
「ホンモノのヘブライ語の口語は、独自の形に変化し、その後衰退した。
後代の連中があとから学んだ復活運動のは、ニセモノ!」
といくら騒いでも、その実在を、もはや否定できないのといっしょ。
ハザーラ人が学ぼうとしない限り絵に描いた餅 学ぼうとしてもわずかな詩篇しか無いのでは夢のまた夢 語彙どころか文法の再建すらままならないのでは誰が見てもニセモノでしかないものしか生まれない 何よりハザーラ人の大半はシーア派で、 モゴール族はその中に囲まれたスンニー派の特殊な集団だった 先祖を同じくするという説も推定にすぎず、個々の集団の帰属も恐らく現代までに二転三転している 件の探検記を読めばわかるが、ハザーラ人はすでにモンゴル的なアイデンティティを喪失している 現代ハザーラ人がモゴール語を復活させようなどと動く動機はゼロに等しい
実は母集団が小さいモゴール人の方が、大民族のハザラ人より混血の影響が大きくて、モンゴロイド的特徴を喪失してるとかあるのかな
>>235 >ハザーラ人が学ぼうとしない限り絵に描いた餅
うん。
つまり、
>>232 で指摘したとおり、学んだ場合は「一発で復活!」ということだね♪
内蒙古ってハルハが多数を占める外蒙古と較べたらてんでバラバラなのな 現行のアイマグ(盟)が清朝からの盟旗制度を受け継いでるのかと思いきや チャハルや帰化城トゥメトは内属蒙古で、西套蒙古も別扱いで盟に組み込まれてはないのな ややこしい
そして方言差も内蒙古のほうが多い このパターンは内蒙古がモンゴル族の故地だったと見るべきなのだろうな
でモンゴル高原は本来チュルク系の居住域だったとか?
ブリヤートやオイラートは別として、ここ千年ばかりのモンゴル族についてはそうだろうっていう事 もっと古い時期にはやはりモンゴル高原にいたのかもしれない
>>240 呂布はモンゴル系と見てええんかね?
包頭とかオルドスらへんは大昔から漢族との混住地域っぽく見えるが
モンゴル族も漢族との接触で生じてきたもんなんだろか?
>>244 漢族との接触で民族が生まれるというのは意味が見えない話だけれど
もし「もっと古い別の民族の一部が漢族と接触することで中間的な新しい民族が生まれた」
という意味なら、少なくとも言語の上ではそんな証拠はないと思う
これがツングース諸語とその中の満洲語との関係で言うと大いに違ってきて、
極東ロシアのかなり北まで分布するツングース諸語の多くは複雑な文法形態を持っていて
アルタイ諸言語の中でもひときわ古アジア諸語やアメリカ・インディアン諸語などにも近い構造
をしていると言えるのだけれど、漢語と最も長く接触してきたとおぼしい満洲語は
ツングース諸語とは語順も同じで共通の語彙も多数持っていながら、構造上ははるかに単純で自由度が高く、
むしろ漢人がカタコトのツングース語を操っているうちにできたのではないかとさえ思わせるものがある
すなわち女真人のさらに原型的な集団は漢人とツングース人の大規模な混住・通婚から生まれた可能性が高い
これに対しモンゴル諸語はというと、北の端のブリヤート語も内蒙古からモンゴル高原のモンゴル語も
オイラート〜カルムイク語もまたその他の小言語も、形態の複雑さという点では人称接辞の有無ぐらいしか
大きな違いはなく、モンゴル語よりも複雑で古風な構造の少数言語やその痕跡というものがない
>むしろ漢人がカタコトのツングース語を操っているうちにできたのではないかとさえ思わせるものがある 満州語の文法が規則的すぎて自然言語としてはあまりに不自然だとは思ってたが そういう事だったのか
モンゴル諸語はチンギス・ハーン以前と以後で、大きく分布図が替わったのかな それこそ多くの同系言語が滅び、チンギス・ハーンの部族の言語が適応放散したレベルの塗り替えがあったとか 辛うじてダウール語だけその変化を生き延びたとか テュルク系ですらチュバシ語と言う風変わりなのが残ってるのにな
モンゴルってそもそもいつくらいから現れた名前なの? 中国でも蒙古って呼ばれてたの?
室韋が先祖にあたる。蒙兀室韋とよばれる集団がハルハモンゴルの直系祖先かもしれぬ。
>>246 満洲人そのものが女直・蒙・漢から成り立っているから
その公用語ともいえる満洲語が正書法・文法ともに規則的なものになっていくのは必然だろう
室韋 どんな音を漢字表記したんだろう シルウィとか?
>>111 >>114 ロシア人、ドイツ人の農業入植者に土地を奪われて落ちぶれた。
身売り、キリスト教に改宗して農奴扱いに。軍隊の兵士になったままロシア化という者もいたろうが。
カルムイク人の半数が逃走して重石が取れてプガチョフの反乱が起きる。
イリに帰る途中に居るカザフ人は今までの怨みだとばかり、弱体化していたカルムイク人を襲撃、殺戮、捕虜は奴隷に売り飛ばすという旧満州崩壊時の日本人難民が被ったのと同じような地獄絵図。半数が失われる。
ノガイの土地を奪って住み着いていたわけだが。 ノガイは哀れにも離散して民族集団としては殆ど残っていない。
バルカルは離散したノガイが別民族となったものかな?周りがカフカス系なのにテュルク系だけど ゐきぺぢあだとブルガールの流れをくむそうだけど。でも言語連合で複雑な子音を取り入れたのかと思ったら、アルファベットはトルコ語とかとさほど変わらない子音のセットみたい 変な放出音とかはなさそう
>>250 満洲語の前の女真語の時点ですでに相当ピジン化が進んでいた模様
>>256 現在我々が知ることができるまとまった女真語の文章は
金朝の時にできた文法書や碑文だから
その時点で漢文を意識して文法や語彙が整理された可能性がある
口語のレベルでピジン化が起きたとも限らない
>>256 >満洲語の前の女真語の時点ですでに相当ピジン化が進んでいた
粛慎や靺鞨の時代から漢人と交流してるんだから、
漢語の影響を受けていないほうがおかしい
重要な事は文法構造において満洲語が特にピジン化した言語であるという点よりも 他のツングース語に閉鎖的な先住民語の色彩が濃いという事のほうで、 そういった落差がモンゴル系あるいはチュルク系諸言語の内部には見られないという事 この2者はかなり早い時期から開放的・流動的な移動を行っていたと見るべきだろう
ツングースって馬じゃなくてトナカイ飼うじゃんよ 満州はそこらへんもツングースらしさ捨ててモンゴル化してるよな
モンゴル諸語とロマンス諸語ってなんか似てるな ロマンス諸語は同じ語派のオスク・ウンブリア語群はおろかラテン語に近いファリスク語すらその子孫を残さなかった 今あるのは全て俗ラテン語の末裔 モンゴル諸語もチンギス・ハーンのあたりでかなり一つの言語が他を圧倒したりしてるんじゃないの? モンゴルの前、室韋のころに分かれた系統の末裔の言語もまだ残ってるのかな?
>>262 ダウール(達斡爾)語
東部ユグル(裕固)語
モングォール(土家)語
ボーナン(保安)語
サンタ(東郷)語
カンジャ(康家)語
>>260 まあ満洲語も女真語も現在知ることのできるサンプルの多くは文語だから
ほとんどが口語である他のツングース諸語とはズレが生じるのも仕方ない
そして文字資料に書かれてある言語と実際に話されている言語が同じとは限らないのは
漢児言語の存在が定説化されていないことを考えてもわかるし
>>264 もしかしてツングース諸語が満洲語から別れたように捉えているのかな?
もしそうなら今わずかに残った満州語口語が基本的に規則的に文語の後裔の形であることの
説明がつかないよ
満州文字は蒙古文字を改良して訓民正音と同程度には細かい音の差を記せるようにしたものだが、
すでに接辞の母音調和の欠如などのツングース離れした満州語の特徴をすでに記録していた
漢児言語については漢字の伝統を離れた消経文字の記録の解析に期待したい所
>>264 >満洲語も女真語も現在知ることのできるサンプルの多くは文語だから
新疆在住のシベ族、新疆に移住する以前は、2、3世代ほど瀋陽に在住。
彼らの言語は、満洲本土に残存している同族の言語とはことなり、
「満州語瀋陽方言」ともいうべき言語。
で、彼らの満洲語(シベ語)が、「ほとんどが口語である他のツングース諸語」と
どの程度ズレているのか、いないのかは知らないので、教えろください
>265,>266
言語の歴史的変化や言語学の資料の限界を考慮せずに
>>244 や
>>245 のような超歴史的な民族生成論を展開するのは危ないということを言いたいのです
>>267 現存するツングース諸語のデータはいずれもこれらの言語が
満州文語や現存する口語満州語とは比べ物にならないほど複雑な文法組織を維持していることを示している
その事と、世界のピジン・クレオール語において非常に多く見られる文法組織の単純化という傾向とを考慮すると
>>245 程度の推論は誰にでも言えるし、もう誰かが言っていて定説化しているんじゃないだろうか
別に冒険的とも危険ともトンデモとも思いませんが
満洲本土に残存しているシベ族の言語は絶滅して跡形もないはず
>>269 新疆のチャプチャルにはシベ族の自治権があって、
シベ族が十五万人くらいいて、そのうち半分は満州語ネイティブ。
>満洲本土に残存しているシベ族の言語は絶滅して跡形もないはず
跡形くらいは、たっぷりあるようだよ
中国サイト
http://japanese.china.org.cn/ri-shaoshu/xibo.htm ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/ シベ族
横から失礼しますが、
満洲語の議論がしばらく続きそうなら、外国語板にあるこちらのスレをお奨めします。
【満州語総合スレッド】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/gogaku/1349605120 「ツングース語族は"女真語族"と"北ツングース語族"に分けるべき」 みたいな意見はまた違うのか。
ナナイ語が南群なんだけど、滿語とは距離がある。しかも北群とはかなり遠い。 3分割になってしまいかねない。
>>274 そもそもツングース語族は単一の系統ではない、という説か。
日本語と中国語のように、
単なる借用関係しかないと。
>>270 参考文献に内ア言語に原載されていたMヤさんの論文が無いな
時期的に原稿に反映できなかったのかね
>>262 「ロマンス語」はラテン語の子孫についていう言葉で、
俗ラテン語以前のラテン語とすでに分岐していた言語は
「イタリック語派」ではあってもロマンス語ではないだろう
イタリック語派と訂正
>>276 チュヴァシュ語と他のテュルク諸語の関係よりもツングース諸語内の関係は疎遠なのかな
そもそも「語族」という考え方が正しいのかどうか 北ツングース語は先住民系の、 女真語系は漢民族の言葉を多く取り込んでいる、 というか構成要素になってるし
>>268 古い女真語資料が王朝の政府や知識人が作った碑文なので口語の状況を
どれだけ反映しているのかがわからないし
現存する満洲口語の話者は八旗の子孫がほとんどなので
標準化された満洲文語の影響を受けている可能性だってあるし
>>245 のツングース系と漢人が通婚して女真人が・・・というのが金代以前の話だったら
実証するにはデータが少なすぎる
>>281 > 標準化された満洲文語の影響を受けている可能性だってあるし
すでに
>>260 でそれに近い立場だけれどどこに問題が?
>>245 は情況証拠からの推論だけれどマクロに見て間違っていないと思う
他の可能性を提示もせずにいたずらに危険だと言われても意味不明だ
>>280 言語の構造と基礎語彙の大枠が一緒だから語族としてまとめられているのだろう
アラビア語系の語彙を4000語持っていてもスペイン語は印欧語族ロマンス語派だが
少し学んでみただけでもそれを実感させるだけのものはある
>>282 今は20世紀と違って情況証拠からの推論だけでは定説にならんのですよ
>>283 現時点で蓋然性の最も高い仮説が定説になる、それだけ
日本の人文科学には瑣末主義がはびこっていて
ありふれた仮説すら説かず対抗説も挙げず
ろくに根拠もなく足を引っ張るだけの風土がありますね
>>245 女真人の先祖は渤海の故地に南下した黒水靺鞨で、その渤海は扶余、高句麗、沃沮といった&#28618;貊系諸民族の故地に南下してきた粟末靺鞨が建てた国じゃん。
渤海の建国の頃までは靺鞨人と共に高句麗遺民が大勢いたがその後消え去ったという流れからしたら、
漢人よりは高句麗人など&#28618;貊系との混住・通婚を考えたほうが自然じゃないか?
靺鞨と&#28618;貊の民族・言語の系統には諸説あるが、この場合靺鞨がツングース系で&#28618;貊は非ツングースということになる。
女真・満洲における漢語の影響らしい特徴って何? 影響という点ではモンゴルの方が明らかだよ。語彙を見ても、文法(命令形とか)を見ても。 モンゴルと言っても、モンゴル系だったらしい契丹の影響が大きそうだが。
欧米の言語学者が『蒙古源流』と『満文老档』を比較してみたら基礎語彙がほとんど一致していたらしいね
それはないなw まあそんな蒙古語も漢化によって周縁の例外を除いて人称語尾を失うわけだがね
モンゴル語のхот/qotaとアイヌ語のkotanは同一起源ですか?
満洲語のhoton、北京語の胡同hu2tong4rもね
この地図を見るとTAGOUR SOLONという領域が黒竜江両岸に広がっている
契丹人の子孫は契丹が滅亡した遥か後の清朝期にすらこのように広大な勢力を保っていたということだろうか
それが今では漢族とロシア人に挟まれてほんの狭い領域で自治を認められているだけに過ぎなくなったとはな
鮮卑って言語はモンゴル語の系統なの?少なくともアルタイ語なの?
>>293 ダウールはダフールともダグールともいうじゃん
>>292 拓跋や慕容はその系統の言語っぽい。
他のグループは不明。
古代ツングース語と日本語は関連性ある? 日本語の成り立ちとして
モンゴル語とツングース語とチュルク語って隣接してるわりに語彙やら文法やら 借用語以外には全然似てないんだ。人称語尾変化のあるモンゴル語系の一部も チュルク語に影響されてるだけで。 さらに日本語のような「てにをは」活用のある言語は朝鮮語ぐらいがな?
>>300 モンゴル語でリンゴを指すalimはやっぱりテュルク語由来かな
カザフスタンの旧首都アルマトゥイのアルマがリンゴって意味だそうだから
でもカザフ人は遊牧民だけど、品種改良とか栽培に精を出してたのかな。一応原産地らしいけど
あるいはオアシスの農耕民からモンゴル人はリンゴと語彙をもらったってことか
リンゴは海棠なんか接ぎ木してキメラにしないと、実がならない。 だかから実のなる樹をクローンしている形になっている。 そういった遺伝子組み換えの技術は穀物の農耕民が確立させたわけでなく 花卉果樹の園芸には何か別の要素が入ってきて発展したようだ。
>>300 >さらに日本語のような「てにをは」活用のある言語は朝鮮語ぐらいがな?
格助詞(接尾辞)を使って格を表現する言語が膠着語だから、
そういう意味ではテュルク語やモンゴル語やトゥングース語もそういうことになるけれどなあ。
まあ、主格の格助詞が恒常的に使用されるよう明確化されてたり、
主格の格助詞で、「は」対「が」や「는/은」対「가/이」の区別が明確になってるのが、
日本語や韓国語の大きな特徴ではあるけれど、それ以外の格についてはどのアルタイ諸語も格助詞(接尾辞)が発達してるでしょ。
>>300 >日本語のような「てにをは」活用のある言語
>日本語のような「てにをは」活用のある言語
モンゴル語
ツングース系諸語(満洲語含む)
トルコ系諸語
チベット語
ハンガリー語
フィンランド語
>>307 表記の上でしか残っておらず声調に転化している「てにをは」 〜 ラサ・チベット語の実態。
>>307 ハンガリー語やフィンランド語のウラル語族だと、膠着というよりは屈折だな。
単純に接尾辞が付くだけじゃなくて、接尾辞の直前の発音が少し変わったりすることがあるし。
内部的に見て規則的に変化している場合は結局膠着やねんで
「内部的に見て」というのはどういう意味合い? もう少し詳細に説明してくれれば分かりやすい。
フィンランド語の膠着で起きる子音変化は完全に規則に従っているので単語を知らなくても元の形が何だったのかを簡単に予測できる ロシア語は無理、1つの同じ綴りの語が別の単語の別の格・数となっているペアが数限りなくあって、別の格・数だとどうなるのかが一意に予測できない
>>312 日本語でも動詞の終止・連体形以外のややこしいこと
膠着語とひとくくりに出来ないほどチュルク語と日本語歯は違ってるだろ インドネシア語も膠着語になってるらしいが時勢の無い英語に似てるぞ
人種が違いますんでね。人種が。 日本人←日本人種 韓国人←中央蒙古人種 北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族 中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人 南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人 インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人 日本人種・・・・・日本人 アイヌ人種・・・・・アイヌ人
英語は中国語のような孤立語的になってる。インドネシア語は孤立語としか思えない。 中国語ですら「了」を付けて過去形を作るがインドネシア語は文脈でしか時制はないらしい。 インドネシア語は前置詞、助動詞、冠詞が多い。これが膠着語? Saya mau minum teh. インドネシア語 mau(want) minum(drink) 「私はお茶が飲みたいです。」 I wanna drink tea. 我 想 喝 茶. Watashi(wa) ocha(ga) mon(itai) dusu. 日本語が特殊だよ。
日本語は、「てはをは」を名詞、動詞にくっ付ける膠着語 語順はどうでもいいし主語も省略出来る モンゴル語とかツングース語には少なくとも主語に「は、が」は付かない 人称語尾変化があるチュルクと無いモンゴル語、ツングース語とは関係ないとしても文法は よく似てる印象だか、具体的にモンゴル語などのような「てにをは」に当たるのはどうやって使ってる?
