過去スレ 【馬場】昭和の全日本プロレス【鶴田】 【ブッチャー】昭和の全日本プロレスPart2【ファンクス】 【カマタ】昭和の全日本プロレスPart3【ロビンソン】 【外人天国】昭和の全日本プロレス4 【土曜夕方】 【コックス】昭和の全日本プロレス5【Jオーツ】 【蔵前国技館】昭和の全日本プロレス6【日大講堂】 【黄桜酒造】昭和の全日本プロレス7【井関農機】 【山田竹内】昭和の全日本プロレス8【田鶴浜】 【史上最強】昭和の全日本プロレス9【超獣コンビ】 【ボルコフ】昭和の全日本プロレス 10【ロン・バス】 【横浜ゴム】昭和の全日本プロレス【大塚製薬】(実質11) 【アベンジャー】昭和の全日本プロレス11【バラクーダ】 【ジョーの】昭和の全日本プロレス13【失神芸】 【NWA認可】昭和の全日本プロレス14【PWF認定】 【AWA】昭和の全日本プロレス15【鶴田戴冠】 【ミラノ】昭和の全日本プロレス16【死んじゃった】 【パンクロチオン】昭和の全日本プロレス17【スターウォーズ】 【アゴの先端に】昭和の全日本プロレス18【ヒィッツ!】 【両者反則】昭和の全日本プロレス19【無効試合】 【倉持流血】昭和の全日本プロレス20【ディンク吐血】 【阿修羅原】昭和の全日本プロレス21【永遠なれ】 【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【弾けた】 ※前スレ http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/wres/1497952702/ 【喧嘩番長】昭和の全日本プロレス23【南海の黒豹】 【ボクにも】昭和の全日本プロレス22【被らせて】 (実質24スレ) 【暴走戦士】昭和の全日本プロレス25【人間魚雷】 【世界王座】昭和の全日本プロレス26【争覇戦】 【メフィスト】昭和の全日本プロレス27【マーシャルボーグ】 【桜田】昭和の全日本プロレス28【轡田】 【駿府会館】昭和の全日本プロレス30【九電体育館】(実質29スレ) 【三沢タイガー】昭和の全日本プロレス31【川田大笑い】 【PWF杯争奪】昭和の全日本プロレス32【タッグトーナメント】 【テリーが行った】昭和の全日本プロレス33【左のパンチ】 【インター】昭和の全日本プロレス34【PWF UN】 【あ!スタンハンセンだ!】昭和の全日本プロレス35【ハンセンですよ】 【夏の主役】昭和の全日本プロレス36【ミルマスカラス】 【国際血盟軍】昭和の全日本プロレス37【C・ハリケーンズ】 【B・テラー】昭和の全日本プロレス38【M・アサシン】 【M・ルーイン】昭和の全日本プロレス39【K・イヤウケア】 【百田義浩】昭和の全日本プロレス40【原軍治仲田龍】 【プロレス観戦の記念に】昭和の全日本プロレス41【ご家庭へのお土産に】 【ジム・デュラン】昭和の全日本プロレス42【バック・ロブレイ】 【アラビアの怪人】昭和の全日本プロレス43【インドの狂える猛虎】 【リングの中ジャイアント馬場です】昭和の全日本プロレス44【控え室ジャイアント馬場です】 【豪華な花束】昭和の全日本プロレス45【興奮のるつぼ】
それこそ全日本 現在まで使われている優勝トロフィーは第二回からだったか
チャンピオン・カーニバルは第四回から総当たりリーグ戦になり 参加選手14人中7名が優勝戦線に食い込む大混戦 過去スレで話題になっていた中堅マリオ・ミラノが 覆面レスラーザ・バラクーダとして大活躍したとか
ちなみに グランド・チャンピオン・カーニバル というのもある。
昭和のチャンカン決勝は77年の武道館以外は全部地方でやっていたけど日大講堂使ってた 頃に決勝戦の舞台に使う発想はなかったんだな。
>>8 大和車体・・昔は団体問わずプロレス常設会場だったような 土足禁止の自由席だった >>11 いい歳こいて、こんなもの取って置いてんのかよ どんだけオタクなんだ >>12 俺も半券やパンフレット、全部保存してるよ。 ど田舎住みだから生観戦の機会もそう多くはなかったけど。 元も含めてファンなんてそんなもんじゃない? >>11 大和車体工業体育館は神取×ジャッキーのシュートマッチが行われた会場だよね。 >>10 新日がかなり無理をしてでも リーグ戦やNWF戦の会場の規模を 下げなかったのとは対照的だった こういうことって意外に後々響いてくるんだよな 一度落としたものを戻すのはむつかしい 今の最強タッグなんてまさにそれだ 逆に平成に入ってからの徹底的なまでの武道館・三冠体制は昭和の新日本をも越えていたな あくまで猪木あってのNWFとは違っての
>>12 年齢関係ないだろ。 年に数回しか来ず、しかも小遣い貯めて待ちに待ったプロレス観戦ができる気持ちが理解できんのか? >>17 そこは平成以降のテレビ中継が武道館の三冠戦に向けて盛り上げる形に変質していたのが大きいし また地方のプロモーターの発言力が昭和の頃に比べると弱まったというのもあるしね >>19 暴対法がでかいね。 地方の体育館が怪しい興行会社には貸さなくなった。 で新日は早めに全国巡業を減らし大会場偏重に向かっていった。 そして猪木はぬけぬけと「日プロの黒い交際は全部馬場さんが持ってっちゃった」
昭和の全日本プロレスは障害者プロレスだった。 試合だけでなく、百田リングアナのコールもカタワそのものだった。
猪木は日プロ追放時の体験もあって暴力団嫌いを公言していて、 新日の興行では暴力団は一切関与してないと言ってたけどね。 でも仁義なき戦いの何篇だったか忘れたけど、映画の冒頭に 猪木シン戦のショットが出てくるw
>>16 何がどう響いてるんだ? よくわからない。 >>24 ホーガン、ダイナマイト・キッドの本には日本のプロレス団体と 893の付き合いにビビったって記述があるのにねw キッドは猪木が893にビンタを食らわされて「ドーモ、アリガトウ」と頭を下げている姿を目撃したそうだ 現在はどうか分からんが相撲の高鉄山は著書で「893抜きで地方興行は打てない」と言い切ってた 音楽業界では北島三郎や松山千春が893の会合に出席して問題になった事があった ガキの頃会場でだが百田リングアナの後ろを追っかけ回ったりしてた テレビで知っていて リングアナなら襲われないだろうって考えてた しかしでかくて、レスラーやれるなんておぼろげに思ったがまさかホントに転向するとはね パンフのスペースもいきなり半ページあったりして優遇されてた
>>27 百田兄はレスラー転向が余りに遅過ぎたね。 光雄と同時に、遅くても光雄から3年くらい遅れてレスラー転向してたら 或いは日本初の兄弟タッグ&力道山の息子達と言うブランドも手伝って、インタータッグを腰に巻いてたかも。 >>6 優勝のトロフィーは 一回目が三冠戦の勝利者に贈られていた6本の柱が地球を貫いているタイプ 二回目が現在に至って使われているもの 三回目が最強タッグで贈られる銀色のオーソドクスな「優勝カップ」タイプ 四回目に第二回のものが復活、〜現在。 >>24 マクガイヤー兄弟が来た新春シリーズ、うちの親父がプロモータになった。 だがこれは名前貸しで実質は親父の知り合いのヤクザがしきった。 彼では「受ける」ことができないから親父の名前を借りたわけ。 だからまんざら間違いじゃない、とは言える。 >>28 ツリかもしれんけどそれは無い。 光雄のレスラーオーラの無さもかなりのものだけど、義浩の地味さはそれ以上だった。 身体のバネが致命的に無い感じで遠くから見るとゴソゴソもがいてるだけにしか見えない動きのレスラーだった。 海外遠征時も試合を組んでもらえずマネージャーやってだくらいだからね。 28だけど、ちょい訂正 日本人兄弟タッグでインタータッグをってのは自分の願望 だけど、やっぱり百田兄弟が インタータッグってのは無理があった。 ただアジアタッグ位なら充分巻く資格はあったろうし、大熊、小鹿組 ケビン、ダビッドのエリック兄弟と三つ巴でアジアタッグ戦線を賑わす事は出来たかも。
>>31 極道と井上、原、石川辺りを挙げるならわかるが、なんでエリック兄弟w >>20 30年代後半にすでプロレスへの公共の体育館への貸し出し禁止された時期が あった。映画・仁義なき戦いで描かれた「頂上作戦」の一環だったらしい。 >>32 79年スーパーパワーで防衛期限の切れたアジアタッグの争奪戦のメンツのイメージだろ。 77年全日つべ見たが次回放送の字幕でアジアタッグ戦大熊・小鹿vs浜口・鶴見と書かれていた 浜口・鶴見組ってどんな感じだったのかな?つべにうpして欲しいわ
百田義、帰国後スタイガーに勝ったりしていたからオープニングくらいはテレビ中継にのったのかな?
>>24 1984年の第2回IWGPで、石川県小松大会が中止になったのは、チケット販売に暴力団が絡んでいて逮捕者が出たから。当時、現地のローカル新聞の3面記事にデカデカと載っていた。 昭和時代は興行界が暴力団と関係があったのは承知の事実だけど、政界財界法界警察から大企業中小企業、飲食店等暴力団と無関係の所の方が少なかった
大体プロレスの興行といえばダフ屋が付き物だけど(今はどうなのか分からんが)、 あの人らだって堅気とは思えないからねぇ。S63年の最強タッグの札幌大会で チケット売り場の辺りにダフ屋さんがいたけど、他の客が茶々入れるような事言って 頭を小突かれたのを見た事がある。俺は売り場で正式に買ったけど。
アジアタッグ争奪戦でエリック兄妹の名が出るたびに 「アメリカ人のエリック兄妹をなんでアジア≠ノ挑戦さすんだよ」 という意見があったが、考えてみれば日プロのアジアヘビーやアジアタッグも アジア出身から外れてる外人レスラーが多数挑戦してるんだっけ
>>40 「エリック兄妹」はやめてwデビッドが女に思えてくるからw それはともかく、逆もあったね。ケリーのミズーリ州ヘビー級王座に天龍が日本で挑戦するという。 あれは、ミズーリ州どころかセントルイス以外で行われた初のタイトル戦だった。 >>40 新日の北米タッグもなんで日本人が北米のベルトに挑むんだよ? という疑問が子供心にあったわ。 >>43 坂口&小林組とシン&上田組が、北米タッグ王座を巡る抗争だもんなw >>40 むしろアジア出身レスラーよりも アメリカ人の挑戦者が大半 現役のNWA王者が挑戦してるくらいだから でもエリック兄弟やキウイズがベルト奪取して、海外流出しても防衛戦は可能だと思うが、 ブラジル&コロン組とかが奪取すると、日本でしかタッグ結成する機会がないような気がするな。
アジア人限定のアジアタッグは昭和六十年代なんだよな 平成で解禁されてカンナム時代に突入したが
冬木いわくアジアタッグはある程度のキャリアあれば誰でも 一度は巻かせてもらえるベルト
>>50 国際プロ時代にも井上と浜口は巻いてるのに、鶴見は巻いていないんだよな。 天龍いわく、 「プロレス人生、いや私の人生最大の痛恨事は、アジアタッグのパートナー選びを間違えて、 歴史あるタイトルの偉大なるレスラーたちの中に、渕正信などという忌まわしい名を刻んでしまったことです」
アジアタッグは取れても最強タッグに出られなかった石川 アジアタッグは取れなくても最強タッグには出られた鶴見
(ガラプー KK4f-GmcP) って、国際プロスレで変な妄想書いてる人かな?
アジアタッグほど名誉職というに相応しい王座はない 他にも若手の登竜門やジュニアタッグさらにはベテランと新人の混成にも使えるし
>>43 石川の地元興行で、たまたままだ見ぬ強豪の ケリーが参戦してたから。 日本初のミズーリ州王座戦 他に石川の地元として長州とのシングルやアジアタッグ戦も
アジアタッグも 全日に来てからは値打ちが下がってるなあ 日プロ時代はもっと興行価値が高かったのに
>>61 仕方ないよ。馬場&猪木組がインタータッグ王者で、猪木&吉村組がアジアタッグ王者 だったら価値の差は少ないが、馬場&鶴田組がインタータッグ王者で、大熊&小鹿組が アジアタッグ王者だったんだから、その価値が下がるのは当然の話。 >>61 日プロ最後の王者が小鹿と松岡の時点で価値が下がっていて小鹿が大熊をパートナー にした時点でしょうがないな。天龍が順調に成長していたら鶴龍コンビで77年頃 に王者に出来れば良かったかな。 >>61 鶴田はアジアに挑戦はないよね?アジアクラスではないよ。 天龍・高千穂組で取れなかったんだね。今思えば最強タッグだが。 もし吉村が現在の日本プロレス界に再臨したら団体内で一二を争う巨漢選手になっちゃうんだよな。 当時は少ない大卒選手で学生横綱、更に学業優秀。こんな人が控えに回ってエースを支えてるんだよな。 日プロ全盛期の層の厚さは凄いよな。
>>62 猪木はエース馬場が絡まず大物に頼らず 自分が試合を引っ張る立場になる アジアタッグ戦線での経験値が その後に生きてるね 同じような形で鶴田と中堅の誰かを組ませて アジアタッグを持たせてたら もう少し違ってたかもしれない アジアタッグは昭和末期から平成初期にかけて、良い意味で変節したと思う 若手同士のタッグのトップ争いというか、同時に未来のエース候補の選別場所というか 川田冬木、仲野高野やらカンナム、菊池小橋とか面白かったもん
>>66 厚くないだろ どうしようもないのがゴロゴロいただけで そもそも吉村がエースになって誰が見たいの? 鶴田はアジアタッグには挑戦していないがアジアヘビーには一度挑戦した事がある もし体調が酷くなければ渕と組んで小橋&菊地か秋山&大森の時のアジアタッグに挑戦して欲しかった
アジアタッグ史上の最大画期はなんといっても馬場が小橋と組んでフットルースに挑戦した事 あれで運用の幅が一気に広がった
97年頃の四天王全盛期でも地元の体育館に巡業に来た時には リングサイドにはヤクザと愛人みたいなホステスが何人は座ってた それでも新日よりは全然少なかったけど 一番やばかったのは全日本女子とFMW。 特設リングサイドにヤクザ勢揃いでマナーも最悪だった。
日プロの時、アジアヘビー、タッグ選手権は、アジアマットで活躍している選手間で争うって趣向だった 人種、国籍は問うてない
UN王座を、猪木以来ずっと日本人が持っていたってのも変な話かな?
>>77 キング・クロー、シーク、バレンタイン、ロビンソン、マードック、ブッチャー、デビアス、ヘイズ、デビッド >>75 E・H・エリック&岡田真澄 なら ギリギリセーフだが 全日アジアタッグ最強挑戦者、 王者小鹿、大熊VS挑戦者ブラジル、カマタ (ノーTV) やられまくりの奇跡的両リン防衛
80年代の新日ブーム・新日人気は確かに凄かった。 はっきり言って全日本は、その“おこぼれ”を盗んで拾って食べている乞食だった。 当時の全日本の客は、新日から移籍した外人目当てや 長州軍目当てで入場券を買っていたし、 声援を送る相手も新日出身外人や長州軍ばかりだった。
>>81 そんなことあるか! 俺は馬場派、全日ファンを公言してたぞ。 子供なりにNWA王者や最強タッグにしびれたもんだ。 新日はいろもんに見えた。 ホントね、昭和50年代後半から昭和60年代前半の全日本の客ってさ、 全日本の興業の客でありながら、全日本の日本人レスラーを完全にバカにしてたね。 客の大半は、お目当ては外人と長州軍団だった。 特に都会ほど、それが顕著だった。
>>83 半分当たってるよ。 鶴田やブロディに見向きもされない長州、 サソリ固めをロード・ウォリアーズに腕立て伏せされた長州を見て 新日のレベルの低さを再認識したもんだ。 >>76 昭和50年代の全日時代がスッポリ抜けておりますな 長州軍や外人が人気あった時期もあったろう。でもそういう時期でも全日の日本人を 応援してたファンだっていると思うよ。乞食とか言い出したらまともな話にならんよ。
>>82 >子供なりにNWA王者や最強タッグにしびれたもんだ。 ↑かたわ。 確かにフレアーは魅力的なタレントだけど、彼はべつに全日育ちじゃない。 アメリカ育ち、NWA出身だよ。 っていうか、フレアーは新日にも上がってたし。 NWA(WCW)の提携先が、新日本か?全日本か?の問題でしかない。 ハンセン・ブロディ・アンドレ・ホーガン・ローデス・マードックも同じ。 馬場は猪木よりも5歳年長だから、日プロでの海外修行も日プロでエースになるのも 猪木よりも早かったから、結果的に猪木よりも早い者勝ちで 日本テレビと外人ルート(NWA)を得たに過ぎない。 お前が学校で一人で馬場派をどんだけ公言してようが、 当時のプロレスブームとは新日ブームであり、プロレス人気とは新日人気だった。 全日はその“おこぼれ”を拾って盗んで食べていたに過ぎない。 お前は全日カタワ、ババ障害者だ。 >>87 >っていうか、フレアーは新日にも上がってたし。 こんなこと言い出したらプロレス論じれないじゃん、 ロートルになったフレアーと藤波の権威ゼロ状態になったちびっこNWA世界戦のこと言ってるわけ?? 一時期のプロレスブームが新日ブームと言ってもいい時期があったのは事実だろう。 そういう時期でも全日を応援してたファンもいるわけだよ。両方好きで見てたファンも いるだろうし。乞食とかかたわとかは止めたほうがいいと思うよ。
>>84 >鶴田やブロディに見向きもされない長州 ↑とろ過ぎ。 ブロディや鶴田は「そこ=うすらデカさ」しか、頼るところがなかったから。 だから長州を認めてしまう訳にはいかなかった。 ブロディがデクの棒の高野拳磁(俊二)を必要以上にやたらと誉め契っていたようにね。 現代を見てみればいい。 新日でもWWEでもメインはうすらデカいデクの棒ではなくなっている。 デカいだけのデクの棒なんて、今のファンからすれば AJスタイルズや中邑の足元にも及ばない。 セメントやっても鶴田やブロディは中邑に瞬殺されるしね。 昭和カタワ全日障害者め! 全日から派生したプロレスブームというのは 歴史上一度もないな
>>84 >サソリ固めをロード・ウォリアーズに腕立て伏せされた長州を見て ↑本当にトロい。 相手にケガさせないように痛くないように技を掛けるのがプロだ。 中邑やケニーのヒザ蹴りが本気なら相手は脳挫傷だわ。 もちろん受ける方も、信用してよけないで受けてる訳だし。 本当に本当にトロいな。 昭和カタワ全日障害者め! プロレスブームてのはファンのみじゃなくて、世間一般にまで届いたって意味かな。 まぁ一時期の新日、UWF、FMWぐらいかね。ブッチャーはヘタなタレント顔負けの 人気を博した時期があったけど。
>>88 >ちびっこNWA世界戦のこと言ってるわけ?? ↑かたわ。 とろ過ぎ。 じゃあ、ビンス・シニアや、お前の好きな馬場が 「世界最高のプロレスラー」と評したバディ・ロジャースは? なんでニック・ボック・ウィンクルやフレアーは そのロジャースをコピーした? それ以前に、デストロイヤー、シーク、ドリー、テリー、ブリスコ、レイス、マスカラス・・・ みんなチビッコだろうが・・・。 カタワめ。 >>86 >長州軍や外人が人気あった時期もあったろう。 >でもそういう時期でも全日の日本人を応援してたファンだっていると思うよ。 うん。 昭和の全日本は後楽園ホールの実質有料入場者数が400〜500人程度であり、 そのうち4〜5人は全日本の日本人を応援してたろうね。 >>96 まぁそう取られてもしょうがない内容だわね。 どっちみち俺はもう時間ないし、ここまで。 >>93 世間に届いたのは デストロイヤー、ブッチャー、マスカラスくらいだろうね ファンクス人気はあくまでプロレス内という感じ 発 者 同 . 。_ ____ 争 生 同 .じ . /´ | (ゝ___) い .し 士 .レ .__/'r-┴<ゝi,,ノ ro、 は、 .な で .ベ ∠ゝ (ゝ.//` ./`| }⌒j .い し .ル } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´ .! ! か の / ´..:.} >、、___, .r、 ソ、`\ / ..:.:.} / |∨ ` ̄ / ..:.:./ | 丶 / _、 ..:.:.:.{ .{.:.:. \ { ..:Y .ゝ、 {.:.:.:.:. ヽ |、 ..:/ 丿 .:〉 >.- ⌒ . ヽ / {. ..:./ ソ ..:./ .( ..:.:.:` ..:} ./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./ .\ ..:.:r_,ノ、.:.:} ./..:.:/|.:/ {.:./ X.:.:}.} X X /..:.:/ .}.:| }:/ .Y丶ヽ Y.:Y . __/.:/ { } 《.〈、 _,,__>.:》丶 Y.:\ /.:.:.:.:.::/ !.:.:ゝ ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ \.: ̄>
アジアタッグが全日本で復活した頃に韓国の南海山、呉大均とか新鮮だった俺は変かな。 新日本に参加していたジャガーリー、力抜山、とかも興味あった。 今考えるとこの頃は韓国もそれなりのレスラーは揃っていたよな。 平成になると韓国レスラーの来日はあったがレベルが違いすぎた。
ソウルで決定戦を行う事でインパクトを強めたんだよな そして日本での初防衛戦はいきなり蔵前のメーンで国際のIWA世界タッグとのダブル戦
>>100 力抜山がマシン2号だっけ?日本マットのキャリアは結構あるんだよね。 >>102 ノータッチトペとかダイビングローリングソバットとか、いいもの持ってたのにな。 >>102 力抜山以前に梁承揮の名で国際・全日・韓国の「全軍激突戦」とかいろいろ参戦してるな >>99 >争いは同じレベルの者同士でしか発生しない ↑とろ過ぎ。もろカタワ。 「それ」は野生動物の世界での話だろうに。 人間の文明社会、法治社会では 石器時代の腕力が全ての時代とは異なるからこそ 明らかに異なるレベルの人間間での争いが生じる。 君はあまりにも幼稚過ぎるよ。 昭和カタワ全日障害者め! たしかに全日の日本人で誰かいいのいた? 俺の場合ブロディがいなかったら全日は見てない
ブロディとなればやはり最初はドリーとのインター抗争
全日本は外人同士がメインのなってた時が最高だった 馬場シンとか大仁田チャボとか、急激につまらなくなった時期があったな
馬場vsハンセンで久しぶりに日本人側が持ち直したんだよな 四天王への最初の布石はやはり鶴田&天龍vs長州&谷津だろうが
馬場がいつまでも、エースの座に執着してダメにしてしまったよね 馬場とシンのPWF 戦とか最悪だった 蔵前のメインであんな試合 恥ずかしいよ
>>109 特に東京体育館でのインター戦が良かったと思う。ジョーさんの失神も無かったし、なんか全日が新しい時代に入ったという気がした。 全日を冷ややかに見てた友人達もあの試合は絶賛してたよ。 テリーやブッチャーは毎シリーズ来るわけじゃないのに年間通して戦略を立てて 会社を運営できなかったのは馬場の責任。
>>108 大仁田チャボの抗争は好きだったけどね。 三番勝負とかダブルフォールとか。 >>110 馬場は比較的早くトップから退いたろ。 まあ、猪木との比較でそう思うだけかも知らんが。 ブレーンに任せっきりの猪木 ブレーンに任せられない馬場
あれはむしろハンセンより先に引き抜いていたシンに対する配慮といった感じ そういえばこの時のハンセンはセミ前の前で初来日も含めた蔵前で最も早い位置だったか
猪木は複数のブレーンを競わせて操るタイプ 馬場はなかなか任せないが任せるとなれば全部預けてしまうタイプ
馬場のプロレスは障害者プロレスだからね。 アトミックドロップって技をやるレスラーは、誰もが相手の尻を 自分の肩の高さまで持ち上げて、相手の背中を自分の肩に乗せてたじゃん? で、持ち上げられた相手は見栄えがするように両足を大きく広げる、キノコ雲のように。 だからこそアトミックドロップ(原爆落とし)なんだよね。 でも馬場のアトミックドロップは、相手の尻が馬場の腹の位置までしか 上がってないんだよね。 もう完全に障害者プロレスだった。
>>113 馬場と猪木の年齢差は5才あるんだから そりゃ 必然的に馬場が退く時期が早くなるのが 当たり前だと思うんだが それと馬場は自分の意志でトップを退いたわけではなく日テレから出向してきた松根氏や佐藤昭夫に説得されて 仕方なく83年 84年に退いた。 馬場自身は この時期でも自分がエースでいたい気満々で 当初は鶴田にAWA を巻かすのではなく ガニアからオレにベルトを巻かせてもよいという 話しが来ていると言っていたらしい。 松根社長 日本テレビ 佐藤昭夫がなんとか ごねる馬場を説得して鶴田がAWA 奪取にこぎつけた 84年 馬場が46才の時の出来事 なんで振り子のように担ぎ上げて落とすアトミックドロップと 胴締めから抱き上げて落とすアトミックドロップを同じものとして比較 そのあげく下げてみせてドヤ顔になってるんだ? 名前こそ同じだが違う技だろうに。 ストレートパンチとフックくらいに違うのに。
かたわかたわ昭和全日かたわ言ってる奴は現行新日信者か 生ウンチ連発してた「どろんぱ」のなりすましか、ターザン山本の誰かだな
>>121 鶴田スレのバカアンチだろ 自分は社会正義の為にやってるとほざいてるぞww 90年頃? 解説の山田さんが亡くなってから 馬場が解説するようになったんだけど 馬場の籠った聞き取りずらい喋りを聞くのが 辛かった 他に解説できそうな人いなかったのか? 門馬さんとか 馬場が実況席にいたら選手もヤりづらいのに そもそも全日は馬場に気を使い過ぎたよ 平成越えて現役やってんだから
79年ごろの天龍の映像見たが結構体小さかったんだな。実況では105キロと言っていたがその位にしか見えなかった。 相撲時代もこんなもんだったのか。 ブッチャーにエルボーで完敗してたがこれが最初で最後の昭和のシングル戦か? 他にもあるかもしれないが他はノーテレかも。
>>123 馬場のは確かに篭った感じで聞き取り難かったが 小鉄のボソボソ話すのも聞き取り難かった。 小鉄に関しては、俺だけか? ただ、どっちも解り易い解説だった。 馬場にしても小鉄にしても、或いは遠藤幸吉にしても レスラー上がりの解説者ってトンデモ解説者多いよね
>>124 なんか急にデカくなったよな 変なしこりもたくさんあったしステか? 前から気になってたんだけど ブッチャーの実寸て180ある?
