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ハンセンのパートナーを下ろされた屈辱を味わったゴディだけにこのコンビの結成と龍艦砲への雪辱には燃えた
この年の最強タッグでの外人同士の最後の最終戦は迫力だった
あまりに強すぎからからか常にブーイングが飛んでいたように思えた。 結局一度もSDDコールも発生しなかったし。
このチーム絡みで見たかったカード テリーゴディ スティーブウイリアムスVSビッグバンベイダー クラッシャーバンバンビガロ テリーゴディ スティーブウイリアムスVSビッグバンベイダー スコットノートン テリーゴディ スティーブウイリアムスVSザロードウォリアーズ テリーゴディ スティーブウイリアムスVS長州力 マサ斎藤 時代を越えたらこうなるか。 テリーゴディ スティーブウイリアムスVSスタンハンセン ブルーザーブロディ テリーゴディ スティーブウイリアムスVSディックマードック マスクドスーパースター テリーゴディ スティーブウイリアムスVSアドリアンアドニス カーボーイボブオートン 特にタッグチーム専門同士の試合は盛り上がりそう。 テリーゴディもスティーブウイリアムスもタッグマッチ、シングルマッチと両方だが。 ただ時代のせいか、この二人は大人しかった感じがした。 スタンハンセン ブルーザーブロディみたいなハチャメチャや部分は感じられず。 三沢光晴や川田利明、小橋建太相手に昭和プロレスリングみたいな乱闘は不必要だったからだろうが。 昔と違って反則絡みが一気になくなった時代に組んでいたからなあ。
世界のプロレスが放送されていた時にこの二人が大流血試合やってたって聞いた事ある。 テリーゴディVSスティーブウイリアムスは全く記憶にない。 日本でもこの二人の対決が実現したが、二人ともやる気なし。 やる気なしが画面や雑誌の誌面からも伝わってきた。 実際に二人ともやりたくなかったみたいだし。 でもスタンハンセン ブルーザーブロディと比べるとスケールは小さい。 様々な面でスケールが劣った。
テリーゴディとビッグバンベイダーの試合は見たかった。 あとスティーブウイリアムスとビッグバンベイダーやスコットノートンももっと早い時期に。 1990年6月にクラッシャーバンバンビガロはデイビーボーイスミスと組んで二人とは対戦した。 この時にビッグバンベイダーも全日本プロレスリング参戦していれば。 そうしたらテリーゴディやスティーブウイリアムスとの対戦も実現しただろう。 1993年頃にスティーブウイリアムスVSスコットノートンが見たかった。 お互いに絶好調の全盛期。 2000年じゃあお互いに全盛期過ぎて二人とも体調も最悪な状態。 もっと早くにやって欲しかったよ。
週刊ゴングのSDDピンナップに 二人からサインもらえた。 二人ともあんなに早く逝ってしまうとは― お宝になったけど
1993年頃のスティーブウイリアムスとスコットノートンは体が岩石だった。 スティーブウイリアムスはパワーとテクニック、スコットノートンはパワー一辺倒。 スコットノートンはこの時代はあまりの強さに逆に存在が隠れてしまうと書かれていた。 野上彰 飯塚孝之との試合なんか二人束になってもスコットノートンには敵わないと思わせた。 スティーブウイリアムスもこの1993年チャンビオンカーニバル優勝だっけ? 勢いも凄かった。 この1993年に両者が対戦したら日本のプロレスリングの歴史に残る試合になったろう。 アンドレザジャイアントVSスタンハンセン スタンハンセンVSビッグバンベイダーと並ぶ試合に。 でもこの時代に新日本プロレスリングと全日本プロレスリングの交流は有り得なかったからなあ。
どっちも大関止まりでシングルだとイマイチなんだよな
コディがリーダー格なのに入場テーマはウイリアムスなんだよな
そこはバランスじゃないか。 テリーゴディはフリーバードだったな。
>>16 ウィリアムスは全日行くまではボーン・イン・ザ・USA
全日移籍してゴディと組んでからコンビとして使ったのが勇士の叫び
ゴディ離脱後もそのまま使ってたから、別にウィリアムス単独のテーマではないよ
殺人魚雷の全日デビュー戦は違う入場曲だったような記憶がある
すってん すってん すってん すってん すってん すってん すってん すってててん をーををををー をーををををー 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
リーダーはゴディで格もゴディがちょい上だったわりにピン取るのはウイリアムスの方が多かった記憶がある
ちなみにゴディ、ウィリアムスがメインに出た武道館、 セミでは三冠に挑戦するウインダムが「ボーン・イン・ザ・USA」で入場
確かに初期はvs五輪、龍艦砲、ハンセン&スパイビー 全てウィリアムスがフィニッシュ取ってる
この二人は同格タッグチームだったろ。 表記はテリーゴディ スティーブウイリアムスでコールはスティーブウイリアムス→テリーゴディだったが。 こういう強力な同格タッグチームはあまりないな。 限定される。 スタンハンセン ブルーザーブロディ アブドラーザブッチャー タイガージェットシン ジャイアント馬場 ドリーファンクジュニア アブドラーザブッチャー ザシーク タイガージェットシン 上田馬之助 ジャイアント馬場 アンドレザジャイアント 天龍源一郎 スタンハンセン ザロードウォリアーズ スタンハンセン ビッグバンベイダー 全日本プロレスリングだとこんな感じか。
プライベートでもメチャ仲良かったからね。 ゴディとウィリアムスとスリンガーの3人で 談笑しながら食事してるところを見たけど 本当の兄弟みたいだったな…
他に新日本プロレスリングや後々の日本のプロレスリング界での同格タッグチーム アントニオ猪木 ダスティローデス アントニオ猪木 ボブバックランド アントニオ猪木 ハルクホーガン アントニオ猪木 アンドレザジャイアント(単発) アントニオ猪木 ディックマードック アントニオ猪木 タイガージェットシン ディックマードック マスクドスーパースター スタンハンセン ダスティローデス スタンハンセン タイガージェットシン スタンハンセン アブドラーザブッチャー スタンハンセン ディックマードック スタンハンセン アンドレザジャイアント(6人タッグマッチ) スタンハンセン ローランボック テリーファンク ミルマスカラス スタンハンセン ハーリーレイス キラーカーン タイガー戸口 アブドラーザブッチャー ブルーザーブロディ(6人タッグマッチ) ジョージ高野 スーパーストロングマシーン 武藤敬司 蝶野正洋 藤波辰爾 ビッグバンベイダー 藤波辰爾 長州力 橋本真也 蝶野正洋 馳浩 佐々木健介 獣神サンダーライガー ワイルドペガサス タイガージェットシン ザシーク ミルマスカラス エルカネック 三沢光晴 武藤敬司 川田利明 佐々木健介
路上の喧嘩ならウィリアムス最強じゃね? アスファルトであのバックドロップ食らったら確実に死ぬわ
>>29 そういやスリンガーって今なにをしてるんだ?
アル中ゴディと薬中ウィリアムス 全日ってこんなんばっかだよなあ
>>35 ウィリアムスが元新日なの知らないのか
かわいそうにw
>>21 WCWでは勇士の叫びでなかったのが残念でならない。
あの曲使うと全日本のイメージが強くてダメだったのかな?
ウィリアムスは撮影会の時胸板チョップしてスリーパーしながら撮影なんだよなぁ。
>>29 ゴディが全日の『87年エキサイト・シリーズ』に参加していた時も、ウィリアムスも新日のシリーズに来日していて
そこにウォリアーズも入れて飲んでいたなw当初から馬が合った2人。
出会いはビル・ワットのミッド・サウス地区の85年まで遡る。
対戦者としてスタートした2人。当時はデビアス&ウィリアムス vs フリーバーズがドル箱カードだったな。
>>38 向こうは、曲使用の許可とるの難しいんじゃない
WCWでは東洋的な入場曲とコスチュームで日本代表のイメージが強くされたね
>>35 珍日ヲタは巣へ帰れよw
それ言い出したらベイダー、スコットスタイナー、トニーホーム、ベノワ、エディ、バズソイヤーあたりはどうなるんだよアホw
>>42 デビアスやフリーバーズは全日なのにウィリアムスはなんで
新日だったんだろな。まぁあの頃の全日は似たようなタイプ多くて
馬場もいらないだろうが
>>2 いまだにスティーブウィリアムスの
キャッチフレーズ「ドクターデス」のドクターを
「医者」だと思っているおバカさんがいるんだな。
恥ずかしいぞ!
こいつら酒癖悪そうだから 店で暴れて迷惑かけて 馬場が893使って被害店を脅して 揉み消しとかやってたんやろな 全日ってそんなんばっかやな
>>46 ウィリアムスが初来日する前年85年に新日本とWWFの業務提携が切れて、その後、新日本が提携したのが
ダラス地区のワールド・クラスとオクラホマ地区のミッド・サウスだった。
当時、坂口がオクラホマまで行ってビル・ワットと会っている。
この提携で85年〜86年にジム・ドゥガン、ジョン・ノード、ウィリアムスが初来日した。
ダラスからもエリック兄弟が来日、ジノ・ヘルナンデスも来日が決まっていたけど直前で急死した。
デビアスはファンクスのブッキングでそのまま全日本。
ゴディ(フリーバーズ)は全日本と提携時代のエリックルートかな。
1990年春の嵐! 馬場の智謀と2つの東京ドーム■ 小佐野景浩のプロレス歴史発見@ そこで馬場さんが出した条件は「その代わりにスティーブ・ウィリアムスをくれ」と。 馬場さんは、新しいタイプの外国人レスラーとしてスティーブ・ウィリアムスが欲しかったんですよ。 馬場さんは以前からウィリアムスに興味を示していて、89年の秋ぐらいから「ウィリアムスってどんな選手だ?」って聞かれたりしてたんですよ。
>>48 救いようのないバカがいる
と思ったら、やはり
ガラプー、お前かよ!
>>51 ハンセン&天龍がタッグを結成して、ゴディのパートナーは不在になったんだよな。
『89年スーパー・パワー・シリーズ』でゴディ&スパイビーが試運転したが、その後スパイビーはWCWをメインにして来日が一時途絶える。
そこでゴディのパートナーとして馬場がウィリアムスに秋から本格的に目を付けたのは容易に察せられるな。
ジム・ドゥガンは81年にWWFルートで新日本に来日経験があったな。
>>53 ウイリアムスじゃなくベイダーに目が行かなかったのかな
>>55 ベイダーは『'87世界最強タッグ決定リーグ戦』にハンセンのパートナーとしてに全日本に上がることが決定していたけど、
馬場と猪木が直接話し合って新日本に上がることになったんだよな。
馬場としたら、またベイダーを戻す考えはその時点ではなかったんじゃないかな。当時、ベイダーは新日本の看板だったし。
ハンセンの自伝に「馬場は私の後継者としてゴディを考えていた。」と書いてあるから、ハンセン、ゴディに次ぐ「第三の男」が
ウィリアムスということかな。「ゴディのパートナー」という点でも、ウィリアムスなら当時から親友だったし。
馬場が「新日本はよくベイダーをあそこまで育てたね」と感心してた。 全日本に来てたら、たくさん外国人がいるので埋もれてただろうな〜
新日本プロレスリングが何故ビッグバンベイダーを欲しがったのか? 実績も大してなくて。 単に体がやたら大きな超大型だったからか? あと『ビッグバンベイダー』にする選手を探していたからそれに適したと感じたのかも。 本来はアルティメットウォリアーが予定だったらしいが。 でもレオンホワイトで大正解。 アルティメットウォリアーなら単発で終わっていただろう。 レオンホワイトだからこそビッグバンベイダーがあれだけになった。 逆に新日本プロレスリング側はそれを見越したのか? それともたまたま期待した以上になったのか? まあビッグバンベイダーが全日本プロレスリングならやはり大成はしなかっただろうな。 特に1987年世界最強タッグ決定リーグ戦なら尚更。 幾らスタンハンセンのタッグパートナーでも。 しかしあの時点ではテリーゴディがいた。 だからスタンハンセンのタッグパートナーは探す必要がなかった。 いずれにせよビッグバンベイダーことレオンホワイトがあの時代の全日本プロレスリングに上がってもなあ。 大物外国人勢に埋もれていたのも目に見えている。 エース外国人レスラー不在の時代の新日本プロレスリングだからこそ良かった。 だからこそビッグバンベイダーとして活きた。
>>56 それは初耳
まだグリーンボーイだろうけど
デビュー間もない頃だよな?
>>59 ベイダーは85年にAWAでデビューしたんだけど、当時AWAにいたマサ・斎藤が対戦して「こいつは絶対日本向き」とすぐ目を付けられた。
その後、87年にヨーロッパのCWAにいたとき、タイガー・服部が新日本へのオファーをしたんだが、すでにその前にAWAでレオン・ホワイト
と面識のあったハンセンを通じて馬場がオファーを出していたんだよ。
http://thesmartmarks.com/printer_842.shtml 馬場の頃は何であんなに強豪外人呼べたのかな? 日テレと馬場のパイプ?
でも1987年世界最強タッグ決定リーグ戦でスタンハンセンのタッグパートナーはテリーゴディだった。 元から決まっていたはず。 1985年上半期みたいにタッグパートナー不在ならまだしも。 それとも本来はテリーゴディは違ったのかな? 前年1986年はスタンハンセンとテリーゴディは抗争を展開していた。 この年の世界最強タッグ決定リーグ戦はテリーゴディのタッグパートナーはキラーカーン。 でもキラーカーンは日本を離れていた。 1987年にキラーカーンは引退だっけ? それでスタンハンセンとテリーゴディを再び組ませた。 逆にタッグパートナーがビッグバンベイダーことレオンホワイトならテリーゴディはどうなった? 日本のプロレスリングから少し離れたのかな? でもブルーザーブロディ ジミースヌーカとの対戦でもレオンホワイトなら位負け。 テリーゴディだから吊り合いが取れた。 しかしレオンホワイトは全日本プロレスリングに行かなくて大正解。 新日本プロレスリングもビッグバンベイダーはタイガージェットシンに次ぐ救世主だと書いてあった。 もしレオンホワイトが全日本プロレスリングならただのロングタイツだったろう。 新日本プロレスリング初登場の時のビッグバンベイダーもロングタイツだけだった。 その後にマスクで全身を覆ったコスチュームに。
>>62 馬場と日テレが海外に開拓のために飛んで馬場のアメリカでの実績と信用により有力プロモーターからのブッキング協力を得た
実際、この二人はどれくらいトレーニングしてたんだろう? ウィリアムスはレスリングの下地、ゴディはプロレス頭+ナチュラルパワー それ以前に根源的な、生き物としての強さを感じた
リチャードスリンガーて、ゴディの甥っ子か何かだっけ?
ゴディが倒れて、ウィリアムスがシングルプレイヤーとしてブレイクした これでゴディが戻ってきたらいったいどうなっちゃうだとワクワクしていたのに、無念
>>73 よくゴディが相手をコーナーに振って、自分がコーナーめがけて走ってターンバックルの相手に串刺しラリアットしてたでしょ。
あの時に出る音が“Bam!”なんだよ。日本語だと「ドン!」とか「ドスン!」になるな。
英語では「バンバン」より「ベムベム」の方が近いけどね。
若林「すごぉい!!体が溶けそう!!頭が白くなりそう!!!」
>>62 日テレと放送契約結ぶとき
毎シリーズ最低7人の外人を招集すること
という取り決めがあったとか。
2人とも訳の分からないうちにフェードアウトしてたな ネットもまだまだだったから真相がわからなかったし
ウィリアムスは社長が元子から武藤になった所で切られた 契約を結ばない旨がウィリアムスとロトンドの元にメールで届いて 武藤の常識の無さはなんだ!と怒ってたとか
>>80 ただ残念ながら2002年当時のウイリアムスを見ていたら
もう全日本に上がってほしくないというところがあった。
何かウイリアムスがリングに上がるだけで試合の雰囲気が壊れるように
なっていたし。
外人コンビで考えたらやっぱ歴代トップのコンビだと思う。 あくまで日本で活躍した外人コンビとして。 ハンセン&ベイダー組も強かったが、お互いの個の部分が強すぎてコンビとして の部分がイマイチというかそんな感じかな。 ハンセン&ブロディも強いが、コンビとしての連携等はやっぱ殺人魚雷コンビだろうな。
武藤に言わせるとクロニックを売り出そうとしたら、ウィリアムスが控室でクロニックに嫌がらせしたりと、首切りの理由にはそー言うのもあったらしい。
末期のウィリアムスはTシャツ着て試合したり 背筋は当然のこと腕力も落ちてスープレックスもまともに出来ないし見てられなかった
殺人魚雷以降しか知らないから昔のゴディぶよぶよで笑った
イリミネーターズのプロモで日本に行くと毎回、イリミネーターズは良いチームだが、ゴディ、ウィリアムスの方が上だと言われたとか喋ってたね。 日本で接点もないし、比較なんてされてないだろってW
>>88 イリミネーターズは全日に来て欲しかったなあ
どんな相手でもいい試合できたと思う
あとタズは四天王プロレスできたと思う
SDDがWCWとNWAのタッグをウインダムとダスティンに取られてたけど、どんな結末だったのかな? 確かベルト取られた試合は日本では一切報道されてなかったけど。
テリーゴディ スティーブウイリアムスは四天王時代にも関わらず重宝された。 この時代の全日本プロレスリングではあとの外国人達は四天王より下の位置付けだった。 スタンハンセンは別格として。 まあ日本人は四天王で外国人はスタンハンセン テリーゴディ スティーブウイリアムス。 それ以外との差が凄かった。 日本人や外国人ともにもっと全面的に売り出せば良かったと思うたわい。
チャンピオンカーニバルで優勝させてもらえる訳でもないのに 毎年毎年形だけ出場させられるジョニーエースとかどういう心境だったんだろう
>>95 別に元からトップでもないしこれから上がっていくためには上と戦って負けるのが第一歩だろ
キマラとかは明らかに配給係だからともかく 何とも言えない立ち位置のエースは複雑な心境だったかもしれん
>>95 組織の1歯車として、正にリーマンみたいな心境ぢゃね?
エースをあの位置で使う団体は恐らく世界中で馬場全日本だけ。
>>100 元子のお気に入りだったからな。
スパイビーは「モトコ・ババの名前を聞くと、なぜかいつもジョニー・エースが浮かんでくるんだw」と言ってるよw
>>100 どういう意味で?