>>311 接頭辞とか接尾辞が膠着的とみなされる要素かな
ツングース・モンゴル・チュルクの格助詞は母音調和で語によって変わるから単語ではないとも言える 先行する単語の音の影響を受けて変化する事なく単語としての独立性の強い日本語の「てにをは」は大アルタイ語族の枠組みの中で見ると一番孤立語的に思える
>>324 ただ、トゥングース諸語のうち満洲語は格助詞が母音調和しないね。
それから、韓国語も格助詞の母音調和は無い。格助詞直前の語末が開音節か閉音節かで語形が選択される格助詞もあるけど、その場合も母音調和までは起こらない。
たとえば Ata Turk(uにウムラウト) が Ete Turk(uにウムラウト) か Ata Turk(uにウムラウトなし) みたいに、複合語で母音調和によって構成する語の語形まで変わってしまうような言語もアルタイ諸語にはあるのかな トルコ語ではここまで極端ではないみたいだけど
>>324 大アルタイ語族に日本語が入るのかは疑問
インド・ヨーロッパ語族、セム語族、オーストロネシア語族とかは文法、語彙の一致が
確実に認められるから同じ語族と言える。
しかし、チュルク語とモルゴル語とは同じ草原に住む行動範囲の広い、しかもお互いに
征服しあった語族であるにもかかわらず借用語はあるが、基本語彙の一致が非常に少ない。
ツングース語も同じだが日本語に至っては語彙どころか文法もアルタイ語族と随分違うと思うが?
語彙なんかよりも統語(シンタックス)のほうが大事なんだが
日本語にも不思議とツングースと共通してる語彙ってあるよなー 「なな(七)」とnadanとか 「いぬ(犬)」とindahunとか 朝鮮語や南島語起源とされる語より満州語とはずっと違いが少ないのはなんなんだろな 明確な借用語ってことなんだろか?全くの空似ってこたないんだろけどさ
二語じゃなんとも・・・ そういうレベルの話じゃ、下手すりゃタミル語が一番近いっておかしな結論になっちまう
語族じゃなくて、借用の話じゃね? 今だって、和製英語の方がよくつかわれるようになった単語ってあるじゃん ポイントとか
全くの空似って、案外ありうるのよって話 借用語の判定にしても経緯が全く不明瞭なら、せめて関連語が一塊で類似してるとかないと
日本語や韓国語がアルタイ諸語に含まれるかどうか微妙だという説も強いけど、 ただそれだと、例の「固有語の語頭に r が無い」というのは、 単なる借用だけでここまでなるとも考えにくいんだよな。
>>335 そもそもアルタイ諸語も語族ではないし
昔はアルタイ語族と呼ばれて、
さらにウラル語族と合わせて「ウラル・アルタイ語族」なんてのまで考えられてたが
今となっては完全過去の珍説扱い
だがアルタイ諸語には語族としての系統関係は無くても
酷似する点が多々あることは確かだ
膠着語であるとか、母音調和とか
つまり系統関係が無くても近隣の言語同士が
酷似する点が多いということは現にある
日本語と朝鮮語もアルタイ諸語と似た点は多いのだから
系統関係が無くとも何らかの関係はあるだろう
日本語はアルタイ語族らしいと教科書どおりに思っていたが、理由の一つに
「ラ行」から始まる語彙がないという事だった。しかし周辺の言語を調べるうちに
日本語がアルタイ語族とはとても思えなくなった。
やっぱりヨーロッパで孤立しているバスク語のように旧石器時代からの言語だと思う。
むしろシベリアやインディアンの部族言葉の方が系統が解明されてる。
かつての東北では、村単位で隣接していたと推定するアイヌ語でさえも全然似てない。
ちなみにアイヌ語では、「ラ行」で始まる語彙はあり、逆に朝鮮語では「ラ行」
の発音すら苦労するらしい。盧ムヒョンは、ラと読めず、ノ・ムョンらしい。
https://www.shitennoji.ac.jp/ibu/images/toshokan/kiyo2005s-11kobayashi.pdf ここの167ページあたりにヒントがあるかも?
語族は人間集団を一纏めにしていくという希望的観測を前提に作られてるから、 実際がどうなのかは一部の専門家にしかわからない。 ウラルアルタイは元々印欧語族のアンチテーゼ。 フィンランドの学者カストレーンの提唱で、 アイヌ研究のハンガリーのバラートシが日本に伝えた。 印欧語族だって批判論は数多あるし、 偏狭な西洋の民族主義と違う、 アルタイの広大な民族圏を構想したのは、 中央ユーラシア史を考えるきっかけとしては正しい。
サンスクリット語とリトアニア語は似てるし他のヨーロッパ言語とも 語彙、文法は共通点ありまくり。インドヨーロッパ語族は成立する。
比較言語学ってのは、門外漢が気軽に手を触れられる分野じゃない 国語学者の大物だった大野晋ですら、タミル語にはまって晩節を汚した 言語のみに限って言えば、現状どの言語もタミル語と同等以下の近似性しか見いだされてない 2chならともかく、研究者レベルなら手を出した時点で負けが決まってるような分野だ
言語学者は少なくとも複数の言語を理解し、少なくとも母国語以外で1言語は専門家でペラペラのはず。 いわゆる学者であって、知識人であって、高学歴であって知能も高いはず。 しかしSOVだから共通言語グループだとか、似たような語彙だけを集めて日本語とタミル語が似てるとか、 距離的にも歴史的にもあり得ないと、ど素人のどアホでも分かる矛盾を平気で言ってのける。不思議だ。 博士号を持った医者の多くがヤブ医者である事と同じ理屈か? 理研が素人論文すら分からない事と同じ理屈か? 弁護士の橋下が「てめぇ!この野郎!」と在特会長とテレビ討論するのと同じ理屈か?
んなこたー、百も承知なわけよ それでもなお、調べれば調べるほど共通する何かがあると感じて深みにはまるわけ やめたくてもやめられない中毒症状に陥るんだなこれが
人種が違いますんでね。人種が。 日本人←日本人種 韓国人←中央蒙古人種 北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族 中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人 南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人 インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人 日本人種・・・・・日本人 アイヌ人種・・・・・アイヌ人
英語も中文も、主語、人称が必ず出てきて誰の意見かを
はっきりさせる。
これは歌詞ではあるが無理やりでも I、We、Youなどの
人称を立てないと抽象的な歌詞は訳せない。
複雑な屈折をする英語以外の印欧語では、私か、あなたか
彼女らかを主語がなくても動詞で誰が言ってるのか特定する。
ダウンロード&関連動画>> VIDEO 一方、日本語は人称で動詞変化しないが主語を立てていない。
アルファベットを羅列すると抱合語のイメージすらする。
トルコ語しか知識がないが、同じアルタイ語族とは思えない。
ダウンロード&関連動画>> VIDEO 一方、チュルク語は人称語尾変化をするが印欧語のように複雑な語尾変化はしない。 チュルク語のオリジナル話者は、おそらくモルゴル高原やバイカル湖辺りにいた、 モルゴル人やヤクート人と同じモンゴロイドだったろう。 モンゴル語とは語彙があまり共通しないのは不思議だが、彼らのチュルク語はイラン系、 トカラ系の住民を、アナトリアに至っては多種多様な民族をチュルク語化した。 何故、印欧語系民族をチュルク語化出来たのかは、交易に有利な単純な文法だったかも。 それがユーラシア大陸を支配したモンゴル語でないのはモルゴルの支配の前に匈奴やら 突厥やらがモルゴル高原からカスピ海にまで、くまなく支配、交易をやってたからかな。
夫余の後裔である豆莫婁は、言語が勿吉と異なり、室韋・庫莫奚・契丹と同じという
フィンランド語はまだまだ?典型的な膠着型にとどまっているけれど エストニア語は膠着型から屈折型への過渡期のような状態で興味深いね。
話変わるけど フィギュアスケートのトクタミシェワってトクタミシ・ハーンの末裔なの?
>>349 ハーンの支配地領内に住んでいたロシア人農奴かもしれない。
支配者の姓にあやかってつけるっていうのはロシアでもあったのかどうかだが。
他にもツルゲーネフもモンゴル起源だとどこかで読んだが
彼の家系をたどっていくとモンゴル系だったら面白いね。
コサックって現地人の支配者にペコペコすんの? どちらかというとボコボコにする側じゃねーの?
>>350 棒高跳びのイシンバエワも、現バシコルトスタンのイシンバイという地名にあやかったロシア人農奴の末裔なのか、
バシキール人の末裔なのか
黒髪ではあるけど、逆に染めてこの色なのかな。もっと髪の薄い色の写真もある
ちなみにコサックと言うと、イェルマークの子孫なのかな?って人が何年か前までNHKの英語講座に出てたな
http://www.gaikokujin-talent.com/profile/julia_yermakov.html 多分日本人とのハーフだろうけど
>>351 自分たちだけ(出自はあまり問わないが正教であることが絶対条件)の「土地と自由(内部のことについての自治権付きの広い縄張り)」が欲しいだけ。
CNNを毎日見てるが、ウクライナ問題でウクライナ人とかロシア人がよく出てくるが 明らかにモンゴルの風貌の女や男が出てくる。ルーシがモンゴルの支配にあったのが良くわかる
ウクライナの10年くらい前の首相はブリヤート人だったそうだな
横顔だと白人風に見える不思議
人種が違いますんでね。人種が。 日本人←日本人種 韓国人←中央蒙古人種 北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族 中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人 南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人 インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人 日本人種・・・・・日本人 アイヌ人種・・・・・アイヌ人
杉山正明って学者の間で評判悪いんだな。 人格面で問題があるらしい。
>>354 ただ、それをモンゴルによる侵略時のレイプ行為によって混血が増えた、と解釈してはいけないぞ?
そもそもモンゴル兵は大抵の場合、一都市皆殺しにして滅ぼしたため、レイプされた女も同様に殺されたと考えられる。
あるいは何もせずに奴隷として売られたか。
その後、『タタールのくびき』の時代は割と平和な時代だったくさい
(過酷な収奪ばかりだったというのは、愛国的なロシア史家による被害妄想であるところが大きい)
その時期にモンゴル系との混血貴族が山ほどいたという事実を考えると、普通に政略結婚など平和的な交流によって混血が増えたと考える方が自然。
ただ、ベラルーシは沼地を嫌ってモンゴルは浸入してこなかったという話なので、ロシアやウクライナに比べるとモンゴル人との混血は少ないと思う
>>361 当時の大半の住民にとってはモンゴル軍大歓迎だったんじゃないの?
最先端のモンゴル、泥臭いヨーロッパって感じだったんじゃない?
戊辰戦争なんかでも、当時の農民は政府軍大歓迎で、進軍を支援していたのに、地元の愛郷的歴史家はそうは思いたがらない。
どこでもにたようなもの。
上のリンク先のモンゴルの騎兵の画像について素性を調べてるんですが、原典にあたる情報を見つけることができませんでした。(有名すぎて雑多な情報が多すぎました)
「○○博物館所蔵」とか「○○という書籍の挿絵」など原典や所蔵に関する情報をご存じの方がいたら情報いただけると助かります。
>>361 >>362 つまりロシアでモンゴルの非道さ、アンチモンゴル論を語る場合にはハザールの事を語ったり
日本で戊辰戦争を語る位、現在の権力闘争に直結する可能性がある訳ですね
タタール貴族の子孫やカガノビッチ、カラハンという名前の共産党員もいた訳だから
>>360 人格なんてどうでもいいだろ。重要なのは学者としての見識だ
むろん杉山の見識がどうかってのはちょっとアレだが
とにかく人格を問題にするのは学者への評価として公平でない
>>355 ウクライナ首相なんてユリア・ティモシェンコたんしか知らん
でもあの女の金髪はニセモノなんだよなw
>>368 の石碑に刻まれてる模様なに?
真ん中のはモンゴル文字だと分かるけど
その両側のなんとなくトンパ文字っぽいそれは名前が付いてたり、意味とか法則性があるん?
最初に無があった 無は有を生んだ これが全ての真理
>>368 ムスリムのジャディード運動と時期が重なっている。
しかし、スターリン時代にジャディード系の政治家は失脚している。
>>372 ムスリムのジャディード運動と時期が重なっている。
しかし、スターリン時代にジャディード系の政治家は失脚している。
モンゴル人が中国を支配した時にモンゴルの宗教を押し付けなかったの? 神殿を作れとか?
当時のモンゴルってボン教や仏教だから、神仏習合してワンストップチャネル化するんだよ。 だから、道教もそういう仏教などに擬態してそっくりの形に変容していったんだよ。 神仏分離するまえの日本の宗教もそういうワンストップチャネル化しているのが多かった。
>>325 朝鮮語にはかつては格助詞に母音調和があった
中期朝鮮語では名詞語幹の母音の陰陽に応じて格助詞が母音交替を起こしている
現代語に続く動詞の接続助詞-a/-eoの特徴と合わせてみても、
母音調和という点において中期朝鮮語は満州語より「アルタイ的」だ
また現代語において直前の子音の有無による格助詞の使い分けはかつては存在しなかったようで
母音の後に/i/が来るという例は会話書等の文献でも普通に出てくる
>>361 愛国史観以外に、マルクス主義史観も入ってるかもしれないな
タタール統治時代をアジア的奴隷制社会ということにして
その後のスラブ系諸王国を中世封建社会に無理やり当てはめるとかする関係で
>>377 ボン教そのままがモンゴルに入ってたってことではないんでは。
まあそれこそ神仏習合の形式では幾らか入ってきてたかもしれないが
ボン教って基本的にチベットの伝統宗教でしょ。
モンゴルは伝統的にはテングリ信仰のほうだしさ。
>>380 >ネストリウス派
つい最近まで、イラクで健在だったじゃん
サダム・フセインの側近で外相やってたアジズとかいう人。
ISが跳梁跋扈してからどうなったかはわからん
>>381 ネストリウス派キリスト教が現存してる国はイラクだけじゃないよ
イランもそう
NHKスペシャルの「大モンゴル」にイランのウルミエでの現地ロケで登場してるよ
自宗派としての名称は「アッシリア東方教会」というそうだ
NHKにウルミエの教会のことを紹介したのは、アメリカのイリノイ州にあるその宗派の教会の人だそうだ
書籍として出版された「大モンゴル」の第2巻にそのことが出てる
それによると、もともと教会本部はバグダードにあったそうで、20世紀に入ってから本部がアメリカに移転したそうだ
中東のキリスト教徒のうち、アラム語話者とアラビア語話者だとやっぱり民族意識は別なんだろうか
え ネストリウス派って現存してたのか 山川の教科書に書いてあったっけ?
