維震軍興行は余計だった。勢いもすっかり落ちた頃(結成4年目)だし。
越中vsサブゥーでチケット買う奴なんかいないだろw
>>4
蝶野も維震軍の地方巡業で
本隊の大会と違ってこんなにも
客が入らないものかと愕然としたみたい。 あれは長州のくだらない面子で「ウチの二軍でもインディを丸ごと吹っ飛ばせる!」て始まったものだから維震にしてみりゃ良い迷惑だった
前名は「反選手会同盟」
つまり「反選手会=体制側」
侍ファクトリーはいいネーミングだったのに何故ボツになったのか
レスラーとして実力があってプヲタに人気もそこそこあって、それでも客がさっぱり呼べない選手っているよね。
マニアだけに支持される選手。
実力があるのと売れるかどうかは全然別の話。
成功してたらWWEみたいな2リーグ制を今もやってたのかな
団体名も平成維震プロレスということでHIPでもよかったかも。
越中って終盤長州に言われてブック書くの手伝ってたからな
扱いやすい負け役でもあったし
反選手会同盟の時は熱かった
コバクニと彰俊の試合なんて、最後の昭和新日って感じで今見ても面白い
ただ、維震軍になってからはなぁ
二軍丸出しだったもんな
シンと越中の遺恨とか、わけわからんかったし
長州からすれば客は入らなくても大赤出さないでトントンなら余剰人員の有効活用
になるしもし入れば2チームで巡業の布石になるしどっちでもよかったのかもね
誠心会館vs新日とか会場のヒートがヤバいもんな
プロレスの理想形だよな
看板持って泣く館長とアキトシ、俺も感動して泣いてたぞw
アキトシの切れ長な目が結構ハンサムだからあの熱い若いファイトは絵になったんだよなあ
越中さんはいいレスラーだが
配下を食わせるカリスマ性はなかった
とは言え団体内団体のトップだから存在感を発揮できたのも事実
一匹狼はあの時代の新日では埋没した
やはり、もう少し越中に次ぐ二番手三番手にそれなりに鼻のあるレスラー、技のあるレスラーが欲しかったところだ
青柳、カブキはもちろんパットしなかったが
小原後藤斎藤、このあたりの力不足
解散したあとに越中木村小原後藤でIWGPタッグタイトルが組まれたのは
ご苦労さん会みたいな会社の報奨みたいなもんだったのかね
反選手会同盟がWARと戦った一発目のWAR横アリ
青柳館長vs折原は館長の鮮やか過ぎる蹴りが冴えわたった
館長の一方的な試合だったが今にして思えば
折原の受けっぷりの良さも重要な要素だった
平成維震軍旗揚げ戦前にファイトだかに出ていた。
越中「何枚チケット売れてる?」
営業「・・・」
越中「言ってみろ」
営業「6枚です」
越中「6枚!?たった6枚かよ!?」
でもまぁ詩郎も大したもんだったよ、うん
アレだったけどうんアレだったけど
旗揚げ戦をNKホールでやったんだよな…
今思えば強気だった
94年夏の平成維震軍サバイバル85が面白かった
越中、カブキ、コバクニが連日6人タッグ
健悟、ゴタツ、小原、彰俊がシングルで結局トータルで41勝44敗だったかな
対戦相手もヤングライオン以外の本隊、レイジング残党、ゲスト参戦してた藤原組長、谷津、仲野がいた
いつの間にか消滅している軍団とか
多い中ちゃんとした形での解散会見を開いた
ことでここまでキレイな形で終わった軍団はない
ってことで高い評価されてたね。
>>11
蝶野も狼軍団として維震軍興行に参加してたのに客が入らないって事は
蝶野自身の集客能力も大したこと無いって事
その現実から目をそらして
越中だけを責め立てる卑しい根性は感心できないな
橋本のゼロワンも失敗したし、武藤の新生全日本もいろんな人間を不幸にした
三銃士の中で一番集客能力の無い蝶野は身の程をわきまえてはいるが NWO〜T2000の蝶野全盛期、
越中とシングルやるとだいたい越中が勝つってイメージがあった。
ところで、ケンコバがブレイクしても
越中さんはメディアに全然出てこないよな
よっぽど、控え目でいい人なんだうな。
>>21
>コバクニと彰俊の試合、
92年1月、大田区体育館だね。
生観戦したが、観客総立ちだったよ。
ただあの時は、まだ反選手会同盟じゃないんだよね。
ただ、小林と誠心館が抗争していた。それに越中が加わり
5月に越中が青柳を倒し、決着が付いた。
その後、6月に誠心館の自主興行に、新日の制止を振り切り
越中と小林が参加。新日、この二人を無期限出場停止処分に、
越中&小林、新日選手会離脱=反選手会同盟と名乗る。 >>36
成功したのはみんなを幸せにしたWJだけか
失敗してるとみんなが言うけどアレだぞ
今でもど真ん中という言葉を真治たちが実況で使ってるだろ?新日本プロレスはWJなんだよ。真治がG1はストロングスタイルのど真ん中と言ってたんだから成功なんだようん。 >>33
自分も好きだった…シングルも主力メンバーとの総当たりって感じでおもしろかった テコ入れのためか、山ちゃんの新日参戦はじめての試合が、なぜか維震軍興行での後藤戦。
なんか、もったいなかったな。
毎回会場は沸かせるけどその人目当てでチケット買ってるわけではないって点でも今だと石井か
当時ネバーみたいなベルトがあればな
>>43
この試合すごい良かったよ、薄暗い会場の感じと合ってた
試合後長州が後藤のグラウンドでテークダウンとられるとかやっぱ山崎は軽いなウンとか当時ピンとこなかったけど安生戦関連のコメントで意味がわかった 95年の5月、大田区体育館で
長州率いる維新軍と5対5対抗戦をやった。
●M斉藤ー○越中
●浜口ー○小原
○寺西―●小林
○谷津-●健吾
で、最後、
長州が後藤にフォール負け!