ジョニーエースほどの男をあんな位置で使うのは勿体なすぎる。
ジョニーエース程度ならあの位置で使えば十分だった。
もちろん後者だろうが。
まあジョニーエースは体が塩だった。
少なくともパトリオットやデイビーボーイスミスみたいな体ならなあ。
内容までは仕方ない。
でも内容も塩で体も塩だと塩塩尽くしだかんな。
顔だけ良くてもアンバランス。
ジョニーエースが三沢光晴に挑戦した三冠ヘビー級タイトルマッチがあった。
ジョニーエースが獲れるわけないと思った。
これがテリーゴディやスティーブウイリアムスならそうは思わ(れ)ない。
既にジョニーエースはダメな烙印を押されていたからね。
>>101 色々と含みのある言葉だなw
殺人魚雷に話を戻すけど、ウイリアムスって新日のとき198センチだったよなw
それだとゴディやハンセン、鶴田、田上よりでかくなっちゃうw
いいコンビだったけど、よく分かってない実況がハンセン・ブロディを超えたと言ってて、イラっときた
エースの場合中堅の時期が長すぎたよなあ。 中堅のイメージが固定されちゃったから、そこから上がれなくなった。 身長もあるし、マスクもいい。器用にいろんな技をこなす。 まあ、ちょっと器用貧乏って感じなのかな? 不器用でもゴツゴツしたウィリアムスみたいなのが受けてたしね。
ゴディ ウイリアムスに比べて攻撃に威力がない 四天王をしとめるにはたりないよな
>>103 全日に移籍して188センチになっちゃった・・・w
ウィリアムスとノートンの試合は両者共に上手さが無いうえに互いに衰えが目立ち、酷い試合だったよね。 フィニッシュのバックドロップは「殺人かわず落とし」と揶揄されてた。
エースのやられっぷりは見事だった! 特にウイリアムスの怒涛の攻めに対してwww
96の小橋パトリオットVSウイリアムスエースの世界たっっぐあのウイリアムスのテンションは アレの影響かな?
RVDあたりに当時の全日外国人の雰囲気を聞きたいなあ
>>101 素子が巡業に帯同するのはそういうお楽しみもあったんだろうな
チャンピオンカーニバルで戦ったことあったな。まさに夢の対決
>>114 全日本に来てたヴァル・ビーナスが武道館で試合組まれなかったのは元子をお断りしたせいだ、なんて噂も聞いたよ…。
>>116 ニコ動にあって今見てたわ
三沢光晴追悼特集 1993チャンピオンカーニバル
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>>108 エースクラッシャー以外にフィニッシュが欲しい感じだったな。
ただ、全日の場合格が固定されちゃってるんで
格下の選手が格上の選手に勝つ番狂わせがほとんどない。
新日の場合、たまにそーゆーサプライズ作ることで上手く回していった感じがあるよね。
全日だと三沢、川田、小橋、ハンセン、ゴディ、ウィリアムス辺りは直接対決以外はほとんど負けないから、
それ以外の選手が割り込むのは大変だった。
対抗するような選手を新たに作る場合、ベイダーみたいに引き抜いて来るしかなかった。
ウィリアムスもそうだしね。
>>107 エースのあの体固めの体勢、全くなっていませんね
馬場が実況してた試合でこう指摘されてたの覚えてるわ。カードは全く記憶に無いのにw
フミサイトーの本に、 「エースはこう言うところが駄目なんですよ」 馬場さんにこう言われてしまったらもう終わりなんである。 と言うくだりがあった。
ご冥福をお祈りします 極太コンビとも言われてたなあ
エースは馬場亡き後に全日の改革に一生懸命だったけど三沢がうざがってたなあ。
ウィリアムスは体格的にやや見劣りしたな。
せめてもう2~3cm身長があればな。
術後のウィリアムス
>>124 そんなに一生懸命だったか?
すぐに逃げたイメージしかない
その気概があれば元子全日にいるわな ウイリアムすならわかるけど
ウィリアムスはノアに呼ばれたくて、離脱決まった三沢にちょっかいだしてたイメージ。
>>128 あれは何がしたいんだと思ったわ
仕掛ける訳でもないし
>>123 ゴディ&ウィリアムスは年齢的にハンセン&スパイビーより約10歳若いんだけどな。
まさか2人とも40代で亡くなるとは思わなかった。
>>124 そう言えば、馬場が死去した後「ガイジン・ムーブメント」(外国人復興運動)とか掲げてやってたな。
結局、たいしたことはなかったが。
エースは何が酷いって地方での手の抜きっぷり 晩年の三沢や田上レベルを結構若いときからやってた ああいうことやってるようじゃ三冠もお情けの1回しか挑戦させてもらえないだろう
>>59 すでにCWAチャンピオンではあったんじゃないかな?
ハンセン、ブロディ、レイガンズらのインタビューで再三凄いヤングボーイがいるって、ベイダー(レオンホワイト)の名前が挙がってたからね。
世界のプロレスでは簡単に負けてたから、そんなもんかなあとしか当時は思っていなかったが。
ウィリアムスはWWEに参戦したから失敗後も、三沢が呼ばなかったんだけど、 元子に泣きついて、全日本に戻ってきたんだってさ。
>>128 あれが原因でウィリアムス、三沢たちに快く思われなかったみたい。
数年後IWAジャパンに秋山が参戦したとき、仲田がIWAにフロントに
絶対にウィリアムスと接触させるなと釘刺してたらしいし
エースといえば91年時期にゴディにシングルで勝っているんだよね。 フロリダのUWFでリングアウトとはいえ週プロやゴングでも報道されてあのエースが? ってちょっとビックリもした。 もっともその直後に日本でシングル組まれた時にはパワーボムという 順当な結果に終わっているけど。
>>134 ウィリアムスも問題あるけど、三沢も仲田も小さいね。
ホント細かいこと寝に持つよね。
元々ウィリアムスは元子に媚び売って高額ギャラで呼ばれ続けてて 格安ギャラで試合やってる三沢らは不満たらたらだったらしいやん
>>136 三沢もガラドラも経営者としてダメすぎるんだよな
私情を持ち込み過ぎ
ジョニースミスが結局ノアに来なかったのは何でなんだろ
>>136 アホか。
ウイリアムス、元子に媚びて、三沢をボコボコにするって脅してたんだぞ。
そんなやつ呼ぶわけないし、接触もしたくないのは当たり前だろ。絶対に必要なコマでもないし。
ゴディは田上、小橋には負けてるけど川田には何故か負けてない ウィリアムスは大森、高山には負けてるけど秋山には何故か負けてない
たまたまだろ。 スティーブウイリアムスは新日本プロレスリングではアントニオ猪木以外のフォール負けはないはず。 橋本真也にはリングアウト負けのみ。 まあスティーブウイリアムスが新日本プロレスリングにいた頃は両者リングアウトが普通にあった時代。 ビッグバンベイダーはサルマンハシミコフにフォールされた。 しかしスティーブウイリアムスはサルマンハシミコフにもフォールされてない。 新日本プロレスリングでのスティーブウイリアムスのフォール取られ率はかなり低い。 ビッグバンベイダーより割合は低い。 ビッグバンベイダーはアントニオ猪木には(取り敢えず)ギブアップ一回。 藤波辰爾や長州力にはフォール。 スコットノートンにもフォールされた。 スティーブウイリアムスは来日初期にアントニオ猪木にフォール取られた。 他は藤波“辰巳”にも長州力にもフォール取られてない。 橋本真也、蝶野正洋、武藤敬司にも。 スティーブウイリアムスの扱いとたまたまとが合わさったのだろうが。
ウィリアムスの新日時代を知らんのだが、強キャラ設定だったの?
新日本ではあまりエース外人的に使われてたイメージは無いなぁ。 と言うか印象自体あまり無い。 離脱直前の三沢にちょっかい出していたのは、ファンやマスコミに煽って貰って三沢対ウィリアムスの機運を高めてノアに呼ばれようと画策してたんじゃないのかね。 ベイダーやスコーピオは三沢に呼ばれているのに自分は無視、エースはその時点でwweフロント入りの話があったんだろうし、ウィリアムスもかなり焦っていたんだろう。 でも三沢や仲田はその手のやり方を異常に毛嫌いして根に持つとw
>>143 新日の暗黒期の外人だから当時はビガロとかベイダーとか片っ端から
強豪として売り出しかけてた。ただ受けが下手で自分勝手に
暴れまくるだけだから評価低くて移籍間際は4、5番手の扱い
>>144 ウイリアムスはWWEでもバートガンにKOされたし焦ってたんだろうな
あれもともとはウイリアムスを売り出す為の大会なのにあっさりと伏兵に負けるとかチャンスを掴む運がないわな
>>139 三沢はスミス大好きだから、かなり誘ったみたいだね。
でも、本人が全日本に恩があるからと断ったらしい。
三沢が全日本の社長になったとき、
スミスの低賃金に驚いて、ギャラUPしといたそうだ。
スティーブウイリアムスは強キャラクターだったよ。 新外国人エース登場と。 また、組んでいたコンガザバーバリアンと仲間割れ→シングルマッチと。 この試合は課題評価で凄く高評価の記事が。 “アンドレザジャイアントVSスタンハンセンに匹敵する試合”とまで書かれて。 オイオイ…って感じだが。 でもミスター高橋ブックに書かれていたアントニオ猪木とのシングルマッチ。 アントニオ猪木がカウント2で返せなくてミスター高橋が慌てた試合。 ああいうのがあったから新日本プロレスリングから『エースは無理』と判断されたのかも。 あまり来日しなくなったから。 1989年に旧ソ連のレッドブル軍団が登場してからスティーブウイリアムスも来日する様になった。 スティーブウイリアムスはアマレスリング出身だからレッドブル軍団とも手が合う。 新日本プロレスリング側からそう判断されたのかも。 この時はビッグバンベイダーやクラッシャーバンバンビガロがいた。 でもスティーブウイリアムスも加えて三大強力外国人という立場に。 そしてアメリカ軍団としてレッドブル軍団とも戦い。 日本、アメリカ、旧ソ連の三国対抗戦というのがウリで。 でもレッドブル軍団が登場しなければスティーブウイリアムスもチョコチョコしか呼ばれなかったかもね。 全日本プロレスリングに移籍という時もそれなりには騒がれた。 1990年には新日本プロレスリングと全日本プロレスリングをハシゴ参戦。 これはスティーブウイリアムス以外にはいなかった。 しかも単発的ではなく一年を通して。 ただ1990年には新日本プロレスリングでは扱いは良くなかった。 テレビマッチにも登場せず。 スティーブウイリアムスが全日本プロレスリングに初登場したのが1990年2月。 それ以降は新日本プロレスリングではゲスト的な扱い。 スティーブウイリアムスは全日本プロレスリングがメインで中心だったし。
元子全日じゃ一応三冠挑戦したりロトンドと最強タッグ優勝したりそのまま世界タッグにも挑戦したり それなりのことはさせてもらえてたけどなウィリアムス 武藤が実権握りだして明らかに前座ばっかの試合になってそのままポイー
>>144-145 へ?ウイリアムスは新日でもトップ外人の一角だったろう。猪木以外に誰にも負けてないのが証拠。
レッドブル軍団相手に中心的存在だったじゃないか。
少なくとも4、5番手ってことはあり得ん。
違ってたらすまんが、猪木が幻のフォール奪われたからか、歴史を歪曲しようとしてるとしか思えん。知らない世代に嘘を教えるのはよくないぞ。
ゴディは、当時世界タッグ王者だった川田に、タイトルマッチでパワーボムでフォール負けしてるよ。
>>150 デビュー戦でビガロを破ったハシミコフがベイダーにも勝った後
新日外人最後の砦で真の実力者みたいに言われて、期待を持たせてたよな。
ハシミコフ戦が実現する前にレッドブル軍団が失速して、
ウイリアムスが勝っても全く盛り上がらなくなっちまったが。
>>149 そのときの三冠戦は誰に挑戦したんだっけ?
でも新日本ではベイダーやビガロに比べてやっぱり影薄かったと思うんだよなぁ。 エース外人だったってイメージはやっぱり無いわ。 あっさり全日本に渡しちゃったし。 猪木相手にやらかしたから信用がなかったのかね。
スティーブウイリアムスは1986年が初来日。 クラッシャーバンバンビガロやビッグバンベイダーより前に来日しており。 でも見た目ではビッグバンベイダーやクラッシャーバンバンビガロの方が印象強い。 ただスティーブウイリアムスもトップ外国人だった。 1989年暮れにスティーブウイリアムスが参加したジャパンカップ争奪リーグ戦。 ここでスティーブウイリアムスが初めて日本で認められて人気が爆発。 人気が爆発は大袈裟かも知れないが。 でもこのシリーズでスティーブウイリアムスは強さと存在感を見せた。 翌年1990年頭にに全日本プロレスリング移籍が報道された。 テリーゴディとタッグチームを結成と。 まあスティーブウイリアムスが抜けても新日本プロレスリングはダメージはなかった。 1990年は新日本プロレスリングと全日本プロレスリングのハシゴ参戦だったが。 これがビッグバンベイダーなら痛かったが。 いずれにせよスティーブウイリアムスは新日本プロレスリングでもトップ外国人だったのは事実。 ビッグバンベイダー クラッシャーバンバンビガロ スティーブウイリアムスと。 1990年を最後にスティーブウイリアムスは新日本プロレスリングには上がらず全日本プロレスリング一本。 スティーブウイリアムスは1990年は新日本プロレスリングでも契約が残っていたのか? それとも新日本プロレスリング⇔全日本プロレスリングの協力路線からハシゴ参戦だったのか? スティーブウイリアムスは世界最強タッグ決定リーグ戦優勝後には新日本プロレスリングへ参加。 バトルファイナル90に参加した。 ここではスコットノートンが初来日。 スティーブウイリアムス最後の新日本プロレスリング参戦シリーズにスコットノートンが初来日。 リング上での絡みは一切なかったが。 そして同タイプの両者は接点は全くなし。 その10年後の2000年10月に両者は最初で最後のシングルマッチを。
>>153 武藤
チャンピオンカーニバルの公式戦で武藤に勝った流れからだったはず
>>155 ガラケーおとーちゃん
89年はジャパンカップじゃなくワールドカップ争奪リーグ戦な
とにかく試合が固いんだよな 藤波相手でもリフトしてダッチワイフみたいに投げまくるから 相手はやりにくかったはず。あと一説ではリフトのときにタイツに 手かけておもいきり伸ばすのでポロリの危険性があって生放送じゃ 使えなかった
移動バスの中で、言葉の通じないレッドブル軍団に気を使って優しくしてた ウィリアムスとレイガンズはナイスガイ
>>151 シングルでは勝ってないだろ。田上と小橋はそれぞれシングルで勝ってる。しかし大森とウィリアムスも微妙だったな。
>>150 ウィリアムスはベイダー、ビガロと格の上では同格って感じだったけど、
試合とか見てても独りよがりで噛み合わない試合が多いんだよな。
ベイダーはキツイ攻めはするけど受けるところはしっかり受けるから面白いわけだが、
ウィリアムスはそれがないからね。
エース外人の一人ではあったけど、ビッグマッチのメインで使える選手ではなかった。
両国での猪木とのIWGP戦がメインでなかったところにもそれが伺える
その硬いウイリアムスを柔らかいゴディと組ませたのは馬場の大ヒットと言われてたな当時から。ゴディも伸び悩んでたし良い事づくめだった。さすがだわ
93年札幌のゴディと小橋の試合改めて見たけどゴディのコンディションがあからさまに悪かったな。週プロには感動とか過剰におだててたけど小橋本人はどう思ってたんだろうか。
あの試合のゴディは試合早々から表情曇らせて息切れしてて怖い
>>139 WWEでいいポジション得たのに、銭のないノワになんか来るもんか
ウィリアムスとバートガンのトーナメントってガチだったん? 結局その後ガンも全日来るし、その辺の流れがようわからん 二人とも干されたのか
>>170 あれはガチらしい
まあただの喧嘩トーナメントだね
>>163 ちゅうか、元々仲が良かったじゃないか。
ゴディのリクエストもあったんじゃないの。
別に馬場のアイデアというわけではない
地元に全日が来たとき、グッズ購入者には馬場がその場でサインしてくれたんだけど ゴディ・ウイリアムスのTシャツにまでサインするのはどうかと思ったよ。 パンフレットにしてくださいって断ったけどさ。
>>171 喧嘩つーか、タックル有りのボクシングみたいなもんじゃなかった?
タックル入ってもポイントが入るて形で、総合みたいな寝技の攻防になるようなルールじゃなかった記憶が。
>>173 オレもガキの時分、川田Tシャツに有無を言わさず馬場のサイン入れられたわ。無言の威圧感があって、ガキにはよう断れん
>>166 あのシリーズの後だっけ。内臓疾患で戦線離脱したのは。
ウィリアムス、新日リング上でもバックドロップ披露していなかったっけ? 小橋戦のような角度はないけど、ハイスピードで受け身がとれない感じの。
NKホールでのベイダー・ビカロとのトリオは壮観だった
「ジャイアント馬場『引退』記念興行」(1999年5月2日・東京ドーム) ウィリアムスが1年ぶりに全日本に復帰、ハンセン&田上&ウィリアムスが組まれた。 試合後のインタビューで日テレの菅谷アナがウィリアムスに間違えて「オブライトさんは・・・」 これを聞いた瞬間、ウィリアムス激怒w 「オブライト!!??スティーブ・ウィリアムスサン!!!バ〜バ!!バ〜バ!!!!バ〜バ!!!!!!バ〜〜バ!!!!!!!!」 と菅谷アナの耳元で怒鳴って、そのまま席を立って行ってしまったことがあったなw その後に残されたハンセンと田上の顔w
年末忘年会SPでダチョウ倶楽部から「田上とハンセンもフォローすりゃいいのにww」と突っ込まれたが 三沢が「ま、ウィリアムスは悪くないですからね(笑)」と一言 そして菊地の頭突きを喰らう菅谷アナ
>>179 あれ見に行ったけど北尾がリンチ状態で痛快だった
あと凱旋試合の武藤がキレキレだったの覚えてる
初めて負けたのは馬場、アンドレだっけ? で馬場、アンドレに初めて土を付けたのも確かゴディ、ウイリアムス。あの頃の最強タッグはワクワクしてたね。 あとゴディの甥のスリンガーとトリオで組んでたね。
ジョー樋口の最後のレフェリング。 武道館の三冠戦、王者三沢vs挑戦者ウイリアムス 仲田リングアナのコールのあとのものすごい「ジョー」コール。 ジョー、三沢、ウイリアムス、仲田、 みんなこの世にいないなんてまだ信じられない。
馬場アンドレのフォール勝ちの試合、大阪だから竹山アナなんだよな。若林アナで観たかった。
>>184 馬場、アンドレに勝ったのはハンセンとスパイビーじゃなかったっけ?