>>379 チベット仏教は仏教だから、要はキリスト教やイスラム教と同様に教えを広めていく布教型宗教。
それに対しボン教は民族固有の土着宗教だから、日本でいう神道みたいなもので周辺に広めていくものじゃないもんな。
排他的なセム一神教と違って 仏教はよく土着の信仰と共存するんだよな モンゴルのテングリ信仰以外にも タイのピー、ミャンマーのナットは土着の精霊でそれぞれ廟や祠を祀る 仏教が刺激を与えることで土着信仰の側も チベットではボン教、日本では神道という聖職者や経典を備えた宗教にまで発展する 中国の儒教や道教は仏教伝来以前からあったが 教理のまとめ方や布教機関の形態など 仏教がその形成に大いにヒントを与えたのではないか(特に宋代以後) もちろん中国仏教も儒教や道教の影響を大きく受けているようだが
>>386 >>387
セ・ボン教!(フランス語で)
>>388 だからといって、セム系一神教が土着信仰と習合しないことはないよ
むしろよくある
というかそうしないと土着文化の中で身動きが取れないので、自然に土着文化が採り入れられていく
イスラム教の神学の中でジン(精霊や妖怪)の概念が取り扱われてるのは有名だし
キリスト教文化圏でも、カトリック圏や正教圏なら、多神教文化衰退の空白に聖人崇敬が入った(例・ローマのパンテオンの壁龕)し
プロテスタント圏でもある程度それは残存してる(例・聖ルシア祭)し、
そもそもクリスマスが年末に行われるのも多神教時代の冬至祭の影響(新約聖書を読み込むと、イエス生誕は春頃だった可能性あり)
ユダヤ教も古代バビロニア文化の影響が強い(例・バビロニア暦とユダヤ暦)
>>390 習合と共存はまた別
いったん取り入れられればそれはその宗教の教理を支える存在として生きる
歴史的経緯は無視されて証拠も消されるし
共存というのは、たとえばキリスト教が隅々まで布教されても
ドルイド教の神殿と神官は別の所にいて組織が維持されているような状態
あるいはキリスト教の布教によって刺激を受けたノルド人が
エッダやサガとオーディン信仰を中核に
専従の聖職者と練り上げられた教理と経典を備えた多神教を立ち上げ
その神殿と教会と両方行くことがスカンディナヴィア人の嗜みとされるような状態
日本に限らず仏教圏なら似たようなことはよくあるが、ヨーロッパや中東にはないだろう
>>391 南アジア、東南アジア、米大陸には、仏教圏でなくてもそういう例はたくさんある様な
欧州にしても、イタリア文化からギリシア・ローマ神話を直接取り扱ったものを本気で取っ払ったら
ずいぶん貧弱になっちゃいそうだし
中東ではイランにゾロアスター教がかなりしっかり残ってるな
>>391 中米のマヤ圏でも、神官の系譜を引く呪術師・祈祷師はしっかり健在、
表面上のカトリック信仰と並行して、土着神の信仰体系もしっかり残ってるらしい
成熟した西欧や北米の社会では、今後ネオペイガニズムの魔女も教会と並ぶこころの相談所みたいな存在になり得るかな 魔女というのはこれまでもいたと思うけど、 >エッダやサガとオーディン信仰を中核に 専従の聖職者と練り上げられた教理と経典を備えた多神教を立ち上げ こういう動きはヨーロッパ各地であるようだから、今後日本の神道的な存在になり得るかな アメリカはまだまだだけど、ダーウィン以後キリスト教を盲信する度合いは減ったと思うから、新多神教も同じ度合いで高学歴層を中心に広まらないかな
>>394 ただ、現代のキリスト教圏で敢てわざわざ多神教信仰を復活させようっていうのは
或る意味かなり付け焼刃的なカルト的な動きでもあって
きちんとした神学・哲学的体系(言い換えれば、きちんとした合理性・論理性)に則らないことが多くて
まともな意味での体系的信仰になるかどうかは、あんまり期待できなさそうではある・・・
>>392 まだわかってないな
イランに今も数千人細々と暮らすゾロアスター教徒はべつにイスラムと兼ねた信仰を持ってるわけじゃないし
ノウルーズをただの民間習俗かイスラムの伝統と思い込んでる多くのイラン人はゾロアスター教徒に石を投げる日常の中に今もいる
ニュースでISIS圏のヤズド教徒がいまどんな目に遭ってるか見るといい
日本人は寺院にも神社にも行く、中国人は道観にも孔子廟にも仏寺にも行く、そういうことが一神教圏ではできないって話
イタリアのギリシア・ローマ文明要素はルネサンス時代に掘り起こし新解釈を加えたもので、いわば伝統の創造
それ以前の中世の文化はキリスト教一色で実際に貧しかった
ルネサンスやロマン主義(土着神話を掘り起こし政治的意義を与えた)からヒッピームーブメント(ペイガニズムに力を与えた)に至るまで連綿と、
欧州には人々が屈折した棄教願望に突き動かされてきた歴史があり
それはキリスト教の伝統ではなくキリスト教に抵抗してきた歴史にほかならない
いくぶん風通しが良くなった現代だけを見て迫害と弾圧の歴史を無視するなんて感心しないな
>>393 だったらマヤ文字は今でも信仰生活に使われていなきゃならないだろ
近代になって異端審問がなくなるまでの数百年の弾圧の間に
神官は怪しげな祈祷師になりはて、文書はあらかた破壊され読めなくなり、
今は田舎の信仰だからと弾圧を逃れて細々と残ってるだけだよ
>>396 ルネサンスの場合には、その前段として中世以来のスコラ哲学を基盤とした思想的擦り合わせと一定の合理主義的裏付けがきちんと存在してる
例えばダンテの「神曲」は、単にギリシア・ローマ文化だけではなく、トマス・アクィナスの総合的世界観を背景にしてある作品だってことは忘れるべきではない
近世のロマン主義は、或る意味で現代社会の一側面を形成する重要なファクターではあるけれど
なにぶん存立基盤そのものが個人個人の感性、直観なので
大事なところで歯止めが効かなくなるという欠点も持つ(ギリシア神話でいうディオニュソス的な面というのは言い得て妙だと思う)
ニーチェを礼賛していたナチスがその典型例
ヒッピームーブメントを例に挙げてるが、あれも結局いわゆるカリフォルニアン・ニューエイジとかと同根の思潮で
それこそアポロ的(理性的)世界観に対するディオニュソス的(感性的)世界観の一種の退廃的意見表明に近い
カリフォルニアン・ニューエイジが「現代版のグノーシス思想」と表現されることがあるのは故なきことではない
ところで、現代イランのゾロアスター教徒は、
同国中部のヤズド市を中心に実際に数万人単位でいる
(だからきみのいう「数千人」というのは過小な見積もりだ
なお、「ヤズド」の地名がイラクのヤズディー教(ゾロアスター教の影響はあるようだが、ゾロアスター教そのものではなく、一神教)と関係があるのかどうかは知らない。
それぞれの固有名詞は無関係の可能性ありなので念のため)
ヤズドではイスラム教徒とゾロアスター教徒がきちんと共存しているということは
この町の出身者の一人が「文明の対話」で知られるハターミー元大統領だということでも推察できるだろう
また、きみはノウルーズを例に挙げてるようだが、
さらに言うならそれよりずっとゾロアスター教的なシャーナーメの詩句がイランで広く愛唱されるのはどうなのかということでもあるのだが
>>397 神学そのものが何からも自由な哲学を信仰のため道具化することによる矛盾を糊塗するための体系でしかない
スコラ哲学などその最たるもの 細かい所を付き合うだけ大局が見えずバカを見る
いくらキリスト教に地中海文明らしく何でも取り込むキメラ要素があったにしてもそれは被造物だからという理屈で異教時代を否定しないってだけ
基本構造は頑迷なヘブライズムであり、ルネサンスによるそこからの解放を見い出せばここでは十分
ロマン主義は個人の解放のために古典を援用したが、その心はヘブライズムの拘束の解体だよ
ディオニュソスとアポロンの対比も預言者の人格の中に内包されてしまっていて
預言に盲従することが至上命令である以上分析自体が意味を持たない、という現実ではニーチェも退屈に感じたことだろう
しかしロマン主義的な衝動をそのまま政治化すると教会権力や社会道徳と衝突するのでキリスト教解体は目指さず、ユダヤ人迫害という
いわば「八つ当たり」でお茶を濁す羽目になる、それが「イエス=アーリア人説」を採用したナチズムの茶番
ゾロアスター教徒がちょっと増えたにせよたった数万、それはパーレビ朝時代の民族文化称揚・脱イスラム政策の賜物にすぎず
インドのパルシーやアメリカ亡命組に言わせれば迫害は続いている そして繰り返すがどちら側にも信仰の二重化という発想はない
ハタミがヤズドの出でも火を拝むわけではなく、見慣れてるぶん異教徒に多少優しいというだけ
シャー・ナーメは文学として愛好されているがそれもパーレビ朝時代の名残りにすぎない
>>388 >>391に対する反論にも例外の提示にすらもなっていない
>>398 なんかきみの物言いをみてると
妙に、ヘブライズムに対する、敵意とまでは言わずとも偏見のようなものを感ずるが
きみは一体何を自分自身の立脚点にしてるわけ
単なる感情的混ぜっ返しの懐疑論じゃそこから先に何も進まないんだが
>>398 あとそれからシャーナーメが愛好されてるのは別にパハレヴィー朝時代だけのことじゃないんで
そもそも編纂された時代からしてイスラム教化後のこと
ぺルシア語圏で有力なシーア派の教理や慣習にゾロアスター教の影響が強く出てるっていうのはたびたび言われてることだし
中央アジアのイスラムはテングリ崇拝と共存しててバクシやペルホンと呼ばれるシャーマンが未だにいる
>>399 話をはぐらかすなよ
ヘブライズムの宗教は排他的で個人における他の信仰との内的併存を許さない
そこから話を逸らすなよ
キリスト教は古代ギリシア・ローマの自由な多神教文明を滅ぼし、哲学を歪め、
自然科学の発展を妨げ、中世の長い停滞と
宗教改革後の信仰をめぐる果てしなき流血闘争を招いた
ヨーロッパの宗教史を見て何も感じないとしたらそれこそ洗脳されすぎだ
>>400 べつにパーレヴィ朝「だけ」だなんて言っていない
他の信仰との内的併存にはぜんぜん触れないくせに言葉尻に邪推を混ぜて突っかかるとか呆れるわ
シーア派の教理にゾロアスター教の影響があるっていうのは西側の科学的な宗教学の見解だろ
同じことをイランの中央政府の学者に言ってみなよ、真っ向から否定されるから
つまり客観的証拠がいくらあろうが本人たちは主観においては習合も認めていないってことで、それがイスラムにもあるヘブライ系宗教の排他性だよ
>>404 きみはニーチェか誰か特定の思想家に極度に傾倒しているか、
或いはヘブライズム絡みで何か個人的にトラブル経験があって反発心を抱いているのかもしれないが
それでも今現在自分が生きてる現代社会そのもののシステムや社会観や法体系に
ヘブライズム(主にキリスト教)の影響が無いとは思っていないだろう。
これを完全に排除した社会モデルがどういうシステムや法体系になるか
少し考えただけでも非現実的で無謀な試みになるというのはすぐ分かりそうなものだが・・・。
逆に、ヘブライズムに則った歴史的蓄積が長い国々はどうなるのかってことも考慮しない次点で
考えかたが一方的過ぎるな。
それらをどう止揚してさらに大きな枠組を構築するか考える方がよほど意味があることだろうに
「あっちが悪い」式で全て放棄しているのでは、きみ自身が反発していることとの反転像にしかならない。
まあこれ以上この場で議論しても当分のあいだ話が平行線になりそうで、スレ趣旨とも大幅にずれそうだから、
自分はとりあえずこの議論はここまでにする。
きみもちょっと頭を冷やしてくれ。
>>405 考慮しない次点で
↓
考慮しない時点で
>>405 君は最初から議論なんかしてないじゃないか。その気もないくせに一方的に打ち切るなんて敗北宣言に等しいな
「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の社会では他の土着宗教との共存、信者の共有を望まず弾圧してきた」
これは歴史的事実であって、私の個人的な感情や体験とは何の関係もない。キリスト教徒の歴史家だって
当たり前に認めていることで、その勇気は感服に値するだろうけど学問としては当然のことだ。
それなのに君は一貫してこの事に触れようともせず「これらの宗教も土着宗教の要素を取り入れてきた」という
全く別の話にこだわり続けている
しかもその「違い」「ズレ」に全く気付こうとも触れようともしない
>>396 の「日本人は寺院にも神社にも行く、中国人は道観にも孔子廟にも仏寺にも行く」に付け加えるなら
>>388 のようにタイ人はピー(精霊)の、ミャンマー人はナット(精霊)の廟を祀り、チベット人は家を守る神や竈の神などの
土着信仰を持っていて、それは仏教ではなくボン教で説明される存在だ
こうした信仰は仏教とも習合しつつ別個の信仰として存在している
実際の所こういう話のあとで「なぜ仏教は他の信仰との併存を許すのか」について別の話をするつもりだったのだよ
それは仏教の教えではすくい取れない人々の願いをこれら土着信仰が補完していたから、という話だったのだが…
マヤ圏でも旧インカ圏でも、しっかり「内的並存」してるのは、必死でスルーww
それは弾圧をくぐり抜けてきたんだろうに 悪名高いインディオスの破壊についてさすがにカトリック教会がやましいと感じてのお目こぼしだ べつにカトリックの教義がそれを容認しているわけじゃないだろ
定見を持たず大局も見ず ひたすら揚げ足取りだけして満足しちゃうヲタクの典型だなこいつ
>>411 はずいぶんかりかりきてるみたいだが、なんか、自分に反論してる人が一人だけだと思い込んでないか?
少し落ち着きなさいって
本筋に関係ない揚げ足取りに終始してるのが 単数なのか複数なのかはあまり関係ないんじゃないかな
誰が誰かわからない状況で感情まで透視できるすごい人がいるらしいな
モンゴルと匈奴って制度的に全然違う気がするんだが、 共通する部分ってあるのかな? カーン自体トルコ由来の称号だよね。
ダルガチと単于は結びつかないだろ。単于って広々とかそういう 意味じゃなかったっけ?
言語を保ったトルコ系でさえ、風貌は移住した先の現地人に同化したのに、なんで母語を喪失したハザラ人がモンゴロイドの風貌を保ち続けたんだろう 近親婚の傾向があったのかな
白人と混血して初めてトルコ系が誕生した可能性もあるからな
>>420 タルカン達汗からタルが脱落してカン汗になったって説は?
トルコ人は、テュルク系西トルキスタンの一部(いわゆる突厥系)と、 ウイグル民族(東トルキスタン中国軍軍事占領下ウイグル自治区)が一番原型であるとされている。 これは世界史で「モンゴル=テュルク系民族」として中世以降急に飛び出してくる場所からも、世界三大言語的なテュルク語系からも明らかだ。
_,l;;;;;;;;;;;;;l,,_ ,.r'´;: 八 '::..゙ヽ ,.'___ _立_ __;;ミ゙;、 フT l厄巳厄 i王i ,.巳厄巳l 夕 ヒ ,.-'l i,.:' ヽ:.、 ;.:' ' ヽ |,.、 /{´iY´ヾーtッ-ヽ'' kーtr-,'´lri _l_ {_i,入::.. ` ̄ ̄,'i!ヽ;` ̄´ ゙::.}rリ i,_ ヽ_ノiヾ ;:. _ i': ll!:,ィ ._ .: j,ノ ッジ::;;| ,r'´;;:> ̄弋´;;::ヽ;r1:゙'イィ ┬‐宀 弍::::::::l i':;r'´ ,.-ーー-、.ヾ;:;i. |:::::::ス ノ□隹 彡;:::l l::l ' ---;:, ゙ l::l |::;;ャ` 、 ,r',广ヽl::l ::. .: ゙:. l:lノ^i`、 三刃 ,イ(:::j i::iヽ :. .: /l:l'" l:ヽヽ 口心 |;:;.\\ l::l ', :;:::..::. / l:l,r''/;::;;|
モンゴルの末子相続って他の遊牧民にも見られるの? 遊牧民の家庭じゃなく国家レベルで末子相続を適用したら 国が乱れるのは明らかなような・・・
遊牧民だけでなく、焼畑農民や漁民にもあるある。>末子相続。 だんだんジリ貧になるから、他所を開拓させたり復活させたほうがよかったりんで、末子有利とは限らない。 定住民でも、小領主ばっかりの世界だと、そういう相続が機能する。 当主が戦死したり陰謀で殺害されたりして、相続できない荘園がいっぱいあるから。
自分が末子になるべく弟妹を抹殺する兄姉というのはあり得そう
一応元王朝になってからは末子相続の法は適用されなかったようだな。
>末子相続で国が乱れる 北斗の拳の読みすぎ?w(´・ω・`)
モンゴルは末子相続というか年長者から順に家畜を分けてもらって巣立っていくから 結果的に親のオルドを引き継ぐのが末子になるというだけ 長子相続と違って独占的に相続を受けるわけではない
>>422 集史ではトルコ人はモンゴル人と風貌がよく似ているとある
今のトルコ人みたいにコーカソイド化した連中はもともとはチュルクメンといわれトルコ人の別種という扱いだった
>>430 今のウイグル人はトルコ化したソグド人なんだが
天山ウイグル王国をつくった本家本元の連中の末裔はユグル族で現代のウイグル族とはあまり関係もない
エイヌ語を隠語としない東部のウイグル民族は、ソグト起源ではなさそう。
>>442 お前は6ヶ月ROMだけしてろ
書き込みすんな
言語とDNAじゃね? マッサゲタイとも混ざり合っていたと思う。
古中国の西方にいた犬戎もスキタイの一種かもって説もあるようだ 大昔のことだからなかなか正確にはわからないのか
>>441 スキタイの系譜は全く不明。
ソグド人はイラン系で、東西トルキスタンで栄えたが、チンギスハンによって
ジェノサイドされ、わずかに逃れた末裔が今のタジキスタンにいる。
ケレイトとか草原のキリスト教徒ってどんな信仰スタイルだったんだろ。 聖書とか持ってたんだろうか?