>>39
藤原 谷津 健介 馳 長州に勝ったんだよな。
まさに1人G1 維震軍になる前が面白かった。
面白かったから中心に置いてやってみようという深夜番組をゴールデンにもってくるようなあれ。
冬木軍と本格的に絡み始めた頃がメチャメチャ面白かったな。
維震軍とWARの後楽園ホール興行を結構な頻度で見に行ってた時期があったけど、どっちの興行に行っても大体メインは維震軍VS冬木軍の6人タッグだった。
けど、毎回ホントにオモシロかったし、実際すごい盛り上がってたなぁ。
客は入ってなかったけど、会場はアツかった。
なんというか会場人気は有るけど客を呼べない典型よね
>>43
長州声明と称して越中が相手だ、などとおとぼけを演じているらしいが笑ってやろうかこの野郎!
越中なんて野郎まだやってんのか、呆れるよ、ツラも忘れた。自分は弱いものいじめはしない >>33
越中はシングルで後藤をタッグに入れれば良いのに
後藤って技なさすぎてシングル無理だろ
引き出し少ないけど試合作れるみたいなタイプでもないし ガキのころ木村健吾を「こいつ本隊のスパイだろ」と、ずっと思ってた
ドームの興行でも半分以上が出場出来ないくらいの選手層の厚さというか人余りじょうたいだったもんなあ
ゴタツって更改で年棒下げられた時に俺やヒロさんみたいなポジの重要性が分かってねえとか息巻いてたな
現状見れば当時のサイモンらの判断が正しかったとしか・・・
野球で例えると1軍の選手でも中継ぎの勝利の方程式に入ってない
投手みたいなもんだから
あのへんの中堅ジョバーはリキプロからきた石井や宇和野でも
十分だからね
>>53
後藤はスキンヘッドに眉毛剃ったときにリングネーム変えてほしかった
後藤達俊のまま行っちゃったのが…小原もだけど 新日と誠心会館が抗争になった理由が
「ちゃんとドア閉めなかったから」
これ好き
逆にコイツラを売り出したら評価あがるわけで
最初から評価高いレスラープッシュするより
やりがいあるだろう
剛竜馬や高野俊二と戦って欲しかったな。どちらも負け飲まなそうだから流れたのかもしれないが。
もし蝶野が本隊に造反してなければ、天山は凱旋後、高確率で維震軍入りさせられてた気がする。
流石の天山も、維震入りしたら早晩埋もれてただろうなあ。
いろんな面で蝶野様々だな天山は。
同じことを蝶野自身も行ってたな
越中木村の下に行っては・・・って
WAR離脱後の天龍が助っ人で維晨軍に加入したとき他のメンバーと比べてオーラが半端なかったな…
>>33
懐かし!
この書きこみ見るまで忘れてたw
札幌2連戦で正規軍WARと5対5もあったような
ゴタツが天龍に血だるまにされたやつ 野上が加入したときはちょっと可哀想な感じがした。
道着もイマイチ合ってなかったし顔も良いんだからここに入らなくてもと思ったけど、
数年後に蝶野の助っ人としてイメチェンしたからホッとした。
特別にファンってわけでもないんだけど、ようやく自分の道を見つけたのかなと。
龍天がな別格すぎて
維震軍のショボさが明らかになった
袴にスキンヘッド、なんかカッコいい〜!
カブキスゲー!