ゴディ、ウィリアムスは馬場のランニングネックブリーカーで負け。
ハンセン、スパイビーはハンセンが馬場をフォール。アンドレはロープに絡まって動けず。
スレ的には関係ないが、アンドレの両腕ロープ絡まりは芸だったなw 自分からわざわざ絡まりにいってたw
その1990年世界最強タッグ決定リーグ戦の決勝戦終了後。 スティーブウイリアムスがマイクで欠場したジャイアント馬場にエール。 『ババーッ、ババーッ、カンバークッ』と。 館内は大歓声。 ジャイアント馬場はザファンクスとの公式戦でアクシデント発生。 ドリーファンクジュニアが足に落ちてきてジャイアント馬場は足を骨折。 年齢も年齢だっただけにこれでジャイアント馬場は引退か?とも言われて。 そんな状況でスティーブウイリアムスがジャイアント馬場へのエール。 しかしジャイアント馬場 アンドレザジャイアントVSザファンクスなんて凄いカードだな。 もう10年前の1980年なら夢のカード、スーパーマッチだった。 あとジャイアント馬場 アブドーラザブッチャーVSアンドレザジャイアント スタンハンセン。 これも10年前の1980年ならスーパーマッチ。 アンドレザジャイアントが全日本プロレスリングに上がる事自体が凄い事だ。 1981年の引き抜きの時はジャイアント馬場は言うちょった。 『うちはその気になればアンドレザジャイアントですら引き抜けますよ』と。 ジャイアント馬場は結局はアンドレザジャイアントを引く抜く事はしなかったが。 そして時を経て、引き抜きとは全く別の形でアンドレザジャイアントは全日本プロレスリングに初登場。 やっぱり1980年頃にアンドレザジャイアントの全日本プロレスリング登場を見たかったなあ。
アンドレの場合は専属契約を結ぶWWFから引き抜くのが必要
>>189 ハンセンのラリアット一回返したんだよね馬場w
でもそのあときっちりもう一回決めてフォール、なかなか良かった
>>193 全日でラリアットを返したことあるの馬場と鶴田だけかな?
ハンセンのラリアットは説得力抜群。 なぜか色褪せなかった。 バチーン!って1発。 アックスボンバーの比じゃなかった
ハンセンのウィリアムスへのラリアットは良かったな。 90年6月の千葉と98年Cカーニバルのは特に最高だった。 ハンセンも「ウィリアムスなら安心」というのが打ち込み方からありありと分かる。 馬場に「受け身が不細工」と酷評されたウィリアムスも、ことハンセンのラリアットに対する受け身は最高だった。
あのアバランシュホールド崩れ後の振り返り様の1発だろ? すげえ一撃だった。あの巨漢ウィリアムスがぶちのめされた。
>>194 90年代しか知らないんだけど、他に記憶ないね
千葉公園と武道館で立て続けに殺人魚雷を一発逆転のラリアットで葬ったね
どちらも若い二人に苦戦して虫の息だったけど、一瞬の隙を突いてあの二人をなぎ倒す迫力は説得力半端なかった
その後いつだかのCCでウィリアムスはろっ骨を痛めながらもハンセン越えを果たしたんだっけ ゴディは初の四天王タッグ戦の武道館セミでシングル組まれて、ガイジンも世代交代かっていう機運だったのに勝てなかった あれはなんだったのか…
ベイダーはハンセンのラリアット受けて受け身とらなかったよな。 当時小学生で仕組みを理解していなかった俺は「???」ってなったよ。 でもアレは何だったんだ。 ベイダーのミスかと思ったが、アメリカでも同じシーンが有ったらしいし。
ベイダーとハンセンじゃ体格差ありすぎでぜんぜん効いてるように 見えなかった
でもベイダーって基本的にラリアット食らうと派手に跳ぶじゃない?
>>203 ベイダーアタックで吹っ飛ぶハンセンも強烈
>>201 馬場は「ハンセンがシングルのトップ」という外国人序列は絶対崩さなかったからね。
タッグはゴディ&ウィリアムスでもシングルはハンセンという方針。
ゴディ、ウィリアムスのそれぞれがハンセンと何度もシングル戦を行っているが、一度しか勝っていない。
その試合はどちらも“アクシデント”の要素を入れてハンセンの格が下がらないように配慮している。
vs ゴディ(1990/7/17 石川県産業展示館)
→ウィリアムスが乱入してハンセンが気を撮られてる隙にゴディがラリアットでフォール
vsウィリアムス(1993/3/27 京都府立体育館)
→ハンセンは脇腹負傷していたが、ウィリアムスのろっ骨にひびを入れる。「ハンセンそれでも強し」の印象を持たせる。
>ゴディは初の四天王タッグ戦の武道館セミでシングル組まれて、ガイジンも世代交代かっていう機運だったのに勝てなかった
>あれはなんだったのか…
本来ならこの試合でゴディが勝ってもおかしくないけどね。
「ゴディはまだハンセンに勝てないのか」という雰囲気だったよな、当時。
やはりシングルではハンセン>ゴディという序列なんだよな。
94年からはハンセンに代わってウィリアムスがタイトル戦線に出てきたが、
ハンセンvsウィリアムスのシングルとなるとやはり序列は崩れなかった。
>>188 オマエ、ドクターキリコを知らないのか?
それでも三冠に先にゴディが着いてハンセンの挑戦を受けたのは新鮮だった
>>188 >>207 ドクターデスの「ドクター」に
「医者」という意味はない。
デストロイヤーも一時AWA地区で「ドクターX]を
名乗っていたが医者キャラではなかった。
これどういう意味だろう?
> Jumbo Tsruta- When Jumbo left the business, he stole the side suplex from him, although he did it in a different way. He says that most people in the business have the respect not to steal the finishers of top guys while they’re working.
http://thesmartmarks.com/artman/publish/article_447.shtml 全日での全盛期にWCWで実現したスタイナーブラザーズ戦が謎。 殺人魚雷コンビは技を受けず、地味な関節技で圧倒するワンサイドな展開。 やはり新日(当時スタイナーズが参戦)との格を意識したのかな。
これが日本スタイルなんだという事をアメリカのファンに印象付けるための 試合だったからじゃない。 現に全日本プロレス代表みたいな感じで、WCWに参戦してたんでしょ
>>210 ジャンボ・鶴田- ジャンボがプロレス業界を去ると、ウィリアムスは、技の仕掛けは変化を付けながらも
ジャンボからサイド・スープレックス(バックドロップ)を会得した。
「日本のプロレス業界ではトップ・レスラーが現役の間は、そのレスラーのフィニッシュを使わないことで
敬意を示すのが大半の日本レスラーの考えである。」とウィリアムスは言う。
鶴田がセミリタイアした93年からウィリアムスが鶴田に代わってバックドロップをフィニッシュとして使い始めたということだね。
鶴田と同じスタイルではなく、急降下のバックドロップとして。
>>213 ありがとう。
その頃あまりプロレス見てないけどライガーボムの模倣じゃないの。
サイドスープレックスかパワーボムか、技の入り方が違うということなのか。
ダウンロード&関連動画>> @YouTube >>212 日本代表てギミックだった記憶がある。
二人でちゃちい法被着てた。
>>209 日本の漫画のタイトルみたいに「死神博士」とかでもいいよな
それともbackdrop=sidesuplexなのか? そんな話し聞いたことないな。 ウィリアムスの著書でも分けてるな。 Steve Williams: How Dr. Death Became Dr. Life 著者: Steve Williams より リック・スタイナーが初来日の時のパートナーがウイリアムスだったんだよな あの時の投げっぱなしジャーマンはパイルドライバーみたいな急角度だったのが怖かった
>>217 >それともbackdrop=sidesuplexなのか?
>>210 のソースではインタビュアーがウィリアムスのインタビューを抜粋してるから
おそらく「バックドロップ」のことを「サイドスープレックス」と間違えている可能性もあるね。
英語では通常、バックスープレック(Backsuplex) = 日本でいうバックドロップになる。
あるいは「サイトスープレックス(Saito Suplex)」(要はバックドロップ)を「サイドスープレック」と勘違いしているかw
ダウンロード&関連動画>> @YouTube とにかく
>>210 の話だと、鶴田が一線を引いた後、ウィリアムスが鶴田に代わってバックドロップをフィニッシュとして使い始めたというのは間違いない。
実際にそうだったし。
ウィリアムスは全日時代でもバックドロップをサイドスープレックスって言ってた ドクターボムのことも変な言い方してた記憶あるわ忘れたけど
>>219 >>220 なるほどね、side=saitoかもね。元来後ろから組んで投げるのを
横から組むからサイトースープレックスと差別化して呼んでるんだろうしね。
関係ないけどエースはコブラクラッチスープレックスのことをエースボムって言ってたよね
ジョー樋口の本に 外人が得意技はバックドロップって言ってたら ショルダースルーだったと書いてあった
>>210 改めて読むと色々興味深いインタビューだね。
ビル・ワットのUWFがジム・クロケット・プロモーションズに買収された時はデビアスとのコンビを
そのまま継続してフレアーとの対戦が予定されていた。しかし、デビアスがWWFからオファーを受けて
NYに行ってしまって御破算になったとか。
ゴディがピルとコカイン(crack)摂取から機内で意識不明になった時のウィリアムスの命懸けの介抱とか。
ゴディはやっぱりコカインもやっていたんだな・・・
不人気だったな ウィリアムスの覚醒がもう少し早かったら違ってたのに
テリーゴディ スティーブウイリアムスVSアニマルウォリアー ホークウォリアーの試合を見たかった。 スティーブウイリアムスはアニマルウォリアー ホークウォリアー 天龍源一郎と六人タッグマッチで対戦。 アメリカだったな。 天龍源一郎がザロードウォリアーズと組始めた時に。 大昔はアニマルウォリアー ホークウォリアーVSテリーゴディ マイケルヘイズが見たかった。 マイケルヘイズって意外にも大型。 サイズもテリーゴディと殆ど変わらず。 あとはテリーゴディとビッグバンベイダーの試合も見たかったな。 日本ではもちろん海外でも接点がなかったな。 1990年にクラッシャーバンバンビガロが全日本プロレスリングに初登場した。 新日本プロレスリング⇔全日本プロレスリングの協力体制路線の元で。 だからこそその流れでビッグバンベイダーも全日本プロレスリングに上がると思っていた。 あの路線が続けば上がっていたとは思うが。 またスタンハンセンももっと新日本プロレスリングに上がって欲しかった。 スタンハンセンとアントニオ猪木のタッグチームも予想した。 アントニオ猪木はタイガージェットシンとも組んだから。 スタンハンセンとも組むと思ったが。 でもそもそもあの路線が1990年で終了。 残念無念何でやねん。
>>209 この意見ときどき目にするが、殺人医師って公式なニックネームじゃ無かった?
でないと人間魚雷ゴディと組んだ時の殺人魚雷コンビだって正式じゃ無い事にもなる。医者の設定もコスも無いが、殺人医師だと思ってる
アマレス時代の顔のプロテクターが「13日の金曜日」のジェイソン
に似ていたからニックネームとなった。
Drは Dr. Crewsから来てるのかな?映画詳しく知らないからわからないが。そうだとしたら精神科医だから医師でもよさそうではある、
けど自信ないな。
> By the time he landed in the pro wrestling biz, he was already known as “Dr. Death” — a nickname he earned by once competing
in an amateur wrestling match wearing a goalie mask to protect a facial injury, making him look like Jason from the Friday the 13th movies.
http://www.wrestlenewz.com/exclusive-articles/dr-death-a-steve-williams-retrospective/ >>229 ドクターデスを直訳して定着したって感じかな
そもそもドクターデスの意味をわからずに直訳したんだろうな
ドクター〇〇は〇〇のプロって意味らしい
天龍とウォリアーズが組んだ初戦(89年2月クリーブランド) 当初の対戦相手はスティング、J・Y・ドッグ、マイケル・ヘイズの予定だったが、 ウイリアムスたちが金網に閉じ込めて、対戦を強奪した。
ドクタークルーズって調べたら凄い卑怯者の殺られキャラみたいだな。これは違うな。
別のソースあるけどどうして “Dr. Death”なのかはよくわからないな。
"Dr. Death"と呼ばれてる著名人には Jacob "Jack" Kevorkianという
人物がいたみたいだけど"安楽死を推奨する学者"みたいだな。
> “I shattered my nose about a hundred times and they had to keep stopping the match, so the coach from another school gave me an old time hockey goalie mask and when I put that on, my coach
yelled out “Dr. Death”,” said Williams. “Reporters from the
newspaper picked it up. I wasn’t like “Stone Cold” Steve Austin (whose real name also happens to be Steve Williams) or the “The Rock” who got a nickname for being an entertainer; I got a
nickname for being a tough guy on the mat.”
https://theonlyblogthatmatters.com/2014/04/21/the-story-of-the-real-dr-death-a-man-who-lived-countless-lifetimes/ >>229 >殺人医師って公式なニックネームじゃ無かった?
おい!おい!おい!wwww
「公式なニックネーム」ってなんだよ!
どこの誰がどこの機関が「公式」とか「正式」に決めたんだよ?
スティーブ・ウイリアムスの英語のニックネームが“Dr. Deathという
これは正式と言うか、本人が決めたこと。
それを日本のマスコミが訳しただけ。
外人レスラーのニックネームもマスコミによって違ったことがあるし
時代によって変遷する。ミル・マスカラスも「千の顔を持つ男」から
「仮面貴族」になったし。
こういう二ックネームの付け方が、どこかで「公式」に決まっているとでも
思っていたのか?
おまえは、社会に出て働いたことがないだろ?
世の中の仕組みを全然理解していない!
バーーーカ
>>229 お前のようなバカが
「これはこの度【公式に】認められた資格です(実は私的資格)」
とか「○○のお墨付きのモノです(実はなんの権威もない」
と言われてコロッと騙されるんだよ!
気を付けろよ!
俺はおまえに親切心でアドバイスしてやっているんだ!
有難く思え!
この投稿に反感を持つようではもう、お前はダメだな!
生きている資格なし!
>>236 それじゃあ聞くが、宍倉の素人童貞は公式ではないのか?
外人のニックネームの和訳に公式も正式もない。 ただ日本の英語が出来ないマスコミが勝手にニックネームの和訳 (直訳、誤訳)をしただけ。 大昔のプロレス雑誌にはバディ(BUDDY)・ロジャーズや バディ・オースチンを「ブディ」とローマ字読みしたものがあるが、 これは公式なのか?明かな間違いなんだよ(苦笑) ダッチ・サベージのニックネームは「フライング・ダッチマン」だが これを「空飛ぶオランダ人」と訳しては身も蓋もないし、 彼は空中技を得意とはしていなかった。 「フライング・ダッチマン」は「彷徨えるオランダ人」 「幽霊船のオランダ人の船長」という伝説に基づいている。 ついでに言うと、バディ・ロジャーズやその継承者、リック・フレアーの ニックネーム「natureboy」(ネイチャーボーイ)を「野生児」と訳したのも 間違い。どう見たって、ターザンや「GET WILD」のような「野生的」 ではないだろ?
エルヒガンテをエルジャイガンテとか書いていたもんな。
ゴングは来日前の記事でトニー・ホームをトニー・ハルメって書いてたなぁ。
あとはザロードウォリアーズがゴングで初めて紹介された時。 左側1号のアニマルウォリアーズ 右側2号のホークウォリアーズ これは子供ながらも笑えた。
>>124 >>130 エースが掲げたのが「ガイジン・ムーブメント」(外国人復興運動)じゃ、三沢とは逆のベクトルだね
大昔のゴング、来日前のザ・シークのこと、ザ・シャイクと書いていたな。スペル見るとそう読めなくもない。 松崎実況、ゲロ解説のWCW中継は、 ワンマンギャングのこと、ワンマンガンって言ってた。誰も知らないのかよと呆れたわ。
よくよく考えると外国人が『ガイジン』って言うのも変だよな。 実際には違う言い方をしてたんだろうが。 『団体所属外』とか。 まあ外国人も自分達の立場や意義はわかっていたはずだし。
>>219 川田がウイリアムスから三冠奪取した時インタビューで「バックスープレックス食らった時は・・・」
と言ってたな。
日本ではわざと読み方を変える場合もある Big Bubbaは仮名書きすれば「ビッグ・ババ」って感じになるが、 全日本に上がって「ビッグ・ババ」じゃまずいから「ビッグ・ブーバー」にしたということがあった。
週プロでバティスタを初めはバティーシアと書いていたな。
>>247 週刊誌でビッグババって書いてて、世界のプロレスも放送してたかなあ。来日したら
倉持がテレビでブーバーっていったからあれ?って。
スクリーン詩は頑なに、 レナード・ディカプリオ ケビン・コストナー ウーマ・サーマン だけどな
>>244 確かエースは「ガイジン」って言ってたような気がした。
もちろんどういう意味かを知ってての発言だろうし。
プライドを持って発言した「ガイジン」。 「ガイジンとして初めて優勝した」 オメガはこのことに敏感に反応した。 今では「ガイジン」をなんでも外国人と置き換えるのが常だが、プロレスにおいて「ガイジン」は差別用語ではない。 彼らは自らプライドと自信をもって「ガイジン」とはっきりと発音するのだ。 自らをそう呼ぶこと、あるいは呼ばれることは、日本のプロレスの歴史にのっとってスターになったことを意味する。 あの“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤーや“不沈艦”スタン・ハンセンといったレジェンドたちも好んで使う言葉だ。
オブライトは新日本に初来日したときはオルブライトだった記憶。
入場後リングを占拠してのロープワーク、魚雷ラリアット後の狂乱のゴディダンスとかウィリアムスの足バタバタも好きだなあ
タイガー・ジート・シン ダスティ・ローズ ジャイアント・シウバ スター・バイソン
>>259 ハンセンのラリアット(ベスト3に入ると思う)→ジョー・樋口がゆっくりカウントスリー
→倉持「天龍がピンフォールを取られた!!!」→ゴディダンス→ハンセンの「やれやれ」の顔
この一連の流れがセットで入ってるよw
>>261 デビアスは93年9月にWWFから全日本に復帰した時「“デビアス”じゃない。“ディビアスィ”だよ。」と
クレームを入れて、その後、仲田がきちんとそうコールしていたな。
選手がリングアナウンサーの名前の発音にクレーム入れたのってデビアスだけかね。
週刊ファイト紙→ブルーザーブローディ テリーゴーディ ザプロレス紙(東京スポーツ発刊)→タイガージットシン 週刊プロレス→ストロングマシン(軍団) 週刊ゴング→ストロングマシーン(ズ) ビッグレスラー→天竜源一郎
>>262 あの試合のラリアットは凄かったよな
何回もスローで見たわw
ハンセンもインパクトのあとに引いてる場合と、完全に振りぬいてる場合とがあるよね
語り草のアイヤーも当たった後ハンセンの体が横に流れてる、どちらかというと天龍の受け印象的
んで
>>262 のラリアットは、ロープに振るタイプとしては最高峰ではなかろうか
スピード・体重が乗ってて、腕も完全に振りきってる
ゴディも串刺しは迫力あるんだけど、通常だと当たった後引いてるよね、ハンセンから三冠取った時とかも
まあそれでもそれなりの説得力はあるんだけど
あと同じ試合で出したハンセン&ゴディのダブル・フットボールタックル。 あれもスピード、パワー、タイミングではNo.1じゃないかな。あんなの見たことない。 天龍の受けもいい。 あのダブルタックルはハンセン&ブロディ、ハンセン&デビアス、ゴディ&ウィリアムスのより上だわ。
ゴディ&スリンガーがアジアタッグに挑戦させたらちょっと 面白そうだったのに。カンナムとやったときにもいい試合してたみたいだし。
オクラホマスタンピートさ、ある時期くらいから、 のたのた歩いてコーナーにチョン、のたのた歩いてコーナーにチョン、のたのた歩いてばったり倒れ込む、みたいになってて萎えた。
後期、ここぞという時に出すオクラホマスタンピートは一回だけコーナーに当てる短縮バージョンで良かった 2回くらいしか見たことないけど
チャンピオンカーニバルでウイリアムスがオクラホマ・スタンピートでハンセンからピンとった時は驚いたな
オクラホマスタンピートのターンバックルに雪崩込む動作も謎なのに 晩年はチョンてタッチするだけとか説得力も何も有ったモンじゃない
>>276 > オクラホマスタンピートのターンバックルに雪崩込む動作も謎なのに
これ謎に思ってるもはお前だけじゃね?