>>123 馬場と山田さんが亡くなったのはほぼ同時期だよ。山田さんの4か月後に馬場が死去。 山田死去 :1998年9月8日 馬場死去 :1999年1月31日 馬場→タイトル第一線から撤退した1985年からレギュラー解説 山田→1989年3月までメイン解説 レスラーの解説は古参の佐藤、百田あたりが多くなった?鶴田や木村、永源の解説とかあったのかな?
佐藤昭夫 鶴田AWA転落した時の解説 「謀略の罠」 「マーテルがフォールとった時、ガニアがしてやったりの顔してましたよ」
>>129 山田さんは辞めてから亡くなるまで長いんだな。降板の理由はクビ?または東スポ定年退社とかか >>133 当時の新聞記者で55歳だから定年退社じゃないかな。 92年の『 全日本プロレス20周年記念試合』で3年ぶりに1日解説に復帰したけど、えらく感慨深くしていたね。 長州が天龍革命、四天王の布石になったのは認めるが、 全日で何も残せなかったのは事実じゃん。 トムマギーやマーテルに叫びながらラリアットしてる姿しか思い出せん。
鶴田戦は「残した」と言ってもいんじゃないかと思うけど。よく語られるのは天龍戦かも しれんけど。本人も「1回きりの対戦だったから残った」とコメントしてたようだし。 想像だけど、当人同士も何度も対戦する相手とは思ってなかったんじゃないかな。
今日の朝ドラに再び馬場が登場。今回は67年4月の設定ということで前月に行われたサンマルチノ戦のポスター。これ3年後になるとブッチャーとか出てくるのか?
全日の長州と言えば、ブロディに恥をかかされた試合と テリーに恥をかかせた試合が印象的 あとキラー・カーンに恩を仇で返されたシーン
そういえば、カーンが長州から受けた「恩」ってのは何だったんだろうな? 若林アナは「恩知らずのキラーカーン」とか連呼していたが。
ウォリアーズにやられてたのを救出しただけ そんなんで恩≠ニか笑わせるが そういう筋書きだから仕方ないね
長州の評価がどうあれ 長州が全日に来てなければ 全日中継のゴールデン復帰はあり得なかったのは間違いない 長州がもしいなかったら85年以降は ハンセンやフレアーのマンネリ化やファンクス、レイスの衰えなどで かなり苦しくなっていた ウォリアーズもワンパターンで飽きられるのが早かったし
二年で切り上げてくれたのもある意味良かった もっと長ければいろいろ面倒がもっとあったかもしれない
ウォリアーズは、最初こそ衝撃的だったが、短調なので飽きられるのも早かったな だけどアメリカでは、ウォリアーズタイプが主流になっていって、プロレスの質が変わっていったな NWAとWWEでは、レスラーのタイプが正反対だったのに、NWAやAWAが、WWEに近づいていったような印象があるな
>>143 ウォリアーズ別に飽きられてないだろ。 結局まともに勝てるコンビは全日にはいなかったから幻想も守ったろ。 飽きられてはないが、使い勝手のいいコンビではなかったと思う。
>>139 長州が自分が住もうと思って建てた一軒家をカーン夫妻に格安の額で貸していたと当時のファイトや週プロ週ゴン等専門紙誌に載っていたけど 抗争を盛り上げる為のストーリーなのか本当の話なのかどうかは知らない 結局世界タッグに統一されるまで 1年以上インタータッグもっていかれたままだったんだよね
>>139 若林の愛称が 恩知らずマンモス若林 だった気が PWFタッグの新設後は下位に下がった感じのインタータッグだったがジャパンやウォリアーズに渡った事で大復権
いつ頃か忘れたけど、五輪コンビとウォリアーズのタイトル戦で鶴田が一旦はフォール負けしたけど、判定が覆って反則裁定になって観客が結果に納得せず、不穏な空気になった事があったね
オープンタッグが始まってから ウォリアーズが来るまでのインタータッグは不遇の時代だったな それ以前に比べて大きな会場ではほとんどやらなくなった
ウォリアーズはアニマルはともかくホークのスタミナの無さが露呈
最強タッグがタッグの最高権威になってしまったからな ファンクスの挑戦も81年に久しぶりだったし
ハンセン・ブロディって一回しかインタータッグ挑戦してないよな。 馬場・鶴田に挑戦して、3本勝負の1本をブロディがエルボードロップでとってた。ニーじゃなくてエルボー。 PWF世界タッグ設立されたとき、そんなの作らずハンセン・ブロディにインタータッグ巻かせてやれば良いのに思ったが、 インタータッグは鶴龍、PWF世界タッグはハンセン・ブロディに振り分けるためだったんだろうね。
>>155 ハンセンブロディが揃って頻繁に来日するわけにもいかんし、タイトル奪回も難しくなるからな。反則でも負けさせたくないだろうし。 ただ、一度でも超獣に巻かせた方が権威はさらに上がったとは思う。 >>156 ただ仮にハンセンブロディがインタータッグ捕ったとして 日本人組が取り返す段になってハンセンとブロディどっちから フォールを取るか(負けブックを飲ませるか)はなかなか難しいと思う。 確かインタータッグってシングルと違って反則負けやリングアウトじゃ移動しないし。 (間違ってたらお詫びして訂正します) 反則・リングアウトでも移動します。アングルはいくらでも書けると思うけどな
>>136 ヒント鶴田は肝炎。 全日は健康診断も健康保険も医療費補助もなし。 谷津のの時に対策してると言っていたけど川田の時にしてない事が判明。 PWFタッグは初代の超獣が1回防衛しただけで解散。 2代3代がハンセンのパートナー指名による認定だったから インタータッグの上のタイトルと言われてもピンとこなかった。 せめて王座決定戦をやっとけば!
NWA、AWAが認可しPWFが認定する世界タッグ選手権だっけかな
小鹿がいまだにリングに上がって試合出来るのは、若い頃に無理しない身体に楽な試合をしていた賜物だろうな
>>157 こういうところでビビって変に気を使って 思い切った展開を作れないのが全日の悪いところだな 新日で言えば ハンセン、キッドは何回フォール負けしても価値は落なかったし 長州やホーガンが藤波、猪木から完勝することで 確固たる地位を築いた 80年代前半に鶴田が1回でもハンセン、ブロディから ピンフォールを取らしてればその後の印象は全然違う >>163 身体に優しくないのは天龍同盟と四天王プロレスくらいじゃ? >>165 身体に優しくないのは鶴田の病気だろw プロレスなのに相手に負担かけるなんてのは技や演技やキャラ設定ができない四天王の苦肉の策だよ。 一番いいのはシークみたいに入場から試合開始までたっぷり見せてから試合開始は殆どしないプロレスだよ。 >>167 事実を書くとクセーw 次は新日信者認定かな? 敵は新日とか随分思い上がっていますな。 >>164 論点が無茶苦茶。 馬場鶴田からフォールを取らせることで、 ハンセンブロディやブッチャーロビンソンが格を上げたんだろうが。 言ってることがアベコベ。 >>162 ハンセンブロディがいる限りは必要なタイトル。 解散したら全く必要なくなったが。 >>168 オマエは低能認定 事実だから反論するなよw 朝ドラ「ひよっこ」で馬場対サンマルチノのポスターが貼られていたが、元子夫人の許可を取ったのだろうか? 馬場の肖像権は元子夫人が管理しているんだよね? けっこう長く映っていたから馬場を知らない世代が興味を持つといいな。
ブロディ離脱後のPWFタッグはデビアス引き上げ用といった感じ
そういえばちょうど今は昭和最後のデビアスのシリーズからちょうど三十年 個人的なベストバウトは相模原での谷津&仲野との防衛戦
デビアス離脱の際にオースチン・アイドルに無条件でベルトを任せちゃたのを見て PWFタッグは一気にしょーもないタイトルになってしまった。
87年7、8月は短い期間に数多くのPWFタッグ戦が組まれたな。 1 王者チーム対鶴田、タイガー 2 王者チーム対ハンセン、デビアス 3 王者チーム対谷津、仲野 4 王者チーム対龍原砲 5新王者チームに認定されたハンセン、アイドル対龍原砲 6王者チーム対ハンセン、ディートン 天龍と原がタイトル奪取した試合がテレビ放映されなかったのが残念だ。たぶんノーテレだったのだろう。 ハンセンが暴走して反則負けでタイトルが移動した塩試合だったらしいが。 天龍がパワーボムでアイドルをピンしてくれれば良かったのに。このシリーズアイドルはピン負けなかったような気が。 ラスベガスロックはもうやらなかったかな。
PWFタッグはベルトデザインがしょぼいんだよな。 予算なかったのかな。
馬場は85年で引退すべきだった 90年代の試合がyoutub で見る事ができるが あの痩せ細った老人のような体が見るに堪えない あんなのと肌を合わせなきゃいけない 対戦相手が気の毒だよ。
>>182 貴方のほうが自分なんかより よっぽど大人ですね 失礼しました。 >>178 ん?アイドルは負傷で途中帰国だろ。 だから、龍原がタイトル取ったのは、ハンセン&ディートン戦じゃなかった? 名古屋でハンセン&アイドルから奪取 ちなみに同日は冬木と川田がシングル対決 また9月の最終戦では龍原にハンセン&スレーターが挑戦 そしてその日がニックの現役ラストマッチ
>>186 ハンセン&スレーターは開幕戦でタッグ組んだのに馬場が二人のコンビを否定的見解で話した のに結局タッグ組んで挑戦したけど何だったのだろうな。 諸悪の根源・ジャンボ鶴田を産んだ極悪非道のバイオテロ団体
>>180 この時期の全日のベルトはデザインというのも恥ずかしいほど。 PWFタッグもそうだしインタージュニア(後の世界ジュニア)も既製の改悪版だ。 とはいえ、新日や海外がいいわけでもなく全体的に低迷している。 特撮の着ぐるみとかもそうなのだけど、 この時期はガジェットのデザインが劣化していてあたりまえの時代なんだな。 >>133 ステージ裏で元子の社員に対する態度を軽く注意したら 元子がガチ激怒してしまい圧力かけて降板させられた 馬場は元子の見えない所で平謝りしたんだよ かっこいいベルトデザインの三大要素 ・冠 ・鷲 ・地球
>>181 一応マジレス レスラーの引退、そしてその時期。これは非常に難しい問題だと思う。 ルー・テーズなんかは蝶野と闘って、リバーススラムかけようと蝶野を持ち上げようと した所腰砕けになって、それで引退を決めたって自伝に書いてあったけど、そこまで老いさらばいて までプロレスをやる意味あるの?とは確かに思う事もある。 三沢なんかも晩年は「しんどいね・・・もうやめたい」ともらしてたし。 又テリー・ファンクやダイナマイト・キッドみたいに一旦引退したのに又復活ってのもどうかなと思う。 今のテリー見てるとマジで悲しくなると言うか身体もつのかな?と心配にさえなる。 ただこれってファンがその選手を求めてて、それでやめれないってのもあるんだよな。 最後に俺の父が常に口にしてる言葉を引用。 「人々に夢を売る仕事をしてる者は引き際を弁えるべき。いつまでも老いた姿を晒すべきでは決してない」 取り留めの無い長文で申し訳ない >>191 のちにK-1の関わる人物が全日のリング屋だった時代に全国巡業で会う事の出来ない彼女 が手紙を一方的に宿に送ってきただけなのに手紙の束を抱えてなぜか?「なんて事してる!」 と元子夫人は激怒して最終戦を残すだけなのに即座に帰京を命じられた。 周囲は「謝れ・・・」と諭したが「何も悪いことしていないのに・・・・」とそのままに退社した・・・ 「女帝に支配される全日本プロレス」と上田が暴露した本領発揮だった・・・ レスラーのみならずスタッフの不満が鬱積するほど理不尽な事が多かったみたいね。 ジョー樋口も「レスラーじゃない奴になにがわかるんだよ!」と生前、暗に批判していた。 馬場亡きあとに世間で神格化されていた事に反してGサービス実態等を暴露した記事 では「馬場が死ななくても全日はいずれ分裂していた!」とまとめていた。 元子が居ないノアでは、選手の女関係が乱れに乱れまくった 全日だと元子が目を光らせていて大会後、女と遊ぶと部屋に元子が怒鳴りこんで来た事も でも性欲が有り余った選手には、ブレーキ役が必要なのがノアで証明されてしまった
>>187 スレーターがハンセンの言うことを聞かないと、このコンビ結成は無理と判断したが、 ディートンがあまりにもふがいなく、生中継の時間が余るくらいのタイムで敗れたため、再挑戦させるのは厳しく、 やむなくスレーターと組ませたんだと思う。 >>193 引き際をどうするかは、その人の考えに任せるべき。 余力のあるうちに辞めるのも、ボロボロになるまでやるのも、その人の人生。 他人の人生をとやかく言うなとお前の親父に言っとけ。 >>197 今のドリーとか見てりゃわかるじゃん あんなの死んだ方がマシだよ ハンセンが辞めたとき「まだ若いのに勿体ない」とか言ってたけど、そりゃあんな糞みたいな見た目でヨロヨロ技掛けてりゃいいだけなら老衰直前までプロレスできるわなw ドリー見て有り難がるファンとか、ちょっと理解出来ねーなぁ まあプロモーターは客が呼べりゃ何でもいいんだろうけど、よくあんなみっともないハゲ老人見に来るキモオタ相手に商売しようとか言う気になるよな >>195 元子みたいなひとは大企業において大事だよね。大会社ってそういうものだよ。 そういう人を切っていくと自由になり、発展していかないと思う。 >>160 忘れてた! 3代王者は鶴田・タイガー組だった。 リターンマッチでハンセン・デビアス組が奪回して デビアス離脱後、ハンセン・アイドル組が5代王者に認定。 初防衛戦で龍原砲がリングアウト勝ちで6代王者に 試合内容に納得できない龍原はベルトを巻くのを拒否し ハンセン・ディートン組相手にフォール勝ちで防衛して、ようやくベルトを巻いた。 >>187 龍原砲がハンセン&スレーターから奪取では無理があったからだろう 挑戦者の立場なら両リンで問題ないからな WWEのリンダ夫人はあれほどの大企業なのにケインからツームストン 食らったり体張ってたが元子も全日で体張ればよかったんだよ 川田があんたが傲慢だから分裂したんだよと抗争しかけて元子が 助っ人としてハンセンとか呼べばおもしろかったw
>>199 元子さんはあきらかに、やり過ぎだったよ 完璧な更年期障害で子供がいない事で さらに拍車が掛かったのでは? 山田隆の件といい自分の嫁の暴走に 全く手が打てない馬場が悪い 山田さんの解説は温厚なおじいちゃんみたいなイメージだったけど、場外乱闘とかで顔が映ると思ったよりも若くて冷たい表情だったのがギャップだわ 実際はどんな人だったんだろ
>>204 日本プロレス時代から解説してたと思う 日プロ リアルタイムで見てないので あれですけど 衰えた馬場を何とか強く見せようとする 解説は あまりにも白々しくて聞いてて 辛かったけど、分かりやすい解説で自分は好きだったよ 連投になりますけど ブッチャーと仲がよかったので 中継が終わったら よく飲みに行ってたらしい
>>203 たぶん田中真紀子の旦那と同じ状態だったんだろな 金も何もかも嫁が握ってて完全に尻に敷かれてたんだろう 馬場が倉庫整理してたときに出てきたソフビを仲田が馬場に 許可とって持ち帰ったらあれ返しなさいと大の大人からおもちゃを 取り上げるんだから普通じゃないわ アイドルは寺西か井上に負傷させられて帰国だったよね?
>>201 当時のスレーターなら十分フォールできたろう。ただコンビとしてダメだったんだと思う。 「アメリカではスレーターの方がハンセンより格が上なんですよ」って馬場が解説してた 馬場がいう「アメリカでの格」って試合当たりのギャラという意味でいいのかな。 日本の場合だと試合結果について気を遣う度合いとほぼイコールでギャラとは相関してない感じだけど。
スレーターは81年の交通事故がな。 あれさえなければ違ったかも。 あんまりレスラー仲間になめられることもなかったし、もっといけたかも。
>>181 肝炎が発覚したカバと一緒に引退してフロント入り。 エース天龍の成長ストーリーと長州の外敵エースってやってるなら大分違ったけどな。 >>212 過去スレにも書いた事あるけど、あのアクシデントがなければスレーターの途中帰国も なかったろうし、天龍の開眼試合もなかったわけだよね。仮定の話になっちまうけど、 もしそうなってたらその後の天龍はどうなってたんだろうと今でもたまに思う事がある。 やっぱりいずれは何かのきっかけを掴んで浮上してたかな。本人は日本ではあれが 最後のシリーズで、その後はアメリカに定着する事を考えてたようだけど。 >>211 井上のサマーソルト・ドロップでアバラを痛めて途中帰国。 試合結果は覚えてない。 >>216 wikiにはストマック・ブロックと書いてるね。 でも、それだと寺西の技だよね。 プロレス雑誌で写真付記事を見た記憶があったから・・・ マイティもストマックブロックからのサマーソルトの流れを持ってたからな
>>214 タイガー戸口を失った馬場が天龍に緊急帰国指令。 馬場「今すぐ日本に帰ってこい!」 天龍「スケジュール上、今は帰れません」 馬場「いいから帰ってこい!!!!!!」 天龍は「後にも先にも馬場さんがあれほど怒鳴ったことはなかった」と言っていたけど、 馬場ももう天龍をアメリカに残すつもりはなかったんじゃないかな。 あのまま戸口が全日本に残っていたら、天龍ももっとアメリカにいたのかな。 いずれ帰国していたとは思うが。 天龍がアメリカだけでプロレス出来たとは思えないなぁ 廃業していたと答えるのはカッコ悪いから アメリカに留まったと言い訳してただけだろ
>>181 馬場は糖尿病だったから、医者から毎日、適度な運動が必要と診断されてたから、適度な運動としてプロレスを続けるしかなかった 巨人症としての世界高齢記録も、プエルトリコ人の記録を抜いたから良かったんじゃないの >>195 元子はいま流行りの元祖、豊田真由子だったな 後楽園ホールで、観客の前で社員にブチギレしてる姿を何度も目撃したな 馬場が糖尿になったのは、もちろん独立して怠けることを覚えてしまったから。 全日を旗揚げしてからの馬場は、自分から楽して過ごすことを選んでしまった。 馬場がプロレスラーとしての自分の限界に挑むタイプだったら、 猪木なんかとは別格の評価を受けていたのは間違いないんだろうなと思うよね。
>>219 天龍は戸口、スレーターに感謝だな。この二つ無かったら出世は3年後だったと思う >>224 巨人症…末端肥大症は糖尿になりやすい。 まさか猪木が重度の糖尿だということを知らんのじゃあるまいな? ちなみに猪木も同じく末端肥大症。 >>224 あ、いい忘れた。 妄想で適当なこと言うな。アホ。 90年代中頃、後楽園で元子がお爺ちゃんみたいなスタッフを怒鳴りつけていた。
>>226 戸口が最高のタイミングで引き抜かれていなくなったのは大きいな 天龍はあの時点で31歳でけっこうギリギリな年齢だったし 二十代最後の79年の帰国時にアジアタッグ奪取と最強タッグ出場をどちらかでも実現出来ていたらどうなっていたか
俺の疑問 ・ブロディがしたドリーの息子へのニードロップからの流血ってどういうアングル? ・天龍延髄によるハンセン失神ってアクシデントだよね?失神したハンセン以外の全員の狼狽ぶりが笑えたけど。意識が戻ったハンセンはまさにブレーキが壊れた重戦車だった。
>>233 よく言えば温存してたんじゃない?シングルのリーグも参加させなかったし。 >>234 ブロディとドリーのインター争奪抗争劇を盛り上げるためのアングルでは? ちなみに発案者はテリーらしい、ハンセン引き抜きにも一枚噛んでた 最後の最強タッグでの表彰式での暴れっぷりもまさにハンセン それこそこうでなくっちゃってくらいの
真のカタワ・馬場元子は完全に魂の障害者だよ。 元子は生まれて来るべきではなかった・・。 馬場は1960年代後半には引退すべきだった。 以降の馬場は老醜でしかなかった・・・。 死ね・・。
>>237 ディンク君は体格が良かったね。当時はレスラーか医者かどっちになるか悩んでいると言う 報道があったけど結局、医者になりハンセンの自宅のそばの病院に勤務してハンセンの 子供たちは小さい頃に風邪をひくたびに通院していたので大変、お世話になったらしい。 ハンセンは「不思議な因縁を感じる・・・」と話していていた。 娘は何年か前にドリーととも来日してリングサイドから三冠戦を撮影していた。 テリーのビッキー夫人と違いドリー夫人は顔も性格もキツくて海外でのサイン会でファンを ドヤしつけながら仕切る姿を見た日本人ファンは「まさにアメリカ版・元子だった」と 表現していたwww >>237 Dr.ディンクのアングルはテリー発案かあ。 悪いトンパチといわれたテリーらしいというか、ちょっと外れなアングルだね。 新日海賊男ほど酷くはないけど全日では異彩を放っている、黒歴史かもしれない。 くさいことでは力動山追悼武道館の百田アナ流血と双璧かな。 >>237 インターだけでなく 最強タッグ最終戦まで含めた仕込みだったと思う そうでないとブッチャーがいないから 蔵前がガラガラになりかねない >>241 なんで外れなんだよ。 このアングルのお陰で、ドリーとブロディの因縁が深まったじゃないか。 なんでもかんでも否定的に見るなよ。 >>245 ドリーとブロディだと、なんでこの2人が?とネット無い時代に ディック君襲撃事件を見そびれた自分はついていけず、(月刊誌・駅前新聞時代のおれは(地方の駅は家から遠いのだ) 違和感を持ってた。倉持がディック君がと毎週言うのだが、なんだろ?って感じで。まさか素人に 手を出すとは想像してなかったから。 ドリーが痩せててブロディに見劣りしてね。 >>246 確かに倉持アナは毎週ディンク君って連呼してたね。そんな俺も50歳。サマーアクションシリーズで読売ランドに来たジョー樋口を見て、体の大きさにビックリ!失神芸人と思っていた自分を詫びました。 インターの復活とブロディとの抗争で久しぶりにドリーに注目が集まったよな オープンタッグ以後は完全にテリーの兄貴でしかなくなっていただけに
ディンク君襲撃事件は全日本プロレス十周年記念81ジャイアントシリーズの最中に起こった 血反吐を吐いて病院送りになった息子の仇を打つために挑んだ蔵前決戦は三日後だった テレビ収録を考えたら一週間前ぐらいが良かったんだろうけど、滞在期間の関係で仕方なかったのかもね ハンセンのラリアット食らった坂口は予め口に入れておいた血入りコンドームを 噛みちぎって吐血したように演出した(高橋本)がディンクもその類は間違いないところ ブロディのニードロップは全く当たっていない
ディンクくん、当時の実況では「大学で考古学を専攻してる」って言ってたのに、後に医者になったって聞いたから驚いた。 まあ、倉持さんだからテキトーに言ってたのかもしれないがw
>>252 米国の医学部は日本みたいに高校から直接入る所ではなくて、 何の学部でもいいから大学を卒業してから入るところだよ。 だから文系学部の出身者も結構いる。 倉持さんだからテキトーに言うってのは当たってるw っていうかプロレスの場合、大卒のウォリアーズも 路上暮らしの不良少年だったことになってるしw 馬場は解説の山田隆さんや他のスタッフさんやファンの皆さんに対して なぜ元子に代わって謝罪しないのだろうか? 死ね。 っていうか、馬場はもっと早く20年早く死ぬべきだった。 元子と一緒に。 馬場が昭和とともに居なくなっていたら 90年代以降ににもっといろんなことが実現したかもね それが評価されたら 日てれも打ち切りまではしなかったかもしれない
>>253 医者ってそんな遅い年齢から始めてなれるのか? 学費半端じゃないな。生活費も必要だし。 超金持ちしかなれないな。 日本も同じだが。 馬場は社長の部類でもマシな方だよ。 ただ、元子はなあ。売店での態度見ればわかるし、全日は自分の物だと思ってたし。 まあ、いい人が経営者になろうとしたら、大きくしようとしないし 潰れるだろな。 悪い会社が生き残る世の中さ。