って熱中してしまった、俺みたいな単純な中坊ばかりじゃないからなぁ。世のプロレスファンは。
アキトシをエースとして推し続ければまた違った未来があったのではないか
まあ当時は推す理由は全くなかったけども
JJジャックスと平成維震軍どっちが嫌だったろうな野上
>>68
分かる
なんで天龍がこんな奴らと組んでるんだと思ったもんだ アキトシは小原や後藤あたりより全然顔もいいし空手とミックスさせた魅せるファイトも出来るしもっと華出せたよなあと思う
越中、キムケン、カブキあたりも良いけどもっと若手を押さんと
越中は維震軍の後期になるとアキトシをジュニアで活躍させようとしたが、本人が嫌がった。
今では石井とか低身長でもヘビーで活躍できるけど、当時は強かろうが上手かろうが、180(公称)以下でヘビーは難しかった。
平成の乱で逆ギレした長州が
「カブキ、てめーもだ!」って叫んでたけどカブキはいなかったよね?
でもそんな長州が好き。あれは完全に越中たちの迫力負けだったなあ。
文句の言い方が小学生みたいだったし。「常識だろコノヤロー!」
ドームの一日目のニュージャパンランボーにライガー出場して
平成維震軍出てこないかな
ライガーが維新軍を蹴散らしドームに入場曲SAMURAIが
96〜97年頃の地方のメインは
橋本、平田、安田対後藤、野上、小原とか
ショボい6人タッグが多かった…
道場の看板賭けての闘い
号泣するアキトシ
「返してやれ」という長州
看板抱えて男泣き館長
あれが新日本のプロレスだった
90年代新日の、様々な局面の最前線にいたグループなのに、
結局、おいしいところは長州と蝶野に全部持ってかれた
>>77
あれはずっと謎だった。昼の維震軍興行にはカブキはいたみたいだから、ただの勘違いなんだろうか? 平成維震軍が会社にプッシュされた時期なんて無いだろ。中堅選手が集まって上に噛み付いたり自主興行やっただけ。
キムケンが馳に勝ったりゴタツが長州に勝っても
IWGPに挑戦すらさせてもらえない
地方の6人タッグとかでたまに蝶野とかに勝っても
ベルト戦線からは越中以外無縁だからプッシュはさせて
もらってないよね
末期維震軍の名勝負は
神戸での齋藤彰俊とドンフライのシングル戦
>>1
逆に言えば平成維新軍が失敗したからって2リーグ制が駄目という事はないな 88お前名無しだろ2019/08/31(土) 03:16:56.87
うん
プロレスファンになったばかりの頃だから結構好きだった。
剛竜馬が参戦したり。
「お前らは所詮は新日本に保護されてるんだよ!」みたいなことも言ってて子供ながらに確かに!と思った。
正直いつのまにか無くなったときは寂しかった。
ゴタツと剛のチンカス問答のズンドコさとか最高に維新軍なんだよな
越中と蝶野がシングルやると、反乱軍による内ゲバとかってワープロで煽るんだけど
越中が何度蝶野に勝っても、なにひとつ変わらなかった
押されたことあんの?G1の決勝にもでたことないのに
札幌のWARとの5対5の対抗戦とか
面白かったな〜
カブキが異常に維新軍時代の充実を大事に懐かしがっているな
ケンコバで人気が出た時にベルトを獲れなかったのが全てだよな
>>36
じゃあ維震軍興行なんかしなくても良かったんじゃ? 越中は後楽園で永田とIWGPヘビーやったときの方が維新軍のときよりも遥かにプロレスラーとしての春だったろう
ケンコバ様々やな
紙プロでのせきしろのコラムで、リング上で何故か越中が維震メンバーから突然袋叩きに遭い、傷心の思いで誰もいない控え室の電気を点けると「誕生日おめでとう!」と維震メンバー総出でサプライズパーティーをしてくれるという妄想小説の回があったが、あれは面白かった。
なんかのムックで平成維震軍が全日に乗り込んで
越中が秋山から勝ってそして三沢と対戦だという
ところで終わってる妄想小説みたいなのがあった
こしなかはなぜかにんかはたかかったからなあ。
でもこしなかってつよさはかんじないれすらーだった。
むしろよわよわしいいめーじ。
どうたいぷのきむらけんごとくんだのがよかったのかも。
まあちょうのもつよさはかんじなかったからかあ。
つよさをかんじないのにれすらーやってるのもすごい。
いいづか、のがみ、にしむら、つよさをかんじさせないのはたくさんいたが。
>>85
健吾は藤波か長州の時1回くらい挑戦してるんだと思った。 カブキはムタがチャンプのときに挑戦してるけど
色物的な試合だからなあ
>>51
たしかにあの頃の越中には会場人気があった
ケロだかのコメントで別にもう1団体作ってエースで行けると話してた気がする
週プロで同列に扱われて川崎球場でも興行してるFMWあたりを見てあのメンバーであれだけできるなら新日の二軍でも制圧出来ると見誤ったんだろう
会場選びもそうだけど運営が本隊と同じ経費かけてしまったのが敗因
旗揚げ戦でレフリーなのにシンに手を出した猪木に頭を下げた越中が一気に株を落とした
絶対ありえないが俺の戦いの邪魔するな!と猪木に突っかかっていけば歴史は変わったかも >>103
この際、もっと絶対ない「たられば」言わせてもらえば、旗揚げは猪木もシンもいらないし、そもそもNKホールじゃなければ良かったのになと思うよ。
越中達のせいじゃなくて、当時の新日の営業(?)の感覚がなんかズレてたな。
その後、後楽園ホールとか小会場に定着して繰り返してたVS冬木軍やVS狼軍団なんか凄い盛り上がってたよ。 >>97
あれで取ってたら新日どうなってたかな。
結局、敗けで越中ブームは弾けとんで新日は何も変わらなかった印象だったから。 たとえ勝ったとしても越中ブームがあれ以上盛り上がるとは到底思えんのだが…
むしろ負けて永田の強さが際立ったからその後に繋がったんじゃないの?