ウイリアムスの全盛期は全速力で対角のターンバックルにぶつけて雪崩れ込むやつは説得力あったぞ
のど直後にスルリと後ろに降りて振り向きざまに放ったハンセンのラリアット はいまみても最高。 あの巨体がバチーンとなぎ倒された。 あのラリアットは凄い。
ウィリアムスはCC川田との決勝、三冠戦の対三沢小橋、川田あたりが全盛期かな? ダイビングショルダーとかフロントスープレックスとか、この時期は良い技も多く、 バックドロップ行く前に、流れをガラッと引き寄せてから速攻でドクターボムを出すタイミングが素晴らしい 後期は大きいモーションでバックドロップいくよーつって盛り上げようとする省エネスタイルになってしまった
>>276 ドタバタと歩いてターンバックルに当てるのは見栄えが悪かったよね。
田上がコーナーにしがみついて阻止したりねw
そこでわざわざ勢いを止めてどーする…って思ってた。
若林「オーークラホマスタンピート!!!川田ロープを掴んでくれ!!」 竹内「川田がんばれ!!!」
スティーブウイリアムスとスコットノートンの対決は1993年頃に見たかった。 この頃なら両者絶好調で全盛期真っ盛り。 スティーブウイリアムスとスコットノートンはそれまでは全く接点がなかった。 でも実は接点はあったのだ。 1990年11月の新日本プロレスリングにスコットノートンが初来日。 バトルファイナル90に。 そん時にスティーブウイリアムスも参加していた。 ただスティーブウイリアムスは完全に全日本プロレスリングのレギュラー外国人。 新日本プロレスリングはオマケ参戦。 ハシゴ参戦だった。 そんでスコットノートン初来日のシリーズにスティーブウイリアムスも参加。 ただ試合での絡みは一才なし。 しかし控え室でどうだったのか気になる気になる気になる木。 当時の雑誌にもその事は全く書かれてなかった。 ちなみにこのシリーズでスティーブウイリアムスは全くテレビには登場せず。 全日本プロレスリングのレギュラー外国人だったから配慮か? またこのシリーズ後半にはクラッシャーバンバンビガロも参加。 ここでクラッシャーバンバンビガロ スティーブウイリアムス スコットノートン この三人のメガトントリオがあれば面白かったが、無理だな。 新日本プロレスリングはスコットノートンを温存。 クラッシャーバンバンビガロやビッグバンベイダーとの対決も視野に入れて。 あのまんま新日本プロレスリング⇔全日本プロレスリングの提携が継続されちょれば。 そうしたらスティーブウイリアムスとスコットノートンの対決も見られたかも。 タッグマッチでも。
スティーブウイリアムス 新日本プロレスリング時代 197 140 全日本プロレスリング時代 188 123 二回り近く小型化したスティーブウイリアムス。 今やネタだよな。
結局、全日の後期では186cmまでになったよ。 公式身長が11cm下がったレスラーって他にいないよなw でも、実際会場で見たときには180〜182cmにしか見えなかった。 これはショックだったな・・・ただ、体の厚みは怪物だったよ。 実際、ウィリアムスの最盛期のパワーは最高だった。 それはブッチャーを難なくボディスラムした時でも分かる。 大抵のレスラーだと、そもそもブッチャーをボディスラムできないし、できたとしても腰砕けになる。 あの冷蔵庫型の腹が横に大きい体型は馬場も言っていたように、本当にパワーがある。 サンマルチノ、アニマル、ウィリアムス、ノートンのような体型だな。
>>287 三沢と同じくらいの身長だったから180ちょいぐらいだろうな
>>286 身長はやっちまった感じあるけど、120キロ前後で筋骨隆々だった小橋よりも一回りはぶ厚かったウィリアムスが
123キロってことはなかったろ
少なくとも130キロはあったはず
確かにスティーブウイリアムスが123ってのはおかしいな。 体重逆サバ状態。 スコットノートンが初来日の第一戦では体重170という事を実況の辻よしなりが言っていた。 しかし山本小鉄が『そんなにありません』と。 山本小鉄はスコットノートンを『140くらいです』と断言。 しかし年が空けてからはスコットノートンを『160でこれだけ動けるのは凄い』と。 でも実際にこの当時のスコットノートンは体重140くらいだったと思う。 ビッグバンベイダーやクラッシャーバンバンビガロに合わせて160にしていたのだと思う。 後々のスコットノートンは160ありそうだったが。 あと東京ドームでのスティーブウイリアムスVSスコットノートン。 この時にスティーブウイリアムスは123でスコットノートンは160。 どう見ても体重差で37はなかった。 この時はスティーブウイリアムス130でスコットノートン140くらいか。 スタンハンセンやテリーゴディが135〜140。 二人より身長が低いスティーブウイリアムスはやはり130くらいだったろう。 身長では劣っても厚みでは劣ってもなくて。 スコットノートンも後々はかなり太って160はあったとは思うが。
>>293 まあそっちだわな
小橋は色々と盛ってるわ
ディックマードック タイガージェットシン ブラックジャックマリガン スーパーストロングマシーン 彼等が体重120っておかしいと思った。 どう見ても体重130はあんだろ、と。 ブラックジャックマリガンは体重140の時もあったが、こちらが正解だろう。 キラートーアカマタの体重140はサバ読みだな。 アブドラーザブッチャーより明かに一回りは小さかったし。 キラートーアカマタがタイガージェットシン、上田馬之助と並んだ時は大人と子供だった。 キラートーアカマタがジャイアント馬場と対峙した時ゃ巨人と小人みたいだった。 キラートーアカマタはあってもマックス体重120だろう。
スーパーストロングマシーンだけその中で一回り小さいぞ。
>>295 カマタは最初身長190だったよ。185の木村より低いのにそれはないだろう
と思ったけど。
スーパーストロングマシーン 阿修羅原 冬木弘道 彼等も公式体重120だったが、実際には130あったと思うよ。 阿修羅原はマックス138になったらしいが。 スーパーストロングマシーンも冬木弘道も太っていたし。 それに橋本真也とも変わらなかった。 橋本真也が公式体重135〜140だから彼等も130はあったはず。 あとアブドーラザブッチャーが長年140だったのは笑える。 よくこういうのを見るが。 480パウンド(218キログラム)アブドーラザブッチャー でもアブドーラザブッチャーは200越えていたと思う。 移籍前の全日本プロレスリング時代は140だったのかも知れないけど。
ウィリアムスって、一時期バックドープが面倒になったのか 変なジャブばかり多用するようになって萎えた その後WWFに移るもバートンに殴られて解雇 また出戻ってデカい顔して腹が立ったな
マシンが130あるなら小橋だって120以上あってもおかしくないだろ。
小橋建太は120あったろ。 あの体型は絶対にあったと思う。 130あったかも知れない。 阿修羅原が最盛期138だったらしいし。 まあ重ければいいってもんでもないが。 そうなると川田利明も120あったって事になるか。 冬木弘道が橋本真也と変わらなかったからなあ。 橋本真也が135なら冬木弘道もそんぐらい。 川田利明も120か。 橋本真也を基準値にしたら、だが。 つーか橋本真也は実際に135あったんか? 橋本真也が135なければ他の日本人プロレスラーも変わってくる。 橋本真也と川田利明もあまり変わらなかった感じがしたが。 見た目の大きさがね。 実際に橋本真也が120くらいだったらかなり変わってくる。 そうなれば小橋建太も120ないだろう。 スーパーストロングマシーン、阿修羅原、冬木弘道も130ないわ。 阿修羅原が『最盛期の体重138』は記事にあっただけ。 アニマル浜口のコメントで。
>>300 正確にはあーあーあーあーいぇー♪
なんだぞ
川田は実は105kg以下で全日ではJrの範疇だったんだな。
和田京平が「四天王プロレスFILE」で、 超世代軍のころの三沢、川田、小橋は実際には100キロなかったと言ってた
大森がウィリアムスに勝った時の違和感半端無かったな。こんなんで勝てる物なの?って感じで。
CC準決勝の大森vsウイリアムスで、最後のアックスボンバーの時にウイリアムスの鼻から大粒の鼻水(鼻糞)が飛び出てた
そういやウイリアムス、よくリング上で手鼻かんでたなw 永源のツバよりばっちいと思ってたw
フリーバーズはヘイズが弱そうなのにやたら調子 こいてたイメージ。
子供の頃の感想だとそうなんだけど、今になって試合みたら試合作ってるのがわかる。
言い方悪いが、そういうやられっぷりがいい人もいないと チームとして成立しないってのもあるよねw
マイケルヘイズはテリーゴディに見劣らない大型だったんだよな。 体型や剛毛からタイガージェットシンにも似ていた。 まあマイケルヘイズは明かに日本には合わなかったが。
>>313 添削をしてやる。
マイケル・ヘイズはテリー・ゴディに見劣らない大型だったんだよな。
体型や剛毛からタイガー・ジェット・シンにも似ていた。
まあ(マイケルヘイズは)明かに日本には合わなかったが。
( )のマイケルヘイズは余計。
この語句がないほうが読みやすいだろ?
分かるか?ガラプー(嘲笑)。
そらまあ句読点なしフルネーム書くのが何より生き甲斐だから。
人間魚雷テリーゴディと殺人医師スティーブウイリアムスは確かに凄いタッグチームだった。 でも不沈艦スタンハンセン 超獣ブルーザーブロディの方が凄かったとおもう。 暴走戦士ザロードウォリアーズもタッグチームとしては完成されていた。 皇帝戦士ビッグバンベイダーと超竜スコットノートンのタッグチームも凄かった。 この二人は正式なタッグチームではなかったが。 安定感では皇帝戦士ビッグバンベイダーと入れ墨獣クラッシャーバンバンビガロは良かった。 サイズも酷似しており。 剛の皇帝戦士ビッグバンベイダーと柔の入れ墨獣クラッシャーバンバンビガロ。 人間魚雷テリーゴディと殺人医師スティーブウイリアムスはもっと前の時代なら良かった。 この時代は全日本プロレスリングは日本人対決主流。
大巨人アンドレザジャイアントと超人ハルクホーガンが組めば凄いという意見があった。 でも二人のタッグチームはピンとこなかった。 個々の力量と実績は申し分ないが。 寧ろ(むしろ)不沈艦スタンハンセンと超人ハルクホーガンの方がバランスが取れていた。 不沈艦スタンハンセンと人間魚雷テリーゴディも良かったな。 それ以外でも不沈艦スタンハンセンとはいいタッグチームになったのもいた。 インドの狂虎タイガージェットシン、黒い呪術師アブドーラザブッチャー、狂犬ディックマードック。 単発的だったが、良かったと思う。 地獄の墓堀人ローランドボックとのタッグチームも良かった。 鋼鉄二世テッドデビアスも良かったな。 スタンハンセンは単発的でも本格的でもタッグパートナーに恵まれた。 晩年の皇帝戦士ビッグバンベイダーとのタッグチーム然り。 現役バリバリ時代の不沈艦スタンハンセンが組んだ日本人は金狼上田馬之助くらいか。 あと風雲昇り龍天龍源一郎とも組んだか。 東洋の巨人ジャイアント馬場や怪物ジャンボ鶴田と組んだのは現役バリバリの頃ではなかったし。 ゆくゆくは不沈艦スタンハンセンと燃える闘魂アントニオ猪木が組むと思った。 1990年頃の流れ的にも。
不沈艦スタンハンセンは暴れ馬ロンバスとは唯一インターナショナルタッグタイトルを巻いたんだよな。 超獣ブルーザーブロディや鋼鉄二世テッドデビアスとも巻かなかった。 そん代わり超獣ブルーザーブロディや鋼鉄二世テッドデビアスとは世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝してるが。 人間魚雷テリーゴディとも。 あとは流血怪人アレックススミルノフとも組んでインターナショナルタッグタイトルに挑戦。 でも超獣ブルーザーブロディとインターナショナルタッグタイトル奪取しても良かったが。 反則負けでタイトルを返す事ができる時代だったし。 でも不沈艦スタンハンセンと超獣ブルーザーブロディが組んだら負けられないかんな。 1982年世界最強タッグ決定リーグ戦ではザファンクスに反則負けで優勝を逃した。 あとは蒙古怪人キラーカーンとも組めば良かったと思った。 それと全日本プロレスリングではインドの狂虎タイガージェットシンとは組まなかったな。 金狼上田馬之助とは何度か組んだが。 あと美獣ハーリーレイスとも何度か組んだな。 1990年には入れ墨獣クラッシャーバンバンビガロと組んだ。 その時に人間魚雷テリーゴディ 殺人医師スティーブウイリアムスと対決させたかった。
人間魚雷テリーゴディ ニックネームまで付けてのフルネームになったか。 みんなが嫌がることやるのが好きな人なんだな。
>>321 実生活で誰も構ってくれないんだろ
スルー安定よ
>>319 ファンクスだけニックネームが抜けてる。やり直し。
マイク・デビアスの実子じゃないんだよな まさに氏より育ちか
>>317 >大巨人アンドレザジャイアントと超人ハルクホーガンが
>組めば凄いという意見があった。
まるで組んだことがないような書きぶりだが
アメリカや新日でもタッグを組んで、
猪木&坂口組と対戦し勝っているよ。
知っとるわい。 大巨人アンドレザジャイアントと超人ハルクホーガンは1985年IWGPで組んだな。 燃える闘魂アントニオ猪木 荒鷲坂口征二と対戦。 地方だったからか、放送はされなかった。 週刊プロレスでは大巨人アンドレザジャイアントが何故か大爆笑してる写真が。 確か大巨人アンドレザジャイアントは黄色のトランクスだったな。 でも二人はタッグチームっちゅうイメージはない。 大巨人アンドレザジャイアントは弱小タッグパートナーばかり。 1985年IWGPタッグリーグ戦では流星仮面マスクドスーパースターとのタッグチームで参加予定に。 しかし結果的に大巨人アンドレザジャイアントは不参加に。 でも後々に全日本プロレスリングの世界最強タッグ決定リーグ戦にも参加。 荒馬兄弟ザファンクスや人間魚雷テリーゴディ 殺人医師スティーブウイリアムスとも対戦。 大巨人アンドレザジャイアント44歳の冬だ。 この2年後に亡くなるわけだから正に最晩年。
>>327 ガラプー
>知っとるわい
嘘つけ!www
俺の投稿を見て慌てて
調べたんだろ?
>組めば凄いという意見があった。
どう読んでも、知らないのが見え見え
そうでないなら
おまえ、文章力がゼロだよ!
恥ずかしいよ
小学生だって、もっとましな文章を書くぞ!
バーーーカwwwww
>>327 地方ちゃうわ!横浜文化体育館だろ。
知っとるわいがあきれるな。ホント浅いな。
>>327 猪木が何事か言ったのに反応してアンドレが大笑いしてたな。
ホーガンが困惑してた。TVで観たような記憶もあるんだが。
>>327 おい!ガラプー
そこまで書くなら
IWGPもインターナショナルレスリンググランプリと
ちゃんと表記しろ!
1985年って、なんの歴だ?
世界中には多くの歴があるんだよ!
西暦1985年だろ?
ちゃんと表記せんかい!
もっと言えば
>アンドレザジャイアントが何故か大爆笑
爆笑というのは、「大勢の人が大声で笑う事」であり
一人に対しては使わない。
この場合なら、「アンドレが大笑い」だ!
ハンセンのパートナーといえばスパイビーがなぜか好きw フリーバーズといえばプロレススターウォーズでカブキ、ナガサキのオリエンタルコンビと戦ったなあw
>>333 92年10月の『全日本プロレス創立20周年記念試合』で鶴田&ゴディ&アンドレが実現したよな。
その10年後の02年には3人ともこの世にはいなかった。そして、あの記念試合から約四半世紀が経過してしまった。
あの試合を見て、鶴田&ゴディはスマートでいいコンビだと思ったよ。
ハンセン&天龍vs鶴田&ゴディ・・・天龍の全日本離脱前に一度見てみたかったな。
ホーガンアンドレ組といえば、猪木タイガーマスク組と戦った事があるな
バカモノが! 猪木とタイガーのタッグなんかなかっただろ。 6人タッグならあったが。 アンドレ&ホーガン組は確かに凄い。 でも当時の新日ならこの二人が組んだら相手がいない。 マードック&アドニス マードック&スーパースター アドニス&オートン 日本人なら猪木&坂口か。 全日だとやっぱりハンセン&ブロディになるか。 ホーガンは今でこそ大した事ないとの低評価。 でも当時は高評価だったし。
>>336 タイガーマスク二世の話?