チンギスのライバルだったオンカン(王汗)の洗礼名がダビデだったって、すごい違和感があるw
>>451 中東経由のダーウィードなら、別に違和感もたないくせに
チンギスハンの征服した部族ってバイカル湖周辺とかに 住んでんだな。 すごい寒そうだな。
モンゴル人は寒さに対する耐性でロシア人に勝てる数少ない民族だぞ
そのさらに1500年前、冒頓単于だってそのあたりに住んでたんじゃなかった?
その代わり厚さに弱いのかな。 イル・ハン国の都もかなり北寄りだったしな。
バイカル湖周辺は3万年くらい前はイネ科が育つ暖かい土地だったらしいな
>>461 「遊牧民は暑さに弱い」って真っ赤な嘘じゃね?
アラビア半島のベドウインや、灼熱の砂漠地帯の北アフリカにだって居る
リビアの故カダフィー大佐は、俺は遊牧民の出自だって
誇りに思っていたらしい
そんな何千年も前からアラビアに住んでるようなのと 比べられても・・・
ヒント 灼熱の地インドに行ったモンゴル人はムガル帝国を建立した(つっこみどころ満載)
ムガルの皇帝の顔はイケメン顔、まちがってもドルジ顔じゃないw 細密画見ればわかるだろ
エベンキもチンギスハンに征服されて従軍させられたの?
>>474 俺的にはハクション大魔王な感じかなあ?とか思ってたんだが
最後の皇帝の王子の一人だけど、オーストラロイドがすでに入ってきてるかな?
親子で
レーニンがカルムイク人の子孫とか上の方に書いてあったが、父方の祖父はチュヴァシ人で、 祖母がカルムイク人ってだけじゃないか。 しかも母方は白人系だから、レーニン自身のモンゴルの血なんて微々たるものだろ。
レーニンは血統的には1/16カルムイク人(オイラート) そのほかユダヤ人、バルトドイツ人、スウェーデン人が混ざってるが 本人はロシア語が母語なんだから純然たるロシア人 民族は母語によって定義されるんだから血統なんか関係無い
>>481 日本語しか喋れない在日チョンを、生粋の日本民族として扱うのは無理がある
>>480 本名の姓のウリヤーノフってウリャンハイとは関係あるのかな
まあ父方で男系で引き継ぐと考えるのが自然だから、チュバシ人の姓と考えるのが自然か
>>482 それは国籍の話しだろ
国籍と民族は別問題
もしロシア語が母語の黒人が居たらそいの人は純然たるロシア人だ
>>483 ラテン語でいうところのユリアヌスに由来する男性名ユリヤーンの口語形ウリヤーンから来ているだけなので
ウリャンハイとは全く関係ない
>>481 ドイツ語は堪能で、カールマルクスの資本論を原著で読んだり、カールカウツキーやフリードリヒエンゲルスと直で議論したり
チューリヒで何不自由なく暮らしていた時分もあるようだから、純然たるロシア人どころかドイツ系ロシア人だわな?
>>484 アブラム・ペトロビチ・ガンニバルは、ロシア人か?
子供の時分にエチオピアからトルコを介してロシアに連れてこられて、ピョートル大帝の小姓をやっていて、最終的には世襲貴族にまでなってる。
宮廷内で育ったから、フランス語とドイツ語も堪能。エストニアの知事もやってたな。
>>486 ドイツ語は母語じゃないぞ
当時のロシアの知識人は必ずドイツ語に堪能だった
当時のロシアでのドイツ語は現代の英語に相当する地位だった
帝政ロシアの上流家庭は家内語はドイツ語とフランス語だったろ
>>481 ならメキシコ人は、みんなスペイン民族になるのか
ナワトル語系とかマヤ語系の原住民語を喋る人がかなりの割合で居るけれど
なら原住民語を喋れないメキシコ人は、みんなスペイン民族になるのか
中南米圏には少なからず、ドイツ語・イタリア語を維持している村落・街区があるよ。住民みんなシュワーベン方言のドイツ語喋ってる町とか。
>>477 匈奴の冒頓(バハードゥル)の名を冠した父の子がオーストラロイドになってしまたのか・・胸が熱い
>>485 某女芸人はロシアでは男の名前だと思われそうw
チムール帝国って後世の人がつけた名前だよね? 当時の人は何て呼んでたの?
>>484 それだと、マイケルジョーダンやマイクタイソンやカールルイスがアングロサクソンになっちゃうぞ
インディアンがモンゴル系てことは日本を通って行った可能性もあるな 日本から南米にも行ってると聞く しかし太平洋を渡るのは死亡率高いだろうから、かなりの数が出て行ったことになる 北アメリカ西海岸に見られるトーテムポールというのは ツングース系、エベンキの文化か
西海岸のアパッチなどは、割合あとの時代に渡ったらしく、 疫病に強くて生き残っているほうらしい。 東海岸や南米のケチュア語話していた連中は、先の時代に渡っていて 疫病にとても弱かっので、混血せずに残っている者は殆どいない。
>>497 北元や東チャガタイ・ハン国もあるのにそんな国号名乗れるの?
>>502 そのためにジンギスカン裔の王様担ぎ出して、チムール自身は摂政に収まってるのに。
>>503 北元も東チャガタイもチンギスの子孫だろw
>>489 日本でも英語がここまで強くなったのは第2次世界大戦後。
戦前はドイツ語やフランス語と大して強さは変わらなかった。
もっとも、戦後ゾンビ化していたドイツ語、フランス語をセンター試験で廃止
しなかったのが、後で韓国語などという在日優遇政策の元になったけどね。
ゾンビは適切な時期に葬らねば、ろくなことにならない証拠。
>>506 もう十年前になるが、2006年3月24日、EU首脳会議で、欧州産業連盟評議会々長でフランス人、シラク大統領とも旧知の仲のセリエル氏の発言の最中、
英語での発言ほ聴いて、シラク大統領は「何故、彼(セリエル氏)はフランス語で話していないのか?」と声を上げ、卒倒。
ブルトン財務相とドストブラジ外相に肩を支えられながら、会議を中座した。
EUの重要な会議でフランスの代表が英語で話さんならんくらい英語が浸透している。フランス語で発言しても聴いてもらえないんよ
せめてもの抵抗にラテン語起源の単語を多く使うとかw startやbeginの代わりにcommenceとか
そう遠くない将来に全世界がイスラム教徒になってアラビア語が世界共通後になるから
モンゴル人ってロシア美女を後宮にはべらせまくったり してたのかな? それともモンゴル女性を選んで血筋を尊重してたのかな?
アフガニスタンのハザラ人はどうやって人種島を保ってきたんだろう。確かに混血は甚だしいけど、今でもモンゴロイド度の高い人もいる モゴール語を現代まで保ち続けた集団だともっとモンゴロイド度が高いんだろうか
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/03/post-4646.php ネイティブの英語はなぜ世界でいちばん通じないのか
Why Native English Speakers Fail to Be Understood in English ? and Lose out in Global Business
世界の人々が求めているのは英語が構造的に持つ単純さであって
「生きた英語」なんてものは誰も必要としていないんだよ
文脈や文型によって意味が違うmake outを使いこなすよりも
それぞれの意味でVの位置にunderstandやexplainを使い分けるほうが便利
>>510 アラビア語は難しいのでペルシャ語で勘弁してもらって、
世界の他の半分は中国語で
ほんの一部がロシア語で
>>510 言語学板からはるばる遠征とは御苦労さまなこって
田舎丸出しの英語より、おフランス語のほうがお洒落だよなw
今ではおフランスの方が糞田舎だけどな。 葡萄搾ってワイン醸してろ、牛搾ってチーズ練ってろ、ってなものよ
犬の皆さんお花を摘みまくって、カリントウ地獄だけれどな。花の都パリの実態
クツーゾフのおっさんはモンゴルの血も混じってんだろ
先祖がジョチ・ウルス構成員だったってだけではモンゴルかテュルクかの判別はつかんが、 どちらかの血が混じってるのはたしかだな、もしくは両方って確率も高いが
あいつがキンキラキンの衣装まとって「大ハーン」って 名乗りながら登場しても違和感ないけどな
キンキラキンなジンギスカン
ダウンロード&関連動画>> VIDEO ドルジ・コンテストというのがあると面白いと思います。 ドルジ顔度を競い、一位には朝青龍から賞盃
ドルジとは金剛石、ダイヤモンドを意味するチベット語 仏典を通じてモンゴル語に入り、人名にもよく使われる
ドルジは、サンスクリットのヴァジュラ(vajra)が語源じゃよ。 四川の康巴チベット族だと、ダグワドルジは達瓦徳吉みたいに音写するのじゃよ。
ヴァジュラを意訳したのがドルジだっけ ちなみに紅茶で有名なダージリンのダージもドルジと同語源 ダージリン自体は英語なまりで、本来の地名はドルジリン
https://en.wikipedia.org/wiki/Darjeeling#Toponymy ここだとダージの部分は「インドラ(帝釈天)の金剛杵」ということになってるけど、ドルジというと特別にこういう意味にもなるのかな
ダイヤモンドという意味の普通名詞以外に
お前らはいっぱいものを知っているのに なんでドルジ顔連呼の馬鹿を放置してるの なんでモンゴル・チュルク・ウラルの話が出ると 必ず顔バカが湧くの
ブータンのあのイケメンな王様も、ファーストネームはドルジだったな。
>>527 モデル&歌手のアラン(康定・美人谷出身)の名も同語源なのかな
阿蘭・達瓦卓瑪
>>533 卓麻とか卓瑪っていう女性名もチベットには多いと聞いた
男尊女卑で女の名前は結構いい加減。 月曜日に生まれたら、ダーワ → 卓瑪
カム地方だと、卓瑪はドマ。ラサや青海だとドルマって読むんじゃなかったかな。
チベット語(ラサ方言)ではドルジェだけど、モンゴル語ではドルジになるんだっけ チベット語でも辺境の方言だとととんでもない発音になりそう。 確かチベット文字をそのままローマ字に転写すると、rdorjeだっけ。いきなりrdから始まる語なんてどう発音してたんだろう
>>539 drじゃなくてrdで始まるのが!?
あとチベットの家畜のヤクも、綴りだとg-yakらしい
グ(母音なし)ヤクと大昔は発音してたのかな
8=brgyadといい、大昔のチベット人はどんな発音の仕方をしてたのか気になる
クリンゴン語みたいな感じか
>>538 子音字横に並べて母音の直前の子音に母音符付けて音節の区切で点を1個書くところ、
字で書くとdの上にrが乗ってる。下の子音の発音に上に乗せたrが影響しているという書き方。
>>542 r
bgd,
y
みたいな子音字の並びかな
ラサ方言やアムド方言は、漢字音写しないのは閉音節があるから。
チベット語の漢字音写をそのまま普通話の音で読むと、ほぼカム語の音になってしまう。
カム語には北方漢語のような声調の存在が、北宋・西夏の時代から確認されている。
>>542 アムド方言は、声調が無いので黙字を発音する。
ラサ方言はカム語のように黙字の発音が落ちた語彙が多いが、その場合は、声調がついている。
原則として黙字と声調は対応関係が成立している。(外来語に例外あり。)
昔のモンゴル人は衣類を洗濯するとぶん殴られたらしいな。
遊牧民は、盆と正月みたいに年に二回しか洗濯しないんだよ。
>>542 チェコ語だと
Strc prst skrz krk.(指をのどにつっこめ)
Vlk zmrzl, zhltl hrst zrn.(凍ったオオカミが一掴みの麦を飲み込む)
のような、母音が一個もない単語がザラにあるが、
そういう言語ではRやL、M、N、Vといった声帯を振動させながら継続して出せる子音が
母音のように機能して音節の核となることができる
rdorjeは綴りと関係なくrだけで実質1音節なのかもしれない
それとは別に、たとえばロシアの国名Руссияを日本語でおろしや、モンゴル語・満洲語でOrosと
それぞれ頭に母音を補っている現象がある。これはそれぞれの言語が語頭だけ固有語にRを持たない、
どちらかというとRの発音が苦手な言語だからということ以外に、その解決策として
語頭にRの後と同じ母音を補ってRを母音間の音として発音するようにしたのだが、元々音韻的には
機能してないが余剰的な「響き」としてそこには微細な母音があった、あるいはそう感じ取れたのではないか。
rdorjeの前にも余剰的な母音があったのかもしれない
>>549 ロシア語の発音の癖によるものではないの?
たとえば、ロドリゴ(RODORIGO、スペイン語)とかラシャ(RAXA、ポルトガル語)とかラタン(RATTAN マレー語・オランダ語軽油)とかは
頭に何もおぎなって無いじゃん
匈奴とモンゴルは文化的に差があったようだな。 匈奴の末裔の悦般国王が柔然の王に会いに行く際、 その国の人間が衣類を洗わず、女たちが食器をなめている のを見て、こんな犬の国とつき合えるかと怒って帰ったらしい。
>>553 それもあるだろうな
あと考えられるのは日本語の東西の方言差というか語頭のラ行の受容度の差か
仏教語や漢文など読み慣れているかどうかで個人差があったのではないか
漢字音は北京音から入ってきた清末以降の語彙の一部を除いて、すべてL L音の前に母音を補っている例は無い。 RL不明のアイヌ語からの、ラッコとかラウス(羅臼)とかレブン(礼文←レプン)、ルイぺにも頭に「あ」だの「お」だの補っていない。 南蛮移入語てばRでもLでも補っていないどころか、頭の母位を削り落としている例もある。ランビキ(ALAMBIC、スペイン語、焼酎の醸造器)
トルコ系の突厥はモンゴル系の柔然の奴隷だったんだよね。
>>560 アイヌ語の流音はRで写されるのが日本のみならずロシア、アレウト経由のアメリカ、
イギリス人のバチェラーなどでも通例だが、日本語のラ行よりは強いとかDのように響くことがある
といった証言もある
音韻論的には閉鎖音に無声/有声の対立はないと考えたほうが合理的なのと、
語尾に来た時に先行する母音と同じ母音が弱化して聞こえるという観察からRとみるのが妥当
頭の母音を落としているというのは、Rの前にあった弱い余剰的な母音を無視した習慣が
Lの前に存在するアクセントのない母音にも及んだ例かもしれないな
>>562 アルタイ語族の特徴の一つ、とかつては言われた
>>558 でも北匈奴の末裔説が有力なフン族は、欧州侵入時は
まるで粗野な土人丸出しだったというね
そう考えると、悦般とは別系統なのかな
ロシア語の場合は、前置詞付のセンテンスから区切を間違って読み取ってしまったからではないんかい? в(〜の中にて)とかо(〜について)とかу(〜に於いて)とかот(〜より)とか
>>564 ローマ人から見たら匈奴も十分な野蛮人だろう。
敵対していたら即野蛮認定というわけでもないのがローマのいいところ。 カルタゴとかペルシャとか蛮族扱いしてないよね。 その千年以上の後の日本は、モンゴル帝国を蛮族扱いだったけれどな。まあ、最初に来た手先の高麗は蛮族だけど。
>>566 当時の漢人からみたらローマ人は野蛮人?
ローマ人て技術水準が低いだけで今に通用する文明人だろ。 ヨーロッパで技術水準がローマを超えたは、部分的には12世紀の鉄砲、全部でなら17世紀だよ。 対して、支那なんて今もって未開土人レベルの開明度だし。
>>568 中国人と似てるから大秦人と呼んでいた。
まあ文明人扱いだね。
モンゴル人が西洋人にタルタル人って呼ばれたのは タタール族を先陣にしてたからだっけ?