>>106
当時越中も50歳前後だったからなぁ…
王者になってたらは防衛戦の相手は飯塚かライガーあたりしか勝たしてもらえなそう… 誰のなんだっけ?
越中が試合後アピールしたけどまったく相手にされなかったのって
IWGP戦で武藤が負けた後、橋本と越中が行ったけど
おれも「越中はコレ違うな…」とおもった
>>112
会社の方針だったんだから仕方ないじゃん。
越中本人も「俺じゃないよな・・・。」と思ってたかもしれんw >>15
会場だと大声援を受けるのに客は呼べないと言ったらSWS→WARの頃の折原を思い出す ベビーなのかヒールなのかよく分からない存在で
しかもイケメン皆無でプロレスも地味でこれといった集客力もない
彼らを見ると
ステーキセット(サラダとスープ付き)頼んだのに
肝心のステーキが出てこなくて、サラダとスープだけ
食わされてるような気分になる
ジャパンプロレスも自主興行では入らなかった。
長州は忘れてしまってたのだろうか。
>>112
12月に武藤の王座に初挑戦した直後だもんね
3ヶ月も経たないうちに2度目の挑戦かよって 高田対越中の王座戦行ったけど10分台の薄い試合だった…
週プロがUインターに取材拒否されて
客席からレボートした試合だっけ
後で「客席からでも駄目」と怒られる
最近の越中興行でカイエンタイの真霜が維震軍入したのって全く話題になってないし忘れられたな。
おまけに真霜は復帰未定な大怪我負っていつ帰ってくるかわからないし。
フェイスブックで「小原道由」と検索すると色んなイベントとかに出てる最近の小原が結構出る
後藤のたっつぁんは何も出てこないですねぇ・・・
健吾のウィキペディア見てたら普通に演技とかブックとかいうフレーズが使われてるんだな
維震時代のキムケンと言えば対金原戦
子供ながらに、主催者の悪意みたいなのを感じた
木村健吾を誉めてるレスラーって前田ぐらいしかいないのかね
俺の激闘じゃピー入ってるのキムケンだろうし
>>127
どっかで、天龍が「木村健吾がこれほど強いと思わなかった。こんな良い選手が燻ってるほど新日は選手層が厚いんだと実感した」と言ってたと読んだことあるけど 越中より木村を見ると新日本コノヤローってなるとか稲妻もガチで入れてくるとか持ち上げてたけど
本音はチョップ一発でこんなヘナヘナされてもなぁって感じだったと思う
長州は青柳が好きだったのか新日入団当初から扱いよかったよね…
青柳は剛のオマケみたいなもんだったのに、肝心の剛が張り切り過ぎてケガの連続
剛を呼んだ藤波の面目丸つぶれ
>>121
全日時代、FMWに上がって浅子と組んで、邪道外道に試合を作ってもらってるの見てからなんか評価低い
ノアの会場には行ったことないんだけど、その後まともになってたのかね >>72
JJは受け入れていた、「陽気な奴ら」になりきれなかったほうが、
将来、スキンヘッドにして「ウガー」ってやるんだから、わからんもんだ 飯塚はオレの言うこと聞かなかったとかボヤいてたな野上
さすがピーターにもケンカ売っただけはあるなw
>>136
飯塚はヒール前のイメージで実はおとなしいと思われがちだけど、中邑が言うにはヒールの飯塚のほうが素に近いらしいぞ。
道場のコーチ時代、新弟子たちに「お前らに自由なんかないんだからな!」と言い放って、中邑が怯えるくらいの理不尽な恐怖政治をしいてたらしい。 その頃なんか魔性のスリーパーキャラも無くなって一番ピリピリしてた頃だろう飯塚も
白飯みたいなもんなんだろうな
焼き肉でもラーメンでもよりおいしくいただけるし、ガッツリ満腹感を与えてくれるけど、じゃあ白飯だけ頼む奴がいるかというといないわけで、決してメインディッシュにはなれない
>>138
根っからの体育会系なだけだろう
船木は、「礼儀正しくて、年齢では下の自分をちゃんと先輩扱いしてくれた」と飯塚を評してた
温泉破壊事件のあと、高田にスナックのカラオケに誘われた時、船木が武藤の代わりに連れて行ったのも飯塚 >>131
トニー・ホーム戦を組んでもらったりしてたよね 青柳は、大仁田が言うには初めからあんなにプロレスできる器用なヤツいないよって。
空手家かつプロレスも小器用なとこが使いやすくて、新日に重宝されたのかな。
飯塚といえば蛍光ピンクパンツやなあ
JJジャックスといい顔がいいから定期的に売出しはされるんだけどその売り出し方がズレてるっていうか
飯塚は凱旋帰国後の大事な時期に変なパーマにしたのが失敗の始まり…
今でも維震軍のイベントや座談会があったりすると
越中、カブキ、小林辺りは出てきて試合で館長、彰俊、野上がでたりして
中々でないのが健悟、後藤、小原。
健悟なんて「維震軍のメンバーは集まろうって言えばいつでも集まるような仲。
木村健悟除いて(笑)」なんて言われてたし。
ただそんな健悟も先日トークイベントに出てたりしてたわけで、後藤と小原は
来てほしくないってなっているのかな?