アンドレ、ハンセン組じゃなかったっけ
ウイリアムスのバックドロップって頭から落としてるよね。 あれって下がトランポリンみたいのじゃないとものすごいダメージ だと思うんだが、どのくらいの硬さだったのかね?
>>338 ボケてました、素で間違えたありがとう。
確かにアンドレハンセン組ですな
つべでウィリアムスの バックドロップ集を見たけど 投げ方とかタイミングがバラバラでワロタ プロとしてどうなのよってレベル 相手にケガさせても構わないって 思ってたのかな
>>339 メキシコマット以外は柔らかいとは思うけどな
馳が「新日本のリングは真ん中に支柱が入っているからリング中央が硬い。全日本のリングにはソレが無い分柔らかい」とか言ってたな。
真ん中にバネがあるんじゃなかった? それを固定してガチガチにしたのが後楽園ワンマッチ興行だたような
まぁ馳発言の硬い柔らかいにしろ、レスラー基準だし 実際どの程度の硬さか判らんよな。運動用マット位とか、例えが有れば想像しやすいが
だからバックドロップは一時期封印してたよねウイリアムス。誰かに言われたのかもしれんけど。 マットは柔らかかったら柔らかかったでスタミナが大変そう。
ビッグバンベイダーVSテリーゴディ ハルクホーガンVSブルーザーブロディ キングコングバンディVSジャイアントキマラ ザロードウォリアーズVSビッグバンベイダー ビッグバンベイダーVSスティーブウイリアムス アメリカでも同時代に活躍していたのに対決してないのも珍しい。 日本みたいな団体間の壁がなくてもたまたま同時期に同エリアにならなかったのだろうが。
>>348 調べたら、バンディとキマラは86年11月〜87年8月にWWFで何度も対戦してるようだ。
* WWF @ Landover, MD - Capital Centre - November 22, 1986: Kamala defeated King Kong Bundy
* WWF @ Providence, RI - Civic Center - November 26, 1986: Kamala defeated King Kong Bundy
* WWF @ Springfield, MA - Civic Center - November 27, 1986: Kamala defeated King Kong Bundy
* WWF @ Richfield, OH - November 28, 1986: Kamala defeated King Kong Bundy
* WWF @ East Rutherford, NJ - Meadowlands - December 8, 1986: Kamala pinned King Kong Bundy with a splash at around the 5-minute mark
* WWF @ Milwaukee, WI - Mecca - December 14, 1986: Kamala pinned King Kong Bundy
* WWF @ Montreal, Quebec - Forum - February 6, 1987: King Kong Bundy vs. Kamala
* WWF @ St. Louis, MO - Kiel Auditorium - February 28, 1987: Kamala pinned King Kong Bundy after the 5-minute mark
* WWF @ San Francisco, CA - Cow Palace - March 17, 1987: Kamala fought King Kong Bundy to a double count-out
* WWF @ Tacoma, WA - Tacoma Dome - March 19, 1987: King Kong Bundy defeated Kamala via disqualification
* WWF @ Sacramento, CA - Arco Arena - March 20, 1987: King Kong Bundy fought Kamala to a double count-out
* WWF @ Peterborough, Ontario - July 23, 1987: Kamala defeated King Kong Bundy via count-out
* WWF @ Phoenix, AZ - Veterans Memorial Coliseum - August 23, 1987: King Kong Bundy vs. Kamala
* WWF @ San Diego, CA - Sports Arena - August 24, 1987: King Kong Bundy vs. Kamala
* WWF @ Tucson, AZ - Community Center - August 27, 1987: King Kong Bundy vs. Kamala
http://www.infinitecore.ca/superstar/index.php?a=prnt& ;code=00&f=38&t=78141
おおっ、凄い。 キングコングバンディVSジャイアントキマラは見たかったんよ。 タッグチームでもいい。 二人が同じリングに立つ光景を見たかった。 キングコングバンディとワンマンギャングはあった。 対決ではなく乱入。 ダスティローデスVSキングコングバンディにワンマンギャングが乱入。 キングコングバンディと二人でダスティローデスを袋叩きのシーンがあった。 キングコングバンディ ワンマンギャング ジャイアントキマラのトリオも見たかった。
>>349 でもそういう資料はどうやって検索すんの?
>>351 いや、普通に「King Kong Bundy Kamala」とかで検索したけどw
それで検索できちゃうんだ? でも英語のキングコングバンディの表記 スペル 『King Kong Bundy』 一瞬キングコングブロディにも見えて紛らわしい。 英語っていうかローマ字慣れしてないから。
キマラはカマラだよな? なんでキマラにしたんだ? 発音もスペルもカマラでしないのに
GAORAのインディーアメプロ中継では字幕は「カマラ」になってたな
元はキマラだろ。
> Kamala (originally spelled Kimala)
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Kamala_ (wrestler)
同時期でもKimala,Kamalaが混在してる。
プロモーションによって使い分けしてるようであるけど、同じ
プロモーションでも使い分けしてたりもする。
http://www.cagematch.net/?id=2& ;nr=567&page=4&s=700
俺の記憶では元々名前はジャイアントキマラ 全日にボツワナビーストがジャイアントキマラ2号を名乗り来日 差別化はできてたけどオリジナルキマラが来日しなくなったから2号がジャイアントキマラを名乗りだした辺りでカマラにした流れ
ブッチャーとトリオを結成したね。馬場さんの復帰試合とかw
WWFで誤植でKamaraになったのかな? Mr.Togoが誤植でMr.Pogoになり、あのミスター・ポーゴが誕生したように
>>363 いや、ボツワナビーストがキマラを名乗ったから被らないようにじゃないか?
>>362 おいおい、圧倒的に初代の方がデカイだろ。
>>364 日本のことなんかなんで気にする必要があるんだよ。
>>365 ボツワナが日本だけで活動してると思ってるのか?w
>>366 海外でもキマラ名乗ってると思ってるのか?
米国でも Giant Kimala, Kimala II, は使ってはいるな。
ただ、活動しはじめの時期が本家よりかなり遅いからな。
http://www.cagematch.net/?id=2& ;nr=2487&page=4&s=0
すっかりジャイアントキマラスレッドと化したな。 俺がジャイアントキマラとキングコングバンディの試合を見たかったと書いたのが始まり始まり〜 でも両者の対決の画像でもいいから見たい。 動画があれば尚更見たいな。 YouTubeで両者の試合の動画はないかなあ?
オブライトと組んだ最強タッグでのハンセン・ベイダーとの対戦も見たかった
そういえばキマラとウイリアムスって全日本では一回も当たってないんだよね。 キマラ2のほうとか何回もぶつかっているけれど。
>>373 別にどうでもええわ。夢の対決でもなんでもない。
ゴディと天龍ってどっちがパワーボム先に使い始めたの?
>>もしかしてパワーボムの元祖がゴディ? その名前で使い始めたのはゴディが最初だったと思うが、 テーズが同じような技を使ってた。
アントニオ猪木もザモンスターマン相手にパワーボム。 でもあれはザモンスターマンを持ち上げて落ちた、滑って落ちた説も。 パイルドライバーの体勢で持ち上げて。 本来はパイルドライバーに決めようとした。 しかし猪木も力が入らずにザモンスターマンは頭から落ちた形になったのが正解だろう。 動画見るとザモンスターマンも抵抗していたし。 これが普通のプロレスリングならキレイな形でパイルドライバーになったんだろうが。
おとーちゃん、どうせならザ・モンスターマン・エベレット・エディまで書けよ
ゴディのパワーボムってぶっちゃけショボかったよね…。
>>382 田上を楽々持ち上げたりすごかったぞ
しょぼかったのは殺人魚雷組むまでだな
ファイプロのケリー・ボギーのパワーボムがノートンやベノワがやってたような高々抱えて思いっきり叩きつける形で「ゴディはこんなパワーボムじゃねぇよ…。」と思ったなぁ。
小橋だって楽々持ち上げてたし三沢だってタイガードライバーで田上を持ち上げたりしてたじゃん
ゴディの片膝つくグシャッて感じのパワーボムも味がある ファイプロ初期のパワーボムは高々と上がってなかったと記憶している
>>378-379 てゆーかテーズや猪木が使ってた時はパイルドライバーと言ってたんだよ
バリエーションの一つとして
テーズは危険すぎると思ったそうで後に封印してる
ゴディのは元々高く持ち上げていなかったし、両膝をついて頭から落としていた感じだった。 天龍が高々と持ち上げて叩きつけるイメージをパワーボムに持ち込んだように思う。
テリーゴディは突進力はあっても腕力はそれほどでもなかったらしい。 取り敢えずパワーファイター枠だったが。 基本的に相手を持ち上げるパワーはそれほどでもなかったからパワーボムも高々と持ち上げるやり方ではなく。 スティーブウイリアムスは腕力もあった。 だから相手をリフトアップやら高々と持ち上げたり投げたりと。 ボブバックランドなんかは腕力はあったが、体全体の突進力はなかったり。 スタンハンセンは突進力も腕力もあった。 両方を兼ね添えていたのはスコットノートンやスティーブウイリアムス。 ビッグバンベイダーもか。
>>389 90年くらいからは膝を付かずに普通に落とすようになってたな
パワーボムの元はルー・テーズが使ってたやつだから ゴディみたいに高く持ち上げずに落とすのが本来の形なんだろう。 高く持ち上げるほうが見た目は効きそうだけど、 背中から落ちるから実際には受け身が取りやすくて安全なので そっちが広まったということなんだろう。
場外でゴディのパワーボムを喰らうかどうかが試合の大きな鍵を握っていたのに その5年後にはエプロンから外に落とすようになってんだからエスカレートってのは怖いね
テリーファンクの引退試合が テリーゴディだったのは未だに謎なんだが。
>>393 最初見た時恐ろしいことするなーと思ったけどそこからエスカレートしまくっていったもんな
あそこの花道の床でパワーボムしたときはマジで三沢が死んだかと思ったが
こんなのプロレスじゃないよ!今度はコッチが場外でジャーマン決めてやるよ 実にプロレス的やり取り
>>394 あれはスタンハンセン ブルーザーブロディはどちらも負けさせられないからだろ。
かと言ってテリーファンク引退試合に『反則勝ち』ではこれまた変。
変っちゅうよりそれもできない。
となればスタンハンセンかブルーザーブロディに別のタッグパートナーを付けないと。
テリーファンクっちゅうたらブルーザーブロディよりもスタンハンセン。
だからスタンハンセンは外せない。
そんでテリーゴディにその白羽の矢が向けられた。
何故テリーゴディなのかはわからない。
ジャイアント馬場がアメリカでのテリーゴディとのシングルマッチで手応えを掴んだ。
それで日本に呼んだ。
やっぱりそれしか考えられないな。
テリーゴディならピンフォール取られても商品価値に傷は付かない。
初来日で況してや(ましてや)当時のテリーゴディはまだ22歳。
試合内容によってはピンフォール取られても評価が上がる。
そしてサイズ、体型、風貌がスタンハンセンに酷似しており。
これはたまたまだが、こんなたまたま偶然はあまりない。
それで年齢的にゃスタンハンセンより丁度一回り若い。
※共に丑年
ジャイアント馬場からしたらテリーゴディの存在はもってこいだったはず。
そして当日はブルーザーブロディはジャンボ鶴田とのインターナショナルヘビー級タイトルマッチ。
これも強引にこの日に組んだとしか思えないが。
そんでジャンボ鶴田が奪取。
師匠のテリーファンク引退試合の日にタイトル奪取できた!と。
本来ならスタンハンセン ブルーザーブロディとやるべきだったが。
>>394 ちなみにこのテリーファンク引退試合のスーパーパワーシリーズ。
テリーファンク引退試合から外(さ)れたブルーザーブロディは地方ではテリーファンクとの対戦ばかりだったらしい。
スタンハンセンよりも多くテリーファンクとの試合が組まれた。
何かの記事で読んだ。
当時の試合結果は手元にないから調べる術がないが。
またテリーゴディもテリーファンク引退試合が来日第一戦でもなく。
スタンハンセン ブルーザーブロディ テリーゴディのトリオが放送されたはず。
相手はザファンクス、ジャンボ鶴田かジャイアント馬場、ザファンクス。
しかし当初はテリーゴディの引退試合の相手はアブドーラザブッチャーだった。
テリーファンクが引退宣言した時ゃまだアブドーラザブッチャーとの抗争中。
またテリーファンクはアブドラーザブッチャーに膝をやられ続けたのが引退理由と。
本来の標的はアブドーラザブッチャーだった。
しかしその後はアブドーラザブッチャーは全日本プロレスリングから去った。
新たにスタンハンセンが全日本プロレスリングに登場してテリーファンクの遺恨相手に。
更にテリーファンクが引退宣言した時はブルーザーブロディとの絡みもなかった。
テリーファンク引退宣言から1年ちょいで状況が大きく変わった。
アブドーラザブッチャーからスタンハンセン、ブルーザーブロディ。
全日本プロレスリングも『テリーファンク引退』を客寄せにしていたみたいだけど。
ダイナマイト関西の通天閣だっけ? アレとか、ケビン・ナッシュの投げっぱなしとか好きだったな
>>404 通天閣はスコットホールのレーザーズエッジが原型だな
BTボムとかいうのもあったな
なるほどφ(.. ) ラストライド、ライガーボム、大仁田のはサンダーファイアーだったっけ?w 最近は選手によって呼び方が違うのが思い当たらないな…
バティスタあボムとか火野のファッキンボムとかサイバーコングのサイバーボムとか。
WCWでディーン・マレンコがタイガー・ドライバーやってたが、英語の中継では「パワーボム」って言ってたな。 ゲロはマレンコが開発したのを三沢が貰った、とかほざいていたが。
>>406 ソコで名前並べてるの、厳密には全部違う技
>>399 新潟の六人タッグのセミでは鶴田とレイガンズの貴重試合も
ゴディといえば日米レスリングサミットのホーガンの相手だったけとハンセンに変更された
ゴディは息子がレイ・ゴディとしてノア出てたけど、ウィリアムスは息子いないのかな?
>>413 ホーガンに負けるのが嫌で辞退したんだっけ
いくら負けブックだからと言っても、スタジアム会場のメイン辞退せんだろうと思うんだけどな、充分名誉でギャラもたんまりだろ。
>>415 実際はゴディがメインじゃ知名度的にドームでは弱いから、ハンセンでテコ入れしたと見てるんだが、
それを前に指摘したらものすごい勢いでキレた奴がいたな。
俺もゴディじゃカードが弱いからだと思う。 ゴディがホーガンに負けるの嫌とか無いだろ。 トップ中のトップじゃないか。 まぁブロディなら拒否るんだろうがw
>>415 そんな情報どこで仕入れたんだよ。
そんなわけあるかい。
まあでもハンセンが負けるのはいやだからゴディのままでよかったけどな
>>412 86年頃のゴディだな。この時期のゴディは145kg近くあったと思う。
当時、アニマルからも「腹の肉がはみだしてるぞw」とからかわれていたよw
やはりこの体重は膝に負担がかかって、88年に両膝の手術をすることになったな。
それからどんどんウェートダウンして、91年以降は120kgくらいになってた。
当時の週プロでも「ゴディ、また痩せたんじゃない?」とか書かれていたよ。
多分、ドラッグで内臓を悪くしたのも、この時期のウェートダウンにはあったと思う。
>>414 現在、24歳になるウィンダム・ウィリアムスという息子がいるよ。
03年に出版された『プロレス異人伝 来日外国人レスラー・グラフィティ』でウィリアムスのインタビュー
があって一緒の写真が掲載されている。
どんどんパンツがブカブカになるゴディは見てられなかった
>>422 それどころは晩年は尿たれながしだからな
試合も足元がおぼつかなかったな
>>424 ウソくさい話だな。
ホーガン対ゴディで決まりかけた…って、
正式に決まって発表されてただろ。
ハンセンに変わったのは試合の三日前くらいだったろう。
大体ターザンは金のためならポリシーも曲げる男だから全然信用できん。まあ、今回のは単に耄碌しただけかもしれんが。
表向きは、ホーガンが来日直前でU・ウォリアーに負けて王座陥落 ゴディが「ノンタイトルじゃ意味がない」と言って、拒否という流れだったね。 実際はテコ入れだろうが、ハンセンへの変更が直前すぎて、プロレス雑誌には間に合わず、 スポーツ新聞を読んでないファンは後で驚いてた。
ゴーディにしてもウイリアムスにしても40代で逝去 この二人だけでなく、アメプロレスラーはみんな50まで生きるのも難しい状況だよな・・・ WCWワールドワイドに出てたレスラーでもうこの世に亡いレスラーを挙げてみると ランディ・サベージ、クリス・ベノワ、エディ・ゲレロ、リック・ルード、ブライアン・ピルマン、パブリック・エネミー、ビッグ・ブーバー ブライアン・アダムス、バンバン・ビガロ、マイク・アッサム、クロサワ、ブライアン・ピルマン、デイビー・ボーイ・スミス、パブリック・エネミーの二人・・・ えらいこっちゃで 日本人も早死にレスラーはおるけど、だいたいは40、50代でも現役バリバリだったりしてるもんな。 ステロイド、ドラッグの蔓延は恐ろしいわ。
>>430 全く時代が違うだろ
その頃のゴディはポンコツで使い道ないし
>>429 釣りだろ
サベージ、グラジはステロイド、ドラッグ関係ないしな
寂しいフルネームじじいはスルーが1番
>>431 >全く時代が違うだろ
ドームから6~7年しか経ってないだろ。ゴディはまだ35、6歳。
ドラッグ漬けになったのは本人の責任だしな。
ゴディもドラッグなの?酒の飲み過ぎとかじゃないのか?一日日本酒を2升飲んでたと聞いた。
>>434 正確に言うと「ドラッグとアルコールの過剰摂取」だね。
ドラッグをアルコールで摂取するという一番やってはいけない方法が日常だった。これでは体を壊さない方がおかしい。
90年7月(全日本でのシリーズ中)と93年8月(来日時の成田空港で)に2回、意識不明の重体になっているけど、
どちらもそれが理由だった。
一年後の94年7月に特別参加で復帰したが、素行に改善が見られず結局、馬場から解雇を告げられた。
むしろ2回もクスリでぶっ倒れてるのにまだチャンスをもらえたというところに ゴディへの評価の高さが分かる でも素行不良は駄目だね〜・・・
ゴディを後継者と認めていたハンセンも著書で残念がっていた
ハンセンも認めていたのか、本当に残念だな 世代交代を見たかった
>>425 自宅らしい。
> Terry Gordy was found dead on Monday morning by his girlfriend in his home in Chattanooga, Tennessee at age 40.
http://www.pwbts.com/columns/b071801.html >>415 馬場さんが、ホーガン−ハンセンの新日出同士で
メインは張らせたくなくてゴディを指名したが、
興行重視で渋々ハンセンに変更したと聞いたが。
まあ、どれが本当かもうわからんね。
ハンセンがビッグブーツ→レッグドロップで沈んでたら衝撃受けたろうな、俺w
あの半端なアックスボンバーで取られたのも悔しかったわ、カウント3直後にキックアウトはしてたけど ただホーガンはデカくてハンセンに見劣りしなかったな
殺人魚雷全盛期の頃はテーマ曲勇士の叫びのウォーウォウォウォーウォーの部分を客が大合唱してたよね。
ゴディのデビュー年頃の動画見たが既にスーパーヘビーの体格だったな。
>>447 ハンセンがデビュー当時のゴディを「体の大きなテディベア」と言っていたが、その通りだなw
何せ1974年3月に12歳でデビューしてるから、ハンセン、ブロディとキャリアだけ見ればそんなに変わらない。
20歳の頃にはすでにトップの貫禄があったよ。
wiki見たら1977年にテリー・メッカのリングネームでデビューって 書いてあるんだが・・・ だとしたら当時16歳で、俺が見たのもその頃のアーニー・ラッド戦だったわ。 記憶では14歳くらいでデビューしてたような気もするが、12歳ってのは さすがに早過ぎないか?