>>255 アメリカなら一度、軍隊に入隊すれば、何年か勤務すると無料で大学の医学部に行かせてもらえる そういう制度なければ、黒人の医者が生まれようがない 元子よ・・・ なぜ生まれて来た・・・ 元子は生まれて来るべきではなかった・・・ 死ね・・・
皮肉にも元子の有用性を立証したのは自由というより単なるタガ外れになってより酷い醜態を曝した小田原組
馬場は、外面は良くてマスコミ連中に様々な名目でカネを配ってたから、どんなに元子が暴君でも見逃されてきた 馬場にとっても言いたいことを元子が代弁してくれるのが都合良かった 馬場マネーに群がったマスコミ連中は、悪くいわないからな ターザン山本なんて、それまで馬場についてたゴングが、メガネスーパーのカネに群がった隙に馬場に取り入った その上、後々、メガネスーパーからもせしめるフットワークの持ち主 メガネ潰れて、どちらからも貰えなくなった連中は、とたんに馬場の悪口言い始めるのがステキだった
金の効用と切れ目を誰よりも理解していたのが馬場 その意味では同郷の田中角栄にも近い
>>253 山田隆は管理職生活が長くて現場から離れていたのが悪い方に出たんだよね 確か東スポ退社後の天下り先がエロ系出版社での印刷会社との折衝役で物書きとしての力量を発揮出来ずにいたというし 門馬忠雄が記者時代プロレス巡業に同行し続けた経験を生かして別ペンネームで旅行雑誌や鉄道関係のムックの編集やライターを務めていたのとは対照的ではあった >>259 「男社会の中での女傑」を気取り過ぎたんだよな 小鉄なんかも人格や素行の部分ではあれやこれやと言われるけど 少なくとも公衆の面前で罵倒して大の大人のプライドや面子を潰すなんて事はしなかったからね 桜井氏は原康史というペンネームで いろんな本を出してたけど 山田氏はあんまりそういうのは聞かないな
>>251 当時は倉持や山田が、ディンク君の、とたまに言うが 映像がプレイバックされることがなかったんだよなあ。やはり衝撃的だったからなのか。 >>264 プロレスクラシックでは放送されたからNGシーンて訳ではない 日テレの特番でプロレススペシャルは何度かやったけど ディンク君襲撃事件はVTRで流さなかった気がする ハンセン失神事件は何度か流したのに 平成に入って、「中居のブラックバラエティ」というふざけた番組で プロレスをバカにしたテロップ入れて話題にした事はあったけど
>>264 当時は、血を吐いたシーンはカットされたから、衝撃的な出来事ではあったろうね。 後にG+で放送されたけど。 もうこれだけ現在過去の情報が氾濫してる昨今「プロレスをバカにした番組」とか怒ってる奴にすげえ違和感 バカにされてもしょうがない業界だったと思う。俺は好きだけど
ディンク君へのニードロップは肩付近にわずかにかすっただけ 顔面直撃か胸腹圧迫での血ヘドならわかるがブロディは上手くコントロール してた 普通の流血なら若手が取り囲みどさくさに紛れてカミソリを入れるが 巧妙に口に押し込んだだろう ガチで身の安全を考えた場合出しゃばってリング に上がったりはしない 蔵前の対決を前にした因縁作りアングル 発案はブロディ かもしれない
馬場が明るく楽しく…を掲げてから流血試合がパタリと消えた インタビューで 額を傷つけるのが激しいという意味ではないと公言した 同時にリングアウト、反則裁定も消えた 明るく→「ファンが納得しないものは暗い」暗い→両リン、反則決着を無くせば 明るくなれる。さらに明るさの中に楽しさも必要と付け加えた
>>270 分かりきったことを今さら得意げに説明してるのが謎なんですけど >>272 だったらテメーが言え。放送カットだの事件だのってそんなのばっかりじゃねえかよ それにしても馬場はもう少しまともな女性と結婚できなかったのかね? 日プロ時代ならタニマチの紹介とか海外で稼ぎまくってた時にブロンド娘射止めるとか無理だったのかな? よりによって あれはないだろう? あと馬場の独特の哲学とか 頑固で意固地な部分は力道とかグレート東郷に 滅茶苦茶やられた部分が影響したりしてますかね? あらゆる面で屈折しすぎてる。
ブロンド娘がなぜいいのかわからん。 金目当てでそうなったって大抵アメリカへ逃げ帰るだろ。 某地方の一世を風靡した老舗旅館の金髪白人女将も子供連れて アメリカへ逃げてった。 日本人は日本が足りない ってCMが有名だったのに。 馬場夫人はあれで旧家のお嬢様さま。巨人軍が宿舎で利用してたくらいだぜ。あの時代に。
馬場が力道山に影響受けたのは、社長は良いもの食う。たかいとこに泊まる、 葉巻、とかだろう。 力道山先生に人間的に学ぶことは1つもなかったと言ってる。 東郷も自伝でボロクソ書いてる。 アメリカのプロレスラーは、世界中のプロレスラーで、信頼できるプロモーターは 日本の馬場1人だけだと言っている。
キラー・カーンもターザン後藤も外人の奥さんに逃げられたしな 残ってるのは蝶野ぐらいか
>>267 そうそう。蔵前後も因縁が続いたはずなのに、VTRで出ないもんだから 当時テレビ見逃した俺は、ディンク君襲撃と倉持がいっても ホテルかどっかで殴ったのかなあ? と長年の謎だったんですよ。週プロもゴングも書かないし。 ネット普及でようやくわかって。 ただ、社長が儲け総取りという発想は、やはり力道山に受け継いだのかな。 黒幕が夫人で、会社の儲けは私のもの。 上流階級が従業員をこき使い、ファンは金ずると思ってたフシもある。 馬場は出資の関係で頭が上がらないし。
>>276 じゃあ君は、本カタワ元子と結婚できる?できる?できる? お嬢様っていうなら田中カタワ眞紀子だってお嬢様だろ。 地獄カタワ眞紀子と結婚できる?できる?できる? それとも豊田カタワ真由子議員が好き? 「このハゲー!違うだろ違うだろテメー!!」 自営の人には申し訳ないが 従業員は自分の金儲けの道具にしか見ない経営者がほとんどだと思う。ホリエモンや 孫や三木谷みたいに。 従業員ははいくら会社が儲けるほど働いても、超過勤務手当だけだからね。 歩合はべつだけど。
>>255 余談だが広島カープ初優勝のときに居たホプキンスは大卒でメジャー入り→ 日本で3年プレーし35歳で引退後大学に入り直し整形外科医になった (現役時代からずっと医者志望でコツコツ勉強は続けてたらしいが) 数年前に医者の学会のため久々来日したが他に牧師にもなって聖書学の大学教授でもある >>281 俺はできないよ。 でも、コネに誘惑されるのじゃないか? 馬場は、巨人症だったからモテなかったろうし。 残念だったけど。 豊田議員の旦那は高級官僚。優秀な女と結婚するのが周囲への見栄なんでしょ。 ああいう人種は。 林修の夫人は女医だし。 理屈で張り合う女は息苦しくてしょうがないよ。 元子は真実の精神障害者だからね。 正真正銘の完璧なキチガイだった。
馬場は元巨人の選手だった事もあってやっぱり野球関係者的 鶴田、天龍=ドラフト上位指名の選手 原、谷津=外様だが自ら望んで獲得した選手 桜田、高千穂=前の監督とベッタリだった選手で干す対象 みたいな
>>282 田中真紀子が経営の越後交通は有能な社員は秘書仕事やらされるので 社員が戦々恐々としてたらしい 馬場は、結婚したいスポーツ選手No1の時代があったぞ。 昭和40年代前半やけどな。
馬場の絶頂期はやはり大阪球場でキニスキーとやった時か
>>278 佐藤昭雄とベティ・ニコライはもう40年以上続いてるのでは? 馬場 キニスキー の一戦を目玉に大阪球場が満員になるとは。 プロレス、格闘技だって何試合も目玉ないと打てないのにね野球場は。
>>289 そんな集計を新聞かなんかで発表してたんかな? 当時そんなことどうやって集計すんだろ。 >>288 24時間秘書やらされそうで嫌だなあ。住み込みで。 この時代は客が呼べ用が呼べまいが メインのカードだけで客を呼ぶのが当たり前の時代 セミ以前の試合が後世に語られることはほとんどない だからこそメインイベンターとその他の格差は大きかったし 誰もがそこに憧れていた
>>278 >>291 後藤は亭主関白気質の癖に甲斐性無し生活力無し カーンは今でこそしらばっくれてるけど嘗ては 「俺は家を一歩出れば独身なんだよ」 なんて平気な顔して吹くタイプだったから >>296 佐藤昭雄がアメリカに戻った理由は馬場との関係が悪くなっだけではなくて ベティ夫人と娘さんが日本での暮らしに馴染めなかったというのもあるそうだからね 山田隆が日テレの解説降りたのは、元子との衝突ではなく、若返りを図ったプロデューサー(今泉?)にリストラされたとフミ斎藤がネット番号で語ってたことあったけど、真相はどうなんだろう?
山田さんを毎回地方会場までアゴ足代かけて呼ぶより、百田を使うほうが安上がりだからじゃないの?
>>297 戸口の奥さんもアメリカ人なのかな? もう大昔の話だけど、家族はアメリカにいて自分は永住権を取得。 新日本移籍の理由が「アメリカからの航空チケット代を毎回支払ってくれるから」と言っていたけど。 >>301 全日を出た理由が アメリカから全日に戻るときに 家族が後から引越しするから、家族全員の飛行機代と引越し代を 馬場に断られたからとも読んだなあ。 298お前名無しだろ (ワッチョイW eaea-/Qz3)2017/07/30(日) 08:43:17.94ID:uVe3cAmL0>>299 >>288 こいつを無視するのはいいけど、スレから去るのはダメだよ。 全日系のスレから去ってプロレスアンチ団体全日、プロレスアンチレスラーの馬場鶴田の悪行を話す事を忘れたら プロレスがダメになるからね。 299お前名無しだろ (ワッチョイ 4bbc-CxP+)2017/07/30(日) 09:17:03.85ID:PrLCp7jQ0>>303 >>298 ご安心ください。私は去りませんよ プロレスが大好きだし、人間が大好きだし、この地球が大好きだから この全てを冒涜する存在を私は許せないし、忘れることなんてできないです 全日・馬場・鶴田の悪行を忘れることは、プロレス界だけでなく人間の尊厳や地球を軽視することになってしまう そんなの私は嫌だ。特に人間の「生命」を冒涜した鶴田友美を許すわけにはいきません しかし後には後悔してなんとか戻ろうとしていたんだよな
戸口はカッとして新日に移籍したんだろうけど 新日の酷さに愕然としたんだろうね。 移籍の時だけ美味しい話で釣って、契約したら噛ませ犬役だけなんだもんね。 鶴田となら柔道の猛者の戸口はいい勝負してたからね。むしろ厚みがある分、 戸口が強く見えた時もあったし。
>>302 全日定着の条件だったのに一度はOKしながら「自分で出せ!」と前言を翻えして戸口が キレての離脱、そこに新日の誘いが来た。 でも馬場はいざ引き抜かれると激怒していたw そんな最中に新日は戸口も参加してハンセン&ブッチャー合体、谷津デビュー等の 6.24ワンナイトイベントで勝負に出て大成功とイケイケだったがその陰で翌月の シン参戦決定とハンセンの年末引き抜きに成功していた・・・ >>290 桜井氏はキニスキー戦でそれ以降は全盛期に比べスピードも体力も落ちたと述べて 、佐藤はドリー戦、これ以降はベスト体重に戻らなかったと述べていた。 ただ「当時の俺の立場では言えなかったけど猪木vs.ドリーの方が名勝負でいい試合 だった!」wと話していた。船橋アナも猪木の全盛期としてドリー戦を一番に挙げている。 >馬場夫人はあれで旧家のお嬢様さま。 巨人軍の名選手だった千葉のタニマチであり1ドル=360円、日本人の海外渡航が制限されていた 時代に海外留学までしているので全日創立の資金援助もできた。 その千葉と伊藤家を訪れたのが二人の馴れ初めだった・・・ 戸口が後悔したのは移籍先の新日での扱いの酷さだけでなく 主戦場のアメリカでの活躍の場が減っていったからだろうな 同じ体格のカーンは引退直前までメインイベンターで 引退をいろんなテリトリーから惜しまれていたのに 戸口は晩年ジョバー扱い
>>303 鶴田スレで猪木叩きのコピペを連投してる荒らしが 昭和全日本スレまで荒らしに来たのかよ 完全に頭がおかしいな。スレ内容と関係のないコピペを連投してるお前が悪い ここはそういう場所じゃないから消えなさい 【プロレス界の】ジャンボ鶴田103【ヤメタランス】 [無断転載禁止]c2ch.net 296 :お前名無しだろ (ワッチョイ 7e4b-DKW1)[]:2017/07/30(日) 08:35:30.85 ID:2D6U9hlq0 41<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@無断転載は禁止2017/07/28(金) 18:06:35.01ID:6Kw0S400 ペリカン野郎、引込め。 先回北へ行って北政治屋に逢った時に拉致のラも言えなかったペリカン野郎は 国会議事堂のゴミ以下の存在だ。 46<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@無断転載は禁止2017/07/28(金) 18:11:33.61ID:DxI7RXAP 前田日明に土下座した元師匠 昔からチョンコには弱い >>301 当時のプロレス雑誌で戸口は移籍の理由として 所属になってからテレビ中継試合への出場が激減したからと語ってた。 戸口は移籍を後悔して後援者を通して全日復帰しようとしたがダメだった ブッチャーは門茂男の本のインタビューで 「新日が約束を守らない」と怒り狂っていたし ブロディは「売春婦なら金を払えばいう事を聞くだろう。あいつらはレスラーを売春婦並みに扱う。」と 罵倒してたし移籍してハッピーだった選手は少ないね マードックすら全日復帰しようとして失敗したし
戸口はもっさりしすぎてて鶴見五郎を大きくしただけって感じで 売りが何もなかった。見た目でインパクトあるカーンと違って 戸口じゃ使いようがない
新日での契約を巡るトラブルを見てるとブロディの言い分も ずいぶん身勝手な言い草に聞こえなくも無いが ブッチャーの扱いの悪さは擁護の仕様が無いな ジャパン勢が抜けて手薄になった日本陣営でも 戸口の居場所が無いってどんだけダメなんだと とことこん相性が悪かったんだろうな
当時 NO1外人だったブッチャーのプライドを新日本は ずたずたにしてしまった。 マードックから逃げたような演出とか ブッチャーも相当 腹に据えかえてただろう それでも契約期間完了する迄 きちんと新日本のマットに上がり続けたブッチャーはプロだと思う。 全日にUターンする迄の期間 しっかりプエルトルコとかで稼いでるブッチャー見て 逞しいと当時思ってた。 そんなブッチャーも馬場から最後は冷たく切られたんだよね。
連投になるけど ブッチャーですら この扱いなんだから戸口など 日本人レスラーの層が厚かった新日本が売り出すわけがない。 それと ハッキリ言えば 戸口はあまり人気がなかった。
>>298 お客の前で社員を怒鳴る元子をたしなめたんだよ 怒鳴るにしても客の見えない所でやるべきだと言ったら 元子が逆ギレして日テレに圧力かけて降板させられた 92年の三沢と川田がやった試合にゲストで来てたけど その時でも元子には挨拶しなかったんだよね 馬場は山田とは懇意にしてたから裏で謝ったんだよ 山田はそのことで水に流そうと決めた >>313 ブロディに関しては、タッグリーグ優勝の予定が、当日になって負け要請。しかも藤波にフォール負けなんてひどすぎるだろ。 新日は約束を反故にすることで有名ではあるけど、これはひどすぎる 新日系は外人や外様をクソ見たく扱い始め出すよな。強行手段でNOと言えたのがブロディだったんだな Uインターもそのクソ的な発想を継承してるね。被害者はバービック、ブッチャー、バックランド、ハシミコフ。ある意味北尾。
で今度はたけし軍団がベイダーを連れてくるので藤波に負け要請したら藤波が拒否 解決策は両方とも猪木が「俺がやればいいんだろうが!」 猪木のこういうとこはやはり凄い
いまだ元子の周りをウロウロして、小遣いもらったり、あわよくば相続先のない財産目当てで立ち回ってる元記者って誰?
>>320 すごくないだろ。 自分の会社なんだから自分でケツもつのはあたりまえ >>309 当時の雑誌には戸口自身が移籍理由を語っていた。 プロレス的なコメントで。 新たな戦場を求めて俺は移籍した。 新日本は日本人、外人ともに骨のあるのが多そうだし。 俺は日本人、外人問わず叩き潰してタイガー戸口ここに在り!を見せ付ける。 味方は要らないし、一人でやっていく覚悟。 アメリカでも一人でやってきたし、どこでも一緒だから。 あと俺は第二のストロング小林にはならない。 こんなことを語っていた。 ブロディはアメリカでもウォリアーズとの試合をドタキャンしてるが 向こうでも負けを強要されたのかな? インディー団体とプエルトリコしか上がるマットが無くなったブロディを見て 馬場も流石に気の毒に思ったのか再契約したらしいが
>>326 ブロディは、どこについて行っても負けブックを飲まないので、活動出来るエリアがなくなっていった。馬場だけが、ブロディを手厚く扱った >>313 戸口が新日で冷遇されたのは移籍して早々坂口と不仲になったからだという説を聞いた事があるな 特にクーデター騒動後の社内の力関係の変化で相対的に坂口の発言力が大きくなっていたから余計に戸口の立場を考慮する雰囲気にはならない 後これは上田ナガサキポーゴにも言えるけど 良くも悪くも昔ながらの日系ヒールキャラでクラシカルなレスリングスタイルが日米共にハイスパート化が進むマット界の流れに付いていけなかったのもあるしね 晩年のブロディはセールしまくり 攻撃一辺倒でキングコングになりきってた時代がやっぱりブロディらしい ハンセンと全日で組むようになってから徐々に人間くさい一面が顔を出した ハンセンとは足してマイナスになったな
ジョードーリングとかいうアルバイトをスタンハンセンとか言うなよ
90年に入って戸口が久しぶりに新日に来た時は栗栖とピラニア軍団になって ブロンド・アウトローズ相手にヒール抗争をしていたけど 三銃士ら主流派との対戦はほとんど組まれなかった アレも坂口に嫌われていたからか?
自分所に沢山いるチョソを、他所から来たのまで使いたいか?
>>317 これは酷い。この一言に尽きる。 全日ファンでよかった。 >>329 戸口は柔道のトップ選手なんだからいくらでもヒールで使えたのに。 ヒールで猪木の噛ませ犬を拒否し貫いたのはやはりブロディだけか。 長いものに巻かれないって相当実力と根性がいるもんね。 >>330 でも、プエルトリコではめちゃくちゃな試合もあったり。 柔道のトップ選手だと いくらでもヒールとして使える という理屈がわからんw
プロレス関係の事件のせいでプエルトリコって とんでもないバイオレンス地区という印象しかない 小学生のときから
俺のお袋はボクサーといえばみんなプエルトリコ人と思ってた時期があって、 日本人と外人がタイトルマッチやってると必ず「相手はプエルトリコの人?」と 聞いてきた。確かにあんな小さい島国で何人も強豪チャンピオンを輩出してるのは 凄いとは思うけど。昭和全日とは無関係ですが。
>>341 俺がプエルトリコを初めて知ったのはTBSおはよう720のキャラバンUの番外編でチポというニックネームの女の子(日本人)が現地の少年フランキートと仲良く海岸や街をレポした番組でリゾート地の印象だった。 >>336 別に酷くないとだろ。プエルトリコでは、ポーゴのライバルなんだし、藤波に負けても不思議ではない >>346 日本で藤波に取らせるのは、もはや外人として二流扱い 日本テレビが保証している限り不渡りはない 力道山時代の日プロで一度なり掛かったのは有名だが
>>341 プエルトリコマットはよそのテリトリーが崩壊してもやたら景気いい地区のイメージがあった。 アメリカ本土から呼んだり。 >>349 ボクシングとプロレスが国技みたいなもんやからね。 マジでメキシコとプエルトリコはボクシングでは超ライバル関係 >>74 FMWは余りにも周りの「客」が怖かったから、もう立ち見でしか見ない事にしてたよ。 / ヽ : :/ . : : : : ,. :{ __:ノノ:ノミ 、 顔 朝 お ∨ . : : : :/. / : `:ーく\ : ヽ .し 鮮 前 {_ . : : :/. : :,i . : : :i : : :ヽ: :. て 人 「` : : / : :/ |! : : : :} l: .}: : :! i る み .! : : : ':/:/―{ {、: :/ ': A: : .|: .| な た .| : : : f/テぅミNハ//;厶z}: :∧;′ い : : i:小 ヒ::ツ 乂'ヒ:ツソ:イ : ′ 、 .な .′:八:{. , ´/ノ: : { \ ノ. . : : : ド ,_、 .'イ{: : .| `T . : :7: .:| . : : : :| く __ノ ノ:.|l : . | }! . : : :/.:} . : : : |{> . ..ィ:..|:..|!: : .l .′: : :/:ノ| . : : : :l| 7爪:.:.ノ:/!:..| : .| ,ム-―<´1 . : : : :ト、 小ノ:./://|:. | : .| /⌒ 、\ l . : : : | { 7〈ハ.ヽ` ー|: : : : .{ . / 丶 ヽ.|.i . : : li :Vハ{lト、| i l|: : : .ハ | ヽ. |:| : : : :l: :{{ハ{{ }| } {: : __i!___ ∧ }}|:|! . : : l!: 廴八ァ'  ̄ ̄´ r┬ー一’ ID:hfxWGlZM0 : ∧ 丶 {l{:{! . : : lト: {{∨ 、 } } }〉:{ . {:ハ \ 从{: : : : |_レ' \ /`ーく.ソイ´: :il : i:{.:∧ ヽ∧. :ノ´\ `ア }:.. li : : .l|
70年後期の全日をユーチューブにアップしまくってた人が全削除喰らってる もうおしまいだ
>>353 複数のアカウントで通報しといた成果だな >>353 ショックだなぁ。 今から見たい部分が始まるとこだったのに。 >>353 G+からの転載ならいざ知らず おそらく日テレにも残ってないであろう映像を簡単に消さないでもいいだろうと思うがな 長い間消されない動画もあるのにw >>348 全日は日テレの支援と馬場の個人資産で乗り切っている・・・ 三菱電機の大久保会長が宣伝部長だった時に信用不安に襲われる寸前だった日プロを 部長の決裁権限ギリギリの稟議をきり緊急融資して救った。 もしがこれが無ければ信用不安の情報が広まりワールド大リーグ戦の開催どころでなく 日プロは消滅していたらしい・・・ 力道山死後も即座に番組提供スポンサー継続を表明したり日本プロレスへの貢献は 大きかったけどダラ幹はその恩義を忘れてしNETに乗り換えようとした・・・ マイク・ジョージは国際来日時の印象が強かったので、 初来日が全日とは知らなかった
>>353 削除するなんてバカだよな あそこでしか昭和プロレスは生き続けられないのに 馬場なんていづれ忘れられるし >>347 実質jrの藤波だし、突然変更に怒ったんじゃないか >>359 国際再来日の時はカーリーヘアになって残念だったな。ファイトスタイルも殴る蹴るのラフファイト主体になって、レイス二世と呼ばれたダイビングヘッドも封印。子供心にNWAは無理かな?と思ったよ。 日本テレビと三菱電機には借りが多すぎて条件アップとか吹っ掛けられなかったかららしい
Mジョージ、国際の中継で見る限り地味すぎ、おとなしすぎ、華なさすぎ、派手さも全然ない やや体に厚みがあるだけのつまんないレスラー。なんとかこいつでやるしかないとばかりに 無理くり洗脳させられた感は否めない 崩壊後に他団体にお呼びすらないのがその証拠
マイク・ジョージは83年の新春黄金シリーズに来日して国際軍団に編入されたよね?