平成維震軍もT2000も後藤小原が入る頃はなんか違うなって思ってた
地方に巡業中だった平成維震軍を、とあるホテルで見かけたことがあったんだけど、メンバーの何人かは同じテーブルで談笑してたのだが、なぜか小原だけ別のテーブルにいて一人で血走った目で酒を飲んでた。
一人になりたかったのか仲間はずれなのか、同じフロアなのに別れてて、なんか不思議な光景だった。
小原ってリングでも試合終わったらさっさと1人で花道下がって控え室に戻ってたイメージある
あんまり普段は人とつるまない人なのかなぁと子供心に思ってた
>>149
解散請負人だな、ドラゲーなんかのユニット解散マッチには属してほしくない選手
>>154
たしかにそんな感じ。
そう考えると、いつぞやの東京ドームで、顔面半分白黒ペイントで試合してたんだが、
事前に周囲に相談できなかったんだろうかw 3戦目の橋本vs小川の混乱の時、村上に無茶する小原をカシンが必死で止めた。
で、後藤(達)、小原、カシンは外人バスで一緒に移動する仲なんだけど、上の事があったあと移動中のバスで後藤が「ここに裏切り者がいるよなぁ!」ってカシンの事を指して声を荒げたんだって。
そしたらカシンが「僕は小原さんに人殺しになって欲しくなかったんです!」って叫んだと。
そしたら、さすがの小原もカシンに対して込み上げるものを感じたらしい。
さすがの小原も…。
石澤ありがとう!!って小原も叫んだというオチというか続きがあったはず・・・
後藤だけ酷い奴だな・・・
越中詩郎
木村健悟
後藤達俊
ザ・グレート・カブキ
小林邦昭
野上彰
青柳政司
小原道由
斎藤彰俊
真霜拳號
天龍源一郎
藤波辰爾
テリー・ファンク
159お前名無しだろ2019/09/09(月) 13:57:59.08
くっせw
>>148
それは越中流の先輩弄りでしょ。
越中からしたら健吾は大先輩。
小林はいまでもカラオケに行く仲だからな。 >>156
カシン は猪木派閥だからちょっと妬まれてたのか。
どう考えてもビール腹の後藤なんか秒殺できそうだけど。 反選手会同盟結成前のケロの旅日記に越中と木村は誕生日も一緒でウマが合うらしく仲が良いみたいなこと書いてあったな…
>>123
何も情報が出てこないって、体調良くないとかそういうのもあるのかな。北尾がそうであったように。ゴタツももう還暦くらいだろうし心配だね。 >>156>>161
あれは実際殺しかねなかったからカシンは偉いね。さすがだ
あれで村上死んだらあの後数年で新日潰れてたかもしれん
カシン、藤田、安田らガチ系猛者は仲良かったしちょっとやっかまれたりした部分はありそうだ 折原をただボコボコにするのは芸が無かったな。仮にも旗揚げで天竜とシングルが組まれたエース候補だぞww
>>95
中西だって、さんまのカラクリTVでコーナー持つくらい人気や知名度あったのにベルトは獲れなかった。
暗黒時代の新日は客のニーズを答えてなかったな。 >>164
安田はともかく石澤 藤田にスパーリングで勝てるレスラーなんていないからやっかみはあったのかも。
武藤とかライガーあたりはネチネチ言いそうだもんな。 アキトシの袴だけ素材がレーヨンだったから
ビローンて伸びるんだよなww
辻「あんなに伸びるもんなんですねぇ!!」は笑ったなぁ
狼群団と結託→NWOにクラスチェンジで本隊と抗争してたらワンチャンあった
カブキは美味しいポジションだったと思う。
何となく軍団内の重鎮みたいな扱いだったし。
蝶野や武藤が「越中はやりにくい」「プロレス下手だ」とか言ってるが
見てる側としてはそんなの全く感じないが、
やっている側としては何かあるのか?
