年代別のスレが機能してないんで、こちらでまとめて話そう
79闘魂シリーズにダスティローデスが新日に初登場したわけだが、その時の猪木とのシングル初戦の札幌中島ではなく、小樽の再戦の方。
実況で古舘が「新日本はあのキングコング・ブロディ(ブルーザー・ブロディとは言って無いが)との契約が成立したとの情報があります!!」と絶叫していた。
もし、ブロディが正式に新日本と契約してたら、80新春黄金シリーズあたりでハンセン&ブロディ組が実現していた事になる。でも結局、ブロディは全日本に残留して80新春ジャイアントシリーズに来日した。
ハンセンとブロディを別のシリーズのエースにして、MSGタッグも優勝争いを混沌とさせるために
別チームだったかもしれないじゃないか。
今日テレ朝チャンネルでドームを見てた連中は
昭和のプロレス中継の雰囲気を少しは味わえたことだろう
結果的には、ハンセン80新春黄金・ブロディ80新春ジャイアントに来日となったが、同時期に来日した両者の対談記事を「ゴング」誌が掲載したはず。
この対談記事は2年後にハンセンが全日本に移籍し、超獣コンビ結成された時再びクローズアップされた。
>>5
ごきげんよう、さようならっ!
って言わないかなと期待しながら観てた abemaで95.1.4ドーム見てた
懐かしいのと今見ても面白いので23:00から最後まで見てしまったw
シン親子、スタイナーブラザース、サブー、そして猪木がヨボヨボだ
解説席には北斗晶、メインは当然古舘
昭和50年代、金曜夜8時にテレ朝にチャンネル合わせると猪木がファイティングポーズを取るOPが
必ず見れたので、その辺の愛着はあるな。全日や国際は放送時間の変更が頻繁にあったので
見忘れとかもあってw、ちょとなじみが薄かったと思う消防時代。
オープニング直前の、公共広告機構のCMでクスリに溺れるおかんの隣で泣き叫んでる子供のやつがトラウマ
昭和の新日本は1981年が最高だ!
佐山タイガーデビュー
ブッチャー参戦
最後の猪木vsシン
最後の猪木vsハンセン
ローラン・ボック参戦
国際プロレス軍団参戦
ジ・アウトローズ結成
猪木最後の全盛時!
>>15
キラー・カーン凱旋
ジ・エンフォーサー参戦
タイガー戸口参戦
谷津国内デビュー >>16
アンドレvsハンセン田コロ決戦
マードック参戦 戸締り用心火の用心〜♪
って笹川良一の一日一善のCMもワープロ前に流れてたっけ
ペヤング焼そばのCM知ってる??
85年頃だけど
柔道着を来たグループが
嬉しそうに焼きそば食べてるけど、
BGMがひとつもないんだよね・・・・
あと昭和末期のころ
なで肩マッチョマンが出ていたやつ。
トレーニングマシーンのCM
「みんな何か運動しようと思ってるんだけど
ジムへ行ったりジョギングしたりするのは
おっくうらしいね・・・」
と棒読みの台詞が笑えた・・・・
>>21
遠藤光男のやつかな?「「これなら、安いモンでしょう。」 >>21「これなら、安いモンでしょう。」
そうです。
でも遠藤さんではなかったような・・ 80年代大ブレイク以前のメインスポンサーは小松製作所だったな。
リング四方のエプロンの垂れ幕?の「小松フォークリフト」がおなじみだった。
おれはBVDのTシャツを脱ぎそうで脱がない金髪おねーさんのCMしか覚えてない
>>28
ありがとうございます。
当時週プロの読者のネタにされてました。
しかしぺヤング焼そばのCMは粗末
BGMや音楽が流れないんだもん
昔のスポンサーは
アートネイチャー、トヨタとか豪華だったのに
80年半ばからスポンサーの質が
落ちたね。 アロンアルファのCM
蓄音機で割れたレコードが甦った
これね
油膜のギラギラ危険です♪
ほーらクリンビュー♪
安全よ♪
ねえ 本筋の話で
80年MSGシリーズとMSGタッグの面子が凄いんだけど
リアルで見てないんですね自分は
そんなに凄い大会だったの!?
>>36
古今見渡して、結果的に80年MSGタッグリーグが外人メンツが一番豪華だったな。
アンドレ、ハンセン、ホーガン、バックランド、シン&上田、終盤ではさらにローデスも
含めて一堂に会したんだからな。ただなぜかアンドレは奮わず、ハンセン、バックランド、猪木の
三すくみが前面に出てたと思う。翌年3月、76年のサンマルチノの首折で本場MSGから遠ざかってたハンセンが
再上陸してボブの王座に挑戦する伏線もあの大会で匂わしてたと(個人的に)思う・・。 昭和55年まではカセットテープで音だけ録音して、
翌日は土曜の半日授業だから、学校帰って家で昼飯食ってから
部屋で横になりながら実況だけ聞いてるのが楽しかった。
家にビデオが来たのは昭和56年からだった。
当時はビデオテープも、まだ高かった。
>>38
凄い面子ですね。
ただ 猪木 バックランドvsアンドレ ハングマンの
公式戦がノーテレビになってのは
アメリカのプロレス界からの圧力が
かかったからって本当ですか?
ついでにこの大会CSで放送されたのは
優勝戦だけ。
公式戦もCSで放送するか
DVD化してほしい! 80年のMSGシリーズの
メンバーもいいですね。
猪木
坂口
藤波
アンドレ
ハンセン
ローデス
特参で
バックランド
ホーガン
これなら後に行なわれる
IWGPリーグ戦より
はるかにいい!
>>31
1979〜80年頃なw その後、21時から東京12チャンネルで金曜スペシャルw 金髪ヌードw Gスピリッツ
佐藤昭雄
「鶴田戦は、長州が20分過ぎたら息があがってしまって試合を作れなくなった」
元日テレプロデューサー 原 章
「ジャンボのレスリングは上手で綺麗で、強すぎて相手がいなかった
んですよね。本当に強かった。ナチュラルな強さがあったから。
長州と大阪城ホールで60分やったけど、長州はゼーゼー言っちゃって
立てないんだもん。ジャンボはその長州が立ってくるのを
待ってるんだから。それだけの差があったんですよ。」
新日本の面白い時代
81>82>80=83
84年から面子が落ちるな・・・
多くのシリーズにピート・ロバーツかスティーブ・ライトかマーチン・ジョーンズが入っている安心感🎶
身体能力はジョージの方が凄かったはずなのに
プロレスのセンスは武藤の方が優れていた http://ameblo.jp/jum...try-12205744566.html
タイガー戸口
「あそこの試合の仕方は瞬発力のレスリングだから。パパッとやってリング下を回ったり
して休んでから、またパパッと動いて、首4の字なんかで休む。俺らがやっているアメリカ
ンスタイルみたいに、小技をコツコツと順に積み上げていって、最後にバーンとフィニッ
シュへもっていくやり方とは違うからさ。そりゃ全然リズムが合わないよ。もうダメだと
自分でも思ったよ(苦笑)。まあ、利用されたって感じだよ。俺の立場を悪くして、"全日
本の連中はこんな程度の技術しかないのか。俺達の方が上"っていうのを見せつけたかった
わけ。俺を新日本で活かそうということは一切考えていない。それは新日本に行ってすぐ
にわかったもん」 新日本は日本人抗争になってから
おかしくなったよ
やはり基本は日本人vs外人
猪木vsハンセンがドル箱カードだったように
82年以降
ブッチャーは飼い殺し
バックランド ローデスの参戦も
少なくなった
ついでにブラボーやボブオートンあたりを
もっと生かせなかったのか?
>>50
昭和新日は猪木だけが絶対猪木だけがカッコいい団体だったから
いまさら日本人対外人にしようったって他の日本人の格が低すぎる
ジュニアア上がりの小さい藤波を
ローデスやバックランドに勝たせるわけにはいかなかった
坂口&長州の北米タッグも猪木が目立つための露払いにさせられた あの時期マードック、ブラボー、アドニス、オートン、スーパースターとか、
猪木には勝たせられないけど、藤波にはサイズが大きいみたいな格の外人が多かったな。
糖尿もあって体調良くなかった猪木が、外人勢の魅力引き出す試合難しくなってきたのもあるんだろうけど、
前田の格上げ急ごうとしたのも今となってはよく分かるというか。
U系のスレで、小鉄がクーデターの首謀者みたいに言われてるけど、
毎週毎週、古館といっしょにこれでもかってくらい猪木贔屓の解説をしてた小鉄が、
そんなことを画策してたとも、それが失敗したとも、
小学生としてはまったく信じられなかった。
猪木との確執はやはり無理矢理に引退させられたためか
やっぱり裏側知らない子供時代、藤波もクーデター側だったのには驚いた
82年のMSGタッグの
アドニス ブラボー組は何だったのか・・
アドニス オートン 組で良かった
マードックのパートナーはローデスで
ついでにブッチャー アレン 組も参戦してほしかった
81年と82年に!
アンドレ、ハンセン、ホーガンのスーパーヘビー級三人の居並ぶ姿と
髭が印象的なオックス・ベーカーが慎ましやかで笑った 84年はオートンの復帰もあってマンハッタンコンビの復活に期待したが
82年以降の藤波の立ち居地も微妙だったよな。
ジュニア時代はハンセンやシンに完敗しても「ジュニアだから」と逃げ道が
あったから評価は落ちないどころか「小さい身体でスーパーヘビーの超
大物にぶつかっていく」と評価されていた。
が、ヘビー級に転向(正確には佐山タイガーにジュニア王者の座を追われて
仕方なく)してからは誰以下に勝って誰以上に負ければいいのか、難しい
選択肢に追われていたと思う。
ナンバー2の坂口がハンセンやシンに5分でピン負けしていたから、
余計藤波の立ち居地が難しくなった。だから長州革命は渡りに船だった。
新日が対外人路線やめて同門対決路線に変更していったのは
WWFの権利がマクマホンシニアからジュニアに移動して
来日参戦させるギャラをふっかけてきたから
WWFインタヘビーのカードが
藤波vs長州ばかりなのは
もったいない!!
長州vsアドニスなど組んでほしかった!
藤波vs長州 以外で
実現したのは
82年 藤波vsスーパースター
84年 藤波vsオートン
85年 藤波vsスヌーカ
くらいしか思い浮かばない
>>61
木村健吾、K・カーン、A・アドニス、カネック、S・S・マシンが挑戦している。 >>61
藤波VS健吾(82年)もあるぞ。
後は藤波VSカネック(84年)か。 >>22
焼そば売りの親父 「もう一丁いく〜?」
柔道グループ 「ウッス!」
の奴? 行列で北村晴男弁護士も長州対藤波戦は見てたと言ってたな。
>>65
そう そうだよ
ありがとう!
しかし音楽 BGMがないCMは
寂しいなあ 第一回MSGシリーズはある意味その名に相応しい外人が顔を揃えてるな。
バロンシクルナ、チーフジェイストロンボー、トニーガレアらはWWWF世界タッグ王者だった。
ニコリボルコフもモンゴルズとしてNY地区インター(US?)タッグ王者だった。
でも殆どTVには出なかったw
84年頃からファンになったので、トニー・ガレアやサルバトーレ・ベロモを見たかった。
どうせならコロセッティじゃなくガレアにジュニア挑戦して欲しかった
84年7月5日大阪でカネックとWWFインタ戦
その五分後に何故か長州戦も行なわれ、負けたカネックの立場ゼロ
ジュニア時代にマスカラ戦を強要して国外逃亡させても
まだカネックに恥をかかせたい新日 一応前年のメキシコ遠征でのUWAをめぐる因縁、そのさらに前年は飛龍十番勝負で引き分けと、ヘビー級になってからは完全決着着いてなかったし。明らかに今更感は強かったけどな
カネックは全日に行ってたほうがマシだった
とか言う奴がたまにいるけど
せいぜいマスカラスの負け役だぞ
もしかして馬場、鶴田やファンクス相手に
引き分けさせてもらええるとでも思ってるのか?
しかしカネックは
扱い悪いなあ
87年には武藤にも負けているしな・・
>>79
格的には83年の前田=87年の武藤だからカネックが負けて当然だろ。 >>75
その後の後楽園ホールだったか、長州とやっていいとこなくマスク剥がされたり
完全にあの時は藤波、長州の抗争のダシに使われてたなあ >>78
全日でマスカラスがカネックに完全勝利してたら、後にWINGでダブルタイトルマッチやる事もなかったかもな。
昭和の新日でスヌーカと言えば、やはり藤波戦がクローズアップされる
(時点がブロディとのタッグでマードック&スーパースター) カネックって立ち位置も中途半端だな。藤波戦の例の敵前逃亡で味噌をつけたものの
だがその後はトレオで猪木のNWFに挑戦したり、テーズを破ってUWA王者になり
ルチャヘビー級の第一人者としてTJシンや大巨人を迎え撃ったんだがなあ。
親日としてはメキシカンは軽量ファイターを推したかったんだろうかね。
ヘビー転向の藤波のライバルは米国ファイターばっかだったしな。
ころは
新日本トップの格付け
78年当時
猪木=アンドレ>ハンセン
79年
猪木>アンドレ=ハンセン
80年
猪木>ハンセン>アンドレ
81年
猪木>ハンセン>アンドレ=ボック
82年
アンドレ>猪木>ホーガン
83年
ホーガン>猪木=アンドレ
84年
ホーガン=猪木=アンドレ
85年
猪木=ブロディ=ホーガン=アンドレ
剛竜馬が新日の道場で、指導的立場だった時期があったって
本当?
剛は道場では相当の実力者だって高田が言ってたんだっけ
'88闘魂シリーズのカネック
10/07 後楽園 小林・H斎藤vsカネック・アグアヨ
10/08 土浦ス M斎藤・長州vsカネック・アグアヨ
10/10 後楽園 越中・山田vsカネック・アグアヨ
10/12 鳴門市 小林vsカネック
10/13 丸亀市 猪木vsカネック ※闘魂復活七番勝負番外戦
10/14 府中商 長州・小林vsカネック・ウェリントン
10/15 宝塚イ マシン・小林vsカネック・アグアヨ
10/16 大阪臨 越中・山田vsカネック・アグアヨ
10/18 館林市 M斎藤・小林vsカネック・アグアヨ
10/19 静岡産 木村・越中vsカネック・アグアヨ
10/20 駒ケ根 越中・山田vsカネック・アグアヨ
10/22 岩出町 猪木・越中・山田vsビガロ・カネック・アグアヨ
10/24 岡崎市 星野vsカネック
10/25 四日市 G高野・越中vsカネック・アグアヨ
10/26 福島市 マシンvsカネック
10/27 東村山 越中・小林・H斎藤vsカネック・アグアヨ・ウェリントン
結局ブロディって親日に移籍したとしても遅かれ早かれトラぶってまた離脱ってのは
想定内だったのかな。ウォリアーズを優先した外人ヒエラルキーを嫌っての入団とか
訳判らないしw、ま、そういう意識があったとして、ホーガンがWWFで多忙になり親日を
顧みなくなった、前田のようなレスラーが離脱していたという時期を突いたなら
なんだか思惑も理解できる。で、また時機を見て全日に世話になるというw
>>89
>>90
だからと言って剛が国際でレスラーデビューさせてもらった恩も忘れ
「元新日本プロレスの剛竜馬です」と拭いて回った罪は消えない ねえ聞きたいんだけど
昭和新日本の総当たりリーグ戦で
最高の大会は何でしょう!?
>>97
なるほど
猪木
坂口
藤波
ハンセン
アンドレ
ローデス
特参で
バックランド
ホーガン
豪華ですな 第4回、当初はアンドレ、ハンセン、ホーガン、アトラス、ダンカン、スローター、アダムスだったが
アンドレはカーンとの負傷、アトラスはボディビルコンテスト専念で直前のキャンセルとなった。
予定通りなら最高のメンツだったねw
歴代のMSGシリーズで日本人対決が豪華だったのが第5回MSGシリーズ。
このシリーズは歴代より日本人の決勝リーグ参加者が8名と多く、
各レスラー間の格付けを図る上でも興味がありました。
猪木、53点
坂口、35点
藤波、35点
長州、4点
カーン、49点
戸口、17点
谷津、13点
R・木村、33点
長州が絶不調だが、この直後にメキシコ遠征して
カネックからUWAヘビー級王座を奪取(すぐ取り返されたが)
かませ犬発言に繋がっていく
第4回の発表カード ★=アンドレ、アトラス、ボルコフ絡み ◆=5/17寒河江に変更
5/08 川崎 ★アンドレ×ホーガン.. ★藤波×アトラス . ★坂口×ボルコフ
5/09 焼津 −猪木×スローター −ホーガン×ダンカン . −長州×アダムス
5/10 後楽 −ハンセン×ホーガン −坂口×アダムス −長州×ダンカン
5/12 名取 −猪木×ホーガン −藤波×ハンセン ◆ダンカン×アダムス
5/13 横浜 −坂口×ハンセン ★ホーガン×アトラス . −ダンカン×スローター
5/14 栃木 −猪木×ダンカン . ★藤波×アンドレ ★ハンセン×ボルコフ
5/15 長岡 −坂口×長州 −ハンセン×ダンカン . ★アトラス×スローター
5/16 米沢 −猪木×アダムス −坂口×スローター
5/17 寒河 −坂口×ホーガン −長州×ハンセン
5/18 石巻 −猪木×長州 −ハンセン×アダムス −ホーガン×スローター
5/20 岐阜 −猪木×バンセン ★ダンカン×アトラス
5/21 熊本 ★猪木×アトラス . ★藤波×ボルコフ . −スローター×アダムス
5/22 福岡 −猪木×藤波 ★坂口×アンドレ ★長州×ボルコフ
5/23 久留 −坂口×ダンカン . ★長州×アトラス . ★アンドレ×ボルコフ
5/24 八代 ★アンドレ×アトラス . ★ダンカン×ボルコフ
5/25 佐賀 −藤波×ダンカン . −ハンセン×スローター ★ホーガン×ボルコフ
5/28 大阪 ★アンドレ×ダンカン
5/27 松江 −猪木×坂口 −藤波×ホーガン ★アトラス×アダムス
5/28 姫路 −坂口×藤波 −長州×ホーガン ★アンドレ×スローター
5/29 高松 ★猪木×アンドレ −藤波×アダムス ★ボルコフ×スローター
5/30 徳島 −藤波×長州 ★アトラス×ボルコフ
5/31 宇和 ★猪木×ボルコフ . −藤波×スローター ★アンドレ×アダムス
6/01 岡山 −長州×スローター ★ボルコフ×アダムス
6/02 浜松 ★ハンセン×アトラス . ★長州×アンドレ −ホーガン×アダムス
6/03 愛知 ★ハンセン×アンドレ.. ★坂口×アトラス
リーグ戦以外の発表カード
5/10 後楽 ★猪木・藤波×アンドレ・アトラス
5/22 福岡 ★ローデス・アトラス×ハンセン・ホーガン
5/26 大阪 −猪木・ローデス×ハンセン・ホーガン −坂口・藤波×スローター・アダムス
5/28 姫路 −猪木・ローデス×ハンセン・ダンカン
5/29 高松 −バックランド・ローデス×ハンセン・ホーガン
5/30 徳島 −猪木・バックランド×ハンセン・ダンカン ★アンドレ×ホーガン
6/01 岡山 −猪木・バックランド・ローデス×ハンセン・ホーガン・ダンカン ★坂口×アンドレ
6/03 愛知 −猪木・ローデス×ダンカン・スローター −バックランド(WWFヘビー級選手権)ホーガン
>>105
長州の星取表は■が多かったが、途中怪我で棄権したのか? 第5回MSGは公式リーグも見どころが色々あったが、前年にデビューした佐山タイガーの
人気もすっかり定着してメインのリーグ戦を上回る注目を浴びたな。
アイアン・シークが白星配給係だと後に知った時は
「アマレスオリンピック代表選手で、WWF世界ヘビー級王者にまでなった男を
新日はずいぶんヒドイ扱いをしたもんだ」と嘆いたものだ
(オリンピックはウソだったけど)
黒人嫌いのマードックがブッチャーと対戦した時は
内容がすさまじ過ぎてテレビ中継が禁止になったという >>113
そのマードックとブッチャーは
全日でタッグを組んだ仲である。 >>111
アイアン・シーク、オリンピック選手じゃなかったの?
嘘って初めて知った。
最後はUインターにも来たよね。 ザ・マグニフィセント・ムラコ
新日でも全日でもパッとしなかったが、アメリカ本国では
それなりに売れていたらしいと後に知った IWGP構想がなければ、挑戦者不足になって1度はNWFに挑戦してたかも。
でも、坂口に挑戦したことあるから、格下感が付いちゃって猪木は絡まなかった可能性もある。
>>113
当然別のシリーズだけど、後楽園ホールで二人が同じエレベーター乗って一緒に降りてきてたわ
大人の対応なんだろうけど、そこまで言われてるほど酷い仲なのかなとは思った マードックとブッチャーの試合なら、確か「燃えろ! 新日本プロレス」にも
収録されてるし、テレビでもリアルタイムでやったような記憶あるんだが?