>>365 失礼、そう今思い出した。新日に来たな なにしろもう一度見たい感がなかった >>367 「誰が一番強いのかハッキリさせたらええんや!」を思い出したw >>367 87年に全日にも来たよ ゴディと組んだ試合がTV中継もされたはず マイク・ジョージ、タイガー絡みの6人タッグの試合前に国際軍団と乱入して、タイガーにショルダーバスター食らわしてたな。 6人タッグの相手のミショネロスは所在無げに見守ってたがw
>75年 全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに初来日。 >同じ初来日組にはボブ・オートンJrとスティーブ・カーンがいた。. >だがしかし このシリーズにはジン・キニスキー 、キラー・コワルスキー 、 ミスター・レスリング 、マーク・ルーインの他に >特別参加でブルーノ・サンマルチノ 、ディック・ザ・ブルーザーが集結した超豪華シリーズであったため >初来日組は控室でも隅っこのほうでおとなしくしてたみたいです。 >まぁ しょうがないよね マイクジョージにこんな甘酸っぱい歴史があったとは
>>371 ミショネロス懐かしい、そのころはエルテハノもミショネロスにいたんだよな。 全日マットにも来てほしかったが、合いそうな相手がいないかな? >>373 新日でも持ち味発揮できんかったからな。 全日だと無理だろ。 >>373 フィッシュマンやベビーフェースの全日本での扱い見ると、期待できないね。 三沢タイガーの相手って感じでもないしね。 ルチャは相撲のしょっきりみたいで常に動きがワンパターンでモッタリしているんだよな 雑誌で空中戦を想像していた子供の夢を打ち砕くレベル 佐山タイガーの超次元の動きを知ってしまうとその後出てきた浅井なんかも完全なルチャ仕込みのムーブだから魅力を感じなかった
第三回のチャンカーにはブッチャーがいなかったんだよな それが興行不振の要因とされてか翌年からはブッチャー路線が全開
>>364 地味すぎ、音無すぎまで同意するが国際の中継では、未来のチャンピオンだったよ。川崎市百合ヶ丘でテレビ東京見てたよ。 名前がマイク・ジョージってのもな もうちょっと派手なリングネームをつければ良かったのに
ジョージに木村がヤラレそうになったら、スミルノフが助けたのがあったな、国際時代の話だが
>>380 ストンパーがラッシャーに勝ちそうになったら、スミルノフが助けた試合もあった。 >>380 国際でジョージとスミルノフが同シリーズ来日した事ないのだが? >>371 あの時のショルダーバスターは良かったんだけどな 膝が佐山タイガーの肩に当たった瞬間タイガーの足全体がビーン!って感じに伸びて その後も若手に支えられて退場していく佐山が痛そうに肩を押さえていたから子供心にショルダーバスターって凄い技なんだと勘違いしてたよ ただもっと驚いたのはマイク・ジョージがアメリカに帰国して数ヶ月経った後突如レスラーを引退してトヨタのディーラーに転職したというニュースを聞いた事だけどね どうせならジョージとオルソノスキーのコンビで最強タッグに出て欲しかった
オルソノスキーは全日のリングに上がったんだよな、テリーの試合後で私服姿だったが。
>>385 全敗街道まっしぐらでは? 極道や鶴見が出ない限り >>383 そのあと復帰してボブ・ガイゲルのWWAで王者になって、蝶野と抗争してるよね。 ショルダーバスター、ボブ・ループのとかよかった。 レイスやダイナマイト・キッドも使ってたね。 リバースのショルダーバスターをバックランドや天龍が使ってたね。 >>377 三回目までと四回以降のチャンピオンカーニバルは別物と考えたらいいと思う。 馬場が優勝することが期待され確定していた前者と 馬場が優勝することが待望されなくなってきた後者 何しろ第一回なんて最初の大会のくせに馬場だけがシードされているくらいだ。 >>358 >>363 一般全国紙の夕刊で連載していたビジネス戦記と言うコラムに馬場が登場して四天王プロレス 全盛期の最中「社長やっていてやっと良かったと言えた」とか体張る四天王に感謝 を述べたりテレビ局からの借財もやっと返済できたとかは話し「狭いに日本にプロレス団体は ひとつで十分!そうすればよりいい外人を呼んだりいい試合も提供できるんだが・・・・」と 連載の最終回を締めくくっていた。 日本に1団体しかなかったのって、木村政彦や山口利夫の団体が消滅して 国際プロレスができるまでの間の日プロぐらい?
>>391 全日本の関係者や在籍していたレスラーの証言を聞いてると 馬場も力道山同様アコギな事してそうだけどね 猪木を日本マットから締め出して全日一団体で運営しようとしたら 日本人外人問わずチャンスを掴めず 埋没するレスラーが大量に生み出されるだろうな 元子みたいな鬼嫁に逆らえないダメ夫だし 第四回から第七回までのチャンカーはまさに馬場・鶴田・ブッチャーの実質三つ巴なんだよな
1団体て、見る側にとってはBESTじゃないね。全てのレスラーが一堂に介して、 FMWのキャッチコピーみたいに1枚のチケットで色んなプロレスを見せてくれるなら まぁいいかもしれんけど、現実にはそうなるわけないし。
>>398 日プロは案外何でもあり しょっきりみたいな試合あり、若手の地味な腕の取り合いみたいな試合あり そこから外人レスラーやスターレスラー多数登場みたいな >>397 鶴田に優勝させるのが遅すぎたよ その後の9回 10回と馬場自身がちゃっかり 優勝してるんだもんな 80年前後に衰えが目立つ馬場が優勝しても 説得力もないし 大会自体が盛り上がらない 馬場のエゴも猪木に負けず劣らずの 相当なモノだった。 鶴田の優勝は 猪木のワールドリーグ優勝ほどのインパクトはなかったなあ 東京体育館と九電記念体育館の違いかな
>>402 相手がスレーターではねえ。馬場・ブッチャー・テリーじゃないとね。 第五回の日本武道館で初優勝させればどうだったかな 二試合目の馬場だったならまだ負けても不名誉にはならなかったかも
日プロのワールドリーグは日本人同士は戦わないという奇妙なルールだが だからこそ馬場と猪木の両雄をバランスよく保てたといえた 全日は馬場もブッチャーもテリーも鶴田に負けるのを嫌がり 格下のスレーターでお茶を濁すという体たらく
>>405 ブッチャーは負けたぞ。但しテリーが場外から足を引っ張ったけど。 >>405 あの年のチャンカーのリーグ戦で、馬場はスレーターにリングアウト負けしていた。 もちろんシーク乱入によるというアクシデント絡みの負けで、馬場は傷つかない 結末だった。リーグ戦に参加していないシークは、仲間割れしたブッチャーを 追いかけての来日という名目だったが、こんな仕事もできるプロ中のプロだったね。 >>391 馬場の「日本に団体は1つでいいんだ」ってボヤキは昭和の時代からよく口にしていたけどね >>401 >>403-404 時期が悪かったんじゃなくて ブリスコvsドリーの様にクォリティの高い試合内容でもなければ ファンクスvsブッチャー&シークみたいなインパクトを観客や視聴者に印象付けられなかったのが良くないんじゃ? まあ結局の所「昭和の鶴田に本当の意味で語り継がれる名勝負ナシ」って事にこそ一番の問題があるんだけど 主催者発表3400人 南中央階段2箇所、花道も立ち見解放で実数1700ぐらい スレーターは大会参加時 現ミズーリ州王者 >>409 ザ・バイキング。。。。 スキンヘッドと小太りでボーッとした男のタッグチームか? 昭和時代の鶴田のベストバウト やはり凱旋帰国のインタータッグかな
>>410 ザ・バイキングは参加せず替わりにMアサシン スレーター、馬場鶴田から白星19点 鶴田、スレーター以外は負けなし19点 ブッチャー、テリー18点 馬場、アサシンにも負け17点 スレーターはあの後の事故が残念だったな。スレーターが事故でチャンカーに 来日できなかった余波で、ブリスコとウェインファリス時間切れ引き分けの羽目に。
>>403 猪木の時だって 相手はマルコフだから スレーター以上に恵まれた相手ではない でも69年の猪木と80年の鶴田では 背景が違うから比較はむつかしいかな いずれにしてもこれは 鶴田のセンス云々ではなく 馬場がもっと考えてやるべき問題だったと思う スレーターは特別な抜擢での決勝進出じゃない気がするが ミズーリ王者=次期NWA最右翼のとうり、当時の最有力候補呼び声が高かった パンフにも5度目の来日で機は熟した感で紹介している 最近はフロリダ王者にも なったとも書かれている
>>401 鶴田はまだ線が細くてブッチャーにひいひい言ってやっと立ち向かっていってた イメージ。 馬場はでかいからブッチャー相手に説得力があった。 鶴田は若大将だからいいというか、猪木がオラが世界一ってなやり方で 新日ファンは心酔してたし、ファンは馬場と猪木とどっちが強いか?って 話題が一番楽しかった時代なんだし。 全日ファンの俺としてはまだまだ猪木に見劣りする鶴田が馬場に勝ったら猪木が一番強い ことになってしまうと真剣に悩んだもんだよ。 実際猪木と鶴田がリングで当時向かい合ったら体格ではむしろ勝ってたんだけどね。 >>412 サンクス。 伊藤の次にいきなり鶴田が出てくるのがなんか凄いな。 当時の全日は中堅・若手の層がかなり薄かったからね。 ゼロワンの世界ベルトがAWAにうりふたつなんだがあれは 本物なのか?わざわざレプリカ造るとも思えんし あれを使っているのも謎
8thチャンピオンカーニバルはブッチャーとテリーの遺恨に巻き込まれる形で乱入が あたりまえになって得点が伸びない者だらけ。 そのあたりをうまくかいくぐった鶴田とスレーターが決勝へ、という 星取りレースとしてはかなり面白いものだったけどね。 馬場ブッチャーを堂々と抑えて本命として優勝、という感じでなかったのが痛いな。 新日でも猪木の出ないリーグ戦で坂口が優勝しても坂口時代到来とは誰も思わなかったように。
戸口も馬場やブッチャーテリーに負けるのはかまわんが鶴田はダメらしい UNも60分とかやったか、鶴田にだけは負けがそんなにも嫌だったのか 天龍も馬場やロビンソンにあっさり負けても鶴田とは時間切れ 序列が年下の鶴田以下になるのは屈辱だったのは明白、
>>418 今となっては茶番だがあの頃は馬場と猪木、猪木と鶴田どっちが強いか プヲタのツレと熱く語ったの思い出したわ。 >>425 40歳過ぎたら 友達とか友人と言ったほうが よいよ。 それに最近 ツレという言葉自体を使う人も 減ってきてるし、言葉自体が古くてダサくなってきてる ちょっと時代錯誤的な言葉になってしまった。 昔馴染みの間柄で使うのは良いけど そうじゃなかったら 今の時代はあまり 使わないほうがよいよ、ガラが悪く聞こえてしまう。 >>422 誰もが当時の感覚を忘れて批評しがちだが 昭和のプロレスっていうのは 日本人レスラー 対 外人レスラー が基本だったしね。 外人に負けるのはいいが、日本人には負けたくないというか序列を 二番手以降はぼかすというやり方だったし。 新日でいえば、猪木が絶対一位で 坂口がNo.2というかそうでもないというか ただ新日は外人相手にしても猪木がNo.1 にファンは熱狂。 全日は馬場が日本人一位で外人エースのブッチャー、ブロディと渡り合う。 鶴田は馬場のトップを崩さずにNo.2においたが、戸口や天龍を明らかに鶴田の ランク下に置くと外人との対戦カードに幅やスリルがなくなる。 鶴田と引き分けた天龍なら、もしかして、、みたいに期待したし。 鶴田に負けた戸口がブッチャーとやってもねえってな見方もされるし。 セミファイナル価値が無くなって客入りに影響でるし。 たぶん、外人レスラーとの対戦結果で暗黙の日本人内ランク付けをきめてるん だろうと当時は感じてた。 >>426 ツレって大阪では普通に使うが? 古くなったなんて誰が決めるんだ? お前がそんなに日本語をよくわかってるとは思えん。 よいよ、の方が気持ち悪い。 >>420 AWAのレプリカベルトなんて、それこそ、 フレアーペルトと同じくらい多く出回って るが、そのひとつじゃないか? 大した話ではないが? >>420 あれはガニアAWA崩壊後に出来たインディのAWAベルトらしい 当然本家のAWAベルトでないのは間違いないが >>420 当のニックがあのベルトを見て 「ソックリに作ってある!」と言ってたから。 そもそも現在のAWAと提携がなくなって世界ヘビー級に改称されても ベルトがゼロワンにあるのはゼロワン制作のベルトだからでは? >>427 私の見解としては当時の全日も新日も、見る側はそんなに気にしてないのに、団体側がえらく神経質になってるという感じだったな。 極道コンビのチャンカン対戦拒否なんて、見る側からしたらどっちだろうと全然関係なかったもん。 >>432 へえ。気にしてなかったんだ。 同級生の新日ファンとの掛け合いを常におれは意識してたんだが。 やっぱりファン環境によるのかな。 俺が中学三年だった1982年は猪木ファンの奴らが鼻息荒くて、馬場ファンの俺はいつも挑発を受けていたな。 一度柔道部の道場で一騎討ちをしたこともあった。 でもスタン・ハンセンのレコード(ウエスタンラリアット)を貸してくれたりと、根は同じプロレスファンなんだよな。
いや気にしてただろ、ライバル団体の話題をここですると荒れるからしないだけで
>>411 ベストバウトつーか、試練の十番勝負のガニア戦、木村戦、テリー戦、 この3つが一番よかった頃の鶴田を象徴してる試合だと個人的には思う。 名前は忘れたけど、鶴田のプロレスアルバムにもそんな内容の事を書いてた 人がいて、「同じような見方をする人っているんだなぁ」と妙に歓心した記憶がある。 ただこれは過去スレにも書いた事あるけど、その後色んな時期がありながら (人気低迷期と言っていい時期もあったと思う)、その間ずっとメインクラスにいたのが 凄いと思う。デビューから病気欠場までの長きに亘って。 全日と新日がかなり険悪な雰囲気の時だったが、ネルソンロイヤルがNWAジュニア の王者として来日し、阿修羅原の挑戦を受けた。この時ばかりは全日も新日も、 テレビ中継を通して「あのタイトルマッチはインチキ」みたいなネガキャンを、 なんだか両団体が協力してやっていた覚えがある。
おっさんになって振り返れば全日のほうが記憶に残る名試合多いよな 新日はトラブルや事件ばかりで後味の悪い試合ばかりだし。
子供の頃、日本テレビの全日本プロレス中継を観ていて 「テレビ局のアナウンサーって、こんなバカでもなれるのか?」って思った。 「青コーナーはザ・ファンクス、兄のドリー・ファンク・ジュニアと 弟のテリー・ファンク・ジュニアです。」 は? 言い間違えたのかな? と思ったが、 何べんも「テリー・ファンク・ジュニア」なんて言ってるんだよね。 長男に父親と同じ名を付けて「〇〇Jr」として 次男以下には当然ながら別の名を付けて「ジュニア」なんて付けないってのが 本当にワカランかったのだろうか??? それとも「ファンクジュニア」という苗字だとでも思ってたんだろうか??? 死ね。
猪木も体調が万全だった頃は記憶に残るような名勝負を数多くやってるんだけどね。 コンディションの悪化に加えて、事業欲がマイナスに働いた感じかね。
>>440 それは人それぞれとしか言えないな 全日といえば樋口の失神しか思い浮かばないという人だっているだろうし 全日師弟コンビは会場人気が無かったと昭和のファンが嘆くが コックス&マードックとの対戦ではそれが真実味を増してしまった 来日外人を引き立てるためとはいえ、 何であんな惨めにやられまくってたんだろう
>>444 あのシリーズはコックスサヨナラシリーズみたいなものだったからね。 引退直前のコックスがマードックを抑えてエースになったんだから。 長年全日本に奉仕してくれたコックスへの餞別だよ。 >>439 その後のタイガーと大仁田のNWA世界JrとNWAインターJrの頃も なんかあったな 猪木は延髄蹴りを使うようになって、試合の質が一気に低下した気がする
>>443 樋口の失神芸無しで、昭和の全日本の魅力は語ることができない。 それほど地団駄踏みつつも笑って許せる愛すべきキャラクターだった。 >>449 ゙'. '.;`i i、 ノ .、″ ゙'. ,ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐ヽ >>379 それでかな 新日にあがった時はアイアン・マイク・ジョージって対戦カードにもアイアンがついていた記憶がある 古舘はいつもわざわざフルネームでいっていたなあ >>451 マイク・ジョージって マイク・シャープです >>449 樋口の失神芸を編集したDVDでたら買うよ あれはたまらん 樋口の失神芸で、どれだけ涙流し、腹をよじらせたか 国際プロレスのマンモス鈴木の失神芸もサイコーだったよ あっちはピクリとも動かないから、くすぐりたくなる >>448 糖尿だったから逆に延髄が必要だったんじゃ? >>431 AWAのニックベルトはなぜか?日本になりファンがニックから譲り受けたらしい。 WWEはプロレス博物館の設立を目指して世界中のプロレスお宝関連を買いあさってる のでこれも手が伸びる可能性は高い。 >>439 あれは新間が馬場に話があると言われて出掛けたらマスコミも揃えた会見が既にセット されていた。新日らしい・・・ >>448 最晩年は魔性のスリーパーが頼りだった・・・ >>452 マイク違いだけどw ちなみにマイク・ジョージはドリーvs.ブリスコ戦に魅せられてプロレス入りを決意したと言われる。 ドリー&ブリスコにとって馬場は「ビジネスパートナー」だったけど「レスラーとしての相性」は猪木 だったんだね。新日初期に二人は参戦していたら猪木戦は名勝負数え歌だったんだろうね・・・ >>426 いい歳して友達のほうが気色悪いと思いますが・・・ 俺が馬場最後の名勝負と思ってるハンセンとの初シングルでも、失神はしなかったけど 場外で二人のもみあいに巻き込まれて悶絶してたね、ジョー樋口。結果は両者反則。 しかしそんな結末なんかどうでもよくなるぐらい内容が素晴らしかったから名勝負として 後世に語り継がれるという典型だね。逆に内容はよかったのに結末がショボかったから 名勝負になり損ねた試合もあるだろうけど。
樋口さんは、悶絶も失神芸のバリエーションですので。 手がかすっただけで悶絶するときもありますし。
ブッチャーが初優勝したS51年のチャンカーでも馬場のボディアタックのあおりを 食う形で場外で失神か悶絶してる間に馬場がフォールの体勢に入ったんだけど、 カウントするレフェリーがおらず。当時の雑誌に「幻の3カウント」なんて書かれてたね。 あの時は急遽ジェリーマードックに代ったんだったかな。
ところでS55年だったか、馬場がレイスからNWAのタイトルを奪った試合で 馬場がフォールに入ったら樋口がカウント2までは普通に数えてたのに、 3つ目で「あれ?返さないのかな」て感じで一旦手を止めた後に3数えた事が あったね。あれは何だったんだろ。
それって、ワン、ツー〜ゥウ〜、ッスリー!! って樋口が大一番にやるオーバーアクションとちゃうの? ジャンボ鶴田 vs ジミー・スヌーカー のミサイルキック決着とか。
>>461 見た感じでは違うと思うんだよなぁ。樋口としてはレイスが馬場のフォールを 返すもんだと思ってたんだと思う。そしたら返さないもんだからカウント3いっちゃった、 て感じに見えた。他にあんなカウントの仕方したのってちょっと記憶にないしね。 当時の雑誌でもこれ関して新日派と全日派のファンの間でちょっとしたやり取りが あったように記憶してる。もし動画でもあるんだったら後からでも確認してみようと 思うけど。 凶悪コンビとインディアンコンビが開幕日に試合した最強タッグ、シークが凶器で フランクヒルを血ダルマにしているのに、ジョーさんは入場時の紙テープを 懸命に片づけているんだよな。紙テープを片づけるのもレフェリーの大事な仕事w
>>460 樋口は多いよな、それ 単純に下手糞なんだと思う >>460 「真夜中のハーリー&レイス。」でゲストに来た時にこう語っていたという話 自伝でも「馬場を信頼していたのでアクシデントで伸びたふりをして馬場にタイトルを渡した」と書いてある >最後馬場さんのネックブリーカードロップがズバリ! >レイスがもろに後頭部を打ちカウント3、クリーンフォールで馬場さんが完勝しNWA世界奪取! >この試合についてレイスはこう言っています。 >「馬場は日本のナンバー1レスラーでグッドフレンドだからプレゼントとして彼にタイトルを渡したんだ」 >アドリブで敗れ馬場さんにベルトを渡したと告白。今だからこそ言える種明かし。 >一瞬「そんなこと言ってしまって大丈夫?」って思いますが、この二人の関係性を考えると30年以上過ぎた今なら有りですよね。悪意ある暴露とは違いますしね。 >>465 ただ俺はその試合以外にはあまり記憶がないんよw これまた当時の雑誌で、ファンが樋口のレフェリングに関して 「カウントだけは一定していて一番信頼できる」なんてあったしね。 「凶器扱いが上手くない」とも書いてたけどw >>466 そうすっと樋口の頭の中では別な結末があったわけか。 それならあのカウントの仕方もまぁ納得できる。サンキュ。 一人で勝手に納得したところで申し訳ないけど、ここいらで失礼します。 >>467 輪島-ブッチャー戦とかひどかった記憶あるな >>463 全日はやむを得ずアクシデントが起こったら、ブックを変えても良いってことになってるんだろうな。 相手が完全に伸びてるのに、カウントを止めたらおかしすぎるからな。 猪木とスティーブウィリアムス戦とか、高田船木戦みたいになったらお粗末だもんな。 >>471 樋口も和田もそうだったけど、トラブルが起こったときに困って固まっちゃうんだよ、こいつらは 理由は簡単、アクシデントに対応する能力が低いから 無知乙 >>472 誤魔化すことなくカウント止めた、ミスター高橋のことですか? >>473 新日がレベル高いとは言ってない プロレスのレフェリーなんて程度が低いんだよ、あんなの 世界オープンタッグ選手権最終戦、ザ・ファンクス vs. アブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク戦で 「凶器に気づかないふり」の名人芸を発揮したが、著書でこの試合について ジョー「反則を取ってもいいのですがそれではお客さんが満足しません。 ここがプロレスのレフェリーの難しいところ」
ジョー樋口が仕切っていた馬場時代の全日本プロレスは そのわざとらしさをファンもわかっていて わかっていながら自ら足を濡らして楽しんでいたところがあった 猪木信者たちで固められた新日本プロレスの あれがフェイクだとでも言おうものなら口角泡を飛ばして噛みついてくるような そんなシャレのわからなさとはちょっと違った世界だった
ジョーのことを名人芸なんて言ってるのは 一部の数字にならない全日ファンだけだよ 会場でもテレビでも全日ファン以外の人たちも見に来るわけだし その人たちが呆れるようなことをし続けてれば 一般層の客はどんどん離れていく そのせいか平成以降はターザンに感化された 変なファンばかりになって 一般層が寄り付きにくい歪な空間になっていった
樋口のレフェリングの絶妙はやはり鶴田初のインター奪取 だからリングアウトでも場内大爆発
鶴田がAWA獲った試合、レフェリーのテリーがあまりにモタモタしてたけど、サブレフェリーのジョーさんの動きは機敏だった。
>>478 ジョーさんは微妙なリングアウト勝ちの判定、かなり多くやってるよな。 最強タッグで馬場&鶴田組がファンクスに勝った試合とか、渋いところだと チャンピオンカーニバルで、ブッチャーがカマタに勝った試合だとか。 大阪での鶴龍対決で天龍が失神した時の和田京平はカウントに躊躇なかったね。 ジョーさんだったらどうなってたのか。
猪木の失神はウィリアムスがはっきり分かる位に助け起してしまって 観客から失笑が沸き起こっていた
相手が失神してると分かったときは、 まだまだこの程度じゃフォールしねえぜ!という逃げ方があるんだが、 大技出した後だと躊躇するよな。
ハンセンが失神した時も普通にカウント取ってたね。 ゴディが2回カットして何とか龍原2人を場外乱闘に持ち込んだけど その時、カバーしたのは阿修羅だった。 もし阿修羅がハンセンからスリーカウント取ってたらどうなってたか?