そりゃあるだろう
俺もリングに立ったことは無いから具体的な事は何も言えんけど
レスラーが飽和状態だったから、出来たのは会社側、レスラー側にメリットがあったはず。
本体の力も借りながら、維震軍のシリーズも良かった。
地方ではメイン、ドームでは前座と、若干気の毒だった。
テレビで、何だ越中か…と期待もせず観ているうちに、段々と知らず知らずに引き込まれて、ああ良かった結局面白かった、みたいなのがよくあった
>>174
蝶野がプロレス上手いとも思わない。
2005年の藤田戦 カシン戦は酷かった。 >>173
越中や健吾の下のポジションってよく受け入れたと思う。 初期の木村越中青柳vs天龍石川北原とかウルティモ&折原vsライガー&金本は面白かった
東京プロレスにカブキと青柳がいたあたりで
カブキのパートナーの弁慶をメンバーにいれる計画が
あったらしかったけどなんでボツになったんだろ
94年G1での会場全員の越中推しは凄かった…
あの入場曲で完全にデキあがってたなぁ
天龍のパワーボムを食らった健吾がリング上で失禁した。
リング上に水溜まりが出来てた。
その上で天龍長州猪木が..。
つべにあった三銃士vs越中健吾カブキ戦が中々面白かった
あのメンツだと白蝶野が負け役ってのも当時の平成維震軍の勢いを感じ取れた
何気に健吾は蝶野からよくパワーボムでフォール勝ちしてた。
越中&木村ってテレビだと越中のテーマ曲なんだけど、地方のノーテレビだと木村のテーマ曲で入場してたんだよね。
越中&木村ってテレビだと越中のテーマ曲なんだけど、地方のノーテレビだと木村のテーマ曲で入場してたんだよね。
>>179
でもカブキってもうあの時点で歳で動くのがきつかったと思う。越中、木村はまだ動けていたから他の人いわく重鎮的なポジションでいいかと。 チャイナが新日にあがった時に偽ムタとタッグを組んでIWGPタッグ挑戦の予定だったけど
偽ムタが直前に怪我して代わりに出てきたのがカブキだったな
まったく動けてなかったし断れば良かったのに
越中本人も全日時代の怖いカブキを知ってたからひたすら恐縮しまくってたらしいな
スーファミ初期の大傑作「アクトレイザー」の
一面の曲は、越中詩郎のテーマ曲を参考に作られた
ウソだ
>>194
ちゃーらららら〜ちゃ〜らら〜♪
自演すまん。 >>190
実は健吾軍団にする予定だったが、やはりこの流れを作った越中をプッシュしようという事で健吾が一歩引いたのでは。 >>171
96年1月頃の後楽園の本隊との3本勝負の時に当時履いてた水色のパンタロンが安田だか野上に引っ張られてビローンってなったの覚えてる 越中はいい試合してたからね。
蝶野は越中のカモにされてたな。
何度もパワーボムで負けていいところが全くなかった。
越中はどうしてもいい人オーラが出てヒールになりきれなかったのが色んな意味で残念
越中はこの流れがなかったらヘビー級じゃ厳しかったと思う。
>>202
越中は全日に残ってたらジュニアのままだったかもね。
全日でヘビーでやるには細すぎる。 90年代初期、猪木が参議院議員になって坂口社長&長州体制になった時、その体制での初代選手会長と副会長を務めたのが越中と小林だった
その仕事ぶりを評価されたのか?抗争ストーリーの主演ポジションや軍団結成の話が上がって、誠心会館との抗争や反選手会同盟が生まれることになった
先にあったブロンド軍や藤波の内部組織プランがいまひとつだったこともあって、長州は越中たちを一気に天龍との対抗戦実現のための先兵役にも抜擢
これが大当たりだったことで、その年の最終戦のメインを天龍−越中のシングルマッチで飾るほどだった
大スターへのブレイクを果たした、というほどでもなかったけど、反選手会から平成維震軍に変化しながら越中たちは地方巡業のメインの青コーナー側という安定したポジションを掴んでいった
正規軍の選手の結婚式でバット折りのコントを展開したり、イベントの賞金や自主興行の売り上げを災害募金にしたり、とヒールをつらぬくことは到底できない軍団ではあった
だからこそ応援したくなるようなチームだった気がする
>>200-201
確かに維新軍のコンセプトって、ヒールじゃないからね
長州の昭和はそれでスターダムにのし上がったわけで
ただ平成の方は、面構えが凶悪な人が多かったし
館長とか、袴に道着とか武道家っぽいハードコアな印象が目立ったし
正規軍に武藤とかイケメンがいたせいでどうしてもヒールっぽい扱いになった