>>449 http://www.infinitecore.ca/superstar/index.php?threadid=60037 1974
Independent:
with Eddie Griffin as The Masked Scavengers
03/09 Lakeview, GA Buddy Atlas & the Sleeper Expert vs. The The Scavengers(Terry Gordy & Eddie Griffin)
上の資料によると、1974年3月9日にジョージア州のインディ団体でマスクマンの「ザ・スカベンジャー」としてデビューとなっているけどな。
ゴディは1961年4月23日生まれだから、デビュー時は12歳ということになる。
>>450 そのページだとアーニー・ラッド戦は1975年になってるな。
ダウンロード&関連動画>> @YouTube;t=311s
の動画の紹介に16歳とある。
情報の錯綜があるようだ。
彼らはホーガンハンセンブロディの域には全然達しなかったな この2人にノートン辺りも加えて何が足りなかったのかな
カントリーミュージック風のフリーバーズのテーマって 誰かの曲を使用したの? それともフリーバーズ専用?
ドクターデスのドクターは、アマチュア時代ドーピングするのが上手かったから比喩としてドクターと呼ばれてたとか。
ハンセンはゴディに地下鉄を乗りこなせるようになれとすすめていた。 「日本人のビジネスマンなら手を上げればタクシーが停まってくれるが、 ゴディが手を上げても停まらずに行ってしまう。おそらく 体が大きい妙な外国人と関わりたくないと思ったのだろう」 リング外でも色々面倒を見ていただけに私生活が乱れて 若くして亡くなったのは残念に思っていたようだ。
ゴディの、ハンセンを越えたいという気持ちはファイトから伝わってきた ちょうど三沢鶴田のように
ウィリアムスが亡くなって今日で7周年か…。 3年前の同じ日に亡くなった大瀧詠一とダブるな。
27年前の1990年1月の週プロがあったから超久々に目にした。 ウイリアムスの全日移籍のニュースが一面に出ている。 ゴディとのコンビはハンセン ブロディを超える!とも書いてある。 懐かしい。
>>457 タクシーに乗りたがるゴディに「なぜ160円で移動できるのにタクシーを使うんだ?」と地下鉄を勧めたんだろ
ダウンロード&関連動画>> @YouTube WCWのフリーバーズのテーマ
テリー・ヘイズ・ガービンの順に加入?したことを
歌ってるようだが、誰か歌詞聞き取れる人いないかな?
ゴディの生涯最期の試合が亡くなる半年前のIWA横浜文化体育館大会だったなあ。 自分も観戦してたが、試合前グッズ売り場で椅子に座っていた。 試合は全盛期に程遠い内容だったが。
照ノ富士を見るたびにゴディを思い出す俺。 共通点が多い両者なのである。 ・恵まれたサイズ・パワー ・小技の類も上手い ・悪童タイプの性格 ・大の酒好き ・膝の大怪我をしたことがある
ウィリアムズがイグナショフに殺られた時に、ゴディならば…と思った
テリゴとスティウィはスタハとブルブを超えられなかった。 ダニス、ジョニエのレベル。
殺人魚雷 SDD でも三沢大ブレイク直後という時期も悪かった。 jこの二人が全日で初合体した直後に三沢のマスク脱ぎ。
時期が悪かったね。 ウィリアムスはもっと活躍ってか評価高くてもよかった、 最初はハンセンやゴディと同格扱いでスタート。 しかしいつの間にか二人の後を追う立場になってもうた。
>>473 間逆じゃね?
ハンセンの衰えとゴディの戦線離脱によって、上で使われた。
本来の実力より過剰評価された印象。
ウイリアムスはノートンと組めばよかったと思う。 全日には移籍せず新日に残って。 同タイプだし、ノートンも更に伸びたのでは?
>>475 どっちも下手糞だったからだめでしょ。
ウィリアムスは試合巧者のゴディが上手くリードしてくれたから良かった。
テリゴは若い頃からプロレ入ってたから上手かったな。 年齢は違ってもスタハやブルブとキャリアは変わらない。 スタハとテリゴはちょうど12年違って干支が一緒の丑年。
馬場さんのゴディのこと高く評価してたな 逆にウィリアムスには体が硬いだの受け身が下手だの辛口ばかりだった
ブロディが新日に移る際、ゴディをハンセンに紹介して、 自分の後釜に勧めたって話があったな ゴディもたま〜にキングコングニー使ってたし ウィリアムスは、せっかくバックドロップでブレークしたのに 一時期、ジャブ(足音で効果音)ばかり出す奴に成り下がってたよな
馬場がゴディのパワーボムでフォールされた時子供心に衝撃だったが 今思うと評価していたんだな
ウィリアムスもダイビングショルダーかなんかで馬場からピン取ったことあったな 最強タッグの馬場ハンセンvsウィリアムスエースの公式戦かな
>>482 荒いままだったら、駄目だっただろ。
ゴディと組ませたことで全日では上手くいった。
新日では、後から来たビガロ、ベイダーに抜かれて三番手外人になってたからな。
そういや入場曲、全日デビュー戦のvs鶴田・高野組の時はキッスの曲じゃなかったな。 アップテンポの曲だった。いつの間にかあの曲になったが本人達の希望だったのか?
三沢小橋は、三沢がゴディで、小橋がウィリアムという感じだった
スティウィはプロレ能が足らなかったのでは? シンニプロレではバンベーやバンビガの次の位置付けで。 スコノーとはタイプや体型も似ていた。 スティウィとスコノーをもっと絡ませたら面白かっただろう。 バンベー、バンビガ × スティウィ、スコノー テリゴ、スティウィ × バンベー、スコノー こういうタグマ92年頃に見たかったなあ。
よっ、テリゴ、スティウィでシンニプロレに上がっても良かったな。 バンベー、バンビガやバンベー、スコノーとの試合。 ムトケー、チョノマやハシモとテリゴとの試合もおもろそう。
頭のおかしいのが一人で変な略し方連呼してるだけ 本人だけは面白いし流行ると思ってるみたいだね
面白いこと言ってそうだけど 読むのが苦痛で飛ばしてしまうという悲しさ
通ぶって読みにくい略語を連発する無能チョンのオナニー
ゴディは生きてたらまだ56歳かそこらだからほんと惜しいよな。 あれだけの選手でも死因が酒とステロイドっていうのはあまりにもお粗末というか、まあゴディの時代 の選手はステロイドに汚染されて短命が多いからな。
あの不器用なウィリアムスをあそこまで上手く使った当時の全日は優秀だな
>>497 酒とドラッグで早死にするロックミュージシャンに通じるものがあるな。
しかし、ロッカーはそれで神格化されるのにゴディにはお粗末とかあんまりだw
>>499 ステロイドはドラックではないし、いわゆるドーピングだからそれに依存した選手は
神格化される事なんてないよ。
テリゴ スティウィ対バンベー バンビガは見たかった。 テリゴ スティウィ対バンベー スコノーでもいい。
>>505 バンビガおじいい加減死ね
お前知ったかしてるけど
テゴィとスブィスのサギョイが
ゼチでチョダンのミハとカシに負けだした頃
メカのダシルに上がって
シチでは無敗だったスイラズに圧勝してんの知ってるのかよ?
スイラズって言えばシチでハンやらハンの片割れのハロシがムウイと組んで挑んでも敵わなかったし、
お前が好きなクバロとビバダーが組んでも倒せなかったんだぜ
バンビガおじこれ解読出来ないなら二度と書き込むなよ
自己満で変な略し方して喜んでんのお前だけだしお前の話自体つまんないんだよ
お前よそのスレでこんなん書かれて外のスレに逃げてんなよw
あの世で ゴーディ&ウィリアムス vs 鶴田&三沢 レフェリー ジョー樋口 きっとやってるよ。
器用貧乏で柔らかいゴディと不器用で硬いウィリアムスを組ませたのが絶妙だった
>>506 お前知ったかしてるけど
テリゴとスティウィのサツギョコンビが
ゼンニプロレでチョセダグンのミサミツとカワトシに負けだした頃
アメリのダブシに上がって
シンニプロレでは無敗だった(リクス、スコス)スタイ兄弟に圧勝してんの知ってるのかよ?
スタイ兄弟って言えばシンニプロレでハセヒロ、ケンスや片割れのハセヒロがムトケーと
組んでも敵わなかったし、
お前が好きなバンビガとバンベーが組んでも倒せなかったんだぜ
>>510 ゴディとウイリアムスの最強人間魚雷コンビが
全日で超世代軍の三沢光晴と川田利明に負け出した頃
アメリカのWCWに上がって
新日では無敗だったスタイナーズに圧勝してんの知ってるかよ?
スタイナーズって新日で橋本真也や橋本真也の片割れの馳浩が武藤敬司と組んで
挑んでも倒せなかったし、
お前が好きなビガロとベイダーが組んでも倒せなかったんだぜ
訳すとこれでオケ?
散々逃げといてカンニングかよw
マジでバンビガおじ死ね
スパイビ、エース、パトリオット、オブライトは何故全日トップ外人になれなかったのか? [無断転載禁止]©2ch.net
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1472734559/ の≫910辺りから見ろ
テリゴは13歳でデビューってプロフにあった。 ただ最初は本格的なプロレ興行ではなくサーカスみたいなイベントで、と。 当時のテリゴは身長は変わらずだったが、体重は100以下で細かったって。
ゴディはカーニバルレスラー時期を含めたら ハンセンやブロディとキャリアは変わらない。 年齢的には一回りは違ったけれども。
>>519 逆にスパイビーは年齢いってるのにキャリアは長くなかったな
ダニスはプロレ入りが遅かったかんな。 意外にもバンベイやスコノーも遅かったのだよ。
実際にスパイビーは30超えてプロレス入りしたらしい。
ダウンロード&関連動画>> @YouTube これだろ?
猪木にスパインバスターって
それほどドクが悪くないんじゃね?
普通に投げて、カバーに行ってるだけじゃん
【プロレスラーの格闘技戦績 】 石澤常光1-5-1 曙太郎1-13 安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5 トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4 船木誠勝0-3 佐藤綾子0-3 前川久美子0-3
谷津嘉章0-3 ハンス・ナイマン0-3 冨宅飛駈0-2-1 中山香里0-2 中森華子0-2 石川雄規0-2 ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
井上京子0-1 アステカ0-1-1 ブラザーヤッシー0-1 ストーカー市川0-1 水波綾0-1 鳥巣朱美0-1 クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1 スティーブ・ウィリアムス0-1
ジェイク・リー0-0-1 前田日明0-0 【通算2-129-8勝率1%】
>>524 決定的なのが、アクシデントに対する対応なんだろうね
【プロレスラーの格闘技戦績 】 石澤常光1-5-1 曙太郎1-13 安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5 トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4 船木誠勝0-3 佐藤綾子0-3 前川久美子0-3
谷津嘉章0-3 ハンス・ナイマン0-3 冨宅飛駈0-2-1 中山香里0-2 中森華子0-2 石川雄規0-2 ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
井上京子0-1 アステカ0-1-1 ブラザーヤッシー0-1 ストーカー市川0-1 水波綾0-1 鳥巣朱美0-1 クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1 スティーブ・ウィリアムス0-1
ジェイク・リー0-0-1 前田日明0-0 【通算2-129-8勝率1%】
>>524 これよりも、アレンと組んだときに、猪木に放ったバックドロップが危ない
KYというか、相手の技量を考えない
藤原も欠場させられたからな
【プロレスラーの格闘技戦績 】 曙太郎1-13 安生洋二0-7-2
トム・ハワード0-7
高田延彦0-6-2
張替美佳0-5 トニー・ホルム0-4
太刀光0-4
佐野巧真0-4
高山善廣0-4 船木誠勝0-3 佐藤綾子0-3 前川久美子0-3
谷津嘉章0-3 ハンス・ナイマン0-3 冨宅飛駈0-2-1 スティーブ・ネルソン0-2 中山香里0-2 中森華子0-2 石川雄規0-2 ダビド・ハハレイシビリ0-2
中西学0-2
タカ・クノウ0-2
真霜拳號0-2
KAZE0-2
レイディー・タパ0-2
中野龍雄0-2
松永弘光0-2
小原道由0-2
永田裕志0-2
井上京子0-1 アステカ0-1-1 ブラザーヤッシー0-1 ストーカー市川0-1 水波綾0-1 鳥巣朱美0-1 クリストファー・ヘイズマン0-1
ニック・ミチェル0-1
キッド・キャッシュ0-1
アーロン・アギレラ0-1
藤田豊成0-1
ネイサン・ジョーンズ0-1
TAKAみちのく0-1
日高郁人0-1
マンモス佐々木0-1
矢野啓太0-1
矢野通0-1
田中翔0-1
カト・クン・リー0-1
ブラソ・デ・プラタ0-1
ゼウス0-1
エル・ソラール0-1
CMパンク0-1
佐山 聡0-1
獣神サンダー・ライガー0-1
バン・バン・ビガロ0-1 スティーブ・ウィリアムス0-1
ジェイク・リー0-0-1 【通算1-126-7勝率0.007%】
ウイリアムスとハンセンは全日行ってもらったほうが 良かっただろうな
ウィリアムスは全日のイメージあったけど 新日いたのは意外だった
新日でUともやってるよ 当時は前田が恐れて逃げたとまで言われた 相手に合わせて、技の度合いを考えることができないクラッシャー
最強コンビに数えられるよね。 その昔、深夜の時に、ハンセン、エース組を相手にしてる時に、御大G馬場が、 あまりのエースの不甲斐なさに、エースを酷評してたのが忘れなれないよ。 週プロで、斎藤文彦がコラムでとり上げてたよ。 つべであの試合UPされてないかな。。。
前田はも相手を選んで蹴ってたからなあw マードックやウイリアムスには遠慮気味だったw
>>536 ウイリアムスにヒョイヒョイ持ち上げられてたもんな、前田
ハンセン、ゴディと比べるとやや小さいウイリアムスだけど
新日だとやたらデカく見える不思議
ウイリアムスやボックは踏ん張らずに力まずに相手を簡単に持ち上げてたよな
>>536 >>537 日本人を相手にした時と比べると、外人相手だと明らかに緩めの蹴り方だったね
でも当時の前田の、キューバン・アサシンやポーゴらB級外人相手の「はいはいわかりました、お仕事しますよ〜」って感じのテンプレ試合、けっこう好きだわw
試合開始、威嚇の空振りキックにビビってレフェリーにクレームつける外人
↓
ロープワークにちょっとお付き合い、組みあいから転がして関節技や絞め技、外人悲鳴
↓
場外戦を混じえてのラフファイトでちょっと劣勢
↓
キック連打で逆転(でも頭や顔にはあまり入れない)
↓
フライングニールキックでピン(日本人相手と違って、チキンウイングフェースロック等の関節技ではあまり決めない)
概ねこんな感じだったハズ
>>539 そんな前田がベストバウト取れたのはやっぱり藤波さんが美味かったって事?
>>540 M高橋は自著で「レフェリーである私の機転で、2人とも起きるな!と囁いた」とか言ってましたな。
ウィリアムスは橋本ともシングルでやったけど、力を誇示するような戦い方だったよな。 蹴り打ってもあの鋼のような身体だからビクともしない。 ああいうことするとプロレスとはいえ力の差が客にはわかっちゃうからね。 トレードとはいえ全日への手土産にあんな試合やったのだろうか?