>>477 ターザン山本は、それまでの全日本をメチャクチャにした功労者だな ペンキぶちまけたように、全く色合いを変えちまったからな そのターザンをオリガミでエサで釣ってたのはどこのネグリジェだよ
>>477 新日本に一般層の観客なんて、地方の年一回のお楽しみか 初代タイガーくらいであとは目が血走った猪木信者が多くて近寄りがたかったよ。 >>478 >>478 あの、場外カウントも両手や身体のモーション使いつつ、京平のように クイックすぎもせずスピード感が安心できて絶妙なんだよな。 エイト、ナイン、、、テン!の盛り上げかたと、先にエプロンに這い上がろうとした ブロディを鶴田が引きずり降ろし、鶴田が滑り込むタイミングとドンピシャ! 場内大興奮だったなあ。 ブロディは誌面で あれは場外での攻撃で俺が落とされたんだから、レフリーはカウントワンから やり直さなきゃいけないはず。と反論してた。 それはそれでなるほどと思った。 >>487 新日本はともかくこの画像を見れば当時の全日本の熱狂が分かるよ むしろ全日本のテンカウントルールは樋口のレフェリングに対応して導入した感じなんだよな 20カウントでは間延び過ぎになるし実質的な時間はほぼ同じくらいなはず
>>487 その猪木信者がター山に引っ張られて全日に来たんだろ。 >>472 樋口や和田が困って固まったことなんてあったか?全日時代にだぞ? オープンタッグの頃から見てたけど!そんな記憶は全くない。 あのレイス戦のこと言ってるなら、お前は単なる見る目がないだけだぞ。 違うというなら具体的に挙げてくれ。 適当なウソ言って、不当にレスラーや関係者を貶めようとする姑息な人間が、俺は大嫌いなんだよ。 >>485 ターザンが全日の景色を変えたなんて思わんな。 そりゃ変な勘違いファンが増えたなと思ったけど、俺ら古くからの全日ファンは何にも変わらず楽しんでたからな。 それにキモ客は東京だけだったからな。大阪にはそんなにいなかった。 >>463 それとは直接関係無いけど、テーズが若かった頃の試合や テーズ自身がレフェリーやった時も3カウント目は遅れて叩いてた。 元々、カウントとはそういうものだったのかもしれない。 >>484 阿修羅が空気読めなかったのか、それともゴディを信頼してたのか >>484 その時点でハンセンにフォール勝ちしたのは馬場・鶴田だけ (そのシリーズの最終戦で天龍が達成。) まさか阿修羅が3人目になる訳に行かないわな。 只でさえ阿修羅は龍原砲結成後もエース格からフォール勝ちした事が無い。 阿修羅のキャリアでフォール勝ちした一番格上はSWS時代の谷津では? しかし、このブックが反天龍派の反感に火を付けSWS崩壊の遠因に。 >>492 ブッチャー輪島戦とかあげてるだろマヌケ あと結構話題になったのは大森M井上戦なんかもあるな >>485 >>493 全日の風景を……は多少あると思うがな。 ただ本質や根っこの部分を変えたんではなくて 新日ファンに低視聴率とかヤオ丸だしとかガラガラの会場とか (大袈裟に言えば)虐げられて縮こまっていた面々に 「全日ファンでもいいんだぞ」「ほらいつの間にかこんなに仲間が武道館にあふれるほど」 との安心感みたいなものを与えることができたのはなかなかの仕事だと思うがな。 ハンセン失神ですぐ察知して龍原砲ふたりを場外に連れ出して乱闘に持ち込んだゴディ エル・サムライが失神するとそれまでの厳しい攻めはどこへやらふたりして延々とサムライにチョコチョコ蟻も殺さないようなストンピングを繰り返すだけの金本と4虎
>>496 阿修羅はエプロンのゴディを睨みつけながらフォールに入ったからね。 ゴディはハンセンから目を切ってなかったし、奴なら状況判断できる筈、と信頼したんだろう 。 ただこの時のジョーさんは結構落ち着いてたのが不穏。 502 お前名無しだろ 2017/08/04(金) 16:57:45.61
警察にぼこぼこにされるレスリングのチャンピオン З'явилося в?део затримання ол?мп?йського чемп?она у Ки?в? ダウンロード&関連動画>> VIDEO 全日すげえな >>475 樋口のレフェリングに関して色々言う人はいるかもしれんけど、あの試合が 全日史上でも一、二を争う名勝負になったのは樋口によるところも大きいと、 振り返ってみると思う。凶悪コンビがテリーに凶器攻撃してるのに、カットに 入ろうとするドリーに注意を与えたりして客席の怒りを一身に引き受けながら、 その後の感動的なクライマックスの盛り立てに一役買ったとも今になってみると思う。 そういやあの試合も最後はシークが樋口を凶器で突いての反則決着だったね。 >>488 まるで初歩的な質問で悪いけど、ああいう場合はカウント1から数え直すのが プロレスのルールなんだっけ?同じようなケースでリングアウト決着になった試合が 全日でも新日でも他にあったような気がする。具体的にどの試合だ?と言われると ちょっと言えんけど。あやふやな記憶なんで申し訳ない。 >>495 テーズは、それが本来のカウントの仕方って言ってたね。 >>498 ブッチャー輪島。危うくスリー入りそうにはなったが、別に慌ててないだろ。クソ眼球。 大森とマイティはテレビ中継あったのか? 確かめてもんとなんとも言えん。 で、それだけ? 3つ目のカウントを遅らせるのは何か理由があるんかな。
全女のカウントは2つめと3つめに変な間あったよな ブックと違っても3ついれるからな、お前らええんか的な間だったんかな
3カウント=3秒間と定義したら、1カウント目にマットを叩くのに1秒の間が必要だと思う。 しかしほとんどのレフリー(特にミスター高橋)はフォールの態勢になるとすぐに1カウント目を叩く。 これでは3回マットを叩いていても時間でいえば2秒間でしかない。 そこでなのかわからないが、3カウント目を叩くときは少し間を取って3秒になるよう帳尻合わせをしているのではないだろうか?
>>505 自分もブロディのコメント読んで再認識して中継を見ていたら 相手をエプロンから引きずり降ろしたりすると、確かにワンからやり直してたケースがあった。 しかし両リンはともかく、リングアウト勝ちの時などはドサクサというか その手があったか!という感じだと納得してました。 やっぱり曖昧なルールなんだと思う。 一試合のみのテーマ曲 認定宣言は当時の日本テレビ社長
>>509 まあ、そういうことなんだろうな。 少なくとも馬場レイス戦はそうだろう。 ジョー樋口のレフェリングがどうこう 言う前に 昭和の全日本は とにかく外人の格を守る事だけに 躍起になって 不透明決着が多すぎたんだよ そんな時代にレフリーやってた樋口は気の毒だったんだよ。 馬場が、ほんの少しでも別の発想が出来てたら また違ってたんだろうけどな。 そりゃ馬場では社長降ろされるわ。 組織の長とか 務まる人間ではなかった。
新日でもレフリーの失神とかはあるが 全日の場合は頻度が多すぎる タイトルマッチやビックマッチで 毎回のように失神されたら、真面目に見てる方は萎えるわ ひどい時は2試合続けてレフリー失神なんて興行もあった
樋口がレスラーと接触した瞬間の観客の「あーまたかよー」って感じの声と実況の「ジョー樋口が失神しています!ジョー樋口失神!」は様式美だったなw
昭和の全日本で、番狂わせは馬場カマタだけだな それ以外は、すべて試合前に予想した通りのプロレス
>>514 俺はジョーはああ見えて実は楽しんでたと思う >>518 76年のチャンカンの優勝決定戦も番狂わせだと思う 馬場が絶対に優勝すると思ってたら まさかのブッチャー優勝 これにもジョーさん 絡んでる 荒らしに触れたくはないが。 馬場は無敗・世界最強路線だと興行戦略に個性が出ないし ビッグネーム豪華外人レスラーを簡単にピン負けしたら外人人気が落ちてしまうから ジョーさんは貴重な活躍をしてもらった。 新日は、ボック、ローデス、バックランドくらいしかピン負けで傷がつく外人レスラー はいなかったから。(アンドレは別格) ブッチャー、テリー、ドリー、ニック、ブリスコ、ロビンソン、ガニア、ジョナサン、、、 豪華だった。
>>515 二試合続けてレフリー失神 創立10周年記念蔵前大会でのドリーVSブロディ(樋口)とフレアーVS鶴田(ブレアース)だな。 馬鹿馬鹿しい。 そんな三文芝居を大金払って見に行ってた奴はどうしょうもないね。
ジョーさんにはレフリー生活中ガチの失神は1試合でもあったのか聞いて見たかったね。 和田京平は天龍の投げた椅子が当たったり、ジャンボ思いっきり突き飛ばされたり、ガチで痛そうな目には何度もあってるけど。
当時は外人選手の価値と権威が現在では想像も出来ないくらいに高い 収益的には上だったはずの新日本にしても全日本の豪華外国人にはコンプレックスがあったと新間が証言しているくらい そういった連中を新日本に流出させないためにも馬場としては採算を超えた優遇をせざるを得なかった面もある そういう部分も馬場の一団体論の根拠になっているはず
山に熊に出遭ったジョー樋口が得意の失神をしたら難を逃れた雑誌のネタされるほど だったwww NWA公認オフィシャルレフリーってどういう基準があったのかな? レフリーに転身したミスター林は「レスラーの方が楽だった・・・」とぼやいていたらしいw
猪木のアリキックは馬場からのパクり? >>526 林と言えばハンセンのラリアットをカウンターでまともに食らった時の顔が忘れられないよw 後にも先にもハンセンのラリアットをあれほどもろに受けたレフェリーはいなかったなw 元レスラーだからハンセンも安心して打ち込んだかw 林はレスラー時代にハンセンとあたったことあるのかな?ハンセン参戦時は引退していたか?現役だったならセコンド時の餌食はありそうだが。
>>529 ハンセンの著書に、若手時代にアメリカに来てた林と同じサーキットを回ってた事が書いてあった 生中継の試合で失神させられる大恥をかかされても 翌週のタイトルマッチでキッチリ負け役を全うするハンセンは 今、思うと真のプロだった。
>>507 例を出せと言われたから出しただけた ブッチャー輪島の樋口の表情見てりゃ慌てたかそうでないかぐらいわかるだろアホ テレビで週一回メインかセミに出てくる数試合だけ見てるだけの知ったかぶり野郎なのも笑える あと樋口はジャパン勢のカットに演技じゃなくて素で気付かないとかよくあったな お約束以外の流れを掴むのが鈍いんだよ >>526 適当に緩い技受けてりゃよかったんだから楽なレスラー人生だったろうな、林 >>532 プロレスのレフリーが素で気づかないなんてことは絶対にないよ。 わざと片方のコーナーに厳重注意して後方を見ないのは演技だ。 >>534 いや、慌ててたよ カットのタイミングが違ってノンビリ塞いでたんだよ プロレスのレフェリーのくせに(笑) だから樋口は下手だと言ってるんだよ 身も心もノンビリプロレスに遣ってるから対処仕切れないんだよ 天龍同盟の試合すら上手く捌き切れてなかったしな 見りゃわかる下手くそさを 「味わい」とか「老獪」みたいに脳内保管して優しく擁護してあげる必要はねーだろ 馬鹿馬鹿しい
>>535 何十年もレフェリングやったる大ベテランに、たった一回驚いた顔しただけ…別に試合自体は滞りなく終わらせてるにも関わらず…下手クソと言い切るお前は何者? お前は生きてること自体が間違いなクセに たかが2ちゃんの落書き見ただけで、生きてることが間違いとか言うのもいるしなw
>>539 鶴田スレで猪木の誹謗中傷して荒らしてるのはお前だろ(笑) 人間のクズのクセに口を聞くな池沼(笑) ブッチャー輪島戦て、輪島が相撲の四つの体勢からブッチャーを投げた事ぐらいしか 記憶にないけどw 樋口のレフェリングは全く覚えてないけど、手元に映像残ってる筈だから 時間あったら見てみよう。 話変わるけど、ブッチャーは以前から相撲に関心あったみたいね。だいぶ前に 相撲スレ(主旨はここと同じで昭和時代の相撲について語るスレだったと思う)にも 書いた事あるけど、俺はブッチャーと北の湖の対決が見てみたかった。 何せこの二人、好調時の体型がソックリなんだよね。
>>541 そういえば、北の湖とブッチャーは共通点多いね。 @身長/体重/体型がほぼ一緒 北の湖(179cm/170kg/あんこ型)、ブッチャーも実際はこのくらいと思われる。 A70年代が全盛期 B85年1月が節目 北の湖:引退 ブッチャー:新日本シリーズ、最後の参戦。もう二度と来日しないと当時言われた。 C天龍、輪島と戦ったことがある。 D蔵前国技館を沸かせた。 E最大のヒールを演じた。 F日本流に言えば同じ蛇年生まれ 北の湖:1953年生まれ ブッチャー:1941年生まれ ブッチャーの身長はやはり 179ぐらいですか? カマタよりは大きく感じたんで 183ぐらいはあると思ってたんですけど
ハンセンが千代の富士と2ショットを撮った記事があったし マードックは「全日復帰して輪島とタッグを組もうと思っていた」と言ってたし 外人レスラーはけっこう相撲が好きらしい ゴッチは「相撲にはシンプルなレスリングの心がある。 相撲を理解できる日本人は本当のレスリングを理解できると思う。」と言っていた
>>542 そう。特に体型が似てるのと全盛期が重なってる点で見たいと思ってたんだよね。 当時中学生〜高校生にかけての時期だった俺にとっては「夢の対決」だったんよ。 まぁそういう若い時期もあったって事だ 途中送信してしまったw まぁ意味は通じてると思うからいい事にしようw
あと樋口の微妙なレフェリングとなるとレイスがUNを取った試合で鶴田がジャーマンを仕掛けた時にレイスが樋口を蹴って崩した時かな 思えばあれが鶴田がジャーマンを仕掛けた最後の試合か
>>543 何度か間近で見た事あるけど、180前後じゃないかと思う。 ちょっと超えてるぐらいかも。 >>544 小錦に相撲入りを勧めたのはイヤウケアだよね。 アンドレも日本に来た時はよく相撲中継を見て過ごしたと 何かで読んだ記憶がある。 倉持「レフェリーのジョー樋口、意識不明です!」 言い過ぎw
>>541 ブッチャーは、横綱時代の輪島に朝鮮したことがあるって言ってたね。 プロレスで実現するとは思ってなかったろうね。 >>547 最後のジャーマンはフレアー戦のダブルフォールじゃないかなあ。 >>535 猪木が全日本の放送見ながら 「試合はうちの勝ちだがレフェリーだけは全日の樋口が上だな」 と高橋を貶してたんだけど ブリッジで固めたのはフレアー戦だが時期的にはレイス戦より前
>>537 お前みたいにテレビで少ししか見てない奴とは違うんだよ知ったか そもそも試合がまともに終わらなかったら惨事だろアホ 本当に頭悪いなお前はw >>539 反論に詰まると「スルー」か ヘタレよのうw >>552 そりゃ暴露されたから業界みんなで高橋の悪口言いまくってただけじゃんw ていうか俺は新日が上とか下とか入ってない プロレスのレフェリーなんかどこも一緒で大した仕事じゃない >>556 テレビで少ししかとか…何言ってるんだ?お前は。 思い込みが激しいだけじゃなく、 根拠のない決めつけも酷いな。 ジョーさんが下手だというから、十個位例を挙げてくれるのかと思ったら、もう笑うしかないんだが。 試合をたくさん見てるみたいだけど、その上でその程度の例なら、逆に発言に信憑性がないね。 >>558 まーた、根拠のない決め付け。 もう誰もお前の言うこと信用してないぞ。 「もう誰もお前の言うこと信用してないぞ。」 「誰も」という根拠はありませんなw もうやめな
高橋は平成になってからは メインクラスの試合は全部服部に持って行かれてたからなあ 元から嫌われてる雰囲気は感じてた
>>562 余計な口出さないでくれる? もっとむちゃくちゃになるから。 指摘も的外れだし。 >>563 服部も大概だけどな。 まだ高橋の方がマシだと思う。 猪木が高橋を評価しないのはレスラーより目立つという立場をわきまえないところとか カメラマンが撮りたい構図に割って入って台無しにするとことかだろうな 樋口が後輩に教えた技術はカメラマンがいる場所まで計算してポジショニングしろ 失神は台本だから樋口が悪いわけじゃない 元々レスラー?とかだから体を鍛えてて弱いわけないもんな 仕事しただけ
樋口は小学生の目で見ても例のムーブが出ると 「あーいつものが出た」と失笑していたな 大人の世界を肌で感じた瞬間
>>568 失神する直前に、必要以上にレスラーに近づくんだよね。 ああ、また失神か?って。 むしろ何もなかったことが少ないからなあw 80年代前半の蔵前のメインで レフリーその他に何事もなくクリーンフォールで決着がついたというのは記憶がないな
>>560 ほとんど全部下手だろ 上手い部分をあげてくれよ自称通さんよw >>561 おめーが必死になって反発してるだけじゃん 根拠は示しているな 字が読めないのかクズ やっぱ香ばしいわ痛々しいわ笑えるわお前(笑) >>564 四面楚歌だねえw 具体的にレスできないから馬鹿にされちゃうんだよ、みんなから >>566 暴露本出されたから下手糞だったって事にしたいだけじゃね(笑) >>570 蔵前どころか全日本の主要試合は、失神か乱入か唐突な反則で試合が終わっちゃうんだよ。 クリーンフォールで終わるとしたら、行って来いのタイトル一時的移動だけ。 >>573 あの試合もハンセンの幻のフォールで 樋口が見逃してる場面ががある 前年の最強タッグのメインも似たように フォール見逃しがある 第六回のチャンピオンカーニバルは決勝で馬場がブッチャーにリングアウト勝ちで優勝しているが 公式戦における馬場対ブッチャー戦は30分時間切れ引き分けとなっている シングルで馬場とブッチャーが30分戦い続けるって考えてみたら凄い事だ よく間が持ったなぁあの二人で… レイスとアンドレのNWA世界選手権60分時間切れ引き分けより快挙かもしれない
しかし子供がてら、猪木より馬場が好きな自分が渋いと感じてたわ。 ハンセンをスモールパッケージで破った試合は泣いたな〜。
>>575 晩年の鶴田vsドリー30分引き分けよりはるかにマシ。 ドリーを壊さないように壊さないようにそっと攻める鶴田。 試合終了間際のフルネルソンには違う意味で泣けた・ アメリカだと 坂口とシークがフルタイムの試合をしたらしいが 全く想像がつかない
鶴田やファンクス系のフルタイム試合は、グランドで休んでる時間が長過ぎで、眠いだけだったな 再放送なんて、まるで観る気がおきない
時間切れ寸前のコブラツイストとか、本当にプロレス下手だよな、鶴田
>>575 馬場ブッチャーの引き分けはブッチャー側がセコンドに2人の外人をつけ何度も乱入を繰り返させての結果だったはずだよ。 馬場がレフリーに抗議したり、セコンドがレフリーとやりあったりで結構な時間稼ぎがあった。 鶴龍が初優勝の時かな?横浜文体でやった最強タッグ最終戦、セミファイナルが ファンクスvsレイス&ニックの時間切れ引き分けだったけどかなり退屈な試合だった。 当日はジャパン軍も登場、ブルドッグスも参加中だったから、4人の試合が余計に 退屈に感じてしまったのかもしれないが。全日路線変更の過渡期だったよね。
オープンタッグのころに実現してたら、っていう試合だね。
>>582 あの大会は豪華だったなあ。 マスカラス兄弟もいたし 84年は最後の「世界」最強タッグだよなあ。 翌年は地味でスケールダウン感も半端なかったし。
レイス組とニック組の公式戦もテレビでやって欲しかった
>>582 超獣コンビが最強タッグに初参戦した頃からファンクスのマラソンマッチは 「ダラダラした試合をするな!」とヤジが飛ぶようになった・・・ >>576 「レスラー・ジャイアント馬場」が"光り輝いた最後の試合"じゃないかな? この後はもうシングルマッチで名勝負は作れなくなったしタッグで時折、好試合をやるぐらい。 佐藤昭雄は馬場らしかった最後の試合は蔵前でのブロディ戦(NWA戦・フレアーvs.鶴田のセミ)を上げていた。 見直してみると不透明決着ながらw流血した馬場がブロディを場外まで追い回して押し気味 の試合をしている。のちのハンセンとのPWFを巡る抗争ではここまでの強さは見られなかった・・・ >>582 スピーディーな試合は刺激的で興奮するけど 鶴田やファンクス、フレアーのように、実力者でクラシックスタイルと 試合すると、クラシックに飲み込まれてしまうよね。 ジャパン勢が急速に飽きられたのでようやくわかった。 攻め手がセール番になったとき、逆にじっくり攻められたらセールも合わせなきゃいけないし。 >>584 マスカラスブラザーズが出たのは前年の83年だぞ この試合は時間切れになるんだろうな〜という試合で この試合は時間切れにするよ〜というペース配分でのファイトをやるんだから そりゃあヤジも出るよ。 もう先読みや先入観なしでどちらかを応援していればいい、という時代は 遠くに過ぎさっていたからね。
鶴田なんか試合前に「長州にフルタイムのレスリングを教えてやる」って言ったんだろw
>>587 確かにあの試合の馬場は、もちろん全盛時に程遠いけど、それなりに力強いよ。 ブロディと正面から渡り合ってる。 パイルドライバーがすっぽ抜けて変な形で落ちて、尚且つブロディが即フォールに行った時はどうなるかと思ったけどよく返したよね。 後、馬場が流血したのってこれが最後じゃないかなぁ。 悪役リーグ戦をやって欲しかった ブッチャー、シン、シーク、カマタ、マークルーイン、ブルーザー、リソワスキー、バションあたりが参加
>>577 実査には鶴田から感染しない様にドリーがコントロールしてたんだよな。 >>566 S53年頃に雑誌のインタビューで樋口がレフェリー哲学みたいのを聞かれて 「我々はあくまでも脇役」と言ってたね。高橋には確かにそれは無さそうな 感じだったけど。 >>578 フルタイムって30分?60分?どっちにしてもシークにそれだけのスタミナが あったのが驚きだけど、よく考えたらシークはデビュー当時は正統派でファイト してたなんて話が昔の雑誌に出てたからね。日本でも時折はそれを伺わせるような 動きを見せてくれたね。 いま新日でIWGPやG1を裁いてる海野が ジョー樋口の弟子筋になるんだが 今のファンは知らないだろうなあw
>>596 初対決は面白かったし、鶴田の名勝負の一つだろうな 話は少しそれるが、今朝のボルトの敗北は、アンドレがピンされたような感じがした
渕によるとベストは最後の日大講堂でのUNリターンマッチ
>>599 高橋はボディビルでレフリーらしからぬ体型と姿勢で レスラーになど負けないぞという雰囲気を出してたもんな。 >>604 辻は「高橋はレスラーより重いバーベルをあげていた」と言っていた >>599 和田にもチクリと言ってるよねそれ。 自分が目立とうってとこがあるからね。 >>600 海野がジョーの弟子? そりゃみんな弟子だろうけど、 正統な後継者は、 ノアのチーフレフェリーだった、西野?西山?ではないか。 ミスター高橋って元々レスラー志望だっけど採用されなくて 無理やりレフェリーとして潜り込んだって聞いたけど
本人は東南アジア?かどっかで、レスラーとして試合もやったとか言ってたようだが。
やっぱ一番しょっぱいレフェリーは ミスター林なんかな😔
>>609 新日の田中米太郎も下手だった ただこの人ちゃんこ作りは名人級だったとか ちなみに馬場のデビュー戦の相手でもある 昭和全日じゃないけど、力道山・豊登がリッキー・ワルドー・ルター・レンジと アジアタッグのタイトル戦やった時はレフェリーのハロルド登喜の不可解な判定で タイトルが移動、怒った観客が暴動を起こした事があったらしいね。力道山は登喜を クビにしちまったらしいけど。
不可解な判定ってのも仕込みでしょ。 単に暴動に繋がったから力道山が逆恨みしただけだろう
>>597 鶴田が肝炎のキャリアなのドリーは知ってたの? 本人は85年には自覚してたようだが馬場は知ってたんだろうか? >>590 ファンクスの兄弟対決でテリーが「時間切れ引き分けを狙うつもりか?」と思って油断した 途端にロープ越しの回転エビ固めにフォール負けてしてしまった。 >>605 >>607 横浜にあった元レスラーの金子武雄の「スカイジム」出身だった。 ボディビルダーやアームレスリングのチャピオンも輩出して 今の浜口道場ばりに何人ものレスラーも輩出し藤原や鈴木みのるもそこの出身。 失神芸で前スレで話題になったジョー樋口は.金子とシュートマッチを行い樋口は この事に触れられると語る事は無かったらしい・・・ >>610 相撲の世界ではちゃんこ番は稽古を免除されている 田中米太郎はプロレス入り後もちゃんこ番兼力道山の秘書的存在だったから プロレスの練習もほとんどしてなかった 猪木とターザン山本のインタビューで 猪木「なんで体力のある馬場さんの相手が新弟子の誰が言っても勝てる米太郎さんで 俺の相手が若手で一番強い大きんなんだろう? 普通は逆じゃないのか?なんて思ってましたよ(笑)」 山本「その後を暗示してますねえ(笑)」 というやりとりがあった 今日はブロディの初挑戦日 後にあれほどまでの好敵手同士になると予想出来た人はいたか
UN初挑戦でした まさか初戴冠がインターになるとは
ブロディをブッキングした時は、鶴田と同世代だからライバル関係を作ろうとしたけど ブッチャーを新日に引き抜かれてしまったから、急遽外人エース格に押し上げねばならず ドリーのみならず馬場までもがピン負けして盛り上げようとした、というのは考え過ぎか?