ヒールでもそこに振り切れたら良かったんだけど。中途半端な怖さとヒール感。ムチャクチャ悪い感じでもなかったのが残念 >>174
邪外のどちらかが「越中さんは上手い」みたいな事を言ったら、
それを耳にした冬木が「越中が……上手い?」とか言ってたな
ゴングか週プロのインタビューに載ってたような 不器用な感じは受けたけど、下手さは感じなかったなあ。
それともあれかな?「固い」とか「重い」とか、
レスラー間で分かるそういう意味での「上手い下手」なのかな
平成維震軍を越中が解散宣言したのに。後藤と小原が拒絶したんだっけ
>>204
飯塚だったかサムライだったかの披露宴で小原が満面の笑みでピースサインしてたしな 健吾の一度離脱してから復帰の流れがイマイチ。
越中なんか「あんな裏切り物が一緒だったなんてゾッとするな」とかコメントしてたよな。
それなのに半年後には「木村さん維震軍を助けてください」ってしらけるわ。
1980年代の健吾の体つき、結構分厚いな。反選手会のころはもう筋肉が落ちていて、か細くなっていた。
黒稲妻赤スパッツ坊主頭が印象的。
まさかNWOが出てきて日本でも爆発的人気になるとは思いもしなかったろうな
NWO=カッコいいヒール
維震=カッコ悪いヒール
の図式が完全に浸透したし武藤がNWO加入した時にはもうどうしようもない格差が生まれたからなぁ
サターンプレステ戦争を見てるようで切なかった
>>213
犬軍団が中堅なりに頑張っていたのは、好意的に見てた >>208
解散会見があった時はみんなにこやかな顔してたけど
次のシリーズになって後藤と小原はヒール化して
越中に勝手に解散しやがってってなってた。 >>215
そういうとこだよな、彼奴等の間が悪いのは
会社にいいわれるままのやつは結局上にはいけない むしろそこからコンビでベルトも取れたし良い流れだっただろ
小原フィギュア。
マシンマスク付のやつ。
近所で300円で売ってた、、、
後藤小原ってアジアタッグ王者感あるな。
健吾越中もだけど。
>>220
後藤、小原の唯一の防衛戦が旬を過ぎまくった越中、木村組なのは気の毒だったな… ビールがない!と怒られ、ひっぱたかれた男は誰なんだろうか。
新日本のスタッフ?可愛そうだな。打ち合わせ通り?
天龍関係ない時は下の方で10人タッグや8人タッグが多かった。相手も中堅で
>>217
いや。。。だから言ってるわけで
お前バカなの? レスラーなんてみんな会社の言われるがままじゃないのか??
維震軍は現役時代プライベートな付き合いは全くなさそう。仲良かったのは健吾と小林くらいか。
最初の4人のままだったら人気出たと思うけどなあ
キムケンを筆頭にゴミが集まるゴミ箱状態に
小林青柳アキトシ越中健吾歌舞伎
ここまでで増員終了
後藤小原野上絶対に不要!
藤波天龍もいらない、
俺越中ファンだったから見てたけど押されてたか?w
3銃士が10としたら越中は8くらいで他の奴等は5とか6そんなイメージ
タッグで激突してもこりゃ後藤で捕まって負けだなみたいな感じにみてたわ
>>230
十分推されてたよ。
外様なのに重鎮の健吾を差し置いて軍団のリーダーだったから。 あの当時の新日本メンバーなら、本体にいたら埋もれていたはずだし。
越中にポジションがあって、前面に出てきたのはファンとしては嬉しかった。
木村健悟やカブキがリーダーだったら、平成維震軍は盛り上がらなかったと思う
あの面子で越中はよくやったよ
小原後藤は必要だったと思う
最初の4人の方がキツイわ
同じ三羽烏の三沢も新日参戦後のライバルだった高田も団体のエースになっていたし
越中にもスポットをという想いが会社内にあったのかね
>>237
三羽烏?三沢と越中と誰だよ?適当なこと言ってんなw 俺が見始めたの95年くらいからだからかもしれんが
平成維新軍は出がらしのお茶みたいで全く勢い感じなかったけどな
邦昭さんがこれからって時に病気になっちゃって、軍団としてトーンダウンしたのは否めないと思う。
越中小林という、埋もれつつあったド中堅たちが誠心会館と絡むことで輝いて、果ては共闘というドラマがあったからこそ初期反選手会は面白かったわけで。
キムケン加入で単なる没個性ヒール軍団に成り下がった印象。
小林邦明のリタイアが無ければ全然違う扱いになってたと思う
越中と小林が全員に喧嘩売ってる感じが好きだったんだけどね。
小林の離脱がなければ、長州と浜口、天龍と原みたいな感じの売り出し方
になったのでは。
青柳、斎藤との共闘はいいとして、体制派の健吾との共闘は?だった。