ハンセン以上に次の手が読めないからな 新日じゃ相手にできる日本人も居ねえし、持て余すだけだもんな
前田とウイリアムスのシングルがあったんだな 凡戦というか、なんというか
俺の顔面蹴れるもんなら蹴ってみろ って挑発してたからね。 前田も藤原もダメなら、他のUだって敵うわけがない。
ナガサキは前田のフロントスープレックスを簡単に押しつぶしてみせたっけな
>>542 >>543
ああいう外人に空気読ませるためには金出すしかない
馬場の外人マネーで全日じゃ空気読んだんだろう
>>542 橋本とノートンの試合でもそれをもろに感じた。
岩石みたいなノートンに橋本が敵うわけないと。
ベイダーハンセン組とバカみたいにぶつかりあうのが見たかったな
ウィリアムスは新日初登場のシングルで猪木を失神させたの有名だけど、そのあとのアレンと組んで 猪木藤波コンビとやった試合でも、藤波に大きく抱え上げたうえにジャンプして決めるバックドロップやって 受け身上手な藤波が頭から落下してすごい危なかった すぐ逃げたけどあの藤波が後頭部を手で押さえて たもんな 全日いってからはあまりミスが目立たなかった感じだけど、それでも三沢と菊池のコンビとの試合で 菊池に大ダメージ与えてしまって三沢が菊池をかかえてリング下に下ろしたことがあった このあと三沢が ウィリアムズ捕まえて直下式のタイガードライバー決めてたけどアレは制裁だな いまからおもえばこんな危険 なレスラーを全日はよく長い間使ったよな 武藤体制になってから出されたけど当然だわ
テリゴとバンベイの対決を見たかった。 テリゴとバンビガはゼンニプロレでもアメリマットでも実現。 でもテリゴとバンベイは対決しておらず。 意外にも接点がなかったか。
バンベイろテリゴ、スコノーとテリゴは見たかった。 バンベイとスティウィも全盛期の頃に見たかった。 スティウィとスコノーも同じく。
ウィリアムスは殺人バックドロップよりもブレンバスターのときに 相手のパンツをおもいきり上に引っ張り上げる独特の上げ方 するのが危険だった。1度藤波のチンポが見えそうになって心配した
スティウィは本当の壊し屋だかんな。 シンニプロレでもゼンニプロレでも前科ありすぎ。 テリゴはそういうのは聞かなかったな。 まあテリゴの場合はリング外での不摂生が問題視されてた。 そう考えるとスタハはまともだったのがわかる。 ブルブみたいな団体や個人のトラブルもなかったし。
たまにウイリアムスをウイリアムズと書いてるやついるけど何でなんだ
ゴディ&ウィリアム対ベイダー&ビガロ 90年〜92年頃なら実現可能だったのでは? 新日と全日の外人頂上対決になったのに。 この時代なら4人は全盛期だから見応えもあった。 ゴディ&ウィリアム対ビガロ&スミスが組まれた時にスミスがベイダーならと。
猪木を失神させたのも今から考えると、そのままウィリアムスのフォール勝ちにしときゃあ 「猪木を秒殺した男」として1年でも2年でも遺恨試合で引っ張れたのに。 いつになく珍しく、空気読んで咄嗟に引き上げたウィリアムス。
>>560 WCWで殺人魚雷がスタイナーズとやったの初戦が92年の春頃だっけ?
再戦が夏で新日でベイダービガロがスタイナーズとやったのが9月か
・・・実現してたらベイダービガロが攻めまくるもビガロが一発で逆転負けってとこかな
>>562 空気読んだんじゃなくてブック守っただけだろw
新日もそんな理由でウイリアムスを売り出す気持ちはなかっただろう。 これなら猪木の商品価値が下がる。 ウイリアムスも初来日?で信用あったわけではない。 『猪木を秒殺した男』として売り出しても来日しなくなる可能性もあるし。 ベイダーの時は二転三転してやむを得ずだからね。 本来は猪木は長州とシングルだったから。 でもたけし軍団が登場して結果的にカード変更もシナリオ通りだと思う。 たまたま猪木の予想に反して?観客は異常な拒絶反応。 それが暴動に繋がったのは誤算だったはず。 まあベイダーは最初に猪木フォールの男の称号は得(られ)た。 しかし話を戻すとウイリアムスはあの場面で勝っても後々は厳しかっただろう。 猪木が完全KOにならなかたのは不幸中の幸い。 あれで猪木が起き上がれなければウイリアムスの勝ちにせざるを得なかった。
ゴディー派か、ゴーディ派か ウイリアムス派か、ウィリアムス派か この差は週プロ派か、ゴング派かと同じだろうな
>>567 マシン、マシーン
べノイ、ベンワー
殺人魚雷、SDD
色々あるけどゴングのは定着しないな
鶴田 藤波 長州 天龍 格闘頂点 これは語呂合わせ的にも良かったと思う。 武藤 三沢 橋本 船木 刀光真誠 これは全くダメで0点だったな。 定着以前の問題で。
>>566 ミスター高橋の手が静止した可能性もあるぞ。
ウィリアムスは基本シングルプレイヤーだけど、それをシングルタッグ両方上手いゴディと組ませて ブレイクさせた全日は凄いな このふたりはアメリカで抗争してたことがあるけどそれだけに気心知れて たんだろうが ウィリアムスは90年代初頭に全日新日を交互に行き来して試合してたけど、この流れで新日でSDDが 観たかったのは俺だけじゃないだろう SDD vs 武藤蝶野 SDD vs 馳健 SDD vs ベイダービガロ とか、夢のカードがいくらでも想像できたもんな
>>28 当時の鶴龍は同格ではなかった。
鶴田>天龍と。
でもコンビ解散して戦いの中で鶴田=天龍になっていった。
ゴディとマードックって何か似とるな。 二人とも大きくて器用。 マードックも赤ん坊の頃から大きくて怪童だったらしいし。 ただ日本では二人は全く接点がない。 アメリカではどうだったのか?
スタハ テリゴ スティウィ ダニス VS バンベイ バンビガ スコノー トニホー この8人タグマを見たかった。
ジョニー・エースがこの二人に、どれだけ負けたかな? 御大が、夜中プロレスで解説して、エースの事を酷評してたのが忘れられないよ。
>>577 エースは擁護できんぐらい塩だからな
世渡りは一流だったけど
確かに世渡りは一流だよね。人柄は良いんだろうな。w 御大は、初来日の頃は期待かけたんだよね。
>>577 90年8月〜93年7月まで丸3年間、ハンセン&エースvsゴディ&ウィリアムスが数えきれないくらい組まれたけど、
馬場は一度もハンセン組に勝たせなかったな。
92年1月からエースはハンセンの正パートナーに格上げされたが、それでも92年最強タッグの引き分けが精いっぱいだった。
まあ、いくらハンセンと組んでいても、タッグチームの技量で見たら仕方ないだろうな。
当時の雑誌でゴディ&ウィリアムスも「ハンセンもタッグなら別に怖くない」と完全にエースが舐められていたし。
>御大が、夜中プロレスで解説して、エースの事を酷評してたのが忘れられないよ。
93年9月にハンセンがパートナーとしてエースに見切りを付け、デビアスが復帰したんだけど、
馬場が解説でデビアスを褒めまくって最後に「いやエースと比べた場合ですよ」と言っていたな。
まあ、彼は早めに背広組に転向して正解だったと思う。そっち向きだろう。
ジョニエは仕方ないか。 ありゃセンスなし。 そこそこでは使えたけどトップとしては使えない。 正パートナーにされたスタハが気の毒だった。 ジョニエが足を引っ張るのは目に見えてた。 特にタイマやサイキョタグリでは。
>>580 92年の最強タッグは得点的にはあの二チームがメインであるべきだったんだよな
それをしなかったのは秋山の売り出しと共にエースへの信頼が低かったためかな
エースの良いところって頭から落とす技をやらない所だったのに末期はジョニースパイクとかコブラクラッチとかやってたのが残念だわ しかもコブラクラッチはクロファットが元祖でパクっただけだし
>>582 92年の最強タッグで30分時間切れに終わったとき
ブーイングが飛んでいたんだよね。
田上&秋山では三沢&川田に勝てないと
分かってメイン前に愁傷チームが決まってのことだけど。
せめてどちらかのチームが勝って優勝決定戦でも
すればよかったけど、それだと2試合組むことになって大変だから
できなかったのか。
>>586 珍しくターザンが巻末の編集後記で小さい扱いだけど批判してたね。
観客動員が絶好調だから気が緩んだ的な事書いてた。
ケーフェイに触れてる文章だった記憶もw
ジョニエは体がどんどん劣化してったからね。 若い頃から。 体のショボさはジョニエかタウアか。 また二人とも身長があったから尚更勿体なかった。 タウアはあの体でもパワーはあったって話だが。 でもジョニエはそういう話は聞かない。 ゼンジョプロレのデビマとデキていたんだよな。
昔、ビルロビンソンがナックルパンチ多用したシリーズ最後に全日離れたけど ウィリアムスもナックルパンチ増え始めたら全日離れた記憶あるんだけど。
ゴディ&ウィリアムスも小橋の実力は認めてただろうね。
>>586 もし順番が逆だったら同じ結果でもどんな反応だったんだろうな
実際ではとにかく秋山がどれだけやれるかに注目が集まってた感じだったが
>>582 当時の最強タッグは最終戦メインのカードでだいたい優勝チームが分かってしまったな。
88年 ハンセン&ゴディ
89年 ハンセン&天龍
90年 ゴディ&ウィリアムス
91年 ゴディ&ウィリアムス
92年最強タッグは外国人チーム(天龍も立場的に)が4年連優勝した後で、
馬場としても鶴田欠場で、時代の流れで三沢&川田を優勝させることは絶対だったんだろうな。
結局、2000年の団体分裂後にウィリアムス&ロトンドのバーシティ・クラブまで
8年連続で日本人チームが優勝。まさに日本人の「倍返し」だったなw
説得力のある外国人チームがいなくなったのもあるが。
98年のハンセン&ベイダーは、ハンセンがあと5,6歳若かったら優勝できたかもしれないが。
小橋が三沢と並ぶエースに成長して、 川田、田上は三沢、小橋より完全に格下になった感じだった
分裂後最初の最強タッグでバーシティクラブ優勝ブックを書いたのは誰だ 順当に川田渕の残留コンビの優勝かと思ってたから驚いた
>>595 何となく優勝インタビューでの通訳していたウォーリー山口のような気がする。
カワトシはコバケンに抜かれてたな。 ミサミツ、コバケン、カワトシと序列が。 タウアは完全にこの三人のうしろを。
新日でジョバーやらされてたマイケルウォールストリートが日本で日の目を浴びて良かった
600だが、テリゴ スティウィとバンベイ バンビガの対決を見たかった。
やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい(現在スレが荒されてますので、テンプレと87の連絡先さえ確認して頂ければokです)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
http://2chb.net/r/bouhan/1516500769/1-87 >>600 バンビガがテリゴのラリアットでフォール負けだな
>>566 たけし軍団が出てきてカード変更はシナリオ通りだよ。
でも、猪木対長州をやったのは、会場の不穏な空気を察知した長州のアドリブだろ。
2試合目の猪木を倒しても、ベイダーの株は大して上がらないから、結局誰も得しない興業だったな。
バンビガがゼンニプロレ上がった時。 デビスと組んでテリゴ、スティウィと対戦してんだよな。 あとスタハとも組んでミサミツとも対戦。 続いてバンベイ、更にはスコノーもゼンニプロレ上がると期待した。 シンニプロレ⇔ゼンニプロレの交流が91年まで続けばなあ。 スティウィは90年はシンニプロレ⇔ゼンニプロレと梯子参戦の一年。 この年はアメリより日本にいた期間が多かったって後の雑誌インタで語ってた。
>>605 そいつにカマッテはダメ!
それが「個性」だと思っているんだから。
>>606 こんなところでしか
個性出せないとは悲しいな。
個性というより迷惑だかな。
全力疾走の入場からロープワークそしてハイタッチ・・・この流れが好きだった。 あとテーマ曲が鳴った時のおーおーおーおー!大合唱あれもよかった。
テリゴのフリバ時代のテーマも良かった。 89サイキョタグリまではあのテーマだった。 ビルアと組んで出場。 90年にスティウィと組んでからテーマ変わって。
>>608 残念ながらあれはおーおーおーおーおーじゃなくうぉーうぉーうぉーうぉーいぇーなんだよ
>>609 だから読みづらいんだよ、
自己満足やめてくれないか。
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ゼンニプロレ外人四天王 スタハ テリゴ スティウィ ダニス シンニプロレ外人四天王 バンベイ バンビガ スコノ トニホ
『真夜中のハーリー&レイス』のポッドキャストを聞いていたら、ゲストの百田光雄がこう言っている。 「テリー・ゴディが酒と安定剤を一緒に飲んで体を壊したのは、彼が活躍していた頃に大卒レスラーが増えてきて、 小卒13歳でプロレス入りしたゴディがコンプレックスを持っていたのが理由だった」 この視点はなかった。百田の個人的見解らしいけど、ゴディがこんな悩みで酒とドラッグ漬けになっていたとは。 確かに、ハンセン、ブロディ、デビアス、ウィリアムス、スパイビー、スタイナー兄弟などゴディがトップの時代、 身近なレスラーは大学出身(卒業したかは「?」もいるが)が多かった。 大卒レスラー仲間の連中から小馬鹿にされるようなこともあったのかな、ゴディ。 ゴディの三大プロモーターだった馬場、フリッツ、ビル・ワットはそんなことで差別はないと思うが。
>>615 大学体育会ともなると多少スポーツエリート要素はあるから、カーニバルレスラーがコンプレックス抱くのも分からないでもない
>>609 ゴディの追悼セレモニーで両方使ったんだよな
後楽園でのフリーバーズとなるとやはり馬場・鶴田のインタータッグに挑戦した試合を思い出す
昭和新日スレでウイリアムス話になってるが、スレ違いになってるのでこちらに。 ウイリアムスとベイダーは90年にやって欲しかった。 ウイリアムスが新日に上がってるあいだに。 ノートンとは93年前後に。
>>615 でもウイリアムスが一緒に飲んでる時も酒をチャンポンしてたらしいから元から無茶な飲み方する感じだったんだろうな
ゴディの戦線離脱とデビアス復活が入れ替わりになっちゃったから、ハンセン・デビアス組と殺人魚雷コンビの激突は実現しなかったんだね
ゴディとデビアスの絡みだと上手い者同士で凡戦になるなって印象
>>621 この二人の対戦となるとゴディがカーンとのコンビで最強タッグに初参加した86年大会だけか
>>621 デビアスがあと1年、いや半年早く全日本に復帰してくれてればな。これは本当に残念だった。
デビアスも「ゴディとジャンボはいつ復帰するんだ?」と気にかけていたな。
>>622 上手いからこそ2人とも 『ハンセンのベストパートナー』と言われたんだろうね。
>>624 全日本だとそうなのかな。
ミッド・サウス地区だとデビアス&ウィリアムスvsゴディ&ヘイズが大受けだった。
何年か前に週プロでやったハンセンの特集によると意外とハンセンからの評価が低かったんだよな それこそバスの方が上だったって ちなみに日本でのベストパートナーはゴディでブロディは別格とか
>>626 ハンセン&ゴディは良かったよね。
ゴディが初来日した時も、いきなり鶴龍コンビやファンクスと対戦があったけどコンビネーションがピッタリだった。
馬場もその時の解説で「ハンセンは以前から『ゴディを日本にいつか連れて行く』と言っていた。そういう点でも2人はいい仲なんですよ」
と言っていたな。ずっとジョージアではライバル関係だったしね。
ハンセン&ゴディが解消してゴディが独立した時「ゴディはハンセンがいなくて大丈夫なのかな?」と真っ先に思った。
それくらい『ハンセンのパートナー・弟分』の印象が強かったから。
デビアスは意外とそうなのかな。外から見るとこれ以上ないベストパートナーに思えたけど。
ジョー樋口も著書の中で「ハンセンとデビアスは試合後、意見が合わないことが多かった。この2人は合わないんだなと思った」
と書いてあったから意外だった。
ハンセンはスパイビーもパートナーとしては高く評価しているんだよな。
バスもそうだけど、ああいいうガツガツ攻める自分に似たタイプがパートナーとしてはやり易いらしい。
ハンセンの歴代パートナー詳しい方ざっと挙げてください
ゴディが凶器入りサポーター付けてラリアットでハンセンに勝った試合あったけど何か変な試合だったよな
>>629 新日時代のベストパートナーはホーガンだね。
《新日時代》
ホーガン
マードック
シン
ブッチャー
ボック
ホーガンとマードックはMSGタッグのパートナー。
あとは単発での夢の同格タッグ。
《全日時代》
ブロディ
上田
バス
デビアス
ゴディ
天龍
スパイビー
エース
オブライト
馬場
ベイダー
大森
ダンカンJR
全日時代は主に最強タッグのパートナー。
バスはインタータッグ奪取時のパートナー。
上田は単発だが、気心知れた仲だからいいコンビだと思った。
ハンセンの様々なパートナーでそれなりに良かったのを厳選。
>>631 それかな
何かウィリアムスが乱入したりアメプロみたいな展開だった
>>632 それに追加するなら
新日時代の1977年9月に
ザ・ハングマン(ネイル・グアイ)と組んで
北米タッグに挑戦しているね。
全日でワンマッチなら
アンドレとも組んだし
1990年9月30日、後楽園
対G・馬場&ブッチャー
>>632 全日時代のパートナーに
大森を入れるなら
川田も入れなくては。
>>634 取り敢えず自分が見てきた範囲内で厳選したのでね。
スミルノフとも組んでインタータッグ挑戦してる。
ハンセンが組んだ日本人は上田、天龍、馬場、大森、鶴田、川田、田上
三沢や小橋も6人タッグでは組んだかな。
他の日本人も。
でも90年代後半はお祭り的だし。
シン、ブッチャー、ボックみたいな緊張感はなかった。
新日時代にはローデスとも組んだが、仲間割れ。
6人タッグではアンドレとも組んだり。
全日でのハンセンのベストパートナーはゴディかデビアスかな。
バスとのインタータッグは獲得・転落も含めて王者姿がテレビに出なかったのが残念
殺人医スティーブ・ウィリアムスに 殺人バックドロップを仕込んだのはオレだー!
ドクターデスのドクターは 医者と言う意味ではないよ。 みっともないから、それを言わんほうが良いぞ。
>>641 「殺人学の博士=専門家」みたいなこと?