全日はうまく育てたよ。 下手すりゃハクソー・ジム・ドゥガンやヘラクレス・ヘルナンデスになりかねない。
>>620 ブロディ初来日はブッチャー移籍前だしその初来日でブロディは馬場からピンを取ってる >>616 >ちゃんこ番は稽古を免除されている ちゃんこを作りながら稽古はできないもんなぁ。 うっかり包丁持ったまま張り手なんかやられてら 堪ったもんじゃないし、、 田中米太郎は最高だろ あれだけ長い時間、シンから凶器を取り上げない無能さが、逆に客をイライラさせて、フィニッシュを盛り上げた 樋口は上手すぎて、見え見え過ぎるからつまらなかった
レッドシューズ・ズーガンなんて名レフェリーだからこそ、つまらない典型例
ブロディじゃブッチャーの後釜は無理 ブッチャーみたいに客を楽しませる能力が低すぎる
>>623 古い話だけど、栃錦がちゃんこ番の時、“相撲の神様” 双葉山が出稽古に来て、滅多にない機会と栃錦はさばいていた魚を放り出して、 稽古場に向かって稽古をさせてもらった。 その時、双葉山の胸に、栃錦の手に付いていた魚の鱗がべっとりと付いて、それを見た双葉が「おい、臭いな」と言って胸を手で払ったのが忘れられないと生前言っていたな。 >>618 試合結果は、どうなってたのでしょうか? >>615 >>605 >>607 >横浜にあった元レスラーの金子武雄の「スカイジム」出身だった。 ピーターはビルダーファイトがポシャってすぐ金子武雄のラインを通して国際に売り込んだけど色良い返事を貰えず 次に同じ横浜育ちの小鉄に頼んで(自著では小鉄に誘われたと主張しているけど)猪木と面会した(猪木はビルダーファイトを知っていたらしい) 金子の指導を受けたのなら大丈夫だろうと入門テスト代わりにスカイジムのトレーニング仲間だった藤原と一緒に合同練習に参加したんだけど 実戦形式のスパーで健闘した藤原に対してピーターは柴田パパンや木戸相手に歯が立たず 小柄で年がいってる事もあって選手としては使えないけど人手不足状態のレフェリーや裏方ならと言われやむを得ずその条件を呑んでレフェリーになった >>626 日本ではほぼシングルのタイトルマッチ専門だったレッドシューズ・ズーガンに荒れた状況の対処で上手い下手面白いつまらない云々を言われてもねぇ お前らグレートテキサン、テキサスブロンコへの敬愛がなさすぎるぞ。 彼らに熱狂したのは今50代ぐらいか
ファンクスは1987年の最強タッグリーグ参加から3年間も来日途絶えるんだよね。 次の来日は平成2年のジャイアントシリーズだった。
>>631 あんた今 幾つぐらい? ファンクスなんて見てて退屈だったよ オレはブッチャー覇 >>635 ファンクスの試合を退屈だと思ったことはないな…テリーが復帰してガリガリだったあの頃を除いて。 つまらんと感じるのは、新日基準で見てるからじゃないのか? >>621 見た目だけで、ドゥガンやヘルナンデスと一緒にするのはちょっと浅はか。 別に全日が育てた訳でもないし。 高橋はハンセンやアンドレのラリアットをもろに受けていたな 樋口じゃ無理
レフリーはラリアット受ける必要はない。かえってシラけた。 試合後のハンセンの大暴れの相手は若手で充分。
>>631 自分が全日見始めたのは1982年頃で、残念ながらファンクスは完全に下り坂に入ってたなあ。 ハンセンのラリアット食って涙を流して苦しがったり、ハンセンの ブルロープ口に引っ掛けられて宙吊りにされたり、ハンセンのラリアット 食って場外まで吹っ飛ばされてテープにグルグルに絡まったりと、まあ 見ていて痛々し過ぎと言うか、ストレスしか感じなかったなあ。 その後youtubeやnicozon等で昭和50〜55年頃の、全盛期の試合映像見てやっと昔の テリーの本当の強さを知ったよ。 82年の最強タッグが一番悲惨だった 同じ反則勝ち優勝でも五年前とは全く逆で
>>640 下り坂のファンクスもなかなか味があって良かったけどな。 今思えば、あのケチョンケチョンにされる役割をよく引き受けたなと感心する。 それも含めて、ファンクスが退屈だと思ったことはないな。 ファンクスはレイス、ニック、スレーター、デビアスといった同世代もしくは後輩のテクニシャンタイプとやると長期戦を見込んだレスリングになるんで少し間延びして見えるんだよね。 対ロビンソンの場合は意地の張り合いが強くなるんでいくらか緊張感があるけど。
ブッチャーの名前が あまり出てこないのが 不思議なんだけど 当時 馬場鶴田 ファンクスなんかより 実際の人気はあったと思うんだけど 新日に移籍して大失敗したけど
ブッチャーはベビーを光らせる点での才能が大きいんだよな 新日本での最大の功績はやはりホーガンをブレイクさせた事か
>>630 つまりレスラーになりたかったんだけど叶わなかった鬱屈した思いが レスラーより目立とうとする行動になって表れてたんかね。 樋口が言ったようにレフェリーならレフェリーらしく脇役に徹すりゃいいのに。 高橋本の後に、大事な試合は高橋に任せたことがないのに何がわかるのかって反論されてるの読んで そう言えばって思ったもんな
まぁレフェリーの話で一番笑ったのは力道山と島倉千代子の対談で 九州山の話が出た時だね。以下記憶を元に概略。 島倉「レスラーも大変だけどレフェリーも殴られたりして大変ですね」 力道山「レフェリーにはもっと勉強してもらわんと。ウチのレフェリーには 1から20まで英語で数えれないのがいるんですよ」 島倉(まさか、冗談でしょう?という顔つき) 力道山「ファイブ辺りまではいいんだがセブンとエイトが逆になるし、 11、12がテンワン、テンツーじゃレスラーはおかしくて試合になりません」 島倉「じゃあ20は?」 力道山「20は10が2つだからテンテンですよ」 流石に九州山も「こんな事言わなくてもいいじゃないか」と抗議したらしいw 門茂男の本にそんな話が出てた。
>>644 俺は>>635 と同じようにブッチャー派つーか、ブッチャーからプロレスに入った人間だよ。 別にファンクスが退屈とも思わなかったけど。会場内での熱狂度に限って言えば テリーのほうが上だったかもしれんけど、一般への浸透度ではブッチャーだろうね。 漫画のキャラになったり、CMや映画に出たり、一般のメディアにも出まくってたし。 その分「恐ろしいヒール」としての側面が薄れてしまったのは否めないかもしれんけど。 当時は「リング上で変わらないブッチャーであればいいんだ」なんて思ってたんだけどね。 確かに俺のクラスにも肥満気味の奴でブッチャーと呼ばれてる奴はいたw ブッチャー人気が最盛期の頃は割と全国的に見られた光景かな、とも思う。 それだけ広まってたって事だろうね。後は力士の名前で呼ばれるパターンかな。 当時だと北の湖とか朝潮かね。
世の中のデブのあだ名が全部ブッチャーになったぐらいだからな
プロレスラーじゃないけど、笑っていいとものテレフォンショッキングで 電話かけてたディレクターもブッチャー小林だったね。島田紳助が ブッチャーにそっくりだからってんで付けたらしいけど。
アメリカ横断ウルトラクイズの第三回優勝者の綽名もブッチャー宗田だった 少年マガジンで「愛しのボッチャー」を連載してたり 無敵超人ザンボット3の悪役がキラー・ザ・ブッチャーだったり 当時はブッチャーブームだった
ブッチャーは映画にも出演したよな、真田広之が主演のだった。
吠えろ鉄拳だね。燃えよドラゴンのパクリみたいなタイトルだけどw 千葉真一や志穂美悦子も出てたね。 そういや地元の小学校の運動会で「ブッチャーのように」なんて競技があったな。 風船を頭で割って中から出てきた紙に書いてる物を会場内で探してゴールするらしい。 俺は子供いなかったから見に行かなかったけど、風船なんて頭で簡単に割れるんかなw ブッチャー新日移籍後だったと思うけど、こんなところにまで名前出てくるのはやっぱり 全国区と言っていいだろうね。彼に匹敵するのはかつてのデストロイヤーぐらいかね。
ブッチャー自身 日本での異常人気には驚いただろうね 78年辺りからファンの声援に応えたり シークとの初戦ではリングを囲んだファンに握手してやったりと それまでとは明らかに変わってきてる。 見ようによっては愛くるしく見た目と あの体型で全力ファイトするところが受けたと思う 殆どの外国人レスラーは日本じょ手を抜く中で ブッチャーは今から思うとプロだった。
馬場が日プロを辞めて全日旗揚げした時、ブッチャーも全日に参加したが その決め手はジョー樋口に奢ってもらったステーキだという
そんなブッチャーも今は車椅子なんだよな かなり痩せて やつれて見えるけど 頑張って長生きしてほしいよ。 ブッチャー、Facebookやってるから近年の写真も 見れるよ
ただプロレスラーの割には長寿だよね しかもあの体型なのに 自分で言う通りステロイドやドラッグの類には無縁だったんだろうな
長らく1936年生まれと言われてたけど、実際は1941年生まれなんだっけ? そうすっと現在76歳か・・・何年か前に日本で引退興行やるとかいう話があったけど、 体調の悪化で結局叶わなかったね。もう日本の土を踏む事もないんだろうなぁ・・・ 頑張って長生きしてほしいてのは激しく同意するけど。
今日はテリーのPWF初挑戦日 とにかくオープンタッグ前から蔵前とは縁が深い印象
ブッチャーの最後の来日はIGFに来たのが最後か あの時点で足が悪くてリングにも上がれなかったが
>>661 ブッチャーはジョーさんに本当に恩義を感じていたらしいね。ステーキの件は、 例のマードックに人種差別イジメをされた直後だったらしいから無理もないが。 そういやあ、凶器シューズは独特だったし、地獄づきもいたそうだったし 巨体エルボードロップは鶴田が死ぬかと本気で思ったし。 確かに新日行く前まではトップ中のトップ外人レスラーだった。
ブッチャーが全日本に復帰した時、ぴょんぴょん飛び跳ねたのが印象深いなぁ〜。
最初に鶴田に空手ポーズを決めた時のファンの反響も凄かった
>>671 TNTと組んだ、後楽園ホールの世界最強タッグ開幕戦だな。 ブッチャーって絶対に客には手を出さなかったよね シークもそうなんだけど ここら辺がシンとか上田との違いだろうな。 新日に移籍して散々な目に遭わされたけど 契約満了の期間迄 キチンと仕事してたのは 流石だと思った
ブッチャーのエルボーってハンセンのラリアットと違って一撃必殺じゃなかったな。 ただ大熊がカウント2で返した映像を見た時は驚いた。 山嵐は使っている期間は短かったな。79最強タッグからで新日時代は藤波に決めたの以外あっただろうか。
人形のダッコちゃんブーム、ブッチャーブーム、ボブサップブーム 日本人は黒くて目がクリクリしているものが好きなのかもしれない
第七回チャンカンはブッチャーが優勝したが、その決め手となった技が コーナーポストから飛んだ相手を地獄突きで迎撃する地対空攻撃 これで鶴田とドス・カラスを文字通り地獄へ送った
プロレススーパースター列伝での冒頭でもあったな あと夕方時間帯での第一回で
オープンタッグ以降 急激に肉が付いた 気がすんだけど それ以前のフリークス的な不気味さが 消えたような気がする、ヒゲも剃ってしまったし Youtub で見れるブッチャーの一番古い試合は 71年の馬場戦ですかね?
ブッチャーのエルボードロップが返されるなんて、鶴田のショルダースルーが成功すること並にありえない。
>>681 昭和40年代なら あり得たかも ブッチャーもまだ超大物ではなかったし サンダー杉山なんかにもリングアウトで負けてる ブッチャー、ロビンソンからPWFとったときの高笑いが最高。
功労者のブッチャーを最後は冷たく切ってしまう 馬場ってどうなんだろかね?
>>674 シークは結構手を出すよ。 後、花束嬢を威嚇して掴みかかろうとするのはシークの常套手段。 髪の毛を掴んでる映像もある。 倉持アナ襲撃事件もシークの発案だしね。 96年以降の事ならあれはブッチャーが前座待遇に飽きたらなくなって自分から離れたんじゃなかったか
あれはクビじゃなくてブッチャーが自ら離脱した ブッチャーも「馬場とは今も良い友人だと思っている」と言っていたな 年齢的に当然だとは思うが 中盤に登場するレジェンド的な待遇に飽きたらなくなったらしい
>>676 アザラシのタマちゃんの時も大騒ぎしてたな >>680 79年にジョーンズかリベラと組んだ試合で極道と対戦した時。大熊が返していた。 G足すでもやらないような試合せっかくアップしてくれた人いたのに動画は消えたな。 >>668 馬場が独立した時にサンマルチノに相談をした時に偶然にオフィスいたブッチャーがなぜか 「ユーにステーキを奢ってもらったら参加するよ!」と言われて樋口の件を知らなかったので 意味がわからなかったらしい。その足でアマリロに遠征中のマシオ駒が滞在を打ち切って日本 に帰国するのでファンクシニアに挨拶に行った大歓迎されて有力プロモーターのシニアの 全面協力を得られたのが大きかった。 >>679 あの試合の最中にデストロイヤーと両リンになって優勝の望みが絶たれた猪木が馬場への 挑戦表明していたと思ってみると面白い。ここから日プロ崩壊の序曲が始まる・・・ >>687 前スレにシリーズ終了後にご機嫌なブッチャーが次の来日予定を聞くと馬場から初めて いい加減な返答をされて戦力外なのを認識したとあったけど・・・ >>689 ブッチャーとリベラが日本で組んだ事はないな。 79年だったら正にブッチャーの全盛時なんだが。 ミスったw ジョーンズとリベラがいっしょにきたのは81年のサマーアクションだな 石川・佐藤組のアジアタッグ初防衛戦で、リベラが試合中負傷した試合は覚えてるけど 極道との試合は記憶にない
重ねてすまん誤読だったw ジョーンズとブッチャーが一緒に来たのは78年サマーアクションだから その試合はそのときじゃないかな
>>683 つーかあれないと場が収まらないよ ブッチャー何もしないのにロビンソンが勝手に足痛めて試合放棄だもん どっかの無知なプロレスライターの書いた本には「ロビンソンを血の海に沈めPWF奪取」とか 絶対試合見てない大嘘書いてたけどw >>696 それ、足を痛めたロビンソンが捨て身のワンハンドバックブリーカー(完璧にブッチャーの身体が浮いた!驚いた)で追い込んだが 自らのダメージも深く…と、美しい記憶として残っているw >>697 あんたの美しい記憶に水を差すつもりは毛頭ないけど、あれは相手の見せ場を 巧妙に奪ってしまうロビンソンの常套手段だと何かで読んだ記憶がある。 アメリカ(AWA圏?)でもよくそれをやっていて、徐々に仕事の場を失くしていったと。 ただこれまた何かで読んだ記憶があるけど、ロビンソンてあの体勢になると確かに 意外な怪力を発揮するね。あのブッチャーを持ち上げてしまうんだから。 どっちもロビンソン、レイス、ニックを特集したプロレスアルバムの「ミスター・プロレス」 だったかな。不確かな記憶で申し訳ないけどw その本にロビンソンの悪口書きまくってた流 ロビンソンが語る「アメリカをはるかに超える欧州の強豪たち」をまるで 与太話みたいに言っておきながら 後になってキャッチはすごいなどと持ち上げる流
過去スレにロビンソンをよく言うレスラーや関係者が皆無なんて話があって、 それはまぁ事実かもしれんけど、相手に対する気遣いみたいのを感じた事もある。 78年の最強タッグ終了後にゴングの企画でファンクス、ニック、ロビンソンが座談会を やったんだけど、最初ニックが中々話の輪に加われずにいたんだけど、ロビンソンが 水を向ける形でようやく話に加われたんだよね。美しい記憶ってわけじゃないけど、 そういう事もありました、的なw
ロビンソンと仲いいアメリカ人レスラーはガニアとニックだけだったしw 親友はワイルド・アンガス
それで78年の最強タッグにはアンガスと組んで出たんか。 あの人、上手くやればブロディタイプみたいになれたかもしれんけど・・・ やっぱり無理かw
天龍「当時、最強タッグのシリーズ中だったかな? ホテルのロビンソンの部屋の前に テリー・ファンクが、どっかから持ってきた植木を鉢ごと置いちゃって、 さらに消火器を使って白い泡で「メリー・クリスマス!」ってデコレーションまでしちゃった。 ロビンソンがそれを発見した瞬間、あの独特な発音で「F●CK!」って怒り狂っていたね。 その光景を見て、「ああ、英国紳士でも怒ることがあるんだな」と妙に感心したことを覚えている。 その後、全日本プロレスは、そのホテルから出入り禁止になったけど…」
ロビンソンは16文受け止める非礼したんだから2回目は 馬場も思いっきり蹴飛ばしゃよかったのにね。
でもまぁ四の字固めを成功させてやってるし、いいじゃないw
AWAでロビンソンと抗争してたロード・アル・ヘイズは 「わたしは貴族で英国紳士だが、やつは貧乏な労働者だから紳士ではない」と 言ってたが、紳士じゃないというのはギミック半分ガチ半分だろうなw ちなみにヘイズのキャラを継承したのがリーガルだな
昔よく外人選手宿泊ホテル行ったけど 狭いビジネスホテルが多くてデカイレスラーは不便だっただろうね
ブッチャーに負けてPWF 失った頃って 体型もかなり崩れてたし 変なカーリーヘアみたいな 髪型でカッコ悪くなってたよな
歩けないロビンソン相手に、PWFベルトを引きづるブッチャーは役者だったな。
最強タッグで三代のPWF王者が揃った公式戦は凄かった 一番目立ったのがアンガスだったのも含めて
全日でブッチャーとロビンソンの初シングルが行われる直前の頃、 試合終わって引き上げようとするブッチャーを花道の奥でロビンソンが 待ち構えてた事があったね。「カモン!」てな挑発ポーズと相まって、 俺が見た中で一番カッコよかったロビンソンかも。
俺はロビンソン百貨店がビル・ロビンソンと 関係ないと知って落胆したよ。
>>700 お前、その場にいたのか? そんなの編集者が編集してるに決まってるだろ もちろんその場にいたわけじゃないよ。ただあれを読んだ実感として あの流れはその通りだったんじゃないかと思う。別に明確な根拠が あるわけじゃないし、俺の個人的な印象だから気にするなw
>>703 菊池孝の本だと、その後ロビンソンがお返しに全裸に消火器の泡まみれといういでたちでテリーの部屋へ行き ルームサービスだと偽ってドアを開けさせたところに「メリークリスマス!」と叫びながら飛び込んでいったことになってるな 真実かどうかはわからんが >>714 俺も覚えてるよ ファンクスがジョージアタッグ ニックがAWAベルトを披露した貴重な企画だった 昭和プロレスって団体や東スポの桜井あたりが外国人レスラーに凶暴そうなニックネームつけて ファンを煽ってたけど、当の本人たちはどんな気持ちだったんだろ? まあ知ってか知らずかは別として本国に帰ったら家族たちにK・K・コックスやD・L・ジョナサンらは 「パパは日本では殺人鬼って呼ばれているんだよ」「お父さんは日本では暗殺者と言われてんだ」 なんて誇らしくも悲しげに報告してたのか気になるw
>>709 貴金属をふんだんに使って新調した2代目PWFベルトを無造作に扱われて 馬場は慌てて本来、海外での防衛戦に使用予定だったレプリカベルトに切り替えた。 >>715 確かビッキー夫人もテリーと一緒にいたんじゃなかったかな? ビックリだったろうね プロレス記者が、適当の脳内で作った座談会記事をまともに受け止めてるところがウブでかわいいな プロレスの座談会なんて、飯食って、記事にならないバカ話して、あとはテキトーに作っといてで終わり、特に外人は
>>717 そんなこと全く気にしてないから安心しろ プロレスラーは、ギャラと待遇と女のこと以外、興味なし 興味ないのに、プロレスのこと訊いてくるファンはウザイだけ マスカラスは日プロに初来日した頃は悪魔仮面≠ニ呼ばれていたが 全日の人気レスラーとして定着し始めると仮面貴族≠ニいう異名に変わった 反則をやらぬ誇り高い試合ぶりが貴族らしいという意味だが、 実際のマスカラスが傲慢で目立ちたがり屋のエゴイストである事は周知の事実 だが、それもある意味貴族らしい…平民を虐げ見下すという悪い意味で
全盛期のブッチャーの身長って 実際どれぐらいだったんだろうか? 180から183ぐらいかね?
ハンセンとの名勝負では二代目ベルトを付けて来て欲しかった
>>717 「キラー」の意味分かってる? 自分の国で名乗ってるんだから、海外とか気にしないでしょ。 アメリカのカールビンソン号ってカールゴッチ、ビルロビンソン、ヒクソンなどから 取ったという事はないか?
カールビンソン下院議員がその三人から名付けられてたとしたら可能性はあるけど 第二次世界大戦より前に生まれてるからな さだまさしのアントキノイノチは100%アントニオ猪木からだけどな
>>722 今となっては性格云々ばかり言われるマスカラスだか、 それだけ奢っていいぐらいのプロレスをやったと思うけどね。 スカイハイでの入場、毎回マスクを投げる、 そして何と言っても100キロの男が、当時の硬いマット、整備されてない場外、 まだあの手の技を受けるのに慣れていない当時のレスラー相手に、ダイビングをする。かなり、根性が座ってないとできないと思うよ。 しかも今見返しても、飛行バランス、美しいのひとことだわ。 >>731 馬場がマスカラスとのシングルを嫌がったのも 実はマスカラスが怖かったのではと 今になって思ったりもしますね。 あと小林邦明あたりがマスカラスを 貶めるような コメントを出してたけど お前なんかと格が違うよって 当時 思った ロビンソン・マスカラス組って今考えたら凄いコンビだな。色んな意味で。 お互いに相手をどう評価してたのか知りたいところだけど。
馬場とマスカラスでは噛み合わないって感じは確かにある もっとも体力的に全盛の二十代の馬場だったら分からないが
>>722 昔のプロレス漫画「悪役ブルース」によると、マスカラスが悪魔仮面と呼ばれる 様になった由来は、相手が正統派、クリーンファイトで来ればマスカラスも華麗な空中殺法 で返すけど、相手がラフ、喧嘩で来たらマスカラスも喧嘩殺法でお返しする、そうした 「目には目」的な攻撃法から悪魔仮面と呼ばれる様になった。って書いてあったけど 実際はそう言う攻撃法はエル・ソリタリオ の方が得意だったし、そもそも由来そのもの が違うんだよな。(実際は試合の度にマスクとコスチュームを替える様が悪魔的な怪しさを醸し出していたから、だっけ) >>700 スレーターの代打としてロビンソンのパートナーに大抜擢された天龍がロビンソンから 「最初からガンガン飛ばせ!あとは俺に任せろ!それと・・・ハイキック(延髄蹴り)も使え!」と 遠慮して国内では使わなかった延髄蹴りまでアドバイスされたのは数少ないいい話かな? 試合前に緊張していたがこの頼もしいアドバイスに天龍は感謝している。 試合はアドバイス通りに天龍がガンガン飛ばして先制されたスロースターターの師弟コンビが 天龍の予期せぬ奮戦に焦って2本目からエンジン全開となり天龍は最後にガス欠になった が引き抜き戦争で押されて閉塞感漂う当時の全日のムードを吹き飛ばすハイスパートな 好試合だった。 >>735 これが如実に見られるのブッチャー戦かな?体重差がある無謀なカードと思いきや マスクを破られて激怒したマスカラスが大反撃。解説の竹内氏まで興奮して 「やはり怒らせたらマスカラスは強いですよ!」と声高に話していた。 マスカラスと言えばプロレススーパースター列伝でも取り上げられてた、バトルロイヤルリンチ&脚骨折事件。 あれ当時の雑誌(ゴングも)ではグラビアも含めて全く報じられて無かったみたいだけど 衆人環視の中行われた余りにおぞましい事件だった為当時の雑誌では掲載を控えていたんだろうか。
>>735 単に悪魔みたいなマスク被ってたからじゃないのか? 相手の攻撃を受けずに自分勝手な試合に終始してエエカッコしいのマスカラスは、相手からみたら《悪魔仮面》そのものやろな。
マスカラスってS51年1月に全日に来たけど、この時の来日ってほとんど話題に ならなかったし、試合もほとんどTV中継されなかった記憶がある。 後年(つーか1年後)のマスカラスからすると考えられないんだけど、 丁度この頃ってアメリカでテーズと組んで興したIWAがポシャった時期だったかな。
>>743 記録を見ると3週間も参加してて目立ったカードは第2戦のデストとのタイトルマッチだけ。 当時はある程度人気はあっても、翌年以降ほどのバリューはなかったんだろうね。 >>744 確かに大ブレイクしたのは翌年以降だと思うけど、S49年にデストロイヤーと 覆面世界一を賭けて闘った時は話題にもなったし、注目もされたし、人気も デストロイヤーと二分するぐらいはあったと思うんよ。それ考えるとこの注目の されなさぶりはちょっと解せないところがある。想像だけど、やっぱりアメリカで 興した団体が上手くいかなかった事も関係あるんかな、とか考えてしまう。 全日側もマスカラスの来日をあまり表に出さないようにしてたんかな、とか。 マスカラスに限らずせっかく呼んだのにあんまり出番を与えないってのはよくあったよな
やっぱりスカイハイとの相乗効果で人気が出たのかね?