そうだよ。 ジンギスカンに臣従するのが遅くて、反乱の疑いがいつもあったから、一番東に陣取ってた部族なのに、西を攻めるときの最前線に駆り出された。 前にも敵、後ろの味方は疑ってかかってるから、動き次第では背後からも矢が飛んでくるような位置。 新たに攻め取った地域から駆り出した兵員もタタールの最前線部隊に編入していったので、テュルク系ばっかりになってしまった。
上のほうで、ドルジェとドルマとダワを混同してるレスがちらほらあるけど それぞれ全く別だよ ドルジェは金剛石や金剛杵のこと ドルマは多羅菩薩のこと ダワは月のこと
>>567 それはカルタゴもペルシアもラテン人よりはるか前から
オリエントや地中海を往来していた先進民族だったからだろう
ゲルマン人やスラブ人に対するのとは違ってくる
それでもカルタゴ人は赤子を食うとかひどい偏見があった
元寇の時日本人が蒙古を蛮族扱いしたとすれば、
それは彼らの特徴や振る舞いがあまりに中国の史書に登場する様々な夷狄の姿に似ていたからだろう
>元寇の時日本人が蒙古を蛮族扱いしたとすれば、 そこは難しく考えなくていいんじゃねえの 鎌倉や京の南宋渡来の高僧が、故郷を襲う蒙古を悪し様に喧伝したのは有名な話 それを聞いた高位の御家人から、下位の武士へと順に伝わっていくのは自然なこと
モンゴル人が日本を占領してたら京都も鎌倉も廃墟に されてたろうな。 サマルカンドみたいに・・・ それを考えると胸熱。
南宋の禅僧が煽ろうがなにしようが、モンゴルが日本占領するってのはしょせん非現実的だった あと2-3倍の艦隊と人員を送って、ようやく現実味を帯びてくるかどうかというレベル 幕府側が西日本の戦力すらまだ投入しきってない段階であの結果だもの 中核となる関東・東海・東北の軍勢を投入するに至るまでには元側にどれほどの消耗があることやら
>>576 鎌倉武士の方がよっぼと蛮族臭いのになw
>>576 その夷狄の方が漢人よかずっと開明度高いんだよね。
現に、支那の文化や技術や制度が発展するのって、決まって、夷狄に国が乗っ取られていた時期。漢人の王朝でリセット、後退期。
>>560 ルイベはロシア語名詞が由来だよ
ロシア語では「魚」を「ルィーバ」と言うので
ルイベの語源はアイヌ語のru ipe(融ける 食べ物)から ipeには「魚」「木の実」というより狭い意味もある アイヌ語は子音の無声と有声を区別しないので原語と同形と言っていい 国語辞典に「アイヌ語で『凍った魚』という意味」と書いてあるのは正確ではない
>>582 語呂が似てるからって借用とは限らんよな。
音からして、否定的な理由もあるよ。
他にロシア語からアイヌ語への借用でロシア語のы→uiとかwiとかの、重母音だの渡音を挟んだものだのに音写された例は一つもないよ。
全部、単音のiになってるで。
ロシア語のыに「うい」なんて当ててるのは、文字先行で外国語として習った日本語の話者の癖だから、日本語の話者のこじつけだと判る。
同じ発音でも文字がиなら「うい」とはしていない。
念のために言っとくよ。子音が硬音か軟音か自明の場合にはыの代わりにиを書くという、表記の規則があるからな、実際の発音がыでも
文字上はиの場合があるんだよ。
日本語話者でも、音声から先に入ると、ыを「うい」みたいにはしないよ。鎖国時代の漂着者の大黒屋光太夫とか長く抑留された旧日本兵とか
拿捕されて連行された根室の漁民とか。
>>578 でもチムールによって華麗に復活したがな(´・ω・`)
白鵬、逸ノ城=本来のモンゴル人 朝青龍、鶴龍=中国人化したモンゴル人 て感じだな。
>>586 めざせモスクワのロシア語バージョン
ダウンロード&関連動画>> VIDEO 楽団も合唱もいいけど、サーミ遊牧民みたいな衣装のダンサーがすげえな。
>>594 古代ギリシャの頃から、フィン・ウゴル語系の住民がロシアに住んでいたみたいだな。
古文書にでてくる。
wikiで遊牧民ってひくと、サーミ人の写真が出てくるな 遊牧民とは寒冷地にいるものだってバイアスがかかっちゃうから ベドウインみたいな暑い地域の遊牧民も取り上げてほしい
古代のタキトゥスの書いた文書にフィンニーという集団がある
フィンというのは、英語のfen(湿地)という語と同源の、ゲルマン系言語による呼称(湿地の民というほどの意味か)だとどこかで見たような タキトゥスはゲルマン経由でフィンニーの存在を知った?それとも今のフィン人(スオミ人)の先祖とは全く別の集団?
目指せモスクワってあんまりドイツ語っぽく聞こえない・・・ ジンギスカンの方はまだドイツ語って分かるんだが。
>>601 >目指せモスクワってあんまりドイツ語っぽく聞こえない・
うろ覚えだけど、
わたしゃ、は・は・春です!
おっさんボートでヘイ!コラホー!
モスコー・モスコー・夢見るアンディさん
おっさんですかシャアですか
ほほほほほ・ヘイ!
モスコー・モスコー・大事な一寸法師
無くしたりしたら大変よ
は・は・は・は。
日本語そのものに聞こえるらしいよ
>>602 ハッチ大作戦の作詞者、まさか数十年後にクルディスタンにISなる国が
出現するとは思ってなかったろうな、、
>>597 多くの人は調べる前に暑い地域の遊牧民をイメージしてるから
そこでサーミが出てくることで修正してもらえるんじゃないですかねえ…
もっとも夜間は零下の極寒になる点ではアラビアもモンゴルも変わりないようですが
モスクワは全くジンギスカンと関係ない歌詞だった。 ロシアいいとこお酒美味いよみたいな感じ。
>>606 >数十年後にクルディスタンにISなる国
クルディスタンはISにはなってない。
イラクでもシリアでも、
クルド人勢力は反ISの強力な尖兵。
イラクのピシュメルガって聞いたことない?
>>609 >全くジンギスカンと関係ない歌詞だった。
こんな↓歌詞だもの。バトゥのロシア遠征の面影など、かけらもない
モスコー。塩分って映えるんすか?
夢をそっとポイ。帰りなさい。
モスコー。ゴスペル 許せへん
出川ほいやへん。インゲン崇拝。
お酒へ、へ、へんな事件さ。
私ゃは、は、春です
回りてってってよテリーマン
おっさんボートでへいコラホー。
(ヘイ!ヘイ!ヘイ!ヘイ!)
モスコー、モスコー、夢見るアンディさん。
おっさんですか?シャアですか?
(ほほほほほ!ヘイ!)
モスコー、モスコー、大事な一寸法師
無くしたりしたら大変よ
(わはははは!)
>>610 どうせまたクルディスタンがISみたいになるパターンだろうな
>>613 ならない。
イラク領クルディスタンの政権を握ってるのは、マルクス主義者でナショナリスト。
民族国家を作ったら満足する連中ので、クルド人居住地を超えて暴れることはない
イラクのクルドだけで自治すりゃいいけど トルコで都市住民化しているクルドとか、イランで遊牧やっているクルドとか アゼルバイジャンに移住したクルドとか そういうのまで巻き込まないで それぞれの飛び地でそれぞれに自治すればいいと思うぜ。 クルド語って飛び地に分布しているから、民族国家を目指しても パキとベンガルデシュみたいになる
あれ、モスクワオリンピックにちなんだ歌だから バトゥとか歴史テーマじゃないよ ソ連のモスクワ
♪ハッハッハッ ハッチ ハレフ オーマル ハッハッハッ ハッチ ハレフ オーマル ベン ハッチ アブル アッバース イブン ハッチ ダブード アル ゴサラ ハッハッハッ♪ (空耳 あっちは船橋であっちは浦賀さ w)
>>615 クルド人がアラブ人を追い出してるんだろ
>>615 分布が飛んでいる上に全く違う別の言語をいくつかまとめて「クルド語」と呼んでいる
例えるならポルトガル語とフランス語とシチリア語とルーマニア語をまとめて「ラテン語」と呼ぶくらいか
それ以上の乱暴なまとめ方をしている
それぞれの話者ごとに違う自称があったりするのかな 確かほかのクルドとは地理的に離れて、ザザってグループもいると記憶してるけど
ザザといえば小島剛一「トルコのもう一つの顔」を思い出すな イラン系言語であるもののクルドとは別物、あとクルドほど自民族アイデンティティは強くない
モンゴルの氏族とか族の違いがわからん・・・ モンゴル族、ボルジギン氏、キヤト氏族 どういう区別なのか分かりづらい
>>615 >クルド語って飛び地に分布しているから、民族国家を目指しても
>パキとベンガルデシュみたいになる
ならねー
地図を見ろや
「飛び地みたいに分布」なんてしてねえぞ
イラク・トルコ・シリア・イラン・アルメニア
の5ヶ国に分割されてるけど、居住地帯はひとづづきじゃん
マクロで見るとわかんないけど ミクロで見るとその間にトルコ人、アラブ人、アルメニア人、アッシリア人 各種コーカサス人、ギリシア人などなど モザイク状にいろんな民族が入り混じってるんだよな
しかし、太古の匈奴から始まって近年のISまで、中亜に蟠踞してるヒャッハー多すぎ
モンゴル人になって、甲高い声で「気持ちいいぜ、超気持ちいい」って叫びまくりたかった
ヨーロッパ人はローマが滅びた跡地でヒャッハーしてた蛮族
ディズニーのムーランに出てくる蛮族はフンらしいが、 時代設定が15世紀とか色々おかしい。
ケレイトやナイマンがネストリウス派キリスト教徒だったなんて 案外高校世界史レベルでは知られてないんじゃまいか
ナイマンもキリスト教徒だったの? ネストリウス派は十字架使わないんだっけ?
>>633 木蘭と書いてムーランと読ませるとなると、入声が消滅した明代以降ってことになるからかww
あの映画は火薬使ってるからな。 まあ、万里の長城を境に向かい合ってるのは 明代でもおかしくない。 でも元々の木蘭伝説は南北朝の頃に作られたらしい。
日本だって中国のことをずっと唐と言い、 李氏朝鮮を高麗と呼んでた
>>593 ねーよ。
クロアチア語 riba
ポーランド語 ryba
チェコ語 ryba
ブルガリア語 риба
というふうに、長らく経済圏や文化圏の違うところにあった他のスラブ語でもよく似た単語。
ロシアの勢力圏が韃靼海峡に達して初めてスラブ圏に魚というものの概念がもたらされたとしても、おかしいだろ。
そういや「さかな」っていう言葉は中世になってから広まったと聞いて驚いた 関係ないけど「城」を「しろ」と読むのも山城国が由来でそれまではしろと読んでなかったというのも驚く
古語では「な」は「菜」「魚」「肴」の字が当てられていて 野菜や魚を含む「おかず」の意味だった 酒のつまみ・あてという意味で「さか(酒)・な(肴)」という合成語が生まれ (「さか」は「さけ」が合成語を作る時の「露出形」:参考「雨(あま)」「舟(ふな)」) やがてそれが「おかず」を経て「魚」の意味になっていった
よーわからんけど のちのフン族でブルガールに近いとしたらチュヴァシ語が現存する中で一番近いんじゃね?
>>634 知られてるだろ。クビライ皇帝・フレグ公の兄弟の生母がキリスト教徒だとうことをききつけたのがモンテコルビノのモンゴル探検のきっかけになったこと、
西方系の人材を重用する施策をとっていて宣教師をそれなりには厚遇したものの、国是ヤサ法に則って国を挙げてのカトリック帰依は拒否したこと、は載せてるで。
>>649 はて?
どの出版社で?
記載ページは?
匈奴やモンゴルのテングリ信仰は上天信仰ともいい、キリスト教にも通じやすいのかも
浄土思想もキリスト教に通じるものがある。 ユダヤ教からの流れで最後の審判ではなく、もっと救済に傾いているけど。
モンゴルは広大な領土を支配したけど、言語的に影響を 与えた部分は小さいのかな?
突厥とかのトルコ系って元々コーカソイドみたいな顔立ちだったのかな?
そだよ。 トゥーラーン(トランスオクシアナ)〜カザフ・ステップが原住地で、河西回廊から支那に侵攻してくる段で混血して平たい顔になった。
取ってつけたようにむりやりクソスレにするのやめてくれないかなあ
トルコ人ってもともとモンゴロイドだったんじゃないの?
ヨーロッパで黄禍とか黄色人種とか言い出した当初、その当時滅多に見ない東アジア人を指し示すものではなく、 ヘブライ人やペルシャ人やアラビア人のような中近東系の人を指していた。 トルコ人もいまでこそ骨相からヨーロッパ人と同じ括りのコーカソイドに分類しているけれど、アナトリアからバルカンに 広がって盛んにヨーロッパキリスト教圏と勢力争いしていた時分には、黄色人種。
トゥーラーンがトルコの語源の一つとは思えないが・・・ トルコ系は匈奴の一部とあとはアルタイ山脈のあたりに いたんじゃないの?
言語資料が出てきようもない中で、どこまで遡んの?って話だよね オルドス青銅器文化なのか、カラスク文化なのか、あるいはアンドロ信夫までいっちゃうのか
回鶻ウイグルの末裔と言われるユグル族は同時に サハ人と並ぶ非ムスリムのチュルク語民族でもある (ユグル人はテングリ信仰・シャーマニズム・アニミズムと仏教) 中国文献で見る古いチュルク語民族はモンゴロイドであったことが見て取れるが サハとユグルでも再確認できる だから何だ?あとはドルジ顔って言えばいいのか?
>>663 >非ムスリムのチュルク語民族
トゥバは入らないの?
周書(北周のほう)では、突厥と極めて近縁であることが記されている契骨(黠戛斯) 新唐書で記載された彼らの容貌は「人皆長大、赤發、皙面、酷オ、以K髮為不祥」 (人の身長は高く、赤い髪、白い顔、緑の瞳で、黒い髪はめったにみない。) テュルクであることが100%担保される突厥を基準に考えたとき、なかなか面白い話だと思う
ドルジ顔や白鴎顔だと親近感持てるよね 今のバタくさいトルコ人には全然親近感持てない
>>664 トゥバ、アルタイ、ハカス...
でもこの辺は本来はテュルクじゃなくてウラル系やケット系がテュルク化したやつだっけ?
あとサハ(ヤクート)が出てないな
何かチャガタイ汗国の末裔とかアリーとかアフマドとか もはやモンゴル人らしさの欠片も感じられない名前になってるな。
雲南の「蒙古族」にも漢語の名前以外にモンゴル語の名前がつける習慣はまだあるんだろうか ちなみに漢語が母語の回族だと、下の名前にムハンマドの変形したのをつけることを今でもしてるみたい 20年以上前に日本のレコード会社から中国55少数民族の民族音楽を集めたのが出たときの回族編で、民謡を披露した人の名前が確か 「ルームハーマイ」。ルーが姓(陸?魯?)だと思うから、残りのムハーマイが個人名だと思うけど、これはムハンマドから来てるような.... ビデオテープに付属のブックレットにはカタカナ表記しかなかったから、漢字でどうなってるのかは正確には分からないけど ほとんど漢族な回族でも案外独自性があるんだなと思った。でも戸籍に登録してる名前はもっと漢語そのものだったりするのかな?
>>671 イランに行った契丹系の後西遼だって
バラック・ハージブとか、耶律阿保機とは似ても似つかぬ名前になってしまってる
>>671 ドルジ顔にイスラム系の名前は似合わない?w
イスラム化・アラブ化することは脱モンゴル化することを別に意味しないのに
意味すんじゃん。 ジンギスカンの申し渡したヤサ法にある、信仰の自由。互いの信心を尊重せよ。 遊牧民の基本。家畜の捌き方。血の一滴も無駄にする莫れ。 家父長不在の際に、妻が寡婦長権を代行。たとえば、オゴダイ皇帝の皇后トレゲネは、夫の死後からグユク皇帝の即位まで摂政として帝国を采配し皇帝選出のクリルタイを主宰。 女に家産管理や政治参加を許さないイスラムの伝統と真っ向対立。
>>673 実際はヤリッツ・アーボキだったのかもしれないぞ
>>679 そういえば語源スレに、アボキと、韓国語の父を意味するアボジとの類似について、言及されてたな
それ言い出したらノストラティック大語族的な意味で朝鮮語のアボジはセム語のアブーと同源だから
はいはい、バビロニアも大韓起原ですよねwwwwww
起源説に与したくないけど、冬季五輪が来年開かれるピョンちゃんにある加里旺山ってなんか韓国語でも漢語でもなさそうな感じ しいて言えばオーストロネシア系の言語に漢字を当て字した台湾の地名っぽい ぶっちゃけ地名の語源は何なんだろう
加里旺(가리왕 kariwang)が가렵다 karyepta(かゆい)の連体形가려운 karyeunの方言形かなにかで「かゆい山」みたいな意味だったら笑うwwwwww まあ旌善だったら位置的に基層言語があったとして濊語だろうし三国史記に書いてある地名を見る限りは日本語と朝鮮語のミックスの様な感じはある
>>687 10年前のスレッドのほうが今よりレベル高くね?w
>>671 >何かチャガタイ汗国の末裔とかアリーとかアフマドとか
>もはやモンゴル人らしさの欠片も感じられない名前
君に質問。
安西王のアーナンダ殿下の名前について、
「モンゴル人らしさ」感じる?感じない?
>>671 もうひとつ。
「ノモンハン事件」当時のモンゴル軍の高官にいた
「シャーリーブ」(舎利弗, シャリホツ)氏について、
モンゴル人らしさを感じる?感じない?
>>671 さらにもう1例。
密教法具の「金剛杵(コンゴウショ)」さんって、名前に
モンゴル人らしさを感じる?感じない?