試合もマードックもブッチャーの攻撃受けてたし
特に危険な感じもなく、普通のプロレスだったように覚えてる。
サモアンズやオートンのように素行の悪さで強制帰国みたいな例のほうが
団体としても問題なんだろうな。
>>120
リアルタイムではオープニングの時にさわりが流れただけじゃなかったかな。
後に出たDVDで観たマードックのブレーンバスターでブッチャーが頭からマットに突っ込んだのはヒヤッとした。 マードックvsブッチャー
大阪→録画、オープニングのバックのみ
札幌→生中継、放送開始前に終了
他にもタッグで何回か当たってたな
>>123
札幌の生中継前はワフーvsブッチャーだろ? ブッチャーとマードックの因縁は全日時代まで遡る
世界最強タッグにマードックが出場しなかったのは
年末の稼ぎ時はブッチャーを呼ばざるを得ず
犬猿の仲のマードックと鉢合わせさせたくないという馬場の配慮だった
だが、新日はそんな事おかまいなし。
81年11月5日、ブッチャー&アレン対マードック&ブラボーが予定されていたが
アレンが手を負傷し、ブッチャー対マードックかブラボーのシングル戦に変更になった
新日の都合で決めりゃいいものを、何故かブッチャーに選択の自由を与えた
ブッチャーがなぜブラボーを指名したのかは判らないが
観客やマスコミに「ブッチャーがマードックから逃げた」
という印象を植え付けてしまったのは紛れもない事実
全日から高い金をかけて引き抜いたブッチャーに
なぜそんな悪いイメージを付けさせたのか理解できない
何度もいうが、
マードックとブッチャーが犬猿の仲は、完全なファンタジー。
2人は全日で同じシリーズに参加し、タッグも組んでいる。
ブッチャーとワフーしかり、因縁ばなしを生かしきれいない。
昨日、ブッチャーの新日初登場の試合を見てたが
試合前の控え室でハンセンと並んで写ってる時の
ブッチャーは気の毒なくらい緊張してるように見える
最後にはカメラに目を向けず俯いたままに
マードックはリアルKKKだけど「仕事は仕事」として割り切っているから
トップに命じられればブッチャーともアレンとも組む、対戦もする
ただ、心情的には穏やかではなかった事はミスター高橋も新間も聞いている
ブッチャーいわく「マードックと揉めていたのは私ではなく実はアレンだった」
新日でガチで険悪な仲だったのはジョニー・パワーズとM・スーパースター
新日がタッグ結成を要請したがスーパースターは
「あんな男とタッグなんてありえない」と拒否した
そーいや、坂口と大木も心情的つうか、もっと根本的に存在自体否定しあってたんだろうな。
アレンは黒人差別を受けるのを極端に嫌うからな
マードック同様黒人嫌いのアンドレに侮蔑されたアレンが
屋上から叩き落そうとした話はあまりにも有名
>>130
第2回ワールドリーグ戦の坂口対大木戦の無効試合か両者リングアウト(どっちか忘れた)
もガチの試合だった感じがする。 マードックとアレンのタッグとなると吉川町での藤原の初セミ試合
ノーコンテストになった後、再試合という異例の処置は
ワールドリーグ戦の公式戦だからというだけでなく
こんな大荒れの試合は何度でも見せるべきという会社の思惑ではないか >>126
72年の日プロワールドリーグで一緒になった時、副将格だったマードックは
外人仲間を煽動してブッチャーをハブにした。
ギミックとか関係無しでファン不在のリング外での出来事。
それでもファンタジーと言うのかね? IWGP開催は何年開催が理想だったか・・・
81年秋が理想だが
猪木
アンドレ
ハンセン
ボック
ブッチャー
バックランド
ローデス
マードック
ホーガン
マスクド
カネック
アレン
ブラボー
凄い面子だった。
>>135
14回のマードックではなく、前年の13回Wリーグ戦の話。
コックスが中心にブッチャーを排除して、ブッチャーは控え室に入れず、トイレで着替えをした。 >>137
コックスもそうだったが、マードックもボスのモンスーンと結託してブッチャーに
陰湿な苛めをした。
ジョー樋口がステーキを奢ったのもマードックの時だと聞いてるが?
まぁKKKギミックのコックスとリアルKKKのマードックはブレーンバスター
の伝授の親密な師弟であり、親友でもあるからな。コックスからブッチャーの
醜聞を伝え聞いてマードックもブッチャー嫌いになった可能性もある。 結果的にシン、ハンセン、ブッチャー、ボックが不参加。
シンやハンセンは当時の中心だったし、
ブッチャーとボックは新鮮味があった。
その四人が参加しなかったんだから盛り上がらないのは当然。
>>130
最低でもハンセン ボックは
参戦してほしいと思った! >>139
だった・・
失礼
83年開催なら
ハンセン シンは無理だが、
ブッチャー参戦は必要だった せめて第1回だけでもブッチャーが出てればね。アンドレ、ホーガン、ブッチャー、猪木・・。
一気に対決バリエーションが豊かになるよな。
前年、一度はホーガンとの対峙もあったがアングルとしては弱い物だったし、
10月の長州革命では露骨に蚊帳の外にされたり・・w
6月のIWGPのあと、サマーファイトでブッチャーが参戦してるのを見ると
やっぱリーグ戦以外での一般シリーズでのエース外人要員だったんだと推察できるわな。
IWGPは全大会超満員になるのなら
ブッチャーは次のシリーズに回すのは愚策ではない
シンもMSGシリーズには出さなかったものな(81年はアンドレの代打)。
ただシンはMSGタッグは出てるんだよな。
アジア・リーグにはシンがシングルとタッグ両方出場してるが
それ以外の外人はほとんどがカナダとかアメリカ人ばかりだったんだっけ
かつてはMSGシリーズ直後のサマーファイトシリーズにシンは参加していたな。
79・80年は。
78年の時はどうだったか?
まあ大塚の言う ブッチャーはビッグなシリーズ終了後の要員という理屈か。
シンなら観客動員力もあったし。
でもブッチャーは最強タッグCカーニバル終了直後にも普通に参加していた。
そこは新日と全日の考え方の違いだろうが。
79年ころまではシンとMSG系のレスラーはあまり絡ませず。
シンは彼等とは一線を隠した存在として重宝されていた。
でも80年あたりからシンを外人と同シリーズに呼んで絡ませて。
シンはそれが不満だったみたいだが。
ただファン側からしたらそれでシン絡みの注目の対決が幾つも見られたが。
タッグリーグ戦でも
ブッチャー アレン 組を見たいと思った。
81年は何故 パターソン アレン 組なのか?
81年 82年に
ブッチャー アレン 組は是非
見たいものだった。
ブッチャー とアンドレ ハンセンはもちろん
アドニス マスクド カネック カーン
との絡みが見たいものだった・・・
81年はブッチャー・アレンで…
これは当時を見てきた人なら誰もが思ったことだよね。
パターソン・アレンって…
全く意味不明な組み合わせでもあったし。
あそこにブッチャーがいたらどれだけ好カードが組めたか。
ブッチャーとアンドレ、ハンセン、カーンの対決。
新日首脳陣だってわかるだろ。
自分達の思惑よりもファン優先で考えて欲しかったわ。
トラブル起こして来日できない とかなら仕方ないが。
年末のタッグリーグ戦にブッチャーを呼ぶのは何の問題もないんだよね。
次のシリーズは年初だから、エース外人がしょぼくても客は来る。
ブッチャーと新日常連外人を当てなかった理由は
まさかブッチャーの商品価値を守るとかじゃないだろうな
あの体格では不透明試合しか出来ないとか寝言言わないよな
全日でデストロイヤーやレイス、
ファンクスとの抗争を知らなかった訳じゃあるまい
>>150
78年サマーファイトはモラレス、カルホーン、ピーターメイビア、Cゲレロ
特別参加でバックランドとまさにビンスシニア(WWF)との提携が強固になったのを
示すラインアップだった。で、このシリーズで広島でモラレスの挑戦を受けたNWF戦、
まれにみる猪木の絶不調でTV中継もお蔵入りになってしまった。 広島はテレビ撮りはしたけど、音声だか照明だかのミスで放送できる代物じゃなかったから放送しなかったとかなんかで読んだことがある。
MSGタッグ 理想
81年
猪木 藤波 組
坂口 長州 組
カーン 戸口 組
R木村 浜口 組
アンドレ グレイ 組
ハンセン ホーガン 組
ローデス マードック 組
ブッチャー アレン 組
ザ サモアンズ
82年
猪木 ホーガン 組
坂口 藤波 組
カーン 戸口 組
R木村 浜口 組
アンドレ グレイ 組
ローデス マードック 組
アドニス オートン 組
ブッチャー アレン 組
カネック アグアヨ 組
83年は・・・
誰か考えて・・・・?
新日初期、小鉄が道場を見てた頃の逸話を聞くと
よく当時死人が出なかったもんだと思う。
あれでも加減は出来てたのかも知れない。
ひとつ間違ってたら、小鉄自身が藤原に
刺し殺されてたかも知れなかったけどww
78年の新日は色々エポックな出来事があってなかなか検証するのも面白いな。
一押しは秋のゴールデンファイトシリーズのシンと上田の仲間割れ。
緒戦のタッグマッチでタッチワークの不手際とか些細なことで口論、そのまま
いつしか手も出し合い、とうとう大阪府立で血戦。見たことも無いような大観衆で
埋め尽くされたというw
――話は維新軍に戻りますが、維新軍には専用の巡業バスが用意されてたんですよね。
谷津 あった。それまでは外国人と日本人のバスが2台でしょ。
だけど、維新軍になってからバスは3台になったの。
俺たちは小さいなマイクロバスだけど、
重苦しいアントニオ猪木が乗ってるバスと、
わけのわからない外国人たちが乗ってるバスと違って楽しいんですよ(笑)。
――維新軍のバスは自由なんですね。
谷津 俺はずっと寝てますから。
キラー・カンたちはひたすら博打をやってるしさあ。
ジャパン時代、丸の内線乗って後楽園ホールの会場入りしてた谷津を見たことがある
今日のMXテレビのバラダンは
司会=蝶野、ゲスト=前田日明
当初の参加チームには長州&キラー・カーン組、ジョニー・パワーズ&マスクド・スーパースター組がラインナップされていたが、
カーン、スーパースターがスケジュールの都合で不参加となり、
それぞれ星野、ベーカーに交代したが、特にカーン&長州組が実現していたら、
このチームが台風の目になっていた事は間違いない。
加えて日本組のチーム編成にも多くの疑問の声が上がった。
小林&坂口組などは時代を逆行しているし、
第一当時北米タッグチームだった長州&坂口組と分断しているのはおかしい。 >>169
キン肉マンのブロッケンマンやJr.すら欧米なんかでは
クレーム入れる輩居たのに、よくあのキャラで当時とはいえやれたと思ったw アメリカではプロレスなんてバカと貧民しか見なくて社会影響力が0だったということだろう。
当時の北米タッグの地位の低さをアピールするだけだったからかも
当時挑戦を退けたシン&上田よりは上の得点になれたか否か
>カーン、スーパースターがスケジュールの都合で不参加となり、
スーパースターについては
「パワーズとタッグを組むなんてありえない」と拒否したのが真相
スーパースターはギャラ未払いで揉めて
控室でパワーズをボコっている
第1回MSGタッグのアンドレのパートナーは発表ではイワン・プトスキーだったな
パワーズとスーパースターのコンビは77年に1回だけあった
チャボって新日にも来てたっけ?
全日で大仁田をトロフィーでタコ殴りにした印象が強い
あの時のケガの後遺症で大仁田は1度引退したのかな
チャボはカネックより藤波と激闘していた
やはり血染めのコブラツイストが印象に残る >>177
初来日こそ全日本だったが、2回目以降はロスやWWFルートで昭和53年から55年まで
頻繁に親日に参加してたな。昭和53年の寝屋川大会のライバル藤波戦は屈指の名勝負。
54年MSGシリーズではその藤波とコンビでカネック&ソリタリオのルチャコンビと激突
これもジュニアヘビー級タッグの名勝負として記憶されて入るがノーTV・・w >>177
あれは全く関係ない。大仁田自ら剃刀でカットしてるし
引退の原因となったのは膝の怪我だ。 新日旗揚げ時のメンバー
国際を引退していた豊登に復帰してもらうぐらいだから
人員不足だったんだろうな。 ゴッチの友情参加はあったがそれ以外の外人・・。
ジョンドランゴ ジムドランゴ インカペルアーノ ブルックリンキッド
イワンカマロフ エルフリオッソ
初耳のレスラーばかり・・。
>>183
ボブ・アームストロング(ジム・ドランゴ)
ダレル・コークラン(ジョン・ドランゴ)
ジョー・ソト(インカ・ペルアーノ)
マイク・コンラッド(ブルックリン・キッド)
イワン・カメロフ(イワン・カマロフ)
日プロからの圧力を避ける為にリングネームを変えてはいるけどアームストロング始め一応実績のある選手が来てはいた
ただエル・フリオッソだけが謎のままというかよく分かってない
ミック博士はトニー・ロマノ説を取っているけど吉沢幸一や流智美はロマノじゃなくてWWWF(当時)の前座試合に出ていた選手なのではと推測していた
初期はまだ延髄蹴りは使ってなかったのかな 坂口の強さをリング上でも見たかった。たまには猪木を欠場させて彼をトップにしても良かったのでは?
IWGPもあんな結末なら坂口優勝が見たかった。
新日マットで行われたホーガンvsアンドレで、一番の好勝負はいつの試合ですか?
一番有名なのはプロレススーパースター列伝でやった蔵前での一戦か
田コロのアンドレVSハンセン戦見てしまったら、よほどでないと好試合とか思えないw
結局ホーガンはハンセンの後釜になれなかったのでテリー路線に進む事となる
アックス・ボンバーで場外へ吹っ飛ばすハズがタイミングが悪く
アンドレがビクともしなかったので焦ったホーガン即座に二発目を敢行! 1980年 対:18
1981年 対:18
1982年 対:− 組:
ダイナマイトキッドが全日に移籍した理由が
WWF入りしたかったそうだが当時新日はWWFと
業務提携しててキッド自身WWFジュニア王者
だったのにも関わらずなぜ全日移籍したんだろうな?
新日がホーガン呼ぶのに1試合数千万かかるので
新日が近い将来WWFと業務提携解消するのがわかってたのと
幼少時代から馬場に頭上がらなかったビンスが
事実上馬場>>越えられない壁>>ビンスだったので
馬場に頼んだらWWF入り出来ると思って全日移籍したのか?
最後に俺自身としてはやっぱりキッドはあのまま新日にいて欲しかったなw
ミスターヒトが抜いたからだろ?
キッド&スミスの全日本移籍にはヒトが絡んでる。新日本への怨みもあってな。
>>197
ニワカか!
WWFがカルガリーを買収した事に反発して全日に移籍したと言ってただろ。 新日がミスター・ヒトに不義理をしてヒトが怒ったのが原因だよ>キッド&スミスの移籍
当時でもヒトが「俺を怒らせたらどうなるか見せてやった」と言ってたし
全日本ファンだがあの時のタッグリーグをこなしてから来て欲しかったというのもある
特に開幕戦でやるはずだったというマードック組戦とか
あと離脱していなければMSGでコブラと防衛戦をしたのか
当初は反発してたのか知らんが、結局はWWFと契約したんだよな 全日本にハンセン並の条件で定着出来なかったのでそれ以外に道が無かったとか
でも、結局また3年後には、ルージョーズとのいざこざで
全日に戻るし。勿論ギャラはダウンしたようだが。
ジャパンとの提携期でなければという感じも
とにかくあの時期に割を食わされて運命が変わった人は多そう
維新軍の純メンバーでなかった連中まで、ぞろぞろと着いてったからな。
馬場も維新軍のメンバー以外要らなかったと思うし
実際困ったろうな(永源はタニマチ関係など役に立ったか)。
猪木は当時、「大掃除が出来た」と言ってたようだが・・ 後にいろいろ裏話が出て来るけど。
新倉、仲野、笹崎
このあたりは新日に残っても
穀潰しにしかならないだろう
ジャパンの移籍→出戻りは新日と全日の両者に傷跡を残したな結果的に
全日残留組の栗栖がFMW参戦を経てイス大王になって
橋本と記憶に残る死闘を演じる事になるとは
新日離脱直後には思いもしなかった
前座で燻ってるだけの剝げたオッサンのイメージしかなかったのに
仲野は全日本に残って一時的にでも足跡を残せたな
もっとも分裂前に鶴田を怒らせた男との評価を得られたのも大きかったが
>>207
笹崎は新日時代は武藤に勝ってたからデビュー当時の新日の期待度は
笹崎>武藤>橋本>蝶野
だったんじゃないか? 笹崎は残ったほうが良かったと思うが長州に誘われたんだろうな
デビュー戦を観戦した長州が「あいつ良いな。維新軍に引っ張りたい」と言ってたのが記事になってたし
口の中に凶器を入れて猪木やブルーノを苦しめた野獣の教師ジョージ・スチールも
死去。
今晩、テレ朝で放送の「あの外国人スターは今?」って番組で
ハンセンとシンが出る模様
たぶんチラッと昔の試合映像も出るんじゃないかな?
テレ朝系で有名な外国人レスラーといえば
やはりアンドレ、シン、ハンセンだろうな
アンドレはすでに鬼籍、四番目にあたるホーガンはいろいろと面倒だし
今もテレビ局と外人の顔出し権利?みたいなのあるのか?
コロフなんてある意味、ハンセン・ホーガン以上の格だったはずなんだがね。
なんといってもブルーノを初めて倒してWWWFチャンプになったという破格の
扱いだったんだから。
だが日本受けしなかったのが残念。それと病気?で減量してげっそり痩せて
ドラゴンスープレックスで藤波に秒殺されて日本マット(その後全日に衰えて
来日したが)からお役御免となったのはもったいなかった。
彼なんかは国際向き(一度だけ参加)だった。スミルノフとラシアンズで
暴れて欲しかった。
その意味ではスチールも国際向き。金網デスマッチにもってこいの野獣ファイター
だった。
>>218
リアルは知らないので推測ですまんが、コロフとして日プロに来日した時は、馬場のインターにも挑戦したが
あの時代だと馬場も倒せなかったサンマルチノを降したつうインパクトが
大きかったんだろうなと。でも試合内容はNYの典型的なしょっぱいスタイルで
そこに日米のプロレス価値観の違いを図らずも晒したと思う・・。 馬場は68年大阪球場でサンマルチノに勝ってるよ
3本目はリングアウトだが
スタン・スタージャックが来日した時は酷評されたって話だね
「本当にあれでWWWF王者だったのか?」と言われたとか
>>222
全日本で活躍した後WWFでインターコンチネンタルのベルト取った上
NWAに移籍してからフレアー破ってNWAヘビーのベルトを取った
リッキー・スティムボートが再来日した時三沢タイガーと対戦したけど
全然盛り上がらず酷評されてた記憶がある >>224
「馬場さん、これでいいんですか〜。」という野次が
シーンと静まり返った武道館を切り裂いて、ドッと沸いてたw あの試合の白眉はライディーンでのリッキーの入場場面
>>225
そして1年半後の90年9月30日(アントニオ猪木30周年 メモリアル・フェスティバルIN横浜アリーナ)で新日本に初登場。
ムタとの試合で失笑を買い、以後二度と日本マットに上がることはなかった。 >>227
いや、現役じゃないけど2009年にWWE日本公演でクリスジェリコと試合してるね。
この年のレッスルマニアでジェリコvsリッキー&スヌーカ&パイパーのハンディ戦が組まれ、動きの良かったリッキーは短期間限定で復帰していた。 >>227
俺は後楽園ホールで、長州力&橋本真也&リッキー・スティンボート組を観たぞ! 日本のメジャー団体で天才と謳われた
武藤と三沢の二人と酷評な試合をやらかしたリッキーは
日本のプロレス界でどういう位置付けになるんだろうな
ただ全日でのNWA世界戦は三沢の方に責任がある気がする
>>230
三沢の場合当時タイガーマスクという足枷みたいなもんがある
それに相手がその時点でNWA世界ヘビーチャンピオンだからかなり格上
受けまくってでも格の違い(巧さでも良い)を見せる必要があった
まだ若い頃に見てるからなんとも言えんがあれは互角というかむしろ三沢の方が格上感あった
で、今つべで確認したがやっぱり攻撃のパターンが単調だし受けも下手
最後にエビ固めで丸め込んだだけでそれで終わり?って会場全体が反応してる
三沢の左脇腹故障ってのは設定なんだろうけどもフレアーのような小狡い巧さもなく
筋骨隆々に近い身体でもそれを活かしきれず打撃も迫力無しで「なんだこれ?」って印象
WCWはフレアーと若い世代のつなぎにしたくてベルト取らせたんだろうけど
巧さも強さもない世界チャンピオンって何なんだろうね NWA王者になったからってスタイルを変えすぎた。
フレアーの物真似してるようにしか見えなかった。
ドロップキック食らって、エビみたいに丸まったままなのは酷すぎた。
サイズ的には藤波と80年代前半にやらせてりゃそこそこの試合になったのかもなあ
でも本来はベビーでヒール相手に向かう図式の方がリッキーは合ってそうだ
だから来日第一戦の相手がブッチャー&カマタなのは正しい
昭和新日は典型的なベビー外人はイマイチな印象
バックランドくらいか? 短期間だけど、82年から83年ごろのハルク・ホーガンは超絶ベビーフェイスだった。
俺もあの頃のホーガンは今でも好き
>>235-237
元々外人ベビーフェイスは世界王者クラスのベルトを巻いた経験があるか
ゴッチロビンソンマスカラスみたいに独創的なフィニッシャーを日本初披露して自分の個性や魅力を強く印象付けられるかでないと日本の観客には受け入れられないからな >>191
ありがとう!
&激遅レス、スマソ。
「燃えろ! 新日本プロレス」DVDに収録されてた高松での試合(第一回IWGP、猪木vs前田と同日)は、どうだったのかな? ローデスも2回目以降は猪木とのタッグも多かった反面、マードックとの
アウトローズでは一転して敵対側だった。またチャボゲレロも藤波の宿敵ながら
ロスでは2人が組んでタッグ王者になったり、日本でカネック&ソリタリオとの
スペシャルタッグマッチで手を組んだり、昨日の敵は今日の友といったドラマ的展開?な
マッチメイクがしばしば見られたな。
ホーガンのベビーはローデスと違ってハッピを着て「一番」と和風のイメージを
最大限に魅力としてアピールしたのも大きい。
入場から盛り上がって猪木・タイガーと並ぶ会場人気だった。
ローデスは結局アメリカンドリームギミックから抜けれなかったからな。
あのからかったようなケツ振りダンスは完全にマイナスで冷めまくり。
日本人好みの、傷だらけでブッチャー・シークに立ち向かう“熱い男”
テリーには到底なれなかった。
あとホーガンのブレイクに欠かせないのはやはりファーガソンのギャラクティカ
とにかくあのトランペットの響きがたまらない
同時期のチェイスギャバンにも匹敵
リッキーはアメリカではトップやし、「母親が日本人」というバックボーンがあるから日本でもスーパースターになる要素があったと思うけどな。
>>243
81年まではゴングが出したレスラー100のトリを飾ったり、少年ジャンプの「リッキー
台風」のモデルになったりと完全にポストテリーの若手ベビー外人の最右翼だった。
ただ、タイミングが悪かった。
ちょうどリッキーが台頭した頃、まずベビーを最も輝かせる力を持つブッチャーが
新日へ。短時間勝負ばかりのシークでは輝き切れず、それでライバルのスヌーカ
との抗争で新たなブレイクコースを模索したが、スヌーカはブロディと組んで
ファンクスを破って最強タッグ優勝というリッキーのライバルとは違った方向へ
進んでしまい、さらにハンセンが来て完全に流れはファンクスvs超獣コンビに
なってしまった。ヤングブラッドと組んで超獣コンビに健闘しても「チビ雑魚が
奮闘してる」みたいな図式(と俺には見えた)になってリッキーの存在が
どんどん小さくなってしまった。ファンクスを助けて超獣コンビに立ち向かう
シーンを盛り上げる形で実現してたらまた違ったろうが。 親日の外人ベビー路線は明らかに全日を意識してるだろうな。
79年の第2回MSGでのアンドレとハンセンのライバル関係ができ、
ビンスシニアやエディグラハムとの提携も強固になって外人の顔ぶれも良くなった。
さらにブッチャーの移籍・・・。しかしそれも束の間で革命路線に偏重していく。
>>246
ブッチャーを引き抜いて、ハンセンを失ったのは痛かった。 ホーガンのベビー路線は成功したが、その代償に藤波が伸び悩んだ
ヘビー級転向後の飛竜十番勝負が途中で頓挫したのも無関係ではあるまい
長州の反逆アングルはむしろ藤波を盛り上げるためでは?