>>746 80年のスーパーパワーシリーズ。 ブッチャー、レイス、ロビンソン、デストが参加。 ブッチャー絡みで因縁のある大物が3人も来てるのに一切絡みナシ。 愚かである。 80年のジャイアントシリーズ。 メインはテリーとブッチャーの抗争。 ブッチャー絡みで因縁のあるロビンソン、ワフーが来てるのに一切絡みナシ。 愚かである。 そりゃ、後年になったら空中殺法なんてだれでんもやったかしらんが、 最初にやった、最初に見せたってのがすごいんだよ。 間違いなくマスカラスはグレート。
竹内か誰かが「俺の仕掛け」みたいな話でマスカラスをアイドルにしたみたいなこと書いてたね 親衛隊組織させて騎馬で入場させたりとか
>>748 開幕戦でデストロイヤーと後楽園ホールの客席になだれ込んでの大乱闘やっているのテレビ 中継されてるのに知らないの。 >750 そのマスカラスもザ・コブラの親衛隊としてコブラの入場時にお神輿担いでたなw
>>739 さあ、これでリングサイドのチケットを買い、 残りはコーラでも飲みたまえ >>751 すまん、それは知らんかった。 ただその単発で終わりだよね? そういやマスカラスが前田日明をワンパンチで失神させた事もあったな。
>>747 マスカラスがスカイ・ハイでブレイクした翌年の78年、確か深夜の時間帯に TVでスカイ・ハイ放映してたけど、映画自体はあまり面白くなかったな。 何かパラシュートみたいので飛び降りてるシーンがやたら出てくるのと、 映画の最中にやたらスカイ・ハイの音楽が鳴ってた事ぐらいしか覚えてないw >>757 アメリカ映画、たまにストーリー無しの映画あったよね。 アメリカン・トウルーパーズだったかな。一瞬リックフレアーがでてくるのもあったな。 >>748 まあシリーズの流れがあるから、 焦点がズレるような扱いしたら逆にもったいない。 >>757 映画はトホホな出来で売れなかったけど、ジグソーの作ったテーマソングだけはバカ売れした そのきっかけがマスカラスの入場曲として使われたのが理由だと言われている 天龍が、初めて サンダーストームを使ったのがマスカラスとのIWA戦で、当時付き合ってた今の奥さんに、 「俺にもテーマ曲出来たんだよ、テレビ見てな!」 と自慢して、後日会ってどうだったか聴いたら、 「ステキな曲!ボーカルに入るとこゾクゾクしちゃった!」 と言われ、こいつマスカラスの方を誉めてるなと思ったが何も言わなかったって
>>745 マスカラスがスカイハイ効果というか、優秀なNTVの次シリーズの煽りVによって 大物が超大物へ格上げなったんだよ。ファイト内容は変わらないんだが。 テリーがオープンタッグで超大物になったのと同じように。 まぁこっちはやられの美学みたいなファイトに変わったけども。 それまではマスカラスもテリーも一枚エースというには少し足りない位置だった。 豪華外人が売りだった全日も 一枚看板でエースが務まるのって実はそんなにいなかったと思う テリーはブッチャー絡みじゃなきゃ光れないし マスカラスは人気はあったけど強い相手との カードは組まれなかったしね ドリーは地味過ぎるしロビンソンは来日するごとに 体型が崩れてキレが無くなってくるしで レイスせ世界王者で別枠だけど試合は退屈 そう考えるとやはりブッチャーなんだよな
>>762 まあ、天龍の奥さんはDQNだったということか。 テレビ見ながら天龍を見てないとはな。 元小結でハンサムなのと結婚したかっただけなんだろな。 >>764 確かにブッチャーは誰が相手でも絶対光ってたな。 地獄づきと、ヘッドバンドと、流血とエルボードロップ。 相手がロビンソンでもマスカラスでも誰でも試合はメインに相応しい一級品だった。 入場時の観客の逃げ惑う興奮まで。 考えて見たら歴代でみてもミスタープロレスはブッチャーといっても 過言ではなかったかも。 地方興行では、ブッチャーが来る!ってだけで宣伝カーがブッチャー連呼だったし。 メインの6人タッグ、一度もリングに上がらずに試合を終える 場外乱闘で会場の外に出て、そのままタクシーに乗って帰る
>>750 のちにゴング記者になるドクトルルチャ・清水記者は学生時代の夏休みにマスカラス親衛隊 として全日の地方興行についてその際の宿泊費は元子夫人が負担してくれたらしい。 >>757 B級映画の主題歌なのに入場曲に起用した日テレ・梅垣Dのセンスは素晴らしい。 この成功で「このレスラーにこの曲を!」とファンからの推薦曲が殺到した。 サンライズは全日移籍前からハンセンをイメージで用意していた。いまだにバラエティ番組 で使われているのは感慨深げだった。でも入場曲で一番は炎のファイターと話していたw ザシクの試合は乱闘、凶器で流血。 まともな試合はまずなかった。 タグマではそれなりに長い試合もあったが。 80年サイキョタグリでのザファン対ザシク、グレメの公式戦。 珍しく流血一切なしで比較的長い試合だったし。 ザシクの試合で流血一切なしで比較的長い試合は他に記憶ない。 試合が比較的長くても流血。 また流血なしでも短時間の試合。 ザシクやアブチャはまず自分が流血してたかんな。
>>772 訂正 ドクトル・ヅラ 別名、千の帽子で隠す男 ミル・ヅラシ〇ズ >>773 トマホークチョップって見たことないんだが。 ワフー・マクダニエルは全日ではイマイチだったが アメリカでは超一流だった、それを証明するエピソードとして 試合でワフーがトマホークチョップを繰り出すタイミングに合わせて 「WAAA−!!」 「HOOOー!!」 「WAAA−!!」 「HOOOー!!」 と観客が合いの手を入れるくらい人気があった・・・その声が繰り返された事から 本名のエドワード・マクダニエルからワーフー(WAAAHOOO)、 ワフー・マクダニエルと改名する事になったそうだ
インディアン系のレスラーがやるチョップは何でもトマホークチョップになるんだろう。 ワフーはチョップ以外に何か決め技あったのか。アメフトの選手だからタックルは強そうだが。
ワフーは確かに海外じゃトップのベビーフェイスで 超売れっ子 ブッチャーなんかも見下してたらしい。 でも日本ではたいして支持されなかった コスチュームの羽飾りとったら日本のオバサン顔した 普通のオッチャン顔が受けなかったのかも ビッグネームのわりに華が無かった。
日本でワフーが一番受けたのは最強タッグの開幕戦の時か
ワフーのダブルアームスープレックスを知らないとはモグリだな
>>785 あの入場式の名前入りタスキがけか。 あれ、盛り上がったもんねえ 57年の最強タッグでレイスのパートナーのスヌーカがドタキャンした時にワフーがパートナーとして名乗りを上げたらしいね。 馬場の本の16文字が行く、に書いてた。 レイス・スレーター組は無難過ぎたけど、レイス・ワフー組だったらその絵だけでも見たい気がする。 ただワフーはレスリングウォーで一旦は新日に移籍し、その年の1月に新日のシリーズに参加してんだよね。 馬場が簡単にOKするとは思えないな。 レイスとの相性を考えてスレーターになったらしいけど、元々「そういう動きもあった」程度の話なんだろう。
最強タッグ開幕戦の入場式で、羽根飾りを引っ張られ観客に凄むワフーがもっとも コワかったな。当時の後楽園ホールは無法地帯で、立ち見券でひな壇側にも入れた。
レイスって最強タッグでプッシュされた記憶ないな NWA王者としてタッグ屋のイメージつけないように馬場が 気遣ったのかな?
レイスやニックは最強タッグに重味を与える役だからな
タッグ屋でも同年代のタッグ、兄弟タッグ、ベテランと若手のタッグと色々あるな レイスは若手の頃ベテランのヘニングに鍛えられたからタッグも上手いはずやろが、いい相棒がいなかったな
>>789 場外乱闘でみんなが逃げているドサクサに椅子をゲットしていて次からちゃっかり座っている 立ち見客もいた時代w >>792 その恩に報いるためにヘニングシニアをパートナーで参戦したのか・・・ 最強タッグ前哨戦でスヌーカをパートナーで馬場&鶴田を撃破したのは期待したんだど・・・ ワフーって国際プロレスに初来日して小林(ストロング)を破ってIWA王座を獲得 して、初防衛を果たしたまでは良かったんだけど、例の草津との金網インディアンストラップマッチ でミソ付けた感はあったな。 あの試合でスカッと勝ってればもう少し早く高評価を得てたかも。
ダメダメ、ワフーはあくまでも喧嘩屋や まともに喧嘩をやり合える相手が日本には居ないよ
>>781 テリーが「お前はクワフー・マクダニエル。アヒルだ!」と煽って抗争したこともあったなw ※「クワフー」は「クワック(quack)=アヒルの鳴き声」をもじったもの >>795 ブッチャーも思い出深いライバルとして挙げているし、ハンセンも「タフな人だった」と言っている。 ワフーはビル・ワットと1歳違いで、同じオクラホマ州立大学フットボール部出身なんだな。 ワフーマクダニエルで検索したらこの人の画像出て吹いたがな 昭和51年のエキサイトシリーズ。 愛知県体でワフー相手にPWF戦やった時は 観客3400人という悲惨な数字だった。
全日で愛知県体育館埋まった事ないよね ウォリアーズ初来日は結構入ったけど
昭和51年のエキサイトシリーズ。 愛知県体でワフー相手にPWF戦やった時は 観客3400人という悲惨な数字だった。
>>800 発表で3400人ってことは、実数は2000人くらいかね。 愛知県体育館で2000人だと、閑散だな。 >>801 84年の最強タッグもほぼほぼ満員に近かった。 84年最強タッグ行ってるはずだけど記憶薄いなぁ キッドスミスが初参加してる年だけど愛知県体育館のメインてハンブロ対ファンクスだっけ? 外人側ホテルで毛皮コート着てたミスターヒトは強烈に覚えてる
>>806 84年最強タッグ愛知県体育館は長州らが初めて全日マットにリングインした時だろ 記憶薄いって訳ないだろww 剛がリングに現れて、ラッシャー木村が馬場をダブルクロスした日じゃなかったっけ
>>780 手を真上に上げて相手の頭部へ真っ直ぐ振り下ろすのがそうなんじゃないの? 馬場の脳天唐竹割りみたいだけど、>>782 が言うようにインディアン系がそれやると トマホークチョップなんだろうと思う。 >>797 ブッチャーとワフーがストリートファイトになりかけた事があったらしいね。 79年の最強タッグの時の話なんかな。新日でもこの二人は対戦してるけど。 キン肉マンのジェロニモはワフーではなく ジェイ・ヤングブラッドのイメージかな
インディアン系のレスラーって黒人みたいに差別を受けたりする事ってないんかな。 日本ではまぁないかもしれんけど、アメリカじゃどうなんだろ。
ジャック・ブリスコにもインディアンの血が入っている 顔を見るとなんとなく分かる
チェロキー族(だったかな)の出身とか雑誌に出てたっけ。スヌーカも実際は フィジー出身なんだけど初来日の頃はインディアン系でやってたらしいね。 風貌的にはピッタリ嵌ってたようだけど。
過去スレでも話題になった事があるけど、ブッチャーの自伝には「父親はインド人で アメリカ大陸に渡ってきた移民」とあるんだけど、別のところでは「インド人じゃなくて ネィティブだ」と言ってたらしいね。どっちが本当なんだろ。
>>814 ワフーは、人権活動家が試合までチェックに来てて困ったと言ってたな。 84年の新日MSG?キッドスミス目当てでチケット買ったのに全日に 電撃移籍で見れなくなって落ち込んだの思い出したわ
あの時のキッド&スミスの公式戦予定ってのはどうだったのか
>>819 人権活動家てのは差別されてる側の為に活動する人たち? ワフーにとっては「余計なお世話」て感じだったんかな。 >>821 英語あまり詳しくないんよw でもまぁCanadian nativeとかBlackfoot Indian fatherは まぁ分かる。自伝の翻訳のほうが間違ってたんかな。African American motherは 自伝でも「母親はアフリカ系アメリカ人」となってたね。 >>811 さんくす。 しかし、倉持が連呼する割りにはテレビで目撃したことがないんだよなあ。 >>824 俺は見た記憶がある。タッグだったかシングルだったか忘れたけど、 ブッチャーとの試合でもやってたと思うし、上のほうで話が出てるS51年の エキサイトシリーズでもやってたんじゃないかな。馬場との試合でもかなり 身長差はあるけどやってたような気が・・・ハッキリ覚えてないけどw <<805 入ってたね 最強タッグ 弟といっしょに見に行った。 2階席だったけど、満席に近い入りだった。 メインはハンセンブロディ対ファンクス 長州は会場に来て試合見てただけで、リングには上がらなかったよ。
>>823 いわゆる開拓者を皆殺しにする、残酷なインディアンのギミックをやるから、 ネイティブアメリカンへの差別を助長するってクレームくらってたんじゃね? ブッチャーて相手の攻撃をブロックして地獄突きで返すパターンをよく見せてたけど、 ワフーのチョップ攻撃に対してはそれをやった記憶がないんだよなぁ。やっぱりワフーを 象徴する代表的な技だから、一応の敬意を表してそれは控えたんかな。
>>827 そうなんかな。アメリカって日本じゃ想像もできないぐらい差別の問題が 微妙でデリケートな部分を含んでるようだから、色々あるのかもね。 前通路の席に維新軍団がズラッと並んで観てたの84年最強タッグだったか 馬場ドリーと長州谷津がノーテレビの暗い愛知県体育館でやったのが翌年の最強タッグだっけ?
>>830 本当だ❗ 記憶ではリング外からやりあってた光景しかなかったけど、長州がティーシャツ脱いだのみたら、一気に思い出がよみがえってきた。 確か契約の問題で年明けの85年じゃないと長州がリングに上がれないのを分かってて 天龍が「上がってこい!」と挑発したんだっけ。動画ではリングに上がっちゃってるけどw
>>827 ワフーは悪い開拓者に抵抗する正義のインディアンだよ 突然だけどジャイアント馬場ってフジテレビのバラエティー番組「ザ・ガマン」に出た事あったよな? 子供の頃見た予告で、馬場が若者の体にキックをやるシーンを思い出したので。 (多分馬場の16文キックを何発耐えられるかとか、そんな感じの試練) 馬場が日テレ以外の番組に出るって今考えると珍しいよな。
>>815 馬場がNWA奪取した試合で山田隆さんがそう言っていたね。 >>836 そうか? バラエティになら、何度も他局の番組に出てるが? >>825 そうですか。 ワフー入場時に倉持が毎試合「必殺のトマホークチョップであります!」と言うんだが 試合途中よそ見してるうちに終わってしまってて、はて?チョップ出たかなあ? という感じで。実際やってたんですねえ。 トマホークって斧だから物凄いチョップをイメージしてた。 >>835 実際ヨーロッパ人がよそから侵略してアメリカインディアンを 絶滅寸前まで追い込んでるのが歴史だもんね。 根深いねえ。それをリングギミックにするのがアメリカだなあ。 >>841 懐かしいなw Wトマホークやエルボードロップならぬチョップドロップもやってたんだな。 ここまでは覚えてなかったw ワフーのチョップをブロックしての地獄突きも1度だけ 見せてるね。 動画見て思ったけど、ワフーて何となくブル・ラモスと風貌が被るところがあるね。 そういやあの人もインディアン系だっけ。 ワフー人気あるな笑 それは兎も角、ワフーとブッチョーって全日本と新日本でそれぞれ1回ずつシングルマッチ やってるけど(全日は79年の最強タッグで、新日は82年だか83年に。実際はもっとやってるかも) 新日の方は雑誌で見て良く知ってるけど(お互いフォークで刺し合いして、余りに残酷だったんでテレビ放映が見 送られた)全日の方は雑誌でも見た事無いんだよな。 で、全日の試合も新日の試合も生で見た人にとってはどっちが名勝負だったんだろうな。
>>844 ブッチョーって何だよ? モビルアーマーか? アァン? ザ・ブッチャー改めデ・ブッチョー 寄席でも受けんな、、、こりゃあかん
>>845 >>846 ああああ ブッチョーじゃなくてブッチャーだったああ 我ながら死ぬ位恥ずかしい打ち間違い・・・ 80年秋のジャイアントシリーズの開幕戦の鶴田&小鹿vsロビンソン&ワフーの入場シーン、 外人組の入場曲がワフーのテーマなんだよな。 なんてロビンソンの方じゃなかったんだろう。
あの頃はそのあたりは適当だよ。 馬場・鶴田組がチャイニーズカンフーで入場してくる画像はいくらでもある。
>>829 むしろアメリカは緩い印象あるけどな ケンゾーに天皇陛下のギミックやらせて茶化そうとしたりスローターに フセインのギミックやらせたりナチスのギミックやらせたり。 さすがに黒人奴隷ギミックはないよな? 鎖につながれて登場とか
奴隷はわからんがバージルが黒人の召使いギミックやってたはず
クレームが来ることもある マイク・ショーのマッド・モンクは宗教関係からクレームが来て取りやめになった ゴールドダストは当初は「ハリウッドの性転換ファイター」だったが クレームが来て「ハリウッドの女装ファイター」に変わった
ワフーとブッチャーはジョージア地区の黄金カード アトランタのオムニで、インディアンストラップマッチで決着戦をやった時は、会場に入りきれなかったファンが暴動を起こして、州警察が動員された 強行された試合では最後、乱入した覆面とブッチャーが、ワフーをフォークで滅多刺しにしたところ場内でも暴動が起こり、州兵が動員されて、ブッチャーは命からがら脱出した
ワフーがWINGに来日した時のインタビューで、ネイティブインディアンの血が入ってるとインディアンの団体が会場に応援に来るからベビーフェースしか出来ないと言ってた インディアンでヒールをやってる奴はインディアンの血が入ってない偽インディアンレスラーだと
>>859 日米のwikiともに“ギミック”という書かれ方だね。 ブッチャーは86〜87年にエリックのWCCWにいた時、あのクーフィーヤと「アブドーラ」の名前で アラブ系の団体からクレームが来てエリックが困っているとか週プロに書いてあったな。 一時期エリックのところでクーフィーヤを被ってなかったのはそのせいだったのかな。 ヤングブラッドブラザーズの父親はメキシコ系アメリカ人のリッキー・ロメロだからインディアンの血は流れてない メキシコ系で偽インディアンを演じたレスラーは多い 映画やドラマでインディアンを演じたメキシコ系役者が多いのと同じ
有名人でマクダニエルに一番似ているのは悪役ベテラン俳優の浜田晃と思う
ブッチャーと猪木がガチンコで戦ったら どっちが勝つでしょうか?
メキシコにもインディオてのがいるから、メキシコ系だとどこかで その血が入ってる可能性もあるんじゃないかな。人種的つーか、 血統的にはアメリカやカナダのネィティブと同じと思うけど。
>>852 >>856 ケンゾーはPVが予告で流されながらさすがに日本国大使館からクレームが入り「天皇キャラ・ヒロヒト」 はキャンセルになった。スローターはWWF時代は悪の帝国・リビアのカダフィと戦う 愛国者の象徴「軍曹・サージャント」だったりキャラ変更が忙しいねw >>867 天皇キャラがキャンセルになったのは、 KENZOの嫁が、首脳陣に流暢な英語で抗議したからと聞いたが。 日本人にとっての天皇の存在とか、ちゃんと説明したらしい。 あんまりやるとスレ違いになりそうで申し訳ないが その後もロード・テンサイ(東日本大震災で天災由来?)とかWWEも懲りねえなあ 悪意とかの問題以前にあそこは本当に何も考えてないって感じ
日本のテレビ映画業界も実際に起こった事件事故をすぐにドラマ化していたけど、最近は被害者に配慮してか題材に取り上げなくなった。 それが良いことか悪いことかは別にして、昔のドラマのほうが面白かったのは確かだ。
へー、朝ドラでこんなシーンがあったのか ケンゾー頭悪そうだから嫁がいなかったら平気で天皇キャラやって ビンスにいじられまくっただろうな。今まで日本人が海外で天皇を 茶化したことなんて恐らくないはずだから右翼に標的にされて 日本に帰れなくなっただろう
>>850 鶴田&小鹿だったら逆に軍艦マーチで 入場なんて事もあったのかな? ケンゾーってそんなに頭悪いの? 猪木劇場で「ボクは自分の明るい未来が見えません!」とか 情けない事言ってたのケンゾーだよな?
>>845 俺は遊人のANGEL思い出してしまったw >>871 NHKは何気にプロレス好きだと思う。 10何年か前もEテレで悪役レスラー特集やったり、民放でもなかなかやらない企画だったな。 >>879 600こちら情報局で佐山タイガーを特集したことがあったね。 しかし身体能力の測定などを取材しただけで肝心の試合は撮らなかった。曰く「NHKは流血とかNGなんです」 NHKの局倫理がネックとなったようだが、現在は緩和されていることと思う。 >>880 > 600こちら情報局で佐山タイガーを特集したことがあったね。 あった、あった。 あと、同じくらいの時期に確か?「テレビスポーツ教室」で 新日道場の練習、スタジオで披露してた。猪木が実技指導してた覚えある。 20年くらい前には夜中に、何故かレスラー出演の番組を一挙再放送してたな。 その中で、馬場や鶴田が出演したインタビュー番組か何かもやってた。 >>881 テレビスポーツ教室の猪木w 凄く見たいな それは俺も見たいけど、テーマは「体力作り」か何かだったんかな。 あと連想ゲームに猪木やマイティ井上がゲストで出た事もあったね。 加藤芳郎が「黄色」とヒントを出したら正解は「タンポポ」だったんだけど、 猪木が「信号」と答えて客席から笑いが起きたのを覚えてる。 つーか、元々1953年に日プロや日テレができるまではNHKがプロレスを 放送してたんだっけ。違ったかな。
フレアーも68歳か・・・別にファンでもなかったけど、歴史に名を残す偉大な レスラーなのは間違いないだろうね。一日も早い快復を祈ります。
>>883 連想ゲームで、猪木は 「デスロック!」って答えも出してたな。 そんな答えあるわけないだろって思った。 >>887 それはちょっと覚えてないけどw NHKじゃないけど、TBSの「クイズ100人に聞きました」に 猪木のチームが出た事もあったね。ず〜っと0点のままで司会の関口宏に「ダメなチーム」 「こんなチームも珍しい」なんて言われてたw 昭和全日スレで猪木の話ばかりするのも 何だからこれぐらいにしとくけど。 >>879 たぶんNHKだったと思うが天龍と鶴田の嫁が共演してるの 見たことある。天龍の嫁がテレビ出てるの初めて 見たんで衝撃だった >>890 あと元子な。 3人でひるのプレゼントに出た。 全日レスラーのTV出演だとトップテンに鶴田がCCBのメンバーがファンだという理由で ゲスト出演してたの覚えてる。CCBのメンバーにコブラツイストだったか技かけてたw
85、6年頃フジでザ・サンデーって番組があり、堺正章と田代神がMCで、さんまにキョンキョンにデーモンもいてやたら豪華だった。 長与がゲストで「男子レスラーに技をかける夢を叶えて」という事で鶴田が出てきた。 用意されたリングの上で長与をヘッドロックに捉える鶴田、長与がバックドロップに持ち上げようとするが当然上がらない。 田代が横から「千種、パンツの線見えてるぞ!」と茶々を入れると、何故か鶴田が田代に襲いかかり、 リング外を逃げ回る田代を押さえつけた鶴田、長与がミサイルキック、 「こいつらマジだもんシャレになんねえよ!」と半泣きの田代神。 ワケわからんうちに撤収して長与が新曲を歌いだした。 何故か覚えているのは翌週か翌々週の週プロの読者コーナーに、 「ザ・サンデー見たけど新日本のファンで良かった!あんなことを新日レスラーにやられたら、僕はプロレスファンを速攻でやめます!」 という投稿が載っていた。それを載せる週プロも週プロ。
>>890 それはゴングのジャングルリングでもネタにされてたな リック・フレアーは 日本での一番印象深い試合として ジャンボ鶴田との60分フルタイム戦を一貫して挙げていた。
フレアー全日初登場は78年だったな。国際時代はちょっと知らない、リアル体験はこのあたりからの昭和ファン。 月刊紙でもカレの全米でのファイトがよくグラビアや記事で取り上げられてた頃で、来日時も派手なラメのガウンで 両手をあげ、伊達男アピールで入場するんだが、地方の体育館なのでなんか体温差が歴然ww 皆ポカーン。 でも振り返ってみるとアメプロのこういうエンタメテイストってもうずーっと受け継がれているんだと つくづく感慨にふけるわけで。。
ギャラクシーエクスプレスは、後々NWA世界ヘビー級王者のテーマって言われるようになるけど、 フレアーがNWA奪取前の1978年の来日時に使ってるんだよね。 ジャンボのUNに挑戦した試合で使ってた。
馬場のフレアー評は辛口だったな バディ ロジャースのパチ物扱い
>>897 歌詞が秀逸だったろ。 ♪ゆーけーーー 世界のおうじゃーーー ♪たおせーーー 世界のもうじゃーーー ♪まっもれーーー 金色に かーがやくー 正直子供の頃はイロモノと思ってたが大人になって藤波戦や猪木戦見たら 二人よりもレスリング力は上だったな
>>898 桜井康雄も、バディロジャースのニセモノ扱いで酷評していたよね。 決して仲の良くない、馬場と桜井が同じような評価していて笑えたな。 >>898 王道十六文では「フレアーにはスターとしての資質があった」と書いてあるよ ただバディ・ロジャースと比べると「ロジャースはあんなもんじゃなかった」になってしまう 馬場にとってロジャースは間違いなく史上最高のプロレスラーだからな 何年か前に鈴木みのるが「一生でプロレスをあと1試合しか見れないとしたら、迷わず天龍vsフレアー」と言っていたね
フレアーとか無理矢理いいところ探して楽しむ趣味はないなあ 本気でフレアーの試合見てすごいとか面白いとか思えるの、お前ら?