ダグワドルジ(達瓦徳吉) のドルジ・・・ 四川省西部みたい
>>694 元寇の再来かw
高麗はガチでモンゴル帝国の派遣したダルガチとビチクチに支配されてたが
なんかジョチ・ウルスとかいろんな所でウルスウルスって正式名称みたいに言われてるけど べつに「国」でいいと思うんだよな 能書きは分かったとして、実際の使われ方見ると あと、ローマ字転写ならuだけどハルハの発音だとオにしか聞こえない
ジョチ国とポーランドが〜、みたく片方だけ国をつけて表記すると違和感が生じる じゃあ、ジョチとポーランドが〜、としてみてもジョチが人名と分かってるだけにどうもしっくりこない ジョチ・ウルスなら一かたまりで新たな固有名詞感が出てグー!ってな流れだったんじゃないの
でもなんとかスタンみたいに接尾辞じゃないんだよな スタンももう語みたいなもんか
>>698 ローマ字のYみたいな形のキリル文字で書くウはちゃんとあって、オが二種類あるんだよな
モンゴル文語のできた時代は、今yで書くオがウの発音だったのかな
>>701 それはハルハ方言のような東のモンゴル語はだいたいそう
ローマ字転写ではキリルуはローマu、キリルоはローマoに対応していて
キリルоローマoはもっと口を大きめに開けるオ
それら男性母音(陽母音)のo、uに対して女性母音(陰母音)のそれぞれo¨、u¨があり、
o¨はキリル字ではоの中に横棒、u¨は下の棒が上下まっすぐのYみたいな形になる
カルムイク語のような西のモンゴル語は、o¨やu¨をそれぞれドイツ語のウムラウト母音のように発音し、
まるでローマ字転写をトルコ語式に読んでいるようだ
古代においてこれらの母音がどうであったのかはよくわかっていないが、何通りかの推測はできる
>>698 当の国の健在の頃サライの住民にあんたがたの国は何国よ?とか問うたらどうこたえてくるかな?
モンゴルとか、イェケモンゴルウルスとか、答えそうだけれどなあ。
だから所謂ジョチウルスとかは、ジョチ家領とかではないんかい?
>>698 ウズベキスタンも、オズベキスタンって表記してもいい?
それをいうとチェコスロバキアがチェック人とスロバキア人の国に分かれて四半世紀なのに、いまだに日本ではチェック人の国のほうをチェコってw 協議離婚みたいにきれいに分かれたのに、日本での呼び名だとチェコがまだ未練を持ってるみたいに見えてしまうw
セルビアとかチェチェンとかブルガリアとかベラルーシとか、スラブ系の国は悉く不正確な恩赦だからなあ
>>705 なんで日本人がウズベキスタンを呼ぶのに
ウズベク人でもないハルハモンゴル人の訛り(たぶんキリル文字の使い方の違いから生じるもの)
に合わせなきゃならんの
ウズベクってジュチの末裔のウズベク・ハンから来てんだよね。
>>711 横レスだけど、ウズベク語をほんのちょっぴりでもかじったら、
>>705 のレスの意味が分かりそう
>>711 ↑
知ったかぶりが盛大にすべって涙目w
滑るどころか最初から転んでるのをごまかそうとしてるのが
>>705 だろ
モンゴル語をほんのちょっぴりでもかじったらそんな言いまわしはしなかったのに
>>705 ウクライナだって、最初はオクライナだったんじゃまいか
У 前置詞 〜のあたり 〜の方向 〜のこっち側 край 境界、国境、境目 ина 地名接尾語 合わせて「国境地帯の土地」くらいの意味。 西にポーランド、西南にローマ(ビザンチン)、南と東に韃靼人の国。
ウとオは、けっこう近いというか入れ替わる アレクサンドル(勿論、歴山大王由来の男子名)のウクライナ名は、オレクサンドル
馬ってあんまり毛が長くなさそうだけど、よくあんな寒いモンゴルで 生きていけるね。
お前ってあんまり毛が無さそうだけど、よくあんな寒い日本の冬を越せるよね。
樺太に、アレクサンドロフスクサハリンスキーって街があるな あんな極北の町にまでアレクの威光が轟いているのか!
日本の地名だと天皇の名前のは殆ど無いよね。 商人とか農民の名前の地名はいっぱいあるけど。
祟仁も醍醐も三条も地名のが先だろ 明治通とか昭和町とか大正区とかは、再開発した時代がそのときだから天皇の名前に由来かもしれんが
三笠 高松 秩父 常陸は天皇の弟の名も地名のが先か
ウクライナ語でオのところはロシア語ウだからウレクサンドル?
モンゴル人に無双させない為に金は馬狩りを行うべきだったな。
マジでウクライナのウをy(ワイ、イグレックetc)だと思ってる奴がいるなw 高校、大学でキリル文字必修化すべし!
ワイ ホニャララ みたいな書き方してるから、てっきり、なんJ民用語かと思ったわ〜
>>733 満州に留まってれば大分モンゴルとは戦いやすかったのでは
金は西夏や西遼と同盟しないとモンゴルに対抗するのは無理だったろうね。 南宋にも備えないといけないのが辛い。
>>739 モンゴル実際に行ってみろよ。
ラクダはウランバートルのまわりにも飼われているぞw
157 :世界@名無史さん :2006/03/11(土) 14:40:48 0 シベリア、ヴェルホレンスク要塞の官吏からミハイル帝へ宛てた嘆願書より: 「閣下、どうか閣下の僕(しもべ)をお許し下さい。要塞には守備兵が二百名必要です。 さらに、彼らのためにカービン銃200挺、甲冑200領、そして歩兵用にマスケット銃300挺を モスクワの帝室武器庫から送ってください。 と申しますのは、閣下、沢山のブリヤートたちが甲冑に身を固めて要塞を攻めてきます。 対する閣下の僕である私どもは、装備に乏しく、鎧もありません。 また、私どもの貧弱な銃では、彼らの鎧に弾がはじき返されます・・・」 クラスノヤルスク城砦建設が1628年。この前後頃に書かれたのでしょうか。
>>745 野生のは、ゴビアルタイ県にしかおらんじゃろ
馬、牛、羊、山羊、駱駝、驢馬、ヤク、犬のうち、どれだろう?
>>747 野生のヒツジも野生のウシも居ないし、野生のウマだってゴビの奥地に少数のみ
と、今はアイマグを盟ではなくて県と訳すのか。昭和の頃はモンゴルの自治体を盟と旗で訳してたな
ネストリウス派のキリスト教徒だったのはケレイトと オングート?
ネストリウス派はウイグル経由で伝わったらしいが、 マニ教徒のモンゴル人もいたんだろうか? マルコ・ポーロもキリスト教徒とマニ教徒を間違った くらいだから実はケレイトとかもマニ教徒だったり しないのかな?
マルコ・ポーロは中国には行っていないと思う 行ったのはクリミアまで
ロシアに仏教寺院や仏僧がいるのは違和感を禁じ得ない。
結局最後まで勝ち組だったのはジュチ王家だったようだな。
後継国家のひとつクリミア・ハン国が18世紀まで生き延びたからそうかもね 20世紀まで延命したブハラ・ハン国とかの3ハン国は、いちおう後継国家に入るのかな?
>>755 ロシア人はアジア系の平たい顔族も多いしさほど違和感ないわ
>>755 ブリヤートとかカルムイクとかモンゴルの国があるんだから当たり前だろう
ハルハでは食事の時箸使うみたいだがブリヤートは使わないみたいだな
RKBの番組みた? 全国放送だったみたい
紀行番組『松重豊の大シベリア5000キロ〜日本人が知らない餃子ロード〜』
ブリヤート共和国に行ってたね
http://rkb.jp/siberia/ www.tbs.co.jp/tv/20170716_5140.html
だいたいアルタイ山脈よりこちら側はヨーロッパ系人種は元々いなかったんでしょう 首都モスクワの位置からしてもアルタイ山脈を境に白人系・アジア系で住み分けていたと思うの
>>763 逆。河西回廊が境目。
鮮卑や突厥が人口豊富な東の人間を駆り出して西に放り込んだり、モンゴルが攻め込んでいったりで、平たい顔になってきた。
>>761 録画しそびれた
日本唯一の公認サンタクロースのパラダイス山元氏も、餃子についての著書で、餃子の究極のルーツと思しき食べ物をブリヤートで見つけたって書いてたな
その本ではそこまでしか書いてなかったけど
ロシア・ウクライナ・ポーランド三者間におけるペリメニ・ピエロギ騒乱
モンゴル人は今でも家の敷居を踏むと激怒すんのかな?
あるよ。 折り畳み式の枠にドア付けるよ。 屋根梁や柱はヘナチョコの箱柳や落葉松で作れるけれど、ドアと枠は南方から輸入する硬い木で作る貴重品だよ。
>>773 × 屋根梁や柱はヘナチョコの箱柳や落葉松で作れるけれど
○ 屋根梁や柱は丈夫だが移動に有利な軽い箱柳や落葉松で作れるけれど
チムール バーブルをチャガタイ王家に入れるなら 一番の勝ち組はチャガタイ王家だな。
ロシア人 イケメン 美女 で画像検索 不細工なジャップが言えることかよw
エベンキはシベリアに帰れよキチガイ吊り目アリラン土人キムチの寄生虫
>>767 餃子のルーツは中国の饅頭だってそれ一番言われてるから
>>767 ジョージア(旧グルジア)でも、似たものを食べた
お肉を皮でつつんでゆでたもの、主食の感じ
中央アジアに多いのかな
>>783 サカルトヴェロ(=ジョージア)の肉まんっていうと、ヒンカリだな
つまんで持ち上げる出っ張り部分を食べ残す習慣があるんだっけ?
タタール共和国のカザンでも似たような餃子もどきが名物とかじゃなかった?
ユーラシアで広く食されるつつみまんじゅうの総合解説なら、まずはここ参照
個別名称のリンクもあり
https://ja.wikipedia.org/wiki/マンティ 高車の使ってた車ってどんな感じ? ゲルの移動に使うような車?
古代トルキスタンにあった遊牧国家の康居ってカンクリの音訳というのは本当なの? どっかのスレであったが・・
世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 5BZKM
>>749 今さらだけど、「五畜」は、馬、羊、山羊、牛、駱駝
>>761 行ってみたくなった 再放送に期待
music.jpニュースTOP メディアニュースTOP 松重豊が“幻のギョウザ”を求めてシベリア5000キロの旅、あらためて日本の餃子を絶賛「一番うまい、完成度が高い」
松重豊が“幻のギョウザ”を求めてシベリア5000キロの旅、あらためて日本の餃子を絶賛「一番うまい、完成度が高い」
http://music-book.jp/video/news/news/149924 >>792 中国韓国ベトナム人もほとんどひげ生えなしスネ毛とかもほとんどないね
日本人が例外なだけかも
漢族は毛が薄いけど、シベ族の女の子とチャイナパブで喋った時 腕を見せてもらったら日本の濃い子並には毛深かったよ シベ族は鮮卑の子孫と言うけど満族とも通婚しているし、漢族が薄いほうなのかもしれない
山頂洞人の子孫みたいなのが今でもたまに出るのかな 山東省あたりにいたという東夷の末裔?
>>799 シベリア、サイベリアの語源じゃないよね、それ?
>>796 日本は古モンゴロイドの遺伝子が他のアジアより多いから
シベ語はツングース語という以前に満洲語の方言 先祖が清に帰順してから満洲族に同化した結果 新疆に駐屯して数百年するうちに本家の満洲語が滅んでしまった
シベ族は遼寧と新疆に分かれて集まってるね。 満洲語文化が今も社会全般で継続してるのは新疆のほうだ。
>>801 新とか古とか既に支持されてない概念だけどな
>>797 人種的に北方アジアの方が毛深い傾向にある
南は顔だちは濃いけど肌はつるつる
×アジア北方
樺太周辺が正しかった アイヌの影響か?
アイヌって勘察加半島にもいたんだよね?露助が侵入してくる前
アイヌは交易や漁獲のためにカムチャツカやアレウトや黒竜江河口域まで出かけていって住み着いていた
>>805 ニューギニアがこんなに低いはずないと思う
フンは騎馬民族連合だからそれぞれの部族がそれぞれの言葉を話していたんだろう
「フン族」はモンゴル系と言われていたがウラル系という説も有力になってきた 「匈奴」はモンゴル系と言われたりチュルク系と言われたり 「フン族」と「匈奴」が同じものかどうかもよくわからない なお「突厥」はオルホン碑文があるのでチュルク系と確定できる
あと、オルホンOrkhonをオルクホーンと訳したクセジュ文庫のアホな訳者 仏語系ってほんと無知なくせに調べ物しないよな
>>811 ほぼ同じところに攻めてきて定着したハンガリー人も、ヨーロッパに侵攻してきた当初にはアラン人とかクマン人とかの他種族との
連合体を為していて、定着後に言語的文化的に同化してる。
オビウゴル諸語・バシキール語・ボルガタタール語は相互に影響しあった痕跡多数。
モンゴル帝国期前後に部族丸ごとテュルク語からモンゴル語に使う言語入れ替わったりその逆が有ったり、帰属意識がテュルクか
らモンゴルに代わったり、オイラトのようにテュルク語からモンゴル語に言語が入れ替わって帰属意識がモンゴルに無かったりと、
結構、血統と言語と帰属意識との組み合わせはシャッフルされてる。
テュルク系内でもクルグズ(キルギス)と名乗ってる民族が複数の系統にまたがって存在するしなあ
ロシアに仏教寺院や仏僧がいるということに違和感を禁じ得ない。
タタール語をはじめとするテュルク系言語や神秘主義のムスリムと併存しているのがロシアじゃん。 その他にもネネツとかケットとか10万人にみたないシベリアの民族集団も多く抱える連邦だよ。 ソ連時代に宗教があんまり組織立って行動してない影響で、今でも各寺院での独自活動になってて 他の仏教とは顕教部分の経典でしか繋がりがないんだわな。
>>815 欧亜境界はカフカス山脈で引いたり、もっと北で引いたりするけど、カルムイク共和国はそのどちらの基準でもヨーロッパに分類される地理的な位置になるんだよな
ロシア人の出生率が回復しないうちにカルムイク人が人口を増やしていけば、いつかはロシア南部は仏法栄える地にw
でもムスリムというライバルがいるか
カザンを首都とするタタールスタンはめっちゃモスクワに近いムスリムかつチュルクの国だよな これを含めロシア側の「タタール」はいくつもあってどれもモンゴル語ではなくチュルク語、 仏教ではなくイスラムの民族だ タタール(タルタル)が元はモンゴルの部族名だったというのがまるでウソみたい
タタールの語源がTag(山)Turkってことはないか...
バトゥの征西軍が少数のモンゴル人に多数のチュルク人だったこと、 欧州で彼らをタルタル人、タタール人と呼んだこと、までははっきりしているが >タタール(タルタル)が元はモンゴルの部族名だった ここがはっきりしない 自分もそうだとばかり思っていたのだが 現存する各地の「タタール」は、チュルク語の中の様々な系統の方言を話すことからも、 部族名ではなく欧州における漠然とした他称としてのタタールを自称としたことは確かだろう
>>818 カザンと、ムスリム男子名で人気のハサン(ハッサン)は同語源なんだってね
>>821 ハサンとカザンはチュヴァシ人が語呂合わせでつなぎ合わせているというだけで
別のものだということは承知の上らしい
破損はハザル。風はカザル。飾。 新羅人のルーツが判明したかも知らん。 ふるい。あたらしい。あらたということで、タタール人かなぁ。すらやしスキタイ、スラブ人かもな。キリスト者もいたかもしらん。ニュータイプ。シルク。しゃらんQ。
>>811 あたってるねぇ。フン族はウラル人。および縄文人。
匈奴は、ミハエル(大天使アークエンジェル)。ミカド。匈牙利および、パパール。本人。
帝国ホテル。
匈奴とフン族は似て非なるもの。
統失デムパwwwwwwwwwwwwwwwwwwあガガイのガイwww
>>819 あんな発音がわかりやすく千年紀単位で基礎語彙が保たれている語群で
そんな基礎的な語彙の組み合わせで大きな音変化と固有名詞化が起こるというのが
なんだか考えにくい あくまで直感だが
ダグール(ダウール)ってチンギスハーンの時代にはモンゴルに統一されたことがあるのかな? 契丹の末裔ともされるそうだけど 今は別民族扱い
>>829 キタド(ヒャタド)が中国のことになる位だからモンゴルの同胞というよりも漢人と一緒にされてるよな
ダウール語ではモンゴル語と違い、 言い切りの動詞(終止形)に人称語尾が付く これはブリヤート語やカルムイク語(オイラート語)と共通しているが、 必ずしもチュルク語の影響というわけでもなく、 古いモンゴル語にはもあった現象が残存しているのかもしれない
>言い切りの動詞(終止形)に人称語尾が付く これはブリヤート語やカルムイク語(オイラート語)と共通しているが、 必ずしもチュルク語の影響というわけでもなく、 古いモンゴル語にはもあった現象が残存しているのかもしれない 屈折語と膠着語って実は古い形だと紙一重だったってことか。動詞の人称語尾は人称・数による屈折にも通じる
実際に、チュルク語系の多く(例外は人称語尾のつかない西ユグル語)や ツングース語系の多く(例外は人称語尾のつかない満洲語)でも 人称語尾とは具体的には1〜3人称の人称と単数・複数との組み合わせ 人称自体は印欧語の専売特許でもなんでもなく、南北アメリカやオーストラリアの先住民言語も、 またセム語やアフリカの諸言語も動詞が人称変化するし、 アイヌ語やにニヴフ語も動詞を義務的に人称変化させる言語の一つ その変化の多くは膠着的な接辞を付けることによって行われる むしろ動詞に人称接辞が付かないほうが珍しく、そういう言語は東アジアに集中している 中国語、朝鮮語、日本語、ベトナム語…現代に連なるモンゴル語もその一つ
義務的な人称接辞があったり屈折的な活用のある言語は行為そのものに対する単語の形態が安定しておらず抽象化が不十分で原始的な言語の特徴ってイメージあるわ
>>815 ロシアと清朝のパワーゲームに
モンゴル人やチベット人が巻き込まれた時代があって
その名残り
>>830 まあ遼そのものはモンゴル支配に軸足を置いた政権ではあったが。
そのせいかどうか知らんが元朝が編纂した遼史は情報量があまりにも少ないし
後世のモンゴル年代記だと中国の王統は唐ー宋ー金で、モンゴルの歴史はボルテ・チノからはじまるので
契丹の存在は忘れられてしまっている
まあ現代のモンゴル国はウイグルや契丹を自分達の系譜とみなして
遺跡発掘を通じて猛プッシュしてるが
高昌回鶻→裕固 契丹→達斡爾 一応モンゴル語族だからな。
>>835 お風呂に妙に縁のある某古代ローマ人「......」
元の支配は北極圏まで及んでいたというのに なぜ清はブリヤートやヤクートを征服できなかったのか?