>>642 英語においてドクターとは○○のプロや○○屋といったような意味
殺し屋って感じだね
ウィリアムスのニックネームは映画「13日の金曜日」からきてる
らしいけど一般的には
>Dr. Death
>ドクター・デス 病人に安楽死をもたらす医師
https://eow.alc.co.jp/search?q=Dr.+Death ジャック・ケヴォーキアン(Jack Kevorkian)って医師のニックネームが
"Dr. Death"で、deathにはそもそも殺人の意味はないけど、この医師が
行った自殺幇助が殺人罪で告訴されたから「殺人医師」みたいな言い方
するんじゃないの。
「13日の金曜日」は1980年の映画だからニックネームの由来とは 無関係だな。単に顔に付けたプロテクターから後付けで言われてる だけみたい。 シニアハイスクールの頃から言われてるみたいだから、⬆の Wikipediaにあるホラー映画の「Madhouse」が元かもしれない けどよくわからない。
日本ではやはり初来日でいきなり猪木を失神させた印象が大きいか
>>181 菅谷アナ、オリンピックのパシュートの実況で全国区になりましたね。
>>222 毒蛇が牙を剥いた!!って実況されてたな。エースのコブラクラッチスープレックス。
>>393 流石に田上が三沢にマット剥がして断崖式の喉輪をやろうとしたときは引いたわ。
実況の福澤も頭蓋骨骨折だ!とか、三沢の選手生命が断たれかねないとか、大袈裟な実況で煽っていたのもあるけど。
ふと思ったのだが、件の日大アメフト騒動 病院送りにしたあの日タックルは 広い意味でドクターデスと言えるのだろうか いや、ウィリアムスは正々堂々とやってただろうけどね
ウィリアムスは、1998年頃に全日本離脱してWWF移籍したのによく全日本に戻ってこれたね
ビッグジョンノード、ジョニーガン、ブライアンコステロ 同時期に初来日したが、誰も定着しなかった。
>>653 戻ってきたときには塩分増えすぎてたからいらなかった
ジョニー・ガンは膝にごっついサポーター巻いてたからなあ。
ジャイバ ジャンツ×テリゴ、スティウィの四人全員が故人だな。 当日マスクを脱いで歴史的な出来事を作ったミサミツまでも故人。
>>628 その年の最強タッグでのアーウィンはなかなかに頑張った印象
>>658 三沢がマスク抜いた時の相手の冬木も故人。
全日時代のハンセンのパートナーといったら スーパーメディコは忘れちゃいけないと思うんだ
90年の春頃か殺人魚雷コンビとブッチャー、レンジャー・ロス組のTV中継見たが、ブッチャーの毒針エルボーでウィリアムスが負けそうになった事があるな
>>671 レンジャーロスは勿体ない
なんで一回の来日で終わったのか
>>672 レンジャーロスは確かに勿体なかった。
もっと来日したら人気も出ただろうし使えた。
馬場の16文に倒れなかったとか。
倒れてもすぐに起きたんだっけ?
それが原因で馬場から干されて呼ばれなかったというのは本当かな。
新日でTNTと組ませても面白そう。
共にキックが得意だし。
それともレンジャーロス自体が実は本格的なレスラー活動してなかったのかな?
同じシリーズに初来日したマークスカルパも勿体ない。 こちらもジュニアで使えたと思う。 まだ90年で20そこそこで若かったはず。
ハンセンのパートナーにトムジンクも忘れないでくれ あの時のジンクはエースより微妙に格上だった
エースは売り出されてどんどん上にいった。 でも本当の期待には応えられず。
コールされた時に勢いよく思い切り拳を挙げるゴディの姿が思い浮かぶ。
ウイリアムスがK1で試合したとき日テレでの放送だったのでウイリアムスの入場シーンだけ見るとまるで往年の全日本プロレスだった覚えがある。アナウンサーもプロレス班からだったし。
>>682 実況は平川だった。
日テレでウィリアムスのあのテーマ曲が久しぶりに流れたのが個人的に嬉しかった。
WCWでやったらしいスタイナーズvs殺人魚雷コンビ見たかったなあ
昔デート中にテリーゴディのテーマが流れて別の意味でたぎってしまった。女にうつつを抜かしてる場合でないと。
ゴディのフリーバードは良かった。 ウイリアムスと組んでからは二人同じテーマに。 ゴディはシングルんときはフリーバードにして欲しかった。
>>689 お前はとっとと一秒でも早くこの世から跡形もなく消滅しろ、と命令してんだろ。
691報いだが、
>>689 お前はスレ荒らしの報いで早く逝け(命令!)。
ゴディの甥っ子で6人タッグとかになると良く登場してたスリンガーは大成しなかったか
ゴディが新日なら大成しなかっただろうな。 アメリカの実績はあったから前評判は高く宣伝されただろうが。 バンディみたいになったかも。 まあ全日初来日と同じく83年夏に新日なら維新全盛。 外人が疎かにされていた時期だった。 バンディ初来日の85年1月は維新はいなかったが。 いずれにせよゴディは全日だからこそ大成できたと思う。 ウイリアムスは最初はダメだった。 だが新日で大成しそうになった時期に全日へ。 ハシゴ参戦でも重点は全日。 ウイリアムスも全日の方が合っていたのだろう。
>>694 お前のしょうもない想像なんて誰も聞きたくないw
ウイリアムス&エースのコンビ名が殺人狼だったけど 逆の暴走医師でもよかったのかも。
698
>>689 の包茎チンポの皮を 剥くわ だが、
ウイリアムスとエースはアンバランスだったな。
>>684 youtubeで上がってるの何試合か見たことあるけど
日本みたいにはクリーン決着にはならず
意外なフィニッシュで終わっちゃってた印象
バーシティクラブ対ロードウォリアーズとかの方が
新鮮で面白かったかも
そういえば今日はバーシティクラブの最強タッグ優勝日
>>697 「人間魚雷」と「殺人医師」が合体して
「殺人魚雷」になったわけだが
もし「人間医師」だったら普通じゃん、というネタがあったな
殺人魚雷だって、当たり前。 魚雷は、殺人のためにあるんだ。
>>95 エースは全日本分裂時に引退だっけ。
元子と三沢の両者に面子が立つな。
プロレスラーとしての自分の限界を感じていたのか、欲や野心が無さそう。
最後の方のエースはもう全くやる気ないの丸出しだったからなぁ 地方じゃ田上より手抜いてたし バートガンとちょろっと世界タッグ取ったりもしたけどあくまでノーフィアーの繋ぎだったの丸出しだったし チャンスもあんまり貰えてなかったな
>>694 柔らかいゴディと硬いウィリアムスを組ませた事でようやくバランスが取れた感じなんだよな
それによってゴディもようやく大成できた感じだったし
馬場アンドレに負けた時は「金返せ!」と思った。 なんで脂がのってる殺人魚雷が、動けない馬場アンドレに負けるんだ?俺は騙されないぞ! しかもゴディがランニングネックブリーカーで取られてる。 馬場全然飛んでないし
>>710 実際のところ会場の盛り上がりってどうだったのかな?
テレビとかでは盛り上がっていたように思えたけど、金返せって思ったのが
少なからずいたってことだね。
>>710 故仲田氏の本ではあの試合について言及していた。
『あれはやりすぎだ』って書いてあった。
仰る通り全盛期バリバリの二人とと動けない二人。
それを馬場に勝たせたら白ける。
でも春に馬場はこの二人にフォール取らせてる。
さすがに馬場は二連敗はできなかったみたいで。
かと言ってアンドレを負けさせる訳にもいかない。
30分時間切れだとグダグダになる。
それで已む無くゴディをフォールという選択肢。
仲田氏も『あれはやりすぎ』と言ってたくらいだし。
あの試合は中継では大盛り上がりに見えたが。
でも会場はそうでもなかったんだね。
ウィリアムスじゃなくてゴディだもんなぁ せめてウィリアムスから勝てば良かったのに
ウイリアムスはテッド・デビアスとのコンビを日本で見たかった。
>>714 デビアス&ウィリアムスはバランスのとれたいいチームだった。
デビアスは85年4月〜87年7月まで2年3ヶ月、全日本でハンセンのパートナーを務めた。
で、ほぼピッタリ同時期にビル・ワットのミッド・サウス地区ではずっとずっとウィリアムスのパートナーだったよな。
全日本ではハンセンのアシストに徹し、ミッド・サウス地区ではウィリアムスのリーダー役。
ワットはウィリアムスのオクラホマ大学の先輩で、ウィリアムスをプロレス界に入れた人物。
そこでデビアスをウィリアムスの"教育係"に指名し、コンビとして売り出した。
ウィリアムスはデビアスのことを「オレのコーチのような男さ」と言っていたな。
85年はヒールのチームだったけど、86年からはベビーに転向。
マードック&M・スーパースター2号(ケリー・キニスキー)、フリーバーズ等と抗争し、ドル箱チームとなる。
日本でも見てみたかったけど、全日本ではハンセン&デビアス、ゴディ&ウィリアムスで固定されていたから難しかったな。
この両チームの対戦を期待したが、ゴディが欠場し始めた翌月にデビアスが全日本に復帰してちょうどすれ違いになってしまった。
デビアスもその2か月後、首の故障でレスラーとしては引退してしまった。
717無いな、だが、 デビアスはタッグもシングルも両方上手かったんだな。 しかし日本では大人しそうな表情で損してた。 日本人なら平田や谷津みたいに表情で損するタイプ。 でもミリオンダラーになってからは大成功。
718(お前らに良心なんか)無いわ、だが、 デビアスとスティーブンリーガルの試合を見たかったな。
719NIKEだが、 ゴディとベイダーの試合を見たかったな。
>>713 5月にゴディに背中やられて戦闘不能で
やむなくピン許したからね。
あれはどう考えてもブック変更だろうから
ゴディから取って穴埋めということだろ。
721何ぃ〜
>>720 コンニャローォッだが、
90年代前半の夢のタッグ対決
ゴディ、ウイリアムスVSベイダー、ビガロ
>>722 あの時アクシデントがなかったら
どんな結末予定だったんだろう?
馬場、鶴田vsゴディ、ウィリアムス
やっぱり鶴田がウィリアムスを…かな?
724何よ、だが、
>>723 お前はセンズリ派?それともオナニー派?
自慰を形容する時の話だ。
俺はセンズリだな。
725何語?だが、
>>723 お前はチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。
>>723 馬場組が勝って大円団だろうけどフォール取るのは中盤捕まってた鶴田だったんだろうな
ウィリアムスは喧嘩をやらせたら強かっただろうが、レスラーとしては二流。 強さを誇示することだけにこだわり、観客が何を求めているか全く読めないレスラー。 ゴディは逆でプロレスは巧いが花の全くないレスラー。 いくら強くてもこんなコンビに人気がでるわけがない。
730(荒らしは止め)なされ、だが、 後楽園ホールって1階会場だとずっと勘違いされてきた。
734奈美代だが、 二人はベイダー、ビガロ、ノートンと比べたらキャラは薄かった。
ゴング表記だろ。 スーパー・デンジャラス・デュオ ゴング誌以外では、 読売テレビの山本純也アナウンサーが1度だけ使っていた記憶がある。 93年の新春ジャイアントシリーズの大阪大会のゴディ・ウィリアムスーハンセン・エースで使用
ウィリアムスが時間と空気を読んで、スピーディーにオクラホマスタンピート決めているのに、ジョーのカウントが…
740梨ぜ、だが、 ハンセン・ブロディ 《超獣コンビ》 《ミラクルパワーコンビ》 ゴディ・ウイリアムス 《殺人魚雷コンビ》 《SDD》
>>739 あれゴング鳴らさなければ良かったのにな
段取りがよくわからんわ
SDDって日本限定の呼び名だったね。WCWに上がった時SDDコールも 起きなかったし。
>>741 あれは厳密に言うと時間切れ引き分けだよな
殺人魚雷は、全盛期は強すぎてヒール的な扱いだったが、素晴らしいチームだったことは間違いない。 90年代の全日本プロレスの外国人タッグで、同列に語れるチームはおそらくない。 強いて言えば、ハンセン・デビアスだが、80年代からのチームだし ウィリアムス・ベイダーは、最強外国人がくっついただけのペアで、殺人魚雷のような、タッグチームとは違う。 アジア戦線には、カンナムや仮面愛国コンビ、ファンタスティックスなどのthe・タッグチームはあるが
ECWで、イリミネーターズと抗争したりしてたよな。 ちなみにECWではサブゥー&バンダムとカンナムエキスプレスの抗争も行われていた。
>>745 イリミネーターズは全盛期だからゴディも体調良ければなあと思いながら見てたわ
1人だけついていけてなかったもんな
テッドデビアスがNo. 1やろ。 ブロディも認めている。
殺人医師 人間魚雷 殺人魚雷二人組 人間医師二人組
意外とハンセン自身としてパートナーとしてのデビアスの評価は低い 週プロ特集での証言によると別格がブロディでベストはゴディにバスが続くという感じらしい
ベイダー・ウィリアムス=殺人皇帝コンビ おー、怖っ
殺人医師、超竜、殺人超竜組、期待。 双方 岩石体、圧倒的腕力。
SDD ニューミラクルパワーコンビよりは 殺人魚雷コンビのがしっくりとくるわな
すっかり落ちぶれてからのゴディをIWA JAPANで観たことがあるけど 観なければよかったと思うぐらいの別人になっていた
新日東京導夢大会 語出 宇井利亜蒸 対 米蛇 能屯、実現希望也。 新日 全日、友好関係継続場合、実現可能性大、当時。 米蛇 美我呂組 魅力的二人組。 併、米蛇 能屯組 又、魅力的也。 米蛇 語出、未対決、接点皆無、日米双方。
>>759 結局、アルコールが止められなかったからね。
ハンセンとバースの友達のバースデーパーティに出かけ、その女性の頭にビールをかけたなんてこともあった。
酒が入ると、バーで暴れて何度もジョー樋口が頭を下げに行った。
ニキタ・コロフの日本でのゴディとの一件を語る。
ダウンロード&関連動画>> @YouTube 87年ジャイアント・シリーズ
ニキタとゴディはバー2階プライベートルームで飲んでいた。
酒の入ったゴディが消火器をまき散らして、窓の外に放り投げたり、他にも色々やらかした。
その後、サイレンも鳴る中、バーを出てホテルに帰った。
翌朝7:00、自分の部屋でノックの音を聞いたが、いないふりをして出なかった。
試合会場に着くと、
ジョー樋口「ニキタ、話がある。昨日の夜、まずいことしてくれたな。テリー・ゴディと2人でバーを壊しただろ!?」
ニキタ「私は飲まなかったし、バーを壊してもいない。テリーをバーから出して、ホテルに帰ったよ。酷い状態になる前にね。」
ジョー樋口「弁償代を半分払ってくれ。」
ニキタ「いや、払わない。」
結局、払わなかったが、これが全日本の心証を悪くしてしまって、二度と呼んでもらうことはなかったよ。
でも、ゴディはその後も数え切れないほど全日本に呼ばれた。まったくおかしな話だ。
IWAとかあの頃は糞尿たれても気が付かない状態だったと言われてるよね 痛み止めとか精神薬も服用しながら強い酒ばっか呑んでて 心臓病持ちだったんだっけか?
米蛇 対 語出 米蛇 対 宇井利亜蒸(九十年代前半) 能屯 対 語出 能屯 対 宇井利亜蒸(九十年代前半〜中盤) 其々 夢対決也。 美我呂場合、語出 宇井利亜蒸 其々対戦済。 語出 対 美我呂、米国対決実現。 全日、札幌大会 四人試合、実現。 語出 宇井利亜蒸 対 美我呂 墨酢。 又、同時期 美我呂 対 宇井利亜蒸、新日 両国大会、実現。
ゴディもあんな落ちぶれて最後の方は悲しかったけど Iジャで追悼やってもらった時にマイケル・ヘイズからの メッセージが届いたのは何か少しうれしかったな でもレスラー達の早死にとか晩年は廃人みたいになったとか 聞くとやっぱりクスリって怖いなと思うわ
エクスキューショナーとかいうキャラやってたよな WWEで
反戦 風呂出 対 語出 宇井利亜蒸 語出 宇井利亜蒸 対 米蛇 能屯
全日本での追悼セレモニーでは入場時にフリーバーズの曲を使ってたな 当然に木原のセンスだったんだろうが
語出 兵図 対 魚利亜図、対決希望。 兵図 身体大、大型選手。魚利亜図相手、対格的、否見劣。
>>772 糞馬鹿野郎、武道館大会、生卵投犯人野郎。
↓↓↓
[***]P お前名無しだろ (ワッチョイ e2b7-86aj)[] 2019/**/**(*) **:**:**.** ID:*********
かなり昔だけど
全日武道館大会ではよく生卵投げたな。
セミやメインになると照明が暗くなって会場が大歓声になるじゃんか。
入場テーマが鳴るとお祭り騒ぎ。
そういうときに生卵をよく投げたもんだよ。
何度も投げたね。
持参した生卵が袋の中で割れたアクシデントもあったりしてね(苦笑)
そのうち武道館は生卵投げに行ってるようになってさ(笑)
そしたら何と雑誌の片隅にそれが掲載されたんだよね。
「悪質ファンの生卵投げ事件」みたいに。
利口な俺様はさすがにマズイと思って止めた。
バカな奴は続けるんだよ。
俺はそんなバカじゃないし。
ま、いい思い出だからさ。
>>773 バンビガおじさん昔みたいに戻ってよ
受け狙いの寒い呼び方と浅い知識での語りで叩かれてたけど、当時のガイジンレスラーへの愛を感じて俺は嫌いじゃなかった
今はしょっぱい受け狙いだけの痛いヤツになってるからさ
語出 宇井利亜蒸 対 米蛇 能屯 語出 宇井利亜蒸 対 反戦 武呂出
ハンセン ディートン組で ハンセンを徹底的に狙い撃ちして、フォール奪ったときは憎たらしかったな
反戦 語出 対 武呂出 酢糠、倉持発言。 『大先輩、武呂出相手、語出 否遠慮』 武呂出 語出、年齢差有、十五歳、只 風呂令酢入門時期、大体同時期。
コノフタリモゼンニチデハ3ネンモクンデタンダナ。 イガイニモリョウシャノタイケツモアリ。 シカシボンセンデタイシタシアイデハナカッタ。
ういりあむす、のーとん、こういうたいぷはぷろれすがへただな。 あいてをこわすという。 のーとんはろこつなてかげんがわかってしまうし。 こわさないようにやってるのがまるわかり。 ういりあむすもそういうとこあったな。
ごでぃはくらまえのりんぐにとうじょうしたことあるんだよな。
バンビガおじさんカタカナ止めてひらがなになったのなんで?
漢字キャラでは読むのもアホらしいので誰も相手にしてくれなかったけど ひらがなにしたらごく一部レス返すバカとかが出てきたからしてやったりみたい 相変わらず殺すだの火をつけに行くだのキチガイ丸出しだけどね
やっぱりハンセン&スパイビーとの外人四天王対決が代表
ハンセン ゴディ ウイリアムス スパイビー ベイダー ビガロ ノートン ホーム 全日新日でこの八人の絡みの対決見たかったなあ
そういえば全日にビガロが上がった時、ゴディ・ウィリアムスvsビガロ・スミスというカードが組まれてたね
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