>>904 私はすごいとは思っていないし、すごいとも書いていないよ? 83年頃にゴングでプロレス版友達の輪とかの連載企画で桜井が友達で指名したのは馬場
Sの天龍対フレアーは名勝負だったがフレアーが攻めまくってる試合で異質な印象があるわ。フレアーらしさでいえば輪島戦なんかよかった
凄いのかどうかは解らないが、フレアーのファイトスタイルって完全にアメリカのショーマンスタイルで 日本人が強いと思うタイプとは全く違うレスラー。しかし日本スタイルに変えるわけでなく、言い換えれば 不器用でもあったが、それでも世界王者として鶴田や天龍らと試合を構築していった「実力」は認めざるを得ない。
シーク相手のPWF初防衛戦 セコンド陣の顔触れも初々しい
新人時代のフレアーて酷い塩レスラーだったらしいね。マードックには「お前はプロレスに 向いてない。力だけはあるんだから土方かダンプの運転手になったほうがいい」と言われたし、 国際プロレスに来た時もあるレスラーが「あいつが3年間プロレスラーとしてやれたら俺は裸で 東京タワーに登ってやる」なんて言ったらしい。昔のプロレス雑誌にそんな話が出てた。 まぁ凄いと思うか、面白いと思うかは人それぞれだろうけど、後年大化けした部類なのは 間違いないだろうね。
フレアーが大きく変わったと言われるのがバレンタインと同乗した飛行機事故 馳もそうだが死線を超えて何かが変わったのか
列伝のフレアーは、間違いだらけではなかった、ってことでいんですかね。
ブッチャーが試合後に食事に誘ってアドバイスしたとかの話は 多分違うだろうと思うけどねw
プロレス漫画スレにも書いたけど、列伝で一番笑ったのはブッチャーが幼い頃に 母親が亡くなった事になってたけど、同時期に出たプロレスアルバムにブッチャーと 母親が一緒に写ってたw
フレアーの列伝はアンドレに対するコンプレックスが、書かれてたな。
>>915 母親が複数いてもおかしくはないさwww 倉持はロビンソン戦のブックを知ってて実況してるなw
全日も新日も、アナは当然、ブックを知らされていたし、テレビカメラマンは、誰がどこで流血するかも知ってカメラワークをやってた
>>904 正直、典型的なダーティチャンプで短足で足4の字固めが得意な 試合もつまらないけどNWA世界王者で鶴田らと防衛戦やるから 見てただけ。NWAベルト巻いてなきゃつまらんかった。 ただ専門誌の外人レスラーのインタビューで、ロニー・ガービンだかスティングだか おれはピンを取らせないで有名なフレアーに勝ったとか、フレアーを尊敬する記事を見て、 凄い名レスラーレジェンドと思わなければプオタでいられないと正直思ってた。 1981年9月17日、フレアーはダスティ・ローデスに勝って第62代チャンピオンになった フレアーは当時のNWA会長ジム・クロケットJr.のお気に入りでチャンスは数多く与えられていた そういった後ろ楯も有り、1度はチャンピオンに成るだろうけど、それはあくまで短命で 以降は鋼鉄男二世<eッド・デビアスが長期政権を築くというのが 当時の専門家の評価だった。なのに、デビアスは残念ながら、 一度もチャンピオンになれなかった。
>>904 誰が無理やりいいこと探せと言ったんだ?みんなが無理やり良いとこ探して褒めてると思ってるのか? 好きじゃないなら黙ってりゃいいのに。 フレアー面白いやん。 手を前に出して「ノーノー」ってポーズとか。 あと、あんだけノラリクラリやってて全然飽きさせないのがすごい。 >>922 デビアスの後ろ盾になってたプロモーターはビル・ワット 当時ワットはMSWAを主催して、ワット王国と言われる程繁盛していたが、NWAとは一線を引いていたので、それがNWA王座から遠退く一因になった >>925 Wikiでは1979年にWWFに行って、ホーガンのデビュー戦で敗け役やってる。 いわゆる移籍癖があるし、そんなのをNWAが王者に据えるわけがない。 簡単に負けブックを飲むからフレアーに何度も挑戦してただけだろ。 もう少しプロレス学べよ デビアスって1979年当時は本当に噛ませ犬の待遇でWWFに呼ばれたんだな。 インターコンチネンタル王座の元になったんだな。 ダウンロード&関連動画>> VIDEO 下手とかという意味とは別に デビアスはハンセンと組むべきではなかったと思う 髭を生やしてからのデビアスはなんか無理してる感じがある
フレアーは「今でも「なぜ私がこの男より上に行けたのだろう?」と不思議に思うレスラーがテッド・デビアスだ 彼はあらゆる面で私より上であり才能があった」と言ってたね
>>910 ゴングで国プロでの初来日時の写真を見るとGIカットにチビで小太りで のちの「狂乱の貴公子」の面影が全く無く華のあるアウトローズと三人で並んでいても かわいそうなくらい地味だった・・・ >>897 青森の野辺地。梅垣Dによるとここで初めて「ギャラクシーエクスプレス」を初披露したけど 「地方のお客さんには(良さが)わからなかったかも・・・」と話していたw >>932 これは単なるお世辞だろう デビアスは絶望的に華がない だからこそのミリオンダラーマンだろうからね 俺は地味レスラーは好きだけど デビアスは養父、母親がプロレスラー。養父がリング上で死亡したせいで 周りから同情というか、エコ贔屓された面があるんじゃ。 馬場さんもデビアスは「眼が細いのが欠点」、と言ってたと記憶してるけど見てくれが地味過ぎ。 サイズがテクニシャンにしてはやや大き過ぎ、とは云えパワー系というほどのゴツさもないし中途半端。
UN王座を巡って天龍と戦うはずだったデビット・フォン・エリックが急死 偉大な父フリッツに一番近い男と言われたデビットの死を誰もが惜しんだ その流れでプロレスマスコミが時の世界王者フレアーに 「デビットが生きていたら、貴方の王座も脅かされていたと思いますか?」と質問したら 「まったく思わない、父親の後ろ盾で一度は王者になれたかもしれないが、 長期政権を築くなんて絶対にない」と辛辣だった
アメリカ人でデビアスのサイズはバカでかいわけではないだろうけど やはり190pオーバーのNWAチャンピオンというのはあるべきだったんじゃないかな。 ドリー以来いないでしょ? ローデスとかフレアーとか一般アメリカ人にとっても普通サイズではなにかありがたみが……。 その点でデビッドはあってよかったんだと思うな。
NWA王者で体が大きくて強そうなのは キニスキーくらいじゃないかな エリック、ブラジル、ジョナサン アンドレ、ブロディあたりは王者になっていないし
レイ・キャンディがインタータッグ巻いた頃は お腹もそんなに出てないし、背も高いから見た目凄いゴツいんだよな。 いいレスラーに揉まれればジョナサンやベイダーみたいになったんじゃないかと思うけど、どんどん太って冷蔵庫みたいな体型になって、只の巨漢レスラーになってしまった。
デビアスは時々アジア人のように見えるときがあった 友達の光信君にそっくりなんだよな
――AWAやWWFと違って、NWAという組織は各地区のプロモーターの集合体になるんですよね。 小佐野 わかりやすくというと、WWFは独立国的な感じでNWAは合衆国なんですよね。AWAは独立国と合衆国の中間的な存在かな。 アメリカのほとんどの州にプロレスのプロモーターが存在してたんです。テキサスなんかは広いから何人もいた。それぞれが独立採算 制でやっていたんだけど、NWA世界ヘビー級チャンピオンという共通の王者を認定していて。そのチャンピオンがNWAに加盟している 各テリトリーを回る。年間のスケジュールもきっちり決まっていて、世界王者が興行を支えるわけですよね。世界チャンピオンの役目は そのテリトリーの観客動員を増やすこと。それができるレスラーじゃないといけない。 ――そうなると、NWA王者に求められるものは人気なんですか? 小佐野 基本的にNWA世界王者はヒールなんです。各テリトリーに存在するローカル王者の挑戦を受けるわけですから、ファンは挑戦者を 応援するじゃないですか。ヒールじゃないといけない。 ――なるほど。たとえば全日本プロレスはNWAに加盟しているけど、全日本にもチャンピオンは存在しますね。そのローカルチャンピオンの 挑戦を受けることでその土地の興行に貢献するわけですね。 小佐野 そうなるとファンに「もうちょっとで勝てそうだ!」とドキドキさせるヒールじゃないといけない。それはもともとはベビーフェイス でもヒールができるかどうかなんです。反則三昧のヒールでなくてもいいですよ。ドリー・ファンク・ジュニアみたいに華麗なテクニシャンぶり が嫌味に見えたりしてもいい(笑)。ルー・テーズが日本に来たときだって、ロープ際で力道山の顔面にパンチを入れたり、そういう小狡いこと をやってお客さんを煽るわけですよね。 ――そうやって「おらが村」の王者に引き立てるわけですね。 小佐野 逆にプロモーターの集合体ではないWWFなんかは、ブルーノ・サンマルチノというベビーフェイスが王者でいいんです。AWAはNWAの ように連合体の側面もあったから、ヒールの王者が多かったかなあ。ベビーだったのはリック・マーテルくらい。ジャンボ鶴田もヒールだったでしょ。 やってることは日本と同じなんだけどね。
――NWAやAWAに“伏魔殿”のイメージが強かったのは、そういった組織の構造上、ヒール王者が求められていたところもあったんですね。 小佐野 “幻の王座奪取”、“疑惑の3カウント”が多かったよね(笑)。NWA王者は見かけがムキムキマンで強そうであってもダメだし、 もちろん弱くてもダメ。基本、強くなきゃダメなんですよ。中には本当に潰しにくる挑戦者が出てきてもおかしくないから。そこできちんと 対処することも世界チャンピオンとしての責務。つまりガチンコに強くないとダメなんだよね。相手は何をしてくるかわからないんだから。 ――そうするとハーリー・レイスなんかはピッタリだったわけですね。 小佐野 レイスはスタイルも受けだし、そうして怒ったら本当に怖い(笑)。そこに各地のプロモーターが納得するような人間性も求めら れるんです。中には才能はあるのにチャンスすら与えられないレスラーもいるわけですよ。たとえばディック・マードックは強くてヒールも できるのに「アイツは無理だろ」と認められなかった。ムラッ気のあるマードックにNWA王者としての責務をこなせるかは不安ですよね。 ――たしかにマードックは難しそう(笑)。 小佐野 NWA王者は1週間のサイクルでいろんな土地を渡り歩くわけでしょ。どこへ行っても、それなりのクオリティで試合をこなさないと いけない。よく知らない相手といきなり試合をしなきゃいけない。しかも60分フルタイムドローの試合も多かったわけじゃない。 ――それって凄い技量の持ち主ですよねぇ。四天王プロレス以降の近代日本プロレスって、何回も手を合わせることで試合のクオリティを 上げてきましたけど。 小佐野 ドリーが日本プロレスにNWAチャンピオンとして来日したとき「アントニオ猪木の試合を見たこともない。記者会見で初めて会った」 というのに翌日60分フルタイムドローの試合をやったわけだからね。 ――凄いなあ!(笑)。 小佐野 そこは猪木さんも凄いんだけど、ドリーのプライドはそこにあったわけだから。誰が相手でも自分は一流の試合ができると。 さらに驚愕なのはドリーはキャリア6年でNWAチャンプになったわけだからね。
――ドリーって20代で王者になってますけど、エリート中のエリートだったんですね(笑)。 小佐野 NWA王者のスケジュールは、セントルイスのプロモーターでNWA会長のサム・マソニックが切っていたから。 彼が王者の力量があるかどうか認めないとチャンスはもらえないんだけど。ドリーの場合は父親のシニアがプロモーター として力を持っていたとこもあるんだろうけど。アマリロのシニアがドリー、カンザスのボブ・ガイゲルがハーリー・レイス、 フロリダのエディ・グラハムがジャック・ブリスコという一流レスラーを抱えていた。 ――政治力がモノを言う世界でもあったんですか? 小佐野 そういうわけでもない。だって自分のテリトリーから世界チャンピオンが出たら、そのレスラーは世界中をサーキット しないといけないんだから。自分のテリトリーに常時いたスターがいなくなっちゃうわけだからね(笑)。だからちゃんと次期 エースを確立しておかないといけないんだよね。 ――変な話ですけど、そんなに多忙だと、チャンスがあってもNWA王者になりたくないレスラーもいたんじゃないですか? 小佐野 ドリーはもうなりたくなかった。テリーもたぶんなりたくなかった。それは家庭が壊れちゃうから。テリーはNWA王者時代に 離婚しちゃって、チャンピオンから陥落してから再婚してる。チャンピオンのままだと離婚した奥さんを迎えにいけなかったんでしょう。 ――サーキットに出っぱなしでほとんど家に帰れなかったんでしょうしねぇ。 小佐野 だから「もういいや、NWA王者は無理!」というレスラーはいたのかもしれないね。やっぱり責任が大きいもん。
――そう考えると8度もNWA王座に就いているハーリー・レイスは、おかしなことやってますよね(笑)。 小佐野 だって自分だけの身体じゃないからね。ケガして欠場したらプロモーターが困るんですよ。 ――ケガすらできない! 小佐野 だってケガして休んだらスケジュールに穴を空けて、そのテリトリーに不利益をもたらすわけだから。 ――お話を聞くと、アンドレ・ザ・ジャイアントがNWA王者になれなかった理由がわかりました。いろいろと無理かなあ。 小佐野 まずアンドレだとベビーフェイスすぎるでしょ。世界中どこに行っても人気者だし、それにアンドレがNWA王者だと…… 挑戦者が勝てそうな感じがしないでしょ(笑)。 ――勝利への期待感がないわけですね(笑)。 小佐野 だからアンドレはピープルズ・チャンプというかたちのスーパースターだったんだろうね。 ――ところで小佐野さんが認めるNWA最高の王者は誰になりますか? 小佐野 そうですね……やっぱりドリーかなあ。レイスもよかったと思うけど、日本人は世界チャンピオンをヒールとして 見ないじゃない。リスペクトの対象に見てるから。そういう意味ではレイスはヒール色が強いよね。ドリーは初来日のときは シニアがセコンドとしてリング外からちょっかいを出していたけど。基本はレスリングの実力者としてのイメージが強かったからね。
――リック・フレアーはどうですか? 小佐野 フレアーになると、プロモーターが認めるNWA世界チャンピオンのイメージだよね(笑)。 相手の攻撃に「NO!NO!」と怯んでさ。それにフレアーはそんなに身体が大きくないでしょ。 地元のファンは「フレアーになら勝てるだろ!」と思うわけですよ(笑)。 ――輪島が挑戦したときすら「もしや……」と思わせる雰囲気はありましたね(笑)。 小佐野 でも、WWEがハルク・ホーガンを擁して全米侵攻したときにNWAは太刀打ちできなかったわけですよね。 テレビというメディアで全米に試合が流れるようになったら、チャンピオンは強いベビーフェイスでいいんですよね。 ファンからすれば、ホーガンという圧倒的に強いベビーフェイスのチャンピオンを見たあとに、NWAのヒール王者を 見ると「……なんだこりゃ?」って思いますよね。 ――テレビプロレスによって歴史的転換が起きたんですね。
力道山、猪木、インター時代の馬場は 圧倒的にベビーだったけど PWF時代の馬場や鶴田は その割合は薄くなってる気がする
デビアスって実際にそれほど大きく見えないんだよな いわば華というよりアクというか毒がないような気がする だから後に鬚を加えた感じで
デビアスの入場テーマって何だっけ? 記憶にないな。
>>949 天龍とのUN戦の時は サンダーストームの鳴り響く中で ひっそりと入場してたなw デビアスが初来日した時、鶴田は「アメリカにもああいうレスラーがいるし、 侮れませんね」と言ったらしいね。将来自分のライバルになるだろうとも。 名前忘れたけど、それ聞いた記者はデビアスが地味すぎてそうは思えなかった らしいけど。
何か必殺技があればねえ。 パワースラムだけではきつい
デビアスとかドリーは190以上あって生で見るとかなり背が高いんだけど 横幅とか厚みがないからデカく見えないんだろな。デビアスとハンセンて 背は同じくらいだろ
>>923 亜あ、フレアー見て面白いとか言っちゃう人なんだ 面白がるフリとか下らないから止めようぜ(笑) フレアー見て面白いと思う人がいたっていいじゃんw 俺自身は別に面白いとも思わないけど、そこは人それぞれでしょ。
>>720 ゴングのインタビューなんてジミー鈴木が下手くそな英語で外国人選手と挨拶しただけの話を適当に日本のライターがまとめ上げただけだもんな 古い話蒸し返すようで恐縮だけど、過去スレで「よく言われないレスラー、 悪く言われないレスラー」が話題になった事あるけど、デビアスを悪く言う レスラーや関係者って聞いた事ないような。俺が知らないだけかもしれんけど。
>>956 すまない、俺は子供の頃、フレアーの試合を見て「ほほう、これは…」なんて呟いているような大人になっちゃいけないと誓ったんだ >>958 デビアスは話題に出ないレベルなだけだろ。 誰もロンバスがいい人悪い人とか興味ないように >>959 あんたがそう誓ったならそれはそれでいいよw でもそうじゃない人がいてもいいわけでさ。 繰り返すけど、人それぞれでいんじゃない? デビアスはうまくまとまり過ぎていた感じはあるな。 アメリカでは「パーフェクト・レスリング・マシーン」なんてファンから言われていた。 言い得て妙、確かにデビアスのレスリングは精密機械のようだw それだけに破天荒なハンセンにとってはバランスのとれた格好のパートナーだった。
>>960 一応はトップレスラーの仲間入りしてると見ていいと思うんだけどね。 話題に出ないレベルとまでも思えないけど。 「 私はNWA王者だった頃、よく“自分にとって変われる存在は誰か”という自問自答をしていた。 多くの人は故デビット・フォン・エリックの名前を挙げ、彼が生きていれば私の王座はもっと短かっただろうと言う。 しかし、それは間違いだ。もし彼が生きていても、私は絶対に彼に負けて王座を失うことがなかったと、断言できる。 逆に”どうして負けずに済んだのだろう”と不思議に思うのがテッド・デビアスだ。彼はいろいろな面で私以上に才能があり、実力があった」 (リック・フレアー) 「 一番強かった外人選手…凄いのはベイダーですけど、 うまいのは、テッド・デビアス。これはかなわんなと思いましたね」 (秋山準) 「 デビアスは非常に真面目で、レスリングも、人間的にもプロモーターから信頼されている。 “オレはチャンピオンになるんだ”という自覚と気力をはっきり持っている。 今のまま真面目にやっていけば、必ず、NWA世界選手権者として世界の最高峰に君臨できる男だ」 (ジャイアント馬場)
デビアスとかニックはよく巧いと言われるがこれは実際に肌を合わせないと ファン目線じゃわからないんだろな。ソープ嬢なんかでもたまに とんでもないテクニシャンがいて遅漏の俺があっという間にイカされることが あるがあれと同じ感覚だろう
秋山は最後のギリギリでデビアスと対戦出来たんだよな まさに昭和からのタイムスリップという感じだったが
ホントにハンセンと並んでも遜色なかった >>966 ちなみにデビアスの現役最後の対戦相手 日本:ブッチャー&キマラ(93/11/15 戸田市スポーツセンター) アメリカ:ティト・サンタナ(93/10/28 アマリロシビックセンター) サンタナは大学時代、同じフットボール部の同学年。場所がアマリロというのも不思議な縁だった。 ブッチャーはブロディの生涯最後の相手でもあったし、ハンセンの二大パートナーの現役最後の相手になっている。 >>967 93年9月3日 日本武道館大会だな。 デビアスが6年ぶりに全日本に復帰したこの試合、見に行ったよ。 鶴田VSデビアス 日米ハンサム対決 カバ対決じゃんって子供の俺は思ってた
デビアスって若いころ真面目そうだったよな、まさかミリオンダラーマンになるとはw
>>958 サンマルチノ(ブルーノ)はああ見えてひどい黒人差別主義者だったらしい。 ビル・ワットが日本でやりたい放題やった理由は、アート・ネルソンに「日本では何 やっても良いんだぜ」と焚き付けられた、戦争中日本人に家族友人を殺され、それで日本人 嫌いになった等諸説あるみたい。 スカル・マーフィーはマジで性格悪いらしい。 レイスが最後のNWA王者時代、日本でデビアス相手に防衛戦を行った。 結果は首固めでレイスが防衛を果たし試合後のコメント。 「(デビアスは)必ず世界チャンピオンになる男。但し俺の引退後!」
>>928 当時のWWFはNWAの傘下じゃないのか? >>973 その話は過去スレでも聞いたけど、サンマルチノだってイタリア系だし、 どっちかったら差別を受ける立場の側だったんじゃないかと思うんだけどね。 サンマルチノ自身が差別を受けたかどうかは別にして。そんなサンマルチノが 黒人差別主義者てのは、ちょっと解せないところはある。 >>970 この日はマイティ井上が試合中に失神してレフェリーがカウントを止めたあと困った顔をした大森が改めてフライングボディプレスやってフォール勝ちするという糞ダサい試合があって、 なんか最後まで館内が妙に白けていた記憶がある >>976 イタリア系がマイノリティだから黒人差別しないってのは無いと思うけど、 サンマルチノは全盛時代にボボ・ブラジルとよくタッグ組んでて、このコンビ人気あったらしいよね。 まあ、中には相手になって体触れ合うくらいならタッグ組んでしまったほうが良いと差別的に考えるレスラーもいるらしいが、サンマルチノはどうだったのかね。 >>978 おれはまだイタリア系で、 ニガーどもより上だぞとかあったのかな。 でもそれだとアジア人の馬場と親友ってのも変な話なんだよね。。。 真相はわからんが、当時は黒人の中にもブラックパンサー団とか、 暴力容認してたり、公民権運動のごたごたに紛れで犯罪やりまくったり、 麻薬を広めてたりとかしてたから、個人的な何かトラブルがあったのかもしれん。 ま、ある程度規律があったイタリアマフィアと違って当時の一部の黒人の素行がむちゃくちゃ悪かったのは事実だ。 ブッチャーVS サンマルチノ 日本で見たかった それとブッチャーの離脱がもし、なかったら 10月の創立10周年の蔵前決戦のメインはどんな カードになってたんだろうなんて 考えてしまった。
>>976 マイノリティだからこそ、その中でもまた差別があるんだよ。屈辱を受けた仕返しは同じ事をより下の者に行う、ってのは人類の繰り返された歴史だからね。 ただし、サンマルチノは人格者だったというのは沢山の証言があるから、そういうのがなかったと思いたいけどね。 >>980 全日本は記念イベントでは「夢のカード」をマッチメイクしたがるから、馬場、ファンクス対ブッチャー、ブロディ、レイス組とかかな? >>948 デビアスは背中や胸の筋肉が大きいし腹も全く出ていない。 そして脂肪がついて打たれ強さもありそう。 今見るとブロディの身体を少し丸くやわらかくした感じだ。 顔が地味とか言われるけど目鼻はスティーブンセガールよりいいだろう。 金髪髭にもっとはやくなっていたらNWA王者になれたのかもと思う。 ただ王者になって来ても日本で客入りは望めなさそう。 鶴田と防衛戦は黒磯、天龍とは三条って感じだよなあ。 >>962 超獣コンビよりハンセン&デビアスの方が隙きが無い分だけ手強いと馬場はコメント していた。ブロディから奥の手のコーナーポスト最上段からのニードロップを喰らった から実力者のはず。列伝でも描かれたオーストラリアでアンドレもくらって幻のファール負け をした記録がある。日本でコレをくらったのは他は天龍か・・・ >>981 MSGでの新人時代に「イタ公とジャップ!」とファンや一部の同僚レスラーから蔑まれながら 切磋琢磨してファイトした馬場との友情話がある。そんな中でも既にスーパースターだった ロッカは偉ぶるわけでなく「ヘイ!ボーイ!」と絶えず明るく声をかけてきて好感を持ったが アトキンスは「あんな奴レスラーじゃねー」となぜか?低評価だった・・・ アメリカの刑務所だとトップが黒人で次がヒスパニック、白人、 最下層がアジア人なんだよな。日本人が向こうの刑務所収監されたら いじめられまくって掘られまくるから間違ってもアメリカで犯罪は犯しては ならない
>>968 別に無理してないな。 髭面の方が合ってるな。 ミリオンダラーマンの時も生やしてたから、評判良かったんだろ。 >>984 トップロープからのキングコングニーは輪島が食らってなかったっけ? >>981 セーラー・トーマスとの一件しか知らないけど他にもあるの? 単なる個人的な諍いだった可能性もあるし >>893 その番組観ました。 その後、田代が「プロレス技をかけてきた鶴田が嫌い」ってテレビでよく言っていたのを観た。 いま思えば、田代はかけられて当然じゃん、って思う。 >>984 >MSGでの新人時代に「イタ公とジャップ!」とファンや >一部の同僚レスラーから蔑まれながら >切磋琢磨してファイトした馬場との友情話がある それ、梶原一騎の創作みたいだぞ。 「1964年のジャイアント・馬場」の中で、筆者の柳沢健が、 サンマルチノにインタビューしたら、新人時代はおろか、 G・馬場とのWWWF世界戦も覚えていないとのこと(苦笑)。 日本に初来日した時(1967年)に、友情が芽生えたとか。 >>991 柳澤は信用しちゃダメ 今売ってるUWF本で亡くなっているゴッチのエピソードを捏造してソースとされてる更級が否定するはめになったり 取材してもいない猪木や藤原の会話が「」付きで創作されていたりと、ノンフィクション(笑)というジャンルのズンドコぶりを教えてくれた輩ですよ >>991-992 サンマルチノの何回目かの来日の時、雑誌でファンからの「初めて馬場に会った時の 印象は?」という問いに「日本人にも随分大きい奴がいるんだな!と驚いた」と答えてたけどね。 馬場の最初のアメリカ遠征時の話だと思うけど。 そんでこれは過去スレにも書いた事あるけど、S54年頃にブッチャーがデラプロの インタビューでサンマルチノに関して「闘った事はないが、とても紳士的な態度だった」 と答えてた。とするとサンマルチノが黒人差別主義者てのもどうなんだろう?て気もする。 また「そんなもん記者の創作に決まってる」と言われるかもしれんけどw >>984 アトキンスは「あんな飛んだり跳ねたりするだけの奴はレスラーじゃない」と、 ロッカを酷評してたみたいね。想像だけど、恐らくアトキンスには「リング中央で ガッ!と組みあうところから始まるのがプロレス」という哲学?みたいのがあって、 ロッカはそれとは相容れない存在だったんだろうと思う。 ロッカが力道山時代に来日してたらやはり大インパクトだったかな
また列伝の話になるけど、力道山は何とかしてロッカを呼ぼうとしたんだけど、 ついに呼べなかったほどの大物。その大物にあやかってリングネームにしただけでも 力道山の猪木に対する期待の大きさが分かろうというもの、なんて話が出てくるね。
>>994 馬場が全日旗揚げ前にサンマルチノのところへ挨拶に行ったら事務所にブッチャーがいたって話になってるけど、なんかピンとこない。 サンマルチノとブッチャーは同じテリトリーにいたことがあったのかな? >>998 俺もその話は何かで目にした記憶がある。確か場所はピッツバーグだったかな。 二人が同じテリトリーにいた事があるかどうかはちょっと分からんけど。 ただブッチャーはブルーザーがプロモートする地区でファイトしてた事があるし、 サンマルチノとブルーザーがコンビ組んでる写真を雑誌で見た事あるから、 もしかしたらその辺の繋がりかも。全然関係ないかもしれんけど。 rm
lud20170827185437ca
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