藤波はヘビー級転向で魅力が落ちたな。
「ジュニア世界一」という格も人気もタイガーに奪われて、中途半端な立場に
なった。
坂口が老いて不人気だったから猪木に次いでナンバー2の座は確保しても、例えば
サマーファイトシリーズ2のように猪木がシリーズ完全欠場でエースになっても
結局客を呼んだのはタイガー人気だし、メインをもタイガーが6人タッグで藤波を
喰う存在感。
長州が革命起こしてなんとかもったが、事実上藤波が輝いた時期は81年で終わった。
外人トップがアンドレ、ホーガンとなると、前田の格上げ急いだのも分かる気がするわ
でも、これも順調にいかなくて結局日本人vs外人の図式も淘汰されちゃった感だな
前田は対外人でこそ光るんだよな
日本人相手だと体格的に浮きあがってしまう
ホーガンと藤波がタッグを組んだ。猪木とタイガー欠場という異常事態に
新日が満を持して組んだカード、だが、盛り上がったのは
対戦相手のブッチャーとホーガンの抗争で、藤波は蚊帳の外だった ホーガン、WWF登場当初はブラッシーがマネージャーの悪役で、
親日時代も81年までは普通にヒール外人だったが、なぜか翌82年MSGシリーズで
藤波十番勝負のときにリングインしてまさに開口一番「いちば〜ん!」と声をあげ
凄い声援だったの覚えてる。その後はAWAでも親日でもベビー路線を歩んでいく。。
坂口征二の北米ヘビー級王座って誰から奪取したんだっけ?
昭和50年(1975年)第2回ワールドリーグ 猪木、坂口、大木、小林の対戦成績
猪木 1勝1敗1分(坂口に勝ち、大木に負け、小林と引分け)
坂口 1勝1敗1分(大木に勝ち、猪木に負け、小林と引分け)
大木 1勝2敗 (猪木に勝ち、坂口、小林に負け)
小林 1勝2分 (大木に勝ち、猪木、坂口と引分け)
なんと、小林は負けなし。
しかし、優勝決定戦の前日、リーグ最終戦で、S・デストロイヤーと引分け
たため、単独2位になれず。勝っていれば、優勝決定戦はクラップ対小林だっ
たのに。
元国際のエースという過去の実績を考慮したのは当然として
猪木と巌流島決戦した相手をむやみに邪険には出来ない事情もあったのかな
あとこの頃は外人勢が脆弱だったから大木とか小林とか
他所からの日本人選手も重宝されていたのかもしれない
アンドレやハンセンを呼べるようになる頃の扱いと比べると雲泥なのは確か
四つ巴の構図を作るのに苦労した様子が窺われるね。
ちなみにこのリーグ戦、クラップの猪木、坂口、大木、小林との対戦成績は、
クラップの3勝1分け(猪木、坂口、小林に勝ち、大木と引分け)で、外人
勢の脆弱さが如実に表れている。
その外人についても70年代後半から徐々に顔ぶれが充実すると同時に、
旧来のメンツの活躍の場が絶たれていった。。
バーナードは年齢、パワーズやクラップはお払い箱という有様。
そんな中でNo.1外人の座はハンセンに奪われたが
まだまだ稼げる外人エースとして生き残っていたのがシン
>>265
決勝は猪木vs小林で小林の優勝でもよかったのでは。
大木乱入で猪木リングアウト負け。
あるいは、大木乱入で坂口が入ってきて揉み合い、そこにマサ斎藤乱入で猪木にバックドロップ。
小林がブレーンバスーで猪木をフォール。
そしてNWF再戦すれば、外人が脆弱だったからもっと引っ張れた。 >>270
マサは当時はフリーのレスラーだけど新日サイドで猪木や坂口とタッグを組む
ポジションだったんだよ。まあマサが裏切って小林と共闘するというアングル
はあってもいいけどさ。 そーいや斉藤って何時ごろから反旗を翻したんだろ?
プレ日本は解るが、それ以前になんか複線があったか?
>>272
プレ日本の前に参戦したのは前年のアジアチャンピオンSで特に何もなし。
プレ日本からいきなり敵側になったって感じ。
途中で狼軍団が一時的に仲間割れした時は猪木と1試合だけタッグ組んだけど
日本陣営
74 ワールドリーグ戦
75 ワールドリーグ戦
76 ワールドリーグ戦
77 アジアチャンピオンS
狼軍団
78 プレ日本選手権 >>270
>そしてNWF再戦すれば、外人が脆弱だったからもっと引っ張れた。
第2回ワールドリーグの時、NWFチャンプはタイガー・ジェット・シンで、猪木
は丸腰だったからな。
この時期の猪木は、NWF王座決定戦でシンに負け、蔵前の再戦で王座奪取に失敗し、
ソウルで大木のインター王座に挑戦して王座奪取できず(引分け)、ワールドリ
ーグでは、大木に負け、クラップに負け、小林に引分け、ワールドリーグ後のNWF
戦でもシンから王座奪取に失敗と、引分け、負けブックが続いたね。 第4回は盛り上がらなかったことで有名だが、第3回はどうだったの?
>>275
ペドロモラレスの新日初参戦があって、坂口、クラップ、ビクターリベラの
三者による優勝決定戦進出者決定戦もあったから、第4回よりは盛り上がった。 >>272
>>272
アジアチャンピオンSからプレ日本選手権の間に藤波が帰ってきたのが大きい
新日陣営に猪木、坂口、小林,長州がいてさらに藤波が加わったのでは
斎藤が同じ側に居ても存在が活きない >>273
上田の成功があったからな。
上田ほど狂乱ファイトではなかったが、あの悪党面で外人組参謀はよく似合って
いた。
ボスのマツダが結局ヒールで狂い咲き出来なかったのに対し、斎藤はシンや上田
とも組んで一時は上田とペアで竹刀まで持つスタイルで悪に徹していた。
戸口もそうだがこういう髭面の不細工はヒールが一番輝いている。
中途半端にベビーに走ると悲しいぐらい価値が落ちる。 まあ斉藤はフリー選手だし、団体内に身を寄せる意味もない。
またアマレスの下地もあるし米国での実績もある。プレ日本の後もマツダと組んで
坂口&小林から北米タッグ強奪と、親日でもその存在を知らしめて行く。
>>278
髭面の不細工はヒールと言うと、蝶野を思い出すが、
ヒールやってるのにベビー人気みたいになるのが日本のややこしいところ。 まぁ本格的に日本で斎藤がブレイクしたのは長州と組んでからという意見もある
だろう。
しかし斎藤のよさは79年から80年新春にかけて毎シリーズにかけて外人部隊の
参謀という役割。
マツダ、上田、シン、ハンセン、ローデス、ブラウン、ルスカなどといった
タイプが異なる曲者達のパートナーとして狂乱ファイトから正統派テクニックまで
幅広い試合運びを魅せてくれた。
猪木と組んでもシンと組んでも行ける斎藤は文字通りオールラウンドプレイヤー
だった。
長州がブレイクしてマサが革命軍→維新軍の重鎮になったら
佐山タイガーに普通に負けた試合を
封印して流さなくなるくらいだからな
DXプロレスのインタビューで鶴田が「カーンはあの顔に産んでくれたことを両親に感謝すべきだ(笑)」
と言ってたことをカーンは怒ってたけど、
上田、斎藤、戸口、カーンと素顔でアメリカでヒールで成功した日本人はみんな悪党面。
カブキ、ナガサキ等は普通顔だからマスク被ったりペイントしないと上にいけなかった。
武藤だって素顔のままでムタにならなかったら、売れなかっただろう。
>>283
どうだろうな。
アメリカ人から見たら日本人つか東洋人なんて、皆同じ細い目でノッペリした顔にしか
見えないんじゃないの? 上田は普通の顔に見えると思うが、カーンと戸口はかなり個性的だろ。
>>285
> アメリカ人から見たら日本人つか東洋人なんて、皆同じ細い目でノッペリした顔にしか
> 見えないんじゃないの?
それでも人相の違いはあるだろ?
>>286
上田はアメリカではあんまり売れてなかったね、そういえば。 アメリカ人だって、カーンを見たらオックス・ベーカーと同じくらいの悪人に見えると思う
>>288
オックス・ベーカーは別格だろw
俺達日本人から見ても、同じスキン&髭のスミルノフやクラップなどと比べても
段違いに極悪面。
クラップは人相が悪いが、スミルノフやコロフ、ブッチャー・バション、ブッチャー・
ブラニガンなどは元々は優しい顔が無理して悪人ルックス作ってるなって感じ。 マサやんは、最後まで東京プロレスでの序列通り
猪木より上には行かなかった。(猪木が許さなかった)
ゴッチ「(手が邪魔なんだよこの化け物!)」 そう言えばゴッチのアメリカでの動画がいくつかyoutubeに上がってたけど消えてるね。
あとでゆっくり見ようと思ってたのに・・・
新春黄金シリーズ
ビッグファイトシリーズ
MSGシリーズ
サマーファイトシリーズ
ブラディファイトシリーズ
闘魂シリーズ
MSGタッグリーグ戦
木戸の青タイツはともかく、フォークリフトの会社が何で垂れ幕張ってんだ >>296
この頃の新日のTV中継には、小松製作所や文化シヤッターがついていて凄かった
ということですよ。 >>296
小松製作所(現、コマツ)は、
日プロ時代からのワールドプロレスリングの大スポンサー。
番組のスポンサー、会場やリングの垂れ幕、パンフの裏表紙などで70年代の新日本プロレスを支えたんだよね。 割れたレコードを瞬間接着剤でくっ付けてご満悦のおじいさんのCMとか。
これは80年代前半かな。
>>283
顔だけで100Kg位あるもんね、カーンちゃん。
by田中ケロ@闘魂スペシャル >>299
70年代の新日はよく小松(石川)に行ってたな。
去年久しぶりに行ったのが新日としては37年ぶりの開催だった。 試合途中で放送終了。その直後の
がまかつのCMの憎らしさよ。
木村健吾はタッグマッチに出て必ずフォールされて負ける役だったのに
知らん間に強豪レスラーの設定になってたり
昔はつなぎで使ってたスリーパーがフィニッシュホールドになったり
必殺技だったパイルドライバが単なるつなぎ技になったり
仮面ライダーと同格レベルのヒーローだったプロレスラー達が
みんなチンピラみたいな口調でマイクアピールするようになったりで
全く興味がなくなってしまったなぁ
スリーパーだってその昔はフィニッシュホールドだったぞ
木村健悟は嫌いじゃないし、むしろ好きな方だけど
藤波の「やったー!!」のあとに彼も「やったー!!」はないだろと思ったなぁ。
じゃあどう言えばいいの?って聞かれたら答えられないけど(苦笑)
>>308
長州革命の前は日本人=正義、外人=悪が基本図式だったから。
正義だとチンピラみたいに吠えたら駄目。
俺なんか文字通り「プロレス入門」でプロレス入門したから、あれだと
日本人レスラーはグレート小鹿以外みんな反則しない正統派みたいな
描き方されてたw(何故か上田馬之助はスルー) >>310
健吾はあれでいいよ
今で言うと後藤みたいなものだ >>308
80年代前半に物心ついた世代だと「プロレスって、何でパンツ一丁のおじさんが
マイク持って怒鳴り合ってるの?」とか聞く奴がたまにいる。 確かに
新聞のTV欄で猪木、木村(健)組対○○、○○と出てたら
学校で「今日は猪木組の負けだなと」と言われてたな
オレは80年代の半ばになるとバイクやへヴィメタルに興味が移って
プロレスはそれほどでもなくなっていったな。勿論、親日の斜陽そのものもある。
>>307
「ごめんなさい!さようなら!」で最後のCM。
エンディング画面で猪木が手挙げてもらってる。 >>310
藤波「やったー!」
健悟「イナヅマー!」 >>310 いつの出来事?85IWGPタックリーグ優勝時? >>319
確かに当時タックリーグって呼んでたなw >>310
×健悟「やったー!」⇒〇健悟「やたー!」 健吾は藤波がカウント取られてもカットに入らない
逆に藤波は健吾がカウント2で返すだろうというタイミングでもやたらカットに入る
藤波は健吾を信用してなかったんだなw
>>317
重箱の隅をつつくようて悪いが
ごきげんよう な シンと上田が仲間割れになるきっかけが健吾だった。
ロスで健吾が上田のタッグパートナーになって試合をしたことにシンが憤慨。
「ウエダはイノキの所のヤングボーイと手を組んだ。裏切った。」
コレが伏線となって、78年ゴールデンファイトシリーズで府立体育館に未曾有の
観客を集めた壮絶な決着戦が組まれた。
海外で日本のストーリーと違う事をした場合は無視されるのが普通だが、
それをブックに取り入れる辺りが新日らしいな。
ただ、何で満員になったのか?
その時代をリアルで見ていない俺にはわからんのだよ。
その時は「上田なんてシンに引っ付いて反則してるだけのへっぽこおっさん」という認識ではなかった?
>>326 全然。>へっぽこおっさん
シンと組んでから猪木、坂口、小林の三本柱を相手に悪の限りを尽くし、
77年には坂口&小林から北米タッグを強奪。
また76年(昭和51)国際で木村を降してIWAも戴冠してるし。
まあ完全に国内団体所属選手とは一線を画したまさに一匹狼的存在だったよ。 つづき。
当時の親日は特に外人の手駒が乏しく、米国で人気の選手は殆ど全日に招聘されてた。
そんな状況でシン&上田の凶悪コンビをあれこれアングル企ててトップヒールにした。
役者が揃いすぎて焦点がバラつきがちな全日と違って、日本組とシン&上田の抗争を
これでもかと推し続け、マンネリ寸前の絶妙のタイミングで仲間割れブックが
見事に功を奏して大阪は立錐の余地なしってわけよ。。
>>326
76〜78年当時の上田はその後ハンセン・ホーガンなどが台頭してきた時期と違い、
「一流ヒール」の扱いだった。まず国際で木村からIWAを強奪したのが箔をつけた。
そしてそれまでショボイパートナーばかりだったシンの強力な新パートナーと
なり、その時期パートナーだったブルータスを振るい落とし、坂口・小林から
北米タッグを強奪した。
この強烈なシン・上田の衝撃が後のブッチャー・シーク組結成のきっかけと
なった。国際もバション・ジョーとエース級の極悪ヒールを組ませるなど、
各団体に影響を与えた。 >>308
>木村健吾はタッグマッチに出て必ずフォールされて負ける役だったのに
>知らん間に強豪レスラーの設定になってたり
第2回IWGPの長州も。まあ革命以降は中堅から一気に表舞台に立つようになり
この大会もアンドレも投げ、マードックや流星ら準エースからも勝ち星を挙げ
藤波を押さえる成績だった。そういえば藤波&木村健って第1回MSGタッグでも
このコンビで出場してたが不甲斐ない結果だったな。長州もなぜか坂口との
北米タッグコンビじゃなく、星野との中堅チーム。成績も下から2番目という有様。。
親日の、なんつうかあくまでも猪木への偏重振り?が如実に物語る
(「社員レスラー」は適宜、星取り調整)選手の扱いぶりだ。 あのメンバーの中でジュニアのチームが勝ち進んだら滑稽だし
北米タッグ王者が負けまくったら格好がつかないから分断したんだろ
>>22
腹減ったナア(鶴田似の柔道部主将
ウッス!!(取り巻きの部員
へいラッシャい!(四角い顔の屋台のオヤジ
まーろーやーかー(柔道部総出でリックルードの腰回し。ペヤングの味のことらしい
もう一丁イク?(四角い顔
ウッスー!!(柔道部のくせに、空手風の構え
じゃない?俺若いから知らないけどさ。
あと、BGMとして極微音で「ワルキューレの騎行」が流れてたよ! 19時からAbemaでパーキンソン病と戦うマサ斎藤ドキュメンタリー
339お前名無しだろ2017/03/19(日) 00:37:30.20
245 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2017/03/18(土) 23:27:11.05 ID:s/zxU/W1O
アントニオ猪木は借金踏み倒したヤクザに捕まって
六本木のクラブの舞台で客たちの前でヤクザに
ワイン浣腸された時、よく死ななかったな〜。
最初は【やめてくれ〜!死んじまう!】と四つん這いで必死に抵抗してたそうだがそのうち酔いが回って歌いだしたとか・・・。生か死か恐怖の借金チャラ・ルーレット。
>>338
正体は、ビリー・ガスパーはボブ・オートン・ジュニア、
ガリー・ガスパーはタイラー・メイン(スカイウォーカー・ナイトロン、ビッグ・スカイ)、
バリー・ガスパーはカール・モファット(ザ・ジャッカル、ジェイソン・ザ・テリブル)。 >>340
thx
やはりビリーガスパーはそうか
後楽園でオートンコールが起きてたもんなw
それにしても海賊男には木村健吾も扮したことがあると思う
その3人だけじゃなくていろいろ入れ代りもあったのではないか キムケン海賊は1年前の停電乱入の時だな
確かカードは藤波・ジョージvsウイリアムス・スタイナー
ワンマッチで敗れて海外に行ったことになってた
>>342
いや、対武藤、越中では?
また武藤を襲うと思ったら何故か藤波だった。 健吾兄さんは身長が高いから海賊でも何でも
ヘンテコキャラの中身に起用されるのは判るけど
アメリカでも一流の扱いのオートンJrをなんで海賊男にしたのか
当時は疑問だったが、日本でヤクザとトラブル起こして
大っぴらに来日させられないという事情があった事を後に知った
>>345
マジかwそれは知らんかった
当時のファイト誌に確か、
「ビリーガスパーの正体がWWFでホーガンを半殺しにした男だとしたら大変なことになる」とw >>345
後のIGFの猪木へのセレモニーだかで、健悟とオートンが揃って
海賊男に扮して登場して、ネタバレさせてたな。 ガスパーズは>>340の3人で確定、海賊男はいろいろ、って感じか。 フロリダで武藤を襲った海賊男は猪木
マサ斉藤に手錠をかけたのはブラック・キャット
日替わりみたいなもんだからな
名古屋で藤原を襲った海賊が誰なのかわからん
長州軍の誰かだとは思うが
健悟はいっその事海賊男にして悪の限りを尽くす大悪党レスラーにすれば
良かったかも。
三銃士が台頭、馳健が成長してきて、健吾はこのままロートル化すると思ったら
邦明が内臓疾患で長期欠場、越中のパートナーに抜擢されて
期間限定とはいえ馳と健介にシングルで連勝
不自然極まりなかったが、過去の実績考えれば妥当なのに
どうしても評価が低くなるんだよな
健悟はジュニアヘビーチャンピオン時代は良かったけど、ヘビー転向から
やられ役が長すぎてやじられ役になったイメージだな。どうしても評価が
低くなるよ。
>>355
どうだろうなあ、ジュニア王者時代ってNWAインターになるが、ロクにタイトルマッチも
放映されてなかったような。。 木村健のハイライトはやっぱ永源と組んで
国際に乗り込み、奪取こそならなかったが王者浜口&井上相手に「実力差」を見せ付けたヤツw 健悟が海賊やったのは草加の時の武藤戦に乱入してきた時じゃない??
>>355
だな。ジュニア時代は精悍なイメージもあったし、藤波との一戦は好勝負が多くて
長州より人気はあったような気がする。
ヘビー級転向とかって、藤波みたいなトップクラスが宣言するものであって、
健吾みたいな中堅なのは星野と一緒で別にジュニアだろうがヘビーだろうが
どっちでもいいんであって、健吾の活躍の場を空けておくのならやっぱりジュニア
選手のままの方が良かった。
まぁ逆にあの派手なヘタレやられ役を確立してある種の楽しみを俺たちに提供
してくれた、という意味ならヘビー級転向が吉となったかもしれないがw 健吾が一番輝いてたのは
猪木と武藤の大乱闘の時に
空気が読めずに介入してた時だな
あの猪木が素になって困ってたからなあw
>>358
タイガーが登場しなかったら、ずっとジュニアのままでも良かったかも知れんが
タイガーが主役のジュニアじゃ、いずれジュニアでもやられ役にされてたんじゃないかなあ。 81年春に藤波に連敗(WWFジュニアとIWGPアジア予選)した時
雑誌に「木村はジュニアヘビーとアジア予選は諦め、ヘビー級に転向、ハノーバートーナメントに参加することになった」と出てた
ハノーバートーナメント(IWGPヨーロッパ予選)で三位以内に入れば代表だったが木村は四位だったな(古舘もTVで伝えてた)
ヘビー級に転校した後なのに、タイガーと藤波の六人タッグマッチ組まされ
キッドにピンフォール負け飲まされてるのを見て
「あぁ、コイツは一生藤波の上には行けないな」と思ったものだ
藤波よりも上背はあるし、ルックスも悪くはないから
健悟が順調に成長してりゃこっちが次期エース的に推されてもおかしくなかったろうにな
>>359
猪木が、お願いだからどいてくれみたいな表情してたのが印象的だわw 藤波は猪木を慕って創立からの所属。
木村はさんざん問題を抱えた旧日プロ合併で坂口に追従し入団。
わかるよね。。w
試合が良ければ越中のように、外様エース(ジュニアだけど)だってありうる。
ケンゴは試合つまらんし、受けも弱いからさすがにプッシュされないだろ。
でも健悟って1987年はけっこう売り出されてたよね
記憶にあるのが
年初の藤波との因縁で、後楽園ワンマッチ興行
春に外国のジェットセンターでマーシャルアーツ修行で凱旋、闘魂LIVEで異種格闘技戦
暮れのタッグリーグで長州からフォール勝ち
前年秋のタッグで猪木が本気で怒ってたなら、この売出しはあり得ないから大して気にしてなかったんじゃない?