あと、後藤とか野上とか、末期はカラーに合わないメンバーが加入したのも
マイナス。この二人を入れるなら、保永、ヒロ斎藤を入れた方が良かった。
越中と共闘するのは、健吾じゃなくて元々のアングルでは藤波だったって話
を聞いたような。
当時は藤波と越中って師弟関係って雰囲気もあったからありえなくはない。
けど、反体制になったり、坊主になったり、センスのない道着を着るのを嫌って
断って、健吾が代役になったのかな。
藤波、カブキ組とか見たかったなぁ。
小林邦明俺が見始めた時もう地味なおっさんだったけど
youtubeで若いころの試合見たらギラギラしてて驚いたね
小林は反選手会同盟結成時にすでに病欠していたはず。
木村、越中、青柳、斎藤が結成当初のメンバーじゃなかったっけ。
長州、藤波、闘魂三銃士、第三世代誰一人引っ張ってこれなかったのは痛かったな
天山をスカウトして即断られたのは笑えたけど
平成維晨軍だけで地方巡業してた時代って同じ新日でもエラいローカル感があって好きだったなぁ…今の新日だと鈴木軍で興行打つような感じかな
今の新日なら、真壁本間が独立興行か。
令和の誠心会館が必要だな
>>245
藤波なんか加入したら藤波ばっかり目立って越中以下が霞んじゃうから
健吾でちょうどよかった。 >>249
> 長州、藤波、闘魂三銃士、第三世代誰一人引っ張ってこれなかったのは痛かったな
既存のメンバーが霞んじゃって本末転倒になるから必要なかった。 藤波だとドラゴンボンバーズの焼き直しみたいなイメージになりそう。
両国での小林vs彰俊
おいらのベストバウト。
彰俊選手に直接会えた時に伝えたら、凄く喜んでた。
翌日に越中対青柳が行われた千葉ポートアリーナのメインアリーナが懐かしい…
IWAジャパンとの交流戦が中止?になったのは残念だったなー
テリーファンクが福岡ドームに参戦しただけで、代わりに越中が川崎球場に上がるプランがなくなってしまった
あれはなんでだったんだろう?
キョネスからしたら、ターザン後藤やダンスバーンが次々に招聘できちゃったから?
新日はUインターとの対抗戦も決まって、一気にそっちの流れにいってしまったのもあったかな
>>250
本隊の興行では小さくて使わないような会場でもやってたな。 小林邦昭はジャパン末期あたりで渕と抗争して謎の胴締めスリーパー合戦とかやってた辺りから急速に光を失い始めた印象。
新日出戻り後は、馳の噛ませ、ライガーの噛ませをさせられて、一気にロートル化。いい意味で言えば、小林越えこそがスターの条件みたいな風潮ではあったけど。
当初の通り、ドームで天龍川田とやれてたら、ちょっとは小林の歴史が変わってたりして…?。
>>259
マシンがブロンド入りする前のシングルでは2分ちょっとで魔神風車固めでやられてたな Uインタ安生山健vs小林野上。
何故か小林が野上より先にコールされて微笑してたな
小林は最後ヘビー級だったの?
ジュニアのイメージだけど。
nWoと維震軍=サターンプレステ戦争ww
的を得ているねww
PS2とドリキャスじゃないだけましじゃないか
PS2とドリキャス=T2000と無我かな
小林は所詮初代タイガーとの名勝負の貯金で食ってたレスラーだろ。
上手くレイジングスタッフからヒールユニットの座を奪った感じだったけど、WARとの抗争の時がピークだったね
越中の度重なる怪我が原因なんだろうけど、藤波の助っ人はいらなかった
昭和維新軍との抗争なんて誰得だったんだ?
>>263
PS2とドリキャスだと思うw
本体と比べてすら人気無かったもの
nWoは他のスポーツ選手も巻き込んで盛り上がったもんなー そもそも全盛期の長州のジャパンプロレスですら集客サッパリだったのに
新日本とか当時の全日本のブランドは絶大
nWoは勝ちすぎて嫌いだったからもう少し本体勝たせろよとは思ったがなw
マーカスバグウェルですらテレビで見てる限り中々負けなかった
>>266
ネオジオくらいヤリスギれば、逆に海外のガチ勢ヲタとか
ナゾの需要が出てくるんだけど・・・
ネオジオは超世代軍→四天王全日かね >>264
そんな名勝負あったレスラーなんて一握りじゃないの? >>264 >>271
小林って佐山タイガー以外でも節目節目で好勝負を遺しているイメージがあるけどね
三沢タイガー相手でも上手い事三沢をリードしていたし
ハル薗田とのマスカラ・コントラ・カベジェラとか>>255が触れている彰俊戦なんかもそう 274お前名無しだろ2019/09/22(日) 04:26:35.04
なぜだー!