漢土を征服した17世紀末には既にロシアがオホーツク海岸まで征服してたからだ コサックの侵略者を追い払ってなんとか確保したのがネルチンスク条約での国境線な
>>838 そういう言語学的な問題だけでは無くて
ソ連の軛から離れて20年たったけど
近年は中国の圧力もあったりして
モンゴル高原の歴史を内外に宣伝するのに必死なのよ
社会主義イデオロギーの時代が終わって、 どこでも国家の基本理念を求めるようになり 民族主義が代替イデオロギーとして掘り起こされている
>>841 17世紀末の力関係は清朝が圧倒的に上で
当初はロシアとの外交交渉すら応じずに
実力でアルバジンを陥落させるつもりだったけど
ジュンガルのガルダンが外モンゴルに侵入してきたので
態度が軟化した
>>843 中国内部の少数民族の間でも
民族主義が表に出ているからな
きんぺーが必死になって毛沢東2世になろうとしてるのも
わかる
通用語や通貨の利便性があるから、 分離されて不便になるのはいやだが、特区にしてほしい。 そういうスコットランドみたいな指向が多いのな。 ジョージアの少数民族が、民族語とロシア語はできても 公用語のジョージア語ができないから、急な変化についていけないとかな。
>>845 「中国に住む諸民族は、数千年の歴史を経て形成された一体性を有する」
というのが中国の民族学と政府の見解で、みんな「中華民族」だというロジック
この理論が生まれたのが六四天安門事件の直前の88年だというのが興味深い
すでに冷戦終結と同時に分離の動きがあった
今も分離独立は厳格に戒められ、同時に相互のヘイトを高める差別も禁じられている
中国のネカフェの受付にデカデカとそういう禁止事項が貼られている
定住民であるオアシスの民が、イスラム原理主義に触発されて 神秘主義の遊牧系と軋轢起こしているのが新疆だから あそこは民族対立のメカニズムが違う。 ウズベキスタンの定住民とキルギス系の対立はこのメカニズムだから 世界的には珍しいわけでもない。
>>847 基諾族以降の民族認定がないのもそのせいなのかな
台湾なんか逆に90年代以降に新規認定された民族が沢山あるのに
まだ独自言語をかろうじて保ってたり(カハブなど)、近年まで話者が生きてて言語を復活させられるほど記録のある(パゼへなど)
民族もあるから、これからもまだ新規認定はありそう
ちなみに台湾には雲南あたりの少数民族が、国民党と一緒にやってきて、どこか山の中に住んでる場所があったような
もちろんモンゴル族も台湾に来てたような
>>847 基諾族以降の民族認定がないのもそのせいなのかな
台湾なんか逆に90年代以降に新規認定された民族が沢山あるのに
まだ独自言語をかろうじて保ってたり(カハブなど)、近年まで話者が生きてて言語を復活させられるほど記録のある(パゼへなど)
民族もあるから、これからもまだ新規認定はありそう
ちなみに台湾には雲南あたりの少数民族が、国民党と一緒にやってきて、どこか山の中に住んでる場所があったような
もちろんモンゴル族も台湾に来てたような
>>247 文革が失敗した後の改革開放政策で
少数民族の文化や言語の保護を(ポーズにしても)行ったり
名誉回復されたエリートが執筆活動や寺院の再建を行ったりしたため
民国時代から続いているナショナリズムが息を吹き返したともいえる
費孝通の「中華民族多元一体構造」論はそうした動きに妥協した面が半分はある
匈奴とは時代が離れているが 突厥時代初期のモンゴル語碑文が見つかったらしい
>>853 突厥の時代だとモンゴルの祖先は室韋じゃないんかね?
それは何文字で書かれてて、どうしてモンゴル語だと分かったのか
もしそれが本当なら契丹文字よりも古く、モンゴル系言語が文字で記された最古の例にならないか?
>>855 モンゴル国で見つかったのは40年ぐらい前だが
碑の状態が良くなかったのとブラフミー文字で書かれていたので
3次元画像処理技術を使うまでは
長い間モンゴル語だということがわからなかった
泥利可汗時代の碑文だと推定されているから
突厥が東西に分裂した後なので初期というよりも中期か
もちろんモンゴル系言語の文字資料としては最古に属するので
世界中のモンゴル学者の間では今世紀の歴史的発見として話題になってる
http://www.surag.net/?p=15628 https://www.zhihu.com/question/66772009 >>856 これは夢がひろがりんぐwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ブラーフミー文字を読むだけでモンゴル系と分かる位だからそれこそ蒙古文語や契丹語と大きく違いはしないのだろうな
その碑文の言語が現存のモンゴル諸語と比較してどの位置にあるのか気になるわい
六四天安門忌 ∧∧ ∧∧ (*゚ー゚) (´∀`) | つ(⌒⌒)と | 〜(,_つ\/と_ ,,)〜
>>823 破産、財布、お丸とか、なんか日本語にすると面白いイスラム系男子名w
だからってこう書くのはどうかなウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%9F%E3%83%BC%E6%96%87%E5%AD%97 >ブラーフミー文字は南アジア、東南アジア、チベット、モンゴルのほとんどの文字体系の祖である。
ここで「モンゴルの文字体系」と言われて「ああパスパ文字のことか」と分かるような関係じゃないだろう、
>>859 変な響きではないけど、「勇」もあるな
サンコンさんの息子が、日本ギニア両方で使えるようにということか、「いさむ」って名前だったな
馬鹿に限って、他人をすぐバカ呼ばわりとかするの法則 これは古今東西当てはまるw
バカ呼ばわりされてすぐムッとする煽り体制の低い人は、 もっと読書して知識を身につけるといいと思うよ
金髪美女ってもロシアあたりまで東にくると微妙だぜ・・
北欧の本場金髪美女も鬼みたいなゴッツい顔つきなんであんまり
キプチャク汗国のハンたちはいつ頃までジュチ顔というかドルジ顔だったんだろう? 現在のカルムイク人がコテコテのドルジ顔ということを考えると、 エカテリーナ2世によるクリム汗国の滅亡までドルジ顔だった可能性は高いな。
カルムイクは17世紀清の康熙帝ぐらいの時代にやってきたから時代が新しい。
クリミア・タタールはクリミア・ゴートというゲルマン人を同化したからどこからどう見ても白人だっての
キプチャクハン建国時のモンゴル人の人口って8000人とかその程度 ほとんどは在来のクマン人
アルタイ族のクマン人ってか? いまのキルギスみたいにチュルク語族じゃね?
イメージがわくかどうかというのは、けっこう大事だと想う。
精神面を理解しようとしないから見た目だけでものを言いたがる そのくせそういうやつは自分の顔つきや見た目で何か言われると発狂する あの辺の人の顔っていうのは、見る角度によってどっちに見えるか微妙に変わるんだよ
ザギトワとかにもモンゴルの血が入っていたりするのだろうか?
韃靼そば茶やタルタルソースがタタール由来って知らない人っているのかな?
ジョチウルスのチュルク系氏族がタタール。その時代はスラブ系の言葉を話していなかった。
ジュチ顔のトルコ人って、やっぱりコテコテのドルジ顔だよね 萎える
ザギトワは朝青竜とかマサル的な可愛さがあるとか言って受け入れそう
ザギトワに続きダグワドルジ ドルゴスレンにも秋田犬贈呈。
>>875 ユル・ブリンナーはハルムイク人とスイス人のハーフ。
>>896 荒野の七人で共演したユル・ブリンナーはハルムイクで、
チャールズ・ブロンソンがタタール人と西部劇に2人乗りも
モンゴルルーツの俳優が出ていた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Yul_Brynner 英語版記事だとブリヤート系らしい
>Brynner's paternal grandmother, Natalya Yosifovna Kurkutova, was a native of Irkutsk and a Eurasian of part Buryat ancestry.
でも祖母の代で既に混血?多くてもモンゴル要素は12.5%か
ドルジをイケメンと思ってる人って世界で皆無なのかな?w
>>901 居る。朝青龍の本名自体チベット語。
共産政権史崩壊後にチベット仏教の坊さんに、
名前を選んでもらう習慣が復活書房したから。
チベット仏教方式なのは、グワドルジ(達瓦徳吉)の部分。 ロシア式に親の名前でドルゴスレン。
>>903 その親父さんの名前のドルゴルスレン自体が、
チベット語だから。
ロシアのイワノビッチみたいに父称をつけるのはロシア式だが。
>>903 ドルジのサンスクリットでの同義語(というかドルジがチベット語への翻訳がなまったもの、本来はドルジェ)
の「ヷァジュラ」をチベット並びにモンゴルで使う人は居るのかな
タイだと現国王ワチラロンコンのワチラが相当するか
ラサチベットではドルジェだけど、四川省のカム語で、徳吉って音写されてドルジらしいな。 ニンマ派の僧侶の地元は、羌系のカム(西康)の音使うので北方漢語みたいな音節構造になってしまう。
>>906 オチルバト元大統領の名前などに使われてる「オチル」が
サンスクリット語彙「ヴァジュラ」のモンゴル語式転訛だそうな
>>905 全然持ってないよ。チベット系遊牧民は何世帯も連合した隊になっていて
モンゴル系遊牧民は核家族であり分隊でしかない。
チベット系遊牧民と出ぐわしたら最後、モンゴル系遊牧民は
諂って家畜を差し出すか何かしておかないと何されるかわからん状況。
チベット系は好戦的で雪豹と出ぐわすよりたちが悪い。
モンゴル系の子供たちは父母がそうやってチベット系に媚びているのを見ているので
メンヘル気味に育つ。
>>905 時々行ってたガールズバーにモンゴル国人の女の子(日本語ペラペラ)が居て、
お喋りしている時に、xxxxの居酒屋にモンゴル族の中国人の女の子がバイトしてた
と言ったら、会いたいと言うのでガールズバーがオフの時にその居酒屋に連れてったら、
お互い自己紹介して仲良くなってた。さらに、xxxxのネパール料理屋に
チベット族の女の子がバイトでいると教えたら、
今度は二人から会ってみたいと言われて、今度は二人を
そのネパール料理屋に連れて行ったら、モンゴル族の子が
中国語で通訳してた。結果として三人とも仲良くなってたから、
基本的に親近感は持っていると思う。
モンゴリアン人が韓国人に間違われて不愉快だから、 韓国人みたいな不細工の野郎と一緒にしないで というから、韓国人がどう不細工なのか聞いたら、 革袋にナイフで着けた傷の様に細い目と 親指が入りそうな大きな鼻の穴が不細いって。 でも、モンゴル人も目細いと言ったら、 ソロンゴスみたいなキモイ目付きはしてないと。 彼らは言い方ストレートだけど散々だな。
顔バカってやっぱりもてないブス腐女子だな おっさんワールドの再現度低すぎ
>>909 モンゴル人は河西回廊を超えて青海高原まで行ったけど、チベット人は逆に北上してないな
家畜の犬とヤクはチベットからモンゴルに伝わったけど
暑さが問題なら、人より弱そうなヤクが青海高原をいったん降りてモンゴルまでいけなさそうだけど
チベット人にとってはモンゴル高原はさほど魅力がなかったのかな
モンゴル人は南モンゴル(中国内蒙古自治区)のほうが 北のモンゴル高原(モンゴル国)よりも 人口が何倍も多く、経済的にも豊かで、文化的にも中心だった 過疎ってて貧乏なハルハだけをソ連が掠め取って勢力圏に組み入れたのが今のモンゴル国
結局チベット人からしたら、山を下りてもモンゴル中心地のオルドスの方まではゴビ砂漠しかないし、北のモンゴル高原は過疎ってて貧乏だからそれ以上行っても意味ないってことか ヤクとマスチフだけモンゴル人にやって、代わりに何かもらって、またチベットから青海の山の上に引きこもったのかな
>>903 四川省カム地方カンゼ・チベット族自治州康定出身の歌手アランの本名は阿蘭 達瓦卓瑪。
モンゴル人の女の子から、モンゴルの男は体は大きいのにチンチンは親指みたいに小さいと言われた。 韓国人も小さいし、中国人も日本人よりは小さいと聞いたと言ったら、東アジア人で何人かわからなかったら、 男ならチンチン見れば区別できるねって言ってた。
>>916 康定県の中心、打箭爐鎮という街は、三国の蜀の時代や吐蕃の時代にも記録が残っていて
羌の言葉が使われていた。
ラサや青海以外にも、チベット仏教は広まっていて現代では羌もチベット民族に分類されているんだな。
ギャロンとか白馬とか、チベット仏教が広まってなくて異言語を話すグループもチベット族扱いなんだっけ 中には西夏の末裔と証明されたミニャク(木雅)も(宗教がチベット化してるかは知らない) 一方で近世にダライラマを輩出したメンパは別民族扱い やっぱり中国の民族分類は、チベット周辺に関しては、チベット亡命政府の認識とだいぶん違うんだろうか
中国の民族分類が細かった理由は、一つはソ連をお手本にしたこと。 ソ連型の民族政策は、固有言語の文字化や教育を行って民族性を保ち、それによって諸民族の 団結による反乱を防ぐ。中央でロシア語がよくできるエリート幹部を育てて地元を孤立させ統治させる。 もう一つは抗日戦争期の西南聯合大学(北の名門大学が疎開してできた寄り合い所帯)の民族識別工作の結果。 戦争で暇な民族学者や言語学者が雲南の地でフィールドワークしまくったらいろんな民族と言語の情報が集まってしまった。 民国なら政治的には「五族」ぐらいで済んだが、新中国はソ連式ということになったので、56民族が行政区分として取り込まれた。 政治的に独立したこともないか独立を失って久しい民族が大半で、上から与えられた行政システムとしての「民族」だ。 しかし民族教育はお金がかかる。政府の脱社会主義の大リストラが進んだ90年代には形骸化し、今も漢化が進行中。 そもそも人類学的分類は学術的正確さによるもので、行政にとっては反乱が起こらず予算内に収まれば分類はそれでOK。 両者の分類上の「民族」概念の不一致は今後とも増大するだろう。 なお、独立もしていないチベット亡命政府側では、少数民族を行政単位とするなんて画餅だから言及のしようがなく、 宗教と文化を中心とした漠然とした観念としての「チベット民族」を提示するにとどまっている
>>916 >>918
康定の航空写真見たが、すごい綺麗というか、もはや絶景だな
深い山に細長く続く傾斜のきつい深い谷に、集落がビッシリ詰まっている
この地方に美人谷なる場所があるらしい
美人が多いのかな?w
>>923 ウランバートル行けばいっぱいいる。
ドルジ顔というより、菊川怜の目を細い吊目にした感じのが多い。
要するにアンパンマンみたいな丸顔が多い。
暑いのに顔バカは元気だなあ 顔の汗で前が見えなくなってるからつい手元が狂って自演しちゃうのか
色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発 色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
食器といやあブリヤート人って箸使うんだろうか? 内モンゴルやモンゴル国のモンゴル人は箸を使う伝統がある様だが ブリヤート人が箸を使ういう情報はどんなに検索しても出てこなかった
>>928 ナイフとフォークとスプーンを使ってるのを紀行番組で見たことがある。
ロシアの影響だろうけど。
>>915 チベット系の遊牧民にビビっていたのは
清朝に負けて勢力を失った青海のモンゴル人で
吐蕃時代のモンゴル高原は突厥・ウイグル
それ以降も遼・金・元・北元の遊牧民国家があったので
チベット人が武力で征服するのは無理
準葛爾汗国(Dzungar Khanate) ジュンガル汗国 瓦剌(Oirats) オイラト部 そういう集団だな
第6世までのダライラマのパトロンが青海に移住したモンゴルやオイラトだったように 元・明・清初にかけては広域部族連合を結成する術に長じたモンゴル系の軍事力が 氏族教団に分裂したままだったチベット人を圧倒した しかし清朝によってモンゴル人の遊牧地が定められてからはその活動が制限され 青海・四川の奥地にいたために清朝の実効支配を受けなかったチベット系遊牧民の勢力が強くなる 略奪行為を行った好戦的なチベット系遊牧民としてはゴロク(Golog)族が有名 ただ民国期の青海で一番恐ろしいのは西北三馬率いる回族軍閥で 近代火器で武装した騎兵が山岳地帯まで侵攻してくるからさすがのゴロク族も敵わなかった
>>933 雲南省廸慶、四川省甘孜あたりは土司 (五品官 宣撫使司副使) 支配で
清朝でも自治権が大きい地域だったし、土司は世襲で後継者指名できたし、徴税も自前の税率。
青海省だと玉樹も同じような土司支配だった。
自治区のナクチュ(nagchu) チャムド(cabmdo)も土司支配だったけど、このへんになると
宣撫使司世襲扱いにするのではなく、ラサに領地寄進して寺領扱いにして
実態は土司支配のような手のこんだことをやっている。
現在の雲南省南部・四川省西部・青海省南端にあたるカムのチベット人は 17世紀半ばにオイラト部のグシハンによって征服されたが その際に多くの土地や部族がダライラマの所領として寄進された 18世紀のロプサンダンジンの乱の後に清朝がオイラト部(青海ホショト部)の支配体制を解体したために それまでオイラトに支配されていたチベット人有力者は清朝の土司となったが ゲルク派の寺院領には手が付けられなかったので ラサと清朝の二重支配が清末まで残ってしまった 清朝末期から行われた西康建省運動は錯綜した政治秩序を整理しようとした試みでもあったが 実際にそれが完成したのは、土地の所有や人の支配・被支配の状況に対する徹底した調査が行われた 共産党支配以後
それぞれ小領主がいて、信仰の宗派も違う しかも半牧半農でボーダーレス。 カム地方は純遊牧民地域よりまとまりがない。
モンゴルの王・カァンに汗の字を当てるのは、 単に音が似ているから? それとも「汗臭い野蛮人 プゲラ」という悪意もこめて?