>>367
正規軍で他にいなかったから売り出されただけでしょ >>365
健吾のwikiは興味深くて面白いね。
NWAの3大王座の一つライトヘビー獲得は実はヘビーの馬場、Jr.ヘビーのマツダに次ぐ歴史的快挙。
>>368
他に正規軍で売り出されたのは80kg位の若手の高田、中堅でくすぶってた藤原。
健吾が正規軍の中心にいるのは何らおかしくない。 >>370
他にいなかったから入れたのは高田と藤原だろ。
維新軍だって咬ませ犬前の長州、谷津、浜口は健吾と同クラス、寺西、小林は健吾以下だろ。 >>371
高田、藤原もそうだが、健吾もだろと言っている。
長州、谷津、浜口は健吾より格上だった。
第5回MSGシリーズに長州、谷津は出場したが健吾は出てない。
浜口はシングルで藤波、長州にこの時点ではフォール負けしてない。 >>372
じゃあ正規軍は猪木、藤波、坂口だけかw
長州の咬ませ犬前なら長州、健吾、谷津、浜口はほぼ同格。
S55には健吾が浜口をプランチャでKOしていて健吾>浜口 長州と浜口は維新軍でかなりの格上げはされてたな
五対五の勝ち抜き戦で健吾は決定的に離された印象
谷津にピン勝ちといっても藤波、高田を下した後の疲労状態
その次の浜口にはアッサリ負けて不甲斐なさ爆発
タッグマッチで集中的に攻撃されて這うようにタッチを求めて足を引っ張られて
相手コーナーに戻される。やっとタッチしたらリング下かエプロンでダメージを
回復するために寝っ転がっていると客からいつまで寝とるんやはよ起きろやとか
ジェットセンターもう一回行って鍛え直してもらえと言われる可哀想な健悟。
本人的にはリアルな演出の一環のつもりなんだろうな。
日本版リック・フレアーだな。
試合が終わったら飲みに行ってカラオケ歌う
木村健悟のWikiは、ホント熱心な健悟マニアいるんやなと思うw
>>377
何回踏ん張ってもパワーボムが持ち上げられないのも
ムーブの一環なのかねえ >>375
長州、谷津は健吾より格上だったと言ってるのに、何でそれを無視する?
健吾が出てないMSGシリーズに出てると証拠まで出してるのに。 移籍したての頃はメインの扱いだったタイガー戸口
維新軍が出来て長州が台頭してくるにしたがって
ふた回り以上小さい浜口より格下に落とされていった
プロレスクラシックでジャパンカップタッグリーグをやってたが、エリック兄弟の特別参加あったのすっかり忘れてたな。
つかG1クライマックスやSGタッグリーグとか、このJCにしろ新日フロントには競馬競輪が好きな人間が居るんだなw
健悟がフレアーばりに相手が攻撃しようとした時にノーノーとやったら
客から金〇ついてるのかとやじられるな。
>>381
かませ犬時点で複数のシングル王座獲得しているのは猪木、坂口、藤波、健吾だけ。
長州はUWAヘビーだけで浜口は複数タッグ、谷津はタイトル歴なし。
猪木、坂口以外はどんぐりの背比べ状態。 >>384
NWA世界戦フレアーvs健吾だと、へたり合戦か?w >>383
競馬好きの坂口が考えたとのこと
>>382
戸口は83年のゴングで「俺は正規軍・維新軍どっちでもいいんだけど維新軍のほうがギャラが高いから維新軍に入ったんだよ」と言ってた >>385
そんなの関係ないね。その当時の格が健吾は長州、谷津の下だったのは
MSGシリーズに参加できたかできなかったかで明らか。 >>385
木村健のタイトルってヘビー級じゃないからたいして評価されて無かったよ。
長州は坂口との北米タッグホルダーとしてヘビー級相手の防衛戦、TV中継でも露出頻度はあった。
さらにUWAは猪木も戴冠した世界ヘビー王座として充分アピールし、
藤波への下克上の足がかりとなる。。 >>385
グラン浜田はその時点で5つほど獲ってるから浜田>健吾だよな
>>388
健吾ってMSGで試合したことも無いよね
後輩の長州、谷津、タイガーマスク、コブラ、前田(新日辞めた直後だが)はあるのに >>388
MSGシリーズなんてヤマハ、永源、木戸、藤原、荒川も出てるぞw
81年に谷津がデビューしているから82年に出させただけ。
谷津が維新軍に帰国後の83年末のMSGタッグには健吾は坂口と組んで出てるが
谷津は帰国直後なのに出てない。
>>389
藤波が取ったWWWFJジュニア、WWFインターは新間が作ったタイトル。
健吾が取ったNWA世界ライトヘビーはNWA認定3大タイトルの1つ。 >>391
健吾が出ていない、というのは決勝リーグのことだろう。
予選リーグなら健吾は78年、80年に参加してる。
ただ予選は80年で廃止になったから。81,82年にエントリーされなかったことが
谷津>健吾ということだと言いたいと思う。
まぁしかしこういうデータがちゃんと残っている件で争うのならまずググって
事実を調べてそれから争点を見出せばいいのに。 1981年6月に谷津が猪木と組んでハンセン、ブッチャーと戦った翌年1982年初旬発売の
ブロレスアルバム「アントニオ猪木と過激なる軍団」の表紙は当時の新日トップ軍団。
健吾、藤波、猪木、坂口、長州、木戸、タイガーマスク。谷津はいない。
キラー・カーンはWWF参戦中、外敵扱いの国際軍団、戸口もなし。
谷津は鳴り物入りデビュー間もないため試合が塩で格が付けられる状態ではなかった。
>>393 ID:pWvvyXiaa
なんだか、木村健の比較の基準が谷津になったり長州になったり藤波になったりで
バラバラじゃんよw 3人まとめてそれより上じゃあない訳だwキムは。 新日時代、谷津は藤波、長州、健吾にフォール勝ちなし。
新日時代、健吾は藤波、長州、谷津にフォール勝ちあり。
当時の谷津は鳴り物入りだがフィニッシュ技もなく、丸め込み技もなく塩だった。
周りが育成しようとしたが、谷津が開花したのはジャパンに行ってから。
>>395
谷津は木村にシングルでフォール勝ちしてる
1984/8/6 ペシャワールスタジアム
谷津(首固め、10分5秒)木村健 健悟ネタでここまで引っ張れるこのスレ嫌いじゃないぜ
>>391
> MSGシリーズなんてヤマハ、永源、木戸、藤原、荒川も出てるぞw
でも健吾は一回も出てないのかw全然格下じゃんww
> 藤波が取ったWWWFJジュニア、WWFインターは新間が作ったタイトル。
> 健吾が取ったNWA世界ライトヘビーはNWA認定3大タイトルの1つ。
新日では健吾より藤波の方が格上なのが確認されただけだな >>395
健吾は新日時代以外、何時代があるというのか?(当然、若手日プロ時代は含まず) NWA世界ライト戴冠時や上田とロスで組んでたネーミング、朴(パク)チュー
やっぱ木村だけに。。。w
健吾はメキシコでNWA世界ライトヘビーを実力で取った
藤波はWWWFJジュニア、WWFインターを
新日のお膳立てで取らせて貰った
この理屈は長州も言ってたな
猪木やタイガージェットシンが取り合ったUWAヘビー級を
俺は実力で取った、藤波は初めから用意された舞台で
譲渡されただけじゃないかと
プロレスがブックありだと思われかねない危険な発言だった
長州が自力でUWA獲ったのってホントかな?
その頃既に猪木が体調不安だったから、
最初から藤波と抗争させるつもりで新間がUWAにお願いしたんじゃないのか?
>>402
同意 なぜあのタイミングでメキシコだったのかって思うと後の展開も含めてそういう流れを汲まれたと思えるんだよな >>401
> 健吾はメキシコでNWA世界ライトヘビーを実力で取った
> 藤波はWWWFJジュニア、WWFインターを
> 新日のお膳立てで取らせて貰った
これをこのままストレートに解釈するなら
メキシコでは健吾>藤波、日本では藤波>健吾ってことだろうが
そういうケースはいくつもあるからな。
ストロング小林なんかAWA,でもWWFでも王座に挑戦したんだから
アメリカでは小林>猪木だ。 つーか当時の雑誌を信じるならメキシコでは圧倒的にUWA>NWA(EMLL)だったらしいが
>>403
>なぜあのタイミングでメキシコだったのか
前年にストロング小林もメキシコ行かされたの知ってるだろ?
それとこの年(82年)のMSGシリーズの長州の成績も。
あの時点で革命を計画してメキシコ行かせたと?w
ミスター高橋も書いてただろ?
「こいつ、辞めるんじゃないか?」って。 長州自伝の中で、メキシコには車の免許取りに行ったって書いてたな
メキシコ人でヘビーは少ないからメキシコの主流はライトヘビー、ミドル。
80kg〜90kgぐらいの浜田あたりが主流のサイズ。
ヘビーは長州、戸口、藤波とか外敵が多いからルチャの試合になりずらい。
メキシコと言えば、新日は
顔面蹴撃事件後前田をメキシコに行かせて、
ドレッシングルームでカネックの義弟である
プロモーターに刺させる計画だったんだよな。
新日こええよ。何考えてたんだよ。
猪木の延髄で派手に一回転するトニーセントクレアの印象w
>411
稲妻十番勝負やりたかっな。
猪木、藤波、坂口、長州、R木村、アンドレ、ホーガン、マードック、ブッチャー、スーパースター。
健吾の0勝10敗。
>>412
坂口は健悟をフェンスの外に投げて反則負け。健悟は坂口を指刺した後に自分
の頭を指さして俺とお前とはここの出来が違うとアピールして坂口を本気で怒
らせて半殺しの目に合う。 テレ朝チャンネルの俺の激闘面白いな
藤原の話も面白かった
佐山タイガーのヘビー十番勝負も見たかった。 絶対無理だろうが。
シン
ハンセン
ホーガン
アンドレ
ローデス
バックランド
ブッチャー
猪木
坂口
藤波
MSGタッグでアンドレ&荒川組とか面白かったかも。
猪木&ホーガンvsアンドレ&荒川でホーガンが荒川の目潰し、浣腸、円月殺法でおちょくられて悶絶。
>>418 「MSGタッグ」時代に前座起用って。。。w
第一回のルスカ&アレンって白星配給にするにはもったいない、優勝戦線に絡む
チームだろ!って今から思えばという話。 >>419
藤波、長州が名勝負数え歌をやってて、
新日上層部で「健吾はどうしようか?」というのはあったはず。
MSGタッグでアンドレ&健吾組で優勝させて健吾に箔を付けさせるとい考えは
新日には、ないよなw >>418
考えや思いは一度咀嚼してから発表した方が良いと思うな。 ナウリーダーvsニューリーダー決定
坂口「荒川、お前、絶対に行くなよ。ややこしいことになるからな」
荒川「行かないですよ。それで本番やってる時も坂口さんは僕の隣で僕の手を掴みながら
『荒川、お前、絶対に行くなよ。やこしいことになるからな』つて言ってる。」
>>405
>つーか当時の雑誌を信じるならメキシコでは圧倒的にUWA>NWA(EMLL)だったらしいが
EMLL (NWA)は歴史ある団体でアレナメヒコがメイン会場だった。
ルー・テーズが立ち上げに関わったUWAは新興団体で屋外の闘牛場のエルトレオがメイン会場だった。
日本で例えると、老舗EMLLがNWAを基盤として全日で、UWAが新日みたいな感じでは? MSGタッグつうと、第2回のハンセン&マードックのロングホーンズ。
同郷でお互い似たスタイルの強力コンビだったが、やっぱ一回限りだったので
さほど印象が残っていないな。。たとえばコンビとして超獣組やアウトローズほどのね。
他にもアンドレ&グレイは優勝したし、ハンセン&ホーガンも両者のスター性が際立ったチームだったと思う。
そんな感じでハンセン&マードックももう少しその活躍を見てみたかった。。
続き。
で、その第2回の日本組筆頭、猪木&藤波の師弟コンビ。
さすがに相手が大巨人組じゃ勝ち目がないw まあ連戦のハンデはあるが。
やっぱデカイ外人相手だと体格面で藤波って見劣りするねえ。
後の82年MSGでのアウトローズとの試合でも猪木の絶不調もあるが藤波のパワー不足、
それ以前だと、79年闘魂Sの緒戦。親日初登場のローデス&Pモラレスとの豪華タッグマッチも
いいようにやられてなんとか反則勝ち(だったっけ)を何とか拾ったという醜態。。
この辺はやっぱ全日の馬場&鶴田の師弟コンビのほうが分があるんだろうなと。。
打ち合わせの時に荒川は坂口から「お前はやり取りに参加するなよ」って言われていた
本番(リング上での実際のやり取り)の時でも坂口に「ダメだぞ」って釘を刺された
って事だろう
猪木&ローデスとかハンセン&ボックとか夢のタッグも面白かった。1980〜81あたりは最高の時期
猪木・ホーガンは強すぎて逆につまらなくなった。
あと初めはスリリングだった猪木・藤波も84年には飽きてしまった。
だから85の猪木・坂口は逆に新鮮味が出て面白かった。
88年のジャパンカップタッグは派閥解消の6人タッグで面白かった。
猪木、長州、星野
藤波、蝶野、橋本
健吾、藤原、木戸
坂口、マサ、後藤達
マシン、タイガー、ジャガー
ジョージ、サザンボーイズ
マードック、オートン、スコット・ホール
このタイガーって歴代のタイガーから漏れてるよね
誰だったかなぁ?ジミー・バックランドじゃなかったのは確か
ザ・タイガーとザ・ジャガーやっけ?
大矢と笹崎やったかな?
その二人の謎のマスクマンって、佐野と畑じゃなかったっけ?
>>436
小杉はその年の3月で引退してるし、新倉は休養中。 つ、つまらん・・
確か大矢が、まだ新人だったのにメインで猪木と対戦できて貴重な体験だった、って後に言ってたな。
藤波や長州ともほぼ唯一の対戦なんじゃないか?
>>430
そうだよな。日本人対決路線じゃなくて豪華外人路線が好きだった。
82年MSGシリーズまではまだその傾向が残っていたが、下半期は国際軍団との抗争や
長州革命で一気に軍団抗争オンリーになってしまい、外人が完全に疎かに
なったのが最悪だった。
バックランド・ローデス・ボックといった豪華ゲストも82年4月以降はさっぱり
来日せず(バックランドは一日だけ参戦したが)、それも豪華外人路線終焉を
はっきり物語っていた。
確かに日本人路線の方がギャラもかからず、収益は上がるだろう。だが、日本の
プロレスがせっかくワールドワイドのスケール感が広がって夢がいっぱいだった
のに、わざわざ収縮して内輪揉めで盛り上がるのが不満だった。当然カードも
毎回毎回同じようなものばかりになり、マンネリ化が急速に進む。
短期的には盛り上がっても、通常シリーズは日本人vs外人、それに絡む形で
軍団抗争も交えるという形式にしてほしかった。
それまでの新日はS・小林、大木金太郎、狼軍団などといった日本人対決は
あったが、あくまで限定イベントであり、通常は日本人vs外人だった。
爆発的な人気や収益性はなかったにせよ、いい意味でも悪い意味でもそれで
安定していた。
シン・ハンセンが残っていれば全然違う流れになっただろうに、残念でならない。 また日本人対決は勝敗や処遇も絡んで選手間の軋轢を生む場合が多くこれ以後に数多くの離合集散が繰り返される事になる
>>442
> 確かに日本人路線の方がギャラもかからず、収益は上がるだろう。だが、日本の
> プロレスがせっかくワールドワイドのスケール感が広がって夢がいっぱいだった
> のに、わざわざ収縮して内輪揉めで盛り上がるのが不満だった。当然カードも
> 毎回毎回同じようなものばかりになり、マンネリ化が急速に進む。
俺が今全くプロレスを見なくなった理由がこれだな。 新日も全日も85年くらいまでの世界観まではなんとか許せたけど
86年頃から今日に至るまで内輪内の楽屋落ちプロレスになっていったからなあ
86年以降は2ちゃんでもあんまり語る気が起きないな
馬場も90年代の超世代や四天王全盛になると
アメプロに批判的な事、言ってたが、要は長州達が来て日本人中心でも金になる事に気付いたんだろうね。
>>446
> アメプロに批判的な事、言ってたが、要は長州達が来て日本人中心でも金になる事に気付いたんだろうね。
結局はジリ貧になっていって今の状況だけどな 89年のレッドブル軍団はチョット期待持てたかな。
ハシミコフやザンギエフのプロレスへの適性はまあ合格点だったし
長州、橋本やベイダー、ビガロらとのIWGP日米ソ三国戦は面白かった。
まあ「89年(昭和64=平成元)」という時代そのものもアレコレと象徴的だったしね。。w
>>448
ハシミコフの水車落としは、抱えて後ろに落とすだけだから大したことない技だよな。
浜口のバックフリップの方が威力ありそう。 >>449
浜口は相手の片足がいつもバランス悪くてひやひやしたわ >>448
あの年は猪木-長州両国みそぎから新展開、って感じだったな。 >>449
いわゆるブロックバスターホールド(バックフリップ、山嵐)とかの派生技だよね。
別スレ(ボックw)で話題に上がるゴーディエンコも得意技だったけど
ああいう技ってアメプロよりか欧州、ロシア大陸的な?技なんだろうか。。 ラッシャーと剛の二人にはU離脱後に戻ってきてほしかった。
この二人でもいればタッグリーグも救いになった……
ラッシャーと猪木のタッグ、なんて実現したらよかった。
ラッシャーはともかく剛は戻ろうとしても反対多数で戻れなかっただろうな。
山田や佐野は剛の事どう思ってたんだろう?
>>453
猪木とラッシャーはどんな連携プレーを見せるか?
猪木がバックドロップで抱えて、木村がトップロープからのラッシングラリアット?
木村と猪木のツープラトンのパイルドライバー?
維新軍と被るが、木村はトップロープに登れるか? 木村に「アニキ」なんて呼ばれる猪木は見たくないなあw
友情コンビ猪木上田はしっくりきたな
駆け出し時代や、顎日プロ復帰当時からも仲よかったらしいし
木村と猪木じゃ相性が悪いんじゃないか
>>444
だよな。プロレスは大相撲と違って、せっかく外人や世界各地と幅広く対戦や
活動できるのに、結果企業利益だけを重視してどんどんスケールを小さくして
行ってしまって魅力をそぎ落としてしまった感じ。
大相撲から転向した力道山は「裸一貫で海外で稼げる。こんな商売他にあるか!」と
大相撲にはないプロレスの魅力を痛感した。馬場も「化け物キャラ」とはいえ、
MSGでメインを張ってNWA・WWWF・WWA挑戦という快挙と多大なギャラ(東郷などに
ピンハネされたとはいえ)を得て、プロレスと海外(主にアメリカだが)という
広大なスケールの魅力に取り付かれたはず。
それは猪木も同じで、NWAにどれだけ固執してたことか。
単に利益を上げるだけでいいのなら、日本人だけでチマチマ軍団を作っては
仲間割れ→新たな軍団結成をエンドレスで繰り返し、その中でタイトルらしき
ものを作って回しあいすればいい、という発想が思いつくだろう。
だが、それは本来日本のプロレスが日本人に受けた魅力じゃない。
大きい外人を打ち倒す小さい日本人ヒーローが受けた。
それは時代が変わっても根本的には「勧善懲悪」「外人コンプレックス」という
概念はどこかにある。
それをわかってないな。 今の日本の格闘技界も同じ感じなんだよな
PRIDEやK-1全盛時代は海外の強豪も呼べたが、今や世界の格闘技ビジネスが発展し過ぎて
日本の団体じゃ資力金が違い過ぎて世界のトップクラスの選手と契約出来ない
国内トップ選手もみんな目指すのはUFC、だから日本人対決や軽量級に頼るしかないのが現状
時代はやっぱり繰り返すんだな
ここは頭おかしい奴がいるな。
外人がWWFとNWA(WCW)へと集約されて、日本には来てくれなくなった事に関して全然触れてない。
結局、自分が気に入らないというだけの事を、あれこれ肉付けしてさも真実であるかのように塗布する馬鹿
>>456
猪木の方が木村よりも2歳年下だから、猪木が木村に「アニキ」だなw >>461
お前の知識の無さも、なw
83年時点でその動きがあったか?ってw
時代検証もニーズも把握できない阿呆は長州と一緒w
あ、だからアキム・カリム程度に凹られてベソかいてる長州ファンなんだ。 アキム・カリムの前身はレイ・キャンディ、レロイ・ブラウン。
多分>>461はそんな基本的なことも知らない無知無能だろうから一応教えて
あげよう。
彼らがいつ来日してどういう活躍したか。
一人はそこそこ「活躍」したが。それも全く知らないし興味も持たないだろう
>>461には馬の耳に念仏だろう。
歴史を少しは勉強したら?と、頭の悪いあなたにアドバイスだけはしておこう。 >>463>>464
83年から日本人抗争をスタートさせて結果的に良かったって事が分からない知障だな、お前らは。
85年以降は良い外人があまり来なくなり、そこで日本人抗争をスタートさせたら仕方なくって感じで落ちぶれたもんだと思われただろ。
お前ら馬鹿だから、83年の時点でプロレス自体が斜陽に入ってたという事に気付いてなかったんだろ。
シスコ、デトロイト、アマリロ、バンクーバー、ハワイは有力プロモーションが閉鎖してテリトリーがかなり減った。
ヨーロッパも確実に下降してた。
WWEのおかげで息を吹き返したがな。
ホント、プロレスってのは馬鹿が見るもんなんだなと大人になってわかったわ。 日本人抗争をした挙句が今のザマだろ?
アメリカだけがマーケットなのか?
本当に視野が狭くて、自分だけが正しい阿呆だよな。
83年。どれだけまだアメリカにスターがいたのか。
それと日本人抗争でどういう弊害が出たのか。
その検証もできない無能。
>>ホント、プロレスってのは馬鹿が見るもんなんだなと大人になってわかったわ。
その検証もできない無能。
それはお前がお前自身に言ってるということで。
ムキになっちゃって可哀想。
こういうのは周囲から煙たがられてるのに全く気づいてないタイプだな
>>468
お前だろう、「俺クールだし周りから人気ある」ってイケてると勘違いして
実はキモがられてるタイプは。
で、お前の意見や知識は?
人の批判して自分が出来る男だと思わせるのは周囲が無能な環境だけ。 >>468
ID見たら>>468=465じゃねぇかwww
結局自分が対応出来る知識・知能がなくて答えられなくてそういう逃げを打った
だけなんだろう。
通常のやりとりをしているならそれもいいかもしれないが、知障やら馬鹿やらの
表現をしているだけにその姿勢は最低と言わざるを得ないな。 >>470
お前のような馬鹿は必ず「逃げた」とか言い出すんだよなwww
凄い分かりやすい。
もう1回書くが、良い外人が来なくなってから日本人抗争始めても遅いんだよ。
結果的にあれで良かったんだよ。
80年代後半から90年代前半は「WWF帰り」という点に注目したけど、
WWFを首になってもWCWに行っちゃうし、日本に帰って来たスミス(単独来日の場合)やアドニスもいまいちだった。 大体、85年の新日なんて日本人抗争は前半にマシン軍がいただけで主流じゃなかったが、
ブロディ以外の外人に満足できたのかよ。
自分の都合の良い部分しか思い出せないのは痴呆の証拠だな。
>>472
本質的なことを全く理解していない。
ブロディとかマシンとか限定的にしか書いてないことがそれを物語っている。
木を見て森を見ない。
無能の典型だ。 あのさ、じゃあ日本のプロレスが何故いつから日本人vs外人になったか。
その原点と理由をわかってて言ってる?