とりあえず現状確認できる最古のものが、北魏(鮮卑)が自民族向け碑文に「可寒」と号したもの その時代に北方遊牧民の間で頭目をそのように呼ぶ慣習が既にあったようで、 北魏に対抗するように北で対峙していた柔然のほうでも王がカガンと号するようになったが、 それを北魏側で「可汗」と記録したのは単に区別するためか悪意を込めたのかは定かでない
オイラートのマフムードってやっぱりイスラム教徒? ということはオイラート部はいったんイスラム教に 改宗したけど、後に棄教したってこと?
ちなみに北魏(鮮卑)の嘎仙洞碑文には可寒だけではなくその女性系の可敦も記されている。 ただ、嘎仙洞碑文が刻されたのは西暦443年(北魏の太平真君4年) 柔然の社崙が丘豆伐可汗を名乗ったのは西暦402年以前なので 嘎仙洞碑文が北魏皇帝の先代を可寒と呼んでいても 皇帝としての可汗号を用いたのは北魏と柔然のどちらが先か という問題については決着がつかない。
丁零とか結骨って明らかにモンゴロイドだと思うんだが・・・
バイカル湖周辺にコーカソイドがいた痕跡ってあるの?
>>940 ハガン→ハアン→ハーンと音韻変化していったみたいだけど、
後世ではモンゴルで可汗(ハーン)と汗(ハン)が混同されたりしなかったのかな
もはや母音の長短でしか区別されないんだし
エニセイ・キルギスは緑の瞳に赤毛だったから明らかにコーカソイド寄りだな
ウズベキスタンには強制移住させれらた朝鮮民族が多い。
中央アジアってところはボルガ・ドイツ人が流されたり クリミア・タタールが流されたり アシュケナージ・ユダヤ人が流されたり
その辺の国からスポーツの国際大会に出てくるのも、特に女子はテュルク系先住民(=多数派)より スラブ系やその他が多いような 物盗りに殺されたデニス・テンも朝鮮系だったな
体操のネリー・キムも混血だけど高麗人系だ 古すぎてウィキペディア日本語版の「高麗人」の項目の著名人に入れ忘れられているが
キルギスとカザフスタンにも血統だけ高麗の人があるけど、 言語は廃れてるので韓国へ出稼ぎに来るのは、ほぼウズベキスタンからだな。
ロシアのハバロフスクやブラゴベシチェンスク、中露国境ちかくに、ユダヤ人自治州があるのにはビックリした
モノリンガルのドイツ人がそこで、ダメ元でドイツ語で話しかけたら、何千人目かで奇跡的に部分的に通じる人に出会えたりするかな 一応イディッシュ語はドイツ語からの派生だし
>>956 そこはビロビジャン共和国と言ってだね
東欧アシュケナージはロシア革命初期には大きな役割を担ったが、
いざソ連ができたらユダヤ人という民族を認めることにはいろいろと不都合があった
だからユダヤ系でもイディッシュ語なんか何代も前に捨てたエリートのレーニンやトロツキーは
ユダヤの労働運動を冷たくあしらって弾圧した
しかしスターリン時代になって、学歴や技術もある集団をひたすら弾圧したり虐殺されるに任せたりするより
労働者として隔離してまとめておこうということになり、集団移住させた
移住先がなんとびっくり、関東軍の河豚計画(満州国ユダヤ人自治区構想)の予定地の、国境を挟んだすぐ隣
いったい日ソ間で秘密裏にどんな計画が進んでいたのか
>>957 Youtubeでイディッシュ語の動画をいくつか見てると、
コメント欄には「ドイツ人だけど半分くらいわかる」「案外わかる」なんていう反応があるから、
何千人というよりはけっこう少ないんじゃないかと思う
方言間や近縁の言語同士のこういう「通じる/通じない」って
相手が落ち着いて聞いてくれる人か、時間があるか、
などの条件のほうがばかにならなかったりするし
ユダヤ人自体が自治州には極めて少ないとか 数百人だっけ?
カルムイク語が旧ソ連で残っていることは、すごいことなんだな。10万人ぐらいは使える計算。 イディッシュ語は風前の灯火。
あまりにモンゴルと隔絶された場所にあるせいか、25年ほど前の高校の地図帳の旧ソ連の言語分布地図だと、 テュルク系と一緒くたにされたりw (例:新詳高等社会科地図五訂版P.61 モンゴルは茶色、カザフとヤクート以外のテュルクは薄緑だけど、カルムイクは薄緑にw) 今使われてる帝国書院の高校の地図帳では直されてるのかな?
>>956 >>958
Еврейскаяってユダヤ人って意味だったのか
>>962 そうだよ
ちなみに、日本の正教会では
伝統的にユダヤ人を指す用語として
ロシア語経由の「エウレイ人」という用語を使うそうな
>>960 アシュケナージ系ユダヤ人はやはり欧州文化圏域の影響を受けているから、
なんやかんやで欧州文化・ヘブライズム文化の影響の強い、ロシア語重視になっていく
一方、カルムイク人は、インド文化・チベット文化の影響の強いモンゴル系文化を持つ民族なので
ロシア語とは一線を画したモンゴル語系としてのカルムイク語が廃れていないということだろう
エウレイ人を漢字転写すると、幽霊人とかになりそうだねw エウレカ→ユウレカに倣うとw
まじレスすると、ギリシア語経由の「ヘブライ」がロシア語転訛したのが「イェヴレイ」
「ビロビジャン共和国」はたしかに田中克彦の本で見た気がするのだが、「ユダヤ人自治州」が正式名だったらしい
ビロビジャンは入植初期に作られ今も中心都市である町の名で、ビラ川とビジャン川というアムール川の支流に挟まれた地域であることにちなむ
ビラとはエヴェンキ語で(満州語でも)「川」を意味する普通名詞で、ビジャン川は鮭の産卵に関係あるらしい
自治州への昇格はシオニズムによるパレスチナ入植運動に対抗するためで、全盛期には北米やアルゼンチンなど
世界各地からユダヤ人入植者が1500人ほど来て、中にはパレスチナからの入植者もいたが、
ソ連全体を襲った大飢饉とスターリンの大粛清で人口は激減、最大2万近くいたのが8000人に減り、
イスラエルほか海外への移住で今(2010年統計)のユダヤ人人口は2400人ほどでロシアのユダヤ人のちょうど1%
>>962-963 ロシア語におけるユダヤ人の呼称は、ギリシャ語の`Εβραιοσヘブライオスから来ている
借用当時のギリシャ語ですでに語頭の気息音(h)は発音されなくなり、βの発音は[b]から[v]に変化していた
あと、ロシア語のв[v]の発音を日本では最近まで「ウ」で転写していたが(ウォツカ、ウラジオストク、ウラジミール)、
新しい事物については「ヴ」も見かけるようになった 「エウレイ人」という語形が生まれるまでの経緯
>>965 確かに、ユダヤ人は紀元前から、幽霊のように世界を彷徨っていたからな
当て字としては相応しいかもしれんな
>>958 沿海州の尼港(ニコラエフスク)もユダヤ人移住地だったよ。
日本のシベリア出兵の頃に起きた事件で数奇な動き。
沿海州といえば、気象通報でおなじみ?だったテチューへって、中国語由来だったんだね<野猪河 今ではダリネゴルスクと呼ばれるようだが。 1972年に沿海地方からの中国語地名の一掃により改名された、とwikiにはある。
ひょっとして改称以前は、ウラジオストク周辺に朝鮮語由来の地名もあったりしたのかな
>>969 ニコライエフスクにおけるユダヤ人資産家の存在は、計画的な移住と言うよりは
町の発展のために帝国の地方政府がユダヤ人に土地の私有権を例外的に与えた結果。
元々シベリア艦隊がウラジオストクに母港を移して寂れた町を、日本人が漁業で盛り返し、
日本人の漁業が禁止され、ユダヤ人との共同経営で継続したという経緯がある。
東欧のポグロムからのユダヤ人保護や、活用可能なユダヤ人人口がシオニズムによって
減少することの阻止、といったソ連時代の自治区構想とは時代も違う。
尼港事件前夜のユダヤ人は、革命の進展と赤軍の接近によりウラジオストクに逃げる者がすでに多かった。
まだ逃げずに強盗の脅威に耐えて残っていた者は、新政府に乗り換える覚悟をしていただろう。
あの辺で思い出せるのは、ウラジオ以外はナホトカとアルチョーム位 (日本全図のジグゾーパズルの端の方にあって覚えた) 比較的新しい街のせいか、今の名前の前はないみたいだな
第6回テュルク評議会首脳会議が終了
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2018/09/04/di-6hui-teyurukuping-yi-hui-shou-noy-hui-yi-gazhong-liao-1042515 キルギスのが輪番制議長国となって開催された第6回テュルク評議会首脳会議が終了した。
アムレエフ氏も記者たちに発言してテュルク評議会が未来に向けて重要な活動と行動計画を含む最終宣言に調印したと明かし、
「首脳会議ではハンガリーがオブザーバーとして出席した。同胞のハンガリー人はルーツが大草原にあると信じている。
これも真実である。ハンガリー人が先祖を忘れていないことを我々も非常に喜ばしいと思っている」と述べた。
首脳会議にはレジェプ・ターイプ・エルドアン大統領、キルギスのソーロンバイ・ジェーンベコフ大統領、
カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ大統領、アゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領のほか、
ウズベキスタンのシャヴカト・ミルズィヤエフ大統領とハンガリーのオルバーン・ヴィクトル首相も名誉来賓として出席した。
👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>975 沿海州にネリマ(Нельма)って部落もあるね
練馬を想起できるから忘れられないw
>>977 トルクメニスタンは入ってないのか。あとウズベキスタンも輪番での議長は務めない名誉加盟国?
何かテュルクの連帯に関して温度差があるのかな
トルコが仕切ってるやつとそうでないやつ、 ロシアがバックにいるやつとそうでないやつ、 汎チュルク主義に見えてもちょっとずつ違うようだね
北キプロスも出てきてないな トルコの立場ではれっきとしたテュルク系「国家」なのに トルコ以外の中央アジア諸国からはハブられてる存在?
どうみても独自の方言も文化もなく、 トルコの単なる出先であり植民地であり、 トルコ以外の世界中から不承認の北キプロスを 本家ヅラして上からものを言うトルコの巻き添えで承認して 西側どころかロシアや中国からまで不興をわざわざ買う理由はないだろう
ハンガリーがその場にいたなら、モンゴルがいてもいいのにと思ったけど、モンゴル帝国に虐殺も伴って蹂躙された過去のいきさつもあるし、 啓典の民ですらないから無理か。一応仏教徒は啓典の民に準ずる存在だそうだけど ものすごいウルトラCで、かつて南シベリアにもいたエニセイ系と共通の祖先から北米に渡って分化したナ・デネ系の集団もオブザーバーで呼んでやれw
でもオスマン帝国に蹂躙されたはずのハンガリーが、テュルクだらけの場にいたってことは、 シリア難民を無責任に引き受けたEUへの当てつけもあるのかなw EUで最初に難民が流入してくる国の一つだし まあセルビア経由より、ギリシャに上陸してからブルガリア・ルーマニア経由のEUルートの方が多そうではあるけど
>>983 そこまで飛躍する前にサハ人のことも思い出してあげて
そりゃトルコは露助にボコられっぱなしだったもんなw
トルコ人はアジアに広く分布してるのにモンゴル人がアジアに広く分布してないのは 絶対的人口の差?
モンゴルの軍勢はバトゥの征西では多数が移動したが チンギスハンの死亡により後継者争いで引き返す 後を託されたモンゴル人もいたが、征西の途中で連れて行ったチュルク人の比率が一気に上る そこで部族名はタタールほかモンゴル系なのに言語と主な血統はチュルクでイスラム化 という現象が広まっていく マルコ・ポーロは大都の宮廷でペルシャ語ばかり使っていた おそらく相手は色目人に偏っていただろうけど、彼らは官僚として力を持っていた
元の皇帝がイスラムに入信しなくて良かったな。 三ハン国はイスラム化しちゃったのにな。
モンゴルの遊牧生活では豚も元から食べないし、イスラム化することに障害は少なそうだな でも血の利用ができなくなるか。あと酒も 信長がキリスト教徒にならなかったのと同じようなもんか?信者の利用価値があるから信仰は認めるけど、自分はならない
モンゴルでは、むしろ、屠畜の際に血を廃棄するのを、ヤサ法ではっきり禁じてたほどだね 酒に関しては、ペルシア系民族もテュルク系民族も、イスラム教の人であれ普通に飲んでるでしょ、 オマル・ハイヤームとかハーフェズとかバーブルとか、 この人たちの作品から酒の話をごっそり抜いたら、世界的に著名な文学作品もろもろがいっぺんに干乾びてしまうよ それこそバーブルはチンギス・ハーンの子孫でもある人だし
>モンゴルでは、むしろ、屠畜の際に血を廃棄するのを、ヤサ法ではっきり禁じてたほどだね これだけでもモンゴル人とドイツ人(モンゴルのおきてはもちろん対象外だけど、豚の血のソ−セージなんて作る)をイスラム化するのは至難の業だな まさかネオナチはユダヤ人やイスラム移民の家の前に豚の血をまく嫌がらせをしたりするんだろうか
1258年、モンゴル軍の西アジア遠征が行われ、フラグによってバグダードが破壊された時、最後のカリフも「革袋に押し込められて」殺害された。こうしてアッバース朝が滅亡したことによって実質的にカリフ制度は崩壊した。
モンゴルがムスリムどもを皆殺しにしてくれればよかったのに
ムスタアスィムがどのような刑を受けたかについて、史料が記す内容は二つに分かれる。 敷物で巻かれモンゴル軍の軍馬に踏み殺されるという、モンゴルの伝統にのっとった「貴人の死」に処された。 同時代のシリアのシリア正教会大主教バル・ヘブラエウス、14世紀初頭マムルーク朝の歴史家ヌワイリー、15世紀マムルーク朝の歴史家イブン・タグリービルディーによる。 一室に監禁されたムスタアスィムは飲食を絶たれ、彼が貯めこんだ金塊と宝石が差し出された。「それほど財宝を愛しているのならば、それを食べて生きるがいい」 13世紀フランスの歴史家ジャン・ド・ジョワンヴィル、旅行家マルコ・ポーロ、14世紀初頭の歴史家ヘトゥムによる記録である。 フレグが降伏したムスタアスィムの前に金塊を乗せた大皿を持ってこさせ、「それを食べられるか」と聞いた。「食べられない」と答えたムスタアスィムに対して、 フレグは吝嗇、優柔不断が敗北を招いたと非難した話に由来する。(ティムール帝国の歴史家ミールホーンドの『清浄の園』より)
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