まずそこから理解してなくて、やれWWEがどうたらとかその時系列の限定だけで
語っていてもさ、お前が無能なのはわかってるけどどこまで無能なのかが
知りたい。
基礎知識があった上で噛み付いてるのか、本当に無知無能なのか。
当たり前だって。
嫌いなのは俺の書き込み見てわかるだろう?
わかることをいちいち語るな。知識も知能もねぇくせに。
反論するならスレが盛り上がるぐらいのネタを盛り込んで来い。
ただ人を罵倒するだけなら幼稚園児でも出来る。
お前らはそのレベル。
俺は当時やっと物心ついたばかりのガキだったけど、
外人より長州の方がテレビ的にも受けがよかったんだと思うよ。
とにかくカッコよかったし。
中学生のお兄さんたちは、「革命戦士」て書いてあるエチケットブラシを
持ってたし。
外人時代を続けても、中学生がこぞってハンセンやバックランドのエチケットブラシを
持つ時代は訪れなかったと思うよ。
>>477
新日は81年に国際が来たあたりから日本人対決に路線変更した。
国際、革命軍→維新軍→マシン軍→UWF→ジャパン軍→
ナウリーダーvsニューリーダー→Uインター・・・
全日がNWAを主流にした対外人で新日が日本人対決ということで個性があってよかった。
健吾「あの頃の長州は長髪をなびかせながらのエネルギッシュなファイトで
敵として見ていてもカッコよかった」
やっている選手もファンも、そんな認識だったのでは? ただ長州が嫌いというだけで、ここまで喚き散らせるんだから、キチガイの才能があるな。
キチガイとは議論不能www
>>452
国際に来日してIWAタッグを取ったサモアンズがやってからでは?
浜口はそれまでエアプレンスピンで回してポトンと落としていたのをバックフリップにした。 >>449 後達が「他のレスラーが水車落としみたいな要領で後ろに投げてもあまり効かない。でもハシミコフのは凄く効く」って当時のインタビューで言ってたw 三ケ田明弘の現在が悲惨だ。妄想に支配されたようなブログ 生活保護でないと暮らせなくね
>>481
当時から感じてたけど素人目に見ても体重の乗せ方が上手かったからねハシミコフの水車落としは
時には後のシュバインやオートマチック・ミッドナイトみたいに(ハクソー・ヒギンズが猪木にカマしたバックフリップにも似ていた)後頭部から落とす危険な形で仕掛けてもいたし >>483
ハシミコフは反ってブリッジ効かせながら落としてるよね >>484
新日となんか関係あったっけ?
S以降は覚えてるが >>484
ブリッジ効かせると技の威力が増すのか?w >>484
ブリッジ効かせるというか
背筋効かせると
力の逃げがなくなり
加速度そのままダメ押しまで付くから
ただ後ろに倒れるだけの投げ技とか
一見派手な投げっ放しより
ダメージ与えられるよな。
わかんねぇなら教えを請うか
てめえで考え調べればいいものを
(´艸`)・・・ナンチャッテ(^д^) 確かに水車落としは説得力が足りなかったな。
相手をパーテールポジションにさせてからのスープレックスなら、
大きく弧を描き姿勢の変化が大きいので受身がとり辛い等の説明を付ければ
説得力も得られたかも知れない。
平成元年に橋本を破った水車落としは凄く見えたけど、ベーダー戦のはいまいちに見えた
新日本はベイダーをベーダーと表記してたよねw 有明コロシアムの電光掲示板w
オフィシャルをオヒシャルと書いていた団体もあるぞ
ちなみにスマホでおひしゃると書いて変換ボタンを押すとオフィシャルと予測変換されます
ハシミコフには、なんかすげえフィニッシュ技を与えるべきだた
水車ではなくて
たとえば、もっと頭から落ちるように見える技
裏投げのアレンジみたいなさ
あと、サンボもできたんなら足や膝関やらせるとかな。
コーチが悪い。マサか馳だろうが。
投げて腕固めろ、って教えんのは良いが、それで終わってたやん。
教えるならちゃんとやれ、素人相手なんだから。
もったいないんだよな。
ハシミコフに変わったスープレックスかなんかやらしてたら、あと数ヶ月はもったぞ?
両国で、ヒロ松田馳がなんもできなかった状態をずっと引っ張らなきゃだめだったんだよ
ソ連連れてくる体で小銭持ってった猪木は仕方ないから、あとは上手く使うしかなかったろ
橋本が4の字で倒しちゃうとか、早すぎだったんだよ
ま、ソイヤーは素晴らしい仕事をしたがな
レッドブル語らせたらうるさいぞ俺は。
テーマ曲も、なぜ皆アレだけなんだ?
ファファファファんファファファんファファッて。
シン対ブッチャーの吹風呼嵐連打じゃあるまいし。
ひとりくらい、テトリスのBGM使わせたらよかったんだ。一週間とか。
>>497
うるさいという割にはレッドスペクタクルとか紅い眼鏡とかのワードが出てこないんだな。 >>497
ご存知か解らんが、俺は当時モスクワ放送の「ラジオジャーナル 今日の話題」
のオープニングで流れてた曲にしてほしかった。
当時のレッドブル軍団のイメージにあってたと思う。特にハシミコフなんかピッタリだと思ったが。 IWGP決勝戦の後のリング上でニューVSナウが勃発したときは、再び凄い新日ブームが来ると思ったけどあんまり盛り上がらなかった…。ゼロワンのリング上での盛り上がりはこれを真似たのかな?
長州ありきの世代闘争なのにテレビに出せない。挙げ句の果てには出れるようになった時には終わりだったからなぁ
>>497
>ファファファファんファファファんファファッ
何だか分からんw 世代闘争勃発とかの試合後のリング上ドタバタって確かにワクワクしたよな。全日本にハンセン乱入もそうだった。ゼロワン旗揚げのもそうだったけど、第3回MSGシリーズ中の生中継でアンドレなど豪華外国人達が何人も乱入したときは圧巻だった。幼いながらも興奮した記憶があるw
たしかアンドレがスタスタと走ってリングに乱入したw ド迫力w
本日、猪木引退試合から19年。
復帰すれば大金が入るのに、復帰しないのは立派。
>>505
ゼロワン如きと第3回MSG豪華外人、最強タッグでのハンセン乱入を同列に語るとは余程
思い入れが深いんだなw
基本的に国際軍団や維新の雑魚どもの乱入はただ試合をぶっ壊してファンのフラストレーション
をマックスにする不快以外の何者でもなかったが、シンやブッチャーといった極悪ヒールが
通路に現れてファンが総立ちになるあの興奮を演出する乱入は大好きだった。
あと乱入じゃないけど再三上田が私服で「観客」を装って観客席で静かに観戦するのも
不気味な興奮があったな。
あれは演出なのか、それとも上田のアドリブなのかはわからんが。 505だけど
ハンセン全日乱入は蔵前に最強タッグ決勝を観に行ってたから凄い興奮しちゃったw 翌日小学校で話しても誰も信じてくれない歯がゆさw ネットはないし、小学生だから東スポも買わないしw
>>509
信じてくれないってレベルで良かったな。
キチガイ扱いされてもおかしくなかったんじゃ。 第3回MSGシリーズのハンセンVSバックランドとか、第4回MSGシリーズのハンセンVSホーガンはノーテレビだったよね。残念だなぁ
>>513
第3回のアンドレ×ローデスもね。
でも映像が残ってて観れるようになるとは思わんかった。 第3回のTV会場だけど放送なかったカード
高松(生) ローデスvsチャボ(放送開始前に終了)
大阪(録) 猪木vsS小林、アンドレvsハンセンの特別試合
そうそう、こういった豪華外人同士の「夢の対決」ってのが80・81年とピーク
を迎えていた。
ニューヨーク勢に加えてシンやボック(シンとは入れ違いだが)まで加わって
まさに多国籍の豪華絢爛だったのに、シン・ハンセンが全日へ行って猪木が糖尿
でダウンしたら一転して外人は新規はアドニス・オートンぐらいが当たってあとは
どうでもいい存在(に新日がした)。
テレビを付けたら一年前までは短髪でドタバタファイトでダサさ満点だった
男が長髪でかっこつけていきがって態度も悪くなって調子に乗りまくりの姿
ばかり映るようになってしまった。
こいつは外人とは全く名勝負を作れず、舐められたり怒らせたりでとても
外人と絡ませれない。
よって新日はホーガンを最後にこのクラスの超大型外人はブロディまで空白
期間となっていく。
ブロディが来て久々に豪華外人路線復活と思ったが、策士の新間がいない
アングルは杜撰で、期待されたブロディvsアンドレ、vsホーガンも実現させれ
なかったという大失態だった。
維新の雑魚路線さえあそこまで強化しなかったらもう少しいい外人を育てられ
たかもしれなかった。
谷津はデビュー戦でブッチャーとハンセンに潰された。
リッキー・スティムボートの日本デビュー戦もブッチャーだが
これはいい試合やってて、リッキー組の反則負け。
馬場と猪木で新人の扱い方が違う。
スティムボートはブッチャーの地獄突き一発、カマタのジャンピングトーキックでの受けが素晴らしい。
ダウンロード&関連動画>>
&t=535s 長州が悪いんじゃなくて、猪木の不摂生が悪いんだが。
85年はピンチだと言われてたけど、シリーズごとに外人を新規開拓するなど、
「新しい外人スター」を育てるチャンスでもあったし、それに期待してた人も多かったと思うけど、
残念ながら猪木のファイトに魅力がなくなってしまっていた。
フィニッシュが「延髄撫で」になってしまって面白くも何ともなかった。
>>518
潰されたというのは再起不能になった場合に使う単語だろ。
確かに良いところなく敗れたが、
塩レスラーをメインで使って大会場を満員にさせようとした営業的作戦というだけで、
谷津のファイト内容なんて大して意味はなかったんだろう。 MSGシリーズとかでビッグマッチや夢のカードが結構、高松文化センターや
徳島県立体育館のように四国での興行が多かったが、有力プロモーターがいたんだっけ。
あと、広島県立や福山市民とかの中国地方。
>>518
なんで立場もキャリアも違う
谷津とリッキーを比較対象にしてるのか全く意味不明 >>520
>潰されたというのは再起不能になった場合に使う単語だろ。
違う。
>>522
谷津は新日のエース候補だがキャリア1年弱、リッキーは3年で共に期待の星。 84年のIWGPで猪木藤波VS長州マサがメインに組まれたときは腹立ったな。IWGPと関係ないじゃをかよ!とw
>>524
強豪外人が集結!
でもメインは軍団抗争w
んなもん見たくねーよって思ったね。 次のサマーも最終戦が猪木対シュルツの予定が対長州に変わってガッカリ。
新日はもう未知の強豪開拓路線に戻らず、ストーリーの中でないと試合を作れなくなってしまった。
そのシュルツも藤波に負けるようでは……
シュルツも新日が何とかシン、ハンセン、ホーガンなどに続く大型大物外人に
育てあげようとしてた感があったが、長州始め維新の雑魚どもがシュルツを
立てれなかったのと猪木の衰え、そして長らく日本人抗争ばかりやっていて
昔みたいに外人の良さを生かす術を忘れてしまった感があった。
アドニスもしかり。維新・国際の糞どもの抗争に潰されてしまった。
しかし長州は82年MSGが散々な結果に終わって腐って辞める寸前だったところを
持ち上げられて一気にブレイクしたのに、恩を仇で返すというか、猪木ですら
育ててもらった日プロに復帰後4年も尽くしてきたというのに長州は革命後
たった2年で飛び出して調子に乗って「俺最高。俺世界一」と勘違い。
その後は「全日本には夢がねぇ」とかほざいて新日にそ知らぬ顔で舞い戻る。
こんな男のためにどれだけ日本のプロレスの良さが奪われたか、そしてどれだけ
大勢の人が泣かされたか。猪木は批判もあろうが超大物、未だに元気で国会議員。
片や、借金返済のため、汚い面でバラエティに出続け、プライドも捨てて
糞みたいな道化師と化してる“革命戦士”。
悲しいな。
85年になるとアンドレですらマスクかぶせられて道化役になってしまったね。
あのシリーズでそれまで我慢してみていたファンが見限っていったんじゃないかな。
正規軍陣営も四天王と新加入の越中だけでは魅力もないし。
若手を起用して新鮮さを売りにしたのがようやく復調の兆しってところか。
でもせっかくだから小杉山田と越中の確執をテレビで放映してもらいたかった。
力量的には越中が上だけど若手二人の意地を見せるのがいいんだよ。
>>530
アンドレのマスクもあるけど、一番くだらなかったのが
ミスター高橋の疑惑のレフェリングだな。
女子プロレス阿部四朗のパクリ。 >>531 あれは催眠術をかけられていたんだ。許してやろうよ。 あのシリーズで
アンドレにマスクを被せずに普通に呼んでたら
逆に何も印象の残らないシリーズになってたかもしれない
>>519
バンディ、ヒギンス、シュルツ、ビリー・ジャック、ブロディ、スヌーカ、WWFと今からすると豪華だったんだけどね
日本人が猪木、藤波だけじゃなあ >>519
バンディ、ヒギンス、シュルツ、ビリー・ジャック、ブロディ、スヌーカ、WWFと今からすると豪華だったんだけどね
日本人が猪木、藤波だけじゃなあ >>530
まあ、道化としてアンドレにマスク被せることや疑惑のレフェリングのような
(本来の姿である?)ショーとしてのプロレスと、ストロングスタイル提唱の
親日への最後の妥協点みたいなのがファンとしてももう飽和状態の頃だったな。。w バンディはタッグで猪木からピン取らせたり、シュルツは古館暴行アングルとか、
小ネタは色々入れてたけど、対外人任せられる選手がねえ
藤波がサイズ一回りデカかったらとか、前田が順調にいってくれてたらとか言い出したらキリないけど
>>535
健吾を忘れるなよ!!
健吾がいるから、みんなが引き立つんだ >>540
IWGP&WWFチャンピオンシリーズで、健吾のWWFインターコンチネンタル挑戦計画
があったな。実現しなかったけど。 1985年の国内全シングル(>>534のメンバー)
バンディ
○戸口、○木村、○木村、○坂口、○戸口、△藤波、○戸口、○戸口、■ホーガン、○木村、○坂口、■猪木、●猪木
○高野、○星野、■坂口、●(放棄)アンドレ、●猪木、○高野、○高野、■猪木、○高野、△坂口、△坂口、△坂口、○高野
ヒギンズ
■猪木、○高野、○高野、○木村、△藤波、○星野、●猪木、○力抜山、○力抜山、○力抜山、○力抜山、○越中
○小杉、○キャット、△坂口、△ブロディ、△坂口、■坂口、○力抜山
シュルツ
○高野、○クロネコ、○クロネコ、□猪木、○星野、○高野、■猪木、□上田、■アティサノエ、○荒川、□上田、△木村
ジャック
○高野、○後藤、○金、○木村、○小杉、○高野、○クロネコ、●猪木、○H斎藤、●坂口
ブロディ
△猪木、○木村、□坂口、○高野、○高野、□猪木、○猪木、○高野、○高野、□猪木、△猪木、○木村、○木村
○サクラダ、○木村、□サクラダ、○坂口、○サクラダ、■猪木、○木村、無効マードック、△ヒギンズ、□藤波、□坂口
スヌーカ
△藤波、○コブラ、○木村、●藤波、○藤波、△木村、■猪木、○Dカラス、△藤波、△木村 >>542
ブロディの対猪木、◯は違うかな
あと夏の猪木三連戦のハワイの奴が抜けてるかも
(国内だけならすまんな) と思ったけどバラバラに書いてるからアレなだけでちゃんと6試合分あるのか、猪木戦
戸口はロートルで華もなかったけど、大量離脱後の戸口は貴重な戦力だから、もっと有効な使い方してほしかったわ。
せめて85秋のサクラダくらいに。
バンディやビリー・ジャック、ジャイアント・グスタブか(ぐぐったら思い出した)
あのマッドドッグ・バションの弟のブッチャーがマネージャーで連れてきたとか、
85年はなんとか往年の外人育成、豪華外人路線を取り戻そうともがいていたな。
悪徳マネージャーが新規の怪物レスラーを連れてくる、なんて路線は古くは
グレート・アントニオをグレート東郷が鎖で連れてきたギミックだが、それを
あえて復活させても結局空回り。
この時代にこういう茶番で盛り上がるにはやっぱりお膳立てが必要で、新間が
いなくなったこの時、パフォーマーの段取りに優れているスタッフが不在
だったのが惜しまれる。
それとやっぱり猪木の衰え。42歳なら健常なら全然やれる歳なんだがね。。。
糖尿と長年の肉体の疲労の蓄積、社長業の多忙さからくる疲弊など確かに猪木は
限界だった。休まないしね。
で、後継になるはずの藤波はクイックばかりの頼りない「エース候補」。
前田さえ順当に育ててUなんて作らずそのまま置いておけばね。。
前田のような下手糞に期待する奴はアホだろ。
凱旋帰国時から下手さと脆さが際立ってた。
藤波だって、藤波革命の時はフィニッシュにギブアップ技を加えるなど迅速にエースになろうと勤めてた。
猪木が自ら退かない次期、藤波に何が出来たってんだ?
どんなに頑張っても猪木のライバルには勝たせてもらえないのに。
前田は確かに不器用だったが、やはり体格というどうにもならない面で藤波を超えていた。
>>549
じゃあ藤波が駄目な部分どうしろってんだ?
大型外人にクイックで消化不良の勝利ばかりが限界なのに。
まして集客能力もままならない。
お前は否定ばかりでじゃあこうすれば、というのがまるでないな。
リアルでお前に出会わなくて良かったよ。
自分と意見が合わないと「アホ」とか罵詈雑言で必要以上に険悪な雰囲気をわざわざ作って
喧嘩を売る。
前田が駄目で長州・谷津が出て行った、健吾は雑魚。
じゃあどうするんだ? 険悪な空気を作ってケンカを売る
ID:mnrb2p4Sa=ID:2orHm1/Ja
お前のことだな、ウン
>>552
猪木が退けば藤波はもっと前から活躍できたと言ってるんだ、アホ。
藤波の限界って、、、爆笑もんだなwww
勝手に決め付けるお前の脳が限界なんだよ。
体が小さいというのは、技をかける際に外人が協力すれば良いだけなんだから何の問題もない。
後のベイダーだって上手く協力して投げられてたじゃねーか。 猪木が退く(笑)
それであの時点で集客ができたと思ってるのか?
藤波エースでやれたと思ってるのか?
おめでたい奴だなw
協力して大型に技を仕掛ければ問題ないってかwww
それでエースが務まると?
お前はただ淡々と技をかければ客が喜ぶと思ってる。
お前に権限与えてたらあっという間にぶッ潰れるわ。
頭と性格悪すぎお前。早く逝け、福島に。
>>548
この頃に三銃士がメインイベンターだったらなあ。 >>557
使えたのは武藤だけじゃないかな。
ブッチャー体型の橋本は当時ならスターの要素はないし。 >>544
サンクス
IWGPトーナメント抜けてたな
>>545
サンクス
□と間違えてた
国内だけだからハワイは抜かした 福島は安全だよ。放射脳に侵されてる奴はこれだからなw
猪木のカリスマで新日は集客していたんだけど衰えが見えてきたところで次のエースは? と考えると、
藤波ではやっぱり物足りないんだよなぁ。体が小さいのと必殺技がないのと。
やっぱり前田の格上げしかありえなかったね。プロレスが下手だと言ってもやはりカリスマ性。
83年の頃は〜とはいうけどそれは勝ちブックを預けられなかっただけのことで、
もし藤波が手を焼く維新軍を前田が一掃するような試合でもやれば一気にポスト猪木は確定だったよ。
藤波しかいなかったから新日は軍団抗争でごまかしながら興行するしかなかったんだな。
>>563
まだ時期が早すぎただろう。一時的に、長州、藤波にをエースに立てて
その後でよかった。
力道山の死後、豊登から馬場に引き継がれた感じで。 >>563
だから、それは気のせいだっての。
長州と藤波が三銃士の成長待ちの間、ベイダーやビガロとやりあってたろ?
三沢だって、いきなり鶴田をフォールしたけど、ファンは付いてきてくれた。
藤波がブロディからフォール勝ちしたら一気にエース交代してたはず。 猪木は自伝で「藤浪を後継者と思ったことはない。藤浪は猪木と似すぎているのだ。」と断言してたな
>>565
俺は>>563じゃないけど
> 藤波がブロディからフォール勝ちしたら一気にエース交代してたはず。
それこそ気のせいだ。三沢の勝ちはクイックだったし
それで三沢の人気は上がったが、まだ鶴田抜きでは無理だった。
ハンセンにも中々勝たせてもらえなかった。
それに三沢の場合はエルボーという今まで特に使っていなかった技を
取り入れることでスーパーヘビー級と渡り合うことを可能にした。
藤波にはそういうものがなかった。 ブロディが移籍して来た時に藤波の小ささってのを改めて感じたな
シングルで勝つ画が、それこそクイックでも思い浮かばんというか
坂口がああいう立場だと、格的にも体格的にもブロディと対峙出来るのは結局猪木しかいないという
高野の弟が一時的に推された事あったな。でかいだけだったw
>>565
猪木が衰え→リタイア、三銃士が育つまでの空白は長州と藤波の二本柱で
何とか埋めて繋いできた。
豊登エースの2人バージョンかな。
長州が砂ぶっかけたくせにしたり顔でノコノコとで戻ってくれた厚顔無恥の
お陰で新日は三銃士の成長を待つことができた。
藤波一本だけだったらとてももたなかった。 >>565
健悟は頼りにならないから、エースが藤波一人になってしまうと思ったのかも知れないが、
猪木が脇を固めたら問題ないだろう。
猪木が84年の時点で長州離脱を察知して、長州に「俺は退くからこれからは藤波と二人でエースを争ってくれ」と
引き止めてたら、遺跡はなかったかもしれんよ。 >>572
争う、じゃなくて
次期社長確約ぐらいの事言って無かったらどの道出て行ってたろうね 5対5勝ち抜き戦の時の谷津戦の高田は溌剌としててすごくいいね
この試合と比べたら
後の北尾、武藤、ヒクソン戦の時とは比べ物にならない
タイガーマスクから1本取った怪魚仮面フィッシュマン死去
>>578
その時は知らせてくれ
線香くらいはあげるから >>570
凱旋試合で後のヒットマン(ブレット・ハート)相手に
リングアウト勝ちしたのは流石に強引過ぎたなw 猪木がWWFを奪取した数日後にモラレス相手にNWFの防衛戦やってるんだよね。あれを急遽WWFとNWFの2冠戦にできなかったのかな?テレビ中継もなかったよね。もったいないな
>>576
初期の解説陣の中では飛びぬけて秀逸だったな。
遠藤幸吉先生はアレだったし、鈴木長老も頭はいいけど語りは上手くない。
そこへきて桜井さんは「猪木君はね〜」というあの名調子で自身の知識を
織り交ぜて舟橋氏と抜群のコンビネーションを見せていた。
後の古館・小鉄コンビが当たり前になってしまってから昔の映像を見ると
「地味でつまらない」と感じてしまう人は多いだろうが、大人がじっくりと
落ち着いて鑑賞する時代のプロレス放送の象徴的な存在だった。
この人は猪木vsゴッチ戦も12chで杉浦氏とのコンビで解説やってたんだってな。
VTRが残っていないのがつくづく惜しい。 >>580
新日の救世主たる凱旋帰国なのに、見ててハートを応援していた俺…… あのあたりの世代の識者では
門馬さんぐらいしかもうおれへんようになってしもたんちゃうか
>>584
門馬氏は64年からボクシング記者からプロレス担当になったから、力道山を
知らない。だから力道山を取材した記者となると、桜井さんがいなくなって
他に誰か健在なのか、今は思い浮かばないな。。。
本当に皆いなくなってしまった。 健吾のトライアングルスコルピオってまともに決まった事あんのかな。
初披露はTVマッチで藤波?長州?だかに掛けたが直ぐはずしたよな。その後平成になって馳にスタンド式をかけた2つしか記憶にない。
俊二は凱旋帰国のあと2シリーズ姿を消していたけど、
あれは新日に嫌気がさして雲隠れしていたのかな?
表向きは負傷だったけどハート戦でそんな場面ないし。
>>589
次のMSGタッグも何試合か出てたよ
新春も途中から出場して対マシーンズとの六人タッグでTVにも出てた 高野俊二 ○出場 −欠場
闘魂S
○−−−−−−−−−−−−−○○−−−−−−−−
MSGタッグ
○○○−−−−−−−−−−−−−−−−−−
新春黄金S
−−−−−−−−○−○○○○○○−○○○○○○○○○○○○○○
>>588
なんか中途半端というか、腰を落とさないんだよね。 >>591
闘魂の最終戦の時は会場の人たちにもサプライズ出場だったのか!
というか、リングに出てきた時点で正体が高野ってバレバレだったけどw >>588
西村にも掛けてた。
体が柔らかくないと壊してしまうからステップオーバーする相手は限られるね。 偽マシン高野は頼もしい正規軍新戦力の誕生だ!と期待したのに、
その後の高野がネタレスラー化してしまったのが残念だ。
>>596
そう、それそれ。
俺は何となく83年の前田凱旋の時と比べてスケールが一回り小さく感じた。
背丈は高野の方が大きいけど、前田に比べると細いせいかなぁ。 >>589-591
遅レスだけど確か帰国して最初の試合でトップロープ越しのノータッチ・トペを敢行した時着地に失敗して膝を痛めたんだよ
その治療の為だろうね欠場していたのは
俊二の膝は以降も完治せず持病化していて本人も含めた関係者皆があの時怪我してさえなければなあって悔やんでいたよ 兄弟揃って凱旋時のノータッチトペで泣かされた感じだな
ストロングマシン2号力抜山も
猪木にノータッチトペかわされて怪我してしまったんだ
ヘビー級がビョンッと飛ぶのに度胆抜かれたな
>>599
あと、前田は真面目な青年って感じだったけど俊二はチャランポランな感じで応援する気にならなかった。 桜井さんは日本一のプロレス記者、プロレス評論家だったのではないかな。
桜井さんは小説も書いていたし文才があったところ見ると話すこともきちんと整理して話すタイプだろうな。
柴田さんや安田と比べると櫻井さんの偉大さが良くわかる
今よりも昭和時代の昔の方が同じ年齢でも「大人」なのはよく言われるが
桜井さんもワープロ放映当時の解説始めた当初は37歳だったんだよな。
なのにあの落ち着いた語りと声。
今の同じ年齢どころか40代でもあの落ち着きは無理。
それは桜井さんだけでなく、山田さんも同様。
40越すとあの当時の大人がいかに大人だったかわかる。
ようつべに上がってる猪木対ブルートバーナードの
翌年当たり試合の持ってる人いないかなあ
バーナードの二の腕に金属のワッカがはめられてて小鉄さんも
「バーナードは交通事故にあってあの部分骨がないんです」とか言ってるやつ
全身毛のないスカル・マーフィーとコンビ組んでたな
バーナードはいかにもアメリカンスタイルのレスラーって感じだったけど事故絡みが多かったね
桜井さんがジャーマンを原爆固めと命名したんだっけ?
桜井さんは田コロでのアンドレVSハンセンで
「ド迫力なんてもんじゃないチョード迫力ですよ!」ていち早くJKみたいな言葉を使ってたからなw
古舘が前田だか長州のことを毘沙門天と例えると、それについてちゃんと戦いの神毘沙門天と返す博学の桜井さん
小説家としての力量もなかなかだった。
プロレススターウォーズの展開も興奮させられた。
合掌
>>609
翌年は交通事故にあった年で来日キャンセル。
アリ戦の日が猪木vsバーナードの予定が当初入っていたみたいだな。
あの事故の際、スカル・マーフィの亡霊を見たとゴングに載ってた。
ギミックだとしても何か身の毛がよだつんだよな。
その事故でマネージャーのマイク・ローレンだったかが死んだし。 古舘が流星仮面の空中首折り落としを「フライングスリーパー」と呼んだセンスのなさw
桜井さんの解説と古館さんの実況の最終回が
闘魂ライブ2の猪木×斎藤戦になる。
桜井さんは日プロ時代のワールドプロレスリングにも出ていたのかな?
古館は歴代アナ(日テレ含めて)の中でも希代なプロレスファンだったとは思う。
だが、桜井さんとの相性はあまり良くなかった、というか小鉄とあまりにもスイング
し過ぎた。
俺は小鉄の解説も好きだったが、渋い桜井さんが「ゲスト(80年代)」として
呼ばれるとなんだか威厳というか権威的なものが感じられて好きだった。
彼が73年の新日放映初日から正式にワープロ解説者になったと知って、その
時代に桜井・舟橋コンビの放映をもっとたくさん見たかったと思ってるわ。
「藤波全試合記録データベース」というサイトがあったのですが、今見ようとしても見れないけどもうダメでしょうか?
ホムペは半分以上がサーバーの都合で閉鎖になってるからな。
管理者がデータをどこぞのブログに移転させれば。
>>623
ありがとうございます。やっぱりそういう事ですよね。
管理者の方、もしこれ見てたらまた見れるようにして下さい。お願いします。 今週号の週プロ、櫻井さんの記事が少しだけ
来週はきっちり1ページの記事出せよ!!
猪木藤波のコンビがメインに定着したのは81年あたりから?
昭和も終わりになるころにはマンネリして、
猪木坂口組が逆に新鮮味を持っていたっけ。
>>626
まあ特に長州革命以降、正規師弟コンビとして定着は感じてたが
正直、全日師弟の馬場&鶴田とは全然力量は比較するべくもなかったなあ。。
その81年、MSGタッグ優勝戦はアンドレ組に降され、特別マッチのハンセン&ボックとは
全く歯が立たず、翌82年MSGリーグではアウトローズ戦で絶不調の猪木が致命傷を負い
キラーカーンが代役で優勝戦を明け渡す顛末。。。 76〜89 猪木のパートナー 国内のみ
76年 … 23)星野、21)木戸、12)S小林、8)坂口、8)柴田、6)山本、3)M斎藤、2)小沢、1)藤原
77年 … 28)星野、25)木戸、23)長州、22)坂口、10)S小林、4)M斎藤
78年 … 21)S小林、19)木戸、17)長州、16)坂口、12)藤波、12)星野、2)アレン、1)木村健、1)藤原、1)M斎藤
79年 … 22)藤波、22)長州、19)坂口、13)S小林、9)木戸、7)星野
80年 … 21)長州、20)藤波、10)坂口、10)バックランド、3)ローデス、2)木戸、1)S小林、1)木村健
81年 … 44)藤波、23)長州、9)坂口、5)カーン、3)ローデス、1)バックランド、1)谷津
82年 … 12)ホーガン、11)藤波、2)坂口、1)長州、1)カーン、1)谷津、1)木村健
83年 … 22)ホーガン、18)藤波、8)木村健、6)前田、5)坂口、4)木戸
84年 … 30)藤波、6)坂口、4)木村健、3)前田、1)藤原、1)アンドレ
85年 … 14)坂口、13)藤波、7)木村健
86年 … 15)藤波、10)藤原、6)木村健、5)上田、4)坂口、3)武藤、2)G高野、1)山田、1)ケビン
87年 … 13)坂口、12)藤波、11)武藤、9)マードック、8)木村健、6)藤原、6)G高野、1)高田、1)山田、1)ピーターソン
88年 … 6)長州、6)藤原、5)越中、3)藤波、3)マードック、2)木村健、2)高田、1)坂口
89年 … 4)藤波、4)飯塚、2)長州、2)越中、2)後藤
全日が鶴天で定着したのに新日の藤波はまだ「親離れ」しないのかって感じがしたなぁ
あとは猪木と藤波が組むと必然的に坂口木村の成立も華がなさすぎて嫌だった
>>629-630
80年代半ば、親日はやっぱ前田の扱いに失敗したのが大きなマイナスだったな。。
日本人偏重の親日とはいえ、結局はずっと猪木を頂点としたヒエラルキーが成り立っててこそで
あっただけで、全日が馬場が第一線から退きつつあったころ、ジャパン勢や旧国際らと共存体制で、
鶴田を筆頭とする第二世代へ繋げられたことは評価できる。。 桜井さんの話が出ていたが、
つべで見たテーズ対猪木のインターバル、つまり
たぶんテレビではCM中の音声がしびれる!
既出だったらすまんが。
桜井さんが、舟橋アナ?に、
「バックドロップの話をしようか。。」
とか言ってて、アナはきょとん。
2本目が始まると、桜井さんは
「テーズは復帰してから、殆どバックドロップを使っていないんですよ」
(全く使ってない、かも)
なんであの時代に、そんだけアンテナ高いんだ桜井さん!!
しびれるぜ。
インターバル中の声、つうのもレアで素敵。
>>631
イギリスから帰国直後の格付けに困って藤波の下につけたのが外人軽視になったのかもな。
オーンドルフは前田に完敗したけど本来ならエース外人だったわけで。
前田を坂口の下、藤波の上にすれば格の歪みは生まれずに済んだ。 猪木ーウィリーの時
桜井さんが小声で
「ウィリーの後ろの・・ジャケット着てる
クロンボ・・・黒人黒人・・」
と誰かに話してる声が収録されてる
先だってのプロレス総選挙で藤波が20位にも入ってなかったのって
やっぱ80年代半ば〜後半ころにエースとして、第一線としての活躍が鶴田に比べてできなかったのが
一因なんだろうなと思う。。
藤波はクイック勝ちが多くて必殺技を持ってない印象が強かったw
飛び技にしても前田のニールキックや健吾のレッグラリアットみたいな代名詞的な技もなく、
なんとなく試合やって微妙に勝ってるだけって感じだった。
あとは新日が維新の勝ちブックを優先しすぎて藤波前田木村を弱くしたのも悪かったね。
>>633
82年頃から坂口は戦いの最前線から実質1歩引いた位置にいるから猪木の次
は藤波。IWGPの猪木KOによる次期シリーズのの欠場でいきなり前田を藤波
より上にする博打は打てんわ。 新日は歴史的に見ても
猪木ひとりのライバルを作るにも四苦八苦してるので
ナンバー2にまではなかなか良い抗争相手が回ってこない
とくに84年から87年くらいまでの藤波は不遇だった
長州も前田も反体制側に回ったからこそブレイクできたが
新日正規軍のままだったらどうなってたか
>新日正規軍のままだったらどうなってたか
恐らく浮上はなかったろうと予想はできる。前田にしても
帰国当初は期待が大きかったけど、UWF移籍直前の頃は
相当存在感薄れてたし。
>>637
前田のIWGPでの戦績から考えると苦しいものはあるけど、
当時の新日はまだまだ勢いがあったから1シリーズ位なら前田の暫定エースで乗り切れたと思う。
そしてそのほうがのちのちの新日にとってもプラスに働いた可能性は高いと思う。
長州と藤波のみみっちいケンカをメインにして大型若手と強豪外人勢をテレビに出さなかったことで、
あのシリーズは本当にクソみたいな中継ばかりになったからな。 今日の藤波の興行で、
猪木、藤波、長州、藤原、前田、武藤がリング上で
勢揃いしたみたいだね。
このメンバーが新日本と疎遠になっているのが残念だ。
猪木抜きで藤波・長州を差し置いて前田を前面に出すのはたとえ一シリーズ
だけでも無理だ。長州ばかりでウンザリしていたのはわかるけどさ。坂口や
新間の立場になって考えればわかるだろう。日プロ時代の猪木が馬場抜きで
エースを務めたシリーズが興行成績が良くなかったことがあるから、その頃の
猪木と帰国して2シリーズ目の前田とは知名度が違う。それなら藤波のリベンジ
路線選択するよ。
長州も全日移籍直前には飽きられてたし、扱いもさがってたよな
結局は全日にいって、長州自身は負けなしで格上げして
また帰ってきて、さらには現場監督になって長州体制になるわけだから
長州に関しては出戻りして大成功だったな
逆に平田は失敗だったな、せっかくマシンでヒール側のトップで
試合もメインやセミファイナルという扱いだったのに
全日では馬場、鶴田、天龍、長州、谷津より格下で外人も充実してたし、さらに国際軍団まで
いたから、本当に存在感なかったな
83サマーでは藤波木村対タイガー前田みたいな変わったカードを見たかったわ。
>>644
長州は全日に所属してたわけじゃないだろ。 >>644
まさに戦うカンバックサーモン
ってあれはUWFに言ってたんだっけか 長州だってあんなスターになるなんて誰も予想もしなかった。
前田ものちに大化けした素材だし、無理とは思えない。
>>644
マシンは勿体なかったな、平田人生で一番人気あったくらいの時期だったのに。
いつマスク脱ぐかの話題でも引っ張っていけたし、「お前は平田だろ」なんてのも
未だにネタで出るくらい浸透してたフレーズになってたんだから。
それが移籍しても契約縛りでしばらく全日中継出れないし、帰ってきても完全に長州の下の扱いで
前田との因縁からのストーリーも結局中途半端で終わって。 >>652
鶴田戦も凡戦だったし、あのまま新日に残っててもいずれ下がっていってたんじゃないの >>640
みみっちかったなw
そもそも、古くは全日vs国際の対抗戦で鶴田とラッシャーが張り手合戦で
沸かせたように、普段は日本人vs外人でたまにこうした日本人同士或いは団体
対抗戦で意地やプライドのぶつかり合いのような喧嘩試合が見られるから日本人
対決は面白かった。
それが常時対決路線になったら当然飽きが早々来る。
だから高いカネ払ってまで外人を呼んでそれが通常だよ、っていうマンネリ
を続けてきたのに。
ちょっと異なる例でいくと、全日のブッチャーを頻繁に呼ぶようになったのが
新日の日本人路線に似ている部分がある。
ブッチャーもいくら人気があろうと、飽きられるのを避けるため77年までは
年2回ぐらいしか呼ばなかった。
それがオープンタッグでテリーとの抗争がブレイクするや、78年からは3回
以上呼ぶようになり、「ブッチャーは日本に移住した」説まで出たほど。
結果、飽きられ、本人も行き詰って新日へ移籍した。
長州はもっと早く飽きられて84年末にジャパンという名目で全日へ。
だが、長州という個人じゃなく、もはや日本のプロレス自体が日本人対決
一辺倒みたいな空気になっていて、外人は脇役。だから従来の力道山以来の
オールドファンが去っていって、マニア化が急速に進んでしまった。 >>652
それだけじゃないぞ、新日復帰後も契約違反の違約金を
ファイトマネーから天引きされていたんだぞ! >>652
新日Uターン後に、マサとのシングル戦に向かう前田を
リングから引きずり落とし大流血させたのは、一体なんだったのか?
直ぐにナウリーダーvsニューリーダー始まってしまったし。
>>654
新日、全日関係なく言えば、個人的には87〜88年頃の全日がしっくり来たな。
日本人VS外人も日本人対決もバランスが良かった。 平田はそもそも自分自身になにか考えなりがあって
新日を飛び出したという感じが全くない
何を考えてたんだろうね
>>656
当時は正規軍、ジャパン軍、UWF軍、外人がいて、やや迷走気味だった。
両国2連戦も初日がイリミネーションで前田とマシンは組んでるが、翌日はシングルで対戦。 平田はマシンでせっかくトップになれたのに人材の充実してる全日にいって格を落として
また長州らと出戻りして、さらにUWFまで戻ってきて人材過多になったとこで戻ってきて
存在感なくしてる、全日いかずに新日にのこってるのがベストだと思うわ、
全日いったなら、あのままのこってれば、天龍や谷津やカブキたちが抜けた後にトップになれるチャンスがあったかもね
平田は悪いレスラーじゃないがあらゆる面で中途半端なんだよな
どこを採点しても75点と言うか
>>659
マシンとして新日に残ってるのが一番良かったと思うよ。
全日に行って長州離脱後も残ってたら、谷津同様にだらしない体形になってたんじゃないかな。 マシンが新日に残ってたら藤波に勝ってWWFインターヘビーを獲っていたはず。
あの当時の人材不足状態で、藤波>マシンで終わらせたら、どうしようもなかった。
主力となれるのは猪木、坂口を除けば、藤波、健吾、マシン、ジョージ、次点で俊二。
>>659
レスラーとしては別に
人生の選択としては間違ってなかった
あの時にもし戻ってこなかったら
全日で素顔に戻らされて冷遇空気化
SWS移籍からインディー難民になってたかも >>658
この時期の新日は、リング上の闘いの焦点がぼやけてる感じだった。
それもあって、ナウリーダーvsニューリーダーもイマイチ乗れなかった。
>>661
俺も平田は、新日に残ってた方が良かったと思う。
馬場からも余り好かれてなかったようだし。
ただ、あのまま全日に居たらどうなってたかも興味ある。ハリケーンズの時から、天龍と組みたがってたようで雑誌でも当時語ってた。 病る(やまいる)
外様(そとざま)
直伝(ちょくでん)
独特な新日造語
マシーンが93年だったかな?G1トーナメントで武藤相手に微妙なフォール負けをした時に報道陣に背中を向けて「俺はいつもこうだ(詳しくは忘れたがついてない的なニュアンス)」的なコメントを残してたのを思い出した
>>657>>659
平田だけじゃなく俊二とかヒロとか、特に深い考えやポリシーもなく「皆が行くから俺も」
という日本人特有のダラダラした右に倣えの集団的思想だろうな。
日本のレスラーってこういうタイプの方が多い気がする。
頭も悪いのが多そうだし。
アメリカは基本、皆フリーみたいなもんだから「自分を高く売る方法」を絶えず考え、
先を見て行動するだろうが、日本は日本人抗争以前はフリーが圧倒的に少なく、団体に
所属してるものばかりだったからなお更だったろう。 >>670
マサ斎藤「僕はゲンヤク(現役)ですから」
健吾「チャンピオン●●に小島サトルが挑戦するIWGPヘビー級選手権試合であることを認定する」
坂口「チャンピオン●●にケンドーナガサキ、あ、ケンドーカシンが挑戦する・・・」 >>659
元々全日に練習生だったんだっけ?
新日本学習帳のインタビューに詳しく書いてある >>656
週プロに掲載された読者作の漫画に答あったじゃん。
あの後番組で斉藤由貴に会う予定になってた前田に
サイン貰ってきてくれるように頼んだら断られたんだよ。 >>669
SWSやノアに移った連中なんてもろそうだったな。 ハリケーンズはジャパンが裏でTBSと動いて完全独立しようとしてたら
駒として取ったんだよな。潰れた旧Uの連中と組んで大晦日に特番
やろうとしたけどポシャった
ジャパン・ハリケーンズ・UWFのプレオールスター戦計画とかあったな
あとジャパンはWWFと提携の話しも
>>675
大塚直樹が言ってたからね「独立後の敵対勢力として引き抜いた」と それが全日参戦後半年でのことだから、節操がないというか長州も大塚もWJだぜ..。
猪木がハイセルせずに、新間と大塚と佐山がずっと居たら…
>>679
佐山は兎も角新間はあの性格だから何れ追い出されてたんじゃないの?
クーデター騒動の時はハイセル問題の他に新間が会社の金を付き合いのある政治家に貢いでいたという疑惑があって
その件をきちんと釈明せずに言い訳ばかりしていたから小鉄ばかりかテレ朝の幹部からも不興を買って新日を実質追放される羽目になったって噂を聞いた事があるから
大塚直樹も猪木からは将来の社長候補だと期待されていたみたいだけど
部下や取引先への態度が厳し過ぎるなんて声もあったというしあのまま新日に残ったら下の世代が育たなかったもしれない 今でもG.Wが終わると、第1回IWGPの熱狂を思い出す
櫻井さんが亡くなったのは誠に残念だ
>>681
私も第1回IWGPを見てからプロレス少年になりました。 >>682
当時を思い出し、G.W用に
キラーカーンの本を今日買ってしまいました >>685スレチにレスしてすまんがIWAベルトをメキシコに忘れてきたので
代用でEMLLベルトを巻いて登場したらしい。 EMLLベルトって何よ?
EMLLは団体であってタイトルの名前じゃないぞ。
マスカラスのベルトなんか、
ミズーリヘビーより価値ないからな
ミズーリ州ヘビーは一応NWA世界王座への登竜門と呼ばれてたからなw
ちょっと遅れたが古舘伊知郎が桜井さんとの思い出をラジオで語ってたね
いろんなウンチクを教えてくれたり海外の中継の際には日本食をごちそうしてくれたり
遠藤幸吉のトンチンカンな解説にとまどってるとそこへスッと入ってきて
うまくフォローしてまとめてくれてたと
告別式には藤波も来てて昔話に花が咲いたとも
佐山が辞めてなければ、WWFとの交渉が新日本有利に進められたかも…。昭和57年にタイガーマスクはNYに衝撃をもたらしたからね。
>>681
あの時のワクワク感は凄かったな。まだ「MSGシリーズと変わらない」とか思うほど擦れてない少年だったw
Tシャツは勿論、勢いでアポロキャップも買ったわ。 自分も第1回IWGPは思い入れがある。第1回IWGPシリーズを試合会場で観戦した人いますか?
>>694
高島屋で新日かIWGPのフェアみたいなのやってたよね
GWにタイガーのサイン会とかあったけど早朝には整理券既になくなってたり
>>695
前売りの段階で指定席完売で、何とか小中学生券手に入れて後楽園と蔵前見に行ったよ
自由席も結局当日券ロクに出なかったんじゃなかったかな
会場も熱気とか半端なかったし、改めて凄い時代だったと思う >>695
第2戦、佐賀大会を観戦しました。
とにかく当日券売り場が凄い列だった >>697
ホーガンはアックスボンバーをやりましたか? >>698
猪木、ホーガン対アンドレ、スタッドがメイン。
前日のリーグ戦の影響で猪木とアンドレの絡みが多く、猪木の延髄斬りがアンドレ、ホーガンのアックスボンバーがスタッドへ。
そのまま両者リングアウトだったけど、どの絡みも良かった。
ちなみにセミは坂口、前田対長州、カーンで前田、長州が初めて絡んだ日。 >>695
おれは前半の後楽園に行ったわ
公式戦は前田VSカネックの1試合しかなかったけどホーガンVSアンドレのスペシャルマッチがあって超満員だったよ!
今の後楽園の超満員と違って立見券でも通路ならどこでもじかに座って観戦できたから半端なく超満員だったよ! 後楽園のバルコニーは、黄金期には
四重になってるときあったぞ
バルコニー最前連が一番観やすいよねリングが
>>700
この日のメインの試合でタッグマッチだけど長州が猪木にフォール負けしたんですよね。
約半年前の後楽園ホールで長州革命を起こして以来、初のフォール負けだったんだけど
その時の会場の雰囲気はどうでした?驚き、どよめきのようなものはありましたか? >>704
長州は1週間前にもタッグでホーガンにフォール負けしてる。 >>704
特に驚きとかなかったよ
この頃はまだまだ猪木が勝てばみんな満足の時代だからね どよめきってことなら、あの日は急逝したフランク・タニー追悼で、新間がリング上から
故人が全日側とも関わりがあり、日本テレビから倉持隆夫氏が来場されています、
っていう発言の方があったなあ。
この時期の長州はまだ明らかな格下で、IWGP優勝目標の猪木にとっては、
ノーTVのタッグマッチでもこの辺にはまだ勝って当然みたいな。
年末に大阪城ホールで突如、藤波vs健吾のシングルをやったところ、
回転エビ固めで藤波が勝ってしまい、目が点になった。
健吾を売り出す気がまったくない新日。
藤原のテロみたいに何かアングル作ってやってもよかったはず。
>>695
地元の茨城県土浦市に来たんで見に行った。
リーグ戦はホーガンvsエンリケ・ベラの優勝者vsビリ対決wメインは猪木・前田vsアンドレ・カネック。
典型的な地方大会だったけど、当時は興奮したな〜 長州のWWFインター奪取前の革命軍の表記はマサ・カーン・長州で
コールも長州がカーンより前だったよね
いつの間にか長州の方がカーンよりコールが後になった。
あの頃の長州は、凄い勢いがあった
いくらアメリカでの実績はカーンのほうがあったとしても、長州のほうがあとにコールされるのは当然だ
>>708
その1ヶ月後にワンマッチ興行で後楽園を札止めにするとは思わなかったな、大阪城の試合を観た後では そんな事があったなぁw 確かシューズに凶器を忍ばせた稲妻で
フォール勝ちしたんだっけ。でも結局は大きなムーブにはならなかったなぁ。
>>709
当時の会場は盛り上がったでしょうね。ホーガンはエンリケ・ベラをもちろん秒殺? 健悟は相手に攻め込まれるとノーノーとフレアー張りのポーズをやったかと思えば、一瞬の
隙をついて急所攻撃で試合の流れを変えるといったヒールを目指すべきだった。健悟は普通に
やってもブレークできないのだから。
>>60
へ?時系列無茶苦茶だぞ。
長州が維新軍結成したときは、シニアは健在。 >>714
1マッチ興行で健吾が勝たなければ次に繋がらないが、
藤波を勝たせて1月で抗争を終結させた新日が悪い。 凶器入りシューズで稲妻って、たいしてダメージ変わらんと思ったよw キムケンは猪木に体つきが一番似てたな。体つきだけはw
大量離脱の絶望的状況のときにテレビで「稲妻!」。あれには凄く救われたんだよなw
あまYouTubeで上がってる藤波とのWWFジュニア戦は攻めの健吾なんだよな。
ヘビーになってから弱々しいスタイルに変わってしまった。
健吾は稲妻レッグラリアートを開発した時に、維新軍、R木村、戸口、外人らを全員KOして
ぶっ壊し屋健吾みたいなアングルでもよかった。
藤波との抗争?の後は格闘技路線に転向みたいなムードだったけど、
結局闘魂ライブの1試合だけで終わったね。何か中途半端なんだよなぁ、
全てにおいて。
>>715
2〜3分でアックスボンバーが決まってドッと湧いてた。
試合前は正規軍の前田と維新軍の小林が談笑しながらダンベル上げ競い合ってたよ(笑) >>723
新日がちゃんとアングルを作ってやらないから中途半端になる。
>>724
>試合前は正規軍の前田と維新軍の小林が談笑しながらダンベル上げ競い合ってたよ(笑)
馬場とブッチャーがキャッチボールしていたのと同じだなw >>723
試合後に「今度は異種格闘技戦で藤波とやってやる」と言ってたな
次のビガロシリーズでもパンタロンで試合してたが途中から黒ショートに戻した >>724
ゴングで小林邦は「俺の敵はタイガーだけだから正規軍の選手と組んでもかまわない」と言ってた
実際にIWGP期間中も剛、藤原、木村健などと組んでた >>718
タイタン・スポーツが株を買収したのは82年6月 あの時の時代は生で観れるだけで満足したからね。猪木の延髄蹴りとかフィニッシュホールド
が出れば沸く。両リンや反則決着もハプニングでよかった。うちの地方では流血や乱入系の
ハプニングがなかったから残念だったな
私が観戦(ノ―テレビの地方会場です)した試合で観客が沸いた技の順位
1、ハルクホーガンのアックスボンバー(これがダントツに沸いた)
2、猪木の延髄斬り
3、アンドレの18文からのヒップドロップ
4、長州のバックドロップ
5、キングコングバンディのエルボードロップ
タイガーマスク、藤波、ブロディ、ベイダー、スティーブウイリアムス、ブッチャー、マードックは
これといった大技をやらず。当時は地方だからかやってくれないんだ、と落ち込んだ。
長州はラリアットをやってはくれたが受けた外国人選手が変な格好で受けた為、不格好で上手く決まらなかった。
前田もジャーマンをやってくれたがこれまた受けた外国人選手が変な受け方をした為、不格好で決まらなかった。
その後フライング・ニールキックをやったがこれも変に避けた格好で受けた為、上手く決まらなかったが、そのままフォール。
マサさんて片目失明してたのな
しかもアメリカに渡ってわりとすぐの段階で
ぜんぜんそんなこと知らなかったよ
失明は知らなかったけど、どの写真見ても片目がいつも違う方見てると思ってた
いわゆる外斜視なのかなと
私が観戦(ノ―テレビの大阪)した試合で観客が沸いた技の順位
1 健吾入場で寛平コール、アメマコール、かい〜のやれ、稲妻炸裂
2 マードックの客いじりとケツ出し
3 荒川の試合
4 ジョージへの急所攻撃
5 猪木の延髄斬り
>>733
それは知らなかったわ。
現在のマサさんって、パンチドランカーで闘病しているって、いつだったか聞いたんだが…マジ? 猪木は坂口と対戦すると変形足4の字固めに固執してたよな。藤波のバックランドへのキーロックもそうだった
>>737
そいつは監獄固め喰らって足の痺れが脳にまで到達したんじゃないか? 「Go for broke」って第二次大戦の欧州戦線できつい任務を課せられた日系人部隊の合言葉だったね
マサが片目失明ってのは初耳だった。
言われてみれば視線に少し違和感あったな。
マサさんの自伝はプロレスラー物の中でも素晴らしいね。
やはりアメリカ時代の試合以外のエピソード話もだし、ケンパテラ事件での服役中の話とか。小さい頃プロレスラーに抱いていた破天荒なイメージをそのまま体感できる。
巌流島直前の週刊ゴングでは、
修羅場をくぐってきた猪木が有利。大卒で東京五輪出場のおぼっちゃまの斉藤は不利。
↑
こんなこと書かれてた。
今考えると、斉藤まじすげー。ぜんぜんおぼっちゃんじゃないww
ここでwかつて藤原が披露した「簡単ナス料理」を披露
1.ナスのヘタをもぐ
2.ヘタのついてたとこから割りばしを深く突き刺す
3.割りばしを抜いた穴にショウユを流し込んで揉む(完成)
なかなか藤原な味がするので、ヒマだったら作ってみてw
テレ朝の特番で健悟さん(当時健吾)は、松本ちえことピンクレディーを歌う、藤原組長はコックさんでフライパン振るう、
木戸さんはコシティ、誰だか忘れましたが、90分番組の間ずっとヒンズースクワットだけやらされていたおのこありけり。
荒川は座頭市やってたっけ。マクガイアー兄弟も出てたし、
シン上田の乱入もあったな。
87ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦全敗のロン・スター死去
ご冥福をお祈りいたします
あら、マジですか。
自分は、ビリー・ガスパーが初めて現れたとき、あれはロン・スターに違いない!って思ったものでした
藤波を知らない人が見たらロン・スターは日系アメリカ人だと思うだろうな
藤波辰巳ジュニア王者時代栄光の対戦シリーズで、実は強いんじゃないの?と思ったのが、トニー・ロコと何故かJr.扱いのグレッグ・バレンタインと、ロン・スターでした。
合掌
ロン・スターの顔ってクセが凄いよなぁ。
故人を茶化して申し訳ないが、ガチで
ブラックの身の上だったんじゃないかと思わせる。
ロン・スターとロン・フラーがごっちゃになってた。
フラーは全日でバリー・ウィンダムと最強タッグに出てたんだっけ。
ロンスはジュニアでも191あったんだよな。
ロンフは2メートル超え。
特番といえば昔親日レスラーが住宅をブチ壊す!みたいな事をやっていたね。
確かミスター高橋も加わっていたがw
アレは何だったのかw
AKBの選挙が話題になってるようだが
昭和の新日本プロレスを知ってれば 特に驚かない
別に…テレビの企画だしガッツリ平成だし
何だったのかwと言われましても
小川に橋本をヤレと指示したのが猪木なのか佐山なのか、長州か
須藤をけしかけたのが秋元じゃないかという話は今そんな感じらしい
猪木はトンデモない発想でウケる時もあれば暴動になる事もあった
AKBの件は秋元の差し金とすると TPG並み
昭和の新日本と言えばジョニー・パワーズの8の字固めエイトロックと、ブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアス組。アジアンテローズという
今では許可されないチーム名の泥棒コンビ。
新日黄金期のS58年〜59年は
猪木&藤波&健吾vs長州&浜口&谷津だな。
82年のMSGまでは長州がブレイクするなんて夢にも思わなかった
秋に帰国して風格、オーラなど髪型が変わっただけだけど、あんなに人間って変われるものかと。
85年のタッグリーグ戦が最初の発表通りのチーム編成で実現してたらどうなってたかな?
猪木藤波、坂口木村、ブロディスヌーカ、アンドレスーパースター、マードックアドニス
しかしアンドレアドニスが来日せず
実際のチーム編成は猪木坂口、藤波木村、ブロディスヌーカ、マードックスーパースター
もし当初の予定通り行われてたら、藤波木村が組まれたのか?
また組まれたとしても、このメンバー相手に優勝させたのか?
>>771
許可されないチーム名
ヘス、ショッツの「ナチスドイツの戦犯コンビ」もヤバそう。
後、コンビじゃ無いけど、コーア・チキだったかな?
あだ名が「狂った土人」と言う、放送禁止用語2連発笑 >>764
キッドといえば、全日初来日のジャイアントヘイスタックに
「日本は硬い攻撃が受けるからガンガン硬い攻撃をやれ!」とケシかけて
その通り硬い攻撃(相手はグレート小鹿)をやったら
試合後に怒り心頭の小鹿が控え室に押し掛けてきて「テメェーふざけた事やってんじゃねえぞ!」
と一喝した後、ヘイスタックをボコボコにしたんだよね。
同じ控え室に居たキッドは他人事のように無視www なんで日本人は、放送禁止用語とか放送事故とか
そういう話が好きなのか理解できない
業界人気取り?
>>776
あの体格で堅いの入れたら相手は切れるわな >>779
お前こそ「最後の日本人」の試合見たこととあんのかよ! >>777
業界・人気取りって何の事だ?と思ったら業界人・気取りなw >>771
正式には護摩の灰コンビですね。
表現の仕方として凄く面白いと思うけど、
この単語自体が年長者しか分からないだろうな。 ジャイアント・ヘイスタックは82年春頃に発表されたIWGPヨーロッパ代表の三名のうちの1人だった
他の二名はムース・モロウスキーとクラウス・カーロフ
全員不参加になったけど
幾ら何でも、モロウスキーは酷い。
カーロフは見たことある人はそんなにいなかったんじゃないかと思うので、
参加して欲しかったな。
たまたまハノーバートーナメントにでも出てたからじゃない?
あの頃のヨーロッパ代表で名前挙がる強豪選手はワンツなんかも含めて、
日本じゃ生かせないというか相手がいないというか、微妙な形で終わること多かったな
ボックがリーグ戦出場できたとしてもかなり気使ったろうし
当時のヨーロッパ選手は、ピート・ロバーツ、セント・クレアー、ウェイン・ブリッジとか
ロビンソン、ホフマン的な選手じゃないか?
オットー・ワンツは・・・w
ミスター・ポーゴ死去
昭和新日ではナガサキとのオリエンタルタッグで活躍
活躍した…のか?
一応IWGPタッグには挑戦したんだっけ?
ミスター・ポーゴは、タッグリーグ戦もさることながら、グラン浜田と連れ立っての、新日本入団志願から入門の日々が数多のエピソードが。
ご冥福をお祈りいたします。
ポーゴナガサキが前田藤原と互角以上に当たり合ったのは
当時としては意外だった。何にしてもご冥福をお祈りします。
>>780
赤井英和と戦った事がある塚田敬とかいう人? 塚田敬は新日のリングで試合したことあったな
藤波がバーバリアン戦のジャーマンで負傷した日の前座で
塚田はユニオン系に出てた時、自分の試合を終えた後に俺の席の隣に座って
マミーの試合をゲラゲラ笑いながら見てた。
>>797
それは通常のプロレスルール?それともボクシング又は格闘技ルール?
対戦相手は誰? >>799
ボクシングの試合
相手は亀田(下の名前忘れ)という選手 >>800
体格的にも年齢的にも亀田アキオという選手だと思う。
そう言えば塚田ってインディー団体で宮本とかいう名前の選手と
数多く試合してたよね?
確か宮本もプロレスラーでは無く他の格闘技の選手だったと思うかろ? ロンスター死去か。
この人とかあとダビッドシュルツやセーラーホワイトとか50年前後生まれで
ベトナム戦争の徴兵と重なる連中って危ないヤツ多い、って何かで見聞きしたな。
日本プロレスの高崎山猿吉さんが、魁勝司さんだというのを昨日知りました。
劇中で触れられていないがサソリはベトナム帰還兵らしい
ベトコンエクスプレスは、後に文科大臣になる男と笹崎。
>>808
新倉が心臓病で休養してからは笹崎が替わって馳のパートナーになった。 「新倉の得意技は?」
「ニークラッシャー」
当時こんな駄洒落を数人のプロレスファンに披露したけど
全く受けなかった苦い思い出が(苦笑)
佐山(UWF復帰前)が褒めてた若手
新倉、高田、エディ・ギルバート
>>811 時代が早かった。今だったら「新倉ッシャー」でオリジナルホールドに
できたのに。 >>811
週プロの投稿欄で読んだことがあるのをはっきり覚えてます ジャパン出戻り組の同期だった保永は
ブロンド・アウトローズ入団後
スーパージュニアで優勝したり活躍したのに
新倉は病気療養中に見捨てられてインディードサ周り
そんな事はない。
SWSではアポロと組むと会場でサラリーマンコンビと言われてた。
>>812
なるほどタイガーがエディを評価していたのか。
タイガーはエディとフィラデルフィアで不可思議な試合をしたよね。 >>815
新倉はかわいそうだったな。1度もブッシュされたことがなかった。
藤原と同じ23歳入門と年が行ってたが同期の仲野、保永、高田、小杉よりも体もよく、レスリングも重厚だった。
馳とのベトコンエキスプレスはリーダー格だし、一緒に帰国していれば長州と仲がいいし、それなりの売り出しがされたかも。 小杉ってよかったよなー、あの体はよかった
安定感というか、いかにも昭和のレスラーぽかった
>>819
ゴッチも小杉を買ってた。
柔道出身だから組技の基礎ができてるから高田、仲野、新倉、保永あたりよりは強い。
ただパワーファイターだったが170cm前半しかないからトップには立てなかっただろうな。
高橋本だと長州襲撃は藤原ではなく、試合が空いてる小杉だったようだか、
小杉が長州を襲って、その後どうなっていたかは興味深い。
蔵前は問答無用の仕事師、テロリスト小杉vs浜口?
猪木、藤波、小杉vs長州、浜口、谷津で引っ張れたのか? ヤングライオン杯で優勝したのに海外遠征の褒美が無かったんだっけ
大会途中のケガで三位に終わった後達が何故かアメリカ行かせてもらって
元々後藤が優勝する予定だったんじゃないの
確か後藤が決勝進出だったのが負傷欠場で代わりに小杉が出たような記憶
>>821
小杉はUWFへのトレード話があったが理由は分からないが消滅した。
S59年秋の平田、ヒロ、俊二の帰国でカルガリーに日本人がいなくなり、
S60年ヤングライオン優勝後のカルガリー遠征話があったが腰の調子が悪かったため辞退した。
結局、腰がダメで引退した。 決勝の相手は山田だったっけ。会場のファンは山田が優勝するのを
期待してたとみえて、声援は山田に集中してたけど、小杉が勝った瞬間
会場が一瞬静まり返ったのを何となく覚えてる。
ゴッチが「重心が低くて手足が短い。関節技を一番極めにくい体型」と
言ったらしいけどね。腰を悪くしてなけりゃ面白い存在になってたかもね。
第一回の頃は年功序列がまだまだ厳しくて
後輩が先輩を破る番狂わせはほとんど無かったんだよな
だからこそ公式戦で小杉に唯一ピン勝ちした武藤が
後にエリートコースに進んだのは至極当然の流れだったんだなと
ゴッチ杯の時はもっと露骨だぞ。
優勝は猪木派の藤波、藤原、なぜかベテランの北沢
準優勝は坂口派のカーン、健吾、健吾
詳細は健吾のwiki。興味深い。
ストロングスタイルを標榜し、実力主義を謳ってた新日本プロレスでも
やっぱり年功序列や派閥の論理が幅を利かせてたって事か・・・
今時そんな前時代の謳い文句を真に受けるほうがアホだと言われるかもだけどw
80年前後にやってれば面白かった。
ジョージ、前田、平田、ヒロ、仲野、新倉、高田、小杉、高野俊二、山崎、クロネコ
80年 ジョージ>前田
81年 前田>平田
82年 平田>クロネコ
83年 高田>高野俊二
84年 新倉>山崎
85年 小杉>山田
でも85年だと小杉はキャリア7年で中堅か海外遠征経てメインに出ていてもおかしくない。
別にそこまで言うほどおかしい事を言ってるわけでもないんじゃない?w
175pのパワーファイターは上で使いづらいだろうな
浜口は異例中の異例と言っていいし
>>832
85年の時点で小杉がキャリア7年だったら前田やジョージと同期になっちゃうよ、ハゲ! >>818
S61年頃だったか、新倉がバラエティに出た事はあったね。
100s以上ある一般人が新倉のブリッジを押しつぶせるかってんで
腹の上にまたがってポンポン飛び跳ねてたけど、結局押しつぶせなかった。
意気込みを聞かれて、吠えるでもなく一言「やってみます」と。
引退時のコメントで思い出として「船木に掌底をかまされた事」とも言ってたけど、
何となく「いい人なんだな」とは思った。 ところで、浜口が途中から長州軍入りしたのって、アングル?本心から人間性に惹かれて?
人情家の浜口が木村を裏切るなんて、考えにくいけど…アレなんだったんだろう?
意外と語られてないよね。
>>837
マサ斎藤、キラーカーンは半分海外拠点だから、長州のパートナーとして誰か必要だったと思う >>838
だとしたら国際は3人しかいないのに、酷な決別アングル組むよねぇ。
「浜口は欲しいけど木村寺西はじきにクビ」って通達でしょ。新日えげつないな S56年10月から始まった国際軍との抗争は猪木vs木村は何度もやり、
ピン勝ちはないが木村も2,3度勝ってて、髪切りマッチもやり、
3vs1も2度やり、木村の腰痛もあり、もう引っ張るのは限界だった。
噛ませ犬後の維新軍結成でS58年春夏頃から国際軍その他がシャッフルされた。
木村が余ってしまったが、数年前の寺西「自然な流れだった」
S59年秋に長州軍が離脱するまでの軍団抗争の中心にいたのは実は浜口だった。
>>840
あぁそうか、あの頃には国際軍との抗争も出涸らしだったね。あの木村さんなら、元気盛りの浜口を
腰が限界の自分が囲っておくのは不憫に思って猪木に浜口を活かすように頼むくらいはしそうだね。
寺西はタイガー戦でひっそりと(結果的には)引退したんだよね >>841
タイガー戦の後、秋頃にいつのまにか維新軍に居た。
寺西は引退状態じゃなかったよ。
タイガー戦の後も時々テレビマッチに出てたし
84年のジュニアリーグ戦にも出場したし
その年の4月の蔵前での5対5の勝ち抜き戦にも出てたじゃん。 >>841
アホか。
寺西戦で引退したのはタイガーの方だ。 >>822
小杉が一位で、
山田と後藤が同点二位で決勝進出者決定戦の予定だったが、後藤がケガで辞退。 >>818
新倉はジャーマンが綺麗だったよな。
全日に残れば良かったのに。 >>760
ロンスターと、ロンリッチだったっけ?
わけのわからんコンビでタッグリーグ参加もあったな。 >>845
ジャパン分裂時に病気療養中だったから、どっちにも行かなかった。 寺西(と小林邦も)が維新軍入りしたのは闘魂シリーズ最終戦の日だね。
長州・浜口・谷津・寺西・小林邦の5人で会見して「この5人にマサ・カーン・戸口を含む8人で活動する」と。
革命軍自然消滅〜維新軍加入までの小林邦はポスター等では国際軍団扱いになってたね。
>>849
シャッフル期でやや混迷期。
維新軍内だと寺西&小林で高田の壁になっていた。
寺西は国際軍時代のヒールからテクニックも出すようになって、いい味出してた。 >>850
ただ、全日時代も含めて長州・寺西組というのが何回かマッチメイクされたけど、これは違和感あったな。
更には長州・浜口・寺西組となると、長州が国際軍団の助っ人に来たみたいだった。 猪木が木村との最後のシングルで、5分ちょっとで血だるまKOしちまったのは
木村の腰痛が酷かったからああいう試合にせざるを得なかったんかな。
当時の週プロに「この日の木村は試合ができる状態ではなかった」なんて
出てた記憶があるけど。
>>852
そういうこと。
だからシャッフル後は浜口は長州のパートナー、寺西は小林の参謀役というポジションだった。
偶然だが寺西はタイガーの引退試合の相手にもなったが、試合は良かった。
元々あまり動かない木村が腰痛で更に動けなくなったからブッチャーと組ませるしかなかったか? >>853
ただ週プロにも出てたけど、1ヶ月ぐらい前の浜口戦で見せた張り手は
凄かったよね。「猪木戦であの張り手を出しては?」と水を向けられると
「アゴが掌に刺さっちゃうよ(笑)」なんて言ってたけど、あんな結末になるとは
予想できなかったねぇ。 >>844
小杉、後藤、山田の3人が32.5点の同点だよ グラン浜田って新日所属のはずなのに中途半端だったな
佐山と組んだと思ったら邦明と組んだり、かといって維新軍でもない…
剛竜馬も国際軍団入れてもらえなかったのに、前座で寺西と組んでたり
昭和の前座はあまり拘りとか無かったんだろうか
初代タイガー最後のシリーズは実は寺西のテレビ皆勤のシリーズでもあるんだよな
維新軍 長州、マサ、カーン、浜口、谷津、寺西と小太りが多い。
正規軍 猪木、藤波、健吾、前田、藤原、高田とスリム系が多い。
似たスタイル同士が同軍団という感じはあるかな。
もし健吾が噛ませ犬やって、マサ、カーン、浜口と組むのは変。
84年後楽園の元日決戦
猪木vsローデス、坂口vsブッチャー、藤波前田vs長州谷津、コブラvsブラックタイガー
85年後楽園の元日決戦
猪木藤波vsホーガン サモアン、坂口健吾vsマシン1号2号、コブラ星野vs上田H斉藤、戸口vsケリーブラウン
1年でカードがかなりショボくなったよね。これなら通常のシリーズ開幕戦のカードと一緒じゃん
82年元旦後楽園
猪木vsローラン・ボック
WWFヘビー・飛龍十番勝負第1戦・バックランドvs藤波
WWFジュニア王座決定戦・タイガーマスクvsキッド
長州vs浜口
藤原vsゴッチ
荒川vs前田
83年元日決戦
藤波vsジェシーベンチェラ(飛龍10番勝負)
猪木vsブラックジャックマリガン
>>859
当時の長州、谷津は小太りの印象ないだろ。特に谷津なんて細身だったぞ。 >>863
谷津は渡米前のぽっちゃりを想像して、あんなに細身になって帰ってくるとは思わなかったはず。
長州は小太りだろ。ドラえもん体型だ。 維新軍に入る前の谷津が藤波とシングルで対戦した時
アマレス出身をアピールすべくスープレックス連発してたが
維新軍に入ってからはめっきり少なくなった気がする
谷津はスリムになったころ轟二郎みたいになってたな。
>>866
スリムな谷津は藤原みたいで健吾より細かったと思う。 >>835
1対3のとき、浜口がコーナートップからリングインした所に決めた延髄は名場面だよな あの場面は鞭のようにしなる猪木独特の延髄斬りを構図的に上手く見せているのが良い
猪木の延髄斬りは扇のように手を広げて直角になって足の甲がカツンと入ってカッコイイよな。
藤波のはジャンピング足の甲がペチャ
天龍のは何だかな・・・
確か郡山のタッグマッチでもこのタイミングで浜口に見舞っていたか
そもそも猪木は延髄斬りをフィニッシャーにしてたけど
藤波は延髄斬りを決め技じゃなく
攻守逆転のつなぎ技としてたから、あれでいいんじゃない?
猪木と同じようにやって
同じようにフィニッシャーにしても二番煎じだし。
そういう意味では、猪木も偉いんだよ。
もともと猪木は2本プロレス時代には
ドロップキックとコブラツイストが代名詞の決め技だった。
ところが馬場や大木らまでドロップキックやコブラツイストやりだし
猪木の代名詞じゃなくなったところ、、猪木はさらに発展させて
ドロップキックは延髄斬りへ
コブラツイスト卍固めに昇華させ、猪木の代名詞にした。
プロレスの技を個性という意味で大事にしてる、上手さだね。
アリ戦と前後して、タッグの名バイプレイヤーのブラック・ゴールドマン、エル・ゴリアス組とのタッグなんか今見ると面白く。延髄斬りを試合で試している。
>>878
どうした?なんか嫌なことでもあったか? 延髄斬り自体がやだっつってんだよ!
試合の流れとは関係なく楽に勝敗を決められる技を見て何が楽しいんだ?
>>880
そっかそっか。まあ全部吐き出しちゃえよ。あとは何かあるか? 延髄斬りが完全にメインになるのは最初の長期欠場以後か
突然の延髄斬り1発で終わる。
突然のドラゴンスリーパー1発で終わる。
突然のリキラリアット1発で健吾が伸びる。
どれがいい?
マジレスすると、突然終わってしまうのは面白くないよ。
そういう意味じゃ>>880が言うのもまぁ理解できる部分もある。
それまでの流れやら組立てやら布石があってのフィニッシュならいいけど。 ハンセンのラリアートや
ホーガンのアックスボンバー
武藤のムーンサルト
オカダのレインメーカーもそうだが
それらが出ないまま試合が終わって
80年代以降のファンが満足して帰ったかどうかは疑問だな
プロレス自体が変化してきてることを見逃してはいけない
その選手の代名詞的な技を見れたという意味(だけ)での満足はあったかもね。
いきなりチョット遡った話題。
79年の闘魂シリーズ、それまでの弱体外人を払拭する豪華メンバーだった。
ペドロモラレス ニコリボルコフ グレッグバレンタイン マサ斉藤がオール出場
前半がダスティローデス(親日初参加)パットパターソン ジョニーパワーズ
後半がタイガージェットシン ボブバックランド(猪木と王座交代劇あり)
考えれば全員がほぼエース格で、それらを一堂に会させた画策が何かあったのかと。
たとえば奇しくも同年に国際が12chからのてこ入れでAWA系のガニアやニックを
再来日させた例もあったし、あれこれと推測をめぐらせるシリーズではあった。。
俺も唐突だけど、一応>>887を受けて。
ジョニー・パワーズってリング外の評判は最悪かもしれんけど、
プロレスラーとしては嫌いじゃない部類だったんだけどね。
シンと並んで初期の新日に貢献した外人エースとしての功績は
評価したいと思います。何か急速に落ちたってイメージがあるねぇ。
残念に思います。 >>888
まあリング外の評判ってのは、しかしそのままレスラー生命、生活に作用するよ。。
ブロディなんか最右翼w 素行を含めたプロモーター受け、興行主としての金銭感覚・・。
俺はねえw、パワーズのファイト振りってそれを反映するような、今で言う陰キャラ?そのものだったと思うな。 パワーズが評判悪いってのはプロモーター業をやってたからだよね。
性格が悪いレスラー、例えばドン・ジャーディンなんかがプロモーターを兼任してたら、
パワーズと同様な嫌われ方をしたのだろうか?
レスラー兼プロモーター様で評判がいい人って誰だろう
エリックぐらいじゃなかろうか?
大木も愛弟子のように可愛がってた筈のタイガー戸口を
韓国興行で超激安ギャラで使って激怒させたとか悪い話しか聞かない
>>891
エリックついでに?馬場とか。。w
まあとりあえず金払いさえしっかりしてればね、ビジネスライクなアメリカ人だし。
そこでケチったりでトラブると始末が悪いよね。 パワーズはWWWF地区内のクリーブランドでNWFを旗揚げしたからWWWF勢に嫌われた。
新日はWWWF系の選手が来たから尚更だった。
NWA王座を転落したテーズがNWAテリトリー内で新団体を起こしたら嫌われただろうな。
>>892
性格的には問題のあるビル・ワットもプロモーターとしては評判悪くないよな。 ブルーザーもプロモーターやってたけど、悪い評判は聞いた事ないかな。
シークに干されたブッチャーを自分のところのリングに上げたのは
対抗意識だけじゃなくて度量もあったんだろうと思う。
>>896
あの試合、ピーターのレフェリングが醒めた。
直前のジャーマンで試合終わらせておけば良かったのに。
会場がどっちらけの雰囲気になったよな。 >>883 それよりセコンドの星野やクロネコが合図すると、放送時間きっかりに試合が終わるのが嫌だった >>893
クリーブランドがWWWFエリアだったことは、一度もないね。
NWF前はシークランド(NWF時代も)、NWF崩壊後はジョージアエリア。
ニューヨーク州バッファローはNWF崩壊後、しばらくたってWWWFエリアになったけどね。 同日行われたアンドレの試合が新日本でのラストマッチだったか
>>901
アンドレの新日ラストマッチは翌日の佐川急便杯トーナメント決勝の猪木戦(リングアウト勝ち)。 86IWGPの猪木は藤原戦・マードック戦と二週連続でジャーマン出した
どうも
ノーテレビの京都はともかく両国の六人タッグは収録されていたんだろうか
とにかく実際の放送では名古屋の猪木戦が最後らしいが
>>904
坂口、上田、キムケンーアンドレ、スーパースター、アサシンは
決勝の猪木ーマードックが30分超えのロングマッチだったので
お互いの試合前のインタビューも入れたので、放送されたのは決勝1試合のみ やはりホーガン無きIWGPを権威付けるためにそれだけの演出が必要だったという事か
相手がマードックというのもあって
>>908
藤原(ワキ固め)クラウス・ワラス
◯前田、木戸(逆さ抑え込み)スーパースター、●ワイルド・サモアン
前田が逆さ抑え込みで決めて野次の嵐だった。 両国の前田組、アンドレ組の試合は収録されていたようで
十数年後にサムライで放送されたね
あとサムライでは当時未放送の名古屋の前田組vsマードック組の六人タッグも放送してた
どうも
次の両国でIWGPタッグを取る前田&木戸は既にここでも組んでいたのか
>>909
それに加えて、前田はスヌーカのリープフロッグに付き合っていたな。 >>914
当日見に行ってたけど、相手スーパースターじゃなくてスヌーカだっけ?
リープフロッグに付き合っていた・・・そんな気もするな。
とにかく、逆さ抑え込みでピンして野次の嵐だったのを覚えてる。 >>909
前田 木戸vsスヌーカ サモアン
あとは前座で 橋本vs船木、 高田 山崎vs越中 コブラ が組まれてた >>917
ウイリアム、ヒギンズ、スミルノフ、アレン
IWGPと比べたら外国人の質が数段落ちたしね。 クラウスワラスって全日にCWAのベルト持って初来日してた記憶
確かウィリアムスの初来日だったか
そしてスミルノフのようやくの新日本の初参加で
>>897
当時の猪木は痩せていて対UWFでも体調不良で厳しかった。
マードックへのジャーマンもブリッジが潰れて手が離れてしまったからピーターがカウントを止めた。
技が崩れてても離れてるんだから致し方ないが、どっちらけになった。
もう一発、綺麗にジャーマン決めれば良かったが猪木に体力が残されてなかった。 >>921
1つ前の両国で若松と組んで猪木・上田組とやってる >>889
確かにパワーズはタイプで言えば陰だと思う。シンもそうかもね。
ハンセンやホーガンは陽だと思う。あくまでのリング上での話だけど。
陽も悪くはないんだけど俺は陰に惹かれるようなところがあって、ボックも
嫌いじゃないんだな。この人がまたリング外の評判は最悪の部類だけどw
プロレスって純粋なスポーツ競技と違って人間観、人生観みたいのを
表現するようなところがあるから、ああいう陰キャラの人もリング上には
いていいと思う。好みの問題になっちゃうかもしれんけどね。 そう言えば猪木がNWFをパワーズから奪取した時の会場も暗かった
>>926
会場は旧東体だけど、ガラガラだったからな。 ガラガラだと照明をリングに集中させて客席を真っ暗にすると客入りが見えない。
当時のUWFとの対抗戦は集客力が無かったんだね
視聴率にも貢献してないし…あれでよくブーム作れたな前田
>>929
九州で170人とかで、その前のマシン軍の方が客入りも視聴率も良かった。
猪木が前田を後継者と考えても、数字が取れない前田だとテレビ撤退で倒産危機に陥るため、
1年ぐらいかけて禅譲したかったが、前田は1発勝負で勝ちたい。
その後の前田を見れば分かるように1人エースは無理だった。 >>929
地方では全然ダメだったけど、都市部の大会場では集客力があった。 なるほど、だから第二次UWFは地方を廃止して
都市部中心の月一興行にしていたのか
新日も一時期興行数減らして都市部中心にした事あったような
>>932
89年の坂口体制になった頃から年200試合ぐらいを120位まで減らした。
地方のプロモーターも新日も儲からないから仕方ない。
地方だと分かりやすいプロレスでないとダメでブッチャーは大人気。
マードックも客いじりしてケツ出して大人気だったが、Uの関節技は分かりづらい。 田中リングアナウンサーの旅日記でも
マードックのケツ出し芸はネタにしてたね
前田まで巻き込んでの地方でのケツ出しは
流石に打ち合わせがあったのかなぁ
前田とマードックの対戦となるとIWGP決勝進出が掛かった松戸での対戦か
客「マードック、ブレーンバスター」
マードック「ちょちと待って、後で」
沖縄での試合で米軍海兵隊員が沢山見に来てるが、なぜかマードックに大ブーイング。
マードック「俺らはお前らの慰問に来てやってんだぞ」
海兵隊「BOOOOOOOOO!!」
試合後は海兵隊員と握手しまくるマードック。
>>934
旅日記のネタにされてた選手
越中、キムケン、橋本、ソープ蝶野ランド佐野、ライガー、
青柳(女子中学生ネタ)、佐野笹崎(ホモネタ) ディクマは会場人気は凄かったが、あまり
集客力はなかった。
集客力に大貢献した外人はタジェシ、アブチャ、テリファ、ミルマ、スタハ位か。
ルー・テーズ、シャープ兄弟、プラッシー、デストロイヤーも集客力あった。
力道山、長州、前田も外人でいいか?
国籍の問題は置いとくとして、その三人は外人という括りには入らんだろw
日本代表猪木、モンゴル代表キラー・カーン、メキシコ代表ジョージ高野、韓国代表キム・ドク、
欧州代表前田、フランス代表アンドレ、アメリカ代表ホーガン、アフリカ代表ブッチャー
これでできただろ。
ボックの招聘が頓挫したとしても、よりによって前田をヨーロッパ代表ってのは悪い冗談だったな
凱旋帰国させて期待の新星として売り出すにしても、IWGPの根底を覆すヒドイジョークだ
それに加えてカナダ代表のブラボーの代わりにラッシャー木村を参加させたり
もーただの新日リーグ戦でしかないと呆れさせ
代役でしょぼい奴呼ぶよりラッシャーの方が全然マシだろ
ヨーロッパ代表 トニー・セントクレアー
とかやられてもなあ・・
>>922
久しぶりに出したジャーマンより優れたフィニッシュなんてないのに、なんで高橋2と思ったのかな。
高橋史上最大のミスだね。
返されたからってジャーマン2連発ってのもなんか違うし
そもそも返されてないんだし ヨーロッパ代表前田ならメキシコ代表藤波、長州でもいいか
つか中南米代表カネック、エンリケ・ベラって、北米のメキシカン二人ってのも本来つっこむところか
確か中近東代表だったと思うけど、予選中戦ってる選手が死亡する事故が起こって予選がストップしているって新間が言ってたな。
でもそれを裏付ける事例って何も無いような気がするんだけど。
第一回IWGPリーグ戦の前に行われた国内のリーグ戦はアジアリーグだったのに
猪木とカーンが出場決定した時は日本代表…
カーンのモンゴルの怪人≠ニいう肩書きがまったく意味を成さないという
>>946
ジャーマン自体はその一週前の藤原戦でも出してたけど、マードック相手に綺麗に投げてただけに勿体なかったな >>946
ブリッジが潰れて、手も離れたら、しょうがないと思う。
手が離れてるんだから押さえてない。
マードックが一人でエビになってる。 >>952
案の定お前みたいな馬鹿が出てくると思ったわw 構想ぶち上げたものの、NWA主流派の反発や候補の参加選手(特に外人)の
劣化ぶりで、結局今までと代わり映えの無い大会に落ち着いたのもあるが、
第一回開催されるあいだに長州革命や佐山タイガーの予想以上の躍進で
親日マット内の団体方針がIWGPと全く別の方向へ分化されてきて、注目度が
薄れてしまった嫌いもあったな。。
>>954
ブッチャー、ローデスかバックランド(怪我で棄権途中帰国という設定)が
参加してれば、それなりの見栄えだったんだけどね。 初回にブッチャー一人でもいたらだいぶ違ったね。
×アンドレ ×カーン 久々の×ホーガンも見られた。
>>956
中近東代表で出る予定だったけど
ブッチャーが「言ってはいけないこと」を言って流れたと
当時、菊池孝がゴングのコラムに書いてた。
あと、「流石にあれはブッチャーが悪かった」と。 そういや
ブッチャーの移籍時の口上には
「IWGPに参戦」
ってあったんだよな。。。
「言ってはいけないこと」って一体何を言ったんだろ。
ベテランのブッチャーがそんな間違いを軽々しく犯すようには
思えないんだけど。
何にせよ
第1回IWGPは全戦超満員だったから
不必要に外人を投入する今なんてないと考えたんだろう
やたらつぎ込んで次のシリーズが不入りだったらマヌケの極みだし
「トサカにくる」ってプロレススーパースター列伝でブラックタイガーに
「黒豚」と言われた時にそう言ってたねw
第1回IWGPとオープン選手権の両方に出たのは
ラッシャー木村だけだな。
>>961
いくら当時の新日でも4週間すべて超満員ということはない。
岡山や熊本は83年はそれぞれ4回行ったが、IWGPが一番客入りが悪かった。 ブッチャーがB型肝炎をばらまいてたのには驚いたな
ジャンボもブッチャーからもらったんじゃないの?
地獄突きはまさに毒手!
あのギザギザ流血頭からの
頭突きは最凶の・・・なんていったら
良いんやろね^^;
ま、しかし、
当時のブッチャーのファイト振りからすれば、
罹患したのはAll Japan限定としても
鶴田だけだったのは不可解だが。。。
馬場にレイスにファンクスに
もっといるだろっ!と。
流血したブッチャーの額に色紙を押し付ける小僧が多発してたな
ブッチャーはC型肝炎だ。
つる太のB型肝炎とは無関係。
その当時はC型肝炎は無かった気がするな。
確か非A非B型とか呼ばれてたような
今考えたら金曜のゴールデンタイムにTV生中継ってすげぇよなあ
ドラえもんから仕事人までチャンネル変えなかったもんな
まあアナログ地上波しかテレビメディアなんか無かったし。
情報収集はもっぱら週おくれの紙媒体だし。。
プロレス誌が月刊から週刊になった時のキャッチコピーが
「月刊では遅すぎる。日刊では浅すぎる」だったね。
俺は月刊時代も特に不満とかなかったけど、一度週刊になったら
やっぱりそのサイクルに慣れちまったw
>>922 あのジャーマンのあと、高橋が
エンズーイ!!って叫んで指示出してるよ
観てみ? ゴールデン撤退は
必殺の方が半年先だった
その意味では新日は結構粘ってたな
プロレスとの最初の接点って勿論テレビだけど、
親日は金曜の8時にテレ朝つければ必ずやってたから親日のほうが馴染みがあった。
全日は深夜だったり夕方だったりで茶の間の定番って訳じゃなかったから
後手になりがちだったmな。。
ドラえもん→ギャバン→プロレス→ハングマン→仕事人か
俺は19:30は日テレのカックラキン
82年からテレ朝でギャバン始まってからはギャバン見てた
必殺シリーズは人気番組だけど、夜十時をゴールデンと言っていいのだろうか
亀だけど、新倉のことで思い出したから書いておきたい。
小杉も新倉も、顔がかわいらしくて、怖くないのが欠点だったと思う。
俺が見た中で最も新倉が怒ったのは、第2回IWGPファイナルでの長州乱入直後の、
暴れる観客に対し、拳を構えながら怒鳴ったとき。
新倉の「怒りの表情」の最大限があれ。
>>987
つる太、藤波、武藤、橋本、健介、小橋、川田、三沢、田上も顔は怖くないだろ。 >>984
バカヤロウ、テレ朝金曜19:30は「宇宙船サジタリウス」だろ。 >>969
新日本プロレス 1983年5月20日 熊本市体育館 観衆2700人
@1/15 ○小杉(12分36秒 片エビ固め)●高田
A1/20 ○荒川(12分38秒 片エビ固め)●山崎
B1/20 △星野,藤原(時間切れ引き分け)△木戸,永源
C1/20 ○木村健(12分20秒 エビ固め)●剛
D1/30 ○小林(10分31秒 反則)●寺西
E1/30 ○R木村(4分9秒 体固め)●E・ベラ(IWGP決勝リーグ戦)
F1/45 ●坂口(11分26秒 体固め)○H・ホーガン
G1/45 ●K・カーン(7分26秒 体固め)○A・T・ジャイアント
H1/60 ○A猪木,前田(11分43秒 体固め)B・J・スタッド,●E・カネック
新日本プロレス 1983年5月23日 岡山武道館 観衆2100人
@1/15 △新倉(時間切れ引き分け)△小杉
A1/20 ○永源(9分10秒 体固め)●高田
B1/20 ○剛(10分29秒 逆さ押さえ込み)●荒川
C1/20 ○木戸(11分46秒 逆さ押さえ込み)●藤原
D1/30 ○小林(10分15秒 エビ固め)●E・ベラ
E1/30 木村健,●星野(16分18秒 片エビ固め)○R木村,寺西
F1/45 坂口,●前田(6分46秒 体固め)○A・T・ジャイアント,B・J・スタッド
G1/60 ●K・カーン(12分19秒 エプロンカウントアウト)○H・ホーガン
H1/60 ○A猪木(3分16秒 体固め)●E・カネック(IWGP決勝リーグ戦)
当時は後楽園が満員で3千人発表の時代だから、あまり入ってるとは言えないな。 IWGP代表でありながらコバクニにも負けるベラって
>>990
さすがにリーグ公式戦のカードが弱いな。
メキシコ代表絡みのリーグ戦に当たった大会は運が悪かったね >>986
新倉のプロレス人生のピークは間違いなく、あの客に凄むサマだよな >>995
新倉のピークは81年12月の蔵前での後輩高野俊二のデビュー戦の相手をして
1分ちょいでドロップキック1発で惨敗した試合だな。 タイトル戦は大阪城ホールで邦昭のインタージュニアに挑戦してたか
lud20200822072117